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『理想的な彼女のつくり方』 作者: sako
その部屋はモノトーンだった。
白い壁。ステンの机。グレーの椅子。扉の取っ手はシルバーに輝き、天井には白色光が輝いている。腕を組んで座っている男はダークグレーのスーツを着て、壁にもたれ掛かって灰色のシャープペンシルでメモをとっている男のスーツもブラック。ネクタイは白と黒のチェック。全てがモノトーンで出来ていて空気さえも灰色だった。
「………」
そのまっただ中でただ一人まるで境界線で区切ったように椅子に腰掛ける少女だけは色を持っていた。
「………蓮子」
悲哀の色を。
「えっと…、マエリ…ベリー・ハーンさん」
ダークグレーの男がそう言いづらそうに少女の名前を呼んだ。
マエリベリー・ハーンと呼ばれた少女―――メリーははい、と小さく消え入りそうな声で返事した。視線は上げず俯いたまま、微動だにしていない。傷心の極み、と言った様子に男はやりずらそうに僅かに眉を潜めて見せた。それも一瞬。資料と思わしきプリントから顔を上げるとさて、と言った具合に話を切り出した。
「ハーンさん、一応、貴女と事件の関係はないと思われるのですが、そのないと思われる部分を絶対にないと言い切るようにするのが私たちの仕事でして」
スーツの男二人はメリーを部屋に入れる前に一応規則ですから、と自分たちの所属を示す手帳を見せた。鈍く輝く桜の大紋が取り付けられた黒革の手帳。男たちは警察官だ。それも街を巡回している派出所勤務の駐在などではなく本庁勤務の刑事たち。メリーは今日、病院から話が聞きたいとここまで連れてこられたのだった。
「ご友人が大変な時に申し訳ないのですが、暫くの間、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
僅かに破顔し、笑みを見せる刑事。笑っている人間に対しては警戒心を抱きにくい、それを逆手にとった彼らの職業特性。けれど、その効果はメリーに対しては髪の毛の先程にも通じなかったようだ。
「友人じゃない…」
「はい?」
俯いたままやはり聞きにくい小さな声を発するメリー。けれど、その声色は先程と打って変わり御影石の臼を碾くような重苦しい声だった。聞こえなかったのではなくどうしたのですかといった意味合いで疑問符を投げかける刑事。
と、
「友人じゃないわよッ!!!」
唐突に机を叩き、勢いよく立ち上がるメリー。瞳には涙、視線には怒りを浮かべ、先程の傷心の様も何処かへ追いやって世界中の全てを憎悪するよう、憤りに胸を満たしている。
さしもの刑事もメリーの豹変ぶりに驚き、半ば自動反射のように身構えた。修羅場をくぐってきているが故の条件反射。それも次の一秒で解除する。相手がひ弱な女子大生だと思い出したのだ。それでも一応、すぐに取り押さえられるよう肩の力を抜きながら落ち着いてくださいと刑事は言った。
「蓮子は…蓮子は…私の恋人なの…」
なだめすかす刑事の言葉も耳に届いていないのか、メリーは指が白くなる程強く拳を握りしめ、絞り出すようにそう口にした。刑事二人は一瞬、顔を見合わせる。
「何よ、何。貴方たちも、お前たちも、貴様らも、私と蓮子の関係をおかしいって言うの! ガチガチに凝り固まった古くさい脳の持ち主め。腐れ保守派が! 死ね、死んでしまえッ!!」
夜叉の形相で叫ぶメリー。顔を真っ赤に腕を振り回し、刑事二人を親の敵でも見るような目つきで睨み付けている。ちょっとでも不用意なことを言えば怒りにまかせて殴りかかってきそうな、そんな剝身の刃物みたいな雰囲気を纏っていた。
「私と蓮子は指輪だって交換したし、毎日手を繋いで大学まで行ってるし、キスも欠かさずしてる。エッチだってしたことあるのに…ああ、それなのに、それなのに…蓮子、蓮子」
またも唐突に感情のベクトルを大きく変動させる蓮子。怒から哀へ。急激な感情の変化に自分の身体さえついて行けないのか、メリーはその場に力なく崩れ落ちた。刑事が慌てて駆け寄る。おいおいと喉を枯らして蓮子は留処なく涙を流していた。
「落ち着いてくださいハーンさん。貴女と宇佐見蓮子さんが恋人同士なのは分りましたから、その宇佐見さんとのことを教えてください」
「蓮子…との」
涙を流しながらも自分の身体を支えてくれている刑事に顔を向けるメリー。はい、と頷く刑事。けれど、メリーがまともに反応したのはその一瞬だけだった。っ―――と一滴、涙を流すとメリーは俯いたまままたおいおいと泣き始めた。蓮子蓮子と大好きなあの子の名前を呼び続ける。まるで、そうすれば蓮子が応えてくれるとでも言うように。
けれど、蓮子は今―――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ねぇ、メリー、これ可愛くない?」
京都市内某所。カフェやブティック、ゲームセンターやカラオケ店が建ち並ぶ若者たちのストリート。その一角、アクセサリショップのショーケースのガラスに顔を近づけながら蓮子はそう隣にいるメリーに話しかけた。これ、と指さしたのはチョーカーに通すシルバーのアクセだ。獅子の頭のエンブレムからクロスダガーが伸びているデザイン。ショーケースの中、四方から光を当てられきらびやかに輝いている。その輝きを食い入るよう、蓮子は八方からためつすがめつ眺めた。瞳には銀色の輝きが写しだされている。すっかり魅了されてしまったようだ。
「そうかな…」
けれど、メリーは否定的にとれる言葉を返す。花柄やハート型、暖色系のいかにも女の子的なデザインを好むメリーからすれば男っぽ過ぎるのだ。お世辞にも可愛い、なんて言葉は出てこない。
と、
「何、メリー、私の趣味が変だって言うの?」
自分が気に入ったデザインを否定されたのか、蓮子は急に不機嫌な顔になってメリーを睨みつけた。
「そ、そんなことないわよ」
怒られたように萎縮し、しどろもどろになりながらも慌てて弁明するような言葉を返すメリー。しかし、蓮子の機嫌はそれだけでは直らないようだった。
「じゃあ、メリー。これ買ってよ。メリーも悪くないって言うんなら買ってくれるでしょ」
「えっ…」
蓮子の顔とショーケースの中のアクセサリとをメリーは交互に見る。しかめっ面の蓮子。アクセサリのタグに書かれた最高額紙幣二枚分の数字。
メリーは視線を泳がせた後、小さく分った、と応えた。ありがと、とお礼を言うと蓮子は店員を呼んだ。
「あれ…」
支払いの段階になってメリーは自分のお財布の中を見てしまった、と顔をしかめた。ピンク色の手に収まるような可愛らしい財布の中には蓮子が欲しがっているアクセサリを買う程の現金が残っていなかったのである。財布を出したまま固まってしまったメリーに店員が不思議そうな目を向けてきた。
おかしい、確かもう少しあったはずなのに、とメリーは財布のポケットを片っ端から調べ始めた。出てきたのはレシートや何処かのお店でもらった割引券、それとカード類だけ。そう言えば、とメリーは思い出す。
―――今朝、蓮子に貸したんだった。
「れん…」
「どうしたのメリー、買わないの?」
ショップの他の売り物を適当に見ていた蓮子はメリーの言葉を遮るように口を開く。あっ、と口ごもるメリー。なんでもない、と蓮子に応えメリーは仕方なくカードを取り出した。
「これでお願いします」
「あー、その…」
ところが店員はばつが悪そうに視線を泳がせる。どうかしましたか、とメリーが疑問符を浮かべると店員は申し訳なさそうに頭を下げた。
「実は読み取り機が故障してて、カード使えないんですよ」
確かに見ればレジスター横の端末機には『申し訳ございません。現在カード類が使えなくなっております』と手書きのポップがセロテープで貼り付けられていた。電源も入れられていないのかディスプレイも真っ黒だ。
「えっ…えっと…」
どうしよう、と不安げに視線を泳がせるメリー。そんなメリーを見ていつまで経っても支払いが終わらないのかと蓮子が声をかけてきた。
「どしたのメリー、さっきから」
「う、うん。あのお金が足りなくって、それにカードも使えなくって、それでね」
「ああ、だったら降ろしてくればいいじゃないの」
向こうに現金自動支払機があったよ、と事も無さげに店の入り口の方を指さす蓮子。
「えっ、あ、あの、でも、朝、貸したお金…」
「ほら、私待ってるから。早く行ってきて」
蓮子の言葉には僅かに苛立ちが含まれていた。それを機敏に読み取るメリー。ほんの一瞬の迷いの後、メリーはわかった、と頷いた。店員に少し待っていてくださいと言い、駆け足で店の外へ出て行く。
「早くね」
それを見送る蓮子。程なくして紙幣を握りしめたメリーが息を切らせながら戻ってきた。
「えへへ、ありがとうメリー」
「ううん、どういたしまして」
一緒に購入したチョーカー紐に獅子とクロスダガーのアクセサリを通し、さっそく首にかける蓮子。指先でその銀色の輝きを弄んでご満悦の様子だ。
その後ろから一歩遅れてついてくるメリーは言葉こそ普通だったが心中はあまり穏やかではなかった。蓮子にアクセサリーをプレゼントしたおかげで今月分のお小遣いを使い果たしてしまったからだ。バイトの時間増やさないと、とメリーは項垂れる。
と、
きゅるるるる…
「あ」
「メリー、お腹鳴ってるよ」
生理現象に顔を真っ赤に、慌ててお腹を押さえるメリー。人通りが多すぎるせいか道行く人にはお腹の音は聞かれていなかったようだが、しっかりと蓮子には聞かれていた。
「そろそろご飯にしよっか。うん、丁度十二時だし」
空を見上げて時刻を告げる蓮子。正確には丁度ではなく十五分過ぎだったが、星が出ていない今の時間では正確な時刻が分らないのだ。
「そうね。じゃあ、予定通りあのお豆腐料理屋に…」
「私、ラーメンが食べたいな」
ごそごそと鞄から京都ウォーカーを取り出そうとするメリーに先んじる蓮子。
「こう、こってりとしたものが食べたいね」
「えっ、でも…」
雑誌を取り出そうとした姿勢のまま困り顔でメリーは固まってしまった。蓮子の方はもう、ラーメンを食べる気まんまんでお腹をすかせた子供のような顔をしている。近くにあったかな、と蓮子は逡巡。ああ、と頷き
「そうだ。天一行こうよ天一」
メリーの手を取ると急かすよう引っ張り始めた。件の豆腐料理屋とは逆方向に。
「まっ、待ってよ。今日はあの創作料理屋に行く予定だったじゃない蓮子」
「そうだっけ? まぁ、でも今度でいいじゃないの。今日は天一にしましょ」
メリーの発言に有無を言わさない蓮子。ぐいぐいとメリーを引っ張っていく。
「離して、離してよ蓮子」
と、蓮子の腕を振りほどくメリー。蓮子は振り返りきょとんとした顔でメリーを見た。
「ラーメン、嫌なのメリー?」
「そうじゃない。そうじゃないけど…」
今日はお豆腐を食べに行く予定だったじゃない、そう口にするメリー。前から決めてて、とっても楽しみにしてたのに、と僅かに湿っぽい声で訴える。
「じゃあ、メリー一人で行けばいいじゃない」
硬い表情のメリーに対し、蓮子は唇を尖らせそっぽを向いてみせた。そうしてそのままずいずいと人ごみをかき分け一人で歩いて行く。
「え、ま、待ってよ蓮子」
慌てて追いかけるメリー。けれど、蓮子は足を止めてくれない。暗に話しかけないでと言っているように足を早くする。
「待ってってば」
通りすがりに人にぶつかり謝りながらも何とかメリーは蓮子に追いつく。けれど、蓮子はメリーに視線さえ向けようとしない。
「何? メリーはトーフを食べたいんでしょ。私はラーメンが食べたいの。だから今日はここでお別れ。それでいいじゃない」
「わ…ハァハァ…わ、わかった、から…ハァハァ…待ってよ蓮子」
息を切らせながらもメリーは蓮子を何とか追いかけ続ける。
「はぁー、何がわかったって?」
「ハァハァ…」
そこでやっと蓮子は足を止めた。威圧的に腰に手を当て仁王立ちのような格好を取ると、両手を膝について体を折り曲げながら何とか呼吸を整えようと肩で息をしているメリーに質問を投げかける。
「いく…から」
「何処に? お豆腐屋さん?」
とぎれとぎれに応えるメリー。矢継ぎ早に質問する蓮子。周囲を歩いている人間が不審そうに二人の姿を見ながら通りすぎていくが一人は気にもとめず、もう一人はそれどころではない。
「ち、ハァハァ、違うよ…天一…」
「豆腐、食べたいんじゃなかったの?」
「食べたいけど…」
そう、じゃあ、行ってらっしゃい。そう踵を返す蓮子。後で感想よろしくね、とにべもなくまた歩き始める。
まって、とまだ息が整っていないメリーは体に鞭打ってまた蓮子を追いかけ走った。
「行くから、蓮子と一緒に、ラーメン…食べるから。ねっ。まって、待ってよ」
先行く蓮子にすがるよう、声をかけるメリー。蓮子は足こそ止めず不機嫌そうな顔をしていたが、一応、振り返った。
「お豆腐はいいの?」
「いい、いいから。今度…ううん、二度と行かないから」
そっか、と蓮子は足をとめる。
「もう、メリーったら優柔不断なんだから。最初からこうってびしっと決めればいいのに」
かんらかんらと笑いながら蓮子はメリーにそういう。メリーはそんな蓮子の嫌味とも冗談とも取れるような言葉に返事さえ出来ず荒い息を繰り返していた。
その後、二人は通りの外れに建つ大衆向けのラーメン店に入った。席に着くなり蓮子はラーメンライス二つ、と水を持ってきた中国人アルバイトに注文する。えっ、とあまりたくさん食べるつもりのなかったメリーは声を上げたがもう店員は厨房へ伝票を渡しに行ってしまった後だった。
その後もラーメンを先に食べ終えた蓮子はメリーを残してさっさと店から出ていこうとし、独特のスープが口に合わないのか少しずつ食べていたメリーを早く食べなよと急かした。結局、メリーは半分も食べ終わらないうちに席を立つはめになり、代金もまた彼女が支払った。店をでた後も喫茶店かどこかで休みましょうというメリーを無視して蓮子はゲームセンターに行こうと言い出した。先程同様、メリーは断り切れず仕方なくゲームセンターへ。メリーは断ったのだが半ば無理矢理の形で蓮子とモーションセンサーを使用したダンスゲームをプレイした。食事のすぐ後に激しい運動。加えてあまり慣れていない味だったせいかすぐにメリーは気分が悪くなった。けれど、笑顔で面白かったね、という蓮子には何も言えなかった。そんな感じでメリーは蓮子に暗くなるまで市内のあちこちへ連れ回されたのだった。
ガタゴトと揺れる電車の中、蓮子はメリーにもたれ掛かるよう眠っていた。
「zzz…」
横切っていく街灯やネオンの輝きが眠る蓮子の顔を照らし出している。
「………」
その横顔をじっと、じっとメリーは見つめていた。
「………」
何の感情も浮かべず。
「あー、疲れた…あ、起こしてくれてありがとうメリー」
「ううん。私、そんなに眠くなかったから」
そう応えるメリーだったがそれは嘘だった。電車に揺られている最中もこうして電車からおり、改札をくぐり抜けた後もともすれば欠伸が漏れそうになるほどメリーは睡魔に襲われていた。それでも電車の中で眠らず、自分の手の甲をつねってまで起きていたのは蓮子に起こしてくれと頼まれたからだった。だが、くうくうと眠る蓮子はなかなか起きず、結局メリーは蓮子の体を半ば引っ張る形で電車から降ろさなければいけなかった。この駅は蓮子の家の最寄り駅なのだが、各駅停車の電車でしか止らず夜も遅い時間帯なのでここで降りなければ次の電車はないかも知れない、そういう状況だった。そんな状況でもし蓮子を起こしそこねれば…メリーはその後のことは考えなかった。
「さてと」
そう駅の方へ視線を向けるメリー。運が良ければ終電がまだ残っているかも知れない。運が悪くてもタクシーを捕まえれば何とかなるだろう。今日は疲れたし早く帰ろうと、そんなことを考える。
と、
「ねぇ、メリー。今日はもう遅いからうちに泊まっていかない?」
不意にそう蓮子が持ちかけてきた。えっ、と今日何度目かの驚きの声を上げるメリー。ただし、今度のものは不意打ちされたようなものではなく純粋な驚きだったが。
「えっ…でも…いいの?」
躊躇いがちに問い返すメリー。蓮子は軽い調子でいいって、と笑みを浮かべる。
「今日はなんかいろいろ迷惑かけちゃったみたいだし、遠慮しないで」
「……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えようかな」
一瞬の躊躇いは迷いではなく気恥ずかしさからだった。以前にも何度かメリーは蓮子の部屋に泊まったことがあるがその夜は大抵…今日もそうなるのかと思うと恥ずかしさ半分、うれしさ半分で胸が一杯になった。
「よしっ、そうと決まればそこのコンビニに行きましょう」
夕食はもう食べたのでちょっとしたおやつと明日の朝ご飯でも買っていくのかとメリーは考えた。けれど、どうやら蓮子は違うことを考えていたようだった。
「今日はとことん吞み明かしましょう」
ZIMA♪ ZIMA♪ と蓮子ははしゃぐ。どうやら優しい言葉の裏では吞み仲間を求めていただけのようだった。
「………」
肩すかしを食らったように立ちんぼになるメリー。そんな様子のメリーを知って知らずか、蓮子はファミリーマートの輝きの方へとそそくさと歩き始めていた。
「おじゃまします」
何本ものお酒とおつまみが入れられ指に食い込む程重くなったコンビニエンスストアのビニール袋を持ってメリーは蓮子の部屋へと通された。
蓮子の部屋は学生向けのワンルームマンションの最上階四階にあり、メリーはここまで重い袋を持って階段を上ってきたのだった。
ふぅー、とビニール袋を倒さないよう静かに床の上に置く。メリーの柔らかな指には赤い痕がしっかりと刻まれていた。じんじんと痛むそれをならすよう、メリーは玄関先で手の平を軽く開いていたが蓮子が早く早くと急かしてきたので急いでパンプスを脱いで部屋に上がった。降ろしたばかりの袋を手に廊下とも呼べないような短い空間を横切り、間仕切り代わりの暖簾をくぐると既に蓮子は二人掛けのソファーの中央に腰を下ろしていた。TVをつけてそろそろ終わりかけのニュースを見ていた。
「ささっ、座って座って」
「…うん」
テーブルの上に袋を置いて適当に床の上に腰を下ろすメリー。待ってましたとチャンネルをテーブルの上に置いて袋を漁り始める蓮子。
「はい、メリー」
「んん、ありがと蓮子」
袋から適当に缶チューハイを取り出しメリーに渡す蓮子。スクリューキャップをひねり封を切ると蓮子は無色透明の液体をこくこくと呑み始めた。メリーもプルタブを開け、ちびりと一口だけ缶チューハイを戴いた。桃の味のする炭酸の効いたアルコールだった。
「今日は楽しかったね」
「…うん」
吞みながら今日の出来事について取り留めもなく語り始める蓮子。メリーは時折、スチール缶を傾けながら相づちを打つだけだった。
「ふぁあ…」
酔の周りプラス体の疲れがたたったのか、気がつくとメリーは目をしばつかせ、知らずのうちに大あくびを漏らしていた。蓮子の部屋には時計がないことを知っているのでメリーはそっと自分の腕時計を見た。時刻はとうに日付が変わり深夜一時過ぎ。普段のメリーならとっくにベッドに入り夢の中へ旅立っている時間だった。だめ、限界ともう一度欠伸をし、涙で潤んだ瞳を開けると目の前すぐに、
「メリー、眠そう」
蓮子の顔があった。酔っているのか上気し、頬を赤く染めている。ただ、その目だけは石のように固くメリーを見据えていた。
「あ、うん…ごめんね。そろそろ限界かも」
微笑みながらそうメリーは告げる。そろそろ寝ようか、という意味合いを持たせた言葉。けれど、蓮子はそれを汲みとってはくれずあまつさえあからさまに不機嫌そうに眉をしかめ始めた。
「メリー、私の話、つまんなかった?」
近かった顔を更に寄せ、蓮子はキツメの口調で投げかける。相手のまつ毛の本数まで数えられるような距離。蓮子の瞳には困惑するメリーが写しだされ、メリーはその自分の姿を鏡のように見た。蓮子は?
「えっ…ううん、そんなこと…なかったよ」
実は半ば眠りかけていたせいで蓮子の話なんて半分以上聞いていなかったのだが、メリーは笑みをとりつくるとそう誤魔化そうとした。
「嘘。メリー、私の話聞いてなかなった」
だが、すぐに感づかれる。長い付き合いだ。相手の嘘ぐらいすぐに読み取れる。
蓮子は眉間にしわを寄せ、槍のように鋭い視線でメリーを睨みつける。
「なんで、聞いてなかったの? せっかく、私、話してたのに」
「そ、それは…」
言い逃れを許すつもりはないのか問い詰めるような口調。しどろもどろにメリーは言い訳を探すがいい言葉が出てこない。
「ごめんなさい…疲れちゃって、ちょっと眠っちゃったかも」
結局、素直に謝ることにした。ぺこりと頭を下げるメリー。
「………」
許してくれたかな、とメリーは上目遣いに顔を上げる。そこにあった蓮子の顔には岩のような険しさが張り付いていた。
「どうして、私の話を聞いてくれてなかったの。酷い」
「ご、ごめんなさい」
もう一度謝るメリー。けれど、まだまだ蓮子の腹の虫は収まらないようだ。
「あやまって、あやまってよメリー」
「だから、こうして…」
「あやまって!!」
深夜だというのに大きな声で一喝する蓮子。びくり、とメリーは体を震わせる。
「…ごめんなさい」
言い訳も方便も弁明も通じないだろう。諦めるようメリーはもう一度、頭を下げた。
「もっとちゃんと」
立ち上がった蓮子がそうメリーに言う。威圧的で有無を言わさない態度。もっと深くメリーは頭を下げる。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「…メリー、反省してないでしょ」
「………ごめんなさい、蓮子のお話、聞いてなかった。居眠りしてごめんなさい」
「駄目。心がこもってない。もっとしっかり謝ってよ!」
「………」
悔しさか、俯いたまま歯を食いしばるメリー。そのまま少しだけ体を後ろに下げてスペースを作ると両手を床の上についた。そうして…
「ごめんなさい、ごめんなさい蓮子」
床に這いつくばるよう、メリーは深々と土下座した。睥睨するよう、怒気の籠もった瞳で蓮子はメリーの後頭部に視線を注ぐ。
「もっと!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
なおも謝罪を求める蓮子にメリーは半ば自棄に、大声を上げる。もう既に近所迷惑だとか、そんな常識は何処かへ追いやられた。今は兎に角蓮子に機嫌を直してもらわないとそう大きな声を上げ続ける。
「もっと、もっと!」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! 」
床に額をすりつけ謝り続けるメリー。ごめんなさい、ごめんなさい、と。そこへ蓮子は尚も気持ちがこもっていない、全然反省していない、楽して言い逃れできないかどうかなんてそんなことばっかり考えているんでしょう、となじるような言葉を与えてくる。そんなことを繰り返しているとついにメリーの頭の中からどうして怒られているのか、起承転結さえ失われてきた。代わりに頭を満たしてくるのは自分が悪いからこんなにも蓮子は怒っているんだという、新たな事実。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
洟をすすり涙声になりながらもひたすらに謝り続けるメリー。その様は雨乞いをする祈祷師のようだ。聞き入れてもらえぬ願いにそれしかするべき事がないのだと無知蒙昧に繰り返すよう謝りつづける。
「ごめ…ん、なさい……………………………………………………………………」
それからなんど謝罪の言葉を発したのだろうか。喉が涸れ始めこれ以上はもう大声を上げられないと言ったところでメリーは蓮子が黙りこくっているのに気がついた。暫く、土下座をした格好のままじっとしているが何も言われない。
「…蓮子?」
許してくれたのかな、とゆっくりと顔を上げる。しかし、そこにあったのは…
「顔を上げてなんて言ってないわよ!」
尚も怒りに身を焦す蓮子の姿だった。
「やっぱり、メリー全然反省してないじゃない。取り繕うとしてただけじゃない。酷い、酷いよメリー」
固く目を瞑り、髪を振り乱して堪えきれぬ感情に蓮子は体を揺さぶられている。閉じられた目蓋からは涙があふれ出してきていた。
「そうやって、いつも私の話を適当に聞き流してたのね。酷いよメリー。私の事なんてどうでもいいのね。どうでもいいからそうやって私の話を聞き流せるのね。だから、今日も全然私の言うこと、聞いてくれてなかったのね。ああっ、もう、メリーの馬鹿っ!! 馬鹿っ!!」
「そ、そんなことないわよ、れん…っ」
立ち上がり狂乱の蓮子をなだめすかそうとするメリー。それに反応したのか。
「あ」
蓮子の手がゆっくりと持ち上がった。拳が硬く握られている。身構える隙もあらば、蓮子はメリーに向けて握った拳を振り下ろしていた。
「っ!?」
頬を殴打され、思わずバランスを崩しその場に倒れるメリー。蓮子はメリーを殴った体勢のまま荒い息をついている。
「れ、れん…」
何が起こったのか、まだ理解できずなんとか体を起こそうとするメリー。そっと殴られた場所に手を伸ばした瞬間、思い出したように痛みが沸き上がってきた。ひりひりと熱した鉄板でもあてがわれたように痛む頬。耐えかねて涙が溢れてくる。いや、痛いのは体だけではなかった。心もだ。
「蓮子…ひど…」
涙を流し、訴えるような瞳で蓮子を見上げるメリー。この理不尽な仕打ちには流石に耐えきれなかったのか、小さな怒りの炎がメリーに灯る。
「ッッッ…!」
けれそ、そんなちっぽけな火。蓮子を滾らせている炎の前には大河と一滴の水滴の差に等しかった。酒気だけではそうはならないだろうと言う程、蓮子は顔を真っ赤にして倒れているメリーを睨み付けた。
「酷いのはメリーの方でしょ! このっ…泣けば許されると思って…卑怯者っ、卑怯者」
「め、メリー」
気押され怒りの火も吹き消される。そこへ蝋燭を折るように、蓮子が足蹴を加えてきた。
「ひぎっ…れ、蓮子…!?」
完全な不意打ちでつま先はメリーの脇腹に食い込む。息が出来なくなり吐き気に襲われる。酷い痛みが全身を駆け巡り、目の前が真っ暗になり意識がブラックアウトしかける。
「このっ、このっ…メリー、メリーっ!」
そこへ更に蓮子は足蹴を加えてくる。内股、肘、頭。何処彼なしに。メリーはダンゴムシのように体を丸めて耐えるしかなかった。
女性とは言え秘封倶楽部であちこち歩き回っているお陰か蓮子の足腰は鍛えられている。げし、げし、と感情任せに足をふり、つま先を倒れたメリーの体に打ち据える。大部分は脛や腕に当り、メリーの骨を響かせたが、腿や脇腹に当たった時は目も眩むような痛みに襲われた。いたい、いたいとメリーは悲鳴を漏らすが逆上した蓮子は止めてくれない。メリーの悲鳴も耳には遠いようだった。ああ、と呻るような吠えるような声を上げてメリーの体を蹴りつけ続けている。
「っう!! こ、このぉ!!」
一際、力をこめて繰り出した蓮子の足が偶然か、ブロックしているメリーの両手の間に入る。つま先がメリーの顔を打ち据える。鼻が潰れる。ひぎっ、と言葉にならない悲鳴が上がる。
「ハァハァハァハァ…」
蹴り疲れたのか、それとも感情の発露が終わったのか、蓮子はうつむき、肩で息をしながらじっと立ちすくんでいた。荒い息を繰り返す音が深夜の妙な通販番組の音声に混じる。異様な空気が部屋に満ちる。怒気の残滓。荒い息。白々しい吹き替え。冷蔵庫の呻る音。外の通りを走り抜けていくタクシー。犬の遠吠え。別の部屋の扉が開けられる音。そうして…
「蓮子…蓮子…」
はっ、と蓮子は我を取り戻した。
自分の足下にメリーがすすり泣きを漏らしながら倒れていることにやっと気がついたのである。
「メリー…」
まるで車に轢かれた猫のようにぐったりとしたままのメリー。見れば両手で庇うように隠した顔から赤い液体が流れ出ている。血だ。他にも髪や衣服が乱れている。酷い有様。いったい、誰がしたのか。
「あ、あああああ…」
蓮子自身だ。
猛烈な悪寒を憶えたように体を震わせると蓮子は自分のしでかしてしまった事に恐怖を覚えるよう、両手で顔を覆った。そうすれば目の前の現実が消えてくれると思って。
「いたひ…ひぐ…っ」
けれど、そんなはずはなかった。目を瞑り耳を塞いでもメリーの悲痛な吐息は消えてくれなかった。ああっ、ともう一度蓮子は嘶くと、慌ててメリーの体を抱き起こした。
「メリー、メリー、メリーっ!!」
「う、れ、蓮子…?」
うっすらと目を開けるメリー。その顔の下半分は鼻から流れ出てきた血で真っ赤だった。それでも目を開けて反応してくれたことによかった、と蓮子は安堵の息を漏らす。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私、メリーに酷いことを…」
そこでまた感情の枷が外れてしまったのか、蓮子はメリーを抱いたまま大粒の涙を流し始めた。
「ああ、そう言えば今日…私、メリーにいろいろ…ひどいことしちゃった…ああ、ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
嗚咽を漏らし、謝罪の言葉を口にする蓮子。頬を伝わり流れ落ちた涙がメリーの服の上へと落ちる。その様子を虚ろな視線でメリーは眺めていた。
「ごめんなさいゆるしてメリー。もうこんなひどいことしないから。おねがいだから。ゆるして。ごめんなさい。メリー。メリー。ごめんなさい。ほんとうに。ごめん。メリー。メリー。メリー。メリー」
うぁぁぁぁぁ、と大きな鳴き声を上げると蓮子はメリーの胸に顔を押しつけ幼子のように泣きじゃくり始めた。洟をすすり、喉をひくつかせなから、時折、息の合間にごめんなさい、ごめんなさいと繰り返して。
「蓮子…」
メリーは二、三度、瞳をしばたかせると優しげな声色で胸の中で泣いている女の子の名前を呼んだ。母のような優し手つきでその頭を撫でてあげる。
「大丈夫だから、うん。わかったから」
「ああっ、ありがとう、メリー。ほんとうに…ごめん」
許されたのだと蓮子はメリーに抱きついたまま顔を上げる。鼻水と涙でぐしゃぐしゃの顔。涙の乾いた跡と怪我の痕、鼻から血を流す顔。見つめ合う二人。
「…メリー、顔が酷いことになってるよ」
「蓮子だって…」
顔を見合わせたままくすりと笑い合う二人。
と、
「綺麗にしてあげるね…」
そう言って不意に蓮子がメリーの顔に自分の口を寄せてきた。あん、と小さく開けられた口で蓮子はメリーの鼻をついばむようにかむ。
「んふ…れ、れんひょ…」
鼻を押さえられ変な声を漏らすメリー。口の中では蓮子が舌を伸ばし、メリーの鼻から流れ出てきた血を舐め取っている。
「唇の上も…」
一旦、口を放しそう言う蓮子。また顔を近づけ、今度は鼻がぶつからないよう、斜めに自分の唇をメリーのそれにかぶせる。まるでお腹を空かせた子供がクリームを食べるようにメリーの唇に吸い付き、舌を伸ばして血を舐め、なぶる蓮子。
「れ、蓮子…?」
「まだ、汚れてる…もっと、キレイにしないと…」
蓮子はメリーの手を取ると自分の指をそれに絡ませ、メリーを押し倒した。また、顔を近づけ唇を重ね合わせる。メリーは抵抗しない。薄く目を閉じて蓮子に任せるがままにしている。
「はぁはぁっ…んちゅ…メリー、メリー」
唇を強く押しつけ蓮子はメリーの口内へ自分の舌を伸ばす。一個の意志を持ったように舌は自在に動き、メリーの歯茎や歯の裏側、あちらこちらを舐め始める。その舌先がメリーのそれに触れた。小動物のようにメリーの舌が喉の奥の方へ逃げる。それを追いかけるようもっと舌を伸ばす蓮子。片腕をメリーの頭の後ろに回し、もっと近づけるよう自分の側へ押す。もうほとんどメリーを飲み込んでしまうのではと思えてしまう程、口を大きく開ける。開いた口からメリーの方へ蓮子の吐息と唾液が流れていく。メリーは蓮子が舐め取った自分の血の味を僅かに覚えた。鉄の味。痛みの味。対価。代償。
メリー、メリー、と名を呟きながら顔を離した蓮子は子犬のようにメリーの顔に舌を這わせ始めた。そうやってキレイにするつもりなのだろうか。血の痕を、涙の跡を舐めとる。
「痛っ」
最初の一撃を加えたところ、頬の骨の上に蓮子の舌先が触れた。僅かに皮膚が裂け、腫れ上がり始めている。小さな悲鳴を漏らすメリー。その反応が面白かったのか、そこへ何度も口づけする蓮子。次いで、目蓋やおでこ首筋、所構わず口づけする。
「っあ…れ、蓮子」
「いいでしょ、メリー」
痛みとは違う可愛らしい悲鳴を上げるメリー。見れば蓮子の腕がメリーの服の中へと潜り込んでいた。手の位置は胸の所へ。ブラジャー越しに手の平でメリーの胸を押さえている。大ぶりの乳房を揉みしだく蓮子。メリーの服の下、柔らかな胸は蓮子にもまれその形を変える。くすぐったいのか、心地よいのか、メリーは顔を赤くし、恥ずかしそうに小さな声を漏らす。その間も蓮子は口づけを絶やさない。自分の足を広げると、メリーの太股へ自分の股をすりつけ始める。布越しに滾る蓮子の体温を感じるメリー。息が上がる。体が火照る。
「メリーも触って」
「う、うん」
言われ手を伸ばすメリー。両手で蓮子の小さな胸をワイシャツの上から撫でるように触る。くすぐったそうにする蓮子だが時折、胸のある一点にメリーの手が触れると驚いたように体を振るわせた。そこを何度も触ってあげるメリー。下半身をメリーの太股へすりつける蓮子の動きも速くなる。
「そろそろ…」
「うん、わかった…」
口づけをしつつ器用に腕を伸ばして、メリーのスカートをめくり上げる蓮子。ついで、もどかしそうにピンクのレースがついた下着を脱がせる。手伝うよう、メリーも腰を動かす。淫液の糸を引きながら離れるメリーのパンティ。
「メリー、メリー…」
愛おしい人の名前を呼びながら蓮子は体を起こすとズボンのベルトに手をかけた。カチャカチャと音をたててバックルを外し、膝の辺りまでズボンを下ろす。飾り気のないボクサーパンツが現れる。その股間部分は水を溢したように濡れ、蒸れていた。それもいそいそと脱ぐ。キレイに刈り揃えられた茂みは雨期の後のように濡れていた。
「メリー、大好き。愛してる」
もう一度、口づけを交わした後、蓮子は同じよう、下の大切な部分もメリーのそこへ口づけた。
「んっ、はぁはぁ…ああっ、キモチいいキモチイイよメリー、メリー」
くちゅくちゅと水音を立て貝の身を擦り合わせる蓮子。愛液が混じり合い泡立つ。
「メリー、メリー、愛してるから、大好きだから…はあっ、ああっ」
つかず離れずを繰り返し、体液を混じり合わせる。
「メリー、メリー、メリー、メリー メリー、メリー、メリー、メリー メリー、メリー、メリー、メリー」
手を取り、指を絡ませる。決して離さない。ずっとずっと愛している。そう言葉ではなく行為で示すように。
いよいよもって激しくなる蓮子の腰の動き。体を密着させ、手をしっかりと握りしめ、ずっと唇を重ね、そうして…
「っ…イくよ、メリーっ!!!」
果てる蓮子。
魚のように体を仰け反らせ、秘裂をメリーのそこへ強く押しつける。ぶるぶると体を震えさせ、耐えること一秒。蓮子はメリーの体の上へと倒れた。
上下するメリーの胸に顔を埋める蓮子。心音が心地よい。その体勢のまま、蓮子は視線を上に向けた。
「メリー」
「…なに?」
「愛してる」
首を伸ばすと蓮子はもう一度、メリーに口づけをした。
「私もよ、蓮子。だから―――」
いつの間にか自分の身体の上で眠ってしまっていた蓮子にメリーはそう返事する。
「私を想っていて…一番強い想いで…」
もう少しで夜が明けそうだった。
その後、メリーは始発で一旦、家に帰り傷の手当てをしてからまた蓮子を迎えにこの部屋まで戻ってきた。いつものパターンだ。
蓮子がシャワーを浴びるのに手間取っていたので、とても電車では講義に間に合わないような時間になってしまった。仕方なく蓮子の言でメリーはタクシーを呼び、それで二人して大学まで行った。代金はもちろんメリーが支払った。
大学に着いてから手を繋いで歩く二人は奇異の視線に晒されていた。
いや、性に寛容な若者たちが集う学舎だ。別段、女性同士が仲睦まじくしていたところでそんな支線は一々向けないだろう。視線の理由は傷だらけのメリーの格好にあった。頬に大きなガーゼを貼り付け、長袖とロングスカートを穿いているせいで僅かにしか見えない素肌にも絆創膏や黒い痣が見え隠れしている。動きも怪我を庇う人のそれだ。
二人が目の前を通り過ぎるとひそひそと話し始める人もいた。あからさまに侮蔑の表情を向ける人もいた。
大学内で有名なのだ、二人は。曰く『恋人に暴力を振るうDV女と暴力を振るわれても盲目的に付き合い続ける共依存レズビアンカップル』として。
そんな噂…などではなく事実が知れ渡っても、二人は互いの関係を改めようとはしなかった。蓮子は気にしたそぶりさえ見せず、メリーの方は気にはしつつも躊躇うように何もせず、二人は完全に二人だけの世界を作っていた。誰も、その世界には立ち入れなかった。誰も。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
大学近くの裏路地、そこを一人歩いていた蓮子は赤子の泣き声のようなものを耳にした。近くの家で子供が泣いているのだろうかと当りを見回す。
「………」
そう言えば両親が父であるネズミが生れたってニュースをこの前見たわね。いつかは私もメリーと、と蓮子は頬を綻ばせた。
と、
「…?」
僅かに胸にずきりと痛むものが走った。物理的な痛みではない。精神的なそれ。何だろうと首をかしげているとまた赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
いや…
「猫?」
よくよく聞けばそれは人の赤子の声ではなく猫のものだった。今度は視線を下に当りを見回す。と、少し進んだところに立っている電信柱の麓に一つ、無造作にダンボール箱が置かれていることに気がついた。ダンボール箱は中に何かがいるのか僅かに閉じられた口の部分が動いており、そこから鳴き声は聞こえていた。
ダンボールの箱の所まで歩いて行く蓮子。そっと箱の口を開けると中に小さな黒猫が一匹、外に出たそうにもがいていた。
可愛い、と顔を綻ばせ子猫を抱き上げる蓮子。にゃーご、にゃーごと子猫は蓮子の手の中でもがいた。
艶やかな黒い毛並。金色の丸い瞳。小さな口。まるい尻尾。
余りの愛くるしさに耐えきれず、蓮子は………
「えっ?」
ごきり、と子猫の首を絞めていた。猫はぎやと悲鳴を上げ、目を見開くとそのままぐったりとしまったく動かなくなってしまった。目を見開く蓮子。その手から力が抜け、猫はアスファルトの上へドサリと落ちた。悲鳴も上げず、逃げようともしない猫。明らかに猫は死んでしまっていた。
なに、どうして、自分は一体何を、と動かなくなった猫を見開いた目で見据える蓮子。
そこへ一つ、影が差し込む。
「お、おい…な、なにやってんだよ、宇佐見…」
不意にかけられた声に振り返る蓮子。そこにいたのは同じ講義を受けている男子大学生だった。以前は講義の度に教授の目を盗んで話し合っていた仲だった。もしかするとあのまま行けば恋人同士になっていたのかも知れない男性。だが、メリーとつきあい始めてからとんと口を交わさなくなった相手が後ろに立っていた。
「何してんだよ…その子猫なんで…殺して…おい、お前、何してんだよッ!!」
男子学生は大きな声で叫んだ。彼は偶然通りかかっただけだったが、かつての仲か、一部始終、蓮子の様子を見ていたのだ。愛おしげに猫を抱き上げる姿も。そうしてその首を絞めて殺してしまったところも。
「あ、ああ…ああ?」
ショッキングな光景に声を荒げるのも無理はないだろう。だが、誰よりもショックだったのは立った今し方、そんな非道な行いをした蓮子自身だった。
愕然と目を見開き、側頭部に自分の爪を突き立てる蓮子。髪の毛を掻きむしり、嗚咽を漏らす。
「お、おい、宇佐見…大丈夫か? おい…!」
蓮子の豹変ぶりに慌てつつも何とか声をかける男子学生。先程の凶荒も何かしら精神病的なものなのかと自身の中で結論づけし始める。
「お前…やっぱり、最近おかしいぞ。どうしたんだよ、一体。なぁ、もしかして、マエリベリーのせいなのか? アイツとつきあい始めてからお前、だんだんおかしくなってきてるぞ。なぁ、蓮子? アイツのせいなんじゃないのか? アイツがお前をおかしくさせたんじゃないんか!? あの魔女が…」
かつての気持ちを、蓮子に向けていたあの感情を蘇らせたのか、彼は優しく蓮子の手を取った。彼はメリーのことはよく知らなかったが蓮子のことはずっと見ていたのでよく知っていたのだ。だからこそこの所の大学内で立っている噂も快く思っていなかった。そうして彼は大学内で立っている主に蓮子が悪いという話に対立し、メリーがどうしてか蓮子をおかしくさせてしまったのだと個人的に結論づけていた。それを今ここで彼は蓮子に尋ねた。本当なのかと、アイツのせいでお前はおかしくなってしまったのかと。
その結果、蓮子がとった行動は…
「メリーのことを悪く言うなァ!!」
彼の手を優しく握り替えし、そのままその胸板に顔を押しつけつつ、愛する人のことを悪く言われた怒りで満ちた叫びを上げたのだ。
その顔は愛憎が入り交じり酷く歪だった。その心中も同じく。絵の具の赤と白をぐちゃぐちゃにかき混ぜ、けれどその二色は決して混じり合わず、マーブル状に入り交じりある種のカオスを表している。
「宇佐見、お前…気持ち悪いぞ。ほんと、どうし…たんだよ…ほんと…」
「ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
自分自身にも分らぬ感情に突き動かされ、蓮子は叫び声を上げた。喉が張り裂けると思える程の大きな叫び。そうして、抑えきれぬ感情は肉体さえも暴走させ始めたのか、唐突に蓮子は暴れ始めた。
あとは説明するまでもない。
暴れ出した蓮子を彼は何とか押さえつけようとしたが、女とは言え体のリミッターを外し暴れ回る狂人を押さえつけるのは用意ではなかった。
初めて目にする心が狂った人間の動きに恐怖を覚え、彼は必要な力を出し切れず、もつれ合うよう、二人は暴れ回り―――結果、蓮子は足をつまづかせ、後ろ向きに受け身さえとれないような状態で倒れた。その先には運悪く、電柱が立っておりそうして…
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あ、蓮子、ここにいたんだ。蓮子、蓮子………蓮子?」
そこへやって来たメリーが目にしたのは頭から血を流し倒れる蓮子と―――その精神、正気と狂気の出鱈目に入り交じった境界線だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「………ふぅ」
そこまで聞き終えてダークグレーのスーツの刑事は深々とため息をついた。他人の色濃い話を聞くこと程、疲れる話はないがこの場合は更に聞くに堪えない内容をしていた。疲労のあまり刑事は肩を落とし、内ポケットをまさぐった。煙草を吸おうとしたのだ。だが、若いブラックのスーツの刑事がそれを咎めるように咳を一つついてみせる。部屋には灰皿がなく、壁にはNoSmokingのプレートが貼り付けられていた。ここは禁煙なのだ。
「まぁ、大体、貴女と宇佐見さんの関係は分りました」
口寂しいのか、唇を舐めてからそう刑事は話し始めた。
「その…私は異性愛者…所謂、ノーマルなので同性愛者の方の恋愛感情というもののなんたるかはまったく分らないのですが…そこに男女だろうが女同士であろうが、あー、愛と言いますか、気持ちの程度や種類に差はないと思うのです。その点を踏まえて一つ、質問があるのですが」
流石にこの年になって愛やら何やらを口にするのは多少の抵抗があるのか、刑事は時折口ごもりながらも丁寧に自分の考えを示していく。一時間程かけてやっと我を取り戻したメリーはぼうっと、した顔つきのままではあったが何とか刑事の話に耳を傾けていた。
「どうして、あんなに酷いことをされていたのに宇佐見さんと付き合っていたのですか」
「………」
その言葉はもう何度も聞かされてきた言葉だった。友人知人、大学のカウンセラーに。同性愛者のカップルは理解できても、酷い暴力を振るわれてまで付き合い続けるという気持ちは多くの人間には理解できないからだ。
「だって…私は、蓮子が好きなんです。蓮子しかいないんです。だから、蓮子にどんなに酷いことをされても私は…そ、それに蓮子だって本当は優しいんです。ちょっと、ときどき、怒りすぎるだけなんです」
その返しも聞き慣れた言葉だった。暴力とその直後の慈愛。相反する強烈な感情を与え続けられれば人の価値観は容易く世間ズレしてしまう。酷い暴力で思考能力が低下している直後に優しい言葉を投げかけられれば直前の暴力も忘れ普段以上の愛をそこに憶えてしまうだろう。刑事が今まで何人か見てきたそういうドメスティックヴァイオレンス被害者のよくある反応だった。今回はそれが女性同士だったと言うだけだ。
「お話ししたとおりですよ。ちょっと、ときどき、機嫌が悪いときがあって、それで私が何かしっぱいしてしまって、それで私を窘めるためにああやって怒るんです―――悪いのは私であって、蓮子じゃ…ああっ、私が、私が…」
感情が高ぶってきたのか、また涙を流し始めるメリー。うんざりした調子も見せずグレーのスーツの刑事は立ち上がるとメリーを宥めに行った。
「私が…私が悪いんです…私が…私が蓮子を…ああっ!!」
混乱し泣き喚くメリーの背中を優しくたたいてあげる刑事。もう一人の黒服の刑事に目配せすると僅かに微笑んだ。
これで俺たちの仕事は終わりだ。メリーには悪いが、強制的に蓮子と別れることになって良かったのかも知れない―――そういう笑みだった。
と、
「私が、私が、私のせいで、私のせいで、蓮子は、蓮子はあんな事に…っ!」
不意に泣きじゃくるメリーはそんなことを口にした。
突然の吐露に目を見開く刑事二人。
「ハーンさん、それは一体どういう…?」
メリーを慰めるダークグレーのスーツの刑事ではなくブラックのスーツを着た方の刑事が問いかけてきた。
「私が、私が蓮子を狂わせてしまったんです…ああ、ああああ…」
絶えず涙をこぼしながら懺悔するよう、面を上げるメリー。その顔には深い後悔と嘆きが渓谷のように刻まれている。
「私が…蓮子がああなるようにしむけたんです。境界…境界線を見て、それで、蓮子の中の愛おしさを感じる気持ちと憎らしさを感じる気持ちの境目を…狂わせたんです」
「境界線? 一体、何のことを…」
涙声ながらも自分の“能力”を刑事に説明する蓮子。
周囲から区切られ封じられた場所、結界の境界線を捕える力が自分にはあったこと。最近その力が強くなり、結界の内外という明確に区切られたものだけではなく、何かしら別のものの境界線―――海と河川の境界や季節の境目、それに人の理性と本能の違いなどが目に視える様になってきてしまったことを。加え、更にその境界線の位置をずらしたり出来る様になってきてしまったことを。
グレーのスーツの刑事は訝しげな顔つきでメリーの話を聞いていたが、ブラックのスーツの刑事の顔はメリーの話が進むにつれ逆に険しくなっていった。
「ハーンさん、そんな冗談みたいな話…」
「いえ、警部。最近の研究では数万人に一人程度の割合ですが…その彼女の様に人には見えないものを視る人間がいることが確認されています」
若手故の知識か。そう説明するブラックのスーツ。警部、と呼ばれた刑事は部下の言葉に懐疑的ではあったが、若い彼が嘘や冗談、ましてや眉唾物の話をしたり顔で語る様な人物ではないことは知っていたのでとりあえず信じることにした。といううもののブラックのスーツも自身がした話の荒唐無稽さに信じられぬという面持ちだったが。
「幽霊や近い将来が視える、というのもその力だと。ただ、それをどうのこうの物理的…と言えるのでしょうか、その視たものをどうにか出来るという話は聞いたことがありませんが…」
「しかし、本人はその目の持ち主でしかも、出来ると言っている」
互いに顔を見合わせる刑事たち。兎に角、もう少し話を聞かないと、その点で二人は同意する。
「分りましたハーンさん。貴女に不思議な力があり、それで宇佐見さんをおかしくしてしまったと。けれど、それはどうしてですか。まさか、その力を使って宇佐見さんを自分の事が好きになる様に仕向けたとか」
「いえ、いえ、違います。蓮子が私のことを好いてくれていたのは本心です。私が言うのはおかしいですが、それは絶対です…でも…」
そこで一旦言葉を句切る蓮子。言うのが辛いのか。刑事二人の視線がメリーに集中する。
「蓮子は…蓮子は…本当は異性愛者なんです。私以外の女性にそういった感情を抱かない人、なんです」
それもこの“目”で確かめました、とメリー。こんな話、調書に出来るのかと訝しみながらもブラックのスーツの刑事は何とかメモをとり続ける。
「だから、私、怖くなってしまって…いつか、私よりも好きな男性が現れれば、世間一般では普通ではない私との関係を捨てて、その男の方へ行ってしまうんじゃないかと…だから、だから、私はそうならないよう、蓮子の心の境界線を弄ったんです」
女性だけを好きになる様にか、と警部は考えたがすぐに違うと自分の考えを振り払った。それだと蓮子のDVそれに凶行の理由にならならい。何故だ。心を弄られて精神が壊れたのか。
「私が弄った蓮子の心の境界線は愛憎、です。愛する心と憎む心。知っています、刑事さん。実はこの感情ってとっても近い位置にあるんですよ」
そのどちらもが確かに強く相手を想うという点では一致している。始点は正負まったく真逆だが、ベクトルは一致しているだろう。しかし、その境界を弄るとは一体…? 刑事は眉を潜める。
「蓮子が…蓮子自身が仮に他の、私以外の誰かを好きになってしまっても、絶対につきあえない様にするためです。愛情と同時に憎しみを向けてくる相手を、どうして愛し返すことが出来ますか。そんな狂人の相手誰が出来ますか」
仮に蓮子にメリー以上に恋い焦がれる相手が出来たとして、メリーの元を離れその相手の所へ行ったところで相手に向ける愛情には憎悪がつきまとっている。まともな精神の持ち主なら、そんな相手と付き合うことはしないだろう。DVを受けて尚も付き合いを断ち切れずにいる多くの人とて最初から恋人に暴力を振るわれたりしていた訳ではないのだ。結果的にそうなり、そしてそこから抜け出せなくなってしまっただけなのだ。最初から暴力を振るう相手などとまともに付き合える人なんているわけがない。
「―――事情を知っている、私以外」
すべてを語り終えたメリーは憑き物が落ちた様なさっぱりとした顔をしていた。もはや全て受け入れる。そういう顔だ。そうして、両手を刑事に向けてつきだした。
警部は頭をふるい、畜生、と呟いた後、部下の刑事に目配せした。黒服の刑事は外にいた巡査に声をかけ、一つ、銀色に輝く重い物を渡してもらう。更にそれを警部へと。
「超能力犯罪なんて今時SF映画でもやらんぞ。だが、ああ、畜生…マエリベリー・ハーン、お前を…ああ、クソ、一体何の罪だこれは? 強要? 人権無視? 畜生、兎に角、お前を逮捕する」
がちゃり、と警部はつきだしたメリーの手に鉄の環を、手錠をかけた。忌々しく、そうしてやりきれない顔つきで警部は懐から煙草を取り出した。今度は若い刑事も注意しなかった。
END
作品情報
作品集:
22
投稿日時:
2010/12/23 06:11:00
更新日時:
2010/12/23 15:11:00
分類
蓮子
メリー
蓮メリちゅっちゅ
DV
秘封倶楽部で蓮子攻めとか最高すぎです
そうか、そういう独占の仕方もあったのか
DVの被害者及び加害者の心情とはこういうものなのですか。因果なものだ。
蓮子はZIMA好きなのか。漢だったらキリンだろうが!!
そっちの世界の当局はこちらと違って、まだ『手帳』が身分証なのか。
本職の人が私のところに聞き込みに来たとき、ちらりと『バッジ』を見せたものです。
メリーを拘束するのにワッパじゃ不十分です。口にギャグを嵌め、拘束具を着せないと。
星進一のショートショートをみた後のような読了感だった
ほんとメリー可愛い
蓮子云々より王将が死亡フラグだと邪推しまった俺は何なのだろう