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『貴女の人生の物語』 作者: sako
「ふふふ、どうですか。お尻の具合は?」
「ひぃぃぃん♥ おひりいいのぉ♥ もっと、もっとわちきのおしりずぼずぼしてぇぇぇ♥」
「………」
守矢神社の一室から淫靡な嬌声と水音、肉がぶつかり合う音が聞こえてきていた。その部屋の前で神社の主神、八坂神奈子は眉を逆八の字に、こめかみをひくつかせていた。立腹している様子。それを逆撫でするよう、相も変わらず部屋の中からは悲鳴にも似た嘶き声が聞こえてきている。
「早苗ッ!!」
だん、と勢いよく扉を開ける神奈子。果たして、その先にいたのは…
「あ、神奈子さま」
「ああんっ♥ ああんっ♥ おしりひぃぃぃぃぃ♥」
ぱんぱん、と小傘の尻に自分の腰を打ち付け続けている守矢神社の巫女、東風谷早苗であった。その股間部分には女性にはあるまじき物―――立派な魔羅が淫水塗れに光っていた。絶えずそれを突き入れては引き抜きしているのは小傘の秘裂…ではなく不浄な孔、菊門だ。剛直を突き入れられる度に小傘は目を見開いて気をやった様に嬌声を漏らし、引き抜かれる度に切なそうに嗚咽を漏らしていた。
「どうしたんですか?」
腰を動かし続けながらあっけらかんとした口調で神奈子に問いかける早苗。その格好はほとんど全裸と言っていい様子で、それどころか体中に淫水や白濁した精を浴びている。口端にもそれが乾いた物がこびり付いていた。早苗に小突かれている小傘も同じようで、見れば薄暗い部屋の中には同じように全裸の男や股の間から白濁液を溢している少女が何人か気を失う様に倒れていた。
「どうしたんですか、じゃないわよ」
ぎぎぎ、とその有様を見て拳を握りしめる神奈子。そうして顔の辺りまで持ち上げたそれを早苗の頭の上にごちん、と振り下ろす。
「あいたぁ!? な、何するんですか神奈子さまっ」
「何するんですかじゃないでしょう! むしろそれはこっちの台詞! 神性なお社の一室で…一体、何をしてるの!?」
「セックスです」
「年頃の女の子がそんなこと大きな声で言うもんじゃありません! 大体そう言うのは、もっとこう好きな人と二人っきりで、記念日とかに睦まじく日が暮れてからやるもの! こんな風に大勢ですることじゃないでしょ!」
「えー、考え方が古いですよ神奈子さま。それに私、この子もあそこで伸びてらっしゃる方たちもみんな愛してますよ。ええ、大切な守矢神社の参拝者さんたちですから。汝、隣人を愛せよ。アガペーですよ、アガペー」
「異教の事を口にするんじゃありません! ああっ、もう…諏訪子にも怒ってもらわないと」
酷い頭痛を憶えた様に頭を抱える神奈子。
と、早苗はきょとんとした顔をして、部屋の隅の方を指さした。
「諏訪子さまならあそこにいますよ」
「やっほー、神奈子〜」
「うわっ!」
古典的ギャグの様に飛び退く神奈子。早苗が指さした先にあったのは奇っ怪で悪趣味なオブジェ…ではなく諏訪子だった。ただし、今の諏訪子は幼子の姿どころかそもそも人の姿をしていなかった。煮詰めた餅を重ねた様な奇っ怪な姿をしている。その股の間からは大人一人が手を回しても指が届かない程、長さは天井に届く程の超巨大な陰茎がそそり立ち、乳房は土嚢か何かと見間違う程、片方だけで五、六十キロはありそうな肉塊と化している。そして、淫水を迸らせている鈴口、グロテスクに黒ずんだ乳首の両方は女性器の形をしていた。どろり、とそこから流れ出てきているおぞましい粘液は最早何なのかすら考えたくもなかった。尻たぶも同じく巨大であり、肛門がまるでゴムホースの様に飛び出していた。そんな退廃と姦淫を表した抽象画的な肉塊の上にちょこんと諏訪子のあの幼い顔が乗っているのは悪夢以外の何者でもなかった。
「き、気色悪ッ!!」
さしもの神奈子も顔を青ざめさせる。
「ん〜、ちょっと早苗に形状変化の力の使い方を教えようと思ってやってみたんだけどやり過ぎだったかな」
ほいっ、とかけ声をあげる諏訪子。と、次の瞬間。煙が出るとか光を放つとかそういった明確な兆しすら見せずに諏訪子はいつも通りの幼子の姿に戻っていた。ただし、その無毛のスリットとしか呼べぬ様な秘裂からはどろりと白濁液が流れ出していたが。
「………で、結局、何をしてたんだい、二人は」
わなわなと震えながらもなんとか理性的に問いかけようとする神奈子。早苗と諏訪子は顔を見合わせると、示し合わした様に同じ事を口にした。
「「乱交パーティ?」」
同時に、神奈子との会話の途中でもずっと腰を動かし続けていた早苗の剛直が爆ぜた。小傘の腸内へ精を放つ。
「あつい、おなかあつひよぉぉぉ♥ ひぃぃぃん♥ わちきわちきイっちゃうイっちゃう♥ おひりにダされて、イちゃううぅぅぅ♥」
「なにが『イちゃううぅぅぅ♥』だァァァァ! このビッチどもがぁぁぁぁぁ!!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
同刻、妖怪の山は天狗たちのたまり場。そこで文と椛、はたての三人は軍人将棋に興じていた。対戦しているのは文とはたて。決着まではまだ暫くかかりそうではあったが戦況ははたてが有利であった。
「ふふふ、今日こそアンタに引導を渡してやるわよ文っ!」
「むむむ、これは拙いですね」
「文先輩、がんばってください。あ、はたて先輩も」
不敵に笑むはたてと難しい顔をする文。椛は一応、審判として固唾を飲んで…というほどではないが二人の対局を見守っていた。
そこへ…
「なんとか…なんとかしないと…」
「へへへ、負けを認めたらどう?」
「文先輩…っ」
「きゃんっ♥」
ひゅるるるるるる、とジェリコのラッパを鳴らしながら唐突に何かが、将棋の盤面の上に落ちてきた。
「なっ、何事!?」
将棋盤を砕き、駒を当りに散らしながら落下してきたそれは全裸の小傘だった。
「あ、文先輩! 空から全裸が!」
「これはスクープねっ! って、他にも振ってきた!?」
そこに更に全裸の男女が落ちてくる。小傘と同じ位置に落ちた者はいなかったが、皆、文たちがいる広場のあちらこちらに落下してきた。その格好は一様に全裸かそれにほど近い薄着であった。
「な、なんなのよぅ、もぅ…」
対局を邪魔され涙目のはたて。
そこへ…
「うぁ、もうだめ…♥ わちき、もらしちゃう♥ うんちもらしちゃうのぉぉぉぉ♥」
ぶりぶりーと盛大な放屁の音を奏でながら白濁液混じりの糞便をはたてに向け小傘が漏らした。
「ぎやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「うんひキモチいい♥ きもちイイよぉぉぉぉ♥♥♥」
軍人将棋どころではなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「まったく、神奈子さまったらあんなに怒ることないのに」
守矢神社から麓まで続く山道を下りながら一人、早苗はぼやいていた。頭の上には大きなたんこぶが一つ。神奈子に怒られた痕だ。
あの後、ブチ切れた神奈子の放ったエクスパンデッドオンバシラにより酒池肉林の宴の会場は爆散。乱交パーリィの参加者たちは空高くまですっ飛ばされ、その後、早苗は諏訪子ともどもみっちりと神奈子に絞られたのだった。
それから一、二時間、早苗は神奈子が壊した(原因は自分自身であるが)部屋の修理を左官屋に頼みに行くためにこうして山を下っているのだった。
「そりゃ、巫女さんといえば清楚・可憐・神秘的の三拍子ですけど…」
というものの幻想郷にやってきて初めて見た巫女はちゃらんぽらんでおおよそ早苗が抱いていた巫女のイメージとは大きくかけ離れたキャラクターだった。ある意味で霊夢の存在が早苗の今の巫女家業に影響を与えているのは確かだった。
「いまどき処女巫女ってのも…ねぇ。そもそも、こんな娯楽もなにもあったもんじゃない場所でずっと境内の掃除だけしていればいい、なんて話が無理があるんですよ」
早苗とて最初から男女の境なく性欲旺盛な連中を神社に呼んでズッコバッコとヤっていた訳ではない。幻想郷にやってきた当初はイメージ通りの巫女を演じるべく、静かに境内の掃除をしたり安全祈願の祈祷を行ったりしていたのだが、そこは所詮遊び盛りの少女。マジメに仕事ばかりやっていられないのは当然だった。けれど、閉鎖的で基本的に明治初期の山村程度の文化レベルしかない幻想郷。ゲームセンターもカラオケも当然なく、お酒も弱いため早苗にとって娯楽といえばたまに行われる弾幕ごっこぐらい。そんな風に日々を退屈に過ごしていた早苗があのような乱痴気騒ぎにのめり込むのもある意味では無理のない話だった。
偶然、参拝に来ていた村の青少年と一刻の愛を交わしたのを皮切りに、青年団の会合に参加し数人を相手にし、更に襲いかかってきた妖怪を退治した後、ボロボロになった妖怪の姿を見て加虐心を掻き立てられ、お仕置きですと称して性的に暴行を加えた辺りでもう完全にタガが外れてしまった。
多産と一族繁栄の属性を持っている諏訪子を巻き込み、今では早苗は交友会と称して乱交パーティを開催する淫乱ビッチ巫女として一躍有名になっていた。
早苗の名誉のために言っておくと、一応、相手を選ぶ程度の部別はあるようで守矢神社の参拝客か自分自身が気に入った相手(※男女人妖問わず)しか股は開かないと決めているそうだが。
「とは言うものの当分は自重しないと駄目かなぁ」
今回は二十人からなる男女を集めて真っ昼間から奇跡の力を駆使して一大大乱交を行ったのだ。どちらかと言えばお堅い神奈子が切れるのも無理はない話。流石に暫くは無理か、と早苗は肩を落としながら歩く。
と、山の麓まで伸びる階段を誰かが登ってきているのに早苗は気がついた。あれは、と目を懲らす早苗。登ってきているのは小さな人影だった。
「こんにちわ」
「はい、こんにちわ」
礼儀正しく挨拶してきたのはまだ年端もいかない少年だった。山の麓から神社までの道のりは小さな子には少々厳しいものがあるのか肩で息をしていた。それでも頑張って山頂の神社まで行こうという気概があるのか、挨拶し返す早苗の脇を通り抜け、しっかりとした足取りで道を登って行こうとしていた。
「小さいのに偉いですね。あんなに細い足で」
立ち止まり山道を息を切らしながら登って行く少年の姿を見上げる早苗。その目が可愛らしい弟を見守るお姉さんの目ではなくどことなく飢えた野獣の様に輝いて見えたのは気のせいだろうか。
「ふむ、短パンから見える素足がげに素晴らしい………
ちょっとそこのボク、疲れているみたいですからお姉さんと休憩しません?」
「え?」
ぺろり、と舌なめずりすると早苗はそう大声で少年を呼び止めた。
〜〜〜三十分後。
「ひゃぁっ♥ お、お姉ちゃん、な、なんかびくびくするよぉ♥」
「ふふっ、それがキモチイイってことなんですよ」
山道から外れた茂みの向こう側。少し開けた場所で二人は“休憩”していた。少年は切り株に腰掛け足を開いている。そうしてその足の間に早苗は顔を埋め、少年のまだ皮も剥けていない逸物を咥えこんでいた。
あれから山頂の神社に向かう少年を呼び止めた早苗は言葉巧みに彼を騙し、こうして性教育を実技込みで教えているのだった。
少年の性器は当然か、怒張していてもまだ殆ど皮に覆われ大きくはなかった。早苗はそれを容易く根本どころか睾丸まで咥えると、口内で転がし始めた。情けない顔をして悲鳴の様な声を上げる少年。
「ふぉふぉをふぉーふると…」
少年を咥えたまま早苗は口をもごつかせると、そのまま葡萄の中身だけを吸い取るよう、陰茎に吸い付きながらゆっくりと自分の顎を引いていった。生れて初めて感じる強烈な快感に少年は涙さえ流し始める。
「キモチいいでしょ♥」
頂きをぴょっこりと覗かせた少年の鈴口に口づけしながら上目遣いに早苗は尋ねる。少年は強烈な快楽に脳みそを焼かれてしまったのか頷くことさえ出来ない。その様子が可愛かったのか、早苗は睾丸を揉みし抱きながら自分の涎と人生で初めて溢した少年の淫液に塗れたシメジのように小さい性器に頬ずりした。次いで先っぽを咥えると早苗はそのうねる舌先を茎を覆う皮の間に差し入れた。びくりと、体を震わせる少年。そこに溜まった汚れを早苗は丹念に舐めとり美味しそうに味わう。
「剥いてあげますね」
そうしてそのまま早苗は指で幼い陰茎が纏っていた包皮を剥き始めた。早苗が丹念になぶり、加え少年の陰茎が爆ぜるのではと思えるほど怒張していたお陰か包皮はにぬきの卵の殻の様に容易く剥けた。
「ああっ、お姉ちゃん…僕のおちんちんが…」
「大丈夫ですよ。大人になったらおちんちんさんはこんな風に頭をだすものなんですから」
まあ、出せない人もいるんですけれどね。よかったですね。少なくとも真性じゃないですよ、と早苗。少年の包皮を戻らぬよう指で押さえたまま赤々と膨れている亀頭を愛おしげに眺める。
「じゃあ、そろそろ…」
ぱくり、と美味しいものでも食べるかの様に再び少年の性器にしゃぶりつく早苗。皮越しではなく直の感触に今度こそ少年は泣く様な声を上げた。
じゅぽじゅぽとわざとらしく音をたてて早苗はストロークを繰り返す。少年はもう顔を引きつらせ涙を流し、顔を真っ赤に未知の快楽に震えている。
「お姉ちゃん♥ お姉ちゃん♥ おしっこ、おしっこでちゃうよっっ!」
「うふ、おしっこじゃないですけど、出してもいいんですよ♥」
「ああっ♥ あああああぁぁぁぁぁあ♥♥♥」
そして、早苗の口の中へ初めての精を放つ少年。まだ薄いが若さ故に清々しい青さを感じる精を早苗は喉をごくごくと鳴らして嚥下した。
「はい、ごちそうさまでした」
「ううっ、お、お姉ちゃん…」
ニコリと微笑む早苗の顔を、何が起こったのか分らないといった面持ちで少年は眺めていた。
「そう言えば、どうしてお山を登っているんですか?」
喉が渇いた時のために持ってきていたお茶で口を濯いでいた早苗はふと、こんな小さな少年が一人でこんな山道を歩いていることを不思議に思い問いかけてみることにした。つい最近まで妖怪の山と言えばその名前の通り完全に妖怪のテリトリーでよほど腕のたつ人間か自分で腕がたつと思っているバカのどちらかしか足を踏み入れない危険な場所だった。今でも守矢神社までまっすぐ伸びる山道以外は殆ど立ち入り禁止区域と言っても過言ではない。
と、
「ああ、そうかうちの神社にご用だったんですね」
早苗は自分の考えから回答に至った。よく考えなくてもこの道は山の上の神社にしか通じていないのだ。そこを登っているなら目的地は当然、一つしかない。早苗が目を向けると少年は小さくはい、と頷いた。早苗は少年の話を聞くために、彼の目線の高さに合わせる様、先程の行為の時と同じように少年の膝前ぐらいの位置にしゃがみ込んだ。
「あ、あのくーさまが…」
「くーさま?」
先程の快楽の残滓にまだ惑わされているのか、少年はぽつぽつと顔を赤らめながら自分がどうして一人でこんな険しい山道を登っているのかを語り始めた。その愛らしさに思わず早苗は少年を押し倒しそうになったが自重した。そこに売女ではなく巫女としての何かを感じ取ったからだ。
「くーさま、ご病気でそれで…」
「ふむ」
少年の話を纏めるとどうやら両親を喪った彼は遠縁のあるお屋敷で使用人見習いとしてやっかいになっているようだった。そのお屋敷の現当主が何か重い病を患い床に伏せているらしい。少年はその『くーさま』の健康祈願と病の治癒を守矢神社にお願いするためにどうやらこの山道を登っている途中だったようだ。
「成る程、お話はわかりました」
少年の話を聞き終えると早苗はゆっくりと立ち上がった。
「つまり、その『くーさま』に元気になって欲しいから、うちの神さまの所へお参りに来たと、そういうわけですね」
「うちの?」
首をかしげる少年。もう、その時には普段の調子を取り戻している様だった。
「ええ、見てください。この格好。お姉さんが何をしている人なのかすぐに分るでしょう」
「………おちんちんを舐める人?」
少年が放った躊躇いがちな言葉にがくりと膝を折る早苗。
「それはその…しゅ、趣味ですよ。お姉さんの本業は巫女さん。つまり、神さまの遣いなのです」
「神さまの?」
「ええ、巫女にお話しするのは神さまにお願いするのと同じ事なんですよ」
そう、自分の仕事を胸を張って説明する早苗。ついでに妖怪退治、異変解決、売春、デリバリーヘルスも私の仕事ですが、と付け加える。
「じゃあ…じゃあ、お姉ちゃん…くーさまを、くーさまを助けてください!」
「ええ、もちろんですっ!」
少年の切実な叫びに優しい笑みで早苗は応えた。
もっとも…
―――ふふ、将を射んとすれば…なんでしたっけ、まぁ、こうやって子供からオトしていくのが布教のセオリー。子供の言うことですし、どうせその『くーさま』というのも風邪か何かでしょう。ちょっと風祝の力を使えばちょちょいと治るはず。あとはその縁で一族郎党を守矢神社に引き込めば…
「ありがとうお姉ちゃん」
―――それにこの子、なかなか将来有望そうな顔をしているじゃないですか。遠縁とは言えその親族の『くーさま』もたぶん結構なイケメンじゃないかなーと。ふふふ、これは信者とお金持ちイケメンの恋人の両方をゲットするチャンスです。
腹の中でそんな打算的な考えをする早苗。
まかせてください、と少年の肩に手を置き、
「じゃあ、まずはその『くーさま』の所へ案内していただけますか」
そう言うのであった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「えっと…」
「どうも初めまして東風谷早苗さん」
件の『くーさま』の部屋に通された早苗は酷く困惑していた。
「ど、どうもはじめまして」
敷いた布団から何とか上半身だけを起こして挨拶してくれた人物にかろうじて平静を保ちながら返事する早苗。あまりにも何もかもが予定を大幅に上回っていて思考がそれについていかないのだ。
引きつった笑みと妙な汗をかきながら早苗は何とか冷静に取り留めようとした。
順を追って話そう。
一緒に山を下った少年に案内された場所はお屋敷と称するには十分な広さを持っていた。成る程、これほど大きければ少年の一人や二人、いや十か二十ぐらいは十分賄えるだろうという広さだった。面積だけで言うならあの紅魔館を遙かに上回っている様に思える。様式は和風だったが一部、洋式の建物がある様で高い白塗りの囲いの向こうに丸いドーム状の屋根が見えた。
これは…と思う早苗の手を引き少年は屋敷の中へと入っていく。案内された先は件の『くーさま』の部屋ではなく少年の監督役の老女中の所だった。なるほど。まずは直属の上司に報告、と言うわけですか、と少年の行動に感心する早苗。
挨拶もそこそこに、女中は少年にお友達かい、と尋ねる。少年はくーさまに会わせようと思ってつれてきました、と応えた。途端、訝しげな視線を向けてくる女中。まぁ、遠縁とは言え所詮は使用人見習いとして置いてもらっている子が連れてきた何処の馬の骨とも分からぬ輩をお屋敷の当主にすんなりと会わせるわけがないだろう。悪いけど、ときびしげな口調で切りだしてきた女中に先手を打つ様、早苗は自分を神社の巫女だと自己紹介した。
「巫女さま? はぁ、これはこれはわざわざ」
途端、態度を軟化させる女中。手をたたき端女を呼びお茶とお菓子を用意しなさい、と命令する。早苗はそれを断り、ご当主さまに会わせてくれるよう老女中に頼んだ。話をしたい相手はこんな老婆ではなく『くーさま』なのだから。
女中は少し落胆の色を見せながらも、早苗が続けてご当主さまのお体のことでおはなしがあるのです、と説明すると分かりましたと頷いてくれた。
老女中に部屋に戻るよう言われた少年を紹介してくれたのは彼ですから、と引き止め、早苗はお茶菓子をもって現れた端女に案内された。
守矢神社のご威光はこんなところまで広がってるんですね、とほくそ笑む早苗。と、後ろから所であの巫女は博麗の? 違う。ああ、山の新参者の方だったか、なんて言葉が聞こえてきて廊下のど真ん中ですっ転びそうになった。
どうしたんですか、と案内の者に問われたものも別にと返す早苗。案内されたのは当然ながら屋敷の一番奥の部屋だった。
そして、その『くーさま』の姿を見て早苗は二つ、落胆しなければいけなかった。
一つは『くーさま』の容体が早苗が考えていた様な軽いものではなかったと言うことだ。面会を許される前に老女中から再三、御当主さまを無理がかからぬようお願いします、と釘を刺されたのだが、話を聞いていた時早苗はそれを大げさだと内心あしらっていた。だが『くーさま』の姿を見てその考えが間違っていることに気がつかされた。
こけた頬。枯れ木の様に細い指。死人もかくやな青白い肌。苦しそうな呼吸音。風邪などとんでもない。一晩二晩布団にくるまっていれば治るどころか、残りの生涯を床の上で過ごさなければならないような大病を『くーさま』は明らかに患っていた。
そして、もう一つは…
「まさか女の子だったとは。かってにイケメン草食系男子だと思ってましたよ」
「はい? よく分りませんけど、よくいらっしゃいました。稗田家九代目当主、稗田阿求でございます」
布団の上でぺこりと頭を下げたのはおかっぱ頭の早苗とそう年の変わらぬ少女だったのだ。あちゃー、と早苗は自分の煩悩の深さを呪った。
「まぁ、気を取り直して…初めまして阿求さん。えっと、『くーさま』って呼ばれてたのは…」
「『くーさま』はあくーさまだから『くーさま』なんだよお姉ちゃん」
「坊、あくー、ではなくあきゅうよ。ふぅ、どうやら幼子には阿求という名前が難しいようでして」
「ははぁ、なるほど」
少年の言い間違いに困った顔をする阿求に早苗は愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「それで東風谷さま、今日はどういったご用件で?」
「えっと…」
さて、どうしようかと早苗は思案する。
「お体の具合が悪いと伺いまして…幻想郷の皆様の健康と平和を願う守矢神社の巫女といたしましては居ても立ってもいられず、こうして阿求さんの健康を祈願するためにはせ参じたわけなのですが」
案内されたとき、それとなしに確かめた阿求の部屋は部屋の三方を天井まで届く本棚に囲まれ、残る一方にも窓際に書物用の小さな机が備え付けられていた。それ以外にも古風なタイプライターや洒落たアンティーク、茶器のセットが置かれていたが病人にはあって当然の薬袋らしきものは置かれていなかった。
幻想郷には腕のいい医者がいるというのに、あえて頼っていないところを見ると古い大家によくあるように信心深く、薬を嫌う反科学信奉者なのかもしれない。そして、どちらかと言えば科学とは対局の力を使う早苗にとってはそちらの方が有難かった。オカルトかぶれである程、宗教は付け込みやすいのだ。
「どうでしょう。すこし視せていただけませんか? こう見えて私も神の血を引く一族の末裔。あなたの病が一般的な病原菌によるものだろうとも末代まで祟る強力な呪いだろうとも絶対に治してみせる自信がありますよ」
そう胸をはってセールストーク。
「お姉ちゃんすごいんだよくーさま。ふつうのお水をねシュワシュワってする甘い飲み物に変えてくれたし、お山からここまで僕を抱えてビューンってひとっ飛びだったんだよ」
すっかり早苗になついた少年が子供なりに助け舟を出してくれた。こういう時、子供の言葉というのは家族にとって案外重要だという事を知っている早苗は内心で少年をほめたたえた。
「それにね僕のおちんちんもキモチよく…」
「アワワワっ! ぼ、ボクそんなことは言わなくていいんですよ」
山中での睦事を口にする少年を慌てて抑える早苗。ゆっくりと振り返ってみた阿求の顔は犯罪の現場を目撃した刑事もかくやというほど、訝しげにゆがんでいた。
「えっとです、これはその…」
弁明しようとする早苗に阿求は深いため息を漏らした。
「まぁ、古の巫女の職務にはそういった秘事も含まれていましたし…貴女の行いはそれとなしに噂でお聞きしたことがありますよ早苗さん」
「あは、あははははははは」
冷ややかな視線の阿求に早苗は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
「坊のような幼子にするのは…少々、如何かと思いますけれど、自由奔放な方なんですね」
「あはははは、まぁ」
皮肉か嫌味か。兎に角早苗は笑ってごまかすしかないと視線を泳がせ、嫌な汗を背中にかいた。
と、
「すこし…羨ましく感じます」
「へ?」
真面目を絵に書いたような雰囲気の阿求からそんな言葉が飛び出してきた。羨ましく? ショタを食べることがだろうか、性的な意味で。
突然の発言に早苗が固まっていると阿求は早苗の考えていることを読み取ったのか、顔を赤くしつつ違いますっ、と慌てたような口振りで否定した。
「その早苗さんがしている…えっと、そういう事に対して憧れをいだいているわけじゃ有りませんよ」
こう見えてまだ生娘ですから、と見た通りのことを口にする阿求。
「その自分の好きなことを好きなだけ、他人に噂されようとしていることが…ですよ。それでいて今のようにきちんと自分の責務も果していらっしゃる。それがすごいことだと私には思えまして、それで…」
羨ましいなぁ、と阿求はぽつりと早苗に聞かせるというよりは独白のように漏らした。
「えーーーー、いやいや、買いかぶり過ぎですって!」
阿求の言葉の意味を飲み込むために数秒を要した早苗は自分が褒められているのだとやっと気が付き、謙遜ではなく本心でそんなことはないと否定した。
「私は楽しんでやってるだけですし、巫女さんのお仕事も好きですよ。それにそんな大変な仕事でもないですし」
よもやこんな形で自分が認められるとは思っていなかった早苗は人前で股を開いても顔を赤らめることはないのに、今は恥ずかしそうに視線を下げながらそう謙遜した。そんなことないですよ、と阿求。
「人間、やはり好きなことを楽しみつつ、同時に役目を果たして行くべきなのですよ。ええ、早苗さんのように。坊も、そ、その…早苗お姉さんとああいうことをするのはまだ早いけれど、早苗さんの様に好きなことを楽しみつつ真面目に働くんですよ」
阿求の言いつけにはい、と素直に応える少年。その彼に向ける阿求の瞳は優しい姉のソレだった。阿求にとって少年は使用人見習いというよりは弟に近しい存在なのだろう。愛といえばそこに性が絡んでくる早苗は二人を少し羨ましそうに眺めた。
「まぁ、阿求さんも何か自分が好きなことをすればいいんですよ。どうです? お体が回復されたら私主催の交友会に参加してみては。阿求さんならその道の男性に大人気になると思いますよ」
「あははは、それはちょっと遠慮させてもらいます。それに…」
早苗の申し出をやんわりと断る阿求。もっとも早苗も九割は冗談のつもりだったのでこの答えは考えのうちだった。
「それに?」
ただ、末尾にそれに…と接続詞が続いたのは予想外だったが。思わず早苗は聞き返してしまう。
「あっ、いえ。真面目な性分なものですから、心の底から楽しむというのが下手でして…読書をしていたり好きな紅茶を飲んでいても心の何処かでお役目のことを考えてしまうんですよ」
そう説明する阿求ではあったがその言葉は何処か本心ではないように早苗には感じられた。いや、本心といえば本心なのだがまだ建前気味で、本当の本心、真実が隠されているといった感じだった。むむ、と早苗は考え込む。
「私も、たまには羽目を外して誰かと…っ」
言葉の途中で不意に阿求の顔が苦しげに歪む。どうしたんですか、と早苗たちが声をかける間もなく…
「ゴホッゴホッ、ゲホッ!…ゴホッゲホッ!!」
阿求は激しく咳き込み始めた。慌てて解放する早苗。そのまま阿求は数分ほど、苦しそうに激しい咳を繰り返した。早苗は優しく阿求の背中を押さえると少年に目を向け、誰か呼んできてください、と大きな声で言った。
「だい、大丈夫ですから…早苗さん。いつものことです」
それを制する阿求。言葉のとおりなのかあれほど咳き込んでいた阿求はものの五分ほどで己の体を御し、何とか平常に取り留めた。
「でも…」
何か言葉をかけようと早苗は頭を巡らすが何もいい言葉はでてこなかった。嫌な空気が部屋の中に立ちこめ始める。
「早苗さん、小腹が空きませんか? 坊、お台所に行って何かおやつを戴いてきなさい」
と、不意に阿求は少年にそう言付けた。突然言われた少年は一拍遅れてはい、と頷き立ち上がった。おやつが食べられるのならどんな時間帯でも嬉しそうな顔をする年頃だろうにそこに影のある表情が張り付いているのはこの妙な空気が耐え難かったからか。失礼します、と礼儀よく声をかけてから少年は扉の向こうへ消えていった。
「………」
後には早苗と阿求の二人だけが残った。首を締付けるような嫌な空気は相変わらず立ちこめている。
「早苗さんは…」
その空気の中、阿求が静かに口を開いた。けれど、それぐらいでは停滞した雰囲気というものは動き出さなかったが。
「はい?」
雰囲気に矢張気押されているのか、なかなか続きを話そうとしない阿求を後押しするよう早苗は疑問符を浮かべる。
「巫女のお仕事もきちんとなさっていますし、自分のその…ご趣味にも精を出しています。そこで…意地悪な質問なのですがそのどちらかしか出来ない。そういう話になった場合、早苗さんはどうしますか?」
「仮定…の話ですよね。仕事に生きるか趣味に生きるか、そういう」
はい、と阿求。そうですね、と早苗は顎に人差し指を当てて考え始めた。いや、そんなに深く考えるまでもない。元より早苗は悩むようなタイプではないのだ。
「両方を、それなりに。私って結構欲張りですから、出来る限りでもできる事をしたいんですよね」
そう応える。顔に笑みを浮かべて。
「そうですか…」
満足したような口ぶりの阿求、いつの間にか場を支配していた重苦しい空気は消え失せていた。
「それで、この質問の意味は?」
空気が戻ってきたからか、早苗は会話を弾ませようとそんな質問を投げかける。あっ、と一瞬、阿求は口ごもった後、ええ、と応えた。
「今の質問、私の場合は仕事をすることを選びました。遊ばず、お酒も吞まず、キセルも吸わず、博打もせず…えっと、女? いえ、私は女性ですから男も買わず、只ひたすらに仕事を」
語る阿求。その口ぶりに妙な重さを早苗は憶えた。
「それが良かったのかどうか…仕事を全て終えた私は疑問に思っています。もう少し、早苗さんほどではないにしても遊ぶことを…お酒を吞み、キセルを吸い、博打をして、男を買うようなことを」
そう言った後、ふっと阿求は自嘲げに笑みを浮かべ、
「いえ、流石にそこまでは無理ですね。でも、誰か友人を作ったり、恋人をつくったり、そういうことぐらいはしてきても良かったのでは、と」
今更ながらに思うのです、そう阿求は軽い後悔と深い諦めの籠もったため息をついた。
「………」
その言葉に早苗は先程のように今からでも愉しめばいいんですよ、とは応えてあげられなかった。けれど、代わりに…
「お友達なら、私がなってあげますよ」
「えっ」
そう阿求に告げた。
「ええ、阿求さんとは年が近いですし、どうも幻想郷の私と同じ年の女の子は喧嘩っ早いのが多くて…一緒にお茶したり、お話ししたり、面白そうな本を貸し借りしたり、セフレ交換してみたり」
「あはは、最期のはちょっと」
「でも、どうです? お友達になってくれませんか?」
手のひらを差し出す早苗。阿求は布団の中に押し込まれていた細く皮だけの手を出すとそれを握り返した。新しい友情が生まれた瞬間だった。
「よかった。これでもう後は…っ、けほっ、けほっ!」
言葉の途中でまたも咳き込み始める阿求。慌てて早苗は近寄り、背中をさすって解放するが阿求の咳は止まらない。まるで肺胞を吐き出すようにケホケホと咳き込んでいる。
「くーさま、お姉ちゃん、婆が栗まんじゅうを…くーさま!? くーさま!?」
そこへタイミングよく、お盆にお茶と菓子を乗せた少年が戻ってきた。部屋の惨状をみて慌てふためいている。
「ボク、誰か! 誰かお屋敷の人を呼んできてください!」
少年に一喝するようそうお願いする早苗。先程は大丈夫いつものことだと言っていたが阿求の咳は止まらずどう見てもその様は大丈夫ではない。自分の手に余ると思った早苗は阿求の容態について詳しい人に観てもらうべきだと判断したのだ。
言われた少年はすぐさまはい、と大声で頷きお盆を放り出して慌ただしくもきた道を戻っていった。
程なくして老女中と他数人、屋敷の者が阿求の部屋にやって来た。遅れて近所に住んでいるという薬師も使いの者に呼ばれ走ってここまでやってきたのだろう、息を切らせながら現れた。その人達に押し出されるよう、早苗と少年は部屋を追い出された。早苗は自分の力ならなんとかなるかもしれないと屋敷の者に訴えてみたが、やんわりと断られた。無理も無いだろう。巫女とはいえ今日、ふらりと屋敷を訪れたような者に当主の命をあずけるような真似は屋敷の者たちには出来なかったのだ。それを理解したというわけではないが早苗はそれ以上、食い下がらないような真似は見せなかった。早苗にも判っていたのだ。
阿求の体を蝕んでいる病が如何な奇跡でも治すことが出来ぬような死病であることを―――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ふぅ…」
机に向かいながら阿求は軽くため息をついた。開け放した窓から見える景色を感慨深く眺めては、思い出したようにそれを繰り返している。まるで軟禁されているどこかの帰属のようだった。
いや、あながち喩え話でもないかもしれない。あれから二日、体は何とか持ち直したものの、依然として自分の部屋から出られるほど、阿求の体力は回復していなかった。いや、回復できないといったほうが正しいか。
仮に体力をパーセンテージで表せるとすると、健常者が十分に休息をとれば100%まで回復するところが阿求はどれほど休んでも70か80程までしか回復しないのだ。体力の最大値が少ない、と言い換えてもいいかも知れない。そして、阿求の体力の最大値は日に日に少なくなってきているのだ。このままではやがて0に至るだろう。そうなった時、阿求は…
「ふぅ…」
またため息が漏れた。
そこはかとなく時間ややる気といったものを持て余しているようなため息だった。
「何もしなくてもいい、というのは案外辛いですね」
そう自嘲げに笑う。机の上には硯と筆と白い紙、板書の用意がしてあるが適当に一、二行書いただけで落書きにもなっていなかった。
「今まで起きては筆を取り、日が高くなったら出かけて人の話を聞きに行って、の繰り返しでしたからね」
幻想郷の妖怪たちの生体を記した幻想郷縁起を執筆していたときの話だ。今はその役目も終わり、ある意味で阿求は暇を持て余していたのだ。
「早苗さん…遊びに来てくれないでしょうか」
仲良くなったばかりの友人がそうすぐに遊びに来てくれるはずがない。加え一昨日、自分は殆ど危篤と言ってもいい状態でいったいいつ早苗が帰ったのかさえも知らなかったのだ。もしかするとこのまま早苗は二度と稗田家の敷居を跨がないのでは、と一瞬、阿求は不安に駆られた。
「ああ、そうだ」
何か思いついたのか、阿求は適当に走り書きしていた紙を四つ折りにして捨て、新しいものを用意すると筆を手にとった。
「お手紙を出してみましょう。まずは交換日記から、なんてお話も読んだことがありますし」
拝啓、と書き出し始める阿求。手紙は坊に届けてもらえばいい、と考える。ついでに早苗お姉ちゃんと変なことをしないように釘を差しておかないと、とも。
そんなことを考えながらお日柄も良く、と続けて書いていく。だが、筆は挨拶文を書いたところで止まってしまった。
「ここからなんて書こうかしら」
ふむ、と阿求は考える。
思い起こしてみれば友人になったものの話したのは一時間にも満たないような僅かな時間だった。体感的にはかなり長い間話していたと思っていたのだが、どうやら体調不良による体内時計の狂いだったらしい。
「そもそも友人宛の手紙なんて今の代になって書いた覚えがないし…うーん」
縁起の執筆中には取材やなんやらでお礼のお手紙は何通か出したのだけれども、と阿求。なかなかいい出だしが思いつかず自然と視線が窓の外へ向いてしまった。
と、
「………?」
窓から見える屋敷の垣根の向こうに誰かが立っているのが見えた。
稗田の屋敷は高い壁に囲まれているが阿求の部屋がある一画だけは背の低い垣根を植えて屋敷の外側が見えるようになっている。外に出られないのだからせめて外が見たいと阿求が屋敷のものに頼んだからだ。
といっても阿求の部屋から見える景色は特いいというわけではなかった。僅かに人の足によって踏みならされた道と広い野原が見えるだけの場所。その向こうにはもう山が広がっている。道は近隣の山へ通じているだけで人通りはあまりない寂しい道だ。
そこに珍しいことに誰かが歩いていたのだ。
暇つぶしか、何かの異線に触れたのか、阿求はその歩行者のことを眺めた。
歩行者は若い男性のようだった。詰襟の白い蘭服を着ている。幻想郷ではあまり見かけない服装だ。
普段は人気のない道に見慣れない格好をした青年が一人で歩いている。興味が沸いたのは奇妙さ故だろうか。
そうじっと阿求はじっと青年を眺めていた。
と、阿求の視線に気がついたのだろうか。青年は振り返り、阿求の方へ顔を向けペコリと頭を下げてきた。遠目に眩しい笑顔が見えた。
瞬間、
「っ」
何か、胸に引っかかるようなものを、阿求は覚えた。
なんだろう、とその気持ちを整理しようとする。その前に…
「あ…ッ!?」
気道を鉄線で縛られたような、そんな耐え難い苦しみに不意に襲われた。
「ゲホッ、エホッ、ゴホッ!!」
机に突っ伏し激しく咳き込み始める阿求。
視界が一瞬で暗黒に覆われ、脳神経が次々に断絶していく。心臓が激しく脈打ち、毛細血管が破裂しそうなほど膨れ上がる。胸を押さえ、うずくまり何とか回復に務めるがそれを嘲笑うよう、己の死に直結しているにも関わらず咳は止まらない。
一昨日の発作と同じレベルの酷さだ。あの時は早苗が家の者を呼んでくれたお陰で助かった。だが、今回は?
「ッ―――」
阿求は胸を抑えながらも何とか手を伸ばす。机の上にはこんな時の為に使用人を呼びつけるためのベルが置いてあるのだ。だが、その震える指先がベルの持ち手に触れた瞬間、阿求は誤ってベルを机の上から落としてしまったのだ。からん、と小さな音を立てて机と本棚の間に落ちてしまうベル。あんな小さな音では誰も気がつかないだろう。
まずい、と絶望する精神さえも苦しさの前に希薄になっていく。酸素を求め胸を激しく上下させるが、尚も喉はえずき続け、僅かな一呼吸さえ出来ない。
「あッ、ぐ…」
苦しみのあまり書きかけの手紙を握りつぶす。手に乾ききっていない墨がつく。せっかく早苗さんに出すための手紙を書いていたのに、ともはやまともな思考が働かない頭で阿求はぼんやりと考えた。
「早苗…さん…」
唇から自然と新しく出来た友人の名前が溢れる。せめてもう一度…そう瞼の裏に早苗の横顔を描く。
それが阿求の最期の………
いや
「大丈夫ですか!!」
混濁し消え失せかけていた阿求の意識を呼び戻す声が聞こえてきた。薄ぼんやりと開いた視界の先に早苗の顔があった。
「あな、たは…」
「喋らないで!」
いや、違う。見間違いだ。阿求の顔を覗き込むようにしていたのは早苗ではなくまったくの別人だった。
「じっとしていてください」
咳き込む阿求を介抱しているのはあの道を歩いていた青年だった。苦しむ阿求の姿を見かけて一目散にやってきたのだろう。取り敢えず咳を落ち着かせるために優しく背中を撫でている。ついで阿求がある程度、落ち着くと青年は両手を合わせ、二言三言なにやら呪文のようなものを唱え始めた。緑色の輝きが青年の合わせた手の間から漏れ始める。同時に草薙を思わせる暖かな風。その輝きを見つめているとあれだけ阿求を苦しめていた発作は嘘のように消え失せてしまった。
「よかった。何とか収まってくれたみたいですね」
そう阿求ににっこりと微笑みかける青年。
「今のは…?」
まだ、何が起こったのか分からず阿求は持ち前の探究心通り、そう問いかけてしまった。
「えっと、ああ、僕、実は魔法使いでして、それで治癒と回復の魔法を…えっと、大丈夫ですか?」
手を振って説明する青年。なるほど、魔法使いなら今の阿求の体を手も触れずに治したことも頷けるし、その幻想郷ではあまり見かけないような格好にも頷ける。そこまで考えて、ああっ、と阿求は顔を赤らめた。
「も、もうしわけありません。助けていただいたのにお礼もせず…そ、その本当にありがとうございました」
慌てて頭を下げる阿求。いえいえ、と笑って謙遜する青年。
「困っているときはお互い様ですから」
許すよう、阿求にそんな言葉を投げかける。よく通る綺麗な声だった。
「………」
いや、声だけではない。
中性的で端正な顔立ち。女性でもそうはいなさそうな極め細やかな肌。それでいてスラリと長いけれどがっしりとした手足。二重のまぶた。まるで舞台俳優か何かのような青年の美しさ格好良さに阿求は見惚れてしまったのだ。
「えっと…どうかしましたか?」
「あっ、い、いえ…」
言われ、自分が青年の顔をじっと見つめていたことに気が付き顔を赤らめる阿求。青年はそんな阿求の反応の理由が分からず小首をかしげた。
「阿求様、何か物音が…って」
そこへ部屋の扉を開いてあの老女中が入ってきた。一瞬、時が止まったように動きを止める三人。老女中は青年の姿を一瞥。頭のてっぺんから靴を履いたままの足の先までを眺める。ついで主人である阿求の格好を確かめる。上気した頬。こめかみを滴る汗。そして、乱れた衣服。阿求がそんな格好になってしまっているのは先ほど激しく咳き込んだせいだったのだが、どうやら老女中はそんなことは考えなかったようだ。
「いやあぁぁぁぁぁ! 阿求様の部屋に男が! 阿求様が! 阿求様が!」
阿求が青年に乱暴されていると勘違いした女中はその年に似合わぬ大きな声を上げた。当然、それほどの音量なら容易く屋敷の隅々まで声は届いたことだろう。青年が弁明するより先に腕っ節の強い男衆が大挙して阿求の部屋にやってきたのは言うまでもないことだった。
「本当に申し訳ございません。なんとお詫びすればいいやら…」
「いえいえ、いいですって。ええ、確かにか弱い乙女の部屋に見知らぬ男が入り込んでいれば誰だって叫ぶものですよ」
青年を前に深々と頭をさげる阿求。後ろでは同じく男衆や老女中がバツが悪そうな顔をしながら同じように頭を下げていた。
大丈夫ですから、と笑う青年の顔にはあちこち打ち身や擦り傷が出来上がっている。
あの後、押しかけてきた男衆に囲まれてしまった結果だった。義憤にかられた男たちはあ級の止める声も遠く、怒りに任せて拳を握ると青年を寄って集って袋叩きにしてしまったのだ。結局、その暴行は男衆のまとめ役の爺が現れるまで続き、そのせいで阿求たちは屋敷の者総出といった感じで青年に頭を下げているのだった。
「本当に申し訳ございませんでした」
「はは、大丈夫ですから」
もう一度、深々と阿求は深々と頭を下げた。いいですから、と青年は阿求たちを許そうとする。その顔にっー、と血が一滴、流れてきた。
「あっ、血が。婆、救急箱を。貴方達ももういいですから自分の持ち場に戻りなさい」
そう使用人たちに命令する阿求。よし、貴様ら罰として今からマラソンじゃ、と一喝するまとめ役のご老体に引きつられゾロゾロと部屋から出て行く男衆。老女中も続いて部屋を出ていき、程なくして救急箱を手に戻ってきた。
「ここはいいですから婆も部屋に戻りなさい」
「で、ですが阿求様…」
帰ってきた老女中に阿求はそう命ずる。一瞬、引き下がらなかった女中だが、阿求に一睨みされ、結局、怒られたかのように退散するしかなかった。
「お怪我の方、診せてもらいますね」
救急箱を開けてそういう阿求。脱脂綿と消毒液、それとピンセットを取り出す。
「すいませんお手数をかけてしまって」
「いえ、元はといえばこちらのせいですから」
本当にすいません、と謝りながら阿求は消毒液で濡らした脱脂綿で青年の傷口を清め始めた。
「お上手と言いますか、慣れていますね」
「えっ、あ、はい。一刻、あちこちを歩きまわったりしていたもので、その時に…」
妖怪について調べて歩くということは時に危険を伴うこともある。幻想郷縁起の作成の途中で阿求は何度か妖怪に襲われたり、妖怪とは関係ないけれども怪我を負うこともあった。加え妖怪に襲われたという怪我人に出くわすこともあったのだ。昔とった杵柄、そういう事だった。
手慣れた動作で阿求は青年の傷口に軟膏を塗ったり、絆創膏を貼ったりする。
「………」
と、会話が止まってしまった。顔を弄られている青年は元より喋りにくいのでこういう場合は阿求が何かしら青年に話をしてあげなければならなかったのだが、生憎と阿求の口は喋ることをサボってしまったかのように動かなくなってしまっていた。
それは傷の治療に専念しているというより…
――怪我しているのに格好良く見えるなぁ
青年の顔にまたも見惚れているからだった。
先程よりも間近で、しかも、顔の治療をしなければいけない性質上、ジロジロとかマジマジとかを通り越して凝視してしまっている。といううか、みょんに顔の傷が多いのは気のせいだろうか。何処かパルパルしい気配を阿求は感じているが。
「かっこ好い…ですね」
「はい?」
ふと想っていたことを口に出してしまう阿求。あっ、と声を上げるがもう遅い。その独白はしっかりと青年の耳に届いていてしまった。
「あ、あの…いえ、その…」
慌てて青年から離れる阿求。しどろもどろに口ごもりながらなんとか言い訳を探そうと視線をさ迷わせる。
その手から傷口を綺麗にしていた脱脂綿が挟んでいたピンセットの間からこぼれ落ちた。
「あっ」
とっさに手を伸ばす青年。手のひらに自分の血と消毒液をたっぷりと吸った脱脂綿が落ちる。
「よかった。綺麗なお召し物の上に落ちなくて」
その体勢のまま青年はにっこりと微笑む。
「あ…う…」
自分の胸元あたりから上目遣いに微笑む青年の顔を目の当たりにして阿求は押し固まってしまった。
耳元が熱くなり、自分の鼓動さえ聞こえてきてしまう。ぐるぐると瞳が周り、一体、何をどうしたらいいのかさっぱり分からなくなる。
「え、えっと…その、あの…」
「はい?」
またもしどろもどろに。あうあう、と口をもごつかせる阿求。青年ははにかみながら疑問符を浮かべるしかなかった。
「そ、その…!」
そうしてやっとでた言葉は
「お、お名前は? まだ、伺っていないですからっ!」
いたく普通の質問。けれど、力みすぎたものだった。
「ふふっ…」
「え…?」
吹き出すように笑い始める青年。
「あ、あの…」
やはりもう少し落ち着いてから聞くべきだったか、と阿求は火を吹き出しそうに成る程、顔を赤らめる。失敗した、と心中はまるで穏やかではない。
「いえ、その…」
まだおかしいのか青年はお腹を押さえ、目尻に溜まった涙を拭っていた。
「僕の名前ですね。ああ、そうですよね。まずは名前を言わないと」
こほん、と軽く咳払い。
「えっと、僕の名前はグリーン。白魔術師です」
「ぐりーん、さん…」
その名前を確かめるよう、口にする阿求。
「はい。よろしくお願いします、阿求」
「………」
その時の彼の笑みをずっと忘れないでいようと阿求は心に決めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ぽー」
「えっと…」
少年に誘われ稗田家に遊びに来ていた早苗は酷く困惑していた。
「ぽー」
特に何をするでもなく宙のあらぬ一点を見つめ、時折上気した頬を弛緩させている。
「あ、あの阿求さん…?」
それが今の稗田家当主の姿だった。
相も変わらず布団から出られるような体ではないのだが、桜色に染まっている頬からは以前のような酷い病魔の気配は感じられない。変わらず体調は悪いようだったが、病は気からと言うのか阿求の体はほんの僅かではあるが回復傾向にあるようだった。
「くーさま、最近、早苗お姉ちゃんだけじゃなくってもう一人、仲良くなった人ができたんだよ」
早苗と一緒にオセロをして遊んでいた少年がそう早苗に説明してくれた。早苗は最初、へー、と興味なさげな反応を返していたがすぐに考えを改めたようで、布団の上の阿求に詰め寄り、
「…男ですか? 阿求さんもすみにおけませんねぇ」
そう下世話な笑みを浮かべて問いかけた。
はっ、と桜色だった阿求の顔が耳まで真っ赤に染まる。
「ち、ちちちちち、違いますっ! グリーンさんとはそう言った関係じゃ…」
「へー、グリーンさんって言うんですか。イケメンでお○んちんおっきそうですか?」
「で、ですから…!」
根掘り葉掘り件の阿求の新しい友達について聞き出そうとする早苗。最初こそ阿求も恥ずかしがってしどろもどろに何も言わなかったが、本心では話したがっていたようで気がつけば早苗が促さなくとも自分からグリーンの事を語るようになっていた。
「というわけでして、その早苗さんのように危ないところを助けていただいたのですよ」
「なるほど。魔法使いって言うと魔理沙さんみたいな感じですかね」
ふむふむ、と頷く早苗。語り終えたとはいえまだ少し恥ずかしいのか阿求はうつむき加減に顔を赤らめていた。
「で、阿求さんはそのグリーンさんを狙っていると」
「いっ、いえ、そう言うわけでは…」
「じゃあ、私にも紹介していただけませんか? 乱交パー…おっと、交友会にお誘いしたいので」
「そっ、それは駄目です!」
大声を上げる阿求。と、早苗がニヤニヤと笑いながら自分を見ていることに気がつき、やっと阿求はからかわれているのだと理解した。あう、と耳から煙りでも吹き出しそうな程顔を赤らめてそのままもぞもぞと布団の中へと潜り込んでしまった。
「まぁ、うちに縁結びの神さまはおられませんが、一人の友人として阿求さんとそのグリーンさんの仲は応援しましょう。ええ、こう見えて外の世界じゃよくクラスメイトに恋愛相談を持ちかけられたものですよ」
そう胸を張る早苗。
「ですから彼とは、その…そういう仲では…」
「彼ですって、キャーっ」
「きゃーっ」
頬に手を当て体をくねらせる早苗。少年もよく分かってはいないものの真似をしてみせる。もぅ、と阿求はため息を付いたがまんざらではないようだ。
「それで、そのグリーンさんとはどの程度まで進んだんですか? アナルセ○クスぐらいはもう」
「飛躍しすぎですっ、早苗さん。その…彼は魔法の研究をしに幻想郷に訪れたそうでして、稗田家は見ての通り本が多いですから、よければ研究の一環のために蔵書の一部を拝見させていただけないと」
「うーむ、そういう建前ですか。やりますねMr.グリーン」
「それでここ何日かは二日置きぐらいに我が屋敷に来られまして。ついでに…ちょっとお茶なんかを。あと、私の体調がよくなるようにと治癒の魔法をかけていただいたりして頂いているんです」
「ほうほう」
興味深げに頷く早苗。やはり年頃の女の子か。色恋沙汰には興味津々のようだ。
「阿求さんの反応を見る限り、いい感じじゃないですか。もう、You付き合っちゃいなよ、ってトコですね」
「そそそそそそ、そんなっ!?」
早苗の言葉に目を丸く、あわわわ、と慌てふためく阿求。さっきから表情がコロコロと変わって面白いなぁ、と早苗は優しげに笑みを浮かべる。
「わ、私なんて貧相な体つきですし、生まれて以来仕事尽くめの人生でしたし、今時の若者の遊び方なんて知りませんし、そんな私なんかが殿方とお付き合いなどど…それに…」
と、慌てふためいていた阿求の顔に影が差し込んできた。尻込みしている、という風ではない。もっと深刻そうな、そんな雰囲気。そんな様子の阿求を見て早苗は僅かに眉尻を下げた。そして、いいですか阿求さん、と話を切り出した。
「阿求さん、女の子が私なんか、なんて言っちゃ駄目ですよ。女の子はですね、好きな人ができたら後はその人とエッチするためにひたすら頑張る生き物なんです。男の人と違って女の子の本当の相手は一人しか作れないんですから、尻込みしてちゃアソコが砂漠になっちゃいますよ」
暴論か。けれど、
そっと阿求の手を取る早苗。
「だから、迷っちゃ駄目です。好きになったんなら一直線。エッチできるまで帰ってくるな、ですよ」
励ましの言葉。とても常識的な考えではなかったが早苗の言葉は確かに阿求に届いたようだった。阿求は目尻に涙を浮かべ、はい、と力強く頷いた。
「くーっ、しかし、奥手そうな阿求さんがこんなにゾッコンになるグリーンさんってどんなけイケメンなんでしょう。一度お相手…あ、いえいえ、お会いしたいところですね」
阿求に怖い顔で睨まれてアハハハ、とごまかす早苗。ともあれ早苗の恋愛相談は成功に終わったようだった。
「あの、阿求様…その…」
と、丁度良くタイミングを測ったように阿求の部屋の扉の向こうからそう声がかかった。あの老女中だ。どうかしたの、と阿求。
「その、お客様が」
お客様、その言葉に阿求の顔が喜びと僅かな不安に彩られた。今しがた話していた意中の相手、グリーンが訪れたのかと思ったのだ。誰です、と心中の動揺を隠し切れずに阿求は問い返した。
「それが…その…し、失礼します」
そう部屋の中へ入ってくる老女中。阿求の側まで歩み寄ると顔を寄せ、何者が訪れているのかを主人に耳打ちした。
「―――」
途端、阿求の顔が険しいそれに変わる。
十代の娘の顔から稗田家当主の顔に。そして―――
「早苗さん」
かしこまった口調で阿求は早苗に話しかけた。
「追い返すようで本当に申し訳ないのですが、来られた客、というのは少々込み入った相手でして…申し訳ございませんが今日のところはお帰り願えませんでしょうか」
まるで初めて出会ったときのように堅苦しい阿求の口調。常識はずれな早苗でさえも有無を言えぬような空気が流れる。
「え、あ、はい…いいですけれど」
事情がいまいち飲み込めないものの早苗はそう頷くしかなかった。立ち上がり、深々と頭をさげる。
「それでは阿求さん。朗報、期待していますよ」
「はい――有難うございます。早苗さん」
もう一度頭をさげ早苗は阿求と別れ、部屋から出て行った。
「………」
と、扉を開けた少し先に件の来客の姿があった。
長身と低身の二人組の女性。二人とも分厚い外套を着こみ、なにやらただならぬ気配を放っている。
「貴女は…」
その内の長身の女性の方には早苗は面識があった。男性でもなかなかいないような長身にその丈に見合った大きな胸、そして、その手に携えられた凶悪なデスサイズ。この方は、と早苗は長身の女のパーソナルデータを思い出そうとする。
「おまたせいたしました。ほら、坊。ヤマザナドゥ様たちにご挨拶なさい」
早苗に続いて少年と一緒に出てきた老女中が二人に頭を下げた。ついで少年の背中を軽く叩き、そう躾けるように促す。少年は怯えを見せながらもこんにちわ、と小さく挨拶した。
「はい、今日和。少年、挨拶は忘れてはいけませんよ。特に目上の相手には。挨拶、というのは礼儀としても大切なものですが、それ以上に目上の相手、自分の命運さえもどうにか出来る相手に自分は敵ではないと教えるためにあるのです。だから、目上の相手には絶対に挨拶なさい。敵として見られたくなければ」
長身の女性は軽い調子で少年に挨拶し返したにも関わらず、背の低い方の女性は挨拶ついでにそう長々と講釈を垂れ始めた。まだ幼い少年にその言葉は理解できるのか。けれど、それ以上に畏怖、というものをピリピリとその女性――ヤマザナドゥと呼ばれた彼女は放っていた。
「………」
手のひらが汗ばんでいるのを感じる早苗。聖白蓮や伊吹萃香、その手合いと対峙したときと同じプレッシャーを覚えているのだ。この自分の首辺りまでしか背丈のない小さな女性に。
「………」
そんな心中を察しているのか否か、背の低い女性は早苗には一瞥さえくれず、脇をすり抜けるよう阿求の部屋に向かって歩き始めた。知らずのうちに道を譲る早苗。
と、
「貴女は私に挨拶しないのですね」
すれ違いざまにそんな言葉を投げかけられた。首筋に抜身の刃を押し当てられた感触。
阿求の部屋に入る直前、長身の女性が言葉には出さぬもののすまないね、と片手を立ててみせたが早苗の心は一つも晴れなかった。廊下に立ち尽くしたままゴクリ、と喉を鳴らす。
「早苗お姉ちゃん…」
その早苗を我に返らさせてくれたのは少年の言葉だった。迷子の子供のように早苗の服の裾を掴んでいる。老女中はもう辛い一仕事を終えたようにため息を突きながら自分の持ち場へ戻っていた。
「はいはい、大丈夫ですよ」
少年の頭を優しく撫でてあげる早苗。ついで、少しだけ考えるような動作をして、
「……今の方、苦手なんですか?」
そう少年に問いかけた。少年の早苗の袖を握る手の力が強くなる。
「うん。ヤマダさま、いつも難しい事言うから。それに…」
「それに?」
口ごもる少年を促そうと言葉を続ける早苗。
「くーさまのお体が悪くなってからヤマダさま来るようになったんだけど、いっつもヤマダさま、くーさまに怒ってるから。きっと、くーさまのお体が良くならないのはヤマダさまに怒られてばっかりだからだよ」
くーさま何も悪くないのに、と少年は自分のお姉さんのために涙を流してあげる。ぎゅっ、と早苗は拳を握りしめた。
「死神の上司さんでしたっけ、山田さんとやらは…」
難しい顔のまま早苗は阿求の部屋の扉を睨み付けた。
そうしておもむろに携帯電話を取り出すといずこかへと電話をかけ始めた。
「あ、もしもし神奈子さま。ちょっとお願いがあるんですけれど…ええ、諏訪子さまにも」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「今日、私たちが来た理由は分っていますね」
部屋に入るなり映姫はそう阿求に話を切り出した。布団の上、上半身を起こしただけの状態で阿求ははい、と小さく頷いた。
「今代の彼方の役目は当に終わっています。確かに今回は短かったですが、それと余計な時間をとらせることは何の関係もありません」
映姫の言葉は大きくはなかったがきつく戒める響きを持っていた。阿求は項垂れたまま黙ってそれを聞き入れ、同じ部屋にいる小町も居心地が悪そうにしている。
「彼方は摂理の環から外れた存在。それだけの力が与えられているのですから、同時にそれだけの役目を果たす義務があるのです。理解らずとも識らぬ彼方ではないでしょう」
用意された座布団にも腰を下ろさず、仁王立ちのまま睥睨するよう映姫は阿求を睨み付けていた。傍目にもその心中に怒りの炎が揺らめいているのが分る。
「確かに私も鬼ではありません。二、三日程度なら大目に見ましょう。けれど、彼方は一ヶ月以上、次のステップに進まずのうのうとここに留まっています。それは何故ですか」
質問と言うよりは詰問。何と応えようと全て言い訳だと一蹴される問いかけ。かといって無言も許されない。
「それは…その…」
答のない質問に言葉など出てくるはずがない。阿求は口ごもり、視線を彷徨わせ、なんとか耳にいい言葉を探すが元来の真面目な正確がいい加減な言い訳を許さない。本心を語らせようとする。それが映姫の怒りを買ってしまうと分っていても。
「友人が…その、出来まして…」
「友人? つまり彼方は知り合いと別れるのが嫌で未だ留まっていると? 馬鹿馬鹿しい。彼方ほど今生の別れが戯言になる存在もいません。何度目ですこれは。もはや、馴れきったいつもの行事でしょうに」
「それは識っています…でも、識っているだけで理解りません。私は…私は…御阿礼の子である以前に稗田…いえ、阿求なのですから」
「………」
阿求の苦しそうに絞り出した吐露に暫く厳めしい面のままで睥睨していた映姫。けれど、やがて空気が抜けたように重々しくも気怠げな吐息を吐き捨てる。
「公私混同。此度の彼方は任期期間はもとより、その精神のあり方からして失敗ですね。この短期間でよくぞ縁起をまとめ上げたものだと感心していましたが…どうやらそれが驕りになってしまったようですね。公と私を分けぬのは罪です。罪状は私的流用、それと職務怠慢。再三の命令にも従わぬ、極めて個人的な理由によるサボタージュ。以上により強制執行致します。小町」
と、それまでただの付き添い役で突っ立っていたばかりの小町に不意に映姫は話を振った。一拍遅れて小町ははい、と言葉を返す。
「頸を刎ねなさい」
次いで映姫の口から漏れた言葉は実に無慈悲なものだった。
「え?」
聞こえていたにも関わらず思わず小町は問い返した。
「聞こえなかったのですか、私は刎ねろと言ったのです。稗田阿求の頸を」
「で、でも映姫さま、流石にそれは、ちょっと、酷いと言うか…」
映姫の言葉に尻込みを見せる小町。そんなことはしたくないと態度に示すよう、ぎゅっと手の中の得物を抱くように強く握る。そんな小町を見て映姫はあからさまにため息をついた。
「蝋燭の火が絶えているにも関わらず今代の御阿礼の子が現存出来ているのはどんなトリックを使ったか分りませんが、外的な要因があったからでしょう。ならば、こちらとしては直接的な手段に出るほかありません。つまりは物理的な―――」
言葉の続きは言うまでもなかった。あくまで内に怒りを秘めたまま険しげな顔をしている映姫。対し小町は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた後、泣きそうにその顔を崩して、すまないねぇ、と呟いた。そして、その手の内のデスサイズを上段に掲げた。
「―――」
阿求は唇を真一文字に結んで瞳を開けたまま僅かに顎を上向けた。一見貞淑に見える顔にはよく見れば諦念が化粧の下地のように滲み出ており、その裏には更に諦めきれぬ悔しさが隠されていた。けれど、最早抗うことは出来ない。まるで、否、文字通り死刑執行を待つ受刑者のように阿求はじっと自分の首に鋭くも禍々しい刃が振り下ろされるのを待っていた。
「早苗さん…グリーン、さん」
っーと阿求の瞳から涙がこぼれ落ち、そして…
「待てッ!!」
小町が握った柄に力を込めた瞬間、そんな鋭い一声と共に勢い良く部屋の扉が開け放たれた。現れたのは果して――
「グリーンさん!」
あの白魔術師を名乗る青年だった。一切の気後れさえ見せず、閻魔と死神、二人を睨みつけている。
「やめろ。その子を傷つけることは僕が許さない」
そう啖呵を切るグリーン。いざとなれば戦うことも辞さないつもりなのか、体中から覇気のようなものがにじみ出ている。
「許さない? なんの権限があってそんなことを言うのですか貴女は」
振り返り、グリーンの方に向き直る映姫。こちらも表情を険しく、殺気立ってさえいる。
「権限なんてそんなものはない。だけど、大切な人が傷つけられるのを黙ってみていられるほど僕は外道じゃないんでね」
「無知と蛮勇、それにエゴイズムは罪ですよ。特にエゴイズムは。自らのエゴで他者を無意味にのうのうと存命させる、こんな道を外れたエゴイズムは他にありえません」
「僕が望んでいて、彼女もそう望んでいる。二人が望んでいるのにそれをエゴだと言うのか。僕にはむしろそう強要する貴女の方がエゴイストに見えるね」
「これは私の意志ではありません。決定事項であり、世界の決め事です」
「堅物め」
「俗物が」
対峙し、睨み合う二人。
一色即発の空気。阿求は元より小町でさえも鎌を掲げたまままったく動けないでいた。
はたしてこの均衡はどのように崩れるのか。当事者たちでさえも固唾を飲んで身構える中、真っ先に動くのは誰なのか。緊張が高まっていく。そして…
「さ…グリーン! 阿求! 目閉じてッ!!」
破砕音。阿求の部屋の窓ガラスが砕け、何かが飛び込んでくる。白い円柱。なんだ、と映姫、小町が身構え、阿求は何の反応も出来ぬ中、グリーンだけは窓からかけられた言葉のとおり、固く目をつむった。瞬間、爆ぜ。強烈な光と低威力の弾幕をばらまく白い円柱。
おみくじ爆弾。
「阿求、ゴメン!」
「えっ!」
麩や本棚に穴があき、映姫と小町が軽いダメージを受ける中、グリーンはおみくじ爆弾の弾幕をグレイズしながらすり抜け、布団に体を横たえていたままの阿求に走り寄った。そうしてそのまま走る速度を落とさず、その小さな体を抱き抱えると一気に割れた窓まで詰め寄った。その向こうには、
「こっちこっち、お二人さん!」
ハリーハリーと急かすよう手を振る早苗が立っていた。机を踏み台に、阿求を庇うようしっかりと抱えながらグリーンは窓を突き破り外に飛び出した。
「二度引きはご法度だけど、ま、許してよ」
入れ替わりに早苗はもう一発、おみくじ爆弾を室内に放り込んだ。先程は吉の目が出たが、今度は大凶だった。触れれは皮膚を焼き、吸えば肺を爛れさせ、目を潰す黒い瘴気が部屋の中に満ちる。
「グリーンさん、早苗さん…」
「しゃべると舌を噛む。いいから。このまま逃げよう」
阿求を抱えたまま走るグリーン。そのまま先日、阿求を助けるときに壊してしまった垣根を飛び越え屋敷の外へ。早苗も弾幕を貼りながらついて行く。
「くっ、待ちなさい!」
「うぇー、喉が。ゴホッ、ゴホッ」
当然、映姫も三人を逃がすつもりはないようだった。瘴気みちる部屋から飛び出してくる。小町も同じく何とかはい出てくる。
早苗の攻撃に邪魔されながらも後を追う。
「グリーン、山へ逃げよう」
「そうですね」
早苗の提案に頷くグリーン。雑草が延びた道を山を目指して息を切らしながら走る。山までの距離は大してなく、ものの数分で三人は木がトンネルのように生え茂っている山の入口までたどり着くことが出来た。先に行くよう、早苗が促す。
と、
「そこまでです! 待ちなさい!」
大きな声がかけられる。早苗が振り返れば数十メートルほど離れた場所に映姫と小町、二人が立っていた。もう追いつかれてしまったのだ。無理もない。早苗たちはグリーンが阿求を抱えているため全力疾走からは程遠い速さしか出せなかったのだから。
「ちぇつ、殿軍か。まぁ、それもカッコイイけど」
対峙するようまっすぐ映姫たちの方へ向き直る早苗。
「悪いけど、此処から先は行かせないよ」
そう言い捨て早苗は御幣を水平に構える。逆の手にはスペルカード。通りたければ幻想郷の決闘方式に則り、弾幕でケリをつけようじゃないか。そういう話だ。呼応するよう映姫が一歩、前に歩み出でたが、その映姫に耳打ちするよう、小町が何事かを呟いた。
「映姫さま、先に行って下さい」
瞬間、映姫たちを睨みつけていた早苗は間近に小町の胸の上辺りを凝視していた。
何? と思う隙もあらば早苗めがけ小町が必勝の一撃を放ってくる。くっ、とほぞを噛みながらも早苗は辛くも回避する。
「えっ、何コレ?」
小町が自分の目でも捉えられないほどの高速移動で近づいてきたのかと思ったがどうやら違う。飛び退き視線を周囲に広げたことによって早苗は自分のほうが高速で移動…ちょうど、映姫が立っていた辺りの場所まで移動させられたことに気がついた。ならば、映姫はと先程まで自分が立っていた場所に目を向ければやはりそこに映姫は入れ替わるように立っていた。
「脱魂の儀。普通は自分と相手の位置を入れ替える技だけど、その気になれば別の二人の位置を入れ替えることも出来るのさ」
得意げに笑いながら鎌をふりまわし、構えをとる小町。呼応するよう早苗も御幣を構え直した。
「ああ、あの術。そういう使い方も出来るんだねぇ」
「? お前さんの前じゃこれが初披露だったと思うけど…」
小町の疑問に答えることなく、お返しだと言わんばかりに御幣を繰り出してきた。間髪入れず、鎌の柄でそれを防ぐ小町。
「…小町、その方は任せましたよ。適当に死なない程度に足止めをお願いします」
「合点承知でさぁ映姫さま! なぁに、こんな2P巫女ちょちょいのちょいと片付けて映姫さまの後を追いかけますよっ!」
早苗とつばぜり合いしながら映姫に言葉を返す小町。表情は余裕たっぷりだ。早苗を突き返し、山の入口を背に立ち、行かせないよと立ちふさがる。
「さぁ、かかってきな!」
「クス、面白いなぁ。まー、普通、足止めって言ったら実力が下の奴が上の者を止める時に使う言葉だよね。いいよ。足止めに付き合ってあげるよ」
にやり、と凄惨な笑みを見せる早苗。一瞬、小町は怖気にも似たものを感じたが、今はゲーム中だとその感性を振り払った。
戦いの火ぶたは切って落とされた。
◆◇◆
「逃げようとしても無駄ですよ」
山道を駆け上っていく映姫。二人の姿は見えないが道は一本しかなく、隠れられる場所は多くあるものの一切の痕跡――梢を折らず茂みを荒らさず、苔に足跡をつけず、山林の中へ入っていくのは不可能だ。殊更、多くの罪人の魂を捌いてきた映姫の優れた観察眼はそれを逃さないだろう。速度の遅い二人にはこうして走っていけばいつかは追いつける道理だ。
「天寿はすべからく全うすべきなのです。喩えことぶかなくとも」
蛇行する坂を登り切ると道はある程度、平坦になってきた。映姫は休憩もかねて、いったん走る速度を緩め、息を調えながら歩き出す。ついでに視界を回す。
道はある程度平坦なものの、木々が乱立し、倒木や茂みのせいで一見すると自分が歩いている道がどういう風に伸びているのか分からなくなる場所だった。獣道らしき側道も見受けられ、山に馴れていない者なら迷う可能性が高いだろう。それでも映姫はつぶさに踏みにじられた苔の跡や真新しい木の根の皮が剥げた部分、二人が逃げた痕跡を探す。そして――
「見つけましたよ」
仰ぐように上げた視線の先に真っ白い詰め襟の背中が見えた。余程、足場が悪い場所を登っているのだろう。その背中は前後左右に危なげに揺れている。映姫は一気に間合いを詰めるため、すぅっと浮かび上がった。これだけ木々が乱立する場所で宙を飛ぶのは危険だが、飛ぶ距離自体は短い。危険度と時間を天秤にかけ映姫は後者をとったのだ。それでも最大限注意しながら、高さ地上二メートルほどの中空を木の幹や枝葉を大きく避けながら映姫は飛んだ。白い蘭服の背中はまたも見えなくなってしまっていたが、頂きの向こうへ行ってしまっただけだ。すぐに追いつける。映姫は飛ぶ速度を上げ、そして…
「!?」
不意に目の前に現れた柱に顔から突っ込みそうになった。
瞬間的に右に舵を取り、回避する。その映姫の体に木漏れ日をかき消すよう影が差し込む。速度を上げる映姫。僅か一刹那前まで映姫の体があった場所に一抱えほどありそうな木柱が突き刺さっていた。
「これは!?」
驚く間もあれば、飛翔する映姫を狙い次々と天から木柱が降り注いでくる。大の大人が数人係でなければ持ち上げられそうにもない巨大な柱。数百キロ近い質量をもつそんなものは当たればただではすまないだろう。映姫は顔に焦りを浮かべながらも巧みに回避する。
と、
「ちっ!」
舌打ち。見れば映姫の進行方向へ柱が綺麗に五本、壁を成すように突き刺さってきたのだ。今の速度ではあの壁は回避仕切れない。映姫はたまらず急ブレーキ。その動きを止めた映姫を狙って三、四本、五本、六角形の木柱が降り注いできた。
ドシン、と一際大きな打撃音が山中に響き渡り、鳥が驚いて飛び立ち、もうもうと土煙が上がる。
「これで足止め…………はやっぱり無理か」
山の上空、そこに今し方撃ち込まれていた木柱と同じ物が四本、浮かんでいた。ふよふよとまるで重さを感じさせない浮き方をしている。だが、それは紛れもなく今か今かと発射されるのを待つ破城槌だった。そして、その四本の柱の中央に射撃手はいた。
「早苗に頼まれたけれど…これは難儀そうね」
守矢神社の主神、八坂神奈子である。
顔に僅かな険しさを湛えながらも、武人もかくやという揚々とした顔つきで遙か下界を睥睨している。その視線の先、風に吹かれ薄れていく土煙の中、四季映姫・ヤマザナドゥは全くの無傷のまま遙か頭上を睨み付けていた。その側には手を伸ばせば触れるような位置に二本の柱が突き刺さっている。そして、映姫が立つ場所からの直線上には柱が三本、宙に浮いたままになっている。柱には剣のように鋭い笏が何本も突き刺さり、まるで宙に縫い止めているようだった。映姫が本当に自分に当たる柱だけを止めた結果だ。
「……」「……」
視線の交錯は一瞬。
邪魔立てするのですか/当然
そんな会話を交わす間もなく軍神と夜摩天は夕日を浴び、名もなき山の中腹で戦いを始めた。
◆◇◆
一方その頃〜
「はぁはぁはぁ…」
「グリーンさん…」
グリーンは荒い息をつきながら道なき道を走っていた。足下は腐葉土と小さな葉っぱなどで汚れているが阿求を抱える上半身は一つも汚れてはいない。阿求を庇って走り続けた結果、だった。
「グリーンさん、その…大丈夫ですか」
「はは、平気ですよ。阿求は軽いから」
そう声をかける阿求に事もなさげに応えてみせるグリーン。それでも阿求は申し訳なさと心配で胸が張り裂けそうな顔をしていた。
「仲間たちが足止めしてくれている今のうちに逃げましょう」
「……はい」
頷きもせず、言葉だけを返す阿求。それはその続きの言葉を言えなかったからだ。
“でも何処に逃げるというのですか”
いや、それ以前に…
「はぁはぁ…」
強がってはいたもののグリーンの体力はかなり限界に近いようだった。荒々しい息。体のバランスをとるのも難しそうにふらつく足。山道を駆け上るだけでも激しい体力を消耗し危険だというのに腕には病人を抱えている。遠くまで逃げられたものではないだろう。じきに体力が尽きるか、それとも…
「はぁはぁ…あっ!!?」
グリーンとしては足下に注意しながら走っているつもりだった。だが、逃亡者という焦り、著しく消耗した体力というものは彼から集中力というものを奪い去っていた。今、彼が走っている道はそれなりに平坦ではあったが地面から飛び出した石や木の根がそこら彼処にありとても走り難い場所だった。そして、グリーンはそのうちの一つに足を引っかけてしまったのだ。
「っ!?」
運悪く、丁度、下り坂が始まるその目の前で。
「キャぁッ!?」
阿求の悲鳴。グリーンの顔が苦渋に歪む。舌打ち。刹那、重力の鎖から解き放たれる二人の体。グリーンがとっさにとった行動は抱きかかえた阿求を庇うために体を反転させることだった。
ぐぅ、と悲鳴を上げ背中から坂の上へ落ちるグリーン。けれど走る勢いと人間二人分の重量を持つ運動エネルギーはそれだけでは消費しきれず、グリーンは背中を橇のように坂の最低点まで滑り落ちていった。
「っ…グリーンさん!!」
グリーンに庇ってもらったお陰で阿求は無傷だった。だが、その下へ敷き布団のように体を横たえているグリーンは? 阿求はすぐにグリーンの体の上から離れると声をかけた。
「だ、大丈夫ですか、阿求」
問いかけられたグリーンは苦しげに顔を歪めながらも阿求に逆に問いかけた。私は大丈夫です、と阿求は応える。
「よかった。さ、早く逃げま…っう!」
体を起こしたところで苦痛に顔を歪ませるグリーン。阿求が背中を見れば自慢の白ランは土まみれで破けているところもある。そこから覗く下に着ているシャツは血の色に染まっていた。
「グリーンさん、怪我を…!」
「これぐらい平気ですよ。阿求を守れたんですから」
苦痛にゆがむ顔を誤魔化すために笑みを作ってみせるグリーンだが激しい痛みに襲われたのか、すぐに表情を崩し痛みに耐えるよう体を折り曲げてしまった。どうすることも出来ず、阿求は泣き出しそうな顔でグリーンの様子を見るしかなかった。
「阿求、歩けますか? 歩けるなら一人でも…」
「でも…」
グリーンの言葉にうろたえるよう阿求は視線をさ迷わせた。歩くことは出来る。けれど、その距離は限られているだろうし、第一、何処に逃げればいいのだろうか。
と、
「グリーンさん、あそこ」
辺りをなんとなく見回していた阿求は道の先に小さな山小屋が建っているのを見つけた。猟師たちの休憩所だろうか。阿求はそれを指差す。
「取り敢えずあそこまで行きましょう。グリーンさんの怪我を治さないと」
「…そうですね」
幸いにも映姫や小町たちは足止めされ追ってきてはいない。どのみち体力の限界だったし、そろそろ日も昏れて始めている。これ以上、無理に進むのは危険過ぎるだろう。グリーンは苦痛を堪えながら何とか立ち上がった。
「あの、肩を」
そう言って阿求は腕を伸ばしてきた。
「…すいません」
グリーンは一瞬、躊躇ったが結局自分一人の力であの小屋まで歩いていけるとは思えなかったのか阿求の腕をとった。
「これではどちらが病人かわかりませんね」
「困ったときはお互い様ですよ」
自嘲げに笑うグリーンを嗜めるよう、同じく笑みを浮かべる阿求。背の高さが相当違っているため、少々バランスが悪かったがそれでも何とか阿求はグリーンに肩を貸すことが出来た。
「………」
グリーンの腰に回し、服の下の硬い筋肉の感触を確かに覚える阿求。腕に抱かれているときは必死に逃げていたせいかほとんど意識していなかったのだが、今になって、男性とこんなに体を寄せ合って一緒に行動しているんだ、そんなことを想う阿求。不意に顔が赤くなる。
「どうかしましたか?」
「いえ、行きましょう」
それを誤魔化すためか、阿求は必要以上に強い口調で応えた。二人は息を合わせ何とか山道を再び進み始める。
山小屋はあまり衛生的ではなかったが使用に不便を感じる作りでもなかった。阿求の部屋と同じぐらい、十畳ほどの広さの部屋に囲炉裏が一つ、後は適当な山師の道具を収納する場所があるだけだった。
「ありましたグリーンさん。包帯と傷薬。消毒薬はなかったですが、お酒がありましたのでそれを使いましょう」
ガサゴソと道具箱の中を探り、グリーンの怪我の治療に使えそうなものを探す阿求。グリーンは光源の確保にと先に火をつけた囲炉裏の前に腰を下ろし、痛みに耐えるよう荒々しい呼吸を続けていた。
阿求は見つけた包帯と錆びた缶に入れられた軟膏、ブランデーの小瓶をもってグリーンのところまで行く。
「取り敢えず上着、脱いでいただけますか」
阿求の言葉に従い、上着を脱ぐグリーン。打ち付けた背中が痛いのか、脱ぐ作業も阿求が手伝わなければいけなかった。ついで血に染まったシャツも脱ぐ。青あざが浮き、傷口から今も血を流している背中が顕になった。そこへ消毒液替わりのブランデーを流しかける。埃っぽい小屋にかぐわしい香りが広がる。アルコールが滲みたのかグリーンの顔が苦痛にゆがむ。
「すいません。ある程度、痛みが治まれば自分に回復の術を使えなくもないのですが」
「いいんです。こうして…グリーンさんの怪我を診るのも二度目ですから」
慣れた手つきで阿求は傷口にガーゼを張り、打ち身で黒ずんだ箇所に軟膏を塗っていく。あとは包帯を巻けばそれで大丈夫そうだ。たすきに包帯を巻き、グリーンに腕を上げてもらって腹を廻るよう包帯を脇の下へ通す。
「………」
引き締まった筋肉と女性でもそうはいないきれいな肌。均等のとれた体つき。おおよそ完璧とも言える肉体に刻まれた傷痕。以前、阿求は怪我をしていてもカッコイイとグリーンを称したが、ここまでの大怪我だとそれは当てはまらなかった。高名な画家の作品に無造作にナイフを走らせたような、そんないたたまれなさがある。
「………」
包帯を巻き終わっても阿求はそのままじっとグリーンの背中を見つめていた。阿求さん、と疑問符混じりにグリーンが振り返るより先に阿求はそっと手を伸ばし、背中の傷が付いていない部分に触れた。
「ごめんなさい…私のせいで」
懺悔するよう、ぽつりと漏らす阿求。
「私があんなわがままをしなければ貴方はこんな怪我を負うことはなかった。私が早く自分の運命を受け入れていれば貴方が傷つくことはなかった」
本当にごめんなさい、そう謝る阿求の声に嗚咽の音が交じる。
「それなのに私は自分が現世に一秒でも長く留まっていられるのを喜ばしく思っている。貴方とこうして逃避行まがいのことをしていることも。心の何処かで喜んでいる。貴方が傷つき、今こうしている間にも早苗さんが戦っているというのに」
ポタポタと床板の上に阿求の涙が落ちる。木目に吸い込まれ、その涙は消えていくが後から後から雫は落ちていく。止まりそうにもない。
「自分の我侭さに腹が立ちます。軽蔑します。嫌悪します。私は我侭だ。我侭で他人を傷つけることを、利用することを厭わない人間だ。やっぱり自分はただの書記機械であるべきだったんです。書き記し、それを終えれば使い終わったタイプライターを箱に仕舞うように私も役目を終える。そういうサイクルを今まで繰り返してきたのに、これからもそうであるように、今回もそうすればよかったのに…余計なことをしたから私のせいで傷つく人が出てきてしまった。こんな、こんな余計な感情を抱くべきではなかったのです。友人なんて前の御阿礼の子の時にも出来たのに、恋人なんて前の代でもいただろうに、十代目、十一代目でも出来たでしょうに、どうして、今代の、私は、御阿礼の子はこんな感情をいだき、そして、それに殉じてしまったのでしょう。愚かしく、そして、嫌らしい。私は、私は…」
洟をすすり、嗚咽を漏らし、心情を吐露し、止めどなく涙を流す阿求。自分の気持ちと使命、そして天命を天秤にかけ気持ちを選んだがゆえに負ってしまった業。或いは自分ただ一人だけが傷つき、苦しめばまだ納得できたのかも知れない。だが、実際に傷つき苦しんでいるのは阿求本人ではなく意中の相手、グリーンだった。完全だった肉体は今や包帯に包まれ、痛々しい姿を晒している。誰のせいか。阿求は疑うこともなく自分のせいだと己自身を罵った。
「私なんて…私なんて…さっさと死んでしまえば…!」
「阿求!」
それまでじっと阿求の言葉に耳を傾けていたグリーンは唐突に振り返った。そうして、その両の腕で阿求を抱きしめた。
「阿求が我侭だというのなら僕も我侭です。あの時、死神に殺されそうになった貴方を窓の外へ、屋敷の外へ連れだし、こうして逃げてきたのは僕自身がそうしたかったから、僕自身の我侭です。だから、僕が負った傷もその我侭の結果、自業自得なんですよ」
耳元へ、涙を流す阿求に諭すように言って聞かせるグリーン。そうして、ゆっくりと阿求から体を離すと聖者のような微笑を見せた。
「阿求が我侭なら僕も我侭。そうやって、我侭同士が相手に迷惑をかけ、かけられ、それでも一緒にいたいからいる。人間ってそういうものです。だから、阿求さんはもっと我侭でもいいと思います。今までずっと他人の我侭に付き合ってきたんですから」
「グリーンさん…」
涙の跡が残る瞳でグリーンを見据える阿求。そこにもう、心を蝕むような後悔は残っていなかった。
「その…私っ…っ、ゴホッ、ゴホッ」
「阿求!」
何事かを口走ろうとした瞬間、咳き込み始める阿求。慌ててグリーンは阿求に駆け寄り、その背中をさする。咳はすぐに収まってくれたが、グリーンが覗き込んだ阿求の顔は少し辛そうだった。山を登ってきたツケが出てきたのだろう。顔色も少々悪い。
「いつもの魔法、かけますよ。僕も自分の怪我を治さないといけないので」
「はい、お願いします」
応える阿求はもう、申し訳ないとは思わなかった。阿求の体を癒すのは彼の我侭でもあり、そして、それを甘んじて受けているのも阿求の我侭なのだから。
「それは…いいんですけれど…」
阿求は顔を赤く、瞳をぐるぐる回しながらグリーンに問いかけた。
囲炉裏でチロチロと燃える火を前に二人は非常に近い距離に腰を下ろしている。グリーンを後ろに、阿求が前に。ちょうど、グリーンの両足の間に阿求の小柄な体を収める形で。そして、グリーンは自分と阿求の体を包むような感じで小屋に置いてあった毛布にくるまっている。毛布は汚れていて非常に埃っぽく、ダニやなんかの小さな虫も付いていたが夜の山の気温は平地と違い恐ろしいほどに冷え込む時があり、どうしても必要だった。囲炉裏の火と毛布の暖かさ、それとグリーンの体温を感じ阿求は全く寒さを覚えていなかったがそれは上気した自分の体のせいもあっただろう。
「どうですか、具合は」
「あっ、えっと、はい、だいぶ良くなっていきました」
阿求の肩に腕を乗せるような形でグリーンは手をあわせている。緑色の光と暖かな空気がそこから発せられている。妖怪以外にもそれなりに備えている阿求の魔道の知識の中にものっていない不思議な魔法だったが効果は自分で体験したとおり折り紙付きだった。
「グリーンさんもお背中の方は」
「はい。自分の体ですから、他人を治すよりは簡単に治せますよ」
もうかなりよくなってきました、と応えるグリーン。顔ツヤがいいところを見ると強がりではないのだろう。阿求も体の奥底に活力というものが溜まってきているのを確かに感じている。
「………」
暫く二人は癒しの光に身を委ねながら取り留めのない会話を交わしていたがやがてそれも止まってしまった。疲れたわけではない。疲れなんて治癒魔法でとうに回復されてしまっているからだ。なのに室内には妙にけだるいような、ゆったりとした時間が流れているように感じられた。
「………」
チロチロと燃える炎を眺める阿求。
首筋にかかる僅かな吐息。背中から伝わってくる他者の心音。炎よりも暖かく、自分を温めてくれる体温。今なら、幸せとはなんなのか、阿求ははっきりと答えられそうだった。
そして、その答えを口にする代わりに、
「グリーンさん」
「はい」
「抱いてください」
自分の望みを、我侭にも発した。
「貴方が好きなんです。貴方を愛しています。だから、どうか、私を抱いて、私を女にしてください」
阿求は後ろを向いて、グリーンの瞳を見て、そう自分の望みを口にした。グリーンの瞳に揺らめく炎が映っている。答えの代わりに彼は優しく阿求の唇に自分のそれを重ねてみせた。
鼻が当たらないよう、お互いに顔を斜めに向けて口づけをする。柔らかい感触が唇から伝わってくる。僅かに開かれた唇からは相手の吐息が。唾液が。愛が。伝わってくる。
「っぱ…」
離れる唇。名残惜しそうな目をする阿求。体を寄せてグリーンはまだ何度でもしてあげますからと耳元に囁く。そうして、それを証明するように阿求の頭を抱いて、口づけした。
「んっ、はぁ、ちゅ…ああ」
今度は深く。グリーンは阿求の唇に吸い付き、口内を繋ぐよう大きく唇を合わせ、舌を伸ばしては赤くうねるそれを歯茎や相手の舌の先へ匍わせる。濃厚なキス。色香にやられたのか、阿求の瞳が潤いを帯び始める。囲炉裏の火に涙がきらりと輝く。
「はぁはぁ…グリーンさん」
「阿求」
視線を交わらせる二人。先程の口づけのように。
そのままグリーンは羽織っていた毛布を床に広げると阿求の体を自分の方に抱き寄せた。
「ベッドじゃないのが残念ですけれど」
「いえ、これで十分です」
阿求の体を布いた毛布の上に寝かせる。僅かに乱れた髪。上気した頬。気怠げに投げ出された手足。色香が匂い立つよう、阿求の体から溢れていた。グリーンは寝転がった阿求に覆い被さり、三度唇を重ねた。阿求も馴れてきたのか、今度は彼女の方からもグリーンを味わおうとぎこちなさげに唇を動かしていた。そのまま二匹の魚が川面で遊ぶよう、瞳を閉じ唇を交わらさせ続ける二人。
グリーンはその間に阿求の胸元へ手を伸ばした。着物の上から手の平で阿求の胸を覆うように触れる。くすぐったいのか身を捩る阿求。逃がさないようグリーンは手を広げ阿求のあばらが浮くような薄い胸を捕まえる。帯紐が緩み着物が乱れる。
「直に触っても?」
「はい…お願いします」
了承を得てグリーンは開いた襟の間に手の平を差し入れた。そうしてやや乱暴に阿求の胸元を広げる。下に着ていた白地の肌襦袢も同じようにする。平たく殆ど膨らみのない胸の上にその存在を誇張するよう桜色の頂きが頭をちょこんと立てていた。
「すいません…貧相な体つきで」
「いえ、とってもかわいらしいと思いますよ」
南天の実でも扱うよう、優しく桜色の頂きを摘むグリーン。ひぅ、と短い悲鳴を上げる阿求。そのままグリーンは親指と人差し指の二指で乳首を摘んだまま、残りの三本の指で阿求の胸をなで回し始めた。ひあぁぁ、と悲鳴とも嬌声ともとれる声が阿求の口から漏れる。その様子を可愛いですよ評し、グリーンはまた阿求に口づけした。
毛布を掴み、初めての快楽と愉悦の波に溺れぬよう堪える阿求。けれど、グリーンが少し強めに乳首をつまみ上げるとそれも敵わなかった。軽く気をやり、阿求は体を痙攣させる。
「はぁはぁ…グリーンさん。そこ…」
「あ、ああ。阿求の可愛い姿を見ていたら元気になってきたみたいですね」
頸を持ち上げた阿求の視線がグリーンの股間部分に注がれる。そこはすでにズボンの上からでもそうと分るほど帆を張っていた。
「苦しくはないのですか?」
「ええ。まだ、六、七分方と言うところなので」
「……グリーンさん、体を起こしてもらえますか」
「? いいですけれど」
言われるままに体を起こすグリーン。次いで阿求も同じようにし、姿勢を正す。
「六分、というのでしたら残りの四分は私が…」
「あ、阿求?」
そう言って阿求はグリーンの股間部分に手を伸ばした。バックルの金具を外し、ベルトを緩める。ズボンのフックも外す。ジッパーは起点だけずらせば後は張り出したテントに押され、自然に下がっていった。そうして、パンツのゴム紐部分に手をかける阿求。一度だけゴクリと喉を鳴らすとそれも下へおろした。付け根を密林に覆われた怒張したグリーンの逸物が姿を現した。
「大きい…」
「えっと、見るのは初めてですか?」
「いえ、亡くなった父にお風呂に入れて貰った時や、坊を厠に連れて行ってあげた時に。けれど、どちらも今の貴男のようには大きくは」
「男性という物は女性の裸を見ればこうなるものなのですよ」
それが好きな人ならば尚更、と笑むグリーン。阿求がグリーンの物をまじまじと見つめていたのは生来の探求心半分、残りは相手のことをもっとよく知りたいという感情からか。
「触れても?」
「どうぞ」
断りを入れてからそっと割れ物でも扱うよう、優しげにグリーンの男性器に触れる阿求。その熱に驚きつつも、思った以上に固いと研究者の手つきで触れていた。けれど、すぐにそれでは駄目だと思い直す。
「えっと、これはどうすれば…いえ」
グリーンに問おうとしてそれも駄目だと阿求は考え直す。グリーンは自分の胸を触り、自分で私の何処が気持ちいいのかを探したではないか。そういう愛し方もあるのだ。そう自分の中に想いをつくる。
しばし、迷った後、阿求はそう言えばものの本に、とあることを思い出した。そうして、いきりたつ逸物に顔を近づけると…
「阿求!?」
「大丈夫です。私にも…任せてください」
それを口に含んだ。余りの大きさ故に頬張るような形になる。そこから先、やはり阿求は勝手が分らなかったが適当に舌を動かし始めた。裏筋の辺りを舐めると僅かにグリーンは体を震わせた。そこが気持ちいいのか、と阿求は重点的にそこを攻めた。もう一つ、阿求はものの本で読んだことを思い出し首を前後させた。あ、それいい、と気持ちよさげな声を漏らすグリーン。応えるようストロークを激しくする阿求。けれど…
「っあ、はぁはぁはぁ…」
グリーンが達するより先に阿求の方が参ってしまった。元より体力が衰えている体だ。長い間、息を止めて激しい運動をすること事態、無理がある。落ち着くまで数秒、阿求は激しい呼吸を繰り返していた。
「はぁはぁ…すいません。途中で止めてしまって…」
「いえ、気持よかったですよ。それに十分、元気になりました」
応えるグリーンの逸物は天をつくほどいきりたっていた。
「そろそろ、いいですか?」
「っ………」
躊躇い。
「はい」
それも一瞬。恥ずかしげに顔を赤らめながらも阿求は頷いた。
「ちょっと、お尻上げてもらえますか」
再び毛布の上に阿求を寝かせるグリーン。はだけた着物の裾に手を差し入れ、阿求の穿いているショーツを脱がす。ショーツの秘裂に触れている部分は僅かに湿り気を帯び、離れる時に糸を引いていた。グリーンがショーツを脱がしたその先に指を触れるとそこは先程、軽く気をやったお陰か朝露でも纏っているかのように湿っていた。花弁を開き、優しく中へ指を差し入れる。少し入り口部分をかき混ぜるとなお蜜はあふれだし、いつでも男を受け入れられる体勢になった。
「それじゃあ、行きますよ阿求」
「は、はい、来てください。私をっ、私を愛してくださいっ!」
「もちろん…」
愛してますよ、阿求。
怒張した己の物に手を添えると、グリーンはそれを蜜で濡れそぼった阿求の秘裂にあてがった。ゆっくり、ゆっくりと肉壁をかき分けるよう、鬼頭部分を挿入していく。
「ああっ、ああっ、グリーンさんのが、グリーンさんが…!」
目を見開き、未だかつて味わったことのない感触に震える阿求。両親や乳母、そして自分自身でさえも触れたことのない場所に異物を挿入される感覚に一抹の恐怖を抱いているのだ。
「…怖いですか?」
僅かに抵抗を憶える位置まで挿入したところでグリーンは問いかけた。目頭に涙をためて、阿求はあり得ぬ感触に震えていた。
「は、はい。だから、だから、抱きしめて、抱きしめてください」
救いを求めるよう手を伸ばしてくる阿求。グリーンは黙ってそれを受け入れた。体を寄せ、腋の下に手を通し、その小柄な体を抱え上げる。
「これなら怖くないでしょう」
「は、はい」
グリーンの胸に抱かれ、頷く阿求。以前、恐怖は覚えていたが、それよりも大樹に寄りかかっているようなそんな安心感に包まれていた。
「口づけを…してください。口づけしながら、シテください」
「いろいろと注文をつけるようになりましたね。ええ、それでいい、それでいいと私は思いますよ」
そうして唇を合わせるグリーン。そのままゆっくりとゆっくりと阿求の腰を下ろしていく。みちり、とグリーンの逸物の進行を止めていた皮膜が破られていく。けれど、破瓜の傷みも愛おしさとうれしさの前には些末なものだった。
「動いて、動かしてください」
命ぜられるままに腕と腰を使って上下に体を揺さぶるグリーン。ずちゅり、ずちゅり、と水音が鳴る。結合部から流れ出してきた愛液には血の朱が混じっていた。
「んーっ、ふーっ♥」
グリーンの首に腕を回し強く口づけする阿求。固く閉じられた目蓋からは涙が留処なく溢れてきている。確かに今自分は幸せなのだと、感謝するように、歓喜するように。
「阿求…」
グリーンは繋がったまま阿求をまた横たえた。唇はその間もつかず離れずを繰り返し、互いの手は互いの敏感な部分を愛撫し合っている。阿求に打ち付けているグリーンの腰の動きも早さを増している。けれど、その早さには阿求に無理をさせないという優しさがあった。肌が打ち合わされる音が優しいリズムを刻んでいる。
そうして…
「ああっ、阿求、もう出るっ」
「きて、来てください、ああっ、ああぁ♥」
阿求の膣内へ精を放つグリーン。
最奥に切っ先を突き刺され、精を注がれた事で気をやる阿求。二人はほぼ同時に絶頂に達したのだ。
「……ありがとう、グリーン。それに」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「畜生。やるわねぇ、ヤマザナドゥ」
昨晩までは山だった場所、そこに体を横たえ神奈子は昇ってくる朝日を何処か感慨深い表情で見つめていた。その体は左半分ほどが大きく失われていた。飛び出した内蔵。突き出た骨。どくどくと留処なく流れる血。まるで大砲の直撃を受けたような有様だった。否、受けたのは大砲などと喩えるのは生ぬるい砲撃だった。見れば体を横たえている神奈子の左側より向こうは横幅十数メートル。長さ数百メートルにわたってまるで隕石でも落ちてきたように山肌が抉れ、剝身の大地を晒し、まるで滑走路を建設途中の更地のようになっていた。両側に立つ木々も神奈子のように半身を抉られている。
神奈子対映姫の弾幕ごっこの決着をつけるに至った最後の一撃。映姫のスペルカード 審判「ギルティ・オワ・ノットギルティ」の最大出力レーザーによる破壊の爪痕だった。この最大最強の一撃を防ぎきれず避けきれず、一晩を費やした戦いは神奈子の敗北で幕を閉じたのだ。
「うーん、神社の近くだったら勝てたと思うけれど…」
半身が失われているというのに至って普通に悔しそうにする神奈子。神にとってはこれぐらいのダメージでは人間で言うところの軽い骨折程度なのだろう。よっ、と内蔵をぼろぼろ溢しながら体を起こした。
「やっぱりアウェーじゃねぇ。他神さま(ひとさま)の土地だし。まぁ、私たちはやることやったから後は頑張るんだよ、早苗」
そうここにはいない愛すべき自分の巫女の名前を呟く神奈子。
この後、この山を司っている名もなき神がやってきて神奈子は頭を下げることになるのだが、それはまた別の話だった。
「くっ、消耗しすぎましたか…」
辛そうに道の側に生えていた松の木を支えに、先を睨み付ける映姫。その体は神奈子ほどではないにしろ満身創痍も当然だった。昨晩の弾幕ごっこの勝敗は映姫が白星を得る結果になったが、それとて快勝ではなく下手をすればあの場所に血まみれで転がっているのは自分かも知れないという辛勝であった。ホームなら負けなかったという神奈子の言葉もあながち言い訳ではない。
それでも勝ちは勝ちだ。話し合ったわけではないが、弾幕ごっこの取り決め通り、勝者となった映姫は阿求たちを追いかけるために先に進む権利を得たのだ。
ふらつきながらも何とか道なりに進んでいく。
その足がある場所で止った。
昨日、グリーンが足をつまづかせ、滑り落ち怪我を負った坂の前だ。
「……そこですか」
そこで足を止めたのは偶然ではない。見据えるように前方に向けられた映姫の視線の先、そこには白煙を立ち上らせる小さな山小屋があった。
すやすやと阿求は子猫のように丸まって眠っていた。
幸せそうな顔。グリーンがその頭を撫でてあげるとどんな夢を見ているのだろうか。阿求の顔が綻んだ。
「………」
窓から差し込む暖かな日差し。ことことと音を立てる鍋。小鳥のさえずり。幸せとは多分、こういうことを指すのだろうなと思わずにはいられない朝の光景だった。
眠る阿求の顔を眺める。規則正しく動く胸。軽く閉じられた目蓋から伸びるまつ毛。肩まで伸びているショートボブの髪に指を差し入れその感触を確かめる。いつまでも、いつまでもこうしていたいとグリーンは嘘偽りなく思った。
幸せな時間。
けれど―――
「来た」
それは長くは続かなかった。
控えめなノックの音が入り口の戸から聞こえてきた。
グリーンは阿求を起こさぬよう、静かに立ち上がると身だしなみを調え、白ランの上着を羽織り、ボタンを全て留めた。最後にもう一度だけ眠る阿求の方へ視線を送り、グリーンは小屋の戸を開けた。
「―――」
はたしてそこには映姫が立っていた。体中傷だらけで衣服も破れてはいるが、朝日を浴びて威風堂々と直立するその姿には畏怖さえ覚える。その映姫にグリーンは向かい合うと深々と頭を下げた。
「おはようございます」
大きな声ではないがはっきりとした口調でそう、挨拶した。
「私に挨拶した、ということは逃げるのは諦めた、ということですか」
表情を変えず、挨拶も返さず映姫はグリーンに問いかけた。はい、と応えるグリーン。映姫が見ればその手は血が滲み出すほど強く固く握られていた。ここで負けを認め頭を下げているのが心底悔しいのだろう。やり場のない悔しさと怒りが腕に込められ、自壊へ至っている。はたしてどれほどの感情がその心中で渦巻いているのだろうか。
「どのみち、箱庭である幻想郷でいつまでも逃げられるとは思っていません。それに…いつまでもと言える時間がないことも」
頭を下げたままグリーンは話す。映姫は相槌も反論も打たずただ黙ってその言葉を聞いていた。
「殊勝な心がけです。分かっているのなら話は早い。さぁ、稗田阿求をこちらへ」
詰め寄るよう映姫は一歩、前へ足を踏み出した。
「その事ですが…」
「うん?」
と、すんなりと終わるはずだった会話に横槍を入れるよう、グリーンが口を開いた。今まで下げていた面を上げ、まっすぐに映姫を見据える。
「あと、二三日、待ってはいただけないでしょうか」
溢れ出す悲痛を閉じ込め、グリーンはそう映姫に訴える。懇願に近いような言葉だった。
「貴女なら分かっていると思います。僕と阿求が逃げられる時間はそれだけしかないと。だったら、どうか寛大な心で許して欲しいのです。後三日、いえ、二日でいいんです。たった二日です。ヤマザナドゥ様や稗田の長い歴史を考えれば瞬くほどの時間でしょう。だから、だからどうか、僕達を見逃してください。阿求を…自由にさせてやってください」
お願いいたします。そう再びグリーンは深々と頭を下げた。後頭部、旋毛の辺りに映姫はじっと視線を注ぐ。注ぎ続ける。返事はしない。重苦しい沈黙が朝の山に立ち込める。
「貴女の話はわかりました。確かにかような奇跡でももって二日。その程度でしょう」
ややあって映姫が口を開く。起伏のない声色。感情は読み取れない。グリーンは頭を下げたまま黙って聞いていた。
「そういう意味では私の追跡も最初から意味がなかったのかも知れません。貴女達の逃避同様。既に一ヶ月以上伸びているのです。あと一日や二日延びたところで体制に影響はないでしょう」
でしたら、そう期待のこもった明るい面持ちで顔を上げるグリーン。それを罰するよう、映姫の視線が一際鋭くなった。
「けれど、許しません。私は四季映姫・ヤマザナドゥ。地獄の裁判長です。一切の罪を暴き晒し裁き、一切の罰を慈悲なく恩赦なく躊躇なく与える。それが私です」
絶対に稗田阿求は許しません。そうやはり抑制のない声で…否、その裏には煮え滾るような義憤が渦巻いている。瞳の奥に憤怒を揺らめかせ映姫はそうきっぱりとグリーンに言った。途端、グリーンの顔が憤怒に彩られる。今にも殴りかかりそうに、ぎりぎりと拳を握りしめる。
「もう少しだけ幸せでいたいと願う女を躊躇いなく殺すのか! 圧制者が!」
「道理から外れたものを生かし続ける道理はないのですよ! 偽善者!」
言葉の応酬/信念の応酬。
二人は互いに互いを鋭い視線で睨みつけあう。肌が沸き立ち総毛立つような合戦場じみた空気が満ちる。
グリーンの交渉は決裂。あとは幻想郷のルールに則り、弾幕ごっこが行われるだけだった。
「っ…なんの音ですか」
その時、阿求は遠雷のようなお腹の底を震わせるような音を聞き、目を覚ました。体を起こし、光差し込む窓の方へ視線を向ける。この明るさなら外は晴れているはずだ。
「何の音でしょう、グリーンさ…ん?」
と、阿求は自分のすぐ側にいてくれるはずの愛おしい彼の姿がないことに気がついた。部屋の中を見回すが、あるのは火が消えすっかり冷め始めている鍋だけだ。グリーンのあの真っ白な蘭服も見当たらない。
「お手洗いにでも…いえ」
そう無難に結論づけようとして、いいえ、と不安気に阿求は首を振るった。
妙な胸騒ぎ、遠雷のような音、肌をピリピリさせるような緊張感が山に満ちている。鳥の鳴き声もないのがその証拠だ。そして…
「っ、ゴホッ、ゴホッ!」
唐突に咳き込む阿求。手のひらで口を抑え、体を丸めるが咳は収まらない。まるで肺が溶け出し、それを吐き出そうとしているかのように激しく咳き込む。否。
「ゲホッ、ゲホッ…つ」
びちゃり、と阿求の咳き込む音に水音が混じった。見れば口を抑えている指の間からは粘着く液体が床へと滴り落ちていた。それは涎などではなく…
「血…ゲホッゴホッ!」
赤黒く腐臭を放つ血であった。比喩などではなく本当に肺が溶け腐ってきているのだろう。その後も何度も阿求は咳き込み、やがて、手では抑えきれなくなりその場へへたり込むと床へと血の固まりを吐いた。被っていた毛布が汚れ、木目に沿って血糊が広がっていく。
「ハァハァハァ…これ…は?」
体調もつられるように悪くなる。酷い目眩と頭痛、悪寒。体の節々が針金で縛られたような激痛を覚え、筋肉という筋肉が毒液でも注射されたかのように悲鳴をあげる。変わらず咳は続き、骨はその形状を維持できないかのようにきしみ声を上げ始めた。
「…グリーン、さん」
ともすればその場に崩れるように倒れ、そうしてそのまま立ち上がれなくなるのではと思えるほど酷い状況に陥っている。けれど、阿求はそれを何とかかろうじて堪え、血糊で汚れた唇を拭う。そうして、息も絶え絶えになりながらも何とか立ち上がると、十字架を背負った聖者の様でゆっくり出入口に向かって歩き始めた。途中、何度も膝を折りながらも決して倒れることなく阿求は出入口へたどり着く。立て付けの悪い戸を体重と渾身の力を込めて何とか開ける。
「っ―――」
陽光の眩しさに思わず目を覆う。いや、これは…
「やっ!」
「温いです」
弾幕ごっこの、戦いの、閃光だった。
阿求が見上げた空には赤や青、緑の光弾やレーザーが花火もかくやというほど飛び交っている。空をキャンパスに常にダイナミックに形状が変化し、一瞬とて同じ形を保たない。それでいて二つの異なる意図が見えるこれは一個の芸術作品だった。観るものを魅了するアートだった。
だた、その製作者たちはそれどころではなかっただろう。
「流石、と賞賛せざる得ない力…!」
「思った以上にやりますね」
放たれたレーザーを寸前で躱し、映姫に肉薄するグリーン。金属と同じ鋭さと硬さを誇るクナイを無数にばら撒き、必殺のエネルギー弾を放つ。映姫は先に飛来したクナイをすべて難なく躱すと自分に正確に狙い飛んできた弾にほぼ同量の力を込めた弾を撃ち込み相殺させる。
戦い飛翔する二人の顔は鬼気迫るものがあった。当然だろう。一歩間違えれば即死につながるデス・ゲームだ。芸術作品を作り上げている二人が真剣そのものなのは無理も無い話だ。
「これなら!」
戦いはややグリーンが優勢に見えた。
一旦、詰めていた間合いを再び引き離すとグリーンは腕を高々と掲げた。五芒星の輝きがその手のひらを中心に生まれ大きさを増していく。天を覆うかのように大きくなったそれは数珠つながりになった弾幕であった。グリーンが腕を振り下ろすと同時に四方六方八方へ弾幕は広がっていく。
「ちっ!」
映姫が彼女にしてはありえぬことに舌打ちした。思った以上にグリーンの攻撃が激しく、そして思った以上に自分が消耗していることに対し、舌打ちしたのだ。自力では圧倒的に映姫が上だったが、その映姫は昨晩、神奈子と山一つを更地に変えるような激しい戦いを繰り広げてきたのだ。無論、その際に消費した力は殆ど回復していない。そのハンディキャップが重くのしかかってきているのだ。
飛来する無数の弾幕をかい潜る映姫。逃げ遅れた腕や足に高熱高エネルギーの弾が掠っていくがそれに気を払う余裕はない。針の穴に糸を通すよう、ほんの一刹那の判断で自分の体を死地から安地へと運んでいく。
と、
「もらった!」
絶対に回避できないタイミングでグリーンが映姫に吶喊を仕掛けてきた。映姫の体など一呑みに出来そうな白い大蛇を召喚、それにまたがり突撃してくる。映姫はニヤリと清算な笑みを浮かべると回避から一転、迎撃行動に入った。剣のように鋭い笏を無数に放ち、グリーンがまたがる白蛇を針のむしろに変える。それでもなお白蛇の勢いは止まらない。映姫は力を込めると強力なレーザーを放った。血糊を散らし、蒸発する白蛇。間髪、グリーンは白蛇から飛び降りるとその速度を殺さず映姫に向かって握りこぶしを放った。がしっ、とそれを両腕で受け止める映姫。
「ゼロ距離! これで…!」
「いいのですか、そんなに“奇跡の力”を振るって」
開いた手に力を込めるグリーン。と両腕で防御の体制をとったままの映姫が何事か呟いた。え、と疑問符を漏らすグリーン。
「その力は誰かを幸せにするための力であって、貴女が戦うための力ではない。忘れたのですか。貴女は、その力を、誰を幸せにするために使っていたのかを」
「あ」
その時、グリーンは気がついた。小屋の中に残してきた阿求が外に出てきていることに。そして、その阿求が今にも倒れそうなほど苦しげな顔をしていることに。
「阿求ッ!!」
「貰った!」
愕然とするグリーンの胴に足蹴を放つ映姫。法力で強化されているのか、ちょっとした気の一本や二本、容易く折れそうな力が込められたその脚撃を受け、グリーンは地面に向けて重力加速度以上の速度で落ちて言った。グハッ、と地面に叩きつけられるグリーン。アバラの一本や二本、折れたかも知れない。
「グリーンさん、大丈夫ですか!」
蹴られた箇所を押さえ、何とか体を起こそうとしているグリーンに阿求が足を引きずりながらも何とか駆け寄ってくる。
「来ないで下さい!」
叫ぶグリーン。ここは戦場だ。空も飛べない病人が来るような場所ではない。グリーンの叫びにビクリと体を震わせ足を止める阿求。グリーンの叫びに意味がやっとわかったのだ。
だが、遅い。
「……スペルカード。【審判】『十王裁判』!」
符を取り出し、最大攻撃を宣言する映姫。その後方の空間が揺らめいたかと思うと身の丈3メートルを越す赤貌鬼面の閻魔大王の虚像が二体、現れる。
「っ…今の力では第二審が限界ですか。しかし…」
辛そうに顔を歪めながらも映姫は地上に向けて腕をかざす。
「許しません。陪審は滞り無く行います!」
地形を作り替えるような強大なエネルギーが集中する。青かった空が映姫の蓄積するエネルギーが放つ紫の光に彩られる。その輝きを見て阿求はただ呆然と震えながら立ちすくんだ。
「ああ、ああ…」
諦念。目を見開く阿求。まるで断頭台にかけられた罪人のように怯えている。否、正しくその通りだ。地上を焼き払う強力な弾幕、その全てが阿求たちに向けられている。銃殺刑どころではない。恐怖のあまり目を閉じることさえ出来ずその瞬間を待つしかなかった。そして…
「死刑、執行」
全天より三十二条のレーザー、六十四の楔、百二十八の光弾が地上めがけ降り注いだ。まるで光のシャワーだ。その隙間は殆ど無く、安全圏など地上には存在しえなかった。地に這いつくばっている阿求には回避不能な弾幕。その第一弾が飛来するまさにその寸前!
「あああああッ!」
雄叫びを上げてグリーンは立ち上がった。口端から血を流し、肋骨が折れているせいかひゅーひゅーとおかしげな呼吸音をあげながらも、天高くにおわす映姫に向き直り、腕を五芒星の形に振るう。その軌跡に白く輝く星型の障壁が形作られた。その壁を後ろから押さえるよう両手を掲げるグリーン。それとほぼ同時に津波のような弾幕の本流が到来した。
弾幕を受けて軋む星型障壁。それを支えるグリーンの腕にも衝撃が伝播し、押しつぶされるよう、グリーンの体が沈み、地面が抉れた。
「っ、これを止めますか。けれど、いつまでも持ちこたえられるものでもないでしょう!」
第一波が止められたことを知り、弾幕の出力を上げる映姫。障壁を押さえているグリーンの腕から血が吹き出し、更に体が軋む。だが、それでもなおグリーンは盾であり続けた。
「グリーンさ…ッ!?」
グリーンの後ろにいた阿求がどうしていいのか分からないままに声をかけようとする。だが、その言葉がすべて阿求の喉から出ることはなかった。糸が切れたように膝を付き、激しく咳き込みながら喀血する阿求。
「あ、きゅう…あぁぁぁぁ!!」
映姫の攻撃を抑えながらも、自分の後ろで起こった異変に気が付き何とか振り返るグリーン。見れば阿求はその場に膝をついて息も絶え絶えな様子だった。
「稗田阿求! 今の貴女の体を維持しているのはそこで盾を張っている方の力です。貴女の容態が著しく悪化しているのは私の攻撃を防ぐためにその力が貴女の方から防御の方へとより多く割振られるようになったからです」
「ッ、余計なことを…! 阿求、今、治してあげますから」
ぼうっとグリーンの体から緑色の光が溢れ出す。消えかかっていた阿求の瞳に僅かに光が戻ってきた。阿求の方へ再び力を割り振ったのだ。だが、代わりに障壁が薄くなる。壁の一部が砕け、そこから押さえ込んでいる弾幕のエネルギーが溢れ出し、グリーンの体を傷つける。慌てて防御の方にも力を割り振ろうとするが…
「治す!? また貴女は嘘をついて! この私の前で! 閻魔である私の前で! 貴女のその力は稗田阿求の体を癒しているのではないでしょう! その力は、それは死ぬ定めにある者を生かし続ける力、即ち奇跡だ!」
映姫は更に火力を上げる。もう一人、映姫の背後に閻魔が現れ攻撃を仕掛けてくる。体中から血を流し、それでもなお耐える、耐えるグリーン。
「だから、だからどうした! もう少しだけ生きたいと思っている女の子の寿命を伸ばしてあげる! そういうものを奇跡と言うんです! それぐらいしか、それぐらいしか手段がないんですから!」
言葉の応酬も始まる。否、最早勝負はどちらが先に折れるか…精神的な意味でも体力的な意味でも、そういう勝負に変わっている。耐えるグリーンは元より攻撃する映姫も荒々しく呼吸を繰り返し、一秒後には気を失いそのまま地面に落下しかねない顔をしている。二人は防御を捨て、至近距離で殴り合っているも同然の戦いをしているのだ。
「ハン、また貴女は嘘を! もう少しだけ生きたい? それは本当に稗田阿求の望みですか? 短い人生の中、物心ついた時から、いえ、生まれる前から使命を与えられ、それ以外のことを何一つ出来なかった女の子が友達と遊んだり、恋人を作ったりしたいと、本当に、心の底から、そう願っていると! それをしたいが為に死にたくないと、そう願っていると、本当にそう想っていると!?」
「何を訳のわからないことを…!」
「それは貴女の常識でしょう! 貴女が勝手にそうだと決めつけている考えだ。貴女の勝手な想いだ! ああ、なるほど、確かにその考えは耳によく、一見すれば慈愛に満ちている。だが、それは本当に当人の望みなんですか! 貴女が勝手にそう想っているだけでは!?」
「そんなわけない! 阿求は確かにそう願っていた! だから、私は…っ!」
「阿求がそう願うよう仕向けたのでしょう! 貴女がそう! 条件、話し方、出会い、あらゆるものを利用して! ああ、確かに貴女は現人神としては一流だ! 自分の考えをさも正しいことだと他人に信じこませる! 一宗教の主神としてはまさしくうってつけの人材だ。貴女にかかれば誰もが貴女の言葉が正しいと耳を傾け、貴女を信じ、貴方についていく。ザ・イマジネーター。大衆の代わりにものを考え、それを正しいことだと教えていく。貴女は先導者であり煽動者だ。けれど、その貴女の言語が、真に正しいと、いえ、たった一人の貴女の考えが正しいと、そんな筈はないでしょう!」
「くっ…」
苦しげに顔を歪めるグリーン。映姫の言葉に言いくるめられ敗れたのではない。体力のほうが先に限界に達しようとしているのだ。
「グリーンさん…っ、ヤマザナドゥさま! 止めてください! 私は、私はどうなっても構いません! ですから彼は…グリーンさんだけは助けてください!」
グリーンに守られている阿求が叫ぶ。阿求の声は小さく、辺りは弾幕の激しい着弾音が響き渡っていたが、映姫の耳には届いたようだった。地上を睨み付けている映姫の眉尻が僅かに上がる。
「グリーンさん? ああ、まだ騙されているのですね阿求」
唐突にそんなことを言う映姫。えっ、と阿求は疑問符を浮かべる。
「貴女は本当に流されやすいですね。ここまで逃げてきたのも彼女に連れられてきたから。私が死ねと言えば今までの考えを捨てて頸を差し出してきた。いえ、最初から貴女には主体性がなかった。なかったが故にそこな現人神につけ込まれ、彼女の意見を吞んでしまうのですよ」
グリーンと言い争っていた時は怒りに満ちていた映姫の顔に憐憫と嫌悪の色が浮かび上がってくる。
「そして、現実を突きつけられればただ黙って泣き崩れるしかない。ほら、見てみなさい彼女の姿を。自分の姿形さえ維持する奇跡の力も残っていないようですから」
「っ、駄目です…阿求…見ないで…」
「……グリーンさん」
映姫の言葉を確かめるよう阿求はグリーンに視線を向ける。両手を掲げ降り注ぐ攻撃を防御しているグリーン。ボロボロになってしまった白蘭の背中が見える。それが一瞬、陽炎のように揺らめいて見えた。目を懲らせばそれは実はほぼ常に起っていることのようで、時折、大波が来るように一際激しく陽炎が揺らめき立っているのだ。
「防御と延命と形状変化。三つ、奇跡を同時に起こし続けるのは流石に不可能なようですね。けれど、手を緩めるつもりは毛頭ありません。いえ、それ以前に言っているでしょう。私の前で嘘偽りをつくな、と。手も舌も抜きませんが、真相は暴かせていただきます」
攻撃を続けながら懐に手を伸ばす映姫。取り出したのは螺鈿と漆塗りが美しい小さな手鏡だった。
「浄玻璃の鏡。真実を見通すこの手鏡の前では一切の嘘偽りは許されません。さぁ、いい加減その男装をおやめなさい―――」
鏡をグリーンに向けて翳す映姫。やめろ、とグリーンは口惜しそうに叫ぶが無駄だ。磨き抜かれた水晶の表面にその姿が映し出される。そうして…
「っ!」
何の前触れも、光り輝くようなことも、煙が吹き上がるようなことも、砂になって消えるようなこともなく、ただ自然にそうであるかのようにグリーンという好青年の姿形は消え失せてしまった。ただ、無に帰したわけではない。降り注ぐ弾幕の中心。そこにはグリーンの代わりに同じ服装、同じ体勢の彼女が、守矢神社の巫女が、
「東風谷」
「…早苗さん」
彼女が立っていた。
「あ……」
早苗は…グリーンという名の青年に化けていた早苗は一瞬、振り返りかけたが思い直したようにすぐに止めた。それは決して弾幕を防ぐ彼女に余裕がなかったからだけではない。
「洩矢諏訪子に自分に変化して貰い替え玉になってもらって自分の正体が露見しないようにするとは大した念の入りようですね東風谷早苗。成る程、自分自身の精神さえも変容させるその変装は他人への成り済ましとは最早呼べませんね。奇跡の力で数多ある自分の可能性から男性として生れた可能性を取り出してきた、と言うところですか。そして、その姿で貴女が考える阿求の幸せを実現させるために阿求に近づいた、と」
先導者は同時に優秀な詐欺師でもある、まさしくその通りですね。そう嘲りの顔をする映姫。早苗は涙を流しそうに顔を歪めると片膝を折り地につけた。
「違います…違います阿求さん。私は…私は、本当に阿求さんに幸せになって欲しいと…自分なりの考えで…騙す…つもりは…」
項垂れ、そう言い訳じみた言葉を早苗は吐く。奇跡の力も早苗の精神に左右されているのか、強固に映姫の弾幕を防いでいる障壁も薄くなりはじめる。範囲も小さくなり、ひび割れ、今にも砕け散ってしまいそうに。
「でも、だって、こうするしかないじゃないですか! 私の知っている女の幸せなんて格好いい男性に抱かれる、それぐらいしか思いつかなかったんです! 発想が貧困な自分を恨みましたよ! でも、でも、だからって…もう少しで死んでしまう友達に何もしてやれないのは…辛かったんですっ…!」
叫び、ひた隠しにしていた心情を吐露する早苗。項垂れた顔から一滴、嘆きがこぼれ落ちた。映姫の攻撃はその間にも緩むことなく激しさを増し、最早早苗の敗北は確定的だった。
「親身になって相談にのる。宗教勧誘の常套的手段ですね。ああ、本当に貴女は現人神に相応しい逸材のようですね」
「違う違う違うッ! 私は、私は…本当に……」
映姫の言葉を否定しようと頭を振るう。だが、否定しきれない。最初、あの少年から『くーさま』の話を聞いた時、考えた事。打算的だったあの思考が今や早苗に重くのしかかってきていた。早苗とて巫女は心底曲正しく美しくなければならない、なんて思ってはいない。信者獲得のためなら嘘偽りをつくことも躊躇わないだろう。だが、友人になろうと誓った相手にまでそれが出来るのか? 親友を騙すなんて事が許されるのか。早苗の精神は自己嫌悪に押しつぶされそうになる。そして、肉体の方も…
「このまま稗田阿求ごと、貴女の罪を裁いてあげましょう東風谷早苗。罪状は詐欺詐称。貴女は自分の考えを一方的に他者に押しつけ、あまつさえそれがさも真実であるように見せかけるために男性になってまで阿求を騙そうとし、人一人の天寿の定めを歪めた。これは極刑に価する罪です。悔い改めなさい」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
映姫の後方に更に立て続けに六体、閻魔像が現れる。映姫自身を合わせて計、十名。スペル『審判「十王裁判」』が完成する。弾数を増し、降り注ぐ弾幕は最早、一つの巨大な柱となった。衝撃波で木々はなぎ倒され、大地は抉れ、山小屋は倒壊する。凄まじい威力。押さえきれず早苗はついに倒れ、障壁を突き破って降り注いできたレーザーや光弾が次々、その体を貫いていく。辛うじて障壁はその形を未だ保ってはいるものの完全に破壊されるまでそう時間はかからないだろうという有様だった。早苗は雄叫びなのか悲鳴なのか、最早分らぬ声を上げ、狂ったように涙を流す。それは自分の死を前に恐れおののいているのか、それとも自分の罪悪を嘆き悔やんでいるのか、定かではなかった。その声も降り注ぐ光に飲み込まれていく。そうして、早苗の体もまた幾条もの光に包まれ…
――早苗さん、私も実は一つ嘘をついていたんです。
「えっ?」
――実は最初から、グリーンさんの正体には気づいていたんですよ。
「………」
――でも、早苗さんが私のためにそうしてくれたように私も早苗さんが私のためにしてくれたことをあしらうなんて事、できなかったんですよ。
「……ごめんなさい」
――あやまらないでください。これも『私がしたいこと』なんですから。これからすることも。
「…? 阿求?」
――でも、いえ、だから、早苗さん、私の本当の気持ちを聞いてください。私は貴女のことが大好きなんです。
「え…」
――友人として、親友として、それ以上に。早苗さんが変身したグリーンさんは本当にかっこよかったですし、こんな殿方とおつきあいできたらな、と思ったのも本当です。でも、それ以上に私は貴女に憬れを抱いて、貴女を尊敬して、貴女を好きだったんです。
「そんな、私は…」
――だから、ありがとうございます。私とお友だちになってくださって。私の恋人になってくださって。私を愛してくださって。本当に、本当に、ありがとうございます。
「阿求さん?」
――これで今代の私は心置きなく逝くことが出来ます。貴女との思い出があれば次に転生するまでの長い時間を頑張って過ごしていけそうです。
「阿求さん! 駄目です! 貴女は全然、幸せになんて…もっともっと私と遊びに行ったり、グリーンとエッチしたり…他にもいろいろ楽しいことが…阿求、阿求さんっ!!」
――いいえ、私は十分に幸せですよ。早苗さん、そしてグリーンさん。だから、
これでお別れです。さようなら。
降り注ぐ光の中へ消える阿求。
「うぁぁぁぁぁ!!!」
瞬間、早苗は自分の体に力が戻ってきているのを確かに感じた。割り振っていた奇跡の力が使われなくなったため早苗の体に戻ってきたのだ。
「阿求さん…っ!!」
それは早苗の力で生き存えさせていた阿求が亡くなった証左でもあった。阿求は早苗を守るために自ら映姫の攻撃のまっただ中に我が身を曝し、散華したのだ。
早苗は涙を流しながらも、降り注ぐ弾幕の奔流を押し返し、歯を食いしばって天を、その先にいる映姫を睨み付ける。
そして、
「ッ、スペルカード…『開海「モーゼの奇跡」』!」
神の奇跡を纏った強烈な手刀を振り下ろす。その斬線の通りに降り注いでいた弾幕が真っ二つに割れる。ヘブライ人をエジプト兵から逃がすため海を割ったという奇跡の再現だ。
「なっ!?」
映姫の顔が驚愕に満ちる。ここに来て早苗の力が回復するなど夢にも思ってはいなかったのだ。否、そのあり得ぬ事が起きることこそ奇跡。詰め手では逆に早苗には勝利の道が現れてしまうのだ。
「これで終わりです、四季映姫・ヤマザナドゥ!!」
左右に切り裂かれた弾幕の先、殆ど点のように見える映姫に向かってとどめの一撃を放つ。秘法「九字刺し」。縦に四つ、横に五つ。護法でもある鋭い斬撃が放たれ、映姫の体を枡目状に切り裂く。
「そんな…!」
血を散らしながらついに、天の高みから早苗を責め立てていた四季映姫・ヤマザナドゥは地上へと堕ちることとなった。
「………生きてますか?」
「………この程度では死にはしませんよ」
投げかけられた問いかけに映姫は地面の上に寝そべったまま答えた。辛うじて動く頸を動かすと、自分と同じぐらい満身創痍な早苗がすぐ側に立っていた。
「トドメを刺しに来たのですか?」
「違いますよ。死なれたら目覚めが悪いんで一応、確認をと思いまして」
倒れたままの映姫を睥睨する早苗。
「おかしな事を。私は貴女の親友を殺したのですよ。激情に駆られるのが普通でしょう」
「そうですね。確かに私は貴女を許せそうにありません。けれど、それは怒り狂うほどじゃない」
映姫の言葉にそう応える早苗。確かに言葉の通り、まだまだ早苗の心には凝りのように映姫に対する敵愾心は残っていたがそれは殺意に昇華する程の熱量は持っていなかった。気にくわない相手と仕方なく話している、その程度だ。
加え、当然ながら今の早苗にはもう、戦う力はまったく残されていなかった。立っているのがやっとという有様。喩え映姫が自分より消耗し、立つことさえ叶わないとしてもとどめを刺せなかっただろう。そんな力さえも残されていなかった。
「どうしてです?」
「こっちこそどうしてと聞きたいですね、閻魔さま。どうして、そんなに私に怒って欲しそうにしているんですか。それとも私に怒られたいと、復讐をわざと受けたいと、そんな感じがしますよ」
瞬きよりも長く、目蓋を閉じる映姫。考えを纏めるためだろう。ほんの暫くして、映姫はため息混じりに口を開いた。
「私は獄卒たちの長ですが、私とて鬼ではありません。稗田阿求、あの子がいい娘だということは恐らく貴女以上に知っているつもりです」
淡々と説明的に話す映姫。けれど、最後の一言、「長い、付き合いですから」その言葉にはほんの一匙ではあったが僅かな暖かみあるよう、早苗は感じ取った。
「私と阿求は友人関係ではないにせよ、彼女が酷い目に、辛い目に遭うべき人間ではないことは知っています。ええ、そう。こうは言いたくはありませんが私も貴女と同じように阿求の幸せを願っていたのですよ」
「だったらどうして」
不機嫌そうに早苗は眉をしかめる。対して映姫は肩をすくめる代わりに鼻を鳴らしてみせた。
「言っているでしょう。貴女の考えは絶対的に正しいわけではないと。私は、死が近づき、苦しんでいるあの娘はいっそ、早く亡くなった方が、その方が余計な苦しみなど憶えずにすむと思ったのです。恐らく、この騒動のような事態にならず、平坦な生活を続けていれば阿求は貴女の力であと、二、三ヶ月は存命できたでしょう。それだけあの娘の体に巣くっている死はあの娘の体を苛むと、私は考えたのです。ならば、いっそのこと」
頸を刎ねてでも一思いに殺してしまった方が阿求のためだったのではないかと、そう映姫は何処か沈んだ口調で語った。
「今となってはどちらがどちらが良かったのか確かめようがありません。冥府に渡った阿求の魂は他の霊魂と同様、綺麗さっぱりに洗浄されます。阿求の魂は御阿礼の子の力で生前の記憶を全て残していますが、それは記憶と言うよりは知識だけです。そこに感情は、生前の自分が何を想い、何を感じたのか残されていません」
その答を聞きそびれた、その罪滅ぼしのつもりなのかも知れません。映姫は早苗の質問にそう結論づけて答えた。
「………」
返す言葉なく、早苗は沈黙する。
「その反応で私の疑問も晴れました。私たちは結局、自分のエゴのために阿求を傷つけてしまっただけなのでしょう」
誰もが自分の考える幸せのために動き、その結果、争いになり自分と敵、そうしてそれ以外の誰かが傷つく。宗教家である以上は避けては通れぬ道だ。その関門に早苗は今日初めて辿り着いたのかも知れなかった。
「………それでも」
「え?」
不意に早苗は沈黙を破って口を開いた。映姫が疑問符を浮かべる。
「それでも私は自分の考えで、自分の気持ちで他の人を幸せにしようと思います。それしか方法がないから。そうやって人はわかり合えていくものだから。
私は私なりの方法で人を幸せにしていきます。そうでないと、阿求さんの最後が幸せなものだったと信じたいから。だから、私は自分を曲げずに進みます」
それでは、と踵を返す早苗。
それでは、と目蓋を閉じる映姫。
「「さようなら」」
別れの挨拶は自分は彼方の敵ではなくなったというその証左だ。
こうして、稗田阿求の最後の一ヶ月は幕を閉じた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日、稗田家は朝からお祭り騒ぎだった。
使用人たちは来客を迎えるためせっせと炊き出しや寝室の用意、振る舞うための酒瓶を運び、稗田家の血に連なる者達や幻想郷の重役たちは一室に集い今か今かとその瞬間を待ちわびていた。襖で区切られた向こうの部屋では女性の荒々しい呼吸音と力むような声、頑張れ頑張れとそれを励ます医者と看護師の言葉が聞こえてきていた。胸にわだかまっているほんの一握りの不安とそれを被いつぶしてしまうような高揚。誰もがあまり大きな声は出さず、じっと襖が開くのを待っていた。
そうして…
額に汗を滲ませる看護師が勢いよく襖を開いた。生れました。今代の御阿礼の子は男の子です! 息を調える間もなくそう告げる。どよめき立つ一同。ある者ははしゃぐように手を打ち鳴らし、ある者は歓声を上げ、ある者はほっと胸をなで下ろす。同性同士だというのに抱きつき合う人もいた。
その歓喜の騒ぎに呼応するよう、分娩室として使われている儀式の間からは元気のいい赤子の泣き声が聞こえてきた。閉じられていた襖が大きく開かれ、移動式のベッドに乗せられ、母とその隣に寝かされている生れたばかりの赤子が出てきた。
「ほら、ボク、見てください。稗田のご当主さまがお生まれになりましたよ。これで、また三人で遊べますね」
その様子を山の上の巫女はしわくちゃの老人と一緒に眺めていた。
「こんにちわ、阿求さん。遊びに来ていますよ」
END
いやー、今年もそろそろ終わりですね(旧暦設定
思えば色々なことがありました(旧暦設定
例大祭に夏コミ、紅楼夢に冬コミ。その中でも一番大きかった出来事と言えばやはりこのサイト、産廃創想話に自作のSSを投稿誌始めたことでしょうか(旧暦設定
某画像掲示板でこの場所のことを目にし、いっちょやってみっかとキーボードを叩き、コメント頂けるかしら、Disられたりしないかしらとどきどきしながら送信ボタンを押したものです(旧暦設定
あれからはや十ヶ月。未だ精進の日々ではございますが、来年も愛する東方のSSを産廃創想話に投稿していきたいと思っております(旧暦設定
それでは皆様、良いお年を(旧暦設定
こっから真面目に…
あ−、こちらでは遅ればして皆様あけましておめでとうございます。って、もう今年はいって二週間ですよ二週間。半分近く終わってますよ一月。
このSS.書き始めたのは去年のクリスマス前だったのですが…いやー、思ったより難航しまして、酷い難産でした。
とまぁ、いらぬ愚痴もここまでにして、ナニワトモアレ皆様、本年もよろしくお願い致します。皆様のご声援にお答えできるよう、本年度も出来る限りたくさんSSを書き、そして投稿していきたいと思います。
11/01/19追記>>
グリーンの名前は仮でつけたのですが、いい名前が結局思いつかずそのままに…案の中には『ルイージ』なんてものもありました。神龍ッ、オラにネーミングセンスを分けてくれ…!
sako
http://www.pixiv.net/member.php?id=2347888
- 作品情報
- 作品集:
- 23
- 投稿日時:
- 2011/01/13 17:40:00
- 更新日時:
- 2011/01/19 01:14:41
- 分類
- 早苗
- 阿求
- 映姫
- オリキャラ
- きれいなさなビッチを目指して書きました
時間も忘れて一気に読んでしまいました。大変おもしろかったです
その人を外道にしないために、凝り固まった規則で拘束する裁判長。
最後は、自分の自由意志で我が道を逝った書記官。
長い年月の後誕生した新しい書記官を、自分勝手に前任者の名で呼ぶ現人神。
気ままなビッチ早苗さんの彼女流の奇跡、しかと読ませていただきました。
私はここに投稿を始めてから半年もたっていませんが、
投稿時と新しい物語を読んだ時のドキドキワクワク感はたまりません。
今年も貴方の素敵な作品を楽しみにしています。
清純派○V女優みたいなの想像してたら全然違いましたww
これだから産廃はやめられない
究極の幸福とは理想を抱かぬことである。 〜I.V.ジュガシヴィリ
隣人を愛せよ。自らを愛するように。 〜イエス・キリスト
阿求・映姫・早苗の誰もが正しく、決して交わらない幸福論・・・セツナイヨネ。
願っているのは同じ『人の幸せ』なのに、それでも考えの違いから傷つけあい、ときにはその愛する人すら傷つけてしまうこともある
それを理解した上で、それでもエゴを押し通す早苗さんマジイケメンビッチ
そんな早苗さんの為に動いてくれる2柱もかっこいいし、妥協のないえーき様も、自分なりの幸せを得ることができた阿求も素敵でした
エゴなどと蔑視しながらも信念を貫く姿は本当に素敵でした。
冒頭のビッチ振りが嘘のようw
正直今まで見た早苗さんの中でいっちゃん好きかもしれん
自らの想うがままに自分と友達の幸せを全力で求め続けた彼女を心から信仰したい
青いといえば青いけれど、それが却って清々しい早苗さんの若さを感じさせる夏の通り雨の様な話でした。