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『妖怪失格』 作者: ゴルジ体
――いまに世間から葬られる
世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?――
妖怪失格
<第一の手記>
一体なにものが、私をこんな身の上に曝してしまったのか、分からない。
私は孤独な妖怪だった――しかし、私には妹がいた、愛しい妹が。
私たちはそろって化け物扱いだった。人間は勿論、妖怪たちにまでだ。《心が読める能力》――出会ったものは皆恐れ、近寄ろうとはしなかった。
そいつらは自らの内にある糞のような心情、劣情が周囲に知らしめられることを恐れていたのだ。そんな腐った精神をもつ奴らのほうが、私にとってはずっと醜い化け物だった。
そうして吐き気のする、他者の心に沈殿するヘドロの臭いを嗅ぎながら幾年月を過ごさねばならなかった私たち姉妹の心持を、一体だれが理解できただろうか。
況やその汚濁を隠そうと躍起になっているこの地の下種どもには、その苦しみの一欠けらすら理解できなかっただろう。
全く悲惨な時代だった。人々は自らを喰らおうとする妖怪たちから逃れるために、山奥に集落を形成して生活した。しかし幾度も妖怪に荒らされ、虐殺が繰り返された――それが許される世界だった。
人間たちは、強大な力をもつ魍魎に好き放題食い荒らされねばならぬ同胞を見る度、自らの力無きを疎い、そして魍魎どもへの怨嗟を濃厚にしていった。
呪いと嘆きと恨み言で咽返るような瘴気を放つ世界だった。
私たちはそんな暗澹とした地、その中で迫害を受けねばならぬ運命を背負っていた。
この覚の血のために・・・。
私たちは全てが厭になった。掃溜めを這いずり回る生活、下種どもからの罵倒――心の中で、だが――何もかも反吐が出るほど厭になった。
だから、地底に降りた。暗い縦穴を下り、地上に見ない異形の化け物の楽園に辿り着いた。
地獄を管理する閻魔に会い、その業務を肩代わりする見返りに屋敷を譲ってもらった。
そうして私たちの、地霊殿での生活が始まった。
私たちは此処でも孤独なのだろうと思ったが、荒野を徘徊する野良動物たちがペットになりたいと申し出てきて、屋敷は賑やかになった。
いつしかペットは増えて、人型に変化できるものも現れた。私はそいつらに仕事を任せるようになった。妹はペットと遊ばせて気を紛らわせてやった。
私は初めてしあわせだと、自分は幸福だと感じた。それはとても画期的なことだった、今まで苦汁を舐め続けてきた私たちにとっては、確かに美しい日々だった――。
しかし、そんな安寧は長く続かなかった。
ある夜、用を足そうと広い廊下を渡っていたときのことだった。
ペットたちの部屋の横を通り抜けたとき、何か不穏な思考が頭を巡るのを感じた。それはペットたちのものだった――私は過去の経験から、負の感情を探るのに長けていたのだ。
そっと聞き耳を立てた。
響いてくるのは、私と妹にたいする数々の罵詈雑言だった。私はひどく衝撃を受けるとともに、ペットたちがうまく心を御して悟られまいと努めていたことを知った――何よりも、そいつらは衣食を提供してもらえる、それのためだけに私たちに付いてきたことに絶望した。
私はもう、何もかもどうでもよくなった。
結局、この呪われた血は、運命は、私たちにどうしても地獄を這い回らせたいらしい。
私は衝動のままに、厨房から持ち出した包丁でペットたちを皆殺しにした。
それから、まだ寝ているであろう妹を置いて、屋敷を出た。
血塗れの洋服を着替えることもせずに。
血が滴る包丁をその手に握り締めたまま。
<第二の手記>
私はそれから三日間、当てもなく荒野を彷徨った。何もかもに失望した私は、何も考えずに歩き続けた。幸い、なにものにも会うことは無かった。
いつの間にか旧都に至り、宿を借りて一夜を過ごした。虱と埃を被って黄色く変色したベッドの上で、私は殺したペットどもの幻覚を見ていた。
そいつらは私に恨み言を吐くばかりで、その忌まわしい顔を見るのは苦痛で仕方なかった。
ほとんど眠れずに夜が明けた頃、私は不意に凄まじい罪の意識に苛まれた。家族と思っていたペットたちを虐殺したのだ、おまえは大罪人だと、なにものかの囁く声が頭に反響していた。
私は気分が悪くなり、洗面所で吐いた。胃の中身を全て押し出しても、胃液をごぽりと撒き散らし続けた。
昼を回ると、私は押し寄せる不安に堪らなくなって、宿を出た。
暗い路地裏に入った。悪臭と埃、汚らしい劣情が混在する掃溜めだった。
私は壁際に立つフードを被った男を見つけた。白い袋を持っていた。
ポケットの中から紙幣を数枚探り当てると、男にそれを握らせ、その粉末を半分ほど買い取った。
私は無理やりポケットにそれを押し込み、宿へそそくさと戻った。
私の精神は限界に達していた、自分の犯した罪はどう洗っても落ちはしないと分かっていた。だから自暴自棄になってドラッグに浸かった。
吸っている間は、ひどく落ち着いた心持になり、何もかもが美しく感じられた――私が地底で暮らし始めた初期の頃のしあわせを思い出さずにはいられなかった。
だが、同時に重い十字架が背中に圧し掛かるような圧迫感を覚え、さらに薬の量を増やしていった。
何もかも忘れてしまいたかった。
薬が尽きると、また路地裏に体をふらつかせながら買いに行った。
いつしか昼夜の区別がつかなくなった。寝ているのか起きているのかさえ曖昧な、堕落しきった日々が一月ほど続いた。
涎に塗れた枕に顔を埋め、死んでいるのと変わらない時間を身に刻んでいた。
だが、それでも殺したペットたちは私を追い詰めてきた。一月前は夜中しか現れなかったというのに、今は四六時中周りで私に呪いの言葉を吐き続けている。
いくら耳を塞いでも、薬を浴びるように吸っても、私に纏わり付いて離れてくれない!
頭を掻き毟った。ふけがぼろぼろとベッドに落ちた。
皮が破れ、出血した。指先を染める赤色を長い間見つめていた。
ベッドに滴った一滴の血に気付き、拭ったが、染み込んでしまって落ちなかった。
私はどうしても気になって、雑巾でそれを擦り続けた。
ごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごし。
何度擦っても、汚れが落ちないのだ。
堪らなくなってシーツを引き裂いた。できるだけ細かく破り、部屋中にばら撒いた。
そのとき、一匹のゴキブリがベッドの下から這い出てくるのを見つけた。私はそれを思い切り踏み潰した。ぶちゅ、と粘った音が聞こえたが、衝動にまかせてずっと踏み続けた。
足の裏に糸が引いているのを見て、やっとそいつが死んでいることに気付いた。
息が上がっている、ひどく汗ばむ肌を感じ、風呂に入ろうかと思ったが、ここ一月全く入浴していないことに初めて思い至り、どうでもよくなってベッドに身を沈めた。
<第三の手記>
それから三日後、私は薬が底を尽きたために、また掃溜めの路地裏へ足を運んだ。
フードの男はやはりいつもの壁際に背中を預け、白い袋を手に持って立っていた。
金はほとんど残っていないことに気付いたのは、薬を受け取った後だった。
私はポケットから僅かな硬貨を取り出して、男にこれしか所持していないことを伝えた。男は当然、ならば返せと言ってきたが、私は最早薬無しでは耐えられぬ体だった。私は逃げ出そうとしたが、いつの間にやら数人の屈強な男に囲まれていた。
――金が払えぬなら、体で払え――フードの男は言った。私は体を抑えられ、抵抗することもできずに媚薬を飲まされた。
そうして、汚らしい男どもにされるがままだった。口で酷い臭いのする男性器に奉仕しているときも、馬のような肉棒を無理やり膣に挿入されているときも、私は何よりもそいつらの下卑た劣情に吐き気を覚えずにはいられなかった。
嫌になるほど精を浴びせた後、彼らは平気な顔で去ろうとした。
私は痛む節々に鞭打ち、何とか立ち上がると、懐から血糊の付着した包丁を取り出し、そいつらの背中、心臓部分を抉った。
反応する時間も与えず、返り血をシャワーのように浴びながら、何度も何度も抉り続けた。
――ゴキブリとおんなじじゃないか――私はそう思いながら、フードの男の死体から袋を奪い取り、その場を去った。
最早満足に動いてくれない足を引きずって、通りに出ようとしたそのとき、なにものかが路地に入ってくるのを見つけた。
眼が霞む、そこで私は倒れた。もう、体は全く動かなかった。
埃っぽい地面に身を預け、薄れる意識の中で、私の眼は可愛らしい帽子と青い瞳を胸に抱えた少女を捉えた。
その可憐な白い肌の少女を見、精液と泥と白い粉に塗れた自分の体を見て、
私は、自分は妖怪を失格したのだと悟った。
引用文:太宰治氏『人間失格』
長編が一向に進まない割にこんな短編ばかり筆が進む。今回はかの人間失格をリスペクトさせていただきました。
お目汚し失礼
ゴルジ体
- 作品情報
- 作品集:
- 18
- 投稿日時:
- 2010/07/02 11:18:43
- 更新日時:
- 2010/07/02 20:18:43
- 分類
- さとり
- こいし
妖怪は哀れで悲しいものと相場は決まっているから