アローン・イン・ザ・ワールド/砂丘にて

作品集: 19 投稿日時: 2010/07/24 23:34:15 更新日時: 2010/08/06 22:38:51
 降り注ぐ陽射しが、白い肌に突き刺さる。
 海のように太陽の光を映して輝く空は、船のような雲を浮かべて、ぐるり地平線で囲まれた砂漠を覆っている。
 微小な砂のひと粒ひと粒が、幾つもの白い筋を浴びて、カッティングされたダイヤモンドのように光を散らしていた。

 愛用の日傘は、もう捨ててしまった。いつ、どこで捨てたのかはもう思い出せない。
 しかし、彼女は傘の色と形状だけははっきりと覚えていた。
 淡いピンク色で、赤いリボンで縁取られた、何の変哲も無い傘。今の彼女が最も欲するものだ。
 
 万物を射殺そうとする攻撃的な太陽光線が、彼女の首筋に真珠ほどの珠の汗を浮かび上がらせる。

 どの方角にも、何の変化もない。砂の丘陵が果てしなく続くだけだ。
 枯木の一本も生えていないし、蜥蜴の一匹も這ってはいない。
 ただ、延延と靴がじゃりじゃりと音を立てる世界だった。
 
 彼女は、歩く。
 何も無い荒野を、何かあると期待して。
 そうして日が昇り、没するのを気が遠くなるほど眺めてきた。
 
 彼女はしかし、知っている。
 この世界には、もう何一つ残ってはいないことを。






  

                        アローン・イン・ザ・ワールド/砂丘にて



 


 

 この世界を造ったのは、彼女だった。いや、元々この世界は大きな現世の一部だった。
 その一部を、彼女が切り取って隔離した。そうしてできたのが、"幻想郷"という楽園。
 
 彼女は楽園を造りたかった。
 果たしてその願いは叶えられた。幾千という時を、この世界は刻んできた。
 しかし、楽園のままでいられたのは、その年月の半分に満たない。
 
 
 砂の大地は熱を内に込めて、じりじりと靴を隔てても温度を感じさせる。
 雲が流れていくのを目で追いながら、彼女は歩を休めない。
 毎日見せられる単調な風景に辟易した彼女の思考は、無意識的に自らの奥へ奥へと進んでいく。
 過去へと、逆戻りしていく。
 歩みと同じスピードで。

 

 


 ◇

 「あ、丁度いいところに出てきた」
 と博麗霊夢は言って、幾つかの自身の愛用の品を私に手渡すと、ぷつと糸が切れたように死んだ。
 死に顔は見なかった。かつて溺愛した、自らの娘のような感覚で接していた巫女が、皺くちゃの顔で、人間の限界を感じさせる顔で死ぬ光景は、恐ろしくてとても見られなかった。

 いずれこうなることは勿論分かっていたし、人間と妖怪は違うのだと、何度も言い聞かせていたはずなのに。
 残ったのは筆舌に尽くしがたい苦しみで、一種の悶えに他ならなかった。
 
 後を追うように霧雨魔理沙が死んだ。
 森深き自分の家で、アリスと共に巫女の死を悼んで豪快に酒をかっ喰らい、夜明け前に独りで静かに逝った。
 魔理沙らしいと言えば、確かにそうかも知れない。彼女は良くも悪くも豪放磊落な人だった。そして彼女の人生は結局、あの巫女を追いかける旅路だったのだろうと、私は感じた。
 
 人間はあんなに弱くて脆い生き物なのに、死ぬときには私たちに身を引き裂くが如き痛みを与える。どこにそんな力があるのだろうと思ったが、それは精神の粘着力のせいだろう。私たちと人間は、関係が深いほどに精神が、魂が、互いに密着しているのだ。だから彼らが死ぬときには、魂がくっついていたのを無理やり剥がされるから痛いのだ。
 
 暫くして、十六夜咲夜が死んだ。
 吸血鬼の姉妹と門番、魔女と使い魔に送られて笑顔で死んだ。
 レミリアは彼女を眷属にしようとはしなかった。
 彼女がそんなことを了承しないということなど、自明だったから。

 東風谷早苗が死んだ。
 現人神と信仰されても、人間として死んだ。
 二柱の神に抱かれて死んだ。祈りを捧げて死んだ。
 何を祈ったかは、私には分からない。



 そうしていつしか私は、人間と関わりを持つことを止めた。
 知り合って、共に過ごした風景は身を焦がすほど美しいが、別れは、身を燃やし尽くすほどに痛いのだ。
 
 私は式に結界の管理と巫女の育成を一任し、家に篭るようになった。
 式は何も言わず、私よりも何倍も時間をかけて仕事をした。
 
 まだ私の元を訪れる者は、極少数だがいた。
 ある日、式は既に仕事に向かい、私がいつもより遅い朝食をとっていると、旧友の亡霊姫が訪ねてきた。
 「久しぶりね、紫」
 いつもと変わらぬ調子で彼女は私に食べ物をたかった。私が溜息を吐きながら古くなった饅頭を出してやると、嬉しそうに一口で飲み込んだ。
 「なんで来たの?」
 私は何でもなしに問いかけたのだが、
 「腐りかけが一番美味しいの」
 とだけ言って、それきり一言も喋らず、お茶を飲んで帰ってしまった。

 その湯呑みを片付けながら、私の心に沈殿して臭気を放っていたヘドロのようなものが、段々と薄くなっていくのを感じた。
 
 私はまた、外に出て仕事をするようになった。
 しかしその頃には、二匹の式はすっかり私より手際よく管理が出来るようになっていたし、巫女も立派に異変解決のプロとして活躍する腕前になっていた。
 私にできることは、あまり残ってはいなかった。
 世代交代。人間たちと共に、私も御役御免の時期なのだと、感じずにはいられなかった。
 
 人間は入れ替わっても、人外は未だ多く顔見知りが現役で活動していた。
 
 人里に行けば、教師の上白沢慧音が出迎えてくれた。
 魔法の森に行けば、雑貨屋の森近霖之助が緑茶を出してくれた。
 永遠亭に行けば、蓬莱人の医師が健康診断をしてくれた。
 守矢神社に行けば、神が酒宴を催してくれた。
 紅魔館に行けば、吸血鬼が紅茶を振舞ってくれた。
 白玉楼に行けば、亡霊姫が話相手になってくれた。
 
 どこに行っても、誰かが出迎えてくれる、それは私にとって救いだった。
 しかし、その裏には、必ず死んだ人間たちの跡があった。
 
 

 


 ◇

 熱砂の表面を撫でるように靴裏を擦り合わせながら、彼女は当ても無くさ迷い歩いていた。
 遥か彼方に空と大地とを分かつ地平線は、陽炎がぼんやりと揺らめいて、溶け合っているように見えた。
 
 彼女は僅かな期待と、多分の諦観を内包した瞳で空に引かれた雲の筋を凝視した。
 空だけは、この世界で忙しなく動いている。
 
 汗の珠が頬を伝って砂粒の上に落ちた。
 それは一握の砂を黒く塗り替えたが、また直ぐに乾いて色を失った。

 そのとき、不意に強風が砂丘を揺らした。
 ざざあ、と砂たちが斜面を流れてきた。砂埃が舞って、彼女は思わず咳込んだ。
 
 そして、視界が晴れていくのに合わせて、彼女の目は大きく見開かれた。
 崩れた砂丘の表面に、何か出っ張った黒いものが見えたのだ。
 
 彼女は走った、ほとんど潰えた瞳の光を僅かに取り戻して。

 

 


 ◇

 何百という歳月を経た。
 人間たちは死に、生まれ、死に、生まれ、ふと見れば今代の巫女は年老いて、ふと見れば次代の巫女は成長して大人の女性になっていた。
 私はその忙しなさを眺めるのが苦しかった。
 
 人間の歴史は、四季と同じく早々と移ろう。彼らはどうしてそこまで生き急ぐのだろう。
 妖怪とは比べ物にならないほど、寿命が短いからだ。すぐ死んでしまうからだ。
 精神により強く依存する妖怪は、本体が魂に近い。
 肉体により強く依存する人間は、本体が魂に遠い。
 それだけのことだ、構造上、仕方のない話だ。

 だから人間は妖怪よりも何倍も強い光を放って強烈に生きる。愚直なまでに太い芯の通った精神で、生き抜く、すぐ散る。
 眩しすぎるのだ、私は彼らを見ていると、心臓を押し潰されるような感覚を覚える。
 胸が詰まり、息をするのが辛くなる。
 彼らの姿に、今まで知り合って死んでいった人間たちの姿が重なって見えるのだ。
 博麗霊夢が、霧雨魔理沙が、十六夜咲夜が、東風谷早苗が、魂魄妖夢の半身が。その他大勢の人間の影が。
 
 唇を噛みしめ、物理的な痛みでその影を振り払う。
 私だけだった。こんなところで、こんな小さな部屋で独り布団に包まって震えているのは。
 誰もが、自分の役割を懸命にこなしていた。
 私には、役割など残っていなかった。式は新たな式を作り、彼らは完璧に仕事をこなせる力量になっていた。
 
 そして、次の別れがやってきた。
 
 上白沢慧音が死んだ。
 守護者として長年人里を見守ってきた彼女は、里の人々と、蓬莱人に見送られて死んだ。
 何の未練も悔恨も残さず、綺麗に散った。
 
 私はその葬儀に参列して、隣で胡坐を掻いていた或る蓬莱人の顔を見たとき、悟った。
 
 私の思った通り、それは翌日死んだ。
 人間でありながら魂を本体に持った蓬莱人、藤原妹紅は、あっけなく死んだ。
 皆は驚いていたが、私には彼女が死んだことは納得できた。
 
 藤原妹紅は、不老不死の身になってから、人間であることを辞めなかった。蓬莱人でありながら、彼女は唯の人間であろうとした。
 その彼女の人間性が、彼女自身を殺したのだと、私は思った。
 死に至る病、即ち絶望が、彼女を殺したのだ。
 それは人間にしか出来ないことだ。蓬莱の薬の効能を上回って、彼女の中の人間性が、親友の死に際して、爆発的に強くなったのだろう。
 
 詳細は分からないし、知りたいとも思わない。これは私の自論だ。月の頭脳が詳しく調べていたらしいが、私には関わりのないことだった。
 
 人間は死と隣り合わせで生きている生物なのだ。何よりも死に近く、常に暗い穴の淵に立っているから、一際輝いて見えるのかも知れない。
 同時に、この世で滅ばないものはないことを痛切に感じた。不死なんてものは、曖昧だ。永遠なんてものは、不明確だ。
 

 幾年月か経過し、紅魔館の魔女が死んだ。
 私は死の間際に、彼女の元を訪問した。一つだけ、あの賢しい魔女に尋ねたいことがあったのだ。
 「後、どれくらい?」
 たった一つ、知りたいことがあった。彼女なら分かるかも知れないと思った。
 「私の人生を後二周ほど、かしら」
 彼女は掠れた声で答えた。
 私はその回答を暫く脳内で反芻していた。
 「ありがとう。向こうでは、あの子たちに会えるといいわね」
 そう言って送り出してやった。


 日々は何の変化もなく、ただ黙々と過ぎていった。
 私は日が出て、沈む、その繰り返しを、空の色の移り変わりを、ぼんやり見つめて過ごした。
 かつて私が幻想郷を駆け回っていたときと同じように、今でも異変は起きているのだろうが、私には関わりのないことだった。
 

 人間の数は大幅に減っていった。少しずつだが、永い時間をかけて、大岩が風に曝されて削られ風化していくように、人間も減少した。
 それは、予兆だった。
 現世の影響を常に受け続けるこの世界は、現世の衰退と荒廃に従って、僅かに崩壊の予兆を見せていた。
 

 そんな時の流れの中で、人々の減少によって、人々から信仰を受けて存在を保っていた神々は、次第に消えていった。
 ひっそりと、忘れられて消えていった。
 神様というのは、実に哀しい存在だ。人の救いの拠り所で在らねばならず、人が消えれば自らも消えねばならない。
 
 楽園として生まれたこの世界は、楽園として消えることは無いのだ。
 変わらぬと思っていた毎日は、しかし微細な変化、どんなに目を凝らしても気付けないような変化が起こっていた。
 日々をこの世界の空を見て、緑を見て、大地を見て過ごしてきた私には分かった。
 何もかもが、僅かに生命の色を薄くしていることが。
 
 現世は、何らかの理由で荒廃した。砂漠化の進行で、自然など殆ど残ってはいなかった。戦争か、はたまた別の何かか、それは私には分からない。
 それは、確実に幻想郷を侵食していた。



 その内に、私が作った式、八雲藍が死んだ。
 お供できずにすみません、と泣いて死んだ。
 そのとき、私はどんな顔をしていたのか、どんな言葉をかけてやったのか、記憶を濃く霞が覆って、曖昧だ。
 
 私の人間や妖怪に対する想いはいつしか風化して、ぼやけてしまった。式は、こんな私と最後まで一緒に居てくれた。
 式の式たちも、やがて死んだ。
 結界の管理をする者がいなくなった。私は既に、仕事をする気力は残っていなかった。
 

 「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ」
 たった独り、静かな部屋から、私は幻想郷の滅び行く景色を眺めて暮らした。
 砂が大地を蝕み、自然を侵していった。
 妖怪も、殆ど死に絶え、残った者は各地にひっそりと寝床をかまえていた。
 
 かつて賑わった里も、誰一人住む者がいなくなって、廃屋になった店舗や住居を構成する木材が時々腐り落ちて音を立てるだけの、閑寂な廃村に変わっていた。
 動物たちは度重なる干ばつ、日照りで殆ど絶滅した。
 
 いつだったか、魔女が言ったことを思い出した。
 もうじき、ここは終わる。
 仕方の無いことだ。楽園なんて、永遠ではいられない。
 そういえば、永遠の二人の蓬莱人は、いつの間にか姿を消していた。

 緩慢な死へと歩を進める幻想郷に抱かれて、私は最後の眠りについた。
 永い永い、眠りに。

 

 


 ◇

 丘の表面、砂を払うと、黒い出っ張りは木材であることが分かった。
 これは、家屋だ。遥か昔、誰かが住んでいたであろう、木造住宅だ。
 木は腐って、屋内は砂が溜まっているが、彼女は何かを期待していた。
 扉らしきものを手で押すと、ばらばらと崩れてしまった。
 こんなに腐敗が進んでいたのに、何故砂の重みに耐えることが出来たのだろうか。
 中は埃っぽく、所々天井に穴が開いて、砂がさらさらと流れ落ちている。
 部屋をぐるりと見回すと、箪笥、テーブルらしきものが置かれていた。どちらも木製で、砂埃を被って変色していた。
 
 それだけだった。それしかなかった。
 私が心の奥で何を求めていたのかは分からない。
 
 外へ出ようと入口に向かったとき、入口の脇に何かが置いてあるのに気が付いた。
 近付いて拾い上げ、埃を払うと、それは日傘であることが分かった。
 

 淡いピンク色で、赤いリボンで縁取られた、何の変哲も無い傘だった。

 

 
 

 ◇

 目を覚ますと、天井が見えた。
 私はどれほどの間、ここで眠っていたのだろう。
 
 外を見ると、一面、砂丘が広がっていた。
 遥か遠くに地平線が見える。
 
 太陽の光が照らし出す、眩しい世界だった。
 私以外誰一人として存在していない、孤独な世界だった。

 私が造った世界に最後に残ったのは、私だった。
 皆死んで、私だけが残った。

 そして、この世界は、私の命に他ならない。
 この世界が滅べば、私も死ぬ。
 
 死に向かう自分の魂を眺めて、生きていかなければならないことを悟った。
 それが、幻想郷を造った私の最後の仕事だった。
 最後の旅路だった。

 私は長年住み慣れたこの家を出た。いずれ、完全に朽ちて砂に埋もれてしまうだろう。
 
 
 そして、死に掛けた世界へ、熱砂の大地へ、歩を進めた。
 滅び行く世界を、独りで。
 

 

 
 
 それから幾千の歳月が流れた。




 
 ◇
  
 彼女は陽射しの強い太陽の下、ゆっくり歩く。
 彼方の地平線には、ぼんやり陽炎が揺らめいている。

 果てしなく続く砂丘の世界を、独り静かに、進む。



 ピンク色の日傘を差して、足取り軽く、歩く。
 終わりへ近付く幻想郷と、一緒に。
これはネクロファンタジアを聴きながら読んでもらいたいです
駄文が曲のすばらしさでカヴァーされるので
ゴルジ体
作品情報
作品集:
19
投稿日時:
2010/07/24 23:34:15
更新日時:
2010/08/06 22:38:51
分類
1. 名無し ■2010/07/24 23:46:34
また今日も幻想郷に甲子園の砂を運び込む作業が始まるお……
2. 名無し ■2010/07/24 23:54:39
>>1
お茶吹いたぞw
3. 名無し ■2010/07/26 00:38:40
淡々としてる、けど何だかジワ〜と染みる、そんな感覚でした、面白かったです。
4. 名無し ■2010/07/26 14:23:23
これは面白い
5. 名無し ■2010/07/31 19:37:45
born to be free
6. 名無し ■2010/08/17 12:21:12
このまえのやつの続きですか?
あれ?でも霊夢がとっくの昔に死んじゃってるような…
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