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『洗脳妄執のカッティングブロウ』 作者: sako

洗脳妄執のカッティングブロウ

作品集: 22 投稿日時: 2010/11/24 16:12:23 更新日時: 2010/11/25 07:31:46
「ううんっ…」

 耳元で聞こえる妙な音にパチュリーは目を覚ました。金属同士が擦れるような耳に痛い音。それが何の音なのかは釈然としなかったが、パチュリーの寝起きのぼやけた頭は一々確かめようと思わなかった。首を折るように頭を下げ、もう少し寝かせてよ、と目をつむる。その一刹那、閉じかけられた目蓋の向こうに紫色の何百という、細長い糸が見えた。あれは…とパチュリーは寝ぼけた頭で考える。瞳は閉じては開きを繰り返し、その間隔は段々と長くなり、視界が効いている時間が長くなっていく。

「私の…髪?」

 椅子にかけた自分の膝の上に散らばっているのはパチュリー自身の髪の毛だった。見ているとはらり、はらりと冬の到来を告げる落穂のように髪の毛が降ってくる。ランプの薄明かりに煌めき、綺麗だなぁ、とパチュリーは他人事のように考えた。
 ならば成る程、先ほどから耳元で五月蠅くなっているのは鋏の刃擦れか。散髪の途中で眠ってしまっていたのだろう、と論理的に考えて…そこではっ、とパチュリーの意識は完全に覚醒する。

 自分が、魔女が、散髪の途中で眠ってしまうことなどあり得ない、ということに思い至ったからだ。

 魔女にとって自分の髪の毛というのは世間一般で言う髪よりも重大な意味を持っている。髪は命の次に守らなければいけないもの、とも。その理由は至極単純、魔女にとって髪の毛とは切り離された後でもなお、自分の身体の一部、分身と捉えているからである。使い魔を生成する際にはその核として自分の髪の毛を用いることもあるし、悪魔や魔人、精霊などとの契約に人の契約で言うところの捺印のように髪の毛を用いることもある。また、ほれ薬などの材料として使うこともあるのだ。
 そうして、それらは使いようによっては悪用も可能である。敵対する魔女の髪の毛を手に入れる事ができればそれを媒体に相手に強力な呪いを施すこともできる。精神攻撃をしかけて操ることとて可能だ。魔女にとって髪の毛を手に入れられると言うことは命を握られるも当然のことなのだ。
 だからこそパチュリーやアリスたち、魔道に生きる女は自分の髪の毛を命のように大切にする。パチュリーも自分の髪の毛を切ってもらうのは自分の使い魔のこあにしか任せず、切った髪の毛は一本残らずすぐに焼却し、その灰に至るまで厳重に処分するよう心がけている。ある意味で魔女にとって散髪とは命がけの儀式なのだ。その最中に眠ってしまうことなどあり得ない。第一、パチュリーはこあに散髪など頼んでいないからだ。

「だっ、誰なの!? 私の髪を切ってるのは…って、え!?」

 その時、パチュリーは自分がただ単に椅子に座らされ髪の毛を切られている訳ではないと言うことを知った。動こうとすると怨嗟の声を上げるように軋むベルト。見れば両腕が肘掛けにしっかりと固定されているではないか。足首も、腰も、そうして首も同様だった。パチュリーは古びた革張りの椅子に完全に固定されてしまっているのだ。

「くっ、止めなさい! 今すぐこの拘束を解いて!!」

 髪を切っているのが誰か分からないが怒鳴り散らすパチュリー。振り替えり、相手の姿を見ようとするがそれより先にがっちりと頭を押さえつけられてしまった。強い力。とてもじゃないがパチュリーの力ではベルトは当然、押さえられた頭を動かすことはできなかった。

「っ…よくも…」

 そうこうしている間にもざんばらと髪の毛はつぎつぎ切られていく。はらはらと舞い落ちる髪の毛。その量は尋常ではない。ロングが好きで、ついでにそこそこ無精なパチュリーは余り多く髪の毛を切らない。前述の魔女の頭髪の大切さも含めてだ。自分の髪の毛がこれだけ切られているという状況は久しく目にしていなかった。
 別の意味で大切なものが為す術もなく失われていく悔しさに臍を噛みながらパチュリーは床に視線を向ける。
 と、

「…鏡?」

 自分が座らされている椅子の向こうに古ぼけた大きな姿見が置かれているのに気がついた。これを使えば少なくとも自分が置かれている状況と髪を切っている相手が誰なのか知ることができる。この鏡はどういう意図で置かれているのかは知らないが、これ幸いにとパチュリーは視線を上げ、鏡を見て、そうして…

「えっ…!?」

 今度こそ絶句した。

「駄目ですよパチュリーさま、動かないでください。髪を切るの、失敗…してしまいますから」

 薄汚れた姿見に映し出されたのは椅子に縛り付けられ愕然とした表情を浮かべたパチュリー自身と、そうしてその後ろで忙しなく散髪用の鋏を動かし続けるよく見知った人物の影、だった。

「そ、そんな…どうして貴女が…」

 絞り出した声に、けれど、散髪屋は何も言葉を返さなかった。












――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









「うーむ」

 幻想郷の集落、様々な店が軒先を並べる商店街の一角、本通りから外れた一見すると店とは分からないような粗末な作りの金物屋の店内で十六夜咲夜は顎に手を当て考え込むような表情をしていた。
 どうやら、売り物を買おうかどうか悩み、決心が付かない様子だった。店主は売る気がそもそもないのか、それともやる気がないのか、二ヶ月も前の文々。新聞を読みながらカウンターに肘をついてぼーっとしている。

「あ、いたいた」

 と、店の入り口の方から咲夜を呼ぶ声がかかった。顔を上げる咲夜。店の外から差し込んでくる光に名を呼んだ相手の姿は影になってしまっているが誰だか分かる。

「咲夜さーん、何してるんですか?」

 売り物にスカートの裾を引っかけないよう、注意しながら入ってきたのは紅美鈴だった。手には大きな買い物籠が。見れば咲夜も足下に同じような買い物籠を置いてある。二人は集落へお屋敷の物資を買いに来ていたのだった。
 その途中で美鈴は咲夜を見失い、探し回っていたところだった。あっちの瀬戸物屋かそれとも向こうの八百屋か、はたまた本屋で立ち読みを…していたのは自分だった、とほうぼうの体で探し回り、この裏路地の寂れた店で咲夜の姿を見つけたのは僥倖としか言いようがなかった。

「ちょっとね。何でもないわ、美鈴」

 ぶっきらぼうに応える咲夜。その手元を美鈴は覗きこむ。

「これが欲しいんですか?」

 これ、といって美鈴が指さしたのは埃が薄く積もったショーケースの中に収められていた古風な鋏だった。何の金属でできているのか、鈍い輝きを放つ銀色の鋏で、普通の直刃と櫛を思わせる刃でできている。クシ刃の方の指を通す穴には新芽を思わせる出っ張りが付いている。散髪用の鋏だった。
 この店は金物屋だ。鋏以外にもナイフや鉈、果ては日本刀まで古今東西、様々な刃物が店主にしか分からないような調和を持って所狭しと並べられている。美鈴は最初、店に並べられている刃物の種類から刃物専門の古美術商かと思ったが、店先に真新しい、けれど、今一用途の分からない妙な形のノコギリが置かれていたのを思い出して、違うか、と思った。

「………ええ、お嬢さま用にね」

 少し躊躇いを見せた後、美鈴の言葉にそう応える咲夜。つづけて、でも、高いからいいわ、とも。確かに鋏のハンドル部分にくくりつけられた値札には今日、買い物で使ったお金全てを遭わせても足りないぐらいの数字が書かれていた。店主もこの値段をまける気は毛頭ないのか、値札はすっかり色あせてしまっている。

「ふぅん、そうですか」

 頷いて咲夜と売り物の鋏を見比べる美鈴。

「いいわ、行きましょう。まだ、買い物が残っているし」

 そう言って咲夜は足下に置いてあった買い物籠を持ち上げると美鈴の脇をすり抜け、店の外へ出て行ってしまった。店主がなげやりにまいどあり、と見送りの挨拶をする。

「………」

 一人店内に残された美鈴は横目で咲夜が見ていた鋏を見る。いや、どちらかと言えば見ていたのはその値札の方だったが。

「何しているの、行くわよ、美鈴」
「はぁい、咲夜さん」

 急かされ、返事し、店主にありがとうございました、と頭を下げて小走りに店から出て行く美鈴。店主はまたもなげやりにまいどあり、と告げる。もしかすると店主の形をした来客に挨拶するだけの自動人形だったのかも知れない。



 その後も二人は買い物を続けていたが、美鈴の頭にはあの売り物の鋏が、その値札がずっと頭をついて離れなかった。
 それと咲夜の言葉。

『お嬢さま用にね』

 あり得ない話だ。あの永遠に幼き吸血鬼は体が成長しないのと同様、髪の毛も伸びたりしない。吸血鬼の中には姿形など無意味だと自在に体を変化させる者もいるが、レミリアにそんな能力があるなんて話はついぞ、美鈴は聞いたことがなかった。

「………」

 耳の前から垂らしている三つ編みを弄ぶ咲夜の背中を眺めながら美鈴は帰路についた。









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――







 その次の日…

「お嬢さま、折り入ってお願いがあります」
「……なによ」

 朝早くからレミリアの私室の扉をノックする美鈴。そんな彼女をレミリアは怪訝そうな顔で迎えた。

「実はお給料の…その…前借りを、させて欲しいと思いまして」

 迷ってはいけないと、多少、口ごもりながらも開口一番、自分の目的を告げる美鈴。ついでに深々と頭を下げ、ある意味でプレッシャーを与える。

「えっと…」

 机に向かって書き物をしていたレミリアは気圧されたよう、汗を流しながら言葉を探していた。今まで何人もの従者を雇ってきたが、給与に関して何か言われたことはなかったからだ。それは紅魔館のお給料がいいから、というわけではなく、咲夜を始めとして雇用者の多くが金銭に関してあまり頓着を持っていないからである。加えてそれは…

「さ、咲夜に言いなさい。そういうことは」

 給与を含むお屋敷の使用人の福利厚生は咲夜に一任しているからである。そもそも美鈴を始めとして誰にどれだけ給料を払っているのかレミリアは知らないのだ。前借りさせてください、と言われてもいくら渡せばいいのか、そもそも渡していいのかさえも判断が付かない。

「えっ、いや、その…さ、咲夜さんにはちょっと相談できない事情がありまして…」

 それまで頭を下げていた美鈴はそこでやっと面を上げた。けれど、レミリアに視線を向けず、部屋の隅の大時計の方へ目を泳がせている。心なしか顔も赤いような…

 それを見て、ふぅん、とレミリアは軽い侮蔑の表情を浮かべた。

「何、咲夜に借金でもして、首が回らなくなったの?」

 美鈴の反応からそう結論づけるレミリア。い、いえ、と美鈴は首を振るがレミリアは聞く耳持たない。

「あの子相手に賭けトランプでもしたの? 馬鹿ね。DIOを倒した後の承太郎にダービー(兄)が挑んでも勝てるはずがないじゃない。私も何度も辛酸を舐めさせられたことか…」

 ぐぬぬ、と握り拳を作るレミリア。が、それも一瞬、すぐに我を取り戻して、椅子から立ち上がる。

「まぁ、いいわ」

 部屋の隅の本棚まで移動するとレミリアは、その一角を横にスライドさせる。並べられた分厚い本の向こうにもう一つ、棚が隠してあるのだ。そこに置かれているのは本ではなく強固そうな金庫だった。ダイヤルをぐるりぐるりと回しレミリアは金庫を開ける。

「咲夜に負けた者同士、親近感が湧くわ。咲夜は緊急時以外、絶対に使うなって言っていたけれど、同士のピンチは私のピンチよ」

 そう言ってレミリアは幾つもの札束を取り出す。うちって本当にお金持ちだったんだ、と美鈴は生れて初めて目にする大金に目を丸くした。

「で、どれぐらい必要なの?」

 そう言って札束を無造作に二つ三つと掴んで美鈴に手渡そうとするレミリア。慌ててぶんぶんと美鈴は首を振るう。

「い、いえ、そんなには…」

 昨日金物屋で見た鋏の値段をそのまま告げる美鈴。それを聞いてむ、とレミリアは眉をしかめる。

「そんなはした金でいいの? 私の時はこの山が十個程無くなったんだけど」

 明らかにもう一軒、紅魔館が買えそうな大金に美鈴は逆に薄ら寒いものを憶える。咲夜さんと賭け事だけは絶対にしないでおこう、と心に刻みながら。
 レミリアは札束から数枚、紙幣を引き抜くと指先を舐めて唾液で湿らせ、一枚、二枚と数え始めた。美鈴が言った金額だけを数え終えるとそれをはい、と手渡す。

「これは私から貴女への臨時ボーナスということにしておくわ」
「えっ、いいんですか?」

 レミリアの言葉に驚きつつも喜びを隠せない美鈴。

「ええ、いいわよ。 貴女には世話になっているしね。額は違えど敗者同士、傷を舐めあうのも悪くないんじゃない」
「ありがとうございます。これで咲夜さんにあの鋏を買ってあげることができます」

 紙幣を受け取り深々と頭を下げる美鈴。美鈴の言葉にレミリアはえっ、と疑問符を浮かべる。

「じゃあ、ちょっと行ってきますね、私」
「ちょ、門番?」

 レミリアの制止も聞かず、もう一度、頭を下げてどたばたと駆けだしていく美鈴。唖然とした表情でレミリアは見送るしかなかった。

「何? 咲夜のプレゼントを買いに行くつもりだったの…ああっ、もう、タイミングが悪いわねぇ」

 はぁー、と大きくため息をつくレミリア。
 先ほどまでレミリアがペンを走らせていた机の上にはさるパーティの招待状が置かれていた。その会場は遙か遠く、トランシルヴァニア…












――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――










「えっ…咲夜さんはレミリアお嬢さまとお出かけ中…?」

 帰って来るなり美鈴が耳にした言葉は彼女を落胆させるに十分な物だった。

「ええ、そうよ。吸血鬼同士の社交を兼ねたパーティだそうよ」

 紅茶を飲みながらパチュリーはそう美鈴に説明する。問面ではフランが私も行きたかったなー、と机の上に突っ伏していた。

「当然、幻想郷の外だから帰ってくるのに一週間ぐらいかかるそうよ。で、貴女をメイド長代行、私を当主代行に頼んでいったのだけれど…美鈴、貴女何も聞いていなかったの?」

 パチュリーの言葉に力なく応える美鈴。ぎゅ、と腕の中の包みを抱きしめる。


 レミリアからボーナスとして大金を戴いた美鈴はすぐさま件の金物屋へと向かった。もちろん、一刻も早くあの咲夜が物欲しそうに見ていた鋏を手に入れるためだ。美鈴は咲夜に世話になっており、いつかお返しをと日頃から考えていたのだが、昨日の出来事がそれを後押ししてくれた。

 鋏は美鈴のまさか、という心配を余所に昨日見たのと全く代わらず置かれており、値段も嫌がらせのようにつり上がったりはしていなかった。さっそく、鋏を購入したのだが、プレゼント用なのでキレイにラッピングしてくださいね、と言ったところ店主にそんなのウチじゃやってねぇ、と無下に断られ、泣く泣く美鈴はどこかラッピングしてくれるお店を探して幻想郷銃を飛び回っていたのだった。けれど、そんなお店は幻想郷では見当たらず、結局美鈴は手先が器用でセンスが良さそうな人形術士のアリスに包装を頼みに行き、そこで偶然であった魔理沙にアリスが一人で魔界に行ったまま戻ってこないという悶着に巻き込まれ、結局戻ってきたのは日が沈んですっかり暗くなってからだった。

 それなのにせっかくプレゼントしようとした相手は屋敷におらず、しかも数日は帰ってこないという始末。
 今日一日の疲れがどっと吹き出したのか、美鈴はその場に力なく膝をついた。

「そんなぁ…」
「わわっ、どうしたのめーりん!」
「放っておきなさいなフラン。世の中にはかける言葉のない間が悪い人、というのが確かに存在するのよ」

 よよよ、と泣く美鈴を尻目にパチュリーは肩をすくめるだけだった。





「ううっ、失敗したなぁ…」

 その後、ほうぼうの体で自分の部屋に戻る美鈴。朝から緊張し、その後は喜び浮かれ、幻想郷銃を飛び回り、ひたすらいろいろな人に頭を下げ、挙げ句の果てに武道家として勇者・魔理沙のパーティに参加、魔界はおろかデスコッドまで連れて行かれ隠しボス討伐の手伝いまでさせられたのだ。心身ともにとうに疲れ果て、今日はもう、これ以上、何もする気になれなかった。
 ばたん、とネジが切れたように椅子に座り、机の上に体を突っ伏した。

「はぁ…疲れた」

 体中が汗でべたべたしている。お風呂に行かなければならなかったがどうにも動く気力が湧かなかった。このまま眠ってしまおうか、とぼんやりと考える。

「咲夜さん…」

 ぼそり、と意中の相手の名前を呟く美鈴。視線の先には今日、購入した鋏が入れられている紙袋が置いてある。包装はしてもらえなかったが、アリスに戴いた包装用の可愛らしい柄の付いたロール紙も入っている。そう言えばどんな柄だったかな、と美鈴は体を起こして紙袋の中身を取り出した。

「ッ、痛っ!?」

 と、手を突っ込んだ時に指先に鋭い痛みを覚え、美鈴は急いで手を引っ込める。

「指切った…?」

 見れば指先がすっぱりと斜めに切り裂かれていた。遅れてじわりと血があふれ出してくる。美鈴はその指を咥えると暫く血が止るまでそうしていた。口の中に鉄の味が広がる。

「ははみ、はこはらへへたのはな(鋏、箱からでてたのかな)?」

 指を咥えながら紙袋の中を覗きこむ美鈴。案の定、古びた木箱は二つに分かれ、鋏がその刀身を飛び出させていた。もう、と怒りながら美鈴は立ち上がり、指先にテープを巻いて応急処置してから戻ってくる。

「危ないなぁ。って、指切った後にいう台詞じゃないわね」

 そう言って今度は気をつけて鋏とその入れ物の箱を取り出す。

「散髪用の鋏ってこんなに切れ味いいのね」

 すぐには箱にはしまわず、今し方、自分の指を切った鋏をためつすがめつ眺める美鈴。形状は床屋でよく見る普通の散髪用の鋏だ。年代物なのか、柄のリングの部分の輝きは失われつつあり、鈍い光を放っている。それでも手入れはキチンとされているのか、美鈴の指先を切り裂いた刃先は今なお鋭い輝きを保っている。クシ刃の方も綺麗な物でクシの間には髪の毛一本、挟まっていない。

「職人の業物ですね。咲夜さん、得物のナイフにも気を遣ってますから、刃物全般が好きなのかも」

 裏返したり、刃の部分を持って柄の方を見たりして遊ぶ美鈴。興が乗ってきたのか、床屋のようにリングに指を通して軽く持ってみる。

「それとも散髪して欲しかったとか。『咲夜さん、このような具合で如何ですか?』『まぁ、上手いのね美鈴。今度から私の散髪は貴女に頼もうかしら』なんてね」

 きゃっー、と自分が咲夜の髪を切っている場面を想像して顔を赤くする美鈴。鋏を持ったままの手をぶんぶんと振り回してたいへん危ない。

「でも、まぁ、本当にそういうのもいいかもですね」

 しゃきしゃき、と鋏を開閉させてみせる美鈴。鈍い輝きに散らばる咲夜の銀糸が夢想される。

「ホント…この鋏で咲夜さんの―――を切れたら…」









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「あいたたた…」

 次の日の朝、腰痛に目を覚ました美鈴。体を起こしてその原因を知る。どうやらベッドではなく椅子に座ったままで眠ってしまっていたようだった。昨日はお疲れモードだったからなー、と欠伸をかみ殺しながら考える。
 と、

「ん?」

 腰以外にも違和感を憶える。右手が妙に強張っている。何事かと見ればそこには…

「うわっ、危ないなぁ」

 咲夜に贈るつもりで買った鋏が握られていた。昨日の記憶を反芻し思い出す美鈴。そう言えばこの鋏を眺めていた途中からの記憶がない。どうやら、そのまま眠りこけてしまったみたいだった。指も簡単に切れる鋭い鋏を持ったまま眠ってしまうなんて、と美鈴は薄ら寒い物を憶える。リングの形に跡が付いた指から鋏を引っこ抜くように放すと美鈴は机の上に置きっぱなしになっている箱の中へ鋏をしまおうとした。
 その途中で気がつく。

「何これ?」

 机の上に、僅か数本だが髪の毛と思わしきものが散らばっていることに。鋏を直すのも忘れて美鈴はその内の一本を取り上げてみる。
 メモ用紙の上に翳してその髪の毛と思わしき物を調べる。色は紅。自分と同じような色をしている。けれど、髪質は全然違った。美鈴の赤毛は太く硬めの髪質だが、指先で何とかつまんでいるそれはかなり柔らかく細い。色も美鈴の赤毛よりずっとくらい色をしている。紅魔館の住人でこんな髪の毛をしているのは…

「美鈴、いつまで寝ているの!?」

 そう考えていると扉の向こうから声がかけられた。パチュリーだ。そう言えば昨日、当主代行を命じられたからにはびしばし行くわよ、とかなんとかそんなことを言っていたことを美鈴は思い出す。はぁい、と応え、いそいそと鋏をしまうと美鈴は部屋から出て行こうとした。

「………」

 その途中、思うことがあったのか、踵を返す美鈴。机の上を手でざっと払って、散らばっていた髪の毛を全て床に落とす。掃除は後ですればいいや、と美鈴は尚も呼び続けるパチュリーに適当に返事しながら部屋から出た。




 その日、妙に自分の髪を気にしているこあの姿を美鈴は何度か見かけた。









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








 次の日、流石に美鈴は机に突っ伏して起きると言うことはなかったがまたも奇妙なことが起きていた。
 また、手に鋏を持ったまま眠ってしまっていたのである。寝ぼけて取り出したのだろうか、と考えながら美鈴はベッドから降りる。その時、美鈴が気がつかなかったが床の上には明らかに美鈴の物とは違う髪の毛がざんばらと散らばっていた。

 その日は妖精メイドの一人がイジメられたと言って朝から騒いでいた。もっとも妖精なんで三歩歩けば言ったことをすぐに忘れるような猫より物覚えが悪い生き物だ。誰も相手にしなかった。


 次の日も同じようなことが起きた。ただし、今度は人数が増えて三人だ。メイド長代行の美鈴が話を聞けばイジメの内容はどれも一緒で寝ている間に髪の毛を切られた、と言う物だ。確かに見れば三匹の妖精メイドはなかなかエキセントリックな髪型をしていた。そうして、その三匹の頭と同じ色をした髪の毛が自分の部屋に散らばっていたのを美鈴は今朝方、掃除したところだった。

 次の日も同じことが起きた。今度は一気に十人。屋敷中が犯人捜しで騒がしくなった。一応、監督責任がある美鈴とパチュリーはその騒動に参加しなかったが、美鈴の心中は実際、そんな場合ではなかった。部屋中に何人分物の、何百本という髪の毛が散らばっていたからである。
 まさか、と自分の心中を不安が占めている。条件が整いすぎている。けれど、そうだとは美鈴は考えなかった。考えたくなかった。理由は二つある。留守を預かっているメイド長みずからが問題を起こしているなんて。そういうものともう一つ。

「咲夜さんが欲しがっている鋏なのに…」

 せっかくのプレゼントが屋敷の騒動の発端になっているとは思いたくなかったからだ。
 
 けれど、疑念とのせめぎ合いは激しく、一日中、美鈴は悩んでいた。仕事をおろそかにしてパチュリーに何度も怒られても、気が気でなかった。結局、その日の就寝時刻前に何とか出せた対策は…

「…もう一晩だけ様子を見よう」

 そんな逃げともとれるような妥協案だった。
 一応、美鈴は疑ってかかるつもりで鍵の付いた棚に鋏をしまうことにした。鍵は別の鍵のかかる棚にしまい、間違っても寝ぼけて開けてしまわないようにした。これで一安心だ、と頷く美鈴。だが床についた時のその顔はとても安らかに眠れるような顔ではなかった。







 そうしてその夜も髪が舞うことになる。それも、ちょっとした騒動を起こして。







「ん…あれ…」

 先に目を覚ましたのは美鈴の方だった。
 寝ぼけ眼の向こうに白黒のタイル模様の壁が見える。この部屋は、と意識が覚醒するにつれて自分がどこにいるのか段々と理解してくる。
 うずたかく山のように積もれた人形。壊れたまま放り出されたおもちゃ。乱暴にクレヨンで描き殴った画用紙。見たことがある部屋だ、と美鈴は思う。

―――そうだ、ここはフランお嬢さまの、

 シャキン、シャキン、シャキン

「………」

 手に重さと耳に金属が擦れる音を感じる。けれど、それでも未だに自分がどうしてこんなところで■■なんてことをしているのかまるで分からない。何をしているんだろう、と自分の手元に視線を下げたところで紅い瞳と目があった。

「う…んっ…めー、りん?」

 ベッドの上で薄ぼんやりと目を開くフラン。その頭の周りには古寂びた古城に降り注ぐ月光のような金糸が散らばっていた。

「フラン、お嬢さま…」

 フランの声に反応する美鈴。けれど、止らない。止らない。淀みなく手は動き続け、しゃきんしゃきんと甲高い音は鳴りつづける。止められない。止らない。何が? 何を? 何をしている?

「何をしてるの…? あっ…」

 フランが寝返りをうつように首を動かす。その紅い視線の先に見えたのは、シーツの上に散らばった自分の金色の髪と、鈍い輝きを放つ鋏が絶えず動き続けている様だった。

「なんで、私の髪を切ってるの…めーりん?」
「あ、あ、あああああああっ!!!!」

 悲鳴に近い声を上げてやっと美鈴は自分の手を、自分の意志で止めることができた。けれど、その手には鋏が、あの鍵付の棚の中にしっかりとしまったはずの鋏が握られていた。

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい、フランお嬢さまっ!!」

 フランにそれだけ言うと美鈴は逃げ出すよう部屋から飛び出していった。

「………」

 フランはベッドから上半身だけを起こして美鈴が今し方、飛び出していった扉とシーツの上に散らばった自分の髪の毛とを眺めていたが、大きな欠伸を一つするとそのままこてん、とまた眠りについてしまった。


「なんで、こんな…」

 自分の部屋の中で愕然とする美鈴。
 現在、主とメイド長不在の紅魔館を騒がせている寝ている間に髪を切られるという騒動。パチュリーは髪切りというそのままな名前の妖怪の仕業だと疑っていたが、美鈴だけは誰よりも早く、その正体に気がついた。
 言うまでもない。その犯人が…

「どうしよう…私が、私がしていたんだ」

 自分自身だったのだから。

 けれど、それは美鈴自身の意志ではなかった。今の今まで他人の髪を切りたいなんて切実に思ったことはないし、今日のように寝ぼけてしたことだって一度もない。寝ぼける、ということ自体稀だ。
 ならば必然。原因はこの鋏にあることになる。この鋏を買ってから、思えば買ったその日から屋敷の誰かの髪が切られ、その切った髪が自分の部屋に散らばっていたのだ。意図的に無視しなければ誰にでも犯人が分かってしまうぐらい証拠はそろっている。昨日は自分自身がその犯行現場を目撃したのだ。言い逃れは…自分自身にさえできない。
 詳しくは分からないがこの鋏はそういう類の物なのだろう。呪われたアイテム。世の中にそういう物があることぐらい魔道の知識のない美鈴でも知っている。これはその類のものだ。耐性のない者が持っていてはいけない物だ。

 机に手をつき、項垂れ、目を見開き、青い顔をしている美鈴。その視線の先、テーブルの上にはその鋏が無造作に置かれていた。
 思えば自分は必要以上にこれに執着を持っていたような気がする、と美鈴は考える。咲夜にプレゼントするために買った品だが不思議に思った時にすぐにどうにかしようとしなかった。いや、そんなことを考えなかった。もしかするとそれも呪いの範疇で、咲夜がこれを欲しがったのも呪いの力で魅入られかかっていたからなのかもしれない。

 生半可な覚悟ではこの呪いから逃れることはできないのだろう。

「………捨てよう」

 大枚をはたき、多大な労力を要して手に入れた品だが背に腹は替えられなかった。幸い、誰かが怪我をしたなどという話は出ていないが、指を容易く切り裂く切れ味を持つ刃物だ。万が一、ということも考えられる。

「パチュリーさまに…ううん」

 いっそ、あの百識の魔女に相談しようかと考えたが決心が付かなかった。主人とメイド長の留守になるべく問題なんてものは起こしたくない。

 それに捨ててしまえば問題はもうそれで解決だ。美鈴は鋏を箱にしまうとテープで厳重に封をし、それをそのまま屋敷の裏の焼却炉に持っていった。燃えさかる炉の中へそれを投擲する。紅蓮に包まれ木箱はあっという間にその形を崩し始めた。中身の鋏は鉄でできているから燃えはしないだろうがこの高熱で無事とは考えられない。妙に後ろ髪を引かれる思いをしながらも美鈴は焼却炉を後にした。





 その後、美鈴はフランに謝りに行こうとした。けれど、フランの髪型は昨日と全く一緒で切られた様子はなかった。訝しげに思い、美鈴は謝る前にその事を訪ねると、

「あーっ、うん、きのう、めーりんに髪の毛を切ってもらう夢、見たよ。でも、フランは吸血鬼だから、髪の毛を切ってもすぐに戻っちゃうの」

 と応えられた。どうやら、フランの髪の毛は吸血鬼の再生能力で完全に元に戻ってしまったらしい。切った髪もそれに伴い消失したようだった。
 ある意味でほっと胸をなで下ろす美鈴。

「それでー、どうしたの、めーりん」
「えっ、いえ。なんでもありませんフランお嬢さま」

 結局、美鈴は鋏のことは黙っておくことにした。説明が難しいし、鋏を捨てたことで終わった“異変”だ。一々、ぶり返すのもある意味で面倒。美鈴は保身に走る形で自分自身の中で異変の終焉を結論づけた。









 そんな、甘い話ではなかったが。
 次の日の朝にもやはり散髪騒ぎは起きた。
 美鈴の部屋には何人分かの髪の毛と捨てたはずのあの鋏が煤だらけになりながらもそれ以外は全く変わっていない形で美鈴の手に握られていた。

「嘘…」

 おかしな所はそれだけではなかった。鋏同様、美鈴の手も煤に汚れ、軽く火傷を負っていたのだ。
 それが意味するところは一つ。夜更けに美鈴は火が落ち、燻っている焼却炉の中を漁り、鋏を探し出してきていたのだ。無意識に、操られるように。焼却炉に捨てたぐらいではこの鋏の呪いから逃れることはできなかったのだ。


 その日は朝から妖精たちが髪を切られる被害の有無に関わらず、騒ぎ立てていた。犯人は見つからず被害だけが増えることに耐えきれなくなり、屋敷に対して事態の解決と保障を求め始めたのだ。矢面に立たされたパチュリーはてんてこ舞いになっていたが、美鈴は助け船を出す余裕もなく、一人、こそこそと紅魔館から離れていた。鋏を、屋敷から遠く離れた場所に、絶対に、操られて無意識のうちに取りに行けないような場所に捨てに行っていたのだ。


 幻想郷中を飛び回り、結局、考えついた場所は案外、屋敷の近くだった。紅魔館のすぐ傍に広がっている大きな湖。その湖底だ。美鈴は鋏を石にくくりつけると更に眼を瞑ってぐるぐると周り、自分でも分からない方向へ思いっきりそれを投げ捨てた。ぽちゃん、と着水する音さえも聞かず、一体どこへ投げ捨てたのかあえて知らぬまま美鈴は帰ることにした。



 それさえも無駄だった。










――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








「げほっ、ごほっ、えほっ…な、なに…」

 不意に咳き込み目を覚ます美鈴。加え異様な寒気を憶える。今の今まで冷たい水の中へ潜っていたようなそんな感覚。歯の根が合わずがちがちとせわしげに音を立て、寒さに自然と体を抱くがその腕さえも芯から冷え切っている。

 ぽたり、と前髪から水の雫がしたたり落ちてきた。
 寝間着もじっとりなどというレベルを通り越し、今まで水に浸したように濡れている。見れば服には腐った落ち葉や水草が張り付いていた。汚泥特有のえも言えぬ臭気が鼻をつく。

 どうして自分はこんな…まるで…湖にでも飛び込んできたような格好を、そう思って美鈴は愕然とする。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 部屋にできた水たまりに何本もの髪の毛が浮かんでいる。ブロンド、ブルネット、絹黒に銀糸、色とりどりの髪の毛が互いに交差し、束になり、浮き沈み一つの絵画のようになっている。その中央、あの鋏が銀光を湛えていた。

「あああ、まさか、まさか…」

 打ち震える美鈴。蒼白になった顔面は寒さのせいだけではないだろう。考え抜いてもっとも確実だと思える方法で捨ててきたのに。にもかかわらず、美鈴は鋏を取り戻しに行ってしまった。取りに行かされた。無意識の内に操る、なんて話ではない。いくら何でもこの寒いのに湖に飛び込めば嫌でも目を覚ますだろう。それがなかったと言うことは美鈴は完全に鋏に操られていると考えても間違いないだろう。

「そんな…嘘でしょ…」

 項垂れ、そのまま床の上に倒れ込む美鈴。恐怖と絶望で体は麻痺しきっていた。いや、それ以前に一晩中、どこに投げ捨てたのか分からない鋏を探すために冷たい湖に潜っていたのだ。体力の消耗は著しく、心身ともに美鈴は参りきっていた。

「あああ…ああああ…」

 嗚咽を上げ涙を流す美鈴。慟哭じみたそれは些細な罪で、けれど出ることの叶わぬ牢獄に入れられた科人の嘆きに似ていた。
 美鈴は床に突っ伏したままするり泣き、いつしか気を失うよう、眠りの縁に落ちていた。




 そうして、今宵も散髪の夜が始まる。









 美鈴は夢を見ていた。
 それは遠い昔、遠い町で床屋をやっていたある男の夢だ。

 男は腕のいい床屋で毎日のように大勢の人たちが散髪をしてもらうために男の店に訪れていた。客は遠くの街からも訪れ、男の評判は国中に広がっていた。
 朝から晩まで他人の髪を切る毎日。けれど、男は別段、それが苦ではなかった。男は何より髪を切るのが好きだったからだ。だから男は散髪の料金は最低限しかもらわず、嵐の日も大雪の日も、自分が風邪をひいた日も店を開け、訪れる客の髪を切った。
 
 やがて、男の評判は領主の耳にも入り、男は屋敷に呼ばれ領主の髪を切ることになった。
 一生に一度の晴れ舞台。上手くいけばこれが宣伝になってもっと多くの人の髪を切ることが出来ると男は興奮し、前日から鋏の手入れを入念に行い、万全の準備で領主の元へ赴いた。

『領主様、どのような髪型になさいますか?』
『君に任せるよ』

 床屋らしいいつものやりとりを領主と交わし、男はさっそく領主の髪へ鋏を差し込んだ。そうして、いつものように力を込め、ざっくりと髪を切り落とそうとした。けれど…

『いたたたた、なんだ、その鋏は。なまくらではないか。そんな鋏で私の髪を切ろうとしたのか!?』
『いえ、そんな筈はございません。これは私が愛用している鋏で、ずっとこれで仕事をしてきたのです』
『ならば貴様は仕事にかまかけて、鋏の手入れを怠っていたのだろう。おお、なんという不精者。お前は床屋の風上にもおけぬ』

 そう言って怒り狂った領主はその場で男の利き腕を切り落としてしまった。

 実は男の鋏は男が目を離した隙に男の活躍を妬む別の床屋の手によって刃を全て潰され、動刃と静刃を止める要もずらされてしまっていたのである。
 そうとは知らずに片腕になった男はその後も床屋を続けていたが、利き腕を失い更に領主を怒らせた店に寄りつくものなどいよう筈がなく、次第に店は寂れついには潰れてしまった。それでもなお、男は浮浪者になりながらも鋏を片手に無料でいいから髪を切らせてくれと町中を徘徊した。それが衛兵の目につき男はついに捕らえられそうしてそのまま獄中死を迎えた。

 男の亡骸は死して尚手放さなかった鋏と共に共同墓地へ葬られた。

 数百年後、男の話に興味を持った学者気取りの成金がその鋏を手に入れようと男の墓を暴いたが、虫に食われ朽ちかけた遺骸の手には鋏は無かった。




 そうして、物語は冒頭へと戻る。


「っ…美鈴、もう…」

 涙を堪え、洟を啜りながら訴えるパチュリーの言葉を無視して美鈴は鋏をしゃきんしゃきんと鳴らし続ける。その度にパチュリーの紫色の髪の毛が宙を舞い、はらりと落ちていく。

 あれからパチュリーは何とか美鈴を正気に戻そうと訴え、泣き喚き、怒鳴り散らしたがいっこうに美鈴は止める気配を見せなかった。パチュリーの言葉など右から左へ聞き流しているのか、殆ど無言のまま取憑かれたよう―――実際にそうなのだが、盲目的に鋏を動かし続けていた。

 誰かに助けを求めてもいっこうにそれは訪れず、空間を弄るのが好きな人のせいで見た目以上に無駄に広い紅魔館の一角でも特に辺鄙な場所に連れてこられたことが分かっただけだった。いつしかパチュリーも半ば諦めの境地に入り、ほぼされるがまま俯いて、時折思い出したかのように美鈴に止めるよう、力なき声で訴えるだけになってしまっていた。

「………」

 パチュリーが自分の目で見える範囲だけでも相当量の髪の毛が散らばっていた。椅子にくくりつけられている膝はすっかり髪の毛の落ち葉に覆われ見えなくなってしまっている程だ。一体、どんな髪型にされているのか。途中からパチュリーは自分の髪が目に見えて減っていくのを直視できなくなり、自分の前に置かれた姿見を見ることが出来なくなってしまっていた。果たして、終わった後、自分の頭がどうなっているのか――それを考えるとパチュリーは震えずにはいられなかった。切られたこの髪の量から察するにアリスのようなショートですらまだ長いのかも知れない。まさか、と嫌な予感が過ぎる。先ほどから視界に入ってくる切られた髪は、まるで粉雪のように短かった。それが意味するところをパチュリーは考えたくなどなかった。
 けれど―――

「終わりましたよ、パチュリーさま」

 現実は非常である。

「あ、ああ、あ、あ、あ、あ…嘘…っ」

 薄汚れた姿見。そこに映し出されたのは魔女にとって、いや、女にとって最悪の姿だった。暗黒の記憶が蘇ってくる。中世末期。三十枚銀貨が飛びかっていたあの時代。魔女として密告を受け、捕らわれた女たちは教会の名の下、様々な責苦を受けていた。水攻め、焼きごて、むち打ち、尋問。そうして、あの時代、女性の髪は長いものだと決まっていたあの時代で最も簡単且つ効果的に女性に辱めを与える方法――無造作に髪を短く切り取――それがパチュリー自身の頭で再現されていた。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 叫ぶパチュリー。嘘だ嘘だと頭を振り乱しながら、涙を流しながら。
 その頭にはもう殆ど頭髪は残っていなかった。あの鋏でどのように切り取ったのだろう。頭か地肌が見える程刈り込まれ、にもかかわらず下手くそに切り残された髪の毛が僅かに茂みを残したり、そこから一本だけ飛び出すように伸びている場所もあった。男であっても羞恥を憶えるような悲惨な髪型。悪意しか読み取れない丸坊主。女性にとって最早それは悲惨を通り越し、凄惨ですらあった。衆人環視の元、丸裸にされたよりもなお酷い辱めを受けてパチュリーは半狂乱に泣き叫んだ。

「私の、私の髪が! 頭が! ああ! ああっ!!」

 目を見開き、涙を流し、絶叫し、打ち震える姿が鏡に映っている。けれど、それは虚像ではない。現実をそのまま移しただけの鏡像だ。喉がいかれるのではと思える程の絶叫を迸らせパチュリーは己の無残な姿に慟哭する。魔女だから、命の次に大切な髪が奪われたから泣いているのか。違う。女だからこそこの無残に変わり果てた頭に嘆いているのだ。

「あ…あ…あ…」
「お気に…召しませんでしたか…」

 感情のこもっていない声で美鈴が問いかけてくる。鬼哭啾々と歪んでいたパチュリーは修羅羅刹の表情で美鈴を睨み付ける。

「そう…ですか…でも、私は…腕のいい、床屋ですから、失敗する…筈が、ありません。きっと…パチュリーさまの頭が…おかしい、おかしいんですよ。あの領主みたいに…」

 だから、と美鈴は鋏を命一杯開く。

「だから、その間違っている頭も切ってしまいましょう…これで完璧です。素敵な、髪型に…なりま、す、よ…」
「えっ、ちょっと…やめ…!!?」

 開いた鋏の刃をパチュリーの頭に押し当てる美鈴。刃は容易くパチュリーの頭皮に食い込み、血が流れ出す。ぎちり、ぎちり、と刃が食い込む。頭蓋に辺り、進行は止るがsれもいつまで持つのか。顔面を血で汚しながら今度こそ身の危険を憶え、パチュリーは泣き叫ぶ。

「固い…もっと、ちか、らを入れないと」
「や…やめ…めいり…」
「止めなさい美鈴」

 刹那。否、刹那などと言う時間の経過は無かった。プランク時間未満の時間が流れた後、不意に美鈴の手元から抵抗が消失する。
 気がつけば椅子に座っていたパチュリーの姿は忽然と消え失せ、部屋の隅まで移動していた。頭に止血用の包帯を巻かれた状態で。

「もう一度言うわ。止めなさい、美鈴」

 庇うように咲夜にその半身を抱かれながら。

「さく、や…さん?」

 美鈴がその手の呪われた鋏でパチュリーの頭を切り裂こうとする直前、咲夜が時を止めてパチュリーを助け出したのだ。

「咲夜、美鈴は…」
「ええ、様子がおかしいみたいですわね。原因は…あの鋏と見て間違いないでしょう」

 咲夜は優し手つきでパチュリーを床に座らせると血の滴る鋏を構えたままじっと動かない美鈴と向かい合った。

「さささ、さくやさん、これ…欲しかったのでは? ぷぷぷ、プレゼントしますよ」
「ああ、どっかで見た鋏だと思ったら、あの胡散臭い金物屋で売っていた物だったのね」

 呂律の回っていない言葉で語りかけてくる美鈴にいつもの調子で返す咲夜。

「あ、ああ、後、髪、髪を、髪を切って差し上げようと思って…み、みなさんで試し、試し切りをしていたんですよ。パチュリーさまは終わりましたから、つ、つつ、次は咲夜さんの番です、よ」
「そう。でも、遠慮しておくわ。私、この髪型が気に入ってるし」

 無下に美鈴の申し出を断る咲夜。いや、当然か。今の美鈴の言葉は狂人の戯言に等しい。まともに取り合う必要性は微塵もない。
 だが、断られた美鈴と鋏はそれでは納得いかないのか。まるで威嚇するように何度も刃を開閉させた。

「そんなっ! そんなっ! そんなっ!!」

 うつむき、髪を振り乱し叫ぶ美鈴。

「そんな寂しいこと言わないでくださいよぉぉぉぉぉぉぉ!! 切らせて、切らせて! タダでいいですからぁ!!」
「だが、断る」

 打突のように美鈴は鋏を繰り出してきた。苦もなくそれを躱す咲夜。そうしてそのまま、美鈴の脇を走り抜け距離を取る。なるだけ、パチュリーから離れるように位置取りする。

「逃げないでくださいよ! 切らせてくださいよ! お願いですから!」
「しつこいわね。押し売りはお断りよ」

 咲夜に走りより、じゃきじゃきと鋏を振るう美鈴。連続で放たれる攻撃には美鈴が学んでいる中国武術の動きが取り入れられている。変幻自在に鋭く、あらゆる角度から繰り出される鋏。咲夜は何とか紙一重で避けているが、その顔には焦りが浮かんでいる。操られていても美鈴は幻想郷でも屈指の武道家。いや、操られているからこそまだ辛うじて咲夜の動体視力で持っても避けていられるのだ。これが催眠の深度が上がればさしもの咲夜でも避けきれないだろう。逃げ遅れた衣服や肌の先を切り裂かれながらも、咲夜は何とか回避し続ける。

「きら、きら、きらせろ!!」
「………」

 獣の様に、悪魔の如く、叫ぶ美鈴。それはまさしく路地裏を徘徊し、力なき人の頭髪をその頭ごと刈り取る気狂いの殺人鬼そのものだった。
 駄目なのかしら、と咲夜は臍をかむ。
 と、

「きら、きら、きら、切って…」
「?」
「斬ってください、咲夜さん…」

 美鈴の瞳から涙がこぼれ落ちる。
 狂気に浮かされ上気した頬、歪な円弧に歪んだ瞳、臭気さえ漂う吐息。どれもが狂った殺人鬼の物だったが唯一、その丸い杏の様な瞳だけが正気を、悲しみと決意を湛えているのが見えた。

「斬ってください…咲夜さんを傷つけるのも、これ以上、他の人の髪を切るのも…いや…です…だから…」

 心を鋏の呪いに蝕まれながら残った理性を振り絞り、そう、切に訴えでる美鈴。呪いに抗い、罪滅ぼしと暴走する自分を止める唯一の手段だとして、自分を殺してくれと美鈴は涙を流しているのだ。

「………」

 一刹那の逡巡。咲夜の決意は固まった。懐から愛用の銀のナイフを取り出し、それを逆手に持つ。そうして…











「嫌よ」

 美鈴/呪いの鋏が繰り出した一撃を紙一重で躱しつつ、そう明確に告げる。開かれた刃は咲夜のお下げを捕らえる。ばちん、と勢いよく刃が閉じられ中程で束ねた銀糸が断ち切られる。一刹那、美鈴の顔/呪いの鋏の精神に恍惚としたものが浮かぶ。切ろうとして逃げ回っていた相手/前々から狙っていた意中の相手の髪を僅かなりとも切って心が緩んだのだ。

 その隙を突き――咲夜が一気に美鈴の側面に回り込む。

 それは美鈴の左手側。呪いの鋏が握られている手の方。そして、鋏の本来の持ち主の利手――ではなかった方の腕だ。




 領主によって腕を切り落とされ店が寂れ始めた後も、男の元には長年付き合いのある人たちは散髪をしにやって来ていた。それは励ましの行動とも慰めの行動ともとれたが、とうの床屋本人には逆効果でしかなかった。
 なぜならカットが冴え渡っていたのは利手で散髪した時だけで、それを失った後、逆手で行ったそれは当然、見るも無惨な――かつてのものの千分の一にも満たない劣悪な物だったからだ。

 けれど、親しい常連はこう言う。

『前と同じで良くできているよ』

 そんなはずはない。これは失敗だ! 切り損なっている! こんなもの私のカットではない!
 男は自分の理想と現実、それと常連たちのお世辞の三つの矛盾に惑わされ、日に日に精神を病んでいった。いつしかそれは狂気にへと変わっていく。自分は逆手でも利手と同じくすばらしいカットができるんだぞ、と。それを証明するため、男は逆手で他人の頭を刈り続けた。その執念は鋏に宿り、鋏の新たな持ち主に呪いをかけることになる。

 即ち――『逆手でも利手と同じカットをする』

 髪切り魔になると当時にそういう隠された呪いに祟られるのだ。
 解呪方法は無論、逆手でも利手と同じすばらしいカットをしてみせること。けれど、これは不可能に近い。両利きで散髪が上手い人間など地球上にどれだけいることか。その彼の元へこの古びた鋏が届く確率は天文学的に遠いだろう。

 ならばもう一つ、強引ではあるが解呪する方法がある。
 鋏の呪いは逆手によるカットだ。鋏にとって利き腕は既に最初の持ち主である床屋の男がそうであったように喪われてないものとされている。ならば必然。鋏を持つべきである逆手さえも喪われれば? 鋏にかかった呪いのアイデンティティは崩壊する。呪いは解除されるのだ。




 咲夜がそれを知っていたのかそれとも偶然なのかは分からないが、咲夜は手にしたナイフを下から上へ縦位置文字に一閃。美鈴の手首から先を斬る。



 呪いから解き放たれた美鈴は気を失いうつ伏せに倒れた。そのすぐ傍には先に落ちた鋏が美鈴の切りおとされた手首を連れたまま、深々と床板に突き刺さっていた。









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








「本当にすいませんでした、パチュリーさま」

 朝の永遠亭診療所にそんな声が響く。
 真っ白なシーツが敷かれたベッドの上で深々と頭を下げているのは美鈴だ。その左手は包帯が十重二十重に巻かれ痛々しい様を晒している。
 あの後、気絶した美鈴は応急処置が施された後、幻想郷唯一のまともな医者である永琳の所まで連れてこられたのだ。
 幸いなことに切りおとされた手首は切断面が見事なことと永琳の腕が凄まじいことと相まってか、治療が終われば以前と同じように動かせるとのことだった。

 けれど、それで気が済まないのは他ならぬ美鈴自身だった。あれだけ屋敷の住人に多大な迷惑をかけたのだ。腕一本では詫びにならないと思っていたのに、それをくっつけられ、ある意味で美鈴は自分の落とし前の付け所に困っていたのだ。

 いっそ、斬首でも言いつけてくれれば気が済んだのに、と悩んでいた美鈴の元へ訪れたのはその最大の被害者であるパチュリーだった。
 その頭にはいつもの帽子の上に更に分厚い生地のブーケを被っている。後ろから見ればまるでピンク色の泥棒のような格好をしていた。

 こちらもある意味で永琳の治療を受けに来ていたのだった。
 無残にも丸坊主にされたパチュリーではあったが、鋏は呪われていてもカット自体に問題はなかったようで、放っておけばそのうち元に戻るのは確かだった。けれど、当然、そういうわけにはいかず、パチュリーは育毛促進剤…いわゆる毛生え薬を処方してもらうために永琳の元へ訪れているのだった。美鈴のお見舞いはある意味ではついでなのだ。

 だというのに、病室に入るなり深々と頭を下げられパチュリーは困惑する。事のあらましはだいたい、耳に挟んでいるので美鈴に特に非があるわけではないと理解しているのだが…

「まぁ、それでもショックには変わりなかったしね。それにさっさと私に相談しなかったことも評価できないわね。これは私にもお詫びの品を買ってきてもらわないと」
「うう…分かりました…」

 入院費と合わせて相当の出費だ、けれど、仕方ないと美鈴は血涙を流す。
 と、

「ん? 私にもお詫びの品を?」
「ええ、あの鋏だけれど、貴女の考え通り、咲夜の手元へ渡ったわ」






 同刻、紅魔館は咲夜の私室。
 そこで咲夜は件の鋏を手にその今なお切れ味を失わない刃先を満足げに眺めていた。

「ねぇ、咲夜。それって呪いのアイテムじゃなかったの? そんなのもらっても嬉しいのかしら」

 いつの間にか部屋にやって来ていたレミリアにそう突っ込まれつつも咲夜は表情を崩さなかった。

「いいえお嬢さま。私はこれが呪いのアイテムだったから欲しかったのですわ。実は私、こう言った曰く付きのアイテムを集めるのを密かな趣味にしていまして。あの金物屋で見かけた時も、曰くは知りませんでしたが何となく、こう線に触れるものがございまして。、それで眺めていたのですよ」

 ですから、結果オーライですわ、と咲夜は胸を張る。

「いいけど…貴女も門番みたいに呪われないでよ」
「お嬢さま、それもご心配には及びません。ちょっと人生を落第したからって殺人鬼に転向するような軟弱な男の呪いなんて―――Natural Born Killers、生れながらの殺人鬼にとっては二流の雑念に過ぎませんわ」

 胸焼けしたようにげんなりするレミリアに悪戯っぽく笑みを浮かべてみせる咲。その手の鋏が月光を受けて鈍く輝いた。




END
最近嵌った某絞首された時の婦警さんの顔がエロイよ兄ぃな邪気眼系ロリ漫画からインスピ、っていうーか設定丸パクリで一筆。

>>10/11/25/7:29追記
ぬかったー!
ハサミって右利き用と左利き用、二種類あるじゃん! そりゃ、逆手で使えば切れないよ! 今朝、布団の中で気がついたよ! 俺のドジっ虎! ドジっ虎!
sako
http://www.pixiv.net/member.php?id=2347888
作品情報
作品集:
22
投稿日時:
2010/11/24 16:12:23
更新日時:
2010/11/25 07:31:46
分類
美鈴
咲夜
パチュリー
散髪
スキ鋏
1. 名無し ■2010/11/25 02:16:06
インスピ元が分からない俺涙目

捨てても戻ってくるというのは呪いのアイテムとしては定番だけど、その呪いが散髪ってえのは珍しい
断髪されたパチェの絶望感と、どうやっても逃れられない美鈴の磨耗感がよかった
そして咲夜さん、まじ瀟洒
2. NutsIn先任曹長 ■2010/11/25 08:06:30
美鈴が呪いに苦しんでいるのを見て、咲夜さん早く帰ってきて、いや、髪切りデスマッチが見たいわけではないが…、などと悶々。

永遠亭があれば、ある程度の無茶ができますね。咲夜さんが採ったみたいな。
咲夜さん、よく短時間で呪いの本質を見抜きましたね。
と思ったら、なるほど、オチが見事。
3. 名無し ■2010/11/25 17:20:49
楽しく読ませて頂きましたよ
昨日の夜に半分くらい読んで寝ましたが、先が気になり続きをずっと考えてました
絶対小悪魔が犯人だと睨んでいたわけですが。
こう、考えさせられるものがありますよね

咲夜さんカッコいい!とか
咲夜さん時間を止めて賭け事は禁止だよ!とか
思いますね
4. 名無し ■2010/11/25 20:32:59
この咲夜さんは底知れなさがあってかっこいいな…ぶっちゃけ主人よりカリスマが(ry
しかし『髪が切られるだけ(殺人未遂もあったが)』なのにここまで恐ろしく書けるなんてすごいなー

>俺のドジっ虎!
なんだ作者は星ちゃんだったのか…
5. 名無し ■2010/12/10 02:49:16
産廃だというのに、何故か読み終わった後にすっきりとした気持ちになってしまったw

楽しく読ませてもらいました。呪いに苦悶する美鈴のシーンもお気に入りですが、咲夜さんが瀟洒過ぎて全て持っていかれてしまった…
6. ギョウヘルインニ ■2014/01/28 00:53:14
格好良い話でとても良かったです。
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