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『ぼくのお腹の中からは多分、伊吹萃香が出てくる』 作者: i0-0i
仕事を首になったので、日がな一日酒を飲んでいたら、小鬼が来た。
「やあ」
ぼくは声を掛けた。据えた匂いのする三畳間で、話しかける相手が出来たことは大層嬉しかった。出来ればそろそろ誰かがつまみを買ってきてくれないかと思っていたところだった。
畳の上には小皿と塩。猪口は渇く間もなく安酒で満たされている。
西日が差し込んできて暑かった。窓を開け放し、玄関までが全開にされている。
ぼくの家は町屋というほど広くはない。せいぜい長屋というところだろう。いや、よく考えてみれば玄関口がひどく狭くてやせっぽちのぼくでないと入居出来なかった。大家がケチな上にぼくが交渉下手だったせいで、この一間しか使えていないが、隣はどちらも空いているのだ。他の部屋さえ使えれば町屋と呼べるだろうに。
ぼくだけがここいらに住んでいる。この狭くて垢じみた臭い部屋で酒を飲んでいる。ひとりで。
小鬼はやあと片手を上げて、それから自分の瓢箪に口を付けてぐびりと喉を鳴らした。自分の飲む分はわきまえているらしい。大きな二本の角をほんの少し傾げて、尋ねた。
「随分と荒れているね、調子はどうだい」
「どうもこうもないさ、不景気でさ」
「そりゃあ飲むしかねえな、飲みねえ飲みねえ」
「飲むのはいいが、つまみがないんだ」
ぼくがそう言うと、なぜだか小鬼は膝を叩いて呵々大笑した。
「そりゃあ大変だ、困ったねえ」
「そうだそうだ、困った困った」
ぼくも大概酔っているので、兎にも角にも笑うしかなかった。
笑うか怒るか泣くか、ぼくにはもうそれぐらいしかなくて、そしてそのどれも大差ないのだった。
それだったら笑うのがいい。怒るのは疲れるし、泣くのは涙の水気と塩気がもったいない。笑うなら、腹筋を痛くするだけで済むのだ。
「なあ、小鬼さんよ」
「わたしは伊吹萃香だよ、人間。あんたは何てんだい」
「うん、まあ、名前なんかいいじゃないか」
ぼくは気恥ずかしくて、名前を言わなかった。別に好きじゃない。
「名前より大事なのは酒とつまみだよ、何かお持ちでないか。さもなきゃ何か買ってきてくれないか。お代は後で払う」
「嫌だよ、人間の店屋なんか。煙臭いし、外は暑いし」
「ここだって暑いよ。後生だから何か作ってくれよ。ここには酒と塩しかないけれど」
「面倒だなあ、自分の指でも食ってればいいよ。味付けは塩でいいだろう」
萃香はそう言ってぐびりぐびりと酒を飲んだ。そうして自分の指の先に塩をちょっと付け、ちゅぷりとしゃぶった。
見よう見まねでぼくも同じようにしゃぶった。美味しくはない。
「美味しくないよ」
「じゃあかじるんだな」
「痛いよ」
「痛いのもスパイスさ」
萃香はそう言ってけたけた笑うと、ぐっと顎に力を込めて一刹那のうちに、人差し指を噛み切った。
唇がぬらりと赤い血にまみれている。幼げな顔に似合わない口紅のように鮮やかだ。ぼたりぼたりと溢れてくるのを、ちゅうちゅうと吸っては飲み下していた。ちろちろと覗く舌も確かに赤い。
「いいなあ、美味しそうだなあ」
ぼくはぼんやり言った。酔っていてよく分からなかった。遠い景色のようだった。
萃香はちゅっと高い音を立てて指を口から抜いた。
「いるかい? 一口ならいいよ」
「本当かい。いいのかい」
「いいよ。たいして減るもんでもないからね」
そう言って萃香はぼくの方に指を差し出してきた。ぎざぎざした切断面には今にもしたたり落ちそうな鮮やかな色をした血と肉と、ほんの僅かに骨までが見えたような気がした。肉色を目の前に突きつけられて、ぼくは少しだけ酩酊が冷めたのを感じた。
背筋を、じっとりとした汗が降りていく。風が一筋吹いて、額の汗を冷やした。
「要らないのかね」
鼻先で笑ったような声で、萃香は言った。
ぼくは何も答えなかった。ごくりと喉の奥が動く。
「血が、落ちてしまうよ。もったいない」
言う通り、指先からじわじわとにじみ出てきた赤い雫が、玉を作り、線香花火のように今にも落ちてしまいそうだった。
ぼくはそっと指の下に自分の手のひらをささげ、受け皿のようにした。やがてはたりと雫が落ちてぼくの手のひらは血に染まった。暖かい血だった。ぼくはその赤い点をじっと見つめていた。夕陽の照り返しを受けてきらきら輝いていたのが、徐々にぼやけて見えて、それが少しずつ見覚えのあるような形に変わっていった。
小さな萃香がそこにいた。手のひらの上で、ちょこんとあぐらをかいて座っていた。
やあ、と片手を上げて、それから小さな豆粒以下の瓢箪を持ち上げて小さく喉を鳴らした。ぼくは二度ほど瞬きをした。
「舐めなよ、せっかくのつまみなんだから」
小さな萃香は甲高い声でそう言って小馬鹿にしたように、ふんと笑った。
ぼくはもう何が何だか判らなくなってしまったので、空いている方の手でこわごわ酒を飲んだ。味はしなかった。ただ飲めば飲むほど喉が渇いてしまって仕方がなかった。
手のひらが、萃香の指からそれた。そのせいで血は床に落ちた。畳の上に玉を作って、それからじわじわとしみこんだ。それをまたじいっと見つめているごとに、小さな萃香が出来た。
「もったいないなあ」
三重の声で萃香たちは言った。急に回り始めた酒のせいで頭がぐわんぐわん揺れた。
ぼくはたまらずに答えた。
「判ったよ、舐めるよ」
「ならよし」
そうして、ぼくの口の中に指がぐいぐい押し込まれていった。抵抗も出来ない。味も何も判らない。ただひたすらに鉄臭く、それからなぜだか乳臭いような気もした。乳幼児のような乳臭さだった。ぷっくりと短い幼児のような手が押し込まれて息も出来ない。無遠慮で不作法な指が頬骨やら鼻やらに食い込んで痛い。
それを洗い流すようにして安酒をかっくらった。不思議に酒精の匂いが生臭さを洗い流し、安い臭い合成酒を爽やかにする気がして、酒がいくらでも飲める気がした。ぼくは買い貯めてあった一升瓶を台所から持ってくると封を切った。
「そうこなくちゃ」
けたけたと笑って、萃香はまたもう一本の指を噛み切った。またぐいぐいとぼくの口に押しつけてくる。こっくりとした生臭みは、二度目ともなると少し慣れて、これはこれで良いつまみなのかもしれないと思い始めてきた。
倍になったつまみと一緒に酒をぐびりぐびりと飲み続ける。頭がぐらぐらと揺れている。ただもうそれを忘れるために酒を飲んだ。味は分からない。喉奥から何かこみ上げそうになってくるのを押さえるために、毒水を飲み続ける。ごげえと臭いげっぷがでた。
すっくと萃香が立ち上がった。
「ああ、こんなんじゃ足りないや。ちょいと包丁借りるよ」
そうして台所から出刃包丁を持ってきた。さびが所々浮いている、ろくに研いでいない刃先を、自分自身の首元に当てて何のためらいもなく引いた。
短くてふくふくした、座っているのかどうかも怪しいような幼児の首筋に赤い線がくっきりと浮いた。
萃香はくきくきと首を鳴らすと、ほいと、包丁を差し出した。
「自分じゃ上手く切れない。ちょっとやってよ」
「は?」
「つまみが足りないだろう」
萃香はこともなげに言い、そしてぼくの手を取って、包丁を無理矢理握らせた。
「ああもう、これだから酔っぱらいは。フニャチンめ。嫌んなる」
そうしてぼくへ、いや、ぼくの握っていた包丁の刃先へ向けて倒れかかってきた。ぼくはあんまり酔っていたので、避けられなかった。のど元がちょうど当たるようにして上手く倒れた。
肉を抉る感触が、柄を通して伝わってきた。湿って暖かいものがぼくの足の間を通っていく。
半ば千切れた首と胴の間からごぼりごぼりと赤い液体がわき出していた。
甲高い笑い声がした。
大変だ。集めなくちゃ。大変だ。
ぼくは震える手であふれ出た血の洪水をかき集めた。指の間から逃げていく赤い液体のそこかしこに、小鬼の笑い顔が浮かんでいた。血の池地獄からごぼりごぼりとわき出た萃香がぴょこぴょこ飛び上がり、浮き上がり駆けていく。
「ほうら、おいで鬼さんこちら」
歌っていた。踊っていた。逃げていく。遠く遠くへ逃げていく。
ぼくは床にしみこんで逃げようとする萃香の背中をつまんでは首筋にぐいぐいと押しつけて戻した。きゃいきゃいと笑いながら萃香はまた逃げていく。暑い中で氷が溶けていったり、水が乾いていくように、萃香は上に飛んだり床にもぐったり大忙しだった。
ぼくはだんだん面白くなってきてしまって、台所から大きなコップを持ってきて、集まっただけの萃香を全部かき集めていれた。それからふきんをかけて輪ゴムで止めて、冷凍庫にぱたんと入れた。
古びた白物家電のブゥゥゥンンンという音の向こう側できゃいきゃいと小鬼たちはいつまでも騒いでいた。
あとがき
これがホントのスイカバーですねわかります(棒読み)
タイトルは舞城王太郎の作品のパロ。
i0-0i
作品情報
作品集:
27
投稿日時:
2011/07/14 15:03:22
更新日時:
2011/07/15 00:03:22
分類
伊吹萃香
オリキャラ男
ややグロ
ナンセンス
まぁ、酒があれば小鬼がおることもあろうて。
遠慮深い人ですね、この主人公は。
張り切って、鬼ごっこ。
貧弱な彼に鬼の遊びは、ちと、刺激が強すぎたかな?
ルビーの如く、怪しく輝く命の雫。
買い物行って、ツマミを調達してこよう。
出来るなら映像や漫画なんかの別の媒体でも見てみたいなと思いました。
楽しくも奇妙な酒の席。ぜひともご一緒させていただきたいです。