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『ウォークン・フェアリーズ』 作者: sako

ウォークン・フェアリーズ

作品集: 21 投稿日時: 2010/10/16 11:05:55 更新日時: 2010/10/20 19:44:23
 




 妖精大戦争終結後、妖精たちはルナ派とスター派に二分した。



 第二次妖精大戦争の始まりである。









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――











 スコープを覗きこみ、八倍に拡大された世界を見る。
 風に揺れる枯れた草。むき出しの地面。砕けた石。そうして―――斃れた妖精の死体。
 荒涼とした大地にそれは幾つも転がっていた。

 腕を投げ出したモノ。頭が半分無いモノ。胸から上と腰から下がお別れし、お腹がどこかへ言ってしまったモノ。

 種類こそ様々あれどどれもこれも酷い死に様だった。
 凄惨たる光景。けれど、嫌悪も嘔吐感も恐怖も感じない。まるで自分の家の台所でも眺めているように、道を歩いているように、何となく空を仰いだように、その屍が積み重なる光景も日常と同じくただの風景にしか見えない。

 住めば都と言うが、異様な環境でもそこに長く身を置けばそれが日常に成り代わる。私は、いや、私たちはどうやらその実演をしているようだった。




 円に狭まり、十字に区切られた視界の向こう、仲間の死体を踏みつけ妖精たちが走っている。頭を蹴飛ばし、胸を踏みつけ、時に腸で足を滑らせこける。亡くなった人は大切に扱いましょう、なんて常識も過去のものだ。誰もが足下に転がっているのがかつての、一瞬前の仲間であるなんて考えてもいない。ただ、ひたすらに叫び声を上げて突き進むだけだ。そうしなくては、否、そうしても足下に転がる屍の仲間入りをするだけだからだ。

 ダダダ、と肺腑を震わせるような音が轟いた。

「右30。距離、450」

 傍らからかけられた声に従い、レンズを通した視線を右に動かす。
 そこに死体製造機があった。

 周囲の土を掘り返して盛った小高い丘の後ろ、更に鉄板を立てかけて作った壁の間から槍のように外に対して突き出されている熱い鉄の筒。そこから絶え間なく轟音と共に鉛の弾丸が吐き出されていた。

 ダダダ、ダダダ、ダダダ。

 絶え間なくリズムを刻み、昼間なのに辺りを照らす程、強い光を放っている鉄の筒。まるで火を噴くドラゴンのようだ。ただし、吐き出されているのは気化した鉄の奔流ではなく、鉄の芯に銅の頭をかぶせた鉛の弾丸だが。それが右に揺れれば五人の妖精をなぎ倒し、左に振れれば十人の妖精をひれ伏させる。形は違えど、あれは神話の代にかつて存在した竜の息吹と同じく、破壊と殺戮をもたらすものだ。

 ダダダ、ダダダ、ダダダ。

 にもかかわらず、妖精たちは闇雲に、盲目に、狂乱にドラゴンの口に向かって突っ込んでいく。勇者を気取っているのか? 否。竜の鱗は千人の兵に価するという。アレは竜ではないが真だろう。何人ものの妖精がいたところであれにはたどり着けまい。
 まるで幼子が落とした飴に群がる蟻に悪戯に水をかけているようだ。盲目的で悲惨で脆弱。近づいては腕を吹き飛ばされ死に、近づいては胸に穴を開けて死に、近づいては頭を撃ち貫かれては死ぬを繰り返している。学習能力、なんてものはないだろう。竜に喩えるあれにくらべれば脆弱と言っていい程、頼りない武器を腕に抱え、亜音で毎分500発は放たれる弾丸を前に心許ないヘルメットと薄い鉄板が入れられたベストを着て、気分が紅潮する錠剤を噛砕いてひたすらに突進している。千人が斃れれば千一人目があれに到達できるとでもいう風に。仲間の屍を乗り越えて。

 けれど、それは叶わぬ願いだろう。あの火力は絶対で誰も真正面からは到達できない。弾切れを待てば或いは可能かも知れないが、それまでには本当に千人の命を散らす必要があるだろう。

 私はそうさせないためスコープによって拡大された視線をまた、ずらした。

 錆び付いた分厚い鉄の盾の向こう。敵の妖精の顔が見える。その顔は狂喜に彩られている。唇を円弧に、見開いた目を血走らせ、髪を振り乱し、狂った笑みを浮かべている。口端に泡を作り、唾を飛ばしているのは聞こえないが口汚い罵りの言葉を上げているのだろう。それに私は既知感を憶える。そう、あれと同じものを見たことがある。場末の酒場の前だ。店主と思わしき禿頭に蹴飛ばされた浮浪者じみた格好の男。アルコールの毒を脳髄から指の先まで染み渡らせた人生の落伍者と同じ顔をしていた。あれは酔っているのだろう。他でもない。手にした圧倒的破壊の力に。幻想郷に、私たち妖精の間に新たに布かれたルールに。

 火竜は武器だ。武器は銃だ。毎分五百発もの弾丸を放つ重機関銃に分類される強力な火器だ。見れば突撃を仕掛ける妖精たちの手にも同じように火器が握られている。


 鉄と木と合成樹脂、コイルと火薬と雷管、鋼と鉛と銅、それらで出来た身体を持つ、人類が創りし武器の極地。不要となったモノ/要らなくなったモノが流れ着く幻想郷にやってきた破壊と暴力の体現者。識者曰く、『外の世界』の『軍縮』に従い、流れ込んできた戦争のための道具。銃。トカレフ、M1トンプソン、MG42、幻想郷の妖精たちは今、それを手に戦いを繰り広げている。



「クロちゃん、撃って」

 うつぶせでその光景を眺めていた私の手にも、無論。





 手に吸い付くよう磨き抜かれた木製フレーム。寸分の狂い無く切削加工された銃身。大量の生産品の中から究極の一として選ばれた各パーツ。3-9×のスコープ。私の肩にぴったり合うよう曲げられた銃床。弾倉には7.62mmNATO弾が二十発。既に初弾は装填してある。

 銃の向きを僅かに上へ。角度にしてほん1.23° 頬に当たる僅かな風を考慮して更にコンマゼロ1°だけ銃身を右に動かし、レティクルの端にデーシカ重機関銃を撃ち続ける敵兵の邪悪な顔面を捕らえる。

 私は一度だけ、息を吸い、吐いて、そこで呼吸を止め、一拍だけ間をおいて、そうして、糸でも引っ張るよう、軽い銃爪を引いた。

 ぱぁん、と耳に痛い音。右の耳に脱脂綿で栓をしていても鼓膜が揺さぶられるような音に軽い目眩を覚える。私の隣で同じようにうつ伏せになって双眼鏡を覗いている観測手の耳にも。けれど、その音をデーシカを撃つあの敵軍の妖精兵士は聞けなかっただろう。私が放った弾丸は音速を超え、僅かな風力の影響を受け左に流され、重力に捕らわれ大局的に見れば円弧の弾道を描き、そして、


 ぱっん


 音を立てて敵妖精の頭を穿った。

 7.62mmNATO弾の鋭い切っ先が眉間の中心から僅かに右にずれた場所に突き刺さる。ライフル弾は片手で弾いて遊べる程軽いものだが運動エネルギーは重量と速度の積から導き出される。音速を超える速度で飛ぶ真鍮の塊は分厚い頭蓋骨でさえボール紙のように容易く貫く。その中に包まれたババロアのように柔らかな脳漿ならばなおのこと。脳神経や海馬、脳皮質血管大脳小脳の区別なく、多少の抵抗に僅かに屈折するよう曲がりながら銃弾は耳の後ろの部分を爆ぜさせながら再び外へと飛び出した。自身が砕いた頭蓋と一緒に地面に埋もれ銃弾はその生涯を終える。そうして、妖精も。
 暫くは身体はまだまだ遊び足りない駄々っ子のようにトリガーを引き続けていたが、やがて疲れたように自然と後ろ向きに倒れた。頭に開いた穴からどくどく流れる血は地面にへと吸い込まれていく。
 我が方の兵士はそれに気づいているのかいないのか、そのままの勢いで防衛ラインを突破。雪崩を打って敵方へ責め立てた。

 各々が手にしているM16のトリガーを引き、突撃する。デーシカ重機関銃の後ろ、塹壕に隠れ控えていた敵兵もAk-47を振り上げ応戦。銃撃戦が始まった。

 今の幻想郷では珍しくない光景だ。こと、特に私たち妖精の間では。

「クロちゃん、次。左60。距離550。また、銃座よ」

 観測手にして私が地上で一番信頼している人物の声に分かった、と言葉だけを返し、言われたとおりの方向へ銃を向ける。スコープの倍率を弄ってピントを合わせる。極限の緊張、恐怖に顔を引きつらせる敵兵の顔が見えた。また私は息を吸って吐いて、呼吸を止めてトリガーを引いた。遙か向こう、血肉と共に命の花が散った。

 これが私たちの戦争だ。








――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









「ひぃ、ふぅ、みぃ…」

 空になった真鍮の薬莢を数えながら拾う。拾ったのは十発。撃ったのは十発。当てたのは、

「全部命中したね」

 十発だった。

 その事はよく分かっている。私に撃たれ、脳漿と頭蓋と血肉を散らし死んだ妖精の今際の際を看取ったのは他でもない、殺した私自身なのだから。
 目をつぶればありありとイメージできる。覗きこんだスコープ、十字に視界を区切るレティクルの向こう、今の今まで狂気か恐怖か、それともそれ以外の感情を浮かべていた妖精は私が銃爪を絞った直後、瞬き程度の時間の後、誰しも呆然とリラックスした表情を浮かべて倒れていくのだ。そこには感情はない。殺し殺される戦場の基本摂理から受けるストレスも、過剰に分泌された脳内麻薬も投与された実際の麻薬も、凶悪な武器もごつい防具も、何もかも捨ててしまって、ただ、生と死の境界の上に裸で放り出されたように、撃たれた妖精は呆然とする。殆どはそのまま死の側へ倒れていく。ほんの一握りの妖精だけが生の側へ逃れられるが、ライフル弾をもろに受けたその後の生活がどうなるかなんてことは想像したくない。

 私はため息をついて、拾った薬莢をポケットにしまい、片膝をついて身体を起こす。周囲を伺おうとして、隣から先んじるように声をかけられた。

「大丈夫だよ。戦線は移動している。この辺りには敵も味方もいない」

 その言葉を聞いて私はやっと銃から身を離した。立ち上がり、ずっとうつ伏せになっていたせいで固まりきっていた身体を伸ばし、リラックスさせる。そうしてそのまま、日が暮れ、暗くなり始めている辺りを見回す。
 敵の姿を探しているのではない。
 オレンジ色の西の空、群青色の東の空。それに挟まれた紫色の北の空をただ、眺めているだけだ。

 先ほどの激しい銃声と怒号が嘘のように辺りは静か。
 
 遠雷のように遙か彼方で砲声が轟いているだけだ。まるで嵐の夜の前のよう。産毛が立ち、肌がぴりぴりする。早く帰れと暗に促されているように。
 
 それでも私は呆然と遙か地平線の彼方を眺めていた。
 ブルドーザーで掘り起こされ、砲撃で荒らされ、軍靴で踏みならされた荒涼とした大地。枯れた雑草が半ば地面に埋もれている。三日前は青々としていたであろうその葉っぱは今は色あせ、先から枯れ始めている。冬を前に土に還ってしまうだろう。そうして、妖精たちの亡骸も。夥しい数の仲間の亡骸が地面に横たわっているがそれを葬ろうという輩はいない。余りに数が膨大で、あまりに次々と作られ、そうして、獣や鳥、人間とは違い妖精の亡骸は放っておいても二、三日で溶けるように土に還っていくからだ。だから、誰もそんな無駄なことはしない。いや、出来ない。やはり、戦前なら巫女に狩られたか、不運な事故にあったか、自然死か、兎に角、妖精の亡骸を同類が見つければきちんと埋葬してあげただろう。以前なら私の愛おしい人は絶対に、私でも想うところがあればそうしただろう。けれど、今はしない。いや、出来ない。そんな余裕はないからだ。そう、戦時中である今は。


 あの氷精がたった一人で挑んだ妖精大戦争から数ヶ月、私たち妖精は再び矛を交えることになった。誰と? 他ならぬ私たち自身と。内乱か、分裂か。それまでそれなりに仲が良かった私たちは二人の指導者の下、気がつくと武器を手に争いを始めていた。スターサファイアとルナチャイルドの命令下、妖精たちは一心不乱の大戦争を繰り広げることになった。

 もはや、その発端は私のような末端ではうかがい知ることすら出来ない。いや、もしかするとその理由など些細なもので、双方の総司令が話しあえば明日にでも戦争は終結するかも知れない。

 だが、その日の訪れは遠いようだ。

 一日で数キロも移動する戦線。かと思えば廃墟に残された小さな掘っ建て小屋を挟んで双方が三日三晩、不眠不休の戦いが繰り広げられ、負傷者が担ぎ込まれる野戦病院に誤射か故意か曲射砲が撃ち込まれる。血を血で洗う地獄の様な戦い。来る日も来る日も誰しもが殺し死に殺され死に、明日も殺され死に殺し死ぬ。もはや、どうなれば勝利なのか、どうなれば敗北なのか、どんな形であろうとも終結はあり得るのか、泥沼と化しこの戦争は既に識者の間では第二次妖精大戦争と呼ばれている。

「―――」

 もしかすると私はこの荒涼とした大地に、争いの果てに訪れるものを視ていたのかも知れない。









「どう…したの?」

 と、私が柄にもなくそんなセンチメンタルな感情に浸っていると相方の観測手がそう声をかけてきた。やっと、紫色の空から目を逸らす私。

「別に、黄昏れてただけよ」

 素っ気なく応える。
 この先どうなるのか、戦っている理由は、妖精の死と戦争とは、そんなこととりとめもなく考えていた無意味な思考だ。口に出すのも恥ずかしい。

「…そう」

 寂しげな声。私の答が気に入らなかったのだろうか。そう訝しんでいると相方は私の考えとはまるで違う言葉を続けてきた。

「私は…クロちゃんが悔やんでいるのかと思った」
「?」

 疑問符、何を悔やむのだろう。

「妖精を…仲間をころ…撃ってる、ことに」

 悲しそうに、辛そうに、殺すとは言えず、撃つと私の中では同義、けれど、彼女の中では違う言葉で説明される。

「…まさか」

 少しだけそう考えて応えた。いや、本心だ。トリガーを引く指に躊躇いはなく、スコープを覗くことに嫌悪もない。殺すことに躊躇いはない。そもそもそうしなくてはならないからだ。

「私の分まで…撃ってくれてるし」

 俯いたまま流れ出るように出てきた言葉には暗い感情がこもっていた。自軍への批判、不条理に対する怒り、私への申し訳なさ、そうして、自己嫌悪。そんな、考えなくてもいいことをこの人は考えている。何を馬鹿な、と私は怒りを露わにした。

「そんなことない。適材適所だよ。それにねぇ…」

 と、でかかった言葉がのど元で止る。耳元には馬の嘶きに似た駆動音が。トラックだ。敵? 味方? 私はすぐ腰を下ろして仕舞おうと思っていた銃を構えた。何処だ。視線を巡らせる。

「大丈夫。友軍よ」

 焦る私にかけられる優しい声。見上げれば彼女が双眼鏡を音のした方に向け、覗きこんでいた。暫く待っていると確かに言ったとおり、私たちが所属している軍のトラックが向こうの林の間から現れた。

 薄汚い幌を付けたディーゼルエンジンの四駆。私が手にしているスプリングフィールドM14と同じく、外の世界から流れ込んできた軍事物資だ。バンパーは鉄板で補強され、フロントガラスの左上には銃弾を受けたと思わしき小さな穴まで空いている。黒い排気ガスを吐き出しながら走る姿はさながら死にかけの雄牛のよう。そして、恐らくこの例えは間違っていない。

 トラックは私たちの前まで来るとハンドルを切って止った。

「よう、調子はどうだい?」

 軽薄そうな調子で運転手の妖精が言った。
 応える義務はないので無視していたら相方が勝手にぼちぼちでんな、と応えていた。少し、頭痛を憶える。

「そうかいそれは上々。ところで、一人なら乗れるスペースがあるんだけど、どうする?」

 そう言って、顎を後ろのしゃくってみせる運転手。後ろの幌から別の森林迷彩柄に白のペンキでNatural Born Killersとあるヘルメットを被った妖精兵士が現れて手を振った。

「………」

 トラックの運転手の誘いはある意味では渡りに船のように助かるものだった。ここから自軍の陣地までは結構ある。“歩いて”帰らなければいけない今ではこのトラックのような自動車は長距離移動の必需品だ。けれど、ある意味、だ。乗れるスペースは一人だけで、私たちは当然二人だ。私は相方と一瞬だけ顔を見合わせ、同時に視線を運転手へ戻した。

「あのクロちゃん…」
「彼女を乗せてやってくれ。私は歩いて帰る」

 有無を言わさぬよう、先に早口で応える。けれど、案の定、彼女はでも、と口を挟んできた。

「クロちゃん、疲れているだろうし、いいよ。私、歩くから」
「いいんだ。あれぐらいじゃ全然疲れないし、明日は待機だから大丈夫。それに同じ軍って言っても、私は誰か知らない人と一緒にいるのは嫌だから」

 疲れていない、以外は事実。それに武器を持っていない彼女を一人で歩いて帰らせるわけにはいかない。今日の戦闘は自軍の快勝でこの辺りはすっかり占領下だが、どこに敵兵の残党が潜んでいるか分かったものじゃない。トラックに乗っている連中は軽薄そうだが、しっかりと武装した兵士だ。もしかするとライフルとバックアップのハンドガンしか持っていない私と一緒にいるよりも安全かも知れない。

「でも…」
「あれ、お前…」

 なおも食い下がろうとする彼女の言葉を遮るよう、トラックの後ろから顔を出していたヘルメットが口を挟んできた。

「狙撃兵か?」

 瞬間、運転手の瞳が、警戒心を露わに細められた。
 私の顔を見て、トラックの荷台に載ったヘルメットの方へ視線を向け、また、私に戻し、そうして、私がずっと握りしめていたスコープ付きのM14を見た。

「ヘタレシューターかよ。勘弁してくれよ。やっと帰れるって言うのにこれじゃあ幌ん中の空気が悪くなるだろ」

 大仰な動作で、わざわざ私に聞こえるよう不満をたれるヘルメット。そういうこいつは突撃兵だろう。迷彩代わりに緑色の染料を顔に塗って、無骨なヘルメットを被る、44口径信仰者。がさつな連中だ。
 ここからは見えないが幌の中にいる仲間も同じようで、デジマ? チキン女郎かよ、あたし妖精だけどスナイパーってダサいと思うのよね、なんて声が聞こえてくる。

「何か言った?」

 怒りを露わに、私は銃把を握る手に力を込める。
 私のような狙撃兵は敵軍にはどこから撃たれるのかまるで分からない恐怖の存在だが、同時に自軍にとっても、特に彼らのような突撃兵たちからは疎ましい存在として扱われることがある。理由は感情的なものだ。曰く、『自分たちがいつ死ぬか分からない前線で戦っているのに安全な後方から戦果を上げるなんてチートプレイだろ』とのことだ。馬鹿馬鹿しい。確かに死にやすさで言えば後方の狙撃手より前線の突撃兵だろうが、決して私たちとて安全ではない。カウンタースナイプされる可能性があるし、敵軍が私たちの位置を大まかにしか掴んでいない場合は周囲ごと砲撃される可能性さえある。それに狙撃手はその効果から敵兵から特に恨みを買いやすく、投降を許されないとこともあるという。味方を殺したのか殺していないのか激戦の中では判別がつかない突撃兵より、確実に友軍の命を奪っている狙撃兵の方が敵として認知されやすい、というわけだ。

 もっとも、そんなことを今ここで逐一説明してもこいつらは聞き入れてくれないだろう。まじめに相手の意見を聞き入れる脳みそがあるとは思えない。
 
「乗せてもらえますか」

 売られた喧嘩を買うように私が一歩前に出ると更にその先に相方が歩み出てきた。

「ちょ…」
「ごめん―――でも、やっぱり、私も疲れちゃったみたい」

 そう、本当に申し訳なさそうに彼女は私に言った。
 ああ、そうだ。申し訳なさそうに。こんな風に自分が楽することでしかこの場を丸く収めれないと思ってだ。
 それを読み取って私の怒りももう何処かに行ってしまった。

「じゃあ、また後でね…クロちゃん」

 そう言って、トラックの後ろに回り込む彼女。ヘルメットの手を借りて荷台へ乗り込む。じゃあな、と社交辞令じみた挨拶だけして運転手は車を発進させた。うなり声のようなエンジン音と咽せる黒煙を吐き出しながら私の目の前でトラックは進み出す。

「気をつけて、クロちゃん」
「ええ、姉さんも」

 荷台から身を乗り出して手を振る私の姉…リリーホワイト。
 私の名前はリリーブラック。
 M14を手に敵の頭を撃ち貫く狙撃兵だ。













――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








「………」

 それから一時間は経っただろうか。
 私は一人、レーションのスナックバーを囓りながら自陣を目指し歩いていた。先ほどのトラックが地面に作った轍を目印に、それなりに周囲に警戒を払いながら歩く。
 自陣までは後半分、と言ったところか。妖精同士の戦いが激化するに従って、流れ込む武器のように戦場…幻想郷そのものの大きさも広くなったように思えるのは歩きづくめで疲れているから、その錯覚だろうか。
 既に辺りは暗くなっている。空は漆黒に染まり星が瞬きを見せている。月はなくしっかりと足下を確認していないと躓きそうになる。けれど、この暗さはありがたかった。これだけ暗ければ敵に見つかる可能性もうんと低いからだ。こんな状況で敵に見つかるのは相当に運が悪いか、敵がこちらを執拗に狙っているかのどちらかだろう。いや、どちらも運が悪いことに代りはないか。
 日が落ちたせいか空気は冷たく、争いの勢いで熱せられた大地も今は底冷えする冷たさをもっている。歩き続けているから身体の芯まで冷え込む、と言うことはないが銃を抱えた手や分厚いゴム底のブーツに包まれた指の先はすっかり冷たくなっていた。頬や耳も冷たい。

 こんな時、飛んで帰れればと、思わず無理な相談で空を見上げる。

「………」

 そうして私は何を思ったのか、食べかけの…けれど、それ以上食べようとは思えない不味いレーションを思いっきり、頭上へ向けて投げ捨てた。
 刹那、遙か遠方から夜空を切り裂く速度で何かが飛来、重力と投擲力の均衡地点で浮いていたレーションを貫いた。僅かに私の頭上からずれた位置へレーションが落ちてくる。それには一本、太い針が突き刺さっていた。…紅白巫女のものだろう。


 戦争が激化するに従って巷にあふれ出す武器や広くなった幻想郷以外にももう一つ変化が訪れた。

 それは弾幕ごっこのルールの変化だ。

 それまで異変解決の道中、前座として活躍していた我々妖精たちは自分たちの戦争に尽力するため、雇い主や使役主である幻想郷の各権力者、紅魔館の吸血鬼や白蓮教教主の元から離れていった。中には頑なに忠誠を誓う者もいたが、多くは魔力のおこぼれやちょっとしたおやつのために働いていたような連中ばかりだ。その判断は正しいだろうし、私自身がそうであった。
 かくして道中の弾幕は人手不足でなんとも手応えのないものになり、その埋め合わせをするようボスの弾幕は激しいものになっていった。
 ぬるい道中と苛烈なボス戦。その激しい高低差を誇る難易度に異変解決のプレイヤーからは不満が続出したのは言うまでもない。それに対して真っ先に対策を下したのは永遠亭の医者だった。
 道中を廃止し、最初から全力で巫女たちプレイヤーに挑む。
 それが永琳女医が示した新しい弾幕ごっこだ。
 それはさぞや空を駆け、激しいショットを放つ巫女たちには刺激的なゲームになっただろう。刺激的。巫女たちにとっては。
 全力を出したボスたちの攻撃は苛烈を通り越して激烈。対するプレイヤーも強力なショットで迎え撃つ。巫女たちとボスたちが繰り広げる超絶の弾幕ごっこ。その周囲は一種の決死結界、1ドットのズレが即、死に繋がる戦場以上のG線上ヘヴンズドアだ。そこは不可侵領域にも等しい。ボスとルナプレイヤー以外の存命を許さない。飛べば飛ぶ鳥を落とすよう―――否、文字通り、空を飛ぶ者は何であれ、両者の攻撃に巻き込まれるか、今のレーションのようにめざとく巫女たちに撃たれスコア稼ぎの的にされる。巫女たちに対地攻撃能力がないのがせめてもの救いだったが、かくして鳥と蝙蝠と羽虫は地に追いやられた。我々、妖精も同様に。

 今日も天にも地にも弾幕は飛び交っている。


「………」

 自陣までの長い道中、今の幻想郷についてとりとめもなくそう考える。無論、考えるだけだ。この誰しもがいつ死んでもおかしくない、異様な閉塞感に包まれた世界をどうにかしようなんて考えは起きない。私は所詮、末端の兵士だし、ただの妖精だ。幻想郷を揺るがすような異変もそれを解決する力もない。戦争の狗ならぬ戦争の妖精。いや、あまりかっこよくはないな。

 巫女に撃ち貫かれたレーションを残し、さぁ、残りの半分だぞ、と気合いを入れ直す。どうせ明日は待機だ。帰ったらシャワーを浴びて、昼までぐっすり眠ろう。

 と、歩き出してからものの数分としないうちに私は僅かに心に危機感を憶えていた。

「…ヘンな匂いが」

 鼻孔を擽る嫌な匂いが風に乗せられ運ばれてくる。火薬の匂いでも、死体の匂いでもない。生理的ではなく生体的に嫌悪を催すような悪臭。嗅いでいれば鼻や喉、肺を悪くするような。

 私は一応、M14のセーフティを外し、後は初弾を装填すればすぐに発射できる状態にする。ちょっとした警戒心。この臆病な正確のお陰で私は狙撃兵としてやっていけているのだ。もちろん、目が良くて周囲の雰囲気を読むことにも長けている姉さんのバックアップもあってこそだが。

「………」

 轍に沿って歩いて行くに従って、警戒心は今まで以上に膨れあがっていく。鼻に届く匂い―――もはや、刺激臭と称せる匂いはどんどん強くなっていく。腰を落とし、ゆっくりとハンドルを引き、初弾を装填する。グローブが自分の汗で湿っていくのが分かる。ぎゅっと強く銃把を握り、警戒を最大限に私はゆっくりと進んだ。

 ぱちぱちと何かが爆ぜるような音が聞こえてきた。前方に明かりが見える。警戒し私は近くに身を隠せそうな砲撃の跡を見つけるとそこへ静かに身を潜め、頭だけを出し、ライフルをその光の方へ向けた。そして、スコープを蓋を開け、覗きこむ。

「ッ!?」

 いきなり飛び込んできた光景に私はおののいた。目と口を洞のように開いた妖精の逆さまの顔が視界に飛び込んできたからだ。その怖気震う顔は血に黒く染まっていた。明らかに死んでいる。炎だろうか、ゆらゆらと揺れる光源がそれを照らし出している。
 ゆっくりと視線を左右に動かすと同じように事切れた仲間の死体を見つけた。次いで横転したトラックも。燃えているのはトラックの荷台だ。どうやら、敵に襲われたらしい。死体を調べてみるがどれも友軍のものだ。敵のそれは持ち去られた…とは考えにくい。死体の回収なんてことは前述の通り、自軍も敵軍もしないからだ。だとすれば敵は見る限り五人近い我が方の兵士を一人の犠牲者も出さずに壊滅させたらしい。これは早くここから立ち去った方が良さそうだ、と結論づける。
 と、適当に彷徨わせていた視線が一つ、あそこに倒れている自軍の兵士の頭からすっぽ抜けたであろう、ヘルメットを見つけた。
 何処かで見たようなヘルメット。森林迷彩の柄。そこには…

「“生まれながらの殺人鬼”?」
 Natural Born Killers.


 私は穴から飛び出し、走り出していた。


「はぁはぁ…畜生。姉さん! 姉さんっ!」

 毒づいて倒れている妖精たちの顔を一つ一つ確認していく。まさかまさか、と確認する直前、それが姉さんの顔をしているのではと恐怖に駆られる。
 落ちていたヘルメットのすぐ側にはやはりあの突撃兵が倒れていた。首に大きな穴を開けて、自分の血で溺れ死んでいる。その手にはM16が握られている。果敢にも抵抗したのだろうが結果はこの通りだったようだ。他の死体も同様だった。一方的な虐殺。闇夜に紛れて不意を打ったのだろう。いや、今はそんな状況を推測している場合ではない。周囲に倒れていた死体全てを確認すると私は燃えさかる炎に身体を炙られながらも幌の方へと近づいていった。入り口付近でM16を両手にした兵士が身体をバーベキューにされながら倒れている。

「姉さん! 姉さん!」

 トラックの荷台を覗きこむ。
 中には…誰もいなかった。

「畜生…!」

 焦りだけが募っていく。どこだ、姉さんは確かにこのトラックに乗って先に自陣へ帰っていったはずだ。途中でやっぱり、私と合流するために降ろして貰った? 何を馬鹿な。都合が良すぎる。私は頭を振り乱し、冷静になろうと努めたが無駄だった。目をつぶれば、いや瞑らなくても眉間から血を流して倒れる姉さんの姿だけが思い浮かんでくる。

「畜生、畜生、畜生!」

 顔を照らす炎が熱い。けれど、その熱さも心までは届かない。それに心は既に熱いのだ。魔女が煮詰める釜の底のように心は絶望に滾っているのだ。

「畜生!」

 まだ、近くに敵がいるかも知れないのに私は大声を上げた。こんな事なら姉さんと二人で歩いて帰るべきだった。こんな奴らに姉さんを任せるべきではなかったのだ。私は夜空に向かって吠えたてた。












――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――










「………」

 星空が、キレイ、とリリーホワイトは思った。
 真っ黒なテーブルクロスの上に砂糖菓子を散りばめたような綺麗な夜空。強く輝く星をつなぎ合わせると動物たちや可愛らしい道具が浮かび上がり、願い後を戸叶えてくれる流れ星が横切っていく。澄み切った夜空を眺めていると心まで澄んでいくような、そんな思いにかられる。



 いや…


「ハァハァハァ…うっ、出すよ」


 リリーホワイトはあえて、そう思おうとしていた。














「いけ好かない奴だったな」

 ガタゴトと揺れるトラックの荷台、幌に背をもたれかけさせていたメットがそうぼやくように呟いた。


 さしたる問題もなくトラックは自陣目指して走っていた。この辺り一帯は完全に制圧済みと報告を受けているので警戒もそこそこに気楽な道中だった。リリー姉妹を運転手が見つけ、気を利かせて乗せようと誘うまでは。
 それから十五分、トラックの荷台の中は閉店間際の場末の酒場にもにた何とも陰鬱な空気が漂っていた。
 気怠げな様子で腰を下ろす妖精は口数少なく、喋ってもひそひそ声。話は弾まず、すぐに打ち切られる。もう少しで安全な自陣に帰れるというのにそれを喜ぶようなムードはなく、むしろ今日の戦闘の疲れがどっと現れているような、そんな雰囲気だった。

 それに耐えかねたのだろう。メットがぼやくよう、けれど、皆に聞こえるように呟いたのは。

「だいたい、安全なとこからぱんぱん撃つってのが気にくわないね。戦争の醍醐味は零距離の白兵戦だろ」

 まったくだ、でも、ヘヴィィマシンガンは簡便な、とどこからか同意の声が上がる。リリーホワイトはそれをうつむき加減に黙って聞いていた。

「そもそもあんな卑怯な手段で人のスコア盗むなって感じだ。こちとらペナルティ科されないように必死こいて突撃してるのに」

 そこでメットは思いついたように話を変えた。

「ところで、お前ら、今日のスコアは? 俺は5だ」

 おおっ、とか、やるな、流石、と言った賞賛の声が上がる。続いて、私は3だの、4だ、おしいな、だの、残念そうに、ウチは1点だけ、と言った声が続く。

 空を飛びかい、ギガ単位のスコアを稼ぐ巫女たちと打って変わって、地に追いやられた妖精たちはそんな両手で十二分に数えれるような点数で競い合っていた。ただし、ここは戦場だ。ただの一点を稼ぐためには相応の技量と勇猛な度胸、そして、天の運が関係してくる。ついで、一点、二点と数えるのは間違いかも知れない。数え方はこうだ。『一人』『二人』

 リリーホワイトが所属する軍では、いや、恐らく敵軍でも、兵士たちの戦闘意欲を鼓舞、或いは強制するためにあるルールが設けられていた。それは……『一人一殺』である。銃を持ち、弾を込め、戦場に立ったなら必ず一人は敵を倒せ、という分かりやすいルールだ。ルール、と言っても明文化されているわけではなく、どちらかと言えば『暗黙』のと頭に付ける方が正しいのかも知れない。実際、運悪く敵を一人も倒せなかったところでペナルティらしいペナルティはない。下手くそめ、次は頑張れよ、と言ったところだ。

 ただし、次も、その次も敵を倒せず、いや、弾も撃てないのなら話は変わってくる。
 ここは戦場だ。闘争心のない輩など友軍の士気の低下を招くどころか、下手をすれば自軍の弱点になりえる。その考えは司令部だけではなく前線で戦っている実働隊でも同じだ。司令部は勝利のために、前線では何より自分自身たちが生き延びるために、そんな軟弱な、ここではあえて軟弱と説明しよう、軟弱な輩を部隊に置いておくわけにはいかない。グループの中の特異な存在を許さないのは別段、イジメや村八分がある人間に限った話ではなく、群れる動物も当然、妖精たちにでさえあり得る集団行動だ。銃を撃てないと周囲に知られた妖精の末路は悲惨だ。配給の食糧が減り、部隊の仲間からは怪訝な視線で眺められ、時にはリンチなどの酷い目にあう。そうして、それでもなお敵を倒さぬ妖精は激戦区へ送られる。敗北が決定しているような撤退戦のしんがり、要塞攻略の第一陣、そんな弾よけや囮のような使われ方をして死ぬのだ。
 人道的ではない、と平時なら叫べるだろうが今は戦争中。ただのパシフィストが戦争を止められるはずもなく、ここでは平和の象徴である鳩より死を運ぶ鴉の方が好かれる。
 故に兵士たちは自分たちが銃も撃てぬ腑抜けと扱われるのを特に嫌い、そこから転じて“安全な”場所から狙撃するスナイパーに対して侮蔑の感情を抱くようになっているのだ。基本、深く考えずノリだけで行動する直情型の馬鹿が多い妖精たちの軍隊だからこそ特にその風潮も強いのだろう。

「ところで、貴女は?」

 それまで一言も声を発さず黙っていたリリーホワイトに兵士の一人がそう声をかけてきた。話を振った、と言うよりは明らかにいじめの対象としてリリーホワイトを見ているような卑怯者の目だった。脅えた調子で闘争心というものが感じられないリリーホワイトの今日の戦績を良くて1、おそらくは0と踏んで、それを話のネタに笑おうという魂胆なのだ。
 案の定、リリーホワイトはトラックのエンジン音にかき消されるような小さな震える声で「ゼロです」と応えた。ハハハ、情けないなぁ、と嘲いの声が上がる。

「まぁ、観測手、っていうんだろ、アンタのポジション。スナイパーの隣で双眼鏡覗いて、何処に撃てばいいのか探す奴。で、ついでにSMGとか持って、近づいてきた敵を倒すだけの防御役だろ。まぁ、それじゃあ、スコアなんて…うん?」

 と、リリーホワイトの事を笑っていたメットが何かに気がついた。訝しむよう、眉を潜め、リリーホワイトの体を頭のてっぺんから足の先まで順に眺める。

「アンタ、鉄砲は? 観測手だったらトミーガンかいいやつだったらM4ぐらい持ってるだろ」

 言葉の通り、リリーホワイトは防御用に取り回しやすい短身機関銃やカービンライフルを持っていなかった。いや、それどころか…

「持って…ません」

 護身用のハンドガンすら持っていなかった。リリーホワイトの装備品で目立つのは観測用の大きな双眼鏡だけ。後はM14の替えの弾倉やレーション、コンパスと地図といった当たり前の装備しか持っていなかった。ナイフすらそのベストには持ち合わせていない。

「まさか、アンタ」

 うわずった声でリリーホワイトを指さすメット。リリーホワイトは怒られるのを耐えるよう、その体を小さくした。

「聞いたことがあるわ。臆病者の癖に前線送りになってない奴のコト」

 と、眼鏡の妖精がそんな事を口にした。一同の注目が眼鏡に集る。

「敵を倒すどころか、銃も撃てないような軟弱者なのに上から特に移動命令も出されてない奴。特例、になるのかしら。そういう奴がいるって話」

 なんだよ、それ、とメットが話を促す。自分の知識…噂話程度のものなのだが、それを語るのが嬉しいのか眼鏡はにやりと笑むと、まるで秘密の話でもするようにひそひそ声で話し始めた。

「なんでも、そいつには相棒がいて、その相棒がそいつの分まで敵を倒すから前線送りは免除してやる、って話よ。ねぇ、貴女の代りにトラックに乗らなかったあの狙撃手の黒いの、今日のスコアは幾らだったの? 貴女、観測手だったんだから、知ってるんでしょ」
「………」

 リリーホワイトは話を振られても黙っていた。まるで、教師に悪戯がばれているのに黙っていれば見逃してもらえると思っている駄目な生徒のように。

「ねぇってば」
「応えろよ」
「幾らだったんだ、おい」

 けれど、荷台の一団は許してくれそうになかった。執拗に聞いてくる。早く諦めて、とリリーホワイトは頭を抱えた。体を小さくして、まるて胎児のように丸まる。それが功を制したのかもしれない。

「!?」

 不意に激しい振動に包まれるトラック。下が左に、左が下に、右が上に、トラックは横転する。そうして、そのまま横滑りに土を抉っていく。荷台はまるで芋でも纏めて洗っているような混乱に包まれる。慣性の法則で荷台の前の方へ無理矢理押し込められる兵士たち。誰かが誰かの上に覆い被さり、更にその上から誰かがのしかかる。いま、自分の胸の間に挟まっているのは誰の手なのか。やがて、十メートルも横滑りして、自身が耕した土に乗り上げやっと止るトラック。変わらず後輪のタイヤだけはまだぐるぐると役目を忘れず回っていたが、前輪はタイヤそれそのものが失われていた。周囲のフレームもひん曲がり、焼け焦げていた。

「っ、何が…」

 起こったんだ、とメットがずれたソレを直しながら体を起こす。他の者も同様。怪我はいくつか負っているようだったが幸いにも死者、重傷者はいないようだった。
 否、

「撃て」

 これから重傷を負う者も死ぬ者も出てくるのだ。
 倒れた荷台めがけ五つからなる火砲が火を噴いた。ダダダ、ダダダ。幌を突き破り、荷台の中へ飛来する無数の弾丸。それらは荷台のフレームに当り、火花が散らし甲高い音を立てる。穿たれた兵士が悲鳴を上げ、本能的に体を小さくする。

 道なき道を走っていたトラックはその道中、敵軍が仕掛けた地雷を踏みつけてしまったのだ。運転手は割れたフロントガラスからなだれ込んできた土に押しつぶされ圧死。殆ど間髪入れず敵軍はそこへ攻撃を仕掛けてきたのだ。

「クソ、敵襲だ! 出ろ出ろ!」

 メットが叫ぶ。M16を拾い上げ、幌の向こうへ銃口を向け、フルオートでトリガーを絞る。僅かに外からの銃撃が怯んだ隙に眼鏡が我先にと飛び出そうとする。その眉間が眼鏡ごと撃ち貫かれた。真ん中で断ち切られた眼鏡がずり落ちる。続いて出ようとした妖精兵士の体の上に眼鏡の亡骸がもたれ掛かり、外に出るのを邪魔する。

「畜生!」

 その妖精は眼鏡の体を突き飛ばした。それは少しだけ彼女の生存時間を長くするのに役立った。突き飛ばした眼鏡の体にまた銃弾が命中したからだ。そのまま、眼鏡の体を抱きかかえていれば撃たれたのは彼女だっただろう。悲鳴を上げ、顔を引きつらせながらその妖精兵士は外に出る。乱暴な急停止のせいで頭が揺れ、足はふらつき、酷い吐き気に見舞われている。その頭痛と目眩と吐き気を止めてくれるよう、その体に何十発もの銃弾が浴びせかけられる。瞬く間にボロ雑巾のようにされた妖精はそのままやはり足をふらつかせながら前のめりに倒れる。

「とまんな! 出たら突っ走れ!」

 咆吼を上げ、タイミングを計り、メットが車外へ躍り出る。倒れたトラックを盾に、闇夜の向こうから銃撃を繰り出してくる敵へ応戦する。だが、敵からは怒号は愚か悲鳴の一つさえも返ってこない。ただし、代りに嘲笑じみた気配が攻撃に乗って返ってくる。敵はその総数さえ分からず、こちらはトラック横転の混乱から立ち直れていない。圧倒的に分が悪かった。仲間がメットに続くがまだまだ戦力が足らなかった。分刻みで誰かが銃撃を受け、命を散らしていく。

「おい!」

 と、幌の入り口付近に陣取り攻撃していた妖精が幌の中へ向かって叫んだ。声に反応し、最後まで残っていたリリーホワイトが顔を上げる。

「出てきて戦ってよ! このままじゃ全滅しちゃう!」

 眼鏡のものだったライフルを拾い上げ、その妖精は幌の中のリリーホワイトへ向けて突き出す。受け取って、トリガーを引け、と言っているのだ。
 けれど…

「………」

 リリーホワイトは首を振るだけだった。耳元でなる蝶弾の音に脅え、間近に迫った死の気配に恐怖しながらも、強い嫌悪の表情で突き出されたM16のグリップを見つめている。できません、とその唇がゆっくりと動く。

「あなた、まさか…」

 諦念のような、どこか悲しげな表情を真っ暗な幌の中へ向ける妖精。
 その顔がぐにゃりと憤りか、嫉妬か、何かに歪む。

「冗談じゃない! 撃ってよ! 戦ってよ! 何!? 死にたいの?」

 怒気のこもった声で吠え立てる妖精。遅れてそれを促すように銃撃。暗い幌の中で銃弾が跳ね回る。誰かが撃たれたのか悲鳴を上げた。猛獣の牙と爪じみた死が間近に迫っているのを確かに感じる。
 早く受け取れと、妖精はライフルを突き出す。リリーホワイトは顔を歪めた後、奥歯を強く噛み締め、これから熱した鉄の棒でも握るかのように恐る恐る手を伸ばし始めた。緩慢な動作。指先は震え、力がこもっていない。心底、嫌がっているのは誰の目にも明らかだった。

「ほら!」

 妖精の声にやっと顔を上げるリリーホワイト。瞬間、目にしたものは…

「お前で最後か」

 いつの間にか傍らまで詰め寄っていた敵軍の兵士によって撃たれる妖精の姿だった。一度二度、トリガーを引けば事足りるはずなのに敵兵は執拗に攻撃を続け、妖精はツイストするように体を踊らせていた。至近距離で放たれる銃弾を前に妖精の体は瞬く間にモツを詰めたズタ袋のように成りてる。穴の開いたベストから血を大量に垂れ流し、口からも胃液と内蔵の破片混じりの血を吐き出す。
 最後にあぅ、となんとも間抜けな声を上げてやっと自分が撃たれたことを知った妖精は顔を上げた。自分を殺した敵兵の姿を見て、不思議そうに眉を潜めた後、敵兵に軽く蹴飛ばされ、その表情のまま妖精は死に絶えてしまった。

「掃討しゅうりょ…うん?」

 硝煙立ち上るライフルを肩にかけて敵兵がそう反応した。幌の中にまだリリーホワイトが残っていることに気がついたのである。

「どうかしたの?」
「撃ち漏らし。まってて、いま、片付けるから」

 近寄ってきた仲間にそう返す敵兵。Ak、だけど、少し見慣れないタイプのものを幌の中へ向けトリガーを絞ろうとする。が、ボルトは落ちなかった。さっきの無駄な銃撃で弾を撃ち尽くしていたのである。舌打ちし、敵兵は一秒とかからぬ動作で新しい弾倉と取り替えた。気を取り直すよう、さて、と再び銃口を幌の中へ向け、そこで何を思ったのか動きを止めた。

「どうしたの?」

 同じ台詞を吐く仲間。敵兵は暫く唇を尖らせて何か考え事をしていたがやがてにやり、とキツイ笑みを作ると仲間の疑問を無視し幌の中へとAkを構えたまま入っていった。腰を低く、幌のフレームや装備品の類を踏みつけながら敵兵はリリーホワイトへ歩み寄る。

「いやっ…」

 肉食獣に追い立てられる小動物のようにトラックの奥へと逃げるリリーホワイト。けれど、当然のように向こうは行き止まりだ。容易く追い詰められ、手首を掴みあげられる。

「あら、逃げないの?」

 お決まりの台詞と共に手首を捻り上げる敵妖精。痛い、とリリーホワイトは悲鳴を上げるが、寧ろその声は敵兵の加虐性を助長するだけだった。そのままリリーホワイトは幌の入り口の方へ無造作に投げ飛ばされる。

「さて、ここで殺してもいいんだけどそれじゃ、芸がなさ過ぎるわね」

 倒れたリリーホワイトに再び歩み寄る敵兵。腰を下ろし、つい先ほどまで何発もの弾丸を放っていたAkの銃口で体を起こそうとしていたリリーホワイトの頬をつつく。銃口は熱く、リリーホワイトは反射的に顔を逸らそうとしたが、頭ごと鷲づかみにされた。顎を押さえられ、頬を押しつぶされ、まるでタコかイカのような顔にさせられてしまう。

「死にたくないでしょ。だったら、ねぇ、分かってるわね」

 顔を寄せ、そう語りかけてくる敵兵。言葉こそ優しげだが口調は下衆なサディストのソレだ。言葉の真意は単純、隷属を強いる。それだけだ。
 頷くこともさせられないままリリーホワイトはトラックの荷台から外へ引っ張り出された。

「それは?」
「捕虜よ。非武装の敵兵はゲストとして扱う、当然じゃない」

 それは冗談ではなく確かに一応、両軍の間で取り交わされている条約だ。過剰な被害を避けるため両軍はいくつか戦争のための協定を結んでおり、非武装や投降した兵士を殺害してはならない、というのもその一つだ。

 だが…

「……」

 問いかけた妖精が目を細めたのは明らかに別の思いがあったからだ。侮蔑とそれに対する諦念。見れば、他の友軍たちも集ってきてリリーホワイトを捕まえた敵兵と同じように下衆な笑みを浮かべている。
 それを見て一人、感情の起伏に乏しそうな顔をしている問いかけた兵士は踵を返した。好きにするがいい、とう言わんばかりに。

 助けて、と言いそうにリリーホワイトは手を伸ばしたが無駄だった。
 後ろから羽交い締めに、かかかっ、という悪魔のような笑い声を耳元で聞かされる。
 さぁーっと、血の気の引く音。その時、リリーホワイトは覚った。自分は助かってなどいないということに。












 そうして、物語は冒頭へと戻る。

「ううっ…あぁっ…はぁはぁ…」

 ぱちぱちと爆ぜる焚き火の前、服を脱がされ、下着をはぎ取られたリリーホワイトは数人の敵兵の手によって輪姦されていた。

 妖精たちの股間からは男性器と同じ剛直がそそり立ち、汚らしい精を放っている。妖精兵士たちが戦闘時のストレスを緩和し、闘争心を高めるために飲んでいる戦闘薬の一種、その中でもとびきりに効果の高いものの副作用だ。いや、副作用ではない。傷つくことを恐れぬ闘争心、同族を殺すことを躊躇わぬ残虐性、そんな自分にヒロイックさを見出す自己陶酔、それらは全て基本的にあどけない少女…女性体である妖精たちには持ち合わせぬ行動原理だ。薬物と洗脳である程度まではそれらは強化できるが、それでもなお足らぬと軍部が過剰に戦闘薬を投与し続けた結果、一部の妖精にはまるで男性器のようなものが生えてきたのだ。それは薬物の副作用ではあるが荒唐無稽な非論理的な話ではない。普通の生き物に過剰な異性のホルモンを投与することによって性別の反転が引き起こるように、雄体が多く持ち合わせている感情や衝動を無理矢理に引き起こさせればその体がオス化するのも不思議ではない。

 リリーホワイトが乗っていたトラックを強襲したのはそういった者達や性格的に扱いづらい人材を寄せ集めた特殊部隊だった。過剰な攻撃性と相反する協調性。けれど、それを補ってあまりある戦闘能力を有効に活用するために彼女らはある種の免罪符じみた権限を与えられ、敵の支配下で暴れ回ることを命令されているのだ。先ほどの襲撃もその一環。そうして、リリーホワイトを連れてきたのもまた、その“特権”故にだ。

 トラックに火を放ち、戦闘現場を離れた一団は当初から目的地にしていた夜営に適した場所、旧風見邸跡地にへとやってきた。
 かつて、巫女や黒い魔の二人が幻想郷最強妖怪へと戦いを挑み、その結果、使用不能になるまで破壊された屋敷だ。長年の風雨に晒され、窓という窓は砕け、柱は折れ、屋敷は半壊している。特に幽香の私室があった西側は酷く倒壊しており、廃墟と言うよりは瓦礫の山と化している。

 一団は廃屋の中で一晩を明かすつもりだったが、屋敷の余りの倒壊具合に予定を変更。その前の広場にて大休止を取ることに決めた。

 焚き火をおこし、レーションを暖め、遅い夕食をとり、ぞんざいに装備品を点検し、そうして、休憩に入るかに見えた面々はお待ちかね、と言った風情で両手足を縛って逃げられないようにしていたリリーホワイトに注意を向けた。

 後はお決まりだ。

 彼女らは名誉と勝利のために戦い続ける軍人などではなく、ましてや報酬のために戦う傭兵でもない。戦場の高揚感と破壊衝動を発露する機会、臓物と硝煙の匂いを求めて彷徨い歩く屍食鬼だ。そうしてその悪意は何も銃を持って果敢に攻めてくる敵兵―――時に味方だけに向けられるものではない。彼女らは“特権”として捕虜の名目で拘束した敵兵を性欲の捌け口の対象に、破壊衝動の発散先に、獣欲をぶつける相手として輪姦し、私刑にかけるのだ。

「ほらほら、啼け! 喚け! 叫べ! ハァア!」

 リリーホワイトに馬乗りに。剛直を膣孔に突き刺し体を前後しながら顔面を殴打する妖精。他の輩も下半身丸出しで剛直をいきりたたせ、その様子をへらへらと笑いながら眺めている。

「―――」

 リリーホワイトは既に息も絶え絶えといった様子だ。膣は元より口や体、不浄な菊座にまで精を注がれ、やや大きめの胸や首筋には血が滲む程の歯形が刻まれている。殴打されている顔は腫れ、目に隈のような痣が出来上がっている。だらしなく土の上に投げ出された指は小指が一本、あり得ぬ方向へねじ曲がっていた。一人目に犯されそうになった際、見せしめとしてリリーホワイト自身の目の前で折られた一本だ。以後、リリーホワイトは悲鳴を上げこそすれ、過剰な抵抗を見せなかった。否、見せる心を挫かれてしまったのだ。

 もう何度、膣内に出されたのかも分からない。体中で汚されていない場所はなく、今、自分の下半身の孔のどちらに性器が突き立てられているのか、それとも両方なのかすら判断できない。手は小指が折れていようと折れていまいと関係なく、脈打ち熱い男根を握らされ、言われたとおりにしごかないと殴打を受け、言われたとおりにしても殴られる始末。もはや、抵抗の意志は愚か悲鳴さえ上げる力をなくし、リリーホワイトはただ、綺麗な夜空を眺めて心と体を切り離し、ひたすらこの陵辱を耐えるしかなかった。

「出すわよ! しっかり…締めなさいっ、私もっ、絞めて上げるからっ」

 言いながらリリーホワイトの細い頸を締め付ける妖精。腰の動きは速くなり、呼応するよう、白目を剥いたリリーホワイトは喘ぐような声を上げる。頸を締め付ける腕を引きはがそうと本能的に手を伸ばしたが、それは仲間の兵隊たちによって取り押さえられてしまった。

「あ―――が―――」

 眠りに落ちるのとは違った乱暴な方法で意識を落とすリリーホワイト。同時に、腰を付いていた敵兵妖精がリリーホワイトの中で果てる。どくどく、と注ぎ込まれる汚らわしい白濁。リリーホワイトの胎は既にそれらで満たされており、吐き出されたそれが萎えた性器が引き抜かれると同時に体外に溢れ出てきた。昼間流れた血のように白濁液も地面に対込まれていく。

「ふぅー出した出した。もう、ガバガバだけど、やっぱり、頸絞めると締まるわね」

 一仕事終えたような真似をする兵士。けれど、この場では悪趣味きわまりない動作だった。口から泡を吹き、血走った目を見開いた状態でリリーホワイトは喘ぎ声をあげ、打上げられた鯉のように口をぱくつかせていた。

「そうだ。おい、新入り、お前も一発ぐらいヌいとけよ。ためすぎは体に毒よ」

 そう言って今し方までリリーホワイトを犯していた兵隊は輪姦に参加していなかった友軍に呼びかける。新入り、と呼ばれたのはあの時、リリーホワイトを捕虜にしようとした時、一人だけ笑みも浮かべず、とっとと撤退準備を始めていたあの妖精だった。

「アレ?」

 けれど、件の新入りは返事をしなかった。呼んだ兵士はぐるりと野営地を見渡すがその姿はない。意図的に無視した訳ではなかったようだ。

「ああ、アイツならさっき、見回りをしてくるって一人で鉄砲持ってどっか行ったわよ」

 別の妖精がそう説明した。チッ、と舌打ちが上がる。空気読めよな、と言う言葉も。

「これだから狙撃手はいけ好かないんだよな。粋がってるって言ううかさ。凄腕だかなんだか知らないがいい娘ぶりやがって。気にくわない」

 拳を握って、ここにはいない新しい“仲間”へ悪態をつく妖精。

「寝てんじゃねぇよ」

 と、その怒りは気絶していたリリーホワイトに向けられたようだった。無防備な脇腹へブーツの一撃を繰り出す妖精。肝臓の側、鍛えようがなく、時に殴打でも死に至る可能性がある部位を蹴りつけられ、尋常ならざる痛みに一足飛びに覚醒し、地面の上で悶えるリリーホワイト。その動きが彼女らの加虐心を煽ったのか、さらけ出された剛直は切っ先に淫水の珠を浮かべ、唇は邪悪に円弧を刻んだ。また、陵辱と暴力の時間が始まるのだ。





「飽きたな」

 それから更に一時間。ふと、何十度目かの膣内射精を終えた兵士の一人がぼつり、と呟いた。うつ伏せに倒れているリリーホワイトはもはや意識も微弱で何をしても何をされても反応しないような廃人同然の姿に成り果てていた。体中の至る所が汚濁に穢れ、呆けたように開いている孔からは精液と体液と血と糞尿と、それらのおぞましいカクテルがどろりと流れ出している。怪我も酷く、傷が付いていない場所はない程だ。不規則に繰り返される呼吸音がおかしく聞こえるのは肋骨を折られたせいか。虚ろな瞳はもう何も写していなかった。

「殺すか」

 軽く肋骨が折れた場所を小突いても何の反応も示さないリリーホワイトに対してか、妖精は軽くため息をつくと無造作にベストからマカロフを引き抜いた。遊底を引いて初弾を装填。銃口をこめかみに当てたところで、ふと、その手を止めた。

「いや…」
「どうかしたの?」

 弾倉を抜いて、もう一度、スライドを引いて装填したばかりの弾を排出し、撃鉄を落として安全な状態にしてから銃をしまう妖精。仲間が不思議そうに問いかけた。

「何? 何発も出して愛着でも湧いちゃったの? 愛のあるセックス?」
「おいおい、アナタって電動コケシに名前付けてかわいがるタイプ? トム、昨日はとっても良かったわ、って」

 ゲラゲラと下品な笑い声を上げる兵士たち。闇夜に悪党共の下衆な声が響き渡る。やがて、一頻り笑い終えるとリリーホワイトの頭を撃とうとして止めた兵士がベストの形の部分に収めていたものを取り出した。

 鋭い切っ先を星の光に残忍に輝かせる刃…刃と柄が一体形成されているコンバットナイフだ。既に何度か使われ、その後、余り手入れがされていないのか、網目状にスリットが刻まれたグリップには汚れがこびり付いていた。妖精の血と肉と脂だ。けれど、その切っ先は濡れているように怪しく輝いている。妖刀としての属性でも帯び始めているというのか。もっとも、このナイフの使われ方を考えればそれも不思議ではない。
 妖精はナイフを弄ぶよう、手の中で一回転させるとわざとらしく演技が狩った動作でその切っ先に舌を這わせた。

「暇つぶしにゲームでもしようよ。今からコイツの腹、かっ捌いて、腸を引っ張り出してさ、何処まで引っ張ればコイツが死ぬか。その長さを当てるってゲーム」

 ナイフの切っ先と同じ残忍な光をその目に宿し、仲間に説明する妖精。どうだ、面白そうだろ、と同意を求める。それはいい、面白そうだ、と賛同の声が上がる。満足げに妖精はナイフを手にしたままキヒと笑みを浮かべた。

「じゃあ、賭の始まりだな。私は親だから、アンタらが全員、外れたら掛け金を総取りしよう。さぁ、何メートルに賭ける?」

 声高らかにゲームマスターを務める妖精に口々に仲間は自分が狙った距離を示していく。1m、3mに4千、じゃあ、私は5×5だ、大穴狙いで10だな、と。誰も記録を取ろうとしないが実際の所、賭は彼女らの本来の目的ではない。彼女らただ見たいだけだ。息も絶え絶えに、開かれたお腹を押さえながら、死の道を進むリリーホワイトの姿が。
 そうして…

「全員、賭はすんだな? 明日の生活費も親の年金も全部、すべからく賭けたな? じゃあ、ダービーの始まりといこうか」

 ヤー、と蛮族の雄叫びのような声が上がる。うつぶせだったリリーホワイトを仰向けに転がすと、ナイフを掲げ、妖精は場を盛り上げようと口でドラムロールの音を真似した。開けゴマ、開けゴマ、と悪趣味な歌を歌い出す兵士共。

「ヒヒヒ、さぁ、そのかわいいお腹をかっ捌いて中に詰まっているくっさいハラワタを引っ張り出しましょうねぇ。腸はクソが詰まっているからいらねぇ。レバーは明日の昼飯に、子宮は取って置いてオナホに使ってやる。んじゃ、まぁ、ぱかっといきますかぁ!!」

 掲げたナイフを突き出し、紛れもない悪役然とした声を上げる妖精。今まさにリリーホワイトの腹部へナイフの鋭い切っ先が伸ばされようとした刹那。

「あ?」

 一発の銃声が轟いた。

「………」

 一転して静まりかえる一団。余りの不意打ちにどこからと叫びを上げる者も伏せろと命令する者も現れなかった。ほんの一時だが水を打ったような静寂が当りに立ちこめる。

「おひ」

 最初に動いたのはナイフを持った妖精だった。
 否。

「はんは…ほは…?」

 その腸だった。
 露わになっている下半身、血祭りを前に再び活力を取り戻し始めた剛直の上にどぼりと餡掛けのように暖かいものが流れてきた。それは酷く血なまぐさく、そうして、妖精と同じ体温をしていた。捻れた腸。赤黒い肝臓。ドドメ色をした胆嚢。血と体液に濡れたそれらの塊、お腹の中に収まっていたものが裂かれた腹からどろりとこぼれ落ちてきたのだ。つい今し方、リリーホワイトにそうしようとしていたイメージ通り、妖精自身の腹から。

 この時、妖精兵士たちは知るよしもなかったがナイフを持っていた彼女は撃たれたのだ。真横から。丁度、臍の辺りを横切るように。偶然か、意図してか。命中した弾丸は腹の皮や筋肉、脂肪と言った内臓のすぐ上の部分だけを抉って突き進み、反対側から飛び出した。言うなれば中身が詰まった袋を刃物で横に切り開いたのと同じ状態になったのだ。

「うあ…」

 腹を裂かれたせいで喋ることも出来ず、嘆息を漏らすような声をあげる妖精。緩慢な動作でこぼれ落ちた自分の内容物を元に戻そうと手を伸ばしたところで、そこで力尽き、妖精は無残な最後を遂げた。

「てっ、敵襲だァ!!」

 止っていた時間が流れ出すよう、隊員の一人が叫んだ。
 また銃声。真っ先に叫んだ妖精はぐえ、と蛙を踏みつぶしたような悲鳴を上げ、体をくの字に折り曲げる。押さえた腹からは鮮血が留処なく溢れ始めている。お腹を強く抑えてもそれは止まらない。そこへもう一度、銃声が轟き、胸から血の花を咲かせてぐらりと傅くように倒れた。

「畜生! 何処だ!!」

 もはや一団は混乱の極みにあった。一分とかからず二人も仲間がやられたのだ。

「ああっ、ズボン、ズボン…」

 混乱の極みか、下半身をさらけ出していた妖精は地面に伏したり、武器を取りに行ったりするより先に間抜けにも自分のズボンをはき直そうともがいていた。勢いよく引き上げたチャックに男性器を挟み、雌性体のままだったらならば味わうことのなかった痛みに涙を浮かべる。ついでその妖精はその部分、リリーホワイトの喉を何度も犯したソレを撃たれた。涙を溢れさせ情けない全ての尊厳を持ち合わせていないような脅えた表情になる妖精。もしかすると彼女のもとの性格はそんな引っ込み思案を思わせるもので、男性器が破壊された今、それが表面上に戻ってきたのかも知れなかった。けれど、次に頭を射貫かれそれも確かめる術はなくなってしまった。丁度、鼻の上に命中した弾丸は顔面の骨格を砕き、彼女から表情というものを奪い去ったからだ。

「クソ! 火だ! 火を消せ!」

 ここで曲がりなりにも冷静になった妖精の一人が叫んだ。襲撃者は闇の向こうに身を潜め、明るいこちら側を鴨撃ちしているのだと理解したのだ。言われた通り、火の側にいた兵士が土を蹴り上げて焚火の火を消そうとするが、少しばかり砂や土をかけただけでは火の勢いは衰えない。と、また銃声。音速以上の速度で飛来する弾丸が撃ち貫いたのは火を消そうと必死担っている妖精の足…地面を蹴りつけている方ではなく、軸足の膝の部分だった。支えを失いバランスを崩し、燃える焚火の上へ倒れた。

「ぎゃぁぁぁぁ!!? 熱いッ! 熱い!!」

 火の粉を散らしもがく妖精。その肩にもう一発、銃弾が撃ち込まれた。片腕片足を殺され四肢の内の半分の自由を奪われた妖精はなおも炎から逃れようともがいていたが、熱に肺をやられたのか、酷い悲鳴を上げながら絶命した。その体が焚火の上へ覆い被さっていたお陰で火は消し止められた。

「畜生! 畜生!」

 最後に取り残された妖精兵士の一人が出鱈目に闇に向かってトリガーを絞る。けれどばらまかれた何十発という弾丸は何者にも命中せず、虚空へと消えていった。時間にしてほんの数秒程。フルオートでトリガーを引き続けた結果、すぐに弾倉の弾は尽きてしまった。兵士は怯えと焦りに顔を歪めながらも淀みのない動作で弾倉を替えようとする。訓練のたまものか。しかし、次の射撃は無慈悲にもたつた今し方、詰め替え直したマガジンとAk-74の機関部を撃ち貫いた。爆裂し、破片を当りに散らすAk。妖精兵士もその影響を受け、銃把を握っていた腕やこめかみに傷を負う。

「あ、ああ…」

 頼みの綱の武器を破壊され、ついには絶望の顔を浮かべる兵士。仲間のものはまだ、未使用で自身もサイドアームのマカロフを装備していたがもはや彼女の中に闘争心というものはなかった。
 闇の向こう、自分を狙うハンターがいる。それは闇に身を潜める漆黒の豹で紅い眼をぎらつかせ、舌なめずりし、鋭い爪を出し入れし、こちらをどう料理しようかと伺っているのだ。そんな恐怖のイメージを抱き、妖精は壊れたAkを放り投げて一目散に逃げだした。撤退でも退却でもない、文字通りの敗走。脱兎のごとく、だ。今まで常に狩る側だった彼女は初めて狩られる側に回されたことで前後不覚になる程の恐怖を抱いていた。無様に、バランスを崩しながら荒い息をついて逃げる妖精。がむしゃらに、髪を振り乱し、腕を暴れさせ、ひたすらに足を前後させて、全力で逃げる。無様な敗残兵。まるで脱兎の如く、だ。





「助け…助けてくれ…」

 嗚咽のような懇願。そんな声が風に乗って聞こえてきた気がした。けれど…

「………」

 返事するのも無駄だと、無意味な行為だと、レィクルの十字に逃げ去るその背中を合わせ……リリーブラックは躊躇いなく銃爪を弾いた。










――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









「姉さん!」

 こんな場所ではなくお家にいる時、毎朝、聞かされていた優しい声。ことことと鍋の底で踊る卵、珈琲の芳醇な香り、雌鳥の鳴き声、パンが焼けたことを知らせるトースターのベル、そして、とたとたと軽快に階段を駆け上る足音。なつかしい我が家が思い出される。あの時は楽しかった。今みたいに何日もお風呂には入れず、三日三晩、歩き続けるようなことも、美味しくない黒パンと冷たいスープを無理に食べなきゃならないことも、地面を抉る砲弾に耳を塞ぐこともなく、毎日が楽しくそうして穏やかだった。そう、代わり映えはないけれど、月並みに平穏、と言えるような毎日。目を開ければその始まりを知らせる妹の顔が見えて…

「クロ…ちゃん…」

 虚ろだったリリーホワイトの瞳に光が戻っていく。その目に写っているのは満天の星空を背に泣きそうな顔をしている妹の顔だった。ぽたり、と星の煌めきのような綺麗な涙がリリーホワイトの頬の上に落ちた。どうして、泣いてるの、とリリーホワイトは手を伸ばし、妹の顔を拭ってあげようとする。
 けれど…

「あ、ああ…」

 その手に乾いた白濁液を接着剤に誰のものとも知れぬ陰毛が張り付いているのを見て顔を青冷めさせた。

「いやっ、いやっ…! 私っ!! 私!!!」

 悲鳴を上げ、髪を振り乱し、指に付いた汚らわしいそれを地面に擦り付けて取ろうとするリリーホワイト。けれど、体からは力というものが失われ、殴打と骨折の痛みに打ち震えるしかなかった。
 それに伴い意識と共に心の内に沈めようとしていた陵辱と暴力の記憶が浮かび上がってくる。それは邪悪な海竜かはたまた核搭載SLBMを積み込んだ原潜か。或いは亡霊船のおぞましさをもって目覚めたリリーホワイトの心をかき乱す。

 喉の奥、不浄な菊座、膣孔。自らも触れたことがない箇所を突き刺す剛直。無理矢理に握らされた男根はまるで囲炉裏に突き刺されていた火箸のように熱く、脈打つソレは奇っ怪な一個の生き物のようにさえ思えた。鈴口から吐き出された白濁液は鼻が曲るほど酷い匂いを湛え、引き延ばしても千切れぬ粘度は喉を塞いだ。握拳の一撃はそれだけで抵抗の意志や憎悪、あらゆる感情の起伏を鉋のように削り、殴られた場所は火で炙られたように熱くなった。

「イヤァァァァッァァァ!!!!」

 生々しく蘇る絶望。否、精神を壊されかけた今、リリーホワイトにとって時間という概念は失われつつあるのだ。彼女の中では今もなお激しい陵辱と暴力の嵐は吹き荒れ、そうして止むことのない驟雨を打ち付けているのだ。

「アアアアァァァァァァァァァッァァァァ!!!!!!!!!」

 煉獄鳥が如き甲高い悲鳴を夜空に向けてあげるリリーホワイト。白目を剥き、出鱈目に手足をばたつかせ、自分の体が壊れるのも無視し、喉や胸を掻きむしる。絶望から逃れるために本能が自殺を求めているのだ。何という凄惨な様だろう。人の心を癒す精神科医ですら匙を投げ、頭を振るうような様は発作を起こす狂人のソレだ。
 汚れた体を更に土で汚し、過剰に傷を付けるリリーホワイト。

「ッ―――姉さん! 姉さん!」

 その体を、凄惨たる表情で暴れる体をリリーブラックは強く、そして、優しく抱きしめた。もう、終わったんだと、大丈夫だからと、泣き喚く幼子をあやすよう、辛抱強く、涙を流しながら耳元へ訴える。頬から流れ落ちた涙は血よりも熱く濃かった。自責の念と殺してもなお飽きたらぬ怒り。天さえも恨む絶意に。





「っ…クロ、ちゃん…」
「姉さん…」

 それからどれぐらいの時が流れたのだろうか。
 一時間? 一分?

 満天の星空の下、姉妹は抱き合い、互いの生存を確かめるよう、相手の心音をその耳に聞いていた。










――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








 その光景を彼女はじっと遠くから眺めていた。










――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









「大丈夫、姉さん」

 それから私たちは旧風見邸で一夜を明かすことにした。
 こういう場合、強襲をかけた後はすぐ現場から立ち去るのがセオリーなのだが、姉さんの体力の低下と怪我は思ったより酷く、今すぐ自陣まで姉さんをつれていくのは不可能そうに思えたからだ。
 一か八かの賭けだが、旧風見邸はかつての持ち主が持ち主なので妖精は愚か妖怪たちもあまり近寄らず、半壊している屋敷にあえて足を踏み入れようという輩は少ないだろう、と考えてのことだ。

 東の棟の比較的状態のいい一室を休息場所に選んだ。もとは使用人の寝室だったのだろう。四畳ほどの狭い部屋には足が折れた小さなテーブルとスプリングが飛び出たマットレスだけのベッドが残されていた。窓は小さく、硝子はすべて割れて、風が吹きこんできてる。それにボロボロのカーテンが揺れていた。

 マットレスの上に姉さんを腰掛けさせる。マットレスの上にはひどい埃が積もっていたが贅沢を言える状況ではなかった。まいあがった埃に目をしばたかせながら、姉さんに声をかける。姉さんは小さく、うん、と頷いた。元気のない声。怪我だらけの体。そうして、今も内腿を汚す破瓜の血と汚らわしい精に思わず表情が険しくなる。

「クロちゃん…」
「姉さん、取り敢えず体。綺麗にしようよ」

 言って私は此処へ来る途中、バスルームで見つけたぼろ布に水筒から飲料用の水を吸い込ませた。なけなしの水だが、自陣まではあと少し。姉さんの体力が回復したならすぐにでも戻れるような距離だ。今ここで使いきっても問題はない。他にも幸いなことに星の光が差し込む室内はそれなりに明るく、作業に支障はなさそうだった。

 水をたっぷりと染み込ませたタオルで姉さんの体を拭いていく。
 土と乾いた精液。腕や背中を拭いているときは先程、自分が殺した敵兵への怒りで胸が一杯になったが、裂けた姉さんの性器の周りを拭いているときはいたたまれなさに胸がきしんだ。

「ごめん、姉さん、指…入れるよ」

 断ってから、手を洗い、優しく姉さんの秘所に指を差し入れる。多分、姉さんの体で一番、汚されたのはこの場所だ。あの悪党どもの精液なんて触れるのも嫌だが、そんなものを姉さんは体の中へ注ぎ込まれているんだ。腫れ上がった大陰唇を指で広げながら鍵に曲げた指で中に溜まっている精液を書き出す。痛いのか、それとも先程の陵辱を思い出しているのか姉さんはつらそうな顔をしていた。

「姉さん、お尻の方も」

 うつ伏せにさせ、まるで犬のような格好をしてもらう。情けない格好だが、それが多分、一番楽に姉さんのお尻を綺麗にできる格好だからだ。割れ目を濡れたタオルでなぞり、孔の方も指を入れてきれいにする。畜生。何だって私は姉さんにこんなことをしているんだ。怒りに手を止めそうになるが、そんなことをしても無駄だと自分に言い聞かせる。最善の方法はさっさと終わらせてあげることだ。

「ふふふ…」
「姉さん?」

 と、体の敏感な部分を拭いてあげていた姉さんが肩を揺らしておかしそうに笑い始めた。まさか、と嫌な予感が頭をよぎる。あれだけ凄惨な出来事があった後だ。人間はひどい出来事の後に一時的に記憶を失ったり、精神に異常をきしたりする時があるという。姉さんも、そんな風に…
 私は心配になり、恐る恐る姉さんに声をかけた。けれど、姉さんは小さく笑うばかりで返事をしてくれない。さぁーっと、頭から血の気が失せていく。

「姉さん! 姉さん!」

 恐ろしくなり、静かにしなくてはいけないのに大きな声を上げてしまった。姉さんの肩をつかみ、大丈夫、と声をかける。

「うふふふ、大丈夫、大丈夫だから。ちょっと…ふふ、おかしかっただけだから」
「おかしかった?」

 肩越しに私に微笑みかけてくれた姉さんは私の記憶どおりの瞳の輝きを持っていた。決して気を違えたわけではなさそうだ。

「うん、なんだか私、今、赤ちゃんみたいだな、って思って。ほら、小さい子のおしめを変えてるみたいだったから」
「あ…」

 言われて、そういえば、と納得する。事の凄惨さに忘れきっていたが、確かにおまんまやお尻の周りを拭いてあげているこれは赤ん坊の下の世話に似ている。
 こんな状況でそんなことに考えが及ぶなんて、呆れ半分、安堵半分に私は曖昧な笑みを浮かべた。

「ごめんね。変なことさせちゃって」
「ううん、姉さんのためだったら何でもできるから。だから、気にしないで」

 ほら、洗うから、もうちょっとこっちに来て、と姉さんをマットレスの縁、ギリギリまで誘導する。水筒の水を性器やお尻の周りに流しかけ、出来る限り汚れを落とす。絞ったタオルで丁寧に拭いて、後は持ち合わせの医療キットから怪我用の軟膏を塗って終わりだった。

「ひゃっ! もう、クロちゃん、もっと優しくして」
「優しくって…姉さん」

 軟膏を怪我している部分に塗り始めたときは既に気を完全に持ち直してくれたのか、そんな冗談を言い始めた。もっとも、さすがに性器やお尻の周りに軟膏を塗り始めたときは恥ずかしそうに俯いていたが。


「ハクシュっ!」

 折られた指に添え木して包帯を巻いたところで姉さんが盛大にくしゃみをした。無理もない。冬の訪れはまだとはいえ夜は冷える。運悪く、屋敷に対して風が向いているのか、窓からはどんどん、外の冷気が入り込んできていた。塞ごうにも窓は割れているし、衝立になりそうな板切れもない。なにより、敵は全員倒したとは言え、まだ仲間がいるかも知れないから下手な音は立てたくないのだった。

「寒くない姉さん?」

 大丈夫、と答えてくれた姉さんだが鳥肌が立ち、顔色も悪い。体力が低下したこの状態で一晩、こんな格好でいたら確実に肺炎になってしまうだろう。兎に角、体を冷やさないようにしないと。
 頭を捻り、私は一つの方法を思いついた。
 火を起こすことは出来ないし、ここにあるのは薄汚れたボロ布だけだ。毛布の代わりにもなりやしない。
 私はベストを脱ぎ捨てると、ついでその下に着ていたワンピースも、インナーの長袖のシャツも脱ぎ捨て下着だけの格好になる。

「クロちゃん…私に合わせる必要はないと思うけど…」
「違うよ姉さん。ほら、本とかで読んだことない? 雪山で遭難したとき、人間はこうやって裸になって抱き合って、お互いの体を温め合うっていうの」

 以前読んだ冒険小説に書かれていた内容だった。標高何千メーターの高い山に挑んだ若い登山家のお話だ。

 ……登山家二人がおおよそ山男とは思えないほど美形で、遭難し、極寒の山小屋で一晩を明かすために裸になって抱き合った後、何故か性的な意味で体を重ねあわせた、という内容だったが。今思うとアレは冒険小説だったのだろうか。山の上の巫女から貰ったものだったけれど。

 兎に角、本の知識でも間違いのない方法だろう。私は裸同然の格好のままマットレスの上に乗り、姉さんの隣に並んだ。

「ほら、こうしてくっついていれば温かいよ」
「……うん」

 傷口や腫れている場所に触れないよう、気をつけながら姉さんの体に手を回す。少し気恥ずかそうながらも姉さんは頷いてくれた。
 そのままマットレスの上に倒れこむ私たち。マットレスは固く、錆び付いたスプリングが軋む音がうるさく、お世辞にも寝心地がいいとは言い難がったが、それでも地べたに寝かせられるよりは断然良かった。私は自分が着ていたワンピースとインナーを姉さんの上にかけて、せめてものかけ布団の代わりにした。

「ありがとう、クロちゃん」
「いいよ、姉さん」

 耳元に囁かれる言葉。くすぐったく、何処か懐かしい感じがする。

「前は…」
「うん?」
「前はこうして一緒のお布団で寝たね」

 戦前の話だ。今はもうなくなってしまった小川のすぐ側の家。赤い屋根の背の低い家だに私たち姉妹は住んでいた。今では考えられないような平和な時期だった。夏は小川で釣をしたり涼んだり、秋は無縁塚に彼岸花を見に行って、冬は家の中で暖を囲んでお鍋をつついて、そうして春には幻想郷のみんなに暖かな季節の訪れを告げに行く。そういう生活を営んでいた。今ではもうあれは夢だったんじゃないかと思えてしまう。おかしな話だ。戦争が始まってまだ数ヶ月。あの年月は数えられないほど続いていたっていうのに。

「あの頃は楽しかったね」
「うん、そうだね」

 姉さんも同じ想いなのだろうか。懐かしそうなそんな声が聞こえてきた。暗すぎて、その表情は見えないけれど、姉さんはきっとあの頃を思い出して笑っているだろう。私も自然と顔を綻ばせた。

「…ねぇ、クロちゃん」
「何、姉さん」

 と、また姉さんが話しかけてきた。声のトーンが少し落ちているのは眠いからだろうか。

「もう、あの頃には戻れないのかな」
「………」

 いいや、違う。姉さんは寂しそうに、怖そうにそんなことを呟いた。まるで、直ぐにバレてしまう嘘でもついているように。

「そんな、そんなわけないよ、姉さん」

 私はすぐにそう応えた。戦争はもう何ヶ月も続いているのにまるで終りが見えない泥沼状態だ。けれど、戦っているのは妖精だ。子供のように飽きっぽく、永久に戦い続けることなんてありえないだろう。それに両軍のトップだって馬鹿じゃない。その取り巻きも、だ。戦いに嫌気がさせばクーデターを起こして無理やり統合権を奪取。勝手に敵軍と和平条約を結ぶ、なんてこともあるかもしれない。明日の朝、朝日が登ったその瞬間に戦争は終わっている、なんてこともありえない話ではない。
 けれど―――姉さんが言いたいのはそんな話ではなかったようだ。

「違うの。違うのクロちゃん。この戦争が終わっても…私、前みたいに暮らせる気がしないの。思い出の中に今の自分を当てはめても、なんだか違うパズルのピースをはめてるみたいにぴったり重ならないの…」

 泣きそうな声が聞こえてくる。

「たぶん、ううん、本当にそうなのよ。今の私は想い出の中の私とはきっと違う存在。分かるの。だって、想い出の中の私はあんなに優しそうなのに今の私は全然…優しくない…」

 私の胸に姉さんが体を寄せてくる。私の顔が必然的に姉さんの髪の毛の中へ埋もれる。想い出の中、こうやって私に体を寄せてきた姉さんの髪の毛は花の香りがしていた。草原の香りがしていた。春の香りがしていた。優しい香りがしていた。
―――けれど、

「姉さん…」

 今は煙と血と土の匂いしかしなかった。

「ごめん、クロちゃん。謝っても許してもらえないけれど、私、クロちゃんにとっても酷いことしてる」

 何を、姉さんは何も悪くない、と言おうとして喉が渇ききって張り付いたように声が出なくなる。姉さんが何を言おうとしているのか、分かってしまったからだ。

「私、クロちゃんにヒト殺しをさせてる…!」

 悲痛な叫び。
 あえて言いたくもないヒト殺しという言葉を使ったのは自分自身への罰か、戒めか。姉さんは私の胸の中で泣きながらそう懺悔した。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私が、私が鉄砲が撃てないばっかりに、クロちゃんに酷い役目を押しつけてる。クロちゃんにヒト殺しをさせてる…」

 ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す姉さん。それは足かせを引きずって絞首台までの十三段を上る死刑囚の叫びにもにて聞くものの心を苛ませる色が含まれていた。当事者である私には尚更、錆び付いたナイフのようにぐさり、ぐさりと心に突き刺さってきた。

「ごめんなさい、ごめんなさい。幾ら謝っても許してはもらえないだろうけれど…ううん、そうよ。だから、たぶん、私は今日、あいつ等にあの妖精たちにあんな目にあわされたのよ。あれはきっと私への罰だったんだわ」

 呪言の如き叫び。呪いは自分自身へ向けられている。
 姉さんは私の胸の中で涙を流し、その体に受けた辱めと傷こそが刑罰だったのだと、神が定めた運命だったのだと、なにより自分自身に言い聞かせている。それは過酷な運命さえも神の定めだと自分に言い聞かせ苦悩する聖職者の様か。

「あの時私はあいつ等に殺されるべきだったのよ…」

 嗚咽を漏らすように姉さんはそう口にした。そんな口にしてはならない台詞を。

「違う!」

 気がつくと私は叫んでいた。姉さんの言葉は絶対に否定しなくてはいけない言葉だ。殺されてもいいなんて、あの優しい姉さんが絶対に口にしてはいけない言葉だ。そんな思いをさせてしまったあの下衆共、そんな思いを抱かせてしまった私自身、そうして、そんな運命に引きずり込んだ戦争への怒りが私の中で爆発する。

「そんなことあるはずがない! 姉さんは何も悪くない! 殺されてもいいなんて言わないでよ。ヒト殺しなんて出来る奴がやればいいだけのことだよ。姉さんが出来ないから私がする。ウチでは魚を捌くのは私の仕事だった。野菜を切るのは姉さんの仕事だった。それと一緒、それだけのことだよ。ヒト殺しなんて、戦争なんてやりたい奴にやらせておけばいいんだ………私みたいに」

 堰を切って溢れ出る川の水のように私は思いついた言葉を片っ端から姉さんに聞かせた。文脈や話の流れなんてものはない。ただの勢いだけで姉さんを説得しようと言葉を続ける。けれど、その課程で私は一つ重大な事に気がついてしまった。

「そうだよ…私こそ謝らなきゃ…私はヒト殺しをするためにか弱い姉さんを利用してるよ。『一人一殺』でいいのにもっと、もっと撃ちたいから、私はっ、私はっ、姉さんを利用して、姉さんの分まで殺すって言って、鉄砲を握ってるんだ。私はあいつ等と…姉さんを襲ったあの敵の兵隊たちと一緒の…外道だよ」
「クロちゃん…」

 心配そうな声が胸の辺りから聞こえてくる。きっと姉さんは困惑した表情を浮かべているだろう。思いもがけぬ私の異常な欲求を聞かされて。混乱しない方がおかしいだろう。その顔を見るのが怖ろしくて私は強く、姉さんの頭を抱いた。そうして、自己嫌悪に駆られ唇を噛みしめる。ああ、今の私はとっても卑しい。その卑しさに他でもない私自身が吐き気を催す憎悪を抱いている。

 畜生、と心の中で呟いて、私は眼を瞑った。

「もう、休もう姉さん、今日は休もう。休んで体力を回復させて、はやく帰ろう。ね」
「うん…」





 気がつくと私は眠ってしまっていた。
 一晩中起きて、万が一に備えなければいけなかったのに。

 幸いにもその日の夜には何も起きなかったが。












――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――











「んっ…」

 差し込む朝日の眩しさに目が覚める。
 薄ぼんやりと開けた視界に青い空が見えた。どうやら、今日もいい天気らしい。

「姉さん…」

 傍らで眠っているはずの愛おしい人を探して手を伸ばし、それが冷たい虚空を掴んだことで私の頭は一気に覚醒する。

「姉さんっ!?」
 がば、とマットレスを軋ませ飛び起きる。昨日、私の隣に寝ていた姉さんの姿はない。マットレスは冷たく、姉さんの体温は失われていた。
 何処へ、と視線を巡らせると…

「あ、起きたの、クロちゃん」

 部屋の入り口からそんな声が返ってきた。驚いて振り返ればそこに姉さんの姿があった。

「どう? 裸のままじゃ寒いし恥ずかしいからお屋敷の中を探して見繕っていたんだけれど」

 そういう姉さんは見慣れない服を着ていた。だぼだぼのワイシャツを袖をまくって七分丈にし、ボタンが解れて取れてしまっているので、代りに端を結んで止めてある。下はスカート代わりにカーテンだったのだろうか、レースの付いた布を巻いてあるだけだった。お腹や太股が姉さんが動く度にちらちらと見える。

「たぶん、前、ここに住んでいた人のだと思うんだけど」
「いや…姉さん、その服…」
「?」

 私はそのワイシャツのサイズに見覚えがあったが姉さんは気がついていないようなので黙っておくことにした。似合ってるよ、と言ってあげると顔を綻ばせてありがとうと言ってくれた。

「でも、姉さん、危ないじゃないか。ここは私たちの軍の占領下だっていっても昨日の奴らの仲間がまだいるかも知れないし」
「大丈夫よ。こう見えても私も兵隊さんだから。ちゃんと、スニーキングミッションで敵に見つからないよう行動したよ」
「……」

 返す言葉もなく難しい顔をして黙る私。まぁ、確かに姉さんは鉄砲こそ撃てないが、それ以外の行動はかなり模範的な兵士だ。私と一緒に敵を待ち伏せしている時は本当に石のようにじっとしているし、素早く行動しなければいけない時もしっかりと私に付いてきてくれる。体力だって決して低い訳じゃない。その証拠にもう、今の様子を見る限り、姉さんの体調は大丈夫そうだった。

「じゃあ、早く帰ろうか、姉さん。帰って一応、お医者さんに見てもらわないと…」
「うん、応急処置しか出来てないからね」
「ソレもあるけど…その性病とか」
「………」

 そんな会話をしつつ、私もマットレスから降りて急いで服を着て装備を調える。と、その途中で一つ、思いついたことがあった。

「姉さん、これ着て」

 そう言ってベストを手渡す。姉さんは服とは言い難い格好だ。仕方がないのかも知れないが、それでもこれから自陣まで帰るのには少し心許ない格好だ。こんなベストでも一応、薄いアルミプレート入りで多少の防弾性能はある。ボロボロのワイシャツよりはずっとマシだろう。
 姉さんは少しだけ躊躇った後、私からベストを受け取り、それを着こんだ。脇腹の位置にあるベルトを締めて体にフィットさせる。

「よし、行こうか、姉さん」

 それを確認してから私はゆっくりと部屋の立て付けが悪くなった扉を開けた。




 廊下の床板は歩く度に不気味な音を立てて軋んだ。割れた窓や孔の開いた壁から朝日が差し込み、舞い上がった埃の粒子を浮かび上がらせている。長年、人の手入れがなされていない野ざらしの家屋は独特の埃っぽさとかび臭さがあったが、不思議と不快な感じはしなかった。

 M14を手に私が先行。姉さんが後ろからゆっくりとついてくる。

 私たちが一夜を明かした部屋は東棟の二階だ。屋敷の裏口から入ってすぐ目の前にあった階段を上って、かつては吹き抜けのエントランスホールだった場所のテラスから東棟へ移り、廊下をまっすぐ進んで端から二つ目の部屋だった。帰りはそのルートを逆にたどる。一応、狙撃を警戒して窓から離れて壁側にそって歩く。

「……」「……」

 自分たちの足音や床板が軋む音以外、何も聞こえない静かな朝だった。自陣の野営地では荒々しい仲間の兵隊たちの喧噪や負傷兵の悲鳴、戦場では断末魔と銃声、炸裂する砲弾の音で静かな場所など滅多になかった。余りの静けさに耳が痛くなる程だ。いや、間違いじゃないだろう。冷たい空気、差し込んでくる柔らかな光は戦争が始まる前、朝、自分の部屋の窓を開けた時にも憶えたものだが、それには一つ大事なピースが欠けている。朝を知らせる鳥たちの鳴き声だ。

「……」

 窓の外を眺めてみてもススメはおろかカラスさえも飛んでいない。当たり前だ。地上とは違った方向で激化した弾幕ごっこにすべからく空を飛ぶものは地に追いやられたのだ。神か化物か巫女か、そういう輩ではないともう空は飛べない。へりこぷたー、という大きな空飛ぶ乗り物もトラックや戦車と一緒に幻想郷に流れてきたが無用の長物だ。空は…もう、私たちの世界じゃない。

 一抹の懐かしさを空に馳せ、そうして、視線を床に戻す。今はこの地面が私たちのゲームフィールドだ。気をつけないと。

「あの、クロちゃん…」

 と、もう少しでテラスに出ると言うところで姉さんが声をかけてきた。何、と立ち止まって振り返る。

「その、これ…私が持ってても使えないから」

 そう言って姉さんが差し出してきたのは私のベストに吊してあったフォルスターに入れっぱなしだった軍支給のガバメントだった。M14と違い、こちらはほとんど使用していないので新品同様だ。使ったのも試し撃ちだけ。一応、整備は定期的にしているので動作に問題はないのだけれど、これからも使うことのない武器だろう。

「……わかった。そうだね。私が持っておくよ」

 それでも銃を使いたくない姉さんに持たせておくのは酷だ。私は姉さんからガバメントを受け取ると、一応、セーフティがかかっているのを確認してからポーチなどを取り付けている腰のベルトに差し込んだ。重いけれど、邪魔という程ではない。

「ごめんね」
「ううん、いいよ、これぐらい。戦争が終われば、もう、見なくても済むようになるから」

 謝る姉さんにそう声をかけて廊下を出てテラスに。瞬間、目が痛くなる程の眩しい光に視界を奪われた。

 エントランスホールの天井は全て崩れ落ち、野ざらしになっている。ここから先、西側にかけては廃墟どころか完全に倒壊してしまって瓦礫の山と化している。ひび割れたタイルからは雑草が伸び、瓦礫に埋もれたバスタブには雨水が溜ってボウフラの住処になっていた。テラスから一階部分に降りる階段も同じく、破損が激しい。手すりがなく穴が開いている。気をつけて降りないと。

 そう、日の光に馴れてきた目で崩れかかった階段に視線を向けた瞬間、

「………?」

 ほんの一刹那、冷たいナイフの切っ先で首筋を撫で斬られたような悪寒を憶えた。

「クロちゃん…!」

 それは姉さんも感じ取ったようで、姉さんは私を呼ぶと腕を強く引っ張ってきて、まるで、そう、まるでこの後何が起こるのかを察したかのよう、私と入れ替わりに日の光の中へ出ていった。

「姉…さん…?」

 その動作は酷く緩慢で、まるで時間の流れというものが水門で堰き止められてしまったよう。私の見ている光景はゆっくりとコマ送りで流れ始めた。

 私を引っ張って代りに前に歩み出る姉さん。暖かな朝の日差し。煌めく割れたガラス。風に揺らめく雑草の葉っぱ。そうして…振り返り、私の方へ顔を向けた瞬間、その更に千分の一の後。背中から、姉さんは血の花を咲かせた。

「え!?」

 スローモーションはまだまだ続く。
 血の雫を散らしながら後ろ向きに、よろめく姉さん。突き飛ばされた酔っ払いみたいにとっとっととぎこちない足取りで何とかバランスを取ろうともがき、失敗してしまったみたいだ。姉さん、と私が手を伸ばす。けれど、姉さんはもう、遠くに行ってしまっている。その太股にまた血の花が咲いた。私にはほぼ同時と思えるタイミングで床板も爆ぜる。狙撃されたとやっと私の頭が理解して、姉さんが後ろ向きに階段の前へ倒れたところで…

「姉さん!!」

 時の流れは元に戻った。
 
 その後、私は姉さんを助けようとする意志とは真逆に後ろに飛び退いた。強烈な、日本刀を思わせる殺気に体が勝手に反応、回避行動を取らせたのだ。一刹那遅れて私の体があった場所をまた銃弾が駆け抜けていく。
 自分自身すら意識していなかった回避に私は廊下側へと倒れる。
 呆けたのは一秒に満たない時間。私はM14を手に壁に体を寄せ、そっと廊下の端から頭を覗かせ…すぐに引っ込めた。僅かに遅れてその場所の壁に穴が穿たれる。怖ろしい精密さと反応。スナイパーが私たちを狙っている。

「昨日の仲間…? でも、銃声なんて…」

 着弾の音や弾丸が空を切る音は紛れもなくしているが、銃を発射した時の音、薬莢内の火薬が燃焼爆発し発生したガスが弾丸を押し出す時に生まれる遠雷のような音がまるで聞こえなかった。銃声が聞こえないような超遠距離から狙われているのだろうか。まさか、それにしては正確すぎる。どんな凄腕のスナイパーでも銃声が聞こえないような遠距離をここまで精密にかつ素早く狙えるはずがない。そんなものがいるとすれば魔弾の射手だ。
 畜生、と私は唇を噛み、私はゆっくりと立ち上がる。辛うじて階段とテラスの境目に倒れている姉さんの体が見えた。

「姉さん、大丈夫?」
「ううっ…クロ、ちゃん…」

 弱々しいながらも声が返ってきたことに少しだけ安堵した。けれど、その安堵もすぐに破壊される。

「ああッ!!?」
「姉さん!」

 姉さんの悲鳴と敵スナイパーの攻撃によって。はやり、姉さんを助けようと駆け出しかけた足を何とかとどめる。
 隠れて狙えない私の代りに敵は動けない姉さんを狙い始めたのだ。それも殺さないよう、致命傷にならない部分を狙って。そして、動揺して私が飛び出してくるのを敵は狙っているのだ。

「畜生…」

 狙撃の常套手段、敵兵の足などを撃って動けなくした後、助けに来ようとした妖精を撃ち殺す、囮戦法だ。狙撃兵の講習で説明された時は卑劣な戦い方だと笑ったものだが、こうして敵に使われた時、そんな生やさしい感情は吹っ飛んでしまった。敵の脳漿をぶちまけてやらなければ気が済まない。そんな憎悪が沸き上がってくる。
 だが…

「クロ…ちゃん…」

 姉さんが腕を伸ばしてくる。助けを求めてか、それとも。けれど、敵は無情にもその腕を狙って撃ってきた。
 姉さんの悲鳴と共に千切れ飛ぶ白く細長い指。銃弾は手のひらから甲に向けて貫通したようで、また、床板に穴を穿った。千切れた指の一本が私のすぐ側まで飛んできた。たぶん、小指だ。

「ああああああ…」

 フラッシュバック。過去の記憶が蘇ってくる。
 セピア色の情景の中、私の小指に自分のそれを絡ませる姉さんの顔が浮かんでくる。どんな場面だったのか、子細には思い出せない。けれど、あの時姉さんははにかみながら確かに『ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのますゆびきった』と言ったのだ。何を約束したのかなんて憶えていない。きっと他愛のない約束だったんだろう。けれど、もうその“他愛のない”約束もできない。姉さんの手に小指はないのだ…

「よくも…よくも…」

 怒りで視界が真っ赤に染まる。銃把を握る腕は力の込めすぎで血の気が失せ真っ白に染まり、噛みしめた奥歯はぎちり、とひび割れたように軋み声をあげる。憎悪より生まれし憤怒は煉獄の炎となって私の体を焼き尽くそうとする。だが、その熱に従い敵を撃とうと、その脳漿を瓦礫の上にぶちまけてやろうと身を乗り出したところで、私の灼熱の怒気に勝る強烈な冷気のような殺気を伴った弾丸が飛来し、私の足を止めた。

「ッ! 畜生!」

 駄目だ、駄目だ、と自分自身を叱咤する。
 怒りに駆られ出て行ったところで敵の思うつぼだ。飛び出したところで私の頭は熟れたザクロのようにかち割られ、姉さんに届く前に斃れることだろう。そうして、囮の役目が終わった姉さんにもまた敵スナイパーはトドメの弾丸を放つことだろう。それだけはさせてはならない。
 しかし…

「あうッ…!?」
「姉さん! 姉さん!」

 またも悲鳴。私が隠れて自分の憤怒を抑え込んでいるのをいいことにまた敵は姉さんを撃ち、弄び始めたのだ。

「うあぁぁぁぁぁ」

 怒りに駆られ私は八つ当たりに床板を殴りつけた。それで、そんなことで事態が好転するわけはないのに。それでもこのやり場のない怒りを少しでも発散させずにはいられなかったのだ。畜生、畜生、と口からは呪詛じみた悪態が漏れる。埃の溜った床に涙と、強く噛みしめた唇から血の雫がしたたり落ちる。
 駄目だ。こんな事をしている場合ではない。何とかして、敵を見つけ出し、その眉間に新しい穴を開けてやって、そうして、姉さんを助け出さないと。
 怒りを頭から閉め出し、なんとか状況を整理する。
 姉さんはテラスと階段の間に倒れている。ここから廊下から出て五歩程の距離。一秒で駆け寄れるが、敵は恐らく0.5秒で撃ってくるだろう。
 その敵の位置は不明。西側の瓦礫の山の何処かにいるのは確かだと思うが、あんな場所、身を隠す所なんていくらでもある。ここから見つけ出すのは至難の業だろう。銃声がしないという問題点も解決していない。
 そして、私は…

「あっ…」

 そこで私は重大なミスに気がついた。手にしているM14が異様に軽いのだ。私は急いでマガジンを外し、中身を確かめてみる。四角い鉄の箱の中には弾は一発も入っていなかった。まさか、と記憶を反芻する。昨日、昼に戦った時に10発、姉さんを助ける時に9発。M14のマガジンは20発入りだ。残りは…私は確かめるようにボルトを引いた。排莢口から一発、7.62mmNATO弾が出てくる。替えのマガジンは姉さんに着せたベストのポーチに入れたままだ。ライフルの弾はこの一発しか残っていなかった。
 あと武器と言えば姉さんから返して貰ったガバメントだが、狙撃戦で果たしてこんなハンドガンが一体何の役に立つというのだろう。
 私は自分の不注意と圧倒的情勢の不利さに臍を噛み、悔しさの余りまた床に拳を叩きつけた。拳骨の皮膚が裂け、血が滲み出してきた。

「畜生…なんで…」

 私は姉さんを守るために修羅にも羅刹にもなろうと誓ったのだ。軍部に話を付け、時に脅しさえかけて姉さんを自分専属の観測手にして、ずっと近くで守っていようと思ったのだ。それを昨日、姉さんをあんなトラックに乗せてしまったのがそもそもの間違いだったのだ。いつも通り、二人で歩いて帰れば良かったのだ。いや、違う。そんなもしもの話を考えても仕方がない。現実逃避だ。集中しろ。

 壁を背に、歯を食いしばり、ともすれば絶望に閉じてしまいそうになる目蓋を何とかこじ開ける。
 日向に倒れている姉さんと日陰に隠れている私。いったい、何の符丁なんだろう。そろしそろりと日向の方へ近づいていくと、まるで日の当たる場所に出てきてはならないと戒めるよう、敵の弾丸が飛んできた。どうやら、この明暗が丁度、デッドラインらしい。分かりやすい目印だ、と自嘲げに唇を噛む。

「クロ…ちゃん…」

 その時、姉さんが弱々しい声色で私に話しかけてきた。姉さん、大丈夫と、返事する。

「大丈夫…だから…今のうち、にげ…」

 銃声/悲鳴。また撃ったのだ。また、姉さんが撃たれたのだ。畜生。

「姉さん! 姉さん!」
「私は…大丈夫…だか、ら…」

 私に何かを伝えようとする姉さん。まるでそれは重い病気に冒された患者が大切な人に遺言を託しているような、そんな風に聞こえた。姉さんが死んでしまう。そんな馬鹿な、と否定する様、強く姉さんを呼び続ける。

「姉さん! 今、助けてあげるから…!」
「いいから…クロちゃんは…逃げて…」

 けれど、姉さんは…

「そんなこと…そんなこと…」
「はやく…にげ…あうっ!!!?」

 自分が助かる可能性はないと言うことを理解していた。

「畜生!!!」

 もう、拳は叩きつけなかった。












――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









 倒れたリリーホワイトと隠れているリリーブラックから離れること約百メートル。西棟の端、西側から見れば辛うじて外観を残している塔の二階部分、瓦礫の隙間に半ば体を埋めるようにしてそこに彼女は隠れていた。
 銃床に頬を当て、備え付けのスコープは外し、アイアンサイトで狙いをつけ、銃爪に軽く指をかけて、じっと屋敷の対角線上、テラスの二階部分を見つめている。

 と、何の脈絡もなく彼女は銃のトリガーを引き絞った。遅れること一刹那、視線の先、倒れているリリーホワイトが体を仰け反らせる。着弾の衝撃に震えたのだ。
 間髪入れず彼女はリリーブラックが隠れている廊下の方へ視線を向ける。動きはない。壁際からライフルの銃身が覗いているだけだ。

「安い挑発には乗らないみたいですね」

 何の感情も込められていないただの事実確認じみた言葉がポツリと漏れる。初弾を外したとき、代わりに撃ってしまったリリーホワイトを囮に使えばすぐにでもブラックは飛び出してくると彼女は踏んでいたのだが、どうやらアテが外れたらしい。一晩中、相手の様子を伺っていたのだが、まだまだ観察眼が足りない、と冷静に自己分析する。


 昨日の夜、リリーブラックが姉を助けるため強襲をかけているとき、それに気がついていた彼女はブラックを攻撃しようとはせず、むしろじっと息を殺してその様子を眺めていた。臆したわけではない。だが、今までの鴨撃ちで殺せていた案山子ど元は違い、仲間のあの乱暴者たちでさえものの数分で全滅させる戦闘能力は驚異だと感じ取ったからだ。真正面から挑んでも勝率は五分といったところ、と冷静に判断。その確率を上げるために彼女は仲間を囮に敵の力を見定めようとしたのだ。
 仲間を囮に使い敵の戦力分析をすることに付いては何の罪悪感も覚えてはいなかった。もとより、友軍とはいえあの一団に対して仲間意識などなく、あのような無謀なこと―――敵兵を攫い夜中だというのに火を起こしてその場でレイプするような輩を助けてやろうなんて気持ちが沸き上がってくるはずがなかった。今後もあのようなことを続けていれば、誤射に見せかけて一人ずつ殺しているところだった。

 つまるところまた、“彼女”もリリーブラックが殺した妖精兵士同様、高い戦闘能力を有してはいれど、その性格は扱いやすいとはとても言えない古参兵なのだ。

 いや、彼女がこの特殊部隊に配属されているのは何もそれだけが理由ではない。
 それは彼女がこの第二次妖精大戦争においても特異な立ち位置にいること…前大戦勃発の引き金、終結のトリガー、ある者に言わせれば英雄、ある者に言わせれば大戦犯である氷青・チルノの数少ない親友―――だったからだ。

 彼女はかつて大妖精の大ちゃんと呼ばれていた。
 今は誰もそんな名前で呼ばない。

 “ザ・ビッグワン”“Die”“湖畔の死神妖精”

 幻想郷には数丁しか流れこんできていない大型消音装置/狙撃用スコープ付き自動小銃―――VSSヴィントレスを構え敵はおろか味方にさえ死を与える最強の狙撃兵、己を罰しているのか、それとも修道の心算か、苛烈な戦場を求めて歩き続ける妖精、それが今の彼女だ。


 かつての穏やかだった笑みは戦争の苛烈さのせいか摩耗し、今、彼女の顔に張り付いているのは斬首刑の執行官にもにた鉄仮面じみた冷たい表情だけだ。極寒の海原を思い起こさせる昏い瞳。氷柱のように鋭く結ばれた唇。冷血動物のような血色の悪い顔。しかし、それらは外装に過ぎない。その虚ろな洞にもにた瞳を覗き込めば見えるだろう。彼女の心の奥底で今なおくすぶり続ける憎悪や憤怒、荒れ狂わんばかりに凝縮された絶意を。
 その目でもって彼女は此度の敵を睨みつける。この敵こそが私の焔の人生に終止符を打つに価する敵なのか、と。


「………」

 視界の向こうに動きはない。リリーホワイトは倒れたまま。リリーブラックは銃身を覗かせたまま彼女からは見えない位置でじっとしている。機を伺っているのだろう。また、揺さぶりをかけてみようかと彼女はリリーホワイトに狙いをつけ、僅かに眉をしかめた。倒れたリリーホワイトからはおびただしい量の血が溢れ出し、階段に血溜まりを作っている。ぼろ布のような薄着にベストを羽織っただけの姿で血まみれで倒れている様は浜に打ち上げられた鯨か何かのように見える。白い太腿を汚す血の赤。大きく上下する肩。鯉のように開け放たれた口は浅く早い呼吸を繰り返している。ぴちゃり、ぴちゃり、と階段を伝わって血が流れ落ちていっている。遠目にもリリーホワイトが今すぐにでも死んでしまいそうなのが分かった。これ以上、銃撃を加えようものならそれは真になるだろう。

「………」

 少し考え、彼女はこれ以上、リリーホワイトを撃つのをやめることにした。慈悲ではない。慈悲というのなら今すぐにでもあの柔らかな金糸に包まれた頭をうち貫いてやるべきだ。あれだけの傷ではすぐに治療を施さなければまず助からないだろう。だが、死んでしまっては意味が無い。少なくとも隠れているリリーブラックが頭を出すまでは。仮にリリーホワイトが死ねば妹はあそこに隠れている理由の半分を失うわけだ。姉を助けるという理由が。残っている理由は敵である彼女の撃退だが、実際のところそれは無視できる望みだ。いや、今すぐにでもリリーホワイトを見捨てれば少なくともブラックはここから逃げ出すことが出来る。そんなことは万が一にもないと、昨日、あの二人の会話を盗み聞きしたことからも彼女は判断しているが、億が一あるかもしれない。逆に今、リリーホワイトの脳天を撃ちぬけば激昂したブラックが銃を乱射しながら出てくる可能性もなきにしもあらずだが、早々に重要な札を切って捨ててしまうのはあまりに惜しい。どの道、この忍耐ゲームは圧倒的に彼女が有利なのだ。彼女の側に制限時間はなく、リリー姉妹の側には明らかにソレがある。姉が息絶えるまで。それを過ぎて、もし、その後、リリーブラックが彼女を撃ち貫いてもそれは勝利にはならないだろう。試合には勝ったかもしれないが勝負には明らかに負けている。だからきっと、早々とリリーブラックは勝負を決めてくると彼女は読んだ。肘から先以外を石のように硬くし、じっと照星と照門の先に意識を集中する。

 動きはない。

 弱々しく息をつき、時折、うめき声を上げるリリーホワイトと廊下の壁から覗いているライフルの銃身が見えるだけだ。

 なかなか忍耐強い。何かのタイミングを待っているのか、そう彼女は頭の隅で考える。待つとしたら何を。友軍の助けを待っているわけはない。あの二人がどこかへ連絡をとった様子を彼女は見ていないし、無線機も持っていないのも確認済みだ。だとしたらなんだ。彼女は考えを巡らせ、太陽か、と一つ、仮定を持ち出した。相手が動かず狼狽えず待っている以上、何かしらの変化を求めているということだ。考えられる内で動いているものといえば僅かにとはいえ太陽だ。二時間ほど前に明けた太陽はもう、それなりに高い位置へ昇っている。少しだけ屋敷の影が差し込んでいる面積が減った。それの何かしらを待っているのか。例えば陽光のまぶしさに視界が覆われるような一瞬を。けれど、それもない、と彼女は心のなかで頭を振るう。彼女が狙いを着けているのは東に向かってだ。陽の光が直接、まぶしさを覚えるほど挿し込んでくる時間はとうに過ぎている。これから先、太陽はどんどん彼女の方へ傾いていくのだ。だから、直接、太陽の光を利用するとは考えにくい。では、間接的にか。割れた鏡やガラス、雨水が溜まった風呂桶に陽の光が反射して彼女の目がふさがるのを待っているのか。光の反射はあり得るか、と彼女は思った。現に彼女はその反射を恐れてVSSヴィントレスに備え付けられているスコープを外しているのだ。スコープのレンズに光が反射して居場所がバレる、というのは狙撃手によくある失態だ。そして、その失態はそのまま死に繋がる。故に目が良くて優秀な狙撃手の中にはスコープなしでライフルを使うものも多い。彼女は違うが、場合によってはこのように外すこともある。それにこのぐらいの距離ならスコープなしでもかなりの精度で狙撃を行える。複数の対象を狙っていて観測手がいないならなおさら視界が狭くなるスコープは邪魔だ。けれど、陽の光を反射させるというのもそこから手を思いつかない。位置を知らせるならまだしも、逆に索敵するのに光の反射を使うとはどういう考えなのだ。千畳敷のような大きな鏡でもあるならば西側の瓦礫の山一帯を照らし出して、目くらましにも使えるだろうが少なくともそんな大きな鏡はこの廃屋にはありそうもなかった。創りだす、ということも考えたが…

「チルノちゃんじゃあるまいし…」

 馬鹿馬鹿しいとその考えを切って捨てる。あの二人は春告精だ。鏡のようなものを創る能力はない。けれど、あの氷精なら、今はもういないあの氷精ならそれぐらいの大きさの鏡の代わりになる氷板を創り出せるだろう。それで大きなレンズを創って、危うく山火事を起こしかけたことがあったのを思い出す。けれど、思い出の中のチルノの顔はまるでコークスのペンで塗りつぶされたように思い出せなくて…

「ッ」

 雑念を振り払い、彼女は銃口の先に意識を集中した。
 今は戦っているんだ。そして、故人に想いを馳せるのは敗北主義者のすることだ、と自分を戒める。今の私は殺すために生き、生きるために殺しているのだ。そこに余計な感情を挟んではいけない。誰かに撃たれるその日まで生き汚く生きていこう、妖精を殺して。そう誓ったのだ。チルノが殺されたあの日に。彼女の亡骸を抱きながら。

「………?」

 と、その時、彼女は違和感に気がついた。敵に、リリーブラックに全く動きが見られないことに。
 忍耐は狙撃兵の必須スキルだが、それにしても動かなさすぎる。狙っているこちらとは違い、向こうは迎え撃つために動かなくてはならないのだ。それも迅速に。見ればもう、リリーホワイトは息も切れ切れだ。程なく事切れるだろう。残り時間はあと僅か。もう、動いていてもおかしくはない。それとも逆にこちらを焦らせるための戦法か? 馬鹿馬鹿しい、と彼女は内心で笑う。そんなことがあるはずがない。第一、銃は今もあそこに頭を覗かせて…

 と、そこまで考えが及んだとき、彼女は確かに聞いた。
 遊底を引き、弾倉から初弾を装填、撃鉄を上げるそのカチャリ、
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
                         カチャリ、と私はわざとらしく遊底を引いて、弾倉から初弾を装填し、撃鉄を揚げる音を敵狙撃手に聞かせてやった。彼女の後ろから。もう、狙いはしっかりとその後頭部に向けて付けている。











「してやられた、というわけですね」
「ええ、あそこには誰もいないわよ」

 私は後ろから敵に向かってそうトリックを説明してやる。トリック、と言っても大したことはない。あそこに私がずっと足止めを食らっているように見せかけるために弾が一発しか残っていないM14を壁に立てかけ、倒れないよう、レンガで固定して置いてきただけだ。その間に私は姉さんから返してもらったガバメントを手に、気づかれないよう、慎重に移動し、そうして見付け出したこいつの後ろに回り込んでみせたのだ。

「狙撃戦、と思っていたのに」
「狙撃戦よコレは。カウンタースナイプの極意は相手の裏をかく事だからね」

 ため息混じりに反応する敵に笑うよう、そう補足説明を付け加えてやる。なにわともあれ、私はこの戦いに勝ったのだ。極限の緊張と焦りそこからの開放に僅かに安堵を覚える。

「まぁいいです。私の負けなのは確かですし。こんな負け方をするとは思っていなかったですけれど」

 諦念したとは思えない投げやりな言葉に私は眉尻を下げる。敵のこの余裕、真後ろから銃で狙われているというのにまるでちょっとしたカードゲームで負けてしまって拗ねているような態度に憤りを覚えたのだ。命のやりとりをこうも軽い反応で締めくくるなんて。こいつも果てしなく続く命のやりとりに気を違え、戦争をゲームと称するようになってしまったクチなのだろうか。けれど、こいつの心に立ち込めていた闇はどうやら私の予想を遥かに上回る、猛毒のような濃度を持っていたようだ。

「さぁ、撃ちなさい。撃って、私を殺してください」
「―――」

 Please Kill Meとこいつは厳粛に、告死天使のように私に自分自身を殺せと伝えてきたのだ。
 それは…絶望したものが諦念の果てに死を願ったからではない。ましてやサムライのように死力を尽くした果てに見事だと自分の御首を差し出しているわけでもない。こいつは、こいつは何の感慨も持たずただ事実を述べるよう、自分を殺せと言っているのだ。

「どうしんですか。撃たないんですか?」

 いや、それだけではない。こいつは撃てと命じておきながら、

「それとも…撃てないんですか?」
「っ!?」

 私の手痛い真実を突いてきたのだ。

「ああ、やっぱり。昨日、私の部隊のメンバーを襲っているとき、不思議に思ったんです。どうして、わざわざ自分の方に向かって敵が手ぶらで向かってきているのに、一旦、逃げるように離れてからその背中を撃ったのか、ってね」
「………」

 それは憶えている。昨日、殺した敵兵のうち、一番最後に撃った奴だ。あの時、偶然にも撃った弾がAkのマガジンに当たってしまい一撃で仕留められなかったあの敵兵はあろうことか私がいる場所を目指して走ってきたのだ。あの闇の中、自分が何処にいるのか悟られぬよう、撃っては移動してまた撃ってを繰り返していた私の方へあの敵兵が走ってきたのはただの偶然だ。けれど、私にとってはそれは一大事だった。身の危険を感じたわけではない。こちらは銃を持っていて敵は徒手の上に手負い。そして、こちらから相手は十分に視認出来ていたが、相手は恐らく私を見つけてさえいなかったのだ。普通なら視認出来ている距離にいる戦力外の敵なんて鴨撃ちで殺せるというのに。

 視認、そう、視認できる距離だ。

 スコープ越しではなく直接、私の二つの目でもって十分、見える距離。近すぎる距離だ。近すぎる、といえる理由をこの敵兵は理解している。畜生。

「ああ、やっぱり。貴女、スコープ越しじゃないと撃てないんですね。昨日、すいませんけれどお姉さんとの会話、聞かせて貰いましたから。『ヒト殺しをしたいから姉さんを利用している』? 冗談。貴女はスコープ越しで離れていなければ撃てないような臆病者でしょうに」
「違う!」

 否定の声を上げれど、無意味に激昂したそれは肯定も同じだった。
 そうだ。昨日、姉さんに言って聞かせた話は全部嘘だ。私も姉さん同様、同族を、妖精を殺せない臆病者だ。
 最初、私たち姉妹は別々の部隊に配置された。そうして、他の臆病者の例にもれず、敵に向けて銃が撃てない私も部隊の仲間から手酷い仕打ちを受けたのだ。嫌がらせ、悪戯、リンチ。それでも私は殺すより自分が酷い目に会う方がまだマシだと耐えてきた。配給の食事に虫を入れられ、ロッカーを荒らされ、夜中に靴下で作ったブラックジャックで殴られもした。姉さんから届いた手紙で姉さんも同じような目にあってると知った。それに関しては自分のこと以上に胸が痛んだが、姉さんも同じ考えなのだと納得することにした。姉さんも私も納得して虐げられているのだと。けれど…
 ある日、私は上官に呼び出された。転属の命令が来ている、と。転属先は例にもれず最前線の激戦区。兵士の消耗が一段と激しいキルゾーンだ。ついにきたかと私は死刑宣告の通知のようにその命令書を受けとり、上官の執務室を後にしようとした。けれど、出かけに上官は私にこう言葉をかけてきた。『君が死ねば次、その命令書を送られるのは君の姉だぞ』と。私は愕然とした。自分自身が博愛主義の果てに死ぬのは構わない。ある意味ではそれは本望だからだ。だけど、それ以上に姉さんが死んでしまうことに、いや、もしかすると追いつめられて誰かを撃ってしまうことに私は耐えられなかった。

 前線に送られた私はそこから考えに考え抜いた。姉さんを助けるためにはどうすればいいかと。答えは最前線に送られてもなおも敵を殺し、結果的に仲間を助けている戦闘狂の妖精から得た。彼女はもう死んでしまったが、死ぬ前日に私にこう語って聞かせてくれた。命令違反で自分をこんな場所に送り込んだ上官に今は感謝している。ここは敵だらけで、しかも、味方とくれば臆病者ばかりでアタシの獲物を横取りするような奴はいないんだから、と。



 次の日から私が彼女の代わりになった。


 ライフルを手に私は敵兵を撃って撃って撃ちまくった。私自身の目的のために。
 程なくしてまた私に転属命令が来た。あの戦闘狂の彼女のように強く、しかも、彼女とは違いまっとうに命令を聞く私をこんなところで使い潰すのは惜しいと軍部は考えたのだろう。私はその転属願いをすぐには受けず、一つ、交換条件を求めた。『狙撃兵としてやっていきたいから観測手に姉さんをつけて欲しい』と。
 前線の部隊でも狙撃手として活躍していた私の提案はすぐに呑んでもらえた。姉さんは私との再開に喜び、妖精を殺さなくても済む新しい任務にとても安堵してくれた。ただし私は自身のそうして、姉さんの有用性を証明するため、敵兵を殺し続けるキリングマシーンにならなければなかったのだが。

 後は語るまでもない。昨日の昼間のようなことを繰り返してきただけだ。
 姉さんと一緒に戦場にでかけ、敵を撃ち殺して帰ってくるそれだけだ。
 けれど、かつては自分の命と引換えに守ろうとしていた平和主義は死んだわけではなかった。確かに私の中でくすぶり続けていたのだ。

 ひとえに、それを燃え上がらせなかったのは姉さんという守るべき存在と、遥か遠くから狙い撃ち、その光景をスコープ越しにまるで他人事のように眺めるという狙撃特有の戦い方のお陰だった。スコープ越しに眺める風景は普通の視界よりずっと狭く、レティクルによって区切られている。それにトリガーを引いてから着弾までには普通に銃を撃つよりも遥かに長い間がある。もしかすると私が撃った弾は外れて、違う誰かの弾があたったのでは、と勘違いできるほどに。もちろん、そんなはずはない。けれど、現実味のない光景とそんなもしかすると、が含まれる結果に私は救いを求め、そうして、自分は殺していないのだと他でもない自分自身を騙してトリガーを引き続けてきたのだ。ほかならぬ姉さんを助けるために。

 そう、逆に言えば私は『姉さんを守るため』に『スコープ越しで長距離から』しか撃てないのだ。昨日、自分に近づいてきた敵兵をそのまま撃てなかったのもその為。他の敵兵を狙い撃った時も上手く一撃でヘッドショットを決められず、むごたらしい殺し方をしてしまったのも姉さんが近くにいないことに動揺して手元がくるってしまったからだ。



 私はこうして敵の後ろを取り、いつでも撃てるよう銃を構えてはいるが…その人差し指は未だにトリガーにかけられていなかった。

「黙れ! 殺されたくなかったらその銃を捨てろ! これは最後通告だ!」
「どうしたんですか? 声、震えてますよ。ああ、たぶん、腕もですね」

 言われた通りだった。声も、銃を構える手もガタガタと震えている、畜生。スコープ越しに姉さんが近くにれば撃てるようになった私はその対価か、両方がなければこんなにも銃を握っただけで動揺するようになってしまった。こうやって後ろから脅した後、気絶させればいいとそんな甘い考えを抱いていた自分に腹が立つ。撃て、撃て、と理性は急かすが、心が、本能とは違う何処かもっと表層の部分がそれを否定する。銃把は痛い程強く握りしめているのに、人差し指、そのただ一本だけが凍り付いたように動かない。

「最後通告だって…」
「それに…」

 私の言葉に割って入ってくる敵狙撃手。最早、私の脅しなど聞いていないとでも言うつもりか。否。

「私も狙いをつけています。あの娘に」
「ッ!」

 敵もまた私を脅してきているのだ。

「クソッ! 姉さんをこれ以上撃ってみろ! お前の脳みそをそこへぶちまけてやるからな!」
「だったら早く撃ってください。早くしないと、あの子にとどめをさしますよ」

 敵はこれ見よがしに狙いを定め直した。まっすぐに伸びる銃身。その先には今なお自分が流した血で溺れるようにもがいている姉さんの姿がある。コイツが、コイツが撃ったせいでああなったんだ。湧き上がる憎悪が凍りついていた人差し指を溶かす。指が動き始める。銃爪に触れる。

「もう一回だけ言うぞ! 銃を捨てろ!」
「嫌です。貴女こそ早く撃ちなさい。目の前にいるのは敵で、貴女のお姉さんを殺そうとしている奴ですよ」

 がちがちがち、と音を立てているのは私の奥歯か、それとも握りしめているガバメントか。視界がぐにゃりと歪み、嫌な汗がふきだし、背中を伝わり流れ落ちる。

「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!! 殺す! 殺してやる!」
「どうぞ、勝手に」

 ガバメントが暴れる。まるで釣り上げた魚のように。しっかりと狙いを定められない。けれど、これだけ近ければ適当に撃ったって当たるだろう。当たって殺せるだろう。そうだ、殺せ、殺せ、殺せ、殺すんだ。早く殺さないとこいつは姉さんを殺してしまう。殺される、殺される、殺される殺される殺される殺されるす殺さす殺すッ!! 撃て、撃て撃て撃て!!

「うあぁぁぁぁぁあっあああ!!!」

 よろめきながらも私は片腕で銃を構えてトリガーを引き絞ろうとした。
 刹那、私は耳にする。破砕音と肉を砕く衝撃を。

「え―――?」

 その瞬前、ピピッ、という電子音を。

 かくして私の意識は断絶する。
 ここから先、私のモノローグはない。













――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――










 背後から聞こえてきた爆発音に彼女は…大妖精は身をすくませた。半瞬遅れて衝撃。足や背中に衝撃が走る。その箇所は灼熱の痛みを覚え始めるが、まだマシだろう。隣に倒れてきたリリーブラックの状態に比べれば。

「あ…ああ…」

 倒れたリリーブラックは左半身がまるで耕耘機にでも巻き込まれたように酷い有様になっていた。
 血まみれの体。手の形状をしていない左腕。頭蓋さえ見えている顔の左側面。千切れた耳。体の左半分は再起不能な程、破壊されていた。
 見れば、リリーブラックより更に左側、崩れがかった壁には無数の小さな穴が開いていた。そこから一つ、ぽろりと直径数ミリのボールベアリングが転がり落ちてきた。
 血が流れ出ている足や背中を庇いながら大妖精は体を起こすと、手を伸ばし、無造作に自分の傷口に指を突っ込んだ。苦痛に顔を歪めながらも傷口をまさぐり、中から壁から転がり落ちてきた物と同じ、銀色のベアリングを引き抜く。体の他の傷も同じように処置する。血まみれのベアリングは投げて捨てた。

「私の相方です。自分で動けなくて、私に近づいてきた相手を敵味方関係なく殺してしまうのが問題なんですけれど」

 そう説明する大妖精。
 ちらり、と視線を投げかけた先には崩れた煉瓦の壁に隠すように箱が置かれてあった。地味な暗緑色の色をしたその箱は動体センサーを内蔵したクレイモアと呼ばれる対人地雷だ。中に詰め込んだ数千個のベアリングを火薬の爆発で持って周囲に撒き散らす指向性の強い爆弾の一種で、簡単に設置できることから野営地の防衛になど使われてる。

 大妖精とて自分の背後を取られる可能性を考えていなかったわけではない。通常、狙撃手は隠密性が酷く高い任務以外は観測手や迎撃手を自分のそばに置いて、敵の接近を防ぐわけだが大妖精はそれの代わりに自分がこの場所まで上がって来るのに使ったルート…瓦礫に半ば埋もれた階段付近に罠を仕掛けておいたのである。リリーブラックはそことは別のルート、塔の壁を物音も建てずにゆっくりと登ってきたのだが、それはトラップを警戒してというわけではなく、ただ単に最短距離を選んだだけだ。かくして、リリーブラックは大妖精の背後を取ることに成功していたわけだが、それは本当に運が良かったとしか言いようがない。なぜなら、リリーブラックが立っていた場所の僅か一歩後ろまでがクレイモアのセンサーの感知する範囲だったのだから。

 リリーブラックの声で大体の立ち位置を把握していた大妖精はクレイモアが反応しないことを不思議に思ったががすぐにブラックがギリギリ範囲外に立っているという考えに至った。適当に放り投げたコインが裏表に倒れるわけではなく垂直に立ってしまったような奇跡的な確率でリリーブラックはクレイモアの範囲外に立っているのだと。

 あとはどうにかしてほんの少しだけリリーブラックを後ろに下がらせればよいだけだった。それだけでセンサーは反応し、放たれた数千個のベアリングがリリーブラックの体に無数の穴を開けることになるだろう。
 問題はその方法だ。突き飛ばそうにも大妖精は完全に背後を取られている状態で、敵が銃を撃てないのは知っていたが、それでも万が一ということがあった。それに自分自身も立ち上がってしまえば爆発の範囲に入ってしまうだろう。そんな特攻精神は大妖精は持ちあわせていなかった。ならば、と大妖精はリリーブラックに精神的な揺さぶりをかける方法をとったのだ。明らかに分の悪い賭けだったが、大妖精は賭けに勝利したようだ。

 傷付いた足をかばいながら立ち上がると、大妖精は万が一を考え未だにリリーブラックの手に握られていた銃を蹴飛ばした。中空に飛ばされ、瓦礫の山の中へ落ちていくガバメント。

「私の勝ちみたいですね」

 そう言ってVSSヴィントレスの銃口を倒れたリリーブラックの頭へ向ける大妖精。リリーブラックは重症を負っていたがまだ死んではいなかった。血溜まりに体を浸しながらも、浅くゆっくりとした呼吸を繰り返し自分を覗き込んでくる大妖精を睨みつけている。

「殺せ…」
「ええ、そうしますよ。私は貴女とは違います。貴女のような―――平和主義者じゃない」

 消え入りそうなリリーブラックの言葉に返した台詞は何処か寂しげで、どこか刺のある言葉だった。
 リリーブラックは死を覚悟し、眠たそうに瞳を細める。

「正直―――私は貴女が羨ましいです」

 けれど、まだ、トリガーは引かれなかった。銃口をぴったりとリリーブラックのこめかみに向けたまま、銃爪に指をかけた状態でぽつり、と大妖精は話し始める。

「私もできることなら誰も殺したくはないです。でも、駄目です。殺さずにはいられない。妖精たちを、この戦争に参加しているすべての妖精たちを殺さずには」
「……?」

 混濁しつつある頭で何とかリリーブラックは大妖精の話に耳を傾ける。大事な、命と呼べるようなものが流れでていくこの体では相槌を打ったり、疑問をぶつけたりも出来ないが、それでも聞く価値があるのでは、と彼女は何とか自分の片方だけ残されている耳に意識を集中した。

「チルノちゃんを裏切って殺した、見殺しにした妖精たちを…私自身を含めた妖精たちを…私は…けっして許せないのです。自分の平和主義を殺してでも、殺さずにはいられないほどに…!」

 昏い洞のような瞳の奥底、そこでくすぶり続けている絶意の片鱗。僅かにそれを晒し、搾り出すよう、自分の殺意を語ってみせる大妖精。

 かたかたと、片腕で構えるヴィントレスの銃身が揺れている。リリーブラックと同じ動揺か。けれど、守るべきものを喪った彼女に躊躇いはなかった。真に守るべき者を見殺しにした彼女に迷いはなかった。リリーブラックを自分のすぐ近くで殺そうと銃爪に力を込め、その刹那、

「!?」




 待ち焦がれた裁きの銃弾を胸に受け、大妖精はまっかなまっかな血の花を咲かせ、散らした。

「……チルノ、ちゃん」

 そう大妖精はつぶやいて、両手を広げた格好で後ろ向きに倒れた。胸には大きな穴が開き、緑色のワンピースはあっという間に赤黒く染まってしまった。


「…なに、が」

 呻きながら何とかリリーブラックは体を起こした。激痛と出血で、たったそれだけの行動でも意識が飛びかける。それでも死に体に鞭打ってリリーブラックは塔の崩れた壁から身を乗り出した。

「………姉さん」

 予想通り、視線の先には自分と同じような瀕死の姉の姿があった。
 撃たれた階段から這って進んだのだろう。床にはおびただしい量の血の跡が残されていた。そして、その手には…中指から向こう三本を失った手でなんとか支えながら、無事な方の指を銃爪にかけた、リリーブラックのM14があった。大妖精を撃ち、リリーブラックを助けたのは彼女の姉、リリーホワイトだったのだ。

 リリーホワイトは銃を構えたままの体勢でうつむき、声を殺して泣いていた。仕方なかったの、と、こうするしかなかったの、と、私にはクロちゃんが殺されちゃうことが、どうしても耐えられなかったのよ、と。

 その後悔と懺悔は大妖精が抱えていた絶意と同じものだった。
 自分の心を殺してでも、事を成さねばならぬという非情な想い。確かにこの想いに囚われれば瞳は洞のように空虚に、表情はデスマスクじみた冷たいものに変わり果ててしまうだろう。

「あぁぁぁ…あああああああぁぁぁぁぁ…」

 或いは…リリーホワイトはこの想いに囚われることを知っていて、妖精を、仲間を撃つことが出来ないと、言っていたのかもしれない。

「畜生……姉さんを、助けるって…姉さんには撃たせないって…誓ったのに…」

 泣き崩れるリリーブラック。血と一緒に涙の雫がレンガの欠片の上に落ちた。









「姉さん…」
「何、クロちゃん」

 肩を組んで、お互いにお互いを庇いながら歩く二人。日は高く、真上から差し込む光に影は足元にしかできていなかった。

「帰ったら、ちょっと休暇をもらって、家に帰らない?」
「うん…そうだね」
「それでさ、朝早くに起きて、パンを焼いて朝食にして、お昼まで釣りをして、釣ったお魚をお昼ごはんに食べて、午後からは山に出かけて、山菜とかきのことか採って、それをお夕飯にして、で、二人で一緒におんなじベッドに入りながら、本でも読もうよ。お酒とか呑みながら」
「うん、いいアイデアね。それ…出来るといいね」
「姉さん…」









 その後も妖精たちの戦争は続いた。
 一進一退を続け、報復に継ぐ報復で夥しい数の屍の山を築きながらも戦争は終わらなかった。
 M16を握る軍とAkを握る軍の争いは苛烈さを増し、そこへどちらにも属さないSG552を使う少数精鋭最新鋭設備の第三軍が現れた。戦いは三つ巴と化し、更に苛烈さを究めた。





 その戦場に一人、破椀破脚、全身に酷い古傷を持つ凄腕のスナイパーの姿があった。

「―――」

 彼女は今日も独り、黙して遥か彼方の標的を狙う。
 死を告げる天使のように、命の蝋燭を吹き消す死神のように、苦行に打ち込む修験者のように。
 鹵獲したヴィントレスを武器に、彼女は殺す。
 傍らに立つ愛する者の幻影に苛まされながら―――


END
 以下、スプリングフィールドM14のスナイパーモデルはM21で専用弾だろうが、とかVSSヴィントレスのスコープは外せないだろうとか、幻想郷のBJ先生ことDr.えーりんに頼めばなおるよ♪ とか禁止。




10/10/20>>追記

おー、皆様、長文コメントありがとうございます。今晩のおかずにさせていただきます。

重火器の知識不足故の描写の不備につきましては真にもうしわけございません。私、個人の知識はせいぜい銃の名前ぐらいでして、装弾数や使用弾の口径名称につきましてはwiki等を使って調べたというていたらくさ。ゆとり世代ぶっちぎりです。

続編につきましては残念ながら戦争物で書きたいことを殆ど書いてしまったので、ちょっとこれから先は場面が思いつかないので一応は無し、ということにさせていただきます。

でも、東方銃撃ちショートショートはまだ書きたい所ですので、話を思いつけばまた読んでいただければ幸いです。

……ツェリザカを片手撃ちするゆうかりんとか。


先任軍曹殿>>
投稿から僅か2時間後のコメント、ありがとうございますサー
しかしながら、一つ曹長殿に言わなければならないことがありますサー
生き残ったのが“ブラック”だとは作中では語っておりませんので……サー
sako
http://www.pixiv.net/member.php?id=2347888
作品情報
作品集:
21
投稿日時:
2010/10/16 11:05:55
更新日時:
2010/10/20 19:44:23
分類
リリーホワイト
リリーブラック
スプリングフィールドM14
1. NutsIn先任曹長 ■2010/10/16 22:20:27
銃器について指摘しようとしたことを、コメントで先に釘を刺されてしまった。

M16,AK47,ダッシュKといったナム戦武器の他にエリート用の最新銃器。
航空戦力の支援が無いと思ったら、空は月(ルナシューター)の天下だったとは。
この戦争は妖精が何万匹死のうと、幻想郷のバランスや人妖には影響していないようですね。
きっと妖精以外はいつも通りの平和を満喫しているのでしょう。

孤高の狙撃手同士の対決に息を呑みました。
パートナーを喪おうとしている者と喪った者。
2対1では数の多いものが勝つ。当然の結果。

リリーブラックはホワイトと大妖精の逝った二人分の重荷を背負って今日も往く。
2. 名無し ■2010/10/17 02:33:13
名作ですね。冷戦時代を彷彿させるかのような背景、狙撃戦の描写。
どれもとても素晴らしかったです。

狙撃戦は銃撃戦よりも目を引くものがあります。映画でもかなり好きなジャンルです。
次回作では外伝として大ちゃんの活躍を期待!!
ドラグノフとかの東側兵器ももっと登場してほしい!
3. 名無し ■2010/10/17 17:43:22
銃器のことはよくわかりませんが、面白い作品だと思います。
大妖精とかリリー姉妹とかって、地味だったけど……イメージ変わりますね。
4. 名無し ■2010/10/17 17:50:06
いい作品だぁ。続きはないのですか?もし書かれるのであれば70年代の米ソの武器をもっと出していただけないでしょうか?
あと外伝的な感じでハー○マン学校みたいに妖精を罵倒しながら鍛えていく話とかは書いていただけないでしょうか?w
5. 名無し ■2010/10/18 18:50:00
最初の方を読み、「おお、これは」と思いつつもスクロールバーの薄さに敗れ、最後まで中々読めずに今頃のコメントになってしまいました。
何度かに分けて読ませて頂いた為、感想も纏りが無い、一行完結を連発の様な有様ですが、感想として偽りは無いのでご容赦下さい…。

空を使えない理由の説明だけはちょっとメタくて(ルナ、プレイヤー、等)それでいいのかな?と思ってしまいましたが、それを気にさせないだけの構成と文量で、非常に楽しく読ませていただきました。

狙撃と聞いて、sakoさんの名前の由来はフィンランドのサコ社?とか考えてしまいましたが…考え過ぎでしょうかね?w

ラストのVS大妖精は、映画「スターリングラード(ENEMY AT THE GATE)」を彷彿とさせる焦燥感で良かったです。
狙撃といってもド派手な超長距離だったりはせず、良い意味で地味な瓦礫の山での戦闘だったり、『餌』があったり。
“ザ・ビッグワン”で格好良いと思いつつも笑ってしまいました。VSSで〜ワンというとSTALKERの薄禿薄幸中年のマークドワンが浮かんできまして。

最後に、VSSって普通にスコープをサイドマウントごと外せたので問題ない気がしますよ。サプレッサー部にアイアンサイトがちゃとついてますし。
6. 名無し ■2010/10/26 10:35:45
いろいろなフィクションで空を飛べなくなる理由は、潜水空母からの散弾ミサイルだったりサンティアゴの雷だったり
オリンポスシステムだったり汚染物質だったりグラスノインフェリアで発生したブラストラインだったりするんだけど
>今のレーションのようにめざとく巫女たちに撃たれスコア稼ぎの的にされる。
これはひどいw
ここまで利己的かつどうでもいい理由があったろうか

そんな冗談のような背景設定とは裏腹に鉛が支配する無慈悲な戦場だぜ
戦争に振り回される個人が何とも感慨深いです
せめて古き良き合戦主義とか近世の騎士道精神とか幻想入りしないだろうか
7. 名無し ■2010/10/27 23:29:24
>古き良き合理主義とか近世の騎士道精神
エースコン○ットzeroか?w
8. 十三 ■2010/10/31 02:32:55
「山猫は眠らない」を思い出しました。
スナイパー同士の静かな闘いを緊張しながら読ませていただきました。
9. 名無し ■2010/12/03 14:04:41
リリー姉妹が好きになりました
10. ハッピー横町 ■2011/02/02 16:27:43
リリー可愛いなぁ……そして哀しみのDie妖精。
妖精大戦争、の字に壮大な背景を感じるようになりました。
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