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『ちぇんはどこにいるの?』 作者: JJJ
暑くて、とても暑かった。
私は炬燵の中で目を覚ました。喉がからからに渇いている。
暑くてたまらなかった。
ごそごそと体を動かして炬燵布団をめくる。
冷たい風が押し入ってくる。汗ばんだ額に気持ちいい。
ぼんやりとしていた私の頭が動き出してきた。
そして今まで鮮明に存在していたはずの夢の景色が消えていく。
布団から這い出した私にはほとんど思い出せなかった。
藍さまと紫さまがいて、私もいて、何をしていたんだろうか。
お二人の顔しか夢のかけらは残っていない。
楽しい夢だったんだろうか、悲しい夢だったんだろうか。
藍さまといっしょなら、きっと楽しい夢だったんだ。きっとそうだよね。
水汲みに向かう道端で猫の死体を見つけた。
私と同じ黒猫だった。尻尾が少し割れて又になっていた。
がりがりにやせ細っていて、お腹が引き裂かれていた。
こぼれたはらわたには虫が湧いていた。
群がる芋虫たちを払い落としてやる。
地面に広がる黒猫の血のあとに散らばる。
赤黒い地面の上で白いウジがうごめいた。
意味もなくそいつらを踏み潰した。
靴の下からはぐちゃりとも感じない。ただ地面を踏むだけのような空しい感触。
何の抵抗もなくすべて踏み終わった。
はらわたを猫の中に戻りてやり、微笑みかける。
「終わったよ」
猫の目玉にもウジは湧いていた。
黒猫を入れた麻袋を持って私は歩いていた。
マヨイガから離れたどこかに埋めてやるつもりだった。
別に同属だから同情したわけじゃない。
同情なんかしていない。
マヨイガの管理と住み着いた猫の統率。藍さまに命じられた私の役目。
それに従っただけだ。やせた黒猫に同情なんかしていない。
これっぽっちも、心は動いていない。
木々の間に猫の額のような空き地を見つけた。
麻袋を地面に下ろす。べちゃ、といやな音がした。
袋には赤いしみが広がっていた。
薄汚れた袋の白と赤黒い血が混じっている。
色合いから先ほど踏み潰したウジを思い出して、私は身を震わせた。
怯えを振り払うようにスコップを硬く握り締める。
私は穴を掘り出した。
名前も知らない黒猫のために、穴を掘り出した。
穴のそこに麻袋を横たえる。
そばに屈みこんで手を合わせた。目を閉じて祈る。
見ず知らずの黒猫さん、あなたはなぜ死んだのかしら。
何を思って死んだのかしら。あなたを想ってくれる誰かはいたのかしら。
私には何も分からないけど、どうか成仏してちょうだい。
目を開けた。立ち上がり、スコップを持つ。
ざっ、と麻袋に土を軽く放った。
それだけで白は半分隠れてしまった。
ざっ、ざっ、ざっ、とスコップを動かす。
私が死んだら誰が弔ってくれるのだろう。
……やっぱり藍さまかな。
藍さまだったら、私が死んだら悲しんでくれるのかな。泣いてくれるのかな。
それとも、私のような式神ごときが死んだところで藍さまは……。
……意味のないことを考えるのはやめよう。
私は土をかぶせることに集中する。
寒々とした冬の風が私を通り過ぎていく。
いやな考えを捨てるために強く頭を振った。
猫の埋葬くらいで弱気になって。私らしくもない。
底冷えのする風は、心まで冷やしてしまうようだった。
わたしはマヨイガに戻ってきた。
炬燵に入り込んで、何もするでもなしにぼうっとしていた。
無性に藍さまに会いたかった。
同属の死体が私の心を臆病にしていた。
藍さまに会いたい。藍さまとお話したい。いつものように、いつものように……
何をするんだっけ?
息が止まる。あれ? おかしい。いつものように何をするんだ?
止まった息が元に戻らない。金魚のように口をぱくつかせる。
私は、橙。藍さまの式神。藍さまの指示でマヨイガの管理をしている。
これは思い出せる。
前に藍さまが来たのは秋の終わりで、寒くなるから炬燵を出しなさいと言われた。
これも思い出せる。
でも、こんなことしか思い出せない。
藍さまとどんなことをして過ごしたか、一緒に何を食べたか、何も思い出せない。
頭の中にある日記をめくって読んでいるみたいだ。
表面的なことしか書いていないつまらない日記。
藍さまのことが大好きなはずなのに、私の中には思い出がひとつも入っていない。
『わたしは藍さまのことが大好き』
心の日記にはこれしか書いてなかった。
喉が苦しい。止まった息はまだ元に戻らない。
苦しみが限界を迎える。
へそのあたりから何かがせり上がってきた。
私はそれと一緒に息を吐き出した。
「がほぉ! がはっ! うぇえ……」
天板に吐瀉物が広がる。
ひゅうひゅうと喉から音が漏れる。やっと息ができるようになった。
震える手で唇をぬぐう。
口から飛び出たのは胃液ばかりで水っぽかった。
私は心もお腹も空っぽなのか。つまらない言葉が頭を横切る。
袖口で乱暴に口をぬぐった。
藍さまに貰ったはずの大事な服に染みが広がる。
染みを顔に押し当てて、私は声を上げて泣いた。
「藍さま、藍さま、藍さま……」
私を救ってくれるはずの主を呼んでいた。
助けてくれるはずの主人の名を呼んでいた。
空っぽな私に縋れる存在は一人しかいなかった。
「藍さま、藍さま、らんさま……」
心の中にいる主の面影に呼びかけていた。
幻の藍さまが私へ微笑んでくれた。
その目にはウジが沸いていた。
「ひぃっ」
悲鳴が口からこぼれた。
私は目をぎゅっと硬く閉じた。
まぶたの上から強く手のひらを押し当てる。
両目が痛くなるくらいに押し当てる。
それでもウジが纏わりついた目玉はなかなか消えてくれなかった。
目玉は私を見つめる。
ウジの沸いた目で藍さまが見つめる。死んだ黒猫が見つめる。私が見つめる。
虫だらけの死んだ目玉は誰のものなの?
……あの目玉は、私の、橙のものなんじゃないのかな。
ウジの沸いた目で私は心の中を見渡した。
隅っこのほうにゴミ箱があって、紙の束が捨てられていた。
マヨイガに住む野猫の記憶が詰め込まれていた。
……薄々は、分かっていた。
私は藍さまに会ったことなんか無い。一度も無かったんだ。
私の目は藍さまを見たことなんかない。
私の口は藍さまとお話したことなんかない。
私の手は藍さまに触ったことなんかない。
でも、私の心は覚えている。式神が憑いた私の心だけは覚えている。
体に染み付いた思い出だけが消えて、私の心には日記しか残っていない。
藍さま、どうしてこんなことをしたんですか?
どうして私に橙の亡霊を降ろしたのですか?
私は橙なのに、私は橙じゃない。
藍さまを愛しているのに、藍さまを愛しているのは私じゃない。
わけがわからない。頭がどうにかなりそうだ。
「ああぁぁあぁぁぁ……。藍さまぁ。らんさまあぁ」
藍さま、愛しています。大好きです。今すぐにでも会いたい。会いたいです。
心の底から思います。藍さまの胸に飛び込みたい。
藍さまに抱きしめてほしい。藍さまに慰めてほしい。
ほかにも、ほかにも、いつも橙にやっていたように、私にもやってください。
一度箍が外れた私の心は止まらなかった。止められなかった。
居もしない主の姿を求めて両手を振り回した。
藍さま。藍さま。私はこんなにも藍さまを愛しているのに。甘えたいのに。
藍さまが愛しているのは“私”ではなくて私の影にいる“橙”なんですね。
私は熱病に犯されたように不明瞭な言葉を繰り返し呟いていた。
家の中を駆け巡る。物を蹴飛ばしても、ぶつかっても、構わなかった。
藍さま、苦しいです。悶えて悶えて、悶え苦しんでどうしようもないです。
なぜ私は苦しいんですか?
私は藍さまに作られたプログラム上のゴーストでしかないのに。
なぜ私の心は痛いんですか?
心など紙に書かれた数式上の産物でしかないのに。
なぜこんなに苦しいのですか?
炬燵につまずいて転んだ。顔から畳に落ちる。
勢いよく滑り、私の顔は擦り傷まみれになった。
でもどうでもよかった。この体は、私の体ではないのだから。
顔を畳に押し付けたままで私は大声で笑った。
ひとしきり笑って、私は少しだけ落ち着いた。
体を引き起こして部屋中を見渡す。
嵐のあとのように荒れていた。
部屋の隅の転がっている文机を見つけた。
二つ付いていたはずの引き出しは吹き飛んでいた。
反対側の隅に転がっているのを見つけてはめ込む。
文机をもとあった場所に戻した。
荒れ果てた部屋の中に一つだけまともな物がある。
それが少し滑稽だった。
机の前に座る。苦手な正座をやってみた。
そのまま耳についたピアスに手をやる。
藍さまに貰った大切なお守りだ。
力任せにピアスを引きちぎった。
「ああぁっ!」
耳がぼろぼろに裂けたのが分かる。
付け根がずきずきしている。想像した以上に痛かった。
右手に握り締めたそれを文机の上においた。
隣に緑色の帽子も置く。
「藍さま。この二つは、お返しします」
次に服を脱ぐ。先ほどまでの大暴れであちこちが破れていた。
穴が広がらないようにそっと脱いだ。
綺麗にたたんで机の脇に置く。
下着にも手をかける。下ろす手が羞恥心によって止まった。
「ごめんなさい、藍さま。これだけは頂きます」
下着姿でまた文机の前に座った。
服と帽子とピアスに順々に目をやる。
これらは藍さまから貰った大切なもの。
ずっと大事に使ってきた。思い出は無いけど、私の心の橙はそう言っている。
少しの間目を閉じた。そして宝物たちにお別れを告げた。
目を開ける。心の中にもう悔いは残っていなかった。
「藍さま。今までお世話になりました。橙は藍さまの式神になれて本当に幸せでした。
役に立たない、物覚えの悪い式でごめんなさい。
もっと藍さまのお役に立てるような式になりたかったです。
……藍さま。私は覚えていないけど、たぶん死んでしまったんですよね。
藍さま。橙のことは諦めてください。……もう取り返しがつかないんです。
橙に憑いていた式神を剥がしてほかの猫に憑けても、それはもう橙じゃありません。
わ、わ、私みたいな、ふこうな猫、を、ふやすだけです……。
橙の、橙の……、私のことはもう忘れてください!
あたらしい子を、どうか、どうか、可愛がってあげてくださいぃいいぃ……」
私の声はほとんど涙と混じってしまっていた。
それでも私は声を振り絞る。敬愛する主への別れの言葉を続けた。
「私よりも、あ、あたらしい子のほうが、藍、さまを幸せにできます!
藍さまが幸せなら、橙、だって、私だって幸せです!
だから! 忘れて、くだ、さい。橙のこと、わすれて……
うっ、うっ、うわあああぁ! らんさまああぁあぁぁ! らんさまあああぁぁ!
わすれてえぇぇ! わすれてよおぉぉぉ!」
もうこれ以上意味のある言葉を紡ぐことはできなかった。
声を振り絞って泣き喚いた。ひたすら泣き続けた。
何も無い空っぽな私の心を、涙がちょっとだけ埋めてくれたような気がした。
「うっ。ぐすっ、ひっく……」
一生分泣いた気がした。
たくさんの涙が私を洗い流してくれたみたいだ。
これまでに無いほど心がさっぱりしていた。
目を開ける。文机の上にはさっきと同じように帽子とピアスが乗っていた。
手を伸ばしてピアスに頬ずりしたくなった。
伸びる手を必死で止める。ここで頬ずりしたら私の決心がすべて無駄になるような気がしたから。
机から顔を背けて立ち上がる。そのまま部屋の中央まで進む。
部屋の真ん中に立ち、両手を広げた。
呼吸を落ち着けて両手に力をこめる。長く伸びた爪が鋭さをました。
「藍さま、大好きです」
私は両の腕を振るい、自分の体を引き裂いた。
「ちぇーん。ちぇ〜〜〜〜ん〜〜〜〜。どこー?
遊んであげるから出てら……って、あーあ。死んでるじゃないの。
やぁねえ。作って一日も持たなかったわ。
ねえ藍? やっぱり無理なのよ。
猫を橙に似せて作り変えて式神で記憶を植えつけるなんて。
橙のことはすっぱりと諦めなさい。もっと役に立つ子なんていくらでもいるわよ。
今なら私が協力してあげるからさ、ねえ?」
「ですが、ですが紫様。あの子、橙ほど出来た子などいません。
まだ、何かよい手があるはずです。あの子を諦めるなど。
後生です。後生ですからもう一度……」
テキストごとに微妙に式神の設定が違っていて
橙はいったいどういう子なのか私の脳みそじゃよく分かりません
感情を爆発させるような文を書くとその設定に酔ってしまって
はたから見れば意味不明な文章になっていそうで怖い
でも深夜のテンションで押し切ります
JJJ
作品情報
作品集:
18
投稿日時:
2010/07/18 16:23:28
更新日時:
2010/07/19 02:05:01
分類
橙