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『レイマリ荒野を行く2 後編』 作者: パワフル裸ロボ

レイマリ荒野を行く2 後編

作品集: 32 投稿日時: 2014/03/19 16:45:21 更新日時: 2014/03/20 02:23:15
 数年ほど昔。ある所にお嬢様がいました。お嬢様の家は大変な富豪であり、その娘であるお嬢様も何不自由なく暮らしていました。お勉強もとてもよくできる方で、四歳にして大人顔負けの論文さえ書くことができました。
 そんなお嬢様の五歳の誕生日。お父様はお嬢様に一人の召使を与えました。召使はとても優秀な人物で、どんな命令も聞く素晴らしい召使でした。召使を与えられ、お嬢様は大変喜びました。
「あなたは、どんないうこともきいてくれるの?」
「はい、お嬢様」
 ですがその晩、富豪の館で奇妙な叫び声が聞こえました。何事かと館の住人たちが声の発生源に向かうと、お嬢様の部屋でした。お父様が、銃を手に恐る恐るお嬢様の部屋の扉を開けると、なんとそこには、ベッドに縛り付けた召使の腹を開き、内臓を引きずりだして笑うお嬢様の姿がありました。
「な、何をしているんだ!」
「あら、おとうさま、こんばんは。いま、めしつかいのおなかをひらいていたの。ひとのからだのなかがどうなっているのか、とてもきになっていたから」
 お嬢様は、悪びれる事無く、天使のような純粋な笑顔を浮かべていました。その頃には召使は、既に痛みのショックで息絶えており、その表情はこの世のものとは思えぬほどに苦痛と絶望に歪んでいた。
 なんということでしょう。お嬢様は、善悪の区別が、人の命の尊さがわからぬままに育ってしまっていたのです。
 お父様は、事態を重く見ていました。自分の娘に、恐怖すら抱きました。このまま成長していけば、何かの拍子に自分が殺されてしまうかも知れない。お父様は、館の召使全員に高い金を払って口止めをし、娘を部屋に閉じ込め、教育係に徹底的に道徳を教え込むよう言い付けました。
 ですが、それが無駄だとわかったのは、三人目の教育係が死んだ頃でした。もうお嬢様の個性は成立しており、よほどの事がなければ矯正はできそうにありませんでした。お父様は頭を抱えました。いっそ殺してしまおうかとも思っていました。しかし、それはかろうじて踏みとどまっていました。ですが、お父様を踏みとどまらせていたのは良心ではなく、一人娘の不審な死、という噂が流れては、などと世間体を気にしてのことだったのです。
 どうしたものかと悩んでいると、一人の召使がお父様に進言しました。
「自分がお嬢様の教育係を勤めます」
 お父様は初め、聞く価値はないと一蹴しました。しかし、召使曰く、高い給与はいらず、もしダメそうであれば自らが手を掛け、一召使の乱心として処理しご主人様には迷惑をかけぬように取り計らう、とのこと。
 お父様は大変喜び、召使をお嬢様の教育係に任命した。召使の提案は願ってもないことであった。教育がうまくいきまともな人間になるなら良し。ならずとも召使が手に掛けるなら、召使が突如乱心を起こし娘を殺された、として世間体を保ったまま始末が付く。お父様の悩みはこうして解決されました。にこりと笑った召使の、瞳の闇にも気付かずに。
 そして半年の月日が過ぎ、お嬢様の六歳の誕生日。お嬢様は大広間で誕生日を祝われていました。お父様は内心ヒヤヒヤしています。本当に教育がうまく行ったのか、テストを行いました。事情をなにも知らない新人の召使をお嬢様にあてがい、好きにしなさいと言いました。
 果たして翌日、お嬢様は何ら問題を起こすことなく、召使と笑顔で談笑をしているではありませんか。お父様は大変喜び、教育係の召使を自室に呼び出しました。
「素晴らしい。お前は大変に素晴らしい召使だ。褒美を使わそう。なんでも欲しいものを言いなさい。金でも、宝石でも、家でも」
 ところが召使は、首を振りました。お父様が怪訝に思うと、召使はにこりと笑い、こう告げました。
「私の望みはただ一つ。お嬢様の専属の付き人にして下さい」
「ああ、ああ、それだけで良いのか。いいだろう。断る理由はない。お前は今日から召使ではなく、娘の従者として働くがよい」
 お父様は大変喜びました。お嬢様の矯正が成功しただけではなく、ほとんど何の対価もなく済んだのですから。
 こうして、全ての事が解決し、何事もなく平和に暮らしていける。お父様はそう思っていました。
 お嬢様は立派なレディとして、従者もお嬢様の付き人として、お父様の社交パーティーや仕事の場に付いていくこともありました。お父様はいつか自分の跡取りとするために、お嬢様にいろいろ教えていきました。お嬢様はとても賢い娘だったので、あっという間にお父様の教えを覚えていき、簡単な仕事なら従者と二人でこなせるようにまでなっていました。
 そうして、お嬢様が八歳の誕生日。館の者全員でお嬢様の誕生日を祝いました。全員が全員、幸せそうに笑っています。そこでお嬢様は、従者と顔を見合せ、頷き合い、声を上げて皆の注目を集めました。
「みなさん、今宵は私の誕生祭をどうもありがとう。私からその感謝の意を込め、ささやかだけれどみなさんに贈り物をしたいの」
 そう言うと、いつの間に隠していたのか、窓に掛かったカーテンの裏側から大量の箱を取り出す従者。何事かと皆が注目する中、従者が箱を開くと、そこには手作りの花の首飾りがいくつも入っていました。従者はそれを、一つ一つ手渡しで皆に配りました。皆はとても感激しました。お父様も、娘からのお返しにいたく喜びました。それを見たお嬢様と従者も、大変喜び笑いました。こうして、お嬢様の誕生祭は満面の笑みとともに進行していきました。




 誰かの悲鳴が聞こえた。お父様はそこで目を覚まし、はて、自分はいつの間に眠ってしまったのだろうかと考えた。しかし、いくら思い返しても、最後の記憶は娘の誕生パーティーをしていただけである。ふと、今眠っている場所が自分の部屋ではないと気が付いた。急いで起き上がり辺りを見回してみるが、全く見覚えのない部屋であった。
「こ、ここは……」
 何が起きたのか全く理解できず、何度もこの部屋を見渡した。何度見ても、全く見覚えのない部屋で、記憶を思い返しても、自分の館にこんな部屋があったとは思えない。どうやら、いつの間にか連れ出されていたようである。そうしてしばらくすると、扉の外から足音が聞こえてきました。お父様がビクリとそちらを向くと、ちょうどノブが回り、ゆっくりと扉が開いていく。
 そこに立っていたのは、去年、実験のためにお嬢様に与えた新人の召使だった。でも、なにやら様子がおかしく、なにかに怯えるように顔を青白くさせ、カタカタと震えていた。
「だ、旦那様、お嬢様が、お、お呼びです。どうぞ、こちらに……」
 そう言うと、召使はお父様を無理やり立たせ、引きずるように部屋から連れ出した。普段なら怒鳴り付けて叱りとばすところであったが、お父様も異常な状況に正常な判断を下せず、黙って連れられていく。
 すこし歩いた先。突き当たりにあった扉の前で召使は止まった。そして、震える手で扉をノックする。
「開いているわ。どうぞ」
「し、失礼します……」
 召使はノブを回して扉を開る。そして、扉が開いて中の様子が見えると、お父様は驚愕のあまり呼吸すら忘れてしまった。
 そこにあったのは、料理。大小様々な皿に盛り付けられているのは、そのほとんどが肉料理のようだ。美しく盛り付けられた料理は、とても美味しそうに見える。そして、その料理が乗せられたテーブルには、お嬢様が着席していた。お嬢様は淑女らしく静かに丁寧にフォークとナイフを使って食事を口に運んでいる。
 ただ、お父様が驚いたのは、その料理たちの中心に飾られたものにだった。まるで、眠るように静かに瞳を閉じた女性の頭が、そこにあった。より美しく見せるためか、化粧まで施されている。その顔には、見覚えがあった。館の中で召使たちを束ねる存在だった最年長の召使。最年長、と言っても、齢三十に二つ届かない程度である。
「こ、これは、一体……」
「さあ、旦那様。お着席を」
 お嬢様の従者が、椅子を引いてお父様に促す。しかし、お父様は躊躇した。その席は、頭の丁度真正面の席だった。入り口でたじろいでいると、腰の辺りに何かを突き付けらた。そちらをみると、召使が震えながら拳銃を突き付けていた。それを見たお父様は肝を冷やし、大人しく席に座ることとなった。
「今晩は、お父様。少々手荒い扱いでしたけど、ご容赦下さい。その子も仕方なくそうしているだけですの」
 お嬢様は食事の手を止め、にこりと微笑む。お父様はなにがどうなっているのか未だに理解できておらず、お嬢様の顔を見つめる。
「あ、あの、言うとおり、旦那様をお連れしました。ですから、あの」
「ああ、申し訳ないのだけれど、もう一つ頼まれてくれないかしら」
 この場から一刻も早く逃げ出したかった召使が、約束を果たした故の退場を進言したが、お嬢様の従者が背後に立ってそれを阻止する。召使は、まるで蛇に睨まれた蛙のように、背筋をピンと伸ばして硬直していた。
 ツツ、と従者が召使の顎を指で撫で、そのまま、頬、唇、と指を動かす。召使は目を閉じ、従者の為すがままに身を任せる。
「旦那様に、料理の材料をちゃんと知ってほしいから、あなたにお願いするわ」
「……ぇ?」
 カチャリ。そんな音が聞こえ、気が付くと手に錠がされていた。召使はあわてて手を動かしたが、錠はびくともしない。焦る召使の目に、従者の美しい手に握られた、冷たい光を反射する刃が映った。召使はとたんに動くのを止める。
「そんな、約束が違……旦那様をお連れしたら、解放してくれるって」
「ごめんなさい。だって、ここには“食材”があなたしかなくて」
「い、イヤだ、死にたくない……お願いします、なんでもしますから。誰にも言いませんから、お願い、殺さないで。死にたくな……」
 必死に命乞いをする召使の首に、煌めく刃が突き刺さる。そして、すぐに刃は横に通り抜けた。一瞬だけ遅れて、ぱっくりと開いた喉から、どくどくと血があふれ出てくる。恐らく痛みに悲鳴を上げているのだろう、召使は苦悶の表情で口から喉から血を吐き出している。
 お父様は、恐怖した。恐怖で失禁すらしていた。だが、お嬢様は笑っていた。
 やがて、命の灯火が消えたのか、召使は体をビクリと何度か震わせてから動かなくなった。その顔は苦痛に歪み、目にはとめどない涙、口には溢れる血がより一層の悲壮さを奏でている。
「それでは、調理させていただきます」
「ええ、お願い」
 従者は会釈すると、息絶えた召使を抱えて扉の奥に消えた。そこでお父様は、目の前の料理が何で作られているのか理解した。とたんに吐き気に襲われて、娘の前にも関わらずに吐き出す。口から出たものはパーティーのテーブルに並んでいた食べ物であり、気を失ってから時間が経っていないことを物語っている。
「あら、お父様ったら、はしたない」
 くすり、とえずくお父様を、お嬢様は笑った。その様子が、この異常な空間に非常にミスマッチな無邪気さを持っていたことに、お父様はさらに恐怖した。
 娘は正常になったはずではなかったのか。お父様は恐怖に蝕まれながら考えた。お嬢様の従者は自分に確かにそう言ったのだから。しかし、従者のあの様子を思い出し、自分は騙されたのだと気づいた。
 これからどうなるのか、自分はなにをされるのか。想像もできずただただお父様は震えていた。
 目の前の料理から漂う美味しそうな匂いと、自分の嘔吐物からくる臭いが交ざり合い、その匂いがよけいにお父様をパニックにする。そしてついに、お父様の思考は停止した。
 それから数十分後、奥の扉からワゴンを押しながら従者がやってきた。ワゴンの上には、肉料理が美しく盛られた大きなお皿と、美しく化粧を施され、虚ろに目を開く召使の首が乗せられていた。
「お待たせ致しました」
「うふふ、やっぱり、私の見込みは正しかったわ」
 到着した料理を見て、お嬢様は微笑んだ。そして、おもむろに召使の首を持ち上げると、その半開きの唇に口づけをする。
「あなた、とても素敵な料理になれたわね」
 くすり、とお嬢様は召使の頬を撫でる。従者はそれを少々面白くない風に見ていた。
 お父様は、無心に目の前の料理を食べ始めていた。

 ある富豪の家が、火事で焼け落ちた。焼け跡からは、食堂と思わしき広い部屋で抵抗の素振りもない焼死体が見つかったことから、恨みを持つ人物が屋敷の人間を食事で眠らせ、火を放ったのではないかと見られた。ただ、この館の主とその娘の遺体は見つかってはいないそうだ。

 この後、お嬢様は各地を転々と移り住みながら、従者に命じて最高の食材となる女性をさらわせ、お嬢様とお父様に料理を提供させる暮らしを始めた。
 やがてお嬢様達の悪業は国中に広がり、従者には賞金までかけられるまで、その暮らしは続いている。今までも、そしておそらくこれからも──


「不気味に静かだな」
 件の館の門前に立つ二人の影。まるで魔女のような風体の少女と、ガンマンを体現したかのようなめでたい配色の少女。日も沈み、いやに明るい満月の夜。その明かりに照らされる館は不吉な雰囲気を醸し出している。
 一歩、門から中に踏み出せば、体にまとわりつく嫌な空気。常人ならば毛ほども感じはしないだろうが、数々の死線を潜り抜けてきた二人には感じ取れた。まるでよだれを滴らせる猛獣の口に入ったような、逃げ出したくなる悪寒。
 二人は確信した。賞金首、悪魔の僕はここにいる、と。
 それほど広くはない庭を抜け、大きな扉の前に立つ。二人は息を飲み、そのドアノブに手を掛け、扉を引いた。
 館の中は静寂に包まれており、明かりは窓から差し込む月光のみ。人の気配はしなかったが、悪寒は一層強く二人を包む。
 絨毯を踏み締め、二人は館の中を進む。その時、パチ、パチ、と小さく拍手する音が響く。二人が警戒して音の発信源である二階に銃を向けると、そこには幼い少女が一人。
「おめでとう、賞金稼ぎ。あなたたちでちょうど十人目になるわ、私たちにたどり着いたのは」
 その少女は、年不相応にとても気品に満ちていた。まさに貴族の令嬢といったところだろう。憂いというものを体現したかのような淡い藍色の髪、長いまつげにブルーの瞳。目鼻立ちはくっきりとしており、まるで精巧に作られた人形のようである。
 その少女がゆっくりと二階の通路を移動し、反対側の通路と合流する中央階段のその中央に立つ。
「今日は満月。私たちを嗅ぎ付けてやってきた怖い狼さんが私に牙を向けている。とても、それはとても美味しそう。けれど残念。私は筋肉質なのは好きではないの」
 少女はくすりと笑い、片手を上げる。
「サクヤ。客人をもてなしなさい。骨の髄までね」
「畏まりました、お嬢様」
 いつの間に居たのか、背後から声がする。振り返ると、ナイフを指の間に挟むように持った女性が、真っ赤な瞳でこちらを見ている。
「でやがったな、クソ野郎」
「あら、あなたは昨日の」
 サクヤはにやりとすると、握ったナイフを一本放ってきた。それが開戦の合図になり、二人は弾丸を撃ち出す。しかし、二人のそれはサクヤを討ち取るには至らなかった。彼女はその場で高速回転をすると、銃弾の合間をするりと抜けた。
「ちっ、けったいな噂も伊達じゃねえってか」
 飛来するナイフを拳銃で弾くマリサ。すぐに射撃体制に入る。連続で両手の銃の引き金を引くが、どういうわけか、サクヤは身をよじり、時には回り地に伏せながら銃弾を避けていく。まるで、銃弾が見えているかのように。
「な、おい、マジ……」
 マリサのセリフはそれ以上続かなかった。サクヤが懐まで潜り込んで来たからだ。見ると、ナイフを手にこちらの心臓目がけ、深い角度から突き上げてくる。肋骨をさけ、短い得物でも心の臓を刺し貫き抉れる手法だ。マリサはとっさに、その切っ先を足裏で受けとめた。
 少女の足を貫くかと思われたその刃はしかし、ギン、と鈍い音を立てて止まった。マリサはそのまま踏みぬくようにナイフを叩き落とす。
「せあっ!」
 その勢いのまま、反対の脚を跳ね上げてサクヤの腹部に膝を打ち込む。それは見事に決まったように見えたが、彼女は直撃と同時に体を退き、膝蹴りの威力を削いでいた。一旦離れた彼女に、今度はレイムの銃弾が襲い掛かる。だがやはり、まるで踊るかのようにそれを回避する。
「ふふふ、やるわねあなたたち。私が殺しにかかって十秒以上生き延びた相手は久しぶりだわ」
 サクヤは、目を見開きギラギラとさせながら口の端を持ち上げた。常人ならば悲鳴を上げると思えるほどの壮絶な笑みだ。
「イカレ野郎どもの笑い方ってのは、どうにも似通うらしいな」
「私も思ったわ」
 二人は以前にも、狂気を帯びた笑みを見たことがある。またか、とうんざりとした表情を隠そうともしない。
「サクヤ、なにを遊んでいるの。この不躾な輩を早く始末して頂戴。私とお父様は食事の邪魔をされて、酷く不愉快なのよ」
「お嬢様、お食事を召し上がっていて構いません。その間に必ず始末をつけますから」
 わかってないわね、と中央階段の少女は首を振った。
「あなたの働きを見届けてあげると言っているの。不満かしら?」
「いえ、身に余る光栄にございます」
 サクヤは、フッと笑顔を消すと、懐から小さな薬瓶と銃のような形をした装置を取り出した。その二つを組み合わせ、自らの目に押しあてる。プシュ、と何かを吹き出す音が二度聞こえ、サクヤは装置をしまい込んだ。そして、ゆっくりと二人に向き直った。
 その目は、先程よりも紅く輝いており、まるで眼球だけ作り物のように異様さを放っていた。
「お嬢様の手前不精は許されない本気でやらせてもらう」
 先ほどとは打って変わり、若干興奮しているのか早口になっていた。二人は油断なく身構える。




──私には、お嬢様が世界の全てだ──





 サクヤがお嬢様と出会ったのは、雇われてからすぐのこと。お嬢様が、召使を初めて解体した日であった。
 その猟奇的現場にて、死体の後片付けを任されていた。切り刻まれた人の死体を片付けるという、出来るなら誰もやりたくはない仕事に、他の同僚達と同じように沈んだ気持ちで部屋を開けた。
 すぐに視界には、腹を切り開かれ、苦悶の表情で息絶えた仲間が入り、同僚達は顔を伏せるか吐き気を堪える。が、サクヤだけは反応が違った。
 まるで、意識に電流が走ったように感じた。目の前の異様な光景に感動さえ覚え、その瞬間、サクヤの世界が生まれ変わった。未だ立ち尽くす同僚達を差し置いて、サクヤはその死体に近付いていった。
 片付けてしまうのが惜しいほどの、美しい芸術作品。サクヤは、これを完璧な腐敗処理をして永久的に保存したいという欲求に駆られる。そして、これを生み出したお嬢様に、一目お会いしたいと思った。
「サクヤさん、はやく終わらせましょう」
 なんとか立ち直れたのか、妙齢の召使がサクヤの肩を叩く。そんな勿体のないことを、と反論しかけてやめる。下手に事を荒立てれば後が面倒である。周りに合わせ溶け込み、決して目立つことはしない。それがサクヤの処世術であった。
 その後、死体の片付けの口止め料として、およそ普段の給金の十倍を握らされ、翌日からは数日間の休日も取らされた。他のもの達はこれ幸いに街に出かけたり家族に会いに行ったりとしたが、サクヤだけ違う行動を取る。
 夜。屋敷のもの達が眠りについた頃合い。お嬢様もまた自室のベッドの上で寝息を立てていた。お父様から部屋から出てはいけないときつく言い付けられていたので、退屈な一日を強いられていた。せめて夢の中ではといつもより早く就寝した、そんな夜。
 ガタガタン、と窓を叩く音。最初は気付かず眠っていたお嬢様であったが、断続的になり続ける音はやがて夢現つの合間に割って入ってきて、お嬢様の意識を現実に引き戻していく。泥棒や犯罪者が来た、という考えは浮かばず、非常に不愉快に思いながら犯人に文句を付けてやろうと起き上がり、窓に掛けられたカーテンまで向かい、無用心にも思い切り開く。
 果たして、安眠妨害の犯人は一人の召使であった。その事がよけいに腹立たしく、お嬢様はお父様にこのことを言い付ける腹積りであった。これも無用心にすぐ窓の鍵を外して開ける。
「あなた、一体何なの。私の睡眠を……」
「申し訳ございません、お嬢様。お叱りはあとで如何様にでも受けますので、まずは私の話を聞いていただけませんか」
 その召使は、バルコニーでもなんでもない窓の外で、必死にへりにしがみつき僅かな突起に踏ん張りながら、笑顔でそう告げてくる。登るのに何度かしくじったのか、手足や顔に多数の傷や流血が見られ、服も汚れや破損が目立つ。お嬢様はその様子に呆気にとられ、そのまま召使を部屋に招き入れる。
「まずは、此度の非礼を深くお詫びいたします」
 部屋に上がるなり召使は深々と頭を下げ謝罪を述べてくる。そして、頭を上げないまま次の句を繋いだ。
「私は、感動致しました、お嬢様。あの見事な芸術を生み出したお嬢様を尊敬致します」
「げ、芸術?」
 突然の物言いにお嬢様は理解が追い付かなかった。芸術、と言われても、そんなものに心当たりなどなく、何か他人に見せびらかすようなことをした覚えはない。と、そこまで思案を巡らせて、はたと気付く。最近自分が関わり、召使の目に触れることが一つだけあった。
「まさか、先日のあの召使のこと?」
「はい」
 頭を上げ、輝かんばかりの笑顔を見せる。
 お嬢様は混乱していた。解体した召使は、芸術などといったもののためのものではなく、純粋な好奇心からの行動であった。人の中がどうなっているのか知りたかったがためにあの解体を行ったのだ。
 お嬢様は、人という一つの生命体に非常に強い興味を持っていた。その興味を持ったのは三歳の頃。忙しなく館の中を行き来する召使を眺めながら、ふと、その中身がどうなっているのか知りたくなった。
 天才、と呼ばれる人物は、得てして生まれつき脳の活動量が違う。お嬢様もそのうちの一人であり、三歳にして知識量は並の成人に等しい。まだ這うことすらままならぬ頃から詰め込まれてきたのだから、当然と言えば当然である。
 そして、天才と呼ばれる人物たちは、その脳の活動量の違いから決定的な欠点を持っていた。一つの事柄に興味を持てば、何を捨て置いてもそのものの隅々まで、あらゆる全ての情報を知り得なければ満足ができない。そして、知り得る事で得られる知識的満足感。これは、天才という人種に置いて食事と同じ、いや、それ以上に必要なものである。
 この日から、お嬢様は人という生命体への知的好奇心により、脳が飢餓状態になってしまった。ヒトのことをもっとよく知りたい。ヒトの情報をもっと得たい。お嬢様の知識欲は日に日に強くなり、勉強の合間にヒトへの知識を貪り尽くした。
 しかし、どれほど知識を得ても、所詮は紙にインクで作ったシミ。想像はできても実物を見れなければ満足など出来ようもなかった。そうして溜りに溜まった鬱憤が、ついに先日の事件を引き起こしたのだった。
 ゆえに、あの召使は言わば残飯。お嬢様にとってはもはや興味もない廃棄物でしかなかった。それを、目の前の召使は芸術と言うのだ。
「お嬢様の解体なさったあの死体。私の目にはとても美しく、素晴らしいものに見えました。ただただ息をし、飯を食らってせかせか働き、ただただ無価値に生きていただけの彼女を、あなたは美しい芸術品に生まれ変わらせたのです」
 その召使は鼻高々に演説する。この後にも、お嬢様がいかに優れた感覚を有しているか、凡人との決定的で高潔な違いなどを延々と講釈する。最初は理解さえしていなかったお嬢様だったが、召使の口から湧き出る言葉が自分を褒める物ばかりだったので、だんだんと気を良くしていった。
「それで、折いってお嬢様にお願い申したいおのですが。私を、あなたの従者にさせて頂けませんか?」
 唐突に、召使はこう進言した。気を良くしていたお嬢様は一も二もなくそれを了承する。
「ありがとうございます。それでは、お嬢様の従者として、これからのお嬢様の素行について進言いたします。私の助言通りにして頂ければ、お嬢様がご自分のお好きなように生きることができるようにしてみせます」
 そこで従者が出した助言というのは、およそ一年は今回のように隙を見て召使を解体し、それから二年はおとなしく生活することだった。つまり、後二年は好きにヒトの中身を探求することができないのである。お嬢様は当然それに反発をしたが、従者はこう諭した。
「二年我慢いただければ、あとはどれほどヒトを切り開いても、誰にもなにもいわれない環境を整えましょう」
 お父様に部屋に軟禁させられてしまったお嬢様にとって、それはとても魅力的な話だった。
「本当ね? 約束よ? 破ったら命はないと思いなさい」
「はい、心得ました」
 こうして、従者は地位を守ることに固執した主人の心理をあやつり、まんまとお嬢様の従者としての地位を手に入れたのだった。ただ一つ、計算外な事態が発生した。お嬢様の興味が、ヒトの中身からヒトを使った料理に移ったのだ。それも、サクヤがその料理を担当するということに。これは彼女にとって嬉しい計算外だった。お嬢様に懇意にされているのだと改めて認識できたのだから。
 こうして、今の今まで、サクヤは喜んでお嬢様にヒト料理を作り提供してきた。





 銃弾が、ゆっくりとこちらにいくつも向かってくる。だが、それは隙間だらけで、少し体をひねればよけられる。難点としては、そのひねる体がいやに重く、動かすのも一苦労ということだ。サクヤが手に入れた彼女だけの世界。真っ赤に染まったその世界では、すべてのものがスロウであった。
「冗談じゃねぇ!」
 両手に持った拳銃が、次々と火を吹く。標的を正面に捉えて射撃しているが、それが全く当たらない。外しているわけではない。かわされているのだ。マリサはそれに戦慄を覚える。
 ヨウキの場合は、銃口の向きで軌道を、指の動きで射撃タイミングを見ているのがわかっていた。故に不意さえ突けば当たるという確信があった。だが、この悪魔の僕の場合、明らかに撃ち出された銃弾を見てかわしてる節がある。当たる気がしない。それがマリサの感想だった。
 再度、サクヤが懐に飛び込んでくる。今度はコンバットナイフでの格闘戦を試みようと構えた。
「っバカ!」
 レイムの声が聞こえたのと、右腕と腹部に衝撃を感じたのはどちらが先だったか。サクヤは右手で半分突き出されたマリサの右腕を突き刺し、左手は体重を乗せて突き刺すために体に密着させて体当たりをしていた。マリサが悲鳴を上げるより先に転がされ、はっとして見たのはナイフを逆手に、こちらの心臓に振り下ろさんとする瞬間。だがそれは、リロードを終えたレイムの射撃によって阻止された。
 レイムがマリサを確認すると、体を丸めてうずくまっていた。前日のダメージに加え、今のダメージは大きい。マリサはもはや使い物にはならないと即座に判断した。
「つぎハおまエダ」
 奇妙に高めで早い口調は、より一層不気味さを演出していた。サクヤはそのままレイムに駆け出す。
 レイムの愛銃はリボルバーであり、最大装填数は五発。両手合わせても十発しかなく、先ほどマリサから引き離すのに一発使っている。いままでは十発という装填数に不満は感じなかったが、今日はそれに舌打ちをしたくなった。レイムの勘をもってして、当てるのは難しい相手だと判断したのだ。まずは挨拶がわりに二発、両手から撃ち出す。恐ろしいことにサクヤはその間を通り抜けた。次に時間差で二発発射したが、それは体を左右に振って振り子のように避ける。右手に残った二発の弾を素早く撃ち、左三発で避けたその身を狙ってみたが、くるりと回転していとも簡単に潜り抜けられてしまう。
 気が付けば、突き出されたナイフを後ろ飛びに避けていた。さらに二度三度ついてきたが、その度に身を引いて避ける。銃弾のような素早さではあったが所詮腕。範囲外まで伸びては来なかった。
「不思議ハジメてあノ突きをヨケラレタ気がするワ」
「間合いさえ把握してれば造作もないわよ」
 驚いたように眉を持ち上げるサクヤにレイムは吐き捨てるようにいった。すぐにリロードに取り掛かろうとするが、サクヤは踏み込んできた。仕方なくギリギリで間合いを保ちながら、サクヤの突き振り払いを舞うように避けていく。
 すると突然、サクヤの動きが鈍り始め、呼吸が乱れてきた。
「くっ、はぁっ! クソ、薬が……」
 膝をガクンとつき、肩で息をするサクヤ。そのつぶやきをレイムは聞き逃してはいなかった。
(薬……?)
 そういえば、やりあう前に妙な装置を使っていたと思い当たる。そうして、あのサクヤの人間離れした運動能力が、その薬とやらの効能なのだろうと思い至る。ならば、することは一つ。薬が切れている今、こいつを仕留める。そうして、レイムが一発だけ装填して銃を構えようとした瞬間であった。
「サクヤ、私にそんな無様な姿を見せるの?」
 その言葉がきっかけになったようだ。膝をつき喘いでいたサクヤは突如として跳ね上がり、驚きで一瞬竦んだレイムにナイフを投擲する。かろうじてそれを銃で弾いたが、射撃タイミングは逃してしまった。サクヤが、再び装置を取り出していた。放った銃弾は、サクヤの眉間ではなく、その手の中の装置を貫いた。舌打ちを一つ。
 装置が吹き飛ぶと同時、サクヤの体ははじかれるようにして前傾し、まるで弾丸のようにレイムに向かってくる。銃を構えようとして、それがもはやハリボテに成り下がっているのを思い出し、再び舌打ち。足掻きに投げつけて見たが軽くあしらわれる。
 ここまでか、と諦観し、死後の世界に緑茶はあるか否かをわりと真剣に考えたとき、銃声が耳に届いた。サクヤがすぐに反応し、レイムから離れるように飛び退く。
「ナメんなこらぁぁぁ!」
 世にも珍しいドラム式のマガジンを備え、生産性を重視した角ばった構造の銃を腰に構え、銃弾をサクヤに向け放つマリサ。正直な所、腹部の傷に非常に響いて涙がにじむが、負けず嫌いの性格が撃たせている。その弾が尽きた時、今度はプラスチックをふんだんに使った、おもちゃのような銃を構え撃つ。激しい弾幕にさすがのサクヤも避けることはできても接近は容易ではなかった。その次には片手でも扱いが容易なTの字状のサブマシンガンの引き金を引く。
「チイ、賢しい!」
 その銃の弾も尽きれば、今度は再びドラム式の銃を取り出す。しかしこちらは散弾銃である。ボン、と複数の銃弾がサクヤを襲う。

 一瞬、目を疑った。発射された銃弾が複数だったためである。この時点で相当な焦りがサクヤを襲った。マシンガンのように一発づつ連続して飛来する銃弾を避けるのは造作もないが、複数の銃弾による弾幕は非常に避けづらい。隙間を縫うことはできないので、範囲外まで逃げるしかない。体を全力で動かし、その弾幕の範囲外に逃げ込む。
 そこでサクヤは安堵する。散弾銃はマシンガンのように連続では発射できないため、次弾発射までに距離を詰め仕留めてしまえばいい。そう思い、マリサへと視線を向ける。
 しかし、彼女は思い違いをしている。確かに散弾銃といえば、一発ごとにポンプを動かし、次弾装填をするものが一般的である。が、マリサがもつものは、そんな散弾銃のなかでも例外的火器である。サクヤにもう少々銃器に対する知識があれば、人生最大の地獄も見ずに済んでいたかも知れない。

「よけられるもんなら避けきってみろ!」
 ボン、ボン、と断続的に放たれる散弾。あまりに素早い動きに確認し難いが、サクヤの顔は驚愕に染まっているように見える。十数発の銃声の後、そこに立っていたのは、シロアリに侵食されたかのような柱と、手足から血を垂れ流すサクヤ。
「ま……マジか……」
 マリサの手から空になった散弾銃が落ちる。今のでマリサの手持ちは全て使い切っている。それが地面につくか否かに装填を終えたレイムがサクヤを狙い引き金を引く。しかし、やはり全弾よけ切られる。
「……万策尽きたわね」
 あっさりと、レイムは認めた。手足に銃弾をくらった状態ですらかわして見せる目の前の人物に鉛玉を叩き込むことはできないと悟っていた。
「っていうか、もっと早くにその弾幕張っときなさいよ。二人で十字砲火なら仕留め切れたかもしれないのに」
「しょうがないだろ、腹ぶっさされて今立ってるのがやっとみたいな状態なんだぜ。刺されて次の瞬間全力射撃なんか出来ないよ」
 肩を竦めるマリサに、レイムは装填しながら睨む。そうしている間に、サクヤも呼吸を整えたらしい。ナイフを懐から探したが、どうやらこちらも弾切れのようである。素手のまま、マリサに向かう。
「こっちからかよクソ!」
 負けじとコンバットナイフを構えるが、あっけなく弾かれる。
「ちょ」
 空いた右手を取られ、ボキリ、と肘関節を逆に曲げられ、足をさらわれて仰向けに浮き上がり、ガラ空きの真っ赤に染まる腹部に拳が刺さる。
「げ、ほっ!?」
 今度は内蔵まで傷ついたようで、咳き込むと血が吹き出てきた。激痛にマリサの意識は真っ白になる。
「そこでじっとしてろ今お前の相棒を目の前でバラしてやるくきひひ」
 サクヤはマリサを見下ろしながら、歯をむきだして笑った。その目には黒い憎悪が見て取れる。どうやら散弾銃で追い込んだのがよっぽど堪えたらしい。彼女を惨たらしく殺してやろうという魂胆が見え見えだった。
(それで、私に止めをささないわけか)
 しかし、マリサはそのわずかな延命に安堵も恐怖もしなかった。サクヤがゆっくりとレイムに向かっていくのを見送りながら、頭の中で必死に打開策を考案する。
(どうすりゃいい、レイムが死ぬ前になんとかあいつをぶっ殺す方法を考えなきゃな……)
 そこで、何かに使えないかと周りを見渡した時に視界に入ったものが、思考の中に入り込んでくる。
(薬……お嬢様……。そういや、さっきのあいつ、早口は早口だが、薬使った直後よりは聞き取りやすかったな。まるで聞こえやすいように丁寧に言ったみたいに……。早口がデフォ? いや、昨日やここに来たばっかのときは早口じゃなかった。薬打ってから変わったよな。つまり、あの薬は早口になるような何かの作用をもたらしてる……。早口……銃弾避け……。……感覚の加速か? ありえてほしくねぇが、それなら納得がいく)
 感覚の加速。マリサが考えるそれは、例えるならビデオのスロー再生。つまり、今のサクヤの状態を完璧に推測したのだ。
(お嬢様……。あいつが一声かけたら、電撃が走ったみたいに動き始めたな。知ってる、あれは狂信だ。神が言うことは絶対で、人殺しだろうが自殺だろうがなんの躊躇もなくやり遂げる。命令があれば頭のネジも吹っ飛ばして、自分のキャパを超えることもできる)
 感覚の加速。狂信。その二つがマリサの中で融合し、一つの策を練り上げた。
(どうせ、レイムの言うように万策は尽きてんだ。足掻くだけ足掻いてやる)
覚悟を決めたマリサは、せり上がる血を一通り吐き出し、詰まることなく声が出せるようになったことを確認してから上体を持ち上げた。視界には、今まさにレイムに飛びかからんとするサクヤの後ろ姿。
「おい!」
 できる限り大声で、素早く、なるべく高い声で呼びかける。果たして、狙い通りにサクヤは振り返った。
「あそこにいるお嬢様はほんとにお前のお嬢様か!?」
 その一瞬、場の空気が滞ったのを皆が感じた。一瞬の沈黙の間を破ったのは、指定された当の本人であるお嬢様だ。
「なにを言い出すかと思えば、随分と哲学的なことをいうのね」
 クスクスと笑うお嬢様に、マリサはにやりと笑う。
「今のを聞いたかサクヤ! おまえのお嬢様ってのは“あんなぼんやりした声”なのか!?」
 マリサのその一言は、さらに場の空気を一転させた。レイムは、とうとう痛みでおかしくなったかと装填しながら相棒を睨み、お嬢様は思考が追いつかないのかポカンと口を開けている。そんな中、サクヤとマリサだけは爛々とした目で互いを見合っている。ただし、マリサの瞳には自信が、サクヤの瞳には懐疑心が宿っている。やがて数秒後、サクヤが口を開いた。
「……お嬢、様?」
 クワッと、サクヤはお嬢様の方を振り返る。その動作に、お嬢様はびくりと身を引いた。
「私の記憶が正しければもっと鈴のなるような声だっただろうそれに見たか今のお前に見られて引いたぞやましいことがある証拠だそいつはよく似た偽物なんだ!!」
 早口に、一気にそこまで言い切ると、マリサは再び血を吐き出した。おそらくもうしばらくは声を出せないだろう。彼女は己の賭けの行く末を見極めんと、血を吐きつつも視線だけは上げていた。
 サクヤが、一歩、ゆらりと進む。それに底知れぬ不安を感じ恐慌したお嬢様は一歩、下がった。
「……お前はナニもノダ……」
「な、なにを言ってるのサク」
 言葉の途中、サクヤは一息に階段の踊り場へと飛び、お嬢様の肩を掴んで押し倒した。
「ちガウ……やつのイウとおリおじょウサまの声じゃナィィィイ!!」
 自分の頭を掴んで二回三回と振り乱すと、額が接触するまで顔を近づける。
「お前はだれダおじょウサまはドコだ××××××!!」
 そこから先はあまりに早口でもはや唇が追いつかず言葉の体をなしてはいなかった。唇から溢れる呻きのような溶けた言葉とヨダレに、お嬢様は完全に恐慌していた。そして……。
「な、なにを言ってるのサクヤ、私はっ!」
 カッ、と力任せに刃物を突き立てる音。サクヤの手にしたナイフが、お嬢様の小さく薄い体を貫き、床に刺さる。お嬢様は痛みよりも強い衝撃を先に感じる。
「さ、サク……」
「×××××!!」
 狂ったように、両手に持ったナイフをお嬢様に交互に突き立てる。三度目からは体を裂かれる痛みが正常に伝わるが、もはや叫びをあげられる状態ではない。声にならない声で絶叫するお嬢様の体に、なおも容赦なくナイフを振り下ろす。引き抜かれるたびにナイフにまとわり付いた血が、肉片が、お嬢様の顔を、サクヤの顔を、あたり一面を染め上げていく。
 腹部をかばおうとした両腕がもはや骨と幾分かの肉だけとなり、上半身と下半身をつなぐものが背骨だけとなった頃、ようやくサクヤの腕が止まった。肩で息をつくサクヤの手は、ナイフを突き立て続けた為に小指の肉が削れ、骨が露出するまでになっていた。
「はぁ……はぁ……お、嬢、さ、ま……?」
 何がきっかけとなったのか、もしくは薬が切れたためなのか、サクヤの意識は正常に戻っていた。故に、今の現状が嫌でも理解できてしまう。
「やっと、気付いたのね……遅い、わ」
 血で真っ赤に染まり、どこを見ているともわからない虚ろな目で、お嬢様はサクヤを見ていた。痛みは途中から感じなくなり、その間、ずっと凶行に及ぶサクヤの顔を眺めていた。
「お嬢、様、私……」
「いいわ、なにも言わなくても……」
 もはや無い手で、お嬢様はサクヤの頭をそっと挟む。
「きっとこれは罰なのよ。あなたのことを信用しきれなかった私への……。後ろに引いたあの時、私はあなたを恐れた。心から、信頼していたはずのあなたを」
「お嬢様……」
 触れるだけの、血の味しかしないくちづけを、お嬢様は従者に施した。
「先に逝って、待っているわ。今度は、どんな時もあなたを、心から……信じ……」
 はたり、と骨の露出した腕が床に落ちた。うっすらと開いた瞳は、もうどこも見ていない。
「うぁ……うああああああ!!」
 そんなお嬢様を抱え込んで、サクヤは泣いた。お嬢様の死は、まさに、全ての終焉を意味していた。それも、己の手で、という、サクヤにとって最も残酷なものであった。そして、そこに響く一発の銃声。その銃声が幕引きであったかのように、空間にあるあらゆる音が消えた。額に穴を開けたサクヤは、ゆっくりと視線をお嬢様の顔に向け、唇の動きだけで語りかける。


──お供します、お嬢様──




「終わったわ、全部」
 抱えたマリサを壁に下ろしながら、やれやれとレイムは一つため息を吐いた。マリサは思いのほか重傷のようで、一人では立つこともままならないらしい。
「終わった? 寝言抜かせ。アリスまだ見つけてないだろうが! ゲフォ!」
 終わった、という言葉に目くじらを立てたマリサが、叫んだ後に血を吐いた。
「あー、私が悪かった。それより聞いていい? なぜあの悪魔の僕は主をメッタ刺しにしたのよ」
「それよりって、てめぇ……。あれは、ドップラー効果ってやつよ」
 レイムは頭にクエスチョンマークを浮かべる。当然だ。聞いたこともない言葉であったからだ。
「なんでも、音ってのは波長っていうやつで空気中を伝わるらしいんだ」
 床に血で波線を描いて見せる。
「この波の波長の幅が音のでかさ、波の細かさが高低を伝えてて、波が伸びれば音は低音になるらしい」
「それで? それとあの悪魔の僕となんの関係が?」
「サクヤはおそらくあの薬を使って感覚を加速させてたんだ。つまり、全部スローモーションに感じてたはずだ。そうなりゃ当然、耳が受け止める音も全部ゆっくりに、つまり波長が伸びた状態で耳に届いてたはず。そうなりゃ、年頃の女の子のハスキーな声も狼の唸りよりも低く聞こえるはずさ。まあほんとにそう聞こえてたかどうかは賭けだったが」
 そこまで解説したマリサのドヤ顔を無表情に眺めていたレイムが感想を漏らす。
「頭いい風に見えるあんたって、なんか気持ち悪い」
「無礼極まりねぇな。そんなこといいからとっととアリス探しにいけよ!」
 どやされたレイムは、はいはいと立ち上がる。当ては全くないが、最悪総当りでいけばいいと考え、とりあえず上の階に上がった。
 レイムは適当に選んだ扉を開けると、通路になっていた。途中に左右に対になる扉とその突き当たりに扉。突き当たりの扉からは若干光が漏れており、明かりがついてるのが分かる。レイムはまずその突き当たりの扉から開けた。
 慎重に、音を立てぬよう開き、中の様子を探る。中には、恐ろしく大きな巨体の人物が椅子に座っており、カチャカチャくちゃくちゃと何かをしている。音から察するならそれは食事であるとレイムは推理し、銃を人物に向けながら部屋に侵入した。その時、レイムの勘が二つの感覚を身にもたらす。一つは、ここの近くに探し物があるという直感。もう一つは、この先を知るべきではないという、毛を逆撫でしたような感覚。
 初めて対面した時のお嬢様の言葉。食事中であることと自分たちが筋肉質で好みではないこと。その言葉が急に蘇り、勘に拍車をかける。
「動かないで」
 そう人物に声をかけ、警鐘を鳴らす自分の勘に逆らいながら、移動してテーブルの上を見た。




「お、アリスはいたか?」
 自分の腹部の治療をしていたマリサが、戻ってきたレイムを確認すると銃を下ろす。随分と早い戻りも、レイムの勘の鋭さが早々にあたりを引かせたのだと考えた。そして、その考えは当たっていた。
「ええ、見つけたわ……」
「そうか。って、なんで連れてきてねぇんだよ。あ、私のけが見せたらショック受けるか。なんだよ、なかなか気がきくじゃねぇか。それじゃ、私を見えない位置に動かしてからアリスを家に連れてってやってくれよ」
 そう笑顔で語るマリサの正面に、レイムは膝を下ろした。その行動にマリサは疑問符を浮かべる。抱えるにしても肩を貸すにしても、横のほうがなにかと都合がいい。それなのにレイムは正面に膝をついたのだ。なんだよ、と怪訝そうな声を上げるマリサに、レイムは右手に握りこんだそれをマリサの目の前に掲げる。
 およそ賞金稼ぎのガンマンとは思えない繊細な、しかしミスマッチな握りダコがある手からスルリと滑り落ちたのは、見覚えのあるリボン。見間違えるはずのないマリサは、なぜか必死に見間違いだと考えた。
「……そ、それ、は?」
「アリスのリボンよ」
 希望は通らなかった。無表情のレイムの顔とリボンを見比べながら、なぜレイムがアリスのリボンだけ持ってきたのか。必死に考えた。……いや、それは正しくは無い。
「あのお嬢様、どんな趣味だったかしってる?」
 正しくは考えるふりをしていた。
「私たちがおいしくなさそう、みたいなこと言ってたわよね」
 答えは見えている。
「逆に言えば、柔らかい、筋肉のあまりないのが好みってことよね」
 ただ、一言、嘘だと言って欲しかった。そうすれば自分の考えは完全な的外れで、安堵のため息とともにたちの悪い冗談はよせと笑って言えたはずだった。
「あいつら、アリスを攫ったのは……」
「嘘、だよ、な……アリスがさ、まさか、さ……」
 抱きしめられた。傷に響くほど、強く。血の匂いに麻痺している鼻に、いつものレイムの香りがした。今この瞬間の沈黙は、もう決まりきった答えでしかない。
「嘘だ、そんなの……嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 頭よ割れよと言わんばかりに、爪を立てて頭を抱え、血を吐くことも謀らず痛みも忘れて、ただ泣き叫んだ。


 レイムが見たものは、豪勢な肉料理が並ぶ大きなテーブル。それを貪るように食す中年の肥えた男。そして、そのテーブルの中央。綺麗に化粧で飾られたアリス。その頭部であった。







 アリスの葬儀は、粛々と執り行われた。泣き疲れた顔のシンキが、参列者一人一人に無理して作った笑顔で挨拶していく。参列者たちは、シンキがどれほど一人娘を大切にしていたのか知るものばかりで、形式的な挨拶すらも謀られるものがほとんどであった。
 棺桶が運ばれていく。アリスの身長に合わせて作られたものだが、中には頭部しか収められていない。体部分は全て調理されており、内半分は既に食されてしまっていて、残り半分を入れるか否かとなったとき、現場検証の者の説明を聞かされたシンキが放心状態のまま、あわや手首を刃物で切り裂かんとしたために、シンキの精神保護のため、その肉体だった料理は先んじて丁重に火葬され、既に灰も残っていない。
 やがて、棺桶が埋葬予定の地につき、神父が教典を読む。それが終わると、アリスの棺桶はいよいよ穴の中に収められ、丁重に土がかぶせられていく。その様を、シンキとマリサとレイムは全ての工程が終わり、シンキを気にかけながら去っていく参列者たちがいなくなるまで見つめていた。
「……マリサちゃん」
「……」
「そんなにボロボロになるまで、アリスちゃんのために戦ってくれたのね」
「……」
「アリスちゃんの代わりに、お礼を言わせてね。ありがとう」
「……お母さん、私、アリスのこと、守れなかった。助けるって言ったのに、約束、守れなかった」
「マリサちゃん……」
 そっと、シンキはマリサを抱きしめる。マリサもキュと、弱々しく抱きしめた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「いいのよ、マリサちゃん。あなたが無事だったんだもの。きっと、アリスちゃんも、安心してくれているわ」
 そんな雰囲気にいたたまれなくなったレイムは、そっと気配を殺して立ち去った。


 マリサは、もうダメかも知れない。
 きっと、シンキのことがマリサの弱みになるだろう。大事な一人娘を失った悲しみに暮れるシンキはマリサをその代理に当てて自分を慰めるだろうし、マリサもそれを承諾するだろう。レイムはそう考えていた。そして、親友の、長年の相棒のそんな弱々しい姿を見たくはなかったので、レイムは翌日、挨拶すらも無しに馬車に乗り込んだ。いつもなら手綱はマリサが握るが、今回は雇いの人物に握らせる。
「いいの?」
 丁度同じく任務を終えたらしいチェンがあいのりしている。
「いろんな意味があるんでしょうけど、答えは全部イエスよ」
 そう淡々と答えるレイムに、チェンは特に返事も返さず、馬車の後部から外を見た。
「そうは思ってないのが、一人いるみたいだけど」
 チェンの言葉にハッとして、同じく後部から外を見たレイムの顔面に、パイが直撃した。
「ふっざけんなよこの紅白おめでたガンマン!」
 ガタガタと馬車に飛び乗ったマリサは、手綱を握る知らぬ者を見ると、そこは私の指定席だ降りろ、と金一封を手渡し蹴り落とし、手綱を握って馬の尻を叩く。パイが発車の振動でずり落ちると、のっぺらぼうと化したレイムは顔を拭う。それ、お母さんから、とマリサが指さす先には、バスケットに収められたパイ。
「……シンキさんはいいの?」
 あ、おいしい、とチェンとともにパイをつまみながら、マリサに尋ねる。
「ま、ちょっとは考えたけどな、残るかどうか。でもさ、やっぱ私は私で、アリスにはなれないしさ。それに賞金稼ぎだってまだ辞めたいとは思わないし。そうやってお母さんに説明したら、寂しそうにされたけど、あっさり『いってらっしゃい』ってさ」
 少し憂いを帯びた表情で、空を仰ぐマリサ。彼女が今なにを思っているのか、誰にもわからないであろう。


 白黒と紅白の賞金稼ぎの物語は、まだ続きそうである。
正直書いてて色々(私生活含め)辛かった。故に一年近くかな、間が空いちゃった。覚えてる人いるかな。
今回で第二章完結です。起承転結の承転結を一気に書いたら長くなった……。最初脳内の構想だともっとシンプルに終わるはずだったんだけど、書いてるうちにサクヤ達の過去書きたくなっちゃったから伸びに伸びた。カニバリズムってあんまり好きじゃなかったんだけど、お嬢様にはぜひカニバって欲しかった。
アリス、最初から死なせる予定だったけど、あれだね、爆発オチみたいなギャグテイストとか脳みそチュルチュルされて死ぬみたいなエロいのじゃなく純粋なシリアスで死なせると辛いね(作者が)。アリスけっこう好きだから書いてて泣きそうになった。

なおこのシリーズ、時代背景的には西部劇だけども時空列はカオスな模様。そのうちバックル型銃とか鉄パイプ溶接しただけのお粗末銃とか薬莢排していらない子になった銃も出したい。

あと一章あるよやべぇよどうしよう(迫真)
パワフル裸ロボ
作品情報
作品集:
32
投稿日時:
2014/03/19 16:45:21
更新日時:
2014/03/20 02:23:15
分類
レイマリ
西部劇風
作者、M1928大好きでござる
1. NutsIn先任曹長 ■2014/03/20 12:59:23
待ち焦がれた後編、楽しく拝読させて頂きました。

紅魔館組のキャラクターが、二人の主従に見事に再構成されていますね。
サクヤさんの描写が、無理矢理超人的な能力を得た『戦闘の素人』といった感じバリバリで良い♪
『月時計』の『供給元』も、出てくるかな?

まさかあの悲劇が予定されていたとは……。
どこぞの爆発四散した独逸軍人みたいに人格を持った『お人形』として復活したり、養女を娘としたりしないかなぁ……。

銃器もグッド♪
武器庫マリサの猛攻に使用した銃器。
『シカゴタイプライター』に、MP7か? 手持ちの銃で該当するのはTP9ですが。さらに『ストリートスイーパー』とキましたか!!

マリサの最後の武器が、観察力と運と口八丁って、いかにも彼女らしいです☆

ラスト一章も楽しみにしています!!
2. 名無し ■2014/03/25 04:54:41
レミリアは一歩違えばBJ級の天才医師になれたかもなー
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