Deprecated : Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/neet/req/util.php on line 270
『OLIVE 3フレーズ目』 作者: タンドリーチキン
.
OLIVE (魔理沙編) → 作品集17
OLIVE 2フレーズ目 (白蓮編) → 作品集18
人里へと続く道の上、目を覚ましてゆっくりと自分の姿を確認した東風谷早苗は、眼前に居た上白沢慧音に向かってこう言った。
「どうせだったら亀甲縛りでお願いします」
「馬鹿か、お前は」
夏の、とても暑い日だった。
「まったく、いきなりどうしたんだ?暑さに頭をやられたか?」
「いえいえ、私は普段となんら変わりありませんが」
「…それはそれで問題だな」
慧音は荷車を牽いていた。ゴトゴトを音を立て、里へと向かっている。
「あのーですねー」
「ん?なんだ?水飲むか?たぶんこの暑さでお湯になってると思うが」
「いえ、そうではなくて。そろそろ、この状況を説明してくれませんか?私、家で昼寝してたはずなんですが…」
早苗は現在、縄でぐるぐる巻きにされ、手首は後ろで縛られ、さらに縄が荷車の四隅に伸びて固定されていた。
「ん〜、説明も何も、見たそのままなんだがなぁ〜」
「つまり、私は拉致されたと考えていいんですね。よし、これより、貴方を退治させていただきます。腕の一本くらいは覚悟しといてください」
「待て待て待て。なんでそうなるんだ。すぐに物騒な発想をするんじゃない。もっと常識で考えるんだ」
「知らないんですか?この幻想郷では、常識に囚われてはいけないのですよ!」
早苗は自信に満ち満ちた顔で言い放った。
慧音はため息をついた。
「これは聞きしに勝る酷さだな。私に依頼が来た理由が分かったよ」
「依頼?これは誰かに依頼されてやった事なんですか?」
「ああ、神奈子殿と諏訪子殿に頼まれた」
「なん……ですって?…どうしてあのお二人がこんなことを…」
「それはな、お前が飽きもせず、毎日毎日、妖怪退治してばっかりで、神社の仕事を疎かにしてるからだ」
「??妖怪退治は仕事の一環ですよ?」
「それだけならともかく、やり方が酷い。人を驚かしただけの妖怪を、あそこまで痛めつけることはないだろう。
せいぜい、とっ捕まえて説教するぐらいでいいんじゃないのか?」
「あ、あはは、いや〜、あの宝船騒動以来、妖怪退治の面白さに嵌まっちゃいまして」
てへ、と早苗は舌をだす。
慧音は、その舌を引っこ抜きたい衝動に駆られたが、すんでのところで堪える。
「まあ、そういうわけで、少し常識を学んでもらおう、と神様二柱は思われたわけだ。
聞けば、幻想郷に来るにあたって、外の世界の寺小屋を中退したらしいじゃないか。
いい機会だし、これからしばらくは、私の寺小屋に通ってもらう」
寺小屋という単語に、早苗は拒絶反応を示す。
「え゛っ!い、嫌です!こっちに引っ越して、やっと学校と名の付くものから開放されたと思ったのに…
そんな酷い話がありますか?!!」
「なにが酷いんだ?こっちに来ても学び舎へ行けるんだぞ。感謝こそあれ、非難される筋合いは無い。
…文句があるのなら、私でなく、あの二柱に言ってくれ」
*
暫らくすると里に着いた。そのまま寺小屋へと向かう。
寺小屋に着くと、早苗を荷車に固定していた縄だけがはずされた。
「ほら、着いたぞ。中に入るから、自分で歩いて!そら、そら!」
早苗は、むすっ、とした顔で立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。その後ろを慧音が続く。
早苗は目だけを動かし、慧音に悟られないように、脱出のチャンスを窺う。
だが、慧音にそのスキが生じることなく、教室へ着いてしまう。
「ここが今日からお前が通う教室だ。中には担当の教諭がお待ちかねだ。ちゃんと挨拶しろよ」
「担当の教諭?慧音さんが授業を行うんじゃないんですか?」
「こう見えても仕事をいろいろ抱えてて、忙しくてな。寺小屋は人手が足りてないんだ。
こっちの仕事が片付いたら私が行う。それまでの、短期間の臨時の教諭だよ。
なに、私の元教え子で、とても教え上手な子だ。心配いらんよ」
早苗が何かを言おうとしたが、慧音は構わず教室の引き戸を開ける。
教室の中には青年が居た。
年は二十歳前後。背は若干低めだが、背筋が伸びていて、相手にそういう印象を持たせない。
慧音は早苗の方へ振り返る。
「紹介しよう。彼が今回、お前の-----あれ?」
だが、振り返った先に、早苗は居なかった。
逃げられた-----慧音はまだ近くに居ると判断し、周囲を見渡す。
「さあ!さあ!!さあ!!!早く授業を始めましょう!!」
早苗はすぐに見つかった。
どうやったのかは分からないが縄から抜け出し、教壇正面の一番前の席に座り、授業を催促していた。
早苗はものすごい笑顔だった。
青年は、早苗の好みのタイプにど真ん中ストライクだったらしい。
「ほら慧音さん!忙しいのでしょう!
私は彼と二人っきりで大丈夫ですから、安心して、ゆっくり、ゆったり、のんびりと他の仕事をしててください!」
「……私は逆に心配になってきたよ…」
慧音は教室を出るとき青年に、襲われそうになったら大声で叫べ、と耳打ちする。
それを聞いた青年は、軽く苦笑いを浮かべた。
慧音が教室を後にすると、早苗が質問責めしているのが聞こえてきた。
内容は名前、年齢、趣味、付き合ってる彼女の有無、上と下どちら側になるのが好きか、SとMのどちらなのか、好みの縛り方、等々。
「やれやれ、別の意味で心配だなぁ。
…まあ、脱走やサボりはなさそうだから良しとするか」
慧音のこの予想はズバリ的中した。
早苗は毎日寺小屋へ授業を受けに、いや、青年に会いに来ていた。
慧音が考え、青年の執り行った常識力強化教育プログラムは、命の重さについてが中心だった。
それに追従する形で他の道徳的なものを取り扱った。
どうやら、命の大切さについて学ばせ、それに伴い妖怪への態度、考え方を改めさせる方針のようだ。
傍から見ると、それは成功したように思えた。
事実、妖怪への対応の仕方が劇的に変わった。
ある日、早苗は道端から飛び出して怖がらそうとする唐傘妖怪と出会ったが、退治するどころか話や愚痴を聞いてやり、
十数分後には友達になっていた。
今までの早苗なら、出会い頭にお札と弾幕を叩きつけ、廃品回収送りにしているところだ。
慧音に誤算があるとすれば、それは、
「えぇ!明日から彼はもう来ない?!どういうことですか、慧音さん!!」
早苗の青年に対する想いの深さだった。
「どうもこうもない。初めから彼は臨時だと言ったじゃないか。
私の方の仕事があらかた片付いたので、残りのプログラムは私が行う。それだけだ」
慧音の言葉に、早苗はあからさまに不快感を顔に出した。
「お断りします。私は彼以外に教わる気はありません」
「いやいやいや、んな馬鹿な…」
「私は本気です。今日まで、どうもお世話になりました」
早苗は慧音に一礼すると、教室を出て行こうとする。
だが慧音も依頼を受けた以上、はいそうですか、とはいかない。なんとしても引き止めるべく、慧音は折れることにした。
「待つんだ!ああもう!分かった!分かったよ!!明日からも、あの子を連れてくれば良いんだろ?!
もう一度来れないかと頼んでみるよ、まったくもう!」
すると早苗は、くるり、と振り返り、
「そうそう、そうこなくちゃ。よろしくお願いしますよ、セ、ン、セ」
慧音の肩をポンポン、と叩いた。
青年の家への道中、慧音は盛大にため息をついた。
彼とて暇ではない。彼は自分の恩師の頼みだからこそ、仕事の合間を縫い、寺小屋へと足を運んでくれたのだ。
それを、早苗が駄々をこねるのでもう少しやってくれ、などと、どの面下げて頼めばいいのだろう。
だが、慧音の心配とは裏腹に、青年はあっさり承諾した。
あまりにすんなり行くので、慧音が顔をしかめる。それに気がついた青年は、慧音に自分の気持ちを打ち明けた。
何のことは無い。青年の方もまた、早苗を好いていたのだった。
ならばこれ以上の介入は野暮というもの。若いもの同士で存分にやればいい。
慧音はそう判断し、明日から頼む、と言うと早々に帰っていった。
*
次の日から、青年による授業が再開された。
ただ、この時点で教育プログラムはほとんど終わっていた。
そのため、授業は、それから数日行っただけで終わってしまう。
そして最終日。
授業が終わると、青年は自らの想いを早苗に告白した。
もともと、彼を落とすための機会を得るために授業を受けていた早苗としては、
願っても無い申し出であり、当然二つ返事で受けた。
それから二人は、お互い忙しい仕事の合間を縫って逢うようになった。
早苗が人里へと降りてきて、一緒に散歩したり、買い物したり、一緒にお茶を飲んだりがほとんどだったが、
稀に青年の方が、山の上の神社まで来ることもあった。
早苗は、神社は妖怪の山の上にあるため、危険だから来ないように言っていた。
どうしてこんな危険を冒したのか、青年に問いただすと、
「どうしても早苗に逢いたくなった」
と、笑顔で答えた。
この答えに、早苗はあまりの嬉しさに涙し、神様二柱は、早苗に付けた盗聴器(早苗の付けている蛙と蛇の髪飾り)から音声を聞き、
「「おお、お熱い事で」」と、近所の噂好きのおばさんの様なノリで、ニヤニヤしながら見守っていた。
二人の交際は、順調に進んでいった。具体的には、
「あ!あれ良いな!あなたに絶対似合いますよ!これ買いましょう!」
デートしたり、
「あ、椛さん、お疲れ様です。え?今日は彼と紅葉狩りです。…あなたを狩るわけじゃないので、そんな顔しないでください」
一緒に山へハイキングに行ったり、
「綺麗ですねー。…あ!流れ星!
ずっと彼と一緒に入れますようにずっと彼と一緒に入れますようにずっと彼と一緒に入れますように」
一緒に夜景を見たり、
「これはですね〜。これをここに入れて、ここを押すと、音楽が聞こえるんです。
…この曲、シングルのB面なんですけど、私のお気に入りなんです。一緒に聞きましょう」
一緒に同じ音楽を聞いたり、
「いいですか。このお札を、こう持って、こうです!!」 シュッ!ビシッ!
「痛い!さてずむ反対!さてずむ反対!!」
一緒に妖怪退治したり、
「ん…あぁん…動いちゃだめです、私が動くんですから」
布団の中で青年の上に乗ったり、
「何ですか、大事な話って。…え、それって。……はい。こんな私でよければ、末永くよろしくお願いします」
プロポーズを受けたり、
「この物件にしましょうよ!こじんまりとしてますが、結構キレイだし、中は以外と広いし」
新居を購入したり、
「よし!この日にしましょう!私たちの門出として、ふさわしい日です!」
結婚式の日取りを決めたりした。
式の日が迫ってきた、ある秋の日の昼下がり。
「え?出かけてくる?一人で?…最近は物騒ですから、早めに帰ってきてくださいね」
二人が移り住んだ里の新居の玄関から、早苗は青年を見送る。
その日、特に用事のなかった早苗は、家の中で待つことにした。
一時間が過ぎ、二時間が過ぎ、日が落ちて、夕食の時間になっても、青年は帰ってこなかった。
「…遅いですね。どうしたのでしょう?捜しに行きましょうか、いやでも、入れ違いになるかも…」
最初、早苗は家で待つことにしていた。良い妻は黙って夫の帰りを待つものです、と自分に言い聞かせながら。
だが、夜が更け、痺れを切らした早苗は家を飛び出した。そして青年の行きそうな所を片っ端から当たる。
だが、
「いらっしゃいませ〜!…ん?ああ、アイツなら今日は来てないよ」
「いや、ウチには来てないな〜。どうしたの?もう夫婦喧嘩?」
近所の飲み屋にも、青年の友人宅にも、その姿は無かった。
「もう、本当にどこに行ったのでしょう?」
ふと、横を見ると、公園があった。
とりあえず一休みしようと、敷地内へと入っていく。
するとそこには、
「…え?」
街灯の下、血まみれで倒れている里の男性と思われる人物一人と、傍らのベンチに腰掛けてる妖怪が一匹。
男性の方には見覚えがあった。いや見覚えなんてもんじゃない。毎日、間近で見ていた。
その男性は、早苗の探していた、青年だった。
早苗は青年に駆け寄る。近づくに連れ、出血は首から流れ出ているのだと分かった。
「きゅ、救急車!じゃない、医者!!、誰か、い、しゃ…を……」
早苗の助けを呼ぶ声が、だんだんと小さくなった。
頭部と体の位置が微妙にずれている様に見えることに違和感を感じ始めた。
そして青年の傍まで来て、違和感の原因が分かった。
青年は首を切断され、既に絶命していた。
「…え?な、なに、これ、う、うそ、嘘よ、あああああぁぁぁぁぁ!!!!」
早苗は大声を出しながら青年の亡骸に縋り付く。
ベンチに座っている妖怪は、早苗の絶叫にも何の反応も無かった。
「お、おま、え……お前が彼を殺したのか?!!」
早苗は頭だけを上げて妖怪の方を向き、問い詰める。だが、またしても反応はなかった。
その妖怪を、早苗は涙の止まらない瞳で睨みつける。
その妖怪は、様子がおかしかった。口から唾液が垂れ、目は焦点が合っていない。
足元には使用済みの注射器が何本も転がっている。どうやらクスリで夢の世界へと飛び立っているようだ。
その手は血が付着していて、どう見ても、この妖怪が青年を殺害したようにしか見えなかった。
早苗は立ち上がり、両手で妖怪の首を絞める。
「何でだ?!何で彼をこんな目にあわせた?!!答えろ!!」
妖怪は答えず、あー、やら、うー、などの呻き声を上げるだけだった。
業を煮やした早苗の指の力が増していき、だんだんと妖怪の首に、爪が食い込んでいく。
だが、妖怪は苦悶の表情一つ表さない。それどころか、快楽を感じているがごとく、笑みを浮かべていた。
そのことが、早苗には侮辱されているように感じられた。
早苗の指の力がさらに増し、妖怪の首から血がにじみ始める。
そしてついに、早苗の指の爪は頸動脈を突き破り、血がドバドバと溢れだした。
妖怪の血が指を伝い、腕を伝い、服の袖に染み込み、上着の裾からスカートまでが、赤黒く染まっていく。
それでも早苗は力を緩めない。
そこへ、人里で恐ろしい妖怪が出るという噂を聞きつけた多々良小傘が、噂に便乗して人間を驚かそうとやってきた。
「ここかな?おっかない妖怪が出没する公園って。…あっ!早速、人をはっけ〜ん!」
距離があるため、早苗達が何をしているのか分からない小傘は、見つからないように茂みの中を、腰を低くした体勢で急ぎ進む。
そして距離が詰まったところで、走った勢いそのままに茂みから飛び出す。
「うらめしや〜!!おどろ…お、ど………ひぃぃ!!」
飛び出した小傘の目に、全身真っ赤になった早苗と、首を掴まれた状態で持ち上げられて大量の血を流している妖怪が写った。
小傘は後ずさりしようとして、足をもつれさせてしまい、尻餅をつく。
あわあわとそのままの体勢で後退している時、ようやく目の前の人間が見知った人物であることに気がつく。
「…早苗?早苗なの?」
小傘は話しかけるが、早苗は聞こえていないのか、反応しない。
ちらり、と妖怪の方を見る。先ほどから目を開けたまま、瞬き一つしていない。
「ちょ、ちょっと早苗?!そいつ死んじゃうって!!」
小傘は素早く立ち上がり、早苗の腕に飛びつく。
早苗は二人分の重さを支えきれず、体勢を崩し、地面に伏せる。そこでようやく早苗の指が、妖怪の首から離れる。
「大丈夫ですか?!」
小傘は妖怪を揺すってみる。妖怪は揺られるままに首を前後させる。もう既に事切れているようだ。
早苗の方は顔を伏せ、両手を地面についた格好のまま動かない。
「う、うぅぅ」
ポタッ、ポタッ、と地面に水滴が落ちた。
早苗は、瞳から大粒の涙を流していた。
どうしたらいいか分からず、オロオロする小傘。
「う−あー、……早苗、と、とりあえず、落ち着いて。
…あーもう、どうしたらいいか分かんない!神社行こう!山の上の神様に相談しよう!ほら、早苗も行くよ」
このまま放置するわけにも行かず、かと言って今すぐに早苗から事情を聞きだせる状況ではないと判断した小傘は、
早苗を背負い、ヨロヨロと守矢神社を目指して飛んでいく。
*
神様二柱が、小傘と一向に泣き止まない早苗から、何とか事情を全て聞きだした頃には、もう空が明るくなり始めていた。
居間のちゃぶ台の周りには洩矢諏訪子、八坂神奈子、そして多々良小傘が座っていた。
二柱は腕を組み、一言も発しない。
早苗はというと、泣き疲れたのか、部屋の隅で俯きながら膝を抱えていた。
小傘は、首を亀のように縮みこませながら、頻りにキョロキョロしている。
そしてその重い沈黙に耐えられなかったらしく、先ほどから思っていたことを慎重に話し出す。
「あ、あの〜。と、とりあえず、早苗から聞くことはこれで全部みたいなんで、部屋で少し休ませませんか?」
「…ああ、そうだな。悪いが、手を貸してくれ」
二柱と小傘は早苗に歩み寄る。
その途中、小傘は、早苗の口が僅かに動いているのに気がついた。
どうやら、何事かをぶつぶつと呟いているらしい。その呟きに耳を傾けてみる。
「私がもっと早く捜しに出ていれば助かったかもしれないいや彼が出か
けるとき私が付いていれさえすればこんなことにはいいやそもそも家か
ら出さなければよかったあの吸血鬼の妹のように地下室に入れておけ
ば良かったそうすれば絶対安全だしいつでも逢えるご飯だって私が毎
日作って食べさせて下の世話だって私がしていつもいつまでも一緒に-----」
少し驚いた小傘だったが、意を決して呼びかける。
「…早苗?」
反応がない。構わず言葉を続ける。
「早苗。後のことは私たちに任せて、今日はもう寝た方が良いよ。
人間って、寝れば感情が落ち着くようにできてるんだってさ。ね?部屋に戻ろ?」
小傘は早苗の左腕を掴んで立たせようとする。
早苗はそれに逆らわず立ち上がろうとするが、足に力が入らないらしく、膝から崩れてしまう。
小傘はしゃがんで早苗の左腕を首の後ろに回し、よっ、という掛け声と共に立ち上がる。
反対側の右腕は神奈子が担いだ。二人の進路上にあるドアを諏訪子が先回りで開けてゆく。
そして元は早苗の個室だった部屋まで運び、そっとベットへ横たわらせ、布団をかける。
里に住居を構えるにあたって、こっちの部屋は服や本などは片付けられていたが、ベットや机はそのまま残っていた。
神奈子は右手で早苗の手を握り、左手でぽん、ぽん、と一定のリズムで早苗のお腹の辺りを摩る。
まるで、赤ん坊を寝かしつける母親のように。
暫らくすると、ようやく寝付いたのか、すぅすぅ、と寝息が聞こえ始めた。
小傘と二柱はそっと早苗から離れ、照明を消し、静かに部屋を出る。
とん、と戸が閉まった。
すると、早苗の寝息も止まった。
カーテンが閉め切られ、一片の光もささない部屋の中、早苗の瞳孔が大きく見開かれていた。
「小傘ちゃん。ちょっといいかい?」
早苗の部屋を出て、居間に戻ってきた小傘に神奈子はそう切り出した。
「はい、なんでしょう?」
「まずは礼を言わせてくれ。
あんたが居なかったら私達は、早苗のことに気付くことなく、今頃酒を食らって寝ていたことだろう。
あの子を、早苗を連れて来てくれたこと、本当に助かった。ありがとう」
そう言うと、神奈子は小傘に向かって深々と頭を下げた。
小傘は、神様に頭を下げられるという事態に、冷や汗をダラダラと流して、激しく慌てふためいた。
「ちょ、ちょっと!そんな!頭を上げてください!
私は友達があんな状況なのに、結局どうしていいか分からず、ここへ連れて来ただけなんですから!
お礼を言われるようなことはしてませんよ!」
神奈子の行動に戸惑っていると、今度は諏訪子が話し始める。
「そんなことは無いよ。話を聞いた限りじゃ、いきなり物凄い光景を見たわけでしょ?
そんなん見たら普通、友達だろうがなんだろうが放って逃げ出してるよ。
でも貴女は、早苗を見捨てることなく、ここまで連れて来た。私からも礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
諏訪子は被っていた帽子を取って胸に当て、神奈子と同じく、小傘に向かって深々と頭を下げた。
「わ、わわわわわわ分かりましたから!お、おお二人の気持ちは、し、確と受け取りました!
もう十分です!頭を上げてください!」
小傘がそう言うと、二柱は下げていた頭をゆっくりと上げた。
それを見て、小傘は、ふぅ、と息をついた。
「さて、次の話だが、」
神奈子の発言に、小傘はもう勘弁してくれと言いそうになった。
しかし、次の神奈子の発言に、そんな考えは吹っ飛んだ。
「これは私の予想なんだが、早苗の旦那を殺した真犯人は、他に居る」
「え?!それはどういうことですか?あの妖怪が犯人じゃないんですか?」
「ああ、実際に現場に行ってみないと何とも言えないが、早苗の話からは違和感を感じた」
「違和感、ですか?」
「そうだ。何故あの妖怪は旦那を殺した後、立ち去らなかったんだろう、とね」
小傘は現場の状況を思い起こす。
横たわる青年の死体。血で真っ赤に染まった早苗。首から血を流す妖怪。そしてその足元には…
「えっと、それは、何かの薬物を注射してたからじゃないですか?
それらしい注射器が足元に落ちてましたし」
「まあ、その注射器に薬物が入ってて、それを注射したとしよう。
だけど、それは何時だろうか。殺す前?それとも後?どちらにしても疑問が残る。
前者なら、そもそも、ラリってる妖怪なんかに殺されるなんてないだろう。
一応、早苗は妖怪退治用のお札を渡していて、その使い方も教えてるようだし」
小傘は、その使い方の練習台を務めさせられたので、知っていた。うんうんと大きく頷く。
神奈子は続けて話す。
「後者なら、なぜ殺した後にその場で注射する?それも意識が朦朧とするほどに。
一仕事終わった後の一服?人里の公園で?
これは明らかにおかしい。『私がやりました。退治してください』と言っているようなもんだ。
で、だ。どちらでもないとすると、考えられるのは第三者の存在だ。
何者かが旦那を殺害。その後に連れて来た妖怪に薬物を注射して放置したんだろう」
「なるほど。して、その真犯人の目星は?」
「…うむ、私が考え付いたのは、そこまでだ。あとは里の自警団にこのことを話して、調査してもらった方が早いだろう」
そこまで話すと、今まで静かに聴いていた諏訪子が口を開く。
「じゃあ、私が里まで行ってくるよ。…ああ、あと、旦那の親御さんにも連絡しないと。
葬儀やら、いろいろあるだろうし、その辺も私が話ししとくよ」
「?どうしたんだ諏訪子。そんな用事を全部引き受けて」
「大したことじゃないよ。少し頭が混乱してるだけさ。…何かしてないと落ち着かないんだ」
「そうかい。じゃあ悪いが諏訪子、頼んだよ」
「りょーかい」
諏訪子は帽子を被り、神社を後にする。
「ああそうだ。この話は当分の間、早苗には黙っててくれないか?
今のあの子に聞かせるような話じゃないのは、分かるだろ?」
「ええ。私とて、その程度の心遣いは心得てます」
「なら安心だ。…とりあえず、徹夜で疲れたろ。布団はあるから、ちょっと休んできな」
「いえ、私ならだい、だ、…ふあぁぁ…………はっ!」
小傘が大丈夫と言おうとした時、代わりに欠伸が出た。
それを見た神奈子から、ふふっ、と笑いが漏れる。
「……えっと、それじゃあ、お言葉に甘えて」
その日のお昼頃。
小傘が起きて、洗面所で顔を洗おうと廊下を歩いていると、
「…小傘さん、昨日はいろいろと、ありがとうございました」
早苗の声が後ろから聞こえてきた。
「あ、早苗。おはよ〜。もうだ-----」
もう大丈夫なの?と聞こうと、後ろを振り返り、早苗の顔を見た小傘の口が止まる。
早苗の顔には、表情が無かった。
感情の全てをどこかへ置き忘れてしまったかのような、完全な無表情。
まるで能面のようだ、と小傘は思った。
「ええ、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
そう言って早苗は一礼する。頭を上げたときには、打って変わったように表情は笑顔になっていた。
先ほどの、感情のまるでない無表情は痕跡すらない。
小傘は、先ほどの能面のような表情は自分の見間違いだろう、と結論付けた。
「…なんだか、お腹すきましたね。考えてみれば、丸一日、何も口にしてません。
台所に行きましょうか。酒のツマミぐらいはあるはずです」
早苗は踵を返し、台所へと向かっていった。
小傘は、暫らく早苗の後姿を見つめた後、はっ、と我に返り、慌てて後を追った。
台所には、本当に酒のツマミになるものしか無かった。
当然といえば当然だ。
青年と暮らすため里へと新居を構えた早苗が居なくなった今、神社に居るのは神奈子と諏訪子だけとなった。
そしてその二柱に食事の必要はない。必要なのは、嗜好品としての酒とツマミ、祭事に使用する米が少々。
よって、急遽、実家への帰宅を果たすこととなった早苗の食事が、乾き物やチーズといった、
主食とは言い難いものになっても仕方が無かった。
だが早苗は、そんなことを気にする様子も無く、次々と腹へと収めていく。
「…早苗。そんなんで大丈夫なの?お米が少しあったから、炊いて食べたら?」
「ふぁれふぁだふぇでふぅ。(むしゃむしゃ)(ごくん)(ぐびぐび)……ふう。
あれは祭事で使用するものなので、私が勝手に頂くわけにはいきません。
それに、あまり時間がありませんしね」
早苗は話をしている間にも、小魚の干物に手を伸ばし、口にする。
「時間?」
「そうです。この際、口にできれば何でもいいんです。
喪主は私ですから、忙しくなりますよ。空腹では務まりません」
早苗は、台所にあったツマミをあらかた食べ、お茶を一気に飲み干すと、自室へと戻る。
そして素早く礼服へと着替え、神奈子に出発を告げると、里へと飛び去った。
先に来ていた諏訪子と合流した早苗は、テキパキと準備を整えていった。
そして仮通夜、本通夜、葬式、告別式、これらは恙無く終了した。
この間、早苗は涙をまったく見せなかった。
そんな早苗の様子を見た人たちは皆、深い悲しみを堪えて、気丈に振舞っているのだと思った。
*
葬式が行われた三日後。
小傘は早苗に呼び出され、人間の里からちょっと離れた森の入り口へと足を運んだ。
森の近くへと降り立つと、正面に、木によりかかっていた早苗が立ち上がり、小傘の方へと歩き出した。
早苗は、いつもの風祝の衣装ではなく、里の女性が着ているような、着物姿だった。
「急に呼び出したりして、すみませんね。小傘さんにちょっと頼みたい事がありまして」
早苗は笑顔で、そう切り出した。
小傘は早苗の笑顔に、微かな違和感を感じた。だが、それが何かは分からなかった。
最近の自分は友人の表情に疑問ばっかり持ってるな、と心の中で微笑しつつ、自身も笑顔で返した。
「いいよいいよ、気にしなくて。それで?頼みたいことって?」
「ええ、小傘さんは、命蓮寺は知ってますよね?」
「うん。人里に新しくできたお寺でしょ」
「そうです。そのお寺に、潜入してきてもらえませんか?」
「…え?」
早苗の言葉に、小傘は思わず聞き返した。
「潜入ですよ。潜入。
今、里では妖怪による事件が多発していて、その影響でしょうか、妖怪撲滅を考える人達が増えているそうです。
そういった人達に襲われた妖怪たちが、保護を求めて命蓮寺に避難しているそうです。
小傘さんには、その襲われた妖怪を装って、入り込んでいただきたいのです」
「い、いやいや、早苗。方法じゃなくって、私が聞きたいのは理由だよ」
早苗は少しの間、んー、と、唸りながら考え、話し出した。
「監視、というと、誤解を招きそうですね。でも他に妥当な言葉がないし、あながち間違いでもないのでしょう。
理由としては、『寺の住人達を監視したいから』です。
小傘さんが何かをするわけじゃなく、寺で見聞きしたことを定期的に私に教えて欲しいのです」
「それで、なんで命蓮寺だけに監視を?」
「命蓮寺だけではありません。幻想郷の、いろんな勢力の元へ潜入、もしくは監視を置くことを考えてますよ。
紅魔館は椛さんの千里眼で監視をお願いしてますし、地底は文さんが取材の名の下に入り込んでます。
まあ、まだありますが、一例を挙げれば、こんなとこです」
早苗は本気で言っているのだと、小傘は理解した。そして、それを実行する理由も。理解して尚、尋ねずにはいられなかった。
「なんで、そんなあっちこっち監視する必要があるの?」
「………」
「言わなくても分かるよ。旦那さんを殺した黒幕を、真犯人を、捜したいんでしょ。監視させてる所が容疑者って訳ね」
「………」
「早苗、私と神奈子様の会話、聞いてたんでしょ?」
「………」
「復讐とかなら、やめなよ!こんな事したって、旦那さんは喜ばないよ!!」
「…なぜ、そう思うのですか?」
「……え?」
「なぜ、彼が喜ばないと?彼の表情は、苦痛で満ちていました。とても、とても苦しかったのでしょう。
苦痛を受けたら普通、やり返したいと思いません?でも、彼には、それがもうできない。できないのです。
ならば!私が替わりに!彼の無念を晴らす!!必ず!!必ずだ!!!」
早苗は、血が滲むんじゃないかと思われるほどに拳を握り締めていた。
小傘は、何も言えなかった。少しの間俯き、やがて意を決したように、頭を上げる。
「分かったよ。やるよ、潜入。でも、二つ、約束して。
真犯人見つけても、殺さないで。ちゃんと、白日のもとに晒して、裁きを受けさせようよ」
「………」
「もう一つは、絶対に無理はしないこと。早苗が怪我したりしたら、旦那さんは悲しむと思うよ」
「……そうですね。分かりました、約束しましょう」
「うん!約束したよ!絶対だからね!」
小傘はそう言うと、早苗の手を取り、強く、とても強く握り締めた。
それから、小傘は、いかにも暴徒に襲われて逃げてきた風を装い、命蓮寺へと入り込んだ。
寺の住職である聖白蓮は、何の疑いもなく小傘を受け入れた。
当初、小傘は寺の住人に犯人がいるかもという考えから、其れと無く全員を警戒していた。
だが、居候を続けるうちに、そんな考えは段々と薄れていき、寺の住人に犯人はいないのでは、と考え始めた。
そして一週間経つ頃には、寺の住人に犯人はいないという考えは、確信へと変わった。
何か、決定的な証拠のようなものがあったわけではない。
ただ、一緒に寺の掃除をし、一緒に洗濯物を干し、一緒に将棋を指し、一緒に食卓を囲み、一緒に暮らしているうちに、
住人達の人間性(妖怪性?)が、犯人像とはかけ離れたものの様に思えたのだった。
もちろん、それが演技の可能性も考えた。
だが、傷ついたり住処を壊されたりした妖怪たちを迎え入れ、手当てをし、食事や寝床を供給するのを惜しまない彼女らの行いに、
偽りなど欠片も見えなかった。
小傘は、急に、自分のしている行為こそが卑劣なものなのでは、と思い始めた。
彼女らに比べ、自分はどうだ。
彼女らを犯罪者ではと疑い、行動を逐一チェックするという、相手の好意を踏みにじる事をしている。
もうやめよう。こんな事は無意味だ。
出て行くのは簡単だ。新しい住処が見つかったと言えばいい。
住処が無事な妖怪たちは皆、お礼を言って帰宅している。
うん、そうしよう。今日、一通り寺の掃除を終えたら、出て行くのだ。
各部屋の埃を掃い、廊下の拭き掃除を完了させた小傘は、白蓮に報告する。
「白蓮〜、廊下の拭き掃除終わったよ〜」
「ご苦労様。次は境内の掃き掃除をお願いね、小傘ちゃん」
「りょ〜かい」
おそらく、これが最後の箇所だろう。
箒を借りに、一輪の元へと向かう。そろそろ門の周囲を掃き終わる頃のはず。
小傘が一輪の姿を遠目で確認する。
一輪は、来客が来ていたらしく、誰かと話をしていた。そして来客と共に、家屋の玄関へと歩き出した。
それを見た小傘は、家屋の裏口へと走り出した。走りながら、考える。なぜ来訪者を家屋へと案内するのかを。
それは、応接間へと通すためであろう。
ではなぜ、応接間へ通す?説法を聞きに来たのであれば普通、本堂に案内するのではないだろうか。
それは、説法を聞くのが目的ではないから。
ではその目的は?
それは、何か、重要な話があるから。立ち話ではできない、且つ白蓮に直接会って話したい何かが。
どうする?
もしかしたら、『あの事件』に関わりのある話かもしれない。だが、まったく関係のない話だったら?
考え込んでいるうちに、応接間の前に着いた。一輪はまだ来ていないようだ。だが、もう間もなくやってくるだろう。
どちらにも決められない小傘は、運に任せることにした。
応接間の机の上に、いつも持ち歩いているナス色の傘を置く。
一輪が、机に置かれた傘をどうするか、それで決めようというわけだ。
この傘は相棒であり、分身であり、小傘自身であった。
部屋の中に傘が置いてあれば、それを通じて話を聞くことができる。だが、部屋の外に放り出されれば、盗聴失敗である。
程無く、一輪は来客を連れて応接間へとやってきた。
小傘は廊下の角に隠れて様子を窺う。
応接間の襖を開けた一輪は、机に置かれた傘を見て、ため息をついた。そして傘を部屋の隅に立てかけた。
賽は、投げられた。
しばらくして、白蓮が応接間へと入ると、来訪者との会話が始まった。
来訪者の名前は、阿求というらしい。
白蓮と阿求は、挨拶もそこそこに、本題へと入っていく。
話の内容は、霧雨魔理沙のことだった。どうやら魔理沙は、誰かの陰謀で、刑務所送りにされてしまったらしい。
どう考えても、『青年』が殺された事件とは何の関係もなさそうだ。
これ以上盗み聞きしてもしょうがないと考えた小傘は、置き忘れた振りをして傘を回収しようと、応接間の襖に手をかける。
その時だった。
『-----もしかしたら、その引き金となった、妖怪による殺人事件にも関わっている可能性があります!-----』
小傘の手が、止まった。
妖怪による殺人事件。
小傘は、『青年』を殺したということにされている妖怪が、一度白蓮によって捕まえられていることを知っていた。
ここ最近の事件で、命蓮寺に関わりがあって、人が死んだ事件。該当するのは一件しかない。
すなわち、あの『青年』の事件である。
阿求が、情報を集めると口にした。これを聞いた小傘は、もう少し寺に留まり、様子を探るべきなのか、と考えた。
不意に、すっ、と応接間の襖が開いた。考えるのに夢中になっていた小傘と、襖を開けた一輪の目が合った。
小傘は咄嗟に、
「あ、一輪。私の傘、見なかった?」
と、誤魔化した。
「部屋の奥の隅にあるわよ。大事なものなら、こんなとこに置かないの!」
「ごめんなさ〜い」
一輪は小傘の行動に疑問を抱かなかった。
小傘は一輪の脇を通り、傘を取りに行く。外見上は平常を装っているが、心臓は破裂しそうなぐらい、脈打っていた。
転がるように家屋の外に出た小傘は、先ほど聞いた話を伝えるため、急ぎ早苗の元へと飛んでいった。
*
小傘からの報告を聞いた後の、早苗の行動は、速かった。
「小傘さん、お手柄です。よく知らせてくれました。
それにしても、魔理沙さんの件と繋がりがあったとは。
私はこれから魔理沙さんの所へ面会に行ってきます。
本当に関わりがあるのなら、何か、手がかりになるようなことを知っているかもしれません。
小傘さんは、寺に戻って引き続き情報収集をお願いします。
特に、阿求さんが情報を持ってきたら、必ず私に内容を教えてくださいね」
早苗は捲し立てるように話すと、すぐさま刑務所へと向かう。
途中、ふと空を見上げると、分厚い雲から白い綿毛のようなものが降って来た。
早苗は、それを手のひらで受ける。とても冷たく感じられた。それは、大粒の雪だった。
道理で冷えるはずです、と呟くと、先を急ぐ。
刑務所に着いた早苗は早速、魔理沙との面会の手続きをしようとするが、係員に断られた。
理由の説明を求めたが、面会謝絶だと言われたきり、それ以上取り合ってもらえなかった。
「…これは怪しいですねぇ……」
係員のあまりにも不自然な態度に、疑問を持った。
正面からは無理だと判断した早苗は、帰る振りをして、こっそり刑務所の裏側へと回る。
刑務所の裏側は、森に面していた。
この刑務所は古い屋敷を改造したものらしく、塀はそれなりに高かったが、森の木とあまり変わらない程度だった。
早苗は塀の中を覗くため、森の木の上へと飛翔する。
直接塀を飛び越えなかったのは、警備の人に見つかったらまずいと思ったからである。
木の上からは、ギリギリ塀の向こう側が窺えた。
だが、そこまでだった。独房があると思われる建物は見えたが、どこに魔理沙が収監されているかは分からなかった。
「うーーん、やっぱりダメか」
早苗が諦めて帰ろうとした時、誰かが路地を曲がり、早苗の隠れている木の下までやってきた。
早苗は、その人物に気付かれないよう、慎重に上から覗き見る。
「あれは、アリスさん?」
その人物とは、アリス・マーガトロイドだった。
こんな所で何をしているんだろ、と早苗が考えていると、アリスは人形を一体取り出し、塀の上へと登らせる。
どうやら、人形を使って刑務所内部を探っているらしい。
その時、早苗の目が、視界の端で何か動くものを捕らえた。
視線を下から正面へ戻すと、鉄格子の嵌ってる独房の一つから、魔理沙と思わしき人物が外を窺っているのが見えた。
早苗がそれを認識した次の瞬間、今度はアリスの人形が魔理沙の独房へと飛んでいくのが見えた。
「!!!」
早苗は驚愕した。頭の中が、ぐるぐる回る。
なんだろう、この出来過ぎなほどのタイミングの良さは。
アリスさんがここへやってきて、人形を塀を登らせて、そしたら魔理沙さんが顔を出して、次の瞬間には人形が独房へ飛んでいく。
偶然か?それはないだろう。これが偶然なら奇跡のような確率だ。ならば何だ。
……何かの合図、か?
あらかじめ日時と時刻を決めておいて、魔理沙さんが窓から顔を出すと、それに合わせてアリスさんが人形を送る。
そう考えると、辻褄が合う。
では人形を送って何をする?…おそらく、内部と連絡を取っている、のだろうか…。
………もしかして、魔理沙さんは何か理由があって、自ら刑務所に入り込んだんじゃ?!
…いやいや、それはないか。一体どんな理由があって、刑務所なんかに入り込むんだ。
早苗があれこれと思案している内に、アリスは周囲を見回すと、そそくさと立ち去っていった。
その後姿を見つめながら、ため息をついた。
「まあ、放っておいてもいいでしょう。ただ単に、魔理沙さんの様子が気になっただけという可能性もありますし。
私としては、魔理沙さんの独房の場所が分かっただけで十分です。話を聞くのは今度にして、帰りますか」
早苗はそう一人ごちると、上空へと飛び立ち、刑務所を後にした。
*
一週間後。
独房の魔理沙との連絡手段が思いつかない早苗の元に、小傘から新しい情報が届けられた。
情報を伝えに来た小傘の目の下には、隈があった。さらに、腹が痛いのか、時折手で擦っていた。
何かあったのかを尋ねるが、小傘は、何でもないの一点張りだった。
そして小傘は、寺で見聞きした事柄を早苗に伝えると、そそくさと戻っていった。
早苗は少し不審に思ったが、情報収集に苦心しているのだろうと思いなおし、深くは考えなかった。
小傘からもたらされたのは、アリスの言動についてだった。
刑務所に向かったナズーリンが、先に来ていたアリスの行動を不審に思い、子飼いのネズミに後を付けさせたらしい。
そのネズミは、アリスの言葉から、
『--を爆破--』 『--の警備は薄い--』 『--に決行--』 『--脱獄--』
という単語を聞き取った。
そして寺の面々の間で、おそらくアリスは通信用の魔術かなにかで誰かと話をしていたのでは、という推理が出たらしい。
早苗の脳裏に、先日の刑務所での出来事が浮かび上がった。
そしてすぐに、アリスは遠隔操作と通信機能を備えた人形を持っている事を思い出す。
早苗は考える。
通信用の魔術かなにかとは、通信機能を備えた人形のこと。その話し相手は、人形を送られた相手である魔理沙ではないか。
だが、この推理には疑問点が残る。
それは、果たして刑務所内部で魔術を用いての通信は可能なのだろうか、という事。
魔法使いである魔理沙を収監するのだから、何かしらの魔法、魔術対策は施されていると考えるのが自然だ。
そうなると、いくら通信用人形を送り込んでも、会話は不可能ではないだろうか。
ならば、アリスは誰と話をしていた?
…アリスが口にしたという四つの単語。これは、脱獄計画ではないか?もしかして、アリスは魔理沙を脱獄させようとしている?
となると、話し相手は、魔理沙脱獄の共犯者。そんなものに協力するのだから、その人物は、魔理沙ととても仲の良い人物だろう。
すぐに思いつく人物で、アリスを除いて考えられるのは、霊夢、パチュリー、咲夜、にとり、霖之助といったところか。
この中でも特に霊夢、霖之助とは格別に仲が良かったはずだ。
だが、常に中立を保ち、異変解決を生業とする霊夢が、犯罪に手を貸すとは思えない。
……残るは、一人。森近霖之助だ。彼であるなら、なんとなく動機も想像できる。
これは、確かめる必要があるな。
ここまで考えた早苗は、香霖堂へと向かうことにした。
上空をしばらく飛んでいると、眼下に、森の入り口に立っている香霖堂が見えてきた。
だが早苗はすぐに降下しなかった。
ここまで来たはいいものの、どうやって店主に探りを入れるかを考えていなかったのだ。
う〜〜ん、と唸りながら考えていると、下の方で動く何かを捉えた。
視線を下に向けると、店から出てくる人影が見えた。
早苗は、その人影へと目を凝らすと、頭は金髪、蒼い服を着ていて、手には茶色い物体を抱えている、という事までは分かった。
だが、距離が離れているので、人物の特定まではできなかった。
その人物は、そのまま森の中へと入っていった。
ただの買い物客だろう、と結論付け、早苗は降下を開始する。
その時、森の中から男が一人出てきた。
その男は、頻りに周囲を見渡しながら、慎重な足取りで、香霖堂の入り口へと向かう。
だが、店内へは入ろうとせず、室内からは死角になる位置にしゃがんで、入り口の戸に何かを取り付けている。
早苗は、通常の客とは逸したその男の背後に、音もなく降り立った。そして声を掛ける。
「そこで、何をされているのですか?」
男は、突然背後から声を掛けられ、びくんっ、と体を大きく震えた。
その際に手元が狂ったらしく、戸に仕掛けようとしていたらしい球体を、お手玉のごとく空中で遊ばせた。
何度か掴み損ねた後、ようやく両手で挟み込むようにキャッチすると、ふぅ、と安堵の息を吐く。
「その手の物は何ですか?」
早苗は男の背後に立ち、背中ごしに質問をする。男は恐る恐る早苗の方へと振り返る。
二人の目があった。男が微笑みかける。早苗も微笑み返す。
次の瞬間、男は、早苗から見て右へ、全力で走り出した。
早苗はその行動を読んでいたらしく、男が走り出すと同時に右へ飛び、男の髪の毛を鷲掴みにする。
そして掴んだその腕を店の壁へと思いっきり振る。男は背中を壁へ強く打ちつけた。
「がはぁ!」
男の肺から、空気が漏れた。腕が、ぷるぷる、と震えている。打ち付けられた衝撃で、うまく動くことができないようだ。
早苗が閉じていた指を開き、軽く腕を振ると、男の毛髪が空中へ舞った。
そして男の腕を取って持ち上げ、
「せいやあぁぁ!!」
掛け声と共に、一本背負いの要領で固い地面へと打ちつける。
男は、びくっびくっ、と痙攣を起こし、やがて気を失った。
「…人の店の前で、一体何をしてるんだい?」
早苗が男の持っていた球体を取り上げた時、表の騒がしさに気がついた森近霖之助が出てきた。
「あ、霖之助さん、こんにちは」
「ああ、こんにちは。えっと、早苗さん-----」
「呼び捨てで構いませんよ」
「…では、早苗。これは一体何事だい?そちらの方は貴女の知り合いかな?」
「いいえ、まったく知らない人です。霖之助さんの知り合いじゃあないんですか?」
「いいや、僕の知り合いでもないね。なぜそう思ったんだ?」
「先ほど、この男の人が、店の扉にこんなものを仕掛けようとしていたもので。
初めは何かのドッキリを仕掛けようとしてるのかと思ったのですが、それにしては様子がおかしかったので捕まえてみました」
早苗はそう言うと、球体を霖之助へと差し出す。
球体のことを知っているのか、早苗から受け取ると、霖之助は眉を顰めた。
「これは…爆弾だね。それも、強力な威力があるようだ。……これを、店の戸に?」
霖之助が早苗に質問しているとき、男の指先が、ピクッ、と動いた。
「そうです。仕掛けようとしていました。
つまりあれですね。この男は、霖之助さんを店ごと爆発させようとしていたと。何か、心当たりはありますか?」
次に、男の目が、ゆっくり、細く開いていった。
「無いよ。そもそも、僕は人から恨みを買うようなことは何一つしたことが無いからね」
男の手が、ゆっくりとした動作で、懐へと伸びていく。
「………そうですか。まあ、爆弾を仕掛けようとした本人に聞くのが一番手っ取り早いですよね。後はこの人から聞きだして…」
早苗が、気絶していると思っていた男の方に視線を向けたとき、男の手には短刀が握られていた。
男は、素早く鞘から抜き去ると、刃を首元へと突き当て、引いた。
すると、ぱっくりと開いた傷口から、大量の血液が噴出した。。
「「!?!!」」
霖之助と早苗は、思わず男から飛び退いた。
やがて、致死量をはるかに超えて血を流出した男は、血の池の中で虚ろな目を空に向けらがら、息絶えた。
「…死んだのですか?」
「ああ、死んでいるね」
霖之助は、男の手に握られたままの短刀を取り、鞘に収めた。
「ふむ。どうやら、何かあった場合、速やかに自害するため、持ち歩いていたんだろう」
「速やかに自害って。一体どんな状況になれば、そんな事をする必要が出てくるんでしょうか」
早苗の問いかけに、霖之助はあっけらかんとした態度で答えた。
「…まあ、要は、今のこんな状況じゃないか?
理由は分からないが、この男は僕を爆殺しようと目論んでいた。でも、僕との面識はまったくない。
つまり、この男は任務として、ここへやってきたわけだ。当然、失敗して捕まりでもしたら依頼主が割れてしまう。
それを恐れたのだろう。拷問なりなんなりをされる前に、自ら命を絶って、情報漏洩を最小限に留める、と」
依頼主。その言葉を聴いた瞬間、早苗は自分の頭の中で、何かが閃いたような気がした。
早苗は今の閃きは何だ、と考えはじめる。
…もしかしたら、『彼』を殺した黒幕と、霖之助を殺そうとした輩が同一人物ということは考えられないだろうか。
それどころか、魔理沙を嵌めたのも、そいつかもしれない。
そうだ!一連の事件は、繋がっているのだ!
「どうしたんだい?具合でも悪いのか?」
早苗の思考は、霖之助の、心配する声で中断させられる。
「いえ、大丈夫です。…ちょっと私の話を聞いてもらえませんか。実は-----」
早苗は、同じ敵を持つものどうし、協力しあうのがいいだろうと考え、自分に起こった出来事を、霖之助に話し始めた。
数分後。
話を聞き終わった霖之助は、一連の事件が繋がっているという意見に賛同した。
「なるほどね。なかなか面白い推理だ。
一つ訂正させて貰うとすれば、魔理沙の脱獄計画を立てたのはアリスではなく、僕、という点かな」
「そうだったのですか。貴方が魔理沙さんを…」
「ああ。あと、アリスと通信用人形で話をしていたのも僕だ。
どうやら計画をアリスに話しているところを、その寺のネズミに聞かれたようだな。
まったく、女性の一人暮らしなんだから、自宅の警備にはもっと気を使ってもらいたいものだね」
霖之助は、やれやれ、といった感じでため息をついた。
「そういえば、今、アリスさんに連絡取れますか?
霖之助さんとアリスさんと私、三人で力を合わせて事に当たりたいと考えているのですが…」
早苗の問いかけに、霖之助の反応は鈍かった。
「あー、一応連絡は取れるんだが、すんなり協力してくれるかは、正直分からないな。僕自身、大枚叩いて雇ったからね」
「そうですか。まあ、でも、ダメ元で話してみます。その、通信用人形を貸してもらえますか?」
「構わないよ。ちょっと待っててくれ」
霖之助は、店の中へ一旦戻り、人形を一体、抱えて出てきた。
「これが、アリスの通信用人形だ。そのまま人形に話しかければ、相手側の人形を通して会話できる」
「分かりました」
早苗は霖之助から人形を受け取ると、話しかけ始めた。
「コホンッ…えーーアリスさん、聞こえるでしょうか。返事をお願いします」
今の私を傍から見たら完全に危ない人だなー、などと早苗は思った。
「…………ん?返事、来ませんね」
「んーー、おそらく、まだ家に着いてないんだろう。君が来るちょっと前まで、ここに居たからね」
「ああ、あの時の金髪の人は、アリスさんだったのですか。ここからアリスさんの家は、遠いのですか?」
「それなりに離れてはいるが、もうそろそろ着いてもいい頃合のはずだ」
霖之助が言った直後だった。
突如、人形から、酷いノイズと共に、凄まじい轟音が響いてきた。
「うわぁ!!」
「きゃあっ!!」
思わず早苗は人形を放ってしまう。
数瞬後、森の方から、人形から聞こえたものと同じ轟音が響いてきた。
早苗と霖之助が音の聞こえた方向を見ると、森の上空にキノコ雲が出来ていた。
それを暫らく見つめた後、霖之助は、はっ、と何かに気付き、すぐさま人形を拾い上げ、話しかける。
「おい!アリス!応答しろ!!大丈夫か!おい!!おい!!!」
その様子を見た早苗も、気が付いた。そして、地面で血まみれで死んでいる男へ視線を向ける。
この男の任務は、香霖堂だけではなく、アリス亭も、爆破目標だったのだ。その可能性を考えず、すっかり話し込んでしまった。
「くそ…なんてこった…」
霖之助はそう呟いた。
早苗は上空へと飛び上がり、爆心地を見た。
いまだ煙が上がっている地点を中心に、森の中に半径10m程の開けた空間が出来上がっていた。
降りてきて、見たものを霖之助に話す。
「…これは、ダメですね。あれほどの威力の爆撃をまともに受けたら、生きていられるはずがありません。
おそらく、今頃アリスさんはバラバラか、黒こげでしょう」
「………」
「そういえば、魔理沙さんの脱獄の手引き、アリスさんに頼んでいたのでしたね。
どういう計画なのですか?それはこの状況でも、まだ継続可能なのですか?」
「……いや、継続は不可だ。計画の要であるミニ八卦炉を、先ほどアリスに持たせてしまった。
爆発に巻き込まれて、壊れてしまっただろう」
早苗には、どういった作戦かは分からなかったが、遂行は不可だということは理解した。
「それで、霖之助さん。作戦が失敗に終わった今、貴方はどうなさるお積もりで?やはり諦めるのですか?」
「諦める?何を言っているんだい、君は。
依然変わらない。魔理沙を必ず助ける。僕が魔理沙を助けに行く。それだけだ。
脱獄させるのが不可能なら、魔理沙を嵌めた輩をシメるしかないだろう。そして、魔理沙の無罪を証明させる。」
霖之助は、決意に満ちた表情をしていた。
「で、その方法は?」
「…それは、これから考える」
*
この日から、早苗と霖之助は手を組むことになった。
だが、二人になったら直ぐに案が出るのかとなると、やはり出てこなかった。
「そういえば、君の神社の神様二柱は、なんて言ってるんだい?」
香霖堂の居間で二人、今後の方針を話し合っていたとき、ふと、そう霖之助が尋ねてきた。
霖之助は続けて話す。
「さっき君の状況を聞いた時から疑問に思っていたんだが、君の一番身近な、神様二柱の話がほとんど出てこなかった。
どうだろう、神様方に意見を求めてみては」
「…私は、お二人の下を出て行った人間です。守矢の人間ではなくなったのです。
勝手に出て行って、幾日も経たないうちにトラブルがあったら即泣きつく。
ガキじゃないんですから、いつまでもお二人の脛を齧るわけには行きません」
「………」
何かいろいろ間違ってるなとは思いつつ、霖之助は何も言い返さなかった。
「そうか…。君がそう言うのなら仕方ないな」
「?何か、お二人にお聞きしたいことが、あったのですか?」
「いや、なに。神様方に頼めば、山の天狗も動かせるんじゃないかなと思ったんだ。
天狗の情報網は侮れないからね。
何か有益な情報を持ってるかもしれないし、無くとも調べてもらえれば、何か分かるかも知れない」
霖之助の言葉に、早苗は、なにやら考え出した。
「…山の天狗に、知り合いが居ます。一人は、今、地底に取材に行っているので無理ですが、もう一人は、山に居るはずです。
ちょっと協力をお願いしてみましょう」
早苗は立ち上がると、香霖堂の外に出た。
どこに持っていたのか、発煙筒を取り出し点火すると、店から少し離れた場所に放った。
煙がある程度昇ると、今度は妖怪の山の方に向かって、腕をバッ、バッ、と数度に分けて動かした。
暫らく続けていると、何かに気付いた様子で、ピタリと止まった。
そして、作業が終わったらしく、店内へ戻ってきた。
「……何をしていたんだい?」
「すぐに分かります」
早苗はそう言うと、黙ってしまった。霖之助も、そうか、と言ったきり、言葉を発しなかった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
ふと、店の前に、誰かが降り立ったような気配がした。
来客かな、と霖之助が考えていると、店の戸が開いて、一匹の天狗が入ってきた。
その天狗は、白い篠懸を着ていて、背に大きな太刀を背負っていた。
毛髪は白く、その髪の下に、むすっとした、あまり機嫌が良くなさそうな表情を浮かべていた。
「ああ、椛さん。すみませんね、急に呼び出したりして。ささ、一杯どうぞ」
早苗は、椛と呼んだ天狗、犬走椛に、お茶をすすめた。
どうやら、早苗が先ほど山に向かってやっていたのは、手旗信号のような合図らしかった。
その合図で、椛を香霖堂まで呼んだらしい。
「いえ、結構です。それより用件は何でしょうか。私、これでも仕事中だったのですが」
「そう怒らないでください。ちょっと頼みたいことが-----」
「お断りします。
哨戒の仕事は、傍から見れば暇そうなのでしょうけど、いつ来るか分からない、敵の襲撃に常に備えなければならないものなのです。
先日頼まれた紅魔館の監視は、仕事の合間に、山の上からでも可能だったから引き受けたのです。
ですが、これ以上監視対象を増やされると、本来の業務に支障を来しかねません」
そこまで言い切ると、椛は、申し訳ありませんがこれにて失礼します、と頭を下げ、出て行こうとした。
早苗は、一瞬、何かを考え、椛にこう告げた。
「椛さん、久しぶりに新鮮なお肉、食べたくないですか」
椛の耳が一瞬、ピクッ、と動いた。振り返りざま尋ねる。
「…お肉とは?豚?牛?羊?」
早苗は、にぃ、と口の端を吊り上げた。
「もちろん、人間の、お肉です」
椛の耳が、ピクッピクッ、と動いた。
「そういえばあの新聞記者さん、今、地底に行ってるんでしたね。
どうです?遠くから疲れて帰ってきたところに、豪華な肉料理をご馳走してみては。
きっと、すごく喜ばれると思いますよ」
「…里の人間を獲って食うのは、禁止されています。どこに、そんなものがあるのですか?
外来人が紛れ込んだのを、捕まえたとでも言うのですか?人間である貴女が」
「違います。陰でこそこそしている悪い奴を捕まえてのです。
居なくなったって、誰も分からないような輩です。問題ないでしょう」
ちなみに血抜きもバッチリです、と早苗は付け加えた。
椛が黙って考えていると、早苗は大きな麻袋を引っ張り出してきて、中身を見せた。
それは、アリス亭を爆破し、香霖堂も手に掛けようとした、あの男の死体だった。着ていた服や持ち物は無く、裸だった。
服など燃やせるものは燃やし、短刀は早苗が没収していた。
「ほら、現物もちゃんとここにあります。コレでひとつ、頼まれてはくれませんか?」
「………分かりました。これで最後です。これ以上は、何を積まれても、もう何もやりませんからね」
「はい、それでいいです」
椛は麻袋の口を閉め、持ち上げた。思いのほか男の死体は重いらしく、ふらふらと怪しい足取りで住処まで運んでいった。
事の成り行きを黙ってみていた霖之助は、早苗に
「本当に、よかったのかい?」
と尋ねた。
早苗には、霖之助が何が言いたいのか、さっぱり分からなかった。
*
次の日から、早苗と霖之助の下には、人里を含んだ辺り一帯で生じた、事件の第一報が入ってくるようになった。
早苗が椛に依頼したのは、ここ最近頻発している殺人事件の現場及び事件が起こりそうな雰囲気の場所への誘導である。
これは、『青年』が殺されたことを受け、他にも里の人を殺害しているのでは、と考えた結果であった。
だが、事態はあまり好転しなかった。
もたらされる情報は、殺害された死体のある場所がほとんどで、事件を起こそうとしている犯人の情報は、ほとんど無かった。
早苗としては、犯人を捕まえ、いろいろと聞き出したかったのだが、それは考えていた以上に困難であることを、思い知らされた。
そして、十数日が経過した。
この日、早苗は椛への差し入れとして、お茶と饅頭を届けに、妖怪の山の大瀑布へとやってきた。
「あ、そうだ。この前の袋、お返ししますね」
「ああ、そういえば霖之助さんの店の麻袋、貸しっぱなしでしたね。はい、確かに。これは後で店に返しておきますか。
それで、お饅頭持ってきたんですけど、食べます?」
「頂きます」
二人並んで岩に腰を下ろし、饅頭を食べていると、
「ん?何やってんだ、あれ」
椛の目に、男女が、里の近くの森の中に入っていくのが見えた。
「どうしました?」
「いや、若い男女が、連れ立って森の中へ入っていったもんで、何やってんのかなと思いまして…」
早苗は、んー、と手を口にあて、唸った。そして、ぽん、と手を叩いた。
「よし、行ってみましょう!先導をお願いします」
「え?!行くんですか?もしかしたら、その、えっと、……情事かも知れませんし…そういう行為を覗くのは、ちょっと…」
「そうかもしれないし、違うかも知れません。女性が誘っておいて、森の中へ男性を連れ込み、そこで殺害する、という手口なのかも。
これは確認しなくては。なに顔を赤くしてるんですか。自分は文さんと布団の中でもっと凄いことしてるくせに。ほら、行きますよ!」
「ちょっ!ちょっと待ってください!!なんで知ってるんですか!!」
「ただのジョークだったんですけど、当たっちゃいましたか。まあ、安心してください。これ以上は聞きませんよ」
「くっ!…ああもう!!飛ばしますよ!!!」
墓穴を掘ってしまった椛は、恥ずかしさのあまり、普段では考えられない速度を出し始めた。
現場付近に到着すると、気取られないよう、徒歩で木の陰に隠れながら、慎重に近づいていく。
何か、女性の悲鳴のような声が聞こえてきた。声は、とても短い周期で断続的に聞こえてくる。
「………」
「……まあ、その、一応、確認だけ…」
椛が無言で抗議するが、早苗はなおも進む。
進むにつれて、声が大きくはっきりと聞こえるようになってきた。
二人は、そっと、木から顔を覗かせる。
そこでは、女性は立ったまま臀部を突き出した格好で木に手をついて体を支え、
男性は女性の臀部に自らの腰を、パンッパンッ、と何度も打ち付けていた。いわゆる、立ちバックの体位である。
あんあん、と女性の嬌声が辺りに響いていた。
「…早苗さん、満足しましたか?さっさと帰りましょうよ」
「そうですね。まったく、こんな昼間から-----」
二人はため息をひとつつき、帰途につこうとした。
「へっへっへっ。ほらほら!もっといい声で鳴いてくださいよ、小兎姫さんよぉー」
「うっ!あ!ああっ!!う、うるさ!あぁ!い!は、はやく!んん!終わら!終わらせ!ぁん!ろ!!」
「まあまあ、そんなに、慌てなくてもいいじゃん。
もとはといえばアンタが、あの霧雨魔理沙ってのに、余計な一言を言っちまったのが悪いんでしょ。
これを『あの人』に報告すれば、どうなることやら。黙ってて欲しかったら、ねぇ。分かるでしょ!」
男の動きが、速くなっていく。
「わ!わかった!ひぃん!いく!いくらでも!やらせてあげるから!あ!『あの人』には!あああああ!!!」
「おほぉ!締め付けが良くなってきた!それじゃこのまま中、ごはぁ!!」
「ちょっと失礼」
射精しかけていた男性の顔面に、早苗の右フックが決まった。
男性は、鼻血を撒き散らし、口からは折れた前歯が飛び出た。
小兎姫と呼ばれた女性は、自分の背後で何が起こったのか分からず、間抜けな体勢のまま、固まっていた。
「さて、お楽しみのところ申し訳ありませんが、ちょっと質問に、ってあら?」
早苗が殴り飛ばした男性を見下ろすと、口をあんぐりと開けたまま、気絶していた。
「まさか、この程度で気を失ってしまうとは…計算外でしたね」
そう呟くと、小兎姫の方へと振り返る。
小兎姫は、下半身と胸を露出させたまま、木に寄りかかり、座り込んでいた。
「な、なんだ、お前らは!何が目的だ!!」
「ああ、別に物取りとかじゃないですよ。ただちょっと聞きたい事がありまして。
先ほど、こちらの男性が、『霧雨魔理沙ってのに、余計な一言を言っちまった』と仰いましたが、これについての詳細をお願いします」
「…は?」
「それと、『あの人』というのも誰なのか、話してもらえますか?」
「ば、馬鹿かお前!誰が話すか!!」
小兎姫の怒鳴り声に、早苗は頭を掻いた。そして、踵を持ち上げると、小兎姫の右膝目掛けて、思いっきり踏み降ろした。
ブチッ、という音がして膝関節が外れた。
「ぎゃああぁ!!」
「どうです?話す気になりましたか?」
小兎姫は、右膝を両手で押さえながら、悲鳴をあげていた口を、歯を食いしばって閉じようとする。
早苗はそれを、抵抗の意志と取った。
「そうですか。まあ、そのうちに喋りたくなりますよ。早めにお願いしますね」
そう言うと早苗は、左の膝を踏みつけた。
「あぁああああ!!」
「話さないと、どんどん痛くなりますよ〜」
早苗が腹に蹴りを何十発ほど入れたであろうときだった。うーん、と唸りながら、男性が目を覚ました。
それに気がついた早苗は、押さえておいてください、と椛に指示を出す。
「な、なんだ?何が起こって…ひぃ?!」
「あー、あまり動かないでくださいね」
椛は、男性の首筋に太刀を当て、忠告する。そして正座させる。
早苗は、小兎姫を蹴るのをやめると、男性の方へと歩み寄った。
「さて、いろいろ聞きたい事があるのですが、あちらの方は口が堅いみたいなんですよ。
そこで、代わりに貴方が話してもらえませんか?」
「な、なにを話せば…」
「先ほどのお楽しみの最中に、貴方が口にした事柄について、全部です」
えっと、と呟きながら、男性は先ほど自分は何を口走ったかを考えていた。ちらりと早苗を見る。そして、はっ、と気がついた。
「あ、あんた、もしかして、あの日里の公園に居た…」
里の公園、という単語を聞いた途端、早苗の顔が、修羅か般若かと思うような表情へと豹変した。
それを見た男性は、ひぃぃぃ、と悲鳴を上げる。
「続きを話してもらえます?。詳しくお願いします」
「は、話した、ら、た、た、助け、助けてくれ、るの、か?」
「話さなければ今すぐ殺す」
「わ、分かった!話す!
…一月とちょっと前、俺とそいつは、里の公園で若い男を一人、妖怪の仕業に見せかけて、殺したんだ。
それで、罪を着せる妖怪を配置したてたとき、女が一人、公園に入ってきたんだ。
そして、大声を出しながら、その妖怪を縊りやがったんだ。……もしかして、その時の女って…」
「おそらくそれは、私のことですね。なるほど、お前達だったのか、彼を殺したのは。理由は何だ、吐け!!」
「俺達は、ただそいつを殺すよう、命令を受けただけだ!理由は知らない!本当だ!」
男性の声は切羽詰っているようであり、嘘ではないだろう、と早苗は判断した。
「次に、命令を出したのは誰です?貴方が口にした、『あの人』がそうですか?」
「そ、それは…」
それまで流暢に話していた男性が、急に吃りだした。
「ん?どうしました?さっさと喋って。ほら、誰?」
「それは………言えん!」
次の瞬間、早苗のつま先が、男性の鳩尾に突き刺さった。
「お゛え゛えぇぇ!!」
「どうしました?急に口が硬くなったようだけど」
「しゃ、喋ったのがバレたら、こ、こ、殺される!」
「喋らないなら、今すぐ殺すだけ」
「な、なら、そうしろ!どう転んでも死ぬしかないなら、俺は義を守って死ぬ!」
男性の頑なな態度に、早苗はどうするかを思案していると、それまでうずくまっていた小兎姫は這って逃げ出そうとした。
早苗は小兎姫の後頭部へ弾を打ち込む。小兎姫は短い悲鳴とともに、そのまま顔を地面へ叩き付けられた。
「うん、こっちの方はまだ元気みたいですね。やはり、こちらから聞き出すとしましょう」
そう言うと、早苗は小兎姫の右の人差し指を掴んで、稼動方向とは逆に曲げた。ポキッ、と小気味いい音が響いた。
一瞬遅れて小兎姫が悲鳴を上げる。
「喋りたくなったら、言ってくださいね。それまで私は続けますから」
中指。薬指。小指。親指。左手に移って、人差し指。中指。薬指。小指。親指。
指が全部折れると、次に左肘。右肘。
折る関節がなくなると、椛から太刀を借りてその峰で脛、腿、上腕、下腕を、骨が折れるまで叩きつける。
折る骨もなくなってくると、懐から短刀を取り出し、鞘から抜いた。そして、
「そういえば貴女、先ほどはここに激しく突っ込まれて、気持ちよさそうによがってましたよね」
抜き身の短刀を小兎姫の秘所へ何度か擦り付けた後、少し振りかぶって突き刺した。
「ぎゃあぁああぁああああぁあ!!!!」
「これ、そんなにいい具合ですか?じゃあ遠慮なく味わってください」
早苗は、何度も何度も何度も何度も短刀を突き刺した。
その様子を見ていた男性は、恐ろしさのあまり、気絶してしまった。
小兎姫の股間の穴が数え切れないほど増え、次はどうしようかと考えていると、口がパクパクと動いているのに気がついた。
「ん?ようやく話す気になりましたか?」
「………て……」
「聞こえません。大きい声で喋ってください」
「…こ、ろして…くれ」
早苗は深いため息を一つつくと、
「しょうがないですね」
と言ってから、小兎姫の髪を結んでいたリボンを解き、そのまま小兎姫の首に巻きつけ、ぎゅうぅぅ、と締め出した。
数分後、白目をむき、口から舌を出し、苦悶の表情のまま動かなくなったのを確認すると、そこでようやく首のリボンを緩めた。
ふと、茂みからガサゴソと音がして、ネズミが数匹飛び出してきた。そしてそのまま何処かへと走り去る。
そのネズミを見ていた早苗は、あることに思い至った。
「そろそろ、場所を移しましょう。あれだけ大声やらなにやらで、大分騒がしかったですからね。
誰かに聞かれていてもおかしくはないです。と、言うわけで、別の場所で、続きをしましょう」
「でも、こいつをどうやって連れて行くんです?このまま移動したら、かえって目立ちませんか?」
椛が太刀で、気絶した男性を指す。
「この前の死体を入れていた麻袋がここにあります。これに詰めて運びましょう。
それと、そいつの首も、持って行きましょう。切ってもらえますか?」
「首?いいですけど、持ち帰ってどうするんです?」
「あとで教えます。今は移動しましょう」
早苗が麻袋を取り出し、男性を入れている横で、椛は太刀を振り下ろし、小兎姫の首を切断した。
髪の毛を掴み、麻袋の中へ入れると、袋の口を閉める。
そして二人で麻袋を前後に持つと、妖怪の山の方へと飛んでいった。
*
妖怪の山にある、椛の住処へと着いた早苗と椛は、麻袋を地面へ降ろす。
「ここまで連れては来ましたけど、どうするんです?なんか、いくら痛めつけても、喋りそうに無いんですけど…」
「ん〜、そうですね〜。……確か、ここには氷室がありましたよね?」
「ありますけど…でも、今の時期、中には何もありませんよ?」
「何もなくていいんです。こいつを、その中に放り込んで閉じ込めましょう。もちろん、水も食べ物も照明も無しで。
何日か経過した後に改めて問い詰めれば、だいぶ口は軽くなってると思います」
早苗の提案に、椛の反応は薄かった。
「?どうしました?」
「早苗さん、私、以前言いましたが、これ以上は、何を積まれても、もう何もやりませんからね。
事の流れで、私の家まで連れてきてしまいましたが、こいつを捕まえた時点で私の仕事は終わりです。
できれば、他の場所でそれを実行してもらえませんか?」
「そうしたいのはやまやまなんですが、他にいい場所が思いつかないんですよ。
なんとか、ここを貸してもらえませんか?今、承諾していただけるなら、代わりにこれをお貸ししますよ」
そう言うと、懐から銀色に光る、手のひらサイズで厚みは薄く、側面から紐が出ている、箱状のモノを取り出した。
それは、早苗が外の世界から持ち込んだウォークマンだった。
「…外の世界の品物を出されても、私には興味ありません」
「まあまあ、そういわずに。使ってみれば分かりますよ」
「あ!ちょ、ちょっと……」
早苗は、振り返り立ち去ろうとする椛の後ろから抱きつき、椛の耳にイヤホンを入れ、ウォークマンを起動させた。
初めは難色を示したが、音が流れてくると、それに聞き入った。そして、
「ま、まあ、いいでしょう。氷室はお貸ししますよ」
「そうですか。ありがとうございます。
じゃあ、六日後にまた来ます。それまで、よろしくお願いします」
六日後。
早苗は再び椛の住処を訪れた。
椛はウォークマンを聞きながら、早苗を出迎えた。どうやら、随分とお気に入りらしい。
「どうです?中の様子は」
「いやあ、最初の二日くらいは、やたら煩かったんだけど、最近になって、ようやく静かになりました」
「そうですか。頃合ですかね。ではご開帳と行きますか」
早苗は氷室の閂を外し、手に灯した蝋燭を持って、中へと入っていく。
男性は直ぐに見つかった。部屋の真ん中で、仰向けになり、うー、やら、あー、やら、低い唸り声を出していた。
傍にしゃがみ込み、尋ねる。
「どうです?話す気になりましたか?」
「……はな…す……から………だ…して……く……」
「そうそう。それで良いんです。
じゃあまず、魔理沙さんに言ってしまった、余計な一言とは?」
「………取調べ…の時、…
『お前にかかっている容疑は 稗田家 の女中一名だけじゃない。
女中と一緒にいた護衛三名の、全部で四名だ』
『はああぁ?!護衛だぁ?あの明らかに女中を襲ってた妖怪三匹がか?』
という、…やりとりが…」
「ん??それが何故、失言に……あれ?」
「どうしました?早苗さん」
「確か、殺害された被害者の詳しい身元は、未だ不明だったはずです。
新聞でも、まったく報道されていません。なのに、小兎姫さんは『稗田家の女中』と断言してます。
魔理沙さんは、別のところに気を取られて、気付いていないみたいですけどね」
早苗は、そこまで話して、はっ、と気がついた。
「そうか。『あの人』というのは、裏で糸を引いていたのは、稗田阿求なのですね?!
自分の女中を殺されて、その容疑の掛かった奴を弁護するなんて、よく考えれば、おかしな話だ」
早苗の発言に、椛は驚いた。稗田阿求といえば、幻想郷で知らぬ者は居ないほどの有名人である。そんな彼女が何故?!と。
「…そうだ。…阿求さん…の命令…で……全部…」
「稗田、阿求、か。やっと、やっと尻尾を掴んだ!」
早苗の強く握り締められた拳は、フルフルと震えていた。
「それじゃあ、こいつはこっから出しますか」
椛は男性の襟を掴んで引っ張る。
「ああ、それには及びませんよ」
そう言うと、早苗は男性のこめかみを蹴り抜けた。男性の首が折れ、ボギッ、という音が響いた。
「早苗さん!何を!!」
「こいつはもう用無しです。それに、私の大切な人を殺した犯人でもあります。生かしておく理由はありません」
「…死体の処理はどうするんです?」
椛は、襟から手を離した。男性はどさっ、と倒れこみ、仰向けになった。瞼は開かれたまま、もう閉じることは無かった。
「また椛さんに差し上げますよ。
そういえば、以前の肉はどうでした?文さんと二人で食べたのでしょう?久しぶりのご馳走で、大変喜ばれたのでは?」
「……文さんは、今だ戻られてません。あの死体は、干し肉にして保存食にしてあります」
「あれ、そうなのですか。てっきり、二人で召し上がったものとばかり…
この件が終わったら、捜しに行きますか」
早苗の言葉に、椛は頷く。
「ああ、早苗さん。これ、もうちょっと貸して頂けませんか?」
椛はウォークマンを手に、尋ねる。
「本当に、随分と気に入ったみたいですね。いいですよ」
後で充電器を持ってきますよ、と言い残し、男性が話した内容を霖之助へ伝えるため、早苗は香霖堂へと向かった。
それと入れ違いに、椛の住処へ、一つの影が降り立ったが、早苗は気付くことは無かった。
*
香霖堂で霖之助に事のあらましを話し終える頃には、日が大分傾いていた。
「さて、黒幕が割れたわけだが、君はどうする気だい?まさか、このまま即、屋敷に突撃、とか言い出さないだろう?」
霖之助は早苗に尋ねた。早苗は不思議そうな顔をした。
「え?もちろん今から行くつもりでしたが?何か問題でも?」
「大有りだろう。君が殺した小兎姫が、里でどんな職に就いているか知ってるかい?」
「…いいえ、知りませんが」
「警察官だ。当然、自警団とも繋がりがある。そんな身分の人間が事件を起こす尖兵となっているんだぞ。
当然、二人だけ、なんてことは無いだろう。自警団内にも、阿求の息が掛かった人間が数名入り込んでいると考えるのが普通だ。
このまま、何の考えもなしに突っ込んで阿求を捕まえたって、彼女は何の罪にも問われない。
なぜなら、捕まえる側であるはずの自警団が、彼女の手下なんだからね。これじゃあ、解決にならない」
早苗は黙って何かを考えていた。
霖之助は、付け加えて、と続ける。
「小兎姫が死んで数日経っている。もうとっくに阿求の耳に入っているだろう。
当然、自分の名が漏れた可能性を考えて、屋敷の警備を強化しているだろう。
そんなところに飛び込んだら、逆に僕達はただの屋敷を襲撃した強盗として捕まってしまうかもしれない」
それじゃあ意味が無いんだ、と結んだ霖之助に、早苗は霖之助の目的を思い出し、
「そうでした。貴方は、魔理沙さんの無罪を証明して、救い出したいのでしたね」
と返した。
早苗は続けて話す。
「そうだとしても、私は行きますよ。捕まろうが、殺されようが、関係ありません。
行くんです。それ以外に、やれることは無いんですから」
「………」
「貴方が来なくとも、私は独りで行きます。それでは」
言葉を返さない霖之助に、行く意志無しと早苗は判断した。
立ち上がり、香霖堂を後にしようとした時、後ろから呼び止められた。
「…待て。僕も行く」
「そうですか。では参りましょうか」
「ちょっと待ってくれ。行くのは明日にしないか?」
「?何故です?今行くのも、明日行くのも変わりないでしょう?」
「そっちはそうでも、僕には準備が必要だ。おそらく、いや確実に戦闘になるだろう。
丸腰のままで行くわけには行かない。そっちも今日はゆっくり休んで、霊力を回復させた方がいいんじゃないかい?」
言われてみれば、早苗には、『青年』が殺されてから、まともに寝た記憶がない。
それに、今行くのも明日行くのも変わらないといったのは、早苗自身だ。
早苗は、霖之助の提案を受けることにした。
「分かりました。では、明日の朝、里の入り口に集合でいいですね?」
「ああ」
*
早苗は夢を見ていた。
それは、早苗がまだ外の世界に居た頃の夢だった。
その日、早苗は友達に連れられて、ロックバンドのライブに来ていた。
その友達が熱心なファンらしく、チケットを取っては大喜びし、ライブの日が近づくにつれてはソワソワしだし、
当日になったら朝からテンションはMAXに達していた。
ところが、友達の彼氏が急に体調を崩して見に行けなくなってしまい、チケットが余ってしまった。そこで急遽、早苗に白羽の矢が刺さった。
当時の早苗は、そのバンドのことを嫌いではなかったが、それほど好きというわけでもなかった。
だが、ライブというものに一度は行ってみたいなと思っていた早苗は、その誘いを受けたのだった。
そして始まるロックライブ。
想像以上に広い空間。頭を殴られたかと思うほどに大きい音量。観客が飛び跳ね、衝撃で揺れるコンクリートの床。
全てが予想の遥か上を行っていた。
そして数曲演奏した後、ボーカルの男がマイクを取った。
本当はやる予定は無かったんだけどさぁ、とか、仲間に子供が出来たんだ、といった意味のことを言っていたのは覚えている。
そしてその曲は、無伴奏でのボーカルソロから始まり、ドラム、ギター、ベースがゆったりとしたリズムで奏でていく。
歌詞そのものは至って単純なもののようだが、言の葉では表せない、深い何かが込められているように、早苗は感じた。
曲が終わり、次の曲が始まっていたが、早苗の心は、先ほどの曲のことで一杯だった。
ライブが終了し、会場の外にて、あの曲が入ったシングルCDが販売されていると知ると、早苗はすぐさま買いに走った。
家に帰宅し、自室に戻ったら、まず買ったCDを開封し、あの曲を聞いた。神奈子に怒られるまで、何度も何度もリピートして聞いていた。
そこで、早苗はゆっくりと瞼を開いた。もうすっかり見なれた、新居の天井。
懐かしい夢を見たな、と呟きながら、布団から出る。
早苗はまず、『青年』の遺影の前に座った。そして手を合わせる。
次に台所。簡単な朝食を作り、居間のちゃぶ台へと乗せる。
ちゃぶ台の周りには座布団が二枚。早苗のものと、『青年』が使用するはずだったもの。
食事を済ませ、食器を洗い、棚へと戻す。棚には、もう一人分の食器。早苗のものと、『青年』が使用するはずだったもの。
服を着替えに箪笥を開ける。下の段に早苗の服があり、守矢の風祝の衣装を一着取り出し、それを着る。
ふと、上の段を開けた。上の段には『青年』が使用するはずだった、もう二度と着られることのない服達。
仕度が整うと、丸い物体の収められた風呂敷を一つ手に持ち、靴を履き、玄関から出て、振り返る。
『青年』と共に暮らし、共に子を育て、共にいつまでもいつまでも幸せに暮らすはずだった家。
ここには、一ピースが、大切な、パズルの一ピースが足りなかった。そして、それは永遠にそろうことは、もう無い。
全て。あの公園での惨劇から、全てが狂い始めた。あの日、『青年』が死んだ日から、早苗の全てが狂っていった。
だが、もう終わる。どういう結果になるかは分からないが、今日、全てに決着が着くと、なぜか早苗は確信できた。
里の入り口へと向かうと、そこには霖之助が立っていた。
その手には、柄のある布の袋に収められた、細長い棒状のものがあった。おそらく、刀か、それに類するものだろうと思われた。
懐が僅かに膨らんでいる。これから敵陣へ踏み込もうというときに、武器が手持ちの刀一本だけということはないだろう。
なにかしらの武器であろう。
霖之助が早苗の姿を見つけると、黙って歩き出した。早苗も後に続く。向かう先は、稗田の屋敷。
「どうぞ、こちらへ」
屋敷の門を叩くと、急な訪問であるにも関わらず、あっさりと屋敷内へと通された。
手の持ち物について問われたが、阿求殿への手土産だと伝えた。こちらも、あっさりと了解がでた。
応接間まで案内されると、女中は襖を開け、中でお座りになってお待ちください、と二人に告げる。
その部屋は、12畳ほどの広さがあり、中央に少し大きめのテーブルと座布団が数枚、上座には掛け軸と骨董品らしい壷が一つ。
上座の左右の面は壁ではなく、襖だった。
ひとまず座布団に座って待っていると、お茶と菓子が運ばれてきた。早苗と霖之助は、それらにまったく手をつけなかった。
さらに待っていると、廊下側の襖が開き、稗田阿求が入ってきた。
「いやあ、お待たせしてしまって、申し訳ありません」
「いえ、お気になさらずに。こちらこそ、突然の訪問、失礼しました」
早苗は阿求に一礼した。霖之助もそれに倣う。
二人が頭を上げるタイミングを見計らい、阿求が尋ねる。
「して、本日はどのようなご用件で?」
「ええ、腹の探り合いは時間の無駄ですので、早速本題に入りましょう。まずはこれを見てください」
早苗は、持ってきた風呂敷をテーブルの上に乗せ、結び目を解く。ふぁさ、と風呂敷が広がり、中身が姿を現す。
それは、小兎姫の首だった。
「………それは?」
「はい。一週間ほど前、森の中で怪しい行動をとっていたので、とっ捕まえました。
ちょこっと強めに質問したら、出てきたのが阿求さん、貴女の名前だったというわけです。
それと、先日、霖之助さんの店に爆弾が仕掛けられましてね。
幸い、犯人が仕掛け終わる前に捕まえられたのですが、その犯人が言うには、依頼されたらしいのですよ。
で、その依頼主というのが、阿求さん、貴女です」
「………」
「阿求さん、貴女は何をしようとしているのですか?」
阿求は暫らく黙ったまま何かを考え、そしてため息をつく。
「いいでしょう。全部、お話します」
この返答に、早苗と霖之助は、内心驚いた。二人とも、これだけでは、阿求は何も知らぬ存ぜぬを貫くだろうと思っていたのだ。
「私が何をしようとしているのか、その目的から話しますと、それは…」
霖之助が、ゴクリと唾を飲む。
「私の書いた、幻想郷縁起を広めたいのです」
「はぁ?」
霖之助の口から、思わず、疑問符が出てしまった。
「広めたいって、十分に広まってるじゃないですか。おそらく、里で所持していない家はないと思いますよ」
霖之助の疑問も当然だった。幻想郷縁起は、人間が幻想郷で生きていく上で、無くてはならないものと言える。
記載されている妖怪の情報は、その住処や危険度、出会った場合の対処法など、さまざまである。
河童の印刷技術が里にも普及し始め、幻想郷縁起は改版される度に大量印刷された。
「それは分かっています。ですが、所持して頂いていると言っても、それは先代の御阿礼の子が編集した時のものだったり、
ただ持っているだけで読まれてなかったりしているんです。
それではダメなんですよ。私が何度転生して、どれだけ頑張って編集したって、最新版を読んでくれなきゃ、全部無意味になってしまうんです」
「そういえば、今年の何時だったか、新しく改版していたね。販売実績が芳しくなかったのかい?」
「まあ、そういうことです。私が阿求として生まれてから一度出版したんですがね、最近になって新参の妖怪やら何やらが急に増えましてね。
この間、改版したものを出したのですが、ほとんど購入される方はいませんでした」
「ちなみに僕は買わせて頂いたよ」
「ありがとうございます。ですが、先ほども言いましたが、販売数が芳しくないのです。
皆、獲って食われることの無くなった、この平和に慣れてしまったのでしょう。現在所持しているもので十分だ、と仰るんですよ」
話を一旦区切ると、阿求はテーブルの上のお茶に手を出した。一口啜って、受け皿に置く。
阿求は続いて話す。
「このままでは、妖怪に対する、里の緊張感がなくなってしまうと考えた私は、行動することにしました。
まず私は、里の暗部で燻っていた、巷で言うところの秘密歴史結社と接触しました。
彼らは今まで、妖怪たちを幻想郷から追い出すために、いろいろな活動をしていたのですが、成果はほとんど無かったようです。
そんな彼らに私は提案しました。そこらの野良妖怪を捕まえて、事件を起こさせないか、と」
阿求の言葉に、早苗の顔が一瞬引きつった。阿求はそれに気付かず、続きを話す。
「私は妖怪による事件が起きて欲しい。彼らは里の人間に、妖怪に対する反感が欲しい。目的は違いますが、手段は一緒なのです。
この結社、指導者があまり頭の良い方ではなく、組織としての活動成果はありませんが、実に深いところまで根が張ってあるんですよ。
自警団に刑務所、役所、司法従事者にいたるまで構成員が入り込んでます。
となれば、後は簡単。事件を起こした妖怪を薬漬けにして、殺人事件の犯人に仕立て上げたり、小銭と引き換えに軽い事件を起こしてもらったり。
中には、血の気の多い妖怪も居て、自ら進んで事を起こす方も居ました。まあ、暴れる理由が欲しかっただけなのでしょうが。
結果として、里の皆さんには、少しは妖怪に対する恐れを再認識して頂いたようで、売り上げが少し伸びました。
そんな時に、私の侍女の一人が、急にこの計画に反対しだしたんです。
私は何度も説得を試みたのですが、彼女の意志は固く、賛同してはくれませんでした。
それどころか、私が行っていることを、里中にばらすとまで言ってきたのです。
仕方なく、私は彼女を妖怪を使って、始末することにしました。
ところが、その現場に突如現れた人間が居たのです」
「…まさか」
「そう、霧雨魔理沙さんです」
霖之助は、握り締めた拳を、ドンッ、とテーブルに叩きつける。
「魔理沙の証言は正しかったわけだ。そして、君が圧力をかけて、魔理沙を殺人者として捕まえさせたと」
「そのとおりです」
「ふざけるな!何の罪もない者を嵌めておいて、そんなに自分の本の売り上げが大事か!!」
「そのとおりですよ。ですが、これは里の為でもあるんです。
妖怪に対する緊張感が無くなった時に、新しく幻想郷へやってきた妖怪の襲撃を受けたら、どうなると思います?
まず間違いなく、里は壊滅でしょうね」
「そんなことにはならない!何のために、命名決闘法(スペルカードルール)があると思っているんだ!
人や妖怪の力が弱体化しないためのものじゃないか!これが機能しているうちは、絶対にありえない!」
「ですから、里の、妖怪に対する緊張感が無くなって来ていると言ったじゃないですか。
妖怪ばかりが弱体化を防げても、このままでは人間側は弱くなる一方です。
もし今、強力な力を持った妖怪が幻想郷に入ってきたら、もともと居る妖怪たちは生き残っても、人間はやられてしまうでしょう。
私はそれを防ぎたい。なんとしても。その為に、少々の生贄が必要であろうとも」
「それで、『彼』を殺したのか」
それまで黙って聞いていた早苗が、突如口を開いた。
「そんなことの為に、あの人は死ななきゃならなかったのか。そんな、くだらないことで…」
「ああ、生贄の中に、貴女の旦那さんが居たのでしたね。お悔やみ申し上げます。
ですが、これも全部、人間の里の為です。旦那さんは、里の平和の礎になられたのですよ。そして-----」
阿求が、すっ、と立ち上がる。次の瞬間、部屋の襖が全て、勢いよく開け放たれた。
襖の向こうには、手に武器を持った人、人、人。立ち上がった早苗と霖之助を取り囲み、阿求はその人垣の向こうへと姿を消す。
「邪魔をするのなら、貴方達もその礎となりなさい」
阿求の声だけが聞こえ、そしてそれも消えた。
武器を手にした男達が、大人しくしろ!、だとか、無駄な抵抗はやめろ!、などと、口にする。
早苗はそれらを無視して、男達に問う。
「貴方たちは、結社の人達ですか?」
すると、男達は、そうだ!、とか、だからなんだ!、と返す。
「そうですか、ならば、この人達は、『彼』を殺した犯人の仲間ということですね?」
言い終わると、早苗は袖の中から御幣を取り出し、天にかざす。すると、急に部屋中を、風がうずまき始めた。
戸惑う群集の中から、させるな!!と怒鳴り声がした。その声に反応した男の一人が、刀を振り上げ、早苗に切りかかる。
霖之助はとっさに割って入り、左手に持っていた刀の鞘で、男の刀を受け、右手で男の顔面を殴り飛ばす。
すかさず霖之助は刀を、草薙の剣を鞘から抜いた。そして早苗と背中合わせの陣形をとる。
草薙の剣を実戦で使用するのは初めてだが、この剣自体に護身の呪力があるため、霖之助には、そこそこ戦える自信はあった。
現に先ほどの、戦闘が苦手のはずの霖之助の機敏な動きが、その効果である。草薙の剣の、『天下を取る程度の能力』は伊達ではない。
男が殴られたのが合図となり、結社の男達が一斉に、早苗と霖之助に襲い掛かってきた。
霖之助は右手の刀を、左手に鞘を持ち、なんとか応戦する。
早苗は、軽いトランス状態になり、小さく何かを唱えている。これを油断と取った男達は、他に何も考えず、早苗に切りかかる。
早苗は冷静に弾幕を放ち、男達を撃ち抜く。それを見た男達は驚き、動きが一瞬止まった。そしてそれが命取りとなった。
『準備「サモンタケミナカタ」』
早苗の周囲に、無数の弾幕が形成され、放たれる。
男達は次々と打ち抜かれていった。腕や足をもがれ、腹に穴を開け、頭を吹き飛ばされる。それでも数が減る様子がない。
そして、早苗の弾幕がピタリと止まった。
そのタイミングを待つことに専念していた男達は、先ほどよりも風が強くなっていることに気付かず、再び得物で切りかかる。
『大奇跡「八坂の神風」』
早苗を中心に、強烈な風が広がっていった。その風は渦を巻き始め、戸を吹き飛ばし、男達を宙へと舞わさせる。
「おわぁ!!」
「ぐぅ!!」
「な、何なんだこれは!!!」
風に飛ばされた男達の体は、屋敷の壁へ激突し、梁を折り、家具を壊し、持っていた得物が互いの体に刺さった。
「ああぁあああ!!!!」
早苗の叫び声と共に、さらに風が強くなった。
部屋の天井が吹き飛び、屋敷の土台が崩れ、崩壊していく。早苗は僅かに宙に浮き、未だ風を起こし続ける。
やがて、そこには巨大な竜巻が発生した。
竜巻の風は、稗田の屋敷だけに留まらず、辺り一帯の屋敷を崩壊させていった。
一分程経過した頃、ようやく早苗は風を止めた。
完全に更地となり、動くものの無い瓦礫の中、早苗一人が立っていた。
「………阿求は、どこだ……」
周りを見渡す。男達の倒れてる姿はあるが、肝心の阿求の姿が無かった。
「…絶対に、逃がすもんか!どこだ!」
早苗が飛び上がり、周囲を探索し始めようとした時、
「森だ!!阿求は魔法の森へ逃げたぞ!!」
と、どこからか霖之助の声が聞こえた。姿が見えなかったが、先に追っていったのだと考え、空へと飛び上がると、魔法の森へと飛んでいった。
*
そのころ霖之助は、地下の通路を走っていた。
早苗が竜巻を起こす少し前、乱闘の末、部屋の掛け軸が偶然切り落とされ、その向こう側に隠し通路が出現した。
おそらく阿求は、この通路を通って脱出したのだと考えた霖之助は、躊躇せず、その通路へと駆け込んだ。
通路は直ぐに行き止まりになり、下に伸びていた。
霖之助は鞘を腰に差し、刀を口でくわえて、梯子を降りてゆく。
途中、上から強風による轟音が響いてきた。
霖之助は、早苗が大技を放ったのだろうと考え、同時にそれだけ、敵の数がまだ多いのだとも考えた。
10メートル程下ったところで、通路は横に向きを変えた。通路の向きは、霖之助の方向感覚が正しければ、魔法の森へと伸びている。
このような隠し脱出路で、通路が途中大きく向きを変えることはないだろうと考え、
「森だ!!阿求は魔法の森へ逃げたぞ!!」
と、地上の早苗に呼びかける。
聞こえたかは分からないが、自身もモタモタしてると逃げられてしまうかも知れないと考え、踵を返し、通路を進み始める。
灯りの心配は要らなかった。等間隔にロウソクがあり、それらに火が灯されていた。
「ぜい、はあ、はあっ、はあ」
通路は長く、霖之助の息が切れてきた。
途中何人か、結社の男達が立ちふさがった。通路は戦うには狭かったが、何とか男達を切り伏せ、前へと進む。
霖之助には、もうどれだけの距離を走ったのかは、検討もつかなかった。
魔法の森までは、まだ距離があるようにも思えるし、既に森の向こう側まで来たのでは、とも思えた。
少しは体を鍛えておくべきだったな、と考えていると、通路の終わりが見えてきた。
行き止まりの壁には、梯子があった。一度立ち止まり、息を整えてから、梯子に手を掛ける。
梯子を登るにつれ、冷たい空気が霖之助の体を急速に冷やしていった。
寒さに耐えながら梯子を上ると、地上付近は、通路を縁取るように円形に積まれた石が見えた。外から見ると、ここは井戸に見えるのだろう。
井戸の縁に掴まり、そっ、と頭を出して、外の様子を窺う。
すると、井戸の傍に朽ちかけた小屋が見えた。中には数人の動く気配がある。
暫らく小屋の様子を窺っていると、不意に、霖之助は両手首を捕まれ、井戸から引きずりだされた。
霖之助の手首を掴んでいるのは、身長2メートルは雄にこえている、体のでかい妖怪だった。
妖怪は片手で霖之助の両手首を掴み、もう片方の手には、大きな鉈を持っていた。
その妖怪は勝ち誇ったような笑顔を霖之助に向け、霖之助は困ったような笑顔を返した。
妖怪が鉈を振りかぶった。
霖之助は、妖怪の股間に蹴りを放つ。足に、何かが潰れるような感触が伝わってきた。
股間の痛みに、妖怪が手首を掴んでいた手を緩めた。
その瞬間を逃さず、霖之助は妖怪の手から抜け出す。
妖怪が意識を持ち直し、振り上げたままの鉈を、打ち下ろしてきた。
両手が自由になった霖之助は、一歩前へ出る事で鉈を避ける。
同時に霖之助は、密着状態から、右の逆手で刀を抜くと、妖怪との間に刀を割り込ませ、刃を妖怪に当て付け、右上へと振り上げた。
妖怪は斜め一文字に切り分けられた。
切り倒した妖怪の向こう側には、阿求が、何十体という数の妖怪を引きつれ、立っていた。
霖之助は、いつの間にか、周りを妖怪に囲まれていた。
「おいおいおい。まさか、この妖怪たちも結社の構成員とか言わないよな?」
「そんなわけ無いでしょう。説明したじゃないですか。彼らは、『血の気の多い妖怪達』ですよ」
「…こんなにも多いとは思ってなかった。話の感じからして、ほんの数匹かと…」
「ま、そんな訳で、貴方はここまでですね。大丈夫です。魔理沙さんも直ぐに後から来ますから、安心して死んでください」
「!!?魔理沙に何を!」
「刺客を二人ほど。貴方方が応接間で待っている間に手配して置きました」
「貴様!!!」
霖之助が阿求に駆け寄ろうとするも、妖怪たちが立ちふさがる。
「くっ!!」
「先ほどは、道具屋を営んでるだけの半妖とは思えない、見事な剣捌きでしたよ。意外でした。
ですが、どれだけ剣術に自信があるのかは知りませんが、この数の前では無意味です。では、さようなら」
そう言うと、阿求は妖怪を半数引き連れて、森の奥へと入っていった。
*
魔法の森の上空では、早苗が阿求の姿を捜すため、旋回していた。
「どこだ…どこに居る…」
数分程捜し回った時、森の中に開けた空間を見つけた。
以前はアリス亭が建っていたその場所に、なんとなく向かっていると、眼下の森の中、何かがぞろぞろと動いているのが見えた。
目を凝らし、何事かと見ていると、阿求が妖怪を大勢引きつれ、歩いているのが見えた。
「み、つ、けた…見つけたぞ!!」
何故阿求が妖怪を引き連れているかは、早苗には分からなかったが、直ぐに関係ないという結論に至った。
早苗は上空から、弾幕による奇襲を仕掛ける。
『秘術「九字刺し」』
威力の加減をまったくしていない弾とレーザーは、容易く妖怪達を貫き、辺りの木々を次々となぎ倒してゆく。
「うわぁ!!」
当たったら即死亡の弾が、阿求の数センチ先を掠めてゆく。
「て、敵襲ぅぅ!!」
「くそ!!」
「どこからだ!!」
「-----上だ!!」
妖怪達が、一斉に上空を見上げる。
そこには、次の大技を繰り出さんとしている早苗の姿。
「撃たせるな!」
「突っ込め!!」
「吶喊!!!」
さまざまな怒声がし、地上から早苗へ妖弾が撃ち返される。同時に飛行能力を持つ妖怪が、直接攻撃に向かう。
向かってくる妖怪に、早苗は次のスペルは間に合わないと判断し、地上へ向けて弾幕を張る。
逸れた弾は雪を吹き飛ばし、地面に無数の穴を開けてゆく。十数メートルだった森の開けた空間は、徐々にその幅を広げていった。
「上だ!奴の上を取るんだ!」
地上から、上空の妖怪へ指示が飛ぶ。
それに応えるように、妖怪が数匹、早苗の頭上へと回ろうとする。上と下からの、挟み撃ちにする作戦のようだ。
そうはさせまいと、早苗は頭上を取ろうとした妖怪との間合いを一気に詰めると、ゼロ距離で弾幕を浴びせる。
そして残りの数匹の頭上に、牽制の弾を放つ。妖怪達は、頭上を取るのは無理だと悟った。
「これだから野蛮な男は。すぐ女の上になりたがる。
私はね、上で動く方が趣味なんですよ。貴方達は下で動かず、じっとしてなさい。すぐに逝かせてあげますよ」
返り血を浴びて赤く染まり、訳の分からないことを口にする早苗に、妖怪達は怯え始めた。
そんな妖怪に、阿求が檄を飛ばす。
「何をしてるんです!相手は一人!!数で攻めれば、圧倒的にこちらが有利なんですよ!!
もっと散開しなさい!上下前後左右、周りを固めて、一斉に攻撃するんです!!」
その声に、地上にいた妖怪も飛び上がり、全員で早苗への攻撃を開始する。
「ちぃ!!!」
妖怪一匹一匹は弱くとも数があまりにも多く、早苗は攻撃を避けるのに精一杯になった。
早苗は、苛立ち始めた。どうしたらいいかを考える。
倒しても、倒しても、なかなか数が減らない。
ただ、阿求一人を仕留めたいのに!!
消えろ。どいつもこいつも消えてしまえ。
邪魔だ。邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!!!
「じゃぁぁまぁぁだああ゛ぁあ゛あ゛あぁああ゛あぁ!!!!」
早苗の咆哮が森に響き渡る。
その人とは思えない大声に、一瞬、妖怪達の動きが止まった。
同時に早苗は近くの妖怪へ急接近する。妖怪がそれに反応する間もなく、心臓へ弾を撃ち込み、即死させる。
死体となった妖怪の首を掴んで盾にし、また近くの妖怪へと接近し、仕留める。
度重なる攻撃を受け、盾が使えなくなった。早苗は、傍にいた妖怪へ投げつけ、ひるんだ隙に弾幕を放ち、バラバラの挽肉へ変える。
接近戦は危険だと判断した妖怪達は、妖弾による遠、中距離攻撃へと切り替えた。
だが、弾幕による戦闘に慣れている早苗に当たるわけもなく、逆に撃ち返され、どんどんとその数を減らしてゆく。
そしてとうとう、妖怪の残りが一桁まで減り、早苗への攻撃が緩くなってきた。
ちらっ、と見下ろせば、妖怪の血で染まった地面に、そんな馬鹿な、と言わんばかりの表情の阿求。
チャンスだと早苗は判断し、弾を阿求へと放つ。
当たる。そう早苗は確信した。
だが、
「どおりあああああぁぁぁぁ!!!!」
叫び声と共に、木の陰から飛び出すものがあった。
それは箒に跨り、高速で飛行し、阿求を突き飛ばす。弾は、当たらなかった。
呆然としていると、背後から妖怪が襲いかかってきた。
早苗は振り向きざまに弾を放つ。
残りの妖怪も片付けると、地面へと降り立った。
そして阿求を突き飛ばした人物を見た。
阿求を助けたのは、刑務所に拘束されているはずの、霧雨魔理沙だった。何事かを阿求と話している。
早苗にとって、何故ここに魔理沙が居るのかは関心がなかった。早く阿求の息の根を止めることで頭が一杯だった。
出来る限りの笑顔を魔理沙に向け、阿求を引き渡してもらおうと試みる。
「ああ、魔理沙さん。お久しぶりです。早速で悪いんですが、そいつをこっちへ寄こしてもらえませんか?」
「寄こす?随分と乱暴な言い回しだな。ちょっと落ち着けよ。さっきだって、お前の弾、阿求に当たって死ぬとこだったんだぞ」
「そりゃあそうでしょう。そいつを殺すつもりで、狙って撃ったのですから」
「?!?!な…なんだそりゃ、阿求を妖怪から守ってたんじゃないのか?!」
何か魔理沙は勘違いしているようだ、と早苗は思った。だが、説明するには、事態が複雑で、時間が掛かりそうだった。
「違いますよ。……ああ、もう。面倒です。
終わったら説明してあげますので、そこどいてください。
邪魔をするのなら、………しかたない。一緒に殺してあげますよ」
もう、関係なかった。
阿求を殺せるなら、妖怪だろうと、人間だろうと、味方だろうと、無関係な人だろうと、全てぶち殺してやると、早苗は心を決めた。
早苗は右手の御幣を天に向かってかざす。すると、風が早苗を中心に渦巻いてきた。
その時、早苗の背中に、強烈な痛みが走った。
「ぎゃああああああ!!!」
早苗は思わず悲鳴を上げる。膝をつき、痛みに耐える。
「こ、香霖か、なんでここに?!」
魔理沙の言葉で、後ろにいる人物が霖之助だと分かった。
「はあっ、はあっ、だ、大丈夫か、魔理沙」
妖怪に囲まれていた霖之助は、なんとかその包囲網を突破し、爆発音のするここへとやってきていた。
だが、いくら草薙の剣を用いても、あまりの妖怪の数に、無傷とは行かなかった。
霖之助は肩で息をし、体のあちこちから出血しており、満身創痍な風貌だった。
そして魔理沙と何事かを話す。
早苗は、歯を食いしばって顔を上げる。そこには、魔理沙が阿求を連れて逃げる姿があった。
阿求に逃げられるという恐怖心が、早苗の心を支配する。
「ま゛ち゛や゛がれええぇええぇ!!」
「!!やらせない!」
早苗は、魔理沙ごと撃つべく、弾を放とうとする。しかし、そこに霖之助が切りかかってくる。魔理沙が阿求に肩を貸す。
それを避け、再び狙いを定める。魔理沙が阿求を連れて歩き出す。
今度は蹴りが飛んできた。阿求が遠ざかる。
また避け、狙う。阿求がさらに遠ざかる。
刀が向かってきた。阿求がもっと遠ざかる。
避ける。阿求がもっともっともっと遠ざかる。
攻防の最中、早苗の頭の中に、たくさんの疑問符が渦巻いた。
自分は霖之助と手を組んでいたのではなかったのか?!何故阿求を逃がす?!!何故私の邪魔を?!!何故?!何故!!
あと一歩なんだ!!阿求はもう目の前なのに!!!早くしないと!!早くしないと逃げられる!!!
邪魔だ!!!吹き飛べ!!!
霖之助の横薙ぎを、早苗は左手のひらで受けた。
刀は手のひらを、下腕を、肘関節を次々と切り裂き、上腕の中ほどで止まる。
「なっ?!」
霖之助は早苗の思いもしない行動に驚き、一瞬硬直してしまう。
早苗はその隙を逃さず、右手から、残った霊力の全てを放つ。
『蛙符「手管の蝦蟇」』
早苗が無意識のうちに選んだスペルは、遠い先祖の力を借りた、暴力的なものだった。
白い光球が、周囲にスパークを纏いつつ、加速度的に大きくなっていく。
「伏せろーーー!!!」
霖之助は刀から手を離し、魔理沙と阿求の方へ走り出しながら、叫ぶ。
それと同時に、光球が爆ぜた。
凄まじい轟音と衝撃波が、周囲にある全てのものに襲いかかる。
霖之助、魔理沙、阿求はもちろん、地面に積もった雪、散乱している死体の破片、血生臭い空気を諸共吹き飛ばす。
早苗の視界は、血の赤と、雪の白で染まった。
しまった、と早苗は舌打ちする。
スペルの加減を考え無かった為、あろう事か阿求まで吹き飛ばしてしまった。
視界が回復してくると、木の根元に魔理沙が伏せているのが見えた。だが、阿求の姿は見えない。どの方向に逃げたのだろう。
早苗は魔理沙の下へと歩き出す。
その足取りは、霊力を全て使い果たし、背中と左腕に大きな怪我を負った事による多量の出血により、ふらふらだった。
だが魔理沙の傍にたどり着いた早苗は、右手で、左腕に食い込んだままの刀を掴み、血が吹き出るのも構わず引き抜く。
「…魔理沙さん。あの女は、…阿求はどこです?」
「…ぅ……ぁ…」
魔理沙は呻き声を出すばかりで、答えない。
阿求を庇っているのだろう、と早苗は思った。
早苗は苛立ってきた。
「……あなたのせいで、…あのくそ女を殺しそこ…なって…しまいましたよ。
なぜ…邪魔したのですか?」
「……ぁ…」
また、魔理沙は答えない。
何故魔理沙も小兎姫も、私の質問に答えないんだ!!あんな奴には庇う価値なんて無いのに!!、と早苗は思った。
早苗の腸は煮えくり返っていた。
「…まあいいです。…どんな理由…でも、邪魔したのは事実…です」
早苗は刀を逆手に持ち、切っ先を魔理沙に向ける。
ドスッ
早苗は魔理沙の腹に刀を突き立てる。
「がはぁ…」
「せいぜい…後悔しながら…死んでください。
…さようなら」
早苗は刀を引き抜き、捨てる。
そして森の中へと入っていった。
早苗には上空へと飛ぶ力も残っておらず、歩いて捜すほか無かった。
「お待ちなさい」
当ても無く歩いていると、背後から呼び止める声が聞こえた。
早苗は振り返り、声のした方を見る。呼び止めた人物は、聖白蓮だった。
「…ああ、貴方は…法界に封印…されていた…聖白蓮…でしたよね…何か…用ですか?」
「何か用、ではありません!何故ですか!!何故、魔理沙さんを刺したのですか?!」
どうやら、早苗が魔理沙を刺すところを、見られたようだ。
だが早苗には、自分の邪魔をしたのだから当然じゃないか、という思いが頭を支配していた。
「なんだ、そんな…事…」
「そんな事?!人の命を何だと思ってるんですか!!」
白蓮の言葉に、早苗は驚愕した。早苗は動揺を隠すため、表情を消した。
白蓮のその言葉は、早苗と『青年』が出会うきっかけとなった寺小屋での授業で、『青年』が早苗に言い放った言葉、そのままだった。
早苗の脳裏に、その時の情景が思い出される。
『いやだって、妖怪ですよ?人間に害をもたらす、敵じゃないですか。そんな奴らの命なんて、構うこと無いじゃないですか』
当時の早苗は『青年』に、こう答えた。現在、白蓮と対峙している早苗は、何も答えなかった。
黙ったままの早苗に、白蓮は話を続ける。
「人の命というものは、いやそれだけじゃない!妖怪も、生きている者の命は、そんな簡単に奪っていいものではありません!
皆、それぞれに大切な人が居るのです!それを奪われる悲しみを、貴方は理解できないのですか!
貴女に大切な人は居ないのですか?!」』
またしても、白蓮と『青年』の言葉がリンクする。早苗には途中から、白蓮の声と『青年』の声がダブって聞こえていた。
大切な人。かつて早苗には大切な人が居た。だが今は居ない。
殺されてしまったから。阿求の策略で殺されてしまった。彼は、もう二度と会えない、遠くへと行ってしまった。
奴の所為で。あの女の所為で。阿求の所為で。あの、稗田阿求の所為で!!!!
早苗の心の中で、怒りが再びその火を激しく燃え上がらせた。
「……魔理沙さんは…私の邪魔を、阿求を、助けたのです!理由としてはそれで十分!!
何も知らない輩が!他人のやる事に口出ししてんじゃねえぇぇ!!!」
早苗は怒りに任せ、白蓮へと殴りかかった。
「なにをするのです!」
「ああああああ!!!!」
だが、そんな大振りな拳が白蓮に当たるわけも無く、ぶんっ、と空を切る。
2発、3発、10発、いくら拳を振り回しても、白蓮には当たらなかった。
だが、さらに数発避けたところで、白蓮の足がもつれてしまう。
「あ!」
白蓮は何とか倒れまいと踏ん張るが、体制を崩し、右膝をついてしまう。
早苗は、何故かバランスを崩した白蓮に、渾身の一撃を入れんと、一際大きく右腕を振りかぶった。
「おらあぁ!!」
咆哮のような声と共に拳が繰り出される。
その時、白蓮は袖から筒状のものを取り出し、早苗の顔に向け、霧を噴射した。
「ぎゃあああぁぁぁ!!」
その霧は、早苗の目に強烈な刺激を与えて視界を塞ぎ、同様に鼻と口にも刺激を与え、呼吸を困難にさせた。
早苗は反射的に右手で目を覆う。そして両膝を折り、地面にうずくまる。
白蓮は早苗の背中に跨り、右腕を首に絡ませ、早苗の首を締め上げようとする。
早苗は右手で白蓮の腕を掴み、引き剥がそうとするが、その力は弱々しく、ピクリともしない。
早苗は、薄れゆく意識の中、かすんだ視界の中に『青年』が立っていて、心成しか、悲しそうな表情を浮かべているのが見えた。
ああ、そんな顔しないでください。私は、貴方のために…。
……そうでしたね。人だろうと妖怪だろうと、命は軽々しく奪っていいものでは無いんですよね。
そうだそうだ。貴方が教えてくれたんだった。
…それなのに私は、人も妖怪も、たくさん殺めてしまった。
貴方に教えてもらったこと、何一つ、守れなかった。
ごめんなさい。
でも、どうか私を嫌わないで。
もうすぐ、私もそっちに行くから。
ちゃんと謝るから。
教えてもらったこと、絶対守るから。
そしたら、ずっとずっっっと一緒にいよう。
そして、今度こそ、幸せに-----
早苗の意識は、そこで途切れた。
*
八坂神奈子と洩矢諏訪子は、危機に瀕していた。
日本の神様は、人々の信仰心によって、その存在が保たれる。
だが、その信仰心が、急速に失われている事に気がついた。
原因は火を見るより明らかである。その原因は、早苗であった。
人里では稗田の屋敷への襲撃並びにその周囲に住む住人に、何十人と死傷者を出し、
妖怪の山では、里の人間を殺害して、それを妖怪に食わせるという、人間とは思えない所業を行う。
妖怪の賢者が敷いた幻想郷のルールを、人間側が破るという、前代未聞の出来事だった。
その出来事に白狼天狗が関わっていると知った大天狗は、事態を隠蔽すべく、山を完全に封鎖した。
以上の理由により、守矢神社の信頼は地に落ちた。そして神奈子と諏訪子は、人からも、妖怪からも、信仰を失ってしまった。
そんな中、以前早苗に付けたままになっていた盗聴器(髪飾り)から、早苗が大量の妖怪に囲まれるという危機を知った。
神としての力は残り僅かなれど、このまま見捨てるという選択肢は無かった。
立ち上がることもままならなくなった諏訪子を神社に寝かせ、比較的信仰心の残っている神奈子が救出に向かう。
もっと早く、早苗を助けに行けばよかった、と、神奈子は後悔していた。
早苗は、もう子供ではない。助けを求められるまで、自分達は手を出すべきでない、と言っていた過去の自分を、ぶん殴りたかった。
けれど既に時遅く。気付けば、早苗は危機に陥り、自分達は力が出せない。手が遅すぎた。ほとんど『詰み』だ。
そんな事を考えながら、それでも魔法の森へと飛んでいく。だが、思うような速度が出せなかった。
森へたどり着くまでに、相当な時間を要してしまった。
その頃には、早苗は妖怪達を全て蹴散らしていた。そして、魔理沙へ危害を加えたことも、髪飾りを通じ、聞こえてきた。
神奈子は、それでも早苗の姿を捜す。そして森の中の、開けた空間がある場所へとたどり着いた。
その場所は当たり一面、血で染まっていた。おそらくここで、早苗は妖怪達と戦ったのだろう、と推測した。
その時、髪飾りから白蓮との会話が聞こえてきた。そして、音声から察するに、捕まったようだ。
まだここから遠くには行ってはいないはずと考え、周囲を捜す。
程無く、早苗の姿を見つけた。早苗は、ぐったりとしていた。
すぐさま神奈子は、御柱を一本、白蓮へ投げつける。
白蓮は、ヘッドスライディングの形で飛び退いた。
この隙に、神奈子は早苗を抱きかかえ、再び空へと飛び上がる。
ふと神奈子が振り返ると、白蓮がしきりに柱の根元を見ているのが分かった。
早苗が潰されたと思っているのだろう、と神奈子は考え、声をかけることにした。
「よう」
白蓮が、神奈子を見上げた。
「うちの早苗が迷惑かけたみたいだね。
でも、悪いんだが、人里にもあんたにも、早苗は渡せない。この子は私が連れて帰るよ。すまんね」
「ま、待ちなさい!そんな勝手が-----」
「ああ、自分勝手なのは承知の上だ。でもね、たとえこの子がどんな悪事を働こうと、私達は助けたいんだ。
あんたなら、私が言ってることが理解できるだろ?聖白蓮」
結婚して家を出ようとも、悪い大人になったとしても、やはり神奈子にとって、早苗は、大切な家族だった。
家族が困っていたなら、迷わず助ける。そこに理由などない。当たり前のことだ。
白蓮は黙ったままだった。神奈子はそれを肯定と取った。
「それじゃあ、私はこれで失礼するよ。
……私達がそれまで存在できていたのなら、また会おう」
「あ!」
神奈子は早苗を抱え、永遠亭へと飛んだ。
白蓮には「また会おう」と言ったが、神奈子は、もう会うことは無いだろうと思った。
最後の力を使いきり、もう早苗を抱えて飛ぶのがやっとだった。
早急な信仰心の回復が見込めない以上、あとは消滅を待つばかりであった。
神奈子は、あとどれくらい時間が残されているのだろうか、と思った。
一週間?一日?一時間?一分?それとも、一瞬?
分からない。でも、それがどんなに短い時間だろうと、早苗の為に使う。
それしか、今の私に出来ることが無い。
永遠亭へ辿り着くと、すぐさま早苗は手術室へと運ばれていった。
治療の終わりを待つ間、ふと、諏訪子の様子が気になりだした。
入院用に、早苗の寝巻き等の荷物を持ってくる必要もあることだし、と考え、一度神社へと帰る。
だが、神社には、寝かしたはずの諏訪子のは無く、いつもの帽子だけが残されていた。
その帽子の下に一言、『ごめん 先にいく』、とメモがあった。
諏訪子は、神奈子の到着を待たずに、消えていた。
神奈子は早苗の部屋へと戻り、バックへ、数少ない早苗の服を詰めだす。
ふと、何かを考えた後、ラジカセとCDを一枚、服と一緒に詰め込んだ。
再び永遠亭へ到着した時、ちょうど早苗の治療が終わり、病室へと運ばれていくところだった。
病室のベットに早苗を寝かせると、妖怪兎達は病室を出て行った。
病室は、早苗と神奈子だけとなった。
神奈子はバックから、先ほどのラジカセとCDを取り出し、曲をかける。
その曲は、かつて外の世界に居た頃、早苗が何度も聞いていた、お気に入りの曲だった。
神奈子はベットの横の椅子に座り、早苗の手を握る。そして、静かに、瞼を閉じた。
消灯時間になっても聞こえてくるラジカセの音と、一向に病室から出てこない神奈子の様子を見るため、一匹の妖怪兎が病室の扉を開けた。
そこに神奈子の姿は無く、ベットに横たわる早苗、一人だけだった。
ラジカセは電池が切れたらしく、苦情が来るほどの音量だったのが、だんだんと小さくなっていく。
やがて、ぷつんっ、と曲の再生が、止まった。
タンドリーチキン
作品情報
作品集:
21
投稿日時:
2010/10/09 21:37:50
更新日時:
2010/10/10 06:37:50
分類
早苗
次は永遠亭主観の話かな?
放棄の検査から事実を広めて収束するまで?
訂正しようと思ったけどパスワードが間違ってるとか言われた
あれー?
・箒の鑑定結果
・小傘が腹を押さえていた理由
・阿求視点から見た事の顛末
位かな?
ウォークマン聞いてる椛を想像すると可愛い
・早苗と入れ違いに椛のところへ来た人物は誰か
・アリスと霖之助の脱獄計画はどこから情報が漏れたのか
単なる読み逃しだったらごめんなさい
・地霊殿と紅魔館と霊夢・紫は何故動かない?
個人的に気になったのはこの2点かな
ウォークマンで椛のきいてた曲。何となく、『rock to infinity』とか『sonne』とか『DAY DREAM』とかが頭に浮かんだ。
早苗のきいてたのは『たまゆら』かな?・・・・・・このネタわかる人いるのかな?ギタドラやってないときついかな。
幻想郷のバランス維持に関わるから、博麗の巫女は介入できないな。
攻撃を受けたのなら、正当防衛の拡大解釈でどうにかなるかもしれないが…。
事件に関わった人達は、みんな不器用な連中ばかりだ。
最終的には、首謀者を含め、大勢不幸になるな。
個人的には文がキーマンになる気がしてならない。
今まで早苗犯人臭しかしなかったけど白か。
どうなんだろう。とにかく面白いのは確かだ。
そして予想を言うのは良くないとは思うが,永遠亭が怪しい気がする。
こういう推理ものを書ける人ってすごいよな。楽しみでしょうがない。
続きを楽しみにしてます。