ジョウント・ちぇん

作品集: 11 投稿日時: 2010/02/08 10:57:05 更新日時: 2010/02/08 11:20:33
「私、本当の家族になれているのかなぁ・・・」

 柔らかな日差しの下、橙は草原に足を投げ出すと、そうつぶやいた。
 頬にあたる風が心地いい。土の香りがする。

「藍しゃまも紫さまも、お二人ともとっても素敵なのに・・・私、迷惑ばっかりかけていて」

 そう思うと、泣きたくなる。
 ぐすりと鼻をすすり、橙は立ち上がった。

「・・・八雲」

 吾輩は橙である。
 苗字はまだない。

「考えていても仕方ないか!」

 私は、私なんだから。
 今できることを、精一杯やるだけだ。
 橙はしっかりとした足取りで、帰路にむかった。

 風が、吹いていた。


■■■


「藍しゃま!藍しゃま!」

 帰宅した橙を迎えたのは、いつもの明るい藍の笑顔ではなかった。
 出迎えたのは、床に突っ伏し、倒れ込んでいる主人の無言の背中であった。

「しっかりしてください!」

 揺さぶる。
 本当は、こういう時、倒れている人を動かさない方がいいのかもしれないけれど。
 大事な人が倒れている時に、そんな考えをめぐらすことは、橙にはできなかった。

「・・・ちぇん・・・か・・」

 うっすらと目が開いた。
 焦点はさだまっていない。橙を見つめていながら、その瞳に橙は映っていない。

「おかえり・・・ご飯の準備・・・しなくてはいけないな・・・」
「そんな、私のことなんてどうでもいいんです!」

 橙は叫んだ。

「藍しゃま!具合が悪いのですか!?」
「そんなことは・・・ごほっ」

 鮮血。
 赤。

 染まった掌を見つめた橙は、喉奥にまで押しあがってきた悲鳴を、ぐっと飲み込んだ。

 私が。
 やらなければいけない。

「藍しゃまは横になっていてください」

 返事はなかった。
 意識が途切れたのだろう。肩をさわる。動いている。
 耳をすます。心音が聞こえる。

 とりあえず奥の布団に蘭を横たわし、布団をかける。
 水をくみ、額にタオルを置く。

 時計の音がする。

 ちく。たく。ちく。たく。

 ごーん。

 ごーん。

 汗が止まらない。
 頬が紅い。
 熱い。
 熱い。

 こんなに熱くて、いいわけがない。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 橙は立ち上がった。
 私がなんとかしなければ。
 紫さまは!?
 紫さまはどこにいるの?

(しばらくあけるから、あとはまかせたわね)

 そういえば。
 今朝、紫さまはそういって、スキマの向こうに消えていったのだった。

「私じゃ・・・」

 泣きたくなる。
 泣くと、心配させてしまう。
 藍しゃまが、大事な大事な藍しゃまが、苦しそうに横たわっている。

 泣くもんか。

 泣くなら、藍しゃまが無事に治ったあと、みんなで・・・家族で、笑うんだ。その後で、泣くんだ。

「私じゃダメでも、お医者さまなら」

 月の頭脳。
 八意永琳。

 橙の頭に、その名前が浮かんだ。
 すべての薬を作ることができるあの女性なら、きっと藍しゃまを助けてくれるはずだ。

「でも・・・」

 行き方が分からない。

 マヨヒガで人を迷わすことができても、外に出て、竹林の永遠亭までいくことは、できない。

「できないなんて、言ってられない!」

 苦しそうな藍しゃま。
 辛そうな藍しゃま。
 いつも笑ってくれる藍しゃま。
 時には、叱ってくれる藍しゃま。

 大好きな、藍しゃま。

(ダメよ)
(あなたにはダメよ)
(藍でもダメ)

 スキマ

「そうだ!」

 橙は部屋の奥へ、奥へ、奥へと進んだ。

 いつも、紫さまが寝ている部屋。

 フスマをあける。

 がらり。

 目。
 目。
 目。

 裂け目に、いくつもの目がこちらを見据えている。

「スキマなら」

 橙は、紫が残していたスキマに近寄った。

 手を伸ばす。

 びくん。

 すべての目が、動いた。
 何かを訴えているような目だ。

(くるな)
(くるな)
(くるな)

 紫さまに止められている。

 スキマは、使ってはいけない。

 使っていいのは、紫様だけなのだ。

 別に、紫様が意地悪でいっているわけではないのだということは、分かる。
 スキマは、危険なのだ。

 考えてみれば。
 これだけ、たくさんの妖怪がいる幻想郷でも、スキマを使えているのは紫さまだけだ。
 鬼も、天狗も、河童も、巫女も、神も。
 スキマは使えない。

「でも・・・」

 目がこちらを見る。

(くるな)
(くるな)
(くるな)

「私は・・・」

(後悔するぞ)
(後悔するぞ)
(後悔するぞ)

「藍しゃまの・・・」

(今ならまだ間に合う)
(今ならまだ間に合う)
(今ならまだ間に合う)

「家族・・・なんだからぁ!」

 橙は目を閉じ・・・スキマに・・・

 飛び込んだ。


■■■


「危ないところだったわね」

 柔らかな寝息がする。
 穏やかな顔で眠る、藍の寝息だ。

「薬がもう少し遅ければ、大変なことになっていたかもしれないわよ」

 永琳は傍らの薬箱を閉じると、にこりと微笑んだ。

「感謝しなさい。ちっちゃな恩人に」

 そういって、藍の額に手をやる。
 傍らで、橙が座っている。

 助かったのだ。

 スキマを超え、永遠亭に行き、スキマを超え、家に戻り、渡された薬を藍しゃまに飲ませた。

 後からやってきた永琳の診断が、いま終わった所だ。

「藍しゃま、大丈夫なんですか?」
「ええ。もう大丈夫よ」

 頭に、ぽんと、手が置かれた。

「あなたが、頑張ってくれたからね」
「・・・へへ」

 ぴしり。

 その時、部屋の空気がうごめいた。

 空間に亀裂が走る。

 くぱぁ。

 中から、無数の瞳。

 じろり。

 こちらを見つめる瞳。

 手が出てきた。

 頭。体。

 紫。

「橙」

 その顔は、怒っていた。
 厳しい目つき。まっすぐな瞳。

 びくっ

 怖い。

 本当に怒っている。

 橙は、永琳の背中に隠れたくなった。背中に寒いものが走る。怖い。怖い。

 けれど。

「はい。紫さま」

 橙は、逃げなかった。
 目の前で、眠っている蘭しゃま。
 その顔を見れたのだから、もう、自分がどうなってもかまわない。

「スキマを、使ったわね」
「使いました」
「私、スキマを使ってはいけないと、何度も言っていたわよね?」
「はい。言われました」
「どうして、私の言う事を聞けないの?」
「それは・・・」

 いろいろ言いたいことがある。
 言い訳もたくさんある。
 理由だって、たくさんある。
 褒めてもらいたいとも思う。
 叱られたくないとも思う。

 けれど。

 出てきたのは。

「びぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん」

 涙だった。

「・・・藍しゃまが・・・紫様が・・・熱が・・・」

 言葉にならない。
 今まで張り詰めていた糸が、ぷつんと切れてしまった。
 鳴き声で藍しゃまが起きてしまうかもしれない。それでも、泣き止むことはできなかった。

「ふふ」

 隣に座っていた永琳が、笑った。

「この子、頑張ったのよ?」
「それは分かっているわよ」

 意地悪ね。

 紫は、昔の事を思い出していた。

 自分のいうことを聞かず、博麗の巫女に立ち向かっていった自分の式の事を。
 式は、私の命令を聞く限り、私の能力を使うことができる。
 そのことが、結局は式の為になるのだ。
 冷酷なようでも。
 冷徹なようでも。

 それが、真実だ。

 事実、藍は負けた。

 自分の言う事を、命令だけを聞いていたら、そんな結果にはならなかったはずだ。

 それなのに。

(私は、紫様を守りたいんです)

 その気持が、冷徹な計算を狂わせる。

(藍を、守りたかったのね)

 親は、子に似るのだろう。
 たとえ血がつながっていなくても。

 式の、式。

 紫の、式の、式。

「仕方ないか」

 紫は、泣きじゃくる橙の頭に手をやると、いった。

「家族だもんね」

 風が吹いてきた。

 それは、柔らかい風だった。























■■■



 飛び込んだ先。
 そこには、何もなかった。

 暗い、暗い。

 無。

「・・・」

「・・・」

「藍しゃま・・・」

 後を振り向く。

 何もない。

 前を見る。

 何もない。




 スキマの中。

 何もない。









「紫さま」

 声もない。

 何もない。







「藍しゃま」





 目が見えない。





 暗い。








「・・・・」



 音も、消えた。






「・・・」










 どれだけの時間がたったのだろう?




 藍しゃまはどうなったのだろう?


 藍しゃまが助かるなら、自分はどうなってもいい。

 どんな罰だって受ける。

 そう思っていた。







 痛いのも我慢できる。





 辛いのも我慢できる。











 でも。





 何もない。

 見えない。

 聞こえない。

 手の感触もない。

 手を動かしているはずなのに、分からない。

 足を動かしても、分からない。

 見えない。

 匂いもない。

 聞こえない。

 見えない。

 味もない。

 声もない。

 感覚もない。






 ただ。


 時間だけが、ある。





 橙は知らない。


 


 スキマに飛び込んだ瞬間に、橙の体は素粒子のレベルまで分解されて消滅したことを。

 痛みもない。

 痛みを感じる暇もない。

 一瞬の、一瞬の、刹那の、さらに刹那で。

 橙の体は粉々に砕け散ったことを。








 橙は知らない。



 スキマに飛び込んだ瞬間に橙は砕け散り。
 同時に。
 スキマの向こう側に、橙とまったく同じ遺伝子情報と体と記憶をもった存在が作られたということを。

 そのスキマの向こう側の橙は、永琳に状況を伝え、薬をもらってまたスキマに飛び込み。





 その瞬間、そのスキマの向こう側の橙も、一瞬で砕け散ってなくなったことを。

 そして同時に、またもやスキマの先に。

 橙の体を持ち。
 橙の記憶を持ち。
 永琳からもらった薬をもった橙が。

 一瞬にして再構築されたことを。









 ここには何もない。





 目も見えない。


 耳も聞こえない。


 味もしない。


 感覚もない。


 匂いもしない。





 ただ、時間だけがある。


 橙は藍しゃまが助かったことも知らず。
 自分がどうなったのかも知らず。

 今、家族として迎えられている橙がいることも知らず。

 それは、自分とまったく同じ情報を持つ、まさに自分の分身であるのだが。




 それは、自分ではない。


 あちらとこちら。


 目も見えない。

 目を潰したくても、目もない。

 耳も聞こえない。

 耳を潰したくても、耳がない。

 匂いもしない。

 鼻を潰したくても、鼻がない。

 味もしない。

 舌をつぶしたくても、舌がない。

 感覚もない。

 体がない。



 ただ。

 意識だけがある。

 今日も、明日も、明後日も、三日後も、一年後も、十年後も、百年後も、千年後も、万年後も、億年後も、兆年後も。
 兆×兆年後も。兆×兆×兆×兆×兆×兆年後も。

 ずっと。

 ずっと。

 意識だけがある。



(くるな)

 正しい。

(後悔するぞ)

 正しい。

(今ならまだ間に合う)

 正しい。


 橙は身が焦がれる思いだった。

 ただ、今、自分という存在だけがある。

 本当にあるのか?

 認識できない。

(家族だから)

 どこに家族がいる?

 本当に藍しゃまは助かったのか?

 藍しゃま?

 誰、それ?

 長いよ。

 長いよ。

 ここは、ずっと、けっこう、長いよ。




 私はだあれ?




 狂うこともできない。


 ただ、ある。




 よ。










 おわらない



 
 
アルフレッド・ベスターの「虎よ!虎よ!」が大好きです。
スティーブン・キングの「ジョウント」が大好きです。
伊藤潤二の「長い夢」が大好きです。
ガリバー旅行記の「不死人間ストラルドブラグ」が大好きです。


・・・でも、エンドレスエイトの8回は嫌いです。
うらんふ
http://shirayuki.saiin.net/~akaihitomi/
作品情報
作品集:
11
投稿日時:
2010/02/08 10:57:05
更新日時:
2010/02/08 11:20:33
分類
永琳
スキマ
1. アルマァ ■2010/02/08 11:08:22
あったかENDかと思いきやこの救いの無い・・・
こういうのが大好きです。
2. 名無し ■2010/02/08 11:18:59
静かなのが逆に怖い
救いがない
3. 名無し ■2010/02/08 11:51:49
橙はスキマの一部になったのか
4. 名無し ■2010/02/08 11:53:44
この場合ち正しくちぇぇぇぇんだな  
5. 紅のカリスマ ■2010/02/08 12:10:27
スキマの中の眼は、スキマに呑まれた者達の残留意識なのだろうか・・・。
6. 名無し ■2010/02/08 12:22:00
うらんふさんはスカトロだけの人だと思っていました
7. 穀潰し ■2010/02/08 12:22:09
温まったと思った瞬間この仕打ち。堪りません。
意識だけの存在になるってどれだけ恐怖なんでしょうね。
8. 名無し ■2010/02/08 15:59:44
永遠の無の中、意識だけあるって気が狂いそうに恐いです。

そうして橙は考えるのをやめた…。
9. 名無し ■2010/02/08 16:16:30
シュワちゃんのクローンの映画思い出した

実は紫もスキマを使いこなせてなくて
スキマの中には億を超える紫が……
10. 名無し ■2010/02/08 17:00:08
患者の状態を見ずに病気治せるえーりんマジ天才
11. さとこー ■2010/02/08 17:53:07
こういうの書けるようになりたいです


>>9
そんな世界いやん
12. 名無し ■2010/02/08 20:26:47
まさにどこでもドア理論だな……

どこでもドアを潜ると、ドアを潜った人間は分解されて死んで、
その情報を元に向こう側で再構成されるという
13. 名無し ■2010/02/08 21:54:40
↑見事な「中継ステーション」方式……
 完全分解でなければ誰かが後始末役になるのにね
14. 名無し ■2010/02/08 22:04:21
スキマさんもサービスが中途半端でござる
いや、ここはむしろちゃんとオリジナル橙の望みを叶えてくれたことに感謝すべきか……?
15. 名無し ■2010/02/09 00:56:06
>スキマの中には送を超えるシュワちゃんが
そんなのヤダ
16. 名無し ■2010/02/09 16:04:17
紫の「仕方ないか、家族だもんね」の部分を、
全部読んでからもう一度読むとまた違った意味に聞こえてきて何とも言えない
17. 名無し ■2010/07/30 01:19:13
『風』が気になりますね・・・。
スキマから出てくるのは自分なんだけど自分ではなく、本物なんだけど偽者の自分・・・ということだと妄想。
18. 名無し ■2010/10/18 21:12:59
面白く、うまいけど、吐きそう。
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