Deprecated: Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/neet/req/util.php on line 270
『たかる、虫は』 作者: タダヨシ

たかる、虫は

作品集: 1 投稿日時: 2009/03/26 03:16:05 更新日時: 2009/05/05 20:12:47
 蜂蜜色の光が目へ射し込んでくる。
 「ん……ぁあ」
 もう朝だ。起きなければ。
 わたしは体に掛けていた毛布を傍らに置き、家の外に出た。
 軒下に粗末な木製の蓋で封をされた大きなかめが置いてある。
 木製の蓋を外し、中に入っている水を手で掬い、顔を洗う。
 冷たい刺激が顔を流れた。もう十分に目が覚めた頃にわたしはかめに張ってある水を覗き込んだ。
 そこには、中性的な顔立ちと草色の髪、細くてしなやかな触角があった。
 「うん、大丈夫だ」
 何が大丈夫かは知らないが、昔からこうしないと落ち着かない。
 しばらくすると、妙な空腹感。朝食を食べることにした。
 熟れた林檎を食べた。噛んでもシャリシャリと心地よい歯触りは得られない。
 だがわたしはそれが好みだ。林檎は私の満腹感に合わせて痩せ細っていった。
 林檎がほぼ芯のみとなった時には満腹になっていた。
 わたしわうえている。
 気が付けば林檎の芯に付いている僅かな果肉さえも無くなっていた。
   
 わたしは森の中を散歩をしている。季節は夏で太陽の光と植物の緑に縁取られていた。
 前方から黒い珠のような物が近づいてくる。わたしは声を掛けた。
 「おはようルーミア」
 黒い珠が周りの風景に溶け込み消えていく。その中から人の形が見える。
 「おはよーリグル」
 現れたのは金髪の少女。最近出会うことが多いのでよく話をする。
 「どうしたの? こんな時間に」
 わたしが問うと、ルーミアは使用済みてんぷら油を排水溝にそのまま流すような顔をして
 「あのねー昨日の夜にホウキに乗ってる白黒を見つけたの……それでね」
 「おいしそうだと思って着いていったが、早くて追い着けず、そのまま今に至る?」
 「なんでわかったの? リグルってすごいね!」
 まさか的中するとは。わたしは笑いを堪えて答えた。
 「理由は特に無いよ。何となくかな?」
 わたしとルーミアは一瞬、見つめあった。互いの頬は呼気を吹き出さんばかりに膨らんだ。
 「「ぷふ…あはははは!」」
 下手な笛のように笑い合う。
 「だって、だってぇ!『何となくかな?』なんて言うんだもん。可笑しくって!」
 「ルーミアの動機だっておかしすぎるよ!だって食べ物を追いかけて夜が明けちゃうなんて!」
 下手な笛が治まった頃にわたしはルーミアに質問した。
 「ところで、この後ルーミアはどうするんだい。昨日は寝てないようだけれど?」
 「うん、今日は一日眠ることにする」
 「そう? じゃあ睡眠の邪魔をすると悪いから、今日はここで失礼するよ」
 わたしはルーミアに軽く微笑んだ。
 「さようなら……いや、おやすみなさい。ルーミア」
 「リグル、さよならー」
 ルーミアも顔をほってりとさせて微笑み、わたし達は別れた。
 まだ互いの足音が聞こえているであろう時、わたしの脳裏にはまだルーミアの微笑みが浮かんでいた。
 写真撮影のフラッシュを見たときのように目にねっとりと付いて離れない。
 金色の髪、きれいな肌、頭に付いたリボン、そして飴玉のようにきらきらした眼をたべたらりんごとはちがったかんじにぐちゃりとつぶれてなかからへんなえきがでてきてしたがへんなあじになってしゃぼんだまみたいになつて
 何だろう?今のは?
 わたしは妙な不安に押されて頭をかしげた。
 しかし、それも夏の微かな風と木々のざわめきによって洗い流された。

 暫く歩いていると、森が少しずつ開けていき、湖の縁に出ていた。
 そこでは青と緑の二つの影が忙しく動いている。
 青い方は周囲に光る物を並べて何か緑に命令し、緑の方は湖に釣竿を下げながら相槌を打っている。
 わたしは青い方へ声を掛けた。
 「何してるんだい、チルノ?」
 「あっリグル! いいところに来たね」
 「何がいいんだい?」
 「見て見て! 下にあるコレを!」
 チルノの足元には光る物体――色とりどりの凍らされた蛙や魚が置かれていた。
 わたしは地面に散らばる不可解さをチルノにぶつけた。
 「何だい、これは?」
 「リグル、わからないの?」
 チルノは息を思いっきり吸い込んで言った。
 「あたいのコレクションよ!」
 わたしは暫くしてから乾いた声で言った。 
 「あぁ、成る程。でも保存はどうするの?」
 「凍らせる!」
 「ずっと?」
 「うん!」
 わたしは地面に散らばる気の毒な生物達を見ながら言った。
 「こんなに?」
 「うん! それにね、これからもっと増やすの! ほら、大ちゃんもっと釣って!」
 振り向いたチルノに対して、大妖精は半泣きで答えた。
 「チルノちゃーん。もう二十匹も釣ってるんだから、もう止めにしようよぅ」
 「泣き事言わない! 職人は手を抜かないの!」
 何の職人だろう。だが、わたしは足元にある冷凍ガエルを手に取った。
 「でも、きれいだね」
 「でしょでしょ! リグルもそう思う?」
 チルノは安物のカットガラスのような目をして同意を求めた。
 「うん。すごくいいよ」
 「どこがいい?」
 厄介な事になった。下手に褒めなければ良かった。
 「う、うん。まずはね、このアマガエルの黄緑がいいね。そ、それにこのポーズがいいよね。あと、手からほとばしる着地への緊張感と細くてしなやかな脚……」足をぐるりと捻るとちるのがおしっこを流してねそれがすごくすごく嬉しくてねぐちゃぐちゃになった足を腰からたべると赤いのとおしっこが混ざっていい味になるんだそれでそれでそれで
 「どうしたの? リグル、急に黙って」
 「えっ! ああ大丈夫、何でもない。とにかく良いって事さ」
 「そっそう? ありがとう」
 あの不気味な想像はなんだろう? でも、ここに長くいては不味い気がする。
 「ねぇ、チルノ?」
 「何?」
 「ちょっとした用事があるからもう別の所に行くね」
 「そう……残念だけどじゃあね。」
 「バイバイ、チルノ」
 わたしは湖の縁から離れるように努めた。
 陽の光を受けて虹色に輝く湖から植物の香りが漂う森へと入っていく。
 突如、呼びかける声。
 「ねぇ? リグル!」
 わたしはぎくりとして後ろを振り返った。そこにはチルノがいた。
 「どうしたの、チルノ?」
 何か変なことを言ってしまったのだろうか?
 「コレ、あげる!」
 そう言って小さな両手に乗せられてわたしの前に出てきたのは件の冷凍アマガエルだった。
 「ありがとう。大切にするよ」
 わたしは冷凍アマガエルを手に取って礼を言った。
 「うん! 大切にしてね!」
 「じゃあ、今度こそバイバイ、チルノ」
 「うん! ばいばい」
 わたしは手を振りながら急いで離れた。しかし、チルノに悟られないように。
 やがてチルノは大妖精が気になるのか、湖に戻り、見えなくなった。

 誰にも会いたくなかった。ただひたすら森の中を歩いた。
 何かの気配があれば避けた。人でも妖怪でも幽霊でも。
 何時間歩いただろう? わたしはふと、空を見上げた。
 朝あれだけ輝いていた太陽が闇の中に沈んでいた。
 空は黒のマントと星のボタンに変わっていた。
 夜の森を沈み込むように進んで行く。すると一つのぼんやりとした赤い玉が見えた。
 よく見るとそれは玉ではなく提灯だった。その薄い光の後に屋台がある。
 赤く、安心できる光と香ばしいヤツメウナギに誘われ、わたしはいつのまにか屋台の椅子に座っていた。
 「いらっしゃい。リグル」
 羽の生えた帽子を被っている少女が挨拶をした。
 「ミスティア、いつものやつと『あれ』を」
 「あいよ」
 ミスティアは屋台の下からヤツメウナギを取り出し、炭の上で焼き始めた。
 煌めく火が炭の上で踊り、ヤツメウナギの身を撫でた。数刻すると表面の皮が黄色に輝いた。
 身から油がじわじわと滲み出し、炭に垂れてしゅうしゅうと吼えた。
 その一連の過程は幻想郷でもその外であっても不思議な物に違いないと思った。
 いくらかわたしの思考が巡ると、ミスティアがヤツメウナギを皿に盛って
 「はい! ヤツメウナギの蒲焼き。あとは……」
 ミスティアが大きな瓶に入った液体を取り出した。そしてそれをガラスのコップに注いだ。
 屋台の光を受けて輝くコップに液体が満ちていく。コップは茶色で一杯になった。
 ミスティアはそのコップを持ち、愛想の良い笑みを浮かべて、わたしの前に置いた。
 「今日のは上物を使ってるよ」
 目の前のコップに口をつける。
 味の前に香ばしい匂いが鼻を突き、その後に沈み込む苦さが舌に流れる。
 コーヒーだ。
 わたしは虫の妖怪なので、酔うのであればアルコールよりもカフェインの方が効果があるのである。
 それは嫌な事を忘れるのに絶大な効果があった。
 ヤツメウナギの身をつつきながらコーヒーを啜る。数少ない生活の楽しみの一つである。
 ふと気が付くとミスティアがじいとこちらを見ている。
 「どうしたの? ミスティア」
 問いかけにミスティアは
 「あ、いいや。気づいたかな? と思ってね」
 「何に?」
 「いやぁ今日はいつも仕入れているヤツメウナギが手に入らなくてね、別の種類を使ってるんだ」
 「そうなの? 気づかなかったけど」
 「今日のはミツバヤツメって言うんだけどね、いつものカワヤツメと違って少し泥臭いんだ」
 「へぇー。でもまあいつもと同じで美味しいけど」
 「ほっ本当? 不味くなかった?」
 「全然。きっと調理人の腕が良いからだよ」
 ミスティアはその言葉を聞いた途端、頬を赤く染め、視線を逸らした。
 「もっもう、リグルったら。褒めても料金は変わらないんだからね!」
 「嘘じゃないよ。本当に美味しかった」
 私は立ち上がり、ミスティアの前に立った。彼女は不思議そうな眼をして私を見た。
 拳をぎちぎちと握る。そのまま拳を、腕を、体を、ミスティアの顔に叩きつける。
 可憐な顔がぐしゃりと歪んでいく。一体誰が? 私だ。
 ミスティアはそのまま地面に崩れ、わたしに視線を向け
 「なっ何で? どうして!」
 と言った。私はその疑問に答えずにひたすら彼女を殴った。
 最初のうちは言葉を発しながら抵抗していたが、やがて生物的な呻きだけとなった。
 抵抗する力も無くなったミスティアを腹這いにし、左肩に足を乗せ、全体重を掛けた。
 「ぎぃ!」
 綺麗だ。綺麗な音だ。
 そのままの状態でミスティアの背中に生えている翼に両手をがっちりと掛ける。
 彼女は自分に起こる事を悟ったのか、目からぽろぽろとダイヤモンドを流し、懇願した。
 「やめてぇ! 何でもするからぁ! それだけは、それだけはぁぁ!」
 いやだ。
 翼を持った手を上げる。一瞬鈍い音がしてから、翼を繋いでいた皮が、肉が、神経が、裂ける。
 ぶちっぶちぶちぶぢぢぢいいぃ
 「  」
 綺麗。今までで一番綺麗な声だよミスティア。
 君の顔は今、赤とダイヤモンドに汚されてきれいだ。
 今、私の両腕には世にも美しい食べ物がある。
 ひとつは翼の根元から先が白と赤が混ざった物が伸びている。
 もうひとつはこれまた翼の根元から赤くてぴろぴろした管が伸びている。
 なんておいしそうなんだ。
 私はそれに齧り付いた。
 白と赤が混ざった物をしゃぶる。
 味がしない。
 赤くてぴろぴろした物を齧る。
 歯ごたえがしない。
 鼻を動かす。
 何の匂いもしない。
 何故。
 何故。
 何もかもが薄れて消えていく。
 気が付くとわたしは屋台の椅子に座っていた。
 目の前にはミスティアがいた。翼はちゃんと付いている。
 今のは……幻覚?
 とにかくここにいたままでは不味い。わたしはミスティアに顔を向けた。
 「ごめんミスティア。今日はちょっと体調が悪いみたいだ。もう帰るね」
 自分の座っていた側の卓にお札を置き、ミスティアの返事も聞かずに屋台を離れた。
 「ちょっと! ちょっと!」
 自分の背中に彼女の声が聞こえ、わたしは縮み上がった。
 「おつり忘れてるよ! あと……」
 ミスティアはわたしの掌に自分の手を乗せ、頬を赤くした。
 「ヤツメウナギの件、ありがとう」
 ミステイアの長い爪の手から、硬貨がぎちりと濁った音を出して、わたしの掌に落ちた。

 何も見たく無かった。誰にも会いたくは無かった。家に帰れば良いのかもしれない。
 だが、わたしは飢えていた。抗いがたい空腹の糸に引かれ、ただひたすらに徘徊していた。
 何を食べればこの飢えが治まるのかは悟っていた。
 でも、それを認めたくなかった。
 もう夜も深く、幻想郷はとっぷりと夜に沈んでいた。
 歩き回った足の疲労と心を悩ます幻覚によって、わたしの中にある現実感は紙一枚よりも薄くなっていた。
 闇の中を歩いている間に何本の木を通り過ぎ、いくつの道を横切ったのだろうか。
 これは、夢か……現実か?
 確かなのはただ自分の名前と飢えている事だけだ。
 この奇妙な徘徊はいつ終わり、どのような結末になるのか。見えない不安が取り憑いた。
 わたしはこの不安を引き剥がそうと歩いた。
 ただひたすらに。
 気が付くと漆黒の空にぽっかりと口を開けた月が浮かんでいた。
 こんな月なんて在っただろうか? 
 辺りを見回すとそこは花畑だった。
 「あら? こんな時間に来客なんて珍しいわね」
 背後から声がする。慌てて振り返った。
 そこにいたのはわたしとはまた違った草色の髪の女性だった。
 この暗闇で何故か日傘を持っている。
 動揺して声が出ない。わたしはやっとのことで擦れた声を出して
 「あ、あの……わた」
 草色の髪の女性がわたしの言葉を遮る。
 「こんな所で立ち話もなんだからウチに上がっていかない?」
 「え、あ? はい?」
 「私は幽香、風見幽香って言うの。着いてらっしゃい」
 幽香という名の女性はわたしに背を向けて半ば花畑に埋もれた小さな小屋に向かって行った。
 わたしは彼女の後に着いて行った。しかし、小屋の周りは密度の高い花畑に囲まれていた。
 人どころか小動物も通れそうに無かった。
 「あの、道がありませんが?」
 問い掛けると幽香はうっすらと笑みを浮かべ、日傘を小屋に向けて言った。
 「待っていて。すぐに出来るから」
 わたしがその言葉を理解するには少し時間が掛かった。
 自分達のいる場所と小屋の間を隔たっている花が退いていく。
 その光景に呆気に取られている間に、人が通れる程の道が浮かび出た。
 「ほら、通りましょう」
 幽香が平然とその道を歩くのを見て、わたしは慌てて彼女を追いかけた。
 夜の闇と月の光を受けた向日葵がこちらを見て、太陽の残り香の宿った昼とは違う白銀の笑顔を撒き散らしていた。
 
 小屋の中は卓と椅子、本棚、ベッド、その他の生活用品といった質素なものだった。
 幽香は天井に吊るしてあったランプを手に取り、卓の上に置いた。
 次に椅子を二脚、向かい合うようにして卓の傍に置いた。
 片方の椅子に幽香は手を向けた。
 「掛けなさい」
 わたしが座ると幽香も椅子に座った。
 「あなたの名前は? こんな時間に何しに来たの?」
 その質問にわたしは動揺した。
 「名前はリグル。リグル・ナイトバグです。何で来たかって言うと、ええと、その……」
 「偶然通りかかったのね?」
 「ええ、ですから特に用事は無いんです」
 「そう……ここは滅多に人が通らないからてっきり来客だと思ったわ。ごめんなさい」
 そう言って残念そうに体を動かした彼女の口は、寂しそうな曲線を描いた。
 わたしは済まない気持ちで一杯になった。だが、ここにも長くはいられない。
 さっきから飢えの糸に引かれ、今にも目の前の女性を食らおうという衝動を抑えていたからだ。
 一瞬の後、わたしは椅子から立ち上がった。
 「あっあの! わたし、明日の朝早いのでもう失礼します!」
 理由は出鱈目だった。
 飢えの糸を引き千切る様に玄関のドアに手を掛ける。
 早く外に出なければ。
 そうしなければわたしは
 背後にいる女性を食らってしまう。
 きっと
 きっと
 「本当にそれだけかしら?」
 えっ?
 「あなた、何か隠してるわ」
 振り返ると幽香がこちらをじっと見ている。その眼はどんな林檎よりも赤く、深かった。
 「何か困っている事があるんでしょう? 私に話して御覧なさい」
 わたしは動揺した。しかし、何故か彼女に自分の事を話したくなった。
 話せば自分は狂人だと思われるかも知れない。
 だが、今や自分の中の現実感は感じられぬ程に薄かった。
 話しても話さなくても同じだ。
 わたしは口を動かしていた。
 「あの、お腹がとても空いているんです」
 「そう? なら……」
 幽香は目をぱちくりさせて卓上に置いてあるかごを手に取った。
 「このかごの中にある果物」
 「違うんです!」
 今までの疲労か、不安によってわたしは荒い声を出した。
 「そういう空腹では無くて、その……」
 自分でも吐くのを躊躇われる言葉が喉から上がってくる。
 この声を聞いた彼女はどんな顔をするだろうか。
 彼女に不快な想いを抱かせないだろうか。それだけが気掛かりだった。
 「もういいわ」
 幽香はわたしの顔の前に手を広げ、口から広がる言葉を制した。
 「もう全てわかったわ。もう何も話さなくていい」
 制した手を退かした幽香の声と顔は慈悲深かった。
 彼女は椅子に座った自分の体を無防備に広げ、目を閉じた。
窓から入る月の光と卓の上のランプに照らされたその姿は綺麗だった。
 「食べなさい」
 最初、聞いた言葉が理解できなかった。
 しかし、わたしは抗いがたい磁石の様に幽香のスカートの中に沈み込んでいった。
 チェックの赤スカートの中には純白の生地と布地の白さとはまた違った白さの二本の足があった。
 その二本の柳は白の中に命の色が走っていて、わたしの中の飢えを満たすのには十分だと思われた。
 わたしは片方の腿に飢えた口を着けた。滑らかで絹のような肌だった。
 この飢えがなければわたしはこの肌の傍で眠りたいと思っただろう。
 しかし、飢えは自分の中にある安堵に対する欲すらも貪り尽くし、目の前の美しい肌をただの食べ物としか見ていなかった。
 わたしにはもはや自分を律する心は無かった。
 食べなければ。
 目の前にあるこの美しい果実を食べなければ。
 肌の上に犬歯を立てた。一瞬腿がぴくりと痙攣した様だった。
 わたしはその白い皮膚を食んだ。
 無垢な芋虫の様に。
 わたしは流れ出す赤い命を啜った。
 輝く蝶の様に。
 わたしは開いた傷口に集った。
 逞しい蝿の様に。
 気が付くとわたしの周りの純白には赤い点が散らばっていた。
 それは汚れの無い地面に咲いたこの世で最初の花を思わせた。
 「……あぁ」
 幽かだが声が聞こえる。誰かが痛みを堪えている声だ。
 何故、痛がっているのだろう?
 何故、痛みを堪えているのだろう?
 その疑問には誰も答えてくれなかった。
 だが、目の前にある肌は確実に流れる赤と滲み出る汗によって汚れていた。
 わたしは泣いた。何故だか分からない。ただひたすら。 
 酷い声だ。
 誰か止めてくれ。
 誰か。 
 わたしは赤ん坊の様に泣き疲れると、そのまま意識が遠くなっていった。
 暗い。視界が暗くなっていった。その闇は今まで見たどの夜よりも暗かった。
 でも、どんな太陽よりも暖かく、穏やかだった。

 光が瞼を嘗める。朝のようだ。
 夜はとっくに過ぎ去っていた。
 昨日見たあれは……夢?
 「夢じゃないわ」
 わたしはびくりとして声の方向へ顔を向けた。
 「おはよう」
 挨拶をした幽香は椅子に座ってこちらを見ていた。
 自分の周りを見回すと、今まで幽香の家のベットで寝ていた事を知った。
 「えっあっ? おはようございます」
 慌てて返事を返したわたしは昨日自分が彼女に行った事を思い出した。
 「あの! 脚は!」
 その声に幽香は全く動じた様子も無く
 「大丈夫、付いてるわよ。傷も昼頃には治るでしょうし」
 噂で聞いたことがある。向日葵の畑には恐ろしく、強力な妖怪が住んでいるという事を。
 先程の傷の話を聞くと、この女性が恐ろしい妖怪という事になる。
 「そうねぇ、でも……」
 こちらをじっと見て彼女は口を止めた。わたしはごくりと唾を呑んだ。
 「スカートが汚れてしまったわ」
 悪戯をした子供の様な笑みを浮かべて幽香は言った。
 わたしも緊張が緩み、釣られて微笑んでいた。
 だが、解けない疑問が一つだけ残っていた。
 それは何故、自分よりも強い妖怪がわたしなんかに己の体を食わせたかということだった。
 わたしは声帯を強張らせて
 「あの、何で」
 昨日の様な事をしたのですか。と言いたかったのだが、それは幽香の突然の言葉によって打ち消された。
 「ねぇ、リグル。花は何をされたら愛されているか知ってる?」
 「えっ? ええと……」
 わたしは一瞬戸惑った後に寝起きの頭をフル回転させて思考し、答えた。
 「水を貰ったり、綺麗だと褒められた時?」
 至極真面目に答えたわたしの考えは、幽香に笑われた。
 「ふふふ、残念。不正解よ」
 「答えは?」
 わたしは解答を求めたが、幽香は目を瞑り、世にも甘い蜜を味わうような顔をして
 「だめっ、教えない」
 と言った。
 幽香の傍らにある卓の上には花が活けられていない青い花瓶が置いてある。
 わたしはベットの傍の窓を見た。
 「きれいですね」
 「そうでしょう?」
 窓の外には陽の恩恵を受けた向日葵が、黄金色に輝いていた。
初SSです。
植物にたかってるアブラムシを見たら妙に興奮したので書きました。
タダヨシ
作品情報
作品集:
1
投稿日時:
2009/03/26 03:16:05
更新日時:
2009/05/05 20:12:47
分類
リグル
日常
微グロ
キャラ色々
幽香
1. 名無し ■2009/03/26 15:31:06
ゆうかりん美しいよ。
2. 名無し ■2009/03/26 18:45:02
それがリグルとゆうかりんの出会いだった
って感じがGJ
3. 名無し ■2009/03/26 21:55:30
こんな所でゆうかりんの魅力に気づかされるとは…すばらしい作品をありがとう。
4. 名無し ■2009/03/26 22:46:18
なんて綺麗なお話
5. 名無し ■2009/03/26 23:41:55
こういう話はもっと読みたい
6. 名無し ■2009/03/26 23:53:04
なんといういい話
排水が流されていくようだ…
7. 名無し ■2009/03/27 02:29:02
リグルが幽香に会えて良かったなぁ…
8. 名無し ■2009/03/27 16:15:31
ゆうかりんのふとももは聖女のまんこにも引けをとらない
9. 名無し ■2009/03/28 17:50:23
ゆうかりんの優しさに泣いた
10. ■2009/03/30 00:40:01
目の付けどころがいいと思います
11. 名無し ■2009/04/18 01:32:36
こういう素敵な話が読めるとは思ってなかった……。
12. 無名 ■2009/05/09 18:53:09
リグルを襲った衝動が何だったのかがよく判らないのが不満でした。
しかしまさか産廃でここまできれいな話が読めるとは……
13. 名無し ■2010/05/23 21:49:04
綺麗だな、すごく…
名前 メール
パスワード
投稿パスワード
<< 作品集に戻る
作品の編集 コメントの削除
番号 パスワード