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『ささやかなる一服を』 作者: マジックフレークス
小野塚小町はいつもの場所、仕事を一時“自主的に休憩”して度々訪れる川べりで横になった。
ゆっくりと彼岸の空を眺めながら怠惰な時間を過ごす。静かなまどろみの中で半身を起こして腰に着けていたポーチを開けて幾つかの道具を取り出した。
全長約7寸(≒21センチ)と短くも長くも無い、それでいて小ぶりで細身なその特徴と、その道具が誕生した時代では女性が好んで使ったこともあり美女の代名詞を冠して“小町煙管”と呼ばれている喫煙具だ。
小町がさるつてで入手したそれの名前を知っていたかどうかはわからないが、これは小町のお気に入りの相棒だった。
同じポーチから煙管用の刻み煙草も取り出す。
小粋という名前の細くてフワフワした葉を指で一つまみし、くるくると人差し指と親指で捏ね繰り回して丸く纏める。ポーチの中といえこの入れ物は通気性が良い特注品であり、川を職場に行ったり来たりする彼女の煙草は丁度良く湿っている。
小町はそれを煙管の火皿に詰めて吸い口を咥えた。
シュボッ
燐寸を一本取り出して鎌の刃金で擦る。実際には使用しない飾りだけの鎌は僅かに表面が錆付いて、燐寸に適度な摩擦熱を与えた。
火を煙管の火皿に持っていき、葉に火を付ける。
本格的には炭火を用意してそれに近づけて点けるものだが、小町もサボりの合間にそこまでする気は無いし道具を用意しておくのも面倒だった。
「……ふぅーっ」
軽く煙管を吸って葉に付いた火を中まで十分に燻らせていく。
辛味のある煙草葉の煙は金属と木でできた管の中を通りながら煙の温度を下げ、マイルドな味に変わって小町の喉を満たしていく。
小町は煙を肺まで落とさずに口内と喉で楽しんでから、ゆっくりと細く長い煙を吐き出した。
「……また、四季様に怒られちゃうかなぁ」
そう言って小町はふふふっと小さく笑った。
仕事をサボって喫煙を楽しんでいる彼女を上司が見たら、当然のごとく叱られるだろう。長々とした説教のおまけ付きだ。
だがそれを想像した小町は幸せだった。生真面目で融通の利かない上司だが、四季映姫は自分の様な死神にもよく気を回してくれている。
自分を更生(?)させようと一生懸命長い説教を行う彼女の姿はとても愛らしく、言葉など頭に入らずにずっと彼女のその姿を見つめてしまう。
「すぅーっ、――――――ふぅーーっ」
思考の波にその身を委ねて幾許かの時間を費やしたが、煙管の中はゆっくりと燃えながらその火種を残していた。
小町の吸い込みと同時に葉が赤熱して2度目の煙が小町に流れ込んでくる。煙の味をゆっくりと体の中に循環させてから吐き出す。細く伸びた煙は虚空を3尺程直進した後大気中に拡散していった。
(四季様にも煙管の楽しみを教えてみようか。ストレス溜まってそうだし、意外とイケルくちかも知れない。手取り足取り教えるとか言って……まずは私が最初に火を点けて吸って、それを四季様に……ンフフフフ)
趣味を共有したい。時間を共有したい。
何か特別な会話や用事など無くてもいい、ただ一緒に無為に時を浪費する。その素晴らしさをいつも忙しそうにしているあの人に教えてあげたいと思う。
(交互にキセルに口を付けて吸うのも捨てがたいなぁ………)
「ま、たぶん体に毒だの何だの説教されるような気がするけれどねぇ。スゥ」
(死神に毒も何もあったモンじゃないと思うんだけどねぇ)
人間の喫煙者にとっては羨ましい限りな体質について何の気なしに口にして3口目。
大きく息を吸い込んで少しだけ肺に煙を届ける。まろやかな口当たりの煙も、肺に落ちることで煙の有害物質の影響でか胸の中が熱くなった様に感じた。
その煙の抱擁をじんわりと全身で楽しむように間を空け、長く長く息を噴き出した。
「……なんでも、煙草のこの心地よさって云うのをあたいにもたらしてくれるのも、含まれる毒の効用だって言う話だけれど、それが効いているのやら。それとも形だけのこういう仕草がそれを感じさせてくれてるってことかねぇ?」
そうして4度目の煙管に口を付けて息を吸い込む。
僅かに煙の味が口内に広がった後、乾いた空気が入ってくる感触がある。火皿の煙草が燃え尽きたのだ。
煙管の喫煙は3〜5回、ゆっくりと吸った小町はまったりとした思索の時間と共に3分程の喫煙を楽しんだ。
「ふぅ、さてとそろそろ戻るかねぇ」
残った煙を吐き出して火皿の灰を地面に落とす。軽く煙管を吹いて残った灰を飛ばしてからポーチに煙管と小粋の箱、燐寸箱をしまい船に戻った。
「……本当に四季様に煙草を勧めてみようか、どうしようか。悩みどころってやつだ」
そうひとりごちた小町の顔はどことなく幸せそうで、結果叱られても承諾されても楽しいひと時を過ごせそうに思う。
今日は誰一人自分の店を訪れなかった。
そのような日もよくある。人里離れたこんな場所で店を構えている自分にも責任の一端はあるし、にぎやかな娘達に囲まれているのも悪くは無いとはいえ自分の本来の気性は静寂をより好む。
売り物に囲まれ、あるいはそれらを使用したり整備したりして孤独に一日を終える。それもまた自分にとっては幸福ではある。
彼は自分を囲う道具達を愛し、自分と他者の内にある未知なる物への好奇心を愛し、そしてまた孤独をも愛していた。
「さて、そろそろ店を閉めようか」
この店は彼の自宅を兼ねているため、店を閉めるということは即ち入り口の戸を閉めるに他ならない。彼は立ち上がり、粗雑に積み上げられているようで実は彼自身には何処に何があるか大体把握している商品の山々の間を通って店の戸に手をかける。
戸口からざっと周囲の空を見渡した。紅い夕暮れから徐々に暗闇に変わり、空の星の内で輝きの強いものが少しずつ見え始める頃合になっている。
彼は空に感傷がある訳ではなく、ただ自分の下を訪れる知り合いは空に光りを撒き散らしながら飛んで来るのが常なので、その飛跡の有無を確認しただけだった。空は自分の望む静寂の姿を保っていた。
「……ふぅ」
少しだけホッとしたような、それでいて心のどこかで残念さを孕んだ息を吐く。
店の奥、一応の自室となっている場所に引っ込んでゆったりとしたロッキングチェアーにもたれかかる。手の届く範囲、丁度良い高さに置かれた小さな机。そこには読みかけの本が数冊とある道具類が入った小箱、そして灰皿があった。
彼は一冊の本を手に取り膝の上に乗せ、小箱から幾つかの物を取り出す。
パイプ、パイプ煙草、燐寸、タンパー、パイプレストの5つだ。
「…………」
彼はパイプレストを机の上に置き、パイプ煙草の入ったポーチに指を突っ込んで煙草葉を摘み出す。
煙草葉をパイプの皿の中に少し詰め込み、タンパーで優しく押し固める。ある程度平らになったらもう一度葉を取り出して同様にする。3回ほど繰り返してパイプのふちから5mm程までたっぷりと葉が詰め込まれたところでこの作業を終了した。
パイプの吸い口を咥えて歯で固定する。燐寸を一本箱から取り出し、箱側面のやすりで燐寸を擦って火を点けた。そのまま火を自分の鼻先、パイプの皿の中に持っていき、詰められた葉の上部を炙る。パイプは口に咥えているが、まだ息は吸い込まない。じっくりと燐寸の炎のみで葉を炙っていく。
燐寸の火が自分の指を焦がし始める前に手を振って炎を消し、それを灰皿に捨てる。炭の様に黒く焦げた上部の葉は、それが熱を持って燃えている間に揺ら揺らと立ち上がってきていた。タンパーで再度それを押し固め、パイプの上部の葉の表面が一様に黒く焦げた状態を作り出す。これで準備は全て整った。
再度燐寸を擦り、先程と同様に火をパイプの中に持っていく。最初の点火で水分を失った煙草葉は燐寸の火をもらってゆっくりと赤熱した。
「すぅーーっ」
香霖堂という名のこの店の主人、森近霖之助は火の点ったパイプをゆっくりと吸い込んだ。甘みとコクのある煙が口の中に入ってくる。同時に空気中から勢い良く流れ込んでくる酸素によって、火皿の中の煙草は今まで以上に赤く熱くなり煙を生み出す。今度は息を吸い、葉を燻らせながらタンパーで表面を均す。火種は詰め込まれた葉の中心に潜り込む様にして息を潜めることになり、上手くすれば数分おいてからでさえパイプを吸うだけで再度加熱することになる。
外の人間は面白い。例えばこの煙草葉一つとっても調べると面白い事がわかってくる。
過去に調べた事があるのだ。パイプや葉について記された本ではパイプ煙草の中でも特にラタキア入りとして分類されるものである。ではラタキアとは何か? 別の書籍を持ってきて調べた。葉を乾燥させる工程においてラクダの糞を焼いた煙で燻製にしたものを言うらしい。
なんでも収穫した煙草葉と一緒にラクダの糞を置いておいたところ火事になり、その煙の匂いが染み付いてしまったということだ。その煙草農家は残念だが捨てなければ、と思っていたのだがとりあえずその葉を一回吸ってみた。
そしたら独特の味と香りがすごく美味しかったそうだ。
幾つもの奇跡が重なったのだろうが、いくら草食動物の糞を乾燥させたものが燃料になるとはいえそもそもラクダの糞と煙草葉を一緒にはしないだろうとか、そいつを吸ってみようとは思わないだろうとか、ついつい古今東西の煙草を載せているその書物に対して突っ込みを入れてしまった記憶がある。
「ふぅーーっ」
長くゆっくりと煙を含んだ息を吐き出した。飛鳥という名の煙草葉が作り出した甘い香りが店の中に広がり、口からだけでなく鼻からも自分の吐息に混じって室内を滞留している煙の香りが感じ取れる。
近代のラタキアは伝統的な製法ではなく、普通に木をいぶした煙で燻製にしているそうだ。
葉っぱそれ自体も独特な香りがする。正露丸の匂いと書いてあったが、そもそも正露丸というものを知らない。薬らしいので竹林の薬剤師ならば知っているだろうか。
彼はパイプを机の上のパイプレストに置き、同時に読みかけていた一冊の本を手に取った。
ロッキングチェアーに背中を預けながら栞を挟んでいた項を開き、ゆっくりと文字を目でなぞってゆく。
以前速読について教授する書籍を読みそのコツと技能を身に付けたこともあったが、それは情報を入手するための効率を追及した特技と割り切っているため、今のように静かに本に刻まれた物語の世界に浸りたいと考えているときには使用しない。どことなくそれは読書という行為の興を削ぐものに感じられたからだ。
そもそも彼は生き急いでいないし、ゆったりとしたこの時間を味わう術というものを知っている。
(…………)
何も問題は無い。静かで穏かな一日だったし、いつものように店仕舞い後の一服は旨く本の内容も面白い。
だが何故だか内容があまり頭に入ってこず、淡々と文字を目で追っているだけで別の事に意識が向いているかのようだ。それでいて自分は何をしたがっているのか、何を求めているかは自分自身では良くわからない。
パタン
彼は僅かに数ページ読んだだけで本に栞を挟んで机に戻した。眼鏡を額にずらし上げ、眉間を左手の人差し指と親指で揉み解す。
左手は眼鏡を元の位置に戻しつつ、右手はパイプに手を伸ばす。口に咥えてゆっくりと息を吸うと、火種が息を吹き返したようにチリチリと音を立てた。
煙は温度が下がっていればいるほど旨い。火を消さずそれでいて煙の温度を低く保ったまま吸い続けるのは、経験によってのみ完成される技術だ。
「ふぅーーーーーっ」
煙に紛れて溜息も混じっていたのではないか。そう思わせるほど長く、煙が入っていないはずの肺の空気も吐き出した。
彼は静寂と孤独を愛していたが、彼の下に訪れる知り合いは知の探求という孤独な生き方を共有できるが静寂とは無縁の少女と、茶を飲み交わしながら落ち着いた静粛なひと時を共有できるが異種族の友人に恵まれ孤独な生き方とは無縁の少女である。
そのどちらが来店しても商売にはならず、彼女達は自分の生き方というものに積極的にせよ消極的にせよ干渉してくる。それは本来彼の望むところではないのだが、彼は彼女達に対して拒絶という回答はしなかった。
「すぅーーっ……ふぅーーーっ」
背中を預けながら軽くロッキングチェアーに揺られ、天井を仰ぎ見るような姿勢でパイプを吸う。
時間をおかず、立て続けに吸い込んだせいか煙は熱く辛く口内に広がる。
自分が何に悩んでいるかさえ判らないような鬱屈とした気分のときは、このような美味しくも無い煙を吸い込むことでソフトに自分を苛めてみる。何の解決策にもならないが、気晴らしにはなるかもしれない。
彼女達が来店している間は間違いなく自分自身というものを乱されているはずなのだが、彼女達が帰宅した後で気分が悪いかと問われればそのような事は無い。寧ろ軽い運動後のような心地よい疲労感さえあるといっても良い。それは彼女達を相手にする事がそれだけ疲れたという事でもあるのだろうが、この感覚もまた自分自身を構成している一要素には違いないのだ。
自分にとって偶の彼女達の来訪こそが変わらぬ生活におけるスパイスであり、彼女達もまた偶に訪れるこの場所でのひと時、お茶や読書を日常の合間に挟むことをささやかな喜びとしていると信じている。
ドーーーーーーン
遠雷の様に遥かに木霊する砲声は、その方角からあるいは知り合いの1人が何らかの実験に失敗したことを意味しているのかもしれない。
「……やれやれ」
自分の予想が正しいとするならば、この夕暮れ時に自宅を全半壊させた少女が我が家を宿代わりに訪ねてくることも考えられる。
ゆっくりとした時間が終わりを告げた。これから来る可能性が予想できる以上は、それに対して先手を打っておかなくては。
霖之助は半分ほどしか吸っていないパイプの葉をタンパーの反対側のスプーンで掬い出し、纏めて灰皿に捨てた。
「ん」
どう見てもローティーンかそれよりも下にしか見えない少女はその容姿に見合わないことこの上ないサイズの葉巻を右手で持ち、それを口に近づけながら傍らにつき従う従者に短い撥音と小さな仕草で自らの欲するところを伝えた。
当の従者もそれの意味するところを早々に理解し、当主の口先に美しい装飾のあるライターを近づけた。
カチンッ シュボッ
外見からして高価なそれはこれまた優雅な音を立てて覆いが開き、返す指で火を点す。揺ら揺らと油を吸い上げながらオレンジ色の炎が立ち上がり、その先が葉巻の先端と触れ合った。
タバカレラ コロナ スマトラ
長さ:140mm 直径16.5mm
少女の手のひらよりも長く、指よりも太い。ゾーリンゲン製のギロチンカッターで切り落とされた吸い口を口に咥えて息を吸い込む。葉巻の先がチリチリと焦がされ、丸められた葉の隙間を伝って煙が少女の喉を蹂躙する。
「うげっ、げほっ! ごほ、ごほっ……」
「大丈夫ですかお嬢様?」
「急激に吸い込むからよ、レミィ」
呼吸をするように肺まで煙を落とし込んでしまったのだろう。口内から胸にかけて焼け付くような熱さと不快な辛味が滞留した。
「ふ、ふんっ。こんなもの実際に吸わずともこうやって………。どうだ、指の間に挟んで持っているだけで決まるものだ。ただのアクセサリー如きに健康を害されるなど阿呆のすることだわ」
(アホだわ、私の目の前にアホが居るわ)
(必死にカリスマを保とうとするお嬢様可愛いですわ………ハァハァ)
「それよりパチェはコレについて調べてくれたんじゃなかったの?」
「ええ。美味しい葉巻の吸い方は、まず先端を良く火で炙って葉を燻らせるそうよ。炎が不純物でオイル臭くなるオイルライターはもっての外、ほとんど水と二酸化炭素しか出ないガスライターか専用の燐寸で火を付けるの。それと葉巻は香りを楽しむものだから煙は肺には落とさないわ、口の中で味わって吐き出す、そういうものね」
「何一つ出来ていませんでしたね」
「ちなみに葉巻の値段は通常500円から2000円と言われているわ、ところがこれは一本260円と大変リーズナブル。と言って品質や味が悪いわけではない良い葉巻だそうだけれど、吸いもしないのに格好だけつけるならもっと高い銘柄、モンテ・クリストとかダビドフとかを持った方がよさそうね………。でもこれは吸ったこと無いからレビュー出来ないとか」
「パチュリー様、何のお話ですか? そもそもお嬢様もレビュー出来ていません」
「大人の事情ね」
「またこういう扱いだよ\(^o^)/」
アルミニウムの小さな円筒状のケース、その先端には小さな穴が開いていた。
トン、トン
逆さまにして先端で机を軽くノックする。
キュイ キュイ
円筒の側面に付いていた出っ張りを90°回す。逆さまだったケースを上下元に戻し、出っ張りをさらに90°回した。
そのままの状態でその小さなケースを自分の鼻の下までもってゆく。
スンッ
ケースをあてがった方と反対側の鼻の穴を指で塞ぎ、一気に鼻を吸い込む。
茶色い粉末が鼻腔内に吸い上げられ、鼻腔粘膜に絡め取られるようにして張り付く。その成分は粘膜から直接吸収され、脳に働きかけて一時的なリラックスや空腹感の緩和など複数の効果をもたらしてくれるだろう。
「何をなさっているのですか幽々子様?」
「あら、妖夢。これは嗅ぎタバコと言ってね、鼻から吸い込む粉の煙草なのよ。あらあら、そういえば妖夢は煙草は知っているかしら?」
「お爺様が煙管という物で煙を吸い込んでいたように記憶しているのですが、それとは随分と違うようですね」
「これは中世の貴族階級の女性が好んだ喫煙方法なのよ。うぃるそん ばにら、とか言ったかしら? 紫に頼んで取り寄せてもらったの」
「はぁ、紫様に。でも何故そのようなものを?」
「う〜ん、なんとなく、かしら。暇だったからマヨヒガに色々と流れ着いたものを見せてもらっていたのだけれど、その中で面白そうで気に入ったのがこの入れ物というわけ。使い方を教えてもらって、中に入れる煙草を紫に頼んだわ。甘い香りでわりと気に入ってしまったわ」
そう言って幽々子は鼻を摘んで揉み解した。
「煙草は体に良くないって伺っているのですが、大丈夫なのですか?」
「幽霊の私にはそんなの関係ないと思うのだけれど、そうねぇ、難点があるとしたら鼻くそが汚くなることかしら? 鼻をかむと茶色い粉が鼻紙にびっしり………」
「貴族のお嬢様は鼻くそなんて言葉は使いませんよ、まったく幽々子様はいまひとつ貴族然としな……」
ズビーーッ
「っ!! 見せなくていいです! 見せないで下さい!!!」
今日も一人永遠亭に病人を案内した。
あそこに居る医者はいけ好かない奴だし、そもそも私がこんな生を送っている原因を作った奴だ。
赤目の兎は私に会うたびにビクビクおどおどして、いかにも“私は貴女の事が苦手なんです”っていう雰囲気を全く隠せていない。
白兎は竹林中に罠を張り巡らせて遊んでいるし、迷い込んだ人間に嘘の案内をするもんだから私が送り届ける手間になる。
なによりその連中の上で踏ん反り返っている姫、こいつが一番問題だ。殺したくて殺したくてたまらないのに絶対に殺せない相手ときている。
家路に着きながらモヤモヤと色々な記憶や考えが頭の中に去来する。
医者はいけ好かないが医術の腕は立つし、私が患者を連れて行けば必ず礼を返すマメな奴だ。自分が護衛するべき姫と私が殺し合っているのは別に良いらしく、一度など“輝夜と遊んでくれて有難う。貴方と一日中戯れて帰ってきた後は機嫌が良いのよ”などと言ってきた。まったくむずがゆい。
赤目の兎は永遠亭では看護師の様に患者を介抱し、また人里に出てきては調合した薬剤を売り歩いていた。人間からの評判は上々、何事にも一生懸命に取り組んでいるように見えるから。何時だったか白兎の仕掛けた罠に嵌っていたのを助け上げようとした時にあいつは私にこう言った、“ありがとうございます、でもいいんです。そのうちてゐが得意顔で私を引っ張り上げに姿を見せますから、それまで待っています”と。
白兎は平気で嘘を吐き悪戯もするが1つだけ筋の通ったところがある。それは同族のウサギ達を守るということだ、妖怪兎や竹林のウサギを守護する責任を自らに課している。だから永遠亭が竹林に居を構えたときに取り入ったのだろう、自分自身の保身でなく仲間の為に実力のある者の傘下に入るというのは恥ずべき事じゃない。からかった人間にも自身の能力で僅かながら幸運を与えている。食肉として狩猟するくらいはあるだろうが、他の勢力がウサギ達を滅ぼしにかかったり家畜化しようと考えないのはあいつの地道な行為の賜物かもしれない。
輝夜は、えっと………。あいつに良い所なんかあるもんか!
そりゃああいつとは何度も殺し合っているし、私もあいつも最近は遊び感覚って言うか暇つぶしって感じで殺り合ってるけれど………。そういえばあいつ、私が本当に嫌な事は絶対にしないな………。昔の話を蒸し返して挑発したり、永遠亭にいる人間を人質にとったり、慧音に手を出して脅迫してきたりとかは今までしてこなかった。たぶんこれからもそんなことは無いって思う。
いや、違うぞ! 断じてあいつの事を信頼しているとかそういうんじゃない!! 私だって同じだ、永遠亭で働く兎に危害を加えようとかしたことないし、ある事ない事永遠亭の陰口なんか吐いたりとか………そんな陰険な事してない! しない!
そうだこれは交戦協定だ! ハーグだ、ジュネーブだ! 暗黙のうちに御互い節度を守って殺しあう事になっているだけだ!!
誰に言い訳しているんだ、私?
自宅に着いた。慧音と同棲しているがこの時間は彼女は寺子屋だろうから中には誰もいない。また誰かが道を尋ねに来ない限りは静かで孤独な私だけの時間。
まったくままならないものだ。
もっと連中を心底、未来永劫永久不変に憎み怨み続ける事が出来たなら私のこの永い生はもっと愉快なものになっていたのかも知れないのに。
もっと連中が私の憎悪をかきたて続けて止まないような、殺される事でしか救ってやれないような者達だったら私は喜んで殺し続けてやるというのに。
戸を開けて中に入る。小さな小屋に場違いな印象の大きな机と椅子があった、椅子に腰掛けて机に突っ伏す。
頭の中でこんな問答を幾度したのだろうか? こんな時は一服するに限る。
慧音がくれた学習机、慧音は私の年齢と溜め込んできた知恵を知っているはずなのに時々私を年相応の少女として扱うきらいがある。私はちょっとした反抗心の心算でこの机の一番上の引き出しに煙草を入れていた。
そんなささやかな行為もある意味で外見の年齢らしさと言われてしまうかもしれない。こうなったらこっちも意地だ、グレてやる。
引き出しから取り出したのは筆箱にも見えるくらいの大きさのポーチ、ローラーという道具、巻紙、そしてライター。
ポーチを開けると中には乾燥した葉っぱが糸のように細く切られて入っている。指で摘んで取り出しローラーのスキマに詰めて込んでいく。ちょっときついくらい詰め込んだらローラーを閉じてクルクルと回す。ローラーの二つの回転軸の間に挟まれた葉っぱ達はくるりくるりと回りながらその形を細長い円柱形に整えてゆく。巻紙の接着剤が塗ってある部分を上にし、下からローラーに噛ませた。再度くるくる回すと紙はゆっくりと飲み込まれていき、煙草葉を綺麗に包み込んだ。最後の部分を僅かに残し、その乾いた接着剤の面をチロリと出した舌で舐め上げる。仕上げに再度巻き上げ巻紙が全部収まった後も何周か回して形を整えた。
綺麗な紙巻煙草が出来上がった。
慧音は良い奴だ。人里で子供たちに教養を授けて豊かな人生を歩ませたいと願い、そのために尽力している。私のような解かれる事の無い呪いをその身に宿した化け物と共に生きると言ってくれる奴なんて………。
慧音は自分の半人半獣というありようを悩み、人を救うことで自分自身を救おうとしているのかもしれない。自身が存在する理由を欲しがっている。私みたいにそんなものはとっくの昔にどこかにいっていても存在し続けているのとは違う。あいつには誰かの役に立ち続けているという事実が必要なんだ。だったら幾らでも私を利用すれば良い、それで悩みから解放されるというのなら。私だって慧音の役に立つのが心地良いから。だけど―――――
出来上がった紙巻タバコを口に咥えてライターを手に取る。綺麗な直方体の上に小さな帽子を被ったように着火装置と火口に被さるフタがちょこんと乗っかっている。
シュボッ
親指のワン・アクションだけで火口を覆うフタが開き、同時にフリント(火打石)が擦られた火花で炎が点る。タバコに火を点けてフタを閉じた。
だけど月に一回とは言え性的に開放しすぎるのはどうにかならないのか? っつつつ。三日たってもまだ尻が痛い。
………やはりままならないものだ。
フィルターを使わずに作られた両切りのタバコ。
葉の銘柄はマニトウ、直に流れ込む煙からは本物のタバコの味がする。
外界からの漂流物を扱う店の主人が調べてくれた。マニトウと言うのは精霊の事だと、煙草という文化を生み出した民族が信奉していた精霊。彼らは森羅万象に精霊が宿ると考えていて、それは人や物、そして炎や風などの自然現象全て。
機械のように唯恒常的にあり続けるだけの私。私自身が信じられるのは私には私という魂が、霊魂が存在しているという事だけ。其れを信じられなくなってしまう時が私の終焉なのかもしれない。
私は信じる。私自身にも、私が纏う炎にも、私の愛する人たちにも、この世界にも等しく存在する其れを其れ足らしめる魂を、存在理由を。
私だって誰かの役にたっている、私だって誰かに迷惑をかけている、私が生きている事にはきっと意味がある筈だから。
だから今は色々と考えながらゆっくり煙草を吸うのを許して欲しい。きっとこの葉っぱたちや煙にだって精霊は居るだろうから。こうしていると、作るところから1本の煙草を吸いきるところまで二十分程の時間が、自分を振り返って存在を固めなおす思索の時間が得られるような気がするから。
1本のタバコと熱い風呂があればそれだけで人生は生きるに値する。誰かが言った言葉らしいが私の生もそう悲観したものではないのかもしれない。
こうしていると私の周りにいるあいつらの言葉を思い出す。
『煙草の煙は有害物質の総合商社、百害あって一利なし。イライラを押さえる効果があるなどといわれているけれど、依存症になれば禁断症状として注意が散漫してイライラするという全くの本末転倒。好き好んで吸うとしたら馬鹿以外にありえないし、私は煙草で健康を害した患者は絶対に診ない。私は自ら助くる者を助く、自殺したいのならさせてやるというのが私のスタンスだから。だからさっさと早急に速やかなる禁煙を進めるわ』
『煙草は体に悪いですよ、それに歯は汚くなるし息も臭くなるし何が良いんですか? それこそ煙草なんてこの地上の穢れが集約したようなものですよ、私たちの月では絶対に考えられない話です、葉っぱを燃した煙を吸い込んで喜ぶなんて。これだからアニミズム信仰の未開の先住民族は駄目なんです、八百万の神々を精霊なんて言う下等な存在に貶めないで下さい』
『私みたいに長生きしたかったらそんなものはやらないに限るよ。人も妖怪も健康が一番! 生きるって言うのは惰性なの、楽しそうな事や面白そうなものを眺めるためにブレーキを踏んで減速するより、もっとずっと遠くまで走っていった方が楽しい事や面白い事に出会う可能性は高いさ♪』
『あらあら、別に貴女が喫煙を嗜好とする事を否定したりはしないけれど、もう少し優雅な嗜み方というものがあるのではない? バラバラの葉っぱを紙で巻き固めただけなんて無粋もいいところよ、アルコールを取るだけの安酒と一緒でいかにも労働者階級の唯一の娯楽って言う感じがしてならないわ。なんなら私から高価な煙管の一本でも差し上げましょうか? 永琳が嫌いだから私は全然使ったこと無いけれど、煌びやかな置物としてうちに寄贈された一品よ』
『妹紅、これは私が独自に調査した事実だがな、男性の喫煙者は勃起不全になるケースが増加するそうだ。女性がどうなるかわからないが性欲が減退したら困るだろう? それに妹紅が私の子を孕んだときには喫煙がその子にどんな害悪を及ぼすか分かったもんじゃない。そうだ、妹紅も子をその身に宿せばその子が人生の指針になるだろうし自分と子供の健康にも気を使うようになるだろう。では早速仕込もうか、なに、痛いのは最初だけ、大人のHR(ホームルーム活動、あるいは孕ませのスラング。この場合両方とも正しい)の時間だムフフフフ』
「……………ほっとけよ」
隔離された狭い喫煙スペースで彼女達と一緒にゆっくり静かに煙草を吸いたい。
会話とか無くてもいいですから。
マジックフレークス
作品情報
作品集:
18
投稿日時:
2010/07/17 13:14:27
更新日時:
2010/07/17 22:14:27
分類
小町
香霖
レミリア
幽々子
妹紅
喫煙
そこまで叩かなくてもいいと思うのですが。
喫煙は文章で読むためにあるんじゃないかと思う
まあそうだな
だいたい、煙草なんて体に害だし金の無駄だよ
麻薬みたいなもんだ
妖夢を弄る為なら対面を捨てるお嬢様がステキ。
愛煙家は一部の(或いは大多数の?)マナーの悪さが知れ渡ってしまったせいで、
残りの面々が肩身の狭い思いをしていると言う点で、他の嗜好の反面教師になっていると思います。
昔(それこそ団塊世代より前)では、自宅か喫茶店で嗜む物だったとか。
せめて幻想郷では、喫煙のマナーは守られているといいですね。
数百年も吸い続けてる彼女等の肺はどうなっちゃってるんだろう
産廃らしく目視で確認する必要があるな
それだっ!!!
自分は煙草は吸わないのでよく分かりませんが、こういうキャラクターの何気ない行動を深く書き込めるのは凄いと思います。
あと、妹紅が可愛いw
あれ一発で火つけるの大変なんだよな
あと、某アニメの影響で片手でマッチつける練習したことあるが、指火傷した
店やなんかで服や頭に付いた煙草の匂いはどうも苦くて苦手ですがw
何でしょうかね、自分が吸っても居ないのに言うのも何だか妙ですが、禁煙ブームはちょっと寂しいです。
深夜プラス1でハーヴェイの吸うジタヌやレイモンドチャンドラーのハードボイルドに憧れていた人間だからでしょうかね。猛毒なのは判っていても、色んな批判を聞いても、どうも格好良く見えてしまうのです。