私の妹は、よく判らないのが売りだった。どこに売りに出すのか知らないが、とかくその『よく判らなさ』はステータスとして扱うべきものだと私は思っていた。妹が『よく判らない』という事を世界で一番判っているのは私だと思っていた。
けれど、まぁ、妹がある日突然首から下を失くしてしまった時は、流石に判らなさ過ぎて閉口した。
「どうしちゃったんですか」
エントランスにころりと可愛らしく転がった生首に話しかける。返事など、当然無い。
「昔からそそっかしくてドジで、物を失くすのが多い子だったけど……ついに五体まで失くしてしまったんですか」
つぶらな瞳は瞼に重く閉じられてしまっていて、見えなかった。あの透き通った緑をもう見れないのかと思うと、なんだか、大切な宝物を隠した金庫の鍵を失くしてしまったような気分になった。
綺麗な薄桃色の髪は泥だらけですっかりくすんでしまって、見る影もない。
「私が怒ったから気を悪くしたのですか」
妹は最近、あまりうちに帰って来てくれなかった。だから寂しくて、私はつい声を荒げて叱ったのだ。大人げなかった。こんな事になるなら、自由にさせてあげれば良かった。
「それとも貴方の部屋に勝手に入って模様替えをしたから? 気に入らなかったなら何故言ってくれなかったのです」
放置すれば埃が積もってしまうから、私は定期的に部屋を掃除した。その際少し気になるところがあったから、少しだけ模様替えをした。
気に入らなかったのだろうか。そうかもしれない。私と妹の趣味が合った試しはなかった。
妹は甘いものが好きだけど、私はそうじゃない。だからせめて、甘いものを作った。お菓子のレシピはいくらでも言える。
妹は可愛らしいものが好きだけど、私はそうじゃない。だからせめて、可愛らしいものを飼った。動物も妖怪も、うちにはいくらでもいる。
妹は温かいものが好きだけど、私はそうじゃない。だからせめて、温かいものを用意した。核融合炉は、少し熱過ぎたけど。
それでもやっぱり、よく判らないのだ。妹の事は。昔からずっと。
どろり、固く閉ざされた瞼の隙間から、白く濁ったゲルが零れ落ちた。
「小言を言い過ぎた? 五月蠅かった? 鬱陶しかった? 邪魔だった? 駄目だった? ねぇ、私に何が足りなかったの?」
生首は返事をしない。
生首は笑ってくれない。怒ってくれない。泣いてくれない。叱ってくれない。優しくしてくれない。愛してくれない。
生首は、嗚呼、五体はどこへ行ってしまったの!
どろり、どんどろどろり。
涙を流すように、薄汚れたゲルが妹の頬を滑った。
泣いている。私の妹が泣いている。
よく判らない。どうして泣くのか。自らの死に涙するような子ではなかっただろうに。
――もういいんだよ、お姉ちゃん。
記憶の底から、声がした。
「……、……やめて」
――私の為に、いっぱい悩んだんだね。
「ちがうの、やめて」
――許してあげるよ。私を殴った事も、叱った事も、犯した事も、縛った事も、閉じ込めた事も。
「やめて、やめてやめてやめて」
――私を殺そうとした事も。
「違うの! だって貴方が! 貴方が私のいないところへ行こうとするから! 貴方が私の知らない風になろうとするから! 貴方には私だけいればいいのに! 私には貴方だけいればいいのに! そうでしょう?! そうじゃないの?!」
妹の好きなものは、ことごとく私の嫌いなものだった。当たり前だ。私が何かを好きになれた試しなどなかったろうに。私はいつだって、何もかも、この世のあらゆる一切を憎み怨んで生きてきただろうに。それは勿論、この身さえ例外ではなかった。むしろ私がこの世で最も憎んだのは、誰からも忌み嫌われ、誰をも忌み嫌ったこの私自身なのだ。
何も愛せず、何も愛そうとしない。この世で一番卑屈で一番卑怯で一番卑劣な、欠陥品にして欠落品。不完全で不平等な、この心自身が一番嫌いだった。
でも、それでも。そんな私でも、妹は愛してくれた。
こんなに歪で、こんなに醜悪な私を全部まるごとそのまま愛してくれた。
だから大切にしたかった。だから大事にしたかった。
でも、よく、判らなかったのよ。
「それは、……ちがうね」
――でもお姉ちゃんには殺されてあげない。だって、それじゃあお姉ちゃんは何も変われないもの。また大切なものを閉じ込めて壊して殺して、満足しちゃうよ。それでは駄目。
「本当に『よく判らない』のは、私だったね」
――私は私を愛してるし、お姉ちゃんも愛してるから、ここで自殺。だからお姉ちゃん、一生後悔してね。
ばらばらになってしまった肉片をかき集めて、綺麗に残った生首だけを手元に置いた。だけどもう時間切れ。
ぼろぼろの妹の身体。もう今頃あの部屋で腐っている頃でしょう。
この首も、いずれ腐り落ちて骨になる。
ふう、と一息ついて、生首を裏口へと運んでいった。そしてそこのドアから、ぽーん、放り投げる。
ごろごろ、ごろごろ、斜面に沿ってどんどんどんどん転がっていく。
がしゃん。音がした。骨と骨がぶつかる音。
そこにあるのは、私の可愛い可愛い妹『達』の頭蓋の山。
「さて、次は誰を『妹』にしようかな」
出来れば次は、最初の妹によく似た、白緑色の髪をした、可愛らしい覚りの子が良いな。
おわり
『妹(こいし)』、それは自虐的な自分自身を愛した姿だと、自覚できますかね、彼女。
古明地姉妹は壊れているくらいがちょうどいい
素敵。