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『暴飲暴食、しかるに飽食』 作者: sako
「神霊を食べるなんて…悪食ね」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「この寺から出て行きなさい!」
「いーやーでーす! あの方から我々に与えられた使命は死守! 死んでるけど退きません!」
激しい雨が降り注ぎ、稲光が轟く深夜。
命蓮寺の裏手墓地は雷雨以外の音に満ちていた。荒々しい息づかい。踏みつけられる水溜まり。蹴飛ばされる砂利。そして、爆ぜる光弾。弾幕ごっこ。その音に満ちていた。
立ち並ぶ墓石の間を姿勢を低く走りぬけ、接敵。低姿勢から一転、屋根よりも高く飛び上がり刺突を繰り出す寅丸星。岩をも貫くような強烈な一撃であったが、しかし、それを避けも防ぎもせず甘んじてその胸に受け、そうして…
「にひ」
「!?」
唇を円弧に、笑を見せる宮古芳香。そのまま宮古は自分の胸を貫いている槍の柄を握りしめると、無造作に真横に振るった。自らの武器の柄で逆に打たれ、真横に飛んでいく星。完全に虚を突いた攻撃だったが、ダメージはあまりないのか星は空中で受身をとると墓石の一つに華麗に着地した。くそう、と悔しそうに宮古を睨みつけ、そうして…
「あっ!? しまった! す、すす、すいません!」
すぐさま飛び降りると、振り返り、墓標に向かって深々と頭を下げた。仏門に帰依する星にとって墓石とは障害物や着地台なのではなく、生きている人同様、上に乗ったり傷つけたりしてはいけないものなのである。
「よくも私にばちあたりなことをさせたな! 絶対に許さないぞ!」
「だったら、すぐここから立ち去れー お墓の上に飛び乗ることもしなくていいのに」
「むしろ、貴女がとっとと出ていきなさいッ!」
宮古の言葉にがぅ、と吠える星。宮古としては巧みな話術で寺に帰るよう促したつもりだったのだが、どうにもそれは失敗したようだった。むぅ、と唇を歪める宮古。
逆に出て行け、と言われても宮古は錆びついたように動きにくい首を横に振るしかなかった。何故なら宮古たちキョンシーは“あのお方”から何人たりとも霊廟に近づけさせるな、という命令を受けて冥府から黄泉帰ったのだ。その命令を無視して何処かに行ったところで命令以外の事を行える筈はないし、自分で考えて行動する脳みそも足りない。まぁ、何人かの仲間は命令をド忘れして何処かに行ってしまったのだが…今頃、道術の効果が切れてまた物言わぬ死体に戻ってしまっていることだろう。宮古はそんな風にはなりたくなかった。かりそめとは言え再び地上に生を受けたのにまたあの仄暗い死を体験するのは嫌だと生前の記憶もないのに宮古はそう思ったのだ。少なくともここにとどまり墓参りに来た人以外を追い返していれば“あのお方”の力で現世に留まっていられるのだ。だからこそ宮古は不退転の決意を持ってこの墓地を死守しているのだ。ただ単に他のことが考えられないとも言うが。
「いーやーだーねー 絶対死守&肉弾幸が我々の使命! あれ、玉砕はダメだっけ? 兎に角、とっとと立ち去れー 立ち去ればこれ以上、危害は加えない。そのツモリだ!」
「そうはいきません! 私も聖から留守を任せられているんです! 貴女のような不審な妖怪を院内に残しておけるはずがありません!」
今夜、命蓮寺の代表である聖白蓮は不在だった。贔屓にしてもらっているあるお家で不幸事があり、その弔いをあげるため白蓮は出かけているのだった。加え、かつて白蓮が人間たちの手によって法界に封印された際、後に残された寺を守れなかったという負い目があるせいか星もまた引くわけにはいかないのだ。
二人の弾幕ごっこはとうに三時間にも及んでいる。星は元より力の強い妖怪だし、宮古も疲れ知らずのキョンシーだ。戦いが長丁場になるのは必然だった。宮古は体中に傷を受け、星は降りしきる雨に過剰に体力を奪われているが、二人の弾幕ごっこの終わりは見えそうにない。
と、星は宙に印を切ると弾幕を展開。同時に地を蹴り、一直線に宮古に迫った。
純粋な戦闘力では星に軍杯が上がるが、前述通りこの場所で戦うのはあまりに星に不利だ。気をつけなければ先程のように墓石の上に乗ってしまったり体がぶつかって倒してしまうかも知れない。或いは勢い余って壊してしまうことも。その可能性は戦いが長引くほど上がり、また宮古の攻撃が墓石に及ぶ可能性も同時に上がる。かつて修行中の時、誤って墓石を壊してしまい、こっぴどく聖に叱られたことを内心で想起する星。三時間も板間で正座させられるのは流石にごめんだ。ここいらで終わらせる。そう考えての特攻。まさしく虎の疾さと強さで宮古に迫る星。
――寅符「ハングリータイガー」
「ぬぅん!」
弾幕と同時に突っ込むだけの単純ながらも強力なスペカを真正面から受けとめる宮古。衝撃を受けた手のひらが裂け、黒ずんだ血が噴き出る。宮古は全力でもって抑えるが勢いは星のほうが上だった。体は踏みしめた足で轍を引きながら徐々に徐々に後ろに下がっていく。その先は…崖だった。切っても撃っても突いても立ち上がってくる宮古を倒すために星は場外を狙ったのだ。正確に言えば場外乱闘。この場所で宮古の体を滅するほどの強力な法術や妖術は使えないが、場外なら…崖の下なら問題はない。相撲で言うところ押し出しの要領で宮古を戦いやすい場所まで突き飛ばそうという魂胆だ。
宮古もそれがわかっているのか、それとも墓地から離れる訳にはいかないと思っているのだろうか、リビングデッドらしく自壊を恐れぬ力を奮い起こし、押し出されぬよう堪える。膝が曲らないため突っ張るように踏みしめた足がずぶりずぶりと雨でぬかるんだ地面に沈み込んでいく。
「くっぬぬぬぬぬ…!」
軋む骨格。爆ぜる血管。引きちぎれる筋繊維。せめぎ合う二つの力。向かい合った力はけれど、相殺されることなく周囲に漏れ出す。斥力場。降り注ぐ雨ですらその圧力に弾かれ、墓地のその一角だけは晴天を見せる。だが、それも僅かな時間。先に示したように圧力と抵抗は拮抗しているわけではなく、僅かに圧力の方が強いのだ。そして、その差は星が力を込めれば込めるほど広がる。宮古の抵抗力はここが限界なのにもかかわらず。
「あっ、あっ、ああああ!」
ぱきり、という乾いた音と同時に宮古の腕の骨に亀裂が走る。折れた骨が腕の皮を突き破り先端を曝してくる。それでもまだ腕が形状を保ち力を込めていられるのは偏に宮古の不死性のたまものか。だが、折れた腕ではいつまでも星の攻撃を抑え続けることは出来ない。否、元より抑え続けることなど不可能なのだ。力の差が歴然としている。そうして、耐えられなくなり、ついに崩れた。
「「え?」」
宮古の体が、ではなく墓地のその一角、地面が。
そう言えば、と星は思い出す。ナズーリンが『裏の墓地の崖になっているところは近々補強しないと危ないな』と言っていたことを。こうも言っていた。『大雨が降ればぬかるんで崩れやすくなるから、雨天時は立ち入り禁止にした方が良いかもしれない』と。
だから、夕方頃、まだ雨が降り出す前に来た人に早く帰った方が良いと説明した事も。
そうして二人は崖崩れに巻き込まれてしまう。スライドしてゆく地面に乗ったままの二人はまるでアクションゲームの『落ちる足場』に乗ってそのまま落とし穴へと落ちて残機を減らすプレイヤーキャラの様だった。
「星っ!」
ぬあ、と朝日の眩しさに星が目を覚ますと、真っ先に視界に飛び込んできたのは涙で顔をどろどろにした水蜜の顔だった。そのまま水蜜に抱きしめられる星。ああ、自分は気絶していたんだな、と気がついたのはそれからもう少し経ってからだった。
「無事か、ご主人」
「ナズーリン…」
呆れ半分、安堵半分の顔つきで星を見おろすナズーリン。隣には胸をなで下ろしている一輪&雲山もいる。そして、
「聖…」
みんなから更に一歩後ろで白蓮はいつものように柔和な笑みを浮かべていた。けれど、星はその手が土に汚れているのを見逃さなかった。地面に埋まっていた星を掘り起こしたのは白蓮であった。
「心配したのですよ星。帰ってきたら貴女がいない。皆に聞けば私の所へ手伝いに行っていたのでは、という。本当にナズーリンが捜し物が得意で良かったですね。貴女を見つけるのがもう少し遅ければどうなっていたことか…後でみんなに謝っておくように」
「…ごめんなさいみんな。それに聖も。お墓を…荒らしてしまって」
涙を浮かべながら崩れた崖を見上げる星。墓地の一角は崖崩れに巻き込まれ無残な様を曝していた。
「いいのですよ。亡くなってしまった人より今生きている貴女の方が何倍も大事なのですから。さぁ、帰りましょう。傷の手当てをしないといけません」
言われて星は自分が大怪我を負っていることに気がついた。崖崩れに巻き込まれた結果だろう。いや、死ななかっただけ僥倖と言うべきか。星は一輪に肩を貸して貰い、雲山に支えられながら命蓮寺へと戻っていった。
「………」
その様子を宮古はじっと無言で眺めていた。
砕けた墓石と崩れた岩の間に出来たほんの僅かな隙間から。
崩落に巻き込まれた宮古は星と同様、生き埋めになった。生き埋め、というのが彼女の場合、正確な表現に当たらないかも知れないが。
むしろ、被害は力を受けていた側の宮古の方が酷かった。
大岩に挟まれた下半身。鋭く割れた墓石に切り裂かれた腹。零れた腸。片目は開けることが出来ず、もしかすると眼球は潰れているかもしれなかった。この時ほど、宮古は自分がアンデッドであることを感謝したことはない。生前ならこれだけの傷を負えば絶対に死んでいたであろうから。自分をキョンシーとして黄泉帰らせた“あのお方”様々だ、と宮古は主人に感謝した。
「よし、あいつらも行ったことだしそろそろ脱出しよう」
ならばこそ主人の意に応えなくてはいけない。キョンシーとして人の限界以上の力を震えるようになった自分ならこんな岩ぐらいどうってことない。そう、考えて体を動かそうとして芳香はその事に気がついた。
「あ」
星の攻撃によって芳香の両腕は無残にも圧壊してしまっていることに。
「ど、どうしよう…」
腕は動かせないことはないが、その力は赤子のそれだ。せいぜい、土塊を掴んで持ち上げるのが精一杯。とてもじゃないが、大岩を持ち上げるようなことなんて出来そうにない。
宮古は藁にすがるような気持ちで自分が閉じ込められている場所を観察し始めた。何か、脱出の手がかりになるようなものはないかと思ったのだ。宮古の体は左半身を下側に倒れており、背中側には土砂が、両足は岩に潰されており、前方から頭上にかけて瓦礫と砕けた墓石とに取り囲まれている。そうして、その上から一個の大岩で蓋をされている。一応、外の様子は大岩と瓦礫の隙間から伺うことができるが、その隙間は腕の一本も通らないような狭いものであった。何処にも脱出の手立てはなかった。自分一人の力で脱出することなど到底不可能だった。誰かの助けが必要だった。
「あ、あああ…」
星には助けに来てくれる仲間がいた。だが、自分には?
思い出せば自分と同じよう霊廟を守るために黄泉帰らされた仲間たちは皆、“あのお方”の言葉を忘れ何処かへ行ってしまった。もしかすると宮古の主人はそれを見越して何人もの死人を蘇らせたのかもしれない。結果、この墓地に残ったのは宮古だけで、そしてそれは…
「だ、誰か助けてぇぇぇ!!」
誰も宮古には助けてくれる仲間がいないことを示していた。
「だれ…たすけ…」
それから半日ほどの時間が過ぎた。その間、宮古はずっと叫び続けていたが、その声を聞いたものは皆無であった。それは当然のことであろう。元より墓地という普段は人が近寄らぬ場所。加えて崖崩れの後では喩え妖怪であろうとも危険だと近寄らぬのは当たり前の話だ。もしかすると命蓮寺の連中が立ち入り禁止にしたのかも知れない。
叫びすぎたせいで喉は枯れ果て、今では口の奥から出てくるのは掠れた声にもならぬ声だけだった。
「あ…ああ…」
もはや精根尽き果てたのか、宮古は片方だけの目を見開いて口をわなわなと震わせた後、全身の力を糸が切れたように脱力した。そうして、そのままぴくりとも動かなくなる。体力、気力共に使い果たし、そして、じわりじわりと絶望が広がり始めた心が体を動かすことを拒み始めたのだ。そのまま宮古は眠るよう、暫くの間、じっとしていた。眠ったり、気絶したりしたわけではない。元より蘇った死体だ。次ぎに眠るときはまた長く目覚めぬ眠りになる。彼女らキョンシーの関節が固いのは或いは脱力しリラックスし、そうして再びあの永久に目覚めることのない眠りについてしまうことを恐れているが故なのかもしれなかった。
「喉…渇いたな…」
叫びすぎた所為だろう。それに宮古は空腹も憶えている。
宮古はキョンシーとして外法を使われ黄泉帰った。だが、外法とは言え法は法だ。その身は地上の法則に縛られ永久不滅ではない。動くためには矢張エネルギーが必要で、宮古の場合は主人の力とお参りに来た人に分けてもらったお菓子やほとけさまのお供え物をお下がりをいただき、それを食べて栄養にしていたのだ。生きている人間と違い、体の機能の大半が死んでいる宮古たちキョンシーは長い間、食事を摂らなくとも長時間の活動が可能だが、それは五体満足であった時の話だ。昨晩の戦闘、そして、これだけの傷を負えば体を維持するエネルギーが足りず空腹を憶えるのも確かだ。
「うう、ひもじい…」
だが、生憎とこんな場所に食べ物などあろう筈がなかった。あるのは土塊と泥水と掘り起こされた死体だけだ。葬式まんじゅうも白雪羹もアイツが好きだった煙草や麦酒、なんてものもない。食べ物なんて何もないのだ。
ならば、岩につぶされてもなお活動を停止しない宮古とは言え、その先に待っている結末はたった一つきり、餓死だ。或いはエネルギー切れ、と言い換えてもいいかもしれない。どのみち変わりはない。
「…おなかーすいたー …腹減ったー」
結末は、死だ。
一度死んだ身としてはもう一度死ぬことだけは絶対に避けたいものであった。
感覚の消失。意識のホワイトアウト。そして×××。その描写は不可能だ。生者には決して伝わらない。あの酷く湿度が高く凍えるように寒いトンネルを歩き続けるような、あの感覚は、文面にしたところでその千分の一も伝え切れていない。死んだ者だけが味わう、喪失の苦しみだ。
加え、こんな所に閉じ込められていては“あのお方”から命じられたことを遂行できない。その不甲斐なさが宮古の心を苛んだ。命令の実行こそが、だけが、宮古のアイデンティティだ。それが出来ぬ自分に存在価値はなく、価値がないものの末路は決まって破棄――つまりは死だ。
それだけは、それだけは、本当に、本当に、なんとしても、絶対に、確実に、何をしようとも、何をなげうってでも、決めボムを撃ち込んでも、残機つぶしをしても、回避したい、絶対に回避したい、結末、だった。
「ううっ…」
何をしても、
「それしか…ないの…?」
そう、喩え泥水を啜っても、
「畜生…嫌だなぁ、嫌だなぁ」
生き延びるには仕方がないことだ。
ぎりぎりぎり、と大臼歯をすり減らすように歯ぎしりしていた宮古だったが、その心はついに決心を見せた。諦念、とも言えるが。
口をすぼめると宮古は首を伸ばした。幸いにも自分の首の可動範囲に水溜まりが出来ていた。いや、泥水溜り、と言うべきか。墓地の土を雨水で溶いて出来たそれは乳白色をしていた。コップに注いで出されればバカならホットチョコレートの冷たい物、だと思うかもしれない。現に宮古はそう考えた。そう考えることで少しでも泥水をすする抵抗を無くそうとした。すぼめた唇を水溜まりに近づけ、鼻孔に届いた土の臭いに一端、顔を背け、それでもしなければならないのだと決心を呼び起こし、そうして、ずずず、と音を立て泥水を啜った。口内に広がる、僅かな酸味と強烈な苦み。一緒に吸い込んだ泥が舌上や口内に張り付き、砂が歯の隙間に挟まりじゃりじゃりと音をたてた。それでも、ほんの僅かばかりの水分は干上がった宮古の喉に吸い込まれ…
「ううっ、おいしい…」
その渇きを癒した。
「そんんわけない。不味いよー泥水なんてー、でも」
口の中に残る砂利が不快なのか、宮古は顎をもごつかせた。それでも小石を吐き出そうとは思わなかった。一緒にでてしまう唾液がもったいないと思ったのだ。
「飲んで、食べ、ないと…」
緩慢な動作ながら宮古は手を伸ばし、一掴みほど、土の軟らかそうな部分を手に取った。そうして、それを握り飯でもそうするよう手の中でこねると、今度は躊躇いなく口の中へ入れた。柔らかそうに見えた土塊はけれど、噛んでみれば矢張じゃりじゃりと歯に不快な感触を与えた。味は殆ど無く、少し酸味がするようだった。
「んっ、う、うっん、ごっく…ん」
生体機能の殆どが死んでいるからか、それともそれほどに餓えていたのか、土塊を宮古は殆ど難なく飲み込んだ。暫くの間、宮古は食い物でもないものを食っているという事実に打ちのめされ、ある種の惨めさを感じていたが、吹っ切れたのか、やがて無造作に土を掴んでは口に入れ、溜まった泥水を啜り、それで流し込むという暴飲暴食を始めた。自暴自棄(ヤケクソ)だ。無論、そんな食事法、本当に食べられる食物で行ったとしても体には害だ。そのルールからはキョンシーも逃れられる筈もなく…
「うぇつ…うぐっ、げぇっ…おぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
宮古は胃に収めつつあった土塊と泥水を全て吐き出した。或いは死体とは言え栄養にもならない土を体が拒否したのかも知れなかった。
宮古は呼吸を必要としていないため大事には至らなかったが、それでも暫くは苦しそうに胃の辺りを抑えながら震えていた。
「ダメだ、ダメだ。腹が減ってはイクサは出来ぬ、だ」
涙目で親の敵を見るよう、自分が吐き出した土を睨み付ける宮古。そうして、再び折れた手を伸ばすとたった今、吐き出したばかりの物を再び口の中へ収め始めた。涙を流し、洟を啜り、嗚咽を漏らし、嘔吐を繰り返しながらも、宮古は食べ続けた。
何でも。
「………」
虚ろに目を開けたまま微動だにしない腐敗し始めている死体の側を一匹の虫が這い回っていた。台所などで見かけるものとは種類が違うが、平べったい楕円の形状をしたアレ、ゴキブリだ。彼――便宜上、彼と呼ぼう、彼は何も偶然、ここにやって来たわけではない。彼の主食は他の生物の亡骸だ。それは何も彼と同じ虫や鼠などの小動物に限らない。時には狐や犬、或いは人間の死体さえご馳走として戴くことがあるのだ。彼だけに限らず、金属光沢を見せる銀蠅たちもご馳走の香り―――死臭につられこの場所までやって来たのだ。彼らにとってここは穴場だった。何故ならたいていの場合、彼らでは食べきれないほどの大きな死骸には矢張大きなスカベンジャー…野犬や鼠、或いは屍肉ぐらいの妖怪が寄ってくるからだ。体の小さい彼らでは鼠たちのおこぼれにあずかるのが精一杯。だが、今回は違った。餌が地中深くに埋もれており、そこまで行くには彼らのように小さくなくてはいけなかったからだ。岩と岩の間に僅かに出来た隙間から彼らは入り込み、ご馳走にありつこうとしていた。
「………!」
いや、ご馳走は彼らの方だった。
今まさに屍肉にありつこうとしたゴキブリはけれど、それを味わうことは出来なかった。食べようと思っていた死体が彼より先に動き、その小さな体を無造作につかみ取ったからだ。
「や…った…」
虫たちを安心させるためにじっとしていた宮古は、ゴキブリが指の間に入り込んだ瞬間、虎鋏の素早さで動いた。腐り始めた自分の身体を囮につかったリビングデッドならではの食虫植物じみた猟法。それでもってここ数日、宮古は土以外の“食べ物”を得ていた。つまり、ゴキブリやハエ、時には小さなネズミなどのタンパク源を。
土や小石は確かにいくらでも簡単に手に入りそれで空腹を満たすことは出来たが…いや、それで出来ていたのは空腹を紛らわせる事だけだった。幾ら土や石を食べたところでそれは栄養…エネルギーにはならなかった。食物を噛砕き、消化し、栄養素を吸収するプロセスを踏まないが食事によって栄養を得るのはキョンシーといえど一緒だ。エネルギーを得るためには人が生きるために食べる食物か、生き物、つまりは生に関するエネルギーを口にするしかない。
宮古は捕まえたゴキブリを逃がさないようしっかりと二本の指で摘んだまま口へと運んだ。発達した足や薄い茶色の羽が何とも噛みにくかったが大きな腹部は食べ応えがあった。
「うま、うま…」
最早、悪食を気にする余裕も失われた。
ゴキブリを食べ終えると宮古は腕を伸ばし、昨日、穴を掘ったその場所を更に掘り進め始めた。脱出のためではない。証左に穴は外に近い横や上向きではなく下へ下へと掘られていた。程なくして黄ばんだ硬質そうな物が土の下からでてきた。急いでその周りを掘り返し、土の下に埋まっているソレを掘り起こす宮古。ソレとは埋葬されていた人の死体、髑髏だ。幻想郷ではまだまだ土葬が主流。運悪く、この亡骸は土砂崩れに巻き込まれこんあところまで来てしまっていたのだろう。骨の周りに付いていた皮や肉は埋葬から十数年が経過しすっかり微生物や細菌に分解されてしまっているが、中身、はまだのようだった。頭蓋骨に確かな重さを感じながらも宮古はそれを水平になるように置くと、手頃な石を代わりに取り、勢いよく振り下ろした。数度目の打撃で強固な頭蓋骨にひびが入り、更に打撃を加えることで穴が開いた。砕けた破片を指で摘んでどけると萎縮し、干し柿のようになった脳髄が姿を現した。躊躇うことなく宮古はそこへ指をつっこみ、文字通り、味噌を舐めるよう、脳みそを指で掬っては舐め始めた。
宮古はただひたすらに生き延びるためだけに土を、泥水を、虫を、屍肉を喰らっていた。そこに尊厳や道徳といったものがつけいる隙はない。宮古は今やアンデッドの中でも下等な存在、屍食鬼と成り果てていた。いっそ、食べなければ楽になれただろうに。糸を紡ぐよう、砂粒を拾い上げるよう、悪食をして、自分の力を失ってもなお、宮古は死ぬまいともがいていた。
「死に、たく…ない…」
今やありもしない生存本能だけを支えに。
「ふぅうう、ふぅうう…」
と、食事をしていた宮古が不意に奇妙な声を発し始めた。ほんの一握りほど、僅かばかりに残っていた尊厳が最後の瞬きを見せるよう燃え上がってきたのだ。悔しさ、苦しさ、情けなさ、不甲斐なさ、あらゆる嫌悪が宮古に涙を流させる。体を丸め、打ち震え、声を殺して啜り泣く。どうして、どうして、自分はこんな目にあっているのだ。せっかく黄泉帰ったというのに。今では死ぬより酷い目にあっている。主人の命も果たせずに。まさしく役に立たない芥と化している。命令を果たせないものは役立たずのクズだ。芥だ。有用性を証明し続けることが出来ない者に必要価値などない。使えなくなった道具は捨てられるのが定め。だが、自分は意志を持ったキョンシーだ。道具じゃない。だったら、だったら。戦に敗れた武将は自決した。任務に失敗した兵隊は自爆した。命令が果たせないキョンシーは…
「ううっ…ううっ…」
潤んだ瞳で宮古は手の中のソレを見る。髑髏。人の亡骸。死。その象徴。
役目を果たせないなら、死にたくないと、無体を晒し、尊厳をかなぐり捨ててまで、泥水を啜り土を飲み虫や屍肉を喰らってまで生き延びる必要性は―――宮古の中では答は出ていた。
脳みそを舐めるために頭蓋をそうしたように宮古は石を握りしめた。次ぎに砕くのは、自分の…
「ここですか―――」
宮古が自分の頭に石を振り下ろそうとしたまさにその瞬間、それまでその体にのし掛かるよう天蓋になっていた大岩がなんの脈絡もなく消失した。流れ込んでくる強烈な光の奔流に宮古は目を開けていられなくなった。
誰かが―――誰かが助けに来てくれたのだ。
宮古の窮地に。任務を果たせぬと覚り、自ら果てようとしたその直前、死ぬことはないと寛大なる慈悲をもって。宮古のことを―――
「―――、―――さまっ…」
そんなお心の持ち主は宮古の中では一人しか存在し得なかった。偉大なる彼女の主、霊廟より目覚めようとしている偉大なるお方、それは―――
「って、だれだー貴様はー!?」
やっと光に慣れてきた宮古の目が捉えたのは柔和な笑みを浮かべるウェーブとグラデーションかかった髪をした見たこともない女性だった。軽々と片腕で、そう、片腕で宮古を被っていたあの大岩を持ち上げている。
「ああ、大丈夫ですか?」
よっと、そんな声も上げずにその女性は持ち上げていた岩を無造作に投げすぎた。暫く待っても宮古の耳には岩の落下音が聞こえてこなかった。一体、どれぐらい遠くまで投げたのだろう。それだけで宮古はこの女性がなるべくなら敵に回してはいけない人類だと理解した。
「えーっと、あなたは?」
「私は聖白蓮。ここ命蓮寺の住職です」
「めいれん…じ?」
はっ、と宮古は気がつく。白蓮と名乗った女性の後ろに先日、墓地で激しい弾幕ごっこを繰り広げたあの寅丸星がいることに。そう言えば、と星を助けに来た者達の中にこの女性がいたことを宮古は思い出した。つまるところ、考えたくはないがこの白蓮もまた敵なのだ。先程まで死のうと思っていたのに、明確な外敵が現れた瞬間、死にたくないと震える宮古の心。それでも気丈に宮古は何とか白蓮を睨み付ける。対し、白蓮は飄々としたものだ。手の平に付いた土をハンケチで綺麗に拭うと、その手を…
「えっ?」
「起き上がれますか?」
宮古に差し出してきた。戸惑う宮古。この女性は敵ではないのか?
「……貴女のお仲間は私に攻撃してきた。立ち去れと言うのに立ち去らなかった。つまり私の敵だ。霊廟に誰も近づけさせないよう命令された私の邪魔をする敵だ。その敵の仲間の貴女も私の敵だ。敵の情けはうけない」
敵対者が無償で自分を助けてくれることなんてありえない。そう考えた宮古は差し出された手を取らず、そう語調を強く返した。きっと何か裏があるに違いない。助ける見返りに何処かに行ってしまえ、と言われるかもしれない。宮古は警戒心を露わに助けを断った。それで餌にはつられないと殺されてしまってもそれはそれで本望だった。元よりこんな体では主人の命令を遂行することなど…
「命令、ですか。そのお体では何を為さるにしろ無理な話ではありませんか」
「………」
宮古の思考の先手を打つよう、白蓮が言った。宮古の沈黙は肯定だ。
白蓮は暫くじっと宮古の体を見ていたが、やがて後ろに控えていた星を呼ぶように目配せした。どこか渋々といった調子で星が前に歩み出てくる。
「吸血鬼やリッチの例に漏れず、アンデッドのエネルギー源はやはり生体エネルギーですね。生き物の血肉や魂。生気。それに生きる活力。それには人の欲望なんてものも含まれます」
不意に何事かを説明し出す白蓮。宮古が疑問符を浮かべているとぎゅっ、と握り拳をつくりそして、
「ッぐ!?」
隣に来た星の腹部に強烈なブローを見舞った。体をくの字どころかつの字に折り曲げ、痛みに震える星。その背中からもやもやと何か湯気か靄のようなものが浮き出てくる。ソレに手を伸ばし、綿菓子をこねるよう集め出す聖。程なくして一抱えほどの霊魂、のようなものが出来上がった。
「うちの星の見栄、一人で問題を解決してみせて汚名返上名誉挽回しようと躍起になる心を具象化しました。貴女のようなアンデッドには何よりの栄養になるでしょう」
言ってその塊を宮古に差し出す白蓮。宮古は白い塊と白蓮の柔和な笑顔とを交互に見比べた。
「どうして…?」
「私の名前は聖白蓮。人妖神仏の四民平等を唱える者です。特に虐げられている妖怪の救済こそが我が使命だと思っています。どうか私に貴女を助けさせてやってはくれないでしょうか?」
ぺこり、と頭を下げる白蓮。その言葉に嘘や偽りは含まれていなかった。
暫く宮古は星の生体エネルギーを受け取るか否か迷ったが、結局、手を伸ばした。傷を癒さぬ事には主人の命を実行できない。その為に今まで泥水を啜ってきたのだ。今更、敵の施しに甘んじたところでなんになる。
綿菓子を食べるよう、もそもそと受け取ったエネルギーを食す宮古。純粋な生命エネルギーを摂取したその効果は抜群であれだけ激しかった宮古の怪我は瞬く間に治っていった。宮古は立ち上がり体の具合を確かめた。十全、とはいかないまでも十分、回復してくれたようだ。
ぴょんぴょん、とキョンシーらしく跳ねて動き、ここ数日の間、住居兼寝床兼食堂だった土砂の山から離れた。向かう場所は墓地。霊廟に続く通路の前だ。
「…私はこれからも不用意に霊廟に近づく者を排除するぞ」
それが宮古の使命でありアイデンティティだ。するなと言われて止めることは出来ない。止めるときは矢張それは宮古の活動が停止する時、その一瞬だけだ。宮古は去り際に足を止めるとそう宣言するよう、再確認するよう白蓮たちに告げた。白蓮は否も良もなく無言のままだった。寺に累が及ばない限りは手を出さない、そういうつもりなのだろうか。足を止めた宮古は暫く俯き、やがて、動きにくい首を左右に振って少しだけ振り返った。
「い、いちおう、お礼を言っておくぞ。ありがとうー」
「いえいえ、どう致しまして。任務、ご苦労様です」
満面の笑みで白蓮は墓地へ向かう宮古を見送った。
「さて、次は崩れた崖を修復して流出した遺骨を元の場所に戻す作業をしないといけませんね」
宮古が立ち去ってから白蓮はそう口を開いた。服の袖をまくりあげ、力仕事の準備をしだす。
「聖…」
と、動き始めた白蓮の後ろでじっと佇んでいた星が意を決したよう、勢いとけれど迷いを持って話しかけてきた。お腹に手を置いているのは殴られた場所がまだ痛むからか。
「いいんですか? あの子は寺を荒らす悪い妖怪です。あの子の主人や霊廟という言葉も気になります。それにこの具象化する欲の塊…何か良くないことが起る前兆なのでは?」
心中の不安を吐露する星。星が助けられ、そして今日、宮古が助けられるまで数週間近いタイムラグがあったのは、怪我が治った後もどうしてこんな場所で生き埋めになっていたのかを皆に黙っていたからだ。だが、こうも奇妙なことが立て続けに起れば流石に星とて自分の一存で事を見逃し続けるわけにはいかなかった。昨晩、意を決し全てを白蓮に告げたのだ。自分では解決できないかも知れないが、聖なら或いは、そう願って。
「ええ、放っておきましょう。幻想郷の危機ならばあの巫女が解決するようになっているのでしょ。私たちが手を出す必要はありません」
だが、星の考えとは裏腹に白蓮の出した答は物見遊山を決め込むだった。無論、何か大事になれば動くこともあるだろうが、とりあえずは様子見、という感じだ。自ら打って出るようなことはしない。そういう考え。平和主義者である聖らしい日和見主義な考え。
いや…
「それに幻想郷中の生体エネルギー…具象化した欲望、神霊を必要としている存在とは一体、どれほど力強い妖怪なのか。もし、そんなものが復活すれば大きく人間側に傾いている人妖のパワーバランスが是正されるのに一役買うのでは、そう思えませんか、星?」
手の平を上に向け自らの欲望を具象化させる白蓮。その大きさ、強さ、固さは星が出したものとは比べものにならないほどだった。
ごくり、と生唾を飲み込む星。自分に仏門に帰依するよう説いたこの女性の真意は未だに読めぬ処があった。
「さ、作業の時間ですよ。一輪と雲山も呼んできましょう。ああ、遺骨探しにはナズーリンにも手伝ってもらわないといけませんね。水蜜にも手伝ってもらいましょう。先日、入門した響子にも。これは寺総出の大仕事ですね」
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「神霊を食べるなんて…悪食ね」
行く先に立ち塞がった妖怪が具象化した欲望の塊を食べ、傷を癒しているのを見て生理的嫌悪に駆られ霊夢は毒づいた。
「ははっ、神霊ぐらいおいしーものだよ。ああ、本当に、神霊ぐらいね」
けれど、そんなものよりもより嫌悪感が湧いてくるようなものを食べたことがある宮古にとって神霊喰いなんて造作もないことだった。
「さー、とっとと立ち去れー もうすぐ、もうすぐ、“あのお方”が復活なさるのだからな!」
目的のためなら泥をも食む。あらゆるものを食してでも命令を完遂する。それが宮古芳香のアイデンティティだ。
END
作品情報
作品集:
26
投稿日時:
2011/04/29 01:56:53
更新日時:
2011/04/29 10:58:50
分類
宮古芳香
寅丸
悪食
虫食い
理解できませんね。『悪食』をしてまで生存を続け、任務を行なう価値があるのでしょうか?
今はまだ分かりませんが、『完成品』で『あのお方』の正体と真意が分かるでしょうから、それを待ちましょう。
貪欲な者達の中で、無欲であるはずの坊さんが一番の強欲とは……。そういえば、三月精で霊夢が欲を無くすなど不可能だと言ってましたね。
というかなんて残したらいいのか
戦闘描写がぐっときました