遅れてしまって申し訳ありません。今更です。
二次設定過多注意。
―1―
寒い朝。起きてすることというと、ライ麦パンを二枚ほど皿に切り分けバターと熱いハーブティーを添えて机の上に並べることか……。
私、アリス・マーガトロイドはこの悪習を断てずにいる。
硬質なライ麦パンを口の中で幾重にも噛み潰す。バターの味が広がり塩気がパンから染み出た甘みを引き立てる。
ハーブティーには砂糖ではなく蜂蜜で甘みを付けた。熱いので少しずつ、口内を湿らす程度に口に含みながら、啜る。
清涼感のあるハーブの香り、蜂蜜のおかげでほんのりと甘い。
霜の降りるような寒い朝にはこれが体に染み渡る。腹の中ポカポカと温まっていく。
「ふぅ……」
私は二十分かけてこの質素な朝食を終えた。
胃の中に食べ物が入ったという満足感……満腹とは違う、食事をしたという安心にも似た達成感。
食事……これほどまでに魔法使いに不必要な習慣はあるまい。
「いや、そもそも」
睡眠すら魔法使いにとっては不要なはず。
では何故私はこのような無駄な行為を続けているのだ。
毎日だ。そう、朝昼晩きちんと三食とって、夜も更ける頃には暖かいベッドに身を沈め、まどろみを受け入れる。
「はあ……」
答えなどとうにわかりきっている。それが、したくなるのだ。
人間だった頃の名残か、食欲、睡眠欲は未だに沸き起こる。
いつだったか、母に聞いたことがある。
■■■
「どうしてもおなかがすくの……いつになれば食欲は無くなるの?」
母の答えは残酷なものだった。
「しばらくすれば空腹にも慣れる。でも食欲が無くなることはないわ」
「ど、どうして!?必要ないのに」
魔法使いになるという事は身体のエネルギー源を脂肪や糖から魔力にシフトするということ。魔法使いの身体は人間が呼吸するように、周りにあるマナを吸収することで、魔力を摂取する。
故に食事による栄養補給は必要としない。だというのに……
「それは、元人間の宿命としかいいようがないわね。私も未だにオリーブの塩漬けを目にすると手を伸ばさずにはいられないもの」
母はそういっておちゃらけてみせた。
私はこういった母の態度が本当に嫌いだ。娘にショックを与えない為?それとも、そんな些細なことは気にするなと言っている様な振る舞い。
いつだって、母にこうして意見を求めるのは切羽詰まった最後の選択肢なのに、真剣に悩んでいたというのに……
■■■
パンを乗せていた皿と、バターを切り分けたナイフを洗剤を軽く染み込ませたスポンジで丁寧に擦る。水が冷たく手が締め付けられるように痛い。
母は種族としての魔法使いではない。元人間だ。といってもそれはいつかもわからないほど大昔のことだという。
魔術により魔法使いになった母はその才能で他の魔法使いを凌駕。人間から成った者としてそれは異形であり偉業であった。
遂には母は魔界を創造することになる。そこに迫害されている魔法使いたちや魔族たちが移り住んで現在の魔界社会が形成されたと聞かされた。
魔界神と呼ばれようと元は人間。生まれ落ちた私は人間だった。
「人間……」
人間……それは私の中において恥であり、劣等である。人間という言葉がなぜそれら負の言葉を想起させるか……原因は私の苦々しい修行時代にある。
■■■
魔界には魔法を学べる機関がある。魔法学校というやつだ。その中でも最も優秀な者が通う学び舎。そこが私の母校。
重々しい門扉。魔界のクリーチャーの彫刻。石造りの厳かな校舎。
其処に通うのは魔界神の娘として必然の事だったのだろう。
魔界における人間の立場は低い。住民の半数以上が種族としての魔法使い。そんな中魔界の最高峰と謳われる魔法学校に通える人間は私を含め五人だけだった。
私は母親から幼い頃から英才教育を受けていたので知識はある程度あったし、自分は頭の悪い方ではないと思っていた。
他の人たちも死に物狂いで勉強してやっとのことでこの魔法学校に入ったのだろう。
魔法の術式や属性の付加による効果、召喚獣の扱い方……教師の言葉を脳内で噛み砕き、ノートにペンを走らせる。
そのことに関しては難なくこなしていた。
しかし、魔術の実習においては人間である私は大いに苦労することになる。
体内で魔力を精製できない身であるため薬草やマジックアイテムで体内に魔力をあらかじめ溜めておかねばならない。
それも、人間の身体では貯蓄できる魔力の量も微々たるもので実習の時間が終わるまでとてもじゃないが持たなかった。
実習の時間が半分ほど過ぎた頃には私の残存魔力は底をつき、何もできないという状況になる。教師から「あとは後ろで見学していなさい」と諭されるのが嫌だった。
だが、最も屈辱的だったのは昼休憩の時間だ。皆が談笑したり授業の予習復習を行っている中、私は母親に持たされたランチボックスを開けサンドイッチを口に運ぶのだ。
まるで教室の真ん中でヤギが干草を食んでいるかのような奇異の目で見られた。
実習のあった日は腹が減ってしかたなかった。それでもあの中ではサンドイッチを美味いと感じることはできなかった。
入学して三ヶ月ほどたった頃からだろうか。私は授業についていく事が難しくなっていた。他の者より明らかに学力が劣っていると悟った。
出される課題も量が多くなりそれを全てこなすので精一杯だった。周りの魔法使い達は何食わぬ顔で課題をこなしてるというのに……。
どうして差が付いたのか。それは、彼らは眠らない種族だからだ。私が夜眠っている間も彼らは起きて勉学に励んでいるのだ。
未熟な私は食事も睡眠も排泄も切り離せない。いつしか、昼休み、私がランチを食べるのを見る目が笑っていた。
教室の端々で嘲笑が起こる。授業で私が教師の質問に答えれないとクスクスと後ろの席の奴が笑った。ヒソヒソとこちらをみて囁くクラスメート達。
「所詮人間だな」
そう言っていた。
私以外の人間は皆学校を辞めていった。授業についていけないから、いや、この環境に耐えられなかったのか……。
それでも私は喰らい付いた。魔界神の娘としてこの逆境は跳ね除けねばならなかった。
私の周りでおこるこの嘲りを消し去ってやる。そのためには月毎に行われる全校テストで一位を取るしかない。
実力で奴らを黙らせる。教室の端々で沸き起こるのが嘲笑ではなく妬みをはらんだ陰口ならむしろ心地よい。なんとしても学校内でトップになってやると私は誓った。
その為に、睡眠時間を極限まで削り、食事と排泄、風呂以外の時間は全て勉強に注ぎ込んだ。
精神と肉体をすり減らし、私は周りの魔法使いたちに引けをとらぬ学力を身につけた。
月毎に行われる全校テストでも徐々に順位を上げていった。
体は重かった。目の下のクマは日に日に濃くなっている気がした。
そんな私を見て母は気遣いの言葉をかけた。
「大丈夫?無理してない?」
「辛かったら辞めてもいいのよ?」
「大丈夫よ。辛くないわ」そう答えた。母の甘い言葉のおかげで私は頑張れた。
私を労わるやさしい母を心配させまいと気丈に振舞うヒロインを演じることで……自分に酔うことで己を奮い立たせた。
ナルシシズムという麻薬が効いている限り私はどんな苦痛にも耐えることができた。私は戦い続けることができた。
そんな生活を半年以上続けた11回目の全校テスト。
筆記は完璧だった。苦手な実技のテストも過去で最良のものだった。無駄を極限まで排斥した魔法術式で魔力を切らすことなくテストを乗り切った。
これまでにない手ごたえがあった。これまで培ってきたものを全て出し尽くしたといってもいい。後は結果を待つだけだった。
結果は廊下に張り出される。
朝、登校すると人だかりができているのですぐにわかる。
人ごみを掻き分けて順位の書いてある紙の前に躍り出た。
「……あ」
一位にはいつもの生徒の名前があった。私の右隣にいつもそいつと競っている二位の男子が悔しそうに顔を歪めていた。
私の順位はというと……14位だった。
過去最高の順位だ。500人近い生徒の中の14位だ。誇ってもいい。……はずだった。
だが、私には落胆しかなかった。テストの出来は自分の中では完璧だと思っていたのに。どこを直せばいいかわからない。
何が私より上の13人と違うというのか。
その日は勉強にも身が入らなかった。頭がまったく働かない。魔術書を入れた鞄がやけに重かった。
家に帰ると、珍しく母がいた。普段は魔界の政務に忙しく夜おそくまで家に帰ってくることはなかったのだが。
母を見かけてもただいまの挨拶をする気にならなかった。今は一人になりたかった。
無言で傍を離れようとする私に母はしゃべりたそうな顔をして、やっぱりしゃべりかけてきた。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
しかたなく返す。母はまだ会話を続けたようで、がむしゃらに話題を振った。
「あー、あ!そういえば今日テストの結果出たんじゃない?どうだった?」
今一番聞いて欲しくないことだった。これだけ、暗い顔をしていればそれくらい察してもよさそうなものだ。
私がうんざりした表情で母の顔をゆっくり見返すと、母は気まずそうな顔をしていた。聞いたあとにすぐに娘のテストの結果が芳しくないことに気づいたようだ。
仕方なく私は、テストの結果がプリントされている紙を母に渡した。出来る限りつまらないものを渡すよう最大限の努力をはらって。
「あら!」
私があまりにも暗い顔をしていたものだからもっと低い順位を想像していたのだろう。感嘆の声をあげた。
「14位……すごいじゃない!」
たまらなかった。この母の優しい言葉が私には耐えられなかった。
「次、は……トップを、採るわ……」
そう、搾り出して私は部屋に逃げこんだ。
涙が止まらなかった。悔しくて仕方が無かった。
あまりにも不甲斐無い。どうして、あんな言葉を投げかけるんだ!?と母を恨んだ。
どうせなら、「私の娘でありながらどうして一位を採れないの!」と罵ってくれたほうが幸せだった。
“すごいじゃない”
不覚にもあの言葉を嬉しく思ってしまった。
麻薬はとっくに切れていた。
薬の効果が切れようと私はこの生活を続けた。
肉体はとっくに限界だった。頭が以前のように回らない。集中力が続かないのだ。鈍っている。
次のテストは順位を大きく下げてしまった。75位。この間のあれはまぐれだったかと陰口をたたかれた。
そのときの私は悔しさだけが活力だった。次こそはと自分に強く言い聞かせた。まだ、戻れる。研ぎ澄まされた私に。
だが、そう思っていた矢先の出来事が私の心をむごたらしくへし折った。
その日は朝から体調が悪かった。多分熱があったと思う。頭はボーっとするし、身体がだるい。しかし、休むという選択肢は無かった。一日でも休めばそれだけ他の魔法使いに遅れをとってしまう。
無理を押して私は学校へ登校した。教師の言っていることがほとんど頭に入ってこない。何も出来ないまま午前の授業が終わった。
食欲は無かったが無理やりサンドイッチを押し込んで望んだ午後の授業。
教師が属性魔法について黒板に術式を板書している中。私は得体のしれない恐怖を感じていた。
身体が熱かった。脈が速い。身体がガクガク震えた。体中から冷たい汗が流れ出る。みぞおちのあたりがしびれてきた。カチカチと歯が鳴るのを隣の席の奴が迷惑そうに睨んできた。
何か怖いものがくる、そんな感覚。呼吸が浅くなる。
黒板に書いてあることを一文字も写していない。
口の中にさらさらとした唾が大量に出てきた。飲み込んでも飲み込んでも溢れて来る。
ペンを落とした。コロコロと右斜め前の席まで転がっていく。
唾を飲み込むのが追いつかない。出てしまう。ああ、口から溢れる……。
そう思った瞬間だった。
「う……!」
私は机に嘔吐した。
左隣の奴がとっさに机を引いた。右の男子は女々しい悲鳴を上げて飛びのいた。クラスが騒然となった。
先ほど食べたばかりのサンドイッチの具が細切れになってペースト状になったパンに混ざっていた。白地に緑にピンク、黄色の艶やかなコントラストが毒々しい。
口の中が苦じょっぱくて堪らなく不快だった。
それ以上に不快な思いをしているような顔をした教師が私をそっと教室から連れ出してくれた。背にした教室から私の吐瀉物に対する阿鼻叫喚が聞こえた。
私は三日ほど寝込んだ。
母と召使が交代で看病してくれた。
勉強が遅れてしまうと言ったら母は涙ぐんで「今はそんなこと気にしないの。ゆっくりやすみなさい」と頭をなでた。
私がベッドで横になっている間の母はいつも以上にやさしかった。リンゴを絞ったジュースをゆっくりと飲ませてくれた。
そうした献身的な看病のおかげで私の身体は全快した。
直ってはじめの一日。学校には行けたはずなのにずる休みした。母はそのことを咎めたりはしなかった。
本当はもう、学校へは行きたくなかった。ずっとベッドの上で母に頭を撫でてリンゴのジュースを飲ませてもらって、眠るときは隣にいてほしかった。
でも、学校は行かなければいけない場所――当時はそう思っていた――なので次の日は行くことにした。
クラスメイトが自分にどんな悪口を言ってくるのか想像すると足がすくんだ。教室に行くと自分の机だけ皆から離されているんじゃないか、いや、汚れてしまったから捨てられてしまったかもしれない。
そんなことを考えながら自分の教室に続く階段を上っていた。教室について、俯きぎみに中へ入った。
心配していた机はちゃんといつもの位置にあった。きれいな状態で。
何人かと目があったが目をそらされた。これは前と同じ反応だったので安心した。
席について、授業に必要な本を取り出しながらどれくらい皆と差が付いてしまっただろうかと考えた。
もしかしたらもう、追いついけないかもしれない。そう考えると授業が始まるのが途方も無く恐ろしかった。
どこまで授業がすすんだか、教えてくれる友人は一人としていない。仕方ないので以前やったところを読み返していると教師が入ってきて授業が始まった。
授業は思ったよりも進んでいた。予習もしていないので内容がわからない。午前の初めの授業が終わると私はただただ途方にくれた。
これから私は一体何日眠らずに勉強しつづければ彼らに追いつけるのか考えて絶望しているとき、後ろから肩をトントンとたたかれた。
「もし、よかったら使って」
そう言って自分のノートを私に差し出したのは全校テストで毎回トップに名を連ねる女子だった。
彼女は「わからなっかたら聞いてね」といってノートを机の上においた。私は黙ってコクンを頷いただけだった。
ノートはきれいな字で彼女なりのわかりやすい解釈を交えつつ書かれていた。
彼女のノートのおかげで私は何とか授業の内容を理解できるまでになった。
それからだ。彼女はちょくちょく私のところにきては頼んでもいないのに私に授業の難しいところを噛み砕いて説明してくれた。
実習でも私についてアドバイスをくれたりした。
こうして、彼女に手を引いてもらうようにして私はこの魔法使いの群れから逸れることなくゴールまでたどりついたのだ
ギリギリの成績で私はこのエリート学校を卒業することができた。
卒業式で校長が卒業証書を私に手渡す時、
「よくがんばったね」
と言って声をかけてくれた。
卒業式が終わり、皆が教室で抱き合い泣きあっているとき、いつも私の事をきにかけてくれている彼女に呼ばれた。
彼女は友人達に囲まれていたが、私のほうにかけてきてくれた。
私の前まできた彼女は私の目を見ると、
「アリス。卒業おめでとう……本当にすごいわ!私、あなたのことを心から尊敬する!」
そう言ってくれた。
八つ裂きにしてやりたいほど屈託のない笑顔で。
私は泣いた。この恥辱の水をせき止めていた弁を彼女が引き抜いた。
彼女は私の手を両手で握ってくれた。慈しみをこめて。
周りの連中は私が感極まって泣いているように見えたらしい。
二人の友情を称えて拍手が巻き起こった。
私は彼女に抱きしめられて泣き続けるしかなかった……。
■■■
―2―
ドンドンと扉を叩く音。私の家を訪れる者など二種類しかいない。
「おーい、開けてくれー」
迷い人か、今外にいる少女かのどちらかだろう。
「私だー。霧雨魔理沙だ!」
「開いてるわよ。入ってきなさい」
「足で開けれないから頼んでるんだ」
はぁ、とため息をついて私は読んでいた本にしおりを挟み傍らに置くと椅子から立ち上がった。
早く開けてやらねば足で無理やり開けられるかもしれない。早足で扉の前まで行ってノブを回す。
「ふう、助かったぜ」
扉を開けると大きな袋がいた。少女の下半身だけが袋の下から見える。
「っと、どいてくれ」
そのまま私に突っ込まんばかりの勢いで家の中に入ってきた。
二歩下がって袋の直撃を避ける。袋はドサリと床に下ろされ漸く我が家を足でノックする非礼な客人と目が合った。
「よう」
背は私より少し低め、癖のある長めの金髪。左耳の前に三つ編みを垂らしている。黒衣に白のエプロンドレス。頭にはフリルの付いた三角帽を被っている。
見た目は魔法使い、魔女見習いを想像させる。魔法も使うのだが彼女は列記とした人間だ。
「またお願いしたいんだが」
挨拶もなしにいきなり本題に入る魔理沙。袋の口を逆さまにすると中身を床にぶちまけた。
せめて家の主に断りをいれるのが礼儀だろうと思ったが言ったところで無駄なのは目に見えているので黙っておく。
「また、ずいぶんとやったわね」
彼女が床にぶちまけたのはボロボロになった無数のエプロンドレスだった。基本この服しか持っていないのだろうか、すべて同じ黒と白のドレスだ。
「で、これをどうしろと?」
「そんなわかりきったこと聞くなよ。前も頼んだじゃないか」
答えはわかっている。私にこのボロボロの服を繕って欲しいのだろう。
「タダで?」
「私とおまえの仲だろう」
「焚き火で燃やしてもいいのね」
「冗談だよ!現金だなぁ」
魔理沙は頬を膨らませ不本意をアピールする顔をつくると、ポケットに手を突っ込んでゴソゴソと探る。
「あったあった。シロクロマダラカサタケだ。どうだ?こいつでどうか」
私の目の前に差し出されたのは黒と白の斑模様が印象的なキノコだった。図鑑で見たことがある。
猛毒を持っているが、豊富な魔力を含んでおり精製すれば大量の魔力が手に入る。それと、大変希少なキノコだとも書かれていたことを思い出した。
「いいわ。それで手を打ちましょう。すぐ終わらせるから、お茶でも飲んで待ってて」
人形を稼働させればこの無数のボロボロの服も数分で新品と変わらぬ状態に戻すことができる。
彼女は「そうさせてもらうぜ」と言い残し台所へポットを取りにいった。
私は早速準備に取り掛かる。人形に魔力で構成した糸を繋ぐ、14体の人形がその身を起こした。本当はこの倍以上の数の人形を自在に操れるがなにも魔理沙の服の補修に全力を出すことはない。
「これ全部、弾幕勝負でやったの?」
「そうだぜ」
彼女は先ほどまで私が座っていた椅子にすわりティーカップを片手にくつろいでいる。
弾幕勝負。実力者が多い幻想郷において人間と妖怪がスペルカードルールに従い、暴によって事を解決する決闘の方法である。
普通に戦えば勝ち目のない相手でもルールに守られた決闘なら渡り合えるといったものだ。負けても命を奪われることは無いが当たり所がわるければ当然命を落とすことはある。
魔理沙は好戦的な性格だから、揉め事は話し合いではなくこの弾幕勝負で解決することが多い。
だが、彼女がこの弾幕勝負をする真の理由は揉め事の解決ではないだろう。全ては一人の人間に勝つため。
「霊夢には勝てた?」
私の意地の悪い質問に彼女はムスッとして、
「まだ、だぜ」
と答えた。
彼女がライバル視している相手、博麗霊夢は幻想郷の東に位置する神社の巫女だ。
歳は魔理沙とそう変わらないだろう。そこも魔理沙からライバル視される理由の一つなのかもしれない。
歴代の巫女の中でもっとも怠惰だというのにその実力は歴代最強ともいわれるほどの天才。
博麗霊夢ならばスペルカードなどというお遊びではなく実力で妖怪を屠ることができるだろう。彼女は明らかに人間という枠を超えた存在だ。
それに比べ魔理沙はつくづく人間だ。空を飛ぶのも魔法を使うのも道具の力を借りなければならない。必殺技も借り物。努力家で、負けず嫌いで、それでいて報われなくて。
私は彼女が好きではない。私の人間像の具現化のような矮小さ。私の想像した枠を超えれない脆弱さ。彼女の勤勉で直向な生き方は私に不快感を与えてくれる。
「この間は惜しいところまでいったんだ」
魔理沙は惜しいと言い張るが、実際はどうなのだろうか。霊夢は弾幕を見極めギリギリの位置を最低限の動きで避ける。触れるか触れぬのスレスレの回避だ。
それは時として霊夢が追い詰められていると錯覚させる。まさに紙一重で勝てるのではないかと思わせる。
だがその紙一重は鬼ですら容易に破れぬ頑強さを誇る鋼鉄の一枚なのだ。
そんな人間離れした霊夢に魔理沙は性懲りも無く、幾度と無く挑んできた。
私もその戦いの歴史の一部を垣間見たが、結果は魔理沙の惨敗といっていいだろう。
目の前にあるボロボロの衣服も己の理想の実現のために花と散った彼女の過去の躯。
それを、また戦えるように蘇生してやる私はネクロマンサーだろうか。まあ、どうせまた白と黒の彼女たちは無残な姿で私の元へ運ばれてくるのだろう。
「あれ?開かないぞここ」
「!?ちょっと、その部屋に近づかないで!」
私がエプロンドレスたちを哀れんでいる隙に魔理沙は家の奥のドアノブに手をかけてガチャガチャと鳴らしていた。
「そこは、私の研究室よ。勝手に入ろうとしないで」
「トイレと間違えたんだぜ」
「以前、貸したことあったでしょう。見え透いた嘘をつくくらいなら素直に謝ったら」
もっとも入ろうにも鍵がと結界で私以外は勝手に入れない。それでもその部屋に自分以外の何者かが近づくのは我慢ならなかった。
「研究って自立人形か?」
「……そうよ」
自立人形……文字通り自分で考え、自分で動く人形だ。私の悲願である。
この目標の為に生きているといっても過言ではないかもしれない。
人形遣いならば誰もが一度は夢見たはずである。それは、人を作り出すのと同意である。
魔界神と呼ばれた母も言っていた。
「大地も空も海も街も数多のクリーチャーたちも皆私が創った。ただ、人だけは、うまくいかなかったわね」
人……それに相当するような高度な知能を持ったものは創れなかった。
0から人を作り出すということはまさしく神の御業。母ですらなし得なかった偉業である。
それをやってのけるが私の大いなる野望というやつだ。
この幻想郷に来たのも、霊魂や妖怪という精神的な生き物が多く住んでいるからである。
彼らを研究すれば自立人形完成への光明が見出せるかもしれないと思ったのだ。
もしも、この途方も無い夢が実現されたら……母はどんな顔をするだろうか?
流石私の娘だと褒め称えるだろうか。ありえそうだ。娘の才能に恐れにもにた感情を持つかも。それもいい。それは魔法使いには過ぎた力だ、禁忌を犯してはならない、そう言って叱り付けるだろうか?悪くない。
何だっていい、それを成し遂げれば私は母に並ぶことができる。だれもが認めざるを得ない最高の魔法使いだろう。
それでこそ私の溜飲も下がる。
「……できた」
「お!もうか。流石早いな」
エプロンドレスの残骸たちは見事に息を吹き返した。
私が繕ったのだ。継ぎ目すらわからない完璧な仕上がりである。
―3―
私は湖の上を飛行していた。畔に見える大きな洋館を目指して。
その洋館にはほとんど窓がなく、外壁はみな血を垂らしたようね深紅に染まっている。
木々や草花の豊かな、緑多き幻想郷では反対色の紅はいやに目立つ。その異質な建物は紅魔館と言う。
レミリア・スカーレットという吸血鬼の住む館である。
湖を渡り紅魔館の前までくると、華人風の大柄な女が立ったまま睡眠をとっていた。
交代はいないらしく365日休むことなく門の前に立っているらしい。
ジャリッという私の足音に門番は目を覚ました。
「ッ!と、アリスさんですか……図書館に御用で?」
「ええ。悪いわね、起こしてしまって」
「いえいえ、気づかぬように入られるよりマシですよ。窓から入るなんてもってのほか」
「門を通るのは客人、窓から入るのは盗人だものね」
「ははは、いやホント……」
「それじゃ」と、断りを入れ、私は紅魔館の門をくぐった。
私が用があるのは吸血鬼ではない。ここの地下にある大図書館だ。幻想郷で魔術について調べるならここ以上の場所はあるまい。
ここの大図書館の本の貯蔵量は魔界の王立図書館にも引けをとらぬほどだ。しかもその全てが個人の蔵書であるというのだから驚きである。
入り口の扉の大きさからも中の広大な空間が予想される。5メートルはあろうかという巨大な扉。しかし、開くのにほとんど力は要しない。
軽く手で押せばゆっくりと扉は動きだし、私が入るのに十分な隙間を確保できた。手を離すと扉はしばらくその場でその身をトドメ私が通るまで待っていてくれる。私が潜るとそっと扉は閉じた。
中は魔術書特有の香りがただよっている。本に特有のインクを使用しているためだ。この匂いだけは名状しがたい独特のものだ。そこにカビか埃かこの図書館の歴史を感じさせる匂いがブレンドされている。
地下だからなのか。それとも、魔術書の放つ独特の匂いのせいなのか、図書館には沈むような落ち着きが満ちていた。
「お邪魔するわ」
私は大図書館の長テーブルに読み終わりとこれから読む予定の本を左右に積み上げ熱心に読書に耽っているこの図書館の主である魔女に挨拶をする。
魔女は私に気が付くと魔道書のタワーの間からヒョコッと顔をだして、
「……どうぞ」
とか細くいった。
紫の透き通る髪はアメジストのイメージ。日光をほとんどその身に浴びていない病的な白い肌。頭には三日月を模した飾り付きのナイトキャップを被り、私よりも遥かに華奢な身体をゆったりとしたドレスに包んで漸く見ていて苦しくない安定を醸せている。
魔女の名はパチュリー・ノーレッジ。生まれ付いての魔法使い。
見た目こそ、まだ幼さを感じさせる少女だが、齢は100を超える。
殆どの魔法使いが魔界に逃げこんだ昨今、魔界以外で魔法使いを目にすることは稀である。
魔界に属してはいないが私は彼女の名前を知っていた。彼女の発表する論文は度々魔界で取り上げられていたので私も何度か目にしていたのだ。
この大図書館から発表された論文は数知れず。属性魔法に携わるもので彼女の名前を知らぬものはいないだろう。
私が幻想郷に移り住んで、たまたま彼女がここに住んでいるという事を噂できいた。論文でしか知らなかったので、その硬い文体から鋭利な鷲鼻の恐持ての魔法使いをイメージしていた。
なので、はじめに会ったときは少し拍子抜けしてしまった。想像していたよりも小さくか弱い。囁くようにしゃべるので、ページをめくる音にさえかき消されてしまうのではないかと思った。
蔵書を貸してほしいと頼んだが断られた。本を図書館から出すのはやめてほしいとのことだった。だが、ここで読む分には問題ないと言ったのでこうしてちょくちょく訪れているのだ。
「本の場所は小悪魔に聞いて」
「ええ、わかったわ」
小悪魔というのは、彼女の使役する使い魔である。赤い髪をした女性型の悪魔で、パチュリーの身の回りの事は基本小悪魔がこなしている。
私は赤い髪の少女を呼びつけると目当ての本の題を教える、小悪魔はすぐに本棚の森へと入って行き、言ったとおりの本を抱えて帰ってきた。
私もパチュリーより少し離れたテーブルにつき本を知識の吸収に専念する。私の読む本は魂についてかかれたネクロマンシーの本だ。人の霊魂について理解せねばそれを作り出すことなどできないだろう。
内容は難解複雑なものなので読み応えがある。なんとか、一冊読み終える。目が少し疲れた。ふと、パチュリーのほうを見た。
彼女が読む本は召喚術や予言術、治癒魔法など多岐に渡る。しかし最もよく読んでいるのは属性魔法であろう。
属性魔法……それは魔法使いの花形だ。火や水などの元素を操るその術は単純に強く、また、魔界の生活にも深く関わりがあるため、それを極め研究することは魔界にとって大きな社会貢献となりえる。私の同級生の大半も卒業後は属性魔法探究への道に進んだ。
一方私はというと、人間の身体では魔術の研究にも限界があることを悟った為、母に魔法使いにしてくれるよう懇願した。
しかし、母はなかなか首を縦には振らなかった。魔法使い化するには私の身体は幼すぎるといった。
種族としての魔法使いの身体の成長はある一定の段階でストップする。一般的には15〜25歳くらいと言われている。そこからは休成期という成長も老いもない時期が延々と続くのだ。魔力の高いものほど成長が早く止まるという説もあるが根拠があいまいで信憑性に乏しい。
人間が魔法使い化すると休成期と同じ状態になり、身体は成長しなくなる。そのため母は私の魔法使い化に反対したのだ。
「そんなに生き急ぐ必要はないわ」とか「今は人間の身体でできることをなさい」とか、私をやさしく説き伏せようとした。一度、「今、魔法使いになったら子供も産めないのよ!?」と涙ながらに訴えられたこともあった。
それでも私はあきらめなかった。ならば、薬で無理やり身体を成長させたら魔法使いにしてくれるかと頼んだ。それもまた、危険だと反対されたが、私があまりにしつこいためとうとう母も折れ、しぶしぶ了承した。
ただ、身体を成長させる薬はリスクが大きいため、量を半分に減らし、倍の時間をかけて身体を成長させた。
私が魔法使いになる頃にはかつてのクラスメートたちは各地でその才に遺憾ない成果をあげつつあった。
特に大きな成果をあげたのは私にノートをみせてくれた学校一の秀才である彼女だろう。
彼女は卒業後王立研究所で火属性の研究に没頭し、今までの十分の一の魔力でこれまでと変わらぬ火力を発源させる術の開発に成功していた。彼女は大いに脚光を浴び連日テレビや新聞でその偉業を褒め称えられているのを嫌というほど目にした。
彼女の研究資金の殆どは私の母のポケットマネーから出ていた。彼女がこのことを計算して私に近づいたとは思えなかった。彼女は確かな慈愛の心を持ち合わせていた。少しはこうなることを期待していたかもしれないが……。
どのみち私にはこれほど面白いことはなく、自分との差を見せ付けられたような気持ちだった。私が漸くスタートラインにたった頃にはすでに皆の背中は見えないほど遠くにあった。
教育係は私にも属性魔法の研究をするよう勧めた。しかし、私にはどうしても、その道に進む気にはなれなかった。すでにかつてのクラスメート達が踏破した道を必死に追いかける位ならいっそ別の方向へ突き進んでやろうと思った。
そこで私が目をつけたのが人形遣いだった。私がこの道に進もうとしたとき教育係には酷く反対された。属性魔法に比べ人形遣いは戦いにも不向きで手間もかかる。所詮、人形というのは大道芸の一種であり、研究しようとも社会へ貢献のある成果を期待するのは難しいと言われた。
私はその反対を押し切り、人形使いになると決めた。母は「あなたの好きなものを学べばいい」とだけいった。一部で人形ごっこと揶揄されるその分野は早熟な少女がアイデンティティを確立するために必死にもがいた末、やっとの事でつかんだ一本の藁だったのだ。いつの日かこの藁が昔話さながら、大きな屋敷に取って代わることを夢見て。
そういった経緯で私は人形遣いになったものだから、属性魔法には少なからず憧憬の念を抱いてしまう。
パチュリーは机に置いてあるティーカップを持ち、一口含んだ。
彼女もお茶を飲むのだなと、不思議な気持ちで見ていた。
パチュリー・ノーレッジほど、属性魔法の知識を有した魔法使いは魔界にもそうはいないだろう。
この図書館に篭り、大量の本から知識を吸収し、新たな魔法を書き連ねる。
彼女は一日にどれほどの新しい知識を身につけているのだろうか?私が毎日この図書館に通ったとして追いつくことはできるだろうか?
私が彼女の読み終わった本を読破したとき彼女すでに新しい本を読んでいる。まるで、ゼノンの亀とアキレスの有名なパラドクスのように私は彼女に追いつくことは出来ないだろう。
もっとも、追われる彼女がアキレス、追う私が亀なのだから差は広がるばかりか……。
「……!、どうしたの?」
私が、彼女の方をボーっと眺めているのに気が付いたようだ。
「アナタの紅茶ならそこにあるわよ」
パチュリーが指差した先を追って目線を落とすをそこにはさっき入れたであろう湯気をたてた紅茶が置いてあった。
置いた人物は姿すら見えなかった。
この館に仕えるメイド、十六夜咲夜の仕業だろう。
時間と空間を操る能力をもっている。時空魔法といえば、魔法の中でも最も習得が難しいとされている術の一つである。
それを、あの若さで、しかも人間でありながら身に着けているという点、彼女も人間の枠を大きく超えた存在だろう。
もし、このお茶に手をつけなかったら私はパチュリーよりも人間らしくないことになるのだろうか……。
それが、稚拙な考えであることはわかっていたが、私はこの目の前にいつの間にか置かれていた紅茶に手をつけることはなかった。
「そろそろ、帰るわ」
「そう」
「また、来ると思うけど」
「かまわないわ。本は小悪魔に片付けさせるからそのまま置いといていいわ」
「それじゃ」
ずいぶんと素っ気無いやり取りだなと思った。まあ、彼女と親しくする気にもなれないし仕方がない。
私がこの暗い館から出ようと、廊下を歩いていると、突然目の前に一人のメイドが現れた。
「暗いのでお見送りしますわ」
十六夜咲夜がそう言って後ろについた。
銀色のざんばら髪に左右に短い三つ編みをぶら下げたすらっとした少女。
彼女を見ていると夢子のことを思い出す。
夢子は母に仕えていたメイドで、魔界創造初期からいる魔界人だ。
彼女も元は人間で、母が魔界の住人にしようと引き取った孤児たちを魔法使いへと作り変えた内の一人だ。
人間だった頃は人間以下の扱いを受けていたと彼女から聞いたことがあった。その為か母に深い恩義を感じており、まさに身も心も捧げんばかりの勢いだった。
そんな彼女は私に対してはどうだったのか。きわめて丁重に扱ってくれた。ただ、母の娘以上にも以下にも扱ってはくれなかったが。
そういえば、一度母に反発して酷い言葉を言ったとき、
「神綺様の娘でなければバラバラに切り刻んでやりましたのに」
と耳元で囁かれたのを覚えている。
「紅茶、お嫌いでしたか?」
「いいえ、本を読むのに夢中で飲むのをわすれちゃったみたい。ごめんなさいね、せっかく入れてくれたのに」
「いえいえ、お気になさらずに」
彼女はにっこりと笑顔を作った。ほんとうに夢子に似ているなと思った。この女の心からの笑顔が向けられるのは忠誠を誓った主人一人だけなのだろう。
「ふふ、主の友人の客人にそこまで気を使わなくてもいいのに」
「……いえ、お嬢様の友人のお客様ならば丁重にもてなさないわけにはいきません」
クスクスと冷笑を浮かべて、そう答えた。
私を見送る彼女の瞳が月明かりを受けて銀色に光っていた。
目は笑っていなかった。
―4―
「八雲紫はいるかしら?」
幻想郷の東の端、外の世界との境に位置する場所。少し高い丘の上にある博麗神社は上ってきた石段を振り返れば幻想郷が一望できる。
最近少し暖かくなってきたのか神社の桜はつぼみをつけ美しく咲き誇るのを今か今かと待ち望んでいる。
私はその神社の縁側に座ってのうのうと緑茶をすすっている博麗霊夢にそう問いかけた。
「さあ、最近みてないわねぇー。もう冬眠から覚めてもいい頃だと思うけど」
霊夢は実にやる気のない返事を返してくれた。
暖かな午後の日差しに誘われ大きなあくびを一つ、またお茶をすすり始める。
こののほほんと生きている女が幻想郷でもトップクラスの実力の持ち主だと誰が信じようか……。
まあ、私が用があるのは、目の前の巫女ではなく、大妖怪八雲紫なのだが。
「まあ、結界緩めれば出てくるでしょうけど……前それやって、がみがみ言われたからもうしたくないわ。どこへでも現れるし。運悪ければそのうち会えるんじゃない?」
八雲紫がどこに住んでいるのか知っている者はいるだろうか。恐らくは、彼女とその式以外は誰もしらないのではないだろうか。
「あぶらあげでもつるしておけば、式のほうなら引っかかるかもよ?」
式……私が興味があるのはそれだ。妖獣に式をかぶせることによって自在に操ることが出来る。しかし、八雲紫の式神は彼女の操り人形ではない。
きちんとした人格をもち、時には主人の意図しない行動もとることがある。そのときは思ったように力が出せないらしいが……。
その式のメカニズムは私の自立人形には是非とも欲しい術である。
自立人形を作っても自分の好き勝手に行動されたのでは役にたたない。かといって、命令に従うだけの操り人形では人として不完全だ。
彼女の式神、八雲藍は私の自立人形の理想の形に非常に近い。普段は主人である八雲紫の命令を忠実にこなすのだが、仕事の合間をぬって嗜好品の油揚げを買いに来る姿も見られる。
知能が高く、彼女自身も式を使えるという。
八雲紫に会って式について色々ききたいのだが、運よくあえても話をはぐらかされてしまいなかなか聞き出せない。
「そういや、また、あんたに荷物届いてるわよ」
恐らく魔界からの荷物だろう。博麗神社の裏山にある洞窟と魔界はつながっており、行き来することができる。
私の家に直接届けてもらう訳にもいかず、博麗神社で預かってもらっているのだ。
「なんなのよあの荷物。お母さんから?」
「ちがうわ」
送り主は母ではなく夢子だ。
私が魔界を出て自立人形の研究をしたいと言い出したとき、母はあまりいい反応を示さなかった。
研究に勤しむのならば魔界のほうがよいと言っていた。「研究に必要な環境は全て揃えてあげる」と言われた。
それは、母親としての娘に対する当然のお節介なのか、それとも娘を近くにおいておきたいが為の口実なのか……。
なんにしろ母に頼ることはしたくなかった。自分の力で出来ることを証明したかったのだ。
そんなとき私の幻想郷行きを応援してくれたのが夢子だった。
母を説得し、幻想郷で生活できるよう色々手配してくれた。今でも必要な魔術書やマジックアイテムは夢子に頼んで送ってもらっている。
そういう意味では彼女に感謝している。
私がいなくなれば母を独占できる、そういう魂胆は見え見えだったが。
「悪いわね、預かってもらって。今日持って帰るわ」
「そうね。ま、この間みたいに大きなものじゃなかったからよかったけど」
この前の人形用の材木は流石に迷惑をかけたと反省する。連絡してくれればすぐにでも取りに行ったのだが。
「今度から魔理沙にでも届けさせるわ」
「あいつがただ働きをするかしら?」
「なあに簡単よ」
そのときだ。
「霊夢ー!勝負だ!!」
噂をすれば何とやらだ。
箒に跨ったエセ魔法使いが神社に颯爽と降り立った。
「アリス、丁度いいわ。アナタの荷物運びを一人手配してあげる」
「……なるほど、そうしてくれると助かるわ」
霊夢は残りのお茶を飲み終えるをゆっくりと立ち上がった。
「今日こそは負けないぜ!」
「言ってなさい。その代わり私に負けたら預かってるアリスの荷物を運んでもらうわ」
「はあ?何で私がアリスの荷物を運ばなきゃならないんだ?」
「あら、負けないのなら関係ないわよね。もしも、もしも負けたらの場合よ。罰ゲームみたいなもん」
「……わかった」
「なら、決まりね」と霊夢は空に舞い上がる。
神社に被害が出ないように出来るだけ高い位置まで一気に上昇する。
魔理沙も箒を駆り空高く飛翔した。
逆光で二つの影。箒に乗っているのでどちらが魔理沙かすぐわかる。
「いくぜ!」
「いつでもどうぞ」
魔理沙の意気込みと共に弾幕勝負の火蓋は切って落とされた。
青空の下、数多の光弾が霊夢に向け放たれる。
霊夢はその光弾を遠目からは止まっているようにすら見えるごくわずかな動きでかわしきる。
それでもかまわず、魔理沙は光弾を撃ち続ける。まるで、ひたすらそうすることが勝利への唯一の道であると信じているように。
だが、魔理沙の放った光の弾はひらりひらり、悉くかわされる。まさに、暖簾に腕押し。まるで手ごたえがない。
本当にそこにいるのか実体を疑いたくなるほど。霊夢に攻撃が当たらない。
これだ、これが博麗霊夢だ。怠惰な天才。殆ど動かず、それでいてどんな攻撃も避けきる。弾の来る場所が最初からわかっているとでもいうのか。
恐らく、わかるのだろう。天才だけが持つ勘というやつか。
ついに、痺れを切らした魔理沙が帽子の中に手を入れる。取り出した八角形のあれは八卦路。
全てを焼き尽くすといわれる最強クラスの火を噴く魔道具。
無論、彼女の切り札であり、それを出さざるを得ないということは後がないということ。
「くらえ、マスタースパーク!!」
直後、極太のレーザーが天を二つに裂いた。
あれを喰らえばいくら霊夢といえどただではすまない。だというのに……。
霊夢はそのレーザー紙一重でかわしている。絶対にあたらないという確信があるからこそ出来る芸当。
「こ、の……!?」
レーザーの放出が収まり、糸のように千切れて消えた。気づけば、魔理沙の肩には針がささっている。
「あせりすぎ」
霊夢の勝利宣言の後、さらに追加の針と御札が魔理沙に被弾する。
針と御札の効力により完全に身体の自由を奪われた魔理沙は神社の裏の林に墜落した。
「お疲れ」
霊夢は魔理沙に刺さっている針を抜きながら、労いの言葉をかける。
「ちっくしょー……」
「今日はなんかすごい雑だったわ。アリスがいて緊張した?」
「……そんなんじゃないって」
そう言って魔理沙は帽子の鍔を下げて顔を隠す。霊夢に引っ張り起こされ、パンパンと服に付いた土を払うと、
「はい、アリス。荷物運びよ」
霊夢に背中を押され、私の前に躍り出た。
気まずそうに私に視線を合わせようとしない。
「じゃあ、荷物宜しくね」
「……あいよ」
魔理沙はがっくりと肩を落とし、頷いた。
荷物は、小さめのダンボール人箱だけだった。今回は本だけなのでそこまで大荷物にはなりはしなかった。
それを、魔理沙はどこから出したのか大きな風呂敷で包み自分の箒に括り付ける。
「ちょっと、落とさないでよ?」
「大丈夫だよ、解けても地面に落ちる前にキャッチできるから」
なんてことをいいながら私と魔理沙は神社を後に空へと飛び立った。
魔理沙は先ほどの敗戦がショックなのか、まだ、魔法の森も見えてこないというのにすでに十回以上はため息を吐いた。
「……なあ、どうすれば霊夢に勝てるかな?」
「人に聞く前に自分で少しは考えたら?」
「霊夢にやられてから今の今までずっと考えてたぜ……わかんないから、その、こうしてお前に」
「攻撃が単調なのよ。直線的すぎる」
直線的……それは、相手に真っ直ぐぶつかるということ。極端に言えば火力の勝負だ
相手の火力を打ち負かす火力。相手がかわし切れないほどの弾数。それで勝てるのは真の強者だけだ。暖簾を腕で貫くことのできる圧倒的暴力でもってのみあの戦い方は通用する。
「マスタースパークは確かに威力は大したものよ。でも隙が大きすぎる。絶対に当てられる状況をいかに作りだせるか考えて攻撃しなさいよ。霊夢相手に真正面からでたらめに撃っても当たるわけないわ」
「うう……でも、自分はあんまり考えて攻撃するとかって柄じゃないし……弾数と火力で圧倒する方が私らしいかなって……」
「自分らしくやって出来ないというのなら、いっそ不自然なこともやってみるべきね。弾速に緩急がついていると見切りにくいように変化に富んだ攻撃は相手を翻弄できる」
とはいったものの霊夢相手に攻撃を当てるのは至難の業だ。えらそうに講釈を垂れる私だが、実際霊夢とやって勝てるだろうか……。
あの冬の異変の時、私は霊夢に弾幕勝負で負けている。勿論本気は出していないし、奥の手も見せてはいない。
だが、それは向こうにしても同じこと。彼女の本気は一体どれほどのものなのか、あの時の戦いでは推し量ることは出来なかった。私の加減した攻撃では彼女の底は見えなかったのだ。
「あなたは普通なのよ。スペルも戦術も必殺技も。それじゃ、霊夢が避けれないわけないじゃない。普通じゃ考えつかないことでもやってみなさいよ」
魔理沙は「うん……」と力なく返事をすると俯いて黙ってしまった。
「ここら辺でいいわ。荷物運びご苦労様」
魔法の森の真上まできたところで私は魔理沙から荷物を引き取った。
「それじゃ」
「……アリス」
「なによ」
「私、勝つよ」
「そう、勝ちたければ……勝ちなさい」
「おう!ありがと」
最後にニカっと笑うと魔理沙は私とは反対の方角へと飛び去った。
家についてダンボールの中身を確認する。
頼んでおいた魔術書が6冊、最近の新聞が何部か入っていた。
魔界の情報は滅多に幻想郷に入ってこない為、こうして送ってもらった新聞で知るしかないのだ。
新聞の一面には“王都でクーデター”と大きく出ている。
王都で純魔法使い至上主義者(種族としての魔法使いが他の後天性の魔法使いよりも優れていると主張する者)の一部が政府の要人が後天性の魔法使いで固められているのはおかしいと唱え、王都で暴動を起こしたというものだった。
魔界を取り仕切っているのは魔界創造当初からいる魔界人たち(母が人間から造り変えた魔法使い)だ。それは、魔界創造当初から今現在まで変わっていない。それに異を唱えているのがこの純魔法使い至上主義の連中である。
純魔法使い至上主義者のリーダー、アレイスターは「我々が、移り住んで魔界社会は大いに発展した。だというのに未だに私たちの上に後天性の魔法使いたちが居座っているのは我々の業績が認められていない証拠ではないか。即刻、魔界政府は魔界社会の半数以上を占める我々にそのポストの三分の二を明け渡すべきだ」などと主張している。
新聞は幸いクーデターは小規模なものですぐに鎮圧したが、今回の出来事が魔界住人にどのような波紋を呼ぶのか今後注意深く見守る必要がある、と締めくくられている。
「寄生虫どもが……」
私は新聞を握りつぶした。これほどまでに深いな出来事はない。迫害されていた自分たちを助けた恩を忘れ魔界を乗っ取ろうする害虫である。
最近このクソムシどもが台頭してきたらしくその耳障りな鳴き声が大きくなっているようだ。母もこのことには手を焼いているらしくどのように対処すべきか決めあぐねているようだし……。母は魔界を統治するには少々甘すぎるのだ。
まあ、幸い母には夢子がついている。こういうとき夢子は頼りになる。彼女は頭が切れるし何より冷酷だ。どのような暴動が起きようが彼女ならそれらをどんな手を使ってでも鎮圧させるだろう。
新聞はあらかた目を通すとゴミ箱に捨てた。何せ面白いことなど一つも書かれていなかったのだから、三部はクーデターのこと、二部はあのノートを貸してくれた女の新たな研究成果を褒め称えるものだったからだ。
―5―
妖怪の山の反対の方角へ飛ぶと低い山が見えてくる。その山の中腹に無名の丘と呼ばれる鈴蘭畑が存在する。
日の光を避けるようにひっそりと咲いている鈴蘭の草原。昔は間引きの現場だったと本で読んだことがある。
親が子供を捨てるなど、魔界神の娘という身分に生まれた自分には現実味の乏しい過去のお話である。
そういった忌むべき過去があるためかここに近づく人間はいない。いつしか妖怪も近づかなくなったとか。
そんな寂れた場所に一人で住んでいる妖怪がいる。
「あ、アリスだ!きてくれたのね!」
「ええ、こんにちは、メディスン」
メディスン・メランコリー、あどけない少女のような風貌であるが、妖怪である。私の研究対象だ。
頭はブロンドのソバージュに大きなくすんだ赤いリボンをつけている上は黒、下はリボンとおなじくすんだ赤のスカートのドレスを着ている。
大きなサファイアのような瞳に整った鼻筋、少女でありながら完成された美を彼女に感じるのは彼女が元人形だったからに他ならない。
この無名の丘に捨てられた人形が長い時間をかけて妖怪化したものだ。
妖怪といっても成ってから日も浅い。今現在成長途中である。成長途中というのは精神面でという意味である。
身体は人形を媒体としているためこれ以上大きくなることはないだろう。人形という媒体に精神というものがいかにして定着し、また成長するのか、興味の程はつきない。
「今回はいつもよりはやいのね」
「ふふ、そうね」
うれしそうに飛びついてくるメディスンを受け止め、やさしく後ろ髪を撫でてやる。
どうやら、時間の感覚はあるようだ。
前回前々回は10日おきに会いにきたが、今回は前回から一週間しか間を空けていない。
「じゃあ、今日もいつものテストしましょうね」
「うん」
彼女に人形になる前の事を尋ねたことがあるが、ほとんど記憶にないらしい。
ただ、漠然と人間への恨みだけが残っているという。
メディスンが、どのような人格を持ち、どのような考え方をするのか、またそれに変化はあるか。私は毎度、何種類かの心理テストを彼女に実施している。
まだ、字は読めないらしく質問紙方は口で言って答えてもらう、インクの染みのような模様をみせてそれが何に見えるかというテスト、あいまいな状況の絵を見せ何をしているところか答えてもらうテスト等々……。
はじめはあまり長い時間私の話を聞いてはくれなかったが、質問に答えたあと作ってきたお菓子を上げると、次からは喜んで質問に答えるようになった。条件づけによる学習は効果があるようだ。
心理テスト以外にもいくつかの知能テストもいくつかためしてみた。その結果彼女はそれなりに高いIQをもっていることがわかった。
「この絵は何に見えるかしら?」
「うーんと、お花かなぁ」
「なるほど、じゃあ、どのへんがそう見えたのか教えてくれる?」
「ここが茎でここが葉っぱでここが花びら」
メディスンは指で絵をさして説明する。
まあ、これらのテストもあくまで参考程度のものだ。実際に彼女の精神がどのようなものなのかこれらで完全に把握することはできまい。
心というのはそれほど複雑怪奇なものなのだ。ただ、彼女とのこうした地道な接触が人格を持った人形がどのようなものか理解するのに1%でも参考になればよいとおもっている。
「はい、お疲れ様。ありがとうね、これはご褒美よ」
「やったー!」
鞄から取り出したタルトを渡すと彼女は嬉しそうにそれを口に運ぶ。人形にも味覚があるらしく、甘いものはおいしいとかんじるらしい。
人間を食べたことはと聞いたが「まだ、無い」とのこと。
「今日も、あれやってよ」
「ええ、今からやろうと思っていたところよ」
メディスンがやってくれとせがんでいるのは、童話を元にした人形劇のことだ。
「ところで、この前したのはどんなお話か覚えているかしら?」
これも、彼女を手なずける餌ではなく、物語を聞いてどのように感じたか、また、それがどのように記憶されているかを見るためのものだ。
「えっと、たしか、怪物をやっつけるためにいっぱい食べて大きくなった女の子の話」
「正解。女の子の名前は?」
「アルバ」
「えらいえらい、よく覚えてたわね。あとで新しいリボンをつけてあげるわ」
私はメディスンに微笑みかけながら、劇の準備にとりかかる。
人形に魔力の糸を通す。目や繭、口が動かせるようになっており、喜怒哀楽を表現できる。手は指の関節一つ一つまで動かせるようになっており、こまかな仕草が可能だ。
舞台は魔法によるホログラムで場面場面で迫力のある演出ができる。これらは全て私の手作りで、自慢の品々だ。
「では、今日のお話のはじまりはじまりー」
ホログラムに映し出された幕が開き、その後ろに西洋風の町並みが現れる。
今宵の話は“二つの鳥の像”。
ある港町に住んでいるゴットハルトはひょんなことから海岸に流れ着いたを助け、その男に南の島に黄金で出来た鳥の像があると聞かされる。
そいつを手に入れれば大金持ちになれると思ったゴットハルトは弟のフリードリヒを誘って南の島へ出かけることにする。
弟の家と自分の家をバラバラにして二隻船をつくり、ありったけの食料と船員、ペットのインコ等ありったけのものを積み込むと、航海に出発する。海岸で助けた男が描いた地図を頼りに難なく島まで辿り着いた二人はそこで美しい黄金の鳥の像を発見した。鳥の像は雄と雌のつがい番で弟は雌の像、ゴットハルトは雄の像を貰うことにした。
島で一泊してから出発しようということになり、持ってきたお酒や肉で大いに盛り上がった。
翌朝、弟のフリードリヒが目を覚ますと、兄のゴットハルトの姿が見えない。
なんと黄金の像に目がくらんだゴットハルトは弟の寝ている間に二体の像を船に積み込み夜の間に島を出発してしまっていたのだ。
しかし、ここからゴットハルトの苦難の航海が幕を開ける。
金の像がピカピカ反射して遠くの海賊に見つかったてしまう。遠くにいるから逃げ切れるだろうと思っていたが、像が重くてスピードが出ない。
持ってきた暇つぶしの遊び道具やベッド浴槽など、海に捨てるがそれでも海賊から逃げられない。仕方なく雌の像を捨て漸く海賊船から逃げ切れた。
安心したのもつかの間、今度は大きな鳥の像を仲間だと勘違いした怪鳥が船に寄ってきたのだ。ゴットハルトは泣く泣くペットのインコを囮に逃げ切る。
そんなこんなで、次々と遅い来る試練にその都度犠牲を払ってなんとか助かるのだが、あと少しで街へつくというところで、船が大きく揺れて像が倒れ、船底に穴が開いてしまう。
像は船と共に海の底へと沈んでしまった。なんとか命だけは助かり故郷の町へ帰ってきたゴットハルトだが、住む家も弟も大事なペットも失いただただ途方にくれるしかなかったというお話だ。
「ゴットハルトは思いました。ああ、こんなことなら、欲張るんじゃなかったと。……おしまい」
「えー、おしまいなの?」
「そうね、この話はここでおしまいよ。つまんなかった?」
「うーん、微妙。でも、ゴットハルトは弟に酷いことしたから悪い奴で……そいつが酷い目にあうからいい話なのかなぁ。でも、あれだけ頑張ったんだからくちばしの先くらいほしいよね」
欲を抱くことは悪いことで、悪いことをしたゴットハルトの自業自得という因果応報を描いた童話。しかし、なぜかカタルシスを感じないのは、犠牲を払ったゴットハルトが何も得られないという世の不条理を見せ付けられているからだろうか。
ゴットハルトは負けたのだ。あらゆる犠牲というチップをかけたギャンブルに。後には何も残らなかった。
そこが、メディスンにはつまらなく感じたのかもしれない。
「あら、私は面白かったわよ」
不意に後ろから声をかけられた。振り返ると深緑の髪をくゆらせながら彼女は立っていた。
「鈴蘭の咲く草原で人形遣いが人形に人形劇をしてる辺りすごく笑えたわ。パチパチ」
「幽香……」
赤に黒いチェックの入ったスカートに白いシャツ、そこにスカートと同じ柄のベストを羽織り、大して日差しも強くないのに日傘を差し、下卑た笑みを浮かべて、奴は……幽香は立っていた。
「あら、どこかでお会いしたかしら?人形遣いさん」
初対面なものか、忘れもしない、奴が魔界へやってきたときのこと。
奴が暴れたためにどれほどの被害が出たことか……。私は奴を止めようと単身出向いたのだが、まるで相手にならなかった。手も足もでないとはああいうことをいうのだろうか。夢子までもが彼女に破れ、母が奴の相手をしたのだが、その戦いで魔界は半壊した。
幽香は退却したが私は奴を許さなかった。究極の魔導書まで持ち出して、奴に復讐しにいった。
だが、究極の魔導書を持ってしても私と奴の差は縮まらず、完膚なきまでに叩きのめされたのだ。後にも先にも誰かに全力……いや、それ以上の力で挑んだのはあの時だけだ。
「あなたが覚えていなくたって私は覚えているわ……」
「そう、知ったことではないわね」
「何だっていい、私と勝負しなさい!」
私は完全に冷静な判断を失っていた。頭に血が上って、奴に勝負を申し出ていた。ものすごい剣幕で声を張り上げたからか、メディスンは少し怯えた表情でこちらを見ている。
「勝負?やあよ。私は鈴蘭の様子を見に来ただけだもの。それにここで暴れると花がかわいそうだわ」
幽香は自分の子供でも見るかの様に慈愛に満ちた視線を足元の鈴蘭に向けた。弾幕勝負を断るのは、本来自分が相手より強いと判断したとき、勝てないと悟ったときだ。
だが、この場合はそれは成り立たない。この場合、この場合は、奴は私の事を相手にしていないという証拠だ。
「魔界はボロボロにしたくせに、花畑は気遣うのね」
私は、幽香を睨みつけ、毒を吐いた。
「……魔界……あー、思い出したわ。あのときの」
“人間”
ゾワリとした。奴が、私を見る顔がグニャリとゆがむ。上っていた血が一気に落ちた。侮蔑の意味で投げかけられた言葉に対する屈辱の炎も奴の冷たい笑顔がかき消した。
奴がズカズカとこちらまで歩いてくる。満面の笑みで。
「いやー、大きくなったわね!」
奴は、私の両肩にポンと手をのせると、まるで久しく会っていない親戚のようなふざけた振る舞いをした。
「人間の成長って早いわよねぇ。ちょっと前まで、ガキだと思っていたのが、久しぶりに会ってみるとおばさんになってるなんてざらだしねぇ」
「……今は人間じゃ、ない!」
「みたいね」
そういうと、幽香は私の首筋に鼻を当て、犬のように匂いを嗅いだ。
「あまり、おいしそうな匂いではなくなってしまったわね。え、と……」
「アリスよ。アリス・マーガトロイド……」
「ああ、そんな名前だったわ。で、アリスちゃんは私と勝負したいと。本も無いのに?」
笑われた。私はどれほど奴好みに顔を歪めていたのだろう。奴は笑いながら私の肩をバンバンと叩いた。
「あはは、失礼。あなたの要望に応えてあげたいけど、今はそんな気分じゃないしね。鈴蘭も散ってしまうじゃない?」
私は鈴蘭をつかんで握り潰す。それを見た幽香の笑いが止まる。「何をしたのかわかってる」などと脅しをかけてくる。
それでも、かまわず、私は人形を使って、一瞬で鈴蘭畑をねこぞぎ刈り取る。
「これで、戦えるかしら?」
……そう、啖呵を切れればよかった。私は、鈴蘭にかけた手をかけたところで止まってしまった。
そんなことをすれば当然奴と戦えるだろう。それも、本気の幽香相手に……。
だが、勝てるのか?私は、本気の幽香に勝てるのか?
奴は魔界に単身乗り込み、母を後一歩のところまで追い詰める程の力の持ち主。
単純な火力の勝負で勝てる妖怪だ。勿論やつを正面から相手するわけがない。私はあれから強くなった。
人にみせた事のない切り札もある。直線的な奴の戦法に対して、人形を使った私の戦い方は非常に愛称がいいといえる。
しかし、それが、どうしたというのか。奴はこれまで、あの戦いで今の今まで生き残ってきたのだ。見え見えの万歳突撃で全ての敵を葬ってきたのだ。勿論私のように相手を翻弄するような相手とだって戦ってきたのだろう。
いかなる相手もその火力に物を言わせて、ねじ伏せる。奴はそれが出来るのだ。
それを私は……、
「アリス」
心臓が跳ね上がった。奴に自分の名を呼ばれただけで。
「あなた、その手に握ってる鈴蘭……」
背筋に冷たい汗が流れる。全身の筋肉が萎縮している。幽香と目を合わせられない。
「気に入ったのなら一本持って帰る?」
「……え?」
「だって、さっきから大事そうに握っているじゃない」
幽香はそういうと、私の手の上からやさしく鈴蘭を掴むと持ち上げる。すると、鈴蘭はスルリと根ごと抜けた。奴は私にその小さな白い鈴のなった花を握らせると、
「大事に育ててね」
と微笑んだ。
私はただ、「ええ」と答えるしかなかった。その後、出している人形を仕舞い、メディスンに「またね」といった。メディスンは心配そうに私を見つめると「うん」と頷いた。
私は逃げるように無名の丘を後にした。
鈴蘭は家の前に植えた。手で掘って植えた。土仕事などしないものだから、スコップなど無かった。他に代用できるものを探そうと思えば探せたのだろうが、これは、自分の手で植えなければいけないと思った。
これは、私への戒めだ。喧嘩を売った相手に助け舟をだされるなど……。この花を見るたびに今日の屈辱を思い出す。
いつか奴にかならず、借りを返す……そう深く胸に深く刻んだ。
―6―
夢を見た。
幼き頃の記憶、砂糖を加え煮詰めたような……。
小さな私。いつも、母の後ろについて歩いていた。何もできない無力な時期。だから何も悩むこともなかった。
母はよく私を膝の上に乗っけて仕事をしていた。何が描いてあるかよくわからない紙に母がペンでスラスラとサインをしていくのは見ていて飽きなかった。
魔界で一番高い塔。そこが、母と私の城。屋上からは魔界の全てが見渡せる。選ばれたものだけの特等席。
落ちると危ないからと母に抱えて貰って見る景色。この景色は母が作ったのだと言っていた。こんなにも広大で美しいものを創れる母はなんと偉大なんだと思った。
「あのお山もお母さんが創ったの?」
「ふふ、そうよ。あんまり大きいと日当たりが悪くなっちゃうからね、あの大きさにしたの」と母は語ってくれた。
「あの、雲も?」
母は「そうよ、いっつも日が照っていると暑いでしょう」と言って頭を撫でてくれた。
「じゃあ、あの人は?」
指差した魔法使いを見て母は、「あれは、私が創ったものじゃないわ。あのヒトはお外から来たの」と教えてくれた。
「夢子は?」ときくと、うーんと少し悩んで「あの子は私が創ったようなものかな?……半分くらい」なんていって笑った。
「じゃあ、私は?」
私がそう尋ねると、
「勿論、私が創ったわ」
私を抱いている腕の力が強くなる。母は私をギュッと抱きしめながら、後ろから頬にキスをした。
「このきれいな髪も、つぶらな瞳も、かわいいお手手も、みーんな私が創ったのよ」
母は嬉しそうだった。私も嬉しくなって笑った。
「なんたって、アリスは私の――――」
目が覚めた。
傍らには、読みかけの魔術書、つっぷしていた机にはよだれのあとがある。読んでいるうちに眠ってしまっていたようだ。。
外の陽気に誘われたのか……。夜でもないのに睡魔に襲われるなんて。全く情けない限りだ。
魔女の身体は基本睡眠を必要としない。おかげで眠りは毎回浅く短いものにになる。故に毎度眠れば必然的に夢を見るのだ。
「っ!」
変な体勢で眠っていたのか、首に嫌な痛みが走る。首の筋肉が伸びてしまったか……まあ、これ位なら簡単な治癒魔法ですぐに直る。
私は気分転換に外の空気でも吸おうかと席を立つ。
玄関のドアノブに手をかけたところでドアの下に何か差し挟まれているのに気が付いた。
「封筒?」
迷いの森の中にある私の屋敷に普通の郵便物が届くはずがない。天狗のくだらぬゴシップを刷った紙なら、たまに玄関先に投げ捨てるように置いてあるのだが。
「これは……」
封筒の宛名は私、差出人は……母だ。
魔理沙辺りが届けてくれたのだろう。霊夢にも礼を言うべきか。
真っ赤なシーリングワックスを剥がすと中から二枚折の便箋が5枚。そこに、母の小さな字がびっしりと書かれている。
内容は、私が元気かどうかと尋ねる典型的な書き始めから、私を気遣う、「頑張って」や「心配です」などの言葉を交え、私の現状がどうなっているのか尋ねている。
一通り私に対する心配事を書き連ねたあとは、母の近況に話は移る。私の事について尋ねるのには便箋を3枚半も要したというのに、母自身のことについては便箋1枚分にもみたない文量しかない。最近はクーデターなどのごたごたもあったので、娘に余計な心配をかけるまいと、口数を少なめに抑えているのだろう。
要約すれば、「私はなんだかんだで元気にやっているのであなたも頑張ってね」ということなのだが、まあ、母なりの回りくどい言い回しと、変な気の使いようでこの一言に何行も費やしているのだから、短いとは感じない。
最後に母は私にたまには魔界に帰ってきてくれるようほのめかしている。たまには成長した私をみたいだの、幻想郷のお話を聞かせて欲しいだの、帰ってきて欲しいのならそういえばいいだろうと思って読み勧めていると……。
「あなたは用もなしに帰るつもりはないのでしょう。でも、界誕祭にだけは帰ってきて欲しい。界誕祭の日にはあなたも私の隣に座らなければならない歳です。魔界の皆にあなたの姿を見せねばなりません。どうかこの日だけは、我侭をいわず母の我侭に付き合って下さい」と書かれていた。
「界誕祭……」
界誕祭とは、読んで字のごとく魔界の誕生を祝う祭りである。魔界で最も重んじられ、且つ盛大に行われる魔界の一大イベントだ。
私ももう子供ではない……母の、魔界神の娘だということを意識せねばならぬ歳頃なのだろう。
母の隣に座り、セレモニーを終え、母の隣に座り、皆に担がれパレードに参加する。それが終われば、母の隣に座ってお偉いさん方との会食。全くもって面倒だ。
これらの儀式はこれまで母一人でやってきた。それに私が参加する……。それは、私が魔界神の娘だということを魔界の住人に見せ付けること。
「帰る?……私が?」
帰れるわけがない。少なくとも今の状態では。
手土産だ。手土産がいる。私がのうのうと幻想郷で遊んでいる訳ではないという証。魔界の奴らを納得させる成果、実績、これらがいる。
「いつだ!?界誕祭!それまでどれくらいある!?」
急いで机から魔界とこちらのカレンダーを引っ張り出してきて暦を比べる。
「あと、一ヶ月……それまでに、何か成果を上げないと……」
暖かな午後の眠気も一気にすっ飛んだ。
私は今までの研究のデータをまとめたノートを机の上に並べる。
あと一月。私は一ヶ月以内に自立人形の試作機を創りあげることを決めた。
―7―
手紙を読んでからというもの、自立人形試作機のために私は連日大図書館に、通いつめた。
日中は図書館で足りない知識を補いつつ、帰ってからは人形のボディ作り。また、ブレインの魔術式を添付するのに適した素材選び等やることは累積していた。
いざ試験が迫ってくると自分の蓄えた知識があまりにも頼りないものだと気が付き、大急ぎで知識をかき入れる受験生のような青さだ。
しかし、今はなりふり構っている訳にはいかない。自立人形完成が夢などではないと魔界の住人たちに思わせられるようなそんな試作品を創らねばならない。
そうでもしなければ母の隣になど座れるものか。
「おはようございます。今日も図書館ですか?」
眠気眼を擦りつつ紅魔館の門番が挨拶をしてくる。
「ええ、まあね」
「最近は毎日来られてますよね。パチュリーさまも喜ばれます」
「本を読みに来てるだけだからね……彼女とはこれといって話もしないわ」
私は別にパチュリーに会いに来ているわけじゃない。私が用があるのは彼女の所有する魔術書だ。
「ふふ、それでもです」
「……通っても?」
「ええ、ごゆっくり」
門番はニコニコとしながらお通り下さいとお辞儀をして見せた。
私には時間がない。門番との会話も、図書館の大扉がゆっくりと開かれるのも私にはまどろっこしい。
一分一秒たりとも私には無駄にする時間はないのだ……だというのに。
私は時たま襲われるいかんともしがたい眠気に屈してしまう。まあ、すぐに目も覚めるし、うつらうつらとした中で作業するのもあまり効率的とは言えないので、寝たほうが結果的には作業ははかどるのだが……。
「おはよう、今日も借りるわね」
「ええ、どうぞ」
所有者であるパチュリーに最低限の断りを入れ、私は席につく。
赤い髪をした少女の悪魔を呼びつけ、
「この前のをお願い」
と伝えた。小悪魔はコクリとうなずくと迷うことなく数ある本棚の中から私がこの間から呼んでいる魔術書を手に戻ってきた。
「ありがとう」
お礼を言うと小悪魔は軽くお辞儀をして、本棚の整理に戻っていった。
私は、しおりを頼りに前回まで読んいたページを開き、本を読み始める。
ヴィクター・フランケンシュタイン著『脳と魂の相互性について』
私が五日前から読んでいる本だ。
理想の人間を作り上げることに生涯をかけた科学者兼魔法使い、ヴィクター・フランケンシュタインの記した書物で、脳の構造が魂とどのような関係にあるのか、また、脳を変化させることで魂がどのように変質するのか、彼の研究結果が記されている。
フランケンシュタインは自然科学と魔術を融合した、生物魔科学の生みの親でもある。彼は脳を魔術により作り変えることによって思い通りの魂を作り出そうとした男だ。
マッド・サイエンティストと言われるに申し分のない、数々の人体実験の末、脳のどの部分を弄ればどのような魂ができるのか、彼は解き明かそうとしていた。現在では、この非道徳的な研究は魔界の倫理規定に抵触するため禁止されている。
理想の人間を創り上げる、このことに関して私と彼のやろうとしていることは同じなのかもしれない。魂を作り出すなど、一般の魔法使いからすれば十分マッドな行いだろう。
この書は自立人形を作る上で是非とも読んでおきたいと思っていた一冊だ。だが、何故今更になって読み始めているのかというと、この本は魔術書のなかでもかなり難解な書として有名で、ついつい後回しにしてしまっていたのだ。
生物魔科学という分野もそれを選考している魔法使いでなければあまり知ることのない分野であり、非常に手が出しずらかったというのが本音だ。
一応、生物魔科学の入門書はいくつか読んでいたのだが、それでもこの専門用語のオンパレードにユニークのかけらもない理論の羅列には流石に参ってしまった。
文字を舐めるように読むだけでは内容はさっぱり入ってこない。しっかり咀嚼し、飲み込んでこそ自分の知識として昇華できる。
かれこれ五日の奮闘もむなしく、しおりが挟んであったページは半分よりも前のページで、まだまだ道のりが長いことが私のやる気を萎えさせる。、
「あー、どういうことのなの……」
ついつい、小声でぼやいてしまう。こんなところで躓いてる暇はないのに。
私が、この魔術書と格闘していると、
「難しい本を読んでいるのね」
パチュリーが私に語りかけてきた。いつの間にか音もなく近寄られていた――いや、私があまりにも必死でこの本に噛り付いていたから彼女が近づいてくるのに気が付かなかったのだろう。
「私も、読むのにすごく苦労したわ。三日間ぶっ通しで読んで、読み終わったら流石に眩暈がして少し横になったものよ」
紫の透き通った髪がサラサラと揺れる。彼女の吐息は紅茶の香りがした。
「これを読むのだったら、あれを先に読んだほうがいいわ」
彼女は小悪魔を呼びつけ、耳打ちすると、何冊かの魔術書を持ってこさせた。
「この本と、この本を読んでおけば、用語とある程度の理論は理解できるようになると思うわ」
そう言って、小悪魔が持ってきた本を指差して私の前に置いた。
「それと、これ私がわかりやすく要約したものなんだけど……もしよかったら使ってくれて構わないから。わからないことがあったら言ってね。色々教えて上げれると思うわ。それと、こっちの本は……」
「……ない……」
「え?」
「いらない!」
限界だった。彼女の親切が。私の聖域にズカズカと土足で入り込んできたようで、思わず彼女を拒絶した。
「余計なお世話よ!なんで私がアンタに教えを請わなきゃならないのよ!わかるわよこの程度の魔術書。自分一人で理解できるから!余計なことしないで!」
私が、五日もかかって半分もいかないのに、彼女は三日で読破した。属性魔法が専門のくせにだ。
「そ、そう……」
「偉そうにしなでよ!ムカつくのよ上から物を言いやがって!これは、私が……私の……」
「……ごめんなさ……」
バタン!
私は開いていた本を叩きつけるように閉じた。パチュリーは一瞬ビクリと身を強張らせる。図書館のしじまが音をよりいっそう大きく感じさせた。
「……帰る」
私はそのまま、侘びも礼も言わずに図書館を早足で出て行った。とてもあそこにいれる気がしなかった。早く出てしまわないとどうにかなってしまいそうで……。
馬鹿なことをした。帰り道にそう思った。彼女は、パチュリーは私が困っているのを目にして親切心で理解するのに役立つ魔術書や自分が書いた本を私に勧めてくれたのだ。
自分から他人に話しかけるような女ではないだろう。だというのに、彼女が私のためを思ってその重い腰を上げてくれたのだ。
そこに悪意はあっただろうか?いや、なかっただろう。もしかしたら、私が五日も同じ本を読んでいるから今度来たらわかりやすい本を薦めてあげようと選りすぐったものだったかもしれない。
彼女が書いたと言っていた本は普段他人見せるようなものではない秘蔵ノートのようなものかもしれない。別に私に教えたところで何かメリットがあるわけでもない。もしかすると、自分の障害となって将来立ちはだかるかもしれないのに、そんな相手に何の見返りも求めずどうして知識を分け与えれよう。
「くそ……。いい奴じゃないの……」
いや、それはただ単に私が相手にもされていないという証なのかもしれない。私が聖域だと勝手に思い込んでいた場所はすでにあの魔女に踏み荒らされていたのだから。
なんにせよもう図書館にはいけないだろう。彼女も自分の善意を踏みにじられたのだからもう私の顔など見たくないだろう。
何をやっているのだろう。こんな時期に……。私は、もう二度と行くことがないであろう図書館からどんどん離れる中、ただ後悔するしかなかった。
―8―
大図書館の魔女と縁が切れてから一日。私は研究室の机に向かいこれまでのデータを元に人工魂の設計図を思案していた。
今まで蓄えた知識ではいかんせん頼りないと思いつつも今あるあり合わせで一つの成果を作り出さないといけなかった。
ボディの方も予定より完成が遅れている。頼んでおいた素材がまだ届いていない。博麗神社に問い合わせみたがまだ来ていないとか。
界誕祭まであと半月。自立人形作りは急ピッチで進めなければならなかった。
「アカシックレコーダーはどこいったかしら?」
アカシックレコーダーとは大量の魔術式を別次元に変換してメモリーとして保存することの出来る魔道具だ。エドガー・ケイシーという魔方使いが開発したものでこれにより従来では不可能だった、複雑な魔法が簡単に作れるようになったという画期的アイテムだ。
人工魂の魔術式を紙に書き起こしていたのでは家が書き起こした術式の紙で埋まってしまう。
私は此方にやってくる際に持ってきたはずだと、研究室の端で誇りを被っている未開封のダンボールをこじ開ける。
もしかしたら使うかもしれないと持ってきた魔道具たちを掻き分けなんとか箱の中からドーム状のアカシックレコーダーを取り出した。
机の上にセットしてスイッチを入れる。本来ならキーンという甲高い金属がこすれるような起動音がとともに淡く発光するのだが、なぜか起動しない。
何故だろうと色々調べてみるとバッテリーが切れているのに気が付く。
「換えのバッテリーあったかしら……」
ダンボールを逆さにひっくり返してまで探したのだがバッテリーは見つからない。薄々気が付いてきたのだが、どうもこちらに来るとき換えのバッテリーなどというものを入れた記憶がない。
「まいったわ……こんな時に、どうしよう」
夢子に頼んで送ってもらうにしても最低1〜2日はかかるだろう。そもそも少し前に頼んだ荷物するまだだというのに……下手をすると界誕祭に間に合わなくなるかもしれない。
無駄だとわかりつつももう一度部屋の中を探すがやはりない、他の手を模索するほかなかった。
パチュリー・ノーレッジなら持っているかもしれないが、彼女とはどうしても会いたくない。それに会ったとしても潔く貸してくれるだろうか?
「パチュリーには頼れない……となると」
選択肢はもう一つあった。
私は人里の方向に飛んでいる。用があるのは人里ではなく、もう少し先にある命蓮寺という寺だ。
幻想郷には三人の魔女がいる。一人は私、もう一人はあのパチュリー・ノーレッジ。そして残る一人が命蓮寺にいる。
宝船が変化してできたという寺だけあってか荘厳で立派な造りの寺に着陸すると、本堂へと足を向ける。
寺だというのに妖怪の姿が目立つ、それもそのはず、この寺は妖怪のために開かれた寺なのだ。ヒトの道を逸れ、妖怪との共存をえらんだ僧侶こそ、私が用のある魔法使い、聖白蓮である。
「白蓮はいるかしら?」
私は本堂の入り口の横に腰掛けている頭巾を被った蒼髪の女に尋ねた。恐らく彼女も人ではないのだろう。
頭巾の女は「中だよ」と答え、視線を本堂のほうへと向ける。私は「会えるかしら」と尋ねると、
「姐さんは困った妖怪に会うことを拒みはしないよ」
と言ってカンラカンラと笑った。
面会の許可が出たと判断し、私は開けっ放しの扉を潜り、中へと足を踏み入れる。
甘い香の匂いがした。暗い本堂の中は蝋燭の炎だけが灯りとなっている。
「白蓮、いる?」
少し大きな声で呼びかけると、奥の襖が開き、背の高い女が出てきた。
艶のある髪の河は頭部から腰の高さまで流れ、上流は紫、下流へ行くほど美しい金色へと移ろうグラデーション。昔母が着ていた狐のコートの金色を思い出した。
袈裟というには奇抜なその服装は白のドレスの上に真っ黒なコートのようなマントを羽織っている。肩から腕にかけて何かいましめるような白のテープが巻かれているのも印象的だ。
彼女こそが、この寺の僧侶であり、魔法使い、聖白蓮だ。彼女もまた、私と同じ、人間から成った魔法使いである。
彼女は常に絶やさぬその慈しみを称えた笑みを私に向け、
「如何なさいました」
とやさしく聞いた。
「アカシックレコーダーのバッテリーを持っているかしら?もし持っていたら貸して欲しいのだけど……」
「ええ、ございますよ。たしか蔵にあったと思いますので少々お待ちいただいてもよろしいですか?」
もしかしたら、持っているかな位に考えていたのでこの時は私も普段祈りもしない仏に感謝した。
彼女は、席を立つと入り口の方まで歩いていき、背の低いネズミ耳の少女を呼びつけた。
「ナズーリンちょっといいですか?」
ナズーリンと呼ばれたその少女は聖の下までかけてくると、その大きな丸い耳を白蓮に傾けた。
白蓮が耳打ちすると、「わかった」と一言。どうやら、彼女がバッテリーを持ってきてくれるらしい。
「整理していないもので……私が探すと時間がかかりますが彼女ならすぐに見つけてくれると思いますよ」
「そう」
与えてやるという感じではない。言い寄ってる者へ尽くしているという物腰。
そんな彼女をじっと見ていると、
「ああ、すいません、今茶菓子を用意しますので」
とあせり始めた。
「いえ、結構よ。私も魔法使いだから」
「そう……ですか」
彼女に気を使わせるのも悪いと思ったし、何より見栄を張りたかった。
「そういえば、あなたは何故魔法使いになったの?」
不思議だった。別に人の生い立ちになど興味はなかった。しかし、彼女と何かしら話したいと思ったのか、そんなことを尋ねてしまった。何故そんなことをしたのだろうか?
それは、彼女がどことなく母に似ていたからなのか……。まあ、実際母とこうして二人きりになっても私から話しかけることはないだろうが。
私の質問に少し間を空け、目線を床に落とす口を開いた。
「正直人に誇れるような話ではないのですが……。むしろ、軽蔑されて然るべきお話です。それでも、聞きたいですか?」
「あなたが話してくれるというのなら」
「そうですか。……昔私には弟がおりまして……」
彼女は語り始めた。昔、命連という弟を亡くし、彼の死を目の当たりにしたことで、極度に死を恐れるようになったらしい。死から逃れるための術を求めた。魔物や妖怪から知識を得て遂には魔法使いに成ることで人間よりも遥かに長い寿命を手に入れることに成功する。
そんな中、魔法の知識を得る為に利用していた妖怪たちが、人間から酷い扱いを受けていると知り、彼らを助けねばと思うにいたったというのである。
後半は妖怪たちがいかに酷い扱いを受けていたのか、また彼らが根は素直で優しいことなど、自分とは関係のない話になっていた。私は、苦笑しながらその話を聞くしかなかった。
「魔法使いになってもやはりお腹はへる?」
「ええ、減りますね。たまに白いご飯が無性に食べたくなることがあります。でも、食べるわけにはいきません」
「……何故?」
彼女が魔法使いたるプライドの為に断食をしているとは思えない。他に理由があるのだろう。
「彼らが我慢しているのですから、私も我慢せねばなりません」
「彼ら?」
「私を慕ってくれる者たちです。彼らの中には人肉を食す者もいます。しかし、それは過去の話。今では人を喰らうことしません。我慢しているのです」
彼女なら、実は食べていても、もうやめたよと言えば信じてしまうのではないかとも思ったが、それは胸中に留めておく。
「彼らは私にご飯を食べるように勧めますがね。それでも、彼らと同じ苦しみを背負わねばと思いまして」
「なるほど」
「いつの日か、人と妖怪が手を取り合って暮らせる日が来ればと思っています」
白蓮は超がつくほどの平等主義者だ。人も妖も神も仏も皆平等であるべきと考えている。平等……ありえない話だ。
同じ種族同士でさえ争いが絶えないというのに、ましてや種族の違うもの同士が分かり合えるだなんて夢のまた夢。
こういうあまっちょろい理想論を恥ずかしげもなく口にする奴を目の前にするとつい反論してしまいたくなるのは私の悪い癖。
「そんな日が本当に来るとでも思っているの?」
私の棘のある言い方に、白蓮はすこしピクリとするが、
「ええ、勿論です」
と今まで通りの柔らかな受け答え。私の質問に意地になっているのではない。心からそれが実現できるかのような盲目的な信者を彼女の中に見た。
その自信はどこからくるのだ?どうして、そんな澄んだ目ができる?彼女の反応に私は戸惑いを覚える。
「あなたは妖怪も人も皆平等と説いてるらしいけど、同じ種族同士でも価値観が違う。見た目も知力も力も生まれもバラバラ。平等なことなんて何にもないわ。ましてや他の種族とでは能力の差が大きすぎるし、寿命だって違う。分かり合えるはずないじゃない」
「確かに難しいかもしれません」
「無理よ。不可能だわ。みんな平等なんて所詮理想論でしかないもの」
何をそんなに必死になっているのだと思った。彼女がいい人過ぎるからか?そんなことはありえないんだと教えてやりたいとでもいうのだろうか……。
ああ、多分甘っちょろいところが母に似いていてイライラするのだなと思った。
「理想論……ですか」
「ええ」
「でも、素敵な夢でしょう?」
まさか、こんな切り返しをしてくるとは思ってもみなかった。もっと、妖怪と人とが平等に暮らせる可能性のある案だとか実現が不可能ではないんだという証拠とかを提示してくるのかと身構えていたので、これにはやられた。
「は、はあ?」
「私はね、宗教って夢がないと駄目だと思ってるんです。だって人も妖怪も夢がないと生きていけないでしょう?」
この女は本当に頭の中までこの甘ったるい香に毒されているのかと疑いたくなる。
「明日休みになればいいなとか、仕事から帰ったらうまい酒が飲みたいなとか、そういう実現可能な小さな夢から、いつか大金持ちになりたいとか、すごい力持ちになりたいとか叶えるのがちょっと難しい大きな夢まで。人は日々いろんなことを夢見ながら、叶う事を夢見て、夢を食いつないで生きてるんですよ。生に執着しすぎて死なないことばかり考えていた時期が私にはありました。正直あのときの私は死んでいるも同然だったのです。妖怪と人間の平等という夢を見つけることが出来たからこそ私はこうして今生きているのです」
「夢……」
「自由を夢見ぬ奴隷はいないでしょう?明日、もしかしたら雇い主の気が変わって休みになるかもしれない。もしかしたら人道者が救いに来てくれるかもしれない。そう思いながら日々の労働に耐えるのです」
「そんなこと……起こらないのが普通じゃない。失意のまま死んでいくのよ」
「夢に生き、夢の中で死ねば、疲労と栄養失調で意識が遠退いていくそのときも目が覚めたら暖かい食事とベッドが用意されている。そう思って死んでいくんです。宗教ってそういうものじゃないですか?十字をきれば罪が許される、南無阿弥陀仏を唱えれば極楽にいける、そう夢見て現実に抗うんでしょう。死と夢見ることは全ての者に平等に与えられた権利ですからね。私は夢を与えたいんです。虐げられている妖怪が、もしかしたら聖白蓮が助けてくれるかもしれない。命蓮寺へ行けば助かるかもしれない。そう思って生きれるように」
「……まやかしを見せ続けるってこと?」
「まやかしではないです。そうなる確立が0.1%でもあると思うから夢見ることができる。私がその0.1%になるのです。だから、この両手で救えるもの全てを救う。私に0.1%でも希望を抱いてる方を現実に救うできるかもしれないですからね」
愛らしく動いていた人形が実は糸で操られていると初めて知らされたような残酷さ。屠殺の現場をみたら肉が食えなくなるような……生々しさ。そんな話。
「もし、どうしても勝ちたい相手に、最後の最後まで勝てなかったら?夢は覚めてしまうの?」
そう、質問した私の顔はどんなだっただろう……。白蓮がよりいっそうやさしい表情になった。
「夢に生きているものは負けません。最後の最後まで勝っていたと思って死んでいきます」
何もいえなかった。あまりにもむちゃくちゃであきれ果てたといえばそれまでだが、どうしてか、この話を完全に否定することは私には憚られた。
「ですからね。私も信じてるんですよ。いつの日か皆が仲良くなれる日がくると。夢を信じてないものがどうして夢を与えることができましょう?」
そう言いきった白蓮の目は一点の曇りもない澄んだ瞳をしていた。
「聖。みつけたよ」
入り口のほうを見れば、先ほどの小さなネズミの少女が立っている。てにはバッテリーが握られていた。
「ご苦労様です」
ナズーリンから、バッテリーを受け取ると、白蓮は少女の肩に積もった誇りを払い、礼を言う。少女は何も言わずそそくさと出て行ってしまった。
「どうぞ、これでよかったですかね?」
「ええ、これよ。ありがとう」
「では、はい」
白蓮はバッテリーをそっと私に握らせる。
「これは、差し上げます」
「え、でも」
正直言ってアカシックレコーダーのバッテリーは高価な物だ。おいそれと人に譲るような品では決してない。
「よいのです。困っている妖怪を助けるのが私の務めですから」
私は再度お礼を言い、深く頭を下げると、命蓮寺を後にした。
帰ったら、三日三晩寝ずに術式を完成させよう。白蓮に貰ったアカシックレコーダーのバッテリーを強く握り締めながら私は家路を急いだ。
家に着くなり、私は、玄関の鍵を閉め、自分の研究室に直行する。アカシックレコーダーのバッテリーを入れ替えると機械は無事作動し、とりあえず一息つくことが出来た。
半球状の機械に手を触れ、術式を打ち込む。頭で描いた魔術式はそのままアカシックレコーダーに記憶され、いつでも取り出すことができる。また、様々な道具や素材に記憶した術式を添付することができるのだ。
設計図はあらかた出来ている。細部の細かな調整に時間がかかりそうだが、そこは根気を持って挑むしかない。
私が、アカシックレコーダーに手を触れ、格闘していると、外のほうで足音がする。誰かきたのかと思ったが、今はこの作業を邪魔されたくない。
どうしたものかと迷っていると、
「アリスー、荷物だぜ。いないのか?」
と扉を叩く音と共に魔理沙の声が聞こえてきた。迷い人なら、そろそろ夜も暗くなるし、森の外まで送ってやろうかとも思ったが魔理沙なら、その必要はないだろう。
普段なら、荷物を持ってきてくれたお礼にお茶とお菓子くらい出すのだが、今は彼女に付き合っている暇はない。悪いが、荷物を置いてとっとと帰ってくれることを願った。
ドンドンという音のあと、ドアのノブをガチャガチャと回す音が聞こえる。鍵は閉めてあるから、居留守を使うには問題ないはずだ。
「留守なのか?」
ああ、留守だから荷物を置いてとっとと帰ってくれ。心の中で彼女の問いかけに答えつつ、私はアカシックレコーダーの中に魔術式を注入し続けるのだった。
その後二回ほど、ドアを叩く音とノブを捻る音が聞こえて、静かになった。
やっと、帰ったかと思い、そっと研究室の戸を開けると、
「う……ひっく、うう、ぐす……」
なんとも情けない嗚咽が聞こえてくる。
玄関のドア一枚はさんだすぐ向こう側。魔理沙が泣いている。
「ひっく、うああ、う、うああ、ああ……う、うううッ」
魔理沙は人間だ。どこまでも人間だ。奇跡も起こせない。時間も止めれない。人間の枠の中で老いて死ぬ。
白蓮の言った“夢”。それは麻薬のようなものだ。彼女に枠の中で唯一外の世界を見せてくれる。薬がきれれば、そこは冷たくせせこましい現実という名の牢獄。
魔理沙は今薬が効かなくなっているのだ。夢を見続けるには強い薬がいる。ロジカルで前例のあるものほど効果は強い。そいつを見つけてキめれなければやがて目は覚める。夢見ていた反動が一気に身体を押しつぶし、やがて死にいたる。
はやく、新しい薬を見つけなさい。私は心の中で魔理沙にそう語りかけた。
「うあああああ……うあ、ああああああああん」
彼女の嗚咽が泣き声に変わり、その泣き声が枯れ果てるまで私は外の荷物を取りに行くことが出来なかった。
―9―
駆動系の調節は完璧だ。人間の骨格の役割を忠実に再現できている。外皮は土魔法のゴーレムの応用。魔界の特殊な虫を溶かした液と、ゴーレム用粘土、をよく混ぜ合わせ骨格に肉付けする。
近くで見ても素人ではこれが人形だとは思うまい。髪は魔法で作り出したブルネットの人工毛を植え付けた。眼球は映像記憶用の魔法ガラス。見た目は私より少し幼い少女をイメージした。
とりあえず、外見はこんな感じだ。
肝心なのは中身、大体出来てはいるのだが、細かいミスが無いか今最終チェックを行っている。
少しでも術式に誤りがあれば正常に動かない。苦労して作った外見もただの傀儡と化してしまう。
およそ半日の時間をかけ、最後の魔術式の見直しが終了した。
「あとは、これを、この間届いた黒水晶に添付するだけ……」
アカシックレコーダーの中に黒水晶をセットする。添付完了まで、2時間ほど。
私は、四日ぶりに、研究室を出るとバスルームへ向かう。乱雑に服を脱ぎ捨てると、シャワーを熱い湯を身体に浴びせた。魔法使いだから代謝はしない。垢はでないが、それでも4日も篭ると身体に色々とまとわりついているのではないかと錯覚する。
シャワーを浴びることでそれらの汚れがきれいに洗い流す。
バスルームを出ると着替えてキッチンへ。戸棚から、チョコレートを取り出し、ポットでお湯を沸かす。
香霖堂で買った紅茶の葉をポットに放り込むと、ゴボゴボと音が鳴るまで待ち、ティーカップに熱々の紅茶を注いだ。
リビングのテーブルに腰掛、チョコレート一口食べる。口内の熱で溶かしながら、ゆっくりと味わう。チョコレートの甘みが口の中にまだ残っているうちにストレートの紅茶を流しいれる。
上品な香りが鼻を抜け、身体の筋肉がほぐれるのを感じた。
このままだと寝てしまいそうなので、紅茶を飲み終わると、席を立ち、窓の際まで歩いていく。
日はもう沈みかけており、空を赤紫色に染めていた。
「魔界に帰るのか……何年ぶりだろう?」
母はどうしているだろうか。夢子がついているから大丈夫だよなと思いながら、レースのカーテンの弄ぶ。
界誕祭まで、あと5日。なんとか間に合ったか……。いや、きちんと動いかなければ全く意味はない。
時計を見て、残り時間があと何分か頭の中で計算する。添付が澄むまでやることがないので、黒水晶の前を行ったり来たりしていた。
待ち遠しいような、出来上がるのが怖いようなアンビバレンツな気持ち。
時間は刻々と流れ、とうとう、ピーという音と共にアカシックレコードが開かれた。
中にある黒水晶は見た目こそ変わっていないが、ほんのり暖かく、自分が今まで創り上げてきた術式がこの中に全て刻み込まれているのだと感じさせる。
私は、早速黒水晶を人形の頭部を開き、埋め込む。神経系がきちんとつながれているのを確認すると、頭部を閉じて準備完了。
人形を立たせてその周りに魔方陣を描く。私が、この魔法を発動させれば、人形の中で魔力が循環し始め、動き出すはずだ。
「……お願い、動いて」
バチィと電光が走りる。術は発動した。
「どう、かしら……」
恐る恐る人形の前に立つ。私が人形の顔を覗き込むと人形はゆっくりと動きだした。
「ア…リ…ス」
「そうよ!私がアリス。あなたの生みの親」
「ワタシ……ナマエ……」
「そうね、あなたの名前はモリオン、モリオンよ」
「ワタシ……モリオン」
モリオンはぎこちなくではあるが、きちんと私の言葉を理解しながらしゃべっているようである。
早速何か命令してみることにする。
「モリオン。部屋を片付けてくれるかしら?」
「ヘヤ……カタヅケル」
私はモリオンに箒とちりとりを渡すと、床を掃くように説明する。するとモリオンは理解したとうなずくと私の説明したとおりに床を箒できれいにし始めた。
モリオンが不器用に箒でちりとりにゴミを掃きいれるのを私は椅子に座ってボーっと眺めていた。
人間としてはまだまだ程遠いが、これから改良を加えていけば……。
私はいつの間にか机に伏して寝てしまった。
魔界が燃えている。純魔法使い至上主義者のクーデターだ。魔法使い達が本を片手に王宮に向けて光弾を放っている。
夢子はどうしたんだ。あの、女はこいつらを止められなったのだろうか?
夢子がいた。広場にいる。近づいてみた。腕が無い。足も片方しかない。彼女は朽ち果てていた。
母を守ろうと、必死に抵抗した彼女の最後だ。
魔法使い達が王宮に攻め入ろうと必死だ。魔界で一番背の高い塔。そこが陥落するのも時間の問題だ。
母はどこだ。中だ。王宮の中、塔の最上階にいる。
部下はすでに母を守るために王宮の外へと出向いている。母も無傷ではない。しかし、それでも己の身体を奮い立たせ、来る敵を迎え撃たんと魔力を込める。
そのときだ。王宮の入り口が突破された。まもなく塔にも奴らが入ってくるだろう。
自分の命もここまでか、そう思ったときだ。
空が真っ黒に染まる。魔界に突如影を落とす。その影を引き連れてきたのは私。
影の正体は幾千、幾万の自立人形。
私が命令すると、影がいっせいに魔界へと降り注ぎ、神にあだなす愚か者どもを切り刻んでいく。
塵どもが、悲鳴をあげて、助けを求めるが知ったことか。私の自立人形たちは攻撃をやめない。
奴らの腕をもぎ、足を切り、首を刎ねる。奴らも抵抗するが、人形の数は奴らの数倍。圧倒的な数に押し切られて間もなく魔界に巣食っていた寄生虫どもは駆逐された。
残ったのは私の作った。自立人形と、母だけ。
塔から出てきた母を私が迎えるのだ。
ああ、どんな顔をするだろうか?早く会いたいな。早く出てきて。そして私を抱きしめてよ。ねぇ。
ガシャン!
現に引き戻された。
何事だと思って眼を擦ってよくみると、モリオンがゴミ箱を倒す音だった。
「なにこれ??」
部屋はめちゃくちゃだった。棚に積んであったマジックアイテムは床に落ちてバラバラになっている。
モリオンはそれをちりとりで集めると、ゴミ箱に突っ込む。いっぱい担ったゴミ箱は倒れ、また塵が散らかる。そしてまた、モリオンはそれをちりとりと箒で不器用にあつめ始める。
「な、何やってるの!?」
「ヘヤ……カタヅケル」
「これは片付けるとは言わない!散らかしてるだけよ!」
私が止めようと、椅子から立ち上がるよりもモリオンが近く似合った棚をひっくり返すのが先だった。おいていたものがしこたま割れた。
「ああ!」
「ヘヤ……カタヅケル」
棚に飾ってあったのは、母が魔界を出るときにくれたティーセット。私は必要ないを意地を張ったが「魔法使いだってお茶くらい嗜むものよ」となかば無理やり持たされたものだった。
結局私はお茶を毎日飲むことになるのだが、母のくれたティーセットはもったいなくて使えなかった。私を勇気付けてくれるようにこうして研究室に飾っていたのだ。
「ヘヤ……カタヅケル」
「や、やめて、もういい」
「ホウキデハク」
「やめろ!」
「ヘヤ……カタヅケル……」
「止まれって言ってるでしょ!!止まれーーーーー!!!」
私の怒号と共にモリオンは動きを止めた。私は割れたティーセットのかけらを集めるとテーブルの上に避難させた。
「いい、モリオン。私は箒で床を掃けっていったのよ。棚をひっくり返せとは言ってないわ」
私は勤めてやさしく語りかけた。モリオンはまだ、子供なのだ。失敗もある。きちんと説明すれば、次は同じ間違いを犯さないはずだ、そう思って。
だが、私がどんなに話しかけてもモリオンはうんともすんとも言わない。
「モリオン?しゃべって。もう、止まれはおしまい。おしまいだから。お願いしゃべって」
しかし、どんなに私が話しかけてもモリオンが再び私の問いかけに答えることはなかった。
「しゃべってよ。お願いだから……しゃべれって言ってるじゃない……」
目からあの日と同じ、しょっぱい液体が出てくる。ポロポロと床に滴った。
「なんで……なんで応えてくれないの?私はこんなに応えようとしてるのに……なんでよぉ……なんで私の娘であるお前は私に応えてくれないんだぁぁぁぁ!!!!」
私は目の前の作り出した娘を張り倒した。床に思いっきり叩きつけられたモリオンの頭部にひびが入る。
「お前みたいな出来損ないつれて帰ったら、また、私が馬鹿にされるだろうがッ!立てよ!立って動け!!」
倒れているモリオンの頭部を思いっきり踏みつける。何度も、何度も。
「クソ!クソー!!まただ、また馬鹿にされる……お前みたいな出来損ない……」
すでに頭部はバラバラに砕け中の黒水晶がむき出しになっている。私をその黒水晶めがけ力いっぱい足を振り下ろす。
「出来損ないだから……馬鹿にされる。お母さんがまた、馬鹿にされちゃうよぉ……」
私が幻想郷に来てから今日までの努力の結晶は硬いブーツのカカトによって粉々に砕かれた。
「私はもっと、出来なきゃいけないのに……おかあさんの娘として優秀じゃなきゃいけないのに……私は、私はお母さんの……」
“なんたって、アリスは私の最高傑作ですもの”
「うあああああああああ!!!」
私は人形の腕を掴むと思いっきり壁に叩きつける。
「私はお母さんの最高傑作なんだ!だから、最も優秀じゃないといけないんだ!14位じゃだめなんだッ!!一番をとらないと……ほめてもらう資格なんてないんだあああああ!!」
私は床に転がっている。モリオンの胴体に拳をつき立てた。渾身の力を込めて。
「私を馬鹿にするな!!お母さんの最高傑作である私をッ!!私を馬鹿にすることはお母さんを馬鹿にすることだ!勝手に住み着いた害虫どもが!!魔界を勝手に作り替えやがって!!お母さんの創ったものに手を加えるなああああ!!」
何度も殴っているうちに、拳の皮がむけ、血が噴出す。それでも構わず私は何もいわぬ人形の躯に拳を振り下ろし続ける。
「どうして、お前は出来損ないなんだ!?お母さんの最高傑作である私が創ったのに!!なんで、なんで!!」
人形の外皮は剥げ、骨格がむき出しになる。
「私の最高傑作で魔界を満たすんだ。害虫どもに代わって私の娘が魔界の住人になるんだ。夢子も、あの親切面してノートを貸してきた女もいらない!私とお母さんと人形だけあればいい!!」
腕が疲れてしびれてきた。
「お母さん……お母さんに会いたいよぉ……すごいじゃないって言ってもらいたいよ……私はあなたの最高傑作なんだって証明してあげたいよ……」
私の掴んだのは所詮ただの藁にすぎなかったのだろうか……。藁に結んだアブは誰の目にもとまらず、私はただただ滑稽だと笑われるだけなのか。
どうして私があの藁をつかんだのか。それは、輝いて見えたのだ。
昔、私が幼い頃、母が読んで聞かせてくれた人形遣いの物語。夢中になって、自分も使えるようになりたいと頑張った。
本で調べ、やり方を学び、見よう見まねで披露した幼稚な人形劇。あのときほど母が驚いた顔したのを私は見たことがない。
どんな、すばらしいオーケストラの演奏をきいた後よりも嬉しそうな笑顔。スタンディングオベーションのあと、私を抱き寄せ、「流石私の娘だわ」といって何度もキスしてくれた。
あの日の思い出が、今にも朽ちようとしている藁をそれはそれは美しい黄金の藁に見せたのだ。
―10―
私はベッドの上にいる。あれから、どれくらいたっただろう。
疲れて寝て、夢をみて、それで泣いて、また疲れて寝る。それの繰り返し。外が、何回明るくなって暗くなったかもうわからない。
自立人形作りが失敗に終わってから私はずっとこのベッドの上ですごしている。
もう界誕祭は終わっただろう。帰ってこなかった娘を母はどう思っただろう。失望しただろうか。もしかしたら、あのノートを貸した女が私にとって代わって母の娘になっているんじゃないか?そんな妄想まで浮かんできた。
そう考えると、また目から涙が出てくる。母の事を思うといくらでも出てきた。
疲れてから寝ると決まってやさしい母の夢を見る。頭を撫でて、リンゴジュースを飲ませてくれる。夢がさめると、それが夢だったことと母が恋しくてまた泣いてしまう。
もうどうしようもなかった。私はこの涙の螺旋から抜け出せない。そう思った。
そんなある日、その螺旋を破ったのは、ドアを激しくノックする音だった。
「アリスー!私だー。霧雨魔理沙だ!」
無視しようと思ったがあまりにしつこいので、出ることにした。ずっとベッドの上で横になっていたから身体が重い。
ドアまで行き、鍵を開けると、魔理沙がドアをあけた。
「よう、久しぶりだな!元気にしてたか?」
「別に……」
「目赤いな……徹夜明けか?」
「……まあね。で、何のようよ?」
露骨に嫌そうな私の態度に少し魔理沙はたじろぐ。
「いや、もう桜も見納めだろ。だから、アリスもどうかなって……今年は一回も花見参加して無かったからさ」
桜……見納め……もうそんな時期かと思った。私がベッドの上ですごしている間も世界は回っているんだなと実感した。
「どうだ?今から。席なら取ってあるから心配ないぜ。酒もある。たまにはぱーっといこうぜ」
アルコール、脳を麻痺させ正常な判断を鈍らせるもの。だが、今はこの頭が働かなくなれば少しは楽になるだろうか。
「……まあ、いいわよ」
「ホントか!よし、……と、そうだ。アリスに一つ頼みがあるっていうか」
「なによ」
「なんでもいいから、アリスのもの一つ貸してくれないか?できればポケットに入るくらいのかさばらないようなものがいいんだけど……」
「何に使う気?」
「今日、霊夢にまた、弾幕勝負を挑むんだ。今回は今までと違う。一ヶ月みっちり修行した。それで、その、お守り代わりというかさ……」
はあ、と私はため息をつく。「ダメか」とせがんでくる魔理沙をみて、仕方なく「まってなさい」といって家の中に戻った。
どうせ、ボロボロになるんだ。いらないものをやればいい。部屋を色々見渡したが、なかなか適当なものがみつからない。
タンスの引き出しをあさっていると、青いリボンがでてきた。昔よくつけていたものだ。これなら、かさばらないし、丁度よいだろうと、それを持って魔理沙の元に戻る。
「こんなんでいい?」
「おお!いいぜ!きれいな色だな。幸せを運んでくる色だ」
ポジティブシンキングすぎるだろう。それは、私が人間だった頃につけていたもの。決して一番に慣れなかった私の過去の残骸。どこまでも人間なお前にはふさわしかろう。
魔理沙は私がくれてやったリボンを腕に結びつけると嬉しそうに笑ってみせた。
「じゃあ、行こうぜ。箒、後ろ乗れよ。すぐに神社までつれてってやるぜ」
「いいわよ。自分で飛べるし」
私は断ろうとしたのだが、魔理沙は「いいからいいから」と強引に私に箒を跨らせる。
「しっかりつかまっとけよ」などとかっこつけてから、空に舞い上がる。
箒は確かに速かった。森がぐんぐん遠ざかる。十分もすると、博麗神社が見えてきた。
神社には散りかけとはいえ、見事としか言いようのない美しい桜が咲き乱れていた。
その桜の木の下に、鬼や天狗、神々が腰を下ろして、一杯やっているところだった。
魔理沙が戻ったのに気が付いたらしい、河童の女が手を振ってくる。
「ただいま」
「おかえり、席は取ってあるよ。こっちこっち」
河童に連れられ神社の隅にあるこじんまりとした桜の木の下にランチョンマットがひいてある。
その上に弁当箱と酒瓶が乗っていた。
「さあ、アリス、座って飲もうぜ!」
「よろしく、アリス。私河童のにとり。もう、花見も今年はこれで最後かもしれないしパーッと盛り上がろう!」
にとりと名乗った河童は私にグラスを手渡すとそれに並々と酒をついだ。
「ささ、飲んで飲んで。鬼がいくらでも酒のでる瓢箪を持ってるから飲み放題だよ」
私はグラスの酒を一気に煽った。アルコール度数の強い酒は私の喉をやきながら腹の中に落ちていった。
「おーいい飲みっぷりだね!」
にとりは気に入ったと肩に手を回してバンバン叩いた。
「酒にはおつまみがひつようだろ?ほら、私の作ってきた弁当だ。食えよ」
「まー、魔理沙ったらこんな美味そうな弁当まで作れちゃって……こりゃ将来いいお嫁さんになるね」
「止せよ、恥ずかしい」
魔理沙は照れくさそうに笑ったが、彼女の作ってきた弁当はなかなか立派なものだった。ゴマの振りかけられたおにぎりに、キノコ炒め、卵焼きにきんぴらごぼう、鳥のから揚げなんかもある。
私は久しぶりの食事だからか、鳥のから揚げを一つ箸でつまむと口に入れる。冷めてはいるが、下味がしっかりとつけてあり、衣と肉の食感が心地よい。もう一つつまみパクリと一口。
「どうだ?美味いだろ!」
「……そうね」
「はっはっは、だろだろ」
私はから揚げを酒で流し込み、おにぎりに手をつける。俵状に固めてあるおにぎりは結構塩気が利いていてそれだけでも十分おいしい。ゴマの香ばしさもプラスされていて飽きない味付けになっている。
魔理沙とにとりも弁当にてを付け始めた。
「さあ、みんな飲んで飲んで」
にとりがなくなったらなくなっただけコップに酒を注ぎ足す。
「私はこの後のビッグイベントの為にちょっと酒は控えるぜ」
「おっと、そうだったね。期待してるよ盟友!で、いつ仕掛けるよ?」
「まあ、今はまだ幹事として急がしそうだし、もうちょっと落ち着いてからかな?」
私は二人がそんなことを言っている横でキノコ炒めを魚にドンドン飲み進めていた。キノコのシャキシャキとした食感がたまらない。甘辛く味付けされているのも評価できる。
私たち三人が隅っこでこじんまりとやっていると、中央のほうで、ちっこい鬼が大きな声で、
「おーい、紫がマグロ持ってきてくれたぞ!!」
といったので皆の視線が一斉に集まる。
八雲紫が外の世界から持ってきたであろう。大きな魚は、呼ばれて出てきた白玉楼の庭師が、自慢の太刀であれよあれよと捌いていく。その見事さに神社中から拍手が沸き起こるほどだ。
庭師によって薄く切り分けられたそれは、参加者全員に均等に配られた。醤油に山葵をのせて生でいただく。マグロ刺身は生まれて初めてだった。
私たちも刺身を貰おうと順番待ちをしていると、私はある一点に目を奪われた。
雨の日の灰色の風景の中唯一人の目を射止めることのできるアジサイのように彼女はいた。
パチュリー・ノーレッジは神社で一番大きな桜の木の下で、吸血鬼と白玉楼の主がすわっているシートに一緒に座って真っ赤なぶどう酒をガラスコップで舐めるように飲んでいた。
私は、せっかく周り初めていた酔いが吹き飛んでしまった気がした。彼女に見つかる前に早くあの居心地のいい端っこの小さな桜の木の下に戻りたいと思った。
刺身を受け取り、席に戻るとき、私はもう一度あの大きな桜の木の方をむいた。
目が合った。彼女も私の存在に気が付き、視線をそらし、コップのぶどう酒をまた舐めた。
私は、どうにも、気まずくて仕方なくなり、席に戻ってからまた、酒を煽った。
刺身は、油が乗っており弾力がある。それでいて硬くなく、咀嚼するとうまみが湧き出してくる。山葵のツンとした香りが合わさった上品な味の醤油がよくマッチしている。
これがまた、酒とよく合うのだ。あっという間に刺身を平らげ、再び魔理沙の弁当に手を伸ばそうとしていたとき、
「そろそろだな!よし!」
「お、いよいよだね!私も、ちょっと、いい席に移動するかねぇ」
魔理沙が立ち上がり、霊夢のいる中央を向いた。
「アリスはどうするんだい?」
「私はここでいいわ」
「そう?」
別に魔理沙の弾幕勝負に興味はないので私はここで静かにお酒を飲んでいたかった。
「アリス。行って来るぜ!」
「……がんばって」
魔理沙が手を振ってきたので、だるそうに振り替えしてやった。
こんな大勢の前で恥をかくことになるというのに元気なものだなと思った。
「霊夢!今日こそ決着をつけてやるぜ!」
漸く酒にありつけたと鬼にお酌されている最中の霊夢は恨めしそうに魔理沙を睨むと、
「決着ならついてるわよ。私のほうが強いって」
とはき捨てた。
「ああ、そうだな。だが、そいつは昨日までの話。今日でその歴史は塗り代わるぜ!」
「はあ……あんたねぇ」
霊夢がめんどくさそうに何か言おうとしたが、お酌をしていた鬼が「いいじゃないか!宴が盛り上がる。ほうれ、一戦やりあってこい」と霊夢の肩をこずいたので、彼女はしぶしぶ立ち上がった。
それを見た天狗が、
「おーっと弾幕バトルの勃発だ!努力の魔法使い霧雨魔理沙は、天才、博麗霊夢を倒すことはできるのか!?」
とまくし立てる。
それにつられた花見客もなんだなんだと魔理沙と霊夢に顔を向ける。
「おー、弾幕勝負か!」
「いーね!霊夢が戦うところが見れるのかい?」
「たまには、巫女の負けるとこも見てみたいな」
「おら、白黒!頑張れよ!負けんじゃねーぞ!」
客たちは好き勝手あおり、場を盛り上げる。これでもう、二人は戦うしかなくなったのだ。
会場の空気は魔理沙よりだろうか。霊夢が強いことは皆よく知っている。そんな霊夢が勝ったのではドラマがない。
みな必然的に魔理沙を応援するのだ。
「あらあら、すっかり悪ものね、私」
「ついでに言うと正義は勝つんだぜ」
「あら、いいこというじゃない。勝ったほうが正義ってことでしょ?」
霊夢はうーんと背伸びをした。これが彼女の準備体操だ。どうやら霊夢もやる気らしい。
「お酒飲まなくていいの?負けたときの言い訳ができないわよ」
「ふん、お前とやるために控えてたんだ、今更飲むかよ!お前こそ飲んでないだろうな?」
「生憎忙しくて今日は一滴も飲んでないわよ。なんなら、酔った状態でやってあげましょうか?」
互いに相手を挑発し合う。口げんかでは霊夢の勝利か。
決闘をせかす声が回りからちらほらと聞こえはじめ、漸く地面から飛び立つ。二人はどんどん空高く上っていき小指ほどの大きさになってしまった。
「桜が散らないようにとっとと終わらしてあげる」
「桜と共に散らしてやるよ!」
その言葉が合図だった。
魔理沙の周りに光の弾が散らばる。これまでに見たこともないスペル。
「……へぇ、今日は本当にいつもと違うのね」
「ああ、油断するなよ」
光弾からはさらに小さな光の弾が放たれ、魔理沙の発した光に空が埋め尽くされる。避ける隙間もないのではと、思うほどの弾幕。しかし、霊夢はいつもの涼しい顔で縫うように弾と弾の間を掻い潜る。
だが、魔理沙も霊夢の進行ルートに光弾を集め、身動きが出来ぬように閉じ込める。完全に包み込んだ!そう思ったのもつかの間、そこにはすでに霊夢の姿は無く、魔理沙の真上に移動していた。札と針の雨が魔理沙に降り注ぐ。
魔理沙もこの動きを予想していたのだろうか、箒を華麗に操り、攻撃をかわしきる。霊夢の雨域を脱したときには、すでに新たな魔法が発動していた。四方八方から、霊夢に目掛けて細長い楕円の光の弾が襲い掛かる。
旋回、急降下、霊夢に弾は当たらない。
だが、霊夢にしては、やたらと派手な動きだ。今日の魔理沙の弾幕は余裕を持って避けれるものではないということか。
上空の二人の攻防を見て、花見客はこれまでにない盛り上がりを見せる。
声を張り上げ、上空の二人にエールを送る者。二人の攻防に悲鳴交じりに一喜一憂する者。二人の勝敗を賭け事に利用する者。魔理沙のほうがオッズは高い。
酒の勢いと春の陽気が加わり、神社の熱気は尋常ならざるものとなった。
私はというと、相変わらず、神社の端っこで酒を飲みながら遠巻きに二人の戦いを見ていた。いや、二人の戦いというより、戦いに夢中になる花見客、すっかり空の二人に主役の座を奪われたさびしげな桜、それらのコントラストをぼーっと眺めていた。
空は色とりどりの光弾が散らばり、その中を舞い狂う少女たちの舞踏。一発当たれば当たれば終わりの儚さ故の美しさ。
人々が視線を奪われるのもうなずける。上空の戦いの激しさで桜の花びらが舞うが、それらに風情を感じている者がどれほどいるだろうか。
酒を注いでくれていたにとりが何処かへ行ってしまったので、自分で注がなければならないのだが、どうもこの戦いを眺めているのが心地よい。いつかは終わりを迎えると解っているもののこの時が永遠に続けば良いのにと感じた。
私が空のコップを手に呆けてこの宴を見ていると、視界に何かがチラついた。
ゆっくりと、アジサイが私のほうへと近づいてくる。戦いの熱気に染まっていないひんやりとした薄紫。
「となり、いい?」
パチュリーは私の隣に座りたいらしい。彼女が座ってもいいのか私にはわからなかったので黙っていた。
彼女はすこし、躊躇ったが、私の横にそっと腰を降ろした。
「あ、あのね……」
彼女はモゴモゴとしゃべる。花見会場の騒がしさで聞き取りにくい。
霊夢相手に魔理沙が善戦している。会場で魔理沙コールが沸き起こる。
「私……あなたに……」
どこへ行ったのかと思っていたにとりは神社の屋根に上って魔理沙に声援を送っている。
パチュリーの声は良く聞こえない。もっと、大きな声でしゃべるべきだ。
ああ、魔理沙が戦っているのか。私がやった蒼いリボンを腕につけて……。
「ごめんなさい」
聞こえた。パチュリーの湿った少女の声だ。
「え?」
「私、あなたに不快な思いをさせてしまった……だから誤りたいのごめんなさい」
どういうつもりだ。お前に非なんてなかったじゃないか。よく思い出してみろ。誤るのはお前じゃないだろう。
客たちの間から悲鳴が上がる。善戦しているようにみえた魔理沙が一転ピンチに追い込まれていた。それも、そうだろ、魔理沙ははじめから全力で飛ばしていた。人間の彼女には魔力に限界がある。それが、尽き掛けてきただけだ。それに比べ霊夢はまだ十分な余力を残している。
「私の余計なおせっかいのせい……私、少し思い上がっていたんだわ。どうか許して欲しい。本当にごめんなさい!」
ぶん殴ってやろうかと思うくらい彼女は誠実に私に謝ってきた。
どうしてお前はこうまで慎ましくあるんだ。どうして、私にそう深々と頭を下げれる!?それじゃあ、私が……。
拳より先に言葉が出た。
「い、い……もう、気に、してない……から」
ごめんなさいは言えなかった。それでも、その言葉を聞いた彼女はパァと明るい表情になり、「ありがとう」といってきやがった。
会場は魔理沙がピンチを掻い潜るたびに安堵とそのしぶとさに沸いた。彼女が勝ったならどんなにすばらしいだろうと皆が期待しているようだった。
「あ、お二人とも仲直りできたんですか」
パチュリーの使い魔がにこやかに話しかけてきた。パチュリーが「ええ、許してもらえたわ」というと「よかった」と破顔した。
違うのに、許すのは私ではないのに……どうして、苛立たないのだ。何故私を責めないのだ。私はあなたの善意を踏みにじったというのに。蔑み、罵るのに十分な理由じゃないか。
何故しない。どうして、私を許したりなんかしたんだ!?
「じゃあ、仲直りもすんだみたいですし。乾杯しましょう。乾杯」
赤い髪の悪魔が私とパチュリーのコップに酒を注ぐ。
体が寒い。嫌な汗が吹き出る。手が震えてきた。
「えー、では、お二人の友情に……乾杯!」
カチンとグラスが鳴った。私の手からコップがすり抜ける。
「きゃ、ごめんなさ……アリス、大丈夫?顔真っ青よ!?」
胃の中が沸き立つ。口の中に冷たい粘り気の無い唾がこみ上げてくる。
私は、口を押さえて立ち上がり、彼女の元から、離れた。
私は熱気渦巻く花見会場を横切り、神社の外を目指してフラフラと歩いていく。
「白黒ー!負けんな!いけるぞ!!」
胃の上の辺りが痺れる……。呼吸が浅く早い。苦しい。
「あきらめんな!向こうも疲れてんぞ!」
声援が頭をガンガン揺さぶる……。
「魔理沙ーがんばれーーーー!!」
やめろ、やめてくれ!彼女を応援するな!
頭がくらくらする。これは何だ!?
酒の飲みすぎなのか?
「あっぶねー!ヒヤヒヤさせやがる!」
鈴蘭の毒か、アジサイの毒か……?
「もっと、攻めろ!攻撃しなきゃ勝てないぞ!」
はたまた、白黒キノコの毒なのか……
花見客たちはまだ、魔理沙の勝利を信じている。
きっと、薬がきれたんだ……これは禁断症状なのか?
「う゛……」
とうとうこみ上げてきたものを押さえきれなくなり私は盛大に嘔吐した。
「うぇ、おえええええええ」
私は歩きながらはき続けた。大量に飲んだ酒としこたま喰らった弁当が濁流のように流れ出た。
苦しくて、深いで、頭が割れそうだった。私は神社の声援から逃げるように、そこへ足を踏み出していた。
「あ……」
全体重をあずけた一歩の先、地面は無かった。いつの間にか私は神社の石段のところまで、たどり着いていた。
バランスを崩した。視界がグワンと揺れて、私の頭は石段に叩きつけられた。
飛べばよかったのだろうが、どちらが上かわからない。空が下。地面が上。上が下になり地面が空になる。
全身をいびつな石の段差が叩き砕いた。
グルグルグルグル、世界がまわった。
ようやく、世界が安定を取り戻したとき、私は石段の一番したまで転げ落ちていた。
全身に吐瀉物が絡まり、衣服は泥にまみれ、体中傷だらけの血だらけになって。
頭にくちばしが突き刺さっていると思った。だって、暖かいものが、甲板に溢れてきていたから。
視界がかすむ、それは、涙のせいなのか、大事な血管が破れてしまったからか……。
体が冷たい。痛みが薄れる。
だんだんと意識が遠退いていくのがわかった。
神社の上で人々がドッと沸いた。
徐々に狭くなる視界に、影が一つ神社の方へと落ちていくのが、最後に見えた。
―終わり―
アリスは全てを吐き出しましたね。
とんだマザコンだった事。
誰よりも夢に酔っていた事。
人間の思考を、嗜好を捨てられなかった事。
ゲロって死んだ気になれば、次の日には生まれ変わった自分が宜しくやるさ。
面白かったです。折角いい感じで終わりそうになったのにゲロで台無しとは
アリスカワイソス
儚き夢に死ぬまで絡まり続けるのか──
今年の2月は長かったですね☆
やはり挿絵があると内容が一層際立ちます!
ロリスちゃん可愛い〜
そして吐いてるアリスも☆
嫉妬するわ〜。
最初の絵、背景が秀逸。
アリスたんも可愛い。
アリスちゃん、自分でもそう思ってるだろ?
そんな目つきだぞ☆
構成上手過ぎるでしょ…!
まだ死なないで欲しいな。死んだらみんなが悲しみますものね。アリスのことで苦しむのはアリス自身だけでいい。
最初から魔界時代の終わりまで、そして界誕祭発覚以後はとくに引きこまれました。
まだまだ続いて欲しいと思った作品は久しぶりです。ありがとうございました。