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『冷麦とDTM』 作者: 摩耗
「ただいまー」
カギをひねって扉を開けて、声まで掛けても返事はない。尤も、それもいつものことなので最早気にならない。
「エアコンつけるときは扇風機も回せって言っただろ」
「あ、おかえりー」
「はいはいただいま」
遅すぎる挨拶に呆れつつ、頼まれていたアイスを渡す。振り向いたときに外したヘッドホンからは、また耳慣れない音がシャカシャカと鳴り響いている。
「ねー、はんぶんこでしょー?」
「まあちょっと待てって。買ってきたもの仕舞わないと」
エアコンが効いていても夏は夏。食べ物の足は早い。いそいそと冷蔵庫へ収めていると、頬に冷たいものがひたり。
「つめたっ」
「はい、半分」
無理やり渡されたそれを咥えつつ、庫内整理を再開。やっぱりコーヒー味が一番美味い気がする。
「晩御飯なーに?」
「この前食べたいって言ってた冷麦」
「いやっほーい!」
その場でくるんとまわりつつ、羽が小さくパタパタと動く。
彼女は人間ではない。
本人は夜雀と言い張っているので、ウィキペディアでその記事を読ませたところ。
「こんなの嘘だ! おーぼーだ! 機関のいんぼーにちがいない!」
などと、どこで覚えたかわからない反論をしてきた。曰く、自分の仲間も自分も、そんな奴は居ないそうだ。
まあ、正直なところどっちでもいいしどうでもいい。とりあえず人間じゃないことと、人間と変わらない姿になれること。それから、自分を捕食したりしないとこだけ確かなら、まあそれでいいかなと。
「新しい曲か?」
「うん、今ちょっとできたとこかもしれない。聞いてみて」
かぽっとヘッドフォンがはめられ、少しアップテンポな曲が流れてゆく。人間じゃないくせに、人間の俺よりパソコンを使いこなしている気がするのは少しだけ癪だ。
「いい感じだけど、ドラムが少しうるさい気がする」
「そっか、じゃあ少し減らそう」
三日目ぐらいにパソコンに興味を持ち始めた彼女は、あっという間にそれを使いこなし、今ではDTMを操っている。海外の知らないところからソフトを落としたりしてきて、今では初音ミクを強請ってくる始末だ。
ちなみに俺は作曲どころか楽譜すら読めない書けない理解できない。
「いつものことだけど、俺は音楽のことなんかわからんぞ」
「いいの。別にこれで稼ごうなんて思ってないんだから」
確かにまあ、彼女の曲はそんなに流行っていない。流行から外れているのは俺でも解る。でも、それでいいらしい。
「なんかもったいない気がするけどなあ」
「…………このニブチン」
「ん?」
「なんでもなーい! ごはんまだっ?」
「飯炊きだってお前のが上手だろ……」
小さくため息ついてから、晩飯の支度にとりかかる。
一人の時は飯なんか適当だったけど、こいつが来てから規則正しく三食取るようになった。おかげで食費はかさんでるが、仕事の評価は上がった。
なんでも、明るくなったし覇気が出たとかなんとか。俺は海賊じゃねーぞ。
ま、上司の覚えもよくなったので忙しくなってきたけど、代わりに少し給料が上がった。今のご時世では貴重な変化なので、これでいいことにする。
「ウナギ食べたいねえ」
「うちにはそんな余裕はありません」
「捕ってくればいいよ」
「お前が捕まえてきて捌いて焼いてくれよ……」
きゅうりとトマトを洗っているとまたヘッドフォンがかぽり。今度は大人しく流れる感じで、耳触りもいい。
「うん、いいと思う」
「ほんと? じゃあ完成!」
できたばかりの曲に合わせて彼女は澄んだ声で歌う。ローレライの歌は船を沈めたり不幸な出来事を呼び寄せたらしいけど、こいつの歌はなんとなく幸せを運んでくれている気がする。
「青くない青い鳥かね」
「ん? なーに?」
「なんでもないよ」
ミョウガも洗って千切りに、豚肉はさっと湯がいてゴマを振る。揚げ玉とチューブ生姜を用意して、あとは冷麦をゆでるだけ。
「どう? どう?」
「いい曲だ。ラブソングは珍しい気がする」
「えへへ」
いたずらっぽく笑ってすり寄ってくる彼女を軽く撫でて、それから頬にキスを一つ。少し赤くなった顔が可愛らしい。
「火使うから、少し離れてろ」
「じゃあもう一回キスしてくれたら」
謎の条件を出されたのでおでこに軽くキスをすると、今度は頬を膨らませて怒る。
「なんだよ。キスしただろ?」
「そこはノーカンです。やり直しを要求します」
仕方ないので今度は頬にキス。
「ぶーぶー、深刻なエラーが発生しました。再試行を要求します」
手の甲にキス。
「あーっと、今度は的を大きく外れましたーっ」
今度は鼻先。
「惜しい、たいへん惜しいです! あともう少しです!」
耳朶に。
「…………わざとやってるでしょ」
「うん」
悪びれずに答えてから、そっと唇にキスをする。以前はこんなことをすると羽根が出て大騒ぎをしてたけど、今はそうでもなくなった。もったいないような、少し安心したような、変な感覚だ。
「んっ………………」
名残惜しげに腰に抱き付いてくるので、仕方なくもう一度。
今日のキスはコーヒー味。
「満足ですか?」
「大変満足じゃが、余は腹が減ったぞ」
「誰のせいで手が止まったと思ってんだ」
「痛いっ!?」
でこぴんを一つ食らわせてから、大きな鍋に湯を沸かす。
彼女はヘッドセットを持ってパソコンの前に戻っていった。
多分これからアップロードするんだろう。
「ねー、そろそろプレミア課金」
「だめです。そんな余裕はありません」
「ちぇー」
断りはしたものの、上がった給料の分ぐらい還元してもいいような気がしないでもない。
明日あたり、ウェブマネーとかを見てくるかな。
とりあえず今日は食ったら少し遊んで、それから寝よう。
明日は休みだ。たまには二人で長い夜を過ごして、それから昼近くまでぐだぐだするのも悪くない。
彼女の作ったラブソングを思い返して、ふとそんなことを思いつつ、俺は鍋に冷麦を広げた。
「あ、あたし今日はいっぱい食べる!」
「早く言えよ!」
ついったーで魚類に煽られたのでかっとなってやりました。
今では少し後悔しています。
摩耗
- 作品情報
- 作品集:
- 32
- 投稿日時:
- 2014/07/02 13:49:41
- 更新日時:
- 2014/07/02 22:49:41
これなら『あっち』で屋台経営している彼女も御満足☆
ヒトって、自分の興味のある事なら、どんな難しい技能もマスターしてしまうものなのですよ♪
彼、もう異界の歌姫に耽溺してますね♪
主人公とあなたの文才が妬ましいです
あともしその魚類が私も知っているあの魚類さんだとしたら、ここで名前を挙げる度胸。