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『産廃百物語B「アリスとキリギリス」』 作者: box

産廃百物語B「アリスとキリギリス」

作品集: 30 投稿日時: 2012/08/21 15:00:20 更新日時: 2012/08/22 00:10:26
※この作品は(多分)ホラーです
苦手な方はブラウザの戻るボタンをどうぞ





























 夏の曲がり角だった。

 幻想郷は、まだ夏の始めだった。



「ようアリス、遊びにきてやったぜ」


 アリス・マーガトロイドは、ドアを開くなりはばかることも無く溜め息をついた。霧雨魔理沙は眉をひそめてみたが、アリスがそれを意に介する様子は無い。


「おい、いつもお一人、友達いないよアリスちゃんのところにきてやったて言うのに、その態度は無いぜ」
「いないんじゃ無い、作らないだけよ」


 棘の生えた文字。だが、その中身に苦味は無い。
 アリスは魔理沙に背を向け、部屋の奥へ戻る。魔理沙は少し微笑むと、敷居を跨ぎ扉をくぐった。


「お土産はあるかしら」
「ツケで頼む」
「そう、ならいいわね」


 そそくさとティーカップを片付ける様子に、魔理沙は慌ててポーチに手を突っ込み、幾つかの小瓶をテーブルに放り投げた。


「素直でよろしい」


 アリスは小さく頷くと、再びティーカップを戸棚から出した。


「それで、今日は何の用かしら」
「時間の有効的な消費について研究しててな」
「つまりは暇つぶしね」


 アリスはまたも溜め息をつくことになったが、いつものことだった。研究が行き詰まった魔理沙がアリスの下を訪れ、溜め息をつきながらそれを迎えいれる。
 初めはあまりの図々しさに人形で追い払ってたアリスだったが、そのうち諦めるようになった。アリスはゴキブリのようなしつこさを前に、呆れ果てると同時に匙を投げたのだった。


「ねえ、そういえば、あなたのその白黒って・・・」
「何だって言うんだ」
「ゴキブリ?」


 途端に、魔理沙に苦虫を噛み潰したような物が浮かんだ。
 単語に反応して、ではなく、あっけらかんと首を傾げるアリスに対して。


「お前な、それが今から飲み食いする奴の話題なのか。第一、白はどこから来たんだ」
「あら、脱皮したばかりのだと白いわよ」


 魔理沙はティーカップを引き寄せながら、深々と溜め息をついた。最も、不慣れさが滲み出た、明らかに堂に入ってなさげなそれではあった。


「あのなぁ、確かに私は男前だぜ。しかしな、一応私だって女何だぞ、虫は嫌いなんだ!」
「当たり前よ、私だって虫は嫌よ」


 アリスは自分で注いだ紅茶に軽くキスをすると、息を継いだ。


「でもね、魔理沙。目の前に有りもしない物に怯えるなんて、非論理的だとは思わないかしら」
「ならお前は、うん・・・うん、だかなんだが言う奴とカレーが食えるのか!」
「ええ、勿論」
「・・・やってられるか!」


 魔理沙は鼻息荒く足を組むと、ティーカップを一気に煽った。
 アリスは、魔理沙が舌を火傷して悶絶する様を、にこやかに見つめていた。


「〜〜〜〜〜〜〜ッッ」
「どうしたの、らしくないわね」
「お、おみゃいのひぇいでゃろ!」


 魔理沙はしばらく、涙混じりの両目をひくつかせるように瞬きしていた。そして、一転して肩を萎ませながら、砂糖の瓶を引き寄せて開けた。


「さて、甘党の私は・・・・・・・」


 が、そのまま小匙をとることなく、魔理沙は無言で瓶を閉めた。


「どうしたの、塩でも入れるのかしら」
「バター茶じゃあるまいし・・・」
「もしかして砂糖アレルギーなの」


 悪戯っぽく笑うアリスに、魔理沙は無言で砂糖の中身を見せた。






 瞬間、


「きゃあああっ!」


 払いのけられた砂糖瓶が、木製の床と熱烈なキスを交わし、粉々に砕ける。
 が、その破片をかいくぐり、半寸にも満たぬ緑色の影が宙へ飛び、アリスのスカートへ飛びついた。


 「むむむ、虫ぃ!」


 ギーッ、ギーッ、ギーッ、

 バッタ目とされる昆虫の中でも限られた種―――――キリギリスのみが発する音が、アリスの表情をより歪ませた。


「ま、魔理沙、とってよ!」
「冗談言うな!私だって好きじゃないぜ!」


 と、そのあいだにも、キリギリスはその小さな歩調で、暢気にアリスのスカートを垂直に上がってくる。
 ギーッ、ギーッ、ギーッ、
 その鳴き声に、アリスの手は反射的に動いていた。
 そして、


「きゃあああっ!」
「今度はどうした!」


 アリスは金切り声を上げながら、水瓶に走っていった。そして、哀れただの緑色肉な塊と化したキリギリスを、ほぼペースト状と言って差し支えの無いそれを、水で洗い流し始めた。


「おいおい・・・・虫は大丈夫じゃなかったのか」
「言ったでしょ!言葉と実際にいるのは違うって!」


 半狂乱に喋りながら、アリスはもう何もついてない手をしつこく擦っていた。


「全く、どんだけ嫌いなんだよ」
「あなただって、取りたくないとか言ってなかった!?」
「義理が無いのにやってられないぜ」


 アリスはようやく水瓶から手を出すと、冷めかけた紅茶を喉に通し、深く溜め息をついた。


「ああ、もう、何なのよ」
「へへ、おい、あー、なんというか」


 魔理沙は少し前のアリスそっくりな顔をすると、口を開いた。


「らしくないな、アリス」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」


アリスは俯きながら、赤面した。










[アリスとキリギリス]




 「いや、良い見物だったぜ」
 「もう!」


 アリスはばつの悪そうに、新しく注いだ紅茶に口をつけた。


「しかも逃げるんじゃなくて叩き潰すってのが私好みだったな」
「止めて、思い出したくも無いわ」
「お前、自分の言ってる意味が分かってるのか」
「ええ」


 低い声でそう返すと、アリスは小さくため息をついた。


「しかし、大丈夫なのか」
「何が」
「あんだけ酷く叩き潰したんだ、化けキリギリスでも出てくるぜ」


 魔理沙は歯を見せながら、声もなく笑った。
 何らかの恨みを持って死んだ者が、妖怪として転生する。妖怪の成り立ちとしては余りにも良くある事例である。
 が、


「馬鹿馬鹿しいわよ、全く」
「何でだ」
「幻想郷に蚊の妖怪がいたかしら」
「ちぇ、バレたか」
「第一、動物でそうなるのはかなりの年数生きた個体じゃないと無理よ」


 ようやくらしくなったな!
 そう高い声で言うと、魔理沙は笑いながら転げ回った。


「・・・・・何が面白いのかしら」


 アリスは今日何度目になるかわからない溜め息をつくと、魔理沙から目線を切った。






 ―――――――あれ

 まだ夏に入ったばかりよね

 キリギリスにしては、やけに早いわね





「む、何か言ったか」
「何でも無いわ」


 そんなこともあるだろう。
 アリスはそう思考を打ち切ると、また魔理沙の方に向き直った。






◆ ◆ ◆ ◆






「・・・・・・ん」


 アリスは小さく呻きつつ、細い肢体を目一杯に伸ばした。そしてすっかり縮みきっていた筋 肉をほぐすと、再び彼女はその身体をソファに沈み込ませた。


「魔理沙が来たせいで、すっかり作業が遅れちゃったわ・・・」


 人形がテーブルの上に投げ出され、可愛らしく転がる。
 アリスには一応、「自律人形の作成」なる目標があるものの、大して熱意があるわけでも無い。故にその研究内容は、その時々のインスピレーション――――――即ち思いつきによる人形制作が主である。
 一見、適当な生活サイクルに見えてしまうが、その研究方針は彼女自身の魔法に起因する。人形の使役及び作成という行動において、最も重要なのはそれその物ではない。生み出し、使いこなす人形。その整備こそが人形使いにとって最大の壁なのだ。複雑かつ高度な機構を持つ人形であればあるほど、その頻度は重要性を増していく。
 実際、アリスはそのために、人形に関連しない魔法の殆どを習得していなかった。
 生まれつき持つ幻視能力や最低限必要な捨虫の魔法はまだしも、その他一切の魔法には手すらつけていない。
 言ってしまえば、人形無しではただの木偶である。
 最も、それを自覚してる故に、睡眠時間を削ってまで人形の整備に時間を割いていたのだが。


「やだ、まだお風呂にも入って無いじゃない」


 改めて、初夏のむせかえるような熱気の中、ずっと自室に籠もりきりであった自身を思い出し、アリスは眉をしかめた。
 窓の外は既に、一筋の残光すら存在しない闇の中であった。


「・・・・・都会派の名が廃るわ」


 そう悪態をつきつつ、アリスは鬱蒼と立ち上がった。彼女の記憶が正しければ、薪なんて物はつい昨日切らしていた。
 魔理沙め。今度来たら、すり潰してジャムにでもしようかしら。
 時間の無かった主原因である昼間を思い出し、アリスの眉間には地底に続く風穴よりも深いしわが寄っていた。


「紅茶でも煎れようかしら」


 気分を変えようと、アリスはキッチンに足を向けた。


 ギーッ、ギーッ、ギーッ、


「あれ」


 虫の、鳴き声。
 昼間、あれほど嫌だった。
 今年は、夏の進みも早いのだろうか。
 アリスは歩を進めながら思った。

 しかし


「・・・・・・?」




 違和感。

 不穏。




――――――何故だろうか。





 ざらついた感触に背筋を舐めされながら、アリスは機械的に歩む。
 そして、茶葉の入った瓶の蓋に手をかけて、





――――――あれ?

――――――音が、近い





 ギーッ、ギーッ、ギーッ





 瞬間。


 「・・・・・・・・・・ッ!」


 アリスはほぼ反射的に、瓶の蓋を閉めた――――――もとい、叩きつけていた。
 陶器と陶器が擦れ合い悲鳴のような音をあげる。
 だが、その背筋を舐めるような気色の悪い音でさえ、アリスには届いてはいない。

 ギーッ、ギーッ、ギーッ、

 鶸萌黄色の羽が震わす音が、アリスの聴覚でハウリングする。



――――――何故?何処から?何時の間に?

 幾重にも連なる思考にアリスは沈むが、明確な答えなど、得られる筈もない。
 ただ入り込んだのか。魔理沙、もしくは何処かの妖精の仕業なのか。それとも―――――――


「・・・・・・考えても仕方無いわね」


 アリスはそこで思考を打ち切ると、静かに瓶を持ち上げた。
 そしてそっと窓を開けると、窓の外で瓶をひっくり返し、またすぐに閉めた。


「はぁ・・・・・・」


 ようやくアリスは脱力すると、強張っていた肩を降ろした。


「家ももう傷んでいてるのかしら・・・・」


 間違いない、今日は厄日だわ。
 アリスはそう呟くと、また台所に足を向けた。紅茶の葉は駄目になっても、夕食は済ませる必要はあった。
 汲み直した水瓶から一杯の水を汲むと、アリスは戸棚から作り置きのパンを一つ手にした。


「さて、気を取り直して夕飯に・・・」


 

 ギーッ、ギーッ、ギーッ、


 「!!」


 アリスはソファに下ろしかけた身体を、一気に硬直させた。
 
 が、直ぐにまた腰を下ろした。


「音が小さい・・・・外ね」


 まるでノイローゼだわ、とアリスは思いながら、手にしたパンを頬張った。








 じゃり





 ギーッ、ギーッ、ギーッ、




「〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」


 感触。
 歯を通して、脳髄に伝わった感覚。
 その食感と苦味に、アリスは反射的にそれを吐き出した。


 その、固い殻を破るような食感に。


 その、血と臓腑を溶かしあったような味に。



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



 夥しい量のキリギリスが、
 生きたままのキリギリスが埋め込まれた、それを吐き出した。



「・・・・・・!!」


 アリスの手に握られたパンの断面にも、キリギリスはいた。
 後方を千切られてもなお、ギー、チョン、と鳴き続ける物。
 頭を千切られ、前脚だけが機械的に痙攣を繰り返す物。
 幸運にも無傷で娑婆に現ることができ、触角を揺らしながらアリスを見つめる物。
 数多の虫が蠢くそれを、アリスは茫然自失と眺めていた。


「何よ、これ・・・」


 ギー、ギー、ギー、


「何だって言うのよぉッ!」


 アリスはパンをその場に叩きつけると、ブーツのかかとで踏みにじった。
 黒緑色のペーストが床に塗りたくられるが、アリスはそれを何度も、何度も踏みにじり続けた。


「違う・・・悪戯なんかでも、入り込んできた訳でもない!」


 偶然入ってきたキリギリスが、わざわざパンに入り込むだろうか。
 いや、それ以前に、中のキリギリスを生かしたままパンが焼けるものであろうか。
 答えは、考える前に出ていた。


「でも・・・ならなんだと言うの・・・?」





『あんだけ酷く叩き潰したんだ、化けキリギリスでも出てくるぜ』





「!!」


 アリスは思わず、口元を覆った。
 何気なく、魔理沙が言っていた言葉。
 普段ならば鼻で笑うだけの冗談にしかならないし、事実そうだった。

 だが、


「今はまだ、夏の初め・・・・・・・」




――――――――「早い」キリギリスなんかじゃあない



――――――――「遅い」キリギリスだった!



 早く生まれたキリギリスではなく、昨年、あるいはもっと昔から生き続け、冬を越したキリギリスが、死んだ。
 そう考えれば、魔理沙の言ったことも冗談では済まなくなってくる。いや、もうすでに済まされない。


「・・・・・運が悪いとか、そんな問題じゃないわね」


 アリスは頭を抱えると、唸りつつソファにもたれる。
 仮に相手がその化けキリギリスだとすれば、危険極まりない。おそらく、無抵抗のままでいれば朝には無残な死体が一つ出来上がるであろう。
 それに気が付いてるからこそ、アリスは頭を抱えた。
 が、頭を抱えるだけの冷静さが残っているのは、アリスにとってまだ幸いであった。


「取り敢えず、人形を持っておかなきゃ」


 通常、妖怪は夜に人を化かし、そして喰らう。それは自身の力が最も増大するから夜なのであり、同時に対象を最も恐怖のどん底に叩き落とせるのもまた夜だからだ。
 が、逆を言えば、いくら敵わなくても朝になればまだ希望はあるのだ。例え全てのキリギリスに対応できなくとも、時間さえ稼げれば良い。
 アリスの最も得意とする、合理的な思考である。

 だが

 悠長に思考する暇など、有りはしない。
 


 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



 悪魔のチャイムが、再び響いた。


「まずい!」


 アリスはソファから起き上がると、家具類を突き飛ばしながら駆け出した。
 焦燥が、アリスを駆り立てる。
 そして人形置き場のドアノブを掴むと、乱暴に開いた。



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



 何かが人形置き場の暗がりから転がって来た。
 それはよろよろと迷走した後に、アリスの爪先に当たって止まった。




――――――見ては、いけない―――――――



――――――これは、いや、そんな―――――




 アリスは冷たい汗の味を唇に感じながら、その林檎ほどもある球体のそれを、拾いあげた。




 それは



「――――――――――ぁッ」



 絶句と共に、それはアリスの手からこぼれ落ちた。



 真紅色の小さなリボンがつけられた、それは

 黄金色の髪を棚引かせ、つぶらな瞳がアクセントだったそれは

 かつて『上海人形』と呼ばれていた物の頭だったそれは、顔面の凹凸その他一切を削られて、見るも無惨な有り体であった。



「そん、な・・・・・」



 キリギリスという生物は、穀物やイネ科植物の穂、あるいは自分より小型の昆虫類を主食とする。
 さらに言うならば、彼らはけして群れない。自らのテリトリーに同性の他個体を入れることは無いし、共食いすら日常的に起こる。



 人形置き場の、暗がりの中。
 数十体にも及ぶ数のアリス製の人形達。


 その全てに、人形の外観が見えなくなるほどのキリギリスが群がり、本来食し得ない筈の物を咀嚼していた。


 糸によって縫合された、部品の接合部。
 木製の、留め金。
 歯車同士を固定するための、木棒。


 とどのつまり、


「嘘、でしょ・・・」


 今のアリスの身を守れる存在など、この世のどこにも存在しなかった。


「ぃ・・・ぁ・・・」


 ありのままの恐怖。
 生々しい死の匂い。
 それが今初めて、現実的な実感となってアリスの心を掠めた。
 アリスの無意識下で、後ろにあった右脚が半歩ほど下がる。
 ブーツとフローリングが擦れ、僅かに軋む。


 それが、引き金だった。




 何百、にも上る数のキリギリス。
 それらは一つの意思を持った生命のように、顔を上げ、

 はっきりと、
 アリスを見た。



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



「嫌ああああああああああッッ!!」


 瞬間、

 何百匹ともしれぬ緑色の群れが、暗がりから飛び出した。
 ただ一つの、標的へ向かって。

 キリギリス、きりぎりす、蟋蟀。
 前脚に発声器官を持ち、長い触角を持つバッタ目の昆虫が、所狭しと部屋中を飛び回る。
 アリスは半狂乱になりながら腕を振り回すが、それはその数匹でさえも捉えられない。



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



 腕から、足から、肩から、髪から、アリスのありとあらゆる体組織から、粗野な合唱が響く。怯えた色の悲鳴とともに。


「嫌ぁ!何よ、これ!」


 全身に張り付いた異形を取り除こうと、アリスは壁に打ちつける。手を、背中を、額を、膝を。
 健康的な肌色が、恐怖に晒された蒼白い色が、緑の肉団子に塗りつぶされてく。


「あああああああ、もう!」


 埒があかない。
 まともに働かぬ頭で悟ったアリスは、飢えた野犬の如く、台所へ這いずり、水瓶に飛びついた。


「うああああああ!」


 そして、けして軽くは無いそれを持ち上げ、水を全身にぶちまけた。


「はぁ、はぁ、はぁ、」

 水瓶を放り捨てると、ようやくアリスは叫ぶのを止めた。
 彼女に取りついていたキリギリスの殆どは水の呷りを喰らい、床に叩きつけられていた。


「このっ!たかが虫けらのくせにっ!」

 そして荒い息遣いのままアリスは、痙攣しつつ小さく鳴くキリギリスを片っ端から踏み潰していく。
 心の底からの、生の感情を丸出しにして。


「私が何をしたと言うの、ねえ!答えなさいよ!」



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



 故に。
 アリスは、今になってようやく気付いた。



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、 



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



 上、下、右、左、そして前、後ろ。

 三千世界、花鳥風月、XおよびY空間座標のその全てが、同じ音に染まりきったことを。
 染まりきっていたことを。


「あああああああぁぁぁぁーーーーッ!!」


 アリスは両の腕で耳を塞ぐと、玄関のドアを蹴破り、駆け出した。
 人形を持つことすら無く、髪を振り乱し駆け出すその姿は、最早アリス・マーガトロイドではない。
 ただ、哀れなだけの存在であった。


「何で、私が、ワタシが、こんな目にッ!」


 魔法の森は、死んだような闇に包まれていた。雲が立ち込め月光すら届かぬ大地を、アリスは本能のままに疾走する。

 だが、

 広葉樹林のもたらす隆起。
 度重なる往来によって踏み荒らされた道。
 整備されて無い故に、一つのヤスリとして機能している地表。
 アリスのその一歩一歩が、アリス自身を傷つけていく。
 が、それでもアリスは走るのを止めない。

 それは言うまでもない。



 ギーッ、ギーッ、ギーッ、



「その音を止めなさいよおおぉぉーーーッッ!!」


 音は、

 恐怖の群れは、ついてくる。

 明確な一つの意思を持って。

 アリスは走る。
 ただ、走る。
 逃げようと。
 逃れようと。

 無意味に。
 そして、無慈悲に。


「あっ」


 力強く張り巡らされた、太く巨大な木の根。幾重にも、無限大に森の全てに張り巡らされた罠は、一切の感情を持たずにアリスを捕らえた。
 重力と重心の管制を失ったその身体が、コンマ数瞬ほど宙を舞い、そして地面とのランデブーを果たした。
 同時に、緑色の合唱団とのランデブーも。


「来ないでェッ!!」


 アリスの金切り声も虚しく、彼らは一斉にアリスの下へやってくる。跳び、跳ね、走り。虫の海は、彼女を包み込んだ。
 無数の、羽音、
 こすれ合う音、
 ギーッ、ギーッ、ギーッ、
 アリスの聴覚の全てが、たった半寸にも満たぬ虫に犯されていく。


「もがっ」


 アリスの震える口の中に、一匹のキリギリスが飛び込んだ。
 アリスは慌てて吐き出そうと口を開いたが、それが全くの無駄であった。
 一匹を吐き出す間に、別にの二匹が。二匹を吐き出す間に、四匹が。四匹の間に無数のキリギリスが、アリスの中を犯す。
 触角で粘膜を絡めとり、棘で内膜を傷つけて。
 口だけではない、耳、鼻、それらをこじ開けるようにして、緑色の侵略は進む。
 ギーッ、ギーッ、ギーッ、と、凱歌をあげながら。


 「痛い、痛゛い、あぁ!」


 アリスは叫ぼうとしたが、声帯はおろか食道まで埋め尽くされた彼女には到底なし得ないことであった。
 朱く、そして蒼白い唇を、鮮やかな紅の粘膜を、小さな可愛らしい舌を、キリギリスはかじり、千切り、咀嚼する。
 改めて言い直すが、キリギリスの主食には、肉が含まれる。


「あぎぃっ!」


 アリスがやっとのことで出した声―――――――もとい呻きは、知性や教養を微塵として感じさせぬそれだった。
 もはや、ただ呻きのた打ち回るだけのその存在は、あまりにも虫達とも大差無かった。


「〜〜〜〜〜〜ッ!!」


 ただでさえ見境なくのた打っていたアリスの肢体が、一段と跳ねる。
 アリスを蹂躙するキリギリスの一兵卒が、その前脚で彼女の右目を引っ掻いたのだ。
 か弱い虫の力では網膜その他一切を破壊することはかなわない。が、それが痛みそのものであり、それが傷であることには変わりない。
 紅よりも朱いものが、アリスの頬を伝い緑の服を染める。


 しかし


「ぐ・・・・あ・・・」


 鋭く、冷たい痛みは、アリスの崩壊しかけてた自我を僅かに覚ました。
 それが幸か不幸か、その判断は一概には決められないが。


「逃げ・・・逃げ、なきゃ・・・・」
 灰色の脳細胞のほんの一部分が、迷路をさ迷う。出口の無い迷路を。答えのまるで無い迷路を。
 が、その中で、アリスは思考の海から浮き上がった。


「う、うぁ、」


 アリスは一面の緑の中を、ゆっくりと腕を動かした。
 右と左の手のひらを、抱き合わせるように組む。


「あああああああッ!!」


 敢えて、もう一度言おう。
 アリスは、人形無しではただの木偶である。
 しかし、それは、けして彼女の魔法使いとしての技量が低いことを表してはいない。
 ただ無駄でしか無かった、気まぐれに聞きかじっただけの魔術回路、そして友人の見よう見まねでしか無いそれを、アリスは発動させた。

 暴走という形でもって。


「ーーーーーッ!ーーーーーッ!」


 爆発。
 そして、発火。
 アリス自身の魔力を燃料として生み出された熱、光、そして炎は、瞬く間に燃え広がった。
 アリスを包む全てのキリギリス――――――――そしてアリス自身にさえ。
 息も出来ぬ熱に、アリスは転がり、手足を叩きつけ、火を振り払う。
 哀れ生きたまま炭と化したキリギリスたちの焼死体は、その災害によって砕かれ塵と化しまたアリスにまとわりついたが、アリスがそれを意に介する様子は無い。
 そんな余裕は一寸たりともありはしなかったし、アリス自身がその炭の仲間となっては元も子もなかった。










「はぁ、ああ、・・・・」


 約半刻を過ぎた頃、火の消えたアリスは死体が起きるように緩慢な動作で立ち上がった。
 が、ある意味でそれは比喩等ではない。
 柔らかな金髪はすすけて輝きを失い、透き通るような蒼の目にははっきりと靄がかかっていた。小ぶりな耳や唇には数え切れないぬほどの裂傷が刻まれ、その身体に火傷か痣の無い部位を探す方が難しい。無論、服等残っているわけも無い。
 まさしく死体のような状態。
 思考に靄がかかったまま、アリスは辺りをぐるりと見渡した。


「・・・・・・・・!」


 と、くたびれた色のアリスに、僅かな笑みの表情が浮かんだ。
 焦点の合わない、アリスの両眼の先。

 明々と光が灯る、こじんまりとした、小屋と言っても差支えの無い家。
 闇と木々の海に、灯台のように鎮座するそれは、アリスにとって、ただの掘立小屋とは天地ほど差がある僥倖であった。
 その舘の名は、霧雨邸。
 アリスの無二の友人である霧雨魔理沙が、日々暮らしている場所。
 戦闘能力、及び魔法において大妖怪とされる面々にも引けを取らない、英雄の場所。
 そして何より、身はおろか心まで憔悴しきっていたアリスには、他のどんな空間よりも尊く感じられる場所であった。


「やった・・・これ、で、・・・・・」


 片言の独り言を呟きながら、年端のゆかぬ子供にも劣る速度でアリスは歩く。
 だが、風の寝息以外には全くの無音である空間に、アリスのその歩みを阻む者はいなかった。
 アリスは静かに霧雨邸のドアに近づくと、間隔を置いてドアをノックした。


「ん?勝手に入っていいぜ」


 ガラス越しに聞こえた声に、アリスはもたれかかるようにしてドアノブを捻った。軽くドアが軋み、そして開く。



 ―――――――ああ、助かった。
 


 アリスは、今日初めて、安堵の溜息をついた。

 アリスが霧雨邸を訪れることは、あまり無い。
 しかし、
 散乱した本、家具、そして何ともしれぬマジックアイテム。
 まともに掃除も為されず、あちこちに溜まった埃。
 空調をせず閉めきっているため漂う、独特の奇妙な、形容し難い臭い。
 そして来客が来たと言うのに、ごみ山に埋もれて俯き、何かをいじり続けている魔理沙。
 その、生活感―――――――何事もない『日常』が、何よりもアリスには染み入った。


「誰だか知らんが、もう少し待っててくれ」
「私よ、魔理沙」
「なんだ、アリスか」
「なんだ、とは何よ」


 気付けば、アリスの口元はだらしなく緩んでいた。
 生を実感できる、喜びに。
 憮然と悪態をつける、ありがたさに。


「それで、こんな夜更けにどうしたんだ?」
「・・・・人形が無くて、妖怪みたいのに襲われたの」
「妖怪?それってまさか、昼間の・・・」
「ええ、化けキリギリスってやつよ」


 何だって、と肩を強張らせながら、魔理沙はごみ山の中から立ち上がった。
 そして、





 ギー、ギー、ギー、





 ―――――――――え



 魔理沙はくるりと、アリスの方を振り向いて



「そのキリギリスってのは、」



「こんな感じだったよな?」



 二尺ほどもある、長大な触覚。
 細長く、緑色の顔の最上部に位置する、両複眼。
 そして、顔の下半分を埋め尽くす牙。



 『キリギリス』が、そこにいた。



「きゃああああああああ!?」



 アリスは下腹部から尿を出し――――即ち失禁しながら、床へ後ろ向きに倒れこんだ。
 魔理沙の恰好したキリギリスは、ゆっくりと彼女の目の前に来ると、無言で彼女を見下ろした。


「嫌!もう嫌ぁ!」
「・・・・・・・・・・・」


 と、不意にキリギリスが屈み、その骨ばった手でアリスの首を鷲掴みにする。


「止めて、離して!」


 が、キリギリスがそれに応じることは無く、軽々とアリスを片腕で持ち上げると、そのまままたごみ山の中に引きずっていく。
 そして、先ほど屈んでいたそこに戻った。



 底も見えぬほど黒く塗りつぶされた、大きな穴に。


「何っ・・・な、の・・」
「・・・・・・・・・・・・・・、」



 ギー、ギー、ギー、



 キリギリスは返事代わりのようにそう鳴くと、その穴にアリスを放りこんだ。


「嫌ああああああああ!」






「・・・・あれ?」


 半狂乱に陥ってたアリスは、ふと我に返った。
 落ちた。
 限りなく、どこまでも落ちた。
 その筈なのに、アリスの身体には傷一つついていなかった。
 

「ここは、何?」


 その次にアリスが思ったのが、それだった。
 周りには円形状の壁と屋根があり、立ったり横たわったりで精一杯なほど狭かった。
 光は屋根の隙間から僅かに差し込むだけであり、非常に暗い。
 地面は一見砂が敷き詰められてるような物になっているが、良く見ればそれは明らかに白く、少なくとも砂ではない。
 壁や屋根の上からは、何かぼそぼそと会話のような物が聞こえていた。


「・・・・・・一体、何の為に作られたのかしら」


 ほんの少し冷静さを取り戻したアリスは、独り言を言って気を紛らわした。



 最も

 「彼ら」は、そこから先考えるような暇を、与えてはくれなかった。


「ひっ!」


 突如、砂のような物の中から、何かが這い出し始めた。
 それも一つでなく、同時にいくつも。
 が、既にアリスには、これから現れるものがわかっていた。理論や理屈などでなく、直感で。

 そして次の瞬間、白い砂の中からアリスの思っていた者たちが這い出ると同時に、屋根が開いた。


「「む、虫ぃ!」」




――――――――あれ、




――――――――今、私の声が、



 奇妙な感覚に襲われるアリスだったが、それを気にしている余裕は何処もなかった。 
 アリスはキリギリスたちのが身体が既に出かかり始めているのを見て、迷うことなく屋根の淵に足をかけ、飛び降りた。
 下に足場は無かったものの、幸いにも巨大な青い布が垂れており、アリスはそこに掴まることができた。


「ふう・・・・」


 逃げ切った。
 そんな安堵から、またアリスは溜息をついた。
 そして、ふと上を見上げ―――――――



――――――――え、



――――――――わた、し?



 そこにはあった。
 恐怖に歪んだ、アリス・マーガトロイドの顔が。
 



 唸りをあげて向かってくる、巨大な手のひらが。



――――――――ああ、



――――――――これ、ワタシ、キリギリス――――――――――



 そこから先の思考に至る前に、アリスの脳髄はその他一同の臓器と共に、ただの朱いペーストとなっていた。












 「え?」


 気付けばアリスは、自室のソファの上にいた。
 いや、正しくは、ソファの上で目覚めた。
 恰好は普段着のままで、しかも整備中の人形を抱えていることにアリスは驚き、危うくソファから転げ落ちかけた。


「夢・・・だったのかしら」


 何気なくアリスは呟く。
 肌の上を這いずりまわられる気色悪さはまだ残るものの、明らかに火傷や裂傷の類は、アリスの身体のどこにも無かった。


「・・・・・・・・・・」


 考えてもしかたの無いことだ。
 アリスの理性はそう訴えていた。
 ただ、そう片づけるには、あまりにも現実味のある夢であったのだ。


「きっとあれは、現実だったんだわ・・・・・」


 間違い無い。
 アリスは一人、そう言い切った。
 如何に証拠が無くとも、これだけは譲れなかった。



 ―――――――まあ、これからは、もう少し生き物を大切にしようかしら


 これ以上の思考は無駄と判断したアリスは、膝に手をつき、立ち上がった。













 そして、見た。

 無数のキリギリスの死体に埋め尽くされた、台所一帯を―――――――





 ギーッ、ギーッ、ギーッ、




end
教訓;アリスは爆発してナンボ


主催の癖に締切を29日だと思っていた、とんだロマンチストのboxです

書いてる間、何故か狼狐さんを思い出して涙がでました




・・・・なんて書いてる間に遅刻してしまっただとごめんなさい許してくださいなんでもしますから
box
http://boxgarden108.blog.fc2.com/
作品情報
作品集:
30
投稿日時:
2012/08/21 15:00:20
更新日時:
2012/08/22 00:10:26
分類
産廃百物語B
アリス
寓話
1. 名無し ■2012/08/22 01:58:54
アリスかわいい
2. 名無し ■2012/08/22 18:22:25
キリギリスの生々しい描写が虫への生理的嫌悪感を
巧く煽ってきて全身がむず痒いです・・・
そして緑の肉団子塗れのアリスちゃんかわいい
3. NutsIn先任曹長 ■2012/08/25 22:12:37
ホラー物の定番の一つである、虫の呪いですね。
理不尽に畳み掛ける、虫がただそこにいるだけの、恐怖。

幾度もの目覚めの後。
デバッグ済み、でしたか。
4. 穀潰し ■2012/08/27 01:56:23
無数の蟲に襲われるアリス。
不覚にも興奮しました。もっと貪られてもいいのよ?
5. 名無し ■2012/08/28 16:34:41
虫はやめろ。虫はやめろ。
ありすは精神的なものの中身が少々弱いイメージ。
最後に聞いた鳴き声によって発狂するであろうありすかわいい!
6. 紅魚群 ■2012/08/29 02:16:32
小さなものでも、数が集まれば凶悪な力となる。小さな一匹のキリギリスを殺しただけで、それが大群となって襲ってくる恐怖。パンの中にキリギリスが入っていたシーンを想像すると流石に身震いしてしまいました。虫は怖いです…。
でもアリスちゃんはキリギリスのメッセージを汲み取ることができたので、まだ救われる方なのかも知れませんね。
7. 名無し ■2012/09/02 12:39:52
虫の怖いところは注意し続けることが出来ないことですね。奴ら、どんなところにも侵入するしどんどん増えますし生物としてのあり方がシステマティックすぎて怖い。

今回アリスを爆発させたのはキリギリスでしたか。
さすがアバトンみたいに神格化されることもあるバッタの親戚さんやでぇ…
キリギリスと同化してアリスがバッタの王、アバドン王になる展開を密かに期待していましたがあるわけないよね、と思ってたら魔理沙が仮面ライダー化していたとさ。ぶったまげました。


一方、魔理沙はゴキブリにたかられた。
8. ギョウヘルインニ ■2012/09/04 02:33:24
アリスがキリギリスを好きになれるまでイナゴみたいに佃煮して食べさせるしかないですね。
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