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『灼熱の大地へ!』 作者: pnp
幻想郷に夏が到来した。ぎらぎらと輝く太陽が、陽光を容赦なく大地へと送りつけてくる。
そんな容赦ない太陽光線と、それに伴って発生する耐え難い熱気から逃れようと、地上の生き物達は必死だ。
木陰、屋内、水中、洞穴――陽の光の無い所ならば如何なる薄暗さや薄汚さも厭わぬと言った風に、各々の避暑地を求めていた。
そんな、楽園から一転して灼熱地獄の縁までやってきている幻想郷に、ある大きな館がある。
紅魔館と言う名で知られていて、そこには、館の名の通り、紅い悪魔と恐れられる吸血鬼、レミリア・スカーレットが住んでいる。
吸血鬼は日光に弱いと言う体質故、紅魔館の窓は年中締め切られ、カーテンも開いていない。
おまけに自身の力を誇示しようと、めいっぱい内部を広く拡げてしまった為、空調設備がほとんど役にたたない。そもそもエアコンなどと言う珍品は、香森堂か妖怪の山くらいにしか置いていない。
故に館内は、締め切られていて熱が籠もる上に、風すら吹き通らず、空調設備すら備えられていないと言う、まさに夏の暑さを心行くまで堪能できてしまう悲惨な状態となってしまっている。
そんな紅魔館の当主であるレミリアは、幻想郷のあらゆる者どもが茹だる暑さにじっと耐えていた。
口のへの字に曲げ、額から頬を伝う汗の滴を無きものとし、まるで石像の様に、じっと。
彼女の従者であるメイド長、十六夜咲夜も、レミリアの傍で彼女と同じようにしていた。
夏服仕様のメイド服は、普段よりも薄手に作られており、色合いも清涼感漂う水色などが使われている。だが、そんな程度ではこの蒸籠の如し館の暑さを避けられる筈がない。
滲み出てくる汗で服はぺったりと地肌にくっ付いている。下着が透けて見えているが、もはやそんな事は気にしていられない。
「お嬢様、そろそろ止めにしませんか? 体に毒ですわ」
ぽつりと咲夜が呟いたが、レミリアは首を横に振った。同時に薄い青色の髪に突いていた汗が数滴、髪を離れて飛び散った。
「駄目よ、咲夜。夏の暑さ如きに屈していては」
「しかしこの暑さは尋常ではありませんよ。それにほら、もう十四時です。今が一番日差しが強い時間帯で……」
「いいから、黙って……」
「お姉様!!」
レミリアの言葉を遮ったのは、彼女の私室の扉が開く音と、妹であるフランドール・スカーレットの金切り声。
『祭』と一文字書かれている団扇で自身を仰ぎながら、フランドールは言葉を続けた。
「この館暑すぎるよ! 何とかして!」
「耐えるのよフランドール。きっと私たちならできるわ」
「どうやって」
「気合いよ。……そう、精神主義は幻想入りを果たしたのよ」
レミリアがどうしてこんなにも、暑さに生身の体を以て対抗しようと意固地になっているのか、フランドールは聊か疑問に思っていた。
だがこの意地も、元々は暑さが原因なのだ。
初めはレミリアも他者と同じように暑い暑いと繰り返していたのだが、段々とこの暑さが憎らしく思えてきたらしかった。
結果、この暑さから逃げるのも癪に思えてしまい、宣戦布告とあらば受けて立とうではないかと、暑さと真正面から戦い始めた。
これが、今のレミリアの心情へ至った経過である。
はっきり言って止めれるものならすぐに止めたかったのだが、やると言ってしまった以上、簡単には引き下がれない。レミリアの威信に関わる問題だ。
……と彼女自身は思っていたが、実際の所、館内の者全員、そんな事は全く気にしておらず、止めてくれるのを心から願っていた。
「分かったらフランドール、地下室へ戻りなさい。人口密度の上昇は体感温度の上昇に繋がってしまうわ」
そう言ってレミリアがフランドールを地下室へ戻そうとした矢先、
「あああああ暑い〜!!」
「いや、ほんとほんと」
「なんだ、この館も別段涼しい訳でもないのですね……」
「がっかりですね」
各々の不満を並べながら、四名の妖怪が突然レミリアの私室へ入って来た。
唐傘お化けの多々良小傘、小鬼の伊吹萃香、鴉天狗の射命丸文、そして白狼天狗の犬走椛の四名である。
何の脈絡もなく入って来た四名に、元からその場にいた誰もが言葉を失った。
しかし、まるでレミリアの私室及び紅魔館を自分のもののように振る舞い始めた四人の傍若無人ぶりに、レミリアは静かに激怒し、ようやく口を開いた。
「何をしているのよ」
「避暑。外暑いもの」
小傘が即答し、他三名も頷く事でそれに応じた。
確かに外は暑いが、だからと言って館に入って好き勝手された上に文句を言われて気分がいい筈がない。
「美鈴は何をしているのよ、美鈴は!! 四人もの侵入を許すなんて!」
「寝てましたよ」
「寝てた!? この炎天下で?」
居眠りが多いのはいつもの事だが、まさかこの暑さの中で眠れるとは。
何かしらの才能のようなものを感じた次の瞬間、主に図書館で過ごしている魔法使い、パチュリー・ノーレッジがレミリアの私室を訪れた。
「ちょっとレミィ、美鈴が門前で倒れてるんだけど。熱中症じゃないかしら」
「ああ、あれ倒れてたんだ。今日はまた堂々と寝てるなって思ってたんだけど」
「そんな事よりお茶か何か貰えませんか?」
「空調設備とか無いんですね、こんなに大きな館なのに」
「この館で涼しい部屋はどこ?」
増大した人口密度と、不満を並べてばかりの鬱陶しい客人、夏の暑さ、足りていない水分――
今のレミリアを取り巻く環境のあらゆる要素が彼女を苛立たせ、遂にそれが爆発した。
机をどんと叩くとレミリアは席を立ち、叫んだ。
「咲夜! 日傘二本と美鈴を持って来なさい! それから小悪魔を玄関前へ呼んで、メイド妖精たちに休暇を与えなさい! 出掛けるわよ!」
「は、はあ。畏まりました」
そう言うと咲夜は命じられた事を遂行しに部屋を出た。
フランドールは嬉しそうに問うた。
「お出掛け? どこへ行くの?」
「決めてない。でも、ここじゃないどこかよ」
さて、困ったのは客人である。せっかく炎天下の中ここを訪れたのに、家主が不在になってはここへいれなくなる。
「ちょっと、私たちはどうすればいいのです」
文が問うと、レミリアは即答した。
「知らないわよ、家に帰るなりここへ残るなり、勝手にしなさい」
「え!? ここに残っていいんですか?」
「好きにしろっ! ああ暑いな、まったくもう! 何が精神主義よ! 何が心頭滅却すれば火もまた涼しよ! やってられないわ!」
戻って来た咲夜が日傘を一本ずつ、レミリアとフランドールに手渡した。
レミリアは日傘を肩に乗せ、咲夜が持ってきた美鈴の襟首を引き摺って部屋を出た。フランドール、咲夜、パチュリーもそれに続いた。
残された小傘、萃香、文、椛は、しばらく静寂に包まれたレミリアの私室で佇んでいたが、暑さに触発されて行動を始めた。
「……と、とりあえず、どうするんです、ここで」
文が誰にともなく呟いてみたが、返事は一つもなかった。
しかし暫くすると、小傘がぽんと手を打ちこう言った。
「この館には地下室があったわね。地下ならここより涼しいんじゃない?」
「それだ! 地下室へ行こう!」
そこにいた誰もがそれに賛成し、地下室目指して駆けだした。
*
紅魔館の地下室は、フランドールの居住の場である。
手に負えない程大暴れしていた頃はここに監禁していたが、落ち着き始めた最近は扉は開けられ、フランドールは館内を歩きまわっている。
地下室には彼女の私物なんかが乱雑に置かれている。
そんな中で四人は、上階とさして変わらぬ気温に包まれ、汗だくでそこへ突っ立っていた。
やけにはしゃいで走ったりなんかしたせいで、体温が上昇し、発汗量が更に増大している。
「あんまり変わらないじゃん……」
「走って損した」
汗まみれの三人は、はぁと大きくため息をついた。
「そもそもこんな大きい館なのに空調設備がないのがおかしいんだよ」
「人さまの住まいにけち付けるのはどうかと思うんですけど」
「でも、考えてもみなよ。これだけ大きい屋敷が涼しければ、沢山の人がここを訪れて避暑できるじゃないか」
萃香がそう言うと、皆が頷いた。
「じゃあどうにかしてここを涼しくすればいいんじゃないですか」
「どうやって?」
「例えば……雪女の力を借りるとか?」
文のこの一言に、一同は目を見開いた。
雪女とは、冬にだけ活動している妖怪、レティ・ホワイトロックの事を言う。今はどことも分からぬ極寒の地で眠っている事だろう。
とても短絡的な提案だったが、暑さの影響で思考力や集中力の低下している四人は、この尤もらしい意見に賛同した。
「そうか、その手があったじゃないか!」
「でも、どうやって雪女をここへ連れてくるんです」
「そこは私に任せろ!」
そう言った萃香が、小さな自分の分身を大量に発生させて猛然と地下室を出て行った。
暫くすると、萃香が何かを担いで地下室へ戻って来た。
担いでいたのは、雪女のレティ・ホワイトロック。
小さな萃香に捜索させて、遂に極寒の地で眠っていた彼女を見つけて、そのままここへ持ってきたらしい。
どこにいるのかほとんど知られていない雪女を見つけるなど、これはまさに火事場の馬鹿力と言った所だろう。
担がれて尚眠っていたレティだったが、夏の暑さに身を焼かれ、次第に眠りながらも異変を感じ始め、遂に眼を覚ました。
目を開けてみると、四人の妖怪が自分を覗きこんでいる。
その先には見慣れぬ天井があり、背には感じ慣れない床の感触があり、おまけにやけに暑い。
「ここは、何かしら」
レティが問うと、萃香が即座に口を開いた。
「目覚めたな雪女! さあ寒気を操るんだ!」
「あ、暑い! ちょっと、本当に何なの、ここは!」
「ここは紅魔館。季節は夏。だからあんたを召喚して涼もうって寸法さ。さあおとなしく気温を落とすんだ」
かなり簡素な説明ではあるが、実際の所それが全てだった。
あまりに身勝手な理由で住み慣れた大地から引き離されたレティは憤慨した。
「何が気温を落とせよ、そもそも私の能力は寒気を操る能力。こんな気温じゃ寒気なんて……」
言うや否や、萃香は再び能力を用いて、幻想郷の奥地にある寒気を萃めてきた。
そしてそれを見せつけ、再び言った。
「さあ、気温を」
あまりに厚かましい態度にレティは言葉を失った。
意地でも気温など落としてやるものかと思ったが、夏の暑さが段々とその気を失せさせてくる。
雪女である彼女は、そもそも冬の気温でなければ生きていけないから、冬以外の季節は寒地に逃げ込み、眠っているのだ。
さすれば当然、夏の気温は彼女にとって毒――いや、毒などと言う言葉では済まされない程、危険なものだ。
実際、早速レティは暑さにやられ、段々と気分が悪くなってきていた。
ならば萃香が萃めてきた寒気を操り、この館内の気温を落とした方が、自分の身も安全ではなかろうか――
このまま黙っていれば、最も早く死ぬのは自分だと感じたレティは、渋々寒気を操り、気温を落とし始めた。
徐々に涼しくなって行く地下室に、一同は狂喜した。
「やった! 涼しい!」
「ああ、快適ですねー」
気温に敏感なレティが推測するに、二十三度くらいになった頃、萃香が叫んだ。
「ストップストップ! もういいよ、こんくらいで」
またもレティは困り果てた。二十三度など、レティからすればまだまだ高温だ。
確かに先ほどまでの気温よりは遥かにマシだが、それでも過ごし辛い気温である。
しかし鬼の萃香に言われては対抗する事もできず、レティは交渉する気も失せてしまった。
「人が少ない場所の方が、少しは涼しいかしら」
そう言ってレティは一人、地下室をそっと出て行った。寒気が漏れると何か言われそうだったから、丁寧に扉も閉めた。
*
さて、紅魔館を飛びだしたレミリア一行は、博麗神社に辿り着いていた。
あの、いつ何時でも静寂が支配する閑静な神社ならば、心身ともに落ち着けるだろうと言うレミリアの意見に、誰も反対しなかったからだ。
実際、妖怪をも茹だらせる炎天下の中、博麗神社に赴く様なもの好きは少ないようで、いつも通り、生物の少ない寂しい神社だった。
しかしレミリアの読みはある程度当たった。博麗神社の周囲は自然が多いので、少なくとも紅魔館なんかよりは涼しい場所だった。
神社には先客があった。魔法使いの霧雨魔理沙と、スキマ妖怪の八雲紫である。いつも通りの面々だった。
レミリア一行に誰より早く気付いたのは魔理沙だった。
「お、参拝客だぜ、霊夢」
「えっ!?」
魔理沙の一言に、水を張った盥に足を入れて胡瓜を齧っていた霊夢がパッとそちらに顔をやったが、客人を確認するや否やがっくりと肩を落とした。
「うるさいのが増えた……」
そんな彼女の心境を余所に、レミリア達もここで暫く留まる事になった。
魔理沙とパチュリーは本を読み、小悪魔はその傍に座り、扇子で二人をを煽っている。フランドールは熱中症から立ち直り始めた美鈴と弾幕ごっこを始めた。
日傘を差している為、それが多少のハンデとなっているが、熱中症上がりの美鈴はふらふらである。
残った面々は一か所に固まって、取り留めの無い談笑をしていた。
そんな最中、フランドールがふとあっと声を上げて制止した。助かったと美鈴は、逃げるように日陰へ飛び込んで水を飲んだ。
「どうしたのですか?」
咲夜が問うと、フランドールは紅魔館の方を向いて呟いた。
「部屋の扉の鍵を閉め忘れてた」
部屋、と言うのは彼女の私室――即ち地下室の事を言う。
まさか吸血鬼の住まう紅魔館に泥棒など入らないだろう。
おまけに、幻想郷内で紅魔館の地下室には気の触れた悪魔の妹がいると言う噂を知らぬ者など、今やいない。故に地下室へ入り込むような愚か者などいる筈がない。
しかし、紅魔館に残った四人の妖怪の事もあるし、フランドールは部屋を荒されやしないかと不安になっていた。
「ちょっと戻って、鍵を掛けてくるね」
「まさか泥棒があの館に入るとは思えません。私だって館の鍵を閉めていないですけど、大丈夫ですよ」
咲夜は言ったが、フランドールは戻ると言う意見を変えない。仕方なく咲夜は鍵の束をフランドールに手渡した。
鍵だけを持ってきたのは、あの四人の妖怪の悪用を恐れたからである。
鍵を受け取ったフランドールが紅魔館へ戻ろうとしたが、突然紫がそれを呼び止めた。
「お待ちなさい。鍵があるなら、私が代わりにやってあげるわ」
言われてフランドールは紫に鍵を手渡した。
そして紫は、空間に亀裂を入れ、そこに手を突っ込んだ。
「あったあった、これね」
不思議な亀裂の向こうから、がちゃんと音が聞こえてきた。無事、地下室の鍵は閉められたのだ。
四人の妖怪を閉じ込めたまま。
鍵のかかる瞬間を、四人の内、気付いている者はいなかった。皆、作り出した快適な空間に大喜びしていたからだ。
鍵を掛けた頃、レティは紅魔館の一階にいた。
涼しい場所など、結局見つからなかった。
仕方が無いからこの二十三度と言う室温の中で眠ろうかと思ったが、眠ってしまっては能力を出しきれず、気温が上がってしまうかもしれない。
さすがに二十五度などに到達したら、眠れるような室温ではない。微々たるものに感じるが、雪女のレティにとっては、これは重大な事なのである。
こうなってくると、やはりあの身勝手な四人に対する怒りが強まってきた。
そもそも、あの四人が自分を使って気温を落として快適に過ごそうなどと思わなければ、こんな苦しみを味わわなくて済んでいるのだから。
「どうして私ばっかりこんなに我慢しているのよ。私があいつらに尽くす義理なんて無いじゃない」
そう思ったレティは、ここを脱出する方法を考え、それを実行した。
それは、この館の気温を極限まで落としてやる、というものである。
自身がよく眠っている場所とさして変わらぬ温度まで寒気を操ってやれば、さすがの四人も音を上げるだろうと言う寸法だ。
そして、止めて欲しければ自分を元いた場所に帰せ、と要求すれば全てが解決する筈だ。
やると決めたからには全力でやってやろうと、レティは持っている力を余す事なく出し切るつもりで、寒気を操り始めた。
*
喜んで地下室ではしゃぎ回っていた四人だったが、次第に薄らと異変を感じだした。
「ね、ねえ、なんか寒くない?」
こう言ったのは小傘。そこにいた全員が顔を見合わせた。
彼女の言う通りだった。適温であった筈の地下室に、突如として並みならぬ冷気が漂い始めたのである。時の流れと共にそれは段々と、そして確実に勢力を増している。
暫くすると吐く息は白く染まり、汗を含んだ衣類は凍りつき始めた。
随時氷を身に纏い、真冬の幻想郷より寒い場所に立っている――そんな状況へ突き落された四人は、その身を切るような寒さに震えた。
「何なんですか、急に」
「お、おい、雪女! 何のつもりだ!」
激怒した萃香が、いつの間にやら地下室を出て行っていたレティに文句を言おうと、地下室の扉に手をやった。しかし、ノブを回しても扉は開かない。
当然である。紫が不思議な力を使って、博麗神社から遠隔的に施錠したのだから。
萃香がいくら焦燥しても、扉が開かない事に変化は無かった。異変を察知した三人が扉に寄って来たが、何も解決しなかった。
この扉には内鍵は無い。何故ならこの部屋は元々、気の触れたフランドールを隔離する為の部屋なのだ。施錠を内側から開けられるようになっている筈が無い。
鍵が開かぬなら、扉を壊すまでだと、萃香は全力の力を持って、扉を殴り付けた。
しかし、扉には傷一つ付かない。
「な、なんでこんなに頑丈なんだよ!」
厳しい寒さ故に血の巡りが悪い状態ではあれど、どうにかこの寒気から逃げようと、萃香は懸命に扉を壊そうとした。
扉より先に萃香の手が音を上げた。白く小さな手には血が滲み、所々皮が剥けている。鬼からすれば小さな傷だが、寒さの影響も相まって、じくじくと痛んだ。
扉が頑丈なのは、やはりここがフランドールを隔離する為の部屋だから、と言う理由で片付く。
今の彼女らの様に、部屋を破壊して外へ出るのを防ぐ為、特殊な金属や魔法を用いて、尋常でない強度を実現してあるのだ。
扉は愚か、地下室そのものが、出鱈目に強固に作られている。
天人の起こす大地震が何度館を襲おうとも、この地下室は何の影響も受けないだろうし、地底の地獄烏が力の制御を誤り、核爆発が起こしたとしても、地下室にいれば生き延びられる――
そう言っても過言でない、とにかく頑丈な部屋の作りなのである。
扉を殴る轟音に、上階にいるレティは気付かなかった。ようやく快適な温度になったと、喜んで館内の探索を始めていたからだ。
最上階にいるレティは、なかなか自分を探しに来ない四人に、少し驚いていた。
てっきり寒い寒いと喚きながら地下室を飛び出してくると思いきや、何の音沙汰も無いからである。
夏に妖怪がいかに過ごしているかなど、冬以外は姿を現さない彼女が知る筈もない。
暑い中でなら、普通の妖怪もこのくらいの気温を求めるものなのだろうと勝手に自己解決してしまい、地下室に自ら赴く事も無かった。
それならばこの気温を保っても問題ないだろうと思えた。そうなると、わざわざ寒地に戻る必要はない。暫くレティはこの極寒の館で過ごしてみる事にした。
ここの主が戻ってきたら自分も元いた場所に戻ればいいと、楽観的に考えていた。
*
超低温の地下室に閉じ込められた四人は、肩を抱いて縮こまり、震えていた。
夏の猛暑に合わせた薄手の服装な上に、大量の汗を吸っている故に、寒さはより際立つ。
座ったまま小傘が、ぐるりと地下室の全体を見回してみたものの、出入り口は鍵の掛けられた扉一つで、窓など当然無い。出られそうな個所は一つも見つからなかった。
先ほども説明した通り、ここは監禁の為の部屋なのだから、脱出経路などある筈がないのだ。
夏に凍死、と言う常識外れの最後を突き付けられた四人は、なす術も無く、誰かが地下室の扉を開けてくれるのを待つしかなかった。
四人が座り始めて約十分が経過した。まだそれしか経過していないのだが、冷気に晒されている彼女らはもう何十分も経っているように感じていた。
この間、誰も何の言葉も発さず、歯をがちがちと鳴らして震えているだけであった。それ以外、何の音もなかった。当然、何の変化もない。
だが、ある拍子に椛が、横に置いてあった木箱に視線を向けた。するとその中に、ブランケットが二枚、畳んで置いてあるのを確認した。
恐らくこの部屋で使う寝具であろう。季節的にすっかり使われなくなっているようだった。
しめたと椛は、それを引っ張り出した。二枚とも赤いチェックの可愛らしいブランケットだった。
そしてそれを重ね、肩から身体を包むように掛けた。完全に寒さを凌げる訳ではないが、無いより遥かにマシだった。
しかし、気に入らないのは他の三名である。
「あ、白狼天狗! なんであんただけそんなもん使ってんだよ!」
「私だって寒いんだから、一人占めなんてずるい!」
「上司の私を差し置いてなんですかあなたは! 大人しくそれをこちらに渡しなさい!」
だが、椛だって寒いのだから、簡単に食い下がる訳にはいかない。
「私が見つけたんですから私のものです! 勝手に寒がって何もしなかったあなた達が悪いんですよ!」
「何を!? 天狗の癖に生意気だ!」
萃香が激怒し、ずんずんと椛に歩み寄ったかと思うと、力任せにブランケットを奪おうとした。しかし椛も全力を持ってこれに抵抗する。
本来天狗とは、鬼に畏怖の念を抱いているものであるが、生命の危機に陥っているこの極限の状態では、その気も失せてしまうようだ。
二人に引っ張られてピンと張った赤いチェックのブランケットを見て、小傘が声を上げた。
「ちょ、ちょっと、そんな乱暴に扱ったら……」
椛が守り抜いたら上司と言う権限を持って悪くても一枚を譲渡してもらい、萃香が奪い取ったらどんな醜態を晒してでも媚びに媚びて一枚譲ってもらおう――
そんな事ばかり考えていた文が、小傘の一言で現実に戻り、彼女と同じ不安を口にしようと思った頃には、全てが手遅れになっていた。
ビリッと言う嫌な音と共に、張っていたブランケットが真っ二つに裂けた。椛と萃香は逆方向に尻もちをついて、ブランケットの末路を目の当たりにしてあっと叫んだ。
しかしいくら後悔しても、破れたブランケットは戻ってこない。
裂けたブランケットの切れ端を椛に投げつけ、萃香は金切り声を上げた。
「バカ天狗ッ!! どうしてくれるんだよ、貴重な毛布だったのに!」
これに対し、椛も負けじと声を張り上げた。相当頭にきているようで、長年の下っ端生活から身に付いていた筈の敬語が完全に失われている。
「ああっ!? あんたが引っ張って奪おうとするからこんな事になったんだろ!」
「一人で使おうとしてたからだろ! この業突く張り!」
「あんたも同類だろうが、人の事言えるのか!」
椛が背負っていた剣の柄に手を掛けた所で、小傘が仲介してどうにか二人を静めた。
残った一枚のブランケットは、第一発見者として椛が使う事になった。
一度熱くなった場であったが、それが過ぎれば地下室は再び雪女も喜ばせる極寒の部屋でしかなくなった。
いっその事、喧嘩し続けていた方がむしろ暖かいのではと錯覚してしまうような気さえする。
静まり帰った部屋の中、文はまだ何かないかと木箱の底を覗きこんだ。すると箱の底に、小さな長方形の箱が落ちているのを見つけた。
何かと思いそれを拾って開けてみると、中にマッチ棒が3本、入っていた。そして、部屋の奥には暖炉が設置してある。
「みなさん、これ!」
文はそう言い、皆にマッチを見せた。言葉足らずではあったが、彼女の意図を誰もが理解したようで、すぐに暖炉に視線が集中した。
すぐ傍には薪の束もある。これまた夏の訪れでお役無用となった生活用品だろう。
薪を暖炉へ抛り込み、火の無いそれを四人で囲んだ。後は火を付ければ、若干でも寒さを緩和する事ができよう。
尚、発生した煙を逃がす排気口がないものかと暖炉を調べてみたが、それらしいものは見つからなかった。
代わりに、薪を置く箇所の上に複雑な魔法陣が刻まれていた。原理は不明だが、これが排気の役を担っている魔法らしかった。図書館の魔法使いが作ったものだと推測できる。
排気口を設けるとそこからフランドールが脱出する術を見つけてしまう事を恐れたのかもしれない。
文がマッチ棒を一本、指でつまんで取り出した。極寒の中でのこの作業は、思いの外難航した。
ぶるぶると震える悴んだ手で、三本しか入っていないマッチ棒を摘まみ出すのはなかなか難儀なことだった。
どうにか一つを取り出したが、今度はそれを箱の側部にある摩擦面に上手く擦って火を点けねばならない。
意図せず暴れ回る手を静めようと集中するが、そんな簡単にこの寒さによる震えを抑えられる筈がない。
どうにか一回だけ、摩擦面の上にマッチを滑らせたが、発火しない。力が足りないのかと、少し力を込めて再び滑らせた。
するとポキンと気味のいい音がして、頭薬の付いた白い先端がころころと足元を転がった。折れてしまったのだ。
瞬く間に三人が罵声を浴びせる。
「何やってんだよ!」
「三本しかないじゃない!」
「しっかりして下さいよ文さん!」
「そ、そんな事、言われたってぇ……」
ずず、と垂れてくる鼻水を啜り、再び文がマッチ棒を取り出し、火を付けようと尽力し始めた。
悴む手の力量を必死にコントロールし、次こそ火を付けようと思ったのだが、再びポキンと音がして、二本目のマッチも折れてしまった。
ただの極細の木の棒となってしまった、マッチ棒のなれの果てを持って呆然と突っ立っている文を、皆がじろりと睨みつける。
堪え切れなくなって、突然小傘が文の頭を唐傘でぶん殴った。
「痛っ!?」
「マッチで火も付けらんないのあんたは!? この役立たず!」
「じゃっ、じゃあ、あなたがやればいいじゃないッ!!」
そう言って文は、最後の一本のマッチ棒が入った小さな箱を小傘に投げつけた。
不機嫌そうに小傘はその箱を拾い上げて最後のマッチ棒を取り出し、側面の摩擦面にマッチ棒を滑らせた。
――ぽきん。
地下室に小気味よい音が鳴り響いた。
*
レティは地下で何が起きているのかも知らぬまま、紅魔館を物色していた。
広大な館にある様々なものは、年中眠ってばかりの彼女からすればどんな些細なものでも新鮮だった。
ものを盗ろうという気持ちはなく、好奇心ばかりが彼女を動かしている。
暫く歩いていると、レティは台所に到着した。そこで一際目を引いたのが、大きな銀色の箱だった。
レティよりも断然大きく、ぶーんと低い音を絶えず発している。
興味本位でそれを開けると、視界に沢山の食べ物が映った。そして次にひんやりとした空気が漏れだしてきた。
「まあ、冷気を発生させる道具なのね」
彼女が開けた銀色の箱とは、冷蔵庫の事であった。まだ幻想郷にはほとんど浸透しておらず、大変珍しい品物だ。
しかし、まさか冷気を発生させる道具などこの世に実在しているとは思ってい無かったレティは、感慨深げに冷蔵庫を見上げた。
そして次に彼女が思ったのは、この素晴らしい箱の中で眠れはしないだろうか、と言う事だ。
思うや否や、彼女は中にある食べ物を全て取り出した。どうせ館内も寒いのだから、出しておいても食べ物が傷む事はない。
食べ物を全て取り出した冷蔵庫は、レティが入っても十分なスペースがあった。どうやら家庭用の冷蔵庫ではないらしい。
「眠ってる間は能力が出しきれないから、もうちょっと室温を下げておかなくちゃ」
眠る準備にとレティは、更に館内の寒気を操り、温度を下げた。
ほぼ同じ頃、地下室の四人は、折れたマッチ棒の頭薬でどうにか着火した暖炉を囲んで蹲っていた。
文と椛は一枚のブランケットを二人で肩に掛けて寄り添っている。
少しでも片方が自分の方へブランケットを寄せると、もう片方がすぐに引っ張り返す。まるで冬に一緒の布団で眠る姉妹のようだ。
因みに裂けたブランケットの断片はと言うと、鬼と言う恐怖の存在であるにも関わらず、武運に恵まれなくて切れ端を掴まされてしまいものすごく不機嫌な萃香と、
文に蹴られて頬を真っ赤に腫れ上がらせた小傘が、申し訳程度に肩に掛けている。
このブランケットの分配は不公平ではない。ちゃんとジャンケンをして、公平に決めた結果だった。
最初の一手で小傘と萃香は敗北したので、この時点で片方は裂けてしまった一枚の半分、もう片方はそれすら貰えないと言うのが確定していた筈だった。
しかし、ブランケット一枚を賭けた戦い――即ち決勝戦で、敗北して切れ端を得る事になるのを恐れた文が、一枚を二人で使おうと言う提案をし、椛もこれを承諾した。
こうして、勝者二名は一枚を二人で使い、裂けた断片二枚は敗者二人の手元へ渡ったと言う訳である。
はっきり言ってこの寒さでブランケットなど焼け石に水だが、無いよりはましだった。
しかし、萃香は特に体脂肪が人一倍少ないので、特に寒さに弱いらしかった。そこでこんな提案をした。
「おいおい、ちょっと唐傘お化け。ブランケット半分を賭けてジャンケンしないか?」
「何よ、急に」
「こんな切れ端じゃ意味がないだろ。だから双方の切れ端を賭けてジャンケンしようって言ってんだ」
勝てば一枚分のブランケットを手にするが、負ければ何も残らない――
「い、いやだわ」
欲張るとろくな事がないので、小傘は断ったが、萃香は強引に話を進めて行く。
「そう言わずにさぁ。ほら、最初はグー」
「ちょっと!」
「出さんが負けよ……」
「わーわー!」
「ジャンケン……ぽい」
苦し紛れに差し出した小傘の握り拳の前には、萃香の中指と人差し指。即ち、小傘の勝利である。
その様子を遠巻きに眺めていた文と椛も、勝者の小傘も、敗者の萃香も何も言わなかった。
そして暫くの静寂の後、小傘が萃香の肩にかかっているブランケットを引っ張った。
「貰うからね」
萃香の震えが一層激しくなった。それは周囲に漂う寒気だけの影響ではない。
何をやっても上手く行ってくれない、今日という日に対する怒りも含まれている。
そしてその怒りに堪える事ができず、
「あ、あんたは戦意がなかった! だからノーカウント!」
自棄になってこんなことを口走ったものだから、小傘は怒りを通り越して呆れ果ててしまった。
「はあ!? 自分から啖呵切っておいて、負けたらそれ!? 鬼も地に堕ちたもんだ!」
何一つ間違った事を言っていない小傘の一言に、萃香は反論できず、ただ顔を真っ赤に紅潮させて地団太を踏むばかり。
「だ、大体お前は唐傘お化けの分際で……」
苦し紛れに何の脈絡も無い罵詈雑言を吐き出そうとした、その瞬間だった。
どこからともなく発生した冷気が、四人に襲い掛かって来た。上階でレティが寒気を操った影響が地下室にまで表れたのである。
何の前触れも突拍子もない烈寒の追撃に、四人は身を縮めた。
もはやブランケットの切れ端の所有権などどうでもよくなって、小傘は自身の肩に掛かっているブランケットで必死に体を覆った。
そして、レティが地下室の異変に気付くか、レミリアが一秒でも早く帰って来る事を、心から祈った。
*
咲夜が懐中時計を開いてみると、短針は6を指し示していた。時は十八時。猛暑を演出していた太陽も次第に傾き始める頃だ。
だからと言って暑さが完全に抜け切れた訳ではない。猛暑の名残はありありと感じられる。
しかし、傾いた陽が世界をオレンジ色に染めると、日中には無かった視覚的な清涼感が漂ってくるような気がした。
「もうこんな時間なのね」
咲夜が言うと、魔理沙が空を見渡して言った。
「そろそろさようならの時間か?」
「えー? またあの暑い館に帰るの? お姉さまぁ」
「確かに、あんまり帰りたくないわね……」
そう言って困ったような表情と仕草で、レミリアは霊夢の方をちらりと見た。
霊夢と目が合い、お互いに視線を外さない。
レミリアの目と仕草が訴えかける事を、霊夢は自然と察し、口を尖らせた。
「あのねぇ、うちは宿泊施設じゃないの。布団も食べものも、あんたらを泊められる程置いて無いわよ」
「どうにかならないの?」
「どうにもならないの!」
その様子を見ていた紫が、わざとらしくぱちんと指を鳴らした。
「寝具と食べ物なら私に任せなさい」
「紫!?」
「いいじゃない。折角人が集まったのだから、何にも気にせず派手に騒いでも」
霊夢の承諾を待たず、紫は空間の亀裂に手を突っ込み、様々な酒類を取り出し、ごとごとと自身の傍らに置いて行く。
大量の酒を目の前に、霊夢の心も折れてしまったらしい。
「……まあ、これだけ一杯飲めるなら許してやろうじゃない」
「お泊り!?」
フランドールが目を輝かせてレミリアに問うた。レミリアはほほ笑んで頷いた。
「落ち着いて過ごすのよ」
魔理沙は早速酒瓶一つを手に取り、栓を開けた。そして思い出したように言った。
「そうだ、紫。ついでに着替えも頼めないか?」
「任せて頂戴。レミリア、あなた達も必要ね?」
「ええ。お願い」
ここで紫が、紅魔館に手を入れていれば、尋常でない冷気を感じて、そこで起こっている異変に気付いていたであろう。
しかし妖怪とは気まぐれなもので、こういう時に限って、彼女は素直に紅魔館からレミリアらの衣服を取る事をしなかった。
亀裂から取り出した服が見覚えの無いものばかりで、レミリアは顔を顰めた。
「? 誰の服よ、魔理沙の?」
「魔理沙がこんな高そうな服を持ってる訳ないでしょ」
霊夢が横から付け加えると、魔理沙は苦笑いした。
「外の世界から、ちょっとね」
紫が微笑交じりに言った。
「何よ、盗んだの?」
「それはちょっと違うわ、霊夢」
「?」
「死ぬまで借りただけ、よ」
かくして地下室の四人は異常気象を知られる絶好の機会を逃した。
しかもレミリアは今日中、紅魔館へ帰ってこない。レティは冷蔵庫の中でぐっすり眠っている。
そして時は流れ、夜が訪れた。
*
時計の無い地下室で何もせずに過ごす時間は、まるで止まっているかのような感覚に陥ってしまう。
だがあくまでそれは感覚だけであって、確実に時は過ぎて行く。それ故に誰もがおかしい、おかしいと思い始めていた。
時間が分からなくても、感覚とか、腹の空き方とか、そんなものである程度の時間を察する事はできる。
地下室の四人が感じている時間には若干の差異はあるものの、「もう夜であろう」と言うのは共通している見解だった。
それなのに、レミリアが帰ってこないのだ。
レミリアが帰って来さえすれば、この極寒地獄から抜け出せるのに、一向にドアが開かれる事はない。
そもそも、感覚的に夕方だろうと思い始めた辺りから、異変は感じていたのだ。だが、きっと遅くまで遊んでいるだけだと誰もが信じていた。
しかし待てども待てどもレミリアは帰ってこない。現に、この時の時刻は午後十一時だった。
「な、なんで、レミリア帰ってこないんだよ……」
「……ま、まさか、外泊してる、とか?」
外泊――即ち、レミリアは明日まで帰ってこない。
故にここから出られるのは、気まぐれでレミリアが帰ってこない限り、最速でも明日の朝になると言うことだ。
絶望が四人を支配した。
それに負けてしまったのか、椛が文の肩に体を預け始めた。
「も、椛?」
「文さん、ごめんなさい……もう眠いです、私は……」
「椛!? 駄目、寝ちゃ駄目です! 死んでしまいますよ!」
必死に椛の頬を抓ったり、揺さ振ったりして椛の眠気を飛ばそうと尽力する文。
そんな中、妙にだんまりを決め込んで蹲っていた小傘が、突然ずるりと力無く横に倒れてしまった。
「お、おい、小傘! 寝たら死ぬぞ! おい!」
声をかけても小傘は全く反応しない。仕方なく萃香が近づいて、小傘を揺り起そうとした。
しかし、その体に触れた瞬間、ひぃと萃香は声を上げて退いた。文は顔を顰めた。
「どしたんです、萃香さん?」
「死んでる……! 小傘、いつの間にか……」
遂に最初の犠牲者が現れてしまった。
小傘の死は、確実に周囲の者の生きる気力の様なものを削いだ。
集団行動で足並みを揃えない者が一人いると、集団そのものの士気が落ちてしまうように。
眠気とか空腹とか以前に、長時間絶えず強烈な寒気に晒されていた三人の体力は、もはや限界に近付いて来ていた。
死んだものは仕方が無いと、文は小傘の衣服も、裂けたブランケットも奪い取って保温に努めた。
「椛、寝てはいけません、寝ては……」
「……あ」
ふと椛が顔を上げて、こんな声を上げた。
そしてブランケットから抜け出し、ふらふらと歩き出した。あるく先には壁以外何も無い。
「どうしたんです?」
「扉」
「は?」
「扉、扉ですよ文さん」
壁の前に立った椛は、がりがりと壁をひっかき始めた。
文がいくら名前を呼んでも、椛は一心不乱に壁を引っ掻き続ける。爪が捲れて血が噴き出した。赤黒い血が壁に塗りたくられていく。
「扉、扉、扉……!」
「椛!! しっかりしなさい!」
「ひひ、ひひひっ、いっひひひひひ」
あまりにも薄気味悪くなって、文すら救いの手を差し伸べるのを拒んだ。
寒さで気が狂ってしまったのだと二人は思った。
暫く椛はそうやって、ありもしない扉を一心に開けようとしていたが、突然ぱたりと倒れて、それきり動かなくなってしまった。
残った二人はブランケットにくるまり、火の消えてしまった暖炉の前に座っていた。
何も言わず。ただただ、襲い掛かって来る絶望を享受するだけの時間が過ぎて行く。
もうどれほどの時間が立って、今が何時なのか、いつ出られるのか、そんな事がどうでもよくなってきた頃、文が口を開いた。
「萃香さん」
「……」
「無視かよ」
「……」
「おーい」
「……」
「生きてるー?」
「……あー」
低体温症に伴う、無関心、こん睡、錯乱――
彼女らはこの死の予兆すら感じ取れていなかった。
「大スクープだよ。真夏の幻想郷で四人の妖怪が凍死」
「うー」
「これ配って、みんなを驚かせて、ねぇ。あははは」
「んー……」
「あっはははははははは」
「……」
「ははははははは」
「――」
高笑いする文のすぐ傍で、ころんと萃香が横になった。まるで人形のように、体を縮めた体勢を崩さぬまま。
*
博麗神社の真夏の小宴会は、大いに盛り上がっていた。
暑いから冷たい酒はより一層美味く感じるようで、ほとんどの者がべろんべろんに酔っぱらっている。
そうしている内に、酒が切れてしまった。
「紫、お酒お酒」
「はいはい、急かさないで頂戴」
「あら、お酒調達? ならうちの冷蔵庫を探ってみなさい。なかなかいいお酒があった筈よ」
酔っぱらってやけに気がよくなっているレミリアが言った。
ならばお言葉に甘えてと、紫は紅魔館の冷蔵庫内に手を突っ込み、酒を探した。
しかし、なかなか見つからない。何か大きな遮蔽物が邪魔していて、上手く冷蔵庫内を探索できないのだ。
「やけに大きな肉を入れているのね」
「大きい肉? 咲夜、そんなもの入れた?」
「記憶にございませんが」
ほんのりと頬を赤く染めている咲夜が小首を傾げた。
じゃあこれは一体何なのだと、紫はその正体不明の肉塊を引っ張り出してみた。
すると――
「きゃっ!」
亀裂から現れたのは雪女だった。誰もがぎょっとして一歩身じろいだ。
冷たい空間からいきなり暑い場所へと移されてしまった雪女――レティ・ホワイトロックは驚いて周囲を見回した。
「え? あ、あら? なんでこんな場所に?」
「紫、あんたどこからお酒探したのよ」
「あんたの館の冷蔵庫」
「咲夜、こんな奴入れた?」
「記憶にございませんが」
宴会をしていた者は驚きのあまり言葉を失いかけているが、レティはそれどころではない。
「ちょ、ちょっと! こんな所にいたら死んでしまうわ! 元の場所かさっきの場所に帰して」
「なんであなたが私の館の冷蔵庫にいるのよ」
「いろんな理由があったのよ。鬼に無理矢理連れられて、萃めた寒気を操って……」
雪女の説明を聞いたレミリアらは、真っ青になって館へ戻った。
極寒の紅魔館から四つの遺体が見つかったのは、それから間もなくの事であった。
夏到来。暑くなってきましたね。
そんな訳で、清涼剤になればこれ幸いと思って、こんな作品を書いてみました。
雰囲気的には「お嬢様防衛網」に近いものを目指しました。割とコミカルで、幸福の裏側に不幸があって……。
因みにレティさんは私のSSで初登場です。好きなキャラクタなんですけど、あまり出番がありませんでして。
ほぼ全キャラ登場してた「『血に飢えた神様』」でも、レティさんは出番なし……だった筈。
皆さんも暑さと冷房の当たりすぎには気をつけてお過ごしください。
ご観覧ありがとうございました。今後もよろしくお願いします。
+++++++++++++++++++
>>1
避寒の術とかはよく分かりません。ごめんなさい。
>>2
え、小傘ってそんな能力があるんですか。
>>3
涼しくなっていただければ光栄です。暑さで考えが回らなかった……みたいな感じですかね。
>>4
今はそれどころではない。
>>5
うう、確かにそれで逃れられますね……
>>6
あんまり賢くないように書きました。
>>7
ああ、なるほど、そうやって避寒も可能なんですね。便利だな萃香。
>>8
凍死、つらそうですよね。でも雪の山への憧れが尽きない。妖怪だからそのくらいは余裕……ではなさそうですね。
>>9
今回の椛は私も好きです。口の悪い椛かわいい。
>>10
どうぞどうぞ。
>>11
デブネタ意識した訳ではないですよ。てかレティさん太ってないよ。
>>12
いいですよねぇ。過去作品見直してて良さを改めて感じてました。
>>13
なかなかシュールで面白い、と思ったんですけど如何でしたでしょうか。
……あ、四人じゃないや、三人だ。
pnp
http://ameblo.jp/mochimochi-beibei/
- 作品情報
- 作品集:
- 18
- 投稿日時:
- 2010/07/20 04:28:26
- 更新日時:
- 2010/07/28 07:41:41
- 分類
- 紅魔館
- 射命丸文
- 犬走椛
- 伊吹萃香
- 多々良小傘
- 他
- 夏
小傘は、傘が大丈夫なら復活しそう。寒すぎて糊とかボロボロになってるかもしれないけど。
ていうか萃香は自分で冷気なりなんなり集めたらよかったんじゃ…
やさしいゆかりんはいいな
暑さを集めればそれだけ集めた部分から熱が無くなる訳で
それを捨てることで涼しくすると
敗因は地下室でやったことだな
でももっと怖いのは極限状態で皆カリカリしてきて些細な事で争い始める事だと思います。
あと、何気に美鈴が凄い。熱中症からそこまで時間を置かずに復活してそのまま弾幕ごっことは……
発狂する椛かわいいよ!!
小傘ちゃんの死体おくれ
やっぱりギャップあるといいね
文wwwwww