Deprecated: Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/neet/req/util.php on line 270
『シロの灰』 作者: 赤間

シロの灰

作品集: 26 投稿日時: 2011/06/06 14:07:50 更新日時: 2011/06/11 23:33:11
「笑えるよね。お姉ちゃんてさ、ペットが死ぬたびに、泣いちゃうんだよ」







 白露が熱気に飛ばされて、高く高く上っていく。息を吐くと燻る靄も、気づけば浪々と揺れる熱に混じって、どこか遠くへ旅立っていった。
 私は旅立つ子供を見守る親のように、天井をゆっくりと見上げ、そうしてまた一つ子供を作った。蒲公英の綿毛のよう。ふぅ、と風を送れば、やがて散り散りになる。
 じい、と睨んだ。煙はやはり立ち昇るばかりだった。





 お姉ちゃんが可愛がっていたペットが一匹死んだ。
 白い猫だった。名前をシロと言った。鳴き方に特徴のある子で、腹が減ったときはいつも、なおぅんと鳴くのだった。シロはこの地霊殿で生まれた。親は他のペットたちに虐められて死んだ。小さいころから、お姉ちゃんとお燐に甘やかされて育った所為か、かなりひとみしりな子になってしまっていたことをよく覚えている。だから、私にでさえも唸ることがあった。噛まれることもあった。その後、彼は罪悪感を小さな脳に詰め込んだ表情で私の足元へ擦り寄ると、ざらざらとする尖った舌で、患部を舐めることもあった。この子には、後悔というものまるまる含めた感情が備わっているのではないかと戦慄したものだ。「シロは私よりもよくできた子だねえ」シロはなおぅんと一鳴きした。
 死因はよくわからない。突然死だということだった。昼ごはんの時間になったらいの一番に飛び出してくるシロが、今日に限って出てこなかったのだという。不思議になって探し回ると、灼熱地獄のあたりで、目を見開いたまま、しかし眠るように死んでいたのだと。お燐は嗚咽交じりの声でそう伝えていた。私はお姉ちゃんの隣で、なんだかふわふわと浮いた気持ちで、そこにいた。死んだことを受け入れられないとか、悲しいだとか、そういう気持ちでないことは確かだった。ただ、シロがいたはずのその場所が、ぽっかりと。大きな大きな穴のように、ぽっかりと。空いているのが、許せないとさえ感じたのだ。
 やはりというべきか。お姉ちゃんは泣いた。さめざめと涙を零した。お姉ちゃんがこうして感情を顕にすることはめったにない。こうした、どうしようもない感情をぶつけることもできない極限の状態に陥ったとき、そのすみれ色の眼から、透明な雫をぼろぼろと零すのだった。私はその隣でくすりと笑みを零す。おねえちゃん、あんな顔をぐしゃぐしゃにして、おかしいわね。





 次の日から、地霊殿にはすきま風が吹いているかのような冷たさがあった。みんなにではない。それは驚くべきことにだが、私にだった。何故かどうしようもない感情が、燻り続けているのだ。目の前に広がる、シロの灰と同じように。灼熱地獄に放り込んでしまえば一瞬だったのに。いつも他のペットのときにはそうしていたではないか。お姉ちゃんにそれを聞くと、悲しそうな顔で微笑まれただけだった。私は納得いかなくて、木の箱に入れられたシロに最期の言葉さえ吐き出すことはできなかった。皆がおいおい泣き崩れるその隣で、涼しげな顔でいた。おまえだけいい待遇されているんだよ。いいだろう。それで満足でしょう。だから、私からの言葉なんて、いらないよね。火が点けられて、シロの体がふわりと起き上がって、まるで生きているかのような錯覚に陥ったとき、私はすぐに後悔した。後悔したのは、これが初めてだった。
 人間みたいなシロはいつかヒトガタになるのだと思っていた。
 私はきっと、そんなおまえに嫉妬していたのだと思う。





 それから数ヶ月が経ったある日、お姉ちゃんが眠りにつこうとしているときに、私は寝室へ忍び込み、その柔らかな体躯に顔をうずめた。まだ収まりがつかない考えだけがぐるぐるとうずまいていたのだ。「おや、珍しいですね。甘えてくるなんて」驚きつつも、お姉ちゃんは私の頭を撫でてくれた。「私の中で何が起きているかわからないの」予想外の言葉にお姉ちゃんは戸惑っているようでもなかった。でも、少しだけ、言葉を出すのが遅れたから、私はなんだか申し訳ない気持ちになった。
「シロのことでわだかまりがあるのですか」
「よくわかったね。お姉ちゃんってエスパー?」
 お姉ちゃんはその言葉に答えないまま、私を抱きしめるだけだった。何かをひた隠すようだった。こうして抱きしめることで、誤魔化しているんじゃないかと思わせた。私の内にある奥底から、どぷりとした液体に散らばる感情がむくむくと鎌首をもたげてきていた。複雑。きっと私は思春期にあるのだろう。
「エスパーにでもサイコセラピストにでもなれますよ。こいしが相手なら」
「アニマルセラピーの応用は私に効かないからね」
「あらそう。でもアニマルセラピーなんてここでは意味もありません。動物たちの心理は、予めシュミレートしてありますから」
「お姉ちゃんは勉強家なのね」
 私はサーモンピンクの柔らかな生地を皺くちゃになるほど握り締めた。布地は私の手のひらに納められていて、有り余った部分は肌色のボタンを巻き添えにしようとしていた。僅かに開いた隙間から、病的なまでに白いお姉ちゃんの肌が見えている。お姉ちゃんは何もいわない。私をきつく抱きしめたまま、ただひたすらに呼吸しているように感じる。細い溜息が私の肩にはらはらと舞い落ちていた。
 朔の夜から採ってきたような暗闇の中で、蝋燭の灯りが心もとなくちらちら揺れている。私の瞳は宙を泳いでいた。あかあかとした蜀台。赤黒いシーツの皺。お姉ちゃんの腕。ほっそりとした首筋に、くぴりくぴりと紅い血管が皮膚のすぐしたを蠢いている。それは強力な磁力を放っていて、私は思わず手を伸ばしかけた。シロの肌もお姉ちゃんのものみたいに、くぴりくぴりと動いていたからだ。
「こいし」
 橙色の頬がふるりと震えた。お姉ちゃんの顔は微笑んでいるようにも引きつっているようにも見える。私はお姉ちゃんのパジャマを掴んだまま顔を上げた。お姉ちゃんの顔は半分橙に濡れて、もう半分は黒に濡れていた。お姉ちゃんの顔はひとつなのに、ふたつの顔があるようだった。
「あなたがどうであれ、私はこいしを愛していますよ」
「新しいプロポーズだなあ」
「新感覚ですよ。宵闇プロポーズです。お互いの顔がぼんやりしたまま愛を誓うなんて、ロマンティックだと思いませんか」
 その言葉になにかすれ違ったような感覚に、私は濡れそぼった蝋燭から落ちるきれぎれとした光から、お姉ちゃんの顔をなんとか手繰り寄せた。暗闇の多くなった部屋で、お互いの吐息が触れ合うほど顔を近づける。容を確かめるように、ゆっくりと指の腹で輪郭をなぞっていく。油のない髪、水気のない肌。いつの間にか閉じられていた瞼。鼻。くちびる。
「……お姉ちゃんは」
 全てがきちんと揃っていることを確認して、私は口を開いた。
「シロのこと、きらいだった?」
「そう見えましたか」
 お姉ちゃんの声は、言うならば沼のようだった。投げ込んだ言葉を、ゆっくりと沈ませながら、じわじわと意味を持たせてくる。
「わかんない」
「そう」
「――お姉ちゃんは、誰かが死んじゃったら、いっぱい泣いてた。面白いぐらい。シロのときも、変わらなかったね」
 ついに灯りは暗闇に落ちた。私はパジャマを握っていた手を離して、痩せさらばえたお姉ちゃんの手を握った。とくとく漏れ出す血液の感覚が、いやに派手な音をたてているようだった。
「だからかなあ。余計に、なのかなあ。あれがシロだったからなのかなあ。よくわかんないけど、……泣いているお姉ちゃん、綺麗に見えた」
「……」
「すごく」
 そう。
 泣いているお姉ちゃんは、私が大好きなお姉ちゃんだ。ぽろぽろと白い頬を伝って、唇へと流れていくあの筋を見つめるのが好き。泣きすぎて赤くなった目尻は、そこだけお化粧しているみたいだった。細い身体はさらに細く見えて、腕なんて簡単に折れてしまいそうなほど弱々しく見えた。
 シロの亡骸を抱いているときなど、もう最高だった。
 シロのふかふかだった艶の良い毛はぺたりと骸にくっついていて、お姉ちゃんの腕と溶けていきそうだった。ひとつの芸術みたいだった。生きたものと戯れるお姉ちゃんも大好きだけれど、亡骸を抱える姿が、私的には一番好みなのだった。

「ああ。そうか」

 私はそのときやっと理解できたような気がする。いつもなら死んだペットなんて、一日にどれほどいるか計り知れないのに、シロのことをあんなにも明確に覚えていたということを。

「私が殺しちゃったんだね」

 自分の欲望に、私は愚直なほどまっすぐだった。お姉ちゃんの泣き顔と――あの汚らわしい死体を抱きかかえる、みにくいヒトガタと。死臭を撒き散らしながら灼熱に放り込まれる、シロの灰が、私をたまらなく興奮させると、なんとなくわかっていたのだ。
 だから私はシロを殺した。くぴりくぴりと痙攣するシロの顔を見ながら、やっぱりこれだけじゃ物足りないと思っていた。だからこそ覚えていられた。シロは、シロという名の死物は、お姉ちゃんの魅力を最大限に引き上げる道具に過ぎないということに、たった今気づいたのだ。
 私はお姉ちゃんを見た。暗闇に慣れた目でも、輪郭しか手にとれないけれど。
 その表情は苦々しく、しかし笑っているようだった。
「シロは幸せものですね。私のために死んだのですから」
「そう。そうよね。お姉ちゃんのために死ねるなんて、とても素敵なことよね!」
「こいしも、私のために死んでしまうことがあるのかしら」
 私はそれに応えようとした。けれどもことばが漏れるその前に、くちびるはふさがれていた。
 お姉ちゃんの細いうなじを抱きながら、私の心はいっぱいになった。
 このまま闇が明けねばいいと、こころの底から、思えた。
 私のこころが満たされたときお姉ちゃんのこころも確かに満たされたのだ。

 私たちは姉妹なのだから、そんなこと、当たり前でしょう?



 



 
こいしちゃんが好きだ。

以下、コメント返信
>>1さん
お互い腹の中にどす黒いものをひた隠したまま、姉妹をやっているふたりというものを書いてみたかった。結果がこれです。

>>2さん
ありがとうございます!これからも細々と生きていこうと思います。こいしちゃんと一緒に。

>>NutsIn先任曹長さん
ほぼ全ての作品にコメントをつけているのにも関わらず、クオリティの変わらない文章に惚れ惚れしております。同時に、感化されています。いつもありがとうございます。
刹那的な感情が、こめいじには似合う気がするのです。

>>4さん
(`・ω・´)b

>>かっぱさん
もしかしたらもしかしなくても、私の知るかっぱさんだと思います。
少し落ち着いたのか、色々なことに向かって手を伸ばしているということを知り、安心しました。これからずっと前進していって欲しいです。頑張って。

>>瀉血さん
雰囲気だけで好き勝手書いているので、その空気だけでも感じてもらえれば充分です。
もっとちゃんと書こう、とは思っているのですが。
赤間
作品情報
作品集:
26
投稿日時:
2011/06/06 14:07:50
更新日時:
2011/06/11 23:33:11
分類
こいし
さとり
1. 名無し ■2011/06/06 23:24:59
さて、先に相手を手をかけるのは、姉が妹か
2. 名無し ■2011/06/07 00:04:56
良くまとまったいいお話
描写も綺麗だし、久しぶりに作者さんをストーキング、じゃなかった追っかけたいとおもった作品をありがとう
3. NutsIn先任曹長 ■2011/06/07 00:36:39
枯れ木に花を咲かせましょう。
恋しさと理由無き衝動に任せて、美しい徒花を咲かせましょう。

暗黒に咲く、闇色の花。
見えないモノこそ、美しい。
ただ、香りを楽しむため、蜜を味わうため、その淫靡な花弁に顔を埋めるだけ。
4. 名無し ■2011/06/07 00:48:32
5. かっぱ ■2011/06/08 01:32:39
さすがおれの姉さんだよ
相変わらず妬ましいほど前にいます憧れています
6. 瀉血 ■2011/06/10 22:19:00
いい姉妹でした
空気を含んだ文章がすてき
名前 メール
パスワード
投稿パスワード
<< 作品集に戻る
作品の編集 コメントの削除
番号 パスワード