12/16 あとがきに追記
12/20 おまけを修正
12/31 分類を修正
OLIVE(魔理沙編) → 作品集17
OLIVE 2フレーズ目(白蓮編) → 作品集18
OLIVE 3フレーズ目(早苗編) → 作品集21
犬走椛は今、どん底にいた。
薄く汚れた篠懸を着て、覇気の無い目をし、背を丸め、俯きながら、とぼとぼと旧地獄街道の端を歩く。
細い路地を曲がり、華やかな街道から、どんどん離れてゆく。
そして旧都の外れにある、お世辞にも綺麗とは言いがたい、年季の入った長屋の一室に入った。ここが、今の椛の住処であった。
狭い部屋には、台所も風呂も厠もない。土間と3畳の空間と押入れのみ。
この部屋の唯一の家具である座机の上に、東風谷早苗に借りていたウォークマンが、無造作に置かれていた。
それに目をくれるが、手に取らなかった。ウォークマンは、電池が切れて動かないのだった。
椛は、はぁぁ、と、心底疲れたようなため息をつく。畳にどかっ、と胡坐を掻き、そのまま横になり、やがて眠りについた。
椛が地底世界で生活しているのには訳がある。
早苗と阿求率いる集団が大乱闘を行った前日、椛の住処に大天狗からの使いがやってきた。
使いの言葉を要約すると、
「幻想郷では、勝手に人を獲って食ってはならぬ事を知らぬわけではあるまい?!
お前の痴態を隠蔽するため、一週間も前から山を封鎖する事態になってるんだぞ!!
今日ようやく各方面への手回しが終わったところだ!!!」
というものだった。
椛は、
「この死骸の内一体は、早苗から貰ったものであり、私自身が獲ってきた訳ではない。
もう一体も、早苗氏が直接殺害し、ここに置いていったものだ」
と、必死に弁解した。
だが、
「これらを食そうとしたことに、変わりなかろう?」
と言い返された。
これには、椛も言葉に詰まってしまった。
基本、幻想郷では、里の人間を襲って殺すことは禁止されている。
よって、食料となる人間は、迷い込んだ外来人や重罪人などの例外はあるものの、妖怪の賢者より支給されるものに限られていた。
ところが今回、椛が里の人間の死骸を所持していたことが、大天狗に伝わってしまった。
襲ったにせよ、拾ったにせよ、里の人間の死骸をこっそり食おうしたことが問題であり、そこを槍玉に挙げられてしまった。
一見、拾ったのなら問題なさそうだが、そうではない。
これを許してしまうと、何か証拠の残らない罠などを仕掛けて人間を殺し、たまたま通りがかった振りをして持ち帰る輩が出てくる可能性がある。
そんなこんなで、必死の弁解空しく、椛は山を追放されることとなったのだった。
追放された哨戒天狗に行き場所などあるわけも無く、嫌われ者達が住むという地底へと逃れた。
だが、住処はなんとか見つかったものの、職が見つからない。
椛に取り柄と言えるものは、千里先まで見通す程度の能力と、将棋だけだった。
そして、この地底に見張りが必要な施設等は、無かった。
どうしようかと、途方にくれていると、一軒の将棋道場が目に入った。
ふと、顔を上げ、辺りを見渡すと、他にも数軒、将棋道場があることに気が付いた。
これだけの道場があれば、なかには強い相手がいるかもしれないと思った椛は、気晴らしにと道場に入った。
数局指した後、一人の客が椛の前に座った。
その客は、袖から硬貨を数枚取り出し、盤の横に置き、
「一局、どうですか」
と尋ねてきた。
それは、『真剣』と呼ばれる、賭け将棋の誘いだった。
地底の妖怪世界においても賭け将棋は違法行為であり、店員に見つかれば岡引に連絡され、逮捕されてしまう。
椛は、ちらっ、と今の会話が聞こえたであろう、入り口に座っている経営者を見た。目の合った経営者は、そっぽを向いた。
つまり、この道場では『真剣』が黙認されているのだ。
「いいですよ。お願いします」
正面に向きなおし、袖から同額の硬貨を取り出した椛は、そう答えた。
結果は、椛の勝ちだった。
その後も、いろんな相手と、道場の営業時間ギリギリまで指し続けた。その内の数局、『真剣』に誘われたが、全て勝った。
道場を出る頃には、椛の手に、道場の席料を補って余りある金が握られていた。
その金を見て、椛は一人呟く。
「これで、今日明日は食っていけるな」
真剣師・犬走椛の誕生であった。
それから椛は、その将棋道場に、ほぼ毎日通うようになった。
連日連勝、特に『真剣』での対局と平手(ハンデなし)での対局に関しては、たった一つの負けも無かった。
『真剣』で負けなしとは言っても、楽に勝っているわけではない。中には猛者と指す事もあり、紙一重の勝負になることもあった。
だが、そんな激戦を勝ち抜いても、得られる金額は高が知れている。
その日、椛は、『真剣』はリスクばかりが高くて見返りが少ないことに気が付いた。
もし負けが重なれば、その日食う飯の金が無くなってしまう。
さらに、賭け金はおろか、道場の席料さえも無くなれば、『真剣』そのものが不可となる。
そんな、終わりの見えない綱渡りのような生活に、だんだんと嫌気が差してきた。
手持ちの金があるうちに、『真剣』をやめようとも思った。
だが、現在、将棋道場での『真剣』が椛の収入の全てであったため、やめる訳にも行かなかった。
勿論、職探しをやめてはいない。だが、椛を雇ってくれる所は、今だ見つからなかった。
負けたら人生(妖生?)が終わる、まさに真剣勝負を、ほぼ毎日、神経をすり減らしながら指し続けるしかなかった。
そんなある日、いつもの将棋道場に顔を出すと、一枚の張り紙が目に映った。
*
多々良小傘は、真剣な表情で何かを考えていた。
永遠亭の病室の一室に東風谷早苗が寝かされていた。その横の椅子に小傘は座り、早苗の手を握り、顔をじっと見つめていた。
事件のあった数日後。
小傘は早苗が永遠亭に担ぎ込まれたという噂を聞きつけて、面会に訪れた。
受付の妖怪兎から早苗の病室を聞き出し、そこへ駆けてゆく。
勢いよく扉を開けると、そこには、ベットに寝かされた早苗が居た。
「早苗!!よかった、無事だったんだね!!」
早苗の姿を確認すると、すぐさま駆け寄り、抱きついた。
だが、早苗からの反応は無かった。
「早苗?」
呼びかけてみたり、軽く揺すってみるが、同じだった。
不審に思った小傘は、回診中の妖怪兎を捕まえ、早苗の状態について尋ねた。
妖怪兎は、早苗がここに来てから一度も起き上がらないこと、いくら呼びかけても反応が無いことを話してくれた。
それから小傘は、毎日のように早苗の病室を訪れるようになった。
晴れの日も、雪の日も、吹雪の日も、小傘はやってきた。
反応がなくとも話しかけ、天気のいい日はカーテンを開け、寒い日には火鉢を持ち込んだりした。
早苗に対し、それ以上できることは無かったけれど、それでもやってきた。
「先生。早苗はいつ目が覚めるのでしょうか」
ある日、小傘は、八意永琳と病室前の廊下ですれ違った際に尋ねてみた。
呼び止められた永琳は、難しそうな顔をした。
「ん〜〜。現状では、厳密に『いつ』とは言えないわね。
体の方は、左腕の欠損以外は完璧に治癒してるし、脳に異常も見られない。
今すぐに目が覚めてもおかしくはないのよね。
問題があるとすれば、精神的なものかしら。
残念だけど、私はそっち方向には明るくないのよ。専門家を連れてこないとダメね。
貴女、そっち方向に詳しい人、妖怪でもいいけど、誰か知らないかしら?」
逆に聞き返された小傘は、自身が今まで見知った人妖について思い巡らせた。そして、ある妖怪のことが思い浮かんだ。
「そうだ!古明地さとりだ!心を読める覚り妖怪なら、早苗の今の精神状態が分かるはず!」
「なるほど。心を読める妖怪なら、人間の内面について詳しそうね。ここに連れてきて貰えるかしら?
ウチの兎詐欺が一匹、精神が壊れちゃったみたいなのよ。そっちもいい加減直さないとね〜。
私は、大量の薬品製作注文が入っちゃってるから、永遠亭を離れるわけにはいかないのよ。よろしくね」
小傘は、ピタッ、と固まった。
古明地さとりといえば、如何なる妖怪、怨霊からも恐れられ、鬼でさえ一目置くほどの妖怪であると伝え聞いている。
その恐ろしい妖怪を呼びつけて人間の治癒をさせる。そんなことが出来るのだろうか、と小傘は思った。
小傘の中で、さとりのイメージはどんどんと大きくなり、鬼を片手で軽く捻り潰す、屈強な妖怪へと変貌した。
そして小傘は、さとりと対峙する自分を想像する。用件を言い出した瞬間に、機嫌を損ね、自分は殺されるのではないか、と思った。
だが、覚り妖怪に頼む他、方法は思いつかなかった。
小傘は早苗の病室に戻り、ベットの横の椅子に座る。
一時間が経ち、二時間が経ち、三時間が経った。やがて小傘は決心した顔で立ち上がった。
「早苗、ちょっと出かけてくるね。大丈夫、また早苗に会いに戻ってくるから。
約束する。必ず、必ずここに戻ってくるからね」
そう言うと小傘は、いつものナス色の傘を手に取り、病室を後にした。
目指すは地底。地霊殿。
旧地獄へと続く縦穴へ、小傘は何の躊躇もなく飛び込んだ。
*
封獣ぬえには、どうしたらいいのかさっぱり判らなかった。
今、ぬえ達の目の前には、縁側に腰掛け、もうすっかり暗くなった空をぼうっと見続けている聖白蓮が居た。
村紗水蜜が、おずおずと話しかける。
「ひ、聖。ゆ、夕飯の支度が出来ました。食事にしませんか。
今日は久しぶりに、カレー作ったんです。自分で言うのもアレですけど、おいしいですよ〜」
「……すいません、なんだか食欲なくて…。……私はいいですから、皆で先に食べててください…」
「そ、そう、ですか。分かりました。では、先にいただきますね」
村紗は肩を落とし、とぼとぼと台所へと戻っていく。
事件があった日から、白蓮はこんな調子であった。
これまで定期的に行っていた説法はしなくなり、基本、自室に篭っているか、縁側で空を眺めているだけになった。
食事は自室へ持ってきてもらうことが常になり、他の住人達と顔を合わせる時間が減っていった。
たまに皆と一緒に食卓を囲むこともあったが、半分も食べないうちに箸を置き、自室へと戻ってしまう。
その様子を見て、皆、ため息をついた。
事件のあった日の夕方。
ぬえ達が霧雨魔理沙の収監されていた刑務所から帰ってくると、寺の門の前に血まみれの人物が蹲っているのに気が付いた。
何事かと駆け寄ってみると、蹲っていたのは、白蓮だった。
「聖!大丈夫ですか?!」
いち早く白蓮の元へと辿り着いた村紗が抱きかかえ、上体を起こす。
白蓮の服はあちこち破れ、そこから覗かせている肌には、数え切れないほどの痣や裂傷があった。
白蓮は皆に気付いたのか、ゆっくりと瞼を上げる。そして白蓮とぬえの目が合った、次の瞬間、
「う…あ、ああ、あああ!!ご、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!
ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!
ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
体を支えていた村紗を振り切り、頭を再び下げ、謝罪の言葉を叫びだした。
白蓮は蹲っていたのではなく、土下座していたのだ。
その白蓮の突然の行動に、全員が驚愕し、しばらく誰も動けなかった。
「あ、姐さん!一体どうなされたのですか?!」
最初に発言したのは、一輪だった。その言葉に、全員がはっとして、我に返った。
「と、とりあえず、寺の中に連れて行こうよ!怪我の手当てもしなくちゃ!」
ぬえがそう言いながら、白蓮を起こそうと手を伸ばした。そして手が触れようとした瞬間、白蓮は横に半回転し、後ずさりし始めた。
「ひいいぃぃぃ!、や、やめて!こないでええぇぇぇ!!!」
白蓮の顔は、涙と鼻水と額から流れる血でぐちゃぐちゃになった。
白蓮は、目の前に居る人物が自分の家族だと、気付いてはいなかった。
突然、村紗は前へ踏み出した。そして、正面から白蓮を抱きしめた。
「聖、落ち着いてください。私が分かりますか?」
「や、やめ……、む、らさ?」
「! そうです!私ですよ、聖。一体何が-----」
ようやく落ち着き始めた白蓮に村紗が問おうとした時、
「船長。事情を聞くのは後だ。まずは傷の手当てをしなくては」
ナズーリンがそれを制止し、寺の中へ入ろうと促す。
「確かにそうね。立てますか、聖」
村紗が白蓮の腕を肩へとまわし、立たせようとする。もう片方の腕は一輪が支え、ナズーリンの先導で寺の境内へと入っていった。
ぬえは、手を伸ばした体勢のまま、固まっていた。
そして現在に至る。
幸い、白蓮の体の傷で酷いものは無く、僅かな痕を残すだけで、大事には至らなかった。
だが、精神(こころ)の方に大打撃を受けたようで、以前のような活発さがなくなり、自室で過ごす事が多くなった。
白蓮が寝静まった後、どうすれば白蓮が元に戻るのか、毎晩のように話し合いが行われた。
その結果を元に様々な手を打っているのだが、成果は一向に上がらなかった。
しだいに、このまま自分達だけで考えていても進展が見込めないという意見が出始めた。
では、誰に頼もうか、と考え、また詰まってしまった。
永遠亭に頼もうにも、外科、内科はあるのだが、精神科は無かった。
里の病院など行けるはずも無く、誰も心理学に詳しい人物にも心当たりは無い、と思われ、皆がため息をついた次の瞬間、
「そうだ!古明地さとりだ!トラウマを想起する覚り妖怪なら、心の傷の癒し方も分かるはず!」
と、ぬえが発言した。
途端に、村紗、一輪、雲山が顔をしかめた。それを見たナズーリン、星は首を傾げた。
ナズーリン、星の様子から、さとりをよく知らないのだろうと思った一輪は、二人に掻い摘んで説明する。
「なるほど、心を読んで相手のトラウマを引き出す妖怪、ね。おっかない奴も居たもんだねぇ」
「そう。おっかないのよ。出来ることなら、二度とお目に掛かりたくない奴よ」
過去に何かやられたのか、一輪と村紗はさとりのことを思い出し、ぶるるっ、と体を振るわせた。
「でも今現在、他に策は無い訳だし、そのさとりに頼む他ないんじゃないかな?」
「まあ、そうなんだけど。問題は、誰がさとりと交渉してここに連れてくるか、よね。
何があるか分からないから寺に誰か残らないと。いくらさとりがおっかなくても、姐さん残して全員で突撃!!…とはいかないわよ」
皆、う〜ん、と唸りながらどうすれば最善かを思案しだした。
誰も自分が行くとは言い出せない状況に、ぬえが手をあげた。
「私が行く。行って、さとりを必ずここに連れてくる」
その発言に、一輪と村紗は顔を見合わせた。
「ぬえ。あんた、大丈夫なの?さとりがどんな奴か、忘れてない?」
「大丈夫だし、忘れてもないよ。だって、私以外に地底に行けるの、いないでしょ?
ナズーリンと星はさとりと面識無いし、
寺に何かあったとき、船を動かせるのはムラサだけだし、
雲山と一輪なら異変があった時、いち早く気付けるだろうし。
ほら、そう考えると、私が行くのが一番妥当じゃん」
村紗が何か反論しようと口を開いたその時、
「うん、いいんじゃないかな。ぬえの言ったことは、私は合理的に思える」
先に、ナズーリンが肯定の発言した。星もそれに頷く。
「そうですね。私も同意見です。ここはぬえに任せてみましょう」
村紗と一輪は再度、顔を見合わせた。そしてぬえの方へと振り返る。一輪が口を開いた。
「まあ、とりあえずは、それでいいのかな。
ぬえ。分かってると思うけど、相手はあのさとりよ。くれぐれも気をつけてね」
「………うん。大丈夫。気をつけるよ。それじゃあ、行ってくるね!」
「え?今すぐ出発するの?」
「善は急げって言うでしょ?思い立ったが吉日!決心が鈍らないうちにしゅっぱーーつ!!」
ぬえは、叫ぶと同時に襖を勢いよく開け放ち、寺を飛び出した。
*
森近霖之助の話に、古明地さとりは驚愕した。
「貴方、本気で言ってるの?」
そして、地霊殿の応接間で、目の前の来訪者に、そう尋ねた。
心を読み、相手が本気で言ってると分かっていても、確認せずにはいられなかった。
「もちろんだ。わざわざ地底まで、冗談を言いに来たとでも?」
霖之助は、真剣な眼差しをさとりに向け、答えた。
さとりは、はぁ、と一つため息をつく。
「私以外の人妖には、冗談にしか聞こえないでしょうね。
魔理沙さんを生き返らせるために、閻魔と、あの四季映姫と交渉しようなんて…」
さとりは、もう一つため息をついた。
魔理沙が死んだあの日以来、霖之助は死者を蘇らせる為のあらゆる方法を調べた。
永遠亭の薬師のもとに赴き、紅魔館の知識人を尋ね、冥界の亡霊嬢と話をした。
だが、
「無理ね」 「ネクロライズなら…」 「亡霊にしてみたら?」
いずれも、答えは「不可能」だった。
失意の中香霖堂へ戻ると、テーブルの上の幻想郷縁起が目に入り、ふと、阿求のことが頭に浮かんだ。
霖之助の心に怒りが湧き上がってきたが、同時に次の一手を思いつく。
「そうだ!生き返らすのが無理なら、転生させればいいんだ!」
御阿礼の子と呼ばれる人間は、閻魔に許しを乞い、その下で働くことにより、転生後の肉体を用意してもらっている。
ならば、同様に魔理沙を転生させてもらえば良い。百年でも千年でも、半妖である自分なら待つことが出来る、と。
霖之助はそこまで考えて、一つ、問題があることに気が付いた。
どう考えても、三途の川を生きたまま渡る方法が思いつかなかったのだ。
なんとか閻魔と話ができないかと思い、無縁塚に居る死神と話したが、
「あの人は年中忙しいからねぇ〜〜。映姫様にどんな用事かは知らないが、多分無理だね。
仕事の合間に幻想郷中を説教して回ることがあるから、それまで待つしかないね」
と言われた。
魔理沙の魂が彼岸へと送られて裁判に掛けられてしまえば、もう蘇生も転生も出来なくなる。
そうなる前に話をつけなければならない霖之助に、いつ来るか分からない閻魔の巡回を待つ余裕は無かった。
そして、別の方法で接触を図ろうと、閻魔と面識のありそうな旧地獄の管理人、古明地さとりに会いに遥々地霊殿までやってきたのだった。
霖之助の、ここまでの経緯を聞いたさとりは、テーブルの上の紅茶に手を伸ばし、一口啜った。
そして紅茶が冷めていることに気付いた。
さとりは手を二回叩き、給仕を任せているペットを呼んだ。ペットはすぐにやってきた。
「………」
そのペットの顔を見た霖之助の表情が、僅かに曇った。
そこに居たのは、山に住む鴉天狗、射命丸文であった。
文はそんな霖之助の事など眼中にないのか、まるでそこに霖之助が居ないがごとく、一瞥もせずにさとりのもとへと歩いていった。
「紅茶が冷めちゃったわ。新しいのを淹れて頂戴」
「…かしこまりました」
文はさとりに一礼すると、応接間を後にした。
それを見届けると、さとりは霖之助の方へと向き直る。
霖之助は、曇った表情を消そうとして、目の前の妖怪が心を読めるということを思い出し、舌打ちする。
「ええ、勿論読めていますとも。『何であのブン屋が絶世の美女であるさとり様のペットになれるんだ!僕もなりたい!』ですか」
「変な脚色が加わっているが、僕の言いたいことは伝わっているようだね。経緯を話してもらえないか?
あと、最後の一言は思ってすらないし今後も思うことは、ない」
さとりは、ノリが悪いですねぇと呟くと、文が地底へやってきた時点からの話を語りだした。
さとりの説明を掻い摘むと、
@ 文は取材の名の下に地霊殿を調査しようとやってきた。
A 潜入していたところを見つかり、捕らえられる。
B 将棋の相手を求めていたさとりと、条件付きで指すことに。文が勝てば自由に調査でき、負けたらペットになる。
C 心を読めるハンデとして、さとりの飛車角の二枚落ち(※1)で対局開始。 (※1:初めから盤上より除外する)
D そして文は負け、現在に至る。
ということだった。
だが、さとりの説明を、霖之助は鵜呑みにはしなかった。何か違和感を感じたのだ。しかし、その違和感の正体が分からない。
一応話の筋は通っているし、矛盾点も無い。嘘を言っているようにも思えない。何ともいえない違和感だけが残っている。
「どうしました?今の話の何がそんなに気になるのです?」
違和感の正体について考え込んでいた霖之助は、さとりの言葉に、はっ、と我に返る。
「いや、自分でもよく分からないというか気のせいだとは思うんだが、何か引っ掛かってね。
………そうそう、一つ聞きたいんだが。
ブン屋がここに居る理由は、さっきの話で分かった。しかし、なぜ彼女はここに留まり、ペットなどに甘んじているんだ?
拘束されてるわけじゃなさそうだし、普通逃げ出しそうなもんだが……」
霖之助は、ようやく見つけた疑問点をさとりに問う。問いはしたが、これが違和感の正体かというと、霖之助は何か違うような気がした。
さとりはう〜んと唸り、口に指を当てながら何かを考える。そして楽しそうに口を開いた。
「そうそう、ところで霖之助さんは『学習性無力感』というものをご存知ですか?」
「はぁ??」
霖之助は、突然の話題変更に怪訝な顔をした。
さとりは、霖之助の表情は意に介さず、これは外の世界で行われた実験なのですが、と前置きし、語りだす。
「まず、犬を縛り付けて電気ショックを与え続けるんです。これはどんなに暴れようとも逃れられません。
次に、その犬を別の部屋に連れて行き、また電気ショックを与えます。
ただし、今度は低い柵をジャンプして飛び越えれば電気ショックから逃げられます」
「………」
「ちなみに普通の犬をこの部屋に入れると、最初はドタバタとしますが、すぐに電気ショックから逃げる方法を学ぶことが出来ます。
ところが、最初に電気ショックを受け続けた犬は、この部屋に入ってまた電気ショックを受けてもドタバタすることさえしないそうです。
ただうずくまり、じっと電気ショックを耐え続けるんだとか。
この犬は、自分がどんなに努力しても苦しみから逃れられないと学んでしまったんですね。
絶望してしまい、逃げるための努力をすることも、しようとしません」
「………」
「すみませんね、一人でぺらぺらと…
で、何の話でしたっけ?確か、新しい私のペットの躾の方法について詳しくとの事ですが…」
さとりは、ニタァ、と口の両端を吊り上げた笑顔を霖之助に向けた。
「……いや、もういい…」
霖之助は、さとりの表情と先ほどの話から、文がどんな『躾』をされたのかを想像した。いや、想像させられてしまった。
途端に、目の前の幼女の姿をした妖怪がとても恐ろしいものに見えてきて、思わず身震いする。
なんとか、話題を変えようと言葉を考えるが、頭が若干混乱しているのか、すぐに浮かばない。
「ええ、そうですね。若干話が逸れましたね。そろそろ話を戻しましょうか」
さとりは、にやにやしながらそう語った。完全に、さとりが主導権を握っていた。
「……そうだね。で、いつ頃閻魔と話ができるのかな?」
できれば早急に、とは口にしなかった。そんなことを言えば、足元を見られる可能性があると、霖之助は思ったからである。
だが、
「早急にと言われても、そう簡単にはいきませんよ。
確かに四季映姫とは面識がありますが、私は管理を言い渡されている立場でして…
言わば上司のようなものです。それを呼び出すなんて、とてもとても…」
またもや霖之助は、さとりが心を読めるということを失念していた。
「でも、わざわざ地上から私を頼りに来た客人を、ただ追い返すというのも後味が悪いですね〜」
そうですねぇ〜と、さとりは呟き、ニヤニヤとしながら霖之助の全身をジロジロと舐め回すかのように見た。
やがて立ち上がり、自身のスカートの中を弄りながらこう言った。
「私を愉しませて貰えたなら、考えてみてもいいですよ」
*
「なんだこれ?『将棋大会のご案内』?」
椛が見た張り紙には、地霊殿で行われる将棋大会の知らせが載っていた。
(何?なんで地霊殿で将棋?地底の管理者は引きこもりだと噂されてたけど、案外こんなイベントを開いたりする程には社交的なのか?)
椛が不審に思い首をかしげていると、道場の経営者がそんな椛の様子に気付き、説明してくれた。
曰く、主催者の古明地さとりは無類の将棋愛好家であり、定期的にこういった大会を開いているとのこと。
それも、優勝景品が毎回豪華ということもあって、参加料が高くとも地底住民ほぼ全員参加の、大盛況だった。
娯楽の少ない地底では、将棋は数少ない楽しみの一つであり、住民のほとんどが指す事ができるらしい。
それを聞いた椛は、地底での将棋道場の数の多さ、そして相手の強さに、得心がいった。
「それで?景品が豪華とのことですが、今回は何が貰えるんです?」
椛は、優勝して得た景品を売れば、そうとうな金になるのではと思い、経営者に尋ねてみた。
経営者の話によると、今回の大会では、金額は定まってないが多額の賞金、
もしくはさとりができる範囲ならなんでも一つだけ願いを叶える権利、どちらか一つを選べるとのこと。
例として、豪邸を建ててくれと言えば、地底中の鬼達を使って地霊殿並みの屋敷を建ててくれるようだ。
「え?鬼を使って?鬼達はさとりの指示に従うのですか?」
椛の疑問も当然だ。いくらさとりが地底で恐れられているとはいえ、鬼を顎で使えるとは椛には思えなかったのだ。
その疑問は、すぐに氷解した。
さとりは鬼達の一週間分の酒、数百キロリットルと引き換えに、大会運営のスタッフとして働いてもらっているらしい。
鬼達は会場を汲まなく見渡し、不正やトラブルが無いか、随時チェックを行う。
賄賂も嘘もイカサマも通用しない、地底で一番優秀で信頼のおけるスタッフというわけだ。
「…それは、凄いですね」
椛は会場の様子を想像してみた。
広い会場を、黒い服と黒眼鏡を着用した鬼達がうろついている。
何か不正をした者を見つけるとすぐさま駆け寄り、別室へと連れて行こうとする。抵抗空しく、引きずられていく参加者。
別室への扉を開けた瞬間、防音処理されているはずの部屋から悲鳴が漏れ出す。誰も声を出せず、静まり返る会場。
そこまで想像した椛は、恐ろしくなり、身震いした。
そんな椛の様子に経営者は、あはは、と笑い出す。
この大会は一応、みんなでワイワイ楽しむためのものであるので、そんな心配するようなことは『滅多に』起こらないという。
優勝者の願い事にしても、お前素っ裸になれとか、夜伽しろとか、誰々を殺せとか、首括れとか、そういう類はナシらしい。
椛は安心から、ため息をひとつついた。
経営者は続けて、どうしてもそういうのがやりたければ個人間で賭けを行うのは自由だとも言った。
選手間で同意があり、且つ当人以外に迷惑を掛けないものであれば、鬼が立会いの下、何でも賭けることができるとのこと。
いやなら同意しなければいい。無理強いは出来ない規約になってると結んだ。
経営者は言葉を濁しているが、要はこの大会は大規模な公認『真剣』将棋大会というわけだ。
具体的な賞金金額が定まっていないのは、選手から参加料を集めて優勝者が総取りというシステムだからだろう。
当然渡される賞金は、諸経費や地霊殿の利益分などを引いたものだが。
しかしそれでも参加者多数のこの大会では、優勝して得られる金額が超高額であることに変わりない。我も我もと参加者は押し寄せてくるだろう。
次になんでも願いを叶えてくれる権利。これを選ぼうものなら、さとりの笑いは止まらないだろう。
願いの内容が『さとりのできる範囲』と決まっており、あまりにも無茶なものは弾かれるようになっている。
先ほどの例えの、豪邸を建ててくれというものにしても、莫大な利益の中から半分も予算に回せば、十分に豪華なものが建つだろう。
説明してくれた経営者に礼を言うと、椛はこの大会に参加するか否かを考え始めた。
優勝賞金が高額とはいえ、参加料が高く、非常にリスクが高い。払えないこともないが、ほぼ所持金の全てを持ってかれてしまう。
もし負ければ、町の道場で『真剣』が指せなくなる。それはつまり、職の無い椛の収入源が無くなるということだ。
わざわざ死にに行くようなものじゃないか。大会中、ただの一度の負けも許されないなんて。
……いやまて。今と変わらないじゃないか。今だって負ければほぼ一文無しになってしまう。リスクという点では、大して変わってない。
ならば、一発逆転を賭けて参加するのも手じゃないのか。
賞金を貰って今よりいい部屋へ移ろう。それよりも家を建てるのもいいな。鬼にお金を払って、小さくても立派なのを建ててもらおう。
そして残ったお金で酒を浴びるほど飲もう。毎日飲んだっていいんじゃないかな。
…あれ?そういえば家を建ててくれと願えば、鬼がやってくれるんだっけ。
ならば家を建てるんじゃなく、他のことをやってもらうことも可能なんじゃないか?
例えば、そう、妖怪の山の天魔様に命令することも。そして私が山に帰れるように話をしてもらうことも。鬼ならば容易いことだろう。
ひょっとしたら、私が天狗社会の頂点に立つことも-----
椛は、完全に参加する気になっていた。
*
「それで?参加するにはお金だけ用意すればいいの?」
小傘は、地霊殿入り口前に設置されていた大会参加者受付にて、スタッフの一人、火焔猫燐に説明を受けていた。
「あとはあっちの用紙に名前を記入するだけさ。お金は当日集めるから、今払う必要は無いよ」
「ふ〜ん」
小傘が地霊殿を尋ねると、何やら大勢の妖怪が集まり、列を成していた。
何事かと周囲を窺っていると、列を誘導している、いかにも関係者な妖怪が居たので話を聞いてみたところ、説明をしてくれた。
その中に気になる事柄があった。
なんでも一つだけ願いを叶える権利。
これはチャンスではないだろうか、と小傘は思った。将棋は命蓮寺で何度も指し、それなりの勝率を上げている。弱くはないはずだ。
それにこの権利を使用すれば、確実に早苗を診てもらえる。参加料は治療費だと思えばいい。
だが、それにはこの並み居る妖怪達を倒し、優勝しなければならない。自分にそれが出来るのだろうか、とも思った。
小傘が参加するか否か思案していると、
「あれ、小傘じゃん。こんな所で何してんの?」
受付を行おうとやってきたぬえと鉢合わせした。
「ぬ、ぬえちゃん!ぬえちゃんこそ、何でここに居るのさ??!」
小傘は命蓮寺を黙って出て行ったため、非常に気まずかった。
ぬえの方はというと、そんな小傘の気持ちなどどこ吹く風といった感じの、明るい口調で言葉を返す。
「私?実はね-----」
ぬえはここに来るまでの経緯を話した。
白蓮の現状のこと。いろいろな案を試したこと。さとりの協力を仰ごうとしていること。
そんな時、この将棋大会に優勝すれば、さとりがなんでも願いを叶えてくれることを知ってここまで来たこと。
「さとりなら白蓮を救えるかもしれない。でも、正面から頼んだって適当にあしらわれて終わってしまう。
だったら、これに優勝して言うこと聞かせればいい。
これは、最後のチャンスなんだ!
小傘!私一人より、二人の方が確率が上がる!お願い、手伝って!!」
小傘の額から冷や汗が噴きだしてきた。ここで『いや、私は早苗を助けたいんだ』とは言えそうになかった。
白蓮がそうなった原因に、早苗が深く関与しているためである。
かといって断ることも出来そうにない。
数日とはいえ白蓮には世話になり、恩を感じていた。それを仇で返すなど言語道断であると、理性が告げる。
小傘の胃が、またしても痛み出した。
早苗の頼みで命蓮寺に潜入して以来、小傘は自分の行動に疑問を持っていた。
白蓮と阿求の会話を盗み聞いた事も、本当に良かったのか、未だに考えている。
二回目の報告が数日遅れたのも、本当にこのまま早苗に情報を流してていいものなのか、悩んでいた為であった。
文字通り、胃に穴が開くほど悩んだ。
目の周りには隈ができ、キリキリと胃が痛むようになった。早苗にそれを指摘されたが、何でもないで押し通したのだった。
ぬえは小傘の様子の変化に、どうしたんだろうと首を傾げた。
小傘は、その何の疑いも無い瞳で見詰められ、胃の痛みが増していくのを感じた。
(どうしよう、どうしよう!どうしよう!!どうしよう!!!どうしよう!!!!)
*
「………はい、書き終ったよ」
霖之助は、さとりから手渡された、生暖かい将棋大会申し込み用紙に必要事項を記入し終え、用紙をさとりへと返した。
さとりは受け取った用紙を一通り目を通し、記入漏れが無いことを確認する。
「なあ、一つ聞いてもいいかな?」
「『なぜ、僕を将棋の大会に参加させるのか?』ですか。それには二つ、理由があります。
一つ目は、この大会で貴方が優勝すれば賞金は払わずに済むからです。全額私の懐へと収めることが出来る」
「…僕が賞金の方を選んだら?」
「その時は魔理沙さんとは永遠にお別れですね。私は映姫様と話すこともしません。
貴方の目的のためには、勝って、私に願いを叶えさせるしかないのです」
「僕が勝ったら願いを叶えてくれるという保障は?こんな口約束のようなもの、反故にされそうなものだが」
「それは大丈夫です。約束を反故にした場合の、私が得る利益と損益を考えてみてください。
ほんの僅かな労力を惜しむことで、私は約束を、大会の景品を支払わない守銭奴と地底の妖怪達に認識されてしまうことでしょう。
そうなればもう、この大会は成り立たない。この莫大な利益を生む手段を手放すほど、私は頭、悪くないですよ」
「……二つ目の理由は?」
「それはまだ秘密です。双方勝ち進んでいけばいずれ分かりますよ。その時は、是非とも私を愉しませてくださいね」
双方という言葉に霖之助は疑問を抱いた。どうやら誰かと霖之助を対戦させたいようだ。
関係ない。全員抜いて優勝する以外に道はないのだから、と霖之助は決意を新たにする。
「ところで霖之助さん。大会までまだ日があるわけですが、どこか宿はお決まりですか?」
「?いや、決めてないが」
「それはよかった。もしよければ、ここに泊まって行きませんか?」
「ありがたい話だが…」
「なに、宿代としては、こっちの方で私を愉しませてくれれば-----」
さとりはそう言いながらまたしても自身のスカートの中を弄り、今度は穿いていた下着を下げた。
それを見た霖之助は立ち上がり、
「そういうことなら、僕はこれで失礼する」
さとりに背を向け、応接間を出て行った。
一人残されたさとりは、
「……まあ、いいですか。もうすぐこんなことより、何倍も愉しめることが始まるのですから。
うふふ、ふふふ、あっはははははは!!!!!」
屋敷中に響くほど大きな声で笑い出した。
*
大会当日。
地霊殿の大広間には無数のテーブルと将棋盤が設置されていた。
そして会場入り口の横には大きな紙が貼り出されていた。対戦の組み合わせ表である。
トーナメント方式で行われるらしく、遠目ではお椀形の山を画いたようにしか見えない、巨大あみだくじのような線が所狭しと引かれていた。
その山は四つに区切られており、下にそれぞれA会場,B会場,C会場,D会場と振ってあった。どうやらブロックごとに会場を分けているらしい。
『あ〜〜テステス。えーーお集まり頂いた皆様。ただ今、対局開始五分前でございます。
速やかに指定の席に着き、開始の合図をお待ちください。
なお、決勝、準決勝、準々決勝を除く試合は全て『持ち時間十分切れ負け(※2)』ルールを採用させていただきます。
(※2:タイムリミット制。持ち時間が無くなったら秒読み無しで即負け)
対局が終わりましたら、速やかに結果をスタッフまでお知らせください。
皆様ご承知のとおり、本日、大変多くの人妖が参加されています。
時間が押しますと、大会の進行に支障が生じかねませんので、皆様のご協力をお願いします。
なお、今大会では感想戦はご遠慮いただきます。
トラブルや時間の遅れが出ないよう、迅速かつマナーを守って頂くよう、お願い申し上げます』
会場にアナウンスが流れると、参加者はぞろぞろと指定された自分の席へと向かう。
それに倣い席へと着く。そして何度か深呼吸し、集中力を高めようとする。
だが、
(よし、優勝したらまずは酒だ。久しぶりに大酒食らって喰らって、潰れるまで飲む!!そのあと残りの資金で豪邸を建てる!!)
どうにも雑念が入ってしまい、集中しきれない。
暫らくすると、対局相手が盤を挟んだ向かい側に座った。
相手は一瞬眉を顰めたが、すぐに無表情に戻り、深呼吸を繰り返した。
相手は物凄い集中力を持っているのだろう。気迫が突風のように押し寄せ、体が後ろに押されるような錯覚に襲われる。
(ま、負けるもんか!!負けたら、私にはもう後が無いんだ!!)
お燐が再びマイクを手に取った。
『時間でございます。それでは、対局を始めてください!!!』
歩を五枚取り、振る。裏が三枚。先手は相手側だ。
「「よろしくお願いします!」」
そして開始から五分が経過した。
(ま、まさか、そんな!!この私が一回戦で!!!)
図1 (先後反転図)
32手目、有効な手が△5一王しかない。そう動かすと、相手に▲6三桂と打たれ、完全に詰んだ。
「ま、ま、まけ、ま、した……」
投了を告げ、頭を下げた。
相手は、
「…ありがとうございました」
と言うと席を立ち、スタッフに勝敗を告げに行った。
(お、終わった…たった五分ちょっとの時間で……全部終わってしまった…
私の酒も、豪邸も、有り金も、全部泡となって消えてしまった…これからどうすれば…)
頭が混乱し、うまく考えがまとまらない。後悔と自責の念が次々と沸いてくる。
今思い返せば、悪手ばかり指していたことに気付く。
あの時こう指せば…いやあの手を指せば…という、案が今更になって浮かんできた。
だがどんなにいい手が思いついても時既に遅く。勝敗が覆ることは、無い。
腰につけた、酒の入った瓢箪を手に取り、栓を開け、ゴクゴクと飲み始める。
(飲め!飲まなきゃやってられん!!ちくしょう!!!)
ふと頭を上げると、スタッフがトーナメント表に近づいていくのが見えた。
スタッフは、トーナメント表Cブロックの犬走椛の名前の横に白丸を付け、線を二回戦まで太くなぞっていく。
そしてその横の、伊吹萃香の名前の横には黒丸を付け、立ち去っていった。
(くそ!あの白狼天狗がここまで強いとは!
……はあ、マジでどうしよう。お酒は紫になんとかしてもらうとして、壊しちゃった神社の修繕費までは出してくんないよな〜
つか、紫まだ冬眠中じゃん!早く起きないかな〜。もうすぐのはずなんだけどな〜)
萃香は、とある出来事によって博麗神社を損壊させてしまっていた。
霊夢には『私が修復するよ。それどころか、こんな小屋みたいな神社じゃなく、豪邸に建て替えてみせる!』と言ってしまっていた。
いくら鬼が建築が得意といっても、材料が無ければ話にならない。その費用を稼ぐために有り金叩いて参加していたのだ。
神社の損壊、そして修繕が終わるまでにはさまざまな出来事が起こるのだが、それはまた別のお話。
*
D会場では、小傘が対局していた。
結局、小傘はぬえに断りの言葉は言えなかった。
白蓮と早苗、どちらも救いたい気持ちがあり、なんとか両方救えないかと思案する。
だがそれにはまず、願い事を言うときに、ぬえに聞かれないようにしなければならなかった。
早苗を救いたいということを知られれば、ぬえは激怒するに違いない、と小傘は思っていた。
ぬえにしてみれば、早苗は白蓮をあの状態にした犯人でしかなく、殺したいほど憎んでてもおかしくない、と。
幸い、小傘はDブロック、ぬえはBブロックと、決勝までぶつかる事は無い。考える時間はたっぷりある。
今一番の問題は、さとりに願いを伝えるときの状況が分からないことである。
参加者全員の前で言うのか、場所を変えて二人っきりで言うのか。いくら考えても結論は出なかった。
とりあえず参加し、後の事は運に任せ、目の前の一局一局に集中することにしたのだった。
小傘の一回戦の対局は、後手番で行われることとなった。
相手の妖怪は、▲7六歩、▲2六歩、と定跡どおりの始め方を指した。
小傘は△3三歩、△4四歩と、角交換を拒否した手順を指す。
振り飛車を予想した妖怪は、▲4八銀として、それに備える。
小傘の銀が、△4二銀、△4三銀、と上がってきた。
図2 (先後反転図)
妖怪は、小傘の戦法が四間飛車であると考え(※3)▲6八王と戦場になるであろうエリアから王を遠ざける。
(※3:具体的には飛車を銀の後ろに移動させ、そこから攻めてくると予想した)
「………」
それを見た小傘は一瞬考えてから次の手を指した。
局面がどんどん進むにつれ、小傘の戦型がはっきりしてきた。
図3 (先後反転図)
相手の妖怪は、小傘の戦型を見ると、訝しげそうな表情を浮かべた。
小傘が採用したのは、雁木戦法だった。
この戦法は右桂、右銀、角、飛車を使った破壊力のある攻撃が魅力ではある。
しかし、分厚い正面に比べ横からの攻めに弱い為、あまり人気の無い戦法だった。
だが小傘は、まるで傘の形状を模したかのような陣形の、この戦法を気に入っていた。
人気が無い、古臭い戦法だと言われようが構わなかった。
(どんなにみっともなくてもいい。誰が相手だろうと、粘って粘って粘って、必ず勝ちに食らい付く!!)
対局は、そんな小傘の思いを表すかのように、攻めては受けられ、攻められては受けの一進一退の攻防を繰広げた。
そして-----
図4 (先後反転図)
(ココだ!!!)
小傘は駒台から銀を取り、7八の地点に打って王手を掛ける。
妖怪は自分のミスに気付き、ああぁ?!!と思わず声をあげた。だが悔やんでももう遅い。仕方なく▲7八同金と指す。
小傘はすかさず△7八同銀不成と指した。もう、王がどのように逃げても追い詰められてしまう状態、詰みだった。妖怪は投了した。
(よし!まずは一勝!!)
小傘はなんとか二回戦へと進む。
*
ぬえの相手は、対局を始めてたった2手目にて、いきなり手が止まった。
図5 (先後反転図)
▲7六歩と角道を開けたのに対し、後手番のぬえの初手は△4四歩。これではぬえの歩がタダで取られてしまう。
指し間違いか、そもそも将棋を知らないのか。楽勝のカモだぜラッキー、と思った相手の妖怪は、笑いだしたいのを懸命に堪える。
だが、抑えきれずに口から僅かに笑い声が洩れてしまう。そんな妖怪に、ぬえはマナー違反だとは思いつつも話しかける。
「何がそんなに可笑しいの?そっちの手番だよ。いつまでも笑ってないで早く指して」
ぬえに促され、妖怪は▲4四同角と指す。次の瞬間、ぬえの表情がニタァ、と笑顔に変わった。
それを見た妖怪は、一転して怪訝な顔をする。
「かかったね。アンタ、緊張感無さ過ぎだよ。初心者じゃないんだから。初手でいきなり指し間違えるなんて事、ありえると思ってるの?」
ぬえの言うことももっともである。妖怪は急に不安感や焦燥感に襲われた。
「勝負事の恐怖を忘れた妖怪よ!正体不明の戦法に踊らされて死-----」
ぬえが台詞を言い切る直前、ゴツンッ、という重い音が会場に響いた。
妖怪は音の発信源であるぬえの頭上を見る。そこには八角形の棒状のものが乗せられていた。
その棒の先には黒いスーツをビシッと着こなした豊満な体の女性が一人。
大きく自己主張する胸部の左側には『大会運営管理委員』の文字が入ったプレート。黒スーツはスタッフの制服代わりらしい。
妖怪がカッコいいな〜と見とれていると、
「うにゅーー!!!何を騒いでるの?!!対局中は静かに!!!!あんまり騒がしいと失格にするよ!!!!」
そのスタッフの女性、霊烏路空は右手の制御棒をブンブンと振り回しながら大声で叫びだしだ。なんと言うか、いろいろと台無しだった。
周りの参加者は、お前が一番騒がしいよ、とか、黙ってればカッコいいのにな、等々と心の中でツッコむ。
ぬえは決め台詞を言い切れなかった不満を表情に出し、痛む頭を擦りつつ、飛車を掴み△4二飛と指す。
図6 (先後反転図)
それを見た妖怪は、少し迷った。
角が狙われているので、▲5三角成とかわさなければならない。だが、そうすると△4七飛成となり、いきなり王の目前に龍が現れることとなる。
相手の目前にも馬がいるので同条件ではあるが、まるで互いの喉元にナイフを押し付け合っているかのような局面に、妖怪は少し気後れした。
それも無理からぬ事だ。両者の手数を合わせて、たったの6手。この極端に短い手数でいきなり終盤戦へと突入してしまうのだ。
ちらっ、と妖怪がぬえの方を見ると、ぬえは歯をむき出しにした、肉食獣のような笑顔であった。
(油断したな!!正体不明の戦法を相手にする恐怖を思い知れ!!)
妖怪は、その挑発的な表情に、気合負けしてなるものかと、▲5三角成と指した。
ぬえは、寺では村紗や雲山、白蓮の腕力にモノを言わせたかのような、強引な力将棋を相手にしてきた。
ここから力戦になった場合の捌き方は十分に研究済みである。
この局面は、いわばぬえの土俵であり、それと知らずに突撃してきた妖怪は既に掌の上。
妖怪の、最初の駒得もどこへやら。ぬえが徐々にリードを増やしていき、そして-----
図7 (先後反転図)
難しい力戦を、ぬえが制した。
*
Aブロックの端。
霖之助の初戦の相手は、優勝候補の一人と言われている妖怪だった。おそらく実力は妖怪の方が上だろう。
この組み合わせに、霖之助は作為的なものを感じた。
(これはさとりの仕業だな。なるほど、簡単には優勝させてもらえないという訳だ。
もしかしたら、あの時の誘いを断った仕返しかもしれないな。
だが関係ない。どんなに強い相手をぶつけられようと、全て蹴散らせばいいだけだ!)
妖怪が駒を振る。裏が三枚。霖之助の先手だ。
霖之助は自分の顔を両手で叩き、気合を入れなおす。
「「よろしくお願いします」」
▲7六歩。△3四歩。▲7五歩と指したところで妖怪の手が一瞬止まる。妖怪は△8四歩と指す。霖之助は▲7八飛と指した。
霖之助の戦法は、早石田流三間飛車だった。
妖怪は暫らく考えた後、△8五歩と、飛車先を伸ばす。
霖之助には、相手が『かかって来い!!』と言っているように感じられた。
(さすが優勝候補と言われてるだけはあるな。凄い自信だ。だがこっちだって負けていられない!一気に行くぞ!!)
霖之助は歩を掴み、気合いを載せて盤へ叩きつけるように指す。バチィ、と会場中に高々と駒音を響かせた。
図8
7手目、▲7四歩。この手は江戸期において悪手とされ、成立しない仕掛けとされていたものである。
しかし近年、外の世界のプロ棋士が再度研究しなおしたところ、仕掛けとして有効であることが判明した戦法である。
(地底は地霊騒動が起こるまで完全に隔離されていた。つまり、この最新定跡を知らないはず!!)
そして三分後。
図9
(ちっ、馬を作られたか(※4)。だがまだだ!まだ形勢は悪くない!)
(※4:馬は金銀三枚の働きといわれてるほど強力な駒。序盤、相手に馬があると怖い)
定跡を知らないとはいっても、そこは優勝候補の妖怪。時間をかけて先を読み、対応していく。
一筋縄ではいかないと思った霖之助は、一度攻撃の手を休め、王を囲う。
妖怪もこの隙にとばかりに王を囲った。同時に互いジリジリと力を溜め、次の攻撃に備える。
そして霖之助が先に仕掛ける。
図10
そこからは互角の勝負を繰広げた。
途中の妖怪のカウンターにも耐え、受けきった。
このとき霖之助は妖怪の攻めに少し粗さを感じ、疑問に思ったが、対局時計を見て納得した。妖怪の持ち時間は、既に30秒を切っていた。
序盤の、見慣れない戦法を見切るために時間を費やしすぎたのだ。ここからはノータイムで指すほか無い。
対して霖之助はまだ3分以上残っている。チャンスと判断した霖之助は攻めを再開させる。
図11
その猛攻に、妖怪は攻め駒である馬を切るしかなかった。
△4六馬と指して霖之助の角を払う。当然霖之助は▲4六同金と馬を取った。
攻め駒が無くなり、持ち時間も僅かになった妖怪は、ここで投了した。
*
Aブロックの、霖之助とは逆側の端。
古明地こいしは姉であるさとりのため、スタッフとして懸命に働いて-----
「よろしくお願いしまーーす♪」
-----いなかった。会場の外で参加者の一人を(背後からバールのようなもので殴り)倒し、その人物に成り代わって大会に参加していた。
こいしは対局者に挨拶をすると盤の前に座る。対局者は黄緑色の着物に、顔に狐の面を被っていた。
対局者は挨拶を返すと、こいしに話しかけてきた。
「貴女は確か、古明地さんの妹、ですよね」
「そうだよ。貴女、私を知ってるの?どこかで会ったっけ?」
「……貴女は有名ですよ。覚り妖怪でありながら、心を読む第三の目を閉じたという」
「ふ〜〜ん」
こいしはあまり興味が無さそうだった。
対局者は構わず話しかける。
「なぜこの大会に参加を?お金が欲しいなら、お姉さんに言えばお小遣いを貰えるのでは?」
「お金?ううん、お金じゃないの。欲しいのはお姉ちゃん。
この大会に優勝してお姉ちゃんとウフフな事をしろ。そうしろって囁くのよ、私のイドがね」
こいしは指をわきわきさせながら答えた。対局者は、
「……大した理由は、無いのですね……」
ぼそっと呟いた。
「ん?何て言ったか判らないけど準備できた?そろそろ時間だよ。誰も見たことの無い、無意識に潜む手筋を見せてあげる!」
そして開始の合図が会場にアナウンスされる。
対局者が駒を振る。表が3枚。こいしは後手番となった。
図12 (先後反転図)
局面は、互いにノーガードで始まった。王をほとんど動かすことなく、激しい殴り合いが開始される。
そして-----
図13 (先後反転図)
「追い詰めた!」
先に王手をかけたのは、こいしだった。
「…やりますね。だけど、まだ詰んでません。喜ぶには早いですよ」
対局者は▲7八王とかわす。
こいしはたたみかけるように攻めた。しかし、全て、ひょい、ひょいと、かわされてしまう。
こいしの攻めが一手途切れた瞬間、今度は対局者が王手をかけてきた。
図14 (先後反転図)
そこから一切攻めが切れることはなく、徐々に追い詰められる。そしてついに-----
図15 (先後反転図)
こいしの王は逃げ場を失ってしまった。まったく無駄の無い詰め将棋であった。
「ありゃ、負けちゃった。お姉さん強いね」
「いえいえ。貴女も大変お強いですよ」
対局者は席を立ち、スタッフに勝敗を告げる。
こいしは対局者の背中を見つつ、どこかで聞いた声だったなぁ、と思い出そうとしていた。しかし、
「まっ、いっか!それより次の作戦を考えなきゃ!」
途中でどうでもよくなってしまい、それ以上は考えなかった。
*
『え〜。これより1時間、昼食休憩と致します。
事前にお弁当の申し込みをされている方は、地霊殿入り口横の、特設テントまでお越し下さい』
このアナウンスに小傘は、ふぅ、とため息をついた。
もう数えるのも嫌になるほどの対局を勝ち進み、ようやく一息つける時間がきた。
朝からずっと指しっぱなしで空腹だった。早めに食べて残りの時間はのんびり落ち着こうと考え、弁当支給場所へと急ぐ。
そこでは、既に長蛇の列が二本、出来上がろうとしていた。
どちらに並ぼうかと考えていると、左の列の先頭からぬえが弁当を二つ抱えて出てきた。ぬえは小傘を見つけると、
「お!居た居た!ほら、お弁当。小傘の分も確保したから一緒に食べよ〜よ」
と言いながら駆け寄ってきた。
これが普段なら嬉しい申し出だが、正直なところ、現在の小傘に和気藹々と会話しながら食事を楽しむ余裕は無かった。
できることなら、独り静かな所で、ゆっくりしたかった。
だが、折角の好意を無碍にも出来ず、差し出された弁当を受け取るほか無かった。
「さて、どこで食べようか」
「う〜ん、静かな所がいいな〜」
二人はキョロキョロと辺りを見渡す。一応休憩所もあるので行ってみる。
ぬえは『休憩所』と張り紙された部屋を見つけると、部屋のドアノブに手をかけ、捻り、引いた。
次の瞬間、紫煙が部屋から溢れ出すと同時に、タバコ特有のニオイが鼻を劈くかのように刺激した。
喫煙家の参加者が、部屋を満たさんとばかりに、それぞれの口から煙を吐き出している。
ぬえはそのまま、バタンッ、とドアを閉めた。
「ここはダメだね。とてもモノを食べれる環境じゃあない。……つーか、換気しないのかよ!」
「きっと、地霊殿の人たちはタバコ吸わないから、どうしたらいいか分からないんだよ。この分じゃ、他の休憩所も同じだね」
どうしようかと屋敷内を彷徨い歩いていると、前方に黄緑色の着物で顔に狐の面を被った人物が、スタッフと共に歩いているのが見えた。
そのスタッフの手には、いかにも高級食材が詰められてそうな、黒光りする重箱が抱えられていた。そして、そろって応接間の一室に入っていく。
ぬえと小傘は、それぞれ自らの手にある、いかにも大量生産で安く仕上げましたと言わんばかりの、使い捨て厚紙式弁当箱を見つめた。
ふと、小傘はその人物を会場で見たことを思い出す。
「さっきの、人?は多分、参加者じゃなかったかな?」
「え?あれも参加者?!それなのに、あのなんだか凄そうな重箱なの?!何たる格差!何という差別!!ブルジョアジー!!!」
ぬえは地団駄を踏むと、ふと何かに気付き、前へ歩き出す。小傘もそれについて行く。
「ど、どうしたの?」
「ほら、さっきの奴が入った部屋の向こう側。隣の部屋、空いてるよ」
ぬえの指差す方向には、ドアの開け放たれた部屋があった。入り口の横には『応接間 2』とあり、その下には『空室』とあった。
「やった!丁度良く空いてんじゃん!ソファもテーブルもあるし!ここで食べよう!」
「い、いいのかな?怒られない?」
「大丈夫大丈夫。こうすれば、他に誰も来ないよ」
ぬえは、『空室』になっていたスライド式の表示を動かし、『使用中』に変えた。
「これなら他の参加者は来ないし、スタッフもいきなりは入ってこないでしょ!」
「う、うん…」
ぬえは、どかっ、とソファに座り込む。小傘は対面側に遠慮がちに、ちょこん、と座る。
それじゃ食べようかと弁当の蓋を開けた時だった。
「……ん?」
小傘側の壁から、ぼそぼそと話し声が聞こえてきた。
「どしたの?」
「いや、隣の部屋の話し声が……」
「そっち側って、さっきの重箱の奴が入った部屋じゃん!どれどれ♪」
ぬえはテーブルを跨いで越えると、小傘の後ろの壁に耳を当てた。
小傘は、盗み聞きはよくないよ〜、と諭す。
ぬえは、聞こえてくるんだからしょうがないよ、と返す。
結局、小傘も気になり、一緒に壁に耳を当てた。
---ガチャ バタン
---ああ、これはこれは。私なんぞの為に個室を用意していただき、ありがとうございます。それにこのような豪華な食事まで
---いえいえ御気になさらずに。アナタの対局、全て見させて頂きました。素晴らしい棋力をお持ちで
---とんでも御座いません。現に、貴女の妹様にはあと一歩のところまで追い詰められましたよ
---またまたご謙遜を。あのかわし方は、そこらの妖怪ではできませんよ。そう。アナタが生まれる遥か昔から将棋を指してる妖怪にもね
---………
---やはり強さの秘密は、その能力ですか?
---ええそうです。私のこれは、将棋の研究に持って来いの能力なんです。しかも、大会規定に触れませんからね
---それはうらやましい。私の能力では、そもそも相手が指してくれないもので。反則だあぁ、てね
---まあ、よく考えなくともズルイ能力ですもの
---それはそうと、優勝された際の、要望はもうお決まりですか?
---ええ、勿論。私が優勝したら、先日地上で起こった事件の隠蔽及び秘匿をお願いします
---事件…の、隠蔽?
---そう。私の計画が台無しになった事件です。
折角、寺の尼公を騙したり、各所に根回ししたり、苦労して創りあげたものが全部!
あの女のせいで。あの、東風谷早苗のせいで
ぬえと小傘は、真顔になった。自然と手は拳をつくり、力が入っていく。
---あの女のせいで、私は全てを失ってしまった。だけど、まだ終わってません。
まだ私はこうして生きています。生きてさえいれば、やり直しは出来ます。
でも、一から全てやり直す為には、あの事件のことを里の人に知られる訳には行かないのです。
結果的に里の為になるとはいえ、里の人間を殺したり、傷害事件を誘発させたりしましたからね
---…それを今、ここで話してしまって、よろしいのですか?
---問題ありませんよ。そもそも、隠せるとも思いませんし
---そうではなく-----
---優勝すれば、問題ありません。その為に、願い事として『秘匿』を出しているのですから
---…貴女がそう言うのなら、それでいいのでしょう。
ところで、邪魔をしたという、東風谷早苗はどうしてるんです?彼女は事の全てを知っているのでは?
---最近知ったのですが、あの女は意識不明で、入院しているそうです。今、手を打てば間に合います
---言っておきますが、殺害の依頼は受けませんよ。この大会はあくまで皆で楽しむものです。賞品はオマケです
---分かっております。この大会が終わったら、私自身が始末をつけます
---そうですか。それと-----
---バンッッ!!!
---失礼します!!
---何事です?
---表の方で-----
---『騒ぎが起きたから来てくれ』ですね。スタッフの鬼達はどうしたんです?こういう時のために雇っているのですよ
---それが、参加者の中に、鬼の四天王である伊吹萃香様がいらっしゃいまして。
どうやら敗退してしまったらしく、自棄酒をお飲みに。そして酒の匂いに気付いた鬼達が集まって残念会を-----
---…もういいです。分かりました。私が行きましょう
---!! こちらです!
ここまで聞いたぬえと小傘は、壁から耳を離した。
もう、ゆっくり弁当を食べれる雰囲気ではなかった。
*
椛は休憩となった後、すぐさまトイレへと駆け込んだ。
このような大人数のイベントでは、必ずといっていいほど女子トイレは混雑する。
後で行こうとして混雑に巻き込まれたら、開始時間に間に合わない可能性がある。それを避ける為である。
早々に済ませ、さて弁当を受け取ろうと支給場所へ辿り着くと、そこは長蛇の列が二本、出来上がっていた
その列の先頭、テントの下ではスタッフが弁当を配っている。
数分後、右側の列に並んだ椛はようやくテントの下まで辿り着く。
スタッフが弁当を手に、椛へ差し出す。椛は弁当を受け取ろうと手を伸ばし、掴み損ねた。
「あ、文さん!!どうしてこんな所に!!」
そのスタッフとは、射命丸文だった。
文の目に光は無く、受け取らない椛を後回しに、後ろの妖怪達へただ黙々と弁当を配り続ける。
いくら椛が叫んでも、文はまったく反応を示さなかった。
「何をそんなに叫んでいるのですか?」
そこへ、騒ぎを聞きつけたさとりがやってきた。おろおろしていたスタッフが数歩引き、さとりの正面に道ができる。
「貴女がさとりか!何故文さんが此処に?!それに様子もおかしい!文さんに一体何をした!!」
「何をした?この鴉天狗は私のペットです。『躾』をするのは当然じゃないですか。
……ははぁ。貴女とこの子は恋仲だったのですか。それはそれは。ふふっ」
突如笑い出したさとりに腹が立ち、椛は口調を荒げる。
「何がおかしい!!今すぐ文さんを元に戻せ!!そして文さんを返してもらいます!!」
「それは出来ませんね、レズでネコ(※5)のお嬢さん」 (※5:性行為で受動的な側。受けともいう。対義語はタチ、攻め)
さとりは椛の性癖を大勢の前で暴露するという行動に出た。椛はこの辱めに、奥歯を強く噛み締め、耐える。
さとりは続けて話す。
「先ほども言いましたが、この子は私のペットです。
欲しいのなら、大会に優勝して私にお願いすればいいじゃないですか。そうすれば、ぜーんぶキレイにしてさしあげましょう」
「くっ!!分かった!その言葉、忘れるなよ!!」
椛は文の方へと振り返ると、
「文さん、待っててください。必ず貴女を助けに来ます。そしたら、一緒に山に帰りましょう」
と語りかける。文は一切反応せず、機械のように弁当を差し出すだけだった。
さとりがそうそう、と思い出したように口を開く。
「貴女、鬼に仲介してもらって山に帰る気なのでしょう?どちらを取るんです?
自分だけ山に帰るか、私のペットを取るか。先に言っておきますが、両方はダメですよ」
「な?!両方とも大した願いじゃないだろ!」
「貴女、規約にキチンと目を通しましたか?賞金か、『一つだけ』願いを叶えるとあったはずです」
椛は将棋道場で受けた説明を思い出す。確かに経営者はそう言っていた。
「さとり!!まさか-----」
「『私を嵌める為に仕込んだのか』ですか。いいえ違いますよ。これは全部偶然です。
そもそも、貴女が地底に居て大会に参加していることも、このペットと恋仲であることも、私はたった今まで知らなかったのです。そして……」
さとりは言いかけて、止める。椛は怪訝な顔を浮かべた。
「いえ、これは言わない方がいいでしょう。今の貴女には関係の無いことですし。
…私の発言を気にしている場合ではありませんよ。貴女が現在考えなければいけない事は、先ほどの二択です。
回答は貴女が優勝した時でいいですから、それまでよーーーく考えて、後悔のない結論を出してくださいね」
さとりは言い終わると、踵を返し、応接間へと戻っていく。
椛は虚ろな目の文を暫らく見詰めた後、文から弁当を受け取ると、その場で蓋を開け、手づかみでガツガツと食べ始めた。
味わっている様子は無く、とにかく腹に収めればいい、という考えが見て取れる食べ方だった。
(負けられない!!絶対に負けられなくなった!!
さとりめ!!何が二択だ!何が後悔のない結論だ!そんな二択、とうに答えは出ている!!
あとは優勝するだけだ!誰が来ようと、絶対に私が勝つ!!!)
応接間へと戻る途中、さとりはお燐に先ほどのやり取りについて聞かれていた。
「え?先ほどの話ですか?」
「そうです。本当に、何も知らなかったのですか?」
「ええ本当です。全部、偶然です。
……何です?私が嘘を言ったと思ってたのですか。心外ですね」
「い、いやいや!そんなつもりじゃあ…」
「まあ、そう思うのも無理はありません。私ですら俄には信じ難いのですから。
さっきの白狼天狗も、唐傘妖怪も、鵺も、半妖の男も、そしてあの人間も。
それぞれの目的の為には私が必要。そしてタイミング良く行われる、私に願いを叶えてもらえる権利を賭けた大会。
ふふふ。そう、全ては偶然、のはずだった。
まるで示し合わせたように集まった五人の人妖。これはもう単なる偶然なんかではありません。
もし偶然を操る神が居るとしたら、その神はどうしようもなく根性悪ですねぇ。
まあ、おかけで私は思い掛けない、面白そうな催し物を最前列で見れるわけですから、感謝しなくては。
おそらく今日という日は、後々まで語り継がれる、それこそ歴史に残るような最高の一日になりますよ!!」
タンドリーチキンさんのさとりもクソッタレですか。
このさとり、最終的に一番の道化になったりして…。
おぜうさま!!何してんだか!!
生悪な運命の神様は自分が楽しむために人を弄ぶのであって、
断じてさとりのためではないことに御本人が気付けるのかな?
さて、それぞれ退けない願いを持つ者達が集まってきたがいったいだおうなることやら
そしてそろそろ事件の真相にも迫れそうだな
気になるぜ
読みなおしてきまーす
そして、さとり様が素敵過ぎるw
てゐは何があったんだ?さとり様に何かされた?
…しかしこのさとり様はフラグ立てまくりな気がしてならない
後編、楽しみにしております。