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『やはり野に置け蓮華草【中】』 作者: pnp

やはり野に置け蓮華草【中】

作品集: 7 投稿日時: 2009/11/30 01:44:49 更新日時: 2009/12/15 19:13:30
 彼女は確かに雛が幸せに生きていける世界を望み、命がけで行動を起こすことを決めた。
何故雛の為に命まで賭けられるのか。それは、その世界で雛が生きる事は同時に、自分自身の幸福にも繋がると信じていたからだ。
 厄を集める必要の無い雛は、近づいても何も起こらない身になる。
そうなれば、今まで以上に雛の傍で過ごせる。高価な厄払いの札なんて、もはやただの紙切れだ。
 しかし同時にメディスンは、その世界を雛自身が望んでいなかった場合の事を考えた。
そうなってしまうと、自分は勝手な思い込みで暴走し、大罪を犯した挙句、『誰も望まない世界』と言う訳の分からないものを手に入れてしまう可能性がある。
はたまた、何も手に入れることなく、この生命の終焉を迎える可能性だってあるのだ。
 故に、雛の真意を確かめる必要性を感じた。
本当に罪を犯してでも――雛に責任を負わせるつもりは毛頭無いが――手に入れるべき世界であるかの判断をする為、彼女は、雛を探し始めた。


*


 雛は、すぐに見つかった。
 暗い樹海の中で、必要以上に青々と茂る木の葉の間から僅かに顔をのぞかせる空を、じっと眺めているばかりであった。
凝視してみれば、空を見ているのかすら疑わしい程、雛の目は虚ろであった。
 それもその筈、彼女は物質的な何かを見ている訳ではなかった。
ただただ、“夢”を反芻し続けているのだ。
戻し、味わっては飲み込み、戻し、味わい、飲み込み――
 しかし、反芻する夢の“味”は段々と薄まっていく。
薄まるのは、飽きてきているのではない。慣れて、更に求めるからだ。
もはや、味わい尽くしているこの“夢”では足りないのだ。
 それ以上には到底手が届かないことなど、既知の事実だ。
 それでも貪欲になってしまうのが、無闇に知能の高い彼女らの悲しい性である。

「雛」
 控えめな声でメディスンが雛を呼ぶ。
しかし、暗くて静かな樹海の中では、十分通る声であった。
 切り株に座っている雛が、ゆっくりとメディスンの方を向き直し、笑んだ。
「まあ、メディスン。来てくれたのね」
 その笑顔は、雛の苦しみを理解している今のメディスンにとっては、ある種の凶器ともとれた。
身中に潜む彼女の心を、直に突き、切り、裂こうとせんとばかりに彼女に襲い掛かり、心のある場所まで立ち塞がる身体の壁をガリガリと抉るかのようであった。

 そんなまともでない錯覚に、メディスンは耐え切れなくなった。
「ごめんなさい!!」
 迫り来る正体不明の凶器を撥ね除けるかのように、叫び声にしか聞こえないような謝罪を繰り返す。
突然の謝罪に、雛は呆気に取られてしまった。
「ごめんなさい!! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!!」
「落ち着いて、メディスン。どうして謝っているの?」
 ようやく口を開いた雛の質問などまるで無視して繰り返される謝罪は、ガンガンと空気を揺らし、静寂が支配していた樹海に不愉快な賑わいを形成した。
 遠方で低級な妖怪が、突然響き始めた声に何事かと目を丸くしていた。
だが、音源付近に厄神がいることに気付くと、そそくさと逃げていってしまった。
食欲を満たすことだけが生きる理由であるかのような低級な妖怪すら、本能で「厄神に近寄ってはいけない」と言う事を理解していたのだ。

 繰り返し放たれる、悲痛な謝罪を、雛は黙って聞いていた。
次第に息切れし、メディスンまで黙り込んでしまった。
 沈黙が再び樹海に舞い戻ってきた。
 雛が落ち着いた口調で、再び問うた。
「メディスン。何を謝っているの? あなたが私に何をしたと言うのよ」
「宴会の夜」
「ええ」
「あんなことしたら、雛は次の日から大変だって、少し考えれば気付けた筈だった」
 突如生じた正体不明の痛みを押さえつけるように、メディスンは胸に手を当てた。
そして、ゆっくりと先を続ける。
「雛は厄神様で、みんなを気遣って、自分のやりたい事とか、行きたい場所とか我慢してるって、気付いてたのに、もう我が儘言わないって約束したのに、それなのに私は」
「いいのよ、メディスン」
「よくないよ! だって、私があんな誘いをしなければ、雛は傷つかずに済んだんでしょ!? 何かに耐えなくちゃいけない状況なんて生まれてこなかったんでしょ!?」
 再び、耳を劈く様な叫び声が、樹海に木霊する。
 メディスンの叫び声が、遠くなり、完全に掻き消えた後、雛は口を開いた。
「私だって、気付いていたわ」
「え?」
 メディスンが大きく目を見開き、佇む雛を凝視する。
雛は自嘲染みた笑みを保ちつつ、先を続けた。
「事が終わってしまえば、またいつもの生活に戻らねばならないのは百も承知だったのよ。私がその差に耐え切れなくて、勝手に傷ついてるだけ。あなたが負い目を感じる必要なんてない」
「だけど」
「どうしてそんなに罪を背負いたがるの?」
 メディスンの言葉を遮るように、雛が問うた。
違う違うと、メディスンは頭を抱えるようにしながら、首を横に振った。
「そんなんじゃない。私が悪いって決め付けたい訳じゃないの」
「じゃあ、どうして?」
「怖いの」
「怖い?」
「雛が私を嫌いになったらって思うと、すごく怖いの」
「私が? あなたを?」
 ゆっくりと、メディスンは頷いた。
暫くキョトンとしていた雛であったが、次第にふっと息を漏らし、くすくすと笑い始めた。
「私があなたを嫌いになる訳ないわ」
「そんなの、分からないじゃない」
「私を信じてくれないの?」
「信じたいよ。信じたいけど、もしも、雛が私を恨んでいたら」
「全くもう。しっかりしなさい。あなたらしくないわ」
 雛は笑ったまま言う。
「あの日限りと言う訳じゃないんだから」
「それは、そうだけど」
「約束する。私は絶対、あなたを嫌いになんてならないから」
 俯き、手を握り締めているメディスンに、雛はやさしく語りかけた。
「だからあなたも、私を好きでいて。そして、私に夢を見させて頂戴」
「夢?」
「あなたと一緒に、とても幸せに過ごす夢。それが叶う日があるってなれば、私はもうちょっとがんばれるから」
「……」
「それじゃあね。鈴蘭畑で待っていてくれれば、仕事がある程度片付いたらすぐ行くから」
 そう言い雛はメディスンに背を向け、その場を飛び去ろうとした。
 しかしそれは、体に掛かった不自然な重みによって阻害された。
バランスを崩した雛は、そのまま地面にうつ伏せに落ちた。
 何事かと振り返ってみると、メディスンが雛にしがみ付いていた。
がっちりと手を組ませている所を見ると、放す意志などないのが感じられる。
「メ、メディスン!! 離れなさい!」
「嫌! もう行かないで! 厄なんて集めないで!」
「私が厄を集めないと、幻想郷が」
「どうしてよ! みんな私達を嫌ってるんだよ!?」
 完全に雛の言葉を無視し、メディスンが叫んだ。
 どうにか厄の影響が及ばぬ距離を空けなければならないと、雛はメディスンを引き剥がそうとするが、離れない。
雛に必死に抗いながら、尚もメディスンは叫び続ける。
「嫌ってる奴らの為にどうして不幸になろうとするの!? こんな世界で雛はいいの!? こんな世界だから雛は不幸なんだっ! 世界を変えないと、雛はずっと不幸なままなんだよ!」
「メ、メディ」
「私の事、好きなんでしょ!? 好きならもうどこにも行かないでよ! どこにも行かなければ一緒にいれるんだよ!? 私達を煙たがってる奴らみんな見捨てるだけで幸せになれるんだよ!?」


 そう言った瞬間、先ほどとは比にならないほどの痛みがメディスンの全身を襲った。
雛が弾幕を放ったのである。
 至近距離からの激しい弾幕を受けたメディスンは、雛から離れ、ごろごろと地面を転がった。
大量の土や草が、髪やスカートに付着した。
 よろよろと起き上がり、雛を見る。
 雛は、とても悲しそうな目をしていた。
「メディスン。それは違うわ」
「何が、違うの」
「あなただって、気付いている筈よ。大切なものを傷つけてまで得た至福に、大した価値はないってことに」
 そう諭され、メディスンはハッとした。
 雛を傷つけてしまったかもしれないと言う不安を抱えていたメディスンは、あの宴会の夜の事を酷く後悔していた。
あの宴会の夜は、間違いなく幸せな一時であった。それなのに、後悔していた。
 呆然とするメディスンを見て雛は、自然に彼女が過ちに気付けた事を悟った。
「幻想郷が壊れれば、あなただって不幸になる。そうして厄の影響を受けない私が幸せになったって、私は心から喜べやしないわ」
「ひ、雛。私」
「メディスン。あなたは、すごく優しい子よ。私のことをこんなに気遣ってくれているのだもの。でも、少し視野が狭い」
「……」
「それをもっと、いろんな方面へ向ければいい。そうすればきっとあなたは、いろんな人と仲良く、幸せに生きていけるから」
「いいよ、そんなの」
「え?」
「雛以外の誰かと、幸せになんてなりたくない。幸せになんてなれない」
 目の前に立つ毒人形の少女は、あろう事か、世界より自分を選んでくれていた。
雛は、ゆっくりとメディスンに歩み寄る。
一メートル弱の距離を開けた場所からそっと手を伸ばしてメディスンの頭を撫でようとし、途中で手を止めた。
「本当に、本当にありがとう」
「……」
「こんなに嬉しいのに、涙すら出てこないの」
「それはそうだよ。私らは人形だ」
 体中に付いた土や草を払い、メディスンが雛に背を向けた。
「私だって、自分の愚かさが嘆かわしいのに、涙なんて出てこない」
「……」
「人形には、血も涙もないんだから」





 青い空。白い雲。茂る緑。果て無き大地。
全て――即ち世界――がひどく憎たらしく、メディスンの目に映った。
 結局、雛は世界の変化を望んでいるか否かは確認できなかった。
だがそれ以上に、彼女と出会い話したことで、様々な思いが浮かんできた。
 大切なものを傷つけて得た至福に大した価値はない、と雛は言っていた。
 そこで、大切なものを思い出してみた。
 大切なものは、いくつか見つかった。
しかし、どれもこれも、『厄神 鍵山雛』を超越する事は、どうしてもできなかった。
 雛は、この不幸な世界で満たされぬ生活を送っている。 
大切なものを傷つけるこの世界での生活においては、メディスンに真の幸福など恐らく永久に巡ってこない。
 ならば、世界を変えて見せようと、メディスンは決心した。
「スーさん、もう帰ってこれないかもしれない」
 大切なものの一つである鈴蘭の花びらを撫でる。
思えば、この草も毒草ゆえ、嫌われている。そしてその毒を操る自分も嫌われている。
この世界は、メディスンとその周辺のものを嫌う兆候があるらしかった。
 やはりこの世界は、自身にどうしようもなく不都合な世界だと再認識した。
ならば、生きる世界を変えなくてはいけないと思った。
このまま世界の言いなりになって泣き寝入りするなど、メディスンは絶対に耐えられなかった。
 雛と、自分自身の幸福の為、メディスンは身を滅ぼす覚悟を決めた。
 そして、人里へ向かった。


*


 人里付近の茂みから、メディスンはじっと行き交う人々を観察していた。
 談笑する女。物を売る男。遊ぶ子ども。飼い犬。飼い猫。野良犬。野良猫。
その全てが、とても幸せそうに過ごしていた。
その幸せ者達が織り成す世界は、不自由なんてほとんど無いかのようにメディスンの瞳に映った。
雛の不幸――大切な者の不幸――と言う代価を支払って作り出された、憎き者達の為の幸福な世界が目の前に広がっている。
「何で、お前らなんかが」
 メディスンは呟いた。
渦巻く憎悪を体外に漏らさないようにと言った感覚で歯軋りをする。
憎悪などと言う抽象的なものを外へ出したら、一緒に毒まで出てしまいそうだった。
 この人里に、大切なものなど何一つとしてなかった。
物言わぬ人形へ身勝手で独善的で独りよがりな愛情を注げるだけ注ぎ、飽きたり壊れたりしたら掌を返すように見向きもしなくなる生物。
自分達は欠点だらけなくせに、物にはいつだって完璧を求めてくる生物。
そんな生物に、一体全体、どんな価値を求めればいいのか、彼女には理解できなかった。
雛を信仰し、生きながらえさせる物くらいにしか、彼女は人間を見ていなかった。
 もしも新たな世界勝ち取った時、人間は雛を信仰しなくなるのではないかと言う問題は、どうにでもなることであった。
雛がどんなに落ちぶれようとも、メディスンにとってはそんな事、至極どうだっていい事であった。
最後の最後まで、自分は雛と一緒にいたいと願える自信があった。それが信仰に繋がれば、雛はきっと消えはしない。
仮にダメでも、いざとなったら毒による洗脳で補ってしまえばいい。人間の意志など毒で意図も簡単に操れる。
 それよりも今は、新たな世界を獲得することに集中しなければならない。それができなければ元も子もないのだ。


 辛抱強く待ち続けた甲斐があってか、茂みからほど近い道を細めの女性が通りすがった。
人間であるが故に、メディスンよりも背は高いが、人間同士で比べてみれば、比較的華奢な印象を受ける。
 こいつがいい、とメディスンは思った。更に身を屈め、その瞬間を狙い定める。
 その距離が、視覚的に判断して最も自身から近い位置に来たと判断した、その瞬間。
 茂みから飛び出したメディスンは、あっと言う間に女性の首を掴んだ。
「え?」
「動かないで」
 努めて冷ややかな声でメディスンが囁く。
女性は状況を理解できていないらしく、困惑していた。
「ちょっと。な、何なの? 私が何を」
「ここに座ってくれる? 言う通りにすれば、何もしないから」
 いくら小さな愛らしい人形の姿をしていると言えども、メディスンが妖怪である事に変わりはない。
女性は言葉を失い、その場にペタリと座り込んだ。
 メディスンは、人質をとったのである。
こうすれば、そう簡単には相手側も手出しすることはできないだろう、と踏んだのだ。

 遠巻きからその瞬間を目撃した男性が、声を上げた。
「おい! 誰かが妖怪に襲われているぞ!!」
 その声がまるで号砲であるかのように、人里の家という家の扉が、続々と開きだし、中から人間が出てきた。
そして、小さな毒人形が行っている凶行を目にするや否や、声を荒げた。
「妖怪だ!」
「何てことだ! くそっ」
「子どもと女を避難させるんだ!」
「誰か、巫女を呼んで来い!」
「慧音さんはいるか!?」
「何でもいい、武器を持って来い!」
「下手に近づくんじゃないぞ!」
 メディスンの凶行は、人里に大混乱を巻き起こした。
泣き声、怒号、叫び声。
とにかくこの世のうるさい声を掻き集めて一気にぶちまけたような、品の無い喧騒が人里に溢れかえる。
 メディスンは眩暈を覚えた。
目の前の人間達の表情は、皆強張っていた。
その視線からは、憎悪や敵意や畏怖や侮蔑と言った負の感情以外、何も感じることができない。
今自分は、どうしようもないくらい、世界からの迫害を受けているのだと思った。味方など一人もいない。
 こんな状態に陥っている自分が、まるで自分でないようだった。
少し離れた位置から、人里の全ての人間から罵詈雑言を受ける、哀れで我が儘な女の子を傍観しているかのような感覚であった。
全ての音が、まるで瓶詰めされたかのようにくぐもって聞こえた。
目に映る全てがありえない挙動でぐるぐると回っているように思えた。
 もしも人形に涙があれば、きっとメディスンは泣いてしまっていたことであろう。
幼い彼女に、今のこの状況は、あまりにも荷が重たすぎた。
 しかし、彼女は耐えて見せると心に決めた。
もう、後戻りはできないとすぐに理解したからだ。
「博麗の巫女を呼んできて!」
 幸せな世界への一歩を、彼女は遂に歩み始めた。
茨だらけで、デコボコで、道と言うのも渋ってしまうような獣道を歩み始めたのである。
厄神でさえ辿り着くことができず、到達を諦めた世界を目指して、小さな毒人形は歩み始めてしまったのである。


*


 頻繁に宴会場に設定される博麗神社の境内。
誰もが知っている場所であるのが最大のメリットである。その他にも、広すぎないと言うのもよい点に挙げられる。
結界を管理する偉大な神社である割には狭いと言う考え方もできる。
 鍵山雛は、その博麗神社の境内にいた。
多くの者が集うこの地には、厄などあってはならないのである。
 神社と言う神聖な場所ゆえに、巨大な厄はないものの、細かな厄は封殺しきれていないようだった。
それを雛は、丁寧に取り込んでいく。自身の内に厄が蓄積されていくのを感じた。
「また、穢れていくのね」
 宴会の夜から、自分は大きく変わってしまったと思っていた。
過去に捨てた感情が再燃した、とでも言えば適切であろうか。
しかし、メディスンも厄そっちのけで自分にしがみ付いてくるなど、彼女も少し変わってしまったようだと雛は思った。
 セルフコントロールを怠ったツケが回ってきたのだと、雛は自分自身を恥じた。
メディスンは幼いのだ。彼女に罪を擦り付けるのは、あまりにも大人気ない。

「終わったぁ?」
 博麗霊夢の声が後ろから聞こえ、物思いに耽っていた雛はビクリと体を震わせた。
すぐさま後ろを向き、微笑んだ。
「終わりましたよ」
「どうしたの。妙に驚いていたけど。何かやましいことでもしたの?」
「いえ。考え事をしていただけです」
「考え事。ああ、もしやあの毒人形の事?」
 ズバリ言い当てられてしまい、雛は言葉に詰まった。
勘の鋭さで有名な博麗の巫女の名は伊達ではないようだった。
「どうして、そう思うのです?」
「この前の宴会。ずっと一緒にいたじゃない。だから」
 ああなるほど、と雛はポンと手を打った。
厄のなくなった境内で霊夢は箒を持ち、境内を掃き掃除しているような、そのフリのような、とにかく地面を箒で摩る動作を始めた。
「あれだけ一緒にいれば気付くわ。まあ、他の奴らは自分の事に夢中で、あんたの事は眼中になかったみたいだけど」
「そうですか」
「あんまり一緒にいると、変な毒に侵されるわよ」
「そんなことはないですよ」
 少し強い口調で雛が言い返す。
「メディスンは本当にいい子なんです。ただ、少し世間に慣れていないだけで。我武者羅に毒を出したりなんてしない」
「そうだといいんだけどね」
「本当です。本当に優しくて」
「分かった分かった」
 穏やかな厄神が、珍しく感情を前面に押し出してきたことに、霊夢は少しだけ驚いた。

 ザァザァと、竹箒が石造りの地面を擦る音ばかりが、参拝客などほとんどいない博麗神社に響き渡る。
そこで霊夢は、ふとこう切り出した。
「今日は一緒じゃないのね」
「ええ、まあ」
「どうしたの? 喧嘩でもした?」
「いえ。別に」
 まさか「あなたが酔った勢いで私に貼った厄払いの御札も原因の一つかもしれないです」とは言えまい。
だがここでも、霊夢の勘の鋭さが炸裂した。
「あ。まさか、あの御札が原因だったりする?」
 またもや思っている事をピタリと言い当てられてしまい、雛は驚愕した。
ここまでくると、この巫女には読心術か何かでも備わっているのではないかと思えてくる。
 雛はあくまで無表情を保ったつもりだったが、どうやら微妙にうろたえてしまっていたらしく、霊夢がばつの悪そうな顔で目を伏せた。
「あちゃー……。それは悪いことをしたわね」
「いえ。あなたは悪くないんです。その、私が、あの日の夢から抜け出せていないだけと言うか、何と言うか」
「夢って、現実だったでしょ、あれは」
「夢のようなひと時でしたから」
「ううっ。ますます罪悪感が」
 頬を人差し指でポリポリと掻き、そこで思い出したように掃除を再開した。
「中途半端な優しさは、返って残酷なものねぇ」
「そうかもしれませんね」
「じゃあ、もう妖怪退治に情を挟むの止めようかな。やると決めたら徹底的に」
「そ、そんなにしなくたっていいでしょう」
「あら。愛しの毒人形がそんなに心配?」
 意地悪く笑む霊夢。
「そういう訳では、って、まあ、それも少しあるんですけど」
 雛は手を胸の前で重ね、照れくさそうにそう言った。
霊夢は少しだけ声を出して笑った。
「あの毒人形があんたの言う通りのいい子なら、私の世話になることもないでしょうに」
 恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、雛は急にお辞儀をした。
「で、ではっ、私はこれで」
「ええ。お疲れ様」
 雛はもう一度軽く頭を下げると、博麗神社を飛び去り、次なる目的地へと向かった。


 雛が博麗神社を離れて、そう時間が経っていない時であった。
掃除か、それのフリの動作が終わり、休憩を取っていた霊夢のいる神社へ、三名の人間が走ってきた。
「あら? 参拝客かしら」
 久しぶりのまともな客の登場に胸が躍ったが、その表情から、すぐに参拝客ではないことに気付いた。
大方、妖怪退治の依頼であろう。
不謹慎ではあるが、正直つまらないと思った。
 ドタバタと階段を駆け上ってきた三人の人間は、口々に声を上げた。
「巫女さん一大事だ!」
「霊夢さん! 助けてくれ!」
「妖怪が出たんだ妖怪が!」
「いっぺんに喋らない。聞こえないわよ。落ち着きなさい」
 お賽銭のチャンスを逃した霊夢は、若干不機嫌であった。
だが、そんな事は知った事ではないと言わんばかりの慌しさで、人間はこう伝えた。
「里に妖怪がきて、人質をとってるんだ!」
「妖怪が人質ぃ? また面倒なことをしやがるわねぇ」
 つまりは退治や救出の依頼であろうと察し、霊夢が御札や針を準備しだした。
その動きがあまりにも悠長なので、人間は地団太を踏んだ。
「は、早くしてくれよ!」
「急いては事を仕損じると言うでしょうが」
 と言いつつも、あまりにゆっくりしていると神社の不信に繋がりかねないので、少しだけ手を早めた。
準備しながら、状況を聞く。
「で? どんな奴が、何をしてんの」
「小さい、金色の髪の付喪神なんだよ」
「小さい、金色の髪の。そいつ、もしや人形?」
「そう!」
 手が止まった。
 これは何かの因縁だろうかと、苦笑いしてしまった。
急にピタリと動かなくなった霊夢に、人間は怪訝な表情を向けた。
「ど、どうしたんだ?」
「いえ。何でもないわ」
 準備を終えると、先に行っているからと伝え、霊夢は訪れた人間達を置き去りにして里へ向かった。
 空を飛びながら、先ほどの厄神との会話を思い出していた。
「どこがいい子なのよ。どこが」
 少しだけ気が引けたが、そんな理由で退く訳にはいかない。
それなりに幸福な生活の維持の為、霊夢は人里へ急いだ。


*


 人里は、完全に硬直していた。
女性を人質に取ったまま、自分を睨んでいる人間達を、メディスンは睨み返していた。
人間達は人質をとられている以上、下手な手出しができない。
尤も、人質がいないとしても、妖怪に果敢に攻めていく人間などそういないだろう。

 家の影から、上白沢慧音がメディスンの動向を窺っていた。
人ではない慧音がメディスンに姿を見せると、相手が不安から逆上してしまう可能性がある。
故に彼女は、姿を見せずにいた。
付近にいた男に話しかける。
「動く気配はないんだな?」
「まあ、一応」
「それなら、霊夢の到着を待とう。絶対に刺激しちゃダメだ」
「慧音さんが歴史を食って、あいつを無かったことにしちゃダメなのか?」
「簡単に言うな。個人をなかったことにしてしまうのは、殺すに等しい残酷なことだ。そう簡単にはできない」
「残酷って、あいつはもう罪を犯してるのに」
「あの妖怪の気持ちも汲んでやらないと。何でもかんでも封殺すれば解決したように見えるが、それは表面上だけの話だ」
「あんな危ない妖怪の気持ちなんて汲んでいたら、命がいくつあっても足りやしないよ」
 悪態を突きながら、その場を離れていった。
 基本的に慧音は人間が好きだが、時折見えてしまう人間の身勝手さが苦手であった。
異物は何でも障害であると判断し、切り捨てようとする。
もしもメディスンが人間であったりしたら、さっきの男は今と同じ態度を見せるのだろうか。
 慧音は完全な人間ではない故に、その辺りの人間の感情をよく知っておく必要があった。
人間にそういう感情がある限り、自分が里を追われてしまう可能性がゼロだと言いきれないからである。
 暫くそんな考え事をしていると、霊夢が慧音を訪ねてきた。
「遅くなったわね」
「霊夢」
 心底安心したような、安堵の溜息を付く慧音。
「で、妖怪は?」
「あっちの方で女性を一人、人質に取っている。何でも、お前に話すことがあるそうだ」
「私に?」
 驚いた様子で自分を指差す霊夢。
慧音はコクリと頷いた。
「被害者は出さないようにしてくれ」
「分かってるわよ。任せなさい」
 袖の裏に御札を隠し持ち、霊夢がメディスンの元へ向かった。
慧音も一応、彼女に付いて行くことにした。
要求通り霊夢が来れば、自分の事など見てはいないだろうと思ったからだ。


 博麗の巫女の登場で、一同がざわつき出した。
人という人が一歩退き、霊夢の通り道を作り出す。
慣れない状況に、少しだけ不自然さを覚えつつ、人で作られた道を霊夢は通った。
 遠くで女性一人の傍に立っているメディスン・メランコリーに、霊夢が声を掛ける。
「来てやったわよ」
 人質が逃げないようしっかりと見張りながら、メディスンも声を出す。
「武器を捨てて!」
「なんと。やっぱり読まれてた」
「早く! じゃないとこいつを殺すわよ! 悪い毒に侵して、死体からもその毒が出るようにしてやるんだから!」
 メディスンのこの一言に、人間達は再びざわめき出した。
小声で恐ろしいとか、人でなしとか囁きあっている。
 確かに人ではないなとか思いながら、仕方無しに霊夢は隠し持っていた札と針を地面に捨てた。
掌をひらひらと振り、丸腰であることをアピールする。
「ほら。これで全部よ。証明はし切れないけど。用件は何? どうしてあんたはそんな事をしてるの」
 あまり長い時間こうしていると、対策を練られてしまいそうだったので、メディスンは要求を伝えることにした。
「私は、外界へ行きたいの」
「外界へ?」
 思いもよらないメディスンの要求に、霊夢は目を丸くした。
「どうして外界なんかに行きたいの」
「ここが嫌いだから」
「なるほど」
 端的で実に分かりやすい理由であった。
宴会での様子とか、花の異変の際知った性格などから察してみると、なんとなくその理由が分かる。
メディスンはこの幻想郷がどうしようもなく嫌いで、生活するのが苦痛だから、外へ行きたいと言っているのだ。
 だが、そんな事が許される筈がない。
どうにか説得して、事なきを得ようと霊夢は、自分なりに努力してみることにした。
「しかし、一人で行くの? 一人で行って楽しいと思う?」
 つまらなさを強調すれば、行く気も失せるのでは、と言う狙いを含めて問うた。
メディスンは少し言葉に詰まったようだった。
「違う。私の予定では、一人じゃない」
「予定では?」
 ここで霊夢は、ようやく彼女の思惑を察した。
メディスンは、厄神と共に外へ逃げるのを希望しているのだと思った。
一応、それを聞いた。
「まさか、厄神と?」
 どうしてそれを知られたのか、メディスンは分からなかったらしく、驚いた様子を見せた。
そして暫くし、無言で頷いた。
 それをきっかけに、ますます人間達は騒ぎ始めた。
「今度は厄神を人質にとる気か!?」
「どこまで俺達を陥れたいんだ!」
 彼女の真意も知らないくせに推測だけでガタガタ騒ぐな、と言う言葉をどうにか飲み込み、霊夢は先を続ける。
「先に言ってしまうと、外界へは行けない。と言うか、行かせない」
「何故」
「そういう決まりなの。何でも受け入れるけど、ぽんぽんと外へ放るのは禁止してるから。簡単に外界へ出るのを許したら、妖怪が何をしでかすか分からないでしょ」
「じゃあ、交渉決裂って事?」
 メディスンが女性の口に手を入れた。
慌てて霊夢が叫ぶ。
「ああ、待ちなさい! 無論、もっと別の方法を考えるわよ」
「何があるの? 外界へ行く以外、私の欲求を満たす方法があるの?」
「えーと、ほら、あの厄払いの札とか」
「あれは永遠じゃない。持続すらしない」
「じゃあ、うーんと、ちょっと待ちなさいよ」
「ほら何も無い」
「簡単に解決できる問題じゃないでしょ。分かりなさい」
「そうやって時間を稼いで何をするつもりなの? どうせみんな私を殺す方法しか考えてないんでしょ!」
「ま、待ちなさい! 落ち着きなさいよ! いい!?」
 極度の緊張に耐え切れなくなったのか、メディスンの声は段々と荒くなっていく。
一触即発のその場の雰囲気を一気に崩したのは、空間に入った亀裂であった。
 亀裂はベロンと剥がれる様に拡がり、その中から手が現れた。
メディスンはその亀裂に気付く前に、手によって中へと誘われた。
そして正体不明の空間を通り、視界が元に戻ったと思った頃には、博麗霊夢の目の前にポトンと落とされた。
「え? あ、あれ?」
 人質にとったはずの人間は遠方で泣きじゃくっている。
話し合っていた筈の博麗の巫女がすぐ傍に立っていて、驚きの表情を見せている。
「ゆ、紫!?」
「見ていられなかったわ。危ない危ない」
 スキマ妖怪の八雲紫が微笑んだ。
「何であんたはこんな所にいるの」
「神社に行って、あなたにおはようのキスでもしてあげようと思ったら、あなたがいなくてね」
「もうお昼前なんだけど」
「そこで神社にいた人間に事情を聞いたら、人里にいると聞いて、そしたらこの有様って訳」
 二人の会話からメディスンは、この突然現れた妖怪が、永琳が言っていたスキマ妖怪である事を察した。
絶対に相手にしてはいけない、と言う永琳の警告は事実であったようだ。
「それで? この妖怪はどうするつもりなの?」
 紫が呆然とするメディスンの頭にポンと手を乗せる。
「ああ、変な気を起こさない方が身の為よ」
 そう耳元で囁かれ、メディスンは全く動けなくなった。
霊夢は顎に手をやり、唸った。
「本来なら結構な大罪だけど、まだ小さいしねぇ」
「精神的未熟さを考慮するか、否かと言う訳ね」
「そうそう」
 答えを出し渋っていると、ある男の一人が声を上げた。
「殺せ!」
――メディスンは元より、失敗してしまったら後が無い事は感じていたから、大した衝撃は無かった。
紫は人間の動向を傍観しているのが面白くて仕方が無いらしい。
故に、この一言に誰よりも驚いてしまったのは、霊夢だった。
 男の一言は、まるで静かな水面に投じた石のように、周囲を波立たせた。
「そ、そうだ! 殺してしまえばいい!」
「そんな危ない奴はさっさと封じてしまえ!」
「二の舞を踏むのは御免だぞ!」
「ちょ、ちょっと! 落ち着きなさい!」
 霊夢はその場の沈静に努めたが、興奮している大衆に、霊夢の声は通らない。
紫はくすくすと笑っているばかりだった。
そんな紫のわき腹を肘で軽く突き、霊夢が囁いた。
「ちょっと紫。まさかあんた、こいつらの意思を操ってるんじゃないでしょうね?」
「そんな事する筈ないじゃない。これは、人間達の素の感情よ」
 その真偽を確かめる術を霊夢は持ち合わせてはいなかったが、一先ず紫の言う事を信じる事にした。
 人間達から発せられる汚い言葉を、メディスンはじっと耐え続けていた。
どうせもう助かる事はないのだろうと感じていたからである。抵抗する事に意味を見出せなくなってしまったのだ。
 着実に近づきつつある自身の終わりを思うと同時に、自分の始まりを思い出してみた。
鈴蘭畑で孤独に過ごし、花が咲き乱れる異変の際に永琳と出会い、人間に慣れようとしている最中で雛と出会い――
全てが輝かしく感じた。思い出とは、勝手に美しく映えてしまうものなのだろうが、幼いメディスンにはそれが分からない。
 雛と出会い、障害はありながらも楽しく過ごしていた日々を思い出した。
楽しいと言いつつも、それに満足できなくなり、満たされようと背伸びをした結果が今の自分が置かれている状況だった。
その満たされない日々すら、終焉を目前に控えて思ってみれば、何とも輝かしい日々であった。
どうしてこんなに欲を出してしまったのだろうと言う、自嘲めいた想いが生まれてきた。
 雛と喧嘩とも言える、最悪な別れ方をしたのが、最大の後悔であった。


 鳴り止まぬ大衆の「殺せ」と言う叫びが、何か別の言葉に聞こえ始めたが、霊夢は動けずにいた。
確かに危ない事をしたのだが、実質被害者は一人もいない。
 うるさい大衆の声を背景に、一生懸命最善の選択を導き出していると、背景化していた大衆の声に、一風変わった声が混じったのを聞いた。
霊夢が空を見上げる。
青天に浮かぶ、赤黒い影。
「雛!」
 霊夢の声に釣られるように、誰もが空を見上げた。


*



 妙にやかましい人里を不信に思い、見下ろしてみたのが発端だった。
大観衆に囲まれるようにして佇む博麗の巫女とスキマ妖怪。
この二人が一緒にいるだけでも十分特異な事であるというのに、その中に見知った存在がもう一人いた時、雛はこれは何かの夢かと思えた。
 地面にペタリと座り込み、俯くメディスンの姿を、雛は見てしまったのだ。
 厄集めなんてそっちのけで、雛はその大観衆の元へと突っ込んでいった。

 厄神が急降下してくるのを見て人間達は、その役の影響を受けてなるものかと、夢中で道を開けた。
人間達で形成された道の間を雛は起用に通り抜ける。
「メディスン!」
「雛……!」
 嬉しそうだが、どこか悲しげな表情をメディスンは浮かべた。
雛はメディスンの前九十センチ程度の位置に止まり、膝を地面に付けて、メディスンと目線の高さを合わせた。
「どうしたの!? 何があったの!?」
 メディスンは言葉に詰まった。
『あなたと幸せに暮らせる世界を目指した』とは、言い辛かった。
メディスンの独断で決行した事ではあるが、それでも雛が負い目を感じてしまうであろうことは明確だったからだ。
 何も言わない――あるいは言えない――メディスンに代わり、霊夢が簡潔に問いに答えた。
「人間を人質にとって、外界への道を開けてくれと要求してきたのよ」
「外界? どうして外界なんて」
 これについても、霊夢はなんとなく察しが付いていた。
メディスンが自身の口から伝えないところを見ると、何か言い辛い訳があるのだろうと思った。
しかし、真相を伝えなければ、とても残酷な結末を迎える事にもなりえた。
このままメディスンを封印し、二度と動けなくすると言う処置を施さざるを得ない状況が生まれる可能性も十分にあったからだ。
そうなると雛は、その真相を知らずに過ごす事になってしまう。
 メディスンは口を閉ざしたままなので、これも霊夢が代弁した。
「あんたと外界に行って、幸せに暮らしたかったんだと思うよ」
「私と、外界?」
 驚愕の眼差しを霊夢に向け、すぐにメディスンを向きなおした。
「そうなの? メディスン」
 相変わらずメディスンは沈黙を守っていたが、暫くして、ゆっくりと、小さく縦に首を振った。
 雛は言葉を失った。
 勝手に傷ついて、沈みきっていたのは自分であったのに。
幼いメディスンに、こんな凶行に走らせてしまった自分を呪った。
 抱きしめて、何度も謝りたい衝動に駆られたが、それができるほど、彼女の体はキレイではない。
「ごめんなさい」
 小さく、そう呟いてやることしかできなかった。


「それで、この子の今後について考えてたんだけど」
「だから、封印してしまえばいいんだ!」
 話題が戻ると同時に、大衆の熱も再び戻ってしまったらしく、人里にやかましさが再発した。
この様子だと、封印する以外に道は無いか、と霊夢も思い始めていた。
しかし、雛の一言が、霊夢の決断をまたもや鈍らせた。
「お、お願いです! どうか、封印だけはしないであげてください! お願いします!」
 最愛の存在なのだから、護りたいと思うのは当然の感情であろう。
しかし、大衆がそれを許す筈もない。
「こんな危ない奴を放っておいたら、何をするか分からないだろう!」
「そうだ!」
「生きてる厄みたいなものだろ、こんな奴!」
 それなりの信仰を得ている雛の願いすら、人間は聞き入れる気はないらしい。
 雛と大衆の両方を見比べ、霊夢は唸った。
一体、どちらの意志を尊重してやるべきなのだろうかと。
 すると雛は大衆の方を見やり、こう言い放った。
「メディスンを封印すると言うのなら、私も一緒に眠ります」
 この一言に、大衆はまた別の形でどよめき出した。
厄神を封印することとは即ち、幻想郷に蔓延する厄を野放しにしてしまうに等しい行為だからだ。
そんな中で、今までどおりの生活などできる筈がない。
 メディスンを生き長らえさせる為に雛ができる最後の手段は、世界そのものを盾にすると言う、とてつもなく壮大なものであった。
この大胆な手口に、紫は笑みを隠し切れない様子で、くすくすと笑っている。
幻想郷の行方を傍観しているのが、楽しくて仕方がないのだろう。
 メディスンを封するか、否か。人間達の意見に迷いが生じだした。
「確かに、あの人形は危ないが」
「けど厄神がいなくなったら、俺達はどうなってしまうんだ?」
「それでもあの人形は、私達の生活を脅かしたわ」
「そもそも、どうして厄神はあの人形に肩入れするんだ」
 口々に疑問や意見を出し合っていたが、結局纏まる事はなかった。
 霊夢は双方の意見を踏まえ、こう切り出した。
「それじゃあ、メディスンは封じない。代わりに、どこかへ半永久的に幽閉する、と言うのはどうかしら」
「幽閉?」
「一切の外出を禁ずるの。無論、殺したり、封印して二度と動けなくしたりはしない。そして長い長い反省期間を経たら、もう一度外へ出させてあげる」
「それは、本当ですか?」
「約束は守るわ。神社の信用に関わってくるから」
 これに文句のある者はいるか、と言う霊夢の問いに、人間達は誰一人口を挟まなかった。
ぶつぶつと小声で異議を唱えている者が何名かいたので、それらを指名して喋らせてみたが、何でもないと言うばかりであった。
 この方針を受け、雛は霊夢に何度も礼を言った。
「しかし、どこに置いておくのよ」
 紫が問う。
霊夢は、ある方向を指差した。
「永遠亭でどうかしら。外部との距離が空いてるし、万が一の事があっても解毒ならできるだろうし、何しても死なない奴らが三人も近くに住んでいるのだし」
 かくして、メディスン・メランコリーは永遠亭に幽閉される事となった。



*



 普段の一食分の食事より、若干少なめの食事が乗せられた盆を持った永琳と、鈴仙はすれ違った。
その表情は、暫く見た覚えが無いほど晴やかであり、その足取りは、やけに軽そうに鈴仙の目に映った。
「師匠」
 鈴仙がすれ違いざまに声を掛ける。
永琳が振り返った。
「何?」
「ええと、その」
 呼び止めたのは鈴仙であったものの、言葉に詰まってしまった。
聞きたいことは確かに存在する。しかし、それを上手く言葉で表すことができない。
「……嬉しそう、ですね」
 自身に内に生じている、不自然さ。不信感。疑問。
相手を不愉快な気分にしないよう、これらの感情を纏めようと思ったら、鈴仙にはこう言うのが精一杯であった。
 永琳は笑顔で答えた。
「ええ。とても」
 言い終えるとすぐに、永琳は再び振り返って歩いて行ってしまった。
もう一度呼び止めようとして、止めた。
どうせこの感情を言葉にする事など、この場ではできそうになかったからだ。
 永琳は、少しだけ足を速めた。
 長い廊下に大量に設けられた扉の一つを開ける。
そして、中にいる者の名を呼んだ。
「メディスン」
 幽閉中のメディスン・メランコリーが、開け放たれた扉の方をゆっくりと向きなおした。
その目は、不機嫌と寂寥を足したような、とにかく見ていて気持ちのよい表情ではなかった。
 永琳はそんなことはお構いなしに、メディスンに近づいていく。
「ご飯よ」
 そう言うと永琳は、食事が乗った盆をメディスンの前に置いた。
作りたてらしく、ご飯や味噌汁からは湯気が立ち上っている。
「さあ。召し上がれ」
「私人形だから、何も食べなくても大丈夫だよ」
「でも、食べても害は無いんでしょう?」
「うん」
「じゃあ食べて欲しいわ」
「分かった。頂きます」
 一つも表情を変えぬまま、メディスンは箸を持った。
しかし、箸を使い慣れていないらしく、豆の煮物などは愚か、白米すら口に運べない有様であった。
不機嫌そうな表情が更に曇っていく。
それを見かねた永琳が立ち上がった。
「フォークとスプーンがいいかしら」
「手で食べるからいいよ」
「そんな、お行儀の悪い。待ってなさい。持ってくるから」
「うん。ありがとう」
 永琳が退室し、部屋にはメディスンと、お供の小さな人形だけになった。
 手で食べようと思えば食べれたが、大して食欲など無いので、メディスンは永琳の帰りを待つ事にした。
 おかしくなりそうなほど、静かな部屋だった。
自分が喋らない限り何者の声も聞こえないし、自分が動かない限りの何の音もない。
この部屋が、外の世界から遠いと言う事をひしひしと感じた。
 誰との関わりも持たない生活を、以前は営んでいたことを思い出した。
 いろんな者との関わりを持つ生活を経た所為だろうか、この静寂はやけに身に沁みた。
鈴蘭畑にいる時には感じなかった、どうしようもなく悲しい感情が芽生えていた。
 そんな感じで物思いに耽っている最中、永琳が戻ってきた。
「お待たせ」
フォークとスプーンを手渡した。
「どうぞ」
「うん」
 ようやく食事にありつく事ができた。
とても美味しかったのだが、やはり大した食欲はなかった。
 どうにか用意された食事を食べ切ると、永琳が食器を持ち、立ち上がった。
「果物はいる?」
「ううん。いい」
「何か欲しいものはある?」
「特にない」
「そう」
 再び永琳が退室すると同時に、静寂が訪れた。



 霊夢と紫が、メディスンの幽閉を頼みにきた時、永琳は心密かに喜んでいた。
多少の障害はあるものの、メディスンがすぐ近くにいると言う、夢にまで見た状況が確立されたからである。
メディスンは外に出る事はできない。出してはいけない。
故に、永琳は上機嫌であったのだ。
まさかこんな形で、メディスンとの共同生活が実現してしまうとは、思ってもいなかったからだ。
 平生から、メディスンに対して少し異質な素振りを見せていた永琳を、鈴仙は心配していた。
そんな中でこの一件ときて、いよいよ鈴仙の不安は限界点に達した。
 案の定、永琳はメディスンの世話を喜んでやりだした。
永琳のそんな姿をほとんど見た事がなかった鈴仙は、どうにかしてこの異様な光景を止めたかった。
しかし、だからと言ってメディスンを追い出す訳にはいかない。
結局、自分にはどうしようもない問題なのだと割り切り、鈴仙はそれ以上の干渉を止めた。



 一夜が明けて、朝になった。
永琳はメディスンに朝食を届けに来た。
「メディスン、ご飯よ」
「うん」
 小さな膳を、そっとメディスンの前に置く。今度は最初からフォークとスプーンが備えてある。
いただきます、と小さな声で呟き、メディスンは食事を始めた。
相変わらず食欲はなかった。また、本人は特に意図していた訳ではないが、昨日から表情がほとんど変わっていない。
 まるで元気の無いメディスンに、永琳が語りかけた。
「メディスン、体調でも悪いの?」
「何で?」
「ずっと黙りっぱなしだから」
「別に大丈夫だよ」
「何か欲しいものはある?」
 昨日と同じ質問をしてみた。
メディスンは少し考えているようだった。
そして、フォークを置き、俯きながら呟いた。
「雛」
「え?」
「雛に会いたい」
 やはりきたか、と永琳は胸中で毒づいた。
あれだけ懐いていたのだから、そう簡単に忘れることもないだろうとは思っていた。
「それは、どうかしら。でも、どうして会いたいの」
「いろんな事を話したいし、話さなくちゃいけないと思うの」
「いろんな事?」
 彼女なりに一生懸命考えた結果を、ゆっくりとメディスンは語った。
「我が儘を言って心配かけちゃったこととか、ここにいなきゃいけなくなって前みたいに会えなくなった事とか。でも、私の言い分も聞いて欲しいの。悪い事をしたとは、一応思ってはいるけど、私にも私なりの考えがあったって事を、雛には分かって欲しいの」
 折角、傍にいられるのに、自分が蚊帳の外では永琳だって面白くない。
どうにか、こちらに気を引かせる必要があると感じた。
しかし、人形である雛と、人間である自分。人形と人間の差は、あまりにも大きかった。
何千年、何億年、何兆年――否、それこそ永遠に生き続けたとしても、永琳は人間以外の生物にはなれない。人形にはなれない。
 それでも、自分はメディスンの事を本当に愛しているのだと、メディスンに知って欲しかった。
「私だって分かってあげられるわ」
 自然と、そう口にしていた。
しかし、小さな毒人形は、無情にも首を横に振り、即答した。
「分からないよ」
 幼さ故の思慮の無さ、とでも言うべきであろうか。
ぐら付く心を強引に押さえ込み、永琳は続けた。
「そんなことないわ」
「だって永琳はこの一件に関わっていないんだもの」
「それでも分かる」
「何故よ」
「私はあなたが好きだもの」
 そんな言葉を重ねなれても、メディスンはろくに表情を変えない。
じっと永琳の目を見つめてきた。
永琳もその目を見つめ返す。
 暫く続いた沈黙を、メディスンが破った。
「じゃあ」
「?」
「雛に会わせて」
 メディスンの意志は、何一つ揺るいでいなかった。
心の拠り所は雛しかなかった。
目は雛を探し、耳は雛の声を聞き、手は雛を求め、ずっと雛を思い続けているのだ。
「だからそれは」
「永琳」
 言いくるめようとした永琳の言葉を遮り、メディスンが言い放つ。
「私の事、好きなんでしょ?」


*


 翌日、厄神が永遠亭を訪れていた。
 緊張した面持ちで、その扉を開く。
「ごめんください」
 そう言いながら中へ入ると、すぐに鈴仙と出会った。
「ああ、いらっしゃい」
「どうも。こんにちは」
 雛はお辞儀をし、鈴仙は会釈でそれに応えた。
鈴仙は事前に事情を知らされていたから、彼女をメディスンのいる部屋へと案内する。
長い廊下を歩き、ある一室の前で止まった。
「この部屋にメディスンがいます。面会時間は十五分でお願いします。それと、いかなる理由があっても、一緒に部屋を出たりはしないで下さい。そうなったら、こちらには殺害する権利も認められていますから、そのおつもりで」
「分かりました」
 部屋の戸を開き、雛が中へと入っていった。
 結局永琳はメディスンの願いを叶えてやることにした。
と言うよりは、叶えざるを得なかったのである。
 規則だと言ってメディスンの要望を叶えてやれないのは、メディスンの永琳不信に繋がってしまう。
そんな状況を永琳が許すはずがなかったのだ。
 しかし、皮肉なものであった。
メディスンに好いてもらう為に起こしたこの行動は、メディスンが最も好く者と会う事なのだから。
 永琳は雛が来ている間、一度もメディスンのいる部屋に近づこうとはしなかった。


*


 入ってきた人物を見るや否や、メディスンは数日振りにその表情を輝かせた。
「雛!!」 
「メディスン。久しぶりね」
 だが、その嬉しそうな表情も、長くは続かなかった。
続けてはいけないとも思っていたからだ。
しゅんと悲しそうな表情に戻ったかと思うと、俯き始めてしまった。
「メディスン? どうしたの?」
「雛。今日はとても大事な話があるから」
「ええ」
 改まったメディスンの態度に、雛は異質なものを感じた。
メディスンの前に座り、一呼吸置き、こう切り出した。
「話って何かしら?」
「私が人里でやったこと」
 何となく予想していた通りの流れであった。
雛は黙ってその言葉の続きを待った。
 メディスンも雛の発言を待っていたようで、暫く何も言わなかったが、雛に発言の意志が無いのを悟り、その先を続けた。
「とても悪い事をしたって言うのは、分かっているの」
「ええ」
「でも、考えなしにやった訳じゃない。雛が厄を集めなくてもいい世界を目指したかった。そうすれば、ずっと一緒にいれるって思った」
「……」
「私達は、普通じゃないんだ」
「普通じゃない」
 その言葉を雛は反芻した。
そして、そうね、と小さく答えた。
「普通じゃない者は、普通の者の為の世界じゃ、幸せにはなれないんだよ」
「……」
「私達には、私達にぴったりな世界がある。そう思ったの」
「それで、外界へ? 霊夢の言った事は本当だったのね」
「うん。でも失敗しちゃった。だから私はここにいるし、雛にも沢山迷惑をかけた。ごめんなさい」
「謝るのは私の方よ。結局、あなたをそこまで追い詰めてしまったのは、私がしっかりしてなかったからなのだし」
「それは違う。遅かれ早かれ、私はきっとこの選択をしてたと思う。ううん、きっとじゃない。絶対よ」
 雛はそれに反論しようとしたが、止めた。埒が明かないからだ。
お互いに、自分が悪かったと思っている。どちらかに責任を擦り付けようとしている訳ではない。
ならばそれでいいと思えた。
「雛。本当にありがとう。あなたがいなかったら、きっと私はここに来れてすらいなかった」
「いいのよ。気にしないで」
「それで、もしも雛がよければの話なのだけど」
「?」
「暇があったらここへ来て、私に会いに来て欲しいの。私は雛といたい。例えどんなに短い時間でもいいから」


*


「おかわりっ」
 そう言ってメディスンは、茶碗を永琳に差し出した。
「よく食べるわね。もう三杯目じゃない」
「お腹空いたもの」
 永琳に差し出された茶碗を受け取りながら、メディスンは答えた。
そして、茶碗の中の白米を掻き込んだ。
「ねえ、永琳」
「ん?」
「明日、雛が来るのよ」
 何の気なしに言ったメディスンの一言は、永琳の胸を貫いた。
「雛が、来る? ここへ?」
「そう。毎日よ」
「どうして」
「雛はまだ私の事好きでいてくれてたの。だから」
 フォークで漬物を突き刺し、口に運びながらメディスンが言った。

 永琳は愕然としていた。
 メディスンに誰よりも近づける存在となれた筈であった。
しかし、現状はこれであった。
雛は未だにメディスンとの交流を途絶えさせていない。
この交流が続く限り、永琳など結局蚊帳の外なのであろう。
 どうにか、雛の来訪を止めておきたかった。
「あまり外部の者との交流は好ましくないのだけど」
「大丈夫だよ。雛だもん」
「確証がないわ」
「だから平気なの。安心して」
「ダメよ。許せない」
「そんなに私と雛を会わせたくないの?」
 食器を置き、メディスンが問う。
じっと、睨むようなその目つきは、容赦なく永琳を揺さぶる。
「そうじゃないわ」
「じゃあいいじゃない」
「規則なのよ。それに、任された以上私達にも責任が」
「ねえ」
 またもメディスンは永琳の言葉を遮った。
「永琳は私の事好きなんでしょ?」
「――」
 薄々、永琳はある事に気付き始めていた。
 メディスンが、自分を嫌っている、若しくは煙たがっていると言う事実である。
裏を返せば、メディスンが雛と二人きりの空間を望んでいる、と言えばいいのだろうか。
雛と自分以外の、何者からの干渉も、如何なるものの侵入も受け付けない空間を望んでいる。
当然、その空間では、数少ない彼女の理解者であった筈の永琳すら邪魔なのである。
 そんな状態では、メディスンは永久に雛の虜となってしまう。
天から授かった折角の好機を、こんな事でふいにしたくなかった。
 永琳は必死に考えた。
雛を除外し、メディスンと一緒に永久を生きる方法を。
ありとあらゆる場面で、その事ばかりを考え続けた。




 それから数日後の事であった。
薬屋として機能している永遠亭の一角が妙に騒がしいので、永琳は何事かと様子を見に行った。
すると、慌てた様子の鈴仙と鉢合わせた。
「ああっ、師匠! 丁度よかった!」
「丁度いいも何も、あまりにもうるさいからこっちから来てみたのよ。何事よ」
「それが、魔理沙が変なキノコを食べて毒に当たったらしくて」
「あらまあ。症状は?」
「腹痛程度で収まってはいるんですけど、とても苦しいらしいです」
「分かったわ」
 永琳は、悶え苦しむ魔理沙の所へ向かった。
見ると、椅子の上に座布団を置いた物を複数個並べた簡易ベッドの上で、魔理沙が腹を押さえて唸っていた。
同伴者と思われるアリスが、腹を摩り続けている。
「あんな気色の悪いキノコ、食べるなって言ったのに!」
「き、気色悪くなんかないぜ。すごくおいしそうだったって……! 痛たたた……」
「珍しく食い意地なんて張って、酷い目に遭ったわね」
 永琳が苦笑いしながら、魔理沙を別室に運ぶ。
 到着した部屋で永琳は、採血の準備を始めた。
「な、何をするんだ?」
「血から毒を抽出して、解毒薬を作るの。安心なさい。すぐ作るし、すぐ効くわ」
 言いながら永琳は、あっと言う間に注射器を刺して血を抜いたと思ったら、すぐさまガーゼをして止血し、流れるような無駄の無い動きで解毒剤作りに移った。
その手際の良さに、アリスは勿論の事、腹痛に苦しんでいた魔理沙も驚いているようだった。
が、腹痛がすぐに彼女を現実に引き戻していた。
 解毒剤を作りながら永琳は、メディスンの毒を操る能力の事を思い出していた。
それと同時に永琳は、あるメディスンの特性を記憶の底から引っ張り出してきていた。
「そうだわ」
「ん? 何?」
「いえ、何でも。それより、できたわよ、解毒剤」
 完成した解毒剤を魔理沙に注射しながらも、永琳の頭の中はある計画で一杯であった。
雛を除け者にし、メディスンと暮らすことができる可能性を秘めた計画が、徐々に、月の頭脳の中で形成されていった。



 魔理沙の一件から、更に数日後の事であった。
 永琳は偶然、帰り際の雛を見かけた。
鈴仙にお辞儀をしているのが見えた。
きっとメディスンと楽しい時を過ごしたのであろう。その表情はとても晴れやかであった。
「それも、もうすぐお仕舞いだけどね」
 ポケットの中にある小さな瓶に入ったある薬と、注射器を思いながら、永琳は心中でほくそ笑んだ。
瓶に入っているある薬は、これと言った特徴はない、鈴仙にだって作れるであろう、ごく一般的なものである。
 昼食をメディスンへと届けるついでに、彼女は自身の計画を開始することにした。
「メディスン。入るわよ」
「いいよ」
 昼食であるうどんを持った永琳が、メディスンのいる部屋へ入った。
いつも通り、食事を置き、食べ終わるまでそこにいる。
 食べ終わったのを確認し、永琳がそっとメディスンに近づいた。
「ねえ、メディスン。ちょっといいかしら」
「何?」
「新薬のテストみたいなものかしら」
「薬? 私は人形だよ」
「人形にも効く薬なのよ」
「そんなものが作れたの?」
「ええ」
 それはすごいと、メディスンはあっさり、その“新薬”の投与を承諾した。
注射器に入れたそれを、メディスンの中へと注入する。
「? 何ともないよ」
「即効性がないだけよ」
 そう言うと永琳は、食器を持って立ち上がった。
「じゃあね」
「うん」


 永琳が去ってから、メディスンは注射された部分をじっと眺めていた。
 すると暫くして、どう言った訳か、妙な眠気に襲われた。
「ん。お腹一杯だから、眠いのかな」
 しかし妙であった。
今まで昼食を摂った後、眠気に襲われることなどなかったと言うのに。
目をゴシゴシと擦り、コテンと横になる。
 そこでメディスンは、自身の変化に気付いた。
「あれ?」
 壁に掛け軸が張られている。何度も見た掛け軸であった。
しかし何故か、その掛け軸がやけにぼやけて見えた。
「眠いから、目がよく見えないのかな」
 そう思い込み、メディスンは眠ることにした。
きっと疲れているのだと自分を納得させ、襲いくる眠気に身を委ね、死んだように眠った。




 何時間が眠り、ようやく目が覚めた。
 起きた時、掛け軸は余計に見えなくなっていた。
自分の体調の変化がいよいよ鮮明に表れ始め、不気味に思ったメディスンは、助けを呼ぼうと廊下に出ようとした。
しかし、手足が上手い具合に動かなくなっていた。
 おかしい、おかしい、おかしい――
まるで自分の体ではないかのようだった。お供の小さな人形も心配そうに浮遊している。
 動けないのなら、この場から助けを呼ぶしかないと悟り、メディスンはあらん限りの声で叫んだ。
「永琳! 鈴仙! てゐ! 姫様! 誰か、誰か助けて!」
 しかし、聴覚機能が上手く働いていないのか、発声が上手くできていないのか、はたまた両方か。
叫んだ筈の声は全くと言っていいほど聞こえなかった。
お供の小さな人形も、まるでトーンを上げるように指示しているかのように、何度もバンザイをしてメディスンを奮い立たせようとしていた。
 結局、助けを呼ぶ事など不可能であった。
 次第に体のあらゆる箇所がろくに動かなくなった。
目はほとんど見えなくなったし、手足も全く動かせなくなった。
声は辛うじて出せるものの、蚊の鳴くような小さな声が限界であった。
 座っていられなくなり、自然にメディスンは横になった。
再び訪れた強い眠気。
この眠気から覚めた時、自分は一体どうなってしまっているのだろうと、メディスンは震えた。
「雛」
 頼れる神様の名を、囁いた。
「ひな」
 愛する神様の名を、何度も何度も囁いた。
「ひ……な……」
 何度も何度も何度も何度も。
「――」
 何度も、囁いたつもりでいた。
 上下で完結させる予定でした今作品でしたが、このまま書き続けて下で完結まで向かってしまうと、
下が異様に長くなってしまうみたいなのです。
電子書籍は読みづらいと言われているので、長くしすぎるのはよくないと考え、三部での投稿とする事に決めました。
ご了承ください。


 今回は、少し恥ずかしい回です。特に雛とメディスンの会話はほとんど。
それでも、考えた物語を表すには仕方のない事です。
そもそも「極限状態」など書いた時点で、もはや怖いものなど何も無いと言うか何というか。(書きながら自己嫌悪に陥ってしまった、私の中の問題作です)
 それにしても、長いシリアスとは、とても大変なものですね。(果たしてこれがシリアスなのかは分からないのですが)
性格も相まって、本当に集中力が続きません。しかも表現が似たり寄ったりで悲しい。
 しかし、とてつもない達成感が魅力的です。
テキストファイルのサイズが大きくなるのを見て大喜びです。既に「『血に飢えた神様』」を追い越してしまっています。

 尚、【下】の投稿は、今年中を目標にしています。
12月はなかなか忙しいので、思ったように書けないかもしれません。
【下】も【上】【中】並の内容量を目指して頑張りたいと思います。(少し短くなるかも分かりませんが)
 ご観覧、ありがとうございました。

++++++++++
>>1
永琳もヤンデレ、メディスンもある意味ヤンデレ。類は友を呼ぶ。
下も楽しみにしていてください。

>>2
私はここが大好きですので、勿体無いも何も無いのです。
下の投稿は12月終盤になると思われます。

>>3
その漫画は鬼頭莫宏氏の漫画でしたっけ。「なるたる」と「ぼくらの」は読んでいるんですけどね。
店頭で見かけたら、手に取ってみようと思います。

>>4
幼いのに危ないメディスンはこうあるべきだと思います。
メディかわいいよメディ。

>>5
読み返して思いましたが、確かに今回は進展が少なかったですね。
下ではビュンビュン動き回れたらいいなと思っています。

>>6
まだ下があります。バッドエンドと決め込むのは早いかもですよ?
 ゆっくりと書かせてもらっています。下もお楽しみに。

>>7
 盛大に勘違いしていました。ご指摘ありがとうございます。
 NTRで検索してみたら、すぐに意味が分かってしまいました。
しかしまあ、鈴仙にはてゐがいますから結局えーりんは(ry
pnp
作品情報
作品集:
7
投稿日時:
2009/11/30 01:44:49
更新日時:
2009/12/15 19:13:30
分類
メディスン
永琳
12/15レス返し更新。(あとがきに記載)
1. 名無し ■2009/11/30 12:42:19
展開に飽きがこなくてすらすら読めてしまいました
【下】が楽しみすぎます
永琳から漂うヤンデレ臭…
2. 名無し ■2009/11/30 17:00:41
同じく読みふけってしまいました
本当に産廃には勿体無い作品です
雛とメディスンの間は悲恋に終わりそうな予感がしますが
早く・・・早く【下】が読みたい・・・ッ!
3. マジックフレークス ■2009/11/30 17:54:07
オシイマ信者なので人形愛はイノセンスを思い出します。【上】ではメディ雛の人形同士の想いに焦点が当てられていた気がし、
永琳の思いはデカルトのフランシーヌに対する様な親子愛的な人形愛だと考えていました。
ですが、この【中】で永琳が精神的に自立しているはずのメディスンを本当のただの人形のようにし(間違ってたらスイマセン)、
子供の役を無理強いしているような、依存への依存をしているような印象を受けました。
pnpさんが興味ないかもしれない話をコメでして申し訳ないですけれど、もし未読でしたら『ヴァンデミエールの翼』という漫画をお勧めします
pnpさんの創作に影響を与える気はありませんが、魂を宿した人形と人のかかわりというテーマとしては魅せる作品だと思います
……個人的に雛とヴァンデミエールは良く似ている気もしますし

長くなりましたけれど【下】楽しみに待っています
4. 名無し ■2009/11/30 21:43:06
悪い方向へ陥っていくメディスンがとても素敵に見えてしまいました。
下を楽しみにしています
5. ばいす ■2009/11/30 23:00:10
長さのわりに動きが少なかったかな、でもさくさく読めた。
ここからの反動を下でどう調理するか、どう歪むかが楽しみ。
6. 名無し ■2009/12/03 00:07:28
ああ、これは素晴らしい、実にBADENDへのルートを辿っていますね。
メディスンも永琳も、相手を思い過ぎる気持ちが破滅を招いていますな……
次が楽しみです。
長いシリアスは大変ですよね、分かります。ゆっくりと頑張ってください。
7. 名無し ■2009/12/12 22:38:59
「毒に犯される」→「毒に侵される」
誤字かどうか気になったんで一応、わざとかしら?

永琳はNTRがよく似合うなぁ。
輝夜も妹紅にとられ、メディも雛にとられ…。
鈴仙まで誰かにとられたらどうなっちゃうんだろう、ワクワクする!
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