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『tENtacLe DomINatOR』 作者: だおもん
【プロローグ】
<アリス>
肌寒い。風の流れを感じる。おかしい、窓は締め切っていたはずだ。
そもそも空気の匂いが変だ。私の部屋の中とはとても思えない。誰かが近くで妙なものを炊いているのか?
でも周りに人の気配は一切感じられない。私は自分の家のベッドに寝ていたのだから、誰も居なくて当然である。
昨夜は新しく仕入れた繊維の素材を使って、人形の研究に没頭していた。つまり、余り睡眠を取れてなかったということ。
私は人間を辞めた魔法使い。魔力を糧にしてあらゆることをやり遂げる種族。だから睡眠なんてものも必要なくなったりする。
とはいえ、それは魔法使いという体に慣れたものの場合。私は人間を辞めてまだ時間が経っていない。
だからこうして人間と同じ様に睡眠を取るようにしている。すなわち、今の私は睡眠時間が少なかったせいで眠たいのである。
なのに周りの環境がとても快眠させてくれるようなものとは思えないことになっている気がする。
自分が寝ている場所に違和感。いつもの柔らかいベッドじゃない。もっと硬いものになっている。
まず私はこのまま目を瞑ったままの耳と鼻、手の感覚だけに頼ったところから抜け出さないといけない。
まぶたを擦って人間の振りをしながら目を開けると、飛び込んできた景色に驚かされた。ここは私の部屋じゃない。
私が寝転がっているところもベッドではない。何だろう、丸いテーブルにでも寝かされていたという状態。
今私が居るところは広いホールみたいなところ。ホールの中には明かりがない。
ホールの端っこに大きそうな扉があって、その扉の隙間から差し込んでくる赤い明かりのお陰でテーブルの様なものを認識出来た。
あと天井の方からも明かりが来ている様に見える。
と言っても、天井は遥か上空にある様だ。一体どれぐらいの高さがあるのだろう?
十メートル、二十メートルなんてものじゃない。もっと高い、それこそ谷から山を見上げているぐらいはある。
さっき目を瞑ったまま耳を澄ませて探った通り、ここには私しか居ない。
この場の匂いは酷い。臭いと言っても差し支えないだろう。
とにかく生臭いのだ。誰かがそこら中に腐った魚でもばら撒いたんじゃないかって思う程。
テーブルから降りようと思たが、私はテーブルに乗ったままで居ることにした。このホール全体の床が妙にテカテカしているのだ。
何かしらの生物が這いずり回った跡、といったところだろうか。生臭いのもそのためか?
とても足で踏んでみようとは思えなかった。じゃあどうすれば良いのか。
最初から整理してみよう。私はおそらく自分の知らない所へ連れて行かれたのだろう。誰が何のために、かは追々考えることにしよう。
私は今服を着ている。良く来ている、いつもの洋服だ。
私はいつも寝るときはパジャマに着替えているのだが……私を連れ去った何者かが着せたとでも言うのだろうか。
タイツとブーツも履かされている。ご丁寧にケープまで。
ポケットの中には、外出するときいつも忍ばせている飴玉まで入っていた。
人形の備蓄も十分ある様だ。いざというとき人形を作るための裁縫キットも、腰のポーチに入っている。
まるで「準備はこちらでしておいたから好きな様にしてみろ」と言われている気がしてならない。
好きな様に。それはつまりこの異空間から脱出してみろ、ということなのだろう。
目が覚めてきたところで私は明かりの魔法を使い、指先に光を灯した。ホールの全貌が今始めて見えてきた。
それは何とも表現し難い、まるで異形なる神の体内とでも言うしかない様なおぞましい空間であった。
ホールの壁や床が歪な凸凹を描いているのだ。非ユークリッド幾何学的な造形、とでも言おうか。
時折音もなく、鼓動しているみたいに蠢いたりする。私は今すぐこの空間から脱出するべきだと思った。
魔法は使える空間らしいので空を飛ぶことも出来る。
気持ち悪い床に足をつけることなくあの扉に行くとしよう。今のところ思いつく行き先はそこだけ。
そう思って体を浮かしたところで轟音が遠くから響いてきた。なんだろう、何かの群れが近づいてきているのか?
その轟音は扉の向こう側から迫っているらしい。そしてその群れらしきものはやって来た。
扉を開けてやってきたそれらは、巨大な蛞蝓らしき生物の群れ。
その蛞蝓共は多数の触覚を持っていた。触覚の先が黄色く光っている。
体全体は青白い人の肌みたいな色で半透明、そこに赤色の縦縞が入っている。
妖怪なのか、魔物なのか。どちらとも言えない気配を感じる。
あの気持ち悪い床に沿ってこちらに近づいている。私は怖くなったので一旦テーブルの上に戻った。
するとどうだろう、蛞蝓達はテーブルの周りをグルグル回り始めたのだ。
尚も蛞蝓共は流れ込んできて、広いホールの床を全て覆ってしまう程。
生臭さは一層強いものになって、鼻を摘んで居ないと胃の中にある物を吐き出してしまいそうだ。
胃の中? そういえば私はお腹を空かせていない。なぜだろう。さっきまで寝ていたから空腹になっているだろうに。
さっきも言ったように、私はまだ人間のころの生活習慣が抜けていない。だから食事だって必要だ。
それなのに全くお腹が空かない。一体どうなっているんだ。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。この近寄りがたい蛞蝓共から逃げることを考えるべきだ。
私は上に逃げることにした。逃げずに戦う、という選択肢もありだろうから。
得体の知れない相手に体力や魔力を使ってなどいられない。
体に力を入れて全速力で上昇していく。ホールの天井はずっと上に続いていると思っていたが、暗くて見えていなかっただけだったらしい。
天井は上にいくほど狭くなっていく、ドーム上になっていた。
ただ完全に蓋がされているというわけでもなく、中央部分が細長くなっていて、遥か上空にまで続いているみたいだ。
その途中にはわき道の様に細長いトンネルが幾つか見られた。
耳鳴りが起き始める。そこまで急激な上昇を続けていると思わなかった。
一度止まってみる。下は霞んで見えない。とりあえず蛞蝓共からは逃げることが出来たのだろう。
だが少し気になっていることがある。この天井の先にある、細長い空間。
この空間の壁にもテカテカしたものが付着しているのだ。まさかこんなところにまであの蛞蝓が出てくるのだろうか?
やがて細長い円柱型の空間にも終わりが見えてきた。正体不明の物質で出来た蓋が見えいるのだ。
その蓋にもテカテカしているものが付着している。この蓋をこじ開けた先には何があるというのだろう?
この先からも蛞蝓が沸いてくる、というのなら私は戦うしかない。
素手で開けることを躊躇った私は脚で蹴り開ける方法を取った。
金属製らしい蓋を蹴って無理やり開けてみると、何かしらの液体が流れてきた。量はそれほどでもない。チョロチョロと落ちてくる程度。
咄嗟にその液体を避けた。色は濁った青色。蛞蝓の様に生臭い。時折黒いものが混じって流れて落ちて行く。
液体に触れたくない私はどうしようと悩んでいたのだが、やがてそんな暇が無くなってしまった。
先ほど地面に這いつくばっていた蛞蝓がジャンプでもしたのか、こちらに向かっているみたいなのだ。
何か? この液体はあの蛞蝓共の餌だとでも言うのか? いつも誰かがこうやって液体を落とすのを待っているのか?
今はあの蛞蝓の生態について考えている場合ではない。こちらに向かってくる蛞蝓の大群をどうやり過ごせば良いのか、だ。
そういえば、と思い出す。この円柱型の空間に細いわき道があったことを。
私は急いで引き返し、トンネルがある所まで降りて行った。地面の方から押し寄せてくる、蛞蝓の大群とぶつかる寸前で何とかトンネルに飛び込んだ。
蛞蝓共が轟音を響かせながら上空に吸い込まれて行く。トンネル内に何もないことを確認すると安堵の溜息が漏れる。
一体ここは何なんだ? 誰がこんな世界を作ったと言うのだろう?
蛞蝓共は完全に居なくなったらしい。上と下を見ても何も居ない。
あの蓋から液体が流れ落ちてくることも無くなった。
私は頭を整理するためにも二度寝が必要だと思った。少し現実逃避する時間が欲しい。
念のために何者かが近づいてきたときにわかる様、自分の周りに人形を操る糸を張り巡らせておいた。
この世界に運び込まれたのは私だけなのだろうか。他に誰か居ないのだろうか。
さすがにこの意味不明な世界で一人というのは身が持たないだろう。
<パチュリー>
椅子の感触が変だ。妙に硬い。というより、椅子にもたれ掛かっていたつもりなのに私は今寝そべっている姿勢である。
私はとうの昔に人間を辞めた、生粋の魔法使いだ。だから睡眠などというものは必要ない。極端な話をすれば食事も要らない。
とはいえ、全く睡眠を取らないというわけでもない。食欲と睡眠欲は人間と違って魔力を消耗することで補うことが出来る。私はそういう生き物だ。
つまり、魔力を消費するのが嫌だったり、勿体無いときは寝ることもある。食事を楽しむときだってある。
ただ普段から小休憩を兼ねて睡眠を取る場合がある。一日中眠気を誤魔化すために魔力を使いっぱなしにするのは、それはそれで良くないからだ。
そういった理由で十分ないし、二十分程度の睡眠を取る場合、私はロッキングチェアーで休憩する様にしている。
何が言いたいかというと、私は見たこともない場所に迷い込んでいるということだ。
床は金属製らしきもの。壁も同様の素材らしい。色は灰色。汚い。所々に赤や青等、体液らしき物が付着して乾いた跡がある。
今私がいる空間はまるで牢屋、牢獄の中と言ったところだろう。メートル法で表すと縦、横、高さがそれぞれ五メートル程だろうか。
私が居る場所はこの空間の端なのだが、その部屋の中央には大きな穴が開いている。直径一メートルぐらいか。緑色の蒸気が穴から立ち昇っている。
覗きこんでみるが、とてもその中に入ってみようとは思わなかった。何かが腐っている様な匂いがするし、穴の中が濁った液体で満たされているから。
部屋には扉の類はない。今立っている所から見て右側の壁に鉄格子らしき窓はついているが、私が通れる程の隙間はない。
私は背伸びをし、鉄格子の向こう側に広がっている景色を見てみることにした。
どうやらこの部屋は特別高い所にあるらしい。眼下に地平線が見えるほどに広い、紫色の湖が広がっていた。
空は赤黒い。ところどころに空と同じ様な色をした雲がかかっている。
月の様な衛星が複数あるらしい。二つの衛星の光が空に浮かんでいる。
その衛星の光はとても近く、瓢箪を横にした様な形になっている。
遠くの景色には奇妙な形をした建築物らしきものが散乱していた。
ピラミッドみたいな三角形の形をしたもの、多角形を積み上げて作った様な、歪な形の建物。
海には時折鯨らしき生物が背びれを見せて泳いでいるところを観察出来た。
空気は存在しているらしい。とりあえず呼吸は問題なく出来る。
おそらくせりだした崖の上にでもこの部屋、もとい牢屋があるのだろう。
はっと気がついて自分の格好を確かめた。どうやらいつものネグリジェのままらしい。
いつも必ず持ち歩いている魔法の本もある。それも、私が特に使うことが多い本。
その本というのは、私が何かと便利そうな魔法の記述ばかりを集めてまとめたもの。
外出するときなんかに持ち歩くことの多い本だ。
あらゆる生物、人外のもの、妖怪等を攻撃するための魔法から髪の汚れを落とす魔法まで載せている。
だが私は寝る前、この本を持っていなかった。全然別の、生物学の本を読んでいたというのに。
明らかに地球上とは思えない環境、景観。別の惑星にでも迷い込み、そのとき私が無意識でこの本を持ち出したのかもしれない。
私はこのヘンテコリンな今居る世界を夢だと思っている。
軽い睡眠を取るつもりで、ついつい寝坊してしまっている状態だと考えているのだ。
すなわち、今この状況は時間が経つと元居た幻想郷に戻れると思っている。
この状況から抜け出す必要はないと思うと気持ちが安らいだ。
このまま囚われの身のままで時間を潰すのか、それとも試行錯誤してこの部屋から抜け出して興味があるままに夢の世界を探検してみようか。
ふと、部屋の底が微かに揺れた。
地震なのか、はたまた寝ている私が誰かに揺すられて起こされようとしているのか。
色々考えていると中央の穴に溜まった液体に泡が出来ていた。かと思うと、赤くて小さく細長い物が大量に湧き出てきた。
何だろう、百足のようなものの大群が私の方に向かって来ているのだ。
うじゃうじゃ、と言った擬音語がピッタリな状況。
咄嗟に火属性の魔法を唱えた。
生物というものには基本的に火や熱に弱い。高熱、それも摂氏千度を超えるものになれば大抵の生物を焼き焦がすことが出来るだろう。
百足らしき生物達が次々と焼けて消滅していく。だが穴の中から出てくる百足の量が多すぎて、このままでは押し潰れそうだ。
すぐさま攻撃することを諦めて大きく距離を取ることにした。左へ大きく跳ぶ。
するとどうだろう、百足達は私を追うことなく壁を登り、鉄格子から外へ逃げて行った。
暫く百足達が出て行くと、先ほどの静かな空間を取り戻した。
今の出来事を思い出す。わらわらと湧き出た大量の百足らしきもの。
私は虫は嫌いではないが、好きでもない。あんなに大量の百足なんて、それこそ気持ちが悪い。
そして百足を魔法で焼き払ったときの感触。火属性の魔法を撃った際手や皮膚に来る、熱気。夢の中にしては生々しすぎる。
胸に手を置いてみると鼓動が速くなっている。あんなことがあったら当然驚く。
ここは一体何なのだ? 気味が悪い。夢ならいい加減覚めて欲しいものだ。
<白蓮>
液体の流れる音が聞こえる。例えるなら川のせせらぎ、といったところ。
だが詫びさびのある日本の景色ではなかった。奇妙奇天烈摩訶不思議、奇想天外な景色が広がる場所であった。
私はいつもの様にお寺でお経を読んで修行をしていたのだが、この日は体の調子が悪かったので読み上げた私は布団で横になっていた。
そのうち気持ち良くなってきたのだが、気がついたら寝てしまっていたらしい。
そして慌てて起きたときには、周りの風景がすっかり変わっていたのだ。
赤黒い空に、暗い紅色の地面。地面は硬く、砂利になっている。
辺り一面は地面の起伏がない。かと思えば遥か遠くの方に山々が見えている。
この平らな土地を山が囲んでいる感じだ。そしてこの地面には、浅い川が出来ていた。
川はジグザグであったり、何度も枝分かれしている、歪なものであった。
その川に生息している生き物なのか、妙に厳つい触覚を持った黒色の蟹がそこら中を歩いている。
その蟹というものの大きさは両手を広げた程の大きさがある。
甲羅には人体で言うところの血管みたいな模様が浮かんでいる。
不気味なことに蟹の腕には妙なデコボコがたくさんあった。人体で言うところの気持ち悪い出来物に見えるし、一種の目玉にも見える。
その蟹の一匹が近づいてきたのだが、私は後ずさった。正直気味が悪い。
川を見てみると、薄暗い液体が流れていた。醤油を薄めた様な色合い。
水に色があるものの浅いらしく、底がしっかりと見えている。
川底には植物のようなものが生えていおり、その植物は細長い触手らしきものを持っていた。
その触手一本一本に目玉の様なものがついており、それぞれがギョロギョロと周りを見回している。
興味本位で手を突っ込もうと思ったが、何をしてくるかわからない。
私は石を投げ込むことにした。するとどうだろう、目玉達は石が落ちていく所を一斉に見だした。
少しして落ちた石が底に着くと目玉達は興味を失くしたのか、先程の様にそれぞれが別の方向を見回し始めた。
別に悪いことをする様ではないらしい。だがその草の近くを小さな魚らしき生き物が通りかかると、触手が魚を絡み取ったのだ。
呆気に取られていると、突然地鳴りが響いた。それはもう地震かと思う程揺れている。
川の中を集中して観察していると、川の底が開いた。文字通りの状況に自分の目を疑った。
周りにある川の底も同様に、浅かったはずが底なしの様に真っ黒な底になっている。
何度も枝分かれしている川の底が全て口だと思うと、今自分が立っているところも危ないのでは、と怖くなった。
さらに川に居た触手が周りに伸びて行き、川の周辺に居た蟹さえも巻き取って引きずり込んでしまった。
私の足にまで触手が伸びてきたので、すぐさま飛び退いた。
なんということだ。この川そのものが生物だったとは。
行く当てはないが、私は今すぐにここを離れるべきだろう。
私について来るようになった妖怪の封獣ぬえが言っていた。正体のわからないものを怖がるのは人間の性分であると。
正体のわからない、というと今私がいるところが全く覚えのない場所だ。
私はきっと夢を見ているせいだと思っている。疲れが溜まったせいで、こんな変な夢を体感しているのだ。
そうでなければ、こんな意味不明なところに迷い込むはずがない。
ただ一つ気になっていることがある。それはどこか懐かしさを感じるということ。
<魔理沙>
一体どういうことなんだ? 何が起きているんだ? ここは一体どこなんだ?
私は新種の茸を八卦炉の燃料に応用出来ないかと研究をしていた。
それ自体は先週見つけたもので、それはもう寝る間も惜しんで魔法実験に没頭していた。
それが昨日ようやく実を結んだということで、私は久しぶりに熟睡した睡眠を味わっていたんだ。
ところが良い旅夢気分を堪能して目が覚めたときには、全く知らない場所に飛ばされてやがると来たもんだ。
だが不思議なことに自分の格好が弾幕ごっこするときの格好なのだ。
私は上下とも下着だけの格好で寝ていたはずなのだが……何者かに服を着せられたってことか?
ブラウス、スカート、ベスト、エプロン。それに帽子。ご丁寧に箒と八卦炉まで置いてくれている。
ゲームの初期装備じゃないんだぞ。これで冒険でもしろって言ってるのか?
今私が居るところは魔法の森に似ている森林地帯。だが匂いが全然違うし、生えている植物も違う。
まず第一に、色がおかしい。普通植物って言えば緑色。根は白かったりするし、樹は違うし、花も違うが。だが基本は緑色。
それなのにここら辺に生えてる植物ってのは、茎がどれもどす黒い色をしてやがる。不気味だ。
別に妙な色をした草木は無いわけじゃない。ただ、そういった珍しいものは基本的に私達の住んでいる世界には殆ど存在しない。
一つ例を挙げるとすれば、魔界の植物や植物自体が妖怪になってる様なもの。
しかし、ここが魔界みたいな場所だと断定することはまだ出来ない。
私が過去に読んだことのある、古い魔法使いが書いた植物辞典に載っていない植物ばかり生えている所だからだ。
つまりここは魔界以外でかつ、日本以外の場所だという可能性があるということ。
つい腰に手を伸ばした。私は採集しに行くとき、腰にポーチをつけて行っている。
そしてそのポーチにいつもスコップや金属製の熊手、それにナイフを仕舞ってある。
今私は見たこともない植物を前にして収集したくって仕方ない。
興味心がツンツン刺激されているのだが、いつものクセでポーチのある所に手を伸ばしたのだ。
するとどうだろう、私はポーチをつけていたのだ。八卦炉と箒に加えて採集用のポーチまで着用されているとは思いもしなかった。
着け慣れているせいで気付かなかったのだろう。
とにかく私はナイフですぐ近くにあるどす黒い樹木を切ってみようと思った。樹液でも容器に移しておこうと思って。
それは失敗に終わった。樹木の幹が無茶苦茶硬いのだ。なんだろう、まるで金属みたいだ。
ナイフを力に任せて振り下ろしても、刃が立たない。それどころかナイフが負けてしまって刃が痛む始末。
仕方なく素手で触ってみる感触だけでも確かめてやろうとするが、思いとどまる。
樹木や草花等には触るとかぶれるものがある。そう思って触るのを辞めたのだ。
確かめるには自分の手を犠牲にしなければいけないが、万が一かぶれたり死に至るような毒があったら最悪だ。
毒、で気がつく。私が今吸っている空気は大丈夫なのか?
慌てて息を止めて口を手で塞いでみたが、今まで何も無かったことを思い出す。
上を見上げた。何だこれは? 空の色が間違ってる。暗い赤色をしてやがる。普通空と言えば青空だろうが。
夕焼け、朝焼けだとかそんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ。もっと不気味なものの片鱗を感じている。
おまけに月が二つもあると来たもんだ。もう何が何だかサッパリわからん。
私はきっとこのヘンテコリンな世界に飛ばされたんだろう。犯人の見当もついている。絶対に紫が怪しい。
あいつぐらい怪しい奴じゃなきゃあ、こんな大層なセットを用意出来るはずがない。
この目の前に広がってる光景ってのは、紫の奴が用意した作り物の世界だと私は思っている。
そうじゃないと、目が覚めたらある日突然見知らぬ場所に迷いこみました、なんてなるはずがない。
実は夢を見ているだけじゃないのか、と最初は疑いもしたが……先ほどの樹を削ろうとした感触は間違いなく現実のものだ。
そうでなくとも、限りなく現実に近いもののはずだ。試しに自分の頬を抓ってみたが痛いだけだった。
ある程度整理出来たところで、これからどうするべきか考えることにしよう。
一番手っ取り速いのは紫を探してぶん殴ってやることだ。
だが一筋縄では行かないだろう。今まであった異変で、あっさり終わったことがないからな。
異変? 果たしてこれは異変なのか? 私自身は被害者だが、私以外にもこうなっている奴はいるのか?
ん? 何か聞こえるな。ジジジジジジジって。
そんなことより何か食べるものか、飲むものでも探さないとな。
うっかり飢え死になんてのは勘弁してもらいたい。
だがこのデタラメな植物ばかりが揃っている森に人間が食べられるものがあるのだろうか?
先ほどから森の至るところに視線を送っているのだが、植物以外が全く見当たらない。
実を付ける植物や茸類があると良いんだが……いや、茸は危険か。どんなものがあるか想像できないしな。
あまり疑いすぎると本当に何も食べられなくなりそうだ。何か動物……獣の類が居たら良いのだが。
獣の肉なら、とりあえず焼けば食べられるはずだからな。刃の欠けたナイフで調理することになるが、贅沢は言えない。
……と、良いところに白い豚の様な奴を発見した。それも近くに居る。
今までどうして気付けなかったんだろう、と思ったがそんなことはどうでもいい。とにかく腹に何か入れておきたい。
どうせ焼くんだ、いっそレーザーで焼き殺してしまおう。向こうはこちらの気配に気付いていないらしい。
ノロノロ歩いて地面の草を食ってやがる。悪いな、私はここで死にたくないんだ。
八卦炉を向けて点火しようとしたところで、白い豚に緑色の何かが覆いかぶさった。
何か? それは大きな葉っぱの塊、という感じなのだが。何だろう、葉っぱを寄せ集めて作った虫網というか。
豚の悲鳴らしきものが聞こえてくる。葉っぱの隙間から豚の血らしきものが噴き出している。
暫くすると血の噴き出しと悲鳴が止まった。すると葉で出来た虫網みたいなものがまた昇って消えて行った。
葉の虫網が覆いかぶさった、豚の居たところには何も無かった。豚の居た痕跡が何もない。
いや、確かに何かある。何だろう、花の様なものが生えている。豚の血に染まって赤くなっているので元の色はわからない。
私は八卦炉を花に向け、軽く点火。細く、威力も無さそうなレーザーを照射してみた。
するとどうだろう、先程豚に降りかかった巨大な葉の虫網が再び降ってきたのだ。
得物が居ないとわかったからなのか、すぐにまた昇って行く。
なるほど、こいつは食虫植物だ。いや、食獣植物か?
あんなのが居るというのなら腹ごしらえしている場合じゃない。うっかり罠にでもかかれば、ぽっくり殺されてしまう。
とにかく私はこの森を抜けることを優先すべきだろう。
ん? また何か聞こえるな。ジジジジジジジって。さっきも聞こえた。今度は一体何だ? 虫でも出るって言うのか?
そう、虫だった。鳥程の大きさがある蝿の様な生き物が、耳の奥に響くような羽音を立てて近づいてきていた。
おまけに一匹なんかじゃない! 鳥の編隊飛行でもしているように、列になって近づいていやがる!
急いで八卦炉に火を点け、魔砲で蝿共を薙ぎ払った。あっという間に蒸発していった。ざまぁ見ろ。
何かされたわけじゃあないが、何が起こるかわからない状況だ。
面倒臭そうなものは遠慮なく排除していこう。
ん? 一つ気になったことが出来た。魔法、いや魔砲の威力がおかしい。デカすぎる。
魔法の効き目がありすぎる。そんな気がした。私は今確かに本気の六十パーセント程度の火力で撃ち出したはずだった。
それなのに百二十パーセントぐらいの火力が出ていた様に思う。手にくる反動がやけに大きかった。
とにかく今は先を急ごう。箒を掴んで飛ぼうと思ったところで、思い留まる。さっきの食獣植物が邪魔そうだ。
あれ一つじゃ済まないはずだ。もっと一杯あるだろう。
ましてや、あれ以外の危ない植物が他にもある可能性もある。
ただ地面は踏まない様、かつ高度は取り過ぎない様に。
絶対この妙ちくりんな世界から抜け出してやる。待ってろ紫、必ず取っちめてやるからな。
【蟻】
腹が空かない。喉が渇かない。妙なところだ。もうかれこれ三、四時間以上移動に費やしていると思うのに。
さっき魔砲を撃ったとき威力が上がっていたことを思い出す。確かつい最近こんな感じの場所に行った気がする。
あれは確か……法界と言っただろうか。住職にして魔法使いの白蓮の居た場所だ。
あそこは魔界の一部だったみたいで、あのときも魔砲の火力が上がっていた。
あういう場所ってのは名前の通り魔のオーラだとか、魔っぽい成分が空中に含まれるんだ。
ようは普通の人間だと少しずつ蝕まれる様な所だと思ってくれ。
じゃあ私は大丈夫なのかって? 私は人間を辞めているわけではないが、普段から魔法を扱っているから免疫でもあるんだろうさ。
あれから私は森を抜けようと一直線に飛び抜けて行った。それでも森に終わりはない。
一体どれだけの広さがあるって言うんだ。いい加減疲れて来た。
見た事もない景色が延々と続くものだから余計に、だ。休むことにしよう。着地。
周囲に怪しそうなものや生き物が居ないかよく確認してから、私は腰を降ろして仮眠でも取ることにした。
高速で移動しているから細かいことは見えていないが、森全体の空気や雰囲気が不気味なせいで妙に疲れる。
今のところ私以外の人間みたいな奴には全く遭遇出来てしない。
私だけがこうやって飛ばされたんだろうか。やはりこの線が強いんだろうな。
欠伸が出た。何時間も箒に跨りっぱなしでは股や太ももの内側が痛くなる。
帽子をずらして目を覆った。箒は近くの木にても立てかけておく。目を瞑ると眠気が一気に来て、意識は沈んだ。
ん?
何か変だな。
なんいうか、足が引っ張られてる様な……。
気のせいか。
眠くて判断が利かないぜ。
さっきから物音がしている。
やっぱり変だ!
慌てて目を覚まし、飛び起きた。すると座っている私と同じぐらいの身長を持つ蟻の様な奴が私の右足を齧っているではないか。
靴の先はすっかり穴が開いていて、靴下も食べられている。今まさに足の素肌を顎で齧られる、という瞬間だった。
咄嗟に足を引っ込め、箒に手を伸ばした。が、最悪なことに箒がバラバラになってやがった。壊されたんだ。
周囲を見渡すと蟻だらけ。小さいのから大きいのまで大小様々な黒い、光沢のある蟻がすし詰め状態。
皆私を睨んでやがる。止めろ、私なんか食べても美味しくないぞ!
空を飛ぶ手段を失った私は八卦炉に手を伸ばした。こうなりゃ蟻ども全員纏めて吹き飛ばすまでだ。
背水の陣状態だが、とりあえずは目の前にいる方向に向かってマスタースパークだ。
そう思ってスペルカードを使おうとしたとき、突然手の中から八卦炉が飛んでいった。
握り締めていたはずの手の中に物がない。八卦炉は後ろの方にいる蟻共のどこかに紛れて行った。
私の前には一匹の蟻が立ちはだかっていた。群れの中から代表して出てきたらしい。
大群で押し寄せてきたくせに一騎打ちとはどういうつもりだ? 虫のくせに脳味噌が詰まってやがるのか?
右手、いや右前足が妙な形をしている。ピストン状というか、細長いものが肘から後ろに伸びている。
すると次の瞬間、私の顔の左側に刀の筋が通ったような気配を感じた。
私自慢の三つ編みが地面に落ちてる。おいおい、何が起こったってんだ?
まさか蟻の手が伸びただなんて言うんじゃないだろうな? その細長いものが刃物になってるとか、じゃないだろうな?
冗談じゃない、剃刀みたいな手を振り回す蟻なんて聞いたことがないぜ。
だがふざけていられる状況ではない。空気はまずくなる一方だ。
蟻の奴が私の方に腕を向けやがった。慌てて体を伏せる。風を斬った細長いものが、私の居たところを通過する。
私の後ろに居た蟻に命中し、その蟻が苦むことなく死にやがった。頭のところに風穴が開いている。
奴の腕が戻っていった。冥界の半人半霊に斬り潰されるのとわけが違うだろうな。おそらく、一撃で絶命させられる。
だがこうやっていつまでも避け続けられる自信なんてない。そのうち飛び出す槍みたいなので殺されるに違いない。
嫌だ。
そんなの嫌だ。
こんなわけのわからない世界に迷い込んで、誰にも知られずに死ぬなんて嫌だ。
まだやってないことが山ほどあるんだぞ。パチュリーの本を全部読んでないし、霊夢に弾幕ごっこで負けたままだし。
この前鈴仙と弾幕ごっこする約束をしたし、飲みきっていない酒が残ってるし、開発しきっていないスペルカードがある。
研究しようしようと思いながらも、放ったらかしにしてることがたくさんある。
こんな所で死にたくない。だけどどうしていいのかわからない。
ポーチに刃の欠けたナイフがあったのを思い出すが、あんなものでこの化物蟻とやり合えるはずがない。
何でも良いから他に武器となるもの、と思ってポケットに手を突っ込んでみた。
私は人生の中でこれ程までに神様へ感謝の気持ちを持ったことがあっただろうか。
ポケットの中にあったものを全て掴んで取り出した。入っていたのは三粒の金平糖。
金平糖、と言ってもただの金平糖じゃない。魔法で出来た金平糖だ。
投げつけて衝撃を与えれば爆発する代物だ。丁度良い、こいつで蟻どもを吹き飛ばしてやれ。
魔法の威力が上がることを考慮しつつ、爆発させる場所も考える。一粒ずつ節約して使っていくことにする。
つまりこいつは弾幕ごっこで言うところのボムだ。こいつさえあればどんな危機だって乗り越えられる気がするぜ。
八卦炉が飛んでいったであろう方向で爆発を起こし、八卦炉を探すんだ。
八卦炉自体はヒヒイロノカネというやたら頑丈な素材で出来ているから、爆発なんかで壊れる恐れはない。
もう一度私に向かって突きを繰り出そうとしている蟻の攻撃を死ぬ気で避け、金平糖を後ろに向かって投げつけた。
少し間を置いて、魔法の大爆発。蟻の大群共が悲鳴みたいなものを上げて消し飛んだ。
私に襲い掛かっていた蟻は爆発にビビったらしく、どこかへ逃げて行ったらしい。この隙に八卦炉を探すんだ。
おかしい。見当たらない。そんなはずない。ああ、ダメだ!
森林地帯で探しものをするなんて無茶だった!
草がボーボーに生えている状態で見つかりっこない。探している内にも戦意を取り戻した蟻共がまた私を取り囲んだ。
今度は周りの蟻共全員で私を狙ってやがる。四方八方から狙うなんて卑怯じゃないか! 避けられるわけないだろう!
嫌だ。嫌だ。嫌だ。死にたくない。落ち着け、考えろ。
死ぬ気で考えろ。殺される前に出来ることを見つけ出せ。
そうだ、私はまだ金平糖を二つも残しているじゃないか。さっきみたいに爆発させれば良いじゃないか!
金平糖を投げてやろうと利き腕を振りかぶったところで、突然手の中から金平糖が消えた。
消えた? そんなわけないだろう。違う、振りかぶったところで射出できる槍みたいなもので金平糖を狙って弾き飛ばされたんだ。
その証拠にはるか遠くで爆発が起きた。弾き飛ばされたときの衝撃で爆発しなかったのは偶然か、それとも不良品の金平糖だったからか。
いっそ最後の金平糖を自分の足元で爆発させてやろうか。
あんな奴らに殺されて、食べられるぐらいなら自爆してやる。周りの奴らも巻き添えだ。
だがそう思ってみたところで実行に移すことは出来なかった。
やっぱり死にたくない。未練がありすぎる。誰か助けてくれ。誰でも良いから助けてくれ。
神様助けてください。穣子様、静葉様、雛様、神奈子様、諏訪子様助けてください。
人のものを盗ったり、夜更かししたりするのも辞めますから助けてくれ!
涙が止まらなくなった。ヤダヤダヤダ。死にたくない。
気がつくと股が濡れていた。小水を漏らしていたらしい。下着のドロワがビシャビシャで肌に張り付いて気持ち悪い。
もう何から何まで最悪の状況だ。もう死ぬしかないんだ。蟻の槍投げを待つしか無いんだ。
おしっこが止まらない。口からガチガチ音がしだすし、体が震えてきた。もう何も考えられなかった。
「お待ちなさい!」
「……へ?」
何か黒いものが高速で近づいている。遠くからこちらに。
そして私に背中を向けて、私を庇う様に誰かが立った。
グラデーションのかかった長い、ウェーブのある髪。高い身長。勇ましい声。
つい最近幻想郷に復活した、聖白蓮だった。
「白蓮っ!」
「話は後です! 私にしがみ付いて!」
「お、おう」
蟻共を前にして全く怯んでいない白蓮。気合の入った声で私に指示を出した。
「たとえ妖怪相手といえども、戦意のない無抵抗な者を襲おうとは残虐非道である。いざ、南無三ー!」
白蓮の体に魔法のエネルギーが迸っている。魔力が強すぎて体内からはみ出ているんだ。
「私の側に居れば安全だから!」
「ああ!」
白蓮が両手を水平に伸ばした。何か叫んで、周囲に衝撃が疾る。
目をしっかりつぶり、白蓮の脚にしがみつく。
安全、とは言うが余波がこちらにも届いてるみたいで気を抜けば吹き飛ばされそうだ。
暫くして静かになった。恐る恐る目を開けると周りが焼け野原になっており、暗い空がぽっかりと見えるようになっている。
「……全部吹き飛んだ?」
「そのようね」
「ははは……た、助かった」
体から力が一気に抜けた。膝が笑っていて立てないぐらいに。
相変わらず白蓮はすごい奴だ。封印されるほど強いってのも頷ける。
ん? ちょっと待てよ?
「なぁ」
「?」
「実はさっき八卦炉をこの辺で落としたんだ」
「吹き飛んで行ったかもしれませんね」
「だよな」
「ご、ごめんなさい」
「仕方ねえよ……死ぬよりマシだ」
自分の主力武器を失くしたままで、この先生きのこれるんだろうか。
【蜥蜴】
あれから白蓮と色々話ながら、森を抜けようと急いだ。まあ私は飛んでいる白蓮に運ばれてるだけだが。
あいつも気がついたら変なところに居た、ということだとか。
家でうとうとしていたら迷い込んできたらしい。その辺は私の場合と良く似ているな、と思った。
ただ白蓮は夢の出来事だと主張している。
夢の出来事なもんか。こっちは髪の毛切られたし、死にそうな目に合ってるんだぞ。
人間辞めてない私は一回死んで☆を一つ失ったら、それで終わりだってのに。
それにしても白蓮に抱かれている、という感触は不思議なものだ。
鬼もビックリな怪力が発揮出来るという噂の、肉体強化魔法を持つ白蓮。
その白蓮にやんわりとした力で運ばれている。ちょっと力まれれば私はぐちゃ、と壊れるんじゃないかって思う。
でも白蓮はなぜか私に優しい。いや、こいつは誰に対しても優しかったか。
基本的に自分以外のことを考えないはずの妖怪が、こいつを慕っていたりする。
白蓮のことはまだまだ知らないことだらけだが、別に悪い奴じゃあないんだろうな。
さっきは助けてくれて本当に嬉しかった。さすがの私でも危なかったからな。
白蓮はただっ広いところに出ていたとか言ってた。川がどうとか、蟹がどうとか。
それで気味が悪くなったからその場から逃げて、飛んでいたら森が見えたから入って来たらしい。
白蓮の言ったことは理解出来ないが、そっちの方向には行きたいと思わなかった。
私はこれから先どうすれば良いんだろう。どうすれば元の世界に戻れるんだろうか。
本当に紫が犯人なんだろうか。白蓮にそのことを訊いてみたが、よくわからないと返された。
私はあいつが悪いと思いたい。あいつの力を借りればこの妙ちくりんな世界から、あっという間に脱出出来るからだ。
森の木々が減ってきたところで、ようやく森の終わりが近づいてきた様に感じた。
森を抜けた先に見えたのは、大きな岩山。しかも空がその山の上だけ異様に赤かった。
なんというか、溶岩の色を吸収してるというか。いかにも暑そうな雰囲気がする。
「おい、まさかあっちに行こうとしてないか」
「他に行く当てがあるの?」
「……いや」
森を抜けた先は閉鎖的な空間になっており、とてもじゃないが山を抜ける他無さそうである。
また森に入り、別の方向から抜けるという選択肢もあるだろう。
とはいえ、あの蟻や食獣植物が跋扈している様な森にもう一度入るのも勘弁してもらいたい。
「とりあえず動くしかないな。わからないことだらけだから、体当たりで何があるか調べていくしかない」
「じゃあ、山の方へ行くってことでいいわね?」
「ああ、頼む」
飛べない魔法使いで、八卦炉も失った私はただの魔法使いでしかない。
白蓮に運んでもらわないと何も出来ない状態だから、今の私は彼女の足手まといにならない様にするしかない。
不気味な森を抜け、岩石で囲まれた所へ入っていく。
トンネルみたいになっている部分が所々にあり、高速ですり抜けていくには危ない。
しかも面倒なことに先ほど森に居た蟻がここにも現れたのだ。
トロトロ飛んでいると蟻が飛ばしてくる槍で狙い撃ちされるということだ。
私は白蓮を信頼してかっ飛ばしてもらうことにした。
白蓮にしがみ付き、振り飛ばされない様にしっかり掴む。
岩壁へ当たらない様、出来るだけ自分の体を平らにしようと意識して密着させた。
「荒く行きますよ!」
「ああっ……一気に行ってくれ!」
白蓮と先ほど話していたことを思い出した。寺に残された住民を気にしていること。
こいつは人間を辞めた魔法使いのくせに、他人のことをやたらと心配する。
自分がこうして意味不明な世界に飛ばされたというのに、星がどうとか、村紗がどうとかって呟いてる。
人間を辞めた魔法使いといえばアリスも確かそうらしい、という話を聞いたことがある。
だがアリスと白蓮は全然違うタイプだ。
アリスはそれこそ自分にとって得でないことは無視する。
白蓮は聖人君子に近い感じで、損も得も気にせず誰かを助けようとする。
もし先ほど、私が蟻に襲われているときにアリスが通りかかっていたらどうなるだろう。
私は助けられていただろうか。きっと助かっていなかったに違いない。
もしくは「八卦炉をくれたら助けてあげても良いわよ」なんて言うに違いない。
冷たさで言えばアリスよりもパチュリーの方が酷いが、どっちもどっちだ。そう言われるに変わりはない。
いやでもあいつが八卦炉を使えると思えない。八卦炉を使えるのは私だけだと私を生かすかもしれない。
私がこの先使える奴だとあいつが考えて、助けてくれるかもしれない。
でもそれは助けてくれる動機としては寂しい気がする。白蓮みたいに親切で助けてくれた方がありがたい。
白蓮にぎゅっと抱きしめられた。狭いトンネルはどんどん続き、岩山の中へ入って行く。
良い体格をした白蓮に抱かれるというのは、どこか安心感で満たされる。
しばらく味わっていない、母のぬくもりに似たものを感じたのだった。
「魔理沙、蟻が居なくなりましたよ」
「え?」
気がついたときには周りの風景も変わっていた。まるで鍾乳洞みたいな場所。
上や下にトゲトゲが一杯あった。いわゆる鍾乳石とやらの様に見える。
普通洞窟というのは寒い場所なのだが、ここは逆に暑い。
こんな温度では洞窟内に滴り落ちるはずの水滴が蒸発してしまって、鍾乳石なんて出来ないのではと思う。
だがここは理解を超えた世界だ。どんな温度になろうとも沸騰しない水、というものがあるのかもしれない。
「魔理沙。そろそろ休憩がしたいから、広いところを探して降ろしますよ」
「ああ」
もう暫く飛んでもらうと、ちょうど鍾乳石が生成されていない広場の様な所を発見。
私も腕が疲れてきたところだ。幸いなことに周りには生物など居ない。
「あら、魔理沙。靴がボロボロですよ」
「ああ。さっきのデカい蟻に齧られたんだ」
「かじ……靴にこんな穴を開けるなんて。あいつらは妖怪?」
「さあな」
この場所は暑いが寒いよりはマシかもしれない。暑いのは暑いで辛いものがあるが。
現にここは蒸し風呂みたいな暑さをしている。さっきから汗が止まらない。
そういえば私は先ほど恐怖の余りおしっこを漏らしたのだが……あれから下着を変えずにいたのを思い出した。
結局高速で空を飛んでいる間に風で乾いてしまったのだ。まあ今となっては汗でビシャビシャ。
きっと臭いがすごいことになっているだろうな。こんなときパチュリーに魔法で水でも出してくれれば洗濯出来るのだが。
「私は人間を辞めていますから、寝なくても平気です。魔理沙は寝ていてください。私が見ていますから」
「良いのか?」
「ええ」
遠慮してみせたが実のところフラフラであったりする。さっき睡眠を取ろうとして邪魔されたまんまだったからな。
「それじゃあ……遠慮なく」
顔を帽子で隠して目蓋を閉じると意識があっという間に沈んで行く。白蓮の優しさが本当に嬉しかった。
※ ※ ※
「ん……」
私はどれぐらい眠っていたのだろう。眠気がスッカリ取れている。
たぶん十時間ぐらいは寝かせてもらえたに違いない。こんな環境でよく眠れたものだ。
ん〜? おかしなことに、目の前にアリスが居る。
服が少し汚れている。だが怪我をしている様子はない。顔色は良く、健康状態は問題なさそうなアリスが白蓮と話している。
「おいおい、どういうことだ?」
「あら、おはよう」
「おう。……何でアリスがここに? お前もここに飛ばされてきたのか!」
「どうもそうらしいのよねぇ」
アリスは面倒臭そうにそう言って、白蓮に視線を戻した。何だかよくわからない専門用語が混じった会話をしている。
魔法使いの私がわからない用語って一体何なんだよ。気になるじゃないか。
しかし、というかやっぱり妙だな。寝起きってのは喉が渇いてるものなのだが、そんなことがない。
ましてや汗が止まらないぐらい暑いのにな。
「ああ、そうそう。ねえ魔理沙、私こんなもの持ってるんだけど」
そう言ってアリスはこちらを向き、懐から八卦炉を取り出した。
「それは!」
「きっとあなたの物でしょうね」
「拾ってくれたのか!?」
「この山に入ったときに落ちてるのを発見してね。まさかと思って拾ったけど……魔理沙までここに居ると思わなかった」
「それはこっちの台詞でもあるな。ところでそれを返してもらいたいのだが」
「タダでは返せない」
「……そうだよな、お前はそういう奴だったよな」
「何よ。私は生きるために最大限の知恵を使っているだけよ」
「その知恵ってのは、人の物を預かった手数料みたいなのを徴収するためかよ」
「そういうこと。幻想郷に戻ってからあなたの持っている魔道書を半分譲ってくれるのなら、譲渡して良い」
「……わかったよ、半分くれてやる。だから返してくれ」
こんなときだってのにちゃっかり紙を用意して契約書を作ってやがる。
口約束なら言い逃れ出来るというのに、これじゃあ出来っこない。
「じゃあこれは返しておくわよ」
全く面倒臭いやつだ。こんなことでアリスに恩を受けることになると思わなかった。
「別にそれぐらいタダで返してあげれば良いじゃないですか」
「そうだ白蓮! もっと言ってやってくれ!」
「私は慈善事業しているわけじゃないのに、タダで人助けなんて出来ないわ」
可愛くない奴だぜ。かといって逆に好かれるってのも怖いけどな。
人を襲って食うって話は聞かないが、人を魔法の実験に使ってるって話を聞くからな。
「そういやアリスはどうやってここまで来たんだ?」
「話すと長いけど、私は地下のじめじめとした所で目が覚めたわ」
アリスが言うには大量の蛞蝓から逃げ回っていたらしい。
それから地下の下水道みたいなところを登っていると、この山が見えてきたとか。
んで山に入ったところで私の八卦炉が偶然にも飛んできたらしい。
結局私のところに返ってきたことを喜ぶべきなのか、魔道書を半分手放すことになると悲しむべきなのか。
「アリスって確か魔界の人だったかしら? 実は私も千年ばかり魔界の端っこに封印されていたんですよ」
「ああ、何かそういう話を霊夢だか魔理沙だかに聞いたっけ。まさか本当だとは」
「魔界の空気って美味しいですね。体がみなぎるというか」
「そうよねー。私も魔界の空気が一番」
「おい、お前ら世間話もそれぐらいにしようぜ。私はここがどこなのか突き止めようと必死だってのに」
そう注意するものの二人の話は中々終わらない。よくこんな暑苦しいところで喋り続けられるものだ。
「そういえば魔界で思い出したけど、ここ何か変じゃない? 魔法の効力が強く感じるの」
「ああ、それは私も思いましたね」
「私も思うぜ! 八卦炉の威力がすげぇ上がってるんだ」
「あなた達も考えてる通り、ここは魔界の一部だと思うの」
「あー? 私はもっと変な所だと思うぜ」
「そう? 私はアリスと同感だわ」
「じゃあ魔理沙はどう思ってるの?」
「……」
「何も考えてなさそうだけど」
「ば、ばか! それを探るために色んな所へ行って調べてるところだよ! なぁ、白蓮?」
「え、ええ。そうですね」
「そうだ、アリス。お前はこの世界のことをどう見てる? 私は別の世界へ飛ばされたと考えてるんだが、白蓮と来たら夢の中の出来事だとか言うんだよ」
「ふーん。私は魔理沙と同じ考え、かしら」
「だよなー! そうだよなー!」
「むむ……考えを改めるべきなのでしょうか」
「ところで魔理沙、箒どうしたの。飛ばされるときに忘れたの?」
「あー、いや。デッカい蟻に壊されたんだ」
「蟻? そういえばこの世界にいる生き物は皆大きいわね」
「そこに何かあるのでは?」
三人寄れば文殊の知恵と言う。確かに三人居れば何かと推理が捗るな、こりゃあ。
「魔界にもデカい化物は居るんじゃないか?」
「確かにそうだけど、大きいのから小さいのまで多種多様よ。それなのにこの世界は徹底してどれもが大きい。これは異常よ」
「結局、わからないってとこですかね」
「……そのようね」
三人寄ってもわからないことは、わからないままなのだった。
それからも暫く話し合ってみたが結局元の世界に戻る方法はわからないままなのだ。
「魔理沙!」
「んー?」
「何か来る!」
「え、え?」
「早く隠れるのよ!」
「何が来るって言うんだよ」
「しっ!」
白蓮に急かされる形で近くの岩陰に身を潜めた。この辺りに巣を張っている奴なんているとでも言うのか?
すると、周りの温度が一気に上昇して行った。蒸し風呂なんてレベルじゃない。皮膚が火傷でもしているかの様に痛い。
ああなる程、暑い原因がわかった。体に火のついた巨大なトカゲが近づいてきているんだ。
その体は人間の身長を遥かに超えていた。
私が平均的な人間と比べて低身長なのはわかっているが、それでも大人の人間よりずっと大きいとわかる。
頭の上から尻尾の先まで火がついている。一体どういう原理だ? 体から油が染み出してるとでも言うのか?
火がついているせいで眩しく、色は殆ど判別できない。だが体の下の方が暗い色をしているのは辛うじて確認出来た。
「何よこれ……信じられない」
「しっ! 気付かれたらどうすんだよ!」
何かの本でサラマンダーとかいう、燃えるトカゲの絵を見たことがあるが……それが目の前に居る奴のことなんだろうか?
おもしろい。あの燃える皮が欲しい。持って帰って調べてみたい。本にまとめたい。
実に興味深いな。ゾクゾクするぜ。
「あのトカゲ、持って帰れないかしら」
アリスが私と同じようなことを言っている。そういえばこいつは私と同じく欲張りな魔法使いだっけ。
「何か罠を作って、そこで拘束した状態で出来るだけ外傷を作らずにあのサラマンダーを殺す方法を……」
「罠だって? あんな熱そうな体温してたら、罠自体が燃えてダメになるんじゃないか?」
「じゃあ魔理沙が方法考えてよ」
「はぁ!?」
「騒がしくすると気付かれますよ! そもそも、あのトカゲは何なんでしょう。この辺に住んでいるのでしょうか」
「さあな」
「先ほどから物騒な話をしていますけど、あのトカゲが凶暴と決まったわけじゃないでしょう? 見た目が怖そう、だという理由で無闇に襲うのは関心できませんよ」
「何こいつ。よく呑気なこと言っていられるわね」
そういえば白蓮はこういう奴だった。だが相手はどう考えても人の言葉が通じる、幻想郷の妖怪とは全然別物だと思う。
何かされる前にこちらから仕掛けるべきだ。どうする? 先手必勝で三人分の光線でも集中で打ち込むべきか?
だが白蓮が協力してくれそうもない。先ほどの蟻みたいに、こっちがピンチにならない限り手助けしてくれそうに見えない。
岩陰からトカゲの様子を窺う。どうやらここを寝床にしているらしい。目を瞑って地面に寝そべって動かなくなった。
背中の火がどんどん弱くなって行っている。殆ど種火状態にまでなった。
「私は今の内に逃げることを提案します」
白蓮は戦いを避けたいらしい。確かに無理をする必要はない。
「私はあいつを倒したい。折角こんなところに来たんだもの、何か収穫がないと」
アリスはあいつを倒す気で居るらしい。私はこれに賛成である。
「私もアリスに同感だぜ」
「……私は戦いたくありませんよ」
「白蓮も手伝ってよー。あなたは相当強そうだから、戦力になると期待してたのに!」
「あのトカゲが可哀想じゃあありませんか! 彼は私達が来るずっと前からここで暮らしている様な感じでしょうし」
「はぁー? 何よあんた、平和ボケでも起こしてんの? やらなかったらやられるような所で!」
「おい、アリス! 静かにしろって!」
慌ててトカゲの方に視線をやる。起こしてしまったか、と思って。最悪だ。こっちを見てやがる。
構えてこちらを見据えてきた。口を上に上げて、鼓膜が破れんばかりの咆哮を響かせた。
必死に耳を押さえていないと本当に耳がやられそうだ!
アリスと白蓮も同じようにしている。叫び声の衝撃で身動きを取ることさえ出来ない。
奴が叫んだと同時に背中の炎が一気に燃え上がった。
あの火は犬で言うところの尻尾みたいなものなのだろうか。燃え盛ってるときは怒ってるとかな。
腹が減らない、喉が渇かないという世界だからともかく、普通なら暑さからくる熱中症なんかでやられているだろうな。
「アリスのせいだぞ!」
「白蓮が協力してくれるって言ってくれれば良かったのよ!」
「言い争いしている場合じゃありませんよ!」
トカゲが口を大きく開けた。暗い口の奥がどんどん明るくなって行く。
まさかと思うが火を噴くんじゃあるまいな?
「魔理沙、跳んで!」
「お、おう!」
アリスと白蓮が右に大きく跳んだ。それにしがみ付くように私も遅れて跳躍。
背後で爆発、炎上。私達が居たところに火柱が昇った。
「どうすんだよ! あんなのと戦うの、面倒臭そうだぞ!」
「八卦炉あるんでしょ! 一気にやっちゃってよ!」
「ああ、やってやるよ!」
いまだに止めろ止めろと煩い白蓮を無視して八卦炉を向ける。
燃えるトカゲだか何だか知らないが、これで一撃だ!
八卦炉に点火。弾幕ごっこ用の低火力マスタースパークじゃない。
化物退治用の、ちゃんとした高火力魔砲だ。
幻想郷に居る妖怪なら殆どの奴を一撃で倒せる。
このトカゲだって一撃で倒せないまでも、重傷を負わせることが出来るだろう。
トカゲの体が太い光線に飲み込まれる。魔砲の反動がデカい。吹き飛ばされないために踏ん張った。
「どうだ!」
決めポーズも忘れない。だがトカゲに対したダメージを負わせることが出来ていなかったらしい。
より厳つい表情でこちらを睨んでいる様に見える。
「おいおい、マジかよ……」
「もっとしっかり撃ってよ!」
「撃ったって!」
「私も一緒に撃ったげるから、ほら、もう一発!」
「ったく、こっちは燃料がある限りだってのに!」
白蓮は蚊帳の外状態。共闘してくれるわけではないのが残念だが……あいつはあういう奴だから仕方ない。
だが攻撃する前に一旦奴の攻撃を避けた方が良さそうだ。
トカゲが低く構えてこちらに突進して来る!
今度は左に走る。あんな巨体で突進攻撃なんて喰らったら、一撃でこちらの体がペシャンコだ。
スカートの端から煙が上がった。焦げた匂いがする。なんて奴だ、近くに居るだけで本当に焼けてしまいそうだ。
「あのトカゲ、一体何度ぐらいあるんだ?」
「さあね。魔理沙が側に行ってみてよ」
「お断りだぜ」
突進後に奴がこちらを振り向く。その前にアリスと私で撃ち込んじまおう。
そう思って構えると、白蓮が私達に背を向けて立ちはだかった。
「いい加減にしてください。悪いのは私達の方なんですよ!」
「はぁ!? ちょっと魔理沙、何よこいつ。頭おかしいんじゃない?」
「無理してこの子を傷つける必要なんてないじゃないですか!」
「……私、白蓮のこと嫌い」
「嫌われても構いません。もう攻撃するのを辞めてください。ここは彼の巣らしき場所。私達が立ち去れば彼は襲ってこなくなるでしょう」
白蓮の言っていることは最もだ。倒す気だった私だが、気が変わった。私は白蓮の言うとおり逃げることにしたい。
本当のことを言うと、私達で倒せるのかどうか怪しいと思ったからだが。
これ以上攻撃しても時間と苦労が無駄になるだけだろう。八卦炉の燃料を出来るだけ温存したいというのもある。
「わかったぜ、私は攻撃するのを……あ!」
トカゲが跳躍し、白蓮に飛び掛りやがった! 危ない、と叫ぼうにも一瞬遅れる。白蓮の体が下敷きに。
「白蓮!」
いくら人間を辞めているって言っても、あんな高熱の生物に圧し掛かられたらタダじゃ済まないだろう。
体重が何キロ、いや何トンかありそうなものに押し潰されてるだろう。
「魔理沙、白蓮は生きてる」
「何っ!」
白蓮が必死の形相でトカゲの体を少しずつ持ち上げている。
だが奴の高熱のせいか、白蓮の顔が醜いことになってやがる。皮膚が焼け爛れて、地面に落ちて行っている。
柔らかそうな頬肉があっという間に焦げ付いた。眼球の水分が一気に蒸発し、目玉のあったところが空洞に。
彼女の吐息まで燃えてしまっている。きっと空気が無いんだ。トカゲの体から出てる火が白蓮の肺の中に入り込んでやがるんだ。
それでも白蓮は生きている。最早人間じゃない。ああ、人間じゃなかったか。
だが長くは持たないだろう。というか、普通の人間ならもう死んでいる。
たんぱく質で出来た筋肉とカルシウムで出来た骨とが合わさって出来ている人間の人体で、何トンもありそうなものを持ち上げること自体が不可能なのだ。
白蓮の場合はそれを膨大な魔力、白蓮の言う身体強化魔法とやらで補っているのだろう。
皮膚が完全に焼け落ち、内臓が焼け焦げて無くなっている。生きる骨格模型みたいになった白蓮は燃えるトカゲを投げ飛ばした。
思わず目を背ける。普通の魔法使いな私には見ていられない。吐き気がする。
「ふぅ、さすがの私も危ないところでした」
白蓮の体は目を逸らした間に殆ど回復しつつあった。よくそんな呑気な気分で居られるものだ。
骨が見えてしまっている指先に肉と皮が伸びていき、元の状態に戻る。
素肌が丸見え。服が焼けたんだから仕方ない。
胸やお尻が程よく育った白蓮の裸姿。嫉妬したくなる胸の大きさ。
このままでは可哀想だと思って、適当に白蓮っぽい服を魔法で着せてやった。
「あら、ありがとうございます」
「こっちが恥ずかしくて仕方なくてな」
投げ飛ばされたトカゲは体勢を整え、こちらを睨んでいる。今にも飛び掛ってきそうだ。
「おいアリス、私は逃げることにしたい。お前はどうする?」
「……あ〜もう、わかったわよ! 逃げれば良いんでしょう!」
「わかってくれたんですね!」
とはいえ簡単に逃げさせてもらえるのかどうか、疑問に思うところ。
奴がその場で小刻みに震えだした。一体何をするつもりだ?
気のせいだと良いのだが、地面まで揺れだした。
白蓮は回復したばかりだからだろう、体の動きが鈍い。足元が頼りない。
ここはアリスにがんばってもらおう。
「おいアリス、私と白蓮を抱えてどっか遠くに飛ばしてくれ」
「はぁ!? 二人も運ぶなんて無理よ!」
「私は箒ないし、白蓮はこのザマだ。頼む、何とかしてくれ!」
「わかったわよ! やれば良いんでしょう!?」
「ああ!」
「回復しきっていれば私が運びますけど……もう少し時間がかかりそうです」
アリスの手を握りしめる。白蓮ももう片方の手を取った。
白蓮がアリスに自分の魔力を流し込み始め、アリスは嬉しそうな表情になる。
「す、すごい! 力がみなぎって来る! これなら二人とも運べそうだわ!」
「じゃあ早く行ってくれ! なんかヤバそうだ!」
刹那、地面が真っ赤に染まった。急激に温度が上がっていく。もう暑くて死にそうだ。靴の底から白い煙が昇ってやがる。
アリスが慌てて飛び立つ。一瞬遅れて爆炎が広がった。荒れ狂う熱風が辺りを支配する。その勢いに巻き込まれた。熱気にやられて目を開けることが出来ない。
幸いなことに、爆発自体には巻き込まれていない。良かった、生きている。バンザーイ!
あれ? 今私は手に何も持っていないぞ? アリスの手はどこに行った?
だが目を開けることが出来ない。目を開けると爆熱に晒されることになるから、目を押さえている手を退けられない。
私の体が自由落下して行くのがわかった。周りの空気が冷たくなって行く。
重力を受けて落ちていく自分の身を必死に振り回して、上を見上げる努力をした。
だがアリスの姿が見えない。白蓮も居ない。洞窟の中をひたすら落ちて行く。
冷たそうな青い岩壁が続いている。下は見えない。真っ暗で、ただ深い。
「白蓮ー! アリスーぅ!」
叫んでみたところで返事は聞こえない。半ば諦めた様に言っただけ。
参ったな、こりゃあ。あのトカゲからは逃げられたが、このままでは落ちたときにペシャンコだろうな。
もう死んでしまうしかないんだろうな、と諦めてる自分と運よく水溜まりなんかに落ちるんじゃないかと祈っている自分がいる。
畜生、まだまだ死にたくないぞ。白蓮とアリスは無事なんだろうか。
もうこうなりゃあいつらだけでも生き延びてくれ。
だんだん意識が薄れてきやがった。
それにしても穴が深すぎる。死ぬまでの待ち時間がえらく長いじゃないか。
くそう、こういうときのために箒無しで飛べるようになるべきだったか。
それにしてもあのトカゲは何だったんだろうな。白蓮の言うとおり、ここに住んでる生き物なんだろうか。
あんな御伽噺みたいな生き物が出てくるってことは、もしかして何かの御伽噺にちなんだ世界だったりするんだろうか?
だとすれば他にも色々出てくるんだろうか。出てくるのかもしれない。
でも私はこの先生きているのかどうかわからない。
ん? ちょっと待てよ? なんで魔法使いばかりが迷い込まされてやがるんだ?
そこに何かヒントが隠されているのか? もう一人魔法使いが居なかったか?
そいつはどうしてるんだ? それとも、あいつも迷い込んでたりするのか?
だがあいつは無茶苦茶頭が良いぞ。固いが。
もしパチュリーが居るってんなら、白蓮とアリスとで協力すれば確実に脱出する方法が見つかるだろう。
もう私のことなんか野となれ、山となれだ。
【土竜】
運が良いのか、日ごろの行いが良いのか。はたまた悪運か。洞窟を下っていった先は自然の滑り台になっていた。
摩擦熱に泣きたくなったが、先程のトカゲの暑さに比べれば遥かにマシ。
摩擦係数が良い感じになったところで穴の終わりがやって来て、私は大した怪我もせずに着地することが出来た。
死を覚悟していだだけに、調子が狂うというもの。まあ死なないに越したことはない。
問題はここからどうするか、だな。
当然あいつらと合流することを目的に動けば良いってのが正解だが、どうすれば良いかサッパリわからん。
とりあえず八卦炉があることを確認して、自分の周りを見てみることにしよう。
地下に空間が広がっていた。八卦炉に明かりを作らせる魔法をかけて発火。
照明代わりに魔法の光を灯した。
暗闇の空間に影が出来る。するとどうだろう、土や砂で出来ていると思われる簡素な建物がたくさん並んだ景色が広がった。
何とも不思議なところだ。とりあえずここを地下帝国、とでも呼ぶことにしよう。
きっとこれはアレだ。遺跡って奴だな。香霖堂にある外の本で見たことがある。地下帝国ではなく、地下遺跡にしよう。
気温は低い。太陽の光が届いていないせいだ。だが湿度は高い。ジメジメする。
低く、平らな天井。何かしらの目的を持って何者かが削ったみたいだ。
背後には先ほど落ちてきた、岩の筒。
今立っているところは上から落ちてくる砂が降り積もって出来た砂丘みたいになっていた。
降りた先にはもう地下遺跡。白いレンガみたいなものを敷き詰めた道に繋がっている。
遺跡の建物はちょうど私が入れるぐらいの建物ばかりだ。
つまりは一般的な成人した人間には小さいってことになる。小人の国、ってことになるんだろうか。
どの建物にも丸い窪みがついている。私らの感覚で言えば窓がついていそうな所。
でも窓はないな。ガラスを加工する技術は持っていなかった、ということなのだろう。
私らで言うところのタンスやテーブルみたいな家具を発見した。
いずれも土を焼いた、焼物になっている。触るとボロボロと崩れていった。
タンスの中には何も無かった。虫にでも食われたんだろうか。何を入れておくためのものなのかは不明。
舗装された道の隅には、小さい真っ直ぐな窪みがあった。ここを水が通っていたのだろうか?
確か「ろぉま」とかいう国が大昔に初めて作ったんだっけか。
とはいえそれが何年前の話かまではかわからないし、ここの遺跡が何年前に出来たかもわかっていない。
ここまで来て不思議に思ったことがある。どうして誰も居ないんだ?
さっきから見ていれば生きている奴を一人も見ない。
死体を見ないのは、砂でも被って見えないせいなのか?
ということは、これだけ立派な国が滅んだということになるが……どうやって滅べるんだ?
この、結構な文明を持った国が亡くなった理由が全く思いつかない。
それともう一つ気になることがある。建物や道路が著しく損壊していたりする所があったりするところ。
崩れた様にも見えるんだが、その周囲には異様に大きな穴が開いていたりするんだ。
まるで何かが通ったような跡だ。ここじゃあデッカいミミズでも出るのか?
絵や本といったものがあったりするとどんな奴が生活をしていたのかわかると思ったが、全く見当たらない。
難しいことはわからないが、不自然な点が多すぎる。
疫病でも流行ったのか? 食料飢饉でも起きたのか?
食料。そういえばここの奴らは一体何を食べるんだ? 食器らしき物は見かけるが、食べている物は一切不明のまま。
この地下のある場所の土を掘り、その土をどこかへやって作ったのであれば、この遺跡は外と繋がっていることになる。
私が落ちてきたところから上に上がるってのは考えにくい。もしそうならここに住んでいた奴らは空を飛べる奴らってことだ。
ん? 空を飛べる? 空を飛んでこの国を捨てたって線も考えられるか?
疲れたな。適当なところで寝転がろうかな。
この遺跡を歩き回るのにも飽きた。なんたって上を見ても土の空だからな。
景色も殆ど変化しない。狭いわけではないがどこを向いても似たような建物ばかり。
もし私がこの国に生まれていたら三日で外に逃げ出したくなるな。間違いない。
とりあえず適当な所で八卦炉に火を点け、暖を取りながら睡眠を取ることにしよう。
もう暫く口に何も入れていない。かといってここには食えそうなものが全く見当たらない。
お腹が減らないという不思議空間だから気にはしないが、落ち着かないものだ。
ん? 何か物音がするな。
このパターンは何か出る前兆だろう。そう思って私は飛び起きた。
が、特に変化は今のところ見られない。強いて言うなら、揺れているってこと。
天井から砂がちょっとずつ降ってくる。服が砂だらけになっても、洗う場所が無いから汚れるのは面倒だなあ。
眠たい目を擦って八卦炉を片付け、咄嗟の出来事に対応出来るよう構えておく。
帽子についた土埃を吹き飛ばして周りを注意深く見渡した。
静寂。刹那、衝撃。
背後で大きな音がした。土の壁にやたらと大きな穴が開いている。というのも、穴を開けてきたモノがいるからだ。
体長は全くわからない。ただ大きい。あのさっきのトカゲよりもデカいかもしれない。
皮膚、というか体の外側は色褪せた茶色の毛で覆われている。
顔と呼べる部分は全て丸く、大きな口になっている。その口に沿って牙が生えており、かつその牙が鮫の様に何重にもついている。
その牙の間には髭にも見える触手がついていた。どれもが自律して動いている様子。
口、というか顔の横には土竜の手みたいなのがついている。爪がやたらと長い。
またその爪ってのがえらくデカい。土竜みたいな奴の顔全体を覆える程。
あのデッカい口を広げたままこっちに来られたりされたら、一溜まりも……そういうことか!
この遺跡が滅んだのはこいつのせいなんじゃないのか?
そう決め付けるのは早計すぎるか。だが可能性としては十分だと思う。
だってあの口に飲み込まれたりでもされれば、それこそ死体の跡なんて残らないだろうな。
私は早くも逃げる準備をしている。いつもみたいにマスタースパークしないのかって? 当然じゃないか。
マスタースパークのエネルギーさえも飲み込まれそうだからだ。そんなの魔力の無駄遣い。
それにさっきの蜥蜴に撃ち込んだとき、掠り傷程度しか与えられなかった。
悔しいが、私の魔砲一つではこの世界の巨大生物に対抗しきれないのだと思う。
土竜っぽい奴が体を捻らせながら私に少しずつ近づいている。私は反対を向いて一目散に駆け出した。
どこに目があるのかわからない土竜が、轟音を響かせながら私を追いかける!
畜生、空を飛べさえすりゃあこんな奴振り切れるのにな。そう思ったところで飛べる様になるわけではなかった。
地下帝国の石畳の道をひたすら駆け回る。段差でこけて追いつかれる、なんてことを避けながら走り続ける。
奴が私の居る方を向いたままその大きな口を広げた。建物や道ごと、お構いなしに突っ込んできやがる!
この遺跡のどこかに大きな穴が開いていたと思うんだが、あれはこいつが開けた穴なのだろうな。
しかし不味いぞ。このままではこの遺跡に住んでいたであろう奴らみたいに飲み込まれるだけじゃないか。
いくら私が普段から体を動かしていると言っても、ずっと走っていられるほどの体力はない。
こうなったら出来ることは一つ。落ち着いてこの地下遺跡をもう一度観察するしかない。
これだけ閉鎖的な空間だ、どこかに必ず外へ繋がっている道があるはず。それがあると信じて探すしかない。
それにしてもこの土竜はどうやって私を識別しているんだろう? 土竜は嗅覚が良いとか言う話を聞いたことがあるな。
だが私の知っている土竜と比べて違うところがあるかもしれない。私の常識がこのヘンテコな世界で通用しないかもしれないからだ。
今のところは逃げきれているが、いつか足を止めたときに殺されるだろうな。
いい加減足が痛くなってきた。閉鎖的な空間から出られないまま、土竜の口から逃げ続けるしかないのか。
いや? 待てよ? 怪しいトンネルがあるぞ! 遺跡の端っこ、一番大きい建物の陰に四角い横穴が見える。
さっきはあんなの無かった様に思えるんだがな。
降り積もった砂で隠れていたのかもしれない。土竜が出てきた衝撃でその積もった土が崩れたのだろう。
段差を乗り越え、民家らしき建物をすり抜けてそのトンネルへ突っ走る。
そこへ行ったところで奴の追跡が止まるとは思っていないが、少なくとも助かる可能性は出てくる。
なんせあのデカい口だ、下手すりゃトンネルを削りながら私を追いかけてくることも考えられなくはない。
もうちょっとなんだ! 持ってくれ、私の足! 汗まみれで涙まで出てきた。
あと数歩、のところで足を滑らせた。しかしこける前、つんのめりそうになったままの姿勢で次の足を使って地面を蹴ることに成功。
なんとかドジしないままトンネルに入り込めた! 次の瞬間、奴がトンネルの入り口に激突。
トンネルの上、石の天井から砂がパラパラと落ちてくる。とりあえず今は奴の動きが止まっている。
一息つけそうなところでトンネルの内部を観察。幸運にもトンネルとして機能していそうだ。
もしかしたらトンネルのどこかが崩れて進めないようになっているのでは、と思ったからだ。
トンネルは登り坂になっている。そしてその先から白い光が見えている。外だ。やはり外に繋がっているんだ。
しめしめ、奴は止まったままだ。この先に進めないらしい。バカな奴。
「ざまぁ見ろ!」
わざとらしくケツを叩いて見せた。良い気味だ。さんざん私のことを追い掛け回したくせに。
すると土竜があのデッカい爪のある腕を前に向けた。
奴は土竜だ。獲物が小さいトンネルに逃げ込まれようがもっと大きな穴を掘って進むことが出来る。
なぜすぐに来なかったのかはわからないが、きっと脳が弱くて腕を動かすという判断が遅れたのだろう。
私は坂を登る。死ぬ気で登る。後ろを振り向いた。自分の体を高速で回転させ、ドリル状になった土竜が迫ってくる!
先ほどよりはスピードが落ちているが、こっちは疲れていてかつ坂道を登っている。状況はあまり変わらない。
こういうとき便利な魔法を覚えておけば良かった、と思う。一時的に疲れを忘れる魔法とか。
いつも箒があったからな。箒を使って早く飛ぶ魔法なら知っているが……素足で早く走る魔法は知らない。
幸いなことにトンネル内部には障害となりそうなものはない。蜘蛛の巣は張ってないし、道も平坦だ。
今のところ動いていれば追いつかれる心配はない。案外土の中を進む速度が遅いらしい。
とはいえ突き出した爪が高速回転しながら近づいているというのは恐怖以外の何物でもなかった。
ちょっと前に進むことに集中して走っていると、奴がいる目印になる振動が動いた。
自分の後ろにある、振動している物が下へ下へ移動している。
奴が諦めて逃げてくれたのか? いや、違う! また登ってきた!
私は疲れている脚で無理をして出来る限り跳躍。すると私が居た所に大きな縦穴が出来ていた。
振動する物が今度は上に居る。例の土竜が縦横無尽に動いて、私を狙ってやがるんだ!
頭の悪い奴かと思ったら、獲物を襲うことに関してはテクニシャンらしい。
だが咄嗟に移動すればなんとか奴の突進を避けられた。
弾幕ごっこで言うところのチョン避けみたいなもんだな。相手を一発の自機狙いだと思えばいい。
実際はチョンどころか、大きく跳ばないとこっちがオシャカになっちまうわけだが。
上や下、左右から何度も襲ってくるモグラ。だがその度に大きく移動していなす。
トンネルにも終わりが見えてきた。もうすぐで外に出られる!
外に出たからといって何とかなるがわからないが、こんな土の中に居る奴らだ。
きっと太陽の下では活動できない様な奴に違いないさ。
もうちょっとだ、あと数メートル踏み出せば外に──というところで広いところに出た。
どうやら出口付近が広くなっていたらしい。まあいい、外に出ちまおう。
すると、前方の下が激しく揺れた。奴が下から来るのか、と思うと振動する物は出口の前に出てきやがった!
丁度出口を塞いでいる形になっている。奴の体をよじ登れば出られないことはないが、そんなこと出来るわけがない。
おい、待てよ。そんなの無しだろ? 反則だろ? 逃げ道がないじゃないか。インチキじゃないか。ルール違反だぞ。
もう脚も限界が近いっていうのに、無理だ。絶対死ぬ。今度こそ終わりだ。
あー? 何だ? 何か一杯見えるぞ? 思い出みたいなのが突然浮かんでくる。
待ってくれよ、私は白蓮、アリスと合流するつもりなんだぞ。こんなところで死ぬ気はない。
落ち着け、よく考えろ。クールになれ。冷静になるんだ。そう、頭を使え。私は人間なんだ。人間の知恵を振り絞るんだ。
奴が危なそうな爪のついた手を振り回してきた! 慌てて横に飛んだが、掠ってしまった。
それだけなのに、ブラウスの袖がボロボロにされた。肩回りの皮膚がグチャグチャに傷つけられた。
だが今は痛いと泣いている暇はない。必死になって生きる術を見つけ出すんだ。どこかに弱点があるはずなんだ。
弱点? そういえばこいつが私の知っているモグラであれば視力が弱いはず。それと日光に慣れていないはず。
光だ! 光を作り出すんだ。光と熱の魔法なら私の得意分野だ! 私は八卦炉に火を点けた。
奴が私に大きな口を向けている。いいぞ、どこに目があるかわからないがこっちを向いている。
やるなら今だ。私はマスタースパークを撃つのとは違った要領で魔法の光を作り出した。
どちらかといえば敵に致命傷を与えるための光線ではなく、照明に近い。
だが照明といえども明るさの量が膨大なものにしている。名付けて閃光魔砲、フラッシュスパークだ。
利き手で八卦炉を構えて眩い光を奴に向ける。空いた腕で両目を隠し、こっちが閃光でやられない様にした。
奴が鳴き声の様なものを上げながら悶えてやがる! 怯んでいる今の内に出口へ向かうんだ!
毛深い犬の毛みたいな皮膚を急いで登っていく。
暴れまわっているせいで振り飛ばされそうになるが、出口を目の前にして好機を逃すわけにはいかない。
何とか奴の体を乗り越えた! ようやく地下から抜け出すことが出来た!
奴が回復し、私の匂いを感知してかこちらを向いている。だが出てくることはなさそうだ。出口から出ようとして、口を引っ込めている。
やっぱり奴は光に弱いんだ! へんっ! 私の知恵が勝ったのだ。人間の頭脳が野生の動物に勝ったのだ。
【百足】
白蓮とアリスの足取りがわからないまま、見知らぬ土地を行く。
あれから私は地下遺跡を脱出した先にある、海の周りを歩いている。
あ? 波がないなら湖なのか? それにしちゃあ広すぎる。真っ直ぐな地平線が見えてるぜ。
真っ直ぐ? ここは昔の人が考えた地球みたいに、端っこが崖にでもなってるのか? それとも星自体がデカすぎて丸みが認識出来ないのか。
湖の周りには砂浜みたいなものが出来ていた。白い砂。
いままで色使いが妙だっただけに、まともそうな砂の色をしているのに驚きだ。
そのくせ湖に溜まっている液体は紫色をしているがな。結局不気味な景色だった。
遥か遠くの方には別の島があるらしい。飛べるのなら様子を見に行けるのに。
湖の中では時々鮫の背びれみたいなものをつけた何物かが泳いでいた。
何の生物なのかはわからん。というより、考えたくもない。また襲われるのは面倒だし。
白い砂浜にはところどころにミミズみたいなものや、打ち上げられたクラゲみたいなのが居た。
蚯蚓の方は全身に短い触手を持っている。色は水の色と同じく紫。体長は一メートルありそうだ。
その触手で砂をかきわけながら移動している。速度は遅い。貴重な生き物だと思うが、観察し続けたいと思わなかった。
蚯蚓というよりは、むしろ百足みたいなものなのだろうか。どちらにせよ近づかない方が良さそうだ。
海月の方は傘の部分がギョウザを寄せ集めた様な形をしてやがる。こちらも体長が一メートルぐらいあると思う。
形は美味しそうなんだが、色は濃い緑と暗い赤のまだら模様。いかにも毒でも持っているとアピールしていそうな感じ。
そこから伸びている触手はやたらと長い。一メートルぐらいと言ったが、その触手はぐるぐる巻きになっていて何メートルあるかわからない。
海月の触手は長い奴だと何十メートルにもなるとかって話がある。伸ばしてみれば長さがわかるだろう。
だが海月の触手に触ると刺されるとかって聞く。だから実際に伸ばしてみようと思わなかった。
たとえ干上がっていても、何かの刺激を受けて反射的に刺してくるとかも聞いた。触らぬ海月に痛みなしってな。
蚯蚓も海月もやっぱりデカい。デカけりゃ良いってもんでもないのにな。
特に化物ってのは小さい方が良い。ぱっと見て怖くないからな。小さくても怖い奴が居ないわけじゃないが。
道なりに進んでいくと小さな小屋が見えてきた。崖みたいにせり出している所の先端にある。
形は綺麗な立方体。色は灰色。妙な彫刻がびっしりとある。何かの呪文に見えるぜ。
相変わらず空の色は暗く、赤い。空気が普通だというところで喜ぶべきなんだろうか。
白い、盛り上がった砂丘を登って小屋の前に。大きさは縦横高さ、それぞれが五メートルぐらい。
小屋というよりも、単なる大きな箱だな。入り口が無いんだから。
お? 横へ回り込んでみると鉄柵のある小窓が見えるぜ。小屋っていうより牢屋だな。
お? お? 何か見えたぞ? 小窓から誰か……ドアノブカバーみたいな帽子被った、見知った奴がこっちを見てるぞ!
「パチュリー!」
「魔理沙!」
やっぱりパチュリーも飛ばされていたんだな。魔法使いばかりが飛ばされていた、という考えは間違いじゃなかった。
「お前そんなところで何してんだよ」
「気がついたらここに閉じ込められちゃってたのよ。きっと元いた世界から、こっちの世界に飛ばされたんだわ」
パチュリーは私と同じ考えらしいな。白蓮とアリスはここが夢の中だとかぬかすからな。
「出られないのか?」
「魔法が効かないのよ」
「なんだそれ?」
「知らないわよ!」
もしかして壁にある彫刻のせいで、あの牢屋の内側からは魔法が効かないってことになってるのか?
もしそうだとすれば外側からも魔法の効力を受け付けるのかどうか怪しいところだな。
彫刻そのものを直接魔法で破壊できました、なんて間抜けなおまじないだったら良いんだが。
「あなたの得意の光線魔法で吹き飛ばしちゃってよ。ここ、気味が悪いのよ」
「あー……外も気味悪いがな」
「ああ、やっぱり」
パチュリーと色々話していると、パチュリーが窓から離れていった。
どうしたんだ? と思っていると窓から大量の百足が出てきやがった。そりゃあもう大量に。
大きさは私が知っている百足ぐらいの大きさなんだが、数がありえない。
百足共は皆窓から出てきて、窓の下、湖に向かってボトボトと落ちて行ってる。一心不乱、という感じで。
どれぐらいそれが続いたかはわからない。気分的には五分ぐらい続いていた。時計を持っているわけではないから、何となくだ。
確かにあんなのが沸いてきたら、パチュリーも窓から逃げるよな。
ん? パチュリーは大丈夫なのか?
「おーい!」
「何よ」
窓の奥から声がした。大丈夫そうだ。
「さっきのは何なんだよ」
「さあね。この建物の中、床の穴が開いている所から定期的に湧いて出てくるのよ」
「お前は大丈夫なのか?」
「不思議とね。この百足、なぜか皆窓から外へ出て行ってるだけなの」
「妙だな」
「不思議よ」
「言い方なんてどうでもいいぜ。ところでパチュリー、取引をしよう」
「はぁ?」
「お前の持ってる魔道書を百冊ばかり譲ってくれないか。幻想郷に帰ったら、私は自分の持ってる本を半分ばかりアリスに貸してやることになってるんだ」
「その殆どは私の本じゃないでしょうね」
「……」
「まさか、助けてやるから本を寄越せって話?」
「タダでは助けてやれんよ」
「別にいいわよ。助けてくれなくったって。自分で何とかするから」
パチュリーは怒ってそうな表情で窓から離れていった。アリスに取られてしまう分を補おうと思ったが、上手くいかなかった。
まあいい。きっと彼女は私に助けを求める。あいつは私よりも色々なことを知っていて、頭が良い奴だ。
いつからあの中に居たのか知らんが、その頭の良いあいつがいまだに中に居るということは、彼女の頭脳を以ってしてもどうにか出来ていないということだ。
しかし、そうであれば非常に厄介だな。パチュリーの持つ魔術に関する知識やノウハウは、私も尊敬しているぐらいだ。
もしかしたら魔法使いばかりが飛ばされてきているってのは、この世界そのものの在り方なんかと関係しているんじゃないか?
例えばこの世界が魔法や魔術と深い係わり合いを持っている世界、だとかな。
「どうした? 脱出しないのか?」
「辞めてくれないかしら。そうやって邪魔するの」
本当にパチュリーでどうにか出来なかったら、私が魔砲でこじ開けるしかなくなるんだろうか。
怖いなあ。出来なかったらどうしよう、とネガティブな思考が生まれてきた。
白蓮が居てくれればなあ。あいつなら文字通り力ずくで牢屋を開けてくれるだろうに。
それにしてもこの牢屋とやら、ドアらしきものが全く見当たらないぞ。
一体誰が作ったんだ? 材質がよくわからないが、内側を担当している大工は完成したときどうやって外に出るんだ?
でっかい竿で牢屋を吊り上げて然るべき場所に置いた、って作り方になるじゃないか。
とはいえ人が作ったものなのかどうかは不明だからな。何とも言えない。地底人かもしれない。
まあその地底人ってのはもう居なくなったみたいだが。
「魔理沙ー。五十で手を打つわ」
まさか本当に音を上げると思わなかった。時間はかかっても自力で脱出すると思っていた。
「だめだ。百だ。どうせお前の所には万単位で本があるんだろ?」
「億よ。仕方ないわね、百で手を打つわ」
「ハッピーバースデー! 契約成立だな」
頼まれてはやるしかない。本のためだ。私はアリスみたいな冷たい女じゃないからな。
頼んでくれればいつだって助けてやるさ。それが霧雨魔法店の経営方針だ。
ただ、私は労働に対して賃金を要求しているだけだ。
八卦炉を構える。パチュリーごと吹き飛ばしちゃっても大丈夫だろう。咄嗟に身を守る魔法を使ってくれるさ。
「やるなら屋根を吹き飛ばしてよ。私まで巻き込まれるのは勘弁して欲しいから」
「あ、当たり前だろ」
バレているとはな。でもそう言われてやらないわけにはいかないだろう?
押すなよ、と言われて押さない奴がいるか? 居ないだろ?
「今ぶっ飛ばしてやるからな!」
八卦炉に点火。彫刻のことなんか知るか。もう悩むのはなしだ。
思い切りの出力、百二十パーセントのマスタースパークで建物を吹き飛ばしてやるだけだ。
放射。衝撃と反動。目の前が明るくなる。真っ直ぐ、遠くまで伸びていく太い光線。
そろそろ良いだろう、と止めてみたところで牢屋は見事に吹き飛んでいた。
良かった、良かった。岩山にいた、燃え盛る蜥蜴には通用しなかったからな。自信を失くしていた所だったんだ。
やっぱりマスタースパークは最強だな。
「おーい。生きてるかー?」
煙のせいで中がよく見えないな。暫く観察していると煙が突風に巻き込まれてどこかへ行った。
そこには自分をすっぽり包むぐらいの泡の中に入ったパチュリー。
床の中央にデッカい穴が見えたので、それを飛び越えて奥へ。
指でプヨプヨ突いていると泡が弾けて、無傷のパチュリーが現れた。
突風はパチュリーが起こしたんだろう。泡の中にいるのは、私の魔砲から防御するためだな。
「良かったな、これで牢屋から出られるぜ」
「こんな荒い仕事で魔道書百冊ってふざけてるんじゃないの?」
「良心的だろ。私は二百って言いたかったのを我慢して百に減らしたんだぜ」
「はいはい」
助けてやったのに無愛想な奴だ。いや、こいつは元からそんな感じだったか。
建物を壊したついでにパチュリーごと吹き飛ばなくって良かったよ。遠慮はしなかったがな。
彼女は服についた埃を叩いていた。パチュリーはいつ見ても顔色が悪く見えるんだが、いつもと同じぐらい顔色が悪かった。大丈夫だろうな。
百足がどうのこうの言ってたが、大した怪我もしていなさそうだ。いやまあ、百足にまつわる怖い話なんて聞いたことがないが。
せいぜい噛まれて痛かった、ぐらいだな。
「パチュリーはどういう感じでここに飛ばれたんだ?」
「私? 私は椅子にもたれ掛かってうとうとしていたら……って感じね。魔理沙は? 寝ているときに?」
「ああ、そうだ」
「ふーん。でもこんな意味不明な所は一体何なのかしらね。夢の出来事ならいいけど」
「あ? お前まで白蓮みたいなことを言うのかよ。アリスは私に賛同してくれたってのに」
「何よそれ。白蓮とアリスもここに居るの?」
「ああ、今はちょっと訳ありではぐれちまったんだがな」
「ふ〜ん……でもその別世界に飛ばされたって考え方にも一理あるわね」
「だろう? 普通に考えてみろって。どう考えても現実の出来事じゃねえか」
「そうやって決め付けるのは良くないわ。こういう理解不能な状況に置かれたときこそ、色んな視点で考えるべきだわ」
それってつまりは、よくわかんないってことじゃないか。
「まあはっきり言ってわからないわ。ただ一つ言えることは、魔界に近い場所だということね」
「ああ、それは私も思う。魔法の威力がおかしいよな。上がってる」
「私の考えとして、地下が怪しいと思うわ。地下に潜れば、この世界にまつわることがわかると思うの」
「辞めとけ、辞めとけ。地下にはな、デッカい人喰いモグラがいるんだ。こう、まぁるい口をガバー! と開けて迫って来るんだ。命がいくつ合っても足りないぞ」
「まるで見てきたみたいな言い方ね」
「襲われたぜ」
「死ななかったの?」
「私の知恵が勝ったんだ。日光に弱いみたいだからな。というより、強い光に弱いらしい」
「日光? ここ太陽光なんて来てるのかしら?」
「あ……」
そういやここの空はいつも暗い。不気味な色をしている。確かに太陽光が届いているような所じゃないかもしれない。
「とにかく、私は逃げおおせたんだ!」
「はいはい。とにかく、その土竜を倒しさえすれば良いってわけね」
「ばっ! お前そう簡単に言うけどな、ここには色んなヤバい奴が居るんだぞ!」
「だから何? 私は七曜の魔女よ。全てのものに弱点があり、私はその弱点を突けるのよ」
そういえばこいつは色んな属性の魔法を使いこなせる、すごい奴だったな。
確かにこいつなら、あの燃える蜥蜴だって倒せるかもしれない。
「そういえば、私はここへ飛ばされてから火の魔法を使ったことがあるわ。つまり空気が存在しているということになる」
「ああ、そうだな。そうじゃなかったら私達は今頃窒息している」
とにかく白蓮、アリスと合流するまでパチュリーと行動するとしよう。
私は飛べないからな。誰かを頼らないと、効率が良いとは言えない脚を使う以外の移動手段がない。
普段歩きなれているわけでもないし、子供の脚だからな。長いこと歩き続けるってことも無理だ。
「ところで、そこの穴は何なんだ?」
「そこからあの小さい百足が出てくるのよ」
覗いてみると、やけに濁った水が溜まってやがる。本当にこんなところから出てくるのか?
そう思って観察していると、地鳴りが響いた。揺れが強い。こけてしまいそうだ!
「お、お、な、何なんだ……」
パチュリーの奴は浮いて地震を華麗にスルーしてやがる。私を持ち上げてくれても良いじゃないか。
「百足が出る前に揺れたりするのか?」
「確かに揺れることはあるけど、ここまで揺れたのは始めてだわ」
「おい、それどういうことだ。またヤバそうな奴でも出てくるってことか?」
「知らないわよ」
今度は激しい縦揺れ。本当に勘弁してくれよ。化物はもういらねぇって。
だが私の願いは空しく散っていく。あの牢屋の床にあった穴から巨大な百足が出てきたんだ。
「うわぁ、気持ち悪いっ!」
「百足は虫だから焼いてしまえば良いのよ」
パチュリーは冷静に言うが、そう言われて八卦炉を咄嗟には構えられなかった。
黒く、艶のある体。自由に動く触手みたいな足。それが何百対とついてやがる。
どれぐらい節があるのかはわからない。とにかく長い。今穴から体を起き上がらせた、という感じだがすでに高さが何メートルもありそうだ。
まさか、あの牢屋そのものがあの大きな百足を封印していた、とでも言うのか?
何百本あるかわからない脚をワシャワシャと暴れさせながら、その巨体で地面に這いつくばった。
またも地面が揺れる。虫のくせにどれぐらい体重があるんだ?
触覚の長さからしていかにもデカそうだ。触覚だけで一メートルは絶対ある。
こっちに伸びてきた、ちょこちょこ動いでいる触角をしゃがんで避ける。
触覚に当たったところで別に怪我するわけじゃないだろうが、気分的に触れたくない。あの汚そうな水の中から出てきてるんだしな。
その触覚を振り回しながら私達の周りを回っている。一体どれぐらいの長さがあるんだ?
ついに私とパチュリーは百足に囲われた。といっても一匹の百足に、だが。
「おい、どうすりゃ良い?」
「どうって、焼くに決まってるじゃない」
「任せた」
「はぁ?」
「私は八卦炉の燃料を無駄遣いしたくないんでな。その点お前は燃料なんていらんだろ?」
「仕方ないわね」
パチュリーの方は大してビビってなさそうだ。私はもう脚が震えてるってのにな。
箒さえあればこんな気持ち悪い奴、遠くから飛び道具撃ってりゃ安全に駆除出来るってのに。悔しいぜ。
彼女は魔女歴が長いだろうから、私よりも化物と戦った経験がありそうだ。
「ええと、熱や火に関する魔法の項目は」
呑気に本をぺらぺら捲ってやがる。そんなことはもっと早くにやってくれよ!
「おい、急げ!」
「煩いわね! 邪魔しないで!」
「お、おう」
今にも襲い掛かってきそうな百足。いまだに体が穴の中から出てきやがる。
艶のある外骨格。どれぐらいの堅さをしているのかわからないが、冥界のあんまり斬れない刀ぐらいじゃ本当に斬れなさそうに見える。
百足の口から滴り落ちている液体もヤバそうな感じ。地面に液体が落ちると、何かを溶かしている音と共に白い煙が上がっているのだ。
確か百足には毒があったはずなんだが、その毒とやらも特別強いものなんだろうな。もう人間なんか即死するぐらいに。
そういえば百足は他の虫を食う虫だったな。つまり、デカい百足は人間も食うかもしれないってことか?
「あれ? どこだったかしら」
「頼むって!」
パチュリーの魔法が間に合いそうにないのなら、また私が何とかするしかない。
別に燃えてる百足を相手にしているわけではないから、マスタースパークが普通に効くはずだ。
もうこの際パチュリーは当てにしない。間に合わずに死ぬよりマシだからな。
八卦炉を奴の頭に向けた。奴はまだ襲いにくる気配がしない。いっそこのままどこかに消えてくれれば良いなと思った。
「あった!」
「よし! 急いでやってくれ!」
「材料は燃える蜥蜴の尻尾と……」
「そんなのじゃなくて良いから、いつものスペルカードとかで良いって!」
「はいはい」
百足の奴がこっちを向きやがった。だがパチュリーがもう詠唱に入っている。こっちの勝ちだな。
しかしパチュリーの魔法が発動しない。そう思って振り返った瞬間、彼女は百足の体に絡め取られていた!
「いやあああああっ! う……ぐぅっ!」
「パチュリー!」
百足のくせに蛇みたいな動きをしやがって。パチュリーの体が締め付けられていく。
百足の脚が彼女の細い体を撫で回してやがる。その触手みたいな脚が彼女の衣服を破き、柔肌を傷つけていく。
そのうち百足の脚が伸びていった。本当に触手になりやがったんだ。
触手のうち何本かがパチュリーの口に捻じ込まれてる。苦しそうだ。
彼女のネグリジェみたいな服の内側にも触手が入り込んで行っている。パチュリーの胸を弄っているらしい。
女性の弱い部分を責められていやがるが、彼女は心底嫌がった表情。ただただ気持ち悪いに違いない。
触手はパチュリーのヘソにまで伸ばしてきやがった。あそこから体内に侵入するつもりだろう。
彼女の足に巻きついた触手が彼女の両脚を開かせた。ドロワーズが丸見えだ。
すると触手はドロワーズを引き裂き、パチュリーの秘所を貫いた。
「ああああああぁっ!」
かなり苦しそうだ! 私があんな目に合ったら恐らく気を失うだろうな。
それなのにパチュリーは気をしっかり持っていた。
彼女の股間の割れ目を堪能したであろう触手は、彼女の子作りをする器官にどっぷりと白い液体を流し込みやがった。
ボタボタと音を立てて液体が滴り落ちてくる。気持ち悪いったらありゃしねえ。
だが彼女は気丈にも詠唱を辞めていない。我に返った私は低出力の魔砲を百足の頭に放射。
百足が驚いたのか怯んでくれたか、パチュリーを開放させることに成功した。
落ちてくる彼女の体を頭から飛び込んで何とか捕まえる。
「パチュリー! おい、大丈夫か!」
「……詠唱は、まだ終わってないわよ。伏せて!」
促されるまま地面に伏せる。百足の奴は私の魔砲を喰らって逆上している様な状態だった。
えらく高い声で叫んでやがる。だけどここまでだ。お前はここでパチュリーの怒りの炎に焼かれて死ぬんだ!
「やってくれ!」
「喰らいなさい、魔術の炎を!」
彼女が本を高く掲げた。そこから一気に高熱が放出されていく。
弾幕ごっこで彼女が稀に使うロイヤルフレアに近い魔法が唱えられた。
白蓮が巨大な蟻共を吹き飛ばすときに使った魔法みたいに、広範囲に攻撃が届いている。
パチュリーのすぐ近くだけが安全地帯で、他は灼熱地獄。周りの百足の体が蒸発して行っている。
こっちまで暑さでやられるんじゃないかと思ったが、強烈な風で守られていた。
虫の焼けた匂いってのは良いものじゃないが、襲われて死ぬよりはマシだろうな。
パチュリーのお陰で百足は跡形もなく消え去った。
炎はそのままあの百足が出てきた穴に入り込み、きっちりと止めも刺してくれた。本当にパチュリーは良くやってくれたよ。
「パチュリー! 体の方はどうなんだ!」
「最悪ね」
「ごめん、何も出来なかった……」
「何とかするから良いわよ」
パチュリーは百足の慰み者にされたことを余り気にしていない様子だった。
「お前処女じゃなかったのか?」
「まさか。私を何歳だと思っているの?」
「……」
「普通の人間と一緒にしないで頂戴」
とはいえ化物の子種というのは気持ち悪いらしかった。水属性の魔法で自分の子宮内を洗い出していた。
ここまで気丈だと私が引く。もうちょっと恥じらいってのがないのか。
私はパチュリーに頼んで綺麗な水を出してもらって、自分の下着を洗うことにした。
さっきの炎の魔法で私が焼かれなかったのは、私とパチュリーの居る辺りに風の魔法の壁を張っていたからだそうだ。
もう一度パチュリーの体とか、心が大丈夫なのか訊いておいた。大丈夫らしい。
「さて、この後どうしましょうかしらね」
「どうって……ちょっと休もうぜ!」
「善は急げって言うでしょ」
「珍しくそういうことを言うんだな」
「少しでも早く、この世界のことを知りたいだけよ」
引き篭もり魔女なのに割とポジティブだった。まあそういうノリは嫌いじゃないぜ。
お? 何か飛んで来るぜ? 白蓮とアリスだ!
「凄い音がしたから来てみたら……ああ、あなたがパチュリーね」
白蓮が早速パチュリーに挨拶。アリスは少し疲れたような顔をしていた。
「どうしたんだアリス、しんどそうだな」
「ええ、白蓮の無茶っぷりに疲れたわ」
なんだかよくわからないが、向こうも大変そうだったらしいな。
アリスの奴は左腕を怪我したみたいで包帯巻いてるし、白蓮はスカートが少し破けていた。
とりあえずこれで幻想郷の魔女、魔法使いが揃ったということになる。
これからどうすれば良いのか。四人で力を合わせて、上手いことここを脱出出来る方法を見つけられれば良いが。
【支配者】
百足に犯されたパチュリーの体は白蓮が癒した。
肉体強化だけでなく、他人の怪我を治したり体を清めたり出来るらしい。
魔砲で火力を発揮する私。
人形を使って死角のない支援攻撃の出来るアリス。
あらゆる属性の魔法を使いこなして、弱点を突くことが出来るパチュリー。
魔法使いとは思えない、鬼もビックリな怪力とスピードを兼ね備えつつ味方を回復させられる白蓮。
この四人が居れば怖いものはなしだ。どんな敵がやってこようとも撃退出来るだろう。
「ふぅ……ありがとう、白蓮。かなり落ち着いたわ」
「災難でしたね」
あまり面識が無さそうなのに、白蓮は親身になって看病した。
私とアリスはパチュリーの治療が終わるまで、湖の周りに居た蚯蚓を弄ったりして暇を潰した。
「もう大丈夫、ありがとう」
「どうしたしまして」
さっきそこら辺に居た蚯蚓、おもしろいことに刺激を与えると触手を引っ込めて硬くなるのだ。
アリスの人形が振り回す剣を弾く程度に硬かったりする。
さらに驚いたことに、硬くなったまま体を半分こに分離させたりするのだ。
原始的な生物が細胞分裂して、増殖することはあるがそれとはまた別らしい。
その半分こになった生物はそれぞれ別の生き物になってしまっていた。
何度も刺激を当てて分離させまくったらどうなるんだろうな。
節目一つだけの、ちっこい蚯蚓が出来上がるんだろうか。
「これからどうするの?」
アリスが人形の手入れをしながら皆に話を振った。そういえばこの先はまた当てがない状態だ。
すると回復したパチュリーが先ほど百足が出てきた穴を指差した。
「あの穴の奥底からおぞましいまでの魔力の脈動を感じるわ」
「あ? あの中に入れってか?」
「百足はもう退治したでしょ。だから入れるわ」
「あの汚そうな水の中に入れってかよ」
「百足が居なくなったから、普通に入れると思うわよ」
渋々穴を覗きに行った。なるほど、確かにこれなら入っていけそうだ。水が引いている。それとも蒸発させてしまったのか。
だが穴の壁は汚いままだし、底は暗くてよく見えない。
試しに建物の瓦礫を落としてみたが、随分経ってから底に当たった音が聞こえた。
匂いは酷い。生臭い肉の塊に腐った生魚を混ぜたような匂い。鼻をつまんでも臭い。吐き気がする。
「でもよー、この中に何があるかわからないんだぜ?」
「あら、魔理沙らしくないわね。いつもみたいに勢いで行っちゃいなさいよ」
「箒を失くしたからな。誰かを頼らないと降りるのが怖いんだ」
「また私が抱えてあげますよ」
「おお、すまんな」
白蓮が居てくれて本当に助けられる。私は素直に彼女の提案を受け入れた。
パチュリーが最初に行ってくれるらしい。
白蓮とアリスにはぐれた後どうしていたのか訊こうと思い出したところで、パチュリーはもう飛び込んでいった。
何とも気の早い奴だ。まあそういうのは嫌いじゃない。
アリスも慌てて続いて行った。白蓮に頼むぜ、と言って私達も穴の中へ。
※ ※ ※
穴の中は大きな空間になって居た。
私が明かりの魔法を使ってやる。暗い部屋の中は真っ黒な内装だった。
折角明かりをつけたというのに、あまり意味はなかった。
先ほどパチュリーの魔法の炎が入ったからか、蒸し暑くなっていた。
ここに溜まっていたあの汚い液体が蒸発し、その水蒸気がこの空間に溜まっているせいだろうな。
今居る空間を目で測ってみると縦、横、高さがそれぞれ百メートルぐらいだな。正確にはわからんが、それぐらい広いってこった。
あの馬鹿デカい百足がここに封じ込められていたんだろうな。ここの壁や床、天井にもあの牢屋の壁に書かれていた、呪文みたいなのが書かれている。
私らに対して効力は全くないらしいが、パチュリーとアリスは「特定の生物を封じ込める結界だ」と説明してくれた。
封じ込められていたということは、封じ込められる奴が居る、もしくは居たということだ。
これだけ大掛かりそうな結界。さぞかし偉い奴か、賢い奴が仕掛けたに違いない。
少なくとも私達人間みたいに手先が器用で、高度な頭脳を持った生物の仕業だろう。
これはいよいよを以って、わけがわからなくなってきたな。
ここがどういう世界なのか、私達が何の理由でここへ飛ばされたのか。どうすれば元居た幻想郷に帰れるのか。
※ ※ ※
百足が封印されていたであろう部屋の床を調べまわっていると、角の辺りで下に降りられそうな所を発見した。
蓋のようになっているものを開けてみると、金属らしき堅い物質で出来た筒状の竪穴になっていた。
「また下へ降りろってことだよな?」
「訊くまでもないしょ。底まで行って何も無かったら、また上がるだけよ」
慎重派なイメージのパチュリーや白蓮も行け行けモード。逆にアリスは余り乗り気じゃなさそうだった。
「どうしたんだ、アリス? 元気がないぜ」
「……」
「何か言えよ。本当に具合が悪いのか?」
「見た」
「あ?」
「見たのよ! この感じの筒、私が連れてこられた場所の近くがこんな感じだったわ!」
「ちょっと、その話詳しく聞かせなさい」
パチュリーがこっちへ戻ってきた。白蓮は遠くで見ているだけ。
「私は先ほど二人きりになったとき、アリスに訊きましたよ。なんでも蛞蝓が出てくるとかって」
「蛞蝓だぁ? おいおい、また化物の相手かよ」
アリスがいうには、その蛞蝓ってのは一匹辺りの大きさが大体私らと同じぐらいの大きさらしい。
見た目は幻想的な不思議生物らしいのだが、実際見てみると気持ち悪いらしい。あと匂いが酷いとも言っていた。
なんでも生臭いとか。この中がすでに生臭いのは、そういうせいなのだろうか?
嬉しいことに蛞蝓はこちらを攻撃するようなことが無さそうだとか。
アリスは遭遇した際、交戦せずに逃げてきたらしい。賢明だな、と思う。
相手の正体がわからないからとりあえず逃げておく、というのは安全を考えれば間違いじゃない。
だが今は違う。これだけ戦える奴が集まっているんだ。絶対何とかなる。
「行こうぜアリス、四人も居るんだ。絶対行けるって」
「そうは言うけど、また白蓮が邪魔するんじゃないでしょねー」
「あー……」
そういえばそうだった。白蓮は全ての生物に対して優しさを見せる奴だった。
「皆さんが危なくなったら、戦ってあげても良いですよ」
「本当!?」
「仕方がありません。苦しいですが、私には帰りを待ってくれている者達が居ますし」
白蓮はついに決心してくれた様だ。
「もう話は良いんじゃない? さっさと行くわよ」
パチュリーに促されて穴の底を目指す。幻想郷に帰れると信じて。
※ ※ ※
縦穴が終わったかと思えば横穴に変わったり、立体的に筒が繋げられた所が続いた。
その最中アリスがあっちに行ったわ、とか言ったりしていた。
アリスは行動のしようによっては百足が封印していた所にぶつかっていた、ということ。
結局のところ百足はパチュリーが慰み者にされながらもやっつけた。
もしアリス一人で挑んでいたらどうなっていただろうか。
アリスならやれたと思う。私だったら……わからないな。ビビって動けない間に襲われ犯されて、殺されたかもしれない。
八卦炉さえあればビビらずに立ち向かえる勇気が湧いてくる。誰にも負ける気はしない。ああ、あの燃える蜥蜴は別だぜ。効かなかったからな。
問題は八卦炉の燃料があとどれぐらい持つか、だ。
森に生える特殊な茸を薬品と混ぜて煮詰めたものを燃料として八卦炉に注ぎ、爆発させて魔砲を撃ちだしている。
私の主武装だから、もちろん燃料はたくさん入れておける様にしている。補充用の燃料だって携帯はしている。
それでもここまで何の補給もしていない。というのも、燃料を作り出せないからな。自分の家でないと燃料は作れない。
素材も薬もなく、器具もないではどうしようもない。少し自虐的にもなって来るものだ。
だがこのまま地下へ潜っていけばこの世界の中枢に行ける気がする。きっとそこに最後のボスが待ち構えているんだろうさ。
蛞蝓とかいう雑魚を蹴散らして、ボス戦といこうじゃないか。それまで絶対に倒れるもんか。
必ず幻想郷に帰ってみせる。幻想郷に帰って、霊夢や咲夜、妖夢らと酒でも呑みながら私の武勇伝を聞かせてやるんだ。
※ ※ ※
生臭い、入り組んだ円柱の空間をすり抜けて行ったときのこと。またアリスが騒ぎ出した。
「ここよ! ここを降りた所で、大量の蛞蝓に囲まれたの!」
「おお、いよいよか」
「燃料が、燃料がって煩いくせに魔理沙は随分とやる気があるのね」
「ああ、やる気まんまんだ。私らをこんな目に会わせた奴を絶対許さないからな」
弱気の私、サヨナラ。強気の私、コンニチハ。八卦炉を握り締める手にも力が入ってきた。
弱気の私はお似合いじゃないだろう? 神であろうが悪魔だろうが、薙ぎ倒してきた私だ。
いつもの様に行こうじゃないか。後先なんて……とは言えないが、生きて帰るためなら八卦炉を使うことに迷わない。
それが私じゃないか。霧雨魔理沙という、人間の魔法使いってもんだ。
白蓮が分厚い蓋を軽々と開けた。たぶん私が開けようとすれば重くて開けられないだろうな。
相当深い縦穴。底は見えない。
「おかしいわね。私のときは蓋を開けると、こうドロっと水が落ちて蛞蝓共が一斉に昇ってきたの」
「ちょっとアリス、そういうことは先に言ってよ!」
パチュリーが慌てて詠唱体勢に入る。私も同感だ、そういうことは早めに言ってもらわないと困る。
しかし、暫くしてもその蛞蝓共は来なかった。
「仕組みはよくわからないけど、蛞蝓が登って来ないに越したことはないわ。行きましょう」
ここからアリスに先を進んでもらおう。知っている場所らしいしな。
「ううっ!」
「魔理沙? どうかしたのですか?」
変だ。目が痛い。突然ズキズキしてきやがった。右目から血が出てきやがった。意味がわからない。
頭も痛い。アリスも同様に苦しみだした。私よりは軽いみたいだ。
私はというと痛みで身動きが取れない程。いきなりこんなことが起きて、私はどうしていいかわからない。
パチュリーと白蓮は何とも無さそうだ。もしかして人間臭い奴だけ近づけないオーラみたいなものでもあるのか?
白蓮が傷を癒す光を当ててくれるとマシにはなるが、完治するわけではなかった。
「一体何が起きているんでしょう。パチュリーはわかりますか?」
「何とも言えない。ただ、足元で蠢いている魔力が少し膨れ上がったような……」
「不気味ですね。余り良い予感がしません」
ふと、痛みが治まった。何事も無かったかのように、痛みが消えている。
アリスも回復している様子だ。
「……ねぇ、やっぱり上がらない?」
「何を言い出すんだよ、アリス! 今更ビビることはないだろ? 私ら四人で力を合わせれば怖いものはない!」
「そうね、そうだったわ。少し嫌な予感がしたから、弱気になってた」
「お前ら準備は良いか? よし、行こうぜ!」
未知の緊急事態に見舞われたが、もう大丈夫だ。蛞蝓とかいうのに喧嘩を売りに行こう!
縦穴を急降下していく。私は白蓮の背中に乗っているだけだが。
細いトンネルを通っていたかと思えば、広い空間に出た。ドーム型とか言う奴だな。
ホールの壁や床は歪な凸凹を描いている。アリスが昔言っていた、非何とか幾何学的な造形、という感じに見える。
時折音もなく、鼓動しているみたいに蠢いたりする。この空間で終わりじゃないんだな。もっと先があるんだ。そこにボスが眠っているに違いない。
今のところ蛞蝓とやらは居ない。ただその痕跡かどうか知らんが、床がやけにテカっている。
「この艶はあの蛞蝓の通った跡よ。私はこの中央のテーブルに寝かされていて、気がついて……あっち! あっちに扉があるの!」
暗くてわかり辛かったが、アリスが指差した先には確かに扉がある。だがかなり大きいぞ。
人が通る扉じゃない。化物が通るための扉だ、ありゃあ。
「それであの扉を目指そうと思ったところで……ああ、来たわね」
「あー?」
扉が勢いよく開けられた。扉の先も暗くてよくわからないが、人間を辞めていない私でもわかるぐらいに膨大な魔力を感じた。
そしてその扉の向こう側から何かが流れ込んできている。なるほど、これがアリスの言っていた蛞蝓共だな。
その蛞蝓共は多数の触覚を持っていやがった。触覚の先が黄色く光っている。
体全体は青白い人の肌みたいな色で半透明、そこに赤色の縦縞が入っている。
妖怪かどうかなんてもうどうでも良い。魔物であろうがなかろうが、ぶっ飛ばすだけだ!
嬉しいことに敵は直線状に並んでいる。私がまとめてやってやる!
八卦炉を構えた。点火し、発火させようとしたところで皆が一列に並んだ。
「魔理沙一人でこいつらを倒して、武勇伝にするつもり? そうはさせないわよ」
アリスが人形を多数並べて魔法を撃つ準備をしている。
「共闘っていうのはあまり好きじゃないから、今回だけよ」
パチュリーも魔道書を開き、詠唱に取り掛かった。
「では、皆さんで力を合わせて幻想郷に帰りましょう」
白蓮もエア巻物を取り出し、ようやく本気で戦ってくれるらしい。
「感じます、邪な魔力を。この生き物には法力と魔法の力を以って浄化するしかありません」
「よし! 皆で合体魔法だ!」
魔法使い同士で一斉砲撃。押し寄せてくる蛞蝓共を一網打尽だ!
光線状の魔法が壁や床に当たったときの爆風で一部の蛞蝓共が吹き飛んだりしている。山なりにこっちへ飛んできた蛞蝓を慌てて避けた。
匂いの酷さに気を失いそうになるのを堪えて、爆発の魔法で遠くへやる。
蛞蝓のくせに、人間が走る程度の速度でこちらに迫ってきやがるものだから、中々緊張感がある。
ひたすら押し返し続けるだけの簡単なお仕事だが、私らの弾幕を偶然すり抜けて来る奴もいるから油断が出来ない。
とはいえ今は頼れる仲間が居るから心配はいらない。
私とパチュリーでとにかく範囲が広く、火力の高い魔法をぶっ放す。
倒しきれなかった奴や範囲の外に居た奴をアリスの人形操術で的確に狙い撃ち。
それでも近づかれた場合は白蓮に何とかしてもらう。
締めは再び全員一緒に魔法射撃。残り少ない蛞蝓共を一気に蒸発させてやった。
やっぱり私達で組めば最強だな。恐れることは何もない。
「よし! 先に進もうぜ!」
「休まなくて良いんですか?」
「良いんだよ! 皆と組んで戦ったからな、あんまり疲れてないし。危なくなったらまた白蓮に助けてもらえば良いだろうし」
「それはそうだけど……」
白蓮が少し弱気みたいだ。アリスは人形の手入れをする時間が欲しいと言った。パチュリーは普通に休みたいと言って来た。
お前ら人間辞めてるのに、人間の私より元気が無くてどうしたんだ……と、叫びたいのを堪えて私も休むことにする。
「私もどんな敵が現れようとも負ける気はしませんよ。ただ休める時は休んでおいて、万全の体制を常に整えておいて損はないと思うのです」
「ああ……まあ、そういうことなら賛成だな」
地下遺跡で土竜が出てくる前にうとうとしかかった時から寝ていなかった気もする。そんなことを考えると途端に眠たくなってきた。
かといって蛞蝓共が通りかかった跡がある床に寝転がりたいとは思わない。
「私の背中で寝てください」
「え?」
「さすがにこの地面に寝そべるのは……」
「いやま、私もどうしたものかと悩んでいたけど」
「じゃあどうぞ」
「いやいや、悪いって。大体背負ったままだとお前が辛いだろ」
「人間辞めてますから、大丈夫ですよ」
白蓮はなんて眩しい笑顔を見せながら、こんな提案を出してくれるんだろう。
そこまでしてくれると言われれば、逆に断れなくなるじゃないか。
結局私は白蓮の提案どおり、背中で寝かせてもらうことにする。十分程度だけでも寝かせてもらおう。
※ ※ ※
白蓮に揺すられて目が覚める。アリスとパチュリーはもう準備が出来ている様子。
私は目を擦ってから降ろしてもらい、伸びをして気合を入れた。
少し体を動かせばもう大丈夫だ、問題ない。八卦炉の燃料は残り僅か。せいぜい後二、三発ってところ。
蛞蝓が居なくなったからなのか、扉は閉まっていた。歩き心地の悪い床を行く。
近くで見てみると、やっぱりデカい。扉に装飾はなく、寂しい感じ。
とりあえず押してみたが、案の定扉は開かなかった。大きさが大きさなだけに、ビクともしない。
「ぜぇ、ぜぇ……」
「重たそうね」
「重たいな。やっぱり力仕事は白蓮に任せるぜ」
選手交代。しかし白蓮の力でも軽く押した程度では、動いた様な気がする程度しか押せていなかった。
白蓮が力んだ。彼女の全身に魔力が迸る。体内に蓄えきれていない魔力がオーラの様なものして滲み出ていた。
仁王像みたいな表情の白蓮が腰を入れて扉を押して、ようやく扉が動き始めた。
鍵がかかってるなんてオチが無くて良かったよ。ここまできて足止めを喰らうなんて勘弁して欲しいからな。
しかしこの重たい扉をこじ開ける蛞蝓ってのも、中々侮れないな。
扉を潜った先は長い通路だった。ぼんやりとした赤い光で充満している。それを明かりにして進んだ。
通路は何かしらの石で出来ているらしい。暗い青色をしている。高さは扉と同じ高さ。
少し寒い。二の腕を握りながら歩きたい。
壁には絵が彫られている。蜥蜴や土竜らしきものから、バカデカい百足まで。
蜘蛛の絵もあった。アリスと白蓮はそれを指差したりした。この二人はその蜘蛛と争ったらしい。
もしかしてあの化物はこの奥で生まれたのだろうか。
はたまた、この奥に居る何者かが何かしらの目的で彫ったのか。
絵自体は何の変哲も無いというか、特に何も感じないんだが……怪物共の怖かったところを思い出して身震いがしてくるぜ。
アリスは早く帰って魔法の実験の続きをしたいと言った。
パチュリーはレミリアの顔が見たいと言い出した。
白蓮は早く帰って命蓮寺に居る妖怪らを安心させたいと言った。
私は早く帰って霊夢や咲夜、妖夢らにこんなすごいことがあったんだぜと報告しに行きたいと思った。
長い通路を進んでいると、またもや目が痛くなった。さっきみたいに血まで出てきやがる。
今度は白蓮やパチュリーも苦しがっていた。何も考えられないぐらいに痛い。
気がつけば皆その場で倒れこんでいた。今は血が止まっている。痛みは続いているが。
血溜まりが出来るほどの出血はしていないみたいだ。
「おい、お前ら……大丈夫か」
「ううっ……」
「一体何なの……これは」
これから行く所の方向から怖いぐらい、膨大な魔力の波動を感じた。
幻想郷中の魔力を集めてもあんなに膨れないだろうな。それこそ魔界そのものを凝縮した様なレベル。
白蓮とアリスが特に苦しんでいる。脚をバタバタ暴れさせて痛みに堪えてる。
「おい、白蓮! アリス! しっかりしろ!」
二人とも呻き声を上げて一向に回復する気配すらない。
パチュリーと二人で一旦戻るべきか相談していると、そのうち二人とも暴れるのを止めた。
「大丈夫か! お前らの苦しみ方、異常だったぜ」
「……」
息を荒げている。質問に答える余裕すらなさそうだ。
とりあえずここでじっとしたまま様子を見ていることにする。
白蓮の方はあれから数分経ったところで回復したみたいだが、アリスは重症だった。
回復しきった白蓮が癒しの光をアリスに当てたところで、アリスに喋る元気が戻る。
「やっぱりこの世界は魔法、魔術、魔力と深い関係があるに違いないわ……あと、魔界にも」
片目を押さえながら、アリスはそう言った。
さっきは人間の私と人間臭いアリスが苦しんだ。今は全員苦しんでかつ、魔界臭い奴が酷く苦しんだ。
対人間用の攻撃と対魔界人用の攻撃とを何者かが使い分けた、と推測して良いんだろうか。
とにかく考えても今はわからない。先へ進むしか道はないだろう。
皆の顔を見ればわかる。先へ進もうとしていることが。
言葉も交わさずに足を動かし始めた。この痛みの原因も先へ行けばわかるはず。
それにしてもパチュリーの奴、ちょっとセコくないか。人間臭くもなく、魔界臭くもないなんて。
逆にアリスは人間臭く、かつ魔界臭くもあるから可哀想だぜ。
※ ※ ※
長かった通路に終わりがやってきた。前方にまた扉がある。
今度のは彫刻の施された扉だった。例の封印の彫刻だ。
またまた白蓮頼みで開けてもらう。仕方ない、貧弱な魔法使いばかりなんだからな。
扉を開けた先は何とも悪趣味というか、人間の器官で言うところの血管を寄せ集めたみたいな場所であった。
今脚で踏んでいるところはなんというか、人間で言う舌みたいな場所に見える。
ブヨブヨしていて、それでいて筋肉があるせいで硬くもある。色はピンクに近い色。
今居る部屋の中はとてつもなく広かった。どこまでも血管の世界が広がっている。
天井は遥か遠くにあり、霞んで見えやがる。風がないから屋内だとわかるが、風があったら外に出たと錯覚するぐらい開放的。
上からぼんやりとした光が差し込んでくるのである程度は見えているが、背景の細かいところは薄暗くて良く見えない。
意外にも匂いは殆どしない。内蔵がぶら下がった様なところなのに、生臭さが無かった。
時折誰かの心臓が動いてるような音が聞こえる。鼓動という奴だ。音量はかなりデカい。耳を押さえないと痛く感じる程だ。
今足場になっているところの先は何もないが、遠くに円形の広そうな足場が見える。足場というより、広場と言った方が正しいか。
その広場というのは浮いているみたいだ。この上で何者かと闘えと言われているようにも見える。
「なあ、どうする?」
「あそこに行ってみるしか無いんじゃない?」
そう答えたアリスの表情は強張っていた。私も感じている。何かが出てきそうな雰囲気を。
だがここに居ても何も始まらない。一度唾を飲み込んで、円形の広場へ渡った。
白蓮に降ろしてもらい、着地。円形の足場には例の解読不能な文字がビッシリと放射状に彫られている。
真上には正体不明の肉塊。さっきから鼓動音を響かせてる奴は真上の奴の仕業らしい。上からドクン、ドクンと聞こえてきやがった。
私達を感知してなのか、鼓動は激しさを増すばかり。
入口の反対側に別の扉が見えた。青い。もしかしてそこから別のどこかに抜けられるんじゃないか?
皆同じことを考えているらしい。あっちに行けば良いんじゃないか、ということを。
そう思ってここを離れようぜと声をかけようと思った瞬間、扉の前に別の肉塊っぽいものが降ってきやがった。
それを見たパチュリーが咄嗟に火属性の魔法を撃ち込む。爆発が起こり、煙が舞う。肉塊はビクともしていなかった。
「そんな!」
突然地鳴りが響く。足場が揺れている。おいおい、ここは浮いてるんじゃなかったのか?
周りにぶら下がっている血管の様なものが次々と動き出し、こちらに向かって来やがった!
襲い掛かってきたのかと、待ち構えてみたがそういうつもりではなかった。
その血管共はまるで触手の様に意思を持って動き、私達を取り囲んだのだ。
足場の淵に沿って触手共が編みこまれて行き、触手の壁が生成された。お陰で私達は脱出さえ出来なくなる。
白蓮がその壁に向かって飛び蹴りを放った。驚いたことに白蓮は反動で吹き飛ばされただけに終わった。壁は無傷。
「おいおい、冗談だろ?」
「痛た……何なんですこれ、硬すぎます」
「この物体は何かしらの繊維で出来ていると思って問題ない。つまり鋭利な刃物で切り裂けば良いのよ!」
今度はパチュリーが金属性の魔法を唱えた。魔法で練り上げられた、回転ノコギリが飛んで行く。
結果は残念なことに白蓮と同様に跳ね返されただけで終わった。こっちに飛んできたノコギリを避ける羽目になる。
パチュリーが魔法を解除してくれたので跳ね返ってくるノコギリは消えた。
「ちょっと待ってよ! 私達閉じ込められたっていうの!?」
「お前は音速が遅いな。さっきからそうじゃないか」
アリスから見てもお手上げ状態らしい。槍を構えさせた人形を突進させてみるが、やはり人形が跳ね返されるだけ。
「白蓮の強化された肉体でも破壊出来ない物質って、一体何なのよ」
アリスの言いたいことはごもっともだ。壁を近くでよく観察してみると何かしらの液体が流れていた。壁は半透明。
その流れてる液体ってのもよくわからない。色は赤黒いのだが、時折小さい百足が走ったりしている。不気味だ。
もっと不気味なのが、この太い触手の表面にも小さな触手が生えているのだが、私が指を近づけるとその小さな触手が指を掴もうとしているみたいに伸ばしてきやがるんだ。
慌てて指を引っ込めると、小さな触手も引いていった。今はもう見えないぐらい静かになっている。
ちょっとムカついたので私も足で軽く蹴ってみるが、足が痛いだけだった。
真上の肉塊が一層煩い鼓動音を響かせてきたところで、また目に激痛が走った。
頭が痛い。吐き気がする。目も眩んできやがった。余りの痛みに立っていられなくなる。
皆もそうらしい。次々と倒れていった。私も我慢出来ずに倒れた。
それでも必死に堪えた。堪えて、片目で真上を見続けた。私だけでなく、皆踏ん張っている。
大きな肉塊から触手がたくさん出てきやがった。私達の上から何本、いや何百本、何千本とおびただしい量の触手の天井を作り出した。
そうか。あの正体不明の痛みはこいつの攻撃だったんだ! この肉塊が誰も近づけまいと、威嚇したんだ。
きっとこいつを倒してあの青い扉を潜れば元居た幻想郷に帰ることが出来る。そんな気がした。いや、これは願望なのかもしれない。
それでも私達はこいつを倒さないといけない。ここでこいつを倒さないと永遠にここから出られないだろうからだ。
「白蓮! パチュリー! アリス! 皆の力を合わせて上に居る奴を倒すんだ!」
「はい!」
白蓮がエア巻物を取り出して上を睨みつける。
「ちょっと、何仕切ってるわけ?」
アリスが一斉に人形を取り出した。隊列を組んだ人形は皆両手を前に突き出す構えを取っている。
「言っとくけど、私は自分しか守らないわよ」
パチュリーも早速詠唱に取り掛かった。
私だって負けていられない。得意の八卦炉を構えて上に向けた。
残りの燃料全てを使い切って魔砲をぶち込んでやるからな。覚悟しろよ、触手野郎!
「幻想郷の魔法使いを舐めるなよっ!」
ご大層な仕掛けを並べやがって。何が蝿だ、蟻だ、蜥蜴だ、土竜だ、百足だ、蛞蝓だ。
言っとくが今の私は怒っているんだからな。今更泣いたって手加減無しだからな。
一番最初に攻撃したのパチュリーだった。風属性の魔法で暴風を起こし、肉塊の肉を削り取ってる。
暴風が止んだところで、まだ敵はピンピンしてやがった。
次に攻撃を仕掛けたのはアリス。敵の触手の数に負けないほどの人形大部隊を率い、アリスの魔力を注ぎ込んだ一斉射撃。
その射撃の強すぎる光に目が眩んだ。それでも有効打になり得なかった。
そして白蓮のターン。お経っぽいものを言いながら体中の魔力を右手に溜め込んでいる。
彼女の右手に私が怖く感じる程の魔力が蓄えられた。触手共を掻い潜り、肉塊へ接近。魔力を一気に開放し、渾身の打撃をお見舞いさせた。
それでようやく敵が怯んだ感じ。
やっぱり私のマスタースパークで決めないと駄目なんだな。肉塊の中心を狙って地面に寝た。
寝たのは魔砲の反動で吹き飛ばされない様にするためだ。点火、及び砲火。
もう燃料の心配なんてしなくて良い。何発も撃つ分の燃料を一発に凝縮するんだ。
こいつを倒して終わらせるんだ! 無様にも苦しんでいやがる。だが私は容赦しないからな!
本体を守ろうとしてか、触手が肉塊を包んだ。だがその触手ごと撃ち抜く。触手はどんどん焼け縮れ、減っていく。
このまま奴の本体も焼き払ってやる! と、意気込んだところで燃料は尽きてしまった。
敵の触手はまだ残っている。肉塊の方も元気そうだ。だが私の攻撃はこれで終わった。後はもう残りの三人に任せるしかない。
パチュリー、アリス、白蓮が交代しながら攻撃したり、一緒になって魔法を撃ったりしたが効き目は期待した程ではなかった。
「おい、お前らもっと頑張ってくれよ!」
「やってるわよ! 何も出来なくなったんだから、黙ってなさい!」
必死に魔道書を捲っているパチュリーに冷たくあしらわれた。まあごもっともだ。
八卦炉は燃料切れ。箒が無いから空も飛べない。こんなので魔法使いだなんて、笑いがこみ上げてくるぜ。
私以外が皆人間を辞めていると言っても、無敵ではない。皆疲れ始め、魔力が一時的に枯渇したきた模様。
「魔理沙、今すぐ人間を辞めなさい」
「私は一生死ぬ人間だぜ」
確かに今この場で私が人間を卒業すれば、道具に頼らずとも魔法が撃てる様になるだろう。
マスタースパークだってもう一度放てるかもしれない。空も飛べる。
だけど人間を辞める儀式をするための材料はないし、呪文も知らないから何も出来ない。
誰かに手伝ってもらうという方法はあるが、こんな状況でそんなことをする暇を敵がくれると思うか?
「も……もう、限界」
アリスは気力を失って倒れた。真性の魔法使いというのは魔力が血液と同じぐらい重要と言って良い。
その魔力を著しく消耗したりすると目眩や吐き気、頭痛、生理痛等の症状を起こす。
ショック症状が出てしまったりすると意識不明の重体になることもあるとか。今のアリスがそんな状態だろう。
パチュリーは咳き込み始めて、身動きが取れなくなった。持病の喘息だろう。
こんなときに限って最悪の状況だ。もう動けるのは白蓮しかいない。
でもその白蓮も息を荒げて体を必死に振り回している状態。もう私達は無理なのかもしれない。
「皆さん、諦めないで! きっと、きっと帰れます!」
「白蓮、お前……」
白蓮は私達に背中を向けて果敢にも挑んでいる。私達に声をかけて奮い立たそうとしている。
お前だってもう限界じゃないのか。攻撃し続けることに疲れて。
お前だってもうわかってるんじゃないか。いくら攻撃したって倒せる気がしないって。
お前だってもう諦めてるんじゃないのか。倒せるはずがないって。
パチュリーの図書館で盗み読みしたことのある、とある小説を思い出した。
確か何とか大学を卒業した人間なんかが得体の知れない、古の神様やらの怖さを垣間見るって話。
他にも色々な話があったと思うんだが、人間にはどうすることも出来ない強大な暗黒に包まれるとかそういう話ばかりだったと思う。
どうして今そんなことを思い出したのかというと、今頭上に居る奴がまさにどうすることも出来ない何かなんじゃないか、ということ。
私達は外の人間と違って日常に魔法やら妖怪やら幽霊やら、何の修行もしていない人間にはどうすることも出来ないのが一杯いるんだ。
そんな奴らに囲まれて、皆何かしら力を付けて生きてきている私達四人が集まって倒せない敵なんて居ると思うか?
あの神様の神奈子だっていくら弾幕ごっこだとはいえ、私でも勝たせてもらえたんだぜ?
私だって火力、火力って言うが弾幕ごっこするときは出力抑えて撃ってるんだぞ。
それでこの世界の奴らには容赦なく出力全開で撃ち込んでも、怯むだけだったりすることがあるんだぜ?
それなのに今頭上にいる奴なんか、私らの集中攻撃を受けてピンピンしているんだぞ。
一体どうすればこいつを倒せるって言うんだよ!
待てよ? 敵の中心核みたいなところを攻撃出来ればまだ勝機はあるんじゃないか?
それらしいものが見える前に私達が食べられたりするんじゃないかって思うが。
そのためには今攻撃手段を持っている白蓮が体を休めるべきだ。
だがその白蓮は敵が伸ばしてきだした触手を追い払うのに精一杯だった。
「白蓮、もういい……よせ! お前もう、フラフラじゃないか!」
「でも……」
「私に良い考えがあるんだ!」
「え?」
白蓮がこっちを向いた瞬間、彼女の体は素早く伸ばされた触手に捕まってしまった。
「きゃあっ!」
「しまった!」
こっちに戦える奴が白蓮しか居ないことを理解しているんだろう。次々と触手が伸ばされていく。
死に体となったアリスが捕まった。私が引き剥がそうと気を取られている内に、未だに咳き込んでるパチュリーも捕まってしまった。気丈にも捕まっていながら本は離すまいと奮闘している。
私の方にも飛んできやがったが、何とか逃げ回っている状態。
疲れきった白蓮が拘束から逃れようとしているが、剥がれる様子がない。
アリスの体が奴の真下に運ばれた。と、次の瞬間アリスの体が触手によって、関節を無視した方向に曲げられた。
腰の辺りを軸に、人体を反対に曲げていやがる。踵が頭の隣にあるんだ。触手の蠢く音がうるさくて骨が砕ける音は聞こえなかった。
折れたところの皮膚がパックリ割れてやがる。赤い液体が際限なく出てきた。気持ち悪くて、見ていられるものじゃない。
アリスの悲鳴も聞こえなかった。意識を失ったまま殺されている様なもの。
体を壊されていく音が怖かった。私はとても何か出来る状況じゃない、と思って見ているしか出来なかった。
「アリス、アリス!」
今更声をかけたところで返事なんて無かった。だがアリスだって人間じゃないんだ。これぐらいで死ぬはずが……。
肉塊の下半分が開いた。口を開けたと思って良いだろう。小さな歯がビッシリ生え揃っている。まるで剣山だ。
おいおい、いくら人間辞めてるからってあんなので噛み砕かれたらお仕舞じゃないか!
ん? 待てよ?
「白蓮、あいつの口の中に魔法を撃ってくれ!」
パチュリーは捕まってからも咳き込んでいて、とても何か出来る状態じゃない。
白蓮も触手に絡まれて大変だろうが、今攻撃出来そうな奴といえば彼女しかない。
「何とか奴の口の中に飛んでいく魔法を撃ってくれ! 口の中へ撃てば効くかもしれねぇ!」
「や、やってみます!」
白蓮が利き手を開いて奴の口に向けた。アリスを巻き込まないようにすれば大丈夫なはず。
白蓮の手に光が灯された。残り少ない魔力を集めているところだろう。
だが敵に気付かれたかもしれない。触手の奴が彼女を広場の端っこに放り投げやがった。
地面に落ちて動けないで居る。こうなったら私が何とかするしかない。何をすれば良いかわからんが、何かしないとアリスが喰われちまう!
駆け出したが遅かった。半分に折りたたまれ、血を流し続けていたアリスが強烈な締め付けで粉砕されてしまった。
全身に満遍なく絡められていた触手が血管を浮かばせている。触手共が力を入れ、アリスの華奢な体を小さく圧縮してやがる。
破けたお腹からぶよぶよしていそうな、長いものが出てきた。たぶん腸とかいう奴だ。辞典で絵を見たことがある。消化器官の一つだと。
それがアリスの体から垂れ下がっているんだ。ぶらーんと縦に伸びた輪を描いている。一方がお尻に、もう一方が別の内臓とくっついたままなんだろう。
私は吐いた。こんな光景酷すぎる。口から不味い液体が出てきた。何も食べていないから胃液が出てきたんだろう。
顔を上げた頃にはもう見る影も無かった。顔はペシャンコ。羨ましいぐらいに綺麗だった顔が台無しだ。
「あ、アリス……?」
声をかけたところで返事は来なかった。何度も体を絞られて体液を滲み出されている。
アリスのお洋服は血液まみれで、しかもボロボロになっていて服を着ているのかどうかわからない。
全身の肌が著しく傷つけられて筋肉らしきものが見えてしまっている部分がたくさんあった。
無理だ。いくらなんでもここまでされて、あいつに飲み込まれたら絶対に助からない。
アリスが死ぬ? ここに飛ばされる前まで普通に弾幕ごっこしたり、宴会に来ていた奴が殺される?
ついさっきまで一緒に闘っていた奴が死ぬ?
そんなのは嫌だ! お前には本を譲るっていう契約を結んでいるんだぞ。おい、死ぬな!
突然顔の横を熱い炎の玉が飛んでいった。その炎の玉が奴の口の中目掛けて飛んでいる!
だが炎の玉は口の中へ入っていかなかった。触手によって振り払われてしまった。
後ろを振り向くとパチュリーが回復していたらしい。白蓮の代わりに攻撃してくれたんだ。攻撃は失敗に終わったが。
「そんな……げほっ、ごほっ!」
完全に回復したわけではなかった。それにパチュリーだって捕まっているんだ。触手に締め付けられて、苦しんでるんだ。
必死になって魔法を唱えてくれたのに、奴はいとも簡単に防いでしまいやがった。
そしてアリスがついに奴の口内へ投げ入れられた。豪快な音を立てて咀嚼してやがる。
人の骨すらも噛み砕いているのか、大きな鈍い音を立てて喰っていやがった。
アリス、アリス、アリス。私の本は誰に譲れば良いんだよ。死んで魂だけになっても化けて出てくれよ。
私は泣いた。悲しくて泣いたのかわからない。
どうすることも出来なかった自分に腹が立って、でも何をすればいいかわからないから子供みたいにとりあえず泣いたのかもしれない。
色々な感情が昂ぶった結果、泣いたのかもしれない。
「助けて、レミィ助けてぇっ! いやああああああああああぁっ!」
パチュリーが泣き叫んだ。そして本を落とした。パチュリーの体から人間の体が砕けているであろう音が聞こえてくる。
落っこちた本の上に血がドバドバとかけられた。まるで赤いペンキの入った容器を逆さまにしたみたいに、大量の液体が降り注ぐ。
私はまた吐いた。もう勘弁してくれよ。私に何度凄惨な場景を見せつければ気が済むんだよ!
白蓮の方を見た。あいつなら、何とかしれくれるかもしれない。そう思ったが、彼女は地面に倒れたまま動いていなかった。
「パチュリー! パチュリー!」
パチュリーの体もアリスと同様触手に締め付けられ、体を絞られている。痛みを感じる前に絶命してしまったのか、彼女の叫び声はもう聞こえない。
また体を壊されていくところを見ているだけ。見ているしか出来ない。助けたいと思っても、敵が強すぎて何も出来ない。
肉塊が口を開けた。よくわからない、赤いものが吐き出されていた。広場の中央にそれが落ちる。たぶん、アリスだったものなのだろう。
また吐き気を催した。だめだ、今はそんなことをしてはいけない。前を見ろ。考えるんだ。何か策があるはずだ。
土竜をやり過ごしたみたいに、人間の知恵を働かせてこの場を乗り切るんだ!
やぶれかぶれで走り出した。伸ばしてきた触手を掻い潜ってパチュリーの元へ。
あと三歩。二歩。一歩。手を伸ばせば届く! だが届かなかった。横から飛んできた触手に殴り飛ばされる。
広場を転がった。帽子が飛んでいく。痛い思いをしながら気合で体を起こしたが遅かった。パチュリーも奴の口に放り込まれた。
私の見知った者達が無残な方法で殺されていく。その度に私は自責の念に駆られる。そして触手は白蓮の体を掴んだ。
「止めろ……止めてくれぇー!」
白蓮は未だに気を失ったまま。やがて触手に締め付けられ、痛みで無理やり起こされる形になる。
「んぐっ!? ああああああああぁぁぁっ!」
「白蓮、頑張ってくれ! お前には、お前にはお前を待ってくれている奴らが居るんだろ! そいつらのためにも戦ってくれ!」
「ああ、命蓮……あなたが見えます」
「白蓮? おい、気をしっかりしろ!」
私は無我夢中で八卦炉を白蓮に向かって投げつける。運が良いのか悪いのか、八卦炉は彼女の頭を打った。
我に返ってくれたのか、こっちを向いた。
「八卦炉をぶつけたことは謝る! だけど、今はそいつを何とか倒す努力をしてくれ! もう……もう、お前しか居ないんだよ!」
彼女はこの広場にアリスとパチュリーの姿が見えないことと、広場中央に転がったモノを見て状況を悟ってくれたに違いない。
顔を真っ赤にして踏ん張り、触手から逃れようとしだした。体が発光している。残りカスの魔力を振り絞っているんだ。
光は随分と弱い。だが触手の力が負け始めた。彼女の体と触手の間に隙間が出来ている。いける、いけるぞ!
しかし敵の攻撃は残酷すぎた。何本かの触手が彼女の体を覆った。締め付けによって強烈な圧力がかかる。
一本の触手ですら苦労しているのに、あんなにたくさんの力が加わったら無理だ。
白蓮の体はもう、形がわからない程に潰されてしまっている。あっという間に出来上がる血溜まりを見て、言葉を失うしかなかった。
待ってくれ。誰か助けてくれ。頼むよ。誰か助けてくれ。
霊夢、いつもみたいに悪態つきながら悪い奴を倒してくれよ。
咲夜、私達友達だよな? 友達の頼みを聞いてくれよ。時間だとか空間を超越して助けに来てくれ。
妖夢、この前お茶奢ってやっただろ? 雨が酷かった日に泊めてやっただろ? この気持ち悪い奴らを切り捨ててくれよ。
四方八方から触手が迫って来た。白蓮だったものが吐き出される。今度は私の番なんだろうな。
嫌だ。そんなの嫌だ。こんなわけのわからない世界に迷い込んで、誰にも知られずに死ぬなんて嫌だ。
私はアリスに本を貸さないといけないんだぞ。パチュリーから本をせしめないといけないんだぞ。
それに、私は生きてこの事実を幻想郷の皆に伝えなければいけないと思う。
最初に白蓮の居る命蓮寺に行って訳を話して、紅魔館にもパチュリーのことを説明してやらないといけない。
迫り来る触手が私の周りで止まった。戦意がないことを察知して、わざと手を抜かれたんだ。
肉塊がこちらにゆっくりと近づいてきた。口を開けたままで。わざといやらしい方法で私を殺そうとしているんだ。捕まえて殺さずに、追いかけて殺そうって魂胆なんだろう。
誰か、誰か助けてくれ。香霖、今まで踏み倒してきたツケを全部払うから助けてくれ!
お父さん! 喧嘩して勘当したけど、お前の娘が死にそうなんだぜ! 助けてくれたって良いじゃないか!
お母さん! 勘当した後もこっそり家へ覗きに行けば甘えさせてくれたよな! 助けてくれ!
他には……他に誰か。そうだ! 魅魔様だ! 魅魔様が居てくれれば、こんな奴一発で倒してくれる!
私は誰かに頼ることを諦めた。こういうときこそ冷静になって判断しなければいけないはず。
魅魔様に教えてもらったことを思い出せ。よく考えろ。もうここには私しか居ないんだ。
八卦炉……はさっき白蓮に投げつけた。箒はすでに失っているので、移動手段はない。採集用のナイフを思い出したが、刃が通るとは思えない。
お? おおお! 何だ、私はまだ攻撃手段を失っていなかったじゃないか。あと一度だけ攻撃出来るじゃないか。それも強力な奴を。
ポケットから取り出したのは、蟻共を吹き飛ばすのに使った金平糖。そうだ、最後の一つを使わないままだったのを思い出したよ!
私が攻撃手段を見つけたとも知らずに、肉塊が大きな口を開けてこっちへ向かってくる。私は躊躇うことなく奴の口内へ金平糖を投げ入れた。
間、そして爆発。自分のすぐ近くで魔力の衝撃波が発生。そこで私は気を失った。
※ ※ ※
衝撃波で吹き飛んでしまったか。視界が定まらない。どうやら眠っていたらしい。
体はある。手足は動く。ちゃんと感触がする。生きていることは確かだな。
金平糖爆弾の衝撃で吹き飛ばされてからどうなったのかわからない。帽子も吹き飛んでしまったらしい。
身の回りに散らばった肉片はおそらく奴のものだろう。
アリス、パチュリー、白蓮の死体は見当たらない。衝撃波で吹き飛ばしてしまったのかもしれない。
私はというと広場の淵付近で落ちる寸前と行ったところ。
広場に壁を作っていた触手が無くなっている。私が肉塊を倒したことによって消滅したと思っていいんだろう。
広場から顔を出して見下ろしてみるが、広場の下は何もない空間が続いている。底なしの場所だった。
そして驚いたことに、私達が入ってきた方向の反対側にある青い扉と広場が繋がっていて、扉は開いていたのだった。
確かこの広場は空中に浮いていて、どことも繋がっていなかったと思う。
奴を倒したことによって、何かしらの仕掛けが作動したと考えられなくは無いが……。
あのバカデカい扉を塞いでいた肉塊は無くなっていた。おまけにドアが開けっ放しなのだ。
結局、肉塊が何者だったのかは不明だ。とりあえず居たから攻撃してみれば攻撃され、必死に倒した。
この部屋に入る前に見た、通路の壁に彫られた絵は一体何だったのか。何の意味も無かったのか。
だがあんなのもの、人の手でないと無理だと思うのだが……。
まあいい、もう行こう。私は慎重に歩を進ませてその扉の先へ向かった。
ここを出る前に深呼吸。私はパチュリー、アリス、白蓮の三人の魔女のことを決して忘れることは出来ないだろう。いや、忘れてはいけない。
彼女達の無念、苦しみ、そして彼女達を助けられなかったときの自分の気持ち。私は幻想郷に戻ったらこれらを本に纏めようと思う。
さあ扉の向こう側へ出発だ。幻想郷に繋がっていると信じて、輝く通路の先を目指す。
帽子に八卦炉、箒も無くした。このまま幻想郷に帰っても野良妖怪に追いかけられたら危ないかもしれないな。
だが私はまだまだ死ぬわけにはいかない。何とか香霖堂へ行って新しい八卦炉を作ってもらなければいけない。
眩い光に包まれる。こんな気色悪い世界とはオサラバだ。幻想郷よ、私は帰ってきた!
※ ※ ※
光を抜けた先は闇。暗黒と混沌の世界だった。阿鼻叫喚、煉獄狂乱、無残凄惨。
幻想郷じゃない。肉塊を超えた先に待っていたのは、肉塊の群れだった。
地面から触手。木から触手。とにかく触手。頭上には空を埋め尽くさんばかりの肉塊共。皆一様に口をパクパクさせてやがる。
おい、待てよ! 幻想郷に帰れるんじゃなかったのかよ! 私は三人の仲間を失って、ようやくラスボスを倒したんだぞ!
それなのになんだ、この光景。ラスボスの群れが待ってました、なんて私聞いてない!
後ろを振り向いたら、私が出てきた通路が無くなってやがる。一体どういうことだよ!
足元には割れ目が所々に見えている。その割れ目から紫色の触手がニョロニョロ顔を覗かせていた。
広がる荒野。草木の代わりに触手が生えてると言って良い。
上を見上げれば、どこもかしこも肉塊。おまけにさっき見てた奴より遠くに居るくせに、デカく見えるぞ。ふざけんな!
雨の替わりに短い触手が降ってる部分まである。あんなのがこっちに来たら、私なんかお仕舞だぞ。
色々な意味で不快な場所だ。見えている物が気持ち悪い物揃いってのもあるが、やたらと蒸し暑い。
あの触手の熱気なのか? そういえば、ここの触手は今まで見てきたものとちょっと違う気がする。表面にヌメりがある様に見える。
怪しいな。妙な効果のある粘液、なんてのは勘弁して欲しいぜ。
今ここから見える範囲で別の所へ行けるような、扉の類は見当たらない。私は完全に手詰まりの状態になったのではないだろうか。
出口が見えない。そこら中の触手が私を狙っている。空から肉塊の群れが迫ってきている。
八卦炉も箒も、金平糖爆弾も帽子もない。後は採集用の刃が欠けたナイフだけ。
こんなものが役に立つとは思えなかった。でも頼れそうな物はそれだけである。
上から触手がゆっくり伸びてきやがった。ナイフを横に薙いでみたが、触手表面の弾力に刃が負けてしまった。
ナイフは手から抜けてしまい、底がどこまであるかわからない割れ目へと落ちていった。
あんなものを探すために割れ目へ飛び込むことなんて出来るわけがない。
鍛えているわけでもない自分の肉体で殴る、蹴るをやってみたところで効果は無いだろう。
スカートの下からも触手が伸びてきやがった。小さな割れ目からは細い触手が伸びてくる。
踏んづけてやったが、押し返された。バランスを崩して尻餅をつく。慌てて手で体を起こそうとして、手が割れ目に嵌ってしまった。
待ってましたと言わんばかりに、手を触手に掴まれる。暴れたところで効果はなく、触手で四肢をガッチリ拘束されてしまった。
ヌルヌルして気持ち悪い。こんな奴に捕まるのなんか嫌だ。手足を掴んだ触手がじわりじわりと、きつく締めてきやがる。
このまま白蓮でさえどうにも出来なかった触手の怪力で体をバラバラにでもされるんだろうな。骨を握り潰されてしまいそうなぐらい痛いんだから。
と、少しだけ力が緩まった。と言っても、身動きが取れないのは相変わらずだ。
仰向けで寝そべっている格好。脚は立ったままで足首に触手。恥ずかしくて股を閉じようとするが、触手に引っ張られていて上手く閉じられない。
「な、何をするつもりだ!」
こいつらに話しかけたところで、意思の疎通が出来るとは到底思えない。それでも叫ばずには居られなかった。
パチュリーがムカデに犯されたように、私も食われる前に汚されるんじゃないかって思った。
ドロワーズ越しに股を擦ってきやがる。こいつら、本当に私を慰み者にするつもりだ!
言っとくが私は未経験なんだぞ! こんな気持ち悪い奴らに陵辱されて喜ぶ変態じゃないんだぞ!
必死に暴れようとするが、ビクともしない。触手は器用なのか、私の下着の中へ入ってきやがった。
ヌメっとした感触。男が本能的に求めるとかいう噂の、恥ずかしい穴に頭を押し付けてきやがる!
遠慮なしにぶち込まれた。痛みと恐怖でどうにかなりそうだった。
気がつくと自分が妙な白い液体まみれになっていた。ああそうだったな、私は処女を気色悪い触手の化物に散らされたんだった。
不思議と感覚はない。痛いとか、血が出るとかって聞いていたんだがな。
頭がガンガン揺すられている。耳に違和感がした。耳の中から細い触手が入り込んでいるのではないだろうか。
動き回っていやがる。脳味噌を弄くられているのかもな。
なぜか私は冷静で居られた。たぶん何をしても助からない、と諦めているからだろう。
そのうち脳味噌もグチャグチャにされて何も考えられなくなる。
気がつくと両脚が無かった。触手で引きちぎられたんだろう。近くに私の脚と思しきものが落ちているからだ。
もう耳も殆ど聞こえていないし、鼻も効かなくなっている。少しずつ体を破壊され、五感を奪われていく。
あれ? なんで私こんなことになっているんだ? 昨日まで新種の茸を八卦炉の燃料に応用出来ないかと研究をしていたじゃないか。
そんでもってそれの効果を確かめられたから、暖かい布団に入ってグッスリ寝ていたじゃないか。
昨日? 昨日って何時だ? 私は何時からこのヘンテコな世界に飛ばされていたんだ?
あ、今度は両腕をもぎ取られた。ぶちぶちと音がしてきそうだ。そう思うだけで、実際に聞こえてるわけじゃない。
服までモシャモシャ食べられてる。酷いな、このブラウスとベスト、下ろしたてだったのに。
袖と襟にフリルがついていて、気に入ってたんだぞ。寺子屋へ遊びに行ったとき、慧音に褒めてもらって嬉しかったんだがな。
ああ、そうか。死ぬってことはもう幻想郷に戻れないんだよな。
私のお腹の中に触手が突っ込まれている感触だけがしている。そのうち心臓もやられて、気を失うのさ。
あーあ。死にたくねーなー。蟻共に囲まれたとき勇ましく私を助けてくれた白蓮は格好良かった。あのときは本当に嬉しかった。
結局私はあいつに何も返していないよな。それどころか見殺しさ。
せめてあいつに命を助けられて心から感謝した、と命蓮寺の連中に言ってやりたかった。
アリスとは古い付き合い……って程じゃないが、色々と一緒に過ごしていた気がするな。
あいつはどこか冷たいところがあるか、魔法使いとして尊敬出来るところとかあったなあ。
パチュリーには本を借りたりして、迷惑をかけていたかもしれないな。でももう返す必要ないよな。返せなくても良いんだよな。
だってお前は死んで、私ももうすぐ死ぬんだからな。
パチュリーが死んだって知ったらレミリアとか紅魔館の連中、きっと悲しむぜ。
私が死んだら、誰かが悲しんでくれるだろうか? いや、そもそも死んだと思う奴は居るのか?
飛ばされた魔法使い四人は行方不明扱いになるんだろうけど、霊夢は探してくれるんだろうか。
両親は心配してくれるんだろうか。香霖も。咲夜も。妖夢も。私を知っている者達は気にかけてくれるんだろうか。
もっとやりたいことがあるのに。もっと遊びたかったのに。もっと酒を呑みたかったのに。
不味いなあ。本当に不味い。口のついた触手が私を取り囲んでやがる。私を少しずつ咀嚼するつもりなんだろうなあ。
やだなあ。せめて死ぬまで誰かが側に居てくれたら良いのに。死ぬときぐらい寂しい思いなんてしたくねえよ。
なあ紫。もしかしてお前は何もしていないんじゃないか? 今、私は自分の主張を捻じ曲げたいと思った。
この不思議な世界に飛ばされのではなく、これは夢なんだ。悪夢の出来事なんだって。
だってそうじゃないと、私は本当に死ぬじゃないか。頼むからさあ、誰か助けてくれよ。
作品情報
作品集:
21
投稿日時:
2010/11/06 17:22:03
更新日時:
2011/07/14 02:16:32
分類
リョナ
触手
けれどもみんなかっこよかったりらしかったり最後まで闘い抜いたりで案外悲惨には思えなかったり
ただし魔理沙除く
最後の独白が辛いなあ
長編ストーリーの果てに待っていた感動の結末は…。
よくも…、よくも…、
よくも、こんな救い様の無い話を読ませてくれましたね。
偶には良いですけどね。
産廃的にはハッピーエンド
意識がないまま死ねたアリスが一番幸せかな
全員がほぼ万全の状態で戦ってるのにどうしようもない状況ってのは実にいいもんだ
魔理沙たちの人間性に問題はない、実力も十分で限界以上に頑張った、ストーリーの展開も悲惨ではあるが
確実に前に進もうという彼女らの意識を感じさせるものだった。
その上でこのオチだよ! 本当の意味での「まったく救いのない話」だわこれ。
魔理沙が死亡したのと同時刻、森林地帯にて……
<咲夜>
「あっはっはっはっは、真っ先にあなたと会えるなんて運命に違い無いわね。
さぁてもう逃げられないわよ妖夢ちゃん、諦めて私のものになりなさーい、
二人でこの世界のアダムとイヴに(ry」
<妖夢ちゃん>
「ふざけんなぁああああああ!! 捕まってたまるかぁああああ!!」
リアル鬼ごっこに勤しむ二人であった……
「食われる」と感じるときのやるせなさというのは
性的であっても物理的であっても明確な違いはないのかもしれない。