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『一つ屋根の下で』 作者: sako
―――我を喚出したのは誰ぞ?
その日の夜、私は言葉を喪った。
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「ほい、待たせたなパチュリー、」
魔法の森は霧雨邸。湯気立ち上る豚汁を盆にのせ、魔理沙がキッチンから現れる。ダイニングのほとんどを占めている大きな一枚板のテーブルには先にパチュリーが腰掛けていた。テーブルの上にはすでに他の料理がいくつか並べられている。焼き魚にサラダ。高野豆腐にお漬け物。炊いた雑穀米。量はさほど多くなく質素だが、殆どのものは美味しそうな魔理沙お手製の食事が今晩の献立だった。
「…………」
目の前に湯気が立ち上る耐熱皿を置かれて、パチュリーは無言で魔理沙に頷く。にひり、と魔理沙は笑い返す。心なしか青白い顔のパチュリーを労っている様子。パチュリーもそれが分っているのか、黙したまま恥ずかしそうに視線を伏せた。
「うしっ、さ、さっさと飯にしようぜ」
パチュリーの肩を優しくたたいて、そう元気よく告げると魔理沙は対面の席へついた。いただきます、と手を合わせて晩餐が始まる。
竹を削った箸を手におかずと汁物とご飯を三角食いにぱくぱくとよどみなく食べる魔理沙。対してお杓…箸が使えないのでスプーンの代わりのソレを手にしたままのパチュリーは未だにお茶すら口にしていない。気だるげな、少し苛立ちを覚えているような表情で豚汁の中身をかき混ぜている。キャベツの分厚いところをすくい上げては沈め、豚コマをばらし、ニンジンをつついて、薩摩芋を崩している。底に沈んでいた溶けた味噌が浮き上がり、豚汁が濁る。遊んではいるが食欲がないといった様子ではなかった。パチュリーの口は少し開いており、魔理沙には聞こえなかったが空っぽの胃袋は食料を求めてごろごろと唸っていた。
「食べないのか…?」
対面の魔理沙がそう、少し、気後れしながら聞いてきた。訝しげな、自他共に対して、箸につまんだご飯をお茶碗に戻しながら、そういう視線をパチュリーに向ける。
「な、なんか、嫌いなものとか入ってたかな…? ふ、普通のしか入れてないと思うけれど…」
豚汁の具は先ほどあげたものに後はシメジを足したぐらいだ。シメジは魔理沙が栽培したもので、他の材料は集落から買ってきたものだ。別にそれだけでは変なものは入っていない。
「………」
パチュリーは少し驚いた顔をした後、無言のまま頭を振るった。違う、という意思表示。そっか、と魔理沙の顔が少しほころぶ。逆にうつむいたパチュリーの顔が険しくなる。
ややあってからパチュリーは意を決したように豚汁の入った木椀を手にした。おそるおそるソレを口に近づける。その様子を一挙一動、眺めようとしていた魔理沙だったが余り見られていては食べにくいだろう、とすぐに視線を自分の分の料理に戻して箸を手に取った。パチュリーが豚汁の汁をすするより先にご飯をかきこむ。
すすっ、と小さな音を立てて豚汁の汁をすするパチュリー。瞬間、パチュリーの顔が歪にゆがむ。苦虫でも噛みつぶしたよう。お椀の端を口につけたままパチュリーは脂汗を流しながら固まってしまった。
「…美味しくなかった、か?」
魔理沙の言葉。困惑と僅かな絶望。パチュリーは少しだけ目を細めるとお椀を口につけてまま小さく頚を横に振るった。無言の否定。そうして、ずずずず、と大きな音を立ててパチュリーは一気にお椀の中身をすすった。暖かい液体が舌の上を素通りして、殆どそのまま喉へ流し込まれる。それでも野菜の甘さと肉の出汁と味噌とそれ以外の塩っ気が口の中に広がる。そうして…
「………!」
驚愕。かたん、とパチュリーの手からお椀が落ちる。テーブルの上に豚汁の中身がぶちまけられる。パチュリーは青い顔をして手のひらで口を覆う。油のようなねっとりとした汗が浮き上がってくる。その異変に気がつき、パチュリーの名前を叫びながら魔理沙が立ち上がった瞬間、パチュリーは床の上へ今飲み込んだばかりの豚汁を戻してしまった。胃液と唾液を含んだ据えた液体がびちゃびちゃと床板を打つ。
その上に涙も。苦しけれど、止められなかった。何もかも。
「大丈夫か、パチュリー!!」
お茶碗と箸を投げ捨てるようにテーブルの上に置いて、椅子を倒しながらも慌てて魔理沙はパチュリーに駆け寄る。けほけほ、と咳き込むパチュリーの背中に手を当て、とんとんと叩く。打撃に合わせてげほっ、とパチュリーはなお咳き込んだ。
「………無理して食べなくて良かったんだぞ」
ややあって、やっと落ち着いたパチュリーの口元に布巾を持ってきつつ、魔理沙はそう少し諭すような口調で告げる。
「まだ、身体も本調子じゃないんだろうしさ」
恥ずかしさと自己嫌悪のせいか、魔理沙が差し出した布巾をいやいやと頭をふるって拒否するパチュリー。やはり、無言。けれど、口の周りを吐瀉物で汚したままにすることは出来ず、半ば無理矢理にではあったが魔理沙はパチュリーの顔を綺麗になるよう拭いてあげた。この布巾では無理があったが。
「その…もうちょっと、身体に優しそうなものを作ればいいと思ったんだけど…ここに来てからお前、なんだか水しか飲んでいないような気がしてさ…もうちょっと力がつくものを食べた方がいいと思って。うん、ごめん。私の料理のせいだな」
パチュリーを宥める魔理沙。話は少し自己嫌悪めいたところへ流れていく。はっ、とパチュリーが顔を上げた。魔理沙の身体をすがるように掴み、ふるふると視線を向けたまま頭を振るう。言葉無く黙し、ぱくぱくと何かを言おうと唇を動かしながら、けれど、そこから声は出ず、静かに。
「ごめんな、ごめんな。喋れないのに…気、使わせちゃって…」
そのパチュリーの頭をそっと抱き寄せる魔理沙。前髪をかき分け、優しくおでこに口づけする。
魔理沙の腕の中、パチュリーは泣き出しそうな困惑したような、そんな表情のままやはり黙ったままだった。
しゃべることが出来ず、苦悩している。その表情だった。
この一方的な会話しかない生活が始まったのは数ヶ月前。原因たる事件が起こったのは更にその数週間前、紅魔館の地下は大図書館で行われたさる大悪魔の召還の儀式についてから話さなくてはいけない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
結論から言うと実験は失敗だった。
魔理沙を助手に、数ヶ月かかって溜め込んだ魔力を動力に、様々な希少価値の高い魔具を触媒に、精密な魔法陣を霊的各位の高い場所に描いたこの大悪魔召喚の実験は半ばまでは成功していたものの、パチュリーは最後の〆…悪魔の調伏を誤り、魔界の下層から強大な力を誇る大悪魔…魔王を喚び寄せはしたものの、その制御に失敗してしまったのだ。
荒れ狂う魔力と当たりに漂うどす黒い障気。そうして、何よりその邪悪なる姿を一別しただけで魔理沙は気を失ってしまい、パチュリーは一人、何とか魔王が床に描いた魔方陣から外に出られないようにするので手一杯だった。
魔方陣と外界を隔てるように作られた光の壁に六つある手をかけながらゲハゲハと魔王は笑う。己を喚出したものの非力さを、愚かさを、矮小さを。
結局、邪悪な魔王を魔界へ帰還させることに成功したもののその代償は果てしなく大きかった。
数日はベッドの上から起き上がれないほどパチュリーは体力を消耗し、一時は生死の境を彷徨ったほどだ。そうして、目覚めてからも更なる不幸がパチュリーを襲った。
目覚めたパチュリーに先に回復していた魔理沙が話しかけるが返事はない。儀式の失敗を気に病んでいる様子ではあったが、どうも返事をしない原因はそれではないらしい。身振り手振りで反応することからもそれが分る。
どうしたんだよ、と執拗に問いかける魔理沙にパチュリーは首を振るい、何とか手振りで紙とペンを用意するように伝えた。
―――声をもっていかれた
と、パチュリーは咲夜が持ってきた紙にペンにそう書いた。
悪魔は召喚者の何か大切なもの、有形無形を問わず、それらを対価に願いを叶えるという。自分の声を対価に魔王に魔界へ帰還するよう命じた、とパチュリーは文字でみんなに説明した。もう、自分の声が戻ることもないだろうとも。
それが目覚めてから一言も口をきかない…聞けない理由だった。喉がつぶれたわけでも、口が開かなくなったわけでも、言葉を忘れたわけでもない。ただ、喋れなくなっただけだ。こう、簡単に説明するとただそれだけと言えそうだったが実際には様々な弊害が現れていた。
ちょっとしたことを説明するにしても一々、紙とペンが必要で、紅魔館で働いている妖精メイドの殆どはまともに読み書きができず、また、パチュリーの身振り手振りを理解できるほどの器量よしもいない。その両方が出来そうなのはメイド長の咲夜か、多少、心許ないが門番の美鈴ぐらいで二人とも各々の仕事があり、唖になってしまったパチュリーにつきっきりになるというわけにはいかなかった。
体調が万全ならそれでも良かったのだろうが、召還実験の失敗で酷く体力を失ったパチュリーは病み上がりに近い体調で介護の手が必要だった。
パチュリーの面倒をみる溜に新しく専属の使用人でも雇おうかしら、とレミリアが悩み始めた頃、手を上げた人物がいた。
魔理沙である。
実験の失敗は自分にも一因はあると気に病んでいたのだった。そしてなによりパチュリーの辛そうな姿を何とかしてあげたいと願っての事だった。
レミリアは最初、あまり魔理沙が信用できず、その申し出を断ろうとしていたが魔理沙の珍しく真摯な態度、それに他でもないパチュリー本人の申し出に折れ、ついに魔理沙にパチュリーの事を任せることにしたのだ。
それから準備などはとんとん拍子に進み、パチュリーはしばらくの間、魔理沙の家でやっかいになることになったのだ。
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「ほら、大丈夫か、パチュリー」
「………」(こくこく)
御風呂場の前の脱衣所。服を脱がせながらパチュリーに気遣うような声をかける魔理沙。夕食は中断、吐瀉物で汚れた身体を先に綺麗にしようと魔理沙が言い出したのだ。
恥ずかしそうにしながらも魔理沙にされるがまま服を脱がせられるパチュリー。ケープを脱がし、ブラウスのボタンを外し、ショーツを脱がせるために片足をあげるように促す。素っ裸になったパチュリーを連れて、こちらは下着だけになった魔理沙がお風呂場に連れて行く。タイルは冷たくお風呂場は凍えそうなほど寒かった。一歩一歩、進むたびに素足から冷気が立ち上ってきてパチュリーの肌に鳥肌が浮かぶ。
「寒いだろ。とりあえず、暖まろうぜ」
樹脂製の椅子にパチュリーを座らせて湯船から桶で水をすくい上げる魔理沙。ばさぁー、と頭から水をかける。ぶるっ、とパチュリーが震えた。
「ほら、じっとしてろよ」
そういって魔理沙は今度は石けんとたわしを用意。桶に張った水で泡立て、ごしごしと力強く、パチュリーの背中を洗ってあげる魔理沙。ごしごしごし、とパチュリーの真っ白な背中に泡だったたわしを前後させる。垢が落ち、パチュリーの背中に赤みが増す。ごしごし、ごしごし。側面に回り腕も、前も同じように綺麗にしていく。脇腹、大きな胸、太もも。亀の子だわしでタイルでも磨くようにしっかりと。
パチュリーは黙ったまま魔理沙に任せるがまま。俯いて唇をかみしめて、全部、魔理沙に任せている。
「ほい、次は頭な」
ざばぁ、とまた頭から泡を流して綺麗にして、今度は洗剤の小瓶から緑色の乳液を手に、それをパチュリーの髪の毛に和えるように絡ませる。わしゃわしゃと指を動かすと徐々に泡がたちはじめ、お風呂場に多数のハーブや漢方を混ぜ合わせたような臭いがたちこめはじめた。えも言えないような変わった臭い。余り嗅いだことのない妙な臭いにパチュリーは鼻をひくつかせる。
「どうだ。私が特別に配合したシャンプーなんだぜ。濯いだ後も香りが残るようになってるんだ」
そう、と言葉なく頷くパチュリー。あらかた、パチュリーの長くて柔らかい髪を洗うと、綺麗になるようしっかりと濯ぎ、すっかりパチュリーは綺麗になった。
「さ、風呂に入れよ」
パチュリーを立たせると魔理沙は風呂桶まで連れて行ってあげた。といっても一歩、二歩だけだったが。
「………」
けれど、そこまで。パチュリーは水が張られた風呂桶を前にじっとしているだけだった。うつむき、拳を握りしめ、唇をかみしめている。険し顔つきは心底、湯bねに身を沈めるのがイヤだといった様子。
「どうしたんだ…?」
魔理沙の言葉に、パチュリーは乞うような視線を投げかける。
その顔は青白く、唇は紫色。カタカタと奥歯が鳴り、寒疣の浮いた肌は束子で擦られたせいで擦過傷を起こしている。血が流れているところもある。開け放たれた窓からは冷たい冷気が漂ってきている。外に見える森は葉を落とし、灰色の世界になっている。曇り空からは居間にも雪が降りそうだった。お風呂場の温度は一桁ほどしかないだろう。浴槽に張られた水…そう、ただの真水もそれぐらい冷たい。お風呂場は凍えるように寒かった。何一つ、暖かいものなどなかった。
「もう、我が儘言うなよ、何も言ってないけど、しっかり風呂に入らないと駄目だぜパチュリー」
そう言うとにひり、と魔理沙は悪戯っぽい笑みを浮かべてパチュリーの身体を抱きかかえると、暴れるパチュリーを押さえ、その冷たく冷えた身体を更に冷たい湯船へと投げ込んだ。
「―――!!」
ばしゃん、としぶきを上げて湯船に沈められるパチュリーの身体。余りの冷たさに心臓が止まりそうになる。慌てて風呂桶の縁に手をかけて、飛び出ようとするが上から魔理沙が押さえつけてくる。ごぽごぽ、頭まで沈められる。
「ほら、しっかりつからないと駄目だぜ」
水の中で必死に酸素を求め暴れるパチュリー。そんな酷いことを大切な人にしているのに魔理沙の顔はまるで悪びれた様子がなく、むしろ楽しそうに笑みを浮かべている。
水に沈められもがきながら、パチュリーは後悔の念に囚われる。
こんな、こんな酷いことになってしまった事に対して。
ただ、好きな人と一緒になりたかっただけなのに。それで少しだけズルをしようとしていただけなのに、と。ひどく、ひどく、後悔する。
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あの時、実は紅魔館の地下で行われた召還の儀式は失敗ではなかった。喚びだしたモノが少しばかり邪悪だっただけで、召還自体は成功していたのだ。
あの実験は実は魔理沙のことが好きでたまらなかったパチュリーが、自分たちの仲をもっと急激に近づけようと思って行ったものだった。喚出す予定だったモノもあんな邪悪な魔王ではなくもっと下級の、こあと変わらないような低級魔族…サキュバスの様な淫魔で、その崔淫の力を使いある種の既成事実を作るつもりだったのだ。
それが何が間違いだったのか、喚び出された代物は並の魔術師では一別しただけで精神がもっていかれるほどの邪悪な存在で、現に魔理沙はその姿が三次元世界に現れるのを垣間見ただけで気を失ってしまった。
あとはほぼ、前述の通り…けれど、唯一、核心に近い部分だけが違っていた。
魔王が魔界へと帰っていったのはパチュリーが自分の声を引き替えに命じたのではなく、悪魔が召還者の願いを叶えたからだ。
それはつまり、パチュリーと魔理沙の仲をもっと親密なものにする。
その為に大悪魔は魔理沙にパチュリーを惚れさせるような呪いをかけたり、二人の精神を淫靡な状態にもっていったり、二人は夫婦だったと事実をねじ曲げたりするような低俗であからさまで悪魔にとって何も面白くない方法をとらず、あくまで自然に、介入があったことを誰にも悟らせない阿漕な奸計を持ち出してきたのだ。
あの時、悪魔は言った…
―――お前が黙っている限りお前とこの女の仲はより親密なものになりつづけるだろう
地獄の底から響く銅鑼のような声で悪魔は告げる。
―――ただし、お前はその間、一言もしゃべってはいけない。それがルール。それがお前が私を喚出した対価だ。もし、破れば不履行でこの契約は全て無に帰す。貴様もこの女の命もだ。お前は何があっても、どんなことが起こっても、どんなに幸せであろうとも声に出してはいけない。その事を誰かに伝えてもいけない。それも不履行。お前とこの女の関係は終わり、お前は本当に唖になることだろう。せいぜい、それまで静かな新婚背活を営んでくれ…
パチュリーは気を失う刹那、悪魔とその契約を交わす。
程なくして悪魔の言ったとおり、魔理沙との仲は急速に狭まっていった。パチュリーの予期していない方向性ながらに。
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がちがちがち
奥歯が打ち付けられる音。
奥歯を震えさせ、自分自身を抱くような格好でパチュリーは蝋人形か死人もかくやという顔色を浮かべ、水風呂に肩までつかっている。風呂の水は気を失いそうなほど冷たく、途切れるように時折、パチュリーは軽く意識を失っていた。
すでに魔理沙の姿はない。パチュリーの着替えを用意しにお風呂場から出て行ったのだ。
今なら魔理沙の目はない。魔法でお湯でも沸かして身体を温めることが出来る。けれど、パチュリーはそれをしなかった。できなかった。
言われたとおり…そう、言われたとおりしなければ後でどんな手ひどい罰を受けるのかしれたものではないため、パチュリーは黙って魔理沙の言うとおりにしていたのだ。
ぽろり、とパチュリーの目から涙がこぼれ落ちる。
背中や腕の擦り傷が水にしみ、透明の水に朱が混じる。ここに来てからまともな食事を摂っていない胃がきりきりと悲鳴を上げている。体調は最悪でケホケホと咳を繰り返す肺は風邪をこじらせ結核に罹りかけていた。
確かにあの悪魔の言うとおり、願いは叶った。
今ではこうして同じ屋根の下で暮らし、寝所を共に、食事を一緒にとって、魔理沙と他人には見せられぬ親密な暮らしをしている。
こんな酷い仕打ちを受けながらも。確かにパチュリーは魔理沙と一緒に暮らすことができているのだ。
まるでパチュリーの望んでいない形ではあるが。
「お待たせパチュリー」
そこへ魔理沙が帰ってきた。新しい…新しくもないパチュリーの服を手にして。
「あの服はもう汚れちゃったから捨てちまうぜ。で、代わりに適当なのを見繕ってきたから、こいつを着るといい」
そう言ってその服…服とは呼びがたい代物を広げてみせる魔理沙。
茶色く洗ってもそう簡単に落ちないような汚らわしい汚れが染みついたそれはここに来た初日にパチュリーが着ていた服だった。次の日に魔理沙がトイレを掃除するのに使い、そのまま便器専用の雑巾にさせられていたパチュリーのお気に入りの洋服。
「ああ、前のはもう、ハサミでバラバラにしたから。さすがにあんなに汚れた服は着れないもんな」
ぱらり、と裁断された布きれが魔理沙の手からこぼれ落ちる。それはお屋敷から持ってきた最後の綺麗な服だった。他の服は最初のものと同じく汚物を拭くのに使われたり、もう既に捨てられていたりとまともなものは一つも残っていない。
その事実にパチュリーは目を見開き、風呂桶に張られた水よりも冷たい絶望の表情を浮かべた。
―――もうイヤだ
と、パチュリーは自分の唇をそう形作る。
耐えきれないと涙を流しながら。
こんなはずじゃなかったのに、と酷く過去の過ちを後悔しながら。
優しい魔理沙の姿を夢見て。
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夕食がパチュリーの嘔吐の後のまま取り残されている食堂。テーブルの上にはすっかり冷めてしまった料理が…いや、片方はとても料理とは呼べない代物が残されていた。
真っ黒焦げになるまで焼かれ、原形をとどめていない魚。しなびた雑草で作られたサラダ。水で戻していない固いままの高野豆腐に嫌気性の土壌菌が作った毒素が混じった漬け物。豚汁の具もニンジンやキャベツの悪いところ、シメジによく似た毒キノコ、使用期限の切れた豚肉と悪いものばかりでとても食べられたものじゃない。スープも異様に塩が加えられていて、一気に飲めば胃が拒絶反応を起こして戻してしまう。
食べれば気分を悪くさせ、お腹を壊す、明らかに身体に悪そうなもの、どれも魔理沙がパチュリーのために特別に作ったものだった。
相当の悪意でもなければ作れないような代物…けれど、作った魔理沙本人にはそんな意志はひとかけらだってなかった。
パチュリーが最初、無理を言ってまで魔理沙に介護を頼んだように、魔理沙自身もこの介護生活のような同棲を喜んでいる部分があった。魔理沙もパチュリーとなるべく長く一緒に過ごしたいという願望を前々から秘めていたのだ。それがこのような形でとはいえかなったのだから喜ぶのは当たり前だ。
ただし、手放しで喜んでいるのは魔理沙だけだった。
パチュリーは魔理沙の家に来てから陰鬱とした気持ちを抱えたまま不便な生活を強いられている。
それは言葉が発せず、上手くコミュニケーションがとれないからという理由ばかりではなく、むしろ、より深刻な理由…魔理沙にたびたび、ドメスティックバイオレンス的な暴力や嫌がらせ、心身を痛めつける非道な行いを受けているからだ。
とても食べられたものではないものを料理として与えられ、床を磨くための束子や洗剤で身体を乱暴に洗われ、窓を開け放した水風呂へ無理矢理、沈められる。寝床は固くて小さい木箱で布団になっているのは薄汚れた元はマットレスだったぼろ切れだけ。それさえもときどき『今日は暖かいからいらないよな』と取り上げられる始末。朝、目覚めるのが遅ければ乱暴に蹴りつけられ、夜もうつらうつらし始めれば眠るのはまだ早いぜと頬をはたかれる。何か粗相をすれば、鼻血が出て、口の中を切るほど殴られることもある。排泄も管理されており、言葉をしゃべることが出来ないパチュリーは魔理沙の機嫌がいい時を見計らっておずおずと卑屈な態度で申し出るしかないのだ。許可が得られてもトイレはきちんとした人間用の便座ではなく砂を撒いただけの猫か犬のようなペットが使うものを使わされている。外出は体調が悪いのに外に出たら風邪を引くだろうからと厳禁で、パチュリーはもう数日もお日様を見ていない。奴隷やペットでもうけないような酷い扱いを強いられているのだった。
魔理沙はそれを―――下卑たサディスティックな笑みや冷酷な拷問官の表情でもって行って―――はいない。あのパチュリーが好きだった朗らかな、何処か見るものを元気づけるようなそういった明るさで一杯の笑みを浮かべて行っているのだ。
そこには微塵の悪意も微量の敵意も極小の害意も感じられず、狂気の沙汰さえない。魔理沙は普通の恋人…少しだけ身体が普通の人とは違うけれど大切な人に向ける笑顔で、正気の目で狂気じみた非道な真似をしているのだ。
それに魔理沙は気がついていない。
自分の仲では普通に、恋人に対してそうするように優しく接しているのである。
あの時、召喚された悪魔はこう語っていた。
――― 一言もしゃべってはいけない。それがお前が私を喚出した対価だ。
その言葉はパチュリーに対して発せられたもの。あくまでパチュリーだけに対しての発言だったのだ。
悪魔はパチュリーからは自分の意志で押し黙るという不自由を対価に契約を結び、帯綱形で願いを叶えたのだ。
では、あの場にいた魔理沙は?
魔理沙もまたパチュリーと仲良くなりたいと願っていた。
それはパチュリーほど確かな願いではなかったかもしれないが、それでも確かなものとして胸の内に秘めていたのだ。
悪魔はそれも願いとして、魔理沙から対価を貰い、叶えてやったのだ。
悪魔が魔理沙から対価として奪い取ったものは良心。
まっとうな人として心に確かに組み込まれている善性だ。
良心を奪われた魔理沙は意識することなく他人を虐め、貶し、悪事を働くようになってしまった。しかも、悪魔は善良性が失われた心が疑問や葛藤などの不具合を起こさないよう、わざわざ魔理沙の心に改造まで施していた。
魔理沙が笑顔のまま、パチュリーに酷いことをしているのは全てそのせい。けれど、パチュリーはこんな事になってしまった魔理沙を他の人に知られたくない一心で、結果、契約通りに黙したまま、魔理沙の悪意のない虐待を受け入れている。
歪すぎて逆にしかとかみ合っているパズルのピース。それが今のパチュリーと魔理沙の関係だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
風呂から上がったパチュリーは冷え切り濡れた身体を拭くこともなく汚れ鼻の曲がるような嫌な臭いを発する服を魔理沙の手で着せられていた。
「…うん、似合ってるぜ」
服を着せ終えた後、微笑みを向けてくる魔理沙。その瞳にはパチュリーが綺麗な洋服でも着ているように写っているのだろうか。
そうして、魔理沙は少し、視線を彷徨わせた後、そっとパチュリーに顔を寄せ、自分の唇を彼女のそれに重ね合わせた。
―――ああ、唇から魔理沙の暖かさを感じる
返すようにパチュリーは微笑んで口を開いた。
「魔理沙………」
END
選挙行ってからストパンの一期を見直しながら書きました。
しかし、酷い風だな…
sako
- 作品情報
- 作品集:
- 18
- 投稿日時:
- 2010/07/11 13:27:19
- 更新日時:
- 2010/07/11 22:27:19
- 分類
- パチュリー
- 魔理沙
- 同棲生活
- 悪魔「パチュリー、今回、お前の台詞ねぇから!」
なぜ産廃で? と聞くのは野暮でしょうね。
とりあえず今さっき豚汁を製作し終えた俺に謝罪を頼むw
それにしてもよくこのペースで良ネタが出てくるもんだ
脱帽
魔理沙の契約はそのまま→恋心無しで悪人の魔理沙がぱっちぇさんに何をするかな。
そしてその事をぱっちぇさんは知らない。
あと、背活→生活 では?
しかし最後まで読むと納得してしまう読後感の良さ
しらふのsakoさんも素敵過ぎる
そこに悪意がないからこそエグく、オチの後味の悪さも大変好みです。
大好きな人一緒に死ねて、良かったねパッチェさん…!