Deprecated : Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/neet/req/util.php on line 270
『産廃百物語『マキャベリにして曰く「目的の為にならばあらゆる手段は正当化される」』』 作者: 穀潰し
昔、男は働き者だった。朝日と共に動き出し、日が沈んでもまだ働き続ける。その勤勉さは周囲から尊敬と寵愛を集めていた。
周囲の人間は男を頼り、誉れだと褒め称えた。男はそれに気をよくし、さらに周囲へと尽くそうと考えた。
そんなある日。
男は病を患った。死ぬほどではない、しかししばらくは床に伏せざるを得ない程度の病気。
途端に周囲の態度が一変した。病をおしてでも働こうとする男を煙たがり、ちょっとした手助けを求める男の手を払いのけた。
病気が移る、移らないの問題ではなかった。ただ厄介ごとを抱え込みたくないだけだった。
それが男に対する周囲の反応。
男は悔し涙を流した。
やがて病気が完治しても、男に対する反応は変わらなかった。
周囲も何処か諦めていたのだろう、あれほどまで酷い仕打ちをしておきながら、掌を返すことなど。
男と周囲には溝が出来たままだった。
『そいつ』はゆっくりと住居へと侵入すると、ぐっすり眠り込んでいる家主の首目掛けて薪割り用の斧を振り下ろす。
ドンッ、と鈍い音と共に切断された首と共に、血飛沫が三尺ほど吹き上がった。
びしゃびしゃと飛び散る鮮血を目にしながらそいつはにたりと唇を歪めた。
「もっといる」
次ぎの日、人里は俄に騒然となった。
何でも日が高く昇っても一向に顔を出さないある一家を気にした近所の住民が、家へと押し入って所、惨殺された一家を発見したというのだ。
部屋の中は血まみれ、至る所にばらばらとなった身体が散らばり、それは凄惨極まる現場だったそうだ。
この一大事に人里の守護者たる上白沢慧音、幻想郷の調停者たる博麗霊夢、そして偶然里を訪れていた東風谷早苗が調査へと乗り出した。
真っ先に疑われたのは妖怪の仕業という線。
だがそれは遺体検分に訪れた八意永琳と慧音に否定された。確かに遺体は酷く損傷していたが、ちゃんと『五体満足』に揃っている、つまり『食べられていない』。
確かに妖怪達が遊び半分で獲物を殺し、そのまま死体を放置することはある。
だがそれは人里外での話。
わざわざ人里の中で衝動的に人殺しをしたからといって、あとあと待ち受けるのは討伐による身の破滅のみ。それが理解できるほど知能を有する妖怪達は人里へと手を出さず、それが理解できない下級妖怪、魑魅魍魎達は里に張り巡らされている結界を突破できない。
妖怪の線が消えたとなると、次ぎに浮かぶのは物取り、強盗の類。しかし凄惨極まる現場にあって、金品貴重品の類は一切紛失していなかった。素人目に見ても高価そうな焼き物や掛け軸、被害者の持っていた銭袋はそのままであり、強いて奪われた物と言えば、被害者の命だけだった。
これで有力な2つの線は消えた。残るとなると怨恨など個人的な衝動によるものだが、被害者一家は近所でも評判になるほど人当たりがいい。尊敬こそされ、恨まれることなど一切思い当たらない、と聞き込んだ住人達はおろか慧音まで揃って同じ言葉を口にした。
ここにきて捜査は壁へと突き当たったのである。
「はぁ……」
肩を落とし、慧音が溜息をつく。自身の膝元で起きた悲惨な事件と、一向に進展しない捜査にさしものの智者も疲労を隠しきれない。
そんな彼女を目にしつつ、何も言えない巫女2人。彼女達も、人以上の力を持っていながら何も打つ手がない現状に辟易している。特に麗夢はこの幻想郷において調停者の立場である。表面にこそ出さないものの、内心穏やかでないのは明らかだ。
コツコツ、と頬杖を付いた霊夢が机を指で叩く。異変と呼んでも良い事態にも拘わらず、普段なら遺憾なく発揮される筈の巫女の勘とやらがまったく反応しない。それが彼女の苛立ちに拍車を掛けた。
「あの……」
そんな2人に遠慮がちに早苗が声を出した。慧音は縋るような視線を、霊夢は八つ当たりに近い厳しい視線を送る。無言の重圧に早苗が1つ唾を飲み込み、そして意を決したように口を開いた。
「私まだこちらに来て日が浅いのでよくわからないのですが……亡くなった方々は結構な人格者だったんですよね」
「ああ……少なくとも私は彼らが誰かに恨まれるなど思いもしなかった」
「悪い人ではないわ。私の神社にもまれだけど顔を出してくれるし。季節ごとの挨拶は欠かさないし」
早苗の言葉に慧音、霊夢と言葉を返す。その言葉に、ですよね……、と1つ小さく納得した早苗は言葉を続ける。
「あの、私思ったんですけど、殺される理由ばかりではなく、殺す理由も考えてはどうでしょうか?」
「と、言うと?」
「その、外の世界ではそんな恨み辛みで人を殺すようなことは滅多にないんです。むしろ、なんとなく、とか、カッとなって、とか、誰でもよかった、なんてその場限りの感情による事の方が多いんです。だから今回のことももしかしたら……って思いまして」
「なんと……外の世界の人間達はそれほど命を軽視しているのか?」
「その話は後にして。それより早苗の言う方向で考えるなら……慧音、人里の中で暴力的な人間って居るの? すぐ頭に血が上りやすいとか、喧嘩っ早いとか」
「………」
霊夢の言葉に慧音が押し黙る。それは記憶を探していると言うより、言うか言うまいか迷っている雰囲気だった。
「居るのね」
だが霊夢に隠し事は通用しない。誤魔化す時機を逸したと判断した慧音が、一言、ああ、と呟いた。
「だが……いくら彼とは言え、それほど短慮な行動に出るだろうか?」
「そんなこと知った事じゃないわ。それよりそいつの家に案内して頂戴」
「は? ……まさか貴方達は彼を疑っているのか?」
「いえその……はい……」
「この状況で疑わない方がどうかしてるわ。それに疑ってはいるけど、まだ犯人と決めつけた訳じゃない。あとは実際に会ってみてよ」
「断ったら虱潰しにされそうだ……だが決して早まらないでくれよ? 彼は幾分扱いづらい。まず私が聞いてみる」
「何でも良いから早く案内して」
さっさと席を立ち玄関へと進む霊夢の後に早苗が続く。これと決めたら彼女達の行動は早い。慧音も慌ててその後を追った。
「ムツオ、いるか!! ムツオ!!」
里より少し離れた郊外、そこに件の人物の家は建っていた。家の傍には小さな菜園と、『薪割り』場所。使い込まれた切り株には深々と斧が突き立っている。
その家の扉を叩きながら慧音が声を掛ける。それに対し反応は無し。時刻は夕刻、いくら何でもこの時間帯まで眠りこけるなどあり得ない。となると。
「………」
霊夢が袖から札を取り出し、早苗が御幣を握りしめる。2人の過剰な反応に顔を顰めながらも慧音は扉を叩き続けた。
「ムツオ、いるんだろう!! 早く出てきて……」
「じゃかぁしいわ!!」
叩き続ける慧音の声を掻き消すほどの大音声。扉を引き明け1人の男が顔を出す。
「人様が気持ちよう寝とるいうのになんじゃこの騒ぎ……あん? 寺子屋の先生に……なんじゃそこのがきんちょどもは」
ぼりぼりと頭を掻きながらムツオと呼ばれた男が三人を睨め付ける。その視線に早苗が一歩後退し、霊夢がにらみ返す。そして慧音が口を開くより早く、霊夢が言葉を発した。
「私は博霊の巫女、博麗霊夢。こっちは守矢の風邪祝、東風谷早苗。いきなりだけどあんた、昨晩何処にいた?」
「あん? なんでそげんなことがお前に関係有るんじゃ」
「お、おい霊夢!! そんな急に問いつめたら……」
「回りくどいのは嫌いなのよ。後ろめたいことがあるなら誤魔化すだろうし、何もないなら言っても問題ないでしょ。さぁ、あんた何してた?」
「……おい、先生よぅ。わしゃぁこのガキになんかしたか?」
「い、いやそういう訳ではないんだ……ただ今日ちょっとした事件があってな。その聞き込みをしてる所なんだ」
「ああ、トマダん所が全員殺されたっちゅうあれか。まぁいつか起こる思うとったけどな」
何でもないように言葉を発するムツオに三人の雰囲気が一気に温度を下げた。
「……それはどういう意味だ?」
慧音の言葉にも若干の棘が混じる。しかしムツオはさして気にした様子もなく言葉を続ける。
「先生知らんのか。あいつんとこは表じゃええ顔しとったけど、相当の強突張りだった。あいつらに泣かされた奴らをわしゃ大勢見てきとる。そりゃ殺されても不思議じゃないわな」
盛大な欠伸と共に吐き出された一言。そこには死者への哀れみも悼みも存在しない。ただ当然のことを言ったまで。
その言葉に今まで黙っていた早苗が噛み付いた。
「あ、あなたは、人が亡くなっているというのに!! しかも悲しみこそすれ貶すなんて……」
それ以上は言葉が出なかった。拳を震わせる早苗に、ムツオは1つ面倒そうに視線を送ると。
「おう、嬢ちゃんよ。おめぇ何を知ってそんな口を効いとるかしらんけどな、人間なんぞ何が切っ掛けでどうなるか判ったもんじゃねぇ。偉そうな口効く前に少しは周りを見ぃや」
言い切った。あまりの物言いにきっとムツオを睨み付ける早苗を庇いつつ、慧音が慌てて言葉を引き継ぐ。
「それで、貴方は昨晩……」
「寝とった。証人は無し。わしゃ独りで暮らしておるけんの。さぁ、わかったらとっとと帰れ。正直わしゃ今無理矢理叩き起こされて機嫌悪いんじゃ。えらい目に遭う前にとっとと去ねぇや」
そうムツオが言うが早いか扉が閉められる。再び扉を叩こうとした早苗の手を慧音が止める。視線を送る早苗に慧音はただ首を振るだけだった。
「こうなってはしばらくは無理だ。とりあえず一旦帰ろう、何か新しい情報があるかもしれない」
「……そうですね。にしても何て人なんですか……!!」
「……昔はあれほど扱いづらくはなかったんだが……病気で仕事が出来なくなってしまった途端腐ってな。今ではあの通りだ」
「だからって……ん? 霊夢さん? どうしたんですか?」
帰路に就こうとした2人は、霊夢がじっとムツオの家を見つめていることに気が付いた。いや、正確に言えばムツオ本人にだろう。家の壁越しにムツオを見透かそうと言わんばかりに、霊夢は鋭い視線を送る。
「霊夢……気持ちは分かるが一旦帰ろう」
「……そうね」
いくら調停者とは言え霊夢も年頃の女の子には変わりない。ムツオの乱暴な物言いに思うところもあったのだろう。
そう考えた慧音が穏便に帰路へと促す。
それに少女達は頷くだけだった。
そっと裏口から忍び込む。
足音を忍ばせ廊下を進み、目当ての寝所へと。音も立てずに襖を開け、布団が3つ並んでいることを確認。
一家揃って仲睦まじく川の字とは。
『そいつ』の口がにたりと歪んだ。
まずは父親だ。抵抗されては拙い。
そう考えたそいつは忍ばせていた斧を取り出し狙いを定めると、ひと息に振り下ろした。
ゴキャリッと耳に悪い音を響かせ、頭に斧がめり込む。一度びくりと震えた父親がそのまま動かなくなった。
まず1人。そう確認した『そいつ』は手斧を引き抜こうとするが、肉と骨と内容物に噛み付かれた手斧はそう簡単には抜けない。四苦八苦していると物音に母親が目を覚ました。
彼女は一瞬目の前の光景が理解できなかったのだろう、ぼんやりと『そいつ』と頭に斧を突き立てたままの父親を目にして、数秒が経過した。
そしてその数秒は彼女の運命を決した。ようやく引き抜けた斧を再び振り上げる。
「ひっ……!!」
ようやく事を理解してももう遅い。肩口から入った斧は母親の柔らかい身体を存分に喰い千切った。
どちゃり、と血に濡れた物が床に倒れる音。そこで『そいつ』はようやく子供が目を覚ましていることに気が付いた。
目の前の惨状にただ目を見開き震える子供。よく見ればその股間からは湯気が立っている。
それも仕方のないことだと『そいつ』は考えた。
そして。
「おやすみ」
斧を横薙ぎに一閃。子供の首が宙を舞う。噴き出す血、倒れる身体、その上に落下する頭部。それを目にして『そいつ』はふたたび唇を歪めた。
「まだ足りない」
にたり。
屋敷から出てきた慧音が渋面を作る。もはや隠す気もないそれは、彼女の怒りと悲しみを十二分に周囲へと伝える。そしてそれは早苗も同じだった。
商家の一家に続き、今度は農民の一家。この両家に共通点は無し、家自体も離れている。だから捜査に行き詰まった。何一つ物事が進展しないのだから。
「これで二軒目……しかも今度はお子さんまで……なんて酷いことを」
慧音から概要だけを聞いた早苗が顔を曇らせる。
「とりあえず今夜から巡回をすることになった。これ以上の犠牲を食い止める為にも皆には無理をして貰わなければならない……まったく、長生きしているくせにこの程度のことしか出来ないなんてな」
はっ、と慧音が現状に有効な手段をうてない自身を嘲笑する。彼女自身、霊夢や早苗にくらべて人里の人間と接する機会は多い。その分関係も深ければ、その関係が壊れた時の衝撃も大きい。表面上はそうは見えないものの慧音は精神的に大きな疲労を伴っていた。
「聞いてきたわ」
そこへ霊夢が合流した。彼女は前回と同じ、周囲の人々への聞き込み調査を行っていたのだ。
「目撃、聞こえ、加えて屋敷の構造を理解していることから人間である可能性が高いわね。しかも大の大人数人を殺せるとなれば……」
「男性……ですか」
霊夢の言葉を引き継いで早苗が答える。それに小さく頷く霊夢と慧音。
「どっちかと言えばね。ただそれは人里に限っての話で……」
「あいつだ!! あいつがやったに決まってる!!」
彼女達の会話を遮って一際大きな声が響いた。その場にいた全員が声の主へと視線を向ける。
「ムツオだ! ムツオに決まってる!!」
「お、おいカイベ。いきなり何を言い出すん……」
「どういう意味」
宥めようとする慧音を押し退け、霊夢がカイベと呼ばれた青年へ問うた。
「聞いてくれ巫女さん。ムツオの奴は昔人里の中で八分扱いだったんだ。それが自分に原因があるにも拘わらず俺たちの所為にしてやがる。しかも殺された両家はムツオが特に嫌っていた連中だ。やつには殺す理由なんていくらでも有る!! そうだろ!? みんな!!」
最後は周囲へと同意の声。それに1つ、2つと同意の声が混じっていく。何時しか周囲はムツオが犯人だと決めつけていた。中には棒きれを片手に捕まえてやると息巻く輩まで出てくる始末。
慧音の諌めの声も届かない。
と。
「神風『八坂の大奇跡』」
突風が吹き荒ぶ。それは暴発しそうだった群衆を一息に撫で上げ動きを止めさせた。
事を起こした張本人である早苗は、御幣を構えたまま声を出す。
「みなさんの言葉はよくわかりました!! ……だからといってその場の勢いで犯人に仕立て上げるなど言語道断です。ここは私達に任せてくれませんか?」
群衆の前へと立ち塞がる早苗の姿に、人々も怒りのやり場を失い次々と得物を降ろした。このタイミングを逃さず、慧音が巡回の話を引き出し、やがて人々は三々五々散っていく。慧音も早苗に礼を言うと村人の後を追った。
残された2人の間に沈黙。口を開いたのは早苗が先だった。
「あ、あの、霊夢さん。その、里の中でスペルカードなんて使って……」
「構わないわ。実質被害があったわけでも無し、あれぐらいしないと収まりがつかなかったでしょうし……ただね」
「ただ?」
「……何でもないわ。それより私は一旦神社へ戻るけどあんたはどうするの?」
「あ、私はもう少し周囲を見て回ろうと思います。もしかしたら犯人に繋がる何かがあるかもしれません」
「そう……注意しなさいよ」
「はい」
そして2人は別れる。
「………」
たいまつを手に、慧音は里を巡回する。半分獣であるため人間以上の感覚を供えている慧音は自ら進んで夜の警邏へと付いた。
他にも数組里を巡回している者達がいるが、今この場には慧音1人だ。
「………」
静かな、静かな夜だった。風の音、木々が揺れる音、昆虫の鳴き声、何一つ消えない。ひっそりと静まりかえった、耳が痛いほどの静寂だった。
だからだろうか。
その声が異常に響いて聞こえたのは。
『待ちなさい!!』
「!? この声は……」
突如として響いた声に、慧音の歩みが止まる。顔を巡らし音の聞こえた方向を探る。
待たずして第二声が響いた。
『逃げられると思っているのですか!? 今すぐ武器を捨てて……』
声はそこで途切れた。聞こえてきた方向に見当を付け、慧音は一気に走り出す。声の発生地点に近づくにつれ、鋭敏になっている慧音の鼻孔が、鉄錆臭い臭いを嗅ぎ取った。
その臭いに顔を顰めながらも、途中で同様に声を聞いた里人と合流。路地を駆け抜ける。
「あれは!!」
彼女達の目に飛び込んできたモノ、それは地面に転がる松明に照らされた、首から上を失った里人2人の身体と、近くの民家に身体を預けへたり込む早苗の姿だった。
そして彼女の傍には血の付いた薪割り用の斧が一振り。
「東風谷殿!!」
いち早くその場に駆けつけた慧音が早苗の傍らに滑り込む。彼女の半獣としての鼻が察知した血の臭いは、どうやら里人だけのモノではないらしい。よくみれば特徴的な儀用服の袖と袴が切り裂かれ、真っ赤に染まっている。
「負傷したのか!? 今手当を……」
「わ、私は大丈夫、です! それより犯、人を追って、くださ、い!!」
痛みに顔を顰めながらも、予想外にハッキリした口調で早苗が言葉を発し、路地の先を指差す。早苗の負傷度合いと、彼女の意志を天秤に掛け、一秒未満で即決する慧音。
「任せたぞ!!」
里人に早苗の看護を任せると、慧音は薄暗い路地裏へと駆け込んでいった。
「そうですか……結局足取りは掴めませんでしたか」
「もはや詫びの言葉もない……貴女が負傷までして掴んでくれた足取りを……」
「頭を上げてください、慧音さん。あんな暗闇で足取りを追うことこそ無茶なんですから」
布団の上で上体を起こした早苗が、平伏する慧音を気遣う。だが今の慧音にとってそれすら苦痛に感じる。
あの後、路地裏に飛び込んだ慧音を待っていたのは「痕跡無し」だった。
返り血の一滴、足跡の1つ、服の切れ端1つ落ちていない。まるでもともと存在していないかのように、犯人を示す痕跡が皆無だった。
あの時、早苗の声から幾ばくも時間が経たず慧音達は現場へと辿り着いた。おそらく犯人は負傷し追跡できなくなった早苗にトドメを刺すことより、自身の痕跡を消すことに注力したのだろう。
それが結果として早苗の命を救ったのだが、慧音にとってそれは喜ぶべき事ではない。結局見回りの里人2人が殺されているし、犯人は逃走したままだ。事態は一切改善されていない。
だから彼女は不謹慎だとは思いつつも、唇を噛んで早苗に言葉を掛けた。
「東風谷殿。本来なら医者を呼ぶべき場面なのだろうが、その前に1つ聞かせてくれ」
「……犯人の姿、ですね」
「そうだ。どんな特徴でも良い、何か目にしていないか?」
慧音の言葉に早苗が顔を伏せる。いくら現人神だなんだと言われていても、早苗は年頃の少女。命を狙われた恐怖を思い出して、なお明るく振る舞えるのならそれは異常である。
それでも早苗は口を開いた。
「……顔はハッキリ見えませんでした。でも男性だった、と思います。それに……」
「それに?」
「『殺しちゃる』と言われました。『殺してやる』ではなく『殺しちゃる』と」
「つまり……言葉癖(方言)が有る人物か……」
「はい、そして私達を襲ったあの薪割り用の斧………私自身、思い当たる人物が居ます。でも、それは結局推測であって確信ではありません。慧音さんはどう思いますか?」
「…………正直信じたくはない。どれほど妖怪や動物の仕業であってくれと願ったか……が、もはや疑う余地もない、な」
額に手を当て、慧音が空を仰いだ。それは犯人の正体が分かったと共に、最後の最後まで信じたくないと言う意識の現れ。
でも、もうどうしようもない。
「朝まで待つ余裕はないな……外の人達に声を掛けて……」
「先生、大変だ!!」
家の扉が盛大に開かれると共に、1人の男が飛び込んでくる。息も絶え絶えの男は早苗と慧音を一瞥すると、叫んだ。
「ムツオの奴が居ない!!」
その言葉に慧音と早苗の表情が歪む。
にたり。
「くそっ……あのあんごうどもが……」
口汚く罵りながら、ムツオは1人寂れた御堂に身を隠していた。遠目に見える山狩りの松明の明かりに顔を顰めながら、古い床に腰を下ろす。いきなりの危機的状況だが、今の彼の心境は焦りより、怒りの方が強かった。
何せ、知らない間に殺人犯に仕立て上げられているのだから。
「目の前に飛び出て、違う、と叫べりゃどんだけ楽か……」
短慮、暴力的であっても、ムツオは馬鹿ではない。
今自分が外に出て犯人ではないと口にしたところで、頭に血の上った里人の何人が信じることか。下手をすればその場で叩き殺されるかも知れない。
そう気付いたからこそ、彼は自身の冤罪を否定する間もなくこの御堂へと身を寄せた。真犯人が捕まるまではおそらくこのままだろう。
1つ溜息をついて傍らの瓢箪から水を飲もうと手を伸ばして。
ガサ……
外の茂みから物音。追い付かれたか、と飛び出そうとしたムツオに声が掛けられる。
「私です」
そこに現れたのは東風谷早苗。ムツオが警戒を解く。
「嬢ちゃんか、驚かせんなや」
「……すみません。それより無事だったんですね」
「おう、嬢ちゃんのおかげじゃて。あのまま家におったらわしゃ焼き討ちにおうとったわ」
そう、ムツオに殺人犯に仕立て上げられていることを告げ、この御堂に身を隠すように伝えたのは早苗だった。
彼女の助言に従い、結果として命を長らえられたムツオが感謝の言葉を吐き出す。
それに応えるのはにっこりとした早苗の笑み。
「にしてもあのあんごう共が……勝手に人を犯人にしたてあげよってからに」
怒りと呆れを等分した声に、早苗も顔を伏せる。ムツオの境遇に同情しているのだろうか。
伏せた顔から声が漏れる。
「仕方ないですよ、皆さん頭に血が上っていましたし……それより本当に無事で良かったです。だって……」
そこで早苗の声から温度が消えた。異変を察知したムツオが顔を上げる。
視線の先には。
「私が殺さないと意味がないんだから」
御幣を構えた早苗の姿。突然の状況を理解できないムツオ。その様子に早苗の口元が『にたり』と歪む。
「抵抗なんて無意味ですよ。これはいつもの弾幕ごっこじゃないんですから。そんなに時間もないですし、さっくり死んでくださいね」
冗談などではない、本気の殺意。蛇に睨まれた蛙のように、ムツオは動くことが出来ない。かろうじて動く口から、驚愕と怨嗟に満ちた声が漏れる。
「……おめぇ、わしを殺す為にこんな手ぇこんだことしくさったんか」
「まさか。私自身貴方に恨みなんて無いですし、貴方みたいな人間1人殺したところで何の意味もありません。そう……『何もない』人間なら、です。でもですよ」
早苗が御幣を突き付ける。
「それが『大量殺人犯』だったら話は別です」
「っ!? まさかおめぇ今までの殺しは全部……!!」
「ええ、私が……いえ、これから『貴方の仕業』になるんですよ。そしてそれを討伐した私は大手を振って里へ……」
「……なんでワシなんじゃ?」
「誰でも良かったんですけど……貴方が一番周りから嫌われてて犯人にしやすかったから、ですかね」
あっけらかんと明るい笑顔で早苗が言い切った。
事此処にいたってムツオはようやく理解する。
ようは大量の殺人も、襲われた事による負傷も全て早苗の自作自演。そしてそれがムツオの仕業だと思いこませたのも彼女の仕業。
蛇のような厭らしさで早苗が嗤う。ムツオはようやく気付いたのだ、自分がまんまと嵌められたことに。
だが理由が判らない。そのことがムツオの表情に出たのだろう。早苗があっけらかんと答えた。
「だって、『悪者を退治』した方が信仰も集まりやすいですし」
「!!」
その言葉と同時にムツオに弾幕が襲いかかる。只の人間に回避など出来るはずもなく、結果弾幕は無慈悲に、正確に、ムツオの身体を破壊する。
あとにはただ、早苗の静かな嗤い声が響くだけだった。
里に戻った早苗を待っていたのは、負傷中にも拘わらず寝床を抜け出した事による叱責と。
「すまない……汚れ役をやらせてしまって……」
感謝の言葉だった。
「いえ……私がもう少し上手く説得できていれば最悪の事態にはならなかったかもしれませんでした……。重ね重ね自分の力不足が口惜しいです」
「そんなことはない、貴女は良くやってくれた。里の皆も感謝している」
「有り難うございます。でも私1人の力じゃないですよ。慧音さん、霊夢さん、里の皆さん……そして八坂様、洩矢様の力添えが有ってのことです」
「ふむ……」
「もし私に感謝して頂けるので有れば、それは私を支えてくれた御二柱へとお願いします。よく言うじゃないですか、『信じる者は救われる』って」
にたり。
理性のある狂信者はこれだから困る。
今晩は、筆者の穀潰しです。まずは此処までお読み頂き有り難うございます。
作品の元、といっても原型が殆どありませんが、元ネタは地元で起こった30人殺しより。
『人間も怖いんだよ』ということをテーマにしたらこんな作品に。『怖い』の系統を間違えました。あと霊夢はいらないんじゃないかな?
なんにせよ、少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。
にしてもオリキャラを出した所為でミスリードが失敗しました。
でも人里で殺し行いそうな奴って居ないんだよなぁ。慧音とかありえないし。
あとちゃんとしたホラーも書こう。
返信
>1
蛙の子は蛙……というわけですねわかります。
>2
霊夢へのミスリードも考えましたが、どうもその辺りは力不足でした。
迷ってくれたのなら喜ばしいです。
>荷重様
今回の早苗さんはほどよく狂っていますので、多少の無茶が効くようです。
あと誤字なのですが、実はそれ、誤字ではないのです。
邪な風祝、つまり風邪祝。
霊夢の台詞にヒントを混ぜたつもりでした。
>4
有り難うございます。
にやり、だとありきたりでしたのでちょっと捻って。
こういう表現を少し入れるだけで怖さは際立つ物ですね。
>5
彼は犠牲になったのだ……。
30人殺しは意外と広く知られているようですね。
>上海専用便器様
にたり
>7
有る意味純粋すぎる早苗さんですね。
>8
犯人死亡で事件解決。何のお咎めも無し。
厭な完全犯罪です。
>うらんふ様
私の中では射命丸についで善と悪、両面を描きやすいキャラですね。
というかアイドルだなんて、貴方じつは早苗さんでは(ry
>機玉様
おお、それは喜ばしいです。
向上心に溢れすぎてますね。色んなモノが見えなくなってるくせに、知性だけはしっかり働いている。
理性のある狂信者は困りますね。
>灰々様
書き終えた後に筆者ですら早苗さんをしばきたくなりましたからね。外道っぷりが伝われば幸いです。
因みに殺された人やムツオは守矢神社を悪く言っていたりはしていません。それこそ誰でもよかったです。
>12
繰り返すでしょうね。そしていずれは破滅です。
霊夢が解決する方向で書こうと思っていたのですが、むしろミスリードした方が面白いかなと思ってあえて放置しました。
霊夢自身ムツオが犯人だとは思っていませんが、真犯人が特定できず言葉を濁しているわけですね。
>13
退治……とな。
なるほど、すでに早苗さんを人間扱いする必要はないのですねわかります。
穀潰し
作品情報
作品集:
20
投稿日時:
2010/08/20 13:53:31
更新日時:
2011/09/26 10:08:00
分類
産廃百物語
マキャベリシリーズ
東風谷早苗
博麗霊夢
上白沢慧音
オリキャラ
東方百物語『○○三十人殺し』
返信
忘れがちですけど。
やはり早苗さんはこうでないと
大の大人の首を切り落としたのか・・・そっちの方がこわ・・・ん?誰か来た。
多分誤字報告。
風邪祝→風祝では。
が上手いこと効いてたなあw
早苗さんこえー
人里って意外と舞台にし難いですよねw
三十三人殺しは世界規模で見ても、現代では割とトップクラスの数ですよね。
まさに産廃のアイドルなんだなぁ、としきりに感心してしまいました!
にたり
信仰の為には犠牲者すら厭わない様は君主論に通ずるものがありますね。
向上心に溢れる早苗も素敵です。
殺された人も守矢を良く思ってない人たちだったのだろう。
そしてムツオ……報われないな……。
近いうちに繰り返すんだろうなぁ、早苗さん
『ただそれは人里に限っての話で……』と『……ただね』から察するに、
霊夢は真相に気付いてるのか?