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『産廃百物語「いざよいさくや」』 作者: うらんふ
私は阪急梅田駅の改札口を出ると、大きな背伸びをした。もう夕方だ。周囲は帰宅途中のサラリーマンでごったがえしている。
とくに買いたい本があるわけではなかったのだが、私は駅の端にある小さな本屋へと足を運んだ。主な客層がサラリーマン相手だからだろうか、小難しい経営の本が一番目立つ所に並べられている。
私はそれらを眺めていたが、やはり興味がわくものではないので、何も買わずに本屋を出た。エスカレーターで階下へ向かう。
行き交う人たちは私に目もくれない。こんなにもたくさん人がいるのに、私は孤独だ。だが、それがいい。孤独な方がいい。
まっすぐ帰宅してもいいのだが、まだ今月のノルマも達成していないことであるし、私はもう少し仕事をして帰ることにした。
鞄から、名刺を取り出す。
そこには
「株式会社アリスプロモーション」
「マネージャー 十六夜咲夜」
と綺麗な明朝体で印字されていた。
私が幻想郷をはなれて、もうどれくらいの月日がたったのだろうか。まるで時間が止まっていたかのような、あの輝かしい素晴らしい日々。目を閉じると、湖畔にたった紅魔館の光景を思い出すことができる。せわしなく動き回る妖精メイドたち。役に立っているのかいないのか分からないけど、いなければそれはそれで悲しい中華風の服を着た門番。いつ訪れてもしっとりとした雰囲気の図書館。地下室。地下室。
目を開けると、そこあるのは懐かしい紅魔館ではなく、せわしなく歩き回る人々の群れ。大阪駅のど真ん中だった。
私は、数歩あるいた。それだけで、何人かの人に当たる。文句を言われることもない。そもそも、誰も私に注目してなどいない。地下街にいって、夕食のお惣菜でも買っておこうか、と思わないこともなかったが、やめておくことにした。お惣菜を手にしたままスカウトしたとしても、そんな怪しい人を誰が信用するというのだろうか。
「わぁ、可愛いお子さんですね」
ベビーカーを押して歩くお母さんに、そう話しかける。いきなり話しかけられたその女性は、目をぱちくりとさせてきょとんとしたまま私を見つめている。いつもの反応だ。すかさず、私は答える。
「あ、申し訳ございません。あんまり可愛かったから、ついつい声をかけてしまいました」
そう言いながら、名刺を渡す。
「アリス・・・プロモーション?」
「はい。実は私、モデル事務所のマネージャーをしているんです」
私が声をかけるのは、本当に可愛い子ではない。どちらかといえば、少し「ぶちゃいく」な子に向かって声をかけることが多い。自分の子を褒められて喜ばない母親はいない。しかし、本当の意味で可愛い子ならともかく、標準より劣っている子に向かって「可愛い」という人は少ないだろう。だからこそ、こういう子のお母さんこそ、話にのってきやすいのだ。
「そんな・・・」
「いやいや、本当ですよ。もうどこかの事務所に所属はされておられますか?」
すかさず、そう尋ねる。もちろん、所属しているわけがない。あくまで、お母さんをのせるための手段の一つにすぎない。
「いえ、別に」
「そうなんですか!もったいない!」
私は、さも驚いたかのように声をあらげた。大きい声を出しても、周囲の大人たちは決してこちらに注意を向けようとはしない。今は、帰宅時間。余計なことにかかわるよりも、帰宅することを優先しているのだろう。
「いやー。でも、可愛いですね。いや、本当に可愛いです。よく言われません?」
たたみかけるように言う。とにかく、褒めて、褒めて、褒め続ける。最初は抵抗感のあったお母さんも、これだけ続けざまに褒められると、「ひょっとして・・・」と思ってくるものだ。
完全に信用してもらう必要はない。ちょっとだけ、信用してもらえればいい。
どうせ、スカウトなんて立ち話で成功するわけがないのだ。勝負をかけるなら、こちらのテリトリーで勝負をかけなければならない。釣りでいえば、今はこませをばらまいているだけだ。魚は針を飲んでいるのではなく、餌をつついているだけだ。
「○○○○○本舗ってご存知です?」
「あ、うちの子の服、そこでいつも買っているんですよ」
「実はうちのプロモーション、そこと契約しているんですよ」
本当のことだ。
私は嘘はいっていない。うちに所属しているモデルは500人はいる。その中で本当に仕事が来るのはほんの一部分だけなのだが、そんな現実をこんな立ち話ですませるわけにもいかない。
「いやぁ、本当に可愛いお子様ですね・・・名前はなんていうんです?」
「あ・・・サナエ、っていいます」
「いい名前ですね〜・・・サナエちゃーん、こんばんは〜」
そう言って、ベビーカーの中の赤ちゃんに向かって語りかける。へちゃむくれのその子は、私を見ているのか見ていないのか分からないような表情で、むすっと空を見つめていた。
「もう眠いのかな〜」
そういって、私は懐からメモ帳を取り出した。
「ごめんなさい。あんまり可愛い子だったから、ついつい話かけてしまって・・・よろしければ、ご連絡先教えてもらえますか?」
言いながら、メモ帳にペンを走らす。
「サナエちゃん・・・と」
ここで、「連絡先を教えてもらってもいいでしょうか?」と、相手に選択肢を与えるようなへまはしない。あくまで、教えてもらって当然というような声で語りかけるのがコツだ。最初に、「可愛い子ですね」「よく言われません?」と、こちらから話を振っていたのが布石になる。いきなり話しかけたら断るのは簡単なのだが、ある程度話こみをして、その間ずっと褒められ続けていたら、断りにくくなるのだ。
私も、今の時点ではそれ以上を求めるつもりはない。
連絡先と名前だけを聞くと、「時間をとらせてしまってすみませんでした」と謝って、その場を立ち去る。
私の仕事は、モデル事務所のマネージャーだ。モデルとはいっても、対象は「子供」ばかりだ。表向きはまっとうな会社なのだが、その内容は・・・まぁ、世の中の会社というのは多かれ少なかれ似たようなものだろう。
私の月給は18万。この年では少ない方だろう。
ただ、マネージャーの仕事だけなら給料は変わらないのだが、「スカウト」をいれると話は変わってくる。一人スカウトで入れるだけで、その月の給料は1万円アップする。10人スカウトしたなら、10万円のアップだ。そんなに簡単にスカウトが出来るわけではないが、こんなものは釣りと同じで、やればやるだけ確立もアップするというものだ。
私はこうして仕事終わりの17:00〜18:00の間をスカウトタイムにしている。ここで、何人かに声をかけて連絡先をきき、後日「あんまり可愛かったから、ついつい電話をかけてしまいました。とりあえず話だけでも聞いてもらえませんか?」といって事務所に来てもらうように仕向けるのだ。
事務所にさえきてもらえれば、後はこちらのものだ。のがしはしない。
うちの事務所は、モデルになるための契約料などはとっていない。「ならば、思い出に・・・」と思ってもらって、所属してもらえればこちらのものなのだ。
契約料はないものの、カタログをつくるのに「年間5万円」がかかる。カタログは別に強制ではないのだが、カタログがなければ仕事自体がやってこない。「広告にのれば、一生の思い出になるんですよ。○○ちゃんが大きくなってから、あなた、小さい頃、こんなふうに広告に出たことがあるのよ?と言ってあげたくないですか?」といえば、だいたい堕ちる。
最初から「カタログに5万円かかります」と伝えておくのではなく、まずは無料の契約を結んだ後で話を出していく。一度小さな「YES」を出してしまうと、後から「NO」を言うのは難しい。
カタログを買えば、次は「レッスン」が待っている。「別にレッスンをしてもしなくてもいいです。強制ではありません。しかし、レッスンを受けた子のほうが仕事がもらえやすくなるのは事実です」といえば、これまた簡単に堕ちる。カタログは毎年更新だし、レッスンも定期的にある。会社は儲かるのだから、私に1万円払ったところで痛くもかゆくもないだろう。
こうやって、私は夕方の駅でたくさんの子たちに声をかけた。今日はなかなか調子がいい。4件の連絡先を聞くことができた。これなら、2人は入ってくれることだろう。
「2万は入るわね」
そう思った私は、まっすぐ帰宅するのではなく、ちょっと近場のパチンコによることにした。どうせ2万入るのだから、先に使ってもいいだろう。
店の中はうるさいが、昔は軍艦マーチがかかっていてもっとうるさかったらしい。今はそんな騒音はかかっていない。1円パチンコもあるが、私がパチンコにいくのは金を稼ぐためであり、遊ぶためではない。迷わず4円パチンコに座り、財布から1万円を取り出すと台に入れた。
ボタンを押し、500円ばかり玉を出す。ハンドルを握って玉を打ち出しはじめるが、なかなかスルーすら通らない。
「・・・いらいらするわね」
私はそういって、しばらくぼぅっと画面を眺めていた。
やがて、何個か玉が入り、画面が動き始める。
「リーチもかからないじゃない」
よく回るわけではないが、まったくリーチがかからない。無駄に金だけがなくなっていく。隣に座っている派手な服をきた兄さんは確変をあてており、足元にすでに4箱積んでいた。
(その金は、私がこうやってつぎ込んでいる金よ)
そう思うと、いらいらする。1万円入れていたのに、もうすでに残りが3000円ほどになっている。
(やめようか)
と思った瞬間に、画面に金色の予告が出る。熱いリーチだ。
(当たりなさい!)
外れた。
こうなると、頭が熱くなってくる。
隣の兄さんは当たっているが、その反対に座っている頭の禿げたおじさんは私と同じようにはまっているようだ。横目でちらちら見ていると、おじさんにもいいリーチが入った。70パーセントはあるいいリーチだ。
(外れろ。外れろ。外れろ)
私は祈る。
私の祈りが通じたのか、おじさんのリーチは外れた。私は思わず嬉しくなる。私だけが外れるのは嫌なものだ。そうこうしているうちに、最初に私が入れた1万円は綺麗さっぱりなくなってしまった。私は迷わず、次の1万円を入れる。
(確変がくれば、取り返せる)
最初はお金を稼ぎにパチンコに入ったはずなのに、いつの間にか目的が「負けを取り戻すこと」に変わっていた。こんなことで、勝てるはずがない。
結局、私は2万を全て使い切り、財布に残っていた残り2千円も使い、財布に金がなくなったので、「くそっ」と、台を蹴ってパチンコ店を後にした。
腹が立つ。
腹が立つ。
腹が立つ。
今日、パチンコで負けることが私の運命だとでもいうのだろうか?
これでは、何のために今日スカウトをしたのか分からないではないか。
(明日、仕事に行くの嫌だな)
と思ったけれど、黙っていても明日はやってきてしまうのだ。
私は地下鉄御堂筋線に乗り、なんとかあいている席があったので腰かけた。天王寺まではまだある。動物園前まで、寝ておくことにしよう・・・
すっかり夜になっていた。
地下鉄から降りると、私はコンビニによって、安い発泡酒を3本ばかり買い、後はつまみとコンビニの弁当を買うことにした。財布の中には金が残っていなかったので、コンビニにあるATMでお金をおろす。手数料で105円とられるのはばかばかしいが、背に腹は代えられない。
私は5千円ほどおろすと、ついでだから、週刊誌を何冊か買うことにした。
「弁当は温めてください」
そういって買い物袋に入れると、私はコンビニを後にした。
マンションの入り口には自転車がたくさん止めてある。
新しい自転車から、古い自転車まである。もうずっと放置してある自転車は誰のものだろう?どうせ使わないのなら、市に持って行ってもらいたいものだ。私は時々、自転車の中でカギがついていないものがあるかどうかを探してみる。
カギがついていない自転車さえあればしめたものだ。有効利用させてもらうことがある。私のマンションには洗濯機を入れていないので、近くのコインランドリーまで行くのに自転車があれば便利なのだ。
(・・・今日はないわね)
それを確認すると、はぁとため息をついて、私は郵便受けを覗き込んだ。
私の郵便受けには、たくさんのチラシが入っている。そのほとんどが、ヘルス関係のものだ。私は女だから必要ないのに、こういう業者は気にもせずに適当に入れていくのだろう。もっと家賃のいいマンションだったら入口に管理人がいるからこういう業者はなかなか入ってこれないのだが、私が住んでいるボロマンションではそんな贅沢をいうわけにもいかないだろう。
私はチラシを適当に取り出すと、置いてある大きなゴミ箱に投げ込んだ。
そもそも、郵便受けのそばにこんなゴミ箱が置いてあることすら、ビル管理の会社のやる気のなさを感じさせる。私が紅魔館にいたころは、それはそれは屋敷中を清潔にしていたものだった。少しは見習ってほしいものだ。
チラシを捨てると、奥には何通か郵便物が来ていた。
市からの郵便物だ。
市民税の請求だろう。うちの会社、アリスプロモーションはそもそもちゃんとした会社ですらない。税金を変わりに払ってはくれないのだ。
「払えないものは仕方ないじゃない」
私はその郵便物もゴミ箱に捨てた。
個人情報だが、別にいい。どうせ、エロチラシに埋もれていくだけなのだから。
別に必要な書類もきていなかったみたいなので、私はエレベーターのボタンを押した。私が住んでいる階は3階だ。階段をつかってもいいのだが、仕事終わりで疲れているのにわざわざ階段を使いたくもない。
エレベーターがあるのなら、それを使えばいいではないか。
この文明の利器だけは、幻想郷よりもこちらの世界のほうが優れているものだと思う。
私はエレベーターに乗ると、エレベーターの壁に背持たれた。今日も疲れた。よく働いた。また明日がやってくるのは仕方ないのだから、それまではせめて、酒でものんで忘れることにしよう。
■■■■■
私は部屋の前に立つと、コンビニ袋を床に置いて、鞄の中からカギの束を取り出した。ジャラジャラとしたカギの束の中から、扉の鍵を見つけて差し込む。
がちゃりと音がして、ぎぃ、と扉が開く。
私は左手で扉を持ったまま、床に置いておいたコンビニ袋を中に投げ込む。思ったよりも大きい音がして、袋が落ちた。
そして振り返りもせず、扉を閉める。真っ暗になる。後ろ手のままで扉に鍵をかける。しばらくすると暗闇に目が慣れてきたので、私は何度か瞬きをして、靴を脱いだ。
「ただいまぁ」
そういって、壁をまさぐってスイッチをつける。
ぼぅっと、部屋が明るくなる。
私の部屋は、ワンルームだ。家賃が安いだけあり、狭い。またビルとビルが近いので、太陽の光も入ってこない。まぁ、それで何か問題があるわけでもない。どうせ昼間は仕事だし、夜帰ってきても真っ暗なのだから。
私はゆっくりと歩いた。通路の右側は申し訳程度の台所になっており、左側はユニットバスになっている。
私は、部屋の前の扉の前にたった。
この扉にも、カギがついている。
というよりも、ここのカギは私が買ってきたものだ。
大きな南京錠であり、そこにじゃらじゃらと鉄の鎖がついている。
「ただいま〜」
そう言いながら、私は鍵をあけると、扉を開いた。
中から冷たい空気が流れてくる。ずっとクーラーをつけていたからだ。設定温度も出来るだけ下げている。電気代はかかるが仕方がない。この部屋は、冷たくしておかなければならないのだから。
「おとなしくしていた?」
私はそういうと、ゆっくりと部屋の中に入り、また、後ろ手で鍵を閉めた。
がちゃり。
私の部屋は、二つの鍵で守られている。
部屋の奥に、ガタガタと震えている女の子が座っていた。
切ている服は、フリルのついた豪奢なものだった。色はピンクで、生地も上等なものを使っている。だが。
「・・・レミリア様」
私は鬼の形相で近付いていく。その少女は、びくっと体を震わせると縮こまった。だが、そんなことで私の怒りは収まらない。
「ちゃんとしておきなさい、と言ったでしょう」
服の端が、汚れていた。
少女の漏らした小便の匂いがただよってくる。
部屋には鍵をかけているので、部屋の外にあるユニットバスで用をたすことは出来ない。だからこそ、私は部屋の端にちゃんとおまるを用意していたのに、この少女は、それをうまく使うことができなかったのだ。
「服を汚すのは許せません」
容赦なく叩く。
一回。二回。三回。
少女の頬が真っ赤にはれるが、それでもはたくのを許しはしない。
「そんなことでは、立派なレディになることはできませんよ」
「あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ」
少女はおびえながら私に叩かれるままになる。
「レミリア様」
私が声をあげるたびに。
その。
真っ黒な神をした少女はおびえて丸くなる。
憔悴しきって倒れた少女を前にして、私は座った。
扉に背をかけているので、少女は逃げることはできない。この部屋から逃げようとしても、私を乗り越えていかなければならにのだから。
まだ10歳にもなっていない少女にとって、それは絶望というものだった。
私はコンビニ弁当を開けると、歯で箸を割った。
そして酒をつかむと蓋をあける。ぷしゅっという音とともに泡があふれてくる。先ほどコンビニの袋ごと投げたので、どうやら揺れてしまったのだろう。
少女を無視して、私は床に落ちていたリモコンに手を伸ばした。
その下からゴキブリが何匹か逃げだし、部屋の片隅、少女用のおまるの隣に置いてある黒いゴミ袋の下へと走って行った。
テレビをつける。くだらない番組が始まる。昨今の不況で、テレビ業界も大変なのだろう。私が所属しているモデル事務所はテレビ会社とも契約をしている。ユニバーサルスタジオジャパンの隣にあるテレビのスタジオに何度も足を運んでいる。夢の国?はっ。
安いギャラで買いたたかれるだけだ。先日はうちのモデルを5人ばかり撮影につかってもらったのだが、本当に雀の涙ほどしかギャラが出なかった。
そのギャラも、半分は会社の取り分となる。
モデルたちに入るのは、残りの半分だ。
しかし、ギャラがもらえるモデルはまだ運がいいほうだ。ほとんどのモデルは、仕事の誘いすらない。1年間の飼い殺しだ。
だが、さすがに1年間何も連絡をしなければ「詐欺だ」と言われてしまうので、どうせうからないだろうけれど、何回かオーディションにだけは連れていく。それで落ちるのはモデルの魅力が足りないからだ。
レッスンだけでモデルの実力がつくのなら、誰だってレッスンをする。みな、同じように努力をしているのだ。同じ努力をするのなら、結局は「もともと生まれ持っていた能力の差」が最終的な差になる。
ぐぃ。
私は一気に酒を一本飲みほした。
喉の奥からげっぷが出てくる。私はそれを飲み込むことなく放出させると、とろんとした瞳でテレビを見つめた。頭がくらくらしてくる。酔いも回ってきたらしい。今はもう11時だ。あと少し。寝たらまた明日が来る。
「・・・た」
部屋の片隅で、少女が震えながら声をあげた。
弱弱しくこちらを見つめてくる。
私はその顔を見つめた。
黒い髪。
黒い瞳。
黄色い肌。
どこをどうしても、レミリア様の美しさには及ばない。
それでも、私が今まで見てきたうちに所属しているモデルの中では、一番レミリア様に似通っている顔をしている。でなければ、ここでこうやって飼おうとは思わない。
「なに?」
「・・・いた」
「聞こえないわよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おなかすいた」
ははは。
面白い。
お腹がすいたときた。
「私は働いているから、ご飯が食べられるのよ」
そう言って、笑う。
コンビニ弁当から唐揚げを取り出すと、少女に見せびらかすようにして、そのまま私の口の中に入れた。
「あなた、働いていないじゃない」
弱弱しく少女が動く。
美しいレミリア様の格好をさせているというのに、やはり本物とは持っているカリスマが違うのだろう。逆に、哀れに思えてくる。汚い雑巾を無理やりデコレーションしたかのような、そんなイメージ。
「でも、いいわ」
私は酔った頭で立ちあがった。
少しよろめき、壁に背中があたる。どしんと音がするが、隣の部屋の住人は何も言ってこない。安いマンションだ。隣に音が聞こえないくらいの防音がしているわけではない。ただたんに、無関心なだけなのだ。
「あなたに、仕事をあげる」
少女がおびえる。
おびえているのが分かる。だが、それがどうしたとうのだろう?
働かざる者食うべからず。
それが社会の掟だ。
この少女に、今から、仕事をあげるのだ。しかもその仕事は、食べる仕事なのだ。
「私って、なんて、優しいのでしょう」
そう言いながら、私は鼻歌を歌った。
この部屋で冷房をきかせているのにはわけがある。
大きな冷蔵庫を入れるスペースがないので、部屋のものを出来るだけ腐らせないようにするために、冷房をがんがんにきかせているのだ。
私の部屋には鏡が置いてない。
全ての鏡は私が取り外した。
だって、そうでしょう?
吸血鬼は、鏡に映らないのだから。
私の部屋の片隅に、大きなクーラーボックスが2つおいてある。私の、一番大切なものだ。青いクーラーボックスの傍に私が歩いて行くのを見て、処女が震えているのが分かる。
もう、二週間になるかしら?
そろそろ慣れてもらわないければならないのだけれど。
私は、ゆっくりと、首だけ振り向いた。
「御飯よ」
「・・・」
少女は青ざめた顔をしているが、それでも、生きるための欲求には勝てないのだろう。
フリルのついた服を着たままで、じっと、私の方を見つめている。
「記憶ってね」
私は、クーラーボックスに手をかけると、いった。
「不思議なもので、伝染するの」
クーラーボックスを開ける。
中からものすごい匂いが漂ってくる。
「昔昔の実験なんだけど」
私はいとおしそうに、クーラーボックスの中に手を入れると、それをつかみあげた。ちゃぷりと手の平に液体がまとわりつく。血の匂い。血の匂い。血の匂い。腐ってどろどろに溶けた、血の匂い。
「迷路ってあるでしょう?」
少女に向かって語りかける。もう、何度も何度も繰り返した話だ。もう理解してくれていることだろう。理解してもらわなければ困る。
そのために。
少女をここで飼っているのだから。
「ネズミをね」
ちゃぷり。
いとおしく、その液体の中でぷかぷか浮かんでいるものを手に取る。
「迷路をうまく潜り抜けることのできたネズミを殺して、その、脳みそを取り出すの」
ちゃぷり。
ちゅぷり。
ぬちゅり。
「そして、その脳みそを他のネズミに食べさせたら、どうなると思う?」
重い。
意外と、重いものだ。
私はそれを手に取ると、一気に引き上げた。
「一度も迷路に挑戦したことがないネズミよ?でも、不思議なことにね、その脳みそを食べたネズミって、初めて挑戦するにも関わらず、たったの一回で、迷路を駆け抜けていくのよ?」
美しい金色の髪の毛。
白皙の肌。
深紅の瞳。
「脳を食べると、記憶は伝染するのよ」
だから。
あなたも。
「お嬢様になってね」
レミリア様の生首を持って、私は、笑った。
■■■■■
肉の焦げる匂い。
肉の焼ける匂い。
私はレミリア様の頭に手を入れると中から脳みそをいくらかつかみ取り、それをフライパンで焼いた。
油は、レミリア様の油を使う。
クーラーボックスの中に浮かぶレミリア様の白い脂肪を掴み取ると、それでフライパンの底を拭く。
他の物は何も使わない。
レミリア様の脳みそも、だいぶ少なくなってきてしまった。
レミリア様は死んでいるわけでない。
私を残して死ぬわけがない。
ただ、息をせず。
ただ、目を開かず。
ただ、何も語りかけてこず。
ただ、生きていないだけだ。
ならばそれは吸血鬼として何の不便があるというのだらろう?
「早く記憶を取り戻してくださいね」
私はそういうと、焼きあがったレミリア様の脳みそを少女へと差し出した。
美しい少女。
もちろん、本物のレミリア様には足元にも及ばないけれど、私の知っているモデルの中では一番レミリア様に似ている少女。
「口を開けて・・・」
体は、食べなければ死んでしまうと分かっていても、心はやはり、拒絶してしまうのかもしれない。
少女は、かたくなに口を開こうとはしなかった。
「開けなさい!」
私は少女の口に手をやると、無理やりこじ開けて肉を中に入れ込んだ。
レミリア様の脳みそが少女の口内に入る。
吐き出しそうにするのを、私は少女の口を手で押さえて止める。
「吐き出したら殺すわよ」
「殺すわよ」
「殺すわよ」
「殺すわよ」
「殺すわよ」
何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し言う。
言わないと分からないのだから言っても分からないのだからだから分かるまで分かってもたとえ分からなくても言う。
ぐちゃりぐちゃり。
ぐちゅ。
両手を使って、少女の口を動かす。
少女は自らの力ではなかなか噛み切れないのだから、そこは私が手伝ってあげなければならない。
「美味しい?美味しいわよ?美味しくないわけないわよね?お嬢様美味しい?お嬢様どんな味?レミリア様レミリア様レミリア様レミリア様様様様・・・・・・」
うらやましい。
レミリア様を食べることができるなんて、うらやましくて仕方がない。
できるならば私が食べてしまいたいのだが、どうしてもそれをするわけにもいかないのでじっと我慢をする。私はレミリア様の従者なのだから、レミリア様につかえなければならないのだ。
「美味しかったですかごちそうさまですか?あらあらこんなに血をこぼしちゃって」
肉は全て食べきったのだが、ごふっと噴き出した血は全て飲み込むことが出来ずに少女の口元からこぼれおちて少女の胸元を真っ赤に染めていた。
「思い出しますわ。だからお嬢様は深紅の悪魔と呼ばれていたのですものね」
そう言いながら、私はそっと少女の服に布をやった。こうしていると、まるで、昔に戻ってしまったような気がする。
魔理沙をめぐって、妹様が、紅魔館を破壊してしまったあの日以前に戻ったような気がする。
「まったく、じゃれあいがすぎるのも考えものですよね、お嬢様?」
そう言いながら、ゆっくりと少女の服を脱がせる。中からガリガリに痩せた体が出てくる。あばらが浮いていて、骨が分かる。肌がかさかさなのは、いつも日が差し込まない部屋の中でうずくまっているからだろう。冷房の利いた部屋に閉じ込められているからだろう。
「まぁ、そうですわ」
私はさも驚いたように声をあらげた。
少女へ抵抗するふうもなく、私にされるがままになっている。
「閉じ込めていたら、まるで、妹様みたいですわね!」
私にとっては大発見だ。
なかなかレミリア様の記憶が戻ってこないのは、今の状態がどちらかといえばお嬢さまの立場なのではなく、妹様の立場に似ているからかもしれない。
「でも、駄目ですよ」
私は笑った。
「いつか妹様も準備してさしあげますが、やはり最初は、お嬢様に記憶を戻してもらわなければならないですから」
そういって、部屋の片隅にある、もう一つのクーラーボックスに目をやった。
「それまでは、そこで、じっと待っていてくださいね、妹様」
クーラーボックスから返事はこない。
「そもそも」
私は、ちょっとすねたような声を出した。
「もとはといえば、妹さまがおいたが過ぎたのが原因なのですからね」
あの日。
いつもの通りにやってきた魔理沙に対し。
妹様は。
「人間は、壊れやすいのですから」
だから、これは、罰なのです。
495年とは言いません。
そんなに長くなると、今度は私の方が寿命が先にきてしまいますから。
「早く、お嬢様、目を覚ましてくれませんでしょうか」
私はいつまでもいつまでも、そう呟いていた。
■■■■■
音がする。
扉の外で、音がする。
私がその音に気付いたのは、少女が寝込んだ後だった。
疲れ切り、憔悴しきり。
それでもなお、お嬢様にはなってくれず。
あんなにたくさんお嬢様を食べたのに。
大事な大事なお嬢様の、脳みそをたくさん食べたのに。
どうしてまだ、記憶がよみがえってこないのだろう?
「私は・・・一人は・・・さびしいです・・・」
音がする。
扉の外で、音がする。
大丈夫だ。
鍵はしまっている。
どうせ、浮浪者だろう。
夜の闇が怖く、でも一人で生きることもできない、力なき浮浪者なのだろう。
寝ていれば、どこかに消えていくだろう。
・・・
べき
鍵が、内側から壊れた。
ごとりと音がして、扉が開く音が聞こえた。
ありえない。
アリエナイ。
アリエナイ。アリエナイ。アリエナイ。
鍵を、内側から壊すなんて、そんなこと、人間の出来ることじゃない。
私は体を起こすと、少女を背中におしやったまま、じっと部屋の扉を見つめた。
南京錠が、壊れた。
音をたてて、落ちる。
人影が見える。
一つ。
二つ。
その人影は、月夜に照らされていた。
扉が開く。
現れた少女は、私の、ある意味、予想していた相手だった。
「・・・こんな所にいたの?」
「不法侵入ですわよ」
「ここは、あなたのいていい場所じゃない」
大都会に不釣り合いな、巫女の姿。
忘れるはずもない。
私が捨ててきたはずの幻想郷を、捨てずに守っている、巫女。
「霊夢、私にいったい何の用?」
「あなたを、連れ戻しにきたの」
「どこへ?」
「幻想郷へ」
「ははっ」
月の光が部屋に差し込んでくる。乳白色の光。軟らかな、それでいて人を狂わせ妖怪を狂喜させる魔の光。
光に照らされて、床のゴキブリががさがさと隠れていく。
「・・・今なら、まだ、引き返せるわ」
霊夢はそういうと、部屋の片隅に転がっている少女を見た。
ひゅぅひゅぅと喉から音がして、衰弱しきってはいるものの、死んではいない、少女。レミリア様の脳みそを、ひたすら食べ続けていた少女。
「記憶がよみがえらないのよ」
「そう」
「駄目なのよ」
「それは、当り前よ」
霊夢は、笑った。
「人間が、妖怪を理解することなんて、出来ないもの」
そう言いながら、ぼそりと、死んでいなくてよかった、と、霊夢はつぶやいた。
死んでいないなら、まだ、今なら、やり直すことができる。
「記憶が伝染しないの」
「人間と妖怪では無理よ」
「そう・・・なら」
私は、目を光らせた。
「人間は人間に、妖怪は妖怪に食べさせればよかったのね」
その時。
小さな小さな影が、飛び込んできた。
文字通り、飛んで、きた。
なきじゃくりながら、その影は、私に抱きついて、泣きながら、顔中を涙と鼻水でいっぱいにしながら、しゃくりあげた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
私は、その影を、その少女を、抱きしめようとはしなかった。
誰だ?
これは?
誰だ?
どうして?
ここに?
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
乳白色の月光に照らされた、翡翠、青、紫、赤紫、橙、黄、抹茶、空。
色とりどりの、羽の色。
美しい宝石。
「妹様が、どうして、ここにいるの?」
私は部屋の片隅をみた。
そこにあるのは、クーラーボックス。
妹様が詰め込まれた・・・クーラーボックス。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私が悪かったです。本当にごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて思わなかったの。人間って、本当に、壊れちゃうんだね。壊れたら、戻らないんだね。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
フランは、泣きじゃくりながら、私にしがみついてくる。
フランが泣くたびに、背中の宝石が、羽が、揺れる。
揺れるたびに、淡い光が反射して、その奥でじっと私を見つめる、悲しそうな霊夢の瞳が見える。
「私はただ、遊んでほしかったの。咲夜さえいなくなっちゃえば、魔理沙は私と遊んでくれるって思っただけなの。ほんのちょっと、きゅっとしただけなの」
でも、人間は、一度壊れた人間は、戻らない。
首から下をもがれた人間は戻らない。
「私は、幻想卿が大事だから。私がいないと、幻想郷も駄目になるから」
霊夢はいった。悲しそうな瞳だった。
「あんたがそんなに責任を感じなくてもいいのかもしれない。でも、それじゃぁ、あんたじゃなくなるのかもね・・・私には、理解できないけど。でも、分かる気はするわ」
月の光。
泣きじゃくる悪魔。
「お姉さまがあんなに怒るなんて思わなかったの。だから、だって、咲夜が、だって、お姉さまが、あんなに咲夜のことを思っていたなんて、知らなかったの。私、悪い子だった。あやまっても許してもらえないと思うけど、だけど、だから」
霊夢が私を見つめている。
フランが私を抱きしめている。
「だから、許してもらえないくても、でも、でも、でも、ごめんなさい」
フランは泣きじゃくりながら、その涙と鼻水とでぐしゃぐしゃになった顔をあげた。
「だから、ごめんなさい、魔理沙」
だから。
私は。
だから。
だから。
月の光。
妖怪と、人間は、駄目。
ならば、妖怪と、妖怪なら。
ならば、人間と、人間なら。
「は、は、は、は、は」
私は、よろめいた。
そして、倒れた。
私の倒れる先には、あの、青い、クーラーボックスが。
倒れて。
中から、液体がこぼれて。
「ごめんなさい」
人間と。
人間。
中から。
月の光に照らされた。
銀髪の。
脳のない。
十六夜咲夜の首が。
おわり
魔理沙・・・私のこと・・・
美味しかった?
うらんふ
作品情報
作品集:
20
投稿日時:
2010/08/23 12:42:27
更新日時:
2010/08/23 21:45:56
分類
産廃百物語
十六夜咲夜
私はどんな形であってもお嬢様を・・・
てか後書き変わっててびっくらこいたじゃないかww
え、数字合わせ怖い
最初のクーラーボックスに入っていたレミリアの首の髪の色とか
色々と深読みしちゃうな
黒髪の女の子は現地調達として、
金髪2人のうち、フランでない方が分からない。
気になって夜も眠れません
よくよく考えると咲夜本人がビールにゲップは無いかな、やっぱり魔理沙だからか。
ボーダー商事の時も思ったけど、どうにも会社や仕事、その帰りとかの日常パートがリアル過ぎて共感できる。
一部うらんふさんの実態が混ざってr
人間は弱い生き物だから何がきっかけで狂い出すか分からない、そんな儚さに恐怖を感じました。
あと、鼠の脳の話は初耳でした。勉強になります。
>>9
わざわざ「昔々の実験」と彼女が言うくらいだし幻想入りした逸話扱いなんだと自分は思う
胸くそのわるくなるような、虐待描写と咲夜さんの狂いっぷりが最高だ……
と思っていたらまさかの落ち。楽しませてもらいました。
魔理沙はレミリアに食わされたのだろうか……作中の魔理沙がやったように
人間の脳、記憶は伝染する・・・か。
何故か、咲夜さんの、いや魔理沙の行動に間違いはひとつも無い、とふと思った。
レミリアは何故死んでしまったのかな。
語られぬ部分が多くて、読了後の余韻が最高……。