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『東方ゲロ娘『言吐』』 作者: 山蜥蜴
幻想郷が博麗大結界により完全に外界と遮断される以前、世界が急速に戦争に向かい突き進んでいた時代の初夏
現妖怪の山中腹の小屋
床板は張られておらず、壁と天井のみが粗末に作られており薄暗く、広さは五米突四方といったところか
「うらっ」
椅子に縛り付けられ、目隠しをされた白狼天狗の鳩尾に一本拳が減り込む。
そのまま椅子ごと床に倒れるが、直ぐに髪を掴んで引き起こされ再び殴り倒される。
四度目に殴り倒された時に、白狼天狗はゴボゴボと胃の中の物を土床にぶちまけた。
殆ど消化されている恐らく何かの燻製肉と糒だったろう吐瀉物。
殴っていた無精髭の白狼天狗は溜息を付き、床に置かれた桶を取り水瓶から水を汲むと倒れた天狗の顔に浴びせる。
急に水を掛けられ咳き込む天狗を、無精髭は再び引き起こしたが今度は殴り倒さずその代わり目隠しを外して話しかけた。
「なぁ、犬走よぉ。そろそろ『ゲロ』っちまえよ。お互い面倒じゃねぇか、えぇ?おい?」
「ゲロなら今したよ…」
「詰らない冗句言う元気が有る内に言った方が良いぜ?」
無精髭は懐から紙巻煙草を取り出し燐寸で火を付けその燃え殻を、犬走と呼ばれた天狗の襟から背に入れた。
犬走は忌々しそうに顔を歪めて無精髭を睨み付けて背が焦げるのに耐えている。
「そう怖い顔すんなよ、こっちだって好きでやってんじゃねぇんだから…だから、さっさとゲロっちまえつってんのによぉ…」
好きでやっているのでは無い、と言う割に至極愉快そうに犬走を見下ろしている無精髭。
「これも訓練なんだからぁしゃあねぇだろうがよぉ。んですよねぇ、中隊長ぉ?」
無精髭は小屋の片隅に直立不動の見るからに神経質そうな木の葉天狗に声をかけた。
「期間中、質問は受け付けておらん」
「…ですってよぉ、犬走ちゃん。…あ、お前も吸うかい?」
無精髭はへらへらと笑いながら短くなった煙草を犬走の口に突っ込んだ。
前後逆に、である。
ジュッ、っと口内に触れた煙草が唾液を蒸発させ、肉を焼く音が小さく聞え、顔を背け逃れようとする犬走を無精髭は押さえつける。
暴れる犬走の口に無理に煙草を押し込もうとするせいで、顔の色々な所に小さな火傷をばら撒く。
「あぁ、悪りい悪りい。火の付いてる方、うっかり間違えちまったよ。火傷しなかったかい?」
少しして、やっと消えた煙草を床に捨てて下駄の歯ですり潰しながらわざとらしく言う。
「前後間違えてくれたお陰でお前の気色悪い唾液に触れずに済んだよ…有難う」
口を庇いながらの少し歪んだ発音でそう言い、血の混じった唾を吐き捨てた。
「ハッハハハ!言うじゃねぇか!」
無精髭は笑いながら犬走の顔面に豪快な掌底を叩き込んだ。
「がっ…!」
小さく呻いた犬走の頭はガクリと椅子の背に乗る様にして天井を向いたまま動かない。
「ありゃ、力み過ぎたか?」
無精髭は成れた手付きで掌を口と鼻の前に翳し、首の骨を確かめ、首筋で脈を取り命に別状の無い気絶である事を確認する。
「…まぁいいや、休憩だ休憩!やってらんねぇよ強情野朗め…」
無精髭は首をゴキゴキと鳴らしながら部屋の隅の椅子にドカリと腰を下ろす。
再び煙草を取り出すと火をつけ、煙を深く吸い込んだ。
「あの、分隊長…『野朗』じゃないです。…それと、やり過ぎじゃ、ありません…?」
先程からその隅でおっかなびっくり見ていた鴉天狗が分隊長こと無精髭に声をかける。
「あぁん?うるせぇよ新米。中隊長殿が止めないんだから良いんだよ」
「で、でも…犬走さん、その……女性、ですよ…あの、顔に火傷とかは…」
無精髭は鴉天狗の顔に煙草の煙を吹きかけた。
「そういうのがうるせぇ、っつーの。どうせ俺等ぁ妖怪なんだから痕なんてすぐに消えるさ」
「ゲッホ!ゴホ…!…う、ぇ。う…で、でも…」
紫煙に咽返りながら、チラリと犬走に眼をやる鴉天狗。
上向いたままの顔からは掌底による鼻血がダラダラと流れ、顎を、首を伝って白かった着物の胸元を赤く染めている。
「でも、じゃねぇよ。やれ、って言われりゃやんのが兵隊だろうが。俺らも犬走もやれって言われてんだよ今ぁ。
それと、恨むならぁ新米も犬走も、俺じゃなくてぇこんな訓練組んだ上と、籤運を恨んで欲しいもんだなぁ」
無精髭はもう一度深く煙草を吸うと、そのまま犬走に歩み寄り口付けをして人工呼吸の要領で煙を流し込んだ。
「くっ、かっは!…げほ……う゛ぅ…」
ニコチン、タール、カルボニル類、ベンゾピレンや窒素酸化物、その他諸々を肺に流し込まれ気絶から覚め酷く咳き込む。
「目覚めの口付け、ってやつだ。…確か西欧にゃなんかそんな童話が在ったよなぁ……?」
「あ、あの、はい。えぇと独逸のKinder-und Hausmarchenという童話集にDornroschen…えっと、茨の…姫、という話が。
あ、この童話集は兄弟で編纂した物で西暦で1812年だから…文化9年に、ヤーコプ・ルートヴィヒ・カルル・グリムとヴィルヘルム・カー…」
「お前がお利口なのぁ分ったよ新米!そこまで詳しかぁ聞いてねぇ。ったくこれだからインテリゲンチャなんてなぁよぉ…お前もそう思うだろ?」
片手を振り回し鴉天狗の話を遮り、咳が治まってきた犬走に話を向ける無精髭。
「けほ…くそったれ…」
「インテリ鴉天狗はくそったれだとよ、新米」
「犬走さんはそういう意味で言ったんじゃ無いと思うんですけど…」
無精髭は犬走から手を離し、鴉天狗にゆっくりと近づいていく。
「じゃ、俺がくそったれだってかぁ?新米ぃ?」
「なんでそうなるんですか?!そっ、そういう意味じゃ…!あの、私はただ、えっと、その、文脈が…」
「本気でびびんなよぉ、冗談の通じねぇ野朗だ全くよぉ…」
ガリガリと頭を掻き毟ると無精髭は犬走に向き直った。
ごーもん
「さって、と。茶番は止めて、そろそろ再開すっか。『訓練』をよ」
無精髭の白狼天狗の言う通り、これは訓練であった。
犬走椛の所属する中隊長発案の模擬戦の一種であり、今回はその実験的な初回実施。
2つの分隊が参加する訓練であり、くじ引きにより『捕虜』をそれぞれの分隊から一人選出する。
そして2つの分隊は妖怪の山の何処かにある『陣』にそれぞれ敵捕虜と共に移動し、訓練開始。
捕虜には『4桁の数字』と『自陣の座標』が事前に教えられ、『4桁の数字』を入手し担当の監督者に伝えればその分隊の勝利となる。
無論、期間内に敵方より先に伝えれば、である。
又、期間終了迄にどちらも4桁の数字を入手出来ていない場合、もしどちらかが捕虜を失っていればその部隊の言わば判定負けとなる。
敵方の陣を襲撃して捕虜を奪還してしまう事も認められており、それにより陣の座標情報が価値を持つ。
つまり、4桁の数字は言わないが、陣の座標を言うからこうしてくれ、等の駆け引きが可能となるのである。
捕虜の自力による脱出──自軍との合流か、一定時間の逃走──も可能ならば認められる。
陣の位置や期間は訓練の度に変更され、期間内にどちらも4桁の入手が出来ず、捕虜の条件も同等の場合は引き分けとなる。
期間は参加者には知らされておらず、監督者が時間になれば中止を申し渡す。
その為、尋問者は早く聞き出さなくてはならぬと焦燥し、捕虜は後どれ程の時間耐えれば良いのかと憔悴する。
訓練中は作戦行動中と見做され、隊員の権限等は有事と同等とされる。
また、想定外の行動が行われるのを防ぐ為、能力や妖術の使用は禁じられ一定期間のみ有効な『封印』を参加者達は事前に受けている。
なので陣──と言っても小さな掘っ立て小屋──を深い森林に覆われた広大な妖怪の山の中から一個分隊程度の人員で
座標情報無しにそれを発見するのは実質不可能、つまり捕虜からの情報収集は必須と言えるだろう。
つまり
そして、情報収集には拷問が必須と殆どの参加者が考えた。
妖怪の中でも比較的上位を占める天狗属の為、まずもって回復不能の傷など在り得ないが、
とはいえ一度に余りに重度の負傷をすれば回復が追い付かずに…、という事も無いでもない。
それを避ける為と4桁の確認に、それぞれの分隊の陣には監督として中隊長、中隊長補がそれぞれ詰めている。
いざと、と成れば彼等が所謂ドクターストップを入れる手筈である。
そして、この訓練において情報を敵方に渡した捕虜に対する罰則の類は一切無い。
敗北した分隊への罰則も、勝利した分隊への褒章も無い。
その気に成れば、訓練開始直後、指一本触れられる前に喋ろうとも何の問題も、無い。
だからこそ。
で、在るからこそ簡単に口を割る訳にはいかない。
要は「嫌ならばさっさと喋って自らの分隊を敗北させても構わないぞ」と喧嘩を売られている様な物なのだ。
それを許す程度の自尊心の持ち主はとくの昔に耐え切れずにこの部隊を去っていた。
現在の外敵の脅威が実質ゼロの幻想郷では軍部自体が時代遅れの窓際、最前線の哨戒部隊は下っ端と見做されている。
だが外界と未だ連続し、驚異と脅威が世界を埋め立てつつあった当時、紛れも無く花形は勇猛なる哨戒部隊であった。
その当時にあって中でも精強とされた小隊、その中の二分隊が今回の訓練に参加しているのだ。
ならば元より、あっさり喋ってはい終わりとなる筈が無かった。
…
……
………
ずくっ
ぺきゃ
「っっ!!!」
「はい、9枚目。まだ言う気にゃならんかい?…そりゃ残念」
ぐちぃ
ぺきぃ
「…っっ!!」
「10枚目、っと。あれま、もう全部剥がしちまった」
無精髭は血の滴る刀子を無造作に小屋の壁に投げ刺すと、瓶から水を柄杓でガブリと飲んだ。
「ふぅ…中々疲れるもんだねぇ、こういうの」
そう言いながら口を手の甲で拭う無精髭の足元には血と少しの肉が付いた爪が散らばっている。
「うっ…ぐぶっ……」
「おい、新米!吐くなら外でやれ!」
先程から眼を背けたりとそわそわしていた鴉天狗は、とうとう口を押さえながら小屋の外へと駆け出していった。
「あぁ、ほんとによぉ…。『当人』がこうして立派に耐えてるってのに、情けねぇ野朗だよぉ全く…」
後手に椅子の背に回して縛られた犬走の両手には最早爪が一つも残っておらず、指先には赤い肉が血を滴らせるのみである。
刀子を爪と肉の間に刺し込み、軽く捻る。
それを10回繰り返した結果だ。
それが行われる間、犬走は一声も漏らさずにただ耐えていた。
「さてと…そろそろ日が暮れる訳だが…。おめでとう、灯りを付ける訳にもいかねぇから今日はこれで仕舞だ」
無精髭は手に付着した血をベロリと舐め取ると厚手の布袋を犬走の頭に被せて、全身に水を浴びせた。
「ぅ…」
濡れた袋が視界を塞ぎ、更に窒息まではいかぬものの呼吸を阻害し、水を吸った衣服が身体に張り付き非常な不快感を与える。
地味だが効果的な嫌がらせだろう。
夕日が沈みかけた頃、小屋にあの鴉天狗と、6人の武装した天狗達が入って来た。
グラース銃を肩に担ぎ、天狗装束を基本としながら昨今の人間に習って改良された戦闘服に弾薬盒と水筒を装備している。
腰に巻いた刀帯に刀を吊って居る者が2名、残りは銃剣を差している。
昼間、辺りの警戒を行い、同時に簡易な警報的な罠を張巡らせていた分隊員達である。
「分隊長、今戻りました。付近の地勢の把握、羂の敷設が完了、敵勢力は付近に見当たりません。二名歩哨に残してあります」
顔に無数の大きな古傷の在る鼻高天狗が無精髭に報告をする。
随分古そうだが傷が癒えていないという事は、過去に余程呪術的な何かで切り付けられたのだろうか。
「ご苦労さん。簡単に地図にしてくれ。仕掛けた羂の種類と数も書いておけよ?ちょっと小便に出て逆さ吊りにされたんじゃ堪らねぇからよ」
無精髭は労いと指示、それと軽口を並べながら古傷に懐から出した洋酒の小瓶を投げ渡した。
古傷は受け取った酒を一口だけ飲んで他の隊員に渡し、無精髭の隣の壁際に腰を下ろした。
「分隊長、捕虜は喋りましたか」
「いんや。『これ』でも座標を喋るどころか声を上げすらしねぇ」
床に散らばる剥がされた爪を顎で示す。
「成程。…『歯』は試しましたか?」
「『歯』はまだやってねぇな。今日は軽く殴って爪剥いだだけさ」
「試してみると良いでしょう。俺は昔あれには耐えられなかった」
古傷はそれだけ言うと直ぐに先程の地図の製作を始め、それが終わると座ったまま寝息を立て始めた。
「聞いてたか〜い犬走ちゃん?明日は『歯』だぜ。楽しみにな。俺ぁもう寝るわ」
無精髭は犬走におどけた声をかけると、先程投げ渡した酒瓶を隊員から取り返しグビリと飲み椅子の上で器用な体勢で眠り始めた。
他の隊員達も携行食を食べながら少しの間ざわついていたが、やがて見張りを残して全員寝てしまった。
起きているのは犬走と見張りに起きている鴉天狗、そして訓練開始から直立不動の監督者のみである。
「…」
無精髭が寝てから数時間。
犬走は左手で、親指を握り込むように拳骨を作った。
静かに、大きく息を吸い込み左手に力を入れ…
「あの…多分、止めた方が良い…と思いますよ」
力を入れようとしたその時に、若い鴉天狗に左手を軽く掴まれた。
「…っ!?」
数時間の間、物音一つしなかった為完全に見張りは居ないか、或いは寝てしまったと考えていた為、思わず身体がビクリと硬直する。
被せられた袋のせいで音でしか判断出来なかったのだ。
「あっ!あの、手、爪!その、済みません!」
爪を剥がされた手を掴まれて犬走が痛がったと勘違いしたらしい鴉天狗は慌てて手を離し、小声で謝罪を繰り返す。
「…優秀な見張りだな」
縄抜けの試みをあっさり発見された悔し紛れに自嘲気味の褒め言葉を口にする。
「いや、えっと…そ、その結び方だと、親指の間接外しても抜けられないですよ……本によると、ですけど」
鴉天狗は何やらどもりながら犬走を制止した理由を説明した。というより、説明しようとした。
「…?」
袋を被せられた頭を傾げる犬走。
「ですから、指、外しても痛いだけ損だから…」
「…じゃあ、私の為に止めたのか?」
「うっ!えぇ…と。…私の為です。痛い事を見るのとか苦手なんですよ…」
「…」
ぺきんっと小気味良い音が左親指の付け根からする。
「いっ!?」
鴉天狗は思わず眼を瞑り、首を竦めた。
少しして、鴉天狗の言った事が本当であるのを残念ながら確認した犬走は親指を椅子の背に押し当て間接を入れ直した。
「…これは確かに抜けられない」
鴉天狗は間接を入れる時の音が、黒板を爪で強く引掻く音であったかの様な反応をしている。
「だ、だから言ったじゃないですか…ああぞっとする音だ…」
「…寝る」
犬走はこの部隊に在って痛い事を見るのが苦手等と言う鴉天狗を不思議そうにしていたがやがて、ぼそりと一言言い寝息を立て始めた。
「…」
鴉天狗は何も言わずに、静かに見張りを続けた。
「おっはよう!」
元気の良い挨拶と共に拳が犬走の右脇腹に突き刺さる。
「がぁっ…!」
「他の奴等ぁ皆出てるからぁ二人っきりだぜ犬走ちゃん?…あぁ…影薄いから忘れてたが、中隊長殿も居るから3人か?」
チラリと後方を振り返るとやはり開始時から懐中時計を確認する以外には、寸分動いていない中隊長が無精髭の視界に入る。
中隊長は妖力封印を受けていないので、無飲食でも問題無いのだろう。
無精髭は犬走の頭から袋を取り、顔を覗き込んだ。
「お目覚めの気分は如何かなぁ?んん〜、血塗れのひでぇ顔だなぁおい」
「げほ…その髯面よりはマシだ…」
「そういう態度は損するぜ?」
「かっ…ぁ…」
もう一度拳を叩き込むと、無精髭は犬走の向かいに椅子を移動させ腰を下ろした。
「さぁて、と。早速だがぁ昨日言ってた通り『歯』に取り掛かるとしますか」
無精髭は腰の刀帯から明らかに支給品では無い、軍規を無視した鉈を引き抜いた。
大分長い間使用している物らしく繰り返し砥がれた刃は鞘の3分の2程度の長さになっている。
それの柄尻で犬走の横面を思い切り殴り付けた。
フルタング構造のその鉈は柄尻に金属が露出しており、2度、3度と殴る内にやがて口中からメキリと嫌な音がし、小さな悲鳴を上げた。
無精髭はそれを聞くと殴るのを止め鉈を納めた。
幾本かの奥歯を砕かれ、流石に堪えたのか犬走は頭をぐったりと垂れている。
前髪を掴んで顔を引揚げ、頬を叩き歯の欠片を吐かせダラダラと血の流れる犬走の口中を覗き込む。
「ん〜、まぁこんなもんか…」
そう一人ごちると、彼は一旦犬走から離れて昨日爪を剥がすのに使った細身の刀子を壁から引き抜き戻ってきた。
「なぁ、まだ言う気は起きないか?こいつぁ痛ぇぞぉ?」
「ぐぅ…くぐぅ……」
ぼたぼたと血を膝に垂らしながら首を左右に振る犬走。
「…。んならぁ仕方ねぇなぁ…。あーあぁ…」
無精髭は深い溜息を付くと、柄杓に水を汲むとそれを犬走の口に流し込み、吐き出すのを待ってから刀帯に挟んであった手拭を取り犬走の顎に手をやった。
片手で器用に手拭を硬く丸めると、殴り折ったのと反対の側の奥歯に押し込む。
「む、ぐっ…ぁ、あにほ…?」
「何をする積りかってぇ?…こう、だ」
無精髭は手拭を押し込まれて閉じられない口に慎重に刀子を入れ…
カリッ
「〜〜〜〜?!?!」
犬走がビクリと背筋を硬直させ、声に成らぬ悲鳴を上げた。
無精髭は折れた歯の露出した歯神経を直接刃先で掻いたのだ。
「もういっか〜い」
キシッ
「がっぁ〜〜〜ぁああぁあ!!!!」
それは外からは象牙質をこそぐ小さな音が聞こえたのみだが、犬走にとっては顎から脳に針を貫通させられた様な激痛となる。
身体が激しく震え、縛り付けられた椅子がガタガタと音を立てる。
が、出来るのはそれだけで毛髪を掴まれて、顔が仰向く様に椅子の背に押し付けられ一切の抵抗が出来ない。
コッ
「がっ!!…ぅ!……え゛っ…」
3度目に歯神経を突かれた犬走は数度えずき、胃液と殴られた時に飲んだ血の混じった液体を吐き出した。
「おっと」
無精髭は口から手拭を抜き取り、髪を離して距離を取って自分に吐瀉物がかからない様に床に吐かせてやる。
「うっ…くぇえ……ふぅ…ぐぅ……」
嘔吐といっても、昨日吐ける物は既に吐き切っており最初に胃液と血液を吐いた後はえずくのみで、精々唾液しか出なかった。
無精髭は犬走が吐き終わると、再び前髪を掴み仰向けにさせ口に水を流し込み、吐かせて洗浄した。
「どうだ?そろそろ言っちまえよ」
そうして、再び刀子を手に取り顔の前にチラつかせながら自白を迫る。
「ぃ…いゃ、だ…ね……」
「へぇそうかい」
さくりと頬に切っ先を埋め、こめかみに向かってゆっくりと切り上げる。
「っっ……」
「痛いよなぁ?でもよ、さっきはこんなもんじゃなかったろ?」
平行してもう一本切り傷を作る。
「ぃ…」
「まぁだ歯ぁ抉られたいのかい?」
更に隣にもう一本。
「な、何を…されたって、言わない…!」
「…」
顔を切る無精髭の手が止まる。
「ふぅ〜。…仕方ねぇな」
溜息をつき、再び手拭を手に取り硬く丸めると嫌がる犬走の口に捻じ込み刀子を口に入れた。
「んじゃあ…1、2の…さっ」
「只今戻りました!」
小屋の扉が勢い良く開かれ、若い鴉天狗が入ってくる。
「おつかれさん。んじゃ改めて、1、2の!」
「え…ちょ、ちょっと!分隊長…一体何を……」
「うるせぇな。歯神経弄ってんだよ」
コッ
「ぁああぁぁああ!!」
「ひっ!」
鴉天狗は思わず耳を塞ぎ目を閉じた。
昨日あんなに殴られても、煙草を顔に押し付けられても、爪を剥がれても静かに耐え切ったこの白狼天狗が絶叫している。
それが鴉天狗には或る意味ショックだったのだろう。
「ぶ、分隊長!やり、やり過ぎです!」
鴉天狗はそう叫ぶと再度口に刀子を入れようとした無精髭の手首を掴んだ。
「なぁにぃ!?てめぇ、何寝ぼけてやがんだ?手ぇ離せ!」
無精髭は怒りよりも寧ろ拍子抜けを感じさせる口調で鴉天狗に聞き返す。
「離しません!…ですから、やり過ぎだと言っているのです!」
「やりすぎかどうかは中隊長殿が決め…」
「あなたは何だ!?!?」
不意に鴉天狗が大声を上げ、身長で大きく勝る無精髭が思わずたじろいだ。
犬走は口から血を流しながらその様子を憔悴した顔で見つめている。
「っ……お、おいおい、一体何を言ってやが…」
無精髭は言葉に詰り、思わず彼は部下の筈の鴉天狗の機嫌を伺う様な笑いを浮かべてしまった。
「自分で考える事は出来ないのかと聞いてるんです!分隊長はおかしいと思わないのですか?」
「だからぁ、何がだよ…」
「同胞の、仲間の、味方の、彼女の歯を砕いて抉ってる事がですよ!」
目を逸らした無精髭に、下から見上げる形になっている鴉天狗が詰め寄る。
「だから!それは、それがこの訓練の目的なんだからぁ…」
「本当ですか?本当にそうなんですか?」
「はっきり言え!」
とうとう無精髭も怒鳴り返す。
「でははっきり言います。あなたは倫理的に間違った事をしている」
「倫理的に間違った事だろうが…兵隊なんだから命令されりゃやるのが義務だろうが」
「そこです。あなたは『命令』されましたか?いいえ、尋問者と捕虜という状況を与えられただけで『それ』が必須だと勝手に解釈し嬲っている。
おかしいとは思いませんか?一昨日まで小隊は違えど同じ中隊として生活していた仲間にこんな事をしているんですよあなたは?」
鴉天狗が指差したのを追った無精髭の視線は血塗れで椅子に縛り付けられた同族の少女に重なった。それは自分がやった事だ。
「…」
「戦争になったら…仕方ないかも知れません。でも、これは…所詮訓練ですよ?確かに実際に即した行動で無ければ訓練の意味は薄いです。
でも…でも、それでもそこで踏みとどまるのが理性ではないのですか?」
「…理性、だと?それが一体…」
「先ず、この訓練自体を思い出して下さい。先に情報を入手すれば勝利、されれば敗北。勝利に情報が必要、情報に拷問が必要、そう考えたのですよね?」
「…あぁ、そうだよ」
「…この訓練に、何か命令は在りますか?」
「………何ぃ?」
「ただ、こうすれば勝利、されれば敗北と言われただけで、『勝利しろ』とは言われてないではありませんか」
「あっ…」
「その上に、敗北時の罰則も勝利時の褒章すらも無い。得るのは精々満足のみ。なのに、あなたは『こんな事』をした。つまり、あなたの自尊心の為に」
「そう、かも知れねぇっ…」
「ですから…もう、止めに…」
「駄目だ…」
「えっ?」
俯いていた無精髭が顔を上げる。
「新米よぉ、お前にはその理屈ぁ正しいんだろうよ。だがな、俺は過去も戦ってきたんだよ。カタナを『差す』じゃなくて『佩く』だった頃からな。
これは俺には乗り掛かった船なんだよ。降りられねぇ」
「で、ですが過去に何があったとしても、直していけば良いでは…」
「直せねぇから乗り掛かった船なんだ。…もう、邪魔ぁするな。命令不服従として現場で一存の元に『処罰』する権限が俺には…在る」
無精髭は刀子を右手にゆらりと犬走に歩み寄る。
犬走も仕方が無いといった諦念で無精髭を睨み迎える。
「止め…」
「黙れッ!!!」
犬走と自分の間に割って入った鴉天狗の胸倉を掴み、片腕で背負い投げの形に投げ飛ばす無精髭。
体格で劣る鴉天狗は凄まじい勢いで投げ飛ばされ、小屋の壁に叩き付けられた。
「理性も理屈も理知も理由も知った事かぁ!屁理屈だ!この訓練をやれ、こうすれば勝利だと言われたら、そうしろと言ってるのと同じだろうが!」
「…う、ぐぅ……あなたは、自分を基準に考えすぎている…。この訓練が、も、もし心理実験だったら…狙った物だとは、そうは考えないのですか!?」
無精髭は鴉天狗の腹に爪先を見舞った。
「ぐっ!?げ、ぅう…え゛ぇ゛ぇ゛……」
「考えねぇ!」
「う゛…何故、です?何故…」
「新米じゃなくなる頃には分っただろうよ」
無精髭は手が吐瀉物で汚れるのも構わずに、鴉天狗の首を左手で締めながら持ち上げた。
片手で鴉天狗の身体が浮き上がる。
「ぅ……か…ぁっ…!」
「…」
無精髭が締め上げる指は喉に酷く食い込んでおり、鴉天狗の顔は既に深刻な酸欠で在る事を示し始めている。
犬走は余りの事に呆気に取られていたがここで監督者に、彼を止めるべきだ、と視線を向ける。
だが、監督者はその視線に対し無言で首を振った。
──訓練中は作戦行動中と見做す──
その一文だろうか…?
その一文により無精髭の言う『権限』が生きている為、『処罰』を認めようというのだろうか?
倫理的に間違った事をしている…鴉天狗のつい先程の言葉が犬走の脳裏に蘇える。
「…2736!」
気が付いたときには叫んでいた。
「…何?」
無精髭が犬走に振り返る。
「4桁……2736」
無精髭は鴉天狗を床に捨てると、信じられないといった顔で監督者に4桁の数字を告げた。
「2736、だな?………。今、向うと連絡を取った。宜しい、君達の分隊の勝利だ」
木の葉天狗はあっさりと勝利を宣言した。
と、同時に揚力封印の効力が切れ、各々の怪我が急速に回復を始める。
「やっ…た、けほ……勝ちです…ね」
鴉天狗が口を拭い、よろめきながら立ち上がる。
犬走は勿論、無精髭も驚愕の面持ちで彼女を見つめる。
「…こんな訓練で拷問なんて、非効率的ですから、ね。一芝居打ちました」
「新米…おめぇ……なら?」
「ええ、さっき言ってた倫理どうちゃらなんて綺麗事、私だって知った事じゃありませんよ。
分隊長さんも正しいんじゃないですか?軍人なら命令には絶対服従っていう立ち位置とか」
そう言いながら鴉天狗は分隊長の手から刀子を取ると、犬走を縛っていた縄を切る。
「痛い事は見るのも苦手ってのは本当ですけどね…。犬走さん、キツイもんですね、お腹蹴られるのって……」
「…くそ……くそ、やられた。お前も分隊長に歯でも折られろ…」
犬走は爪がほぼ再生した手で頭を掻き毟る。
「ふふ、そうは今後もならないでしょうね。やっぱり、私に軍部は向いてないみたいですしね。貴方みたいに暴力に耐えたり出来そうにありませんから」
「…じゃあ、新米お前…」、
懐から洋酒の酒瓶を出して呷りながら無精髭が顰め面で尋ねる。
「ええ、辞めます。花形だなんて勧められたからやって見ましたけど、やはり今には文民の時代が来ます。貴方達を見ていて確信しましたよ」
「文民だと?」
「ええ。千人のあなた達兵隊よりも、一人の新聞記者の方が余程力を持つ時代が来ます。…きっとね」
「鴉天狗、お前…名前は?」
「おや、嫌われたかと思いましたが。私は射命丸文と言います」
鴉天狗はニコニコしながら手帳を雑嚢から取り出して、万年筆で名を記すと犬走に渡した。
「クソッタレだ、インテリ鴉天狗なんて。お前が新聞記者になっても、その新聞を取らない為に名前を覚えるんだよ」
「ふふ、最近人間達が物騒です。若し爆ぜたら、私が新聞を発行するまでもあなた達、生きられるかどうか…ふふふ」
無精髭がどさりと床に胡坐をかいた。
「俺ぁ…疲れたよ。自信が無くなっちまった。今までやってた事になぁ…。出鱈目だから気にするな、と言われたって一瞬でも疑っちまったらもう駄目さ」」
「…言葉の力は、大きいですからね」
射命丸は少し寂しそうな、少し自慢げな顔をしてそう答えると小屋の扉へ向かった。
「では、私は帰らせて貰います。…訓練終了後は解散で宜しかったですね?中隊長」
扉を開けた所で振り返る。
「宜しい」
木の葉天狗は一言だけ発し、あいも変わらず直立不動である。
「では!」
幻想郷が博麗大結界により完全に外界と遮断される以前、世界が急速に戦争に向かい突き進んでいた時代の初夏
現妖怪の山中腹の小屋
一人の白狼天狗が或る鴉天狗と文屋を嫌いになり、一人の鴉天狗が或る白狼天狗と文屋を志すようになった日であった
期間OVER、話の論旨が?、主人公台詞少なっ、だいたいゲロ娘的にこれでOKなのか?等々のマイナス要素が含まれます。ご注意下さ…ここを読んで下さっているという事は、もう手遅れですね。申し訳在りません。
自白と書いてゲロと読む、的な発想から始まってまぁまぁ気が付いたらこんなんなってました。
戦闘シーンとか、エロ拷問とかも書ければ良かったのですが時間も技術も無く、もうこのあとがき書いてるのが20日の午前5時7分でして…ギギギ
山蜥蜴
- 作品情報
- 作品集:
- 24
- 投稿日時:
- 2011/02/19 20:10:18
- 更新日時:
- 2011/02/20 05:10:18
- 分類
- 犬走椛
- 名無しオリキャラ複数
- 東方ゲロ娘
- 明治初期頃の話
『歯医者』をやられてもゲロしなかった椛が、ねぇ。
生粋の軍人である髭面もあきれる文の狸ぶり。
もし、平和な時代が来なかったら…、
文ちゃん、凄腕の情報将校になってたでしょうね。
言葉の力は確かに偉大ですが、それ以上のものを二人は持ち合わせているように思います。
いやぁ、良いコンビじゃないですか。
面白い。
最後すごい!