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『シュベスター ウント ブラウト』 作者: sako
荒い息。滴る汗。混ざり合う体液。
夜明けにはまだ遠い深夜。
シルクのベールの向こう、豪華な飾りが施されたベッドの上に二人の女の子が肌を重ねあわせる影絵が淡い蝋燭の光に映し出されていた。
「咲夜っ…♥」
「ああっ、お嬢さまっ♥ お嬢さまっ♥」
重なりあい身体を揺らし合う二人。
上の影は幼く、小さい体をしている。背中から生える翼をはためかせながら、強く、何度何度も繰り返し腰を打ち付けている。
下の影は大人の女性。ギシギシとしっかりとした作りのベッドを軋ませる程の激し動きを一身に受け、苦悶と相反する悦楽の声をあげ、形のいい大きな胸をその振動にあわせて揺り動かしている。
小さな影の股座からは有り得ぬものが生えていた。陰茎/剛直/男性器。大人の男のソレ。細く未成熟な身体には似つかわしくない凶悪なフォルムを誇る剛直は張型のような模造品ではない。粘液に濡れたそれは柔布にくるまれたような刺激に張り裂けんほど怒張し、熱い血潮を滾らせ脈打っている。まごう事無き本物。先端の亀裂からはどろりと青臭い淫水を滴らせ喜びに打ち震えているようだった。
ソレが下の女の秘裂…十分以上に濡れひくつき大きく口を開ているそこに飲み込まれる。ぞぶりぞぶり、と。淫猥な水音を立て胎内に侵入した剛直は前後運動を繰り返し、杭でも撃ちこむように激しく膣口を責め立てている。刺激に膣壁は脈動し、きつく剛直を締め上げる。
二人の重なりあいはそんな獣じみた生殖が目的のまぐあいだけではない。
はぁはぁ、と荒い息をつき酸素を求めあえぐ口でなお相手を求めている。
重なりあう二つの唇。舌先が伸ばされ、別の意思を持ったようなそれらは、胴の短い二匹の蛇が身体を結びつけ合うように交わり合っている。唾液が交換され、吐き出すと生きが相手の喉へと届けられる。
口づけの箇所は相手の唇だけではない。
小さな影は頭を動かすと下になっている女の首筋へそれを埋めた。
葡萄の実を食べるよう、興奮に朱に染まった肌に吸いつく。更に甘く噛み付き、やわい皮膚に歯型を残す。裂かれた肌から染み出るように浮いてきた赤い血をべろりと舐め上げる小さな影。
その刺激に喜びを見出しているのか、大人の方の影は嘆息じみた悲鳴を断続的に漏らしている。痛みさえも快楽に。痙攣するように身体は震え、膣が伸縮し、埋もれた剛直をきつく締め上げる。
その締め付けをもっと深く味わうように腰の動きが早くなる。あわせて下の女も腰を振り始め、二人の動きは一つになる。
指をまるで生まれた時からそうであったように絡ませあい、何度も何度も深く口付けを交わす。自分たちはただ一つであるのだと証明するように。腰の動きが加速、臨界を超え激しさの限界に達する。二人分の熱い吐息と汗の匂いが満ちる蚊帳の中にぱぁんぱぁんという太鼓を強く打ち付けたような音が鳴り響く。
そうして…
上の幼い体つきが一際、強く腰を打ち付けたかと思うとぶるり、とその小さな尻を揺らした。ふかくふかく、最奥に切っ先をねじ込ましたままか細く震える身体。背中から生えている蝙蝠の翼がピンと腱を引っ張ったように伸び、全身の筋肉も同じように硬直する。
下の女も両足を折り曲げ、小さな身体を逃がさないように、逃がさないように、より深く突き刺すように、両足でその小さな腰に抱きつく。
きつく絞られた両目、いきり立つ乳首、肌の上に浮いた玉の汗が滴り落ち、二人は口づけを交わしあったまま激しく胸を上下させている。
女の胎内、子宮口をこじ開けるように突っ込まれた剛直の切っ先から溶岩のように熱い精液が断続的に吹き出している。白濁した熱い液体に満たされる子宮。その温かさ、脈動する剛直、腹に満ちる愛に、快感が背骨を駆け上がっていく。
ほぼ同時に達し、気をやった二人。
そのまま二人はお互いの息が整うまで身体を重ねあわせたままでいた。
「はぁはぁ…よかったわよ、咲夜」
「ありがとう…ございます、お嬢さま♥」
ぞぶりと白濁液の糸を引きながら萎えた男性器が痙攣するようにひくついている女陰から引き抜かれる。
そうして紅魔館の主、レミリア・スカーレットは息も絶え絶えにベッドの上に身体を横たえている従者、十六夜咲夜の形のいい唇の上に自分のそれをもう一度、重ねあわせた。二人がひとつになるためのものではなく、ただ、愛を証明するだけのもの。その幸福感に満たされながら咲夜の意識はだんだんと湖面から立ち上る霧が辺りに満ちていくようにゆっくりと眠りの淵へ落ちていった。
「っん…お嬢、さま」
身じろぎし、十六夜咲夜は傍らで眠っているはずであろう幼い身体を求め微睡みの中、腕を伸ばした。けれど、そこに人の体温より低いそれはなく、咲夜の腕はむなしく空をつかんだ。
「お嬢さま…?」
僅かに脳が活性化する。
うつろげに眼を開けて、隣で眠っていたはずのレミリアの姿を探す。けれど、そこにあの永遠に幼い吸血鬼の姿はなく、シルクのシーツの平原が広がっているだけだった。
「これは…?」
いや、違う。レミリアの姿は見当たらなかったが咲夜は代わりに別の物を見つけた。赤いフェルト地の装丁の片手で収まるような小さな箱。蓋はあいており、シルクを敷き詰めた内側が見える。箱の中央にはコインほどの大きさのスリット状の窪みが。この箱は指輪を入れるための宝石箱か、とまだ微睡みに片足を突っ込んでいる咲夜の頭は考えた。では、中身は何処に?
「あ…」
と、咲夜はその中身、美しい白金の輝きが自分の左手、その薬指に嵌められているのに気がつく。
「これは…」
室内灯のぼんやりとした輝きにかざしてみる。飾り気の無いシンプルな指輪。中央に小さなダイヤモンドが埋め込まれているだけでそれ以外には何の装飾も施されていない。けれど、プラチナとダイヤの輝きは強く、まるで永遠であるように思えた。
「きれい…」
思わずうっとりとそれをかざして眺める咲夜。多角度で切られたダイヤモンドは小さいながらも向きを変えるたびに違った輝きを見せ、キラキラと星屑を思わせる光を見せている。
「気に入ってくれたみたいね」
咲夜が恍惚とした表情で指輪を眺めていると唐突にそう声がかけられた。驚き、はっとして声のした方に振り返ると天蓋の薄布越しに窓際に立って月光を浴びている小さな影が目に写った。
「お嬢さま」
そっとシルクのカーテンを開き、そとを伺う。薄闇広がる窓の向こうに視線を投げかけつづけているレミリアの姿があった。裸の上に薄いキャミソールを羽織っただけの格好。薄布越しに可愛らしいお尻の割れ目が見える。先程の情交の後、着替えることもなく上にキャミソールを羽織っただけなのだろう。そこで咲夜は自分も何も身につけていない生まれたままの姿だったということを思い出した。恥ずかしがるように慌ててシーツを抱き寄せ胸元を隠す。先程まで裸で交わっていたというのに、それでも今は恥ずかしいという乙女心ぐらいは持ち合わせている。
「この指輪はお嬢さまが…?」
どこか、恐る恐る咲夜はレミリアに尋ねる。咲夜が目覚めたのを知ってもそっぽを向いたまま窓の向こうから視線を離そうとしないのを何か自分に至らぬところがあって怒っているのでは、と咲夜は思ってしまったからだ。
けれど、それはやはり咲夜の思い過ごしであったようで、向こうを向いたままのレミリアは何かを探すように頭を左右に振った後、え、ええ、とどもりがちに応えた。
「その…ね、うん、えっと…ふ、普段頑張っている貴女にご褒美を…じゃない」
言葉を探しているようなむしろ決心がつかなくて言い訳をしているような歯切れの悪い言葉。どういう事だろうと咲夜は何も聞き返さずレミリアの背中、パタパタとはためいている蝙蝠の翼を眺めている。
「あーっ、もう!!」
ややあってからレミリアは誰か、といううか自分を叱咤するように大きな声をあげると、ついに大きく腕を振って気合を入れ直し、咲夜の方へ向き直った。
「だから、それは婚約…それと結婚指輪なの! わ、私は咲夜が好きだから! ずっと、ずっと一緒にいて欲しいと思ったから…それで…」
なぜか怒り口調で加え、だんだんと言葉尻につかづくに連れて小さくなっていく言葉。呆然と目を丸くして咲夜はそれに聞き入っている。
「つまり、その―――結婚しなさい、咲夜!」
結局、いつものような命令口調に落ち着き、指し示すように指を突き出すレミリア。
咲夜はその指の先、ぷにぷにとした柔らかそうな指の腹に刻まれた指紋と耳まで真っ赤に染まったレミリアの顔を交互に見比べ、そうして―――
「あ―――」
ほろりと片方の瞳から涙を溢れさせた。
「え、ちょ、咲夜!?」
それを見て慌てふためくレミリア。先程の恥らいと勢いも何処へやら、狼狽え、視線をさ迷わせ、やああってから絶望の面持ちになる。
「も、もしかして…イヤ、なの…」
口にするのも恐ろしい、そんな風に躊躇いがちに咲夜に尋ねるレミリア。その主人のコロコロと変わる表情が面白かったのか、咲夜は顔をほころばせ涙をぬぐい取る。
「いえ、違いますよお嬢さま。咲夜は嬉しくて、うれしくって思わず泣いてしまったんです」
朝日のように優しい笑みを浮かべて咲夜は応える。今度はレミリアの方が何を言われたのか理解出来ないといった様子で、視線をさまよわせた後、咲夜に飛びついた。
「もうっ、咲夜ぁ!」
首に腕を回し、レミリアは咲夜をそのまま押し倒してしまう。きゃっ、と短い悲鳴を上げるも、咲夜は自分の胸に飛び込んできた幼い吸血鬼が首筋に顔をうずめてバカバカ、と怒っているのを見るとまた笑みをたたえた。どうやら、主人の気分を害してしまったようだ。なだめすかすように咲夜はレミリアの肩口まで伸びるセミロングの髪を優しくなでつけた。
「すいませんお嬢さま、勘違いさせてしまったようですわね。でも…」
そこで言葉が途切れる。咲夜、とレミリアが顔を上げると少し困ったように眉を顰める咲夜の顔がそこにあった。
「私で、私でよろしいのでしょうか? だって、お嬢さまは吸血鬼で、私は人間で…その…っ」
また言葉が途切れる。けれど、今度は咲夜の自由意志ではなく、その言葉を発していた唇がレミリアのそれに半ば唐突に塞がれてしまったからだ。
「っは…お嬢さま?」
「私が、」
唇が離れる。驚いた咲夜の視線の先にはレミリアが。窓から差し込む月光の光を強く受けるその顔は真摯に咲夜へ向けられている。一点の曇も迷いもない、そんな顔つき。
「私がいいと言ってるのよ。だから、だから、そんなことは気にしないで。質問はなしよ。はい、か、いいえ、だけで応えなさい咲夜」
そっと咲夜の手を握るレミリア。指先が自分が贈った指輪に触れている。永遠の愛を誓い合う指輪。
しばらくの間、レミリアは咲夜の瞳に映る自分の顔を見つめ続けた後、まっすぐに咲夜を見つめながらこう言った。
「結婚して、咲夜」
応えた言葉はハイ、だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おかしい」
休憩時間、パチュリーやフランたちと一緒の席についておやつを戴いていた美鈴は訝しげに眉を潜めた。半目の視線の先にはせかせかと働く咲夜の姿が。
「むむむ」
その光景自体は何の変哲もない紅魔館の日常の風景だ。けれど、椅子に座って腕を組み、首を傾げる美鈴は猛烈な違和感に囚われていた。
「機嫌が良すぎる…?」
視線の先でてきぱきと働いている咲夜。その動きは淀みがなく、微塵も無駄な動作というものをしていない。紅魔館のメイド長にふさわしい仕事っぷりだろう。けれど、どうにも今日の咲夜からはいつもと違う気を感じると美鈴は思っていた。違和感の正体はそれ。よくよく観察して見れば、いつもはクールな表情をたたえているメイド長がなぜか春の野原に咲きほこった名もなき花のような笑みをずっと浮かべているのだ。
「なんか、咲夜、うれしそうだねー」
「でしょでしょ。フランさまもそう思いますよね?」
隣でトマトジュースを飲みもせず、コップの中で回して遊んでいるフランの言葉に目の前に餌の付いた釣り針を下げられたかのような勢いで美鈴が食いついてくる。この違和感は自分だけじゃなかったんだ、と。
「なんかいいことでもあったのかなー」
「昇給ですかね。あ、もしかして、探してたスペツナズナイフが手に入ったとか」
まるでひみつの相談事でもするように顔を寄せ合う美鈴とフラン。時折、咲夜の方へ視線を向けながらあーでもない、こーでもないと話し合っている。
それを見かねたのか一人、読書をしていたパチュリーはパタンと頁を閉じてため息混じりにつぶやいた。
「左手の薬指、見てみなさい」
「左手の?」「薬指?」
顔を見合わせパチュリーの言葉を反復する二人。すぐに咲夜の左手の薬指を観察すべくてきぱきと働くメイド長に視線を向けるが生憎と立ち位置が悪いのかなかなか咲夜の左腕は見えない。
これは近づいて見るしか、と美鈴が思い始めた頃…
「あ!」
フランが声を上げた。
咲夜の左手の薬指に光る何かを見つけたからである。同じく気がついた美鈴が目を細めるとそれは指輪であることがわかった。
「え? まさか…」
左手の薬指に指輪、その意味に気が付き目をぱちくり。意見を求めようと美鈴はパチュリーの方へ視線を向けるがもう図書館の動かない魔女は興味がない様子で読書を再開していた。
「ねぇ、めーりん、咲夜が指輪をしてるのと嬉しそうなのって何かかんけーあるの?」
未だにその理由が分からずフランは美鈴の服の袖を引っ張って質問する。美鈴は咲夜と同じ種類の笑を浮かべたあと、そっとフランの耳元へ顔を寄せて優しく呟くように応えた。
「ええ、そうですよ。あれはきっと…指輪をプレゼントされたから喜んでるんですよ♪」
きゃっー、と顔を綻ばせるする美鈴。けれど、まだまだ理解が及ばずフランは小首を傾げたままだ。
「プレゼントもらうのは嬉しいと思うけど、喜びすぎじゃないの?」
「もー、妹さまはニブイですねー。好きな、人から貰ったから嬉しいんじゃないですか。左手のですね、薬指に指輪をつけるのは結婚の印なんですよ」
「けっこん…? 咲夜が?」
ええ、とフランの言葉に美鈴は頷いてみせる。
「メイド長も興味なさげな雰囲気しててやりますね〜 お相手は誰なんでしょう」
長い歴史を持つ当家のことを調べに来た学者さんか、百年も前の芸術品を鑑賞に来られた絵描きの先生か、はたまた小間使いの庭師の連れ子か、もしかすると昔、咲夜さんがまだ暗殺者をやっていた頃の同僚かも、といろいろ妄想を膨らませる美鈴。君のことを愛しているよ、と夕焼けを背に咲夜に迫る長身の人物、想像はそこまで膨らんだが、相手役の影が咲夜の唇を奪いそうになったところで美鈴の妄想は止まってしまった。そこから先は美鈴にも経験がなく、想像することができなかったからだ。
「誰でしょうね〜
よし、咲夜さんに聞いて…って、あれ?」
件のメイド長の婚約相手のことを他でもない咲夜自身に聞こうと思い、現実世界へ帰ってきた美鈴ではあったが、メイド長はもう本棚の整理を終えていたようで、その姿は図書室のどこにもなかった。
「恥ずかしくて逃げましたね」
ふふふ、と負け惜しみくさいことを口にする美鈴。
話を聞いていたパチュリーはあきれ顔だ。
「で、結局、お相手は誰なんでしょうね? パチュリーさまはご存じですか?」
それでもなお、この話を続けようとそう手札を切ってくる美鈴。パチュリーは読んでいた本から…と、言っても美鈴がうるさくてほとんど文章は頭に入っていなかったのだが、そこから視線をあげ、半目であきれたような表情を浮かべながら口を開いた。
「さぁ、私は知らないわ」
ぶっきらぼうな言葉に美鈴はあからさまにがっかりし、そうですか、と言葉を返す。けれど、
「でも、おおかた予想はつくわ。
あの悪魔の狗を手なずけれる相手なんてそうはいないもの。ああ、でも、予想はあったけれど、想定外ではあるわね。あのヘタレがあんなに乙女が喜びそうなことをするなんて。我が友人ながら、その点だけは尊敬に値するわ」
遠回しな言い方に最初、美鈴はパチュリーがいったい誰のことを語っているのか分からないでいた。けれど、友人、その言葉にすぐに咲夜の相手が誰なのかを思い知り、そうして、
「え、え、えええ?」
そんな素っ頓狂な声をあげた。
「やれやれ。どうして本読みの私の方が恋愛事情に強いのかしらね、まったく」
ため息混じりにやっと静かになったわ、と本に視線を戻すパチュリー。美鈴はまだまだ目を丸くしたままだ。
おかげで二人はいつの間にかフランが席を立っていることに最後まで気がつかなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
フランは廊下を走っていた。
その表情は焦燥。焦りに駆られ、一足でも速く走ろうという混乱に満ちている。
けれど、その足は闇雲に進めているわけではない。ときおり、足を止めては鍵が開いている部屋を覗きこんだり、わざわざ遠回りして見落としている場所がないか探したりしている。明らかに誰かを捜している行動だった。
と、
「わっ、こら、フラン。廊下を走っちゃ駄目でしょ」
曲がり角で出会い頭に反対側からやってきた人とぶつかりそうになった。レミリアだ。
ごめんなさい、と謝り、フランは一歩後ずさる。身構えるようにスカートの裾を握りしめ、うつむいた様子を見せる。
「どうしたの、そんなに慌てて」
怒られる、と思っていたフランは面食らうことになった。
レミリアの口から出てきたのはフランの模範的ではない行動を叱る少しの言葉と廊下を走っていた理由を優しく問うというものだった。普段のレミリアなら自分のことを棚に上げて、くどくどとお説教を始めるところなのに、とフランはあっけにとられる。まるで、お姉さんのよう。
その優しさ、その心の余裕が証拠だった。フランは確証を深めるとそのかわいらしい唇を真一文字に結んで、奥歯をかみしめてまっすぐにレミリアを、幸せそうな姉の顔を見据えた。
「あの…お姉さま」
「なにかしら?」
それでも言葉に詰まる。いいや、言ってしまえ。フランは強く、スカートの裾を握りしめる。
「咲夜に指輪…あの…結婚するって」
やっと出てきた言葉は文法の定をなしていなかった。けれど、少ない言葉だけでフランが何を言おうとしているのか、レミリアにも分かったようでわずかに驚き、顔を赤らめた後で少し気恥ずかしそうに応えた。
「うん、そうよ。みんなに言うのはもう少し、後にしようと思ったのだけれど、私、咲夜と結婚することにしたの」
ついに当事者から得られた言葉にフランは肩をふるわせた。その固まったような表情を見取ってもレミリアはフランが言わんとしていることが分からず、小首をかしげた。期待していた祝福の言葉ではなかったからだ。
「で、でも、お姉さま、どうして、あの…咲夜と…」
続くフランの言葉にレミリアはあからさまに眉をしかめる。怒りを露わに、先ほどの笑みもどこへやら、顔を不機嫌を絵に描いたように変えた。
「フラン、まさか貴女、高貴な血統のスカーレット家の長女に下賤な端女は似つかわしくないとでも言うつもり? そんな古くさいカビの生えたような考え、そんなものは御父様を討って私が、私たちがスカーレット家を継いだ時に全部、燃えないゴミの日に出してしまったわ。それに異議があるって言うんなら、貴女も…」
凄みを効かせた言葉にフランは慌てて首を振るう。
「違うのお姉さま。あの、あの私…」
「そう。違うのなら結構よ。貴女も古い因習に囚われないで恋の一つでもしてみなさい」
少しだけ嫌みっぽい言葉はレミリアなりの自慢なのか、妙に済ました表情で口にした。
「…………………」
その言葉に堪えたのか、フランはついに押し黙ってしまった。うつむいて、唇をへの字に、泣きそうに瞳を潤わせている。そんなフランの顔を見てさすがにレミリアは自分が悪いと思ったのか、二三度、目をしばたいてバツが悪そうに唇をとがらせた。
「ま、まぁ、恋以外でもいいわ。もう、誰も貴女を地下室に閉じ込めたりなんてしないから、貴女なりの自由な生き方をしてみなさい」
諭し、道を指し示すような言葉。けれど、それでもフランの表情が晴れることはなかった。
「あの、お姉さま…」
暫く無言のままで並んでいた姉妹であったが、おずおずと妹の方が口を開いた。結局、徹頭徹尾、フランの言いたいことが分からずじまいで少し苛立ちを覚えていたレミリアはぶっきらぼうな口調で何、と問い返した。
しかし、その答えは返ってこなかった。唐突に第三者が介入してきたからだ。
「あ、お嬢さま、こちらにおられましたか」
そんな声に遅れて小走りに廊下を進む音が聞こえてきた。ぱたぱたとカーペットを踏む音は心なしか嬉しげ。フランとレミリアが同時に視線をその方へ向けると書類の束を抱えた咲夜が近づいてくるところだった。
「あら、フランお嬢さまとご一緒だったのですね。こんにちわ、フランお嬢さま」
いつもの三割増しの上機嫌さでにこやかに挨拶する咲夜。対してフランはこんにちわ、と小さく応えただけでいつもの元気七割減だ。
「それでお嬢さま、式の件なのですけれど…」
そんなフランの様子に気づかず咲夜はレミリアにそう話しかける。レミリアは少しだけ目を見開くとふぅ、と軽くため息をついた。
「咲夜、その事はまだフランたちの前じゃ秘密だって言ったでしょ」
「あ」
口を丸くOの形に、そこに手を当て自分のミスに驚いた様子を見せる咲夜。
「申し訳ございませんお嬢さま。あ、あのですね、フランお嬢さま、実はですね…」
秘密にしていることがばれたのに、咲夜は少し嬉しそうにその内容をフランに説明しようとする。レミリアは少し前の自分を見ている気分になり、うんざりしたように首を振るった。
「咲夜、もう、ばれてるから」
「ええっ。ああ、フランさまはお嬢さまの妹さまですからね。ご婚姻のような大事なお話はやはり身内には…」
「いえ、多分だけど、パチェや門番にもばれてるでしょうね。ね、フラン」
レミリアの問いかけに肯定の意を小さく首を縦に振るって示すフラン。
「あら」
「態度に出しすぎよ、咲夜。まぁ、丁度いいわ。後出しジャンケンだけれども、夕食の時にでも正式に発表しましょう。咲夜、今日の夕食は豪勢にね。門番やこあの分も作ってあげなさい」
「はい、お嬢さま」
「ああ、それと、もう、ついでだからその『お嬢さま』というのもやめて。私たちはもう、結婚するんだから。名前で呼び合わないとね。ね、咲夜」
「え、えっと、お、お嬢さま…」
「お嬢さまじゃないでしょ、ほら、呼んでみなさい『レミリア』って」
「あ…れ、レミ…」
「ふふ、さぁ」
廊下の真ん中でそんな夫婦漫才を始める二人。すっかり、周囲の風景は目に入ってこないようだ。
けれど、観客はどこにも見当たらなかった。フランは、もう、どこかへ行ってしまったからだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「といううわけで、私たち、結婚することになったわ」
大食堂。向かって一番奥手側、テーブルの上座に当たる位置で立っているレミリアが一同を見渡してそう宣言する。返ってきたのはわー、という歓声が一つと拍手が二つ。それだけだ。共に下座から。場所は離れているものの末席に当たるところに座っている美鈴とこあのものだ。大食堂にはあと二人、来賓役がいるがどちらも上座にほど近い場所に座ったまま、声をあげることも拍手もしていない。
「まぁ、ものすごく今更よね」
うろんげに目を細めて、ため息混じりにそう口にしたのはパチュリーだ。親友のあまりスマートとは言えない婚約発表会に辟易している様子。それより早くテーブルの上の料理を味わいたいのだけれど、と流し目を向ける。
「それは咲夜があからさまな態度をとっていたからでしょ。まったく、結婚前に嫁に恥をかかせるなんて!」
「あら、夕方に貴女を見たとき、蕩けたような笑顔でスキップを踏んでいたのは誰だったかしら? ええ、因みにそれって図書館で咲夜の態度がおかしいことを話し合ってる時より前のことよ」
親友ならでわ、か。阿吽のあった応酬ではあったが、どうにもレミリアが劣勢のようだった。ぐぐぐ、と拳を握るとレミリアは覚えていなさい、とすまし顔のパチュリーを睨み付けて席に座った。
「さ、次は咲夜よ」
「え、私もですか…」
レミリアの隣の席に座っていた咲夜が面食らったように驚いた顔をする。自分に話が振られるとは思っていなかったのだ。えっと、と狼狽え、助け船を求めるように美鈴に視線を向けるが門番は両方の手のひらを見せて首を振るう降伏のポーズ。役には立たない。
「ほら、私と結婚することになってどう思ったのか、思いのまま語りなさい」
何故か勝ち誇った口調でそう助言するレミリア。いや、あまり助言にはなっていない。それでも、場の空気はとても誤魔化せるような状態ではなかったので咲夜は遠慮がちに立ち上がると、えっと、と言葉を探しながら口を開く。
「その、こ、こんにゃく…じゃなかった、婚約指輪をお嬢さまが…」
「『レミリア!』」
「れ、レミリアさまに頂いたときは頭が真っ白になってしまって、それで…」
言葉が出てこないのか、うつむく咲夜。早くしなさい、とレミリアが咲夜をこづこうとしたがその手がはた、と止まる。うつむいた咲夜の顔を見てしまったからだ。
「…たぶん、頭の中が真っ白になってしまったのはこんなことが現実な訳がない、夢に決まっている、と思ってしまったから、だと思います。私、このお屋敷で働くことになった時より前の記憶が曖昧で、でも、たぶん、その忘れてる記憶の残滓なんでしょうね。夜中に飛び起きることがあって…何か恐ろしい夢でも見たのか…目を覚ましたときは全然覚えていないんですけど…そんな、そんな私が忘れている私はそんな酷い人生を、夢に見て飛び起きて、けれど、目が覚めればそれを忘れてしまっているような酷い人生を送ってきたのかと思ってしまって、それで…無意識的に、いえ、意識しだしてからはたぶん、心の中でずっと、そんなに酷い人生を送ってきた私にはきっとこれからも人並みの幸せも手に入れれないんだなって、思っていて………それなのに、それなのに、私…っう、レミリア、さまに…こんな、こんなすてきなものを頂いて、私はっ…」
言葉の最後の方はもう涙声だった。レミリアは静かに立ち上がると咲夜の肩に手を触れて優しく、座るようぬ流した。咲夜の鼻をすする音が静かな食堂に響く。
「さ、さぁ、咲夜さんのお話も終わったところですし、お料理にしましょう! 冷めてしまいますし。わぁ、おいしそう♪」
しんみりしだした食堂の空気を壊したのは美鈴だった。精一杯、笑顔を作って場を和ませようとそんな愚者を演じてでる。促されて動いたのはパチュリーだった。といっても流し目を主催者のレミリアに向けただけ。それだけで何をしろというのかは十二分に伝わった。
レミリアは赤のワインが満たされたグラスを取るとそれを掲げる。一同も、同じように手元にあるグラスを手にする。
「じゃあ、私たちの未来の幸せのために。乾杯!」
号令一つ。皆も倣うようにグラスを掲げ声を上げ、紅い、主の血を模した飲物をいただく。会食の始まりだ。
それから暫くは適当な会話が交わされつつ、皆、箸を…比喩表現で箸を使っていたのは美鈴だけだ、すすめ咲夜お手製の料理に舌鼓を打っていた。
「これ、美味しいですね」
「ふぅん、この香辛料はあの召還術に使えるかも」
「咲夜、そのサラダよそって」
「はい、レミリアさま」
「こあ〜」
楽しい会話に美味しい料理。めでたい席。自然とお酒も進み、皆、顔を綻ばせて心の底から今日この日の出来事を喜んでいるようだった。
「――――――」
ただ一人を除いて。
黙々と、僅かばかりの食事を口に運ぶ小さな手。
ナイフでカモのロースを少しだけ切り分け、フォークでニンジンを甘く煮たものを刺し、スプーンでスープをすくって嘗めるように飲む。けれど、それらの量も少なく動作も緩慢、食欲がないといった体。いや、どちらかと言えばこの会食を楽しんでいないような―――
「フラン、どうしたの?」
不意のレミリアの言葉に一人、黙ったまま食事を続けていたフランがはっと顔を上げた。気がつくとフォークで器の中のアイスを食べもせず、かき混ぜて遊んでいるところだった。他の料理のソースや肉片、野菜の食べさしが混ざりアイスはとても食べれるものではなくなっていた。
「あの…お口に合わなかったのでしょうか、フランお嬢さま」
フランお嬢さま、そう咲夜が呼びかける。それで凍っていたフランの感情が溶け出した。溶けた感情は、どれほどの熱量を秘めていたのか。水から一気に水蒸気へ昇華するように爆発した。だん、と音を立てフォークがテーブルの上へ叩きつけられる。その音に、激しい音に一瞬で場内は静まりかえる。
「おいしくないっ!! 咲夜が作ったものなんておいしくないよッ!!」
フォークを叩きつけた勢いのままにフランは立ち上がり、髪を振り乱しながら叫ぶ。唐突な、本当に唐突なその酷い言葉に一同は凍り付く。
「何よお姉さまと結婚って…! お姉さまは…お姉さまは…ッ」
その後の言葉は誰も聞けなかった。フランはそれを口にするより先に、食堂から逃げ出してしまったからだ。
「フランお嬢さま…っ!?」
慌てて咲夜が立ち上がり後を追いかけようとするが、すぐにその腕が捕まえられる。
「追いかけなくていいわ、咲夜」
レミリアだ。鋭い瞳と、固く結ばれた唇は当主然として厳しさを表している。
「でも…」
引き下がりきれず、珍しく異を唱える咲夜。
続く言葉はレミリアではなく美鈴から発せられた。
「あの…咲夜さん。フランお嬢さまはきっと寂しかったと思うんですよ」
寂しい、と今にもフランを追いかけて食堂を飛び出しそうになる足を止め、美鈴に向き直る。
「たった一人のお姉ちゃんが咲夜さんと結婚するって知って…レミリアお嬢さまが咲夜さんにとられちゃうって思っちゃたんじゃないでしょうか。私も………ちょっと、レミリアお嬢さまに嫉妬、感じちゃってますもの」
そんな風に咲夜やレミリアに説明する美鈴。最後の言葉はどこかいたずらっぽく、けれど、少しだけ、本心を込めて言ったようだった。
「………美鈴」
「だから、もう少しだけ、時間を上げてください。咲夜さんはレミリアお嬢さまをフランお嬢さまから取り上げたんじゃなくって、もっと、お屋敷の中を幸せいっぱいにするために結婚したんだって、フランお嬢さまが分かってくださるまで」
美鈴の言葉にレミリアは少しだけ気恥ずかしそうにそっぽを向きながらグラスに残っていたワインを吞み干した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それから数日後、いつもは暇そうにだらだらと漂っているだけの妖精メイドたちもこの日ばかりは忙しそうに右へ左へと飛び回っていた。
屋敷の庭に並べられた大きな丸テーブルにはシルクのクロスがひかれ、螺旋の長いキャンドルが一本、立てかけられている。端の長テーブルにはビッフェ形式で簡単な食事が用意され、隣の氷水を張った樽にはシャンパンがいくつか沈められている。中央を真っ赤な絨毯が横切り、屋敷の正門まで伸びている。正門には大きな鐘が取り付けられ、式場の壮丁が整えられている。
式場、そう、妖精メイドたちは今日、結婚式のための準備に忙しそうに飛び回っているのだ。
屋敷には続々とレミリアや咲夜の友人知人…霊夢や魔理沙、アリス…それに地霊殿や白玉楼の主、幻想郷の権力者たちが社交辞令的な目的ではあるものの二人の挙式を祝うために集まってきている。控え室に集められた面々はめでたい、いいから早く吞ませろ、洋風の結婚式って牧師がいるんじゃないの、馬鹿、聖書なんて読んだら死ぬようなヤツがゴロゴロいるんだぞここには、なんて雑弾を交わし合っている。
「わぁ…さ、咲夜さん、きれいです…」
そことは別の控え室。身内用のこじんまりとした部屋、大きな姿見の前の椅子に腰掛けている咲夜の格好を見て美鈴はぱぁっと表情を明るく、言葉を失ったかのように瞳を輝かせていた。
「そう、ありがとう。でも、随分と動きにくいのねウェディングって」
初めて着たけれど、と肘までを覆う長いシルク地の手袋に包まれた自分の腕を見て咲夜はつぶやく。その格好はいつもの給士服ではなく、純白のドレス。幾層にも重なったレースがスカートに沿って広がり、花のような形になっているすばらしいデザインのものだ。
「初めてじゃないとレミィが泣くわよ」
そう茶化したのは咲夜の後ろに立って髪をすき梳かしているパチュリーだ。こちらもドレス姿。ウェディングではなくフォーマルなもの。シャンパングラスを逆さまにしたようなスレンダーなタイプのものだ。見れば美鈴も礼服を、パチュリーのガウンを抱えているこあもきちんと正装をしている。皆、いつもとは違う格好に少し浮き足立っている様子だった。
「は、初めてですよ。昔のことは憶えてませけど…」
「そうですよ、初めてに決まってますよ! こんなに初々しいんですから! それに仮に初めてじゃなくっても、レミリアお嬢さまのために着るのは初めてなんですから、それでいいんです!」
大きな声で咲夜に続くように主張する美鈴。むん、とスーツの胸を張って少し怒り気味に。さすがにパチュリーも冗談の度が過ぎたと反省して、そうね、と瞳を伏せた。
「ええ、まぁ、初めてでしょうね。こんなに似合ってるんだから」
はい、と髪をとき終えたパチュリーは横に置いてあった姿見を咲夜の正面まで移動させる。
「あ―――」
「どう、私や美鈴の台詞がお世辞じゃないって分かったでしょう」
改めて、自分の今の格好を見て咲夜は言葉を失う。純白のドレス。丁寧なメイク。幸せそうな顔。それが―――今の自分。
その姿を見るまで咲夜はまだ、心のどこかでこれは夢なのでは、結婚なんて人並みの幸せを享受するなんて無理なのでは、と疑っていた。あり得ない話だと。何かの拍子に薄いクリスタルのグラスが砕け散ってしまうように、宵の微睡みの夢から目覚めるように唐突に、不意に、風が吹くようにこの幸せが終わってしまうのではないかと疑っていた。
けれど、そんな被害妄想。今の姿を見てしまえば全部杞憂だと、消え去ってしまった。
ああ、と嘆息を漏らし、また、咲夜は一筋、涙を流した。
「わっ、咲夜さん、なみだ、なみだ。メイクが落ちちゃいますよ」
あわわわ、と慌てて美鈴がハンケチを差し出す。角を使って丁寧に薄く塗られたアイシャドーを落とさないよう気をつけながら涙をぬぐう咲夜。
「ありがとう美鈴」
返されたハンケチを美鈴はいえいえ、と言って受け取る。
「まっ、でも、咲夜さんのこんなかわいらしい格好を見たらレミリアお嬢さまもきっとメロメロになっちゃいますよ」
こんな感じで、とルパンダイブの真似をしてみせる美鈴。くすくす、と一同が笑う。咲夜も涙を引っ込め、つられたように笑う。
「…うん、でも、その前にやらなくちゃいけないことが」
その笑みがはたと、止まる。
ゆっくりとドレスの裾をつかんで咲夜は立ち上がった。
「咲夜さん?」
「もう一人、結婚式の前にこの姿を見せておかなきゃならない人がいる」
美鈴の疑問符に咲夜が応えたのはそんな言葉。けれど、説明不足のその言葉だけでもここにいる皆にはそれが誰なのかすぐに分かった。
「私、フランお嬢さまを探してきますね。きっと、まだ、お着替えも終わっていないでしょうし」
にこりとほほえんでそう告げる咲夜。その顔にはある種の決意がみなぎっていた。
あれ以来、咲夜とフランは顔を合わせずじまいでいた。いや、咲夜だけではない。フランは自室に引きこもり、ほとんど誰とも顔を合わせなかった。唯一、食事を持って行った美鈴だけが僅かばかりの声を聞いてきたが、顔は見ていない。そういう有様だった。
「咲夜さん、フランお嬢さまなら」
私が、と美鈴が言おうとしたところで咲夜はそれを首を振るって遮る。
「ううん、いいのよ美鈴。ここできっちりとしておきたいから。だって、フランお嬢さまは―――私の義妹になるんだから」
そう告げると咲夜はもう少しだけ、お願いね、と言って控え室から出て行ってしまった。
やれやれ、向こうの控え室の有象たちにどう言い訳すればいいのかしらね、と肩をすくめたのはパチュリーだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
495年間。それはその間、一度も感じてこなかった感情だった。
両親の愛を与えられて育った最初の五十年は自分と他人の境界が分からず、感情なんてものは生理反応の延長でしかなかった。
それからの三百年は自分の力が危険視され、暗い暗い穴蔵のそこのような場所で育てられた。音もなく光もなく与えられる刺激は数ヶ月に一度の食事のみ。そんな状況では感情…心が動く状況なんてものはあり得ず、彼女はただの一個だった。
それが動いたのは三百と五十年目、スカーレット家の当主の代替わり、先代当主をはじめとする全血縁の完全な粛正、血の粛清。血族のさらなる繁栄を求めて問題児を閉じ込めた当主たちは期待を込めて育てた優等生の手によって滅ぼされてしまったのだ。
今でもフランは思い出せる。
あの時、紅い光を背後から受けて立つ真っ赤な真っ赤な姉の姿を。自分が閉じ込められていた牢の壁を容易く破壊して現れたあの唯一の肉親の顔を。
「久しぶりねフラン。貴女が将来しでかしそうなことだって聞かされたから先にやってみたわ。案外、簡単なものね。滅亡というものも」
そうレミリアは笑っていた。この子を生かしておけば一族は滅びると占い師に告げられたフランに代わって、滅びをもたらすことを運命づけられているのを改変し終えた後で。
それが初めて親愛の情を憶えた瞬間。
それがレミリアの親友のパチュリー、新しく雇った屋敷の門番の美鈴、屋敷に遊びに来た魔理沙たちにも向けられるようになって、フランの心は豊かになった。
毎日が楽しく、毎日が輝いていて、毎日が美しかった。
それに泥が流れ込むように影が刺したのはいつだったのだろう。
あの、きれいな顔が現れたからだ。
長いまつげ。アルプスの山々みたいな銀色の髪。冬の湖畔を思わせる瞳。きれいな顔。
その顔が嬉しそうに笑いながらレミリアお姉さまと話しているのを見ると疼痛に似たものを胸の奥に憶えた。
レミリアが同じように嬉しそうにしているのを見ても心が疼いた。
その感情は妬みだとか嫉みだとか呼ぶもの、その芽だったのかもしれない。けれど、それまで喜と楽の感情しか心に持っていなかったフランにはとてもとてもやっかいな感情だった。パステルカラーだけのキャンバスに漆黒の墨を零してしまったような、そんな感情。持て余すのは無理のないことだった。
その想いをどう吐露していけばいいのか分からず、内に抱えたまま日々は流れ、そうしてついに先日、あの出来事、指輪と結婚、それのせいで今まで溜め込んでいた漆黒が心の中すべてに広がってしまった。
堪えきれなくなった黒の心は体を冒し、暴走させ、フランは憎悪を皆に振りまいて逃げるしかなかった。後は布団にくるまってじっとしていただけ。
それは鍋を煮詰めて、煮詰めすぎて、焦がしてしまうことに似ていた。
水分が蒸発してドロドロの塊になったシチュー。それでもなお加熱し続ければやがて水気はすべて失われ、鍋底は焦げ付き、やがて…
その結果………のようなものだった。
皆が結婚式の準備に大わらわのさなか、誰もいない倉庫代わりの部屋にこっそり忍び込み、うずたかく積もれたゴミの山にフランがマッチで火をつけたのは。
それは他愛のない悪戯心だった。少しばかり度が過ぎていたとはいえ、495年も生きていながらまだまだ子供でしかないフランができる精一杯の嫌がらせだった。
小火でも起こして式が中止になれば、そう考えて台所からばれないようにマッチを盗んできたのである。
きな臭い臭いと黒い煙が立ちこめ、赤い火の舌がちろちろと踊り始めるのを見て満足げに頷くとフランはその物置部屋を後にした。
廊下を進む速度が速いのは見つかれば式に強制的に参加させられてしまうからと思ったからか、それとも後ろめたいからか。フランは廊下を小走りに、自室への帰り道を急ぐ。
と、その足が失速し、足音を静かなものに変える。皆の、パチュリーや美鈴、それに咲夜の笑い声が聞こえてきたからだ。
「あっ―――!?」
息を吞みフランはあたりを見渡す。何故か、見つかって怒られると思ってしまったからだ。あるいは顔を合わせたくないと考えたのか。立ち止まってどこか隠れれる場所を探す。皆がいる部屋からはまだ笑い声が聞こえる。それなら今すぐここを通り過ぎてしまえば、そうフランが考えを変えたところでこんな言葉が壁の向こうから聞こえてきた。
『フランお嬢さまは―――私の義妹になるんだから』
「っう…!」
咲夜の声だった。
遅れて足音。こちらに近づいてくる。実際は咲夜が部屋の外に出て行く足音だったのだが、フランにはそれが見つかったのと同じような意味に思えた。慌てて近くの適当な部屋の扉を空けてそこへ滑る込む。間髪入れず、控え室の扉が開いて咲夜が姿を現した。ウェディングドレス。その格好をフランは見ることができなかった。
「はぁ…」
咲夜の足音が遠くなるのを聞いてフランはドア荷もたれかかったまま、ずるずると腰を落とす。緊張がほぐれ、脱力してしまったようだ。
そこでやっとフランは落ち着きを取り戻し、自分が何の部屋に逃げ込んだのかを知った。
その部屋はフランは知り得なかったが隣の咲夜がウエディングドレスに着替えるための部屋と同じような道具が用意されていた。大きな姿見に三面鏡、化粧台。そして、ハンガーに吊られた正装。ただし、こちらはドレスではなく同じ色合いの、純白のタキシードだ。
サイズは小さく完全に子供用。けれど、丁寧に作られたそれは大人用と遜色のない威厳を放っているようだった。
「これ…お姉さまの」
サイズとここに置かれていることからこの衣装がいったい誰のために用意されたものなのか瞬時に悟るフラン。そして、慌てて衣装があるならそれを身につけるべき主人もいるのではという考えに思い至り、部屋の中を見渡す。けれど、部屋はもぬけの殻のようでレミリアの姿はどこにもなかった。一難去ってまた一難、それも偶然乗り越えることができて深くため息をつくフラン。
暫くレミリアが戻ってきそうな気配もなかったのでここに隠れていようと思い、気持ちを落ち着かせた。
椅子にでも座って休もうかと思ったところで、ふと、先ほど目にしたタキシードにまた視線が向けられているのに気がつく。無意識の行動だったが、気がついた後もフランは目を離さないでいた。純白の凛々しささえ憶える衣装に近づき、袖に触れてみる。
「お姉さま…」
これを着たレミリアの姿を想像してみる。凛々しい姿。指には永遠の輝きが煌めき、その傍らには―――咲夜の姿が。同じ、純白のドレス。周りにいる皆がそれを祝福の言葉をライスシャワーと共に投げかけて、花びらが舞い、鐘の音をBGMに手を土地合って歩む二人。幸せそうな光景。そうして、指輪が交換され、永遠の愛を誓うキスが…
その咲夜に顔を寄せる顔が自分の、フランの顔にいつの間にか代わっていた。
「………ちょっとぐらいなら」
すこし、惚けたような顔をしながらタキシードの袖を握りしてめいたフランはそう呟いた。式が始まるまでどれぐらい時間があるのか知らないけれど、まだ、この服がここにあるのなら時間に余裕があるのだろう。もしかするとこれは予備かもしれない。そんな都合のいいことを考えながらフランはブラウスを脱いで、スカートのホックを外し、下着だけの姿になるとワイシャツに袖を通して、ズボンをはき、ベルトを締め、苦労しながらタイを結び、上着を羽織った。後は小物…カフスやハンケチを身につければOKなのだが細かいところまではフランは分からなかった。
それでも様になるような格好になったフランは自分の足で姿見の前まで歩いて行った。
「わぁ…」
鏡に映る自分の姿に感嘆を漏らす。
思った通りサイズはぴったりだ。袖の長さも足の丈も、腰の締まりも全部全部、ぴったり。背中の羽を出す用の穴だって丁度いい位置に空けられている。
あまりにもぴったりであまりにも似合っていて、そうして、そうなのは
「…………お姉さま用なのだから」
当然だった。
タキシードを着たまま肩を落としうなだれるフラン。その顔がレミリアのものへ変わる。
「フラン、いったいどうしたのこんなところで?」
いや、違う。本当のこのタキシードの持ち主が、レミリアが戻ってきたのだ。
力なく、ゆっくりと振り返るフラン。
「貴女、その格好…」
「…似合う? お姉さま」
驚くレミリア/悲しげに笑うフラン。
「ええ、そうね。それは私のものだもの。同じ背格好の貴女にも当然、私ほどじゃないけれど、似合うわ」
フランの悪戯に口をすっぱく、嫌みのようなことを言うレミリア。とたん、フランの顔が険しくなる。
「このお洋服以外も、そう思ってるの、お姉さまっ!?」
犬が吠えつくように叫ぶフラン。けれど、レミリアは犬に慣れた人がそうするように怪訝そうに眉を潜めてフランを睨むだけですぐには何も言い返さなかった。
「何言ってるの?」
「っう…!」
応酬はそれまで。フランは急に走り出すとレミリアを押し倒し、外へと飛び出していった。あまりに急な妹の行動にレミリアは受け身もとれず尻餅をついてしまう。
「フランっ!! 待ちなさい! フラン!!」
慌てて起き上がり逃げ出した妹の後を追いかける。
丁度その頃、屋敷の入り口にほど近い場所に作られた一般用の控え室ではざわめきが起こっていた。暇つぶしにと振る舞われた酒のせいで誰かが阿呆をやらかした…からではない。
「ねぇ、なんか煙出てない?」
「へ、うわっ、本当だ! 火事だぜ火事! 或いは親爺」
廊下の向こうから漂ってくる黒煙に気がつき、誰かが火事だと叫んだせいだった。
最初こそ、すぐに屋敷のものが消してくれるだろうと腰を落ち着けていた来賓たちではあったが、妖精メイドたちが煙の向こうから逃げ出してきて、きな臭い臭いとぱちぱちと火の粉がはぜる音を耳にしてからは同じように我先にと外へ逃げ出し始めた。その頃、もう、屋敷の一階の東側はある物置から上がった火の手で蹂躙去れ尽くしていた。
フランが火をつけた物置だった。
「フランお嬢さま…っ!」
息を切らしながら廊下を走る咲夜。
かかとの高いヒール。大きなスカートの裾。重く、そして大切な衣装。そんなものを着ていてまともに動けるわけがなく、いつも以上に体力を浪費しながらもそれでも汗を流しながら咲夜は廊下を走っていた。
「けほっ、ごほっ…フランお嬢さま!!」
時折咳き込んでいるのは煙のせいだ。そう、もう屋敷の廊下という廊下、部屋という部屋には煙が充満し、一回の東側にほど近い場所はかなり火に吞まれている。急いで逃げなければ危険だった。
「フランお嬢さま、何処ですか!?」
咲夜が火事のことに気がついたのはつい先ほ。そのときにはもう、手遅れと言っていいほど、火の手が回っていた。こうなれば消火活動以前に逃げ出すのが当然なのだろうが、それでも咲夜は声を張り上げ今日は朝から…いいや、ここ何日か姿を見かけない妹君を探し、火に包まれつつある屋敷を探して走り回っていた。
今日は式の準備で朝からあれだけ騒がしかったにもかかわらず屋敷の中でフランの姿を一度も見なかったのは明らかにおかしい。きっとどこかに隠れてお怒りになっているに違いないと咲夜は考えていた。そして、もし、その予想が的中した場合、フランは一人この燃えさかる屋敷に取り残されてしまっている可能性が出てくる。煩わしい式の準備の音に耳をふさぎ、屋敷の人が逃げ出す喧噪も準備一環と勘違いし、そうしていつしか眠りこけ、炎の魔の手がそこへそっと忍び寄ってくる。そんな邪悪なイメージが浮かんでくる。それをぬぐい去るため咲夜は必死に走った。
もう、ドレスに灰や火の粉がつくのを気にはしていられなかった。ハンカチを口に押し当て、煙のカーテンの向こうへ必死に目をこらし、咳き込みながら炎を迂回しながらフランの姿を探し、急ぐ。
と、
「…なさい! フランッ!!」
「イヤよ! お姉さまなんか…お姉さまなんか…!」
炎がはぜる音にかき消されて酷く聞こえにくかったが確かに探しているフラン、それとレミリアの声だった。
「レミリアさま! フランお嬢さま!」
声を上げ二人の影が一刹那見えた方へ走り寄ろうとする。けれど…
「熱っ!」
吹き上がってきた炎がそれを阻害する。熱線が肌を焼き、白いドレスを赤々と照らしてくる。
まっすぐ、最短距離を突っ切るのはドレスを着込んでいなくても不可能だった。咲夜は逡巡し、屋敷のマップを思い出しながら迂回路を探り、走り始める。
「はぁはぁ…」
「さ、逃げ場はないわよ、フラン」
エントランスホールの上、中二階。そこで向かい合うように対峙する二人、レミリアとフラン。レミリアは廊下側。まだ、火の手が迫っていない場所に。フランは二階のテラスの手すりを背にじりじりとレンジのように肌を焼く炎に挟まれるような位置に立っている。その足下、一階のエントランスホールはもう火の海だった。灼熱地獄の煮えたぎる油の釜のように炎の波が吹き上がり、うねる火炎は文字通り地獄の様を表している。落ちれば不死身に近い吸血鬼といえど焼死させられてしまいそうな絶対的な火力がそこに満ちていた。
「まったく、最近態度がおかしいと思ったら…この火事も貴女のせいでしょ。ああ、よくも、私の、私たちの式を台無しにしてくれたわね」
けだるげな様子でそんな言葉を口にするレミリア。けれど、その紅い瞳はいつも以上に紅く、周りの炎よりもさらに高い怒りの温度を保っていた。たじろぎ、一歩後ずさり、熱せられた手すりに肘が触れて、余りの熱さに悲鳴を上げ、飛び退く。
「お姉さま…」
「言い訳は聞きたくないわ。どう、責任をとってくれるのか、その言葉だけでいいから」
「あ、ああ…」
これほどまでに怒り狂っているレミリアをフランは見たことがなかった。怒り、憤怒。フランには未だない感情。それをこうもごうごうと屋敷を燃やす炎よりも強く熱く激しく滾らせて、姉はよく無事でいられるものだとフランのどこか間抜けな部分は考えている。
「ないのね。じゃあ、体で分からせてあげるわ―――」
いいや、無事などではなかった。レミリアは踏ん張ると雷のような速度でおびえるフランに迫った。怒りに我を忘れ狂戦士のように相手を打ち倒すことだけを考えているような突撃だった。
殺される―――フランが、身構え、自分のゴールが絶望だと思い知らされた顔を浮かべる。
刹那―――
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―――時が凍った
凍った世界の中、火の粉で穴だらけになったウェディングドレスを振り乱しながら咲夜は走る。
分厚い煙のカーテンの向こう、愛おしい人と選んだ純白の―――今は自分のドレスと同じく煤に汚れたタキシードが見える。
逆側、角になっている部分には時の止まった世界でなお速度を失っていないような勢いを持った怒りに駆られた狂戦士の腕が覗いているのが見える。
急がなければ、と咲夜は焦る。
一刹那の判断で時を止めたがその止められている時間は―――時が止まった世界で時間という概念はおかしいかもしれないが、僅か数秒程度。集中してまともに能力を発動させるだけの余裕がなかった。
なぜ、こんなことになっているのか分からなかったが、少なくとも咲夜はレミリアが危険だと言うことは理解していた。レミリアとフランが喧嘩している理由は分からない。いや、分らなくもない。きっと、咲夜がレミリアを結果的に奪ってしまったからだろう。そこから何か口論が発展し、フランはつい、凶行に及びそうになった。漠然と咲夜は考える。これが平時ならなんとか説得して仲直りしてもらうところだけれど、この火事ではそうはいかなかった。
あの位置、あんな場所で体当たりを受ければ、焼け焦げてもろくなった手すりを突き破り、真っ逆さまにテラスまで落ちて行ってしまうだろう。
体当たりしようとしているフランもぶつかる相手がいなければ、そのまま勢い余って宙へ身を放り出してしまうかもしれなかったが現状、この一刹那では咲夜がとれる行動は一つしかなかった。
前衛芸術のように固まった炎を押し分け、火傷を負いながらも咲夜は走る。狙いは煙に隠れたタキシード姿の幼い娘。その体を横からかっ攫うように体当たりして何とか助けようという考え。いや、咲夜はそこまで考えていなかった、。何とかレミリアを助けようと無我夢中で行動し、その結果、よく状況を確かめようとしないまま行動を起こしてしまったのだ。
―――後、一歩。まだ、時よ、止まっていて…!
自分の能力に不確かな期待を込めて分厚い煙に向かって飛び込む。両手を広げたその格好はレスリングのタックルのよう。
煙を超え、舞い上がる粉塵に隠れて見えなかった顔をとらえる。
果たしてそこにいたのは―――
―――え?
そして時は動き出す
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フランだった。
その事実に反応する間もなく、か細い腰に抱きつき、かっ攫うように体当たりをかまし、小さな体を横に押し倒す。
遅れて…
「咲夜……っ!?」
後ろからそんな声が聞こえてきた。見なくても分るレミリアだ。瞬間的に咲夜は自分が勘違いしていたことを知る。突き落とそうとしていたのはレミリアの方で、突き落とされそうだったのはフランだったということ。自分が思っていたのとは真逆のキャストだったということを。
「レミリア…さまッ!!」
それでもなお、何かしらの手を打てた咲夜の反応には脱帽せざる得ない。ぎりぎりのところでまだ宙に浮いていた足を振り上げるとそれを咲夜はレミリアの体にぶつけ、少しでも勢いを相殺しようとしたのだ。それが功を制したのか、レミリアの体は真逆様に炎燃えさかるエントランスに落ちていくことはなかった。落ちなかっただけだ。
レミリアの体当たりを受け、バルサ材で作ったかのように脆く崩れる手すり。それでも間髪、レミリアが手を伸ばせたのは咲夜の足が当たったおかげと吸血鬼ならではの反応速度の速さのおかげだ。腕を伸ばしなんとか折れた手すりを掴まえる。
ほっと、胸をなで下ろすレミリア―――その間もなかった。
「ッ!?」
床がきしみ、ヒビが縦横に走る。レミリアが体当たりした振動か。それとも下から熱せられたせいか、中二階のテラスは酷く脆くなっていた。あっ、とフランが声を上げたのを合図にヒビは一段と大きなものになり、音を立て、一体の床が崩れ落ちた。
―――堕ちる…!
一瞬の浮遊感を憶えるフラン。瞳は恐怖に閉じられる。
それは一秒に満たない時間だった。がくり、とフランの小さい体が引っ張られるように揺れる。うっすらと目を開けた先には―――
「咲夜っ」
「フランお嬢さま、レミリアさま、早く…上がってください」
作画の腕が伸びていた。またも、間一髪、咲夜が落ちていく二人の腕を掴まえたのだ。けれど、どれもぎりぎり。崩れかかったテラスの上に咲夜は乗っていると言うより引っかかっているといった方が正しそうな感じでともすればすぐにでもバランスを崩し、落ちてしまいそうになっている。
早く何とかしなければ、そう思い、フランは隣に同じように咲夜の手にぶら下がっているレミリアの方へ視線を向けた。
「お姉さま…」
「話は後よ、飛ぶのよ。あとは、咲夜を抱えてそこの窓から…」
そうレミリアが提案したまさにその瞬間、地獄の悪鬼が微笑んだかのように一階のホールから炎が吹き上がってきた。
「きやぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
「熱いいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
「レミ…フラ…さまッ!!!!」
炎に巻かれる三人。
一番、てっぺんに近い位置にいる咲夜は炎の切っ先で舐められただけで比較的軽傷…それでもすぐにでも水に浸さなければならないほどには重傷だったが、まだましな方だった。それよりもその両腕にぶら下がっている幼い形の姉妹の方が重傷だった。
「ああああ、咲夜ぁ、お姉さまぁ!!」
「ッう…これは…」
その格好は火力が強すぎで焼くのに失敗したチキンだろうか。いや、比喩では済まない。短時間とはいえ吹き上がってきた炎のまっただ中に体が晒されたのだ。服はすべて一瞬で焼け落ち、膝から下の足先は炭化。体中に酷い火傷を負って姉妹は激痛に泣き叫ぶ。そうして、背中から生える翼―――蝙蝠と宝石飾りの、翼は見るも無惨。翼は皮膜のすべてが焼け落ち、山火事の後の炭になった枝を思わせる様子を見せている。ひび割れた箇所から血が滴り、熱風に煽られ気化している。吸血鬼特有の再生能力でもう復元は始まっているがとてもすぐには翼をまた生やせる状況ではなかった。再生した矢先から熱線に焼かれ水膨れができあがり、それが破裂して鼻が曲がるような臭いがあがっている。不死身に近い生命力を持つ吸血鬼ならばこの程度の火傷、致命傷には至らない。けれど、それと痛みは別だ。咲夜につり下げられた格好のまま二人は悲鳴を漏らし続ける。
「ッ―――」
脳神経を暴走させ、脳髄を焼き切る激痛の中、レミリアは冷静に助かる方法を、助ける方法を考える。
飛ぶことはできない。お話でよくあるような私の手を離せ、も使えそうにない。崩れたテラスに引っかかっている咲夜の体は危ういバランスの上に成り立っているのだ。下手に重心をずらしてしまえば共倒れもいいところ。それに、仮に安全に咲夜の手から重りを、レミリアとフランが手を離せたとしても咲夜が自力で安全なところまで逃げ切れるとは考えれない。沸騰する水晶体を無理矢理、修復して見た咲夜の顔は虚ろげで今にも気を失ってしまいそう。熱風にやられたようだ。
拙い拙い、とレミリアは思考を回転させるが誰もが、誰かを助ける妙案は一つも思い浮かばない。限りなくご都合主義に近い可能性でB 救いのヒーローがやってくるというものだけだ。この状況では藁より軽いススキの穂にでも捕まっている気分だ。
どうしよう、どうすれば、とさらに思考に埋没しようとしたところで、
「フラン―――」
「ごめんなさい、ごめんなさい、お姉さま、咲夜ぁ…」
レミリアはフランが泣いていることに気がついた。
涙は確かに熱に当てられすぐに乾いてしまっているが、フランは確かにごめんなさい、ごめんなさいと繰り返しながら泣いていた。
「ごめんんさい、お姉さま…私、私も、私も咲夜のことが、咲夜のことが…好きだったんです…」
炎に炙られながら、絶体絶命の状況で語られるフランの本心。
それはこの数日、部屋にこもりっきりでずっと一人で過ごしていたおかげで、今まで漠然としていたものがはっきりと姿を現した結果だった。
あの時、婚約発表会で怒鳴り散らしたとき、胸の奥に詰まっていたわだかまりをフランは咲夜に、レミリアお姉さまが盗られてしまうとう思いだと思ってそれを吐露するように叫んだのだ。
けれど、部屋に帰って、それから何日も外に出ないで布団にくるまっていた間、フランの頭の片隅にいつも浮かんでいたのは姉の、レミリアの顔ではなく咲夜の嬉しそうな笑顔だった。
自分が考えと違う自分の本心に戸惑いを憶えながらも、フランは考えに考えて、あの時、胸に詰まらせたのは咲夜にではなくレミリアに対する嫉妬なのだと今更ながらに気がついたのだ。
けれど、今更ながらに気がついた本心にフランの幼い精神はすぐに折り合いをつけることができず、好きな人の祝い事とそれに対する自分自身の嫉妬というジレンマに多大なストレスを抱え、放火魔じみた悪質な悪戯を思いついてしまったのだ。そうすることでしか自分のリビドーを解放する手段をフランは思いつけなかったのだ。
その事に…そして、姉と同じ人を好きになってしまったことをフランは、こんな状況でも、こんな状況だからこそ心の底から謝っているのだ。
ごめんなさい、ごめんなさい、と。
フランがもう少し冷静であれば自責の念に駆られて自分の腕を切り落としてでも、咲夜の重しを軽くするために炎の中に身を投じていたことだろう。むしろ、今回はそうならなかったことが幸いだった。
レミリアは優しげに酷い火傷を負った顔でも微笑んでフランの声に耳を傾けていた。その気持ちが、痛いほどよく分っていたからだ。
「フラン、落ち着きなさいフラン」
「お、お姉さま…」
「大丈夫よフラン。ぜんぶ、ぜんぶ、知っていたから。貴女が、貴女も咲夜が好きだったっていうことは」
「え…」
レミリアの告白に小さく嘆息を漏らすフラン。それはこの場の嘘ではなく前々からの真実だった。レミリアの方に視線を向けるフランに、どこか遠くを眺め始めるレミリア。
「貴女がいつも咲夜のことを目で追いかけていたのを、私も見ていたのよ。私も、咲夜のことをずっと見てきたから。そして、同じぐらい、貴女の事も見てきたから、分るのよ。だから、だからごめんなさい。私も怖くなってしまったの。いつか、いつか貴女が自分自身の感情に気がついて、私より先に、恥ずかしがって手をこまねいている、従者と主人の関係を超えられないでいる私より先に咲夜に告白してしまうんじゃないかなって。だから、そう、あやまらなくてはならないのは私の方かもしれないのよ。貴女に咲夜が奪われるのが、咲夜を独り占めされるのがイヤだから、私は先に咲夜を自分の、自分だけのものにしようとしたの。結婚は―――そのための手段よ。だけど、ああ、だけど、ごめんなさい。こんな状況でも、貴女に咲夜をあげるのはすごく惜しいわ。ごめんなさい、咲夜、貴女の意見を無視して。でも、フラン、憶えておいて。この子は私のものなの。もう、私が娶るって決めたの。私だけのものなの。だから、だから、フラン、貴女は、貴女だけの生き方を決めなさい。たとえば恋の一つでもしてみなさい」
そう、最後に、レミリアは最後にそんなわがままを言って、決して譲れない想いを口にしてにっこりとフランに微笑みかけた。
その笑顔は、本当にフランには幸せそうに見えた。
「ああ、もう一つ謝らないと。蹴り飛ばすわよ、フラン」
「え、お姉さま…!?」
言葉尻は衝撃に消え去る。レミリアは咲夜の腕に捕まったまま、腰をひねり、渾身の力を込めてフランの体を蹴り飛ばしたのだ。ダメージなんて度外視。とにかく遠くへフランを飛ばすためだけの脚撃だった。
弧を描き、炎のうねりを飛び越えて、三階のまだ火の手が回っていないところまで飛んでいくフランの体。あの位置ならば炎が届くより先に体を治癒して逃げ出すことができるだろとレミリアは考える。重力に引かれながら。愛する咲夜と一緒に炎の海へ落ちていきながら。
レミリアは残った魔力を総動員して翼を大きく広げると、小さな二本の腕とその大きな翼でもって気を失っている咲夜の体を抱きかかえた。まるで揺りかごのような形になって。
そうして、二人の体は炎の中へ没した。
紅魔館が崩れ去ったのはその僅か十分後である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――ここは
咲夜は覚醒し、身じろぎする。
体の節々が痛く、五感はまだ目覚めていないのか、まだ、夢の中にいるよう。けれど、体をつきまとっている孤独感は本物で、自分は今、確かに場所は定かではないが柔らかなベッドの上に寝かされているのだと悟った。
ここは何処なのだろうと咲夜は身じろぎする。体の節々が痛み、まるで猛毒でも流し込まれているよう。私はいったいどうなっていたのだ、とおぼろげな記憶をたどる。何か、大切な人の腕に抱かれていたような、そんな感覚を憶えている。今感じているこの一抹の寂しさはそれが失われたせいなのか。
と、そこまで、思考していたところで不意に自分を呼ぶような声を遠くに感じた。
「美…鈴…?」
何とか口を動かして呟いてみる。けれど、あの声の感じだと頼りにならないけれど頼りになるあの華人娘はどこか遠くにいるようだ。何とかして呼び寄せて助けてもらわないと…助けて…?
「さくやさん、だいじょうぶですか!? 私のことが分りますか!?」
疑問符にさらに疑問符を塗り重ねる遠い言葉。美鈴、だけれど、声の感じから察するに美鈴はずっと遠くにいてそれで…いつの間にエスパー能力なんて身につけたのだろう、そんな冗談も思い浮かばず、咲夜は自分が置かれている状況を察した。
「美鈴…大丈夫よ、起きてるから。でも、耳が駄目になってるみたいなの。もう少し、近くでしゃべってくれる…?」
何とか絞り出した言葉は嗚咽混じりで返された。
「よが…よかった、咲夜さん…ずっと、ずっと皆で看病してたんですよ。もう、目を覚まさないのかと…でも、ああ…よかった」
耳元ですすり泣く声も今は愛おしい。大丈夫だから、と咲夜は何とか美鈴をなだめる。これではどちらが大怪我人なのか分らないぐらいだ。
それから咲夜は聞きにくくなった耳でなんとか美鈴から説明を受けた。
ここ迷いの竹林の永琳診療所の一室とのこと、崩れたお屋敷から何とか助け出されたこと、一ヶ月以上も昏睡状態だったこと。両方の目と片方の腕と両方の足、それと皮膚の大部分が駄目になってしまったこと。ああ、それで目が開けられないのね。瞼がなきゃ、目は開けられないものね、と他人事のように咲夜は渡って見せた。
それから咲夜は自分の体よりも気がかりなことを美鈴に聞いた。
「皆は…他の人は無事なの…レミリアさまやフランお嬢さまは…」
「えっ、えっと、パチュリーさまはここにおられます。お嬢さまは…」
口ごもる美鈴。その意味を聞こうとした矢先に、咲夜は壊れかけの耳でもそうと分るほど勢いよく、扉が開けられる音を聞いた。
「咲夜っ!!」
自分を呼ぶ声に咲夜は無くなった瞳から涙があふれ出しそうになるのを堪えきれなかった。
近づいてくる小さな足音。あ、と美鈴が退くとそこに割って入ってくる愛おしい人。包帯に巻かれた私の頭に顔を寄せ、かろうじて残っていた手を取ってくれる。残ったのが左腕で本当によかったと、信じてはいない神に感謝するぐらい。
「大丈夫だったの…よかった、よかった…」
「ええ、大丈夫ですよ、私は大丈夫です。レミリアさま」
……………………………………………………
「ええ、流石は私の嫁ね。頑丈さは必須事項よ」
「はい、そうですね。こんな…こんな体になってしまいましたけれど、まだ、私を愛してくれますか、レミリアさま…」
「もちろんよ、咲夜。私の大好きな…咲夜」
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あの、咲夜さん、と美鈴が声をかけようとしたところでパチュリーがその肩に手を置いて首を振るう。
そうして、外に出るように促した。
愛するもの同士、二人っきりにさせてあげましょうというジェスチャー。
美鈴は泣きそうに眉毛をしかめたが、結局、パチュリーに続いて病室を後にした。
「いいんですか…あの、咲夜さんはきっと勘違いを…」
廊下に出て少し歩くとすぐに美鈴は口を開いた。問いただすようにに腕を振るって先を行くパチュリーに訴える。
「だから? どのみち、あの咲夜じゃ本当のことを確かめることはできないわ。誰かがヘマをしなきゃね。それは貴女かしら、美鈴。私はイヤよ。そんなこと…あんな体の咲夜に伝えるなんて、それこそショック死しかねないわ」
歩み求めず、振り返りもしないパチュリー。言葉は堅く、脅しじみた内容を含んでいる。そう言われれば美鈴はしおれるしかなかった。
「でも、あれは…あれは…あんまりにも酷くないですか、あんな…あんな…」
「そうね、確かに酷いわ。けれど、あの子はそれに匹敵するぐらい酷いことしでかしたのよ。あれはきっと、その罰ね。そして、たぶん、誰より、唯一生き残った被害者の咲夜よりあの子自身がその罰を望んでいるわ」
「そんな、そんなのって…あんまりです…」
美鈴は立ち止まると人目も憚らず鳴き始めた。先を行くパチュリーの瞳にも大粒の涙が浮かんでいた。
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「ふふ、結婚式、やり直さなければいけませんね」
「そうね。今度はもっと豪勢にしましょ。幻想郷中の人を集めるぐらいに」
病室で二人、顔を寄せ合って、一ヶ月と少しぶりの会話を楽しんでいる。
包帯で顔を隠された方は心底楽しそうに、けれど、五体満足の方はどこか悲しげに、でも、それを相手に悟られないように。
流れ出る涙をぬぐおうともせず、彼女は咲夜の相手をし続ける。咲夜をだまし続ける。花嫁として。義妹としてではなく。
「ああ、そうだ、レミリアさま。一つ、本当は式の間にお伝えしようと思っていたことなんですけれど…」
「何かしら?」
「あの、できていた、みたいなんです。赤ちゃん。私と、レミリアさまの」
「―――っ」
「私はこんな体ですけれど、永琳先生は腕のいいお医者さまですからね、きっとお腹の中の子は無事に育ってくれると…思うんですよ。私が…私が死んでしまっても」
「ばか…馬鹿なことを言わないで。貴女も、貴女の子供も助けるから。絶対に。今度も…」
―――お姉さまがそうしたみたいに
その言葉は虚空に消えた。口から出ることはなかった。
咲夜が助かったのは奇跡でも偶然でもない。そうして、私自身も。
お姉さまはあの時、愛おしい咲夜と肉親である私を助けるために、その身を犠牲にしたのだ。私を安全な場所まで蹴り飛ばした後、お姉さまは残りの力を振り絞って咲夜の体を燃えさかる火炎から、崩れる瓦礫から守ったのだ。自分の命を省みず、その命を散らしてまで。
一つ、吸血鬼にはおもしろい伝承がある。吸血鬼と人間の間になされた子は長じると親である吸血鬼を討つハーフヴァンパイヤ、ヴァンピールになるという伝承だ。吸血鬼としての生は長いけれど、その大半を地下牢で過ごしてきた私にはその話がただの迷信じみたお話なのかそれとも真実なのかは分らない。
けれど、きっと、ああ、そうだ。
私は罪滅ぼしのために伝承通り殺されなくてはいけないだろう。
大好きだったお姉さまと大好きな咲夜の、二人の子供に。
けれど、それまでは私は、私の大好きな咲夜のために、そして、自分自身のわがままのために嘘をつき続けよう。
―――花嫁にして妹、として。
END
個人的ノルマの月間10本なんとか達成。
え、今日って6/31(木)だろ。梅雨明けまだだよね、みんな!?
テキーラサンライズでも吞んで寝ます…
あ、タイトルは独逸語で“花嫁にして妹”っ意味だそうです。
sako
作品情報
作品集:
17
投稿日時:
2010/06/30 18:44:53
更新日時:
2010/07/01 03:44:53
分類
紅魔館メンバー
結婚式
しかしタイトルでしらうお兄さんを浮かべてしまった俺はもうだめだ
そして「作画の腕が伸びた」の誤字にわらた
に見えた。
コメがお兄さんばっかじゃねえかおい