Deprecated : Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/neet/req/util.php on line 270
『夢遊病治療法/あるいはシークレットマインド』 作者: sako
地上と同じく地下にも夜は訪れる。
ただしそれは地平線の向こうへお日さまが落ちてお月様が顔を覗かせる代わりに、丁度十二時間周期で明暗をくり返すヒカリゴケが光を灯さなくなる時間帯を指す言葉だ。
大空洞のあちらこちらに群生しているヒカリゴケが死んだように暗くなり、僅かに体内時計がおかしい小株が時間帯を間違えてお星様の瞬きのように輝く。それが地底の夜だ。
この時間帯は地上の闇夜に潜む妖怪たちも深い眠りについている。真の闇とはあらゆるものの動ですらも殺すものなのだから。
そして、その例には私も漏れず、私こと古明地さとりもまたふかふかのベッドですやすやと夢の世界へと旅立っていました。
「ん………お姉ちゃん…」
と、部屋の扉の向こうから夢の国で遊んでいる私を呼ぶ声が。けれど、その声は私の耳には届いていません。私が聞いているのは実際には存在しない夢の国に流れる澄んだ歌声。私はそれを流れる川に浮かんだゴンドラに乗りながら聞いています。
そんな風に私が夢の国の観光旅行を楽しんで、返事の一つもよこさないからでしょうか、部屋の扉がきぃぃぃと小さな音を立てて開かれました。
「んっ」
その物音と廊下から差し込んできた光に私は寝返りを打ちます。夢の国にいた私は何の理由か唐突に国外退去を命じられたところでした。
部屋の扉を開けた誰かはそのまま私の寝室まで入ってきます。とたとたと足音。私はまた寝返りを打ちます。夢の中では私はもう、犯罪者として捉えられ二人の憲兵に両脇から抱えられそのままずるずると門の所まで連れられていくところです。
「……トイレ…」
いやだ、もう少しいさせてくださいと私は訴えましたが無駄でした。誰かか近づいてきた気配。憲兵は怖い顔で私に黙るように言ってきます。ごそごそという衣擦れの音。憲兵は続けて言います『お前はもう我が国にいる資格がなくなったのだ』と。腰を下ろす動作に追随する音。どうして、と私は強く尋ねます。んっ、と力むような声。憲兵の後ろから現れた夢の国の王様が言います『お前はもう起きているのだから』そして私は目を開けました。薄ぼんやりとした視界にまっさきに捉えたのは…
「こいし…?」
妹のこいしでした。何故か私の部屋の中、ベッドの前に足を曲げて、けれどお尻を床につけずに座っています。妹の寝室は隣の筈なのに。
「どうしたの?」
だんだんと覚醒してきた頭が部屋を間違えたのでは、という予想を思いつきます。それを確かめるために私は尋ねました。けれど、こいしはまだ先程の私と同じく、夢の国の憲兵に国外退去を命じられている頃なのでしょう、寝ぼけ眼のままうんっ、と力むような声をあげました。そうして…
ぷすーぷりぷりぷり…
ちょろろろろろ…
私の寝室でうんちとおしっこをし始めたのです。
「こっ、こいし!?」
頭を半分、霞のように被っていた眠気も何処へやら私は布団を押しのけて起き上がりました。
「ほへ、お姉ちゃん…?」
やっと私に反応らしい反応をしてくれるこいし。でも、まだこいしのトイレはとまりません。こいしの小さな突起の下の穴から流れ出してきたお小水はふかふかの絨毯に吸い込まれ水溜まりを作っている。ちいさな菊の花を思わせる穴を押し広げて出てきたバナナぐらいの柔らかさのうんちがその上にぴちゃりと音を立てながら落ちた。つん、と鼻の後ろや喉の弱いところを触られたような匂いが部屋に満ちる。こいしが出したものからは湯気が昇っていた。
「なんでお姉ちゃんがおトイレにいるの…?」
「お姉ちゃんがおトイレにいるんじゃなくて、こいしがおトイレにいないのよ」
私は粗相をしてまだそれに気がついていない我が妹に薄い笑みを浮かべてあげることしかできなかった。
「ごめんねお姉ちゃん」
「いいのよ」
それからやっと目を覚ましたこいしは自分が一体何処でトイレをしていたのか知って、顔を太陽のように真っ赤にしました。涙を流しながらごめんなさいごめんなさい、と謝る妹をなだめすかせるのに五分。それからこいしをお風呂場に連れて行って汚れてしまったお尻やお股、それにちょっぴりおしっこがかかってしまった足を綺麗にしてやり、そうして今は部屋に残されている汚物を片付けている所です。
何枚もティッシュを取り出してそれで汚物を包みます。ティッシュ越しに掴んだこいしのうんちは柔らかく、気をつけないと形が崩れてしまいそうでした。私はそれを慎重に前もって用意していたビニール袋の中へ入れていきます。汚物を片付け終わった後はお風呂場の帰り、お台所から持ってきた乾いた雑巾で絨毯に染みこんだお小水を吸い取らせます。けれど、すぐに綺麗にしなかったのがいけなかったのでしょう。大部分にまで広がっていたこいしのおしっこはとてもじゃありませんが雑巾一枚では綺麗に出来そうにありませんでした。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。また、わたし…」
「いいのよ。絨毯はそろそろ綺麗にしようと思っていた所だから」
スカートの裾を掴んで涙ぐむ妹の頭を撫でてあげます。そのままこいしは私の胸に顔を埋めてきました。
こいしがまた、と言ったのは妹がこの様な粗相をしたのが初めてではないということです。こいしの力…無意識を操る程度の能力のせいなのでしょうか。こいしは時折、夜中に寝ぼけて立ち歩いたり、日常生活での動作を中途半端に行う…例えば食堂に行って空っぽのお皿を用意してテーブルに座るだけ…そんな風な行動をとることがあります。夢遊病、というのでしょうか。屋敷の外には出ず、行動範囲もせいぜい普段の生活の範囲だけですので特に危険なことはないと考えていますが、時折こうして私の寝室をトイレと勘違いしてそこで用をたしてしまうことがあるのです。
「お姉ちゃん…ぐすん」
「ほら、泣き止んで。お姉ちゃんは怒ってないからね」
「とはいうものの、流石にあの歳で寝ぼけるっていうのは問題なのかも」
それから数時間ほど経ってお昼過ぎ。私は一人旧地獄街道へ買い物に出かけていました。
かつては閑散としていた旧地獄街道も今では花の賑わい。地上との直通の道が出来たお陰でしょう。地底名物の温泉や地下にある奇景異観を眺めるために観光客が大勢訪れています。地下世界の管理人の一人としてはこれは喜ぶべきことなのでしょうが、さとり妖怪個人としてはこの人の多さには少々辟易する時があります。
このさきにうってるおんせんまんじゅうがうまいいゆだったなながいきできそうねこねここねこばるとばくだんとはまたぶっそうながとゆきはおれのよめめざましならなかったなきょうううううううううううううううう…
「っ…」
私の第六器官、サードアイを通じて街行く人たちのとりとめのない思考が騒がしい喧噪よろしく流れ込んできます。私は足を止め顔をしかめますがそれで頭痛を催すような『騒音』が収まるはずはありません。さとりの力…心を読む程度の能力は能力を謳っていながら私には制御不能な代物なのです。
私はステンドガラスを砕いて作られたような人々の思考の渦から逃れる為に本通りから脇道へ逸れ、人気の少ない裏道へと入り込みました。観光客は愚か地底の住人でも用がなければ足を踏み入れないうらびれた場所。人気の少ないここなら殆ど、サードアイに雑念は入ってきません。
「ふぅ…」
歩く速度を平常のそれにもどしてため息をつきます。
やはり、買い物はペットのお燐に頼むべきでした。おくうは駄目です。あの子は買い物用のメモを渡してもそのとおりに買ってこないで、それどころか自分用のお菓子しか買ってこないので。
そんなことを歩きながら考えていると不意に肌を炎で炙られたような思念を覚えました。と、いっても火刑に処されているなんて酷いものではなく、ちょっと焚き火に当たっている程度…といえば分かりやすいでしょうか。その程度の弱い思念です。そして、その波長には私は憶えがありました。
「こんにちわ」
「ああ、妬ましい妬ましい。忙しそうに働いている表通りの連中が妬ましい」
ある店の前で爪を噛みながら、時折聞こえる威勢のいい呼びかけ声に睨むような視線を浮かべている女性に声をかけます。
「む、地霊殿の。こんにちわ。いいね、ヒマそうで。妬ましいわ」
彼女は水橋パルスィさん。嫉妬の妖怪です。今も私に向けてくる視線には火のような嫉妬の思念が込められています。けれど、それは妬ましいという一点だけで、普通、人が他人に嫉妬したとき追随するように現れる敵愾心や憤り、酷い時には敵意や殺意といったものが全く含まれていません。清く正しくけれど美しくはない嫉妬、それを彼女はあらゆるものに向けているのです。
常に何かに嫉妬している彼女と常に他人の心を読んでしまう私。一見すると相性が悪いように感じられますが、顔は笑っていても心の底では…なんてのが常の他の人と違いパルスィは外面でも内面でも嫉妬の炎を燃やしている分、ある意味で裏表のない性格をしているのです。そういった具合から私は毒舌を吐くような彼女のことも嫌いになれず、むしろどちらかと言えば好意を抱いています。いえ、恋愛ではなく友情、ですが。
「いえ、そう暇でもないんですけどね」
そう言って私は手にしていた買い物かごパルスィに見せました。中にはお屋敷で使うものが詰め込まれており、まだまだこの後も買い物を続けなければいけません。
「そう。忙しそうで妬ましいわ。こっちは閑古鳥が鳴いてるってのに」
腕を組んでそっぽを向くパルスィ。暇そうで妬ましいと言ったのに今度は忙しそうで妬ましいとスネる彼女が可愛らしくて私はつい顔をほころばせてしまいます。
「閑古鳥ですか? そういえばパルスィさんはなにをなさってるんですか?」
「見て分からないかしら。店番よ店番。一昨日からここで働き始めてね。でも、暇で暇でさぁ。ああ、向こうの通りの繁盛店が妬ましい」
「…時にパルスィさん。どうしてこのお店で働こうと思ったんですか?」
「そんなの決まってるじゃない。楽そうだったからよ。こんなけ寂れたとおりに店を構えているんですもん。どう考えたって店の仕事は暇に決まってるわ」
「あははは…」
パルスィさんの言葉に私は乾いた笑いを浮かべます。
「ところでお店というのは」
言って私はパルスィが雇われたというお店へ視線を向けます。店はガラス戸が閉まっており、誇りで汚れたガラス越しに見える店内は暗く、一見して何のお店なのかわかりません。じっと、目を凝らしてみているとパルスィがそうだ、と声を上げました。
「さとり、今日ここで会ったのも何かの縁だからうちの商品、買っていってよ。富める者は貧者を救う使命があるのよ。ああ、天から与えられた使命があるなんて妬ましいわね」
私の質問には応えてくれず、パルスィは店の戸を開け始めます。立て付けが悪いのかガタゴトと大きな音を立てる戸。その時、私はパスルィの頭の中に浮かんでいるイメージを読み取りました。【知識】【紙】【紙魚と黴】【暇つぶし】ああ、と私は頷きます。
「さ、好きな本を選んで。ここは本屋なんだから。無限の選択肢があるなんて本当に妬ましいわね」
一歩、店内に足を踏み入れた私を出迎えたのは天井まで伸びる棚にぎっしりと詰め込まれた本、本、本の壁でした。背表紙のない和書から葵染めのカバーが付けられた物、羊皮で装丁されたもの。様々な本が所狭しと並んでいます。パルスィが雇われたのは最近、紙の価値が下落し天狗が流出させた印刷技術のお陰で近頃大量に生産され始めた真新しい本ではなく何十年、何百年、もしかすると何千年も前につくられた古書、古本を取り扱っている店のようです。私は古い本から滲み出てくる埃と黴のなんとも言えない臭いに包まれながら、へぇ、と声を上げて店内を見渡しました。
「どう。友人価格で安くしておくから。ああ、安く本を買えるなんて妬ましいわね」
「ん〜パルスィさん、お安く譲っていただけるのはありがたいのだけれど…」
十歩ほどで店の一番奥まで歩いて行った私ですが、その間、ざっと見た限り、残念ながら私の目に止まるような本はありませんでした。といううかそもそも背表紙にタイトルすら書かれていない本が多く、一冊一冊を確かめていけば気に入る本が見つかるかも知れませんでしたが、残念ながらそれができるほど今は暇ではなかったのです。
「そう。それは残念」
そうそっけなく言うパルスィでしたが私は彼女の心のほんの僅かな寂しさを感じ取っていました。誰だって友達のためにしてあげようとしたことが他意はなくとも断られてしまえばしょげかえってしまうものです。パルスィに悪いから適当に一冊取ってそれをいただこうかしら、とそんなことを考え始めたとき、はっ、と私は今、自分が欲している本があったことを思い出しました。
「そうだパルスィさん、実は今私、一つ困っていることがあって…」
「悩む余裕があるなんて妬ましいわね。で、何かしら」
「実は…」
私はパルスィに今日の夜明け前にあった出来事を説明します。つづいて、妹の奇行を。そう、私は今、こいしの夢遊病を治す方法を探しているのです。
「といううわけでかくかくしかじか」
「まるまるうまうまというわけね。ふーむ。妹がいるなんて妬ましいわ」
腕を組んでパルスィは考え始めます。
「医学の本はあったと思うけど、外科系だったと思うし、夢遊病ってアレでしょ、どっちかっていううと心の病っぽいじゃない。めずらしい病気よね。そんな珍しい病気を患うなんて妬まし…くはないわね、流石に。うーん。その手の本はそれこそ新書を扱っている店に行ったほうがいいと思うけど…労せずして客を手に入れた表通りの大型書店が妬ましいわ」
いろいろと考えを巡らせてくれているようで漠然としたイメージから正しい言葉までパルスィの思考がサードアイを通じて私の中へ流れ込んできます。けれど、それは難航しているようで言葉の通り、ちょくちょく思考が飛んだり嫉妬したりしていました。
と、
「あ」
ピコーンと電球が灯るイメージが伝わってきます。
そうだわ、とパルスィは店の奥へ。普通の人ならばここで何だろと疑問符を浮かべるものでしょうがさとり妖怪である私にはもうパルスィが探している本がなんなのか分っていました。問題はそれが見つかるか否かですが…
「あった」
程なくして埃まみれになったパルスィが店の奥から戻ってきました。手には一札の洋書らしき冊子が握られています。
それは? なんて尋ねもせず私は本を受け取るために手を差し出します。パルスィも分っているので特に何も言わずに私に本を渡してくれます。
「代金ってそんなに安くていいの?」
「会話が早いわね。嫉ましいわ。まぁ、それだけでいいわよ」
どうせ、きちんとした値段表なんてないんだし、そういう思念がパルスィから感じられました。私は本を手提げ鞄の中へ入れると代わりにお財布を取り出してパルスィが考えていたとおりの金額それにちょびっとだけ上乗せした代金を渡しました。
「いいの? 財布に余裕があるなんて嫉ましいわね」
「まぁ、私の気持ちです」
「………ありがと」
嫉妬のない素直な感謝の気持ちがパルスィから伝わってきました。パルスィはいつも心に嫉妬心を浮かべていますが、それが消えた時、彼女は動物たちのように本当に純粋な思念を放つようになるのです。私はそんな心地のいい感情を感じたくてちょぴり多くお金を渡したのでした。
パルスィと別れ、そして買い物を済ませてお屋敷に戻ってきた私は一人、自室で頂いた本を読んでいました。本は難しい外国語で書かれていましたがそこはさとり妖怪である私の力で何とかなります。あらゆる制作物には制作者の意図や感情というものが込められていて、私の心を読む程度の能力を最大限駆使すればそれを読み取ることも可能です。あとはその外国語の辞書さえあれば解読は簡単に行えます。
「ふむ…成る程」
半分ほど読んで私は栞代わりに紙幣を挟んでパタンと本を閉じます。物に刻まれている心を読むというのは、つまり作成意図を読解すると言うことで普通に読む以上に理解度が高まります。私はあらかた本に書かれていることを理解した、ということです。
「これなら確かに…あの子の夢遊病を治せそうね」
うん、と頷く私。
そうとなればさっそく、と椅子から立ち上がります。
「こいしー、こいしー、ちょっとー」
私はこいしを捜すために部屋を出ます。
ですが…
「さとりさま、こいしさまなら地上に出かけましたよ」
偶然、私の部屋の前を通りかかったペットのお燐がそうこいしの行方を教えてくれました。どうやら最近仲良しになった吸血鬼の所へ遊びに行っているようです。
「そう。ありがとうお燐」
「いえいえっ。それじゃあたいはこれでっ」
すぐに私の前から立ち去っていくお燐。廊下を足早に進んでいきます。その背中をなんとはなしに眺めているとお燐はおトイレへ駆け込んでいきました。どうやらお花を摘みに行こうとしていた途中だったようです。呼び止めてしまって悪かったかしら、そんなことを考えながら私は部屋に戻ろうとします。とりあえず、妹が帰ってくるまでもう少しあの本を読もう、そう思ったところでぴたりとドアノブを握ろうとした手が止りました。
「知識を得るより、実験してみたほうがいいんじゃ…?」
不意にそんな考えが思いつきました。いえ、そもそもそうすべきなのです。私がしたいのは知識を得ることではなくこいしの夢遊病を治すことなのですから。よし、と私は奮起し、先程とは違う理由で自分の部屋の扉を開けました。
「えっと…」
実験のために必要な道具を探します。糸と重り。糸はソーイングセットの中にあった縫い糸を使うことに決めましたが重りに使えるようないい物が見当たりませんでした。本では金細工の宝石が使われていましたが、生憎と古明地は没落領主。そんな高価な物はありません。結局、適当に探し回ってお財布の中に残っていた銅貨を使うことに決めました。四角い穴の開いた古銭。元よりこの穴は紐を通すためにあるのですから丁度いいでしょう。硬化の穴に糸を通し適当な長さに切って結えつけて振り子が完成します。
さて、残っている問題は誰を実験台にするか、ということですが。とりあえず思いついたのはペットの二人ですが…
「ふむ」
先に浮かんだのはおくうの顔でしたが、この実験は単純な性格ほど成功しやすいと本に書いてありました。恐らくあまり賢くない…といううかアホいおくうなら簡単に成功してしまうでしょう。実験なのだからそれで構わないかも知れませんが、最終的に試すのはこいしです。自分で言うのもなんですがあの子はアレで頭のいいよく出来た妹です。先に実験するにしてももう少し頭のいい実験台で行ったほうが本番のいいシュミュレーションになるでしょう。だとすれば選択肢は一つです。
「お燐〜」
部屋をでるとちょうどお燐がおトイレから戻ってくるところでした。ニャンですかさとりさまっ、と猫らしくネコ語で応えてくれます。
「ちょっとした実験をしてみたいのだけれど…手伝ってくれるかしら?」
「実験ですか。にゃにゃにゃ。お安い御用ですっ」
ふたつ返事で頷いてくれるお燐。我が家のペットでも恐らく一番頭がいい彼女なら実験台としては申し分ないはずです。
「それでにゃとりさま、あたいは一体何をすれば?」
「とりあえず私の部屋に来て」
お燐を私の部屋に招き入れます。おじゃましにゃーす、とお燐。お燐に椅子に座るように言って、私も対面へ腰を下ろします。
「どんな実験をするんですか?」
「そんなに難しいことはしないわ。とりあえずリラックスして座ってくれていればいいから」
そう言って私は先ほど作った振り子をお燐の目の前にかざします。
「お燐、このお金をじっと見て」
「はいっ」
言われたとおり、振り子にじっと視線を注ぐお燐。私はその振り子をゆっくりと振っていきます。つられてお燐の瞳が右へ左へ揺れます。
「じゃあ、お燐。私が何を言ってもはい、と応えてね」
「はい、さとりさまっ」
応えるお燐。声の調子はいつものとおりで、私のサードアイが読み取っているお燐の思念も平時のそれです。
「お燐、貴女はだんだん眠くなってきています」
「はいっ、さとりさま。あたいは眠くなってきています」
「だんだんだんだん、眠くなってきます」
「はいっ」
「でも、瞼は閉じません。振り子を見つめ続けて、私の声を聞くのです」
「はい」
「目を開けて、振り子を見て、私の声を聞いて…」
「…はい」
「お燐、私の声が聞こえますね」
「……はい」
「私の声だけが聞こえますね」
「……はい」
「私が机を叩いているこの音は…?」
「………」
「お燐、私の声だけが聞こえていますね」
「…はい、さとりさま。あたいはさとりさまのこえしかきこえません」
とろんとした瞳を浮かべて私の言うとおり質問に応えてくれるお燐。その心のなかはピンク色のもやがかかりまともな思考がまったくありません。どうやら実験は成功したようです。お燐はすっかり催眠状態――そう、催眠状態に陥っているのです。
私がパルスィから頂いた本は催眠術の本。曲がってしまった骨をまっすぐするために矯正するように、心の病である夢遊病を治すには催眠術で心を矯正してみればいい、パルスィはそう考え私にこの本を売ってくれたのです。
心がリラックスした状態で単純な動作を繰り返す振り子を見せ、精神を半睡半覚の状態にし、そうしてイメージとしましては柔らかくなった心を術者の、この場合は私の意のままにこねくりまわし形を変える、というのがこの催眠術の原理です。本はその方法と理論についてかなり事細かに書かれており、私もサードアイの力がなければ全く理解できなかったでしょう。私自身、一発で成功するとは思っていませんでしたがどうやら上手く言ったようです。私自身がさとり妖怪で相手のトラウマを付くような精神攻撃が得意、だということがこの場合は功を制したのでしょう。これならこいしの夢遊病も治すことが出来るかもしれません。
「………」
と、実験の成功に喜んでいた私はその間もお燐がじっとし続けているのに気が付きました。実験は成功したのですからもう、お燐にじっとしていてもらう必要はありません。今したことと逆の手順で催眠を解いてあげる必要があります。大きな音や強烈なショックを与えることでも催眠状態は解除されると本にありましたが、それは最終手段で失敗すると中途半端に催眠状態が解けてしまったり、ひどい場合には精神に異常をきたすこともあるそうなので注意が必要です。私は姿勢を正すとまたお燐の前に振り子を持って行きました。
「いえ、ちょっと待って」
お燐は確かに催眠状態ですが、もとより彼女は私のペット。私の命令なら催眠状態でなくてもきちんと聞いてくれます。つまり、これはある意味で予定調和なのです。しかし、それでは駄目です。もっと、いくら私の命令だと言ってもお燐が嫌だと言うようなことをすんなりとしてくれるようにならなければ。そうでなくては駄目なのです。
私が簡単な催眠では駄目だと思ったのには理由があります。
こいしも起きているときは私の寝室がトイレでないことぐらい分かっているでしょう。それなのに私の部屋で粗相してしまうということは心の奥底の何処かにそういう固定概念といいますか頭では分かっているのだけれど深層心理では違うことを想っている、そういう頑固な汚れみたいな考えがこびりついているのでしょう。これを剥がすにはやはり、もう少し強力な催眠で必要があると思うのです。
「今のお燐がどの程度、催眠状態なのか、それを調べる必要がありそうですね」
本には本当に深い催眠状態にすることが出来れば自分を物体だと思い込ませることも出来ると書いてありました。例えばご婦人に貴女は板だ、絶対に折れない板だと催眠術をかけ、間が空くよう二つ並べた椅子の上に彼女を横たえさせ、その上に巨漢を座らせる、というようなことが。今回はそこまで擦る必要はありませんが、もう少し普段のお燐では私の命令でも嫌がるような、もしくは出来ないような命令をさせてみるべきです。
「お燐」
「はい、さとりさま」
暫く考え私は一つ、実験する方法を思いつきました。あまり酷い事はしたくないので、平時なら恥ずかしさを我慢すれば出来ることです。
「貴女はトイレに行きいたい。そう思っています」
「…うーん、でもあたい、さっき行ったばかりですよさとりさま」
案の定、今の催眠状態では無理なことは無理だと言うようです。もっと催眠深度を上げ…? 下げないといけません。
「いいえ。貴女は今すぐにでもトイレに行きたくなります。ほら、さっき、お水をたくさん飲んだでしょう」
「そういえば…」
お燐が体をもじもじさせ始めます。そこですかさず私は次の催眠をかけます。
「でも、お燐。貴女のお尻は今、強力な接着剤で椅子にひっついてしまっています。足の裏もです。貴女はそこから動くことが出来ません」
「ううっ…動けない…」
お燐が体を揺らしますが今私が言ったとおり本当に接着剤でくっつけられてしまったようにお燐は床と椅子にぴったりとお尻と足をくっつけています。催眠の深度が深くなってきた証拠です。
「お燐、昨日の夜は何を食べましたか?」
「えっと…スパゲッティと…スープと…」
「いいえ、昨日のお夕食はお肉でした。みんなでバーベキューをしたでしょう。そこで貴女はたくさん、お肉を食べましたよね」
「はい、おにくおいしかったです」
「お芋もたくさん食べましたね」
「おいももおいしかったです」
「そろそろ大きい方もしたくなってきたんじゃないですか?」
「ううっ」
顔をしかめるお燐。
「おしっこもうんちもそろそろ我慢出来ないでしょ」
「ううっ、トイレ、トイレに…」
お股を押さえてお燐はプルプル震えだします。二股のしっぽはピンと立ち、引きつった顔に汗を浮かべ、必死に我慢しているのがよく分かります。
「食べ過ぎでお腹が痛くなってきたんじゃないですか」
「っうう…お腹、あたいお腹が…」
お燐は歯を食いしばっています。こめかみから一筋、ガマの油のような粘っこい汗が流れ落ちてきました。お腹とお股を押さえ、小刻みに震えています。実際の腹痛と同じように波があるのでしょうか。時折、お燐の顔は訪れた僅かな小休止に脱力しますがそれも一瞬、すぐに顔をひきつらせ奥歯を噛み締めます。見ていれば本当にギュルギュルとお腹が鳴り出しました。
「だめっ…もれちゃう…」
「駄目ですよ漏らしては。我慢しなさい」
「ううっ、はいさとりさま」
喩え嘘の尿意、便意とは言えお燐のしんどそうな顔を見ればそれが少なくとも彼女の中では真実なのが分かります。お燐は目尻に涙を浮かべ、下腹部をさすり、尿道を押さえ、今すぐにでもトイレに駆け込みたそうにしています。けれど、そのお尻と足の裏には有りもしない強力接着剤が塗られ、お燐は椅子の上から全く動くことが出来ません。全て嘘っぱちですが、ここまで来れば私は自分の催眠術に自信を持つことが出来ました。これならこいしの深層意識にこびり付いた間違いも正すことが出来るでしょう。
「お燐、もう大丈夫ですよ。接着剤は剥がれました。もう、自由に動けますよ」
実験の結果に満足した私はそうお燐に言いました。お燐は爆ぜるように勢い良く立ち上がるとドタドタと足音を立て、勢い良く私の部屋から飛び出していきました。トイレに向かったのでしょう。
「………」
私も椅子から立ち上がりその後を追いかけます。実験はこれで終了ですが、一つ、気になることがあったからです。
「さとりさま…?」
トイレの戸を開けるとそこには当然のようにお燐がいました。地霊殿のトイレは洋式で扉に向かい合うように座っています。鍵が掛かっていなかったのは催眠のせいなのか、それとも急いでいたせいなのか判断しかねます。
「お燐、おトイレは戸を開けっぱなしにするのは普通のことですよ。それにじっと他の人に見られるのも」
「……はい、そうでしたね」
少し反応が遅かったのは催眠が抜けかかっているからでしょうか。私はポケットから振り子を取り出してまたお燐の前で揺らし始めます。
「どうぞ、トイレを続けなさいお燐」
「はい、さとりさま」
言われた通り、うーん、と唸り始めるお燐。私が気になったのはさっきトイレに行ったばかりのお燐が催眠術にかかってまた便意を催した場合、本当にうんちが出るのかどうか、そう疑問に思ったからです。いえ、無いものが出せないのは貧乏人に幾ら借金取りが押しかけてもお金を返してもらえないのと同じく、出ないことは分っているのですが、あの本には催眠術にかけた囚人に更に目隠しをして鋭く尖ったナイフだと偽り尖った、けれど殺傷能力のない木刀でつつくと本当に出血し死んでしまったという事例が載っていたからです。或いは催眠術に掛かったお燐は本当にうんちを…
と、じっとお燐の様子を眺めていたのですがお燐は長いスカートを穿いていて、その下がどうなっているのか伺うことが出来ません。ふむ、と私は考えもう一つ、お燐に催眠術をかけることにしました。
「お燐、洋式のおトイレはそうやって使う物じゃありませんよ。和式と一緒で上に足を乗せて座らないと」
そうでした、と私の言うままに便座の上に足を乗せ始めるお燐。流石は猫という所でしょうか。僅かな幅しかない便座の上に和式でそうするのと同じく丁度Vの字に足を開く感じで座っています。ふむ、と中腰になると上からではスカートに隠れているお燐の恥ずかしい部分が見えました。髪と同じく柘榴の実を思わせる縮れた赤い色の毛。普段はソレに隠されている秘裂もお燐が足を開いていることによって僅かに外界にさらけだされています。僅かに湿っているように見えるのは…
「お燐、おしっこはでましたか?」
「はい、ちょっとだけですけど」
うーん、と呻りつつお燐は応えます。トイレに行ったばかりと言っても尿は絶えず排出される物ですから、少し気張れば出てくるでしょう。けれど、うんちは? 私はその場にしゃがみ込み、お燐のお股の間を覗きこみます。お燐の引き締まった尻たぶの間。僅かにぽっこりとフジツボのようにお尻の穴が出てきています。他の部位よりやや赤みがかかっているそこに私は注目します。まるで、待ち焦がれるよう。今か今かと。ああ、あそこからお燐の…
「お姉ちゃん、ただいま」
「ひやっ!?」
不意にかけられた声に私は素っ頓狂な悲鳴を上げて尻餅をつきます。驚いて視線をそちらに向ければ地上から帰ってきたのでしょう、こいしがそこに立っていました。
「どうしたのお姉ちゃん。何してたの?」
「何って…」
そこで私は慌てて足でトイレの扉を蹴飛ばし閉めます。それからこほん、と咳払い一つ。落ち着いた様子を取り繕って何とか立ち上がります。
「ちょっと、おトイレの調子を見ていたの」
「ふぅん」
とっさに作った言い訳をどうやらこいしは信じてくれたようでした。
「ほら、こいし、もう少しでご飯だから食堂に行きましょうね」
「はぁい」
こいしと一緒に食堂へ向かいます。
………それにしても私は本当に“何を”していたのでしょうか?
「こいし、この振り子を見て」
こいしと二人で夕食をいただいてから私は妹を部屋に呼び、さっそく夢遊病を治すために催眠術を施すことにしました。
椅子にこいしを座らせて私も対面に座ります。先程作った振り子をこいしの前に翳し、ゆらゆらと僅かな手の力だけで振り子を振ります。その動きにつられ、こいしの瞳も左に右に揺れ動きます。
「お姉ちゃんの言葉を聞いて。全部の言葉にはいと応えてね」
「はい、お姉ちゃん」
後の手順は先程実験した時と同じでした。振り子を揺らしてこいしの思考能力を低下させ、判断能力の全てを私にゆだねるよう言葉で誘導していきます。
「こいし、貴女はだんだんと眠くなっていきます」
「はい、お姉ちゃん」
「だんだんと眠く…けれど、目蓋は閉じてはいけません」
「はい」
「目蓋を開けたまま、私の言葉に耳を傾けて」
「はい」
「私の言葉だけを聞いて」
「はい」
「私の言うことを聞くんですよ」
「はい」
「私の言うことをよく聞いて、従うんですよ」
「はい」
催眠は順調に進んでいきます。サードアイを閉じてしまったこいしの心を読むことは出来ないので、本当に催眠状態にあるのかどうか確かめることは出来ませんが単純な反応しか返さないところを見ると成功していると見て間違いないでしょう。頃合いだと、私は本題へ入ります。
「いいこいし、トイレはキチンとトイレに行ってするものよ」
「はい、お姉ちゃん」
「トイレに行きたくなったらお姉ちゃんの部屋じゃなく、きちんとおトイレに行くのよ」
「はい、お姉ちゃん」
私の言葉に素直に頷いてくれるこいし。どうやら成功したようです。後はこのまま日常生活を送るよう催眠をかければOKです。
「さ、こいし。もう、おしまいよ。後はいつも通りの生活を続けなさい。ただし、お姉ちゃんの言ったこと忘れちゃ駄目よ。トイレに行きたくなったら…」
「大丈夫。分ってるよお姉ちゃん」
そう言ってこいしは椅子から立ち上がります。
「うん、分ってるからね。何もかも」
「こいし…?」
私に屈託のない笑顔を向けてくるこいし。妹のこの意図の読めない行動はいつものことです。私の催眠通り普段の状態に戻ったのでしょう。そう私は自分自身を納得させます。
けれど…
「ねぇ、お姉ちゃん…」
こいし自身が何処か納得していない感じで私に話しかけてきました。机の上に今し方使ったばかりの振り子を置きつつ、何、と応えます。
「お姉ちゃんは分ってるのかな?」
こいしの質問に私は眉をしかめました。妹の、こいしの問いかけの意図が分らなかったからです。
「何が?」
私は問い返します。けれど、こいしは答えてくれずニヤニヤと笑うばかりです。
「こいし?」
「ねぇ、お姉ちゃん。知ってる? 人の心の一番奥底には植木鉢が置いてあるって」
こいしは唐突にそんなことを語り始めます。
「植木鉢の形はね、人によって違っていて、そこに入れられてる土も人によって違うんだよ」
こいしの話は暗喩が多く、なかなか理解が追いつきません。そんな私を置いてきぼりに話を続けます。
「植木鉢が違って土が違うからそこに生える花もみんな違うものになるの。土と植木鉢が花がどう育つのか決めているの」
こいしの話に私は何か引っかかるような物を憶えました。こいしの話していること、それと同じ話を何処かで聞いたことがあります。
そうですこいしの話はその昔、まだ私がここ地底に来るより前、数多くのさとり妖怪たちが生き残っていた頃、一族の長老に教えてもらった事です。
さとり妖怪が読み取れるのは相手が考えている事だけだが、力の強いさとり妖怪なら更にその奥、読み取った相手の心の源というものが読み取れると。それはその相手の精神を形作っている本質で、本人さえ知り得ない思慮、思想、思惑、思考、その方向性を定めている起源を見ている事に他ならないと。そして…
「私ね、昔、サードアイを閉じるずっとずっと前にお姉ちゃんの植木鉢を見たことがあるんだよ」
力を失う前のこいしはとても力の強いさとり妖怪でした。私でさえ見通すことの出来ない、本人でさえ分っていない根源…深層心理を見ることが出来るような。
その力を使って私の深層心理を見た、とこいしは言うのです。
「お姉ちゃんの植木鉢は、ちょっとヘンな形をしてたんだ。丸くて白くて、アヒルの頭がついてて」
「………」
なんでしょう。その先はあまり聞かない方がいいと心が警鐘を鳴らしている気がします。けれど、私はこいしに話を止めるように言うことも耳を塞ぐことも出来ませんでした。
「ねぇ、お姉ちゃんはほんとうに分ってる…?」
「だから、何を?」
こいしが私に顔を寄せてきます。覗きこんできた妹の瞳に私の顔が映っています。まるで鏡のように。真実を映すあの鏡のように。
「トイレはおトイレでするものだって」
「………」
いつの間に手に取ったのでしょう。机の上に置いてあった振り子をこいしは手にしていました。そうしてこいしは私の瞳をじっと見つめたまま、それを自分と私の顔の間にもって来ます。ゆらゆらと私とこいしの間で揺れる振り子。つい、視線が揺れ動く振り子を追うように動いてしまいます。
「本当に、本当に、分ってるのお姉ちゃん…」
「そんなこと…」
ご飯は食堂で、ゲームは遊技場で、入浴はお風呂場で、トイレはおトイレで、それぐらい分っています。おくうじゃないんですから。常識です。けれど、じっと私のことを見つめてくるこいしの瞳と揺れ動く振り子の前に私はそうだとは答えられません。
まるで、催眠術にかかったように。
「ホントに?」
「………」
「ほんとぉに?」
「………」
「ホントのホントに?」
「………」
「ホントに、トイレはおトイレでするものだって、分ってるの?」
「………当然でしょ」
絞り出すように私は答えます。とたんにこいしは眉をしかめます。
「嘘。お姉ちゃんは分ってない。トイレはおトイレでするものだってこと」
私から離れるこいし。その顔には何故か笑みが、笑みが湛えられています。
「だって、トイレでうんちやおしっこする時は戸を閉めないといけないから。戸を閉めちゃうと見えないものね」
「こいし…? 何を言って…」
「お姉ちゃん、本当にいいの、私がトイレに行っても。うんちやおしっこをしたくなった時、トイレに行って戸を閉めちゃっても」
「あ、あたりまえじゃない」
「本当に?」
そんな問いかけをしながらこいしは私にそっと振り子を握らせてきます。唾液が出なくなり、空からになった喉で、何を、と私は問いかけました。
「いいのよ、お姉ちゃん。さいみんじゅつて私にここでうんちさせても」
「………」
こいしは笑みを湛えながらそんな提案をしてきます。
「机の上に乗って、おしり丸出しにして、ぷりぷり−、って。そういう風なさいみんじゅつをかけてもいいんだよ」
さいみんじゅつなんだから後で忘れるようにまたさいみんじゅつをかければいい、とこいし。ああ、その手がありましたか。やっと出てきた唾液を飲み込み、ゴクリと私は喉を鳴らします。
ええ、確かにこいしにも本当に催眠術が聞いているのかどうか、恥ずかしくてとても出来ないようなことを命令して確かめなくてはいけません。それにこいしは何度も私の部屋で粗相したのです。その罰にここでそんな符に辱めを与えてる必要があるでしょう。ええ、そうです。その必要が、あるのです。
「こいし、座りなさい」
「はい、お姉ちゃん」
「こいし、この振り子を見て」
「はい、お姉ちゃん」
「こいし、あなたはだんだん眠たくなります」
「はい、お姉ちゃん」
「こいし、でも目蓋は閉じては駄目」
「はい、お姉ちゃん」
「こいし、私の声が聞こえますか。私の声だけが聞こえますか」
「はい、お姉ちゃん」
「こいし、私の声が、言うことが聞こえますか。きけますか。私の言うことだけをききますか」
「はい、お姉ちゃん」
「こいし、私の言うことにしたがいますか」
「はい、お姉ちゃん」
「こいし、あなたは私の意のままに動きます」
「はい、お姉ちゃん」
こいしをさいみんじゅつにかけ私は椅子を引いて少し机から離れました。
「こいし、じゃあ、机の上に乗ってください」
「はい、お姉ちゃん」
私の言うとおり、こいしは椅子を踏み台にして机の上に乗ります。お尻を天板に乗せて倒れないよう両手も机の上につけています。
「こいし、あなたは今、とってもうんちが我慢できない。そうですよね」
「はい、お姉ちゃん」
「こいし、じゃあ、そこは机の上じゃありません。おトイレです。おトイレですからドロワーズをを脱いでスカートをたくし上げて、トイレの準備をしましょう」
「はい、お姉ちゃん」
体勢を立て直し、机の上で中腰になりながらごそごそとドロワーズをずらし始めるこいし。膝の辺りまで下着を下ろし、汚れないようスカートを捲り上げて手で押さえます。丁度、椅子に座っている私の目線の高さに妹の真っ白なお尻が露わになります。優美な曲線。まるでできたての生菓子のような柔らかな二つの尻たぶ。足を広げているせいで左右に分かれているその間にはピンク色のかわいらしいすぼみが見えます。
「こいし、そこはおトイレなんですからすることは一つですね。さぁ、お姉ちゃんの前でうんちをしなさい」
「はい、お姉ちゃん」
答えるや否や、こいしはうんっ、と気張り始めました。まるかったお尻がきゅっとしまり、渓谷にあるピンク色のすぼみが少しだけ盛り上がります。私はそこへ顔を寄せ、じっくりと観察することにしました。ひくつくつぼみ。先端部分が開かれ小さな穴が出来ます。そこから…
ぷー、ぷす、ぷー
かわいらしいおならが出てきました。匂いはあまりありません。でも、可愛い妹のだしたものですから、私は命一杯、鼻から息を吸い込んでその香りを堪能しました。
「うんっ…お姉ちゃん…」
こいしがもう少しお尻に力をこめます。お尻の穴がもう少し大きく広がり、もう一度放屁しました。そうして、次の瞬間、むりむりと小さな音を立てながら茶色い塊がこいしの孔からでてきました。暖かなそれはこうして間近で見ているだけで私にこいしの体温を伝えてくれるようです。固さは少し熟れたバナナ程度でしょうか。こいしが健康な証拠です。匂いも先程のおなら同様、あまり臭くはありません。一本繋がったままそれはゆっくりと伸び成長するようにこいしの孔から出てきます。先端部分が机の上に触れ、くにゃりとまがり、そのまま重ならずとぐろをまいていきます。
「ふんっ」
こいしが一際大きく力を入れるとボトリと腸液と共に糞便の末端が出てきました。べちゃり、と音を立てて机の上に落ちる、今までこいしの中にあったモノ。すんすん、と半をならし私はその香りを嗅ぐわいいました。
「あ…」
と、こいしが体を震わせます。遅れて水音。私が覗きこむと、ちょろちょろと放物線を描き机の上にしたたり落ちる水の流れがこいしの股の間から見えました。
「ごめんなさいお姉ちゃん。うんちだけって言ったのにおしっこも出ちゃった」
「ふふ、いいのよこいし」
椅子から立ち上がると粗相をした妹の頭を優しく撫でてあげます。ああ、と私は朗らかな気分に…
「満足したお姉ちゃん」
「え?」
今、私は何を考えて…
気がつけばこいしは首だけを動かして後ろにいる私に視線を向けてきていました。そのまるい瞳には矢張私の顔が映っています。笑みを、この上なく満足そうで、幸せそうな笑みを浮かべる私が。
「ふふ、やっぱり。お姉ちゃんはトイレでうんちやおしっこをしない方がいいんだ」
「こ、い、し…なにを、言って…」
妹が何を言っているのかさっぱり分りません。排泄はトイレですべきなのに。そうではないほうがいいと妹は言ってきています。何を馬鹿なことを。そんなそんな正しい、え? え? え?
「お姉ちゃん、二つ、いいことを教えてあげるね」
混乱する私を余所にこいしは話を続けます。
「一つ目は催眠術は私には効かないってこと。私の力は無意識を操る程度だもの。無意識に作用する催眠術は私にはぜんぜん効かないよ」
それは…考えれば当たり前のことです。催眠術なんてこいしの力に比べれば小手先の技にも等しい微力な力。それがどうしてそれ以上の力を持つこいしに効きましょうか。マッチの火が燃えさかる活火山の炎の前では意味を為さぬように、催眠術なんでこいしに効くはずがないのに。
「…も、もう一つは? ねぇ、こいし。もう一つはなんなの…?」
「もう一つはねぇ」
勿体ぶって悪戯っぽい笑みを浮かべるこいし。ぞくり、とその何もかも見透かしたような笑みに私は怖気を奮います。
「お姉ちゃんの心の植木鉢はね…おまるの形をしてるの」
「おまる…?」
それは幼児用のトイレのことでしょうか。アヒルを模した形状をしていて、アヒルの頭の所に取っ手があって、それで…両親や保護者が見ている前で、排泄行為をするための…
「………ッ!?」
「私はねぇ、お姉ちゃん」
指を組みながら、昔を思い出すよう、とつとつとこいしは話し始めます。
「ずっとずっと、サードアイを閉じちゃってからもずっと考えていたの。お姉ちゃんの心の植木鉢はなんであんなヘンな形をしてるのかな、って。ずっとずっと。それが分ればもっともっとお姉ちゃんの事が分ると思ってたの。他の人の心なんて私は見たくなかったけれど、お姉ちゃんは別だったから。だから、考えて考えて、ようやく分ったの」
にっこりと、本当ににっこりと屈託のない、汚れのない、無垢な、ああ、けれど、どこか意地悪そうに、私を虐めるように、けれど、それが本当は私のためであると言うことを分っているように、天の邪鬼ぶって、悪人を気取って、こいしは笑みを、全てを見透かすようなイノセントな笑みを浮かべてきます。
「お姉ちゃんはね、好きな人のね、おしっこしているところやうんちしているところを見るのが大好きなヘンタイさんだってこと。うんちが好きなヘンな女の子だってことが」
こいしの言葉に私は逃げるよう後ずさりします。思わず椅子を倒してしまい、けれど、それを起こすことも出来ず壁際まで下がります。違う違う、と呟きながら。けれど、その声は小さく、とても弱々しく、ぜんぜん、心が籠もっていません。
ああ、ああ、とうめき声を上げながら私は手の平で顔を被い、体をぶるぶると凍えたように震わせます。
「そんな…私は…っ」
目を閉じようとしているのに目蓋が下がりません。まるで催眠術でもかけられたように。両手で目を隠してしまえばいいのに、開かれた指の間から妹の、こいしの。机の上に座って排便している姿が見えます。そのかわいらしいこと。うつくしいこと。いとおしいこと。
「ああっ…私は…」
破顔し、私はむせび泣きました。
その光景に。その素晴らしい光景に。
「うーっ、トイレトイレ」
ドタバタと足音を立てて廊下を走っているのは地霊殿のペット、霊烏路空。急いでいる様子。けれど、さる理由で全力疾走することも出来ず、焦りの表情を浮かべて出来るだけ早く足を動かしています。
「漏れちゃう…さとりさま、いますかー?」
ある部屋の前で急ブレーキをかける空。コンコンと扉をノックし、そう声をかける。扉にはさとりの部屋と刻まれたプレートが取り付けられていて、その扉の向こうから、どうぞという声が帰ってきた。しつれいしますと空は真鍮のドアノブを回し、部屋の中へ足を踏み入れる。
「どうしたのおくう?」
部屋の中にいたさとりは読書中だったようで、眼鏡をかけ椅子に腰掛けていた。立ち上がらず、椅子をぐるりとまわし空を迎えるさとり。
「あ、あの、おトイレに行きたいんです」
もじもじそわそわしながら空はそう応えた。右手は後ろへ伸ばされ、尻を押さえている様子。それをみてさとりは納得した様子で顔を綻ばせた。
「なるほどね。わかったわ」
本をパタンと閉じ、頷くさとり。そうして、
「じゃあ、そこでしなさい」
平然とそんなおかしいことを口にする。
空の様子から彼女がトイレに行きたがっているのは明白だった。そんなことで一々、主人とはいえさとりに許可を取るのもおかしかったが、トイレでもないこんな場所で排便しろというのは更におかしな話だった。けれど、空はありがとうございます、とまるでそれがさも当然のことであるように頭を下げた。そうして、振り返り、さとりに背中向けると空は足を上げショーツを脱ぎ始めた。足首までずり下ろし、片足ずつあげて下着を脱ぐ。脱いだ下着を握りしめ、次いで空は膝上までしかない短いスカートをめくり上げた。肉付きのいい、指で触れればそのままはじき返されそうな弾力のある尻が露わになる。
「立ったままでした方がいいですかね」
「ええ、そうして」
なんの躊躇いも、迷いも、途惑いも、滞りもなく事態は進む。まるでそれが普通であるように。まるで催眠術にかけられたかのように。おかしな事をおかしいと思わないように。
「じゃあ、さとりさま、出しますから見ていてください」
「ええ。じっくり見るから」
さとりは足を組んで膝の上に手の平が下向くよう左手を乗せ、上を向いた左手の上に右の肘を乗せ、右腕で頬杖をついた。顔には微笑が湛えられている。まるで綺麗な花や芸術作品を眺めている時に浮かべるような慈しみの目だ。その視線の先で尻を丸出しにしている空は手を伸ばすと尻たぶを掴み、それを左右に広げた。僅かに色素で黒ずんでいる菊門が露わになる。そして、空はふんっ、と立ったまま下腹部に力を込めた。ぶっーぶす、という大きな放屁が放たれる。ついで、石のように固そうな糞便が菊門を押し割りながら空の体の中から出てきた。固いのか、ぽろぽろと崩れながら床の上に落ちる空の糞。さとりからは見えないが茂みに被われた空の尿道からも勢いよく小便が排出され始めた。じょろじょろと音を立てて床に流れ落ちる黄金色の液体。部屋の中に臭気が満ちる。臭いはずのそれをさとりは薔薇の香りでも嗅ぐわう、よう胸にいっぱい吸い込んだ。愛おしい気持ちで胸が満ちる。
「ふぅ−、終わりましたさとりさま」
「ごくろうさま」
腹の中の物を全部出し終えたのか、空はさとりにそう告げる。さとりは椅子から立ち上がると最近、部屋に常備しておくようになった柔らかなウエットティッシュの箱を手に空に近づく。
「さ、拭いてあげるからお尻を出しなさい」
「はい、さとりさま」
突き出された空の尻を優しく、愛おしげにさとりは拭き始めた。
これが最近、地霊殿に新たに定められたルールだ。
――トイレに行きたくなったなら当主のさとりのところへ行くこと。そこで用をたすこと。
さとりはこの新しいルールを滞りなく行えるよう屋敷で飼っているペット全員にこのルールは一つもおかしいところはないという催眠術をかけた。今ではトイレといえばさとりのいる場所を指すぐらいだ。一応、さとりがいない場合は以前使っていたトイレを普通に使用していいことになっていたが、さとりの性癖に感化されたのか今では地霊殿では排泄は他人に見られながらするのが当然ということになっている。
「ごめん、ちょっとトイレに行きたいんだけど」
「うん、分った。じっくりと見ててあげるね」
それが今の地霊殿の日常会話だ。
新しく定めたルールにさとりはご満悦のようで、そのことに目覚めさせてくれた妹のこいしともどもペットたちと末永く幸せに暮らしたそうだ。
「ところでアタイはいつになったら便器の上からおりればいいんですかね、にゃとりさまぁ〜」
END
作品情報
作品集:
23
投稿日時:
2011/01/23 05:19:46
更新日時:
2011/01/23 14:19:46
分類
さとり
こいし
催眠
スカトロ
こいしへの催眠術、心の奥底を覗き込んだら、実は自分が覗き込まれていたような恐怖。
ちょっと歪んでしまった地霊殿。まあ、他者を陥れるような鬱エンドになるよりかは、遥かにましなハッピーエンドで良かった。
さとりさま、早くお燐を便器から降ろして、お部屋でクソを垂れさせてやって下さい。
そしてこいしちゃん怖いよ、こいしちゃん
おりんにスカトロ催眠している時から、さとりには兆候があったんだな