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『活字中毒』 作者: 要介護認定

活字中毒

作品集: 3 投稿日時: 2009/09/20 17:51:55 更新日時: 2009/09/21 02:52:48
 霖之助は苛立っていた。彼の日常に然したる変化があった訳ではないが、それでも苛立っている事は確かだった。
 手元にある本を捲り、中の文章に目を通す。しかしその眉間には深い皺が刻まれ、ページを捲るスピードは驚くほど速い。
「……ッ!」
 舌打ちと同時に本を投げる。ペーパーバックの本であったにも関わらず、運悪くそれに当たった花瓶は呆気なくその身を四散させた。
 陶器特有の甲高い音。閑古鳥が居座る香霖堂で、その音はやけに大きく聞こえた。
 はっとなって破片の散らばる床に視線を落とす。そこには無残な姿を晒した花瓶と、手のひらサイズの文庫本。
 再び霖之助の眉間に皺が刻まれる。断片と化した破片を踏みつけ、花瓶の傷痕を広げながら文庫本を拾い上げ――解体を始めた。
 本が紙へ、紙が屑へと変わっていく。一ページたりとも原型を残さぬ徹底振りだ。
 読書を趣味としている普段の彼からしてみれば、それは絶対にありえない行動であった。










 紅白の巫女がお茶の葉を強奪していく事には慣れた。かつて世話になった主人の娘に店の商品を盗まれる事にも慣れた。上客である紅魔館のメイドと主が冷やかしに来る事にも慣れた。
 半分だけではあるが彼は妖怪だ。数日食事を取らなくても死にはしないし、最低限の食料は自家栽培の物で事足りる。
 元々趣味で店を開いているようなものなのだ。非売品の商品が奪われるのは兎も角、金銭的利益はあってもなくてもどうだっていい。霖之助はそう考えていた。
 ……蔵書を全て読破するまでは……。
 初めは素直に驚いていた。無縁塚で商品の仕入れをする時は、本を優先的に拾ってくるのだ。例え古道具屋といえども、その本の数は馬鹿にならない。汗牛充棟という言葉がしっくりくるほどだ。
 しかしその楽観視も長くは続かなかった。
 既読の本を読もうにも、読み進める内に先の展開が否応にも分かってしまう。そんな馬鹿なと、手当たり次第に本のページを捲るが、結果は同じだった。彼は自分が思っているより、ずっと記憶力が良かったのだ。
 それからの日々は、霖之助にとって地獄でしかなかった。
 新しい本を求めて無縁塚に行くものの、外の世界から流れ着いた本は――その外見こそ真新しいが――内容に差異のない物ばかり。
 人里で本を買おうにも手元に金はない。かといって店の商品を質に入れるのは流石に……結局霖之助は、新しい本が流れ着くまで待つことにした。
 起きて、店を開いて、本を読んで、店を閉めて、寝る。無縁塚に行く回数も次第に増えていった。
 それでも本は来ない。
 閑古鳥の居座る店で、先の読める物語をただただ眺めているだけ。
 苦痛だった。
 拷問にも等しかった。
 手元の本から伝わる内容が陳腐な物に見えてページを捲る度に苛立ちが募り片手は意味もなく背表紙を叩き気を抜けば本を引き裂いてしまいそうになるのを押さえつけながらも同時にストレスが溜まって沸々と怒りが沸いて両肩が震えているのにも気付かず目が血走っているのにも気付かずただただ分かり切った文字の迷路を迷うことなく出口目指して直進しまた次の迷路を進むそれはもはや読書ではなく流れ作業に過ぎず読書にありがちな好奇心という物が全く芽生えてこないまま読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んでよんでよんでよんでよんでよんでよんでよんでよんでよんでよんでよんでよんでよんでよんでよんで。
 頭がおかしくなりそうだった。
 頭がおかしくなりそうだった……。
 頭がおかしくなりそうだった……?
 いいや、既に手遅れだった。










 霖之助は酷く冷めた目つきで本の亡骸を見詰めていた。死んだ目と言っても過言ではなかった。
 ここ数日碌に掃除すらしていなかった所為か、紙片と共に埃が舞い、少ない光を反射させてその身を主張する。
 ああ、片付けなくては……漠然とした思考だけが、今の霖之助を突き動かしていた。
 倦怠な動きでしゃがみ込み、本と花瓶の亡骸を掻き集め始める。箒も塵取りも使わない。白い破片と紙片に赤い液体が混じる。それが自分の血だと認識する能力すら、今の霖之助には存在しなかった。
 きょろきょろと辺りを見回すが、肝心のごみ箱が見当たらない。きっと魔理沙辺りが持って行ってしまったのだろう。仕方なしに霖之助は腰のポーチに二つの亡骸を入れた。
 手が痛かった。いつの間にか力一杯破片を握り締めていた所為で、両の手のひらは傷だらけだった。
 目が痛かった。眼孔から眼球を押し出されるかのような感覚が不快だった。
 頭がおかしかった。少し動く度に脳漿に浸された脳味噌が揺れ動く感覚が鬱陶しかった。
 頭を振る。視界がぶれる。気付けば台風が過ぎ去った後のような、悲惨な店内が見回せた。
 至る所に散らばる本の残骸、壊れている商品の数々……誰がやったんだろうか。霖之助は首を傾げたが、気付いた所で片付ける気にはならなかった。なれなかった。
 ふらりと歩みを進める。おぼつかない足取りで店を出る。魔法の森を目の前にしてようやく疑問が湧き出てきた。
「……どこへ行こう?」
 風で木の葉がざわめく中、一人呟く。無縁塚には昨日行った気がする。じゃあ人里の本屋でも襲おうか……半ば本気でそう考えた時、風に当てられた両手が痛みを訴えた。
 ごみを拾った事を思い出す。まだ捨てていない事を思い出す。ごみ箱はきっと魔理沙が持って行ったのだろうと予測を立てる……行き先は決まった。
 壊れた店主は、ごみを捨てる為に店を離れた。










 魔理沙は上機嫌だった。今日も紅魔館の図書館から本を"借りる"事が出来た。何時になく激しい"交渉"ではあったものの、戦利ひ――借り物の多さもまた一味だった。
 本の重さでいつものような速度は出せないが、それもまた幸せの重さとして割り切っていた。その重さが全て自分の魔法の糧となるのだ。そう思うだけで、自然と笑みが浮かんだ。
 音もなく着地し、家に近づき、ポケットを弄り、鍵を取り出し、鍵穴に差込み、捻る。
「?」
 不思議なことに手応えがなかった。逆方向へ回すと、カチリと音が鳴って施錠される。つまり、家の鍵は最初から開いていたのだ。
 鍵をかけ忘れたのだと、魔理沙は一人納得した。問題ない。魔法の森に建つここならば、そう簡単に物取りも来ないだろう。
 楽観視。箒を担ぎ、荷物片手に自室へ向かう。借り物の確認はそれからだ。使えそうな物は死ぬまでとっといて、使えなさそうな物は……霖之助にでも押し付けよう。そう考えた直後にその本人に会うとは、普通の魔法使いに過ぎない魔理沙には、想像すらできなかった。
 やけに散らかった室内に彼はいた。何時もと何ら変わらぬ平然とした顔で本を眺めていた。しかしそれ以上に、魔理沙は彼の周りに散乱した物体に目を奪われた。
 魔法の研究に使っていた機材は床に投げ出され、鋭利な姿となって恨めしそうに天井を見上げ、興味本位で採取した見知らぬきのこは、香霖堂から"借りてきた"ごみ箱に無造作に突っ込まれていた。
 一瞬で頭に血が上ったのが良く分かった。箒を投げ出し、荷物を落とし、走り出そうとした所で天然の"まきびし"に気付き、声だけを荒らげた。
「何やってんだ、香霖!!」
 大きな声だった。
 怒号を発するなんて、それこそ家を出る時以来したことはない。友人と口論する事はあったが、大抵が弾幕ごっこという便利なルールで決着がついた。嫌がらせというものを受けた事のない魔理沙にとって、霖之助の行動は沸点に達するのに十分過ぎた。
 一瞬だけ、霖之助が顔を上げた。しかしちらりと魔理沙を一瞥すると、再び手元の本へと視線を戻した。読書を止める気はないらしい。
 まるで自分なんていないかのように振舞う霖之助に、魔理沙は更なる怒りを感じた。
「おい、香霖! 聞いてんのか!? 他人ん家に勝っ」
 そこで魔理沙の声は途切れた。彼女の意思に反して、身体は声を上げることを拒否した。
 急激に視界が反転する。目が痛い。何が起こった? 頭が痛い。背中も痛い。痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたい。
 思考回路が憤怒から一変して恐怖へと塗り変わる。何だ? 何だ何だ? 何で痛いんだ? 何をされた? 何でこんなに痛いんだ? 混乱する頭で正しい答えが出るはずもなく、片目が潰された事に気付く事もなく、魔理沙は言語障害を患ったかのように、口から母音を垂れ流していた。
 ぱり……と音が鳴った。霖之助の靴が床に散乱したガラス片を踏み潰す音だ。徐々に魔理沙との距離を詰める霖之助、その顔には一片の感情も浮かんでおらず、見る者にまるで能面のような印象を抱かせた。しかし残念かな、彼女がそれに気付いたのは霖之助がしゃがんである物を拾い上げた後だった。
 それは本だった。
 魔理沙が良く知る……いや、魔理沙が書いた本だった。
 今まで魔理沙が見てきたスペルカードを纏めた、黒い――今は赤い――背表紙の本。
 文庫本より少し大きく、人形遣いのグリモワールより少し小さなそれは、掴んでいる霖之助の手のひらと比べて、酷く不恰好に見えた。
 魔理沙はただ見上げていた。
 能面のような霖之助の表情と、振り上げられた手のひらと、自分の血が付着した……グリモワール。何が起こったのか、何が起こるか、どうなるのか、彼女はなんとなく理解してしまった。
「こっ、こぅりっ、やめっ」
 言葉に出来たのはそれだけだった。渾身の力が込められた霖之助の一撃は、魔理沙の脳天を直撃した。まるで龍宮の使いに雷を落とされたかのような錯覚を覚える。現実はそんな優しいものではなかった。
 霖之助は無言で本を振り上げ、振り下ろす。また頭。金色の髪に赤い花が一輪咲いた。霖之助の手が緩むことはなかった。
 がっがっと、一定のリズムを刻みながら、魔理沙の頭に花を咲かせる。途中から間に魔理沙の両腕が割って入って来たが、何の障害にもならなかった。ただ花を咲かせる部位が増えただけである。
 二十六回殴ると、霖之助はようやくその手を止めた。殴られ続けた魔理沙の両腕は、熟れた果実のように腫れ上がっていた。若干白い部分が見られるが、どうせ折れた骨が外へ飛び出しただけだろう。
 息も絶え絶えな魔理沙に、霖之助は冷めた視線だけをくれてやり、吐息を一つ吐いた。
「魔理沙、僕が何で怒ってるか、分かるかい?」
「……っぅああぁぅ……ぁぁぁっ」
「魔理沙……」
 再び本が持ち上げられる。身構え続ける魔理沙にも、両腕の隙間からその光景が窺い知る事が出来た。
「しっ、しやなぃっ! しやないしやない!!」
「そうだね。僕が何で怒ってるのか分からないから、他人の物を勝手に持って行くし、あまつさえ"死ぬまで借りる"という名目まで立てる始末……あ、そういえば言い忘れてたね。勝手にお邪魔してるよ、魔理沙」
 まるで今気付いたと言わんばかりの最後の言葉に、魔理沙は少しだけ違和感を感じた。スッと隙間から霖之助の顔色を覗き見る。霖之助はこの上もなく楽しげな笑みを浮かべていた。
「けどそんな魔理沙でも、こういった面白い物は書けるんだね。魔道書としては幼稚だし、挿絵からして見ても各種スペルカードに対する参考書としては中途半端だけど、暇つぶしとしては申し分ない。魔理沙は外の物を見た事があるかい? 挿絵は申し訳程度に抑えられ、構図と文章を上手く使い分けて分かりやすく説明されている。けど、魔理沙のこれは? 不十分だね。スペルカードの詳細が"画かれている"だけで弾幕の向き、速度、法則については一切説明されていない。まるで弾幕ごっこの感想文を纏めた程度の本でしかない。それとも備忘録のつもりかい? ……なるほど、それなら話は変わってくるな。ふむ、魔法使いの備忘録は即ち魔道書と呼ばれるのか……面白いね、魔理沙」
「ぁ……ぁに言って……?」
「いやいや、すまない。本当は魔理沙に用があって来たはずなんだが、気付いたらこうして本を読んでいたんだ。そういえば魔理沙、僕の店にあったごみ箱を知らないかい? 捨てたい物があるのに捨てられないんだ。あとついでに僕が何で怒ってたのか当ててごらん。大丈夫、外しても何もしないよ。魔理沙を殴るのは割と疲れるんだ」
 魔理沙はこの顔を知っていた。新しい道具を見つけた時の顔だ。使い方が分からないというのに嬉々としてそれを弄くる霖之助を見ては、何度も呆れてため息を吐いたほどだ。
 しかし今は呆れる事が出来なかった。魔理沙は自分が道具になってしまうかのような錯覚を覚えていた。普段の霖之助ならまず間違いなく実行しない事も、今の霖之助ならやってしまいそうだと思った。
 突然の暴行、支離滅裂な言動、答えの読めない問い掛け……グリモワールでいい感じにシェイクされた魔理沙の脳味噌には、いささか荷が重かった。処理能力を上回る情報量に、魔理沙の思考回路は一瞬で音を上げた。
「やっ、やだああああああぁぁぁぁぁ!! やだやだやだやだ!! 痛いのやっ」
 二十七、二十八、二十九……三十。魔理沙が黙ってもなお殴る念の入れようだった。
「魔理沙、君を殴るのは疲れるんだ。殴られてる君はもちろん痛いだろうし、もう少し静かにする事を覚えるべきだと思うよ」
「うっ……うぁぅ……ぇ」
 意味不明の言葉と血が混じった唾液を吐き出す魔理沙。霖之助はそんな彼女を見て一つ頷くと、その腹部に腰を下ろした。
「げぇっ! あっ!」
 三十一回目。今度は一回で静かになった。
 霖之助は何事もなかったかのように赤く染まった本を開き、再び読書に勤しみ始めた。










 魔理沙は考えていた。霖之助が本を読み始めてから既に数十分が経過していた。
 あれから霖之助が何かしてくる事はなかった。今も魔理沙の腹部の上に腰を据え、黙々と本を読み続けている。
 暴力が振るわれることはなかったが、同時に手当てをしてくれることもなかった。両腕は心臓の動悸に合わせて膨張と圧縮を繰り返しているかのような感覚しか残っておらず、頭部にもずきずきとした断続的な痛みが襲ってくる。
 しかし、逆に言えばそれ以上の痛みはない。ちらりと霖之助の顔を窺うが、相変わらずのすまし顔で何を考えているかなんて分かりっこなかった。
 そもそも何で霖之助は魔理沙の家に来たのか、まず最初にその疑問から解決しなければならない。幸いなことに自分に腰掛けている目の前の男は、自分を殺すつもりではないのだろう。殺すのなら会話をする必要もなく殺していたはずだ。そうだ、なら私は助かる。香霖はあくまでも私を罰しようとしただけなんだ。
 二度目の楽観視――否、現実逃避。まだ殺されていないという事実が、彼女の中で希望へと変わるのに、そう時間はかからなかった。
 謝ろう。泣いて謝れば、許してくれるかもしれない。どうせ見ているのは香霖一人だ。こいつなら言いふらすこともないだろう。確かに若干プライドは傷付くが、今を生き残れれば後はどうにでもなる。
「なぁ、香霖」
「ん?」
「そっ……ごめん……なさい……」
「?」
 魔理沙なりに精一杯の謝罪……霖之助が返した反応は、ただ首を傾げるだけだった。
 血が付着した本を閉じ、まじまじと魔理沙の顔を覗き込む霖之助。その顔には驚愕の色が見て取れた。
「魔理沙、今の謝罪は何に対する謝罪なんだい?」
 何に?
 殺さないで下さい、これ以上痛いことはしないで下さい、私が悪かったんです、謝るから命だけは助けて下さい……そんな意味合いしか込められていない魔理沙の謝罪に、霖之助は当然のように意味を求めた。
 答えは簡単だ。少しだけ落ち着いた魔理沙の思考回路でも簡単に答えは出てきた。今まで魔理沙が霖之助にやった事と言えば一つしか思い当たらない。さっき殴られたのも、きっとそれの所為だ。魔理沙は当然のように答えを口にした。
「今まで、勝手にものを取って……すみませんでした……」
 敬語を使ってまでの、謝罪。顔を俯かせ、涙混じりに発した声色。生きたいが為に、魔理沙は生まれて初めて、媚を売った。
 ぱちんと、留め金を外す音が聞こえた。はっとなって魔理沙が顔を上げると、霖之助が腰のポーチに手を伸ばしているのが見えた。
「魔理沙、あーん」
「香霖……? 何っ」
「あーん」
 口を掴まれ、無理矢理開かされる。
 何でだ? 私は謝ったはずだぞ? どうして? 疑問だらけの思考回路に割って入って来たのは、くしゃくしゃに丸まった紙屑の食感だった。
「わざわざ謝ってくれてありがとう、魔理沙。ほんの少しだけ嬉しかったよ。でも謝るだけなら誰だって出来るんだ。ちゃんと商品も返してほしかったかなぁ……ああそうだった、僕はごみ捨てに来たんだったね。それなのに魔理沙が勝手にごみ箱を使ってる所為で、捨てる物も捨てられない。そういえばちょっとだけ魔理沙の部屋も掃除したんだよ? 気付いてた? その時出たごみでごみ箱は飽和状態。じゃあ僕のごみはどうすればいいと思う、魔理沙?」
「あがっ! っおぇ! がっ! ああぁ!」
 ポーチの中から出てきた紙屑は、次々と魔理沙の口に押し込められていく。霖之助の手を止めたくても折れた両腕は言うことを聞かず、腹の上に乗っている霖之助の所為で距離を離すことも出来なかった。
「『ごみはごみ箱へ』……基本だよね? ごみ箱を盗んだ魔理沙? ああ別に怒ってる訳じゃないよ。ただごみ箱がなくて僕は本当に困ってたんだ。まさか魔理沙が今までの事を謝ってくれるなんて思ってもみなかったからね。謝罪とは即ち罪を詫びる事。許す許さない以前に、僕は君の手癖の悪さは単なる天災だと思って割り切ってたんだ。だからもし本当に心から謝罪したいって言うんなら、道具を返すか、魔理沙が道具の代わりになって欲しいかな?」
「んおおおおあぁぁぁぁ!!」
 魔理沙の耳に、霖之助の言葉は届いていなかった。気を抜けば窒息してしまいそうになるのを必死で我慢していた。
 少しだけ心を落ち着かせ、ごくんと咽喉を鳴らしてある程度の紙屑を飲み込む。大丈夫、高が紙屑だ。キャベツと同じ繊維質の食べ物だと思えば何の問題もない……そう思う事で、心を保とうと試みた。
 しかし、くしゃくしゃとした紙の食感の中に突如現れた、石のような物体に、その心はあっさりと折れてしまう。紙屑に押し込まれそうになっていた舌を使ってそれの正体を暴いた時……魔理沙の身体は、傍目から見て分かるほど確かに硬直した。
 破片だ。
 硬くて鋭い、陶器の破片だ。
 みるみると魔理沙の顔色が悪くなっていく。そんなものを飲み込んで無事で済むものか。口の中が切れて、食道が切れて……運が悪ければ咽喉も切れる。死ぬ。明確な死のビジョンが脳裏に浮かび、張り付いて剥がれない。
「んんんんんっ!! おぇ! げへぇっ!!」
 激しく身を捩り、霖之助の手を口から離して破片を吐き出す。いつの間にか霖之助はその重い腰を上げていたらしく、勢いを殺しきれなかった魔理沙は腹這いになり、唯一の出口を見上げる事が出来た。
 安堵は一瞬。今すぐここから逃げなければと、まるで芋虫のように魔理沙は出口へと這い始める。既に両腕は使い物にならない。両足で立つにしても、霖之助がそこまでの時間をくれるだろうか……無理だ。ならば匍匐前進が最も効果的だろう。
 後ろからはかちゃかちゃと破片の擦れ合う音がする。耳障りなその音が、魔理沙の焦燥を煽らせる。止まってはいけない。止まれば"ごみ箱"にされる。まるで日光を嫌がる芋虫のように、魔理沙は逃げた。
 あと少し、あと少し……魔理沙の背後で音が止んだ。振り返ってはいけない。振り返りたくない。髪を掴まれた。現実は非情だった。
「ごみ箱はごみを拒否しないものだよ、魔理沙」
「あっ……ああぁぁ!!」
 そのまま髪ごと引き摺られる。ぶちぶちと音を立てて髪の毛が抜け落ちた。思わず両手で頭を押さえるものの、効果は薄い。
 床に散乱していた研究機材の亡骸は、容赦なく魔理沙のスカートとドロワーズを傷付けた。地肌にまで至らなかったのが不幸中の幸いだが……救いにしては小さ過ぎた。
 霖之助は魔理沙をベッドの上へ放り投げると、そのまま片手に持っていた花瓶"だった物"を魔理沙の口に叩きつけた。
 魔理沙の目が見開かれる。さっきのように吐き出そうにも、ベッドと霖之助の手で頭を挟まれた状態では抵抗らしき抵抗も出来なかった。
 飲み込めない。飲み込めるはずがない。少なくとも、魔理沙の意思でそれを飲み込むなど、土台無理な話だろう。
 だがご丁寧なことに、霖之助が押さえつけているのは口だけはなかった。手のひらで口を、親指と人差し指で鼻を……下手すると鼻が引き千切れそうなぐらいの力強さだった。霖之助は半分でも妖怪だ。普通の魔法使いの魔理沙が力で敵うはずもなく、魔理沙は本気で死ぬと思った。
 縋る目で霖之助を見つめるが、返ってきたのは冷たい目だった。
 飲み込むまで離さない……そう目が雄弁に物語っていた。
 口の中一杯の陶器片。霖之助の手で一度ばらばらに砕かれたとはいえ、少女の口内にはいささか多い。少し舌を動かすだけで血の味が広がる。
 飲みたくない、痛い、死にたくない。このままでは本当に死んでしまう。助けてくれ。もう我慢の限界なんだ。止めてくれ。ごめんなさい。助けて……手足をばたつかせて、涙ながらに訴えても、霖之助が返す答えは変わらなかった。
 魔理沙の動きが止まった。一瞬の静寂。次いで、ごくり……と、魔理沙の咽喉が鳴った。
 想像を絶する痛みだった。唾液と血液の波に乗った陶器片は、魔理沙の口内を、咽喉を、胃に至るまでの器官をずたずたに引き裂きながら進行し、消化液の海へと落ちていった。
 びくびくと魔理沙の身体が打ち震える。目を限界まで見開いて、目尻から涙を溢れさせて、霖之助の手のひらを掴んだまま、ベッドの上で海老反りになって痙攣を続ける。
 五秒程度だろうか、霖之助が魔理沙の反応を観察し終えると、彼はそっと手を離した。
「オっ……げえぇ! がっ! え"ぁ"あ"あ"あ"ぁ"ぁぁ!!!」
 途端に魔理沙がえずき始めるが、口から出てくるのは唾液と血液の混合物ばかり……当然ながらその中に固体は含まれていない。第一、戻す必要があるのだろうか? また咽喉を傷付けて出てくるというのに。
 そんな様子の魔理沙を眺め、霖之助はやれやれといった感じでため息を吐いた。
「魔理沙、ごみ箱がごみを吐き出すのはおかしいだろう? ごみはまだまだあるんだから、今からそんなんじゃ全部入れるのに日が暮れてしまうよ?」
「はぇ?」
 霖之助の言葉に、思わず魔理沙の目が点になった。
 訳が分からない。まだある? またあの痛みを体感しろと? というか全部って? それら全ての疑問に答えるかのように、霖之助はガラス片が混じった陶器片を見せ付けた。
 陶器片は霖之助が持ってきた"ごみ"だ。じゃあガラス片は? どことなく見覚えのある形状に、魔理沙は気付いてしまった。気付くと同時に、ざぁっと音を立てて血の気が引いた気がした。
 床に散らばった研究機材の成れの果てが全て……"入れられる"。その事実に、魔理沙の精神は耐えられなかった。
「いっ、ゃらぁ! ひぬいぬ! ひんらぅよっ!! ひゃうりんあひゃまおひゃひぃひょ!!」
「? 何言ってるんだい。死ぬ訳がないだろう? 魔理沙は"ごみ箱"なんだ。ごみ箱がごみで死ぬなんて聞いたことがないよ? それに、ごみ箱に死の概念なんてないだろう?」
 ずたずたに引き裂かれた舌が紡いだ言葉でも、ある程度の意味は霖之助も理解できた。しかし、それだけで止める理由にはならない。壊れた半妖に、魔理沙の言葉は無意味だった。
「大丈夫、口に入れられなくなったら次は目だから。そうだね、とりあえず身体中の穴には入れようかな。それでもごみが残ってたら切り開いて詰め込むから安心してくれ。うん、それにやっぱり最後まで処分しないといけないからね。魔理沙のミニ八卦炉少しだけ借りるよ? ああ心配しなくても、焼き終わったらちゃんと返すよ。じゃ、もう一回あーん」
「あっ……あああああぁぁぁぁぁ!!」
 "ごみ箱"の慟哭は、誰の耳にも聞こえなかった。










  ――― 文々。新聞  ■月■日   普通の魔法使いが遺体へ!?
 ●月●日未明、魔法の森に住まう霧雨魔理沙(人間)が変死体で発見された。第一発見者は人形職人のアリス・マーガトロイド(魔法使い)だった。発見数日前から音沙汰がぱったりと途絶えていたらしく、様子を見に行った際に遺体が発見された。
 一見焼死体のようにも見えたが、検死の結果身体中の至る所に陶器やガラスの欠片が刺さっていた事が判明した。恐らく、死因もショック死ではなく失血死だろう。
 霧雨魔理沙が蒐集していた魔道書が一冊残らず盗まれていた所に着眼すると、約二名の魔法使いの名が上がってくるが、今の所確実な証拠がない。だが部屋の内装などが整理整頓されているのにも関わらず、霧雨魔理沙は焼け死んでおり、紅魔館の図書館に居座る魔法使いが第一容疑者としてあげられている。
 この事件に対し、人里で万屋を営んでいる霧雨店の店主は……。
活字中毒者が読書をしている最中に騒ぐのはやめましょう。本が飛んできます。
要介護認定
作品情報
作品集:
3
投稿日時:
2009/09/20 17:51:55
更新日時:
2009/09/21 02:52:48
分類
霖之助
魔理沙
ごみ箱
1. 名無し ■2009/09/21 03:08:03
身内の豹変って空恐ろしい。
2. 名無し ■2009/09/21 03:25:12
霖之助の気分って分かるぜ。本を読みたいのに内容が分かってるものばかりで、気が狂いそうになる。
3. 名無し ■2009/09/21 03:31:50
よーく分かるなこの気分
ホント未読の本が無いのは苦しい!
4. 名無し ■2009/09/21 07:18:45
香霖堂支店 産廃店
5. 名無し ■2009/09/21 11:50:41
たしかに読書邪魔されると本投げたくなるな
6. 名無し ■2009/09/21 13:35:56
最初からネタバレされてるようなもんか…?
あんまり本は読まないけど推理物でクリスティの短編集は面白かった。
7. 七紙 ■2009/09/21 16:27:14
攻めの霖之助も素敵…ふぅ
8. 名無し ■2009/09/21 17:09:23
本を読んでるのに内容が分かるのはつまらないよな・・・
9. 名無し ■2009/09/22 15:19:12
活字中毒ですが本は投げません。
それじゃ本が読めないんじゃないですか。
普通に殴りま(ry

ところでまりさいじめってやっぱり楽しいですね。
10. 名無し ■2010/06/17 03:34:10
中毒怖い
そしてゴミ屑ならぬゴミ箱攻めが読んでて痛かった
こういうえげつない発想は素晴らしい
11. ギョウヘルインニ ■2014/01/28 02:13:27
霖之助がいたって平常に思えてしまう。
何も間違っていない。
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