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『がんばろう幻想郷』 作者: んh
雲一つない快晴が山の頂にある守矢神社を覆っていた。いや、幻想郷全てが青空の下にあったと言った方が妥当だろうか。天気は生きる者全てに等しく降り注ぐのだから。
かしましい蝉の鳴き声の中、ずるり、ずるりと重い物を引きずる音が混じる。それにあわせて参道の白い石畳に朱の線が刻まれていく。
ようやく拝殿の前まで辿り着いた天狗の額には、珠のような汗が噴き出していた。まだ若い、男の天狗であった。彼はここまで引きずってきた八坂神奈子の首根っこから手を離す。打ち捨てられた神奈子の前には、既にそこで同じように転がっていた洩矢諏訪子がいた。
じりじりと、盛夏の日差しが白の境内を焼く。
見れば境内には人垣があった。天狗、河童、山の妖怪や八百万の神――皆険しい表情で、じっと守矢の二柱に熱のこもった、それでいて冷たい視線を送っていた。
周囲からの眼差しに、神奈子を運んできた天狗の青年はたまらず顔を伏せる。がっしりとした肉付きの精悍な印象のある天狗だったが、その表情は最初から青白かった。群集の視線が自分に向けられたものではないことはわかっていても、彼はそれを他人事とみなせなかったのだろう。
早く済ませてその場から離れようとしたのか、或いは役割に徹することで何かから眼をそむけようとしたのか、彼は顔を伏せたまま手を上げて合図を送る。人垣から現れたのは弓を構えた白狼天狗の一団だった。
天狗の青年が、神奈子と諏訪子の背中を軽く叩く。ようやく意識を取り戻した神奈子と諏訪子は傷だらけの体をゆっくりと起こす。彼が再び合図を送ったのは丁度その時だった。
「――っ!」
狙いは正確無比。さすがは白狼天狗の精鋭と言うべきであろう。放たれた矢は一つも逸れることなく、また同胞の天狗をかすめることなく、うずくまっていた二柱を蜂の巣にした。
思わず上がりそうになる悲鳴を、すんででこらえる。当然であった。彼女達に悲鳴を上げる権利などあるはずもない。
蝉の音は相変わらずやかましかった。だから群衆のすすり泣く声も、それに掻き消された。天狗の青年は群集に背を向け、意を決したように二柱に歩み寄る。胸と喉を射抜かれたのか、悲鳴の代わりに漏れる空気の音も、やはり彼には聞こえなかった。
諏訪子の頭を掴み、ゆっくりと持ち上げる。そして群集に見せ付けるように高々と掲げた。片の目を射抜かれ、頭から流れる血でもう片方の目を塞がれた諏訪子に人垣が見えているのかは分からなかった。きはだ色の髪も、青紫と白の衣装も赤黒い斑に染めて、だが彼女は潰れた声帯を動かして何がしかを群集に伝えようとしていた。
別の天狗達が諏訪子と若い天狗の元へ近づく。手にあったのは鉄の杭、それは諏訪子の背丈を優に越える長さと、腕を優に超える太さがあった。丁寧に片方の端だけ尖らせてあった杭は、その用途を見つめる群衆に暗示していた。
宙に掲げられた諏訪子の下に杭が据えられる。鋭利な突端が、天を、小さな土着神をさすように。天狗の青年は恭しく一礼だけしてから、手にあった諏訪子を地面めがけ思い切り振り落とした。
「ぁ゛っぁぉ゛……ぉ゛ぉ゛ぉっ」
さすがに声は抑えられなかった。しかし、そのかすかな呻きが蝉達の絶叫に敵うはずもない。諏訪子には顔を歪めるのがせいぜいだった。筋骨隆々の天狗をもってしても少女を串刺しにするのは少々骨が折れる作業なのだろう、杭は諏訪子の半分あたりで一度止まった。肋骨にでも引っ掛かったのか、彼はもう一度力を込めて諏訪子を押し込む。
「ぉ゛ぉっ!」
肉と骨のちぎれる音がして、諏訪子の肩口がめこりと膨らむ。皮膚の弾ける音と共に杭の突端が顔をのぞかせる。紅く濡れた先が、碧い天めがけまっすぐ伸びた。
無数の矢を一面に纏いながら股座から鎖骨まで一突きにされた諏訪子には、もう白目を剥いて痙攣するぐらいしかできそうになかった。杭を伝って滴り落ちる小便にすら、もう力強さというものはなかったのだから。
諏訪子の返り血を拭うこともなく、天狗の青年は神奈子を掴みあげる。続いて運ばれてきたのは鉈だった。夏の日差しを目一杯に受けて、その刃は切れ味を見るもの全てに誇示する。製作者である業物職人の河童直々に鉈を受け取った天狗は、やはり深々と一礼してからそれを神奈子に握らせた。自分でやれ、ということなのだろう。
血酔いで朦朧としつつも、神奈子の手に戸惑いはない。彼女もまた群集の方にしっかと視線を向けながら、鉈を逆手で持ち、己が腹を裂いた。朱が滲んでいた参道の石畳が、今度こそ深紅に染まる。
「ぎ、ぅ゛……っ……」
顔だけを歪めながら、神奈子は歯を食いしばって声を、痛みの遁走を押しとどめる。手から滑り落ちた鉈が血だまりの底の石とぶつかる甲高い音に、蝉も一瞬鳴くのを止めたようだった。苦悶の表情のまま、震える手を切り裂いた腹に沈めていく。探し物をまさぐるように奥へ、奥へと。
天狗の青年はそれを見ていなければならなかった。やはり彼は群集に背を向けたまま、神奈子が事を成し遂げるのを待っていた。群衆がこれを見ているのか、それを望んでいるのか、これが何がしかの慰めになるのか、彼にはわからなかった。ただ義務感に浸ることで、彼はようやくそこに立っていられた。
彼は知恵も力もあり、人望もある大天狗だった。ゆくゆくは天狗社会の責任ある立場につくだろうと周りから期待を受けていることは、彼自身も理解していた。だからこその抜擢であったのだろう。責任を負うとはどういうことか、彼は知らなければならないのだ。
「んぃ゛っ!」
妙な音と共に、神奈子の腹から手が飛び出した。彼女の纏う紅の服より一層赤に濡れた手には、肝臓が握られていた。取り出せたのは半分ほどであろうか、生きたまま無理やり引きちぎられたそれはぬらぬらと光りながら、碧く輝く空へ向かって掲げられた。
天狗の青年は三たび敬礼して、その臓物を受け取る。彼の役目はとりあえずここでひと段落であった。あの人垣の向こうには天魔も、大天狗の幹部も来ているはずだ。滞りなく儀式を務め上げたことにきっと満足しているだろう――彼はそうやって己を持ちこたえさせる。最後まで自分が目を背けていたことは重々承知していた。だから彼はそうやって目を背ける自分自身から目を背けることにした――それが上に立つ者に必要な資格なのだと言い聞かせて。
彼とすれ違いになる形で、一人の少女が舞台の中心に引っ張り上げられる。蒼穹を反射したような鮮やかなスカートを纏いながら、しかし東風谷早苗の顔は涙と恐怖で震えていた。
天狗の青年は哀れな風祝をちらと覗き見る。そして彼は初めて並び立つ群集を見た。ある者は悲嘆に暮れ、ある者は目を背け、ある者はそれでも見届けようとこわばった顔をまっすぐに向け、しかし誰もが立ち去ろうとはしていなかった。まるで彼ら自身がその身を刻まれるのを耐えているかのように。彼はこの人々の顔を目に焼き付けねばなるまいと思った。決して忘れてはなるまいと思った。
早苗は神奈子の正面に立たされる。彼女もまた、守矢の巫女としての覚悟を持っていたはずだった。しかし外からやって来たばかりのまだ年端も行かぬ人間であることを換算に入れれば、その錯乱ぷりは当然とも言えただろう。無残な姿をさらす二柱を前に、早苗は声を掛けることも泣き崩れることもできず、ただ顔を引きつらせて向かい合う神奈子に視線を投げていた。まさしく神に救いを乞うように。
「……な、ぇ……」
神奈子は思わず呼びかけた。助けを求めたのではない。向かい合う大事な風祝の顔が紫に腫れていたからだった。それは殴られた痕。たいした怪我ではない。直前になって駄々をこねた早苗をたしなめるために天狗が軽くはたいたのだ。
そう、天狗の力を考えればそれは正に撫でたようなものだった。蒼い痣こそ確かに痛々しくもあるが、顔面は折れても潰れてもいない。軽く口の中を切っただけだった。天狗としても早苗をむやみに傷つける気などない。彼らが痛みを知らないはずがなかった。
促されるように、早苗は群集の方へと振り返る。浴びせられる視線に彼女はたまらず目をそらす。それを悪し様に言うものはいなかった。幻想郷の常識に慣れようと日々必死の彼女にはこれが酷な務めであることはそこにいる誰もが分かっていた。だから嗚咽をこらえながら、一言一言搾り出すように口上を述べる早苗を、皆が固唾を呑みながら見守っていた。
「みなさま……本日は、守矢神社に、お越しいただきありがとう、ございます……まず、先日の台風と土砂崩れで亡くなられた方と……その御遺族、被害にあわれたすべての方に謝罪をしなければ……なりません。この天災は、全て乾を統べる八坂様と坤を統べる洩矢様の責任です……信者の方々に、多大な犠牲を強いたのは……私達守矢が、事前に皆様へ伝えるべき神託をお伝えせず、また必要な対策を講じなかったことが原因です……本当に、申し訳ありませんでした……せめてもの償いとして……八坂様と洩矢様、グスッ、御自らの身で以って禊を果たさせて頂きます……」
言い終わった早苗の前に、一匹の天狗が歩み寄る。差し出したのは白狼天狗が持つ大剣だった。「ひいっ」と思わず早苗はのけぞる。また泣き出してしまった風祝の震える手にしっかりと大剣を握らせて、その天狗はそそくさと袖に降りた。
かちかちと、奥歯が鳴る。大剣に支えられるようにして俯き立っていた早苗は、もう一度群集に目を向ける。彼女は奇跡を願ったのかもしれない。遺族の誰かが早苗の元に、二柱の元に駆け寄って「もうお止めくださいませ。そんな、結構です……」と言い出すのを。
しかしそれはなかった。彼らは皆早苗たちに何がしかの憐憫を抱いていたが、しかしそれが自身への憐憫に勝ることなどありえなかった。ただ儀式の滞りない進行を願うその切なる視線に、早苗は観念したように背を向ける。
目の前には神奈子がいた。けたたましい蝉の合唱の只中でも、神奈子のかすかな呻きはしっかりと早苗の耳に届いた。真夏の太陽と蝉が、早苗の頭を熔かす。思わずよろめきそうになった早苗は、無意識に大剣を握りしめた。柄の感触が彼女を現実へと引き戻す。逃げ場などないことは最初から分かっていた。
恐怖と悲痛で哂ったように歪んだ顔を再び神奈子へ向ける。神奈子の表情は、穏やかで満ち足りていた。
「ぇ……は、ゃ……く」
早苗がこの神事について知ったのはつい先日のことだった。教えてくれたのは神奈子と諏訪子。そのときの表情が頭をよぎる。やはり穏やかで、懐かしそうな顔だった。わななく全身を早苗は抑え込む。これを望んでいるのは二柱なのだと言い聞かせて、早苗は覚悟を決める。震えをねじ伏せ、大剣を振り上げる。
「ぅ……うわあぁぁぁぁぁぁぁ!」
しかし震えは止まっていなかった。振り下ろさんとする瞬間神奈子と視線を合わせてしまったからかもしれない。余計な配慮が無意識に加減をしてしまったからかもしれない。加速の足りぬ太刀は神奈子の頭蓋骨を滑り、頭皮ごと髪の毛を剥ぎ、耳を削ぎ落とし、そして鎖骨にめり込んだ。
「っ〜〜〜〜!」
「ごめっ、神奈子様ごめんなさ、ごめんなさいごめんなさいごめんな……ごめん、なさぃ……」
神奈子は声を上げなかった。群集のため、というより眼前で狼狽する早苗を落ち着かせるためだったのだろう。早苗は無理やり引き締めた表情をまた惨めに歪めた。大剣を放り出してしまいたかったができなかった。それがなければ立ってさえいられないのは錯乱する彼女にも明らかだったからだ。
ひたすらに「ごめんなさい」とくり返す早苗を、誰も咎めなかった。いきなりうまくいくなんて、誰も思っていなかったのだろう。だからずっと早苗のことを見守りながら、誰も手を貸そうとはしなかった。
早苗の嗚咽は蝉のけたたましい鳴き声の中ですらはっきりと聞こえるようになっていた。いや、最初からそこにいる者には聞こえていたのだろう、聞こうとしなかっただけなのだ。しかしそれは彼女達――守矢神社の者達も同じだった。昔からずっとそうだったのだ。どれだけ悔いてもそれが変わることはない。
蝉が早苗を急かしているようだった。
再び神奈子を見る。既に意識があるのかないのか分からないその表情には、やはりどこか充足感があった。早苗は諦めることにした。その面持ちを自分ごときが引き受けることはできないと悟った。だから彼女もまた役割に沈む他ないのだ。高鳴る動悸に身を委ねるように、血糊のついた大剣を握り締める。
太陽にかざされた切っ先は、今度はよどみなく神奈子の頭めがけ落ちた。吸い寄せられたようだった。
グワシャアッッ!
早苗の手は一切の抵抗を感じなかった。飛散した脳漿も、飛び出した目玉も、早苗には見えなかった。ぱっくりと割れた頭部でさえも彼女にはなぜだか嬉しそうに見えた。今や機械的に痙攣する神奈子の胴体を支えていたのは大剣であり、早苗の腕に他ならなかった。早苗には手を離して逃げることもできなかった。
気付けばあの若い天狗が、息を切らす早苗の後ろにそっと寄り添っていた。解放するように、彼は大剣を早苗の手から取った。崩れ落ちる早苗を介抱したかったがそれは無理だった。まず彼が為すべきは神奈子の体を本殿に運ぶことである。そして早苗にも彼にもまだ仕事が残っている。
この若い天狗と同じように、早苗もよく務めを果たしたと讃えるべきだろう。不慣れにもかかわらず二度目で仕留めたのは上出来と言える。やはり彼女は優秀な現人神だった。であれば与えられた役割を途中で投げ出すことなど許されないことも重々承知しているはずだと、天狗の青年は考えることにした。そう伝えれば早苗はきっと自分の非礼な振る舞いを理解してくれると、彼は確信していた。
大剣を引き抜き、抱き上げた神奈子の体は先ほど引きずってきた時よりも随分と軽く感じた。この神もまた女性であったと彼は気付いた。
境内の向こうでは天狗と河童が引っ張ってきた御柱が人垣の視線を奪っている。今からあの柱の先に諏訪子を括りつける。そして神奈子が引きずり出した肝を燃やしその煙を天に昇らせながら、柱を崖から――土砂崩れが起こった被災地の崖から――落とすのだ。それによって猛り狂った天と地を鎮める、それが彼が担う務めだった。
早苗に残された務めはその後である。ばらばらに砕けているであろう諏訪子から頭を切り落とすのだ。先ほどと同じように大剣を使って。それが今の守矢にできる精一杯の禊であった。
「ッグ、エ゛ッ、ヒッグ……ヴエ、オ゛ブッ、ヴェェッ……」
早苗は吐いたようだった。涙だけでは押し寄せる感情を堰き止められなかったのだろう。早苗と群集に背を向けながら、彼は本殿へ歩を進めた。
■ ■ ■
「――と、まあ、こんな感じでした。」
その日の博麗神社もまた澄み切った快晴だった。灼熱の太陽に照らされて、閑散とした境内には陽炎だけが揺らめいている。
「しっかしまあすごいことやるもんだな。神霊だから別にたいしたことじゃあないんだろうけどさ。」
霧雨魔理沙は縁側に腰掛けながら、思ったことをそのまま口に出した。この暑い中相変わらず黒装束を纏いながら、汗ばんだ手で新聞をめくっている。
向かいに立つ射命丸文はその反応を手帖に軽く書き留めると、軽く愛想笑いを返す。
「ええ、今ではお二方ともすっかり回復してますよ。我々お山の妖怪があの野分で被った害を思えば、たいしたことではありません。魔理沙さんだって大変だったでしょう、あの野分。」
「まあな。私の家も危うく崩れそうになったんだぜ。」
崩れそうになったのは物を詰め込み過ぎなせいじゃないかと思いつつ、文は適当に頷いた。
「まあ野分だけならよくあることだったのですが、それに付随して山では大規模な土砂崩れが起きましてね。それで集落一つがまるごと生き埋めになって天狗が数名命を落としたのですよ。怪我をしたり住処を失ったりした天狗や河童を含めると、被害は甚大と言って差し支えありません。麓や里では目立った被害は出てないとのことですが、同じ社会を生きる妖怪が死んだとなると、そう看過できる"天災"でもないのですよ、我々としてはですね。」
魔理沙は「ふーん」と気のない返事をしながら、ぱたぱたと手で仰ぐ。当然そんなもので涼が取れるわけもない。しばしの間恨めしげに太陽を見上げていた彼女だったが、再び文の方へ視線を戻して口を開いた。会話でもしていた方が暑さが紛れると思ったのだろう。
「でもさ、やっぱりあの神様にとっちゃとばっちりな気がするぜ。いくら"天災"だっていっても、別にあいつらがやろうと思ってやったことじゃないんだろ? たまったもんじゃないぜ。」
「あら、そんなことないわよ。」
そう魔理沙に答えたのは、居間の方から顔を覗かせた博麗霊夢だった。手にあるお盆には、3人分の湯呑みと文が取材料代わりに持ってきた金つばが載っている。ようやく涼が取れると、魔理沙は早速湯呑みに手を伸ばす。
「あちっ!」
残念ながら冷緑茶などというしゃれたものはこの神社にはなかったらしい。不満たらたらな顔つきの魔理沙を無視して、霊夢は文に腰掛けるよう促した。やはり手土産を持参すると応対が雲泥の差である。
「あやや〜すみません。お茶まで淹れていただいて。」
「お土産持ってきてくれたんだから当然よ。帰りにちゃんとお賽銭入れてね。」
「つってもこんな地獄釜みたいな茶出されても嫌みとしか思えないぜ。」
「暑いときは熱いものを飲んで涼を感じるのが一番なの。」
「氷が買えないだけだろ」と毒づく魔理沙を放置して、霊夢は何事もなかったように熱い茶をすする。文は軽く礼をしてから縁側に腰掛けた。勝手知ったるといえど、これぐらいの礼節があったほうが文屋らしいという判断だろう。
「でさ、さっきの『そんなことない』ってどういうことだよ霊夢。」
仕方なく金つばをちびりちびりかじる魔理沙の問いかけに、霊夢ははっと思い出したような顔をした。どうやら茶と金つばで頭が一杯だったらしい。
「ああ、そりゃ簡単なことよ。だって山の神様にとっちゃあの野分と土砂崩れを自分達が引き起こした"天災"だって考えてもらえるのは、信仰を得られているっていう確かな証になるんだもの。"天災"の責任を取らされるって事は、原因を作れるだけの神力があると認められてることに他ならないんだから。」
「その通りです。事実お二方とも――まあこういう表現は不適切かもしれませんが――大変お喜びのようでしたよ。儀式を済ませお二方が回復した後、我々と合同で慰霊祭を執り行ったのですが、向こうから謝罪と共に感謝されてしまいましてね。それでこちらから被災者への補償と復興に尽力して欲しいと願い出る形をとることで丸く収まりました。
本来人災ではないわけですからこちらとしても責任追及など必須ではないわけですし、魔理沙さんの意見も分からないことはないのですが、まあこちらとしてもですね……」
そこで文は言いよどんだ。そちらの方が天魔や大天狗に矛先が向きませんし――そう口を滑らせそうになったのを思い留めたからだった。徒に同胞の品位を下げる発言を麓の者にするのはやはり天狗として気の引けるものがある。
「……やはり理不尽を被った方々に納得できる理由を提示し、何がしかの踏ん切りをつけて頂くにはああいった儀式が必要なのではないかとそういう結論に至りまして、はい。」
「そうよ、神様なんてその為にいるんだからさ。理不尽な出来事の理由に使われるなんて、あいつらにとっちゃ最高の栄誉なのよ。逆に一番辛いのは、こういう災害となんも関わってないって見なされることよ。それこそどんな拷問より残酷だわ。」
金つばに舌鼓を打ちながら、霊夢は文の逡巡を気にかけるそぶりもなくとうとうと持論を語った。もっとも脳みそが茹りそうな魔理沙の耳に、博麗の巫女の神様観が伝わったかどうかは怪しかったが。久々の甘味に舌も滑らかになったのだろう。金つばをお茶で流し込んでから、霊夢は聞かれてもいないことをしゃべりだした。
「だからさ、私にとってむしろ謎なのはあの神様達が見限った外の世界なのよね。神様も妖怪もいないのに、こういう大災害が起きたときあいつら誰のせいにすんのかしら。」
それまでサラサラと手帖の上を走らせていた文のペンも思わず止まった。想定外ともいえる霊夢の何気ない疑問に、制御不能寸前だった魔理沙の頭も再起動を始めたようだ。
「聞くところによると外の世界は"科学"という魔法が大変発達しているそうですから、それに責任を負わせるのではないでしょうか?」
「それはないと思うぜ。」
最速で仮説を提示した文に、魔理沙も間を置かず反論する。
「魔法ってのは方法論、要するに道具だからな。別に包丁で人を殺したからって包丁の責任にならないだろ、それと同じさ。だから"科学"を扱う科学使いが責任取るんじゃないか。天候操作の大魔法に匹敵するレベルの科学を使役できる奴がいるなら、そいつが責任取るんだろ。」
「でもねえ、妖怪も神様もいないんだからさ、立ち直る時も人間の力だけでやるんでしょ。その科学使いとかいうのもいないと困んじゃない? そん時どうするわけ?」
「うーん……」
霊夢の切り返しに文は再び首をかしげる。
「それなら悪人と善人を分けてしまえばよいのではないでしょうか。」
「そんなにうまく分けられるもんなの? 同じ種族同士でさ。」
「やっぱり難しいですよねえ……」
文は天狗社会のことを思い出しながら歯切れ悪く答える。霊夢の口は止まらなかった。
「どう考えたって不合理だと思うんだけどね。人間だって何か納得できる理由は欲しいわけだしさ、やっぱり神様みたいなの置いといた方がいろいろ面倒がないでしょう。」
「まあ確かに、不合理ですねえ……」
文は押し黙る。まくし立てていた霊夢はくすぶる感情へ水をかけるように、茶をぐいと飲み干す。
片や霊夢に自分の仮説を否定された形になっていた魔理沙だったが、それでめげる彼女でもない。暑さも忘れて、彼女は文と霊夢のやり取りのさなか必死に頭をひねっていた。
「じゃあさ、きっと外の連中はそういう理由付けなんかいらないくらいたくましいんだよ。それで人間だけで努力してさ、どうにか立て直しちゃうんじゃないか?」
そして結局魔理沙の口から出たのは、いかにも魔理沙らしい言葉だった。そしてそれに対する霊夢の受け答えも、また霊夢らしい言葉だった。
「努力してどうにかなるもんじゃないと思うけどねぇ」
ぶっきらぼうな呟きを残して、霊夢は縁側に寝転がった。そういう反論にはすっかり慣れているのだろう、魔理沙は特に気にする様子もなく少しぬるくなった茶を口に含んだ。湯呑み越しに僅かばかりの苦笑いを向けてきた魔理沙に、文も軽く愛想笑いを返す。
二人のやり取りを簡単にメモした文もペンを休めて湯呑みに口をつけた。お茶請けを持ってきてまでここに来たのはあの儀式に関する巫女の見解を聞きたかったからだ。幸いというべきか予想通りの受け答えで、「識者の見解」として紙面の穴埋めに使うのにはもってこいだろう。外の世界の話は文にとっても興味の惹かれるものであったが、被災者のことを考えれば書くべきものではないとも思った。自分達と関係ない世界の話をされても、彼らには何の慰めにもならない。
自分で買ってきた金つばをつまみながら、やはり被災者の生の声を取り上げるべきかと文は思案する。そちらの方が読み手の心をひきつけるだろう。写真は既に十分撮り溜めしてある。
議論の止んだ境内には蝉の鳴き声だけが響いていた。まるで現世への未練を叫ぶ霊魂のように、彼らは間もなく訪れる盆までの間、声を嗄らし続けるのだった。
結局あの出来事からは逃げられそうにないので、書き出してみることにしました。
5/12 コメントありがとうございます
> NutsIn先任曹長様
生贄を欲しがるのはたぶん善人なんですよね。悪人は準備するだけで。
>2様
巷にあった概念を全部誰かに言わせようと思いながら書いたのですが、オプティミスティックな進歩主義は失念してました。ご指摘ありがとうございます。
霊「じゃあさ、外の連中ってどこらへんが進歩してんの、人間的に。」
こんな感じかな?
>3様
こっちにまた帰ってくるんじゃないかなと思います。
>4様
ガス抜きは大事かなと。何事においても。
>5様
こんなSSにおそれいります
>6様
お金さえ無尽蔵なら復興なんて楽勝なのになあ……って思ってる人が多いからじゃないでしょうか。やっぱり財宝の神様ですし
>7様
原発神話が幻想入りしてしまったので大丈夫かと信じたいです。
んh
- 作品情報
- 作品集:
- 26
- 投稿日時:
- 2011/05/05 14:22:49
- 更新日時:
- 2011/05/12 22:23:37
- 分類
- 神奈子
- 諏訪子
- 早苗
- 霊夢
- 魔理沙
- 文
- 5/12返信
威張る権利と、生贄になる義務があるのです。
生贄の価値は、悪人よりも善人の方が価値があります。
善人の犠牲を出したくない人々が、以後、生贄の必要の無い世を創るでしょう。
……ですが私達のセカイでは、善人が殆ど幻想郷に移住してしまったようですね。
つまり、責任者の権利ばかり欲して義務を行なわない連中ばかりってことです。
進歩を辞めた幻想郷にとやかく言われたくありません。
そうしたら神様は何処へ行くのだろう。
まあロクな神が居ないようだし、別にどうでもいいか。
ケロケロ。
かたや幻想郷みたいな僻地で恨まれながら信仰を維持するしかない守矢
なぜ差が付いたのか?慢心、環境の違い
原子力発電で失敗しそうな気がする。