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『レイマリ荒野を行く・ほんぺん』 作者: パワフル裸ロボ
幼い人斬り少女を、知っているだろうか。眼にも鮮やかな長い銀髪を先端だけで留めた少女。その少女は、背に二振りの刀を有し、民族衣装と思われる緋色の布の上着と、丈の長いスカートのように見えるズボンのようなものを履き、日差し避けに傘のような帽子を被った奇妙な少女だ。
出会った人物は、皆、口を揃えてこう言うらしい。
「妙な格好をした、親切な少女」
そう、彼女は非常に親切なのだ。宿を借りたならば、宿の主の仕事を積極的に手伝い、子供が言い寄るならば遊び相手になり、道に迷った老人が帰宅できるまで付き添ったり。その表情も優しげで、彼女を受け入れた街の住人に賞金首の人相書きを見せても、誰一人として同一人物だと思わないそうだ。
だが、それはやはり表向きの顔。彼女が街を立ち去る際、惨殺された死体が発見されるという。その犠牲者は、ある時は旅人、ある時は幼子、ある時は宿の主。必ずといっていいほど、彼女が発つ際には死人が出ている。それでも街の住人は、彼女は犯人ではないという。
目撃者が居たこともあったが、何故か彼らは口を揃えてこういう。「よく似た別人」と。
「すみません、こちらで旅人に部屋を貸している、という話を聞いたのですが……」
ある小さな街の、街の外観には似合わない大きな屋敷の入り口に、美しい銀髪をした少女が立っていた。背には二対の刀を背負い、和装と呼ばれる東洋の特徴的な服装をしており、頭には笠を被っていた。
「はい、ようこそお越しになられました。ご宿泊なさるならば、お部屋をご用意致しますよ」
その少女を出迎えたのは、妙齢の女性だった。髪は桃のような色をして、少女と似たような和装を身にまとい、流暢に膝を着いて挨拶をしてみせた。
「これは……この屋敷といい、主といい、東洋のものなのですか?」
少女は驚いたように女性を見る。女性は、柔らかく微笑んでみせた。
「かぶれ、といったところでございます。母方が東洋の生まれでございまして、わたくしはその遺志を継いでいるのです」
言い終わると、女性は淀みなく立ち上がり、手招きをした。
「立ち話も難ですし、どうぞ、お上がりください」
「では、有り難く」
少女も履き物を脱ぎ、女性の後に続いて屋敷の廊下を行く。
客室に向かう際、少女は屋敷のあちこちに視線を飛ばした。廊下のあちこちに飾られているのは油絵ではなく浮世絵。花瓶は寒色系の涼しげな涙滴型のものに百合が生けられている。廊下と部屋を仕切るのは障子で、見えた中庭は黄色い砂ながらも見事な庭園であった。
「どうぞ、楽になさってください」
客室に着くと、飴色のテーブルがあり、女性はその前に座った。少女もまた、女性の正面に正座で座る。
「これはまた、見事なお屋敷ですね」
笠を脱ぎ、脇に下ろす少女。その顔立ちはとても幼く、実年齢よりさらに下に見えるほどだ。女性は少々驚いた。年若い少女だと思っていたが、ここまで幼い少女だとは思わなかったのだ。
「ええ、そうでしょう。東洋から嫁いできた母を思い、父が東洋からわざわざ職人を呼び寄せて作らせた屋敷ですから」
ほう、と少女は、畳を指で擦ったり、天井などを眺めたりしている。
「では、改めまして。わたくしはサイオンジユユコと申します。それで、失礼かと存じますが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「ええ。私は、コンパクヨウムと申します。ヨウム、と呼んでいただいて構いません。これからお世話になります」
そう言って、少女と女性は互いに礼をする。
それからというもの、ヨウムは屋敷で働く下働き達の手伝いを積極的にこなしていった。皆は客人にそんな真似をさせるわけにはいかない、と丁重に断ったが、タダ飯は食えぬ、とヨウムは強引に押し切った。だが、彼女の能力は凄まじく、家事全般は完璧であり、長年勤めてきた下働き達が舌を巻くほどだった。
今では、下働きに混じって仕事をこなすヨウムの姿が、街の人々にすっかり定着していた。
「ヨウムさん、お掃除の手は一旦休めて、お茶にしましょう」
「ですが、サイオンジさん、まだ半分も……」
「あまりお手伝いさん達のお仕事を取るものではありませんよ」
「……はい。では素直にお言葉に甘えます」
そう言って、ヨウムは借りた頭巾と前掛けを外し、ユユコの隣に腰掛けた。季節は冬。雪の降らないこの大地でそれを知らせるのは、冷たい風と短い日照時間だけだ。
ユユコと並んで、湯飲みから茶をすするヨウム。彼女たちの前には立派な庭園と、葉が一枚も無い木が一本ある。
「……桜、なんですよ、あの木」
「さくら?」
ユユコの言葉に、ヨウムは疑問のこもった声で尋ねた。
「ええ。ここの大地は、桜が育つには厳しいのですが、父と母が、何十年もの歳月と手間暇をかけて、何百という失敗を重ね、やっと一本だけ、この大地でも花咲く桜を育てたのです」
「……」
ユユコの眼には、その様子をずっと見守ってきたような、柔らかさと懐かしさの光が見えた。つい、その様子に見入っていたヨウムは、ふと以前から抱えていた疑問を口にした。
「それで、あの、あなたのお父様とお母様はどちらに」
「……三年前に他界しました。先に母が。後を追うように父が」
「それは、すみません。失礼なことを聞きました」
柔らかな光をたたえていた瞳が、わずかに陰る。ヨウムはその様子にいたたまれなくなり、自分を心の中で叱咤した。
ズクン。よく知った黒い衝動がこの時、首をもたげた。
「お気になさらず。父も母も天寿を全うし、悔いを一つも残さず逝かれましたから。最期の顔は、とても穏やかでした」
「そう、ですか……。それは幸いです。では、そろそろ掃除に戻らせて頂きます」
空になった湯飲みを盆に戻し、頭巾と前掛けを再び身につける。そんなに焦らなくても、というユユコの問いかけに、体を動かさないと落ち着かなくて、と苦笑いで返して見せた。
コロセコロセ。ミナコロセ。ナニヲノンキニシテヤガル。黙れ!
あれから数日。ヨウムが下働きに混じって料理をしている頃に来客があった。ユユコが接客に出ていったが、なにやら妙に揉めている様子だった。揉めていると言っても、客人のほうが一方的にまくし立てているのを、ユユコがのらりくらりと流しているようだが。
ふと気になったヨウムは、台所から様子見しようと顔をだした。見えたのは“人斬りヨウキ”の人相書きをユユコに突き付ける、ガンベルトを腰に下げた三人の男たち。
気付くとヨウムは、台所の壁に保たれて、下働きの一人に顔色を心配されていた。記憶は薄いが、どうやら辛うじて身を隠したらしい。
「大丈夫かい? やっぱり、あんた頑張りすぎなんだよ。客人なんだから、ゆったり寛いでいればいいんだよ。誰も責めたりしないんだから」
「ええ、大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「そう思うんなら、部屋で休みなよ、ほら」
「あっ」
無理やり肩を持たれ、台所から引きずり出された。マズい、と思って玄関を見たが、既に男たちの姿はなく、心配そうな顔をしたユユコがこちらを見ているだけだった。
「どうなさいました?」
「ヨウムさんの顔色が優れないんで、部屋にお連れするところです」
ヨウムの顔色を窺い、まあ大変、とユユコは小走りに部屋へ向かう。下働きに抱えられてたどり着くと、ユユコが布団を敷いていた。
「連日の働きで疲れが溜まったのでしょう。本日はもうよいですから、お休みになってください」
「ですが……」
「ですがも何もありません。客人を扱き使い床に伏せさせた、等と話が広まれば、サイオンジ家の名誉にも関わるのです」
普段おっとりとしたユユコには珍しく、きっぱりとキツく言い放った。さすがのヨウムもその押しに負け、反論を口にせず素直に布団に入った。
「もう宜しいですよ。あなたは、お仕事に戻ってください」
「はい、ユユコさま」
下働きは一礼すると、部屋を後にした。部屋には、布団をかけられたヨウムと、その枕元に座るユユコだけ。
ふとヨウムがユユコの表情を仰ぐと、彼女と眼が合った。フフ、と微笑まれ、つい気恥ずかしくなり、視線をそらした。
「そういえば、ヨウムさん」
「何でしょう」
「あなたも、東洋の出身なんですか? このお屋敷への感想や、お召しになっているものは、まさに東洋人のものですが」
「……自分でも、わかりません」
え、と、ユユコは小さく驚いた。その反応を視界の端に捉えながら、ヨウムは続ける。
「正確には、記憶がないのです。私がどこの生まれで、何処で育ったのか」
すっ、と一呼吸起き、ヨウムは語り始める。
「二年ほど前、私は目覚めました。それ以前の記憶をほとんど失って。覚えているのは、言葉と、東洋の事と、自分がコンパクヨウムであると言うことと、刀の振り方。私を介抱してくれた方は、私が血に塗れて街の入り口に倒れているのを目撃して、助けてくれたそうなんです」
遠い眼をしたヨウムの表情は無に近く、一体何を思いながら語っているのは、ユユコには察することは出来なかった。
「確かに、東洋のことはそれなりにわかりますが、自分が東洋人なのかはわかりません。私は、自分が一体何者なのか、わかりません。この広い大地を旅して回っているのも、自分を知るためなのです」
そこまで語ると、ヨウムはユユコの顔を見た。
「ですから、ここにいたら何か思い出せるやも、と思い、いつもより長く留まりましたが、駄目だったようです。近いうち、発とうと思います」
ヨウムは微笑んで見せたが、それには寂しさしかなかった。思わず、ユユコはヨウムを抱き起こし、抱き締めた。
「いいのよ、ずっとここに居て。疲れたでしょう、そんな若さで、旅などと。もういいんですよ、腰を下ろしても。過去を取り戻せないのなら、今を大切に育みましょう。私に、それを手伝わさせてください、ヨウムさん」
ぎゅっと強く抱き締められ、涙声で囁かれる。ユユコの若い豊満な体に包まれていると、胸の中に柔らかな光が溢れてくる感覚がした。ヨウムの心はそれを掴もうとしたが、黒い影の存在を思い出し、途端に心を無理やり封じ込めた。
「……有難い提案ではありますが、やはり、私は過去が欲しいんです。自分が何者なのか、それがわからないと、不安で仕方がない」
ユユコの腕を優しく解くと、正面に涙を流す彼女がいた。
「こちらこそ、ご免なさい。あなたの事情を知りつつ、無理に押し付けるような真似を」
「ですが。過去を取り戻した際には、またここに、お世話になりに来ても、いいですか?」
ユユコの言葉を遮り、ヨウムは告げる。ヨウムの言葉に、彼女は涙を拭い、笑顔で答えた。
ナニヲシテイルハヤクコロセコロセ。アアオマエニハムリダッタナ、オレガヤル。ハヤクダセダセダセダセ。黙れ黙れ!
ナニヲイウ。オレハオマエダ。オマエノホンショウダ。イツマデイイコブッテルツモリダ。黙れ黙れ黙れ!
マズハジメハアノオンナダ。イイカラダヲシテイル。キザメバイイコエデナイテクレソウダ。アア、ハヤクキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイキリタイ。
「っ!!」
ヨウムは布団から飛び出た。辛うじて叫び声は上げなかったが、汗と呼吸の乱れは酷かった。限界を感じていた。早くしなければ、また取り返しのつかない過ちを犯してしまう。
明日発とう。いや、今すぐがいい。挨拶もなしに行くのは失礼かもしれないが、このままいるよりはずっといい。
思うが先か、ヨウムは寝巻を脱ぎ捨て、早々に着替えを始めた。片付けをする暇すら惜しい。ユユコや下働きの者たちには申し訳ないと思いつつ、手早く和装を着こむ。
袴を穿き、二振りの刀を背に負う。ふと辺りが暗いことに気が付き、今が深夜と知った。寝静まった皆を起こさぬよう、足音を立てずに廊下を行く。
ふと、ユユコの私室の前を通りかかった時、最低限の礼儀はいると思い、立ち止まり、扉に向かい合った。
「お世話に、なりました」
中の住人を起こさぬよう、囁くように告げ、頭を下げた。が、妙に感じた。
「(人の動く気配がする……?)」
ユユコがまだ起きているのだろうか。にしては、妙にバタバタした気配、いや、音すら聞こえる。
悪い、と思いつつも、気になって仕方のないヨウムは、つい、と引き戸を引いた。
「っっっ!?」
「へへへ、昼間見たとおり、いい体つきだぜ」
「いいかげん諦めなお嬢さん。それになにも、拷問しようってわけじゃねぇ。受け入れてくれるなら、お嬢さんも気持ち良くなるんだぜ?」
押さえ気味の、下品な笑みが聞こえた。ヨウムの眼に飛び込んできたのは、昼間見た男二人に挟まれたユユコだった。和服ははだけられ、その美しい若い体が、男たちの眼に晒されている。口には猿轡をされ、頬には幾筋もの涙の後がみえる。
ぐにぃ、と後ろから抱える男が、ユユコの乳を鷲掴みにし、乱暴に握る。
「やわらけぇ。それでいて崩れてねぇってんだ。最高だな」
「下のほうもいいぜ。綺麗なヒダだ。こりゃ、生娘だ。俺たちが最初の男ってわけだ」
そいつはツいてる、と笑う男たち。やっと、ヨウムの体の硬直が解けた。刀の柄を強く握る。
「きさまら! 何をしている!」
「うおっと!」
威勢よく飛び込んだ矢先、戸の陰から伸びた手に、口と腕を捕まれ、ひねり上げられた。ヨウムは思い出した。昼間の男は三人いたのだ。頭に血が上り、失念していた。
「(しまった、死角に一人いたのか! 迂濶……)」
「あぶねぇあぶねぇ、こいつ、武器をもってやがる。念のため見張りに立っててよかったぜ。感謝しろよおまえら」
「ああ、ありがてぇな。お、飛び込んできたのも、ガキだが女か。こりゃあいい、ついでにやっちまうか」
男の言葉に、ヨウムの姿を捕えたユユコは眼を丸くして驚き、途端に抵抗を止めた。そして、男に懇願するように視線を向ける。
「ん、なんだ、なんか言いたそうだな。仕方ねぇ、猿轡を外してやるから、叫ぶなよ?」
ユユコが了承するのを見て、猿轡を外す。こういう奥手の女は、嘘をつくことがないと知っているのだ。
「お願い、します。私を好きにしてよいですから、ヨウムさんだけは……」
「へっ、殊勝な心がけだな。いいだろう。俺たちだってガキとやったって楽しくないからな。お嬢さんとなら楽しめるしな」
そうして男たちは、ユユコの体を弄び始める。彼女は、涙を流しながらそれに耐える。ヨウムはただただ、男に拘束されながら、自分の無力を嘆いた。
ムリョク? チガウナ。チカラヲツカオウトシナイダケダロ? オレヲダセ、オレヲダセ! ダセェェェ!
「がぁ!?」
ヨウムを押さえていた男が、突然悲鳴を上げる。男たちとユユコがそちらを見ると、少女が男の指を噛みちぎり、その拘束から抜け出したところだった。指をちぎられた男は頭に血を上らせ、無事なほうの手で少女に殴り掛かった。
「オソイオソイ。ハエガトマルゾ」
男の手は、少女には届かなかった。男の腕は肘から寸断され、切り離された腕はハムのように輪切りになり、地に落ちた。
「うぎゃああぁぁぁぁぁ!?」
腕を刻まれた男は血を撒き散らしながら転げ回った。その血を浴びながら、ヨウム“だった”少女は恍惚とした表情を浮かべる。
ゆっくりと、男たちとユユコのほうに振り返った。その表情はまさに、人相書きのそれ。ヨウムとは思えぬほどに釣り上がった目元と口元。輪郭も幼い少女の丸っこさから、狐のようなシャープなものに変わる。釣り上がった口が笑みに開かれ、血の混じる唾液がいくつも柱のように連なるその様子は、まるで餌を食い千切る瞬間の肉食獣のようだった。
「ひぃ!?」
ユユコを拘束していた男が悲鳴を上げ、正面にいた男はすぐに銃を引き抜いた。男のリボルバーは少女の頭を捉え、引き金を引いたと同時に放たれた銃弾が飛ぶ。だが、その銃弾が血飛沫を上げることはなかった。頭部を狙って放たれた銃弾を、少女は刀で斬り伏せたのだ。
男は驚愕した。今までそんなものを見たことが無かった。話には聞いたことがあったが、現実で見るのは初めてだ。
「人斬り……ヨウキ……」
「アア、オレサ」
少女の高い声で、しかし、狂気に満ちたように応える。もはや、ヨウムの面影は無かった。二発目の銃弾を放つが、鬼気迫る剣撃がまたも斬り伏せた。あまりの剣技に銃弾は勢いを相殺され、二つになって地に転がる。
「う、動くなクソッタレ! こいつを見な!」
その声に、ヨウキはユユコを拘束している男を見た。いつの間に抜いたのか、銃を取り出しユユコに突き付けている。
「この女の頭をぶちまけられたくなかったら、大人しくしてやがれ!」
男は怯えながらも吠えた。だが、ヨウキは愉快そうに笑う。
「クックック。ソンナテデドウヤッテブチマケル?」
ヨウキの言葉に、男ははっとして自分の手を見た。なにも異常はない。手は銃を握っている。男がほっと一息をついた瞬間、何かが視界で煌めいた。そして、手が手首から離れ始める。
「ひいぃぃぃぃぃ!?」
血を吹き出し始めた手首に、必死に銃を握った手を押し付ける。男は既にユユコから離れてしまった。
一部始終を見ていた、ユユコの正面にいた男には、何が起きたのかわからなかった。仲間が自分の手を見た瞬間、ヨウキが一歩踏み出していた。気が付けば、刀を振り抜いた体勢のヨウキが正面にいる。
これはチャンスだ。思った男はすぐに銃を撃とうとしたが、体が動かない。恐怖に萎縮した、という訳ではない。男の頭の中には、疑問が浮かんだ。ならなぜ動かない。
「ハハハ、シネシネ、ミンナシネ。イヤ、モウシンデルカ」
眼を動かして見てみたなら、入り口にいた男も、ユユコを拘束していた男も、首が地面に転がっていた。
いつの間に!? 男は全く気付くことはなかった。仲間達の首を飛ばされた瞬間もそうだが、なにより、自分の首も地に転がっていることに。
三体の亡骸が転がるユユコの私室。ここに居るのは、もう、ヨウキとユユコのみだ。
「ヨウム、さん……?」
恐怖に震えながら、ユユコが問い掛ける。ゆっくりとこっちを振り向いたのは、過去を探しさ迷う少女でも、下働き達に交じって喜んで仕事をこなしていた少女でもなかった。確かに、姿形はヨウムのものだったが、纏う雰囲気がまるで別人のものだった。
「オレハ、ヨウキ。ヨウムハネムッテヤガルゼ」
ヒン、刀が鳴いた。刀に付着していた血が、振り抜いた軌跡の通りに飛び散る。その先にはユユコがおり、まるで斬られたかのように、ユユコの体に血吹雪が彩られた。
「アア、イイカラダダ。ドコヲキッテモヤワラカソウダ。イイコエデナイテクレソウダ」
ゆっくりと、刀を片手に壮絶な笑みのまま、ヨウキはユユコに歩み寄る。
「キザム。キザムゾ、コロス。コロスゾォ。モウスグタクサンクルシナァ。ミンナミンナ、キッテヤル」
さも愉快そうに言い放つと、刀を振り上げた。すると、ユユコは両手を合わせ、祈るように眼を閉じた。
「ヨウキさん、お願いがあります。どうか、あなたのその刃、私をお斬りになりましたら、お納めください。他のものは、どうか、どうかご容赦を……」
懇願するユユコは、恐怖に少々震えていた。ヨウキは驚いた。命乞いをする輩は五万と見てきたが、自らの命を差し出す代わりに他の者は見逃せというのは初めてみた。死ぬのが怖くない、という風には見えない。
だからどうした、と言うわけではないが。
「ムリナソウダンダナ。オレハココニイルゼンイン、キル!」
ヨウキは嬉々として、刀を振り上げた。ユユコは一層と強く眼を瞑る。
「ギャアアァァァァァ!」
しかし、上がった悲鳴はユユコのものではなかった。ユユコが目を開くと、自らの足に刀を突き刺しているヨウキの姿があった。
「ヨウムゥゥゥ、キサマァァ!」
痛みに一層強く吠えると、ヨウキの表情はフッと消えた。気を失い倒れたその顔は、元のヨウムのものであった。
「ユユコさま!?」
そのすぐ後に、下働きの者達が駆け付けてきた。物騒な物音も聞こえていたので、手には竹槍や包丁を握っている。そして、その者達がみた光景は異様なものだった。首や手の転げ落ちた屍に囲まれた、血塗れのユユコとヨウム。ヨウムの手には、血に塗れた刀が一降り、自らの足に突き刺したまま握られている。
「こ、これは、一体……」
「すべて、お話します。その前に、ヨウムさんの手当てを!」
ユユコの一声に、下働き達はすぐに治療の用意をした。
沼のように深い眠りから目覚めたヨウムが真っ先に眼にしたのは、ユユコの穏やかな顔だった。
「お目覚めになりましたか」
「サイオンジ、さん……」
未だ覚醒しきらない頭は、ヨウムの意識に霞をかける。しかし、自分がなにをしでかしたのかを次第に思い出し、霞は一気に晴れる。
「ぁっ!?」
バッと起き上がると、眼にもとまらぬ早さでユユコから離れ、しかし、そちらに出入口はなく、それを判断したヨウムは隅に丸くなった。
「ああ、私はまたあのような、ああ、ごめんなさい、ごめんなさい……」
震えるその姿は、とてもあの殺戮を行った者と同一人物とは思えなかった。むしろ、殺人鬼に追い回される子供のようですらある。頭を抱え、ごめんなさい、と呪咀のように呟き続ける哀れな少女の手を、ユユコはそっと握った。
ビクリと一瞬跳ね、しかし拒否する事無く少女の手は温もりを受け入れた。ゆっくりと上げられた顔は、死刑宣告を受けた囚人のように蒼白し、涙を流していた。
「もう、大丈夫ですよ、ヨウムさん。私が、あなたを守って差し上げます。ですから、一緒に戦いましょう。あなたの中に巣食う、悪しき影と」
ヨウムは呆然とした。ユユコは、受け入れると言ったのだ。自分の中の闇を。自分ですらどうにも出来なくなる、快楽殺人者のもう一人の自分を。
「で、ですが、他の方がどう思うか……」
「お手伝いさん達も、街の方々も、皆賛同してくれました。皆、あなたには感謝しています。恩義もあります。私たちは、あなたの闇を払うことで、その恩義を返そうと奮起しました」
にっこり、と、ユユコは笑む。ヨウムの心は今、頑なに拒み続けた柔らかい光を、掴もうとしている。
「で、では、私は、ここにいても、いいのです、か……?」
「ええ、もちろんです。いえ。ずっと、いてください。私の側に。ヨウムさん……」
少女は今、柔らかな光に、触れた。
ヨウムはまず、髪を染めた。漆を塗ったようなその黒は、彼女をまるで東洋の人形のように愛らしく見せた。次に服装も、ユユコと同じ女性の着物へと変えた。そして、二振りの刀は、麻の紐で姿が見えなくなるまで巻き、屋敷の床下の土の中に埋めた。ヨウムは、その埋まる場所を知らない。
こうして、ヨウムに巣食う悪しき影、ヨウキを払うための日々が、ヨウムにとって、待ち望んだものに近い日々が始まった。
三人の賞金稼ぎが消えたことが風の噂で流れたようで、月に一度、多くて三日に一度、ヨウキを狙った賞金稼ぎが来たが、誰一人として、ヨウムがそうであると気が付かなかった。
そして、非定期的に一度、ヨウムが押し負けヨウキが出てくることもあったが、そうなる時は事前にヨウムが自らを紐で拘束し、ユユコが側にいるようにしている。ヨウキは出てくるなり、コロス、キル、とユユコに吠えたくるが、ユユコは常にヨウムに呼び掛けた。負けるな、と。
そうしてヨウキが根負けして引っ込むまで一晩中、それが続いた。ヨウキを押し込む方法は見つけたが、肝心の払う方法はさっぱりだった。しかし、ユユコは一向に諦める様子を見せず、健気に、今気強くヨウムの世話を続けた。
そして、庭の桜が咲き、青々とした葉を付け、実を結び、葉を枯らす。それだけの時間が流れた時の話。
もはや風の噂も風化した頃だった。街に、一組の賞金稼ぎがやってきた。
「よう、ご機嫌よう。一年ほど前、ここらで賞金稼ぎが三人消えたって噂を聞いてやってきたんだが」
本物の純金ですら無価値に見えるほどの美しいブロンドヘアー、無駄な装飾は抑えつつ、レースだけはふんだんにあしらった、機能性とおしゃれを両立したシックなドレスを身に纏った少女が、洗濯物を干していた老人に尋ねた。
「そんな噂、知らんね。全く、最近来なくなったと思ったら、またか」
尋ねられた老人は、やれやれ、と明らかに嫌そうな顔をした。
「こっちはいい迷惑だわい。妙ちくりんな噂を流されて、変な連中の出入りが多くなってもう……」
「そ、そいつは悪かったな」
質問をした、金髪に黒白なドレスの少女が苦笑いで応える。だが、もう一人の方、黒髪のストレートヘアに紅白の服装のガンマンは、気だるげながらも、鋭い眼光を老人に向けた。
「ねえ、あなた。火の無いところに煙は立たぬって言葉、知ってる?」
「さぁ、知らん。初めてきいたわい」
「そう。意味は、『何もなかった所に、噂が立つことはない』と言うことよ」
少女のその言葉には、噂通りここで人が消えたに違いない、という、確証じみた確信があった。あまりの言葉の強さに、老人は思わずたじろいだ。
「おまえさんは噂を信じとるようだが、なぜだ?」
「勘よ」
そう言うと、少女はぐるり、と街の中を見渡した。まるで、街全体の嘘を見破ったかのように。その視線に、周囲の人間も思わずうろたえる。
「……ここに、旅人を泊めるような施設は?」
「……無い。が、サイオンジ家の屋敷が、旅人の受け入れをしてる」
「そう……」
それだけ告げると、紅白の少女は迷いなく、サイオンジ家の方へ歩きだした。黒白の少女が後に続く。
「……おい」
「ああ」
老人が小さく合図をすると、近くにいた若者が頷き、走り始めた。
「おいおいレイム、もう宿を取るのか? まだ早いだろ。もうちょい聞き込みをしてからでもいいんじゃないか?」
前を歩く紅白に、黒白が話しかける。
「いいえ、もう十分よ。噂は本当にあった。賞金首がいるかどうかまではわからないけど、まずいるでしょうね」
「な、なんでそこまでわかる!?」
レイムの言葉に、マリサは驚く。それはそうだ。短いやり取りと宿を聞いたくらいの会話でしかなかったその中に、どうしてそこまで読み取れようか。
「鈍いわね、マリサ。まず噂。私の言ったように、火の無いところに煙は立たぬ。まず何かあったに違いない。三人はなくても、一人や二人は消えてそうだわ。おじいさんにその話をしたら妙に話の論点をずらそうとしてたじゃない」
「そうか?」
はぁ、とレイムはため息をつく。こいつはダメだ、と。
「次に賞金首のことだけど。私が噂の確信を口にしたとき、、場の空気が変わったわ。つまり、何かあった、もしくは居た。そう言ってるのと変わらないわ」
「へぇ」
真面目に聞いてるのかどうか分からない、曖昧な返事だった。レイムは殴ろうかどうか、考えはじめた。
「で、あとは頭の中で情報を統合するだけよ。恐らく賞金首を追って街に流れてきた賞金稼ぎがこの街で消えた。街の住人が手をかけたとは考え辛いわ。メリットがあまり無いもの。そうすると、賞金首が居た可能性がある。で、旅人を受け入れてるそのサイオンジ家の屋敷で、賞金稼ぎと賞金首で一悶着あったとおもわれる。事態はすぐに解決したでしょうけど、それでも住人たちは何かを隠そうとしている。そうすると、一番あり得る可能性は?」
「……賞金首を匿ってるってのか?」
ビンゴ、と、レイムはマリサに向かって指をスナップさせる。だが、マリサは肩を落とす。
「こじつけだな」
「……私の勘が、正しいと告げるのよ」
「なら真実だな」
レイムの勘、と聞くだけで、マリサにとってそれは信頼すべき情報になりうる。そこまで、レイムの勘は鋭いのだ。
「着いたわね」
レイムが、東洋風の屋敷の入り口前に立って言った。
「へぇ、ここが……って、なんで場所がわかったんだ?」
当然の疑問だ。あの老人から場所までは聞いていない。
「屋敷っていうくらいだから、それなりに大きな建物でしょう。なら、そこだけ建物の密集率が低い。街を見渡した時に、それっぽい方角があったから、そっちに歩いてきただけよ」
「お前、スゴすぎるだろう」
リアルチートだ、とマリサは呟く。だが、その言葉はレイムには届かなかった。
レイムが戸を叩く。はい、只今、と中から返事が聞こえた。戸を引くと、桃色の髪の女性がちょうどこちらに向かってくる。その女性は、小上がりに膝を付き、手を三角形に床につき、軽く会釈する。
「わたくしは、この屋敷の主である、サイオンジユユコと申します。此度は、わたくし共にどういったご用件でお越しを?」
「申し訳ないけれど、部屋を貸してくれないかしら。しばらく留まろうと思ってるの」
「ええ、よろしいですよ。少々お待ちを。今、下働きの者に案内をさせますので。だれか、手の空いている方は?」
ユユコが奥に呼び掛けると、玄関近くにある台所から、はい、只今、と返事が返る。角から姿を現したのは、まだ幼い印象を受ける黒髪の少女だった。
「私がご案内します」
「では、ヨウムさん、お願いします」
ユユコが頭を下げると、かしこまりました、と少女も頭を下げる。レイムとマリサは靴を脱いで上がり、先導するヨウムに続く。ユユコは、その後ろ姿を見えなくなるまで目で追った。
「こちらになります」
ヨウムによってスッと静かに開かれたふすまの先、庭園が見渡せるなかなか広い客室があった。そこで口笛を吹いたのはマリサである。
「すごいな。東洋かぶれなんかじゃなく、まんま東洋の屋敷だぜこりゃ」
「あんた、東洋の屋敷なんて知ってるの?」
もちろん、とマリサは中央の飴色のテーブルに就き、トレードマークとも言えるレースをふんだんにあしらったトンガリ帽子を脇に置く。妙に重々しい音を立て、帽子は地に降りた。ヨウムは、お茶をお持ちします、と立ち上がり、来た道を引き返していった。
「私の親父は東洋人なんだ。その関係で何度か海を渡って行ったことがある」
「……でもあんた、金髪じゃない。それ、生まれつきでしょ?」
レイムは髪を指差しながら尋ねる。
「母親がこっちの人間なんだよ。親父も昔はよく、『おまえの髪は母さんによく似ている』って言ってたぜ」
髪を撫でつつ、マリサは答える。その表情は、昔を懐かしむものであった。
「そういや、レイムは東洋生まれなんだよな」
髪の色から連想して思い出したマリサが黒髪のレイムに尋ね返す。レイムも腰のガンベルトを外して床に置き、テーブルの傍に敷かれた座布団に腰を下ろす。
「まあね。まあ、物心ついてすぐにこっちに渡ってきたわけだけど」
「そうだったっけか」
それきり、会話が途絶えた。沈黙した二人の視線は自然と外に向けられる。開け放たれた障子から、塀に囲まれた中庭が見える。庭は冬の体をしており、葉の無い木がもの悲しげに風に揺れていた。
「お待たせしました」
暇を持て余し始めたちょうどその時、お盆に湯飲みとようかんを乗せたヨウムがふすまを開く。彼女がそっとテーブルにお盆を置くと、緑茶の芳醇な香りが二人の鼻に届いた。
待ってました、とマリサは早速手を伸ばし、片手に湯飲み、片手に一切れのようかんを掴む。そしてそのままようかんを口に放り込み、お茶をすすり、咀嚼する。レイムは呆れたため息を吐き、ヨウムは楽しそうに微笑んだ。
「んー、茶もようかんもおいしー」
ゴクリ、と音を立てて飲み込んだマリサが、もうはや次の一切れに手を伸ばす。このままでは全てヤられると思ったレイムもまた、ようかんに手を伸ばす。
「では、ごゆるりとおくつろぎください。夕食は日の沈みかけにご用意いたします」
そう言って、ヨウムは深々と一礼し、部屋から去った。残された二人は黙々とようかんと茶を腹に納める。
「……あの子ね」
「何が?」
ようかんが全滅し、茶も底にくずと僅かな水分を残すだけになったころ。何の前触れもなく呟いたレイムに、爪楊枝をくわえたマリサが聞き返す。
「人斬りヨウキが、よ」
「ふぅん。……っはあぁ!?」
レイムの口から放たれた驚きの言葉に、マリサは思わず歯で爪楊枝をへし折った。口内に残った先端が咽喉に落ちかけて、あわてて咳き込み排除する。
「けほ、えほ! ……死ぬかと思った。レイム、それは、マジなのか?」
涙目になり尋ねる彼女に、レイムは頷いてみせる。
「おそらくね。私の勘だけど」
「……悪いなレイム」
肩を落とし、やれやれと首を振るマリサ。
「今回ばかりは、お前の勘もハズレだぜ。私はあの子がそんな人斬りにはとても見えない」
普段ならレイムの勘には全幅の信頼を寄せるマリサが、珍しく反論した。マリサには、どうしてもあの少女が人を笑って殺せる殺人鬼には見えなかった。それどころか、地を這う小さな虫すら殺せるか怪しいほどだ。
「あら、よく言うじゃない。人殺しの印象が、そんなことをする子にはみえない、なんていうのは」
レイムも自分の勘にはそれなりの自負を持っている。マリサの否定に真っ向から対抗する。
「いーや絶対違うね」
「なら、賭けにしましょうよ。勝ったほうがヨーキの賞金額八割ね」
「よし、乗った」
マリサはにひひと笑い、手をひらひらさせる。
「しかしレイム、本当に勘だけで判断したのか?」
先端が噛み切られた爪楊枝をくわえ直し、マリサは疑念を口にする。それに対しレイムは、首を横に振る。
「いいえ。確かに判断は勘だけど、判断材料ならあったわ」
「たとえば?」
マリサは爪楊枝をぴこぴこと上下させつつ、レイムの言葉に耳を傾ける。
「たとえば、身のこなし。自然体を装ってはいたけれど、染み付いた体さばきを隠しきれてなかった。足音を立てない歩き方とか、常にこちらに対して警戒していたり。そして……」
レイムが不自然に会話を途切った途端、襖が静かに開いた。そこに現れた顔に向かって、レイムは湯飲みを投げる。
はし、と、そこにいた人物、ヨウムは眉一つ動かさず、湯飲みを顔前で掴んだ。
「なにがあってもコンマ数秒単位で対処できるよう、常に全身に気を張り巡らせていたり。緊張感が滲み出てたわよ、あなた」
「……いえ、あの、これは……」
不適に笑うレイムに対し、冷や汗を一つ流しながら、ヨウムはうろたえる。マリサは目の前で起きた現象に唖然とし、爪楊枝を再び落とした。
ヨウムは焦っていた。気を抜き、素の自分を曝してしまった。よりにもよって敵である賞金稼ぎの前で。ここで正体を見抜かれてしまっては、ユユコ達の努力を無にしてしまう。焦燥感がヨウムの頭を駆け回り、目の前の賞金稼ぎ達に対し自分の今の行動を言い訳しようと上手い言葉を考える。
そして彼女は気付けない。その焦燥感が、冷静な判断力とともに心の制御も失わせていたことに。闇の中に、口が裂けんばかりの笑みが浮かんだ。
「私は、いや、これはですね……」
「あなた、ヨウキでしょ? 隠さなくてもいいわよ。今ので確信した」
必死に言い訳しようとするヨウムに、レイムはそうするのが当然とばかりに、誰もが意識しない内に、紅い銃を抜いた。その銃口は、握られた湯飲み越しにヨウムの額を狙う。
コロサレテモイイノカ? サゾヤ、アノ“ユユコ”トカイウオンナガ、カナシムダロウナ。ソレデモコノママ、シヌカ?
──嫌だ、死にたく……ない……。
コウショウセイリツダ。オレガオマエヲシナセナイ。オレタチヲネラウヤツハ、ミンナ──
「コロスッ!」
突然の怒声。重なる銃声。砕ける湯飲み。マリサには、目の前で何が起きたのかさっぱりだった。レイムがいきなり銃を抜き、女中のヨウムを撃った。現状ではそう理解した。
「れ、レイム、てめぇ、いきなり何してやがる! あのヨウムってのがヨウキじゃなかったら、おまえ殺人犯だぞ!」
マリサは焦った。ヨウムが本当に賞金首なら殺害しても文句はない。問題はそうではなかった時だ。本当にただの一般人だった場合は、殺人犯のレッテルを貼られ、賞金稼ぎとしての資格がなくなり、それどころか逆に賞金首になりかねない。
レイムは大切な相棒だ。その相棒にはそんな目になってほしくはない。しかし、そんなマリサの心配もどこ吹く風。レイムは目付きを鋭くする。
「なら良かったじゃない。まだあの子、死んでないわよ」
「は、何言って……」
レイムの言葉に疑念を持ち、次の瞬間我が目を疑った。ヨウムは、何事も無かったかのように立っていた。額の位置にあった湯飲みは粉々ではあったが。
「なん!? ……何があった?」
「かわされた。それよりマリサ、あの子に聞いてきなさいよ。賞金首なのかどうか。まあ、近付けばその瞬間首の一つでもへし折られそうだけど」
油断なく構えるレイム。マリサは未だ唖然とし、ぼーっとしていた。
ヨウムは、いや、ヨウム“だった”少女が、笑った。その顔は一瞬で細まり釣り上がり殺気を放ち、まさに人相書きのそれになった。
「ククク、ヨクワカッタナ。ソウサ、オレハヨウキ。テメエラノサガシビトダ」
マリサはここでやっとガンベルトを手に取り、愛用品の一つであるオートマチックハンドガンを抜いた。
銃声を聞きつけ、ユユコは館内を小走りに移動していた。胸騒ぎがした。あの日以来、銃なら使用人の中にも護身用として携帯している者もいるが、発砲することなどまず無い。それに銃声がしたのは、先ほど迎えた客人たちを案内した方向。ついさっき、ヨウムが夕食の用で客人たちを訪ねに行った。その後の出来事だ。どう転んでもいい状況ではない。
小走りに走るユユコが最後の角を曲がると、予想していたより遥かに悪い状況が目に飛び込んできた。夜に何度も見た、あの悪魔の顔。それが昼の今、そこにいた。
「な、何故……今はまだ、昼なのに……」
ユユコが疑念を口にすると、その言葉に反応したかのようにヨウキは振り返る。次の瞬間には、再び響いた銃声とともに目前に迫るヨウキ。
「ジャマダ、ドケ」
「きゃあっ!」
ヨウキは、小柄な少女とは思えぬ力でユユコを脇に突き飛ばした。ユユコは突然のことに踏張ることも出来ず、飛ばされるままに襖を突き破り部屋に転がった。
「悪いわね、ちょっと暴れさせてもらうわ」
「修理代は払うから勘弁してくれよ!」
そのヨウキの後を、二人の少女が追い掛ける。二人はユユコに一声掛けると、直ぐに視界から消えた。ユユコは痛む体を押さえ、ヨウキが向かったであろう、自分とヨウムのお気に入りの茶室へと向かう。
「ンー……クダラナイマネシヤガッテ。……ココダナ」
葉の無いたった一本の桜の木が見える茶室。そこの中央に膝を突き、ヨウキは呟いた。その顔が、深く笑みに浮かぶ。
「マッテロ、スグニダシテヤル。ヨロコベ、キョウハヤットチガスエルゾ。シカモトビキリノエモノダ、ヘタヲスレバコッチガヤラレル、カクゴシテオケヨ。ククク」
そう呟くと、人とは思えぬ速度で拳を振り下ろし、あろうことか畳とその下の床板を打ち抜いた。そして、下に眠らされていた二振りの刀を、しかと握り締める。
「あら、楽しい鬼ごっこは終わりかしら」
「レイム、それ、悪役のセリフだぜ」
ようやく追い付いた二人が、茶室の入り口から銃を構える。しかし、ヨウキはそんなものに臆した様子はない。
「アア、オワリダ。ツギハタノシイタノシイコロシアイダゼェ」
ヨウキは顔いっぱいに狂喜の様を貼りつかせ、二人を見た。レイムは動じなかったが、マリサは少し身を退いた。
「うわぁ、こいつ、マジでやばい。今まで見たことないぜこんなの」
マリサは嫌悪に顔を歪める。レイムは一切表情を変えなかったが、こくりと小さく頷き、マリサに同意した。
「さっさと終わらせましょ。こんなのとやりあってたらこっちもおかしくなりそうだわ」
そう言うが早いか、レイムはヨウキに向かって引き金を引き、マリサも一拍子遅れて引く。
「ヒヒッ!」
だが、レイムが放った銃弾はかわされ、マリサの放った銃弾は、ヨウキが床板ごと引き抜いた刀の鞘で止められた。
「なんじゃそりゃぁ!?」
マリサとレイムは、放てるだけの銃弾を放つ、が、ヨウキは床板を目隠しに、既に中庭に跳んでいた。ボロ板と化した床板が地に落ちると、丈夫なはずの麻の紐を歯で食い千切り、二振りの刀を両手で構える、銀髪のヨウキの姿が見えた。ヨウキの沸き立つ殺気に当てられ、髪は色を失ったらしい。
「……外に出ましょう。中にいるよりいいわ」
「賛成だ。室内であんなもん振り回されて隅とかに追いやられたら怖いぜ」
生唾を飲み、二人は中庭に飛び出した。
「ククク、トビドウグヲツカウカラトイッテ、オレニタイシテユウリダトオモウナヨ。ソーイウバカヲオレハコマギレニシテキタ」
銃と刀。明らかに不利なこの状況で、ヨウキは臆する事無く笑う。それは、刀を持ちながらにして銃に勝てるという自信の表れである。
一陣の風が吹き、三人の間を駆け抜ける。最初に動いたのはマリサ。雄叫びと共に、手にしたハンドガンが二度、三度火を吹く。だが、金属の触れ合う鋭い音が同じ数だけ響き、銃弾が倍の数になって地に落ちた。
「……は?」
マリサは信じがたい光景に目を剥く。通常なら斬られても通り抜けていくはずの銃弾が、斬られたその瞬間勢いを殺され地に落ちたのだから。
「キカネェヨ」
次に動いたのはヨウキ。まるで突風のようにマリサに向かって走る。マリサはとっさにハンドガンから手を離し後ろに引いた。どうやらその判断は正しかったようで、中空に放置されたハンドガンはマリサがいた空間と共に上下に分断された。
レイムがヨウキの姿を目で追い銃弾を放つが、もう一振りの刀でマリサのと同様に切り落とされる。
「信じられないわね」
「ダガソレガゲンジツダ」
ヨウキはその場で回転すると、レイムの足を狙い低空の斬撃を放つ。レイムは後方宙返りにてそれをかわし、天地逆さまの空中で体を捻り両手に握ったリボルバーで狙い撃つ。しかし、ヨウキは飛び退き銃弾は地を抉った。
「んなろー!」
ヨウキが声がした方向を振り向くと、どこから取り出したのかボルトアクションライフルを構えるマリサが目に入った。狙いを付けたマリサがライフルから銃弾を放つ。
このライフルの銃弾は貫通力を高めた狙撃用のものであり、ハンドガンと違い先端は鋭く硬い。しかし、ヨウキはとっさの出来事にそれを刀で迎え撃ってしまった。
「グッ!?」
甲高いながらも鈍い音が響き、右手に握られていた刀の刃が根元から折れ飛んだ。斬られた銃弾は勢いを相殺されず、片方は明後日の方向に飛んだがもう片方は左腕を貫いた。
「チッ、キサマァ!」
「うおわっ!?」
鬼気迫る様子で左手の刀を右手に持ち替え、マリサに切り掛かる。しかし、痛みのためか、その刀に先ほどまでのキレがなく、マリサでも辛うじてライフルで受け止めることができた。一撃を防ぎ、マリサはヨウキの腹を蹴り、距離を取る。
「っぶねー。……って、うわっ! こいつの銃身切れて曲がっちまってんじゃねぇか! くっそー高かったのに……」
その通り、ライフルの銃身は刀を受けた箇所に切り込みが入り、そこを中心に少々くの字に曲がっていた。これでは、射撃すれば暴発してしまうだろう。
「命よりは安いじゃない」
曲がったライフルに涙するマリサに、レイムは呆れつつ言った。それはそうだけど、と返しつつマリサはライフルのボルトを引き、再装填する。
「ククク、ツギハクビニシテオイテヤルヨ」
ヨウキは呼吸法で息を整え、痛みを抑える。左腕は垂れ下がり使用は不可能であるが、まだ右腕が残っている。ヨウキにはそれで十分だった。
「さて、そろそろ決めさせてもらうぜ」
マリサはふと、帽子の中に手を入れる。抜き取ったその手には、パイナップルとも呼ばれる手榴弾が握られていた。さすがのヨウキも、それには驚いた。この娘は、一体全身にどれだけ武器を隠し持っているのか、と。
だが、そうれ、とマリサはピンを抜いた手榴弾をすぐに放り投げてきた。ヨウキは慌てる事無く、それを高く蹴りあげる。ヨウキは笑った。手榴弾を待ちもせずに投げるのは素人だ。ヨウキはマリサへの評価を下げた。さのときだった。
「貰ったぜ!」
ヒュッと、マリサが何かを投てきする。速度はそれほどでもなく、それを目で捕えたヨウキは、冷静に分析する。
それは、ライフルだった。先ほどヨウキの斬撃を受けて曲がった代物だ。ヨウキはもはや呆れていた。こいつはふざけているのか、と。
「コンナモノガドウシタ?」
余裕を持って、刀で弾く。ライフルは軌道を反らし、ヨウキの左後方に向かった。
その瞬間、ヨウキはあるものを視界に捕えた。ライフルのトリガー、そこから伸びる白いライン。そのラインは、マリサの手に伸びている。その瞬間、マリサの狙いを理解した。
「かかったな!」
「キサマッ!?」
ヨウキはとっさに右に身を逸らすが、マリサのほうが早かった。ピッとラインが引かれ、トリガーが入る。銃身から飛び出すはずの銃弾が曲がった箇所で止まり、銃弾を押し出す圧力は出口を失い、その圧力はシリンダーの僅かな隙間に殺到する。
炸裂。破裂した銃身の破片は、すぐ側のヨウキに降り注ぐ。左目は潰れ鼓膜は吹き飛び、肩も肉まで露出する。
「ガ、アアァァァァァ!!」
左半身からの激痛に吠える。痛みに意識が引き裂かれるが、確かな殺気を感じた。その殺気に向かって右手を振るうが、何かに当たって刀が止まる。
「今のあなたの斬撃なら、トリガーガードでも受けられるわ」
向かい来る殺意、レイムは、左手の白いリボルバーのトリガーガードとシリンダー下の箇所で刀を受けとめていた。すぐさま右手の紅いリボルバーの銃口を刃の根元、鍔の付近に密着させる。銃声と共に刃の根元は砕け散り、刀身は地に突き刺さる。
「チェックメイト、かしら」
トリガーガードが半分削り取られた白いリボルバーを突き付け、レイムは告げた。突き付けられたヨウキの顔は、負傷と屈辱に醜く歪んでいた。
「チクショウ、クソ、クソガァ!」
吠えたヨウキが、尋常ではない素早さで折れた刀を放り投げレイムに掴み掛かろうとする、が、足が動かない。体はすぐに体勢を崩し、前のめりに突っ伏する。レイムは驚き後ろに引いたが、ヨウキの様子がおかしいことに気が付き、出方を伺う。ヨウキはうつむき、顔を伏せて隠してしまったので表情は見えなかった。
「クソ、ヨウム、キサマカ!? フザケルナ、オレハシニタクナイゾ、オマエモダロウ!?」
「……もう、いい。貴様をこのまま放置するくらいなら、私は……」
フッと、ヨウキが顔を上げる。いや、ヨウキ“によく似た少女”が、顔を上げた。
「そこの、賞金稼ぎの方……。お願い、です。このまま私を、殺して下さい」
「フザケルナ!!」
叫ぶ一瞬、ヨウキの顔になったが、すぐに引っ込んだ。どうやら今はヨウムが主導権を握っているらしい。
「私の中の悪、ヨウキを押さえていられる時間はそう長くありません。私が再び眠ってしまう前に、早く……」
ぐっ、と、ヨウムは拳を握り締め、左右に突き出す。膝をつき直し、正座のような体勢を取る。それはまるで、縛り付けられた罪人のような姿だった。
体が時折、ピクリ、ピクリと動いている。ヨウキが再び体を取り戻さんと躍起になっているのだろう。ヨウムは、唇を血が出るほどに噛んでそれに耐えている。
「ふぅん、今どき殊勝な心がけね」
そう言うとレイムは銃をガンホルダーに納め、丈夫な革の手袋をはめ、折れた刀の刀身を掴んだ。
「その心がけに免じて、最期は武士らしく介錯で送ってあげるわ」
「……かたじけない」
ヨウムは、ふっと笑った。左半分は血に染まってはいたが、なんとも愛らしく笑った。
「だ、駄目!」
部屋の中にいるユユコが叫んだ。だが、足が動かない。否定するだろうが、ユユコ自身も内心、こうなることを望んでいたのかもしれない。あのまま、罪悪感と黒い影に悩まされつづけるより、こうして黄泉に発つほうが、ヨウムにとってもいいのかもしれない、と。
ヨウムに死んでほしくないのは自分のわがままで、本当はヨウムは死すことを望んでいたのかもしれない、と。
だから、ユユコは一声叫ぶしかせず、後は成り行きを見守ることしか出来なかった。
「ヨウム、いや、人斬りヨウキ、これまでね」
「う、ぐ、早く……ヨセ、ヤメロォォォォォォ!?」
一瞬、ヨウムの顔がヨウキになり、叫びを上げた。その瞬間、レイムは刀身を振り下ろす。振り下ろされた刀身は制御を失い、地に突き刺さる。折れた刀でただ首を跳ねるだけの行為。故にレイムは刀身を気遣うことはなかった。
振りぬかれた後、色を失った美しい銀髪が舞い散った。それはまるで命のように、儚く。ヨウムの体は前のめりに地に落ちた。
「ヨウムさん!」
ここでようやく、ユユコの体は動いた。突き飛ばされた際に打ち付けた箇所が痛むが、その痛みを堪えて駆ける。ヨウムの側に着いた時、異変に気付いた。
「……? 首が……」
「けっこう際どかったわ。あーあ、折らなきゃもっと上手くやれたんだけどな」
ヨウムの首は、繋がっていた。薄く切れて血は出ていたが、斬られたのは右半分の髪だけだった。介錯の瞬間、レイムは刀身を思いきり手元に引き、首が切れないように振り抜いていた。
「さ、早く手当てしてあげなさいよ。その怪我だとこのままじゃ失血死するわよ」
レイムの言葉に、ユユコは素早くヨウムを背負い、屋敷に向かう。ようやく集まり始めた使用人たちと共にヨウムを治療するために。
「……なあ、レイム」
人気の無くなった庭先で、マリサは地に座りながらレイムに声をかける。
「なによ」
レイムは切り落としたヨウムの髪の毛を拾いながら、マリサに応える。
「なんで殺さなかった? 生かしておいたんじゃ、賞金貰えないだろ。助けるつもりだったにしたって、いずれは別の賞金稼ぎに見つかって殺られるかもしれないし、あの殺人鬼を生かしておく意味が正直わからん」
マリサは腕を組み、真剣な表情で問い掛ける。レイムは集めた髪を束ね、取り出した紐で縛る。
「殺人鬼の件なら、もう大丈夫だと思うわよ」
何? マリサは疑問を口にした。
「あの子のあれ、後天性の多重人格よ。自分の嫌な部分、嫌な本心なんかを心の隅に追いやって、自分の感情ではないって否定しつづけて生まれたもう一人の自分、てところね」
マリサは声を出さず、聞きに徹している。
「精神に生まれた存在なら、それを殺すのに物理的な力はいらない。だから私は、あの状況を利用した。確実に死ぬ状況で死を認識させれば、精神を殺すことができる。あの子は今、ショックによって気を失ってるだけで、目を覚ますのは、生まれたときから肉体と共に生きてきた精神だけ。肉体を持たないほうは死滅する。つまり……」
「……もう一人のヨウム、後から生まれたヨウキは死んだ、ってことか」
レイムの言葉に理解が追い付かないマリサは、わかる範囲の簡単な言葉を紡いだ。
「でも、わからないぜ。本当に死んだかどうかなんて」
「大丈夫よ。エグゾシストと同じ、こうすれば悪霊を払えるってその人に思わせれば、思い込みの力で精神だけの存在は死ぬ。プラシーボ効果ってやつよ」
「はーん、なるほど」
理解の旨の返事を返したが、マリサは半分しか理解していない。
「しかし、それでも、だ。お前がヨウムを生かした理由がわからん」
「……さぁね、自分でもわからないわ。しいて言うなら、何となく、かしら」
フッと、レイムはマリサに微笑んだ。それだけでマリサはこれ以上追求することが出来なくなった。その顔は反則だぜ、と小さく呟く。
「それと、賞金のほうも大丈夫よ。この髪の束で死亡証明させるから」
「大丈夫なのかよ、それ……」
マリサは呆れ顔で呟いた。
と、そんな時、バタバタとあわただしい足音が、屋敷の玄関方面から聞こえてきた。何事かと二人がそちらを見ると、町の住民の屈強な男たちが、クワやカマ、猟銃などで武装してこちらをにらんでいる。
「賞金稼ぎめ、ヨウムさんをどうした!?」
「銃声や爆発音が聞こえたんだ。おまえたち、まさかヨウムさんを……」
その集団が放つそれは間違いなく殺気と呼べるものだった。マリサは本当に焦った。
「ちょっちょっちょっっっと待ってくれ! ヨウムって子なら無事だ!(重傷だけどな) だから落ち着け!」
両手をわたわたさせ、マリサは説得にかかるが、レイムは笑った。
「みんな、いい人たちね。あの子、世にも恐ろしい賞金首だっていうのに、みんなあの子のこと信用して、賞金稼ぎとことを構えようとして」
笑いながらレイムは、懐から閃光弾を取り出し、地面に投げ捨てた。相変わらず自然すぎて誰もが反応できない。唯一マリサのみは本能が目を隠させた。炸裂。辺りは一瞬白一色となる。
「さ、悪役はさっさと退散しましょうか」
「えー、私は正義の賞金稼ぎだぜ?」
笑いあい、マリサとレイムは塀を飛び越える。走り去る際、塀の向こう側からは、逃がすな、追え、と決まり文句が聞こえてきたが、視界が回復しないのか、誰一人として塀は越えて来なかった。
──……ムよお、ヨウムよお、聞こえてるか?
──今まで散々、迷惑かけてきたなぁ。まあ、今は悪かったと思っている。
──……俺はそろそろ逝く。あの変なカウボーイに感謝しておけよ。それと、俺がこんなこというのもアレかもしれないけどな……。
──幸せに、なれよ──
フ、と、刃物のように鋭い表情が、柔らかく微笑んだ気がした
もぞり、と、かけられた布団を手で退け、起き上がる。頭は全く回らず、体は酷く重かった。
ここはどこかと周りを見回すと、どこか見覚えのある部屋であった。脇を見ると、水の張られた桶と手拭い、真新しい包帯の束とハサミが置かれており、これから誰かの治療でも始めるかのように見える。
それらをぼうっと眺めていると、突然顔の左側が痛みを訴えた。慌てて左手でその箇所を押さえると、手には皮膚ではないざらついた感触が伝わる。しばらく撫でるように触り、漸くそれが包帯であると理解する。同時に、左目が見えていない事にも気付く。
なるほど、この新しい包帯は私の替えの包帯か。かさついた血の固まった部分に触れて、そう思った。ここで、フワリと風がヨウムの頬を撫で、膝に小さな薄桃色のなにかが落ちる。思わず風の吹いてきたほうを振り返る。
「……」
そちらには、庭が見えていた。ユユコがよく縁側に座り、茶を啜っていた場所だ。その先には、一本の木が立っていた。満開とはとても言えない、枝が露出した桜の木。風がまたフワリと吹き、枝が揺れ花びらが舞い、春の息吹きを彼女に運ぶ。その光景に心奪われ、彼女は呆然と眺め続けた。
「ヨ、ヨウム、さん……」
背後から女性の声が聞こえて、彼女は再び首を回す。開かれたふすまのところに一人の妙齢の女性が立っていた。桜のような髪色をしたその女性を、彼女は知っているはずだった。先ほど頭を駆けた名前が、再び舞い戻る前に、彼女は女性に強く抱き締められた。女性はとても良い香りがして、彼女の心に温もりを覚えさせた。
「ああ、よかった、本当によかった……。いつまでも目を覚まさないから、もしかしたらもう、二度と目覚めないのかと、怖くて……」
女性は泣いていた。語る口調は涙に震え、肩に水滴がポタポタと落ちてくるのを感じた。それに対し彼女はとても胸を痛めいたたまれなくなり、ゆっくりと、鉛のように重たい腕を女性の背に回す。その時漸く、女性の名前が、眠る直前の記憶と共に頭に舞い戻ってきた。
「……ユユコさん……」
彼女の、ヨウムの腕は、やっと掴んだこの幸せを逃したくはない、と、強くユユコの体を抱き締めさせた。
ヨウキの死したあの戦いから、半年ほど経ったある暖かい日の出来事であった。
「カンパーイ!」
ガシャン、とジョッキが割れるのではないかと思うほど強く打ち付ける音が響き、それなりに値の張る酒が半分ほどカウンターに振る舞われた。
「やめてくださいマリサさん! またジョッキを割っちゃいますよ!」
美しい金髪を蓄えた妙齢の女性が、トレーを振り上げて叫ぶ。だが、同じく金髪の少女は気にも留めず、残り半分の酒を浴びるように流し込んだ。
「っぱぁ! きぃーにすんなメリィちゃぁん! 今日はたんまり賞金貰ったんだから、ジョッキの一つや二つ、倍額で弁償してやるぜぇ!」
そうマリサは叫び、マスターに次の酒を要求する。マスターは呆れつつも、ちゃっかりさきほどより高い酒を注ぐ。その傍ら、レイムはマイペースに嗜んでいた。
「それにしても、よかったですね。きちんと賞金が出て」
コトリ、とつまみを盛った小皿をレイムの前に置き、マスターのレンコが話し掛ける。
「全くよ、あそこの女狐、『これだけじゃ死亡を確認できない』とかって出し渋って。こっちは必死でやってきたってのに」
グチグチとレイムは吐き捨てるように言う。その恨みがましい視線は、店の隅で澄まし顔で紅茶を嗜む女性に向けられていた。
「仕方ないではないか。一房の髪だけで死亡証明しろと言うほうがそもそも無謀だ。むしろ、ユカリ様にそれで納得させた私の手腕に感謝して欲しいものだ」
褪せた金色のショートヘアに黒いスーツをキッチリと着こんだ澄まし顔の女性、名をランという。彼女はレイムの方を見ることなくそう告げた。そんな素っ気ない態度に、レイムはより一層腹を立て、ついにはマリサのように注がれた酒を一気に飲み干す。
「あーあ! “マリサが爆弾で賞金首を吹っ飛ばさなければ”こんなにイラつかなくてすんだのに!」
「まーまーそう言うなって。“あれしかなかった”んだから」
かたや自棄酒で不満を表し、かたや大騒ぎの飲み方で喜びを表してはいたが、半分は演技であり、両者とも内心はほっと一息ついていた。本来、賞金を受け取るためには、賞金首の死骸、もしくは首等の本人の死を確認できるものが必要である。それを二人は、あろうことか賞金首を生かし、髪一房を提示して死を偽り賞金を受け取ったのである。もしバレれば、最悪私刑にかけられかねない。
さきほどの二人のやりとりも、合わせた口裏の再確認である。賞金首のヨウキを、マリサが爆弾で跡形もなく吹き飛ばし、辛うじて髪一房だけは回収出来た。それが二人がでっち上げた真実である。
「……少々席を外す」
そう言い、ランは店の裏手に入っていった。トイレだろう。全員がそう思い、気にも掛けなかった。
「……本当によろしかったので? チェンにも事実確認させましたが、賞金首、人斬りヨウキは生存していますよ」
壁にもたれ、中空に言葉を投げ掛けるラン。聞き手はいないものかに思われたが、壁の向こう側、酒場の厨房側から声がする。
「いいわよ、彼女たちには日頃から世話になっているし、かなり頑張ったようだからね。まあ、サービスよ」
店に還元されてるし。壁の向こう側の人物は、クスクスと笑った。それを聞いて、ランは鼻を一つならした。
「あなたは、彼女たちに甘すぎます、ユカリ様」
それだけ告げ、ランは店に戻って行く。
「まあ、自覚はあるわ」
壁の向こう側の人物の独り言は、誰もいない空間に吸収されていった。
──ある所に、顔を半分包帯で隠して暮らす少女がいた。とても痛々しい姿であったが、少女はとても明るく、また、街の人々もその包帯の姿を見ても差別する事無く暮らしていた。
そんなある日、一人の旅の若者が、その包帯の少女に恋をした。街に留まるうちにその気持ちは大きくなり、ついには少女に心を打ち明けた。
少女は返事を渋った。理由を聞くと、自分の顔の包帯を取り、傷を若者に見せた。包帯の内は、とても醜くぐちゃぐちゃな傷だらけの顔があった。少女は泣きながら、こんなに醜い自分ではお嫁にはなれない、と訴えた。が、それでもなお、いや、より一層、若者は少女を愛しく思った。
少女を抱き締め、耳元で愛を囁いた。だが、少女はそれでも返事を返さなかった。なぜなのか、若者がそれを聞くと、少女はぽつりぽつりと話しはじめた。
自分は人殺しで、今まで何人も殺してきた。望んでやったことではないが、自分で自分を止められずに何人も殺してきた。今は恩人たちの助けのお陰で殺すことは無くなったが、それでもまたいつ人殺しになってしまうか分からない。だから返事を返せない。少女はとても、とても辛そうに若者に告げた。
だが、若者は、それでも少女を抱き締めた。辛かったね、もう大丈夫なのだろう。もしまた殺したくなっても、僕が止めてあげる。愛と共に、若者はそう告げた。
少女は涙を流して若者を受け入れた。
そして、二人は末長く、幸せに暮らしたそうな──
ホントはあと二章あります。そのための伏線もいくつかありますが、次回作は未定という罠。だって、これ書くのに一年かかっちゃったんですもの。書ける自信がありません。
矛盾、おかしな点、あるかもですがどうか見逃したってください。あとユユコのお楽しみシーン、ヨウキが現れなかったパターン書きたい。こういうシチュ、好きではありませんか?
パワフル裸ロボ
作品情報
作品集:
31
投稿日時:
2012/11/21 02:57:53
更新日時:
2012/11/21 11:57:53
分類
レイマリ
西部劇風幻想郷
無駄に長い
このセカイ、なかなかに楽しい漢の夢の国ですねぇ。
ステキなガンアクション!!
パワー重視の黒白賞金稼ぎ!!
ケレン味溢れる白黒賞金稼ぎ!!
イきそうになりました!!
『元締め』が胡散臭くて良い!!
酒場、否、『倶楽部』の二人も良い!!
そして、因縁を断ち切ることのできた半人前の剣士、お嫁に行って幸せになれよ!!
凸凹賞金稼ぎが、例の手配書の連中と絡む物語、楽しみにしていますよ!!
バッドエンドルートは……、まあ……、お任せします。