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『所詮は妖精物語』 作者: 酔鉄砲
「ねぇ、本当にこの先にお宝があるの?」
薄暗く長い地下の廊下を歩きながら、ルナチャイルドは二人に問いかける。
「こんだけそれっぽいのに、何もなしはないでしょ。
きっとこの奥には、とんでもない財宝が隠されてるのよ!」
羽をぱたぱたとはためかせ、先頭を歩くサニーミルクは興奮しながら言った。
またいつもの空回りじゃなければいいけどなぁ、とルナは思う。
「でもどこまで続くのかしらね?この廊下は。
結構長い時間歩いた気がするけど……」
体に絡まる蜘蛛の巣を払いながら、スターサファイアはそうぼやいた。
別に潔癖症というわけではないので、埃っぽくて蜘蛛の巣だらけなことはまだ我慢できるが、問題はただ長いだけで何の面白みもないというところだ。
ルナとスターは顔を見合わせて溜息をつく。
「うーん、本当にお宝あるのかなー」
ルナは再び同じ問いを投げかけるが、返って来る言葉もまた同じであった。
「ある!!絶対にある!!ほら、しゃきしゃき歩いて!!」
へいへい、と二人はとぼとぼと歩き続ける。
三月精が歩いているのは紅魔館の地下だった。
以前、紅魔館を訪れた時にサニーが偶然入り口を見つけ、その物々しい雰囲気に大いに興味を惹かれたのだが、
何となく危ない予感がしたし他人の目もあったので、その時は深く立ち入らなかった場所だ。
それから暫く地下のことなどすっかり忘れていたが、今朝の食事中に頓に思い出し、二人を引き連れて地下探検へとやって来たのであった。
ルナとスターは正直乗り気ではなかった。サニーが自信満々で誘って来る時は大抵碌なことがないと、身を持って知っていたからだ。
しかし、地下に隠された秘密が全く気にならないかと言えばそうではなかったし、何より暇だったので軽い気持ちでついてきたのだが、
まさかこんな暗くて湿っぽい廊下を延々歩かされることになるとは思っても無かったようで、二人は溜息ばかりついている。
三人の能力を使えばここまで侵入するのも苦ではなかった。しかし能力を使う必要がないくらい警備が薄いので、スリルも何もあったものじゃない。
而して、この代わり映えの無い長い廊下。はっきり言って楽しくなかった。それはサニーも感じていたが、言い出した手前今更引き下がるわけにもいかないので、半ば意地になりどんどん進んでいく。
宝でなくても面白い秘密の一つでもあればいいが、これで何も無かったら単なる骨折り損だ。
「ねぇねぇ、本当にお宝あると思う? スター」
サニーに聞いても無駄だと悟り、歩きながらルナはスターに問いかける。
しかし答えが返ってこない。振り向くと、スターは足を止め、何か考え込んでいた。
「どうしたの?」
心配になったルナは声をかけるが、スターは黙ったまま目を瞑っている。
これはスターが生物の気配を察知した時の反応だ、とルナは気付き息を呑む。
前を歩いていたサニーも立ち止まり、黙りこくるスターを見て首を傾げた。
そしてしばらく静寂が続いた後、スターは目を開き神妙な面持ちで二人に言う。
「……何かいるわ。この先、ちょっと進んだ場所に、強い力を持った何かが」
スターの言葉を聴いてルナは青ざめ、サニーは胸を高鳴らせた。
サニーは両手を振り爛々と目を輝かせて二人に言う。
「それってきっと宝の番人じゃない!?
ってことはやっぱり宝はあるんだよ! ああ、俄然やる気が出てきたわー!」
踵を返し尚も進もうとするサニーをルナは慌てて引き止める。
「ちょ、ちょっと! あんまり強い奴がいるならこれ以上進むのは危険なんじゃ……。
ねぇスター、それってどのくらい先かわかる?」
聞かれてスターはまた目を瞑り、うーん、と気を探り始めた。
「遠くはないわ。割と近いかも。あ、でも意外と遠いかもしれないし、案外近いかもしれない」
至極曖昧な表現にルナは口を尖らせる。
「えーと、それってつまり、わからないってこと?」
「そういうことね。あちこち動き回ってるみたいだから、距離がはっきり掴めないのよ。
でも、とりあえずこっちには向かって来てないわ」
スターはお手上げといった感じで両手を広げ、困惑した表情でそう言った。
要は正確な距離はわからないが、一先ずここは安全だというとだ。
ルナは少し安心してほっと一息ついた後、二人に問いかける。
「どうする?」
「決まってるじゃない!!
このまま進んで、お宝を奪って、逃げ出すのよ!
私たちの能力を使えば楽勝でしょ!!」
確かに三人の能力を使えば気付かれずに移動することはできるだろうが、宝を持ち去る際にどうやったってばれる。サニーの能力が、地下では上手く機能しないのだ。
どんな生物がいるのかは気になるが、そもそも宝があるかどうかすら定かでないのにそんな危ない橋を渡るのはどうなんだろう、とルナは考えた。
「ねぇ、スターはどう思う?」
縋るようにスターに目を向けると、スターは少し考えた後、笑顔で言う。
「私はサニーに賛成よ。せっかくここまで来たんだもん、何もなしでは帰れないわ。
それに、いざとなったらルナを囮にして逃げればいいしね」
そう言ってスターはサニーに続いて更に奥へ向かうべく歩き出した。
今のは冗談だろうが、実際にそうなることが多いので、ルナはがっくりと頭を垂れる。そうなるのも全て自分が鈍臭いのが悪いだけに、余計に落ち込んだ。
顔を上げると、サニーが手を振っているのが見える。ルナはやれやれという感じに息を吐いた。
サニーは無鉄砲だし、スターはサニーよりは慎重で聡明だが、一度決めたら覆さない頑固さもある。
つまり、こうなったらもう進むしかないということだ。
「ちょ、ちょっと待って〜」
ルナは先を歩く二人に遅れないように駆け出す。迷惑そうな表情を浮かべてはいるが、内心ではまだ見ぬ秘密に胸を弾ませていた。
結局、サニーが先頭で、スターが続いて、ルナが後を追ういつものパターンだ。おそらく、この後なんやかんやあって失敗して、家で反省会を開くのだろうな、と三人は思っているが、誰もそれを口にはしなかった。
それを言ってしまったら冒険が終わってしまうからだ。もちろん成功するに越したことはないが、大切なのは結果ではない。三人にとって重要なのは、三人で何かをするということだけだった。
成功も失敗も、一人では虚しいだけだし、二人でも物足りない。やはり三人でなければ、分かち合うことはできない。三月精は三人揃って三月精なのだ。
ずっとそうやってきた。きっと、これからも変わらない。根拠も無く、そう信じていた。
☆☆☆
重そうな鉄の扉の前で三人は立ち尽くしていた。
どこからどう見ても、如何にもな扉だ。廊下はここで終わっているし、何かがあるとしたらこの先しかなかった。
「どう、スター?」
サニーがそう聞くと、スターは緊張した顔で答える。
「かなり近いわ。この扉の向こう側、間違いなく何かいる」
張り詰める異様な雰囲気に気圧され、三人の身体は硬直する。
明らかに開けてはいけない扉だが、禁じられているもの程触れたくなるものだ。
三人は顔を見合わせる。どうやら、全員同じ考えのようだった。
「じゃあ、私が開けるから、ルナは扉の音を消して。
やばそうだったらちゃんと教えてよ、スター」
二人は強く頷き、両手でサニーの背中を掴む。
危険そうなところに入る時はいつもこの陣形を取っていた。サニーに先頭を託す代わりに、危険を察知したら後ろに投げ捨て先に逃がすのだ。
今までこの方法で逃げられなかったことはない。だから、今回も大丈夫だろう。
サニーは扉に手をかけ、気持ちを落ち着かせるため深呼吸をする。そして、一拍置いてからゆっくりと慎重に扉を開いた。
開くにつれて、徐々に中の様子が明らかになってくる。意外に広くて明るい、というのが三人がまず思った率直な感想だった。
明るいといっても廊下に比べたらそう感じるだけで、実際は少し暗い。天井にいくつか備えられたシャンデリアが室内を照らしてはいるが、奥まではよく見えなかった。
見える場所だけで言えば、非常に殺風景な部屋という印象を受ける。シャンデリアと立ち並ぶ支柱以外は特に何もない。部屋というよりは、また別の廊下という感じだ。
三人は身を寄せて中へと一歩踏み込む。そこで立ち止まり、サニーはスターを見た。スターは黙って首を横に振る。気配はまだ遠くにあるらしい。
さらに一歩、また一歩と中へと入っていく。身を裂くような緊張感で胸が昂揚し、体が火照る。こんなスリルのある冒険はいつ以来だろうか。
日常では得られない感覚に三人は胸を躍らせ、武者震いをする。
しかし次の瞬間を持ってその震えは、恐怖の震えへと変貌することになるのだった。
スターが気配の察知を怠っていたわけではなかった。それは確かにまだ遠くにいたし、この一瞬で詰め寄られることなど不可能な距離であった筈なのだ。
怪物は、突如として目の前に現れた。サニーが次の一歩を踏み出そうとしたら、突然誰かの顔が鼻先数センチほど前に現れ、自分を覗き込むように見つめていたのだ。
瞬間、三人の全身に只ならぬ悪寒が走る。これは絶対に適わない、逃げなきゃ、と三人は直感するが体が動かない。
自然の力により死んでも復活する妖精達は取り分け生命に対する危機感が薄く、冷血な強者が相手でも構わず無礼な態度を取るほどで、
それは三人も例外では無かったのだが、この時ばかりは蛇に睨まれた蛙の様に身が竦み、まるで動くことができなかった。
絶対的な強者への恐怖。心を蝕む純粋な悪意と、瞳に映る明確な殺意。どれも三人が体験したこともないものだった。
「ひ、ひやあああああああああああああ!!
に、に、逃げなきゃああああ!!!」
最も早く反応したのはスターだった。叫びながらサニーの体を全力で後ろに放り投げる。
恐怖で愕然としていたサニーも我に返り、宙に投げ出された体を捻り体勢を整えて全速力で飛び始めた。
サニーは振り返らず出口に向かって疾走し、背後の二人に号令を出す。
「た、退却、退却よー!!」
言われるまでもなくスターは脇目も振らず逃げ出していた。
二人から少し遅れて動いたのは、ルナだ。
「ま、待ってよ!
私も……ってうわぁ!!」
すぐさま飛び立とうとした瞬間、何かに足を取られ前のめりに倒れこむ。
へぶっ!という緊張感のない声ともに顔面を激しく床に打ち付けた。
慌てて顔を上げるが二人の姿はない。サニーとルナは既に部屋から逃げ出し廊下まで飛び去ったようで、全く見えなくなっていた。
それよりも、とルナはちらりと後方を振り返る。同時に、全身の血の気が引いていくのを感じた。やはり、さっきのは自分が鈍臭い為に転んだ訳ではなかった。
何者かに足を、掴まれているのだ。妖精の力では到底振り払えないほどの力で、ガッチリと。
ルナは向き直り、先に逃げた二人に助けを請う。
「ちょっと!!置いてかないでよ!!!薄情者ぉ!!!た、たすけ……ふぐっ」
大声で呼びかけるルナの口が背後から何者かの手によって塞がれ、言葉が途切れた。
二人は戻って来なかった。逃げることに精一杯で、ルナの声など聞こえてすらいなかったのだ。
ルナは片手で首根っこを掴まれ、体を宙に浮かさせられる。掴む手があまりに強く、首筋に激痛が走った。
「あ、あがが、い、いたいいだいいだいい!!!!」
足をばたつかせ必死に抵抗するが離してはくれない。
そして何者かはルナの首を掴んだまま手首を半回転させ、ルナを自分と向かい合わせた後、じっと見つめた。
ルナは涙が滲む目で何者かを見る。さっき見た時も意外に思ったのだが、何者かはまだ幼そうな少女だった。
紅い洋服に白い帽子。背中からは彩り豊かな宝石が付いた、大きなアクセサリーのようなものが伸びている。
服装や容姿からは存分に少女らしさを醸し出してはいるが、暗く冷たい表情はおよそ年端もいかない少女のものとは思えなかった。
しばらく見つめ合った後、少女は冷酷な表情のまま手を振り上げ、
その手をルナの腹部目掛けて思い切り振り下ろした。ぼぐっとめり込む様な音と共に、全身に強烈な衝撃が走る。
「がっはぁ!!!はがっ……!!かはっ……!!」
呼吸ができない。ルナの意識は吹き飛びそうになり、噴出した涙と唾液と鼻汁が混ざり合って床に垂れ落ちる。
少女は白い目でひゅーひゅーと細い息を漏らすルナを床に投げ捨て、開いたままになっている鉄の扉へと歩く。
そして扉に手をかけ、徐に扉を閉めた後、蹲るルナを見下して言った。
「ここのね、扉を開けたまま騒ぐとパチュリーに怒られるのよ。
別に怒られるのは嫌じゃないんだけど、今日はそういう気分じゃないの」
ルナは先程の衝撃から立ち直れず、少女の話はほとんど聞こえていなかった。
腹を抑えて唸っているルナを見て少女は戸惑い、ルナの前に腰を下ろす。
「ねぇ、そんなに痛かった?痛かったらごめんなさい。
でもね、貴女が悪いのよ。貴女が騒いだから、悪いの。悪いことをした子にはお仕置きが必要だって、いつもお姉さまが言ってるわ。
私だってそうだし、貴女だってそうでしょう? それに、これでも手加減したのよ、角砂糖七個分くらい」
少女は顔を伏せたままのルナの頭をつつきながらそう言った。
だんだんルナの呼吸が回復してきたのを見る限り、確かに手加減はしたのだろうが、それでも強すぎる。
俯いてないで顔を上げてよ、と少女が言うのでルナは恐々と顔を上げた。すると二人の目が合って、少女はニカっと晴れやかな笑顔を見せる。
少女の顔は先程までの暗い表情ではなく、柔和で朗らかな顔に変わっていた。少女はルナを見つめながら嬉々として話し出す。
「それにしても、貴女は不思議ねぇ!何だか、今までの子とは違う気がするわ。
なんかこう、存在がはっきりしているというか、妖精らしくないというか、とにかく不思議な感じ。
ねね、どうやってこの部屋に入ったの?全然音がしなかったけど、どうして?
それに貴女さっき誰かと喋ってたわよね?誰とお話ししてたの?このお屋敷の子じゃなさそうだったけど。
あっ、ごめんね、こんなに話しちゃって。妖精ってちょっとこう、言っちゃあ悪いけど頭が弱いでしょう?
言葉が曖昧な子も多いのよ。最近そんな子ばっかりだったから、まともな子が来てくれてとっても嬉しいのよ。
でもお話しする前に、お互いの名前くらいは言わなきゃ駄目よね。知らない人と話す時は先に自己紹介しなさいってパチュリーも言ってたし。
えと、それじゃあ私から自己紹介するわね。私はフランドール・スカーレットって言うの。親しい人はみんなフランって呼ぶわ。
貴女もそう呼びたければ呼んでくれていいからね。貴女のお名前は?」
「えっ……え?」
腹を殴られた余韻でまだ頭がぼんやりしていたルナは、突然捲くし立てられ困惑した。
まず何から答えていいかわからないし、情報の量も妖精の頭には厳しいほど多い。ルナは妖精にしては頭の良い方ではあったが、頭の回転は遅かった。
ルナが口ごもっていると、晴れやかだったフランの顔に陰りが差し始め、不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
そして当惑するルナの目の前に手のひらを出し、拳をぎゅっと握った。
「な、なに……?へ……?」
初め、何が起こったのかわからなかった。しかし理解した途端に、転げ回るほどの激痛がルナを襲う。
「あ……あああああああああああああああああああああああ!!!」
右手の人差し指が、有り得ない方向に曲がっていた。反るようにして手の甲まで折り畳まれており、経験したこともない激しい痛みが走る。
「い、いだい、よぉ……なんでぇ……?ゆ、ゆび、わたしのゆびが、ゆびがぁ……!」
泣き喚くルナをフランは凍りつくような目で睨む。
そして折れ曲がったルナの指を掴み、思い切り強く握った。骨が砕ける音と共に、鋭い痛みが駆け巡る。
「いぎぁああああ!!いたい!!いた、いたいいいい!!やめでぇええええ!!」
懇願するがフランは止まらない。
ぐちゃぐちゃになった指を握りながら、尋問するようにフランは問いかける。
「何で無視したの?何で答えないの?私のこと馬鹿にしてるの?」
「し、してま、してま、せぇええ、えん!!あっぐううううう!!」
「なら何で答えなかったのよ。ねぇ。ねぇ!ねぇ!!」
フランはまだ折れていない中指を掴み、言葉に合わせて力任せに折り曲げていく。
「ごべんな、ごめんなさい、ごめんなさい!答えるから!だ、だからやめてぇええええ!!」
ルナがそう言うと、フランは手を離し、嫣然と笑った。
「そう、じゃあ改めて聞くわ。貴女のお名前は?」
「はぁーっ……はぁーっ……。
る、ルナ、です……ルナ・チャイルドです……」
ルナは激痛に耐えながら、搾り出すように言った。
フランは満足そうに羽をはためかせ、両手を合わせて喜ぶ。
「ルナっていうのね!素敵なお名前!
ねぇルナ、この奥に私の部屋があるの。
そこでゆっくりお話しましょ? 貴女のこと、もっと知りたいわ」
嫌だ、行きたくない。行ったらきっと戻れない。しかし、そんなこと言えるはずも無い。
「は、はい……行きます。行かせていただきます……」
それを聞いたフランは子犬のように駆け出し、こっちこっちと嬉しそうに手を振る。
激痛で歩くことはおろか立つことも辛かったが、もたもたしているとまた何をされるかわからない。
ルナは自分を奮い立たせ、震える足でフランを追う。
よく状況が理解できないが、フランと名乗った少女の気を損ねることだけは駄目だ、とルナは思った。
今はとりあえず従って、耐えるしかない。耐えていれば、逃げるチャンスは必ずやって来る。いつもそうやってきたのだ。
だからきっと、今回も大丈夫。ルナは自分に言い聞かせた。
☆☆☆
「お、お邪魔しましたー!!」
地下から脱兎の如く逃げたサニーは空いていた窓から屋敷を脱出し、晴天の空へと飛び出す。
「ひい、ひい、……ってあれ?」
肩で息をしながら尚も速度を緩めず飛んでいたが、あることに気付き急ブレーキをかける。
すぐ後ろを飛んでいたスターは驚いて止まろうとするが、間に合うはずもなかった。
「げふん!!」「ひぐぅ!!」
スターはサニーの背中に激突し、珍妙な声を挙げて二人はくるくると落花生のように地面へと落ちていった。
「いったたたたたぁ……。
ちょっとサニー、いきなり止まらないでよ!」
スターはぶつけた顔を摩りながらサニーに言うが、サニーはそんなこと気にもしてない様子で、きょろきょろと何かを探している。
そして、一通り見回した後、慌ててスターに言う。
「大変よスター!ルナがいない!!」
言われてスターも立ち上がり辺りを見回す。確かに、ルナの姿はどこにもなかった。
「本当だわ……。どこに行ったのかしら」
「も、もしかして、さっきの怪物に捕まったんじゃあ……。
ね、助けにいかないとやばくない!?」
スターは考える。付いて来ていないということは、確かにあの怪物に捕まっている可能性は高いだろう。
しかし、ルナは呆けているようで意外に賢い。危険な場所で逸れても毎回自力で帰って来るし、何気に運も強い。
今ここで自分達が下手に動いても、行き違いになったりしてかえって混乱するのではないか。
「ううーん、まぁ、ルナなら大丈夫でしょ。
先に帰って、美味しいご飯用意して待ってましょ」
サニーはそうかなぁ、と腕を組む。
確かに、今まで何度かルナを置き去りにしたことはあったが、帰って来なかったことは一度もない。
いつもそうだったから、今回もそうなんだろう。
置いていかれたルナは怒ってるかもしれないけど、それはまぁ、帰ってきたら謝ればいいか、とサニーは開き直った。
「そうだねぇ。私、シチューが食べたいなぁ」
ああいいわね、とスターは笑い、二人はいつもの如く他愛のない話をしながら帰路を飛ぶ。
暢気で楽観的な、実に妖精らしい二人は、日常が足元から崩れてきていることなど、知る由もなかった。
☆☆☆
フランの部屋は先程の空間より更に奥にあった。
紅いベッドに紅いカーペット。部屋の中央には小さなテーブルが備えられ、二人分のカップに紅茶が注がれている。
しかしほとんど飲まれていない。ルナは恐怖と激痛でとても飲む気にはなれなかったし、フランも話に夢中で口をつけていなかった。
今は、飲みたくても飲めない状態だった。ルナは床でうつ伏せに倒れ、頭をフランにぎりぎりと踏まれている。
さっきまで激痛に耐えながらも普通に会話していたはずなのに、フランが怒り出した理由が全くわからず、
ルナは合点がいかないまま、ただ嬲られ続けていた。
横たわるルナの体を何度も蹴り飛ばしながらフランは冷酷な顔つきで言う。
「貴女、今適当に答えてたでしょ。私、わかっちゃうのよ、そういうの。
ただはいはい言ってればそれでいいとでも思ったの?」
「おもって、ぐふぅ!!……な、ない、がふっ!!!」
腹を蹴られ、腹を庇った腕を蹴られ、折られた指が風船のように青く腫上がっている。
「それに、私がせっかく紅茶を淹れてあげたのに、何で飲まないわけ?
こんなこと普段しないのよ?特別なのよ?なのに何で飲まないのよ。ねぇ」
そう言ってフランはポットを手に取り、中に入っている紅茶をルナの顔に注ぎだす。
「あつい!あ、あづいいいいたいいいい!!!」
中の紅茶はまだ熱湯に近い温度を保っていたようで、ルナは熱さでのたうち、その度に蹴られた腕と折れた指が甚だしく痛む。
転げるルナをフランは冷めた目で見下す。そしてつまらなそうに息を吐いた後、冷淡に言った。
「もっとお話ししたかったけど……貴女がそんな態度を取るならもういいわ。面白くない。
残念だけど、一機消滅ね」
ルナは今にも飛びそうな意識で、フランを見る。手のひらをこちらに向けていた。何が起こるかわからないが、無事では済まないことだけはわかった。
そしてフランが拳を握ると、ルナの頭部が爆弾のように破裂し、ルナの意識は一瞬にして途絶えた。
しばらく時間が立ち、ルナは紅い部屋で目覚めた。ああ、やっぱり夢じゃないんだ、とルナは思う。
自然の力で生きている妖精は、死ぬことが無い。ずたずたに引き裂いても、脳髄を滅茶苦茶に捏ね繰り回されても、一旦消滅した後、また同じ姿で蘇るのだ。
ここにいたらまた殺される、逃げなきゃ、とルナは思うが、身体が言うことを聞いてくれない。怪我も痛みも無いけれど、ぴくりとも反応しなかった。
受けた傷や怪我は復活すれば綺麗さっぱり消滅するが、心の傷までは消えない。ルナは起き上がることができずに、うつ伏せのまま震えていた。
「へー、もう復活したんだ。やっぱり貴女、今までの子とは違うわ」
頭上から声がする。全身の震えが一層大きくなり、圧倒的な恐怖からルナの身体は反射的に跳ね上がり、部屋の隅へと逃げた。
隅で小さな体を抱えて戦慄くルナを見て、フランは不気味な笑顔を浮かべながらゆっくりと近付いていく。
「はーっ……はーっ……い、いや!来ないで!!」
ルナは思わず声を上げた。もうフランの機嫌を取ることなど考えてはいられなかった。
フランは意外そうな顔で首を傾げ、しばらく黙った後、盛大に笑い始める。
「な、なに……?なんで笑ってるの……?」
「あはははは!!あは、あはははははは!!!
あーあ、貴女おもしろいわねぇ。そんなこと言う妖精初めてだわ」
ルナは全く理解できずに顔を顰めた。
フランは一頻り笑った後、背中に手を回しルナに顔を近づけて言う。
「ねぇ、次は鬼ごっこしましょ?
私が鬼で、貴女が逃げるの。きっと楽しいわ」
「い、いや!!そんなの楽しいわけ……」
ずん、と耳の側で砕けた音がする。フランの腕が、顔を掠めてすぐ後ろの壁を貫いていた。
「やるわよ、ね?」
選択肢などなかった。やってやられるか、やらずにやられるか。どっちを選んでも結果は変わらない。
「は、はい……。ごめんなさい……」
なに謝っているの、とフランは笑う。憎らしい笑顔だった。殺してやりたかった。でも、できるわけがない。
ルナは、自分に力が無いことを、今日ほど悔やんだことはなかった。
そこから先は地獄だった。鬼ごっこと称してはいるが、実際は単なる虐殺に過ぎなかったのだ。
逃げるルナをフランは高笑いで追いかけ、足を潰し、羽を千切り、全身を引き裂いた。
ルナが泣き喚き叫び声を上げる度に、フランは昂揚し責めの手を更に強めていく。
そうして、やがてルナが消滅すると、フランはわくわくしながらその場で待ち続け、復活したらまたルナの全身を破壊し始める。
それの繰り返しだった。もう何度消滅したかもわからなくなるほどに、それを繰り返した。
逃げるチャンスなど、ある筈も無い。破壊することそのものを純粋に楽しむフランは、最初から生かして帰すつもりなど毛頭無かったのだから。
結局、フランにとってルナは、いつもパチュリーが連れてくる遊び相手の妖精と何ら変わりは無かったのだ。
会話を楽しもうとしたのも、ルナに興味を持ったのも、ほんの気まぐれにしか過ぎず、それに飽きたら後はひたすらぶち殺すだけ。それが彼女の日常で、いつも通りの遊びだった。
一つだけいつもと違うことがあるとしたら、ルナが普通の妖精よりも復活が早いので、沢山破壊できてお得なことぐらいだ。
復活する度、ルナは後悔した。ここに来てしまったこと、この屋敷に関わってしまったこと、ひいては自分が生まれてきてしまったことさえも。
自分を虫けら程度にしか認識していないフランに何度も何度も何度も蹂躙され磨り潰され、やがてルナの目からは光が消えていた。
☆☆☆
「ううーん……」
自宅である木の前で、サニーは弛げに頬杖をつきながら夕暮れの空を見上げる。
「遅い、遅すぎる」
もう夕飯ができそうな頃合だと言うのに、ルナは今だ帰ってきてなかった。
今までこんなに帰りが遅かったことは無い。サニーはだんだん不安になってくる。
「まだ帰ってこないの?」
食事を作り終え、エプロンを脱ぎながらスターは尋ねた。
「ねぇ、やっぱり助けに行ったほうが良かったんじゃないかなぁ」
「んー、そうねぇ、これは少しばかり異常よねぇ」
スターは空を見る。ぼちぼち日も落ちて、間も無く夜になろうとしていた。
助けに行くにしても、この時間から夜行生物が闊歩する紅魔館に侵入するのは、二人だけでは困難だ。
ルナのことは心配だが、地下に辿り付く前に捕まってしまっては元も子もない。
二人は考えて、明日の朝まで帰って来なかったら様子を見に行く、という結論で収束した。
その夜、スターは中々寝付けなかった。ルナの事が妙に気になって、不安に苛まれていたのだ。
ルナはいつも、夕飯までには帰ってくる。ボロボロな時もあったけど、必ず帰ってきて、皆で食卓を囲んだ。
ずっとそうやってきた。二人だけで夕飯を食べたのは、今日が初めてだった。
そんな日もあるのかもしれないけど、しかし、いつも通りじゃなかったことが今は何故か異常に不安で、頭の中にぐるぐるとあらぬ想像が膨らんでくる。
もしかしたら、ルナは無事ではないかもしれない。あの時、すぐにルナを助けに行かなかったことは、大きな過ちだったかもしれない。
ちらりと横で眠るサニーを見る。こんな時でもサニーはぐっすり眠っている。
サニーは太陽のように明るくて、楽観的で、深く悩んでいる姿を見たことがないくらい短絡的だ。馬鹿だなぁ、と思う時はあるけど、そこも含めて愛おしかった。
スターはふっと優しく笑う。サニーを見ていたら、心も幾許か楽になり、程なくしてスターは眠りに落ちていった。
次の日、二人は目覚めてからすぐに周囲を散策したが、ルナの姿は何処にもなかった。
やはり、あの屋敷にいるとしか考えられない。
二人は身支度を整え、ルナを助けに行く為に再度、紅魔館へと赴くのであった。
「どう、スター?」
紅魔館周辺の草葉に隠れ、サニーはスターに問う。
「うん、気配はあるけどほとんど動いてないわ。
たぶん、寝てると思う」
紅魔館の住人のほとんどが夜に生活しているので、昼間は寝ている者が多い。
妖精メイドが何匹かふよふよと漂ってはいるが、警戒心はほぼ無いに等しいので、サニーの能力で姿を消せば見つかることはまず無かった。
二人は鍵のかかってない窓を探し当て、そこから中に侵入し、地下への階段を下りて長い廊下を飛んでいく。
「ねぇ、ルナ大丈夫かなぁ」
飛びながら、サニーはスターに問いかける。
「……きっと、大丈夫よ。だって……」
だって、いつも無事だったんだから。そう言い掛けて、言葉を飲み込む。
いつもそうだったから。そんなのは何の根拠にもならないと、スターは気付いていた。
この先に進むのが怖かった。虫の知らせ、というのだろうか、スターの心は異常なまでにざわついていた。
「スター?どうしたの?」
スターははっと顔を上げる。サニーが覗き込むように顔を近づけていた。どうやら、何時の間にか止まっていたようだ。
「ごめん、サニー。ちょっとぼーっとしちゃって……ってあれ?」
何かに気付き、スターは勢いよく後ろを振り返る。しまった、と思った。考え事に夢中で、気配の確認を怠っていた。
「ちょ、なになに、なんかいるの?」
スターの只ならぬ様子にサニーは動揺して尋ねる。
「いるわ……近付いてきてる!もうすぐそこ、か、隠れなきゃ!」
「え!!隠れるって言ったって、ここには何も……」
「サニーの能力で消えるとか!」
「地下じゃ無理だよぉ!!」
「じゃあ逃げなきゃ!!」
「ど、どこによぉ!?」
まさか誰か来るとは思っても無かった二人は慌てふためき、わたわたするばかりで何も対策が思い浮かばない。
間も無くして、その誰かは現れた。紫の服に月の飾りが付いた紫の帽子、そして気だるそうな目。
彼女は、二人を見つけて深く溜息をつき、言う。
「騒がしいと思ったら、虫が沸いてるじゃない」
不本意な呼び方をされて、サニーはむっとして言い返す。
「む、虫じゃないわ!!妖精よ!」
「同じようなものでしょ。何処にでも現れて鬱陶しいって点に関しては」
サニーはむぅーと唸って彼女を睨む。
今にも飛び掛りそうなサニーを、スターが宥める。
「ちょ、ちょっとサニー、落ち着いて。やり合っても勝ち目ないわ。
あ、あの、私たち、悪い妖精じゃないんですよぉ〜。ただ、ちょっとこの先に用があって……」
スターはわざとらしくあはは、と笑った。
彼女は眉間に皺を寄せて、怪訝そうな顔で二人を見る。
「この先に用だって?貴方達、何を考えているの?
悪戯目的なら、帰った方が身の為よ」
そう言って彼女は二人の横を抜け、そそくさと先に進もうとする。
そんなことを言われても、ルナが捕らわれている以上、帰るわけにはいかない。
サニーは彼女の服の裾を掴み、引き止めた。
「ま、待ってよ!あんた、この館の人でしょ!?なら助けてよ!」
彼女はイラッとしてサニーの手を振り払い、冷淡に言う。
「うるさいわね。私は忙しいの。貴方達の下らない遊びに付き合ってる暇はないわ。
どうしても邪魔するってんならぁ……」
そう言って彼女が手を振り上げると、周囲に魔方陣が展開され、彼女の手のひらに熱気が集まり火弾が形成された。
スターは慌てて手を前に振り、釈明する。
「う、うわあああああ!!違うんです、違うんですよ!!
私たちはただ、奥の怪物に捕まったルナを、仲間を助けたいだけなんです!!」
言われて彼女はぴくっと眉毛を動かし、魔力を沈めて訝しげに二人を見た。
そして、神妙な顔付きで二人に尋ねる。
「貴方達、奥へ行ったの?」
「え、ええ、昨日の昼に。べ、別に悪戯しようとか、お宝あるかも〜って思って行ったわけじゃなくて、ですね。
と、とにかく、奥に仲間が一人置き去りになってる筈なんです。できれば、助けてあげてくれないかな〜、なんて言ってみたりして……」
スターは彼女の機嫌を損ねないよう探り探り話す。この館の住人が現れたことは、考えようによっては僥倖かもしれないのだ。
上手くいけば、簡単にルナを救い出せるかもしれない、とスターは思った。
それを聞いた彼女は困惑した様子で頬を掻き、短く息を吐いた。
「あー、貴方達妖精は本当に、後先考えないのね。愚鈍で浅慮で、蒙昧だわ。
ある意味羨ましいけど、世の中には、触れてはいけないものがあるってことくらい知っておいた方がいいわよ」
サニーは言っている意味がわからず、眉を顰める。スターは、背筋を凍らせ冷や汗を流していた。やはりあそこは途轍もなく危険な場所だったのだ。そこに残されたルナは、一体。
彼女は振り返り、ゆっくりと先に進みながら戸惑う二人に言う。
「ま、これで昨日地下が騒がしかった理由がわかったわ。
それと、貴方達の友人のことだけど、たぶんもう助からない。残念だけど、自業自得ね」
助からない。まさか本当に、とスターは絶望で崩れ落ちそうになるが、サニーは食って掛かる。
「はぁ?あんた何言ってるの?ああ見えてルナは凄く隠れるのが上手いのよ!
地下の怪物がどれだけ強いか知らないけどね、いい感じにやり過ごしてるに違いないわ!ねぇ、スター?」
サニーはスターを見る。スターは震えていた。頭を抱えて、まるでこの世の終わりのような顔で。
「……? スター?」
スターは答えない。
前を飛ぶ彼女は首だけ動かして二人を一瞥し、憐憫の表情を浮かべて言う。
「信じられないなら、来て見ればいいわ。ただし、それなりの覚悟はしておくことね」
言われなくてもそのつもりだ、とサニーは俯くスターの手を引いて彼女を追いかける。
何でスターが震えているのか、よくわからなかった。まさか、この紫女が言っていることを真に受けているのだろうか。
こんなの、ただ意地悪で言っているだけだ。ルナは絶対、無事に決まっている。だって、いつもそうだったんだから。
☆☆
程なくして、三人は鉄の扉の前にたどり着いた。
紫色の彼女は咳き込みながら扉を開き、さらに奥へと歩んでいく。
この先に、ルナがいる。サニーは自然と勇み足になりずんずんと進んでいく。スターもそんなサニーに触発されてか、いくらか希望を取り戻し、手を引かれずとも自分の足で歩いていた。
彼女は歩きながら辺りを見回し、深く溜息をつきぼやく。
「あーあ、まったく、滅茶苦茶じゃない。あの娘ったら、自分の立場わかってるのかしら」
部屋の壁には爪痕のような傷が幾重にも折り重なり、柱は握り潰したように抉られていた。床も天井も、穴だらけだ。
スターは柱を触ってみる。鋼鉄でできているその柱は、並大抵の力では傷すら負わせることができないだろう。一体ここで何が起こったのだろうか、想像するのもおぞましい。
楽観視していたサニーも少し不安になり、汗を垂らす。嫌な想像が頭に過ぎるが、すぐに振り払った。ルナなら大丈夫、そう言い聞かせて。
部屋の奥には、小さな紅い扉があった。先程の鉄の扉とは違い、至って普通の扉だった。
彼女は軽く二回扉を叩いてから返事を待たずに開ける。
「フラン、入るわよ。ああ、またこんなに散らかして。
お部屋は綺麗に使いなさいっていつも言ってるのに」
彼女は愚痴りながら部屋に散らばった何かの破片やら小物やらを魔法で掻き集める。
サニーとスターは彼女の背中からひょこっと顔を出し、部屋を見回した。
ルナはいない。紅いベッドで誰かが膝を抱えて眠っているが、ルナではなかった。
二人はむむむ、と目を細めてベッドで寝てる誰かを見てみる。それが誰だったのかすぐに思い出して、二人はひぃと声を上げ抱き合った。
物音で眠る少女は徐に目を覚まし、大きな欠伸をしながら身体を伸ばす。
「ん〜〜〜〜〜〜。んあ?
あらぁ、パチュリーじゃない。どうしたのこんな朝早くぅ」
目を擦りながら上体を起こして、寝起きの舌足らずな感じでフランは言った。
パチュリーは呆れた様子で溜息を漏らす。
「はぁ……。どうしたもこうしたもない。貴女騒ぎすぎよ、昨日。
地鳴りのせいで落ち着いて本も読めやしない。
レミィも怒ってたわ。反省してないなら、また地下に閉じ込めるってさ。
謹慎中なんだから、少しは弁えて行動しなさいよね。自分の為を思うなら」
パチュリーは懇々と諭すが、フランは納得できない様子で言い返す。
「私は静かにしようと努力したわ。大体、悪いのはパチュリーじゃない。
パチュリーがあんな面白い子を寄越してくるから悪いのよ。
せっかく貰った玩具を遊ばないまま返したら失礼でしょう?だからよ」
面白い子、玩具。紅い少女が言っているのは、きっとルナのことだ。
友達を玩具呼ばわりされて、二人の心に怒りが沸いてくる。
「ちょ、ちょっと貴女!ルナを何処にやったのよ!返しなさいよ!!」
「そ、そうだそうだ!」
パチュリーの背中に隠れながらスターが訴え、次いでサニーが便乗した。
言った後、フランにあー?と睨まれて、二人はびくっとしてパチュリーの背中にぴったりくっついた。
フランは短く息を吐いた後、二人を指差して拗ねたように言う。
「ほらまた連れてきた。しかも二匹も。
よくわかったわ。パチュリーは私をここから出したくないのね」
「に、にひきって言うな!私たちは虫じゃないわ!!」
サニーは片手をぶんぶん回して怒るが、フランは全く興味が無さそうに欠伸をした。
妖精と悪魔の板挟みになったパチュリーはだんだん面倒臭くなってきて、
忠告も済ましたし後は用件だけさっさと片付けて帰ろうと思い、激怒するサニーを手で制して言う。
「この子達は私が用意した妖精じゃないわ。昨日ここに来た子もそうよ。
どっかにいるんでしょう?こいつらの友達みたいだから、帰してあげてくれないかしら」
フランは指を顎に当て、んー、と少し考えた後、ごろんと横になる。
「別にいいけど、もう壊れちゃってるわよ。それでもいいなら、どうぞ」
そう言ってフランは横になったままベッドの下に手を伸ばし、何かを放り投げた。
人形かしら、とパチュリーは思う。そう思うほどに、それには生気がなかったのだ。
それの身体は投げられた体勢のままだるんと床に突っ伏し、目は完全に死んでいて口は半開きだった。
息はあるようだが、精神が完全に死んでいる。フランの遊び相手になる妖精の末路は大概がこうだ。完全消滅するか、心が死ぬかのどちらか。
もし、自分の知り合いがこんな状態にされていたら、きっと耐えられない。パチュリーは不憫に想った。
やっぱり二人をここに連れてくるべきではなかったなぁ、とパチュリーは思い、ちらりと後ろの二人を見て、目を丸くした。
二人は、笑っていた。笑いながら泣いていた。しかもこれは恐らく悲しみの涙ではない。嬉しくて、泣いているのだ。
二人はパチュリーの背中から飛び出し、死んだ顔のルナを抱き上げる。
「ああ、よかった!!ルナが生きてたわ!」
サニーはルナの顔に頬ずりして歓喜する。ルナは何も言わない。身体には一切の力が入っておらず、首はだらんと項垂れている。
「ほんとうに、ほんとうによかった……ルナぁ……」
スターはルナの手を握り、微かな温もりを感じて安堵の涙を流した。
サニーには言わなかったが、ここに来た時からスターはルナの気配を感じ取れずにいて、パチュリーに助からないと言われた時はてっきり既に消滅しているものだとばかり思っていたので、感動は一入だった。
フランは二人の意外な反応に暫時ぽかんとしていたが、徐々に可笑しくなってきて、堪え切れずに吹き出した。
「ぷっ、あははははは、あは、はははははははは!!
はぁはぁ、ねぇ、パチュリー、妖精ってほんっと面白いわねぇ、いっひぃひぃ」
笑われているのに二人は気にもせずにルナを強く抱きしめて感動を分かち合っている。
「ああ本当に、本当にある意味羨ましいわ」
パチュリーは苦笑し物憂げにそう言った。
この状態の者を普通、生きているとは思わない。肉体が健全でも魂が死んでいては、人形と何ら変わりはないからだ。
二人はそのことを理解しているのだろうか。パチュリーは疑問に思うが、二人を見ていたら、そんな疑問もどうでも良くなってきた。
きっと、理解できない方がいいのだ。弱い生物は、仲間の死など想わない方が幸せなのだから。
☆☆
紅魔館から出た二人は帰宅するべく森を歩いていた。
サニーがルナをおぶり、それをスターが後ろから支え、ゆっくりと進んでいく。
「は、は、ねぇ、ルナ、まだ起きないわね」
サニーは息を切らしながらスターに語りかける。
何度か呼びかけたり頬を叩いたりしてみたがルナは何の反応も示さなかったので、とりあえず抱えて帰ることにしたのだが、流石にしんどくなってきたようだ。
「うーん、よっぽど疲れてるのねぇ。起きたら美味しいご飯作ってあげなきゃ。
それよりサニー大丈夫?かわる?」
「だ、大丈夫!ふぅ、ふぅ、こんなの、へっちゃら!!」
サニーは何てこと無いといった風に片手を上げてどしどし歩く。
今は、ルナの重みを感じていたかった。何故だか、そう思ったのだった。
二人は未だルナが目覚めないことに関しては、特に心配はしていなかった。
虚ろな目で全く動くことさえしないのは異常ではあったが、たぶんその内元通りになるだろう。
妖精は底抜けに前向きなのだ。それは長所でもあり、短所でもあった。
それから長い時間を要して家まで到着し、二人はルナをベッドに寝かせた。
ルナはまだ目覚めない。でもまぁ、明日になれば元気になるだろう、と二人は思う。
次の日になった。ルナの目は虚空を見つめていた。昨日寝かせた位置から、僅かほども動いていない。
二人は少し不安になるが、きっとそろそろ起きるだろうと、依然として楽観視していた。
また次の日が訪れた。雨が降っていて湿度が高い嫌な日だった。ルナは変わらず不動のままだった。
何度話しかけても、全く反応すらしない。
暢気な二人も流石に事の重さを飲み込み始めていたが、二人は決して、ルナの容態に関して悲観的なことは言わなかった。
明日は起きるわよね、ええきっと。二人はお互いに言い聞かすようにして、今日も眠りに付いた。
次の日はまた雨だった。ルナはまだ目覚めていなかった。
全くこうも天気が悪い日が続くと余計に気が滅入る。
普段着に着替えてからサニーは居間の椅子に腰掛け、スターは朝食を作り始める。
しばらくして芳しい香りがサニーの鼻に届き、サニーはぐぅと腹を鳴らした。
「ああ、この香りはきっと筍ご飯ね。ね、ルナもそう思うでしょ?」
そう言ってサニーはいつもルナが座っている方に目を向ける。
しかしそこにルナはいなかった。ああそうか、とサニーは思う。
いつもだったらルナは、そこでサニーの話を適当に聞き流しながら新聞を読んでいるのだが、今はいない。
サニーは退屈になり、机に突っ伏した。そして、ルナのことを考える。考えてると、得も言われぬ不安が次々に湧き上がってきた。
あそこでルナが何をされたのか、自分は知らない。でもルナの様子を見る限り、酷いことをされたのは確かだ。
その様を想像すると、どんどん暗澹たる思いが心に広がっていく。不安が輪をかけて大きくなり始めた。
最初は、時間が経てばルナは自然に起き上がり、またいつも通りに暮らし始めると信じていた。しかし、本当にそうなのだろうか。
それは、ただ自分がそう思いたいだけなのではないか。自分は既にわかっている。ルナは、ただ疲れて眠っているわけじゃないということに。
「さぁ、できたわよサニー」
多分スターも気が付いているだろうが、思ってて言わないのは、きっと口にすることが怖いからだ。
言ってしまえば、それが現実になってしまうような気がして。もう日常には戻れなくなる気がして。
「サニー?朝ご飯できたってば」
あの時、何ですぐにルナを助けに行かなかったのだろう。大切な仲間なのに、いつも大丈夫だったから、なんて根拠にもならないことを何で信じてしまったのだろう。
ルナの目にはもう、何も映っていない。世界も、自分たちも、ルナ自身さえも。もしかしたら、もしかしたらルナはずっとこのまま……。
「サニー!!!ご飯!!!!」
「うわぁ!!」
耳元で大声を出されてサニーの全身が跳ね上がる。声の方を見ると、スターが大きな釜を持って怪訝そうにサニーを見つめていた。
「どうしたの?ぼんやりして、サニーらしくないわ」
「ご、ごめん、ちょっと考え事してたの」
スターの表情が僅かに曇る。
「考え事なんて余計にらしくないわ。
これは大雨でもきそうね、もう降ってるけど」
持っていた釜をテーブルの中央に置き、筍ご飯を杓文字で取り分けながら、スターはサニーに言った。
スターは意図的かそれとも自然にか、三人分取り分けて食卓に並べた。ルナはもう、食事を取ることさえしないというのに。
スターは椅子に座ってから、いつも通り手を合わせて「いただきます」と言ってから朝食を食べ始める。
食事中でもサニーはルナのことで頭が一杯だった。気が付くと箸を止めて考え込んでしまっている。
「ねぇ、さっきから変よサニー」
食べながらスターは心配そうにサニーを見た。
サニーは箸を置き、顔を伏せてスターに言う。
「あのね、ルナのことなんだけどさ」
言われて、スターも箸を止めた。サニーの小さな身体が震えている。
サニーは少し間を置いてから話を続けた。
「ルナさ、ほんとに寝てるだけなのかな」
「え……?な、なに言うのよ突然……」
「だって、おかしいじゃない。ずっと起きて来ないのよ?あれから三日も経つのに、ずっと。
話しかけても答えないし、まるで人形みたいだわ」
サニーはスカートの裾をぎゅっと握って、何かを耐えるように話している。今にも涙が零れ落ちそうだった。
スターは何も言えなかった。何もかける言葉が見つからなかったのだ。
ややあって、スターが放った言葉は、最早何の気休めにもならない只の決まり文句だった。
「きっと、もう少しすれば元気になるわよ……」
言った後、長い静寂が訪れる。降り続く雨の音だけが二人を嘲笑うように響いていた。
もう少しっていつだろう、とサニーは思う。明日、明後日、来年、もっと先、それとも。
どう考えても、良い未来が浮かんでこない。サニーは震えながら、重い口を開く。
「元気に、なるのかな。だって、ルナの心は、もう死……」
「やめてよ!!!」
スターは両手でテーブルを思い切り叩き、その先の言葉を制した。同時に立ち上がった勢いで椅子が後ろに倒れこむ。
不意の怒号にサニーは驚きスターを見る。スターは泣いていた。その涙を拭うこともせずに、スターは言う。
「そんなわけないじゃない、サニーの馬鹿!!
どうしてそういうことを言うの!?ルナは絶対元気になるって、サニーも言ってたのに!!
急にそんなこと言って……ルナのことはもう諦めろとでも言いたいの!?」
「そ、そんなこと一言も言ってないじゃない!!私はただ……」
ただ、スターと悲しみを共有したいだけだった。気休めの言葉でも現実逃避でもない、本当の気持ちを通わせたかったのだ。
しかし、それをすることは即ちルナの死を受け止めるということになる。その覚悟が、サニーにはまだ無かった。
ルナの死を受け入れたくない、でもこの悲しみを一人で抱えていたくない。矛盾に苛まれ、サニーはその先の言葉が言えずにいる。
「ただ、何よ。これ以上変なこと言ったら、本当に怒るわよ」
スターは袖で涙を拭いながら突き放すように言った。
サニーの気持ちを、スターは痛いほどわかっていた。でも、認めるわけにはいかないのだ。
この辛い現実を認めて生きていけるほど自分たちは強くない。ルナがずっとこのままなんて、許していいはずがない。
サニーは俯いたまま、ごめん、と一言呟いた。それ以上、何も言わなかった。
スターは倒れた椅子を起こして、そのままふらふらと自分の部屋へと向かい、サニーに背を向けたまま言う。
「ルナは戻るわ、必ず」
私が戻してみせる。だから、そんな顔しないで。
そこまでは言えなかった。しかし、それは紛れもない本心だった。
スターは部屋の扉を静かに閉め、一人になってから、さめざめと泣いた。
泣きながらも、スターも心は沸き上がる使命感で燃えていた。ルナを元に戻す方法を、何年かかってでも見つけてやる。
そして、サニーの笑顔も取り戻して、また三人でいつものように暮らすのだ。スターは、一人でそう決めたのだった。
誰もいなくなった食卓で、サニーはやっぱり言わなければよかった、と後悔していた。堪えていた涙が決壊したダムのように溢れ出す。
二人はそれぞれの場所で、同じ想いで涙を流していたが、その感情を共有することはなかった。
それから、半月が経った。
あの日以来、スターは部屋からあまり出てこなくなった。
日がな一日本を読み続け、出てきたかと思えば忙しそうに家を飛び出し、また別の文献を抱えて帰る。
ルナを元に戻す方法を探しているのだ。スターは何も言わないが、それはサニーにもわかった。
しかし、それなら自分にも何か一言でも言ってくれればいくらでも協力するのに、とサニーは拗ねる。
先日の一件から二人は何となく気まずくて、顔を合わせても挨拶程度の言葉しか交わさなかった。
いつも欠かさず三人一緒だった食事の時間も、今は別々だ。ルナはずっと飲まず食わずで、スターも本を漁る事に汲々としている為、食事はほぼ摂らなかった。
「ねぇルナ、スターがね、最近変なのよ」
サニーは横たわるルナの身体に寄り添って語りかける。毎晩こうしてルナに話しかけることが、サニーの日課になっていた。
返事はないけれど不思議と気持ちは楽になり、続けていればもしかしたらルナの心に届くかもしれない、という希望もあった。
「ずっと部屋に篭ってるの。ご飯も食べないし、ほとんど寝てないみたい。
そりゃあ、ご飯なんて食べなくても死なないけどさ……」
言った後、サニーは何かに気付いて黙り込む。自分たちは、食事を摂る必要性は全く無い。それでも毎日三食欠かさず食べていたのは何故だろう。
サニーはいつもの食卓の風景を思い浮かべていた。スターが作った料理に我先にと三人で箸を伸ばし、みんなで舌鼓を打つ。
下らない話をしたり、悪戯の計画を立てたりしながら食卓を囲み、おかずが最後の一個になると、話を中断して取り合いになるのだ。
思い出すと、自然と笑みが溢れた。瞬間、サニーの全身に何か熱いものが駆け巡る。そうか、とサニーは気付き、がばっと起き上がった。
「ルナ、やっぱりご飯は大切よ。食べられるなら、食べたほうがいいのよ」
そう言ってサニーは部屋を飛び出し、キッチンへと向かう。
食料棚を漁ると、春の野菜と味噌があった。備蓄が少ないなぁ、と思うが今はこれでも十分だった。
サニーは腕まくりをして、よしと気合を入れてから料理を始める。料理なんて久しぶりだが、不安はなかった。
サニーは気付いたのだ。自分達が何故食事をするのか、その重要さに。
ご飯など食べなくても死なないかもしれない。食事の時間を削ってまでルナを元に戻す方法を探すスターの気持ちも、よくわかる。
でも、この時間だけは絶対に無くしてはいけない。心を通わせる時間として、食事の温かいひと時は必要だったのだ。
どんな辛い時でも、失ってはならない日常。皆が一つになれる時間を、サニーは守りたかった。
しばらくして、料理は完成した。春の野菜をあしらった彩り豊かな味噌汁だ。
サニーはいつもスターがやっているように鍋を食卓に運び、三人分に取り分けて満足そうに眺める。
自分にしては上出来だ、と心の中で自尊した。
「よし、スターを呼んで来なくちゃ」
サニーは御機嫌な様子でスターの部屋の扉を叩き、呼びかける。
しかし、返事がない。
「スター?いないの?」
扉を少し開け中の様子を伺うと、スターは机の横にある小さな明かりだけを点けて黙々と本を読んでいた。
スターはサニーに気付きちらと一瞥した後、すぐに目線を本に戻す。
「あらサニー、何か用?今ちょっと忙しいから後にしてね。もうちょっとで何かわかりそうなの」
そう言ってスターはまた本に集中し始める。ちょっと冷たい言い方だったかな、とスターは思うがいちいち訂正はしなかった。
サニーとルナの為にも一刻も早く方法を見つけなければいけないのだ。余計なところに気を揉んでいる暇はない。
素っ気無い態度にサニーはめげそうになるが、勇気を振り絞って言う。
「あの、スターお腹減ってない?お腹減っているわよね。
ごはん作ったから……」
「あ、そうだわ」
サニーの言葉を遮るようにしてスターは思い出したように言った。
「最近、ルナに話しかけてるでしょ。あれ、やめた方がいいわ」
思いもよらない言葉がサニーの心に突き刺さる。何でそんなことを言うのか意味がわからなかった。
「ど、どうしてよ!?」
スターは混乱しているサニーの目の前に本のページを開いて突きつける。
「この本に書いてあったのよ。心を閉ざした人に無闇に声かけちゃいけないんだって」
サニーは渡された本のページを読んで見る。そこには、確かにそう書いてあった。
しかしこんな本が何だというのだろうか。ここに記されていることが真実かといえばそうではないし、そもそもこの本自体が胡散臭い。
床に散らばった本を見てみると、そのほとんどが誰が書いたかも知れない眉唾物の本ばかりだ。本を読まないサニーでさえ、これは信じてはいけない本だと解る。
「スター、そんなの嘘よ。ただの、噂よ」
サニーは呆然としたまま言い聞かせるように言った。
尚もスターはサニーには目を向けない。
「噂でも何でも、縋らなきゃいけない時はあると思うわ」
スターは言いながらも本に書かれた文字を目で追い続ける。サニーが話しかけてくるせいで、内容が頭に入ってこない。
本に書いてあることが信用ならない事ばかりだということは、言われなくてもわかっている。
それでも、僅かに希望があるなら今はそこに賭けるしかないのだ。
「ねえスター、あなたちょっと疲れてるんだと思うわ。だからさ、ご飯食べて息抜きしましょ?」
サニーはスターの身を案じ、優しい声で言った。今のスターは明らかに、何かがおかしい。まるで、取り憑かれて自分を失ったような感じだ。
スターは若干の苛立ちを覚える。とにかく邪魔しないでほしかった。これはサニーの為でもあるのだから。
「ご飯なんていらないわ。食べなくたって別に死にはしないもの」
スターは棘のある言い方でサニーを突っぱねた。
サニーは呆然としてスターの背中を見つめる。もうスターは、自分のことなんて見えていないのだ。自分と心を通わせる気が全くないのだ。
ルナを助ける為とはいえ、こんな本に夢中になって。サニーの心にどんどん暗雲が立ち込めてくる。
気が付くとサニーは、スターが今読んでいる本を奪って床に叩きつけていた。そして思い切りぐしゃりと本を足で踏み潰す。
「ちょ、ちょっと何するのよ!!やめなさいよ!!」
「こんな本読んだって、何の意味もない!!
こんなものでルナが元気になるはずがないじゃない!!!!」
サニーは足元の本を蹴っ飛ばし、机に積んである本を手にとって壁に投げつける。
「こんなもの!!こんなもの!!!」
サニーはもうやけくそだった。頭に血が上り、自分でも何をやっているのかよくわからなかった。
唖然としていたスターもだんだん腹が立ってきて、サニーに思い切り掴みかかる。
「やめてって言ってるでしょ!!」
「きゃあ!!」
掴みかかった衝撃でサニーの身体は後ろに倒れ、盛大に頭を打った。
サニーは痛みで唸りながら頭を抱えて蹲る。
「あ……」
流石に強くやりすぎた、謝らなきゃ。スターは思うが、余計なプライドがそれを許さなかった。
「さ、サニーが悪いのよ。サニーが暴れたりするから」
そう言ってスターは落ちた本を拾い、椅子に座り直してまた読み始める。
痛みが引いてからも、サニーはしばし放心状態で床で蹲っていたが、しばらくしてスターが振り返ると既にいなくなっていた。
スターはふぅ、と深い溜息をつく。サニーの言葉が耳に焼き付いて離れなかった。
サニーは居間に戻っていた。辛いはずなのに、涙が出ないのは何でだろう。もう枯れたかな、と自虐的に思う。
用意した料理はもうすっかり冷たくなっていた。一口食べて見るが、何の味もしない。全然、美味しくない。
サニーは片付けもせず部屋に戻り、膝を抱えて座り込んだ。
(スターまで、おかしくなっちゃった。
どうして?私たち、何も悪いことしてないのに、なんで?)
原因など、考えるまでも無かった。サニーの心にぐつぐつと赤黒い感情が沸いてくる。
「あいつが、あいつが悪いんだ。全部あいつが!!」
地下にいた、紅い悪魔。ルナは今でもあいつの影に怯えているのだ。あいつのせいで、心を閉ざしたのだ。
奴が今でものうのうと暮らしていると思うと腸が煮え繰り返る。
あいつさえいなければ、こんなことにはならなかった。あいつさえいなければ、普通に暮らせる。
「倒さなきゃ……あいつを……!!」
サニーは雄々しく立ち上がり、仲間の為に戦うことを決めたのだった。
☆☆
本の文字など、頭に入ってくるはずも無かった。さっきの事がぐるぐるぐるぐる脳内を駆け巡って、他のことなど考えられなくなっている。
スターは立ち上がり、部屋のカーテンを開けて窓から外を見る。朝日が目に入り、眩しくて眉を顰めた。いつの間にか朝になっていたようだ。
今日は快晴だ。晴れた空を見るのは何日ぶりだろう、とスターは思う。
天気は晴れてても心はどんより曇る。スターはさっきまでの自分を深く反省していた。ルナのことで、自分は少し意地になっていたようだ。
ルナを助ける方法を自分一人で見つけ出そうと考えたのは、サニーの為でもあった。
もしかしたら助かる方法なんてないかもしれないし、そうなった時に絶望に打ちひしがれるのは自分だけでいい、と考えていたのだ。
しかし、それは大きな過ちだった。時間が経つに連れスターの使命感は義務感へと変わり、サニーを孤独へと追いやった。
サニーの気持ちを知りながらも突き放して、サニーを深く傷つけてしまった。サニーはただ、一緒に過ごす日常を失いたくなかっただけなのに。
スターは何度目かもわからない溜息をつく。もうやることは一つしかない。
「サニーに、謝らなくちゃ……」
スターは久方ぶりに部屋の外へ出た。すると、机の上に料理が並んでいることに気が付く。味噌汁と、ご飯。
もう冷えてしまっているが、とても美味しそうだ。スターはサニーの言葉を思い出した。
そして自分がサニーの気持ちを踏み躙ってしまったことを改めて認識して、泣きそうになる。
一刻も早くサニーに謝りたかった。許してもらえないかもしれないけど、それでもいい。
スターは駆け出し、サニーの部屋の扉を勢いよく開いた。
「サニー!!!!わたし……」
部屋には誰もいなかった。開け放たれた窓から朝の風が通り抜け、カーテンを揺らしている。
「……サニー?出かけたのかしら……」
しかし、こんな朝早くから出かける用事なんてあるのだろうか。
スターはふっと机の上を見た。何かのメモ書きが残されている。
「なに、これ?」
紙には大きく吸血鬼の弱点と書かれていて、その下に日光、銀、豆、流水と弱点の羅列が続く。日光の部分が大きな丸で囲われていた。
そして最後に、『二人のために、絶対勝つ!!』と力強い字で綴られていて、メモはそこで終わっている。
スターは全て理解した。サニーがいない理由も、このメモの意味も。
「そ、そんな……サニー……サニー!!!!」
スターは挙措を失い部屋の窓から外へと飛び出した。
サニーの考えていることは明らかに無謀だ。スターは全身が冷たくなるのを感じた。このままでは、サニーもルナと同じように壊されてしまう。
「いや、いやよ……サニーごめんね、私が馬鹿だったから、謝るから、だから、私を一人にしないで!!」
スターは全速力で飛び続ける。唯一無二の親友の無事を切に願いながら。
☆☆
血の宴が始まっていた。と言っても、今回はかなり控えめだった。激しい音も出してないし、能力も使っていない。
これならお姉様も怒らないわね、と言ってフランは足元に転がる羽虫の背中を踏み潰す。
「はぐぅ!!ぐっ……がふ……」
背中の骨にひびが入り、突き刺すような痛みで思わず叫びたくなるが、サニーは自分の舌を噛んでそれを制す。
サニーはいくつか策を考えてここにやって来たが、小手先の策など驚異的な力の前では何の役にも立たなかった。
既に絶望的な状況に置かれているが、サニーの心はまだ死んではいない。尚も燃え上がる闘志がその目には宿っている。
フランはサニーの横腹を強く蹴飛ばし、サニーの身体が宙を舞う。サニーはそれでも声を上げなかった。
サニーはがくがくの体を奮い起こし、フランを睨んで小さな弾を飛ばす。
「何なのその目、その態度。貴女生意気ねぇ、妖精のくせに」
フランは嘲るように言いながら、サニーの放った弾を指で弾いた。
サニーはありったけの気を練り、更に大きな弾をフランに放つ。
「うあああああああああああああああああああ!!!!!!」
サニーの叫びと共に大弾がフランに近付いてくる。フランは迷惑そうな顔で大弾を片手で弾き、サニーの頭を鷲掴みにして、言った。
「貴女、ちょっと五月蝿いわ」
そしてぐっと手に力を込めて、サニーの頭を林檎のように握り潰した。
首の無くなった胴体が膝から前のめりに崩れ落ち、やがて消滅していく。
「全く、騒がないでよね。私は今、お姉様の大事な食器を壊したとかそんなことで謹慎中なの。
その謹慎も貴女のお友達のせいで伸びたんだから、少しは自重してよね。
……って、もう聞こえてないか」
フランはやれやれといった感じに踵を返し、自分の部屋へと戻ろうとする。
しかし三歩進んだ辺りで、右肩に痛みを感じて立ち止まった。触ってみると、手に血がべっとりと付く。何か、刺された。
さっき消滅したはずのサニーが、銀のナイフをフランの右肩に深々と突き刺していた。
「ぐっ、この、雑魚がああああ!!」
フランは全力でサニーの頭を殴る。顔が大きく変形し目玉が飛び出して、サニーの体はまた粒子となって消滅した。
「はぁ、はぁ、ぐっ!なんなの、まったく、意味がわからないわ」
フランは刺さったナイフを引き抜き、片手で握り潰しながら辺りを見回す。
たった今殺したはずの妖精がまた襲い掛かってくるなんて、今まで無かったことだった。
この妖精の能力か、或いは亡霊か。フランは考えるが、実際はそのどちらでもなかった。
単純にサニーは、有り得ない早さで復活していたのだ。普通では考えられない速度で、今も。
「死ね、吸血鬼!死んでルナに詫びろ!」
上方から声がして、フランは上を見る。殺したはずの妖精がそこにはいた。
同時に、刺された右肩が焼けるのを感じる。地下の出口方面から光が真っ直ぐここまで届いて、フランの体を灼いていた。
ここまで日光を屈折させるなど、普段のサニーでは絶対に不可能なことだった。
でも、今はそれができた。通常の何十倍もの力を、不思議とサニーは発揮していたのだ。
「あっがあああああああああ!!熱い!!あづい"い"いいいいいい!!」
弱点である日光に焼かれ、フランはたまらず体を蝙蝠に変化させて難を逃れる。
サニーは倒した、と錯覚するがすぐに蝙蝠は元のフランを形作り、サニーの首を掴んだ。
「やってくれたじゃない……!!おもしろいわ、貴女……!!」
「はっ……あがが……!!」
サニーの首が片手でぎりぎりと絞められ、呼吸ができなくなる。
「本当は遊んであげたいけど、私はこれから淑女として生きるって決めたの。
だから、一言ごめんなさいって言えば許してあげるわ」
言いながらフランは更に強くサニーの首を絞めていく。勿論、謝っても許す気などなかった。
フランの爪がどんどん首に食いこんできて、痛みも苦しみも強くなっていく。
「うっ……あぐ……」
「さぁ早く言いなよ!謝りなさいよ!さぁさあさあさあ!!!!」
サニーは謝る気など全く無かった。絞められながら、唾をフランの顔にぺっと吐き掛け、不適に笑う。
フランの中で、何かが切れる音がした。額に血管が浮き出て、瞳孔が完全に開ききる。
フランはそのままサニーの首をぶちゅっと潰した。そして消え行くサニーの体を踏み潰し、言う。
「早く復活しなさいよ、どうせすぐ蘇るんでしょ?
もういいわ、謹慎なんて関係ない。コンティニューできなくなるまで徹底的に潰してあげるわ!!」
フランの言葉通り、サニーはすぐに復活してまたフランへと立ち向かっていく。
フランはもう容赦はしなかった。むしろ、容赦できなかったのだ。サニーの力は明らかに異常だった。
妖精でこれほどの力を持っているものはいない。復活するほどその力は高まり、気付くとフランは全力でサニーを殺しにかかっていた。
サニーは殺されれば殺されるほど、不思議な高揚感を感じて胸を弾ませていた。この痛みはルナが受けたものと同じ。そう考えると、鳥肌が止まらなかった。
それから何度も殺し合いを繰り返した。実際にはサニーが一方的にやられているだけだったが、精神的にフランは追い詰められ始めている。
(な、なんなのこいつ……永遠にこれやるつもり?)
倒しても倒しても一瞬で蘇るサニーに、フランは感じたことの無い恐怖を覚えた。もう蘇ってほしくないと、初めて思った。
永遠に続くかとも思われたが、いつしかその均衡は破れた。復活してもサニーの傷が完全には癒えなくなってきたのだ。
立ち上がることも困難になってきて、今にも倒れそうなほど、サニーはずたぼろだった。
「は、はぁー……は……ま、だまだ……」
もう弾も出せなかった。痛みで目の前もぼやけ、歩こうとすると崩れ落ち倒れてしまう。それでも、這い蹲ってフランに向かっていく。
いつもだったら、ああもう壊れちゃった、とフランは思うところだが、今は違った。
何か言い表せない哀れみのようなものを感じて、フランは這いながらも向かって来るサニーを、破壊もせずただ見つめていた。
もう、壊す気も起きない。いや、これはもうむしろ壊れちゃってるのかも、とフランは思い変な気持ちになる。
「ねぇ、もうやめにしましょう。貴女、強かったわよ。妖精にしては凄く。
だからね、終わりにしましょ。私の負けでいいわ」
負けず嫌いのフランが、初めて負けを認めた。それほどまでに、フランはもうこの戦いを続けたくなかったのだ。
サニーは顔をフランに向け、問う。
「じ、じゃ、あ……私の……か、ち……?」
「ええそうよ。貴女の勝ち」
フランがそう言うと、サニーは最期の力を振り絞ってフランに掴み掛かった。
「なら謝ってよ!!ルナに、スターに、私たちに、お前が踏み躙った全ての妖精たちに!!
お前が玩具にしてきた全ての生物に!!!!
もう二度と、酷いことしないって、誓ってよ!!!!」
「え……あ……」
サニーの顔は狂気に満ちていて、フランは驚いて言葉を詰まらせた。
今まで、こんな顔を他人に向けられたことなど無かった。フランは、生まれて初めて恐怖という感情を知った。
「誓え!!謝れ!!!クズ吸血鬼イイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!」
叫びながらサニーはフランの顔を全力で殴った。倒れこむフランに尚も鬼の形相で掴み掛かってくるサニーが恐ろしくて、フランは涙を流して失禁した。
「ご、ごめんなさい!!ごめんなさい!!!もうしませんから!!
妖精を甚振るのはやめます!!ルナにも謝りますから、だから許して!!!」
「……それは、ほんとだな?」
フランが震える声で搾り出すように「はい……」と言うとサニーは掴んだ手を離して満足そうに笑った。
そして、覚束ない足取りで地下を歩いて去っていく。
フランはしばらく茫然自失になり、起き上がることができなかった。
怒られることには慣れていた。慣れていると思っていた。でも、今のこの感情は、どうにも処理できそうになかった。
本当に、全ての妖精に謝りたくて、申し訳ない気持ちでいっぱいで、死にたくなる。
フランは仰向けのまま、声をあげて泣き出していた。
サニーは帰る途中、パチュリーとすれ違った。
パチュリーは、ああまたこいつのせいで騒がしかったのか、と思い声を掛けようとしたが、やめた。
どうも声を掛けられる雰囲気では無かったのだ。サニーは、えへへぇえへへぇと不気味な笑いを漏らしながら、壁に手をついて歩いていた。
(何かしらね、何か、異様な感じがするわ)
この時は何となくそう感じただけだったが、実際にフランに会って見てそれは確信に変わった。
フランは部屋の隅でガクガク震え、ごめんなさいと何度も呟いていたのだ。こんなフラン見たこともなかった。
「どうしたの、フラン。何があったわけ?」
パチュリーがそう聞くと、フランは震えながらたった一言、呟いた。
「ぱ、パチュリー……もう、わたし、妖精さんを壊すの、やめるわ」
☆
誰もいない森を、サニーは何度も倒れながらも何とか歩いていた。
途中何度も他の妖精とすれ違ったが、誰も声を掛けなかった。
みんな、命の終わりを感じていたのだ。
サニーは知らずの内に、自然の力を恣意的に使っていた。
妖精のダメージが限界に達した時に一度消滅するのは防衛本能の一種で、無闇に力を放出して復活できなくなるのを防ぐ為だ。
サニーは自らそのリミッターを外し、能力も与えられた以上の力を無理やり発揮した為、自然から孤立した状態にある。
今のサニーは妖精というよりは妖怪に近かった。つまり、自然の加護は受けられない。
それを知ってか知らずか、サニーは不気味な笑いを浮かべながら森を歩く。
(えっへぇ、ルナ、スター、私やったわ。
吸血鬼を、倒したんだよ)
サニーは森を歩く。だんだん足取りが重くなってきた。
(あいつ、もう妖精いじめないって。
だからね、ルナ。もう怯えなくていいんだよ?)
サニーは森を這う。足が消滅して、立てなくなっていた。
(スター、もうルナは心配いらないよ。
きっと、また三人で暮らせる。私たちのいつも通りが、戻ってくる)
早く家に帰らなくちゃ、そう思うサニーの心とは裏腹に、体は全く動かなくなった。
(あれぇ……おかしいな、体が動かないわ……)
手が消滅して、這うことすら叶わなくなっていた。
サニーの脳内に走馬燈が駆け巡る。どれもこれも、楽しい思い出ばかりだ。
最期に頭に浮かんだのは、これからのこと。ルナとスターと、楽しく祝杯をあげて、みんなでご飯を食べるのだ。
サニーは笑いながら、ゆっくりと赤い粒子となって空へ溶けて消えていった。
スターはサニーの姿を延々探し続けた。
紅い屋敷に行ったら、サニーはもう帰ったと言うので、帰り道を隈なく探索したが姿は無い。
やがて、妙に温かい場所を見つけた。この辺りだけ、太陽に照らされているように温かい。
スターはしばらくそこで呆然と立ちつくした。何故だろう、涙が溢れてきて止まらない。
その涙の理由をスターが理解するまで、そう時間はかからなかった。
迷ったけど、葬るのも惨いので出しました。ごめんなさい、もうしません
酔鉄砲
- 作品情報
- 作品集:
- 32
- 投稿日時:
- 2015/06/10 13:58:44
- 更新日時:
- 2015/06/10 22:58:44
- 分類
- 三月精
- フラン
フランは精神的に未熟な上に純粋な敵意を向けられたことが無さそうなので、本気で責められると弱いだろうなーと思って。調子乗った子供が近所の怖いおっちゃんに怒られてトラウマになるような。
以上が建前です。本当は、話自体が思ったより冗長になりすぎて疲れたのですぐに折れてもらいました
最後のサニーにも痺れました。面白かったです!
もっと精進します
途中、某猫型ロボット漫画の有名な回を思い出しました。