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『霊夢の舌は爬虫類だった』 作者: 狂い
神社の境内を掃く、石畳の擦れる音が頭の中でずっと響く。視線を変えず瞬きすら忘れ、半ば呆けた目で夕暮れの風が舞わせた塵芥の行き先を追う。涼しさを幾分か増した穏やかな風だったが、次第に草木を揺らすほどの勢いに変わり
「……ん」
なびく髪を抑えた博麗霊夢は、その中で神社に迫る風切り音を耳にした。風音が大きさを増す度に重苦しい不安が腹の底から湧いて出た。霊夢はすがるようにして箒を胸に抱き夕闇掛かった空を恐る恐る見上げた。髪を揺らす風の向こう、落葉に似た小さな点──それが人影と分かった霊夢はうつむいて目を閉じた。遅れて聞こえた足音の先に顔を向けると、霊夢はこめかみに皺を寄せ目を細めた。
夕暮れで血液色に染まる鳥居の一端をかすめ、脱力し切った両足をもたつかせながら降り立った霧雨魔理沙は人形のような青白い顔色で
「よう」。
つか、つか、石畳鳴らし焦点の合わない、ぎょろぎょろと窪んだ瞳で固まったままの霊夢を見詰めた。霊夢は唇を噛み締めた。自分の唇が過度の乾燥しているのが分かる。無意識に舌先で唇を舐めた霊夢は、はっと我に返って口元を手で覆った。
──見られた?
恐る恐る魔理沙を見ると、唇を釣り上げ霊夢をじっと見据えていた。
「……何?」
霊夢はそう言って魔理沙と向きあったが
「あ?」
舐めるような目で魔理沙に見上げられ、霊夢は言葉に詰まった。先までの笑みは消え、首をねじ曲げて霊夢を凝視した魔理沙の眼は、巫女の霊夢が息を呑むほどに魔物めいた輝きを孕んでいた。魔理沙の引き絞られた虹彩が断末魔の妖怪のそれに見えて霊夢はしばらく言葉を失っていた。
「何の用……魔理沙」
「お前に会いに」
霊夢は鳥肌が立つ寒気に身震いした。真夏の薄暮なのに、凍える体に気色悪い汗が浮かんで仕方ない。滴になった汗が霊夢の前髪に流れすっとした鼻筋に玉のような粒を結んだ。こめかみに張り付く艶のある黒髪の束に吸い寄せられるようにして魔理沙は
「ほらっ、来いよ!」
「痛い……」
顔を歪ませた霊夢の腕をねじり神社の陰に連れ込んだ。
「んん!」
人気の無い社殿の真裏で魔理沙は荒っぽく手を離した。くっきりと痕が残る腕を押さえている霊夢に構わず
「ま、まり……きゃ」
魔理沙は強引に彼女を押し倒す。木張りの縁側に横たわった霊夢に跨り、目玉をぐるぐる動かして華奢な体つきを眺めた。衣擦れの音が響く中、胸倉を掴まれた霊夢はうめきながら鼻をすすった。眉を曲げ惑う霊夢を見て、魔理沙は
「ベロ。ベロ見せろよ。見せてみろよ自慢のベロ」
半笑いで求めた。霊夢は顔を反らし、口を結んだままだったので
「聞こえないのか。えーってやるんだよ、えーって」
“こういう風に”と自分の口から舌を伸ばして再び催促した。
「………いやだ」
「え?」
口を結んだままの霊夢に目を丸くした魔理沙は
「はあ? なんだよ霊夢……自分から見せてくれるじゃないかいつものようにベロ伸ばしてくれよ口開けてみろよこんなふうにいいい!」
霊夢に馬乗りになって両腕を塞ぐと、彼女の口に指を突っ込んだ。霊夢は唾を散らして抵抗するも
「………そうそう」
歯の隙間をこじ開ける万力のような魔理沙の力に屈し、しゃくり上げ、少しずつ唇を開いた。
青味かかった歯の淵、糸を引くよだれを押し退けて姿を見せた霊夢の舌先に目を奪われた魔理沙は
「……くくっ、うふふ、うふふ」
喉奥から際限なく込み上げる声を抑え切れず、霊夢の舌と真っ赤に腫らした瞳を交互に見詰め続けた。
霊夢の舌は爬虫類だった。肉厚の中央部から先端にかけ縦に大きく引き裂かれていた。二又に別れた異形の舌肉は艶めかしく、まるで双頭の音叉にまとわりついた二匹のぐっちゃぐちゃの幼虫を想起させる蠢動を魔理沙に見せつけてくる。夕陽を照り返す生唾がスリットに吸い込まれていくさまに目を奪われた魔理沙は
「はん……むぅ」
と大きく口を開けて霊夢の舌を吸った。肉の境目の感触を楽しみながら二又の付け根に舌先を突っ込む。霊夢は抵抗しなかった。こつっと霊夢の指先が床に垂れ落ち、両腕はだらりと緩み、魔理沙のキスを虚ろ目で受け入れていた。二又の舌の一端を甘く噛みほぐされ霊夢は声にならない喘ぎを漏らし、狂おしく感じてしまう舌の痛みに涙を流した。
「あんたみたいなクズがいるとジメジメして嫌ねえ」
なめらかに動く霊夢の舌が毒を吐き捨てた。
──霊夢の口の悪さは折り紙付き
幻想郷の誰もが理解していた。魔理沙もまた霊夢の雑言を聞かされなかった日は指で数えるほどしかない。息を吸うくらい、まばたきする頻度。整った愛らしい顔立ちからは想像できないほど汚い言葉は速射弾幕のごとく。霊夢にとっては当たり前のようで誰彼構わず悪態突いた。幼馴染に対しても霊夢の舌は和らぐことはない。むしろ友人に近い存在だから遠慮を知らない。魔理沙は自分がタン壺にしか思われていないのではと、考えるくらい四六時中汚い言葉を吹っ掛けられ続けた。
霊夢は郷の調停者かつ討伐者だ。異変解決と弾幕では右に出るものはいない。いつも巫女様、巫女様と持ち上げられていて人間も妖怪も頭が上がらない。それが彼女を増長させているのかもしれないが、魔理沙には彼女の本心とは別に、霊夢の舌自体が意思を持っているとしか思えないほど口調は荒みきっていて
「あんたいつもトロいわね。早く付いて来てよ」
異変解決のときには凍った目線で遠慮なく言われた。自分より劣った生き物を軽視するあからさまな蔑みが霊夢の舌から際限なく放たれた。霊夢には天恵がある。“生き物を弾幕でいたぶる加虐の才”がある。敵を追っている最中、気分が高揚している霊夢の口調はいつもより酷さを増す。涼しい顔をして弾を放つ霊夢に付いていくことができない魔理沙は異変の時には常に背中を追わなければならなかった。スピードには自負はある。しかし避けながら動くのは不得手だ。極彩色の弾幕を避け、懸命に追い縋る魔理沙を
「もう片付いたわ。相変わらず遅いのね。邪魔だし帰って寝てたら?」
膝に手を付き息切れしている魔理沙を見下しながら腕組みの霊夢は言い放った。労うという事を霊夢は知らない。
霊夢の冷酷な口調に慣れることはなく、魔理沙は霊夢の舌を見ることさえ億劫になった。霊夢の舌から奏でられる不協和音を聞くたびに腹の底から湧き出る胆汁の苦味に心身が摩耗していく。異変解決で霊夢と別行動を取り始めたのはもう随分と昔のことだった。
神社で宴会があった。十数の人妖が飲み散らかし気狂いのように騒ぎ過ごす。松明が夜影を照らす境内の座で魔里沙は意識的に霊夢から離れて酒を呷っていた。魔理沙はちらりと霊夢の姿を一瞥した。霊夢は上機嫌に頬を染め輪の中心に居座っていた。視線を戻すと聞こえてくる霊夢の高笑い。魔理沙は途端、気が滅入った。彼女の甲高い声を耳に入れるだけ霊夢の舌の動きが思い返され、『私は罵られているんじゃないか?』と勝手に頭の中で変換されて届く。なるべく霊夢の座と離れた一角で魔理沙は背を向け彼女を視界に入れないようにちびちびと酒を飲んでいた。魔理沙が座っている一帯は、騒ぎを好まない物静かな連中ばかり。言葉静かに杯に浮かんだ月を呑み干していたアリス・マーガトロイドは、魔理沙が隣に座ってから喜色そうな微笑みを浮かべ続けていた。空になった魔理沙に律儀に徳利を傾けるアリスに何度目かの礼を返しながら
──霊夢にもアリスくらい分別があれば
盃に浮かぶ自分の顔を見詰めながら魔理沙は思った。
「ねえ、魔里沙って恋人いるの?」
「──ええ、ああ何?」
おずおずとしたアリスの言葉を聞きとれず苦笑いを浮かべ魔理沙は頭を掻いた。
頬を赤らめたアリスを見て、随分と酔いが早いんだなと。アリスの慕情を鑑みる思慮も浮かばず呆けた声でアリスに問いを求めた。うん、と嘆息した後、アリスは少し眉を曲げ、
「えっと、だから、魔理沙は──好きな人とか」
口を尖らせてぽつり。苦笑を漏らして言葉を紡ごうとした矢先
「馬鹿ねえアリス。根暗なこいつに彼氏なんている訳ないじゃない」
視界に入った赤白の袖。強烈な嫌悪感が心臓を締め付けた。魔理沙は顔も上げずじっと盃を見詰めていた。徳利を持った手をアリスの首に絡めながら霊夢は
「動きもトロい。気も利かない段取りも悪い魔理沙ちゃんに男が寄ると思う? 昔からこいつの事知ってるけどそんな話聞いたこともないわ」
鼻を鳴らした。
「アリス。どうして魔理沙にそんなこと聞いたの。もしかして好きなの? 嫌だわアリス。冗談は魔理沙の顔だけにしておきなさいよ、ねえ。こいつなんかより私と遊びましょうよ」
自分を見下げている霊夢に視線を合わさず、魔理沙はただ乾いた笑いを浮かべるだけで無言のままだった。呂律が回っていない様子からかなり悪酔いしていると、魔理沙は思った。そんな中で言葉を返したら間違いなく霊夢は脊髄反射的に絡んでくる。何の役にも立たない経験則が霊夢との付き合いの中で形成されていた。しかし、霊夢の地を知らないアリスは眉をしかめ
「言い過ぎよ」
しつこく肩や頬を撫でまわしてくる霊夢から顔を背け、絡みついた腕を振り解いた。
「は?」
くちゃくちゃ下品に動き回っていた霊夢の舌が動きを止めた。にやにや、弛緩していた口元を強張らせ霊夢は不機嫌そうに口を真一文字に結んで、魔理沙に向きあうと
「魔理沙ぁ。あんた身の程知りなさいよ。アリスくらいしか話し相手いないくせに」
酒臭い息を吹き、襟元を引っ掴んで
「──くず、ごみくず魔理沙──ふふ」
霊夢は魔理沙の表情をわざわざ覗き込んで満足そうに、にやつくと
「行きましょアリス」
強引にアリスの手を掴んだ。アリスは心配そうに魔理沙を見詰めていたが、強引に引き立たされ、霊夢がいた元の座へ連れて行かれてしまった。
頭の中は真っ白に染まった。自分が何をしているのか、どこにいるのか、私の存在が消えてしまったくらいの青白い中空。その中で真っ赤な舌が浮かび上がった。時折、その見覚えある舌が私に向き直って、ぴちゃぴちゃ音を出すのだ。聞き取りにくい、汚らしい水音で
「クズくず魔理沙クズ魔理沙」
ぐじゅぐじゅと唾を垂れ流しながら、生き物のように動くその舌が突然、ぱかっ。
くす玉の動きで真っ二つに割れた。
──おめでとう
祝福の中身は、ねば付いた血と肉片。真っ白な頭の中をどんどん広がり、隅々まで真っ赤に染め、
「ああ、そうか。切ってしまえばいいんだ」
「で、これはどういう事かしら魔理沙」
「心配することはないぜ霊夢──すぐ終わるから」
「終わるとか聞いてるんじゃないわよ! このクズ!!」
霊夢が目を剥いて唾を飛ばした。
「なんで目が覚めたらこんな手錠掛かってるのよ魔理沙!! トロトロしてないでさっさと解きなさいよ!」
「相変わらず──だな」
魔理沙は嘆息して、霊夢の姿を見た。
金属製の椅子に座っている霊夢──それぞれの腕置きに手首を繋がれ、背中の椅子から伸びた鉄製のリングが彼女の首を固めている。霊夢は顔を赤くして力を込め腕を引き抜こうとしたが、万力のごとく固定されている手首を外すことは不可能だと悟った。霊夢は唯一自由の利く両足をばたつかせ、薄汚れたトレーを抱えている魔理沙をにらんだ。
「それにしてもひどいな霊夢、私が縛ったって証拠もないのにどうしてそんな──」
「すっ惚けないで魔理沙。ここはあんたの家でしょう! あんたに呼ばれて、わざわざ出向いたんじゃない──それで私は──」
記憶を思い返そうとする霊夢に
「思い出せないか?」
と魔理沙はがちゃがちゃトレーの中を引っ掻きまわしながら言った。
「どうでもいいわよ! とにかくあんたが縛ったんでしょう? 本当──いい加減にしないさいよ!! クズ! クズクズ! 訳分かんない!! もう最悪! このゴミクズ! もうあんたなんかとは絶交──っあっげえぇぇ」
牛蛙の鳴き声を霊夢は響かせた。
「口、慎めよ」
鈍痛と一緒に腹から込み上げた酸っぱい唾が口から漏れる。霊夢は吐いた唾の先に目をやると、魔理沙のこぶしが腹に突き刺さっていた。
「そうだよ。お前を私の家に呼んで、出したお茶に薬盛って、眠らせて体縛ったのも全部私。なんでこんなことしたか分かる?」
目を見開いて涎を垂らしている霊夢の口に魔理沙は指を突っ込んだ。
「いはい! いたいひたひい!!」
指で挟んだ分厚い霊夢の舌を引っ張り上げ
「霊夢を助けてあげたいんだ」
ぶるぶる震える舌を興味深そうに見詰めた。
「今までの人生で、自分の言葉、気にしたことある?」
魔理沙はつぶやいた。顔をよじって魔理沙の指を振りほどいた霊夢は
「はあ?! 何言ってるの?」
眉をしかめた。ああ、やっぱり、と得心してため息を漏らした魔理沙だが
「お前の舌に原因があるんだ。根性曲がってるからとか、そういうのじゃない。私の思った通り──」
錆の浮いた金属の光沢をちらつかせ
「お前のベロが、悪かったんだ」
満面の笑みを霊夢に投げ掛けた。
「ベ……ロ? ちょ……っと、い、意味分かんないし。待ってよ、なんで……メスなんか持ってるの」
「切らなきゃ、ベロを切って矯正させなきゃ」
狂気じみた魔理沙の言葉に顔色を青くした霊夢は
「ねえ魔理沙、冗談でしょ?──う、やめろ! 触るな!! 近寄らないでよ、このごみくず女!!! い、いや、口から手どけなさいよ! やめろ気違い! それ以上触ったら殺してやるっ! 指食いちぎって、殺してやるからあ!」
再び自身の舌を引っ張りだそうと手を伸ばした魔理沙に歯を剥き出しにした。魔理沙は構うことなく霊夢の口内に指を突っ込もうとしたが、狂った蝉のように甲高い大声でわめき立てる霊夢に手を焼いて
「大人しくしろよ──ほらさあ──しゃべんなって!」
メスの尖った切っ先を霊夢の口に突っ込んだ。霊夢は糸の切れた人形のように、体を固まらせ大人しくなった。
「いいんだぜ。このまま声帯切ってしゃべれなくしても。そっちの方が効果あるかもな? 霊夢はどっちがいい? 舌切られるのと、喉潰される方」
突っ込ませたメスで霊夢の歯を打ち鳴らしながら魔理沙は言った。ふう、ふうと荒い呼吸を繰り返すだけで、黙りこくる霊夢は、声を絞り出して少しずつ言葉を紡ぎ始めた。
「ねえ、魔理沙……今ならまだ、あんたのしたこと許してあげる。誰にも今日の事、言い触らしたりしない……全部水に流してあげるからもうやめ」
魔理沙はメスに力を込めた。
さっくりした意外な感触の後、遅れて伝わって来たのは、耳をつんざく馬鹿みたいな悲鳴だった。魔理沙が舌からメスを抜くと血の飛沫が指先を濡らした。呆けた視線で霊夢を見ると
「いっええええええ!! いえええええっつっつえ!!!」
ぐりっとベロを強張らせ目を引ん剝いて叫んでいた。流れる薄紅に色づいた唾液の源流、舌の中央から溢れ返るこんもりとした血液の膨らみが舌先から伝ってメスに流れ、床に斑点をつくった。舌全体が焼け焦げているかのような熱さ。冷たいはずのメスがまるで焼鏝を突っ込まされている感覚が襲った。
「ふーっ。ふーーーっ……!!」
霊夢は痙攣するまぶたの中で、魔理沙を射殺すように睨んでいた。未だ置かれた立場を知らない霊夢の視線にため息をついた魔理沙は
「このくらいじゃ足りない」
と肩をすくめた後、霊夢の穴の開いた舌先に指を突っ込んで、舌全体を引きずり出そうとした。指の太さに傷が広がり、口内から伝わる肉の裂ける音に霊夢は背中を粟立たせた。出鱈目に体を動かし、羊のような間延びした呻き声を出したが魔理沙は気にもしない。片手で引っ張り上げた舌に、メスと一緒に永遠亭から泥棒した鉗子をきつく噛ませると、霊夢の舌は伸びっ放しで折り畳むことさえできなくなった。魔理沙はトレーの中、金色に輝く数十センチほどの糸を霊夢の目の前に掲げた。まるで自分が医師になった風体で
「霊夢、これは合金でできた外科用の糸だ。金剛石のかけらをまぶしているから、切れ味はメスの比じゃない」
と説明した。魔理沙は穴の開いた舌に糸を通そうとした時
「ええもうっ……いやはあ……! いやだああ!」
霊夢は目を腫らして子供のようにぐずった。
「もう、終わるから……な? 霊夢。そんなに泣かないでも大丈夫だって」
魔理沙はよしよしと頭を撫で涙を拭き取り、霊夢の舌に合金の糸を通した。魔理沙にためらう様子は微塵もない。濡れた唾で滑らないよう、そして自身の指を切らないために革のフィンガーキャップを付け通した糸の端を持った。
「ああ、少し引いただけでこんなに血が出るんだな。引くたびに、どばどば溢れてくる」
「ああ──ああなんへ……っああうううああああ!!」
ついに魔理沙の指先が、糸のこぎりを引く動きで舌を裁断し始めた。霊夢の額から幾粒もの汗が流れた。生々しい、水を含んだ砂を包丁で刻んでいるような、抵抗感のある音が舌先から伝わり、霊夢の顔は一気に蒼白した。魔理沙が指先を上下するたびに猛烈な痛みが脳を揺らした。
「うえええええっ!!!うええっ!!! エエエエェッ!!」
けたたましい泣き声を聞き霊夢の舌を切っている間、魔理沙はこの上ない高揚感に包まれていた。自分を何度も悩ませてきた、諸悪の源を己が手で切り落とすことができている。波打つ味蕾のぶつぶつが露出した、舌肉の断面から滲み出る血液が、魔理沙自身と“霊夢”を苦しめて来た毒液に見えた。霊夢もこれで救われる。他人を傷つける言葉がもう彼女から放たれることは無いだろう。望まない言葉で人を傷つけて苦心してきたのだろう。でももうすぐ、霊夢も大人しい、思慮のある子になれるのだ。魔理沙の思いが血とよだれに濡れた指先に力を込めさせた。すでに糸刃は霊夢の舌先に達しようとしている。
「もう……いやはあ、うっぶ、まりはあ……本当に許ひへえ……」
霊夢は完全に脱力した。びくびく動いていた指先はだらりと垂れ、瞳は、死魚のそれに類似し、くけっけええと引き付けを起こしながら時折白目を覗かせた。
「頑張れ霊夢。最後だ」
舌先寸前、数ミリまで刃を入れた魔理沙が場違いな声で鼓舞した。
みりみり、ぶちゅうり。幻想郷で自分しか聞いたことがないだろう、舌が裂ける生々しい水音。神経が鋭敏な舌の先をカットされたことで、洪水のようにあふれてくる激痛が霊夢の記憶を遠くに追いやった。聞きとれない魔理沙の声が脳髄にこだまする中、霊夢はとうとう白目を剥いて意識を失った。
舌を切ってからしばらくは霊夢を神社に帰さず、魔理沙は自宅で看病を行った。舌を切るだけでは満足しない。霊夢の舌が別れたままの“スプリットタン”に仕立てることが魔理沙の目的だった。スプリットタンは傷を放っておくと、二又がくっついて再生してしまう。傷の断面に薄いセロハン状の保護薬張り付け、二又の舌が癒着し合わないよう、魔理沙は腐心した。唾が出るたびに傷に染みて悶え苦しむ霊夢に付きっきりで看病した。水を飲もうとしないので舌全体が干物みたくがさがさに乾いて、脱水症状を起こす時もある。魔理沙は身を砕いて霊夢の世話を行った。軟らかい流動食を毎朝こしらえ、毎晩霊夢の体を清め、熱が出た日には一晩中そばについて汗を拭った。霊夢を嫌悪していた過去が想像できないくらい、魔理沙は献身的になった。
しかし霊夢は怨霊に似た言葉にならない低いうなり声を上げ、魔理沙を睨んだ。食事をひっくり返し、奇声を上げ魔理沙に掴みかかろうとする時もあったが、日に日に襲う酷い疼痛と高熱でしゃべることすら億劫になって魔理沙を罵ってやることもできなくない有様。舌を切ったくせに甲斐甲斐しく世話を魔理沙に不快感を覚える日が続いたが、舌の傷が痛み、言葉も出せない、ただベットに横になるしかない霊夢は不本意ながら魔理沙を頼りにする以外なかった。
絶対に殺してやる、自分と同じ目を合わせて幻想郷の皆に言い触らしてやるんだから──
自分の大事な体を傷付けたクズ魔理沙に、憎しみ覚えなかった時間は一切ない
──でも魔理沙がいなくなったら
献身的な魔理沙に、霊夢の思いは次第に表情を変え──
分厚い雲が重なる陰鬱な日だった。数日前から続いた霧雨が強さを増し、地雨になって迷いの森を濡らす。天の表情はさらに機嫌を損ね、度重なる雷光と横殴りの雨が霧雨亭を叩くその真夜中。
「うう……ううう」
生温い湿気と心臓を強張らせる不規則な雷鳴に当てられたのか、ベットの中で霊夢は呻き声を上げながら頭を抱えた。いつもより増した痛みが頭の中を駆け抜けていく。口の中の舌は腫れあがり唾を飲むたび感じる血の味は霊夢に酷い悪心を引き起こさせた。
「うう……誰か」
意識は朦朧としていた。
──呼んじゃだめ……呼んじゃだめ
耐えなければならない。霊夢は口をきつく縛った。込み上げてくる絶対に許してはならない欲求を霊夢は必死に抑え付けていた。
「……いっぐうう……!」
落光刹那、雷の地響きが霊夢の舌を直接的に揺さぶった。痛みと同調した舌の脈動が頭の中で鳴り響く。形容し難い鈍痛が頭の中で尾を引き、過敏になった聴覚が──ぎいっと部屋のドアが開く音を捉えた。木質が擦れるドアの開閉とこつこつと自分に近づく足音を聞いた霊夢はぎゅっと目をきつく閉じ息を吐いた。波のように押し寄せる痛みで霊夢の自尊心は、丸裸に剥かれていた。
「…………………………………………魔理……沙……痛い……よぅ」
魔理沙の、流水のように心地良く冷たい手を握り返す。火照る体の熱が奪われていく心地良い感覚が魔理沙の掌の中にあった。
──魔理沙なんかに……
忌避する心は残っている。顔さえ見たくもない。本心でそう感じているのだが、出所不明の“依存”に巻かれた未知の安心感が胸の奥底に染み出してくるのだ。こうやって魔理沙の柔い胸に顔を埋めていると──それはもう、どうしようもないほど。
「薬、持ってきたから」
水に溶かした痛み止めが入ったグラスを手渡され霊夢は恐る恐る口を付けた。しかし
「……痛ぃ!」
と腫れた傷口が痛み、激しく咳き込みながら薬のほとんどをグラスに戻してしまった。魔理沙は霊夢の背をさすりながら、グラスを手に取る。魔理沙は躊躇なく血の浮いた薬液を口に含んだ。鉄錆びた匂いが鼻を突く。唾液と膿みで粘度が増した薬液を、霊夢を痛がらせないよう口の中でぐじゅぐじゅに混ぜ、温めた。霊夢はぼうっと魔理沙を見詰めていたが、意図を汲んで静かに口を広げた。霊夢の口が開いた途端、膿みと血を混ぜ腐らした、すえた口臭が辺りに広がったが、構わず魔理沙は霊夢の頭を抱き、覆い被さって薬を口移しした。薬液の乗った魔理沙の舌先が霊夢の割かれた舌に触れると、びくっと肩を震わせた。魔理沙はゆっくりと傷口に舌を添わして、薬を塗りこめていった。唇に当たる霊夢の鼻息がとても熱い。痛みに耐えている霊夢は目を引き絞り、ぎゅうぎゅうと魔理沙の手を反射的に握り返す。口の中の水分を全て霊夢に与えた魔理沙は静かに唇を離した。
以前の気の強い彼女からは想像できない程、霊夢は従順になっていた。
桃色の唾液が糸を引いた。
「ふうう……! ふう……」
じんじんと熱っぽい頬を赤らませた霊夢は眉を八の字に曲げ、何か言いたげな表情で魔理沙に視線を合わせた。あからさまな惑いが浮かんでいた。我に返り、絡め合っていた指を振り解こうとした霊夢だったが魔理沙の指は固まったままだった。強引に体を手繰り寄せられ魔理沙の胸元に顔を埋めた霊夢は
「やだ……離れて」
必死な上目遣い。
「霊夢から抱きついてきた癖に」
魔理沙は鼻で笑った。
「どうして自分から離れないんだ?」
「違う……違うの……」
夜が明けるまで、霊夢はずっと独りごとを繰り返していたが、結局魔理沙から離れなかった。子守りされているように髪の毛を撫でられ続け、温かく心地良い魔理沙の胸の中でこくりこくりとそのまま意識を失ってしまった。
「霊夢、最近もの静かになったね」
毎日のように掛けられるこんな文言を霊夢は何度聞いただろう。魔理沙との一件以来、霊夢はずっと口をつぐんだままだ。
鏡に映る自分を見る。変わりもしない整った顔立ち、流れる濡れ鴉の黒髪、白磁の柔肌、桃色の唇、薄い空色青味掛かった歯列から覗く────血のように赤い二又、異形の舌
博麗の巫女の舌が爬虫類だと知れたら自分はどんな顔して生きていけばよいのか。宴会や外遊びで羽目を外して騒ぎ立てるのが大好きだったのに、うかつにしゃべったり、笑い声を上げれば
魔理沙に施されたスプリットタンを面前に晒すことになる。
以前の霊夢と比べて、人が入れ替わったように大人しくなったため、周りの人間から何度も不思議がられたが、薄笑いを浮かべて曖昧で聞き取りにくい返事を返すしかなかった。狂ったように酒乱していた飲みの席でも、静かな面子と会話少なく酌み交わすことがほとんどになり、名前を呼ばれるたびに、表情を強張らせて体裁を取り繕わなくてはならない。あまりにも人見知りが激しくなったため、霊夢が以前何度も軽口を叩いていた連中に嘲笑されることも多くなった。その中で、ただ一人、霊夢に付きまとってくる人間──
霊夢の秘密を握っている魔理沙は──
毎日、霊夢に舌を出すように強要した。取り憑かれたように霊夢の舌を見るのが日課になっていた。時には宴会の大衆の前で、異変の真っ只中で、参拝客が鈴を打ち鳴らすその真横で。魔理沙が顎で指図するたび、霊夢は露骨に顔をしかめたが
「ばらしてもいいの?」
と脅し殺され、周りの目を伺い、魔理沙にだけ見せるよう控え目に口を開いた。真っ赤な二又の舌と上気して眉をひそめる霊夢の表情を交互に見遣った後、魔理沙は
「動かしてよ、いつもみたいに」
半笑いの口から荒い呼吸を漏らし、要求する。霊夢は舌を収め、顔を振って拒むが、瞬きしない魔理沙の、異様にぎらついた目に魅入られためらいがちに口を開くと舌の片方と一方を擦り合わせ、ぬた、ぬた、と唾を混ぜ合わせた。まるで恋人同士が激しく抱擁している動きで、別々に神経の行き届いた二枚舌を絡ませ合う。そして咲き始めの花びらのごとく割かれた舌を立ち上がらせた。舌先の一端と一端にかけ唾が糸を引く。ここまでが魔理沙の欲求する動きと、理解している霊夢はすぐに口を閉じて目を反らした。霊夢の舌の艶めかしい動きを見届ける度、魔理沙はよく出来ましたと言いたげな笑みを送る。霊夢は
「──最低」
目を細め、眉をひそめてつぶやくのだが──決して魔理沙のそばから離れようとはしなかった。
魔理沙にスプリットタンにされ彼女の胸に抱かれて過ごしたあの晩の、忌まわしい痛みと共に刻まれた、自分の舌と魔理沙の舌が混ざり合う感触が霊夢の中でずっと尾を引くのだ。
心の底では嫌悪しているのに、キスを迫られると
「はん……むぅ」
霊夢は抵抗しなかった。自分が一人きりの時を狙って、半ば強引に舌を絡ませてくる魔理沙から離れることができなくなった。蹂躙する魔理沙の舌に吸われ、歯で噛まれ、されるがまま。
放っておけばよいのに、興味を失って口を離してくれるはずなのに。魔理沙の舌の動きが鈍くなると、霊夢はおずおずと、すがりつくように自らの二又の舌先を開いて左右から絡ませた。唾液が融け合う熱さを感じる度に霊夢の心の中が生温かな安堵が芽生えた。魔理沙は舌の動きを緩め異なる方向から包み込んでくる霊夢の舌の感触を堪能した。自分の舌を止めると霊夢は求めるように舌を乗せてくる。魔理沙はそれを見抜いていた。
「…………んん、魔理沙……」
霊夢が甘えた声を上げる。早く魔理沙も舌を動かして──と言いたげに、控え目な上目遣いで魔理沙を見詰めた。
霊夢の裂けた舌の中心に魔理沙は舌を突っ込んだ。霊夢は両頭の舌で魔理沙の舌を締め上げ、絞り出した唾液を喉の奥に導いた。口を離し、魔理沙の上唇と下唇を別々の舌先の一端を使って這わせると魔理沙の口を押し開き、奥歯を舌の割れ目に挟みこんで前歯までの歯列を添わせるようにして舐め上げた。
敏感になった舌の割れ目の粘膜に魔理沙の歯先の尖りが当たるたびに、魔理沙と過ごした真夜中の耐えがたい痛みが頭の中を去来して、霊夢は深いため息混じりの声を上げた。
「霊夢」
魔理沙に名前を呼ばれ、はっと我に返って霊夢は口を離す。自分の両手が魔理沙の肩に置かれているのに気づいて、彼女を突き飛ばすようにして魔理沙から離れた。
「……違う……の……こんなの……私」
霊夢は何度も何度も口を拭いながら、ぶつぶつと自分に言い聞かせるよう言葉を紡いだが
「いや……魔理沙……離して」
再び唇を塞がれた。霊夢は首振って拒んだが、意思を持ったかのように動く双頭の舌を止められず、とうとう自分から魔理沙の口に舌を突き入れ彼女の舌を掠め取った。
絡み合って蠢く三つの生肉の感触に霊夢は気が遠くなり始めた。
狂い
- 作品情報
- 作品集:
- 28
- 投稿日時:
- 2011/08/04 21:11:32
- 更新日時:
- 2011/08/05 06:15:03
- 分類
- 霊夢
- 魔理沙
- スプリットタン
- 二枚舌
痛い描写ありすぎて口内炎がすげぇ痛くなった
コツコツと霊夢の口撃が積み重なって狂う魔理沙。すごく良い。
スプリット舌というのは自分にとって未開の領域で、いろいろと引き込まれました。
あと二枚舌というタグが好きです。
魔理沙と霊夢の歪んだ依存関係のお話、たまらなく面白いですぅ!!
意地でも魔理沙の世話にならず、誇り高く自害する事ぐらいしろよな、霊夢。
自分自身、自覚無かったのでしょうね。
助けてくれる魔理沙の事を、愛していた事を。
これはマジで最低な魔理沙。
こんな最低な魔理沙なら、最低って言われても本望でしょう。
最低な人間には最低と言ってあげよう。
安っぽい「最低」じゃないし、充実してるよ〜。
四枚の舌先が絡み合う様なんかは、なかなかエロチックだろうと妄想。
強制的に顔をあわせにゃならんクラスメイトでもなし、ガチで嫌ならとっくに
離れ離れですよね。なんだかんだで絡み合わずにいられない二人にウフフ。
読んでる間何度も舌の先がヒュンとしてしまった