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『東方下克上「最終話 東方下克上 前編」』 作者: ウナル

東方下克上「最終話 東方下克上 前編」

作品集: 2 投稿日時: 2009/08/21 07:30:04 更新日時: 2009/08/22 07:36:31
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
現在の幻想郷に不満をもつものたちよ
我が声に応え、我が元に集え
反魂玉の力にて
幻想郷を変えようぞ
今、下克上の時
今宵丑の刻、妖怪の山の大洞窟にて待つ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ある日、幻想郷に住まう全ての従者・弱者に手紙が届けられた。
受け取った者たちは様々な思いを胸に大洞窟に向かった。
ある者は野望。ある者は憎悪。ある者は情欲。ある者は支配欲。ある者は好奇心。ある者は嫉妬。ある者は憤怒。あるいは無関心。
様々な思いを乗せ、大洞窟に幻想郷の従者たちが集う。
反転地。
下克上を求め。



◆     ◆     ◆



――ある日、紅魔館――
メイド妖精たちが手に武器を持ち、紅魔館を徘徊している。
メイドで妖精というくらいなのだから、その本来の仕事は調理や掃除であるはずだ。
だが、今のメイド妖精たちは目を血走らせ、何かを探すようにうろうろと辺りを見回している。
ただただ純粋な破壊と殺戮の衝動。メイド妖精を突き動かしているのはこのシンプルな二つの欲求だ。
これはつまり、彼女らはもはや紅魔館のメイド妖精でないことを意味している。
ならば、館の主が彼女らを傷つけるのにいささかの呵責も感じないのを責めるべきではない。


「神槍『スピア・ザ・グングニル』!!」


突如、その妖精たちに巨大な赤い槍が投げ込まれた。強烈な一撃に妖精たちの何人かは一瞬のうちに消滅してしまう。
臓物をばら撒かれた一部の者は狂ったように手足を動かし、届きもしない敵に武器を振り回す。


「今よ、パチェ!!」
「OK、レミィ! 日符『ロイヤルフレア』!」


妖精が怯んだ瞬間をつき、パチュリーのスペルカードが発動した。地獄の鍋底に投げ込まれたかのような強烈な光と熱が妖精の身体を焼き、溶かし、かき消して行く。
その様子を見ながら右手に箒左手に帽子の魔理沙は呆れ顔で呟く。


「おいおい、そんなにして大丈夫かよ?」
「平気よ。〈一回休み〉だもの」
「それってつまり、また追いかけられるってことだぜ」
「あら、良く理解したわね。黒白にしては上出来じゃない」
「ふざけている場合かよ、ってな!」


曲がり角から現れた妖精を、弾幕で叩き落す魔理沙。
だが、後ろを振り返れば、無数の妖精たちが追いかけている。
その表情はマスカレードのように張り付いた笑み。


「ったく、どういうしつけしてんだよ。午後のティータイムにいきなり襲い掛かってくると無作法もいいとこだぜ!」
「さてね。誰かに操られでもしてるのかしら」
「メイド全員でストライキって可能性もあるぜ」
「それは億に一つもありえないわ。この私が裏切られるなんて。これは異変よ異変。妖精は環境の影響を受け易いの。まったくこんな時に限って咲夜は買出しに行ってるし。こういうのは霊夢の仕事じゃない」


事の始まりはほんの30分前。今日も今日とて紅魔館を訪れた魔理沙はパチュリーとレミリアの歓迎を受け、ティータイムを満喫していた。
珍しくレミリアの淹れた濃いめの紅茶を口に含み、ワッフルに手を伸ばしたと同時にメイド妖精が襲い掛かってきたのだ。
そして、訳もわからず撃退するもその数に押され、こうして逃亡しているというわけだ。


「とにかく、さっさと逃げるわよ。都合のいいことに今日は絶好の散歩日和。ちょうど真っ赤なジュースも手元にあるしね」
「ああ、とってもいい曇り空だぜ」
「それ、最近のお気に入り?」
「最近は血液パックも進歩していてね。冷蔵庫に入れておけば新鮮な血がいつでも飲めるというわけ。河童と薬師の技術に乾杯」
「うわ、気持ち悪いぜ」


河童印の血液パックを片手に館を飛ぶレミリア。
器用にもストローで血を吸いながら、メイド妖精を弾幕で叩き落している。
魔理沙は冷蔵庫いっぱいに詰め込まれた血液パックを想像して、あからさまに眉を潜める。


「あら黒白。女に血はつきものでは無くて? それともまだなの?」
「お子様吸血鬼に言われたくはないぜ」
「大丈夫。魔理沙は一週間前にすんだもの」
「ちょっとパチェ、何でそんな事知っているの?」
「とにかく。フランとコアを助けるのが先決ね」


レミリアの質問には答えず、パチュリーは速度を上げる。
そう、わざわざ三人が館の外ではなく中に向かっているのには、そういった理由があった。
レミリアの妹であるフランドールは現在も地下でお昼寝中だ。地下図書館の司書である小悪魔もまだ地下にいるはずだ。
彼女らを置いて行くという選択肢を魔理沙たちは取らなかったのだ。


「んなこと言って、小悪魔の方は口実で本当は魔導書を取りに行くんだろ?」
「……そんな訳、ないじゃない」
「パチェは何よりも本が好きですものね」
「そういうレミィはわざわざフランを迎えに行くじゃない。スカーレットデビルも結構人情派よね」
「あ、それは私も思った。あのバカ強いフランならこのくらい屁でもないぜ? なんだかんだ行っても姉妹だな」
「うるさいわね。移動中にしゃべると舌噛んで死ぬわよ」
「それは俗説」
「……そういえば、あの門番はどうしたんだ?」
「「あ」」


三人は地下への階段で一旦別れた。
パチュリーは地下の大図書館へ向かい。魔理沙とレミリアはフランがいる地下室へ向かった。



◆     ◆     ◆



――地下、大図書館――
「コア。居るなら出てらっしゃい」
「はーい。パチュリー様。何か御用ですか?」
「今すぐ荷造りして。魔導書を詰めて逃げるわよ」
「へ? あの、パチュリー様?」
「急いで。妖精たちが暴れているの。これは異変よ」
「は、はいっ!!」


小悪魔は旅用のカバンを手にパチュリーの後を追う。
本棚からどさどさと魔導書を小悪魔に投げ渡すパチュリー。小悪魔は必死にそれをカバンに詰めていく。


「これはいる。これはいい。これは……」
「あ、あのパチュリー様〜。これじゃあ、着替えが入らなくなりますよ〜」
「そんなもの後でいくらでも手に入るわ。それよりこの子たちの方が大事よ」
「えーと、パチュリー様は本当に本が好きなんですね」
「当ったり前よ! 本無しの生活なんて考えられないわ! 本のためならゴルゴダの丘にだって登ってやるわ!!」


握りこぶしを作り、力強く宣言するパチュリー。瞳の奥が燃えている。
実際、読書中のパチュリーを動かせるものはそうはない。
魔理沙の訪問はその数少ない動機のひとつだった。
さて、広大な図書館を早足で巡ると、あっという間に旅行カバンは本でびっしり埋まってしまった。


「こんなものかしら。まだまだ持って行きたい本はたくさんあるけど、泣く泣く我慢するしかないわね。後は鍵をかけて無事を祈るばかりよ」
「ところで逃げると言ってもいったいどこへ? まさか野宿なんて言いませんよね?」
「んー、とりあえず魔理沙の家にでも転がり込もうかしら」
「魔理沙さんの、家ですか」
「ま、今まで散々本を貸してきたんだし、面倒を見てもらっても罰は当たらないわよね。うん」


パチュリーが本棚に目をやりつつ頬を染めているのを見ながら、小悪魔はスカートのポケットから金属の輪を取り出した。それはちょうど人間の首ほどの大きさで、表に刻まれた魔法文字が怪しげな白色の光を発していた。


「パチュリー様と魔理沙さんって、仲良しですよね」
「そ、そう?」


一歩、近づく。


「そうですよ。『私が外に出ましょ』って言った時パチュリー様はどうしました?」
「……ごめん」
「まだ、頭がヒリヒリしてます」
「まあ、そうね。ほらあれよ、魔理沙は私の数少ない友達だし、今日は咲夜も出てたし」
「そんなの関係ないですよ。パチュリー様は魔理沙さんといるととても楽しそうですもの」
「そうかしら?」
「そうですよ。だからとても……」
「え? コアなんて?」


パチュリーが振り返った瞬間、小悪魔がその首に手を伸ばした。
小悪魔の手にあった金属の輪はパチュリーの首に触れた瞬間、形を変えその首に巻きついた。


「な!?」
「さようならパチュリー様。そして、こんにちは“私の”パチュリー様」


首輪に刻まれた魔法文字が輝き、パチュリーの瞳から光が消える。
糸の切れた人形のように本棚にもたれかかるパチュリー。
そのほほを小悪魔は愛おしくなでる。


「良かったの? さっきまで迷っていたみたいだけど?」
「いいんです。パチュリー様の心はもう図書館にはなかったんです」


図書館の扉には妖精を連れた咲夜の姿があった。腕を組み、虚ろな目のパチュリーを眺めている。


「これでパチュリー様はお終いね」
「そうですね。次に目を覚ますときはもうあのパチュリー様ではありません」
「ふふっ、そうね。“反転地”を待つまでもなかったわ。身内に甘いからこういう目に会うのよ。それはお嬢様も同じだけれど」
「レミリア様たちは?」
「地下よ。妹様をお迎えに。じゃ、私たちはお嬢様を追うわね」


そういって咲夜は姿を消した。時を止めて移動したのだろう。慌てて妖精も地下へと向かう。
小悪魔は倒れたパチュリーを抱き起こした。その目を情欲に燃えさせ、パチュリーのくちびるに己のくちびるを重ねた。




――紅魔館、地下室――
厚みのある鋼の扉を押し開け、レミリアと魔理沙は地下室へと入った。そして、そこで寝ていたフランを起こし、地上へと向かう。
だが、レミリアの顔は大豆でもぶつけられたかのように忌々しげに歪んでいる。


「納得いかないわ」
「そんなこと言われてもな」
「えへへへ。お姉さまと魔理沙のおてて〜」


フランは右手にレミリアを、左手に魔理沙の両手に花だ。いきなり暴れたり、駄々をこねられるよりははるかにましな状況なのだが、紅魔館の主としてのプライドは捨てられない。
しかし、議論や折衷案を出す時間も無く、仲良く手をつなぐ三人の前に妖精の群れが現れた。


「ちっ、もう来たか」
「おいおい、パチュリーたちは大丈夫かよ」
「ねえねえ、お姉さま、魔理沙。あれは壊していいの?」
 一呼吸分の間の後、レミリアと魔理沙は同時に笑みを作った。
「いいぜ」「いいわ」
「やったーっ!! いっくよーっ!!」


つないでいた両手を離し、フランはきりもみ回転を加えながら二人の前に飛び出した。
色とりどりの羽をはためかせ、その無慈悲な能力を発動させる。


「きゅっとして―――、ドッカーーーーン!!!」


拳を握った瞬間、無数の妖精たちが“内側から”爆ぜた。轟音が響き、地下の廊下を揺るがす。
その威力に火力第一の魔理沙も思わず口笛を鳴らす。


「ひゅぅ〜! 相変わらずスゲーな」
「あははは! もういっちょ! 禁忌『レーヴァテイン』!!」


高笑いをするフランの手に炎の槍が生み出される。それが一薙ぎすれば、地下の壁が砕け天井が崩れ始める。メイド妖精たちは跡形もなく消し炭となった。
だが、ぱらぱらと落ちてくるのは妖精の残滓だけではない。
壁にヒビが入り、地下の廊下が揺れ始める。


「うわっ! やり過ぎだぜ!」
「ちょっとフラン!」
「あり?」


パラパラと破片が落ちる廊下を三人は全力飛ぶ。図書館を通り過ぎ、地上への出口へと向かう。
だが、そのシャンデリアの光に人影が現れる。両手を高く構え、右足を上げている。
龍の文字の帽子に緑のチャイナ服。スリットから生足を見せるのは紅魔館の門番、紅美鈴であった。
美鈴はほあちゃーと甲高い奇声を上げ、三人を威嚇しているようだ。
その様子をレミリアはじと目で見つめた。


「……美鈴、なんのつもりかしら? 太極拳なら門の外でやってちょうだい」
「無礼千万百も承知! されど、我にも野望あり! 下克上目指し、紅美鈴推して参る!! お嬢様、後覚悟を!」
「おいおいなんかやる気満々だぜ、あの門番。こりゃ、ストライキ説もあながち間違っちゃいなかったかもな」
「……認めないわ」
「ねえねえ、めーりんは壊しちゃだめ?」
「壊しちゃだめだけど適度になら遊んで良いわよ、フラン」
「やたーーー!!」


レミリアの許可を受け、フランは美鈴に突撃した。本来ならば吸血鬼たるフランの攻撃を美鈴が受けきれるはずもないのだが……


《反転地。壱刻。坤》
「えっ?」


どこからか〈声〉が聞こえた。
次にレミリアが見たものはフランの拳を受け止める美鈴の姿だった。
フランの右手を左手で押さえ込んだ美鈴は、上げていた右足をフランのアバラへと叩き込んだ。
美鈴の一撃を受け、吹き飛ぶフラン。それを受け止めたレミリアはフラン共々地下の壁に叩きつけられた。


「覇威!! ふぅ〜、今宵の拳は血に餓えておる! 三食おやつに昼寝付きのために今一度の御無礼をお許しください!」
「いたた……。どうなってるのよ。美鈴がフランの攻撃を止めるなんて。美鈴のくせに生意気だわ」
「ダメな主人に逆らいたい気持ちはわかるが私は無関係だぜ! そういうわけで強行突破! 『イリュージョンレーザー』!」
「なんの! 墳!!」


魔理沙の周囲から七色のレーザーが放たれる。だが、それらは美鈴から放たれた気の前に弾かれてしまう。


「あれ?」
「なにやってんのよ、黒白。美鈴くらい一人でなんとかしなさいよ」
「お嬢様、それは門番に対してあんまりなお言葉……」
「おかしいな。なんか魔法の威力が落ちてるぜ。そのくせ中国はパワーアップしてるっぽいし」


美鈴に負けるという屈辱に魔理沙は忌々しげに呟く。だが、同時に全身から魔力を抜かれるような感覚を身に感じたのも確かだ。
その言葉にレミリアも自らの拳を握る。


「……どういうこと?」
「さあ、ただ向こうは強くなってこっちは弱くなったってことだ」
「ちっ、これも異変の内だっての?」
「もはやお嬢様方に勝機はありません! 投降した方が身の為ですよ!」
「そう言われて『はい降参します』じゃ吸血鬼の名が泣くのよ。従者に舐められて黙っていられるほど寛容じゃないわ」
「そう言うと思っていましたよ。お嬢様」


突如、魔理沙の目の前に咲夜が現れる。間一髪で銀のナイフをかわしたものの、その攻撃は明らかな殺意が込められていた。
さらに投げつけられたナイフを魔理沙はレーザーでなんとか弾き落とした。


「なっ! 咲夜!? どう言うつもり? 事と次第によってはあなたといえどただでは済ませないわよ! それに今の攻撃、本気で殺そうとしたわね!」
「ええもちろん。霧雨魔理沙はこの幻想郷には不必要ですから」
「おいおい、いきなり攻撃してきて、産業廃棄物扱いされちゃあ黙ってられねえぜ!」
「ならばどうぞ。いかようにでも」
「後悔すんなよ! 恋符『マスタースパーク』!!」


魔理沙の持つミニ八卦炉から巨大なレーザーが放たれた。
地下への扉を破壊し、紅魔館の天井に巨大な穴を空ける。
その穴めがけ、魔理沙たちは土煙の中を飛ぶ。
だが、

「っっっ!!」
「お命頂戴!!」


その土煙を割り、美鈴の手刀が飛び出した。
その先には魔理沙の胸がある。
迫る凶刃。
それは衣服を破り、その白い肌を引き裂き、肉をえぐった。
手刀はその小さな身体を突き抜け、鮮血の雫に彩られる。


「なっ!?」
「フランッ!!」
「――――っ、妹様ッ!!」


美鈴が捉えたのはフランの胸であった。
その赤い服を切り裂き、血が吹き出る。
魔理沙、レミリアのみならず咲夜も驚きの声を上げる。


「フ、フラン様……?」


美鈴の血染めの腕が震える。
その腕をフランは掴んだ。紅い爪を肉に食い込ませ、万力のような力で締め上げる。
紅き吸血鬼の瞳を光らせ、血の流れ出る口から呪詛の呪文を吐く。


「禁忌『フォーオブアカインド』!!」
「!!?」


美鈴の周りに分身した三人のフランが現れる。紅き爪の数は八つに増えた。
腕を引き抜き逃げようとする美鈴だが、か細い腕に掴まれびくともしない。


「がぁあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「ひっ!!」


六つの亡者の爪を持って、美鈴の身体は引き裂かれた。
嵐にでも巻き込まれたかのような姿で、力なく紅魔館の紅い絨毯へと落ちて行く。


「……お姉さま、魔理沙。先に行ってて」
「フラン!?」
「おい、フランどうするつもりだよ!?」


胸に開いた穴を押さえながら、四人のフランは咲夜たちの前に立ちはだかった。
血のあふれ出す胸を押さえながら、空より魔槍を取り出す。


「禁忌『レーヴァテイン』……」
「フラン! 止めなさい!」
「お姉さま! 魔理沙! 早く行って! ここはあたしだけで十分だから!!」
「フラン! 馬鹿なこと言うんじゃないわよ!」


フランの元へと駆け寄ろうとするレミリアを魔理沙が止めた。そして、レミリアを掴んだまま窓の方へと箒を走らせる。


「おらおらどけどけー!! マスタースパーク!!」
「こら魔理沙! 離しなさい! 戻りなさいよ!」


メイド妖精をマスタースパークで散らし、窓を破壊して魔理沙とレミリアは曇りの空へと飛んでいった。
それを見送ったフランはレーヴァテインを握り、咲夜と無数のメイド妖精へ向き直る。


「ああ、妹様……。あの狂気に満ちていた妹様が、そんなにも人を想えるようになったのですね。塵芥の価値すらなかった人間に、憎悪と侮蔑の対象であったお嬢様にその身を捧げるほどになったのですね……」


咲夜は両目から涙を流しながら、熱に浮かされたように呟く。
それはもはやフランに対する言葉ではなく、自らの心情を吐露する独り言でしかなかった。


「咲夜……。理由は聞かない。あんたはここで殺す。血の一滴も飲んでやらない!」
「よしなに。その想い、私が塗りつぶして差し上げますわ!!」


フランは咲夜へと駆け出した。目の前には咲夜が放った無数のナイフ。
そして、それとほぼ同時に幻想郷に〈声〉が響いた。
《反転地。弐刻。艮》



◆    ◆    ◆



――魔法の森――
レミリアの強烈な拳を受け、木の幹に亀裂が入る。自重を支えきれなくなった木はメキメキと倒れていった。


「……どういうつもり?」
「どうもこうもねえ。私はフランの想いに応えただけだぜ」
「敵に背中を見せて逃げ出すことが? 冗談じゃないわ!」
「冗談じゃねえのは今の状況だ。明らかにこれはおかしい。前に笑い茸を食べた時以上だぜ」


魔法の森を魔理沙とレミリアは進む。空を飛ばないのは森の上空にいた妖怪たちを警戒したためだ。普段の二人なら難なく追い払える相手なのだが、紅魔館の一件を見るに警戒するに越したことは無い。


「……やっぱり、私戻るわ」
「おいっ! 止めろよ! フランの行動を無駄にする気か!?」
「止めないでよ! 人間!! 妹が戦ってるのに黙って見過ごせる姉がいる!?」
「お前もわかってるんだろ!? 今のままじゃ犬死だって!」
「……ッ!!」
「さっきの変な声で、さらに私たちの力が失われた。もうあれこれ考えてる時間もねえんだ! フランはそれがわかっていたからこそ、私たちを逃がしたんだろ! この異変を解決するために!!」
「…………………」


レミリアは血が出るほど拳を握った。だが、その握る力さえ以前とは比べ物にならないほど弱っていた。


「ともかく、今は情報が足りねえ。こんな異変に詳しそうな奴を片っ端から当たるしかねえだろ」
「で、あの人形師のところへ?」
「ま、アリスは何かと役に立つしな。私の家にも近いし、寄っといて損はないだろ」
「……わかったわよ。ここは大人しくあなたについて行くとするわ。でも、私に指図はしないでよね」
「本当、ワガママだな」
「気高いと表現しなさい」


言い争いをしつつも二人はアリスの家へと向かった。




――その頃、紅魔館――
「ぎぃあああああああああああああああああああああっ!!」


すでに妙な方向に曲がっていた美鈴の足を咲夜は容赦なく踏みしめる。
皮の靴と白いソックスが飛び散った血で汚れるが、そんなことは咲夜の瞳には映らない。


「このクソ女が! もう少しで妹様が死んでしまうところだったわ!! 愚図!! 木偶の坊!! 春巻娘!! ああ、妹様……。こんなに血を流して……」
「やっ、があ! あ、あれは……フラ、ン様…が………っ!!」
「黙りなさい。むしろ死になさい。死んで償いなさい」


ブチブチと肉が裂け、もともと紅い絨毯をさらに紅く染めて行く。
ついに骨が砕けたのか、バネ仕掛けのように足が跳ね上がり、咲夜のエプロンに肉片をへばりつけた。


「妹様は捕まったみたいね」


美鈴の首に狙いを定め、足を振り下ろそうとしていた咲夜の元に小悪魔が現れた。その横には小悪魔の腕に愛おしそうにすがり付くパチュリーの姿があった。その左腕は自らの股間へと伸ばされ、卑猥な音が鳴り響いている。


「ああ、小悪……いえこれからはコアさんと呼びましょうか。はい、なんとか。使えない門番のせいで傷を負ってしまいましたけど」
「そう。じゃあこれ」


小悪魔は咲夜に二つの皮の首輪を渡す。その首輪には〈れみりあ〉〈ふらん〉と名前が掘り込まれていた。


「それをつければ吸血鬼としての能力は封じられる。〈反転地〉を重ねればほぼ人間の女の子レベルまで力を落とせる。でも、いいの? 催眠の方は」
「いいんです。お嬢様も妹様も私の手で教育し直してみせますから」
「そう。じゃあ、これからパチュリー様のお世話があるから」
「ねえ、コア……。私変なの……。コアを見てると、心が熱くなってきて、変なことばかり考えちゃうの……」
「それはいけませんね。では、寝室の方で休みましょうか。二人だけで、ゆっくりと……」
「……うん………コアと一緒に寝る……」


まるで初恋を経験した女学生のように頬を染めながらパチュリーは小悪魔と共に去っていった。
咲夜は張り付いたような笑みを浮かべながらフラン元へと寄って行く。
フランの姿は見るに耐えない悲惨なものだった。胸に大きな穴を空け、左目には銀のナイフが刺さっている。身体の至る所が弾幕によって傷つけられ、右手に至っては骨を剥き出しにしている。
辛うじて息をしているが、吸血鬼でなければ三回死んでおつりが来ただろう。
そのほほには一滴の水滴の跡がある。
ナイフに傷つけられた首に皮の首輪をかけながら、咲夜は笑みを浮かべた。


「とってもお似合いですよ、妹様。さあ、服もぬぎ脱ぎしましょうね。こんなものを着ていたら妹様が自分は人間だ吸血鬼だなどど勘違いしてしまいますからね。くふふふ」
「た、たしゅけて……、さ、ささささ…あ……さん……」


面倒くさそうに咲夜は美鈴の方を一瞥。
メイド妖精たちにアゴで指示を出し、咲夜もまたフランを抱えて歩き出してしまう。
メイド妖精たちは手に手に武器を持ち、その破壊衝動を満たすべく美鈴の方へと近づいて行く。


「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


美鈴が青く腫れた腕を届きもしない咲夜の方へと伸ばし、口からゲロを吐いている時、どこからともなく〈声〉が響いた。
《反転地。参刻。坎》




――魔法の森、マーガトロイド邸――
「んー、鍵もかかっているし、やっぱり留守みたいね」
「そういえば、永遠亭に薬を貰いに行くとか言ってたな」
「そういうことは早く思い出す! 発案者!」
「面目ねえ……」


魔理沙はポケットから鍵を取り出し、扉に差し込んだ。
ごく自然に回った鍵は役目を終え、再び魔理沙のポケットへ帰って行く。


「ちょっと……」
「言いっこなしだぜ。お前は何も見なかった。鍵は開いていた。それでいいじゃねえか」
「まあ、人の情事に口を出すつもりはないけど……」
「たまにアポなしで飛び込むと人の一人で寂しさを紛らわせてたりしてな。驚いた顔がまたカワイイ〜んだ」
「あんたは黙ってて欲しいのか喋って欲しいのかどっちかにしなさいよ」
「ふ、乙女心は複雑なんだぜ。弾幕と一緒さ」


堂々と鍵を開け、魔理沙たちはアリスの家へと入っていった。
アリスの家は全体的にカラフルな彩りで小奇麗に整理整頓が行き届いている。
人形でも持ち運びができるようにしているためか、全体的に小さい置物や小物が目立つ。


「とにかく、腹ごしらえだぜ。確かパンがここに……。私は和食派なんだけどな。味噌汁覚えてくんねえかな〜」
「ちょっとなんで物の配置を知ってんのよ」
「言いっこなしだぜ」
「……わかった。もう何も言わないわ」


軽い頭痛を覚え、レミリアは額に手を当てた。
そうこうしているうちにテーブルの上にはバスケットに入ったパン、ジャム、バター、ミルク、あり合わせて作ったサラダとハムエッグが並べられた。


「さ、熱いうちに食べようぜ」
「キッチンエプロン姿のあんたって、なんか新鮮だわ……」
「惚れるなよ」
「惚れないわよ」


パンを口に入れ、ミルクをすする音だけが耳に届く。虫も鳥も歌声を忘れてしまったようだ。
空気を重力が持ち、ぐるぐると頭の上を巡る。


「あのさ……」
「なによ?」
「あんまり気にすんなよ」
「だからなにがよ?」
「いやほら、紅魔館じゃ色々あったしさ。なんかショック受けてるかと思って……」


レミリアは血液パックを取り出し、ストローをぶすりと突き刺す。
何も無い真っ白の壁を睨みつけながら、ビニールのパックを握る。


「フランのことも“気にするな”ですませるつもり?」
「っ……………」


レミリアの氷のような瞳に睨まれ、魔理沙は言葉を紡げなくなった。
“何とかしなければ”という思いばかりが募り、そして


ガシャンッ!!


「んなっ!?」
「紫!?」


突如、空中に裂け目が生まれ、その中から紫色の服を着た女性が落ちてきた。テーブルをなぎ倒し、食器の雨が降った。
〈すきま妖怪〉八雲紫。幻想郷随一の実力者にして賢者。
だが、今その身には無数の傷が刻まれ、服の切れ目から白い肌が露出している。


「ちょっとっ! 紫! 大丈夫!?」
「紫! 紫! 起きろ、この紫ババア!!」
「……誰がババアよ」


紫は軽く首を振って、起き上がった。
常にあった飄々とした雰囲気も今は見えない。
漏れ出る言葉も力なく空中に霧散してしまう。


「……しくじったわ。まさか自分の式にまで手を噛まれるとはね。滑稽過ぎて涙も出ないわ」
「式? じゃあ、橙や藍に?」
「……ちょっと休ませて。今は少しでも体力を回復しないと……」


そう言い、紫は身体を横たえる。
目を瞑った紫は血の通わない蝋人形のようだ。
血の気の引いたくちびるが震えるように動く。


「博麗神社よ……」
「え……?」
「博麗神社に行きなさい。そこに、異変の元凶が……」
「博麗神社って……。紫! どういうことよ!?」
「急いで、八卦が揃う前に……。私もすぐに……」


床を打つ音。
小さな吐息を残し、スキマは深い眠りについた。


「寝ちまった……」
「博麗神社……八卦……一体どういう………」


アゴに手をあて思考の海に身を沈めるレミリア。
がりがりと爪を噛む音が響き、食器を踏み砕く。


《反転地。肆刻。巽》
「!!?」


再び声が響く。魔理沙とレミリアからさらに力が失われていく。特にレミリアの消耗は激しく崩れ落ちるように膝をついてしまった。


「おい大丈夫かよ!」
「……これくらい平気よ。それよりも自分の心配をなさい」
「ん、私の方はレミリアほどひどくは、無いと思うぜ」
「なによそれ……」


レミリアは壁に手をつき、起き上がる。苛立つ頭を必死に冷やし、今まで出てきたピースを集めて行く。
〈力が失われていく異変〉
〈それに反して強くなる妖精や門番〉
〈幻想郷中に響く謎の声〉
〈消耗に差がある自分と魔理沙〉
〈博麗神社〉
〈八卦〉


「っ! ヤバイ!!」
「おいっ!? どうした!?」


弾かれたようにレミリアは立ち上がり、扉へと向かおうとする。
だが、よろける身体が思考についてこない。


「無理だぜ! 今は少しでも休んで身体を回復しないと」
「この異変の正体がわかったのよ! 早くしないと手遅れになるわ!」
「なに!?」
「いい、魔理沙? この異変は……」


その瞬間、感情の感じられない声が天空より降り注いだ。


「大奇跡『八神の神風』」


爆音が響き渡り、魔法の森を穿つ。
竜巻のごとき猛風が木々を吹き飛ばし、アリスの家を玩具のように空へと舞わせる。
その風の中心には緑の髪を揺らす一人の巫女の姿があった。
〈守矢の新人神〉東風谷早苗。最近、幻想郷にやってきた守矢神社の風祝である。奇跡を起こす力を持ち、外の世界では現人神として崇められていた。


「早苗! あいつもか!」
「所詮は下賎な人間だったってことよ」


なんとか早苗の奇跡をしのいだ二人は魔法の森の木々の隙間へと逃げ込んでいた。
紫を背後の草むらに放り込み、草木に倒れこむ。
草木と同じ高さに身を落とすなどレミリアには耐え難い屈辱であった。だが、今早苗に見つかるわけには行かない。
妹を想いレミリアは歯噛みしてその屈辱に耐えた。
早苗は木々が吹き飛び出来た森の荒地に足をつき、周囲を見回した。


「霧雨魔理沙、レミリア・スカーレット。近くにいるのはわかっています。今すぐ出てきなさい。潔く従えば命だけは助けてあげましょう」
「けっ、霊夢もどきが神きどりかよ」
「“様”をつけなさい、ナメクジ女」


二人が出て来ないと見ると、早苗は背後に振り返り、手を大きく振った。
すると森の中から数人の人影が現れる。
そのうち二人は十字に組まれた木に縛り付けられている。


「あれは……」
「アリス! 萃香!」


張り付けにされていたのは〈七色の人形使い〉アリス・マーガトロイドと〈幻想郷の鬼〉伊吹萃香であった。
すでに妖怪たちと戦ったのであろうその身はかなり傷ついていた。特に萃香は全身を赤で染め血達磨と化している。
彼女らを運んで来た者たちにも見覚えがあった。〈白狼天狗〉犬走椛、〈河童〉河城にとり、〈月兎〉レイセン、〈素兎〉因幡てゐ。みな幻想郷の仲間たちである。
だが、今の彼女らは手に凶悪な武器を持つ拷問師であった。


「今からこの二人を嬲り殺していきます。あなたたちが出てくればその時点で処刑は止めましょう。ですが、決断は早くしたほうがいいですよ。私たちはこういったことに不慣れなものでつい勢いであっさり殺してしまうかもしれませんから」


その言葉に魔理沙の血の気が引いて行く。
〈まさか本気にそんなことはしないはず〉。
そんな願望じみた思いが魔理沙の中で交錯する。
だが、早苗は二人に動きがないと見ると、出刃包丁で萃香の胸を切り裂いた。


「ぐっ!」
「まずはあなたからにしましょう。どうせその傷ではそう長くは持たないでしょう? さあ、助かりたかったら二人の名を呼びなさい。あらん限りの感情を込めて、同情を引くように……」


破れた服から血の線が走り、小さな胸がのぞく。その傷は決して浅くはなく、すぐにでも縫合する必要があるくらいだ。
だが、それでも萃香は気丈な笑みを浮かべ、血の混じったツバを早苗に吐きかけた。


「……鬼は嘘をつかないのさ。私はあの二人を助けたい。その思いに反することはできないね」
「……なら、嘘を真実にしてあげましょう」


早苗がレイセンとてゐに指示を出す。それに頷いたレイセンは工具箱からペンチを取り出す。
ボロボロで錆の浮いたペンチを見せ付けるようにかざし、レイセンはそれを萃香の指へと持って行く。
萃香の小枝のような親指にペンチが伸ばされ、


ブチン。
絶叫が響いた。


足元に落ちた指をてゐが拾い、保冷剤を入れた箱へと入れる。てゐはそれを大きく上げ、魔理沙とレミリアに見せ付ける。


「思いは真実になりましたか? 今ならくっつきますよ?」
「………くどい!」


荒い息をつきながらも萃香は奥歯をかみ締め、痛みに耐える。
隣でその様子を見ていたアリスはがちがちと歯を鳴らし、自分の指を見やる。
まだ触れられてもいないというのに、まるで自分の指が切り落とされたかのような錯覚を受ける。
そして、それは薄皮一枚向こうに確固たる現実として存在していることをアリスは感じていた。
その思いを見透かしたように早苗はアリスに微笑みかけてやった。


「ぐっ……」


萃香の絶叫を聞き、魔理沙は先ほど食べたパンを戻しそうになった。ぎりぎりと地面を掻き毟り、暴れる嘔吐感を無理矢理押し込める。
だが、魔理沙が草根を掘り返している間にも断続的にペンチの鈍い音と、押し殺した悲鳴が耳を打つ。


「ウサウサ〜」


右手と左手、計4本の指を落としたところで、ペンチは一旦工具箱に戻された。
鼻歌を歌いながらてゐは自分の指を舐める。たっぷりと唾液を絡ませた二本の指を萃香の右目に突き刺した。


「ぐぅぅうううううううううっ!!」


ぐちょぐちょと眼孔をかき回され、まぶたがひっくり返される。
てゐが指を抜いた時、萃香は滝のような血の涙を流していた。白い糸のようなものが流れ出る。
それでも萃香は二人の名を呼ぼうとはしなかった。


「は〜い、これから萃香ちゃんの処女を奪っちゃいま〜す」


レイセンの明るい声が森に響く。
萃香のスカートは切り裂かれ、毛も生えていない恥部が晒される。そこにピタピタと手術用のメスが当てられる。
冷たいメスの感覚とこれから起こるであろうおぞましい行為の想像が萃香の背筋に気持ちの悪い汗を流させる。


「どうしますか、お二人さ〜ん? 萃香ちゃんが一生子どもの産めない身体になってしまいますよ〜。ん〜? もしかして処女ですか? 可哀想に、初めての相手がこんな冷血漢とは……」


レイセンの言葉に魔理沙は思わず顔を上げた。
自分の数十メートル先には女性の一番恥ずかしい部分をさらけ出し、さらにそれを壊されようとしている小さな鬼の姿がある。
両手の部位は切り落とされ、顔の右半分は血で染まっていた。
それでも萃香は二人の名を叫ばない。
眉をつり上げ、歯を食いしばり、どこか遠くに目線を合わせている。


「――――くっ!!」


魔理沙が立ち上がろうとした瞬間、その肩をレミリアが掴んだ。


「やめなさい」
「ふざけるな! あのままじゃ萃香が死んじまう! そんなもの見過ごせるか!」
「……フランは捨てられてあの二人はダメなわけ?」
「っ!!」
「今更そういう態度はムカつくわね。霧雨魔理沙」


森の中、魔理沙とレミリアが対峙した。
それとほぼ同時に〈声〉が響いた。
《反転地。伍刻。震》



◆     ◆     ◆



――魔法の森、処刑現場――
「3・2・1! スボスボ〜〜」
「ぐっぅっ!―――うがああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」


萃香の幼いワレメにナイフが生えた。
レイセンが激しく出し入れするたびに膣内を切り刻み、子宮にまでその凶刃は届いた。
銀色の光に朱が混じる。さらにそこに黄色が追加された。


「次はどうしましょう? お尻の穴も寂しいですか? それともギブアップします?」
「ふぅーっ!! ぐぅーっ!!」
「そうですね。そろそろ死に化粧もしたいでしょう? とってもかわいくしてあげますね」


萃香の腹がメスで浅く切りつけられる。
ボールペンで引いたかのような線が萃香の腹に刻まれる。
そして、てゐとレイセンが皮と肉の間に指を突っ込み、それをおもいっきりめくり上げた。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」


胸元まで引っ張り上げられた肉のシャツ。それは一皮向けば人も妖怪も大差ないとアリスに嫌と言うほど教えてくれた。
赤と青の血脈。無数に走る筋肉の筋。
気が狂いそうな凶行を見ながらアリスは小水を漏らした。
ガタガタと震える身体。口からは謝罪の言葉が延々と紡がれている。靴は萃香の血でシミを作り始めていた。
そんなアリスに早苗は優しく笑み、ほほをなでる。


「あなたもかわいそうな人ですよね。自分の一番大切にしていた物に裏切られ、自分が一番大切にしたいと思っている人に裏切られようとしているんですものね」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「どうせ魔理沙さんは来ませんよ。あなたなんかどうでもいいんです。そんなものですよ、友達なんて。だって、いくらでも替えが利くんですもの。壊れたら新しいのを探せばいいんです」
「許して……、なんでもしますから……なんでも、しますからぁ……」
「なんでも?」


アリスは首の骨が折れそうなほど頷く。
その目は何も見ておらず、両目からは止め処なく涙が溢れている。


「では、幻想郷中の男に犯されろって言ったら?」
「お、犯されます。私、犯されたいです!」
「里の真ん中でうんこ食えと言ったら?」
「食べます! うんこおいしいです!」
「私の奴隷になって、一生玩具になれと言ったら?」
「なります! お願いします! 奴隷にさせてください!」
「……そうですか」
「はいっ、早苗様の命令なら何でも聞きますぅ! 汚物だって食べるし、慰みものにもなります! す、好きなだけ殴ってください! おね、お願いします! はっ……はっはっ……」

顔に笑みが浮かぶ。鼻水と涙、そして恐怖に彩られながら作られたその笑みは滑稽を通り越して哀れを誘う。恐らく、思いっきり殴りつけたところでその笑みは消えないだろう。
むしろ、わずかばかりの生存の機会を得たと、さらに笑みを深くするかもしれない。
それは掛け値なしの生きる努力をする女の顔だった。
それがどんなに醜かろうと、そこには確固たる生きる意志が宿っている。それを笑ってはいけない。
だが、早苗は下を出し、犬のように振まう人形師に侮蔑の眼差しを向けた。


「予想以上のクソ女ですね」
「はへ?」


その言葉にアリスの顔が引きつる。
だが、瞬時に早苗は眉を下げ、人々に救いを差し伸べる如来のような笑みでアリスに微笑みかけた。
だが、その瞳にアリスは映っていない。
それでもその手にすがりつくしかなかった。
地獄の道はいつも善意に溢れている。それを知っていてもとてもその手を払うことなどできようはずがない。


「どうすればいいか、わかりますね?」


痙攣している横隔膜を落ち着かせ、鼻水をすする。
精一杯息を吸い込んで、アリスは友人の名を叫


「ダメだ!!」
「――――っ!!」


――べなかった。
自分の隣。もはや、生きているのか死んでいるのかすらわからなかった萃香があらん限りの叫びを上げたのだ。
その叫びにすら血が混じる。
だが、一つのなった瞳はしっかりとアリスを見つめていた。
氷の指で心臓を掴まれたようだった。
早苗は強かに萃香を殴った。
払い棒に萃香の歯が刺さり、鬼の血がこびり付いた。


「ぁ――ぐぅ――……っ」


喉元まで出掛かっていた名前がどうしても出てこない。
ぱくぱくと口を開閉させ、浜に上がった魚のようにびくびくと身体が痙攣する。
呼吸ができず顔がじょじょに紅潮していく。両目から涙が溢れても、どうしてもたった三文字が出てこない。
自分に驚くという感覚。
それはアリスの中にあった最後の意地なのかもしれない。


「……その上、使えもしない」


早苗の顔から今度こそ笑みが消える。
もうはやアリスからいささかの興味も失ったのか、横に立っていた椛に目で指示し、自分は払い棒の歯を引き抜く作業に移る。
椛の刀が抜かれた。それはとても安っぽい作りで豪奢な装飾や作り手の銘などは一切刻まれていなかった。
だが、長年使い込んできたのであろう。柄に巻かれた布は擦り切れ黒く変色し、刃には滑らかな輝きがあった。


「ひっ……、あああ……」
「もう待っても無駄のようですし、いらないですね」


椛は無言でアリスの横に立つ。
その顔には同情も殺意も読み取れない。あらゆる感情をろ過した純粋なる“無関心”。公私を分けた仕手の表情だった。
ぬらりと刃が構えられる。
狙うはアリスの首。刎ねるは天狗の刀。
雲間に濁った夕日。刀はそれを映していた。
そして、その刃がアリスの首めがけ、走った。


「―――っ!!」





























「マスタァァァァーーーーーーースパァァァァーーーーークッッ!!!!」



巨大な閃光が早苗たちに迫った。
萃香とアリスを直撃しないギリギリの角度。そこにありったけの力が込めた閃光が走る。
七色の光は地面を削りながら幻想郷の拷問師たちに迫る。


「ちっ!」


早苗たちは手に持った凶器を捨て、空へと逃れる。
だが、そこも安置ではない。
日が落ち、闇が広がった今、世界は夜の住人のフィールドだ。


「ハートブレイク!!」


夜闇の空に赤き翼が広がる。
有象無象の軍勢を串刺しにせんと無数の槍が空より放たれる。
その凶槍を彼女らは秘技を持って受け止めた。
だが、顔からはさきほどまでの玩具で遊ぶ童女のような笑みは消えていた。


「児戯はすんだかしら? なら今度は私と遊んでもらえないかしら? 楽しい楽しい人形劇をね」
「レミリア・スカーレット、霧雨魔理沙。もう来ないのかと思いましたよ。でも、あなたたちと遊ぶつもりはないわ」
「夜のお遊びはお気に目なさい? 案外お子様なのね。それとも巫女だから? 神様のもとに嫁いじゃったのかしら?」
「戯言はもういいんですよ。何かも面倒くさいです。さっさと死んでください」
「あら? 出てきたら命は助けてくれるんじゃなかったの」
「処刑は止めるといいました。あなた方の命まで保障した覚えはありません」
「世界は虚ろうばかりね」


空に羽を広げたレミリアと森の端から八卦炉を構える魔理沙。その二人の姿を認め、早苗たちも武器を構える。
ちらりとレミリアは萃香の方を見た。
皮を剥がされ、その姿は赤い衣を着ているようだ。
伏せられた顔からは生死の判別はつかない。
レミリアの口から歯噛みする音が聞こえる。
押し寄せてくる黒い感情を押し殺し、レミリアは合えてその正反対の態度を取る。


「さあ、遊びましょう。観客は雲間の星々。演奏は凍える悲鳴。俳優は海千山千のキワモノたち。レミリア・スカーレットの殺戮舞台へ」


(頼んだわよ、魔理沙)
心の中で呟き、迫り来る敵を迎え撃った。




◆     ◆     ◆
森の中を紫と魔理沙が疾走する。
向かう先は博麗神社。
その足取りに迷いは無い。


「レミリアのヤツ大丈夫かな?」
「あの子が大丈夫になるかどうかは私たち次第よ」
「だな!」


魔理沙は赤いリボンが結ばれた右手を強く握った。




――数分前、魔法の森――
睨み合う魔理沙とレミリア。
八卦炉とバンパイアの爪が交差しかけたその瞬間、二人の前に蝶柄の扇子が差し出された。
不意をうたれた二人はびくりと身体を硬直させた。


「まったく、眠れやしないわ」
「紫!」
「起きてたの!?」
「起こされたのよ。あなたたちのこどもゲンカでね」


紫は不機嫌この上ないという声色で、バンと扇子を畳む。
紫は即席の広場で繰り広げられている血みどろショーを見て、鼻で笑ったかのような声を上げた。


「いい趣味してるじゃないの。ウサギはともかくあの緑、天然の狂人かしら?」


憤るわけでもなく眉を潜めるわけでもなく笑うように紫はいった。
その口調に魔理沙は少し前の事件を思い出した。天人が博麗神社を破壊した事件だ。


「紫、私は……」
「〈止めても行くぜ〉ってんでしょう?」
「聞いてたのか?」
「寝ててもそれくらいできるわよ。あんたたちはできないの?」
「少なくとも私はできないぜ」


その様子を見ながらレミリアは吐き捨てるように言う。


「行きたければ一人で行けばいいわ。私は博麗神社へ向かうわよ」


コウモリの翼を広げ、萃香とアリスに背を向けたレミリア。両足に力を込め、いざと飛び立たんとする時、背中に魔理沙の言葉が突き刺さった。


「へそ曲げてんじゃねえぞ! 吸血鬼!」
「なにっ!」


レミリアの瞳が赤く染まる。その眼孔を細く光らせ、魔理沙を鋭く睨みつける。
ヘビに睨まれたカエルは身動きを取れなくなるというが、レミリアのそれは人を喰らうためのものだ。
だが、そんなレミリアの威嚇を受けながらも、魔理沙は一歩も引かない。逆にその足を踏み出しレミリアへと迫る。


「お前が行き急ぐ気持ちもわかる。この事件さっさと解決しねえとどんどん被害が広がるんだろう。でもな、目の前で仲間が殺されかかってて見過ごせられるのかよ!」
「浅はかね。私たちが捕まればそれこそお終いよ。やるべきことはこの胸糞悪い異変の首謀者を見つけ出して企みごと叩き潰すことでしょう!」
「ああ、そうだ! それが正論だ! だけどなそれは悪魔の理屈だぜ!」
「私は吸血鬼よ!」
「目の前の人を助けたいって気持ちに嘘も偽りもあるかよ!!」
「―――――っ!!」


レミリアの爪が魔理沙に振り下ろされた。
魔理沙は避けなかった。紫は何も言わずただその様子を見ていた。


魔理沙のほほに一筋の傷がつけられる。その筋から血が溢れ、首を伝い、地面に落ちても、魔理沙はレミリアを見つめ続けていた。
レミリアは魔理沙に肩をぶつけるようにもたれかかった。


「本当でしょうね?」
「神に誓うぜ」
「神なんか信じてないわ。出会った神はどいつもこいつも胡散臭かったもの」
「じゃあ、お前に誓うぜ」
「……上々」


レミリアは魔理沙のほほに流れた血を舐め取った。



計画はこうだ。レミリアが魔理沙に似せた分身を作る。魔理沙は奴らに攻撃した後、紫と共に神社へと向かう。戦う。勝つ。


「後半はただの希望的観測ね」
「絶望的憶測よりましでしょ」
「……………」
「言いたいことはわかるわ。でも、ここはレミリアを信じなさい。何をすべきか、貴方が一番わかってるはずでしょ」


無言で木に頭をぶつけていた魔理沙。顔を伏せたまま、レミリアに右手を差し出し、親指を上げる。


「こんな自分を殺したいぜ」
「死なせないわ。あなたは私が殺してあげる」


レミリアは帽子のリボンをほどく。真紅のリボンを器用に魔理沙の手に結んで行く。


「生きろよ」
「そっちもね」




逢魔時、紅い幼き月が空へと昇る。
魔理沙は八卦炉を構え、その全魔力を叩き込む。


「マスタァァァァーーーーーーースパァァァァーーーーークッッ!!!!」


魔理沙たちは駆け出した。最後に見たのは早苗たちに立ち向かう百戦錬磨、一騎当千の吸血鬼の姿だった。




――時間は戻り、再び魔法の森――
「なあ、紫。この異変の犯人についてお前は検討がついてるのか? それに博麗大結界がどうって言ってたよな? どう言うことなんだ?」
「確証のあることだけで良いなら答えてあげるわ」
「十分だぜ」
「まず、この異変について。この異変の原因は博麗大結界の改変が行われたために起きたこと」
「博麗大結界って、幻想郷に張られた結界だよな。確か外と幻想郷を分けてるって話の」
「そう。この結界は外の世界の常識を幻想郷の非常識に、外の世界の非常識を幻想郷の常識にしている。いわば、幻想郷の“定義付け”の役割を持つ結界。ここで問題。もし、この結界の常識が無理矢理改変されたら?」
「……幻想郷全体が狂いだす。…………って、待てよ! 結界を管理しているのって!」
「……………」


声を荒げる魔理沙に対し、紫の表情は海の中のように静かだ。
だが、静かに見えるその中では無数の水流、マグマ、生物が活動をしている。
一旦、魔理沙は言葉を控える。
数秒の間を置いて紫は再び説明を始める。


「次に八卦。陰陽や中国術式にある基本図式ね。霊夢が良く使ってるアレ。あの〈声〉の中にある“坤”とか“艮”ってのは八卦の言葉なのよ」
「ほー、そうなのか」
「魔理沙。あなたの八卦炉はバカ高いアクセサリー?」
「しょうがねえだろ。私は巫女でも陰陽師でもないんだぜ」
「ふう……。つまり、この〈声〉が八卦を刻んでいるということ。これは大掛かりな術式のカウントダウンというわけ」
「おい、ちょっと待てよ。すると八卦全部が刻まれちゃうと――」
「術式は完成するわ」


その瞬間、まるで見ていたかのように天空から〈声〉が響き渡った。


《反転地。陸刻。離》
「っ! おい紫!」
「向こうも焦り始めたわね。これからは全速で術式を完成に走るわよ」


紫は舌打ちし、ギリギリまで速度を上げる。
一分一秒がもどかしい。




――博麗神社――
途中、現れた妖怪を破竹の勢いで倒し、ようやく魔理沙たちは博麗神社へと辿り着いた。
虫の声もなく、人もいない神社の境内は夜の学校と同じような不気味な気配が漂っている。
〈何か起こりそう〉という漠然とした不安が海草のように身体にまとわり付く。


「嫌な空気だぜ」
「澱んでるのよ。魔力、妖力、そして気持ちが」


紫は扇子を口に当て、博麗神社を、いやその中に居座るものを睨みつける。
真っ黒な闇を引き裂いて、赤と白が添えられる。


「ようやくお出ましね。魔理沙、紫」
「霊夢……」


神社の中から現れたのは、博麗神社の巫女にして、博麗大結界の管理者。
〈楽園の巫女〉博麗霊夢だった。
いつも通りの腋の出た紅白の巫女服。払い棒。だが、今回はそれに付け加え体中に札や針を装備し、完全な戦闘態勢であることがわかる。


「《反転地。柒刻。兌》」


霊夢が呟くと、博麗神社から巨大な波紋が浮かび、幻想郷を渡る。


「あんたたちが来ることはわかっていたわ。“反転地”を起こす上で最も厄介なのがあんたたち二人だったから。次点はアリスと萃香、あと妹紅辺り。しっかし、紫が式を奪って総攻撃をかけたのにそれだけ元気なんて想定外。正直舐めてたわ」
「霊夢……なんでこんなことを……?」


霊夢はいつも通りの陽気な口調だ。だが、それが逆にこの空間において異常と映る。
フランは胸を貫かれ、萃香は肉塊に解体されかけていた。
だが、これだけのことをしておいて、なお霊夢は何一つ変わっていない。その事実は魔理沙に動揺を誘うに十分だった。
魔理沙の疑問に対し、霊夢は居間でお茶を飲むくらいの軽さで答えた。


「幻想郷を支配するためだけど?」
「……本気か?」
「嘘よ。強い妖怪を材料にお金を生み出す術を編み出したから試そうと思って」
「……………霊夢」
「これも嘘。本当は……ね。魔理沙、あんたの為なのよ。あんたがもっと早く私の思いに気づいてくれてさえいれば……」
「もういいわ」


紫の声が霊夢へと近寄ろうとしていた魔理沙の足を止めた。
振り返った魔理沙が見たのは洋傘の先端を霊夢へと向ける紫の姿だった。
氷水をかけられたかのような恐怖が広がる。
それを見て霊夢も右手に札を構える。


「堕ちなさい。あなたには死すらも生ぬるい」
「へぇ、やる気? なら、こっちも容赦しないわ。もともと殺すスケジュールだったし」
「お、おいっ!! 止めろよ二人とも!」
「動くな、霧雨魔理沙! 動けばあなたごと吹き飛ばすわ!」


紫の怒声。それは今まで魔理沙が聞いたこともないような、“本気の紫”の声だった。
それに対し、霊夢はただただ自然体。流れる水のように、紫の気を受け流す。


「威勢がいいわね、紫。じゃあ、その牙折ってあげるわ」
「やれるのならどうぞ。スキマの中で永劫彷徨いなさい」


まぶたを開くように空間が割れ、無数のスキマが生み出される。その先がどこと繋がっているのかはわからない。だが、その中から凶悪醜悪な魔蟲たちの蠢きが聞こえてくる。


「『飛光虫ネスト』」


紫の言葉を合図にスキマから無数の虫たち飛び出して来る。
狙うは霊夢の臓物。
空中で鋭角的な機動変化を交えながら、虫たちは霊夢へと迫る。
その複雑な機動に数々の弾幕を潜り抜けてきた魔理沙でさえ、目で追うのがやっとだった。
だが、霊夢とて伊達で幻想郷の巫女をしているわけではない。
無数のツワモノたちと渡り合ってきた術を駆使すればこの程度の攻撃、凌げないはずがない。


だが、霊夢は術を使わなかった。


「な!?」


無防備な霊夢に向かい、飛光虫はそのアギトを開く。
轟音が響き、地面が揺れる。神社全体が紫の力に身震いしたかのようだった。
もうもうと立ち昇った土煙が霊夢の姿をかき消してしまう。
魔理沙の頭の中で無数の疑問が浮かぶ。


なぜ、霊夢は術を使わなかったのだ。
なぜ、紫は霊夢を攻撃したのだ。
なぜ、こんな異変が起こったのだ。
なぜ、こんなことになってしまったのだ。
そのいずれ一つにも答えは見出せない。


魔理沙の腰が砕け、地面に座り込んでしまった。呆然と土煙が上がる様子をただただ見ていることしかできなかった。
紫の顔にはいささかの感情も浮かんでいない。
目の前で霊夢を撃ったというのに。


「紫、なんで?」


魔理沙の疑問に紫は答えない。
目を細め、土煙を眺めている。


「幕引きよ」


次第に煙が晴れて行く。
紫の言葉に顔を上げた魔理沙が見たのは、境内にへたり込んだ霊夢の姿だった。
その周囲には無数の穴が穿たれ、アリ塚のようになっている。だが霊夢には傷一つついていない。
霊夢は口を半開きにし、意思の見えない瞳で魔理沙たちの姿を瞳に写している。
そして、その背後、神社の壁に一つの穴が穿たれていた。


「コソコソするのは怖いから? それとも不細工な顔を晒したくないのかしら?」
「それでこそ八雲紫。幻想郷の賢者じゃの」


ゆらりと神社に人影が現れる。
いつからそこにいたのだろう、まるで陽炎のようにその影は魔理沙の目の前に現れたのだ。
それは老人であった。
長く伸ばされた白いあご髭。古い面のような掘り込まれたシワと顔立ち。肌は全体的に浅黒く、異様なことにその右目は爛々と輝いていた。
片手には杖を持っているが、それが本当に必要になるのかと疑問に思えるほど、老人の体躯はがっしりとしている。


「八雲紫、霧雨魔理沙。貴様らのおかげで色々と計画が狂った。ここで清算していただきたいものじゃな」
「てめえは誰だ? 新顔の妖怪か?」
「おや、魔理沙殿はこの顔をお忘れか?」


老人は頬を吊り上げた。まるで口の端が裂けてしまったかのような、不気味な笑いだった。
黄色く濁った目で魔理沙を値踏みするような視線を這わせる。
出の悪い蛇口のような笑い声。ツバを吐きかけられたかのような感覚に魔理沙は眉を潜めた。


「いやいや、仕方の無いこと。この姿は初披露目じゃからの」
「お前、一体……?」
「儂は見てきたぞ。儂はずっとお主らを見てきた。お主らが戦い。勝ち。生きてきた様子をな」


杖がつかれ、老人が歩み出る。
一歩、二歩。
そして、霊夢の横まで来たところでその足を止めた。
虚ろな目をした霊夢のほほに舌を這わせ、枯れ枝のような手で肩を掴む。
人形のように扱われる親友の姿を見て、魔理沙の中に火山のごとき怒りがこみ上げる。
視界の端に紫の姿を認めていなければ、殴りかかっていたかもしれない。
それは紫も同じらしく扇子からのぞく細い眉が眉間にシワを作っている。


「古狸ならぬ古亀がすけべえ心を出したというわけね。“玄爺”」
「玄爺……? っ! あの霊夢の亀か!?」


玄爺。かつて霊夢が空を飛べなかった時代、その足として使われた亀である。空を飛ぶ能力に加え、様々な仙術を使いこなすことのできる老亀だ。
霊夢が空を飛べるようになってからは、その役目を終え、何処かへと去ったはずだが……。


「って紫、なんだよ! てっきり霊夢がおかしくなっちまったのかと思ったぜ! 思わせぶりなこと言いやがって」
「あら、私霊夢が犯人だなんて一言も言ってないわよ。それに最初に言ったでしょ“確証のあることだけ”って」


ぬけぬけと言い放ち、ウインクまでする紫。
すっかり毒気を抜かれてしまった魔理沙は八卦炉を構え玄爺を睨む。その口元には笑み。


「仲がいいのぉ。お主ら」
「あら、ありがとう。お世辞として受け取っておくわ」
「そこは素直に受け取れよ」
「だが、それももう終わる」


玄爺の言葉に紫は扇子を閉じた。
その代わり、右手に持った傘を上げ、玄爺へと突きつける。


「力に飲まれたわね、古亀。持たざる者が力を持つといけないわ。身に余る欲望に堕ちてしまう」
「言うではないか、八雲紫。だが、それは持つ者の理よ。欲望というぬるま湯に首までつかって良く言うわ。この“反転地”を持ってそれを証明してやろう」
「それは無理なこと。幻想郷のカリスマたちを舐めないことね」
「そのカリスマも地に落ちた。お主もまたしかりじゃて」
「なら、試してみるといいわ。あなたの術がどれだけ脆弱でどれだけ浅はかであるか定理付きで証明してあげましょう」


玄爺が杖を振り上げ、その身の回りに術を描いて行く。
無数の縄が神社に張り巡らされ、陰陽の字が描かれる。
となりで立っていた霊夢も糸を引かれたかのように腕を振り上げ、払い棒と札を構える。
同じく紫と魔理沙も手に手に武器を構える。


「結界『玄冬の巡り』」


玄爺の言葉とともに縄を中心に白い雪がちらつき始める。
その雪が触れたものは一瞬にして鼓動を止め、白く透き通った氷へと変わって行く。


「滅びを受け入れよ」


そして、玄爺が杖を一振りすれば、それらは魔理沙たちへと迫り踊るだろう。
しかし、それこそ罠。
幻想郷の賢者の手の中に。


「足元がお留守よ、おじいちゃん」
「ぬぅ!?」


紫の声と共に神社の地面に巨大なスキマが現れる。
無数の目が蠢く境界から手が伸び、玄爺と霊夢を引きずり込む。
ありとあらゆる“定義付け”が意味を成さない境界の世界へと飲み込んで行く。

霊夢の瞳に生気が戻る。
未だぼんやりと寝ぼけ眼を擦っているが、その様子は見慣れた貧乏巫女のものであった。


「ぐっ!? 術式が!?」
「そうか! スキマの中なら! って、なんで今までしなかったんだよ!?」
「巨大な境界の操作は幻想郷に悪いのよ。幻想郷を覆うもう一つの結界が崩れてしまうから」


広大なスキマを作るほど力がすでに残っていなかったことは言わず、紫は飄々と答えた。
紫が引きずり込んだ境界の世界。ここならば幻想郷に対する結界である“博麗大結界”の効果は及ばない。
玄爺は年老いた亀の姿に戻り、魔理沙と紫にも力が戻って行く。


「終わりね、道化師さん。なんとも間抜けな終わり方だこと。でも、らしいかもね」
「さあ、この異変を止めてもらうぜ。いやと首を振るなら物理的に首を振らせてやるぜ」


玄爺は首をうな垂れさせる。
影となったその顔からは表情は読み取れない。
魔理沙と紫の周囲に無数の弾幕が浮かぶ。
巨大な魔力を持ったそれは、無言の圧力を与えてくる。
玄爺はその細い首を震わせ、そして……。


「審判『ラストジャッジメント』」


凛とした声に紫と魔理沙は声を失う。
この声! このスペルは!!
言葉と共に境界が揺れた。
無数にあった目が次々と閉じて行き、端々にノイズが走る。
そして、境界のはるか上空、神社の境内には悔悟棒を持った閻魔の姿があった。
四季映姫。幻想郷の裁判長。
そして、あらゆる物事に白黒をつけることのできる力を持つもの。
玄爺に笑みが浮かぶ。


「終わり? 始まりじゃよ!! 最後の最後、罠にかかったのはお主らよ!!」
「くっ!」


紫は魔理沙の身体を押し、スキマへと押し込んだ。
不意に訪れた浮遊感が魔理沙の身体を包む。


「紫っ!? おい、ふざけんなよ! 待てよ紫、ゆかりーーーーーっ!!」


境界が崩壊し、スキマが閉じて行く。
再び神社へと浮かび上がった紫の周りには無数の妖怪たちが並んでいた。その中にはかつての式神の姿もある。
それらが紫に向かい襲い掛かってくる。
境界の使えない紫はただその無慈悲な攻撃を受け入れるしかない。


その腕が、その足が、その手が、その腿が、その肘が、その首が、その顔が、その髪が、その耳が、その鼻が、その口が、その心が、その生が、

紫が破壊される。


再び老人の姿に戻った玄爺が〈声〉を紡ぐ。


「《反転地。捌刻。乾》! 下克上成就せり!!」


それは叫び、それは宴。
新しい幻想郷の誕生を祝う祝詞だった。


































――???――
最後に見たのは色の消えた瞳で見つめる霊夢の顔だった。
魔理沙の声は紫の思いははたして霊夢に届いていたのか。
そして、眼下には、青く広がる、雄大な、

空が






つづく
東方下克上シリーズの最終章です。後編か中編に続きます。
これまた今までと毛色の違う作品ですが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

「女の子はなんでできてるの?」
「夢とロマンと、あとコショウ」

救いがあってもいーじゃん。私は地獄行きかもだけれど。

※誤字修正しました。ご指摘ありがとうございます。
ウナル
http://blackmanta200.x.fc2.com/
作品情報
作品集:
2
投稿日時:
2009/08/21 07:30:04
更新日時:
2009/08/22 07:36:31
分類
魔理沙
レミリア
グロ
拷問
長編
1. 名無し ■2009/08/21 21:34:07
救いのあるエンディングと救いのないエンディングの二種が欲しい作品

次も期待
2. 名無し ■2009/08/21 22:33:23
ミスが二つ。

>「そんなの関係ないですよ。パチュリー様は魔利沙さんといるととても楽しそうですもの」
黒白の名前が。
>〈守矢の新人神〉東風谷早苗。最近、幻想郷にやってきた守矢神社の風祝である。奇跡を起こす力を持ち、外の世界では現代神として崇められていた。
早苗は現人神ッスね。
3. 名無し ■2009/08/21 23:24:04
まさかの玄爺ww

次で終わりか・・残念だなぁ
4. 名無し ■2009/08/21 23:27:42
も一つミスの
>「博識神社って……。紫! どういうことよ!?」
博麗神社
5. 名無し ■2009/08/21 23:39:51
なんというかもう早苗さんだけ素に見えるから困る。

「じゃあ、お前に誓うぜ」
「……上々」
いいなぁ。レミリアいいよレミリア。
6. 名無し ■2009/08/22 00:51:09
緑だけ天然とか言われてるしなぁw

萃香を殺すなら俺にくれ!
髪の毛一本まで愛してやるから
7. 名無し ■2009/08/22 05:35:31
めっちゃおもしろかったです☆次も期待!
8. 名無し ■2009/08/22 09:33:14
次で終わりか
文と椛とか妖夢と幽々子とか
あとあっきゅんが使用人にこき使われてたりけーねが里公認の肉便器になってたりとかそこらへんの人もかいてほしかった。
9. 名無し ■2009/08/22 17:21:29
玄爺で吹いてしまったwww
しかし萃香をはじめ男前のキャラが多くて燃えるのう……
10. 名無し ■2009/08/23 02:35:31
次で終わりですか…
次回作に期待。
「目の前の人を助けたいって気持ちに嘘も偽りもあるかよ!!」
この魔理沙の言葉に惚れたwww
11. 名無し ■2009/08/27 00:41:37
ケース4で紅美鈴が最下位となっていた理由が良く判った。
咲夜さんスイッチ入りまくりだな。春巻娘ってw
しかし映姫様まで取り込んだ玄爺に隙が見えない…どうなるんだろ?
12. ウナル ■2009/08/30 23:39:48
感想ありがとうございます!

>>1 エンディング二つはきついかもですw もしかしたら、裏・幻想郷縁起を書くかもしれませんが……

>>2、4 ご指摘ありがとうございます! これからも間違いがあったらビシビシ言ってください!

>>3 霊夢に下克上が可能なのは誰か考えたら玄爺に行き着きましたw

>>5 早苗さんはなぜこんな厄回りになるんでしょうかね?

>>6 萃香の顛末は中編で

>>7 そう言ってもらえると書いている甲斐もあります! これからもよろしくお願いします!

>>8 自分としても書きたかったのですが、あまり長々と続けても仕方ないかなと思いました。申し訳ない!

>>9 自分の好きなアダルドゲームブランドは「Nitro+」と「Black Cyc」です。

>>10 魔理沙が普通に男前になってしまった……。きのこに下克上された魔理沙とか妄想していた日々が懐かしい

>>11 確かに隙はないのですが、それは従者同盟が同じ方向に向かっているからです。もしも、それが崩れたならば……
13. レベル0 ■2014/08/21 09:13:45
相変わらずの面白さ。
あなたのセンスに脱帽です。
少年マンガを思い出す展開でした。
フランちゃんがかわいかった。
それにしても意外な犯人だったな……
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