妖怪の山が見える。
麓に目を凝らす。
森の中を散策する二人の女性がいた。
秋静葉と穣子。秋の神の姉妹だ。
二柱はにとりがマツタケ等秋の味覚のお返しに贈呈した特製のルーペで、木の根元や草の葉を観察している。
今は三月。
まだ日陰に根雪が見える時分だ。
彼女達は春を探していた。
成熟を司る姉と豊穣を司る妹。
葉を赤く染めるにも、たわわな実りをもたらすにも、
肝心の芽吹きが無ければ始まらないからである。
麓からしばらく行くと、木々が疎らになっている場所がある。
そこで輪舞を踊っている女性がいた。
厄神の鍵山雛だ。
雛はクルクルとしばらく回ったかと思うと、おもむろに静止して、
にとりがプレゼントしたオペラグラスで周囲を見渡した。
やがて一点を見つめるとオペラグラスをしまい、そちらに移動して、再び回りだした。
厄を見つけたのだろう。
視線は壮観な瀑布、九天の滝に移る。
滝つぼの側に生えている一本の木。
滝を見渡すのに絶好の位置。
だが、その木の枝に腰掛けた新聞記者、射命丸文は滝ではなく、帳面を見ていた。
文のネタ帳である文花帖である。
カメラもそうだが、遠視気味の文が近くを見るためにかけている眼鏡も、にとりがオーダーメイドで仕上げたものだ。
熱心に読み物をしている文からは、普段のパパラッチ振りが感じられなかった。
山頂に神社が見える。
守矢神社だ。
守矢神社に通じる整備された参道。
その参道を登る人影が見える。
守矢の二柱の神に仕える風祝、東風谷早苗だ。
早苗は、抱えていた大きな紙袋から顔を覗かせていたセロリを取り出し、
ポリポリ齧りながら長い参道をのんびりと登っている。
参道の中ほどまで来たところで、セロリを食べ終えた早苗は立ち止まり、
ポケットからコンパクトを取り出して口元を見ている。
セロリの繊維が歯に挟まったのか。
このコンパクトはにとりが外界の知識のお礼に、早苗に作ってやったものだ。
鏡はリバーシブルになっていて、ひっくり返すと凹面鏡になっている。
再び視線を守矢神社に戻す。
境内では、乾の神様、八坂神奈子が御柱の手入れをしていた。
神奈子は台に御柱を横たえると、透明な小さい筒が横向きに取り付けられた道具をその上に置いた。
これは、にとりが日曜大工に精を出す神奈子に献上した水準器である。
神奈子は水準器内の水泡が中心より若干ずれているのを見て取ると、
水準器をどかし、御柱にサンドペーパーを二、三往復させた。
削った面に再び水準器を置くと、水泡は見事に中心に位置した。
それを見て、神奈子は満足そうな笑みを浮かべた。
守矢神社の裏手に水溜りがある。
坤の神様、洩矢諏訪子はそのにごった水溜りをしゃがみこんで見つめていた。
諏訪子はスポイドでにごり水を採取して、小さな硝子板に一滴垂らした。
次にスポイドを傍らに置き、代わりに顕微鏡を取り上げ、硝子板をセットした。
この顕微鏡は、にとりから好奇心旺盛な諏訪子へ献上した品である。
諏訪子は顕微鏡のツマミをいじりながら覗き込んでいたが、
舌なめずりをすると、先程置いたスポイドを手に取り、
中の液体を口に垂らした。
ミジンコやゾウリムシがおやつ代わりなのか。
視線は山頂から中腹の森に移る。
白い影がいくつか高速で飛び跳ねている。
白狼天狗の哨戒隊だ。
先頭を行くのは、小隊長の犬走椛だ。
椛が動きを止め、右腕を挙げると、後続の白狼天狗達は椛の側で静止した。
椛は首から下げていた双眼鏡で前方を見ている。
この双眼鏡は、にとりが恋人の椛に逢瀬の際に贈ったものだ。
にとりが寝物語に千里眼の話をねだった時、椛が千里眼の能力は疲れると言っていた事を覚えていたのだ。
以降、椛はこの双眼鏡を愛用の剣鉈と共に、肌身離さず持ち歩いている。
不意に、椛が空を見上げた。
こちらを見つめた。
目が合った。
気がした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ひゅいっ!?」
椛と目が合った。
そんな筈はない。
河城にとりは、
幻想郷某所にある、
八雲紫の秘密ラボにいるのだから。
幻想郷の管理人、八雲紫は、職人気質の河童達の中でも抜きん出た技術力と柔軟な発想を持つにとりを招聘して、
極秘プロジェクトを立ち上げた。
それは、幻想郷を監視する人工衛星の開発である。
といっても、外の世界と異なる理屈がまかり通る幻想郷。
宇宙空間は空の延長上にあり、大気があるので、
実際は、超高高度を飛翔する無人偵察機を開発することとなった。
にとりが自ら硝子を磨き上げて作り上げたレンズを使用した光学機器は、
鳥等に式を宿らせて、対象の至近まで近寄らせ、使い捨てる覚悟で運用する、
非効率的な偵察任務を過去の物にしてしまった。
にとり製の機器を搭載した巨大な鳥のような、紫特製の式。
その名も『鳳』(おおとり)。
紫が起動のまじないを唱えると、鳳は飛翔。
幻想郷の空に舞い上がっていき、途中でその姿を消した。
搭載されている、にとりが改良した光学迷彩が作動したのだ。
管制室のモニタには、鳳の見たものが映し出されている。
やがて、高みに至った鳳は、視線を大地に向けた。
にとりがわが子同然の愛情を注いで磨いたレンズは、幻想郷を隅々まで見通すことができた。
最初の目標が妖怪の山であったので、動作チェックを兼ねてお山の知り合い達を観察してみた。
みんなの日常に、自分が作った物が溶け込んでいた。
嬉しかった。
職人冥利に尽きる。
それを見ているのは、自分の最高傑作。
にとりは、感無量になった。
実は、
もう一つ、
紫が、にとりに内緒で積み込んだサプライズが、鳳に搭載されていた。
紫が操作盤にキーを差し込むと、
透明な防護板が引っ込み、中のボタンが露になった。
紫は一呼吸入れた後、
ボタンを押し込んだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それは、光だった。
秋姉妹は、木々に芽吹いた新たな命に歓喜していたため、天空の光に気付かなかった。
雛は、厄を集め吸い取るのに忙しく舞っていたため、天空の光に気付かなかった。
文は、文花帖をめくり、ネタの精査に忙しいため、天空の光に気付かなかった。
早苗は、牛肉や西洋の香辛料が手に入ったので、
晩御飯はビーフシチューにしようとレシピを脳裏に浮かべて、
周囲への注意が疎かになっていたため、天空の光に気付かなかった。
神奈子は、御柱の手入れが終わり、次は注連縄のメンテをしようと、
背中から降ろした注連縄のほつれを除くのに夢中になっていたため、天空の光に気付かなかった。
諏訪子は、水溜りに見つけた眷族の子供達――すし詰め状態のおたまじゃくし――を、
愛用の帽子に掬い入れ、それを両手で抱えて湖に向かっていたため、天空の光に気付かなかった。
だから、
空を見つめていた椛だけが、
天空の光に気付き、
驚愕の表情を浮かべることができた。
にとりが精魂込めて拵えたレンズは、
光を何倍、何十倍、何千倍、何万倍にも増幅した。
その熱量も然り。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
博麗神社。
楽園の素敵な巫女、博麗霊夢は、
普通の魔法使い、霧雨魔理沙と、
縁側でお茶を楽しんでいた。
「平和ね」
「ああ、平和だ」
ぼけ〜。
「退屈ね」
「ああ、退屈だ」
ぼけ〜。
「異変でも起きないかしら」
「博麗の巫女様が物騒な事言うな」
「じゃあ、こう、あっと驚くようなこと、起きないかしら」
「そういや、にとりが紫に雇われて何か作ってるそうだぜ」
「それが、あっと驚くようなこと?」
「驚かないか?」
「驚かないわね」
!!
「魔理沙!! 伏せて!!」
「!?」
二人は湯飲みを投げ捨て、
それらが地面に叩きつけられ、粉々になる頃には、
魔理沙は縁の下に潜り込み、帽子のつばを両手で引っ張り、目と耳を保護した状態でうつ伏せになり、
霊夢は防護結界を発動し終えていた。
天と地を繋ぐ光の柱。
僅か数秒間。
光が消えた時、
光が降り注いでいた妖怪の山が、
轟音を伴いながら、
これもまた、
消え失せた。
結界によって、閃光と衝撃波を凌いだ霊夢は、
「紫……、何やらかしたのよ……」
ひとりごちた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これで、増長した守矢神社も、着々と軍備を整えつつある天狗も一掃することができた。
このピンポイントの攻撃で巻き添えを食ったものは、『許容範囲内』。
今後も幻想郷の平和を脅かす輩は、博麗の巫女が出張る前に、
見えざる鳳が放つ正義の鉄槌によって消え去ることだろう。
紫は、破滅の光がもたらした戦果に満足した。
自分が創り出した物で、
河童の一族が、
気の良い神々が、
飄々とした天狗が、
恋人が、
一瞬で消滅した。
にとりは、涙を流した。
トイレの個室で号泣した。
にとりは、手ぬぐいを裂いて即席のロープを作り、
それの両端に輪を作り、
小さい輪をトイレのドアについている上着掛けに、
大きい輪を自分の首にかけ、
ドアにもたれかかると、
床で踏ん張っている足を滑らせ、
全体重を首にかかったロープにかけた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
にとりの死に、彼は悲しんだ。
涙を流して悲しんだ。
涙で何も見えなくなった。
「鳳、応答しません!!」
「藍!! 原因を調査しなさい!!」
「はい、紫様!!」
紫の式、八雲藍は操作盤をいじり、表示板を凝視して、
鳳の不具合の原因を調べ上げた。
「分かりました!!」
「何だったの!?」
「結露です!! 密閉した機器内で結露が発生しました!!」
「結露、ですって!?」
「はい!! 機器内の水蒸気が凝縮して水滴となり、レンズを曇らせ、電子部品をショートさせたようです!!」
「なんてこと……」
悲しみにくれた彼を捕捉することは、彼が身に纏う隠れ蓑のおかげで、何人にもできなかった。
彼は、最後に、親であるにとりの夢を見た。
それはそれは、素敵な夢だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夜の博麗神社。
楽園の素敵な巫女、博麗霊夢は、
普通の魔法使い、霧雨魔理沙と、
天から降り注ぐ光と、
その中に現れた妖怪の山を見ながら、
酒を酌み交わしていた。
天と地を繋ぐ光の柱。
僅か数秒間。
光が消えた時、
その中の妖怪の山も、
静かに、
消え失せた。
「こんばんわ、お二人さん」
空間に唐突に現れたスキマから、八雲紫が身を乗り出していた。
霊夢は杯を置くと、紫の側に向かった。
「あんた、最近来ないから、どっかでくたばったかと思ったわ」
「あら、ご挨拶ね」
「はぁ、でも、これで私の用事が果たせるわ」
「ん、なぁに?」
霊夢は、
紫の右頬に、
左手の拳を叩き込んだ。
バギィッ!!
「ブギャッ!?」
紫はスキマから転げ落ちた。
「な、何!? 何事っ!?」
紫は地面にへたり込み、頬を押さえながら混乱していた。
霊夢は既に何事も無かったかのように杯を傾けていた。
「何よ!? 私が何したって言うのよっ!!」
座り込んだまま絶叫する紫の眼前に、
何時の間にか魔理沙が無表情で立っていた。
「魔理沙!! 霊夢どうしちゃったの!? ねえっ!?」
「紫……」
魔理沙は、
紫の左頬に、
蹴りをお見舞いした。
ドガァッ!!
「グギャッ!?」
紫は地面を転がった。
「これは、私のおごりだ、とっとけ……」
「へ!? な、なじぇ!? わらひ、なんきゃひだの……!?」
魔理沙は霊夢の元に戻ると、やはり何事もなかったかのように酒を飲み始めた。
紫は、両方の頬を腫れあがらせて、ハテナマークを浮かべまくっていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
彼の夢は、光の中に現れた。
光の中に現れた妖怪の山では、消え去る前と同様の営みが再現されていた。
秋姉妹は、にとりが作ったルーペで見つけた木々に芽吹いた新たな命に歓喜していた。
雛は、にとりが作ったオペラグラスで見つけた厄を集め吸い取るのに忙しく舞っていた。
文は、にとりが作った眼鏡の位置を中指で直しつつ文花帖をめくり、ネタの精査に忙しい。
早苗は、牛肉や西洋の香辛料が手に入ったので、
晩御飯はビーフシチューにしようと完成品を脳裏に浮かべて、
にとりが作ったコンパクトの鏡に涎を垂らしたにやけ面を映していた。
神奈子は、御柱の手入れが終わり、次は注連縄のメンテをしようと、
にとりが作った水準器をケースに仕舞った。
諏訪子は、水溜りに見つけた眷族の子供達――すし詰め状態のおたまじゃくし――を、
愛用の帽子に掬い入れ、それを両手で抱えて湖に向かって走り出そうとする直前、
にとりが作った顕微鏡を忘れたことに気付き、それを小脇に抱えた。
だから、
空を見つめていた椛だけが、
にとりが作った双眼鏡を使うまでもなく、
天空から舞い降りたにとりに気付き、
驚愕の表情を浮かべることができた。
これは夢。
幸せな夢。
彼の親である、にとりが幸せな夢。
僕が
しあわせにする!
良作でした
ゆかりんのせいで妖怪の山は消滅いたしました。
そのせいでにとりたんが自殺されましたが、妖怪は精神的ダメージでお亡くなりになれます。