東方葬送夢7

作品集: 23 投稿日時: 2011/01/30 15:59:33 更新日時: 2011/01/30 15:59:33
外の世界、とある病院に勤務する医師の手記より――――



某月某日
数日前から、私の担当していた患者のいる病室の隣に、ある女性が入院していた。
どうやら、妊娠の経過調査を行うためのようであったようだが、空気がひどく甘ったるくてしょうがない。
幸せそうに微笑む美しく若い妻と、同じく……いや、それ以上の笑顔で嬉しそうに『ギデオン』、『ギデオン』と繰り返す初老の夫。
生まれてくる子供の名前は『ギデオン』と決めているようであり、超音波スキャンで生まれてくる子供が男の子ということは分かっていると聞いた。
息子さんは大匙10杯分くらいのチョコレートココア以上にベッタベタに溺愛されることを覚悟したほうがよさそうである。
二人の顔からは笑顔が絶えず、まさに幸福の絶頂と言ったところだ……まったく、羨ましい限り。
思わず、こっちも笑顔になってしまうではないか。
私も、早く嫁さんをもらいたいものだ。



某月某日
……なんてことだ。
数日前の幸せそうだった夫婦の妻が、麻薬中毒者の強盗に襲われ、流産となってしまったようだ。
励まそうとも思ったが、二人ともあまりに憔悴しきっており、声をかけることさえも躊躇われてしまった。




某月某日
……神も仏もないものか、先日の夫婦の夫のほうが、摘出不可能な脳腫瘍に侵されており、余命はあと半年と聞いた。
今は、病院に入院している……というよりも運び込まれたようであり、その理由は、絶望のあまりの自殺……
幸い、一命は取り留めたようであったが……



某月某日
しばらく経つが、あの夫婦は不幸に負けずに頑張っているだろうか?
そういえば最近、奇妙な殺人事件が起こっているようだ。
なんでも、頻繁に自殺を繰り返している男がカミソリや有刺鉄線の中に置き去りにされて殺されたり、
放火魔が全身に可燃性の油を塗ったくられた揚句、蝋燭だけの暗い部屋の中に閉じ込められて殺されたり……物騒な世の中になったものだ。

それにしても、今日は外科の先生と打ち合わせの予定が入っていたのだが、待てども待てどもいらっしゃらなかった。
休みの連絡も入っていないとのことだったが、何か急用でも出来たのだろうか?


































































麻薬中毒者の強盗による妻の流産

そして医師による『摘出不可能な脳腫瘍』という名の死の宣告……

あるいは、不幸がどちらかだけだったとしても、“ジグソウ”は生まれたのだろうか?

出会いや境遇によって、あるいは誰もが狂う可能性を持つ。

……それでも、“IF”は語られないまま、語る意味さえも無いまま……“ゲーム”は続く。




















































































“東方葬送夢7”




















































霊夢と早苗が、魔法の森で最大の危機を味わった日から、時間は遡る――――


「……ん……」


その場所が何処なのかもわからない暗闇の部屋の中、一人の見目麗しい少女が寝返りをうった。
部屋の隅には申し訳程度に照明が灯されており、少女の姿をかすかに映し出している。
青一色のワンピースタイプのブラウスに、二の腕を包む袖は穢れのない白色。
胸元には濃い赤のネッカチーフを纏っており、すぐ側には、古代中国の宦官がつけるような帽子が転がっている。

装いは地味そのものだが、少女の外見は仮に十人の人間が見ても地味などではありえない。
さらに付け加えるなら、顔のほうも極上とまでは言えずとも、十人の人間の殆どを魅惑できるほどに美しかった。
長い睫毛に、切れ長の吊り目が意志の強さ――――有り体に言うなれば“頑固さ”を感じさせ、
横たわる少女のラベンダーのような薄紫の髪は 胸元まで艶かしいラインを描きながら伸びている。
やや大きめに膨らんだふくよかな胸が、地味なワンピースの上から女性らしさを自己主張をしている。
めくれ上がったスカートから見えている太腿は、ほどよい肉付きであり、男を誘惑するのには何の不十分も無い。

少女の印象を一言で言い表すのならば、堅物の学級委員長といったところであろうか。
もっとも、ほどよく膨らんだ胸は、少女と形容するには些か語弊がある。
れっきとした、大人の女と呼ぶのがふさわしいだろう。


「う……ぁ……?」


小さな呻き声と共に、少女の瞼がぴくぴくと痙攣し、両の瞳がゆっくりと開いてゆく。
固い床の上に寝かされ、酷い寝起きを味わった少女はしかめつらを浮かべ、床に手をついた。
頭痛に苛まされるように頭を抑え、軋む身体を解すようにように伸ばしながら、不機嫌そうに身体を起こす。


「こ、ここは……」


薄暗い部屋……少女の目に映る光景は、彼女が知る どの場所でもなかった。
完全に目を覚まそうと、少女は頭を振りながら記憶を蘇らせるが、意識はまだ混乱の最中にあるため、断片的にしか思い出せない。
少女は、目を閉じながら記憶を昨日の晩へと遡らせる。


「なんで、こんなところに……酒は、飲んでなかったはず……」


覚えている記憶は……満月の夜、気を張り詰めながら 溜まっていた仕事を何とか終わらせた辺りが最後だった。
その直後に、彼女の友人が家に訪れて酒でも飲み交わしたのかとも考えたが、そもそも少女はそれほど酒を飲むほうではない。
仮に飲むときがあっても、先に酔いつぶれるのは少女の友人のほうであり、介抱する役目を負うことがほぼ100%だった。


(……っ、この臭いは……?)


少女は、奇妙な悪臭が周囲に漂っていることに気付いた。
まるで、何かの肉が腐乱しているような……胸をむかむかさせる臭い。
その臭気の根源が何処にあるのかと首を廻し、周囲を見通すが、薄暗い闇の中では何も見えない。
いや……よく目を凝らせば部屋の奥のほうに何か影のようなものが見える。
少女もそのことに気付き、影に向かって手探りで近寄ろうとした瞬間――――


バチン……!!


「――――ッぁ!!」


大きなスイッチ音を立てて、部屋の内側に光が弾けた。
目がくらむかと思うような閃光に、少女は悲鳴を上げ、両腕で顔を覆って自らの瞳を護る。
ゆっくりと息を整えながら、目を光に馴染ませ、瞳の焦点をあわせてゆくと、少女の目の前には異常な光景が広がっていた。


「…………?」


暗闇の中、影があったところには、一体の人形が椅子の上に座ったおり、少女に視線を投げかけていた。
血の一滴さえも通わないと思わせるような白一色の肌に、頬に描かれた赤い渦巻きと赤い唇が道化のような印象を孕んでいる。
そんな顔の上に、黒く虚ろな瞳孔に、血のように赤い虹彩が不気味に映えていた。


(……人形? あの人形遣いか?)


“人形”という存在に、少女はかつて戦ったことのある金髪の少女のことを思い出していた。
たまに人里にも買出しに来る人形遣いが こんな悪趣味な人形を作ったのかとも考えたが、少女はすぐにその考えを打ち消す。
人形遣いが従えていたのは、少女を模した可愛らしいものが殆どであったはず。
間違っても、ここまで嫌悪を催させるような人形を作る人物ではなかった。


「………………」


少女は人形から目を離すと、明かりが灯った事により、暗闇のヴェールが剥ぎ取られた部屋の中を見回した。
人形の奥には、まるで牢獄のような鉄格子が嵌められており、その先に赤い緞帳が垂れ下がっていた。
そして、牢獄の手前側には、見たこともない鉄製の箱が置かれている。


「これは、一体……」


少女は、背後や左右に首を向けるが、いずれの方向にも鉄の壁があるだけであった。
所々錆び付いてはいるものの、見るからに頑丈そうなそれを力ずくで破ることはほぼ不可能といっていい。
もう少し探せば、どこかに出口はあるのかもしれないが、目に付く限り、少女は人形と共に牢獄の中に閉じ込められていた。
息の詰まるような圧迫感と共に、纏わりつくような不安が少女の胸に湧き上がる。
表向きは平静を保っているものの、内心では不安に耐え切れずに、少女は出口となりうる鉄格子のほうに歩いてゆく。
そして、人形の側を通り過ぎた瞬間――――


『目が覚めたかね、上白沢 慧音……?』

「――――ッ!!??」


しんと静まり返った牢獄のような部屋の中に、老人の嗄れ声が響いた。
少女――――上白沢 慧音は、至近距離で背後からいきなり声をかけられ、反射的に振り返った。
とはいえ、その場所には、もちろん誰もいない。 相も変わらず、薄気味悪い人形が、慧音のほうに虚ろな視線を向けているだけだった。
一瞬、幻聴でも耳にしたのかと言う考えさえ、慧音の脳裏によぎる。


「…………気のせい、か?」


昨日からほぼ徹夜作業に近い重労働をこなしていた上、硬い床に寝かされていたため、寝起きは最悪だ。
幻聴の一つや二つ聞こえても、それほどおかしくはない……そんな風に考え、慧音は頭を押さえながら鉄格子のほうへ振り返った。


「……………………――――!?」


だが、次の瞬間、慧音は怖気の走るような驚愕の事実に気付いた。
部屋に灯りがついたとき、人形は慧音のほうを見据えており、彼女は人形の側を通過して鉄格子に近づいた……
そして、声をかけられて振り返った時も、人形は慧音に視線を注いでいた。
つまり、人形が首を向けている方向が、先程とは――――


『おはよう、よく眠れたかな?』


再び、背後から声をかけられ、慧音は息を呑んで人形のほうへ向き直る。
振り返った慧音の視線の先では、人形がパクパクと口を動かしていた。
その動きは、彼女が今まで逢ったどの人形よりも無機質で、まるで機械そのもの。
同時に、その人形に込められた殺意めいた“悪意”を慧音に与えていた。


「……にとり……?」


慧音の脳裏に、人懐っこい河童のエンジニアの愛らしい笑顔が浮かぶ。
自動操縦で人形を動かしたり喋らせたりできる機構を作れるのは、おそらく幻想郷の中でもそういるものではない。
だが、やはり人形遣いの姿を思い浮かべた時と同じ理由で、慧音はその考えを打ち消した。


「……何が……目的だ?」


身体の内側から湧き上がる怖気を無理やり沈めながら、慧音は人形に――――いや、人形を操っている者に静かに問いかけた。
けれども、人形はそのままピクリとも動かず、何も言い出すことはなかった。
不気味な静寂が周囲を包み込み、慧音は次第に自らの身に襲い掛かる危険を予感し始めていた。
それこそ、命に関わる程の緊迫を孕んだ危機感を。


(……これは、一体……?)


慧音には、人形の主が この無機質な部屋の中で何を行うのか理解できない。
慧音自身、それ程裕福な生活をしているわけでもなく、かといって特に盗まれて困るような物は一つを除いて、皆無といっていい。
唯一、盗まれたら困るもの――――幻想郷の歴史を編纂した本はあるが、少なくとも彼女の知る限り、この世界の住人が欲するとは到底思えない。
そもそも、幻想郷の歴史などというものに関心を示すものは皆無といって良いのだから。


『……お前は、寺子屋という学校を開き、子供達に“歴史”を教えていたな』


そうして、人形はゆっくりと喋りだす。
嗄れ声で紡がれる幾つかの単語に、慧音は注意を引かれた。
“寺子屋”“子供達”……慧音は、犯人が彼女自身を知っていると確信する。


『“歴史”とは、人の取捨選択の積み重なり。
 そして、人が過去の過ちを知り、未来へ生かすための“標”だ』


つぅ……と、額に冷たい汗が頬を伝って顎に流れつき、腕でそれを拭う。
けれども、その胸の奥で、異常な速度で膨れ上がる怖気の走るような感覚は拭い去れない。
じっとりと纏わりつく汗と、それ以上の粘度で心にへばりつく悪寒に、慧音は薄ら寒いものを感じながら一歩後ずさった。


―――― ……だよ、こ……!! ―――― ちょ……お……! ――――


「なっ、なんだ……」


突如として耳に入ってくるざわめきにも似た声に、慧音は身構える。
声の方向は、緞帳の奥から……かどうかは定かではないものの、其処からとしか考えられなかった。
声の大きさも――――何を言っているのかまでは聞き取れないが――――そこまで小さなものでもない。
少なくとも、四方の壁の厚みはかなりのものであり、音がその先から聞こえることは有り得ないはずだ。
また、声の主は一人ではなく、比較的若い男女が数人であるようであった。



―――― ひぃ……たす……!! ―――― たすけ……いや……! ――――


「…………?」


ただ、どうやら声の主たちは自ら望んで幕の裏にいるわけではないことに、慧音は感づき始めていた。
ざわつきは次第にヒステリックな喚き声へと変わっているようであり、悲鳴や『たすけて』という単語を耳にすることができる。
ただ、慧音の意識を引いたのはそこだけではなく、むしろ その声が全員どこかで聞き覚えのあることだった。
流石に、声の主が誰なのかまでは思いだせなかったが、どこかで よく耳にしていた記憶がある。


『もっとも、歴史の大切さについては、君はよく知っていることだろう。
 そこで、今日はこんな趣向のゲームを用意した』


そうして、人形がそこまで喋ったとき、鉄格子の先にあった緞帳が、さっと左右に開いた。
部屋に元からあった照明と、幕の裏に置いてあった赤みがかった照明が混ざり合い、“ゲーム”の要を映し出す。


「――――ッ!!」


眼前に映る光景に、慧音は息を呑んで絶句した。
そこには5組の椅子と机が2列に、前方からジグザグに設置されてあった。
椅子はひじ掛けが付いているような、4つ足のオーソドックスなタイプのものだが、その材質は鈍色に光る鉄製のもの。
机も同じく4つ足の鉄製であり、両方とも角の丸めなどは全くなく、薄暗い舞台と相まって無機質さに溢れている。
そして、机も椅子も、床から動かないように足が溶接か何かで縫い付けられていた。
だが、慧音が絶句した本当の理由はそんなものではなく――――


『……今、君の目の前にいるのは、かつての君の教え子達だ……全部で5人いる』

「た、太助……楓 に 小太郎、鈴……銀次まで……」


――――椅子に座らされている5人が、人形の言葉どおり、慧音のかつての教え子だったからだった。
前から順番に、太助、楓、小太郎、鈴、銀次――――数年前まで寺子屋に来ており、その中でも特に仲良しであった人里の子供達。
尤も、最年少の鈴でも16〜7辺りの年齢であり、全員が今は職に就き、寺子屋は卒業していた。


「どうして、ここに……?」


呻くように呟きながら、慧音は久しぶりに目にする教え子たちを、前から順に見回してゆく。

太助は、5人の仲良しグループの中でもリーダー格。
子供のころは率先して皆をぐいぐい引っ張ってゆくタイプであり、その溢れる冒険心の後始末は慧音を悩ませたものだ。
今は、家業を継いでいると、慧音は聞いている。

楓は、子供の頃は目立たない、地味な女の子だった……はずなのだが、数年前とは見違えるほどに変わっていた。
しっとりとした女性らしさと垢抜けた雰囲気を身につけており、他の4人と一緒にいなかったら誰か判らなかったほどだ。
噂では、太助と交際をしていたと慧音は聞いていた。

小太郎は、裕福な商家の一人息子。
5人の中では勉強も運動も良くできており、5人の中では唯一頭脳派と言える子だ。
5人の抑え役となることも多く……もし、この子がいなかったら、5人とも無謀な冒険の餌食となって命さえ危なかったであろう。
今は、親の跡を継ぐべく、修行を続けていると聞く。

鈴は、最年少で、ほんの3〜4年前まで寺子屋に通っていた。
大人しく、寂しがり屋な性格で、幼かったころは授業中に泣き出し、慧音を困らせたものだ。
今は、家業の家事手伝いを行っていると聞いていた。

銀次は、子供の頃は 所謂やんちゃ坊主で、少し不良のような雰囲気の少年だった。
5人の中では最年長であり、滅法喧嘩が強く 仲間たちに手を出されたら必ず報復をするような男。
気性は荒いが、誰よりも仲間意識の強いことを慧音は覚えている。
今は、日雇いの仕事などをこなしながら、料理人の勉強をしているという話だ。


「せ、せんせい……?」

「なんで、ここに先生が……?」


思ってもみなかった恩師の登場に5人とも目を丸くして驚いているが、慧音は 彼らの置かれている様相に異様なものを感じた。
全員が、椅子に座らせられたまま、肘掛に両腕を、椅子の足に両足を、さらには背もたれに腹部をそれぞれ鉄製の枷で縛められている。
彼ら5人の胸元には、三日月のような形の内側が鋭い刃となった刃物があり、その端から鎖がネックレスのように彼らの後頭部へと伸びていた。


「なんで、お前達がここに……それに、その格好は……?」


そして、教え子達の首には、一人残らず何か機械のようなものが付いた首輪が取り付けられている。
あまりに異常な光景に、慧音も息を詰まらせ、狼狽を隠すことが出来ない。


「せ、先生ッ!! たすけてくれよぉぉ」

「先生っ、なんなんですか、コレは何なの!?」


慧音も、慧音の教え子たちも、互いに、何故 相手が此処にいるのか、何故 自分が此処にいるのかわからないまま、混乱の渦中にあった。
5人は口々に助けを求めながら、逃れるようにもがくものの、鉄の枷はびくともせず身動きもままならない。
慧音も彼らを救い出したかったのだが、間に鉄格子があるために近付くことができない。
縋りつくように檻を掴み、あらんかぎりの力を込めて揺すりたてるが、それは教え子たちの枷と同じく まるで揺らぐこともなかった。


「お前達……待っていろ! 今、助けてやるから……!!」


慧音の言葉に、少なくともかつての恩師は敵ではないことに気付いたのだろう……5人は、多少となり落ち着きを取り戻したようだ。
だが、戒められ、殆ど生殺与奪を握られている状況では、恐怖を押し殺しながら耐えることが精一杯と言ったところであろう。
そんな最中、人形はさらに悪意に満ちた発言を続ける。


『今から選んでもらおう、上白沢 慧音。 誰を生かし、誰を殺すのかを』

「……な、に……?」


慧音も含め、その場にいる全ての人間の動きが凍りついた。
いや、凍ったのは動きだけでなく、その思考もだ。
これまで、おぼろげであった人形を仕掛けた者の意思――――それが、“悪意”……いや、明確な“殺意”であることを、この場に囚われたすべての者が悟

った。


『お前には、今 2つの選択がある。
 ひとつは、君の目の前にいる教え子達を全て犠牲にすること。
 君は一切傷つくことはないが、その代わり教え子達は全員死ぬ』

「な……」


人形が口にする あまりに救いのない未来に、慧音は息を飲み絶句した。
心臓の鼓動音がゆっくりと上昇し、全身が小刻みに震えてくるのが手に取るように自覚できる。
それは、慧音の子供たちも同じ――――いや、この部屋の中で、可能性の先にある“死”を宣告された今、彼らの胸中やいかばかりか。
もっとも、今は5人のうち、誰一人言葉を紡ぐことはできず、ただ蒼褪めた表情に恐怖を貼りつかせたままだった。


(……ッ、落ち着け……選択肢は、もう一つある! なら、助けるチャンスはあるはず……!!)


慧音は、ごくりと生唾を飲み込み、必死で自らの平静を保つことに意識を割いた。
自らの身体を抱きかかえるように、両手で両肘を掴みながら、身体を襲う悪寒を抑え込む。
人形が口にしたのは――――その言葉を信じるならば、という前提の上でだが――――あくまで選択肢の一つ。
だが……


『もうひとつは、5人のうち、誰かを救うこと。
 教え子達の横にあるランプが点灯した時に、箱の内側にあるボタンを押せ。
 君の身体を生贄として、教え子の命は助かるチャンスを与えられる。
 ただし、君が生かすことができるのは1人だけだ』

「な……なん……!?」


僅かな希望を抱いていた慧音を、人形の言葉が絶望へと叩き落とす。
“身体を生贄”という言葉が何のことなのか 慧音にはわからなかったが、いずれにせよ助けることができるのは一人。
他の4人は死ぬという宣告に、愕然としたまま呻き声さえもあげることができない。


「う、嘘だろォ……!?」


かろうじて呻き声のような悲鳴をあげた銀次も、表情を蒼白にさせたまま、それ以上言葉を紡ぐことができない。
一番気の強い彼でさえこうなのだから、残りの4人の怯えようたるや、もはや目も当てられない有様だった。
全員がガタガタと震えており、顔は蒼白というよりも、もはや血の気さえない。
あまりの事態に、これは お芝居なのではないかという希望めいた考えさえ、慧音も含めた 全員の頭に浮かぶ。
人形の口調は あまりにも強く、重い……到底、冗談には聞こえなかったが、そんな風に考えでもしない限り、自らの恐怖を抑える術がないのだ。


「――――君達は冗談と考えているかもしれないな……これが遊びではないことを教えよう。
 付け加えて、“力”も封じられているから注意したまえ」

「……え?」


そんな、怯えた心の行き着く先を先読みしたかのように、人形はさらに告げる。
誰かが、呆けたような声を上げた瞬間、人形と鉄格子のちょうど中間のあたりに、何かが降ってきた。


ズシャッ!!


柔らかい肉が床に叩きつけられた激しい音が部屋中に響く。
囚われた慧音の教え子達は全員、“それ”を目にした瞬間悲鳴と絶叫を絞り上げた。


「ひぃ……っ、きゃああああああアアアアアアアアッ!!」

「うっ、うわああああああああああッ!!」

「なんだよアレ!! なんだよアレはああああッッッ!!」


パニックに陥る5人とは裏腹に、慧音の心はぞっとするほどの冷たさに苛まされていた。
いや、むしろあまりの事態に思考を紡ぐことが出来ないというほうが正解であろう。
天井から落下してきたのは、おそらく美しい見目を持っていたであろう、長い白髪の少女だった。
“おそらく美しい見目を持っていた”というのは、既にその少女が息絶えているためである。
その皮膚や肉は腐りかかっており、何百、何千匹もの蛆虫が頬、首、腕……
服に覆われていない、外気に晒されている皮膚から肉までを喰らうべく、うじゃうじゃと蠢きまわっていた。
おそらく、衣服――――サスペンダーに吊られたズボンやブラウスの内側も、蛆に食われているに違いない。
特に、顔は酷い有様となっており、瞳孔の開いた……というよりも、瞼までもを食われきった辺りは骨までもが露出していた。
慧音が部屋で目を覚ましたに居るときに感じた悪臭は、その少女が発していたものだった。


「も、もこ…………!!」


辛うじて一言、慧音は言葉を搾り出す。 慧音は、その少女――――藤原妹紅 に見覚えがあった。
いや、見覚えがあるどころの話ではなく、物言わぬ躯となった遺体は、彼女の親友とも言える存在だった。
慧音の内面で、これまで妹紅と過ごしてきた日々が駆け巡り、感情が激しく揺らぐ。


「そんな……馬鹿な……!?」


あまりに信じがたい光景に、慧音は驚きを隠せない。
完全に死んでしまっている妹紅が信じられないからだ。
慧音の親友である藤原妹紅は蓬莱人――――その種族としての特性は“不死身”。
首を落とそうが、毒を浴びせようが、“リザレクション”と呼ばれる蘇生能力で復活する。
慧音自身、妹紅が蘇生する光景を何度も見たことがあり、例え粉微塵にしたところで 死ぬ事はあり得ないはずなのだ。


―――― “力”も封じられているから注意したまえ


人形の言葉が慧音の脳裏に蘇る。
不死である筈の妹紅が死んでしまっていることは、おそらく能力を封じられてのことに違いないと、慧音は胸中で断じた。
そして、同時に自分自身の能力も封じ込められていることを自覚し、慧音は臍を噛む。


(本気……なのか……!!)


妹紅の遺体に、能力の封じられた閉鎖空間。 そして、死刑台に座らされた5人の教え子。
此処まで手の込んだ準備をしている以上、慧音の教え子達を殺すというのも冗談などでは有り得ない。
そんな確信めいた危機感が、慧音から内面の冷静さを剥ぎ取り、恐怖に怯えさせる。


「“歴史”に学び、誰を生かし、誰を死に至らしめるかを決めろ。
 最後まで気を抜くことなく、な」

「ッ!! ま、待て! 待ってくれ!! 何が望みなんだ!?」

「一度限りの歴史……“人生”が、どれだけ大事か理解してもらおう
 ……では、 ゲ ー ム ・ ス タ ー ト 」


その瞬間、明らかに部屋の中の空気が変わったことを、囚われた全員が悟った。
実際には“ゲーム”の開始が宣言されたと共に、人形が喋らなくなっただけ。 それ以外は、何も変わることは無い。
けれど、人形の主が持つ“殺意”が、この部屋にある無機質な“何か”に委ねられたことは間違いが無い。


「せ、先生っ! せんせええっ! たすけ、たすけてぇっ……!!」

「ッ! ……す、すまん!! 今、助ける!!」


銀次や太助は力ずくで拘束から逃れようとしているが、鉄製の枷はがたつく様子さえ見られない。
その強靭な縛めを破れるとするならば、おそらくは妖怪の怪力以外には無く、人間である彼らが抜け出すことは到底叶わないに違いない。
それが頭では理解できていたとしても、止まっていると恐怖によって心を折られてしまうため、太助たちは動かないわけにはいかないのであろう。


「――――くそ、まずはこれか……!!」


駆け寄ろうとする慧音だったが、目の前には鉄格子があり、これを破壊しなければ教え子たちを助けることは出来ない。
あらん限りの力を込めて鉄の棒を掴み、揺すり立てるが、それは5人の鉄枷と同じく びくともしない。
一見、人間のように見える慧音の細腕では不可能であるようにも見えるが、"妖怪”である彼女ならば楽々破壊できるはずだ。
だが、妖怪としての力までもを封じられている今、その鉄格子は慧音の力では破壊できるものではなくなっていた。


ビィィ――――ッ!!


「「「「「「――――ッ!!??」」」」」」


その場にいる全員が、部屋中に響きわたる 甲高いブザー音に息を呑む。
音源はどこかと視線を巡らせると、一番前の席に座っていた太助の横にあるランプが赤く点灯していた。
驚いたように首を捻っている太助の顔が赤く照りだされ、次第にその表情が恐怖と焦燥へと歪んでいった。
おそらく、太助自身も本能的に気付いたのだろう、真っ先に死のゲームを体験するのが自分自身であることを。
けれど、殆どの者はランプの意味を理解することが出来ずに、次に何が起こるのかを息を呑んで待ち続ける。


ガチャ……ガチャ……


金属がぶつかり合い、擦れる音が全員の耳に届く。
けれども、その音が何処からしているのか、誰も気付くことが出来ない。
数秒後に、太助のすぐ後ろにいる小太郎の表情が歪み、次いでその左斜め後方にいる鈴が絶望の表情を浮かべた。
全員の首からネックレスのように垂れ下がっていた半月状の刃――――太助のそれだけが、首に引き寄せられている。
チェーンは太助のすぐ後ろ……椅子の背もたれの直下にあるウインチによって巻き取られていた。


「ちょ、や、やべぇっ!! 」

「な、何だ!? た、太助っ! 何が起きてんだよ!!??」


小太郎の身体が影となり、銀次は何が起きているのかわからずに叫ぶように問いかける。
尋ねられた太助は応える余裕さえもなく、あらん限りの力を込めてガタガタと激しく身体を暴れさせた。しかし、相変わらず拘束はびくとしない。
銀次も、途切れることなく続く金属音と、狂ったように暴れる太助の様子によって、何が起きているのかを理解した。


「た、たすけて! せんせっ、せんせえぇぇぇッ、ボタンを!!」

「待ってろ! 今、助けてやる!!」


自分一人の力では脱出できないことに気付いた太助は、慧音に助けを求める。
無論、慧音自身も指をくわえて待っていたわけではなく、太助が暴れる以上の勢いを持って鉄格子に拳をぶつけていた。
鉄格子さえ破壊できれば、後は慧音が全員の首にかかるギロチン――――死のネックレスを外すだけで良いのだ。
けれども、鉄格子は曲がりさえしない。


ガチャ……ガチャ……


「たすけッ、たすッ――――ぐぅぅッ!?」


慧音が鉄格子の前で四苦八苦している最中にも、ウインチにより鎖は巻き取られてゆく。
その速度は欠伸が出るほど遅いが、三日月の刃は、胸元から鎖骨へ、鎖骨から首元へと、まるで太助の恐怖を煽るように確実に追い詰めていた。
太助自身は首を背後に逸らし何とか刃から首を逃がそうとするが、それも限界はある。
そして、とうとう太助の首に半月の刃が届いた。


「せんせ……ひぃ、ぐぅぅ……」


太助の喉から恐怖の悲鳴が迸るが、その声はあまりにも小さく掠れたような呻き声にしかならない。
それも無理はなく、ヘタに喉を動かそう物ならば、その弾みに首を切ってしまいかねないのだ。


「ま、待てッ! やめろっ、やめてくれぇぇっ!!」


慧音はとうとう鉄格子を破壊することを諦め、姿を現さぬ殺人者に懇願を始める。
もっとも、だが、周囲に響くのはウインチの巻き取り音と太助の悲鳴だけであり、救いの手が差し伸べられることはない。
物言わぬ機械であるウインチは、太助に一切の情を賭けることもなくその喉に至ったギロチンをさらに喉に食い込ませてゆく。


「ひぃ……ひぃぃ……」


はじめは首筋に当たっているだけだったそれは、次第に 太助の皮膚にボンレスハムのような跡をつけてゆく。
そして、程なくして喉からつぅ……と赤い雫が伝った。 血の筋は、時がたつたびにどんどん数を増している。
太助は、確実に迫り来る死に怯え、その頬に涙や鼻水といった液を幾つも零しながら、震えることしか出来なかった。
その股座からは、恐怖のあまり生暖かい琥珀色の液体が迸っており、周囲にアンモニアの悪臭が漂うが、妹紅の強烈な死臭によって打ち消される。


「た、頼む! 頼むからやめてくれぇぇっ!! お願いだ! なんでもするか――――」


慧音は両手で鉄格子を掴んだまま、天を仰ぐようにして“ゲーム”の仕掛け人に叫んだ。
だが、その言葉は最後まで続くことはなかった。


ブシャアアアアアアアアアアッ!!!


その前に、慧音の視界の端で赤い花火が爆ぜ、彼女の頬に赤い飛沫が小さな斑点を作った。
慧音が恐る恐る太助に目を下ろすと、太助はビクビクと全身を痙攣させながら、その首から津波のような勢いで鮮血を迸らせる。
噎せ返るような血の臭いが、死体から漂う悪臭すら打ち消し、椅子の前に血の海を作ってゆく。
太助の横にあった赤い灯りは、既に消えていた。


「が……ふ……」


太助は全身を小刻みに震わせていたが、間もなくその動きを永遠に止めた。
だが、物言わぬウインチモータはそれでも稼動を止めることは無い。
みちみち、と肉を切断する嫌な音を立てながら、太助の躯を椅子の背もたれに磔にするようにして、その首を切断してゆく。


「あ……あぁ……」


絶望に呻く慧音の目の前で、かつての教え子の気管が切り裂かれ、その頚椎がゴリゴリと音を立てながら削り切られる。
そして、文字通り首の皮だけで繋がった太助の頭が、背後――――小太郎の方にべろんと捲れ、垂れ下がる。
その瞬間、瞳孔の開いた太助の死体と目が合ったのだろうか、小太郎は、うっ、という呻き声を上げると、自らの膝の上に胃の中の物を吐き戻した。


カシャン……!!


床の上にギロチンのネックレスが転がると同時に、重量に耐え切れなくなった太助の首の皮膚がちぎれ、頭がごとりと落下した。
それは、床に落下した鎖を未だに巻き取りつつあるウインチにぶつかった後、床の上を転がり、2列に並べられた机の間に転がり出る。
奇しくも、恐怖と絶望の貼りついた太助の断末の表情は、慧音に向けられた。
そして、その瞬間 死刑を宣告された者たちの恐怖が爆発した。


「た、太助ええええッ!!」

「キャアアアアアアアアアアッ!! やだっ!! やだぁぁぁ!!!」

「う、うわああああアッ!! たすけてっ! たすけてくれええええっ!!」


処刑台の上に座らされている4人の、喉を絞りきるような絶叫が部屋中に響き渡る。
絶望という言葉が凝縮されて、具現化したような悪夢の部屋の中で、誰もがパニックを起こしながら泣き叫び、神に助けを乞う。
けれど、その場から逃げ出したいと願っても、どんなに力を込めても外れない拘束は、残された死刑囚候補者達に希望の欠片さえ抱かせない。
そして、慧音はその救いのない光景を、完全に放心しきったまま眺め続けることしか出来なかった。


「……太助…………」


ただ一言、これからも続くはずだった歴史の全てを潰された 哀れな教え子の名前を呟く。
周囲から光が消え、叫喚の音さえも消えてゆく。 まるで世界に独りきりになったような恐ろしい感覚に慧音は囚われていた。
妹紅の肢体を見せ付けられた時点では、まだ冗談で済まされる部分はあり、慧音はそれを心から望んでいた。
元々不死である妹紅のことだ。 そういう意味では殺したところでジョークの一言で片付く部分はある。
だが、現実は甘くなかった。


「そん、な……」


慧音には、太助が恨みがましい視線を向けているように見えていた。
ボタンを押せば救えたはずなのに、慧音は救わなかった。 そんな無念と慙愧が、慧音に激しい罪悪感を抱かせる。
けれど、決して他の4人よりも太助を疎んじていたわけではない。 誰も選べない。 選ぶことなんて出来ない。
皆、慧音が心から愛し、慈しんできた可愛い教え子なのだから。 


「あ、あぁぁ……」


力ない絶望の溜息が喉を通り抜け、終わりのない後悔の思念に慧音は囚われる。
だが、失意に沈むのはまだ早い。 悪夢は始まったばかりなのだ。


ビィィ――――ッ!!


「――――ッ!!」


耐え難い光景から意識を背けていた慧音の心が、耳障りなブザー音によって現実へと引き戻される。
気付けば、パニックになっていた教え子達の叫びは止まり、椅子に座らされている者たちの視線は一点に集まっていた。
即ち――――太助の左後方の椅子に座らされている、楓へ。
彼女の側にある赤いランプには煌々とした灯りがともっており、絶望に歪む楓の顔を照らしていた。


「ひ……いやあああああああアッ!! イヤっ! イヤぁああぁ!!」


そして、次の瞬間 楓の絶叫が激しい残響を残しながら部屋中に轟き渡った。
全身を激しく暴れさせながら、既に繰り返してきた脱出への行為を繰り返すが、結果はまるで変わらない。
それも無理はないだろう。 彼女よりもはるかに体格のよい、男の銀次ですら抜け出せないのだ。


ウイイイイイン……!!


「ひ、ひいいいいいっ!! せ、先生っ! たすけて、たすけてえええええっ!!」


楓の恐怖も、慟哭も、完全に置き去りにしたまま、彼女が腰掛けている椅子の下からモーターの駆動音が聞こえ始めた。
太助の時と同様、彼女の胸元に置かれた刃のネックレスも、鈍い金属音を立てながら巻き取られ始める。
自分一人の力では逃げることを諦めたのか、楓は喚くように彼女の恩師へと救いを求める。
慧音が、既にどうすることも出来ないことを悟っていても、何かに縋りつかずにはいられなかったに違いない。


「やめろおおおおっ!! 機械を止めろ! 望みは何だ!? 金ならあるだけ出す!
 これ以上、この子達には手を出さないでくれぇぇっ!!」

「やだ! イヤぁぁぁ!! せんせいっ!! たすけてぇぇぇ!!!」


慧音はあらん限りの声を張り上げ、姿を見せぬ殺人者に情を求める。
だが、当然の如く返事などあるはずもなく、救助が齎されることもない。
鎖は依然として巻き取られており、既に刃は楓の鎖骨に届くあたりまで到達している。


「く、そ……この、開け、開けええええええッ!!!」


慧音は柵をガンガンと殴りつけるも、強靭な鉄格子は僅かな歪みさえも残すことなく、この場にいる全ての人間に絶望を与える。
そんな最中、慧音の脳裏には、記憶が蘇っていた。 楽しかった、教え子達と過ごした日々の記憶が……
ともすれば、走馬灯のようなイメージを必死で頭で打ち消しながら、慧音は鉄格子を腕で打ち据えていた。
既に手の皮膚は破れ、血飛沫がぼたぼたと床に赤い斑模を残しながらも、その動きは止まることは無い。


「たすっ、たすけて!! 先生!! たすけてええええっ!!」

「ぐぅぁっ……!! く、ぅぅ……まって、ろ……今、助けてやるからな……」


あらん限りの力で鉄格子を殴りつけていた慧音の腕が、ベキィッ、という厭な音を立てた。
骨が折れたことにより、慧音は苦悶と失意の表情を浮かべたが、その顔は すぐに元へと戻る。
この場で唯一、教え子達を救うことの出来る慧音が絶望を抱いてしまったら、全員の命が終わってしまうからだ。


「せんせぇぇっ!! ボタンを! ボタンを押してください!! お願い! たすけてぇぇっ!!」


楓の絶叫に迫られ、慧音はすぐ側にある鉄製の箱に恐る恐る視線を向ける。
外からは見えないが、その中にはボタンがあるに違いない。


「……ッ! 待ってろ、必ず みんな助けてやる! 必ずだ!!」


楓の首にかかっていた刃が、鎖骨のあたりを通り過ぎた瞬間、慧音は遂に鉄格子を破壊することを諦めた。
例え、一時凌ぎに過ぎないことがわかっていてもボタンを押すしかない……そう考え、慧音は鉄の箱の前に立つ。
けれど、慧音の背を 怯えにも似たおぞましい悪寒が襲った。


『君の身体の一部を生贄として、教え子の命は助かるチャンスを与えられる』


人形はそう言った。
つまり、此処で腕を差し込めば、指か、あるいは腕か……慧音は苦痛と共に何かを失うに違いない。


「せ、せんせぇぇ! やだっ! イヤあああっ! たすけてっ! たすけ――――」


けれども、躊躇する慧音の耳に、引きつった叫び声が届く。
鈍色に光る刃は、今にも首に届かんとしており、楓はもはや何も出来ずに怯えきり、泣きじゃくっていた。
そんな、あまりに弱々しく、哀れな様が慧音にボタンを押すことを決意させる。
だが――――


「いいや、押すな!!」

「――――ッ!?」


鉄製の箱の中に手を差し入れようとした慧音の動きを、小太郎の恫喝が遮った。
その言葉の意図がわからず、全員の視線が小太郎に集まる。


「押したら……俺たちは、もう助からないんだ!! だから――――」


息を詰まらせる小太郎の叫びに、その場にいた全員が その事実を思い出す。
人形が言った“助けることが出来るのは一人だけ”と言う言葉を。
太助が殺された今、人形の言葉を疑う者は無い。 慧音の力では、囚われの教え子たちを救い出せないことも――――


「ふ――――ふざけないで!!」


そして 次の瞬間、楓の怒声が部屋中に響いた。


「なによ、それぇっ!? 私に死ねって言うの!? っく、うぐぅぅぅっ!!」

「うるさい! お前、この間よそ者のガキをイビリ抜いていただろう!!
 先生は、みんな仲良くって言っていたでしょう!? コイツは仲良くしてません!!」

「なによ! あんたも笑いながらやってたでしょうが!!」


仲良しグループであった楓と小太郎の“生存本能”は、醜い罵りあいへと姿を変えていった。
この場で死を宣告された者たちの生殺与奪の権限を持っているのは慧音のみ。
ただ、慧音に選んでもらい、生き延びるためだけに、二人は唯一つ自由である口舌を持って互いを蹴落とそうとする。


「先生! そんなやつらよりも、俺だけは助けてくれっ! たっ、頼む! 俺だけはぁぁぁ!!」

「先生……たすけて、おねがい……! せ、せんせい……」


その罵りに呼応するが如く、銀次が 恥も外聞も無く喚き散らした。
大人しい鈴さえも目前に迫った“死”に耐え切れず、消え入るような声で慧音に助けを求める。


「あ……あぁ…………」


かつては仲が良かった教え子達が、互いを疎んじ、罵詈雑言を投げつけあう。
その様子が、強固であった慧音の心を浸食するかのように蝕んでゆく。
これほど醜い光景は、今まで彼女が体験してきた“歴史”の中でも見たことが無かった。


「ひ、ひぎぃぃっ! ぐぁ、ああああああああっ!!」

「ッ!?」


半ば逃避気味に呆けてしまっていた慧音の意識は、一際大きな悲鳴によって現実へと引き戻される。


「うああああぁぁ!! 痛い痛い痛いぃぃっ!! 助けてェ! 先生!! 見捨てないでええええっ!!」


楓の喉からは赤い鮮血がダラダラと零れ落ち、胸元と服に紅い染みを作る。
太助よりも首の骨が柔らかかったため、限界まで頚骨を反らせて時間稼ぎをするが、殆ど無駄な行動に等しい。
鋼の刃は楓の顎の骨をゴリゴリ削るように抉り、顔全体をはぐように切断してゆく。


「ぎゃああああっ!! あぐぅぅっ!!! う、うぎいいいぃぃあああああああああああああ!!!」

「――――ッ!!」


この世のものとは思えぬほどの凄絶な絶叫により、慧音はもはや刹那の猶予も無い事を悟った。
躊躇うことなく鉄箱の中に手を差し入れ、その中にあるはずのボタンを手探りで探る。
けれども、慧音がボタンを見つけた瞬間、楓のすぐ側で点灯していたランプがふっと消えた。
あとは、何度もそれを押せども、カチカチと無常な音が箱の内側に反響するだけ。
もちろん楓の喉に食い込んだ刃が止まることも無い。


「ぎ、うあ、ああ、う……ぐぼ……っ……」


顎から頬骨にかけて割かれた時点で、楓はもはや虫の息でぴくぴくと痙攣を繰り返すだけとなった。
ほどなくして、その小刻みな蠕動も消えていき……楓のすぐ背後にいた鈴の目の前に、それなりに整っていたはずの顔がべしゃりと落下した。


「あ……ぅ…………」


あまりに凄惨な光景に、鈴は掠れた呻き声をあげ、ぐったりと項垂れたまま動かなくなった。
おそらくは、心のほうが耐え切れずに音を上げ、気を失ってしまったに違いない。


「たす、け……かえで……」


一方で、若い命を奪われた教え子達の名をうわ言のように呟きながら、慧音の思考は 耐え難い現実から逃避を始めていた。
まるで走馬灯のように、太助と、楓とともに過ごした日々が、彼女の脳裏に鮮明に蘇る。



























「せ、先生……」

「ん、どうした?」


ほんの6歳か7歳の頃だっただろうか……幼かった楓が、慧音に声をかける。
頬を紅く染め、どこか恥ずかしがりながら、両手の指先を胸の前でもじつかせる。
長きに渡り寺子屋の教師をしてきた慧音には、一目見て、それが恋の相談ということを理解できた。


「あ、あのね……太助ちゃんのことなんだけど……ね
 け、けーねせんせいは……太助ちゃんのこと、どう思ってるの……?」

「……ふふ、そうだな……あいつはイイ男だよ」

「え、ええっ……!?」


実は、太助のほうも、一週間前に鈴に対しどう接していいか、恋の相談をしに来ていた。
その様子を楓に見られていたのだろう。 だからこそ、楓は慧音にどう思っているかを尋ねたのだ。
大好きな太助を、慧音に取られてしまうのではないかとの怯えを抱きながら――――


「でも大丈夫だ、楓も自信を持っていいと思うぞ
 ……お前も、本当にイイ女だからな」


二人は本当に心の底から相思相愛だと言うことを悟り、慧音の頬にも暖かい笑みが浮かぶ。
いつか、この二人は結ばれるに違いない。
そして、きっと温かい家庭を築くことになる……そう、考えていた。



























時間にして、ほんの数秒間程の現実逃避。
幸せだった頃の記憶から戻ってきた慧音の目の前に映ったのは、やはり残酷な現実だけだった。
太助は首を落とされ、楓は顔を削ぎ落とされた物言わぬ躯と化し、部屋中が噎せ返る様な血の臭いに包まれている。


「あ……ああ……」


椅子に座らされた残る3人のうち、楓は意識を失い、残る二人もショックで口をパクパクと開くだけだ。
けれど、この場にいる全ての人間に降りかかる悪夢は終わっていない。
それこそ、全体の半分さえも。


ビィィ――――ッ!!


「ひ、いやだあああああ!! イヤだあああああああ!!
 た、たすけてくれぇぇ!! 金なら、親が出す!! 幾らでも出すからぁぁ!!」


3度目になる耳障りなブザー音と共に、小太郎の側にあったランプが点灯した。
ひとかけらの情さえもなく、刃の鎖を巻き取る音が、小太郎から冷静さを奪い取る。
半狂乱で泣き叫び、誰よりも見苦しく取り乱すその様からは、慧音が良く知る理知的な彼の姿など思い出すことさえも出来ない。


「う、うわぁぁああああああぁぁ!! たすっ! たすけて!! たすけてぇぇぇ!!!
 せんせっ、せんせええええええっ!! ボタンを押してぇぇぇっ!!!」

「押すなぁぁ!! そんなヤツ助けるなぁ!!」


カチャカチャと巻かれてゆく鎖の金属音に、小太郎の悲痛な絶叫が重なる。
加えて、なんとしてでもボタンを押すことを阻止せんとする銀次の怒声が混じり、緊迫と絶望が入り混じった混沌の空気が重苦しく部屋を包む。


「たの……む……」


けれど……彼らの声は、もはや慧音には聞こえていなかった。
いや、聞こえてはいたのだが、彼女の心がその声を受け付けなかったのだ。
慧音は箱の前で突っ伏したまま、ボロボロと涙を零しながら嗚咽を繰り返す。


「たのむ……やめて、くれぇ……」


慧音から見て、彼ら5人は全員が無二の親友といって良いほどに 仲が良かったはずだった。
だが、そんな彼らでさえ、“死”を目前とした今、自らの友を蹴落とし 自分が生き残ることしか考えていない。
慧音には、それが“悪いこと”とは言えなかった。 死を恐れる気持ちは誰にでもあるのだから。
けれども――――


「もう、たくさんだ……おねがい、だから……」


まるで土下座をするかのようにその場に跪き、泣きじゃくりながら、姿を見せない殺人鬼に哀願する。
……いや、あるいは、その願いは口汚く罵り合う二人に対してのものだったのかもしれない。
元々仲が悪かった二人が“あのとき”のように和解してくれることを願って――――



























「な、なにやってるんだ! こら、離れろ!!」


10年近い過去に、寺子屋で二人の子供が取っ組み合いの大喧嘩を起こしたことがあった。
一人は 裕福な商家の一人息子であり、もう一人は恵まれぬ家庭で育った ひねくれ者の少年。

幼い頃の小太郎と銀次の二人だ。

喧嘩は、腕力の強い銀次が終始優勢だったが、小太郎は椅子や棒切れなどを武器に使い かなり善戦していた。
両者ともに血だらけになりながらも闘い、そのまま続いていたらどちらかが重傷を負っていてもおかしくなかった。
それこそ、殺し合いの一歩手前とも言えるほどに。


「はなせよっ! このっ、成金のクソヤローが!!」

「うるさいっ! お前みたいなヤツ、父上に言って――――」

「――――二人とも、いい加減にしろおぉッ!!」


ドガン! ドゴン!!


最終的に二人を抑えることに焦れた慧音が、両者を頭突き1発ずつで沈めたのは見事な大岡裁きであったに違いない。


「……で、喧嘩の原因はなんだったんだ?」


そうして、数時間後……子供達を全員返した教室の中で、慧音は二人を椅子に座らせる。
ぶすっとした仏頂面の二人の口を割らせるのは多大な時間を要したが、喧嘩の原因は、酷く馬鹿馬鹿しいものだった。
肩がぶつかったぶつからないで太助に因縁をつけていた銀次に、小太郎が『貧乏人は心が狭いな』と言ったのが全ての始まり。
尤も、小太郎がその言葉を口にしたのは、別に太助を助けるためではない。
ただ、傲慢さゆえに口から出た言葉だった。


「……………………」


慧音はそっぽを向いたままの二人へ 交互に目を向ける。
小太郎は裕福であることを鼻にかけた傲慢さで、銀次は暴力で全てを解決する気性で、二人とも寺子屋の中では疎まれている。
表立って口にする者はいなくとも、そういった空気が寺子屋の中に出来上がっていた。


「…………小太郎、銀次」


この二人に対しては、人里の大人も見て見ぬ振りだ。
人里の有力者の御曹司と、大人でさえ手を焼く乱暴者に、口を出す者はいない。
だが、誰も叱ることが出来ないからこそ、誰かがケジメをつけなければならない。
このまま二人が成長しても――――きっと、間違った歴史しか作れないだろう。


「なんだよ、文句があるなら、父上に言いつけて――――」


パァンッ!!


「……ッ!」


小太郎が父親の権力を傘にした言葉を口にしている最中に、慧音の掌が小太郎の頬を引っ叩いていた。
一瞬だけ、小太郎は呆けたような表情を浮かべるも、すぐにぶたれた頬を押さえながら、その瞳に涙を浮かべて 慧音を睨みつける。
小太郎の父親によって人里から追い出される恐れがある以上、万人から見れば、慧音の行動は利巧とは言えない。
けれども、誰よりも――――おそらく、小太郎の両親よりも――――その行動は“慈愛”に満ちていた。


「何もかもが、全て お金で 解決すると思っているのか?」

「……………………」

「人の心も、正しいことも、お金で買えると思っているのか?」


権力やお金では、人は括る事は出来ない。
いや、括る事が出来ても、その心までは奪うことは出来ない――――慧音は、自らの行動によって、それを示した。
小太郎を見据える その視線には、一切の迷いもなく、一切の後悔さえない。


「……それは間違いだ」


それだけ言うと、慧音は小太郎の側から離れて、銀次の元へと歩み寄った。
急に近づかれて身構える銀次に、慧音は静かに手を振り上げて――――


バシィッ!


――――何の躊躇もなく、その頬を引っ叩いた。


「何もかもが、全て 暴力で 解決すると思っているのか?」

「……………………」

「人の心も、正しいことも、暴力で思うままに出来ると思っているのか?
 ……それも間違いだよ、銀次」


慧音が口にしたのは、小太郎に告げた言葉とほぼ同じ。
“金”という単語を“暴力”に置き換えただけだ。
けれども、それぞれの言葉によって、二人は俯いたまま 何も言わなくなった。


(……終わり、か……)


この時点で、慧音は 人里で暮らすことを諦めていた。
いや、それだけではなく、この後、小太郎の父親の計らいによって酷い目にあわされることも覚悟していた。
それこそ、女として生を受けたことを後悔する程の苦痛を、その華奢な身体に受けることを――――
けれども、慧音に後悔はない。 例え二人から一生恨まれようとも、人里から追い出されようとも、
間違った方向に向かっている二人を、見過ごすことは出来なかった。
ただ、二人が周囲の人間から好かれるような人間になってほしい――――慧音の心にあるのは、それだけだった。


「……ないんだもん……それ以外に」

「……え?」

「だって、それ以外に、僕には何も無いんだもん……!」


人間の側にいられなくなるという負の感情に囚われていた慧音の意識を、小太郎の嗚咽が現実へと引き戻す。
初めて見る搾り出すような弱音と、口惜しげな表情に、慧音は小太郎の心を苛んでいる負の感情を理解することが出来た。
思えば、人里には誰一人として“小太郎”という“人間”を見ていなかった。
誰しもが、小太郎を“金持ちの息子”としてしか見ていない。


「小太郎……」


金持ちの息子としてしか 認めれられない生活に、幼い心は、どれほど苛まされていたのだろうか。
あるいは、小太郎の人格はその周囲の人間の視線を反映するように、形成されていたのかもしれない。
その結果、10にも満たないような年齢で、父親の権力に頼る以外、自己表現が出来ないような歪んだ人格が形成されてしまったのだろう。


「強くならなきゃ、ならないんだ……」
 
「銀次……」

「強くなって、あのクソ親父とクソババァに……!!」


小太郎に呼応するかのように、銀次も俯きながらポツポツと怨嗟の言葉を口にする。
それは、愛情の欠片さえもなく自分自身を苛む両親を呪う言葉であり、同時に何も出来ない自らの無力を呪う言葉でもあった。
銀次は幼いままに家庭を助けるべく……と言うよりも、半ば強制的に働かされており、その稼ぎは殆どが父親と母親の遊興のものへと消えていくだけだった


一人いた兄は、とっくの昔に両親を見限り……銀次を置いて出て行ってしまっている、里の外にではなく、絶望のあまりにあの世へと。
一人の人間が死を選ぶほどの地獄のような境遇がどんなものなのか、慧音には理解できない。 小太郎の境遇もそうだ。
数多の過去を知っていても、慧音は“情報としての歴史”しか知らない。
人がその時々で、どれだけ苦悩し、どれだけ絶望と辛酸を味わいながら……それでも何かを選んで生き抜いていったか――――慧音は、それを文字の羅列の

上でしか知らない。


「…………」


誰一人、何も喋らない。
夕日に照らされた静かな部屋の中で、ただ、二人分の嗚咽が繰り返されるだけ。
それでも――――


「……大丈夫だ」


それでも、慧音には一つだけ、理解できた。
目の前に、心から救いを求めている無力な子供がいることを。
使命感と母性を伴う愛おしさに突き動かされ、慧音は小太郎の身体を軽々と抱えあげると、銀次の側に座らせる。
二人は側に座らされたことを不快感に思う間もなく、慧音の両腕にそれぞれ一人ずつ、優しく抱きしめられる。


「自分の弱さを認めて、それを曝け出せるお前達なら……
 いつか、きっと自分が望む自分になれる」


そうして、二人の頬に 両の掌を当てて、涙の跡を親指で拭ってゆく。


「安心しろ、先生が助けてあげるから」


――――その日から二人は変わった。
小太郎は、親の七光りといわれぬよう、勉強でも、運動でも、誰にも負けないよう努力を重ね、その実力を開花させていった。
銀次は、乱暴者であった銀次は、自分の為にではなく、仲間を守るためにその力を振るうようになった。
無論、これまでの悪行もあって すぐに受け入れられはしなかったが、それでも時が経つ度に二人の表情には笑顔が増えていった。



























「せん、せ……ぐぁ、あああああ……」


けれども、この地獄のような状況では、小太郎が伸ばしてきた実力も何一つ、役には立たなかった。
銀次との友情も、過去にあれほど忌み嫌っていた両親の財力にすがり付いてでも生きたいとする意志も、何の役にも立たなかった。
二人を変えた慧音の力も、何一つ救いにはならない。


「やめろおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」


そうして、小太郎の喉が切り裂かれ、床に血の豪雨が降り注ぐ。
慧音の絶叫すら完全に無視したまま、積み重ねられた大切な“歴史の結果”が消されてゆく。


「あ……うぁぁ……」


慧音は、人間が大好きだった。
だからこそ、永遠の夜が続く異変が起こったときも、真っ先に人里を隠して 其処に住まうものたちの安全を図ったのだ。
森に迷い込んだ子供達を助けたことなど、それこそ両手の指でも数え切れない。
助けが間に合うことなく、妖怪たちに人間を殺されたときは、数日間涙が止まらなかった。
それほどに、慧音は人間が大好きだった


「うそ、だ……こんなの、もう……」


生きることを放棄してしまいそうなほどに、視界に映る光景は絶望的であった。
全員を死なせることなく救いたかったが、既に残りは二人だけ。
能力を封じられた今、何一つ出来ずに、ただひたすら無力感に打ちひしがれながら、慧音は教え子達の無残な死に様を見せ付けられる。


ビィィ――――ッ!!


「せ、先生……」


絶望の中で、項垂れながら膝をつく慧音は、ゆっくりと頭を擡げた。
涙で滲み、ゆらぐ視界の先には、意識を取り戻した鈴が映っていた。
その胸元に取り付けられた刃は、ゆっくりと彼女の喉元へと迫ってゆく。


「……ボタンを、おしてください……おね、がい……」


鈴自身も理解はしていたのだろう。
自分自身が助かるということは、即ち銀二を殺すことだということを。
それが醜い感情とわかっていても、鈴はその言葉を止めることは出来なかったようだ。


「す、ず……」


あまりの弱々しさに、銀次も言葉をなくしてしまう。
彼女が生を得れば、死ぬのは彼自身だということも忘れ、言葉もなくその光景を眺めることしかできない。


「おして……おね、が……死にたく、ない……」

「すず……ぎんじ……!!」


慧音の胸中では、激しい葛藤が渦巻いていた。
鈴と銀次……二人のうち、どちらかを救わなければならない。
けれど、選ぶことなど出来ない。どちらも、心の底から大切に思っている教え子達なのだ。
増して、二人とも平等に死ねなどと、心無いことを言うことなど出来るはずもない。


「……わ、わたし……先生の正体知ってます……」

「……ッ!!」


滂沱と涙を溢れさせる鈴の言葉に、慧音の瞳が大きく見開かれた。
それは即ち、慧音の正体を言わないでおく代わりに助けてくれということに他ならない。
鈴を見放せば、おそらくは死ぬ間際に、鈴は慧音の正体を銀次に言い残す。
そうすれば、仲間を失った銀次は確実に他者に口にしてしまうはずだ。 そもそも、銀次はそこまで口の堅いほうではない。
この場で全員を見放せば、秘密を知るものはいなくなるが、そんなことを慧音が出来るはずも無かった。


「すず……おまえ……」

「……たすけて……しにたく、ないよぉ……おね、がい……」


尤も、鈴にそこまで計算できているはずもない。
……縋りつくものすら何も無く、精神状態は ほぼパニックを起こす寸前そのもの。
けれども、助かりたいという意思のもとに、考えなしにうっかり出たような言葉であるに違いない。


「……………………」


けれども、いつも控えめで大人しかった鈴が見せた強烈な“生存本能”は、慧音の心を大きく揺さぶることに成功したようだ。
何かに取り憑かれたかのように、慧音は言葉も無く鉄製の箱に自らの右腕を差し入れた。
指先に、先程楓を救おうとした時に感じたボタンの触感が再び蘇る。
そして――――かちり、とボタンのスイッチが入る音が箱の中に響いた。


ガチャンッ!!


「っ!!」


何らかの痛みを覚悟していた慧音の腕が、次の瞬間押しても引いても動かなくなった。
腕にかかる硬い感触から、鉄枷か何かで拘束されたことに気付き、反射的に腕を引き抜こうとするが、もう遅い。


ギュウウウウアアアアアアアアアアアアアアア!!!


鋭い金属のようなものが回転するような 激しい音が 箱の中から響く。
何が何でも教え子達を助けるという覚悟さえも一瞬で萎えさせるほどの圧倒的悪寒が、慧音の心を苛んでいた。
身体を屈めて、箱の内側を見ようとした瞬間、腕の皮膚に焼け付くような苦痛が奔る。


「ぐっ、あぅ……!!」


苦痛は治まらないまま、箱の入り口に顔を寄せていた慧音の頬に、ぬるりとした液体の飛沫が付着する。
箱の内側は薄暗く、何が起きているのかまるでわからない。
それでも、目を凝らして見ると、箱の内側で、“何か”が腕と垂直方向にとてつもない速度で回転しているのがわかった。


「ぐ、うううぅぅ!!っつ、ぁぁああぁ……!!!」


苦痛は更に強烈になっていき、飛び散る血液の量も加速度的に増している。
箱の内側では、おそらく回転鋸が拘束された慧音の腕を切断しようとしているに違いない。
刃は既に皮膚を破り、肉を食いちぎるようにしながら、じわじわと骨へと迫りつつあった。


「うぁ、あああぁぁ!! あああああぁぁああああああああッッッ!!」


鋸は超高速で回転しており、慧音は切断による裂傷と摩擦熱による火傷を同時に味わっていた。
しかも、鋸自体の送り速度は欠伸が出るほどに遅く、真綿で喉を締め上げるように――――いや、その何百倍もの苦痛を味合わされているのだ。


ぎゃぎゃぎゃギャギャゴリゴリギギギゴゴゴゴゴ!!


「ぎっ、い、ぐぅあああああああああああああああああッ!!!」


肉を削る湿った音が、硬いものを削るような音へと変わってゆく。
皮膚を破り、肉を裂き、骨を削りながら、回転する鋸は慧音の腕の半ばあたりまで、その凶刃を食い込ませていた。
箱の内側には血液が溜まり、その入り口からはボタボタと滴り落ちる。
また、飛び散った血の飛沫に慧音の上着は、もはや全体が赤色に染まりぬいていた。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッッッ!!!」


尤も、今の慧音には そんなことを考える余裕さえなかった。
それこそ、息を飲む鈴や、絶句したまま惨劇を眺めている銀次の無事を気遣うことすらできない。
ただ、腕を切断される激痛にのたうちながら、喉がつぶれんばかりの絶叫を絞り上げる。
全身は汗だくで、自らの血液に塗れたまま、表情を歪め吼え狂うその姿は、もはや理知的な女教師のそれではなかった。


「う、う……」


失血による眩暈と苦痛に耐え切れず、慧音は腕を箱の中に引っ掛けたまま、まるで許しを請うように両膝をつく。
もはや精根尽き果てたのか、あれほど喚くように部屋に響かせていた絶叫は、いつの間にか喘ぐような呻き声へと変わっていた。
そして、慧音の中で、ぶつん、と何かが切れる音がした直後、回転鋸の音が緩やかに収まってゆく。


ガチャン!


「うぁ、ぁぁ……」


鋸の回転音が完全に停止し、慧音の腕を拘束していたであろう鉄枷が外れた。
同時に、腕を箱の中に引っ掛けていた慧音は、もんどりうって仰向けに倒れこんだ。
彼女の右腕は、肘から十数センチ先が無くなっており、そこから流れ出る血液が床の上に赤い海を作ってゆく。
そして、箱からは未だに血液が滴り落ち、床の上に広がる血の海に赤い波紋を作っていった。


「おわり……だ……」


静まり返った部屋の中に、銀次の震える声が響く。
次の瞬間、銀次のすぐ側にあった照明が、耳障りなブザー音とともに点灯した。
最後の一人の命を奪わんと、銀次の肩に掛けられた鎖が巻き取られてゆき、刃が首へと迫る。
銀次の身体の震えはどんどんと激しくなり、その表情は醜悪に歪んでゆく。
そして――――


「なんでそんなクソ女を助けたァ!!
 このクソ野郎ッ! おしまいだ! 恨んでやる……ブッ殺してやるからなぁァァ! 」


いまだ床に仰向けになったまま起き上がることも出来ない慧音に、銀次は叫んだ。
自分の人生を変えてくれた恩師であることも、さまざまな場面でいつも助けてくれたことも忘れ、口汚い罵り声をあげる。
……もはや そう叫ばずには いられなかったに違いない。 慧音が鈴を選んだ今、銀次が助かる可能性は、もう、無い。
今の銀次にできることは、ただ口を動かすことしかない。


「お前がっ……お前のせいで!! 何が“先生が助けてやる”だ!!
 最期の最期で裏切りやがって!! お前なんか、先生じゃねぇ!!
 死んじまえ! この――――」

「ぎん……じ…………」


掠れた――――けれど、どこか凛とした声に、銀次の喚き声が止まる。
仰向けになった慧音の身体は、ゆっくりと起き上がり、立ち上がろうとしていた。
けれど、その動きも のろのろとした 欠伸の出るような速さであり、時折、つっかえるように止まってしまっている。
慧音は、ぜえぜえと荒い息をつきながら、出血が止まらない右腕を抑えることも無く、ひたすら立ち上がろうとしていた。
そして、箱にしがみ付くようにして身体を支えながら、その視線を銀次へと向ける。


「たす、けて……やる、か、ら……」


慧音の目は、諦めていなかった。
肌は失血で青白く、幼子ほどの力も残されてはいないが、その目は死んでおらず、銀次への慈愛の眼差しを止めることもない。
いかに頑強な肉体を持つ慧音でも、止血をしなければ……いや、止血をしても命さえも危ぶまれるほどの量の失血だ。
それでも、慧音は止血をすることなく――――これから行う行為に僅かな“希望”を託した。
大好きな人間……教え子を救うために。


「助けて、やるから……待ってろ……!」


一際力強い言葉と共に、慧音は箱の中に、残った反対の手を差し入れ、そして――――


























永遠とも思える苦痛の最中、慧音の意識はまるで地獄から逃避するように、過去へと遡る。
時間の流れとともに薄れ行くはずの記憶の中でも、最も強烈に染み付き、慧音の人生を変えてくれた時のことを――――


「ねぇ、先生……」

「……ん?」

「先生、妖怪なの……?」


丑三つ時の暗い森の中、慧音は背に、まだ幼かった鈴を背負っていた。
鈴の身体は泥で汚れており、擦り傷だらけ――――それらは、全て人食い妖怪から逃げる最中に負ったもの。
折りしも、時は満月の夜……間一髪のところ、鈴は妖怪へと変身した慧音によって命を救われたのだ。


「…………」


喋るな、などと言えた口ではない――――慧音はそう考えてた。
子供の口は塞げない。 きっと、“寺子屋の先生は妖怪”という噂は広まり、すぐに人里にはいられなくなるだろう。
それでも、慧音には一切の後悔はなかった。
妖怪に比べ、遥かに短い生であるからこそ、より密度の濃い歴史を作ることが出来る人間が、慧音は大好きだった。
一人の人間の歴史を救うことが出来たことに、後悔などあるはずが無い。


「……すまない、こわかっただろう……」


……こうやって負ぶっているだけでも、鈴には恐怖を与えているかもしれない。
人を襲うことは無いが、慧音も妖怪なのだから。
今の今まで、心の底から妖怪という存在のの恐怖を味わっていた直後に、同じく妖怪である慧音と普通に接することが出来る――――そんな割り切った考え

を、子供の鈴が出来るはずが無い。


「ううん、こわくないよ」

「……え?」

「先生は、先生だもん……」


……けれど、鈴はそう言った。
慧音の歩みが、静かに、けれど確実に遅くなってゆく。


「……わたし、だれにも言わない……
 先生が、妖怪でも……ずっと、皆で一緒に、いられたらいいな……………………」


疲れ果てたのか、鈴の身体から力が抜けていき……同時に、今度こそ慧音の足は止まった。
月の光が、妖怪と化した慧音の頬を優しく照らし、涼やかな空気が戦闘後の僅かな興奮の最中にある肌を撫で上げる。
慧音の内面では、幾つもの感情が激しく渦巻いていた。
息が詰まり、震える肩を抑えることが出来ない。


「……ああ、そうだな」


背に抱いた鈴に顔を見られないよう――――既に鈴は眠りについているため、その行為に意味は無かったが――――慧音は俯く。
頬を暖かいものが伝い、流れ落ちてゆくのを止めることが出来なかった。
すー、すーと心の底から安堵しきった寝息を立てる鈴を背負いながら、慧音は心の底から嬉しさに涙していた。


「ありがとう……すず……」


―――― 寺子屋を開いて……よかった……と。



















―――― 時間にしてみれば、わずか1〜2分後。
けれども、慧音にとってはこれまでの人生と同じくらいに――――それこそ、永遠とも思えるほど――――長い時であった。
身体を床の上に横たえる慧音の両の腕は、肘から十数センチ先が無くなっていた。
腕の切り口からは、深紅の血液が流れ出してゆくが、血圧の低下から、その勢いも最初の一本を失ったときとは比べるまでもない。
あれほど荒かった呼吸も、深く大人しいものへと変わっており、誰が見ても、慧音の余命は幾許も無かった。


「せ、先生……!」

「す……ず……………………」


そんな慧音の側に、鈴が駆け寄ってくる。
慧音と、5人の教え子を隔てていた柵は無くなっており、鈴の身体を拘束していた鉄枷も解除されていた。


「ぎんじ、は……」


鈴が無事であることに、慧音は朦朧とする意識の中で安堵するが、彼女が無事であることは既にわかりきっていたことだ。
銀次の無事を案じ、力なく首を傾けた慧音の視界に、一番後ろの席に座っている銀次の姿が見えた。

けれども、無い。

椅子に座っている銀次は、首から上がなくなっていた。
そのすぐ側の床の上に、瞳孔が開いたまま、恨みがましい視線を慧音に向けている銀次の頭が転がっていた。


「うぁ、ああぁ…………ああああああああぁぁ…………」


慧音の表情が、力なく絶望に歪む。
腕を一本余計に犠牲にしたというのに、その慈愛の精神は一切報われることはなかった。








そして……この時点で、慧音は失念していた――――人形が口にしていた“最後まで、油断することなく”という警告を。








ビィィーーーーーッ!!


先程の耳障りなブザー音――――しかも、一箇所ではなく、幾つもの重複した騒音が――――再び部屋の中に鳴り響く。
“ゲーム”は終わったはずだった。 少なくとも、慧音はそう考えていた。
けれども、鈴は青褪めた表情で自分の腕に視線を向けたまま、硬直したように動かない。


「すず……どう、した……?」


ビィィーーーーーッ!!


「ひぃぃっ……!!」


再び、ブザー音。 そして、鈴の息を飲む声。
部屋一杯に広がる騒音は、どちらも先程のそれよりも大きい。
慧音は、仰向けになったまま動けないが、少なくとも鈴が何かに追い詰められているのは察することが出来た。
せめて、言葉だけでも安心させようとした矢先――――鈴の双眸が慧音の身体を捉える。
その視線は、何か悲壮な決意を抱いているようであり……同時に、何かに迷っているようでもあった。


「う、うう……」

「す、ず……?」


ビィィーーーーーッ!!


3度目のブザー音。 明らかに 前の二回を上回るそれは、何かを警告しているようだ。
そして、その時点になって慧音は、初めて気付く――――耳障りなブザー音は、鈴の首に取り付けられている首輪から鳴っているのだ。
慧音は 今の今まで それを忘れていたが、“ゲーム”の最初に、5人の教え子達には確かに首輪が取り付けられていた。
重複している他の音は、おそらく他の4人に取り付けられていた首輪に違いない。
その首輪は、一体何のためのものなのか……?


「う、うああああああああああああぁぁぁッ!!!!!」


ドカッ……!!


「かは……っ……!?」


理由を考える間もなく、喉を引き裂くような鈴の絶叫と共に、慧音の胸に何か熱い感触が生まれた。
自分の胸を見下ろすと、二つの頂の間から鈴の両手が赤い液に塗れている光景が見える。
そして、元から殆ど身動きが取れないことは変わらないが、僅かなりとも出来ていたはずの呼吸が、完全に出来なくなった。
その原因が、自分の胸に突き立てられたナイフだと理解したのは、その数秒後。


「う、ぁ…………?」

「う”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”! ! ! !」


そして、そのナイフが鈴の手によるものだと 慧音が気付いたのは、それから更に数秒後だった。
一度でトドメを刺せなかったコトを悟った鈴は、狂気の叫び声をあげながら、ナイフを引き抜き、振り上げると叩きつけるように慧音の腹を刺し貫いてゆく


血走った目に、恐怖に歪んだ醜悪な表情を浮かべる鈴の表情は、既に人間のものとは思えない。


バシュッ! ドカッ!!


「がッ……う、うぐッ……ぁ……!!」


腹部を何度も、抉り、貫かれながら、慧音は口腔から呻き声と共に血の胃液を吐き散らしていた。
鈴の腕を抑えようと手を伸ばそうとも、両腕は肘から先を切断されており、何も出来ない。
ナイフは慧音の胃の辺りを集中的に侵しており、ぐちゃ、ぶちゃ、と湿った音が部屋中に響き渡る。
時折、手が滑ったのか、肋骨をナイフにガリゴリと削られ、肺に幾多もの穴を開けられる。


「や、め……が、っは……うぐ、ぅ、ぅぁ……」


慧音の声は、もはやくぐもった呻きにしかなっていない。
ただただ、助けた筈の教え子に、逆に命を奪われてゆく絶望を噛み締めながら、慧音は泣いていた。
血に染まった鈴の腕に記された『鍵は恩師の腹の中』と言う文字も、今となってはその言葉を理解することも出来ない。
それどころか、慧音の視界は既に霞み、意味のある文字として目に映ることもなかった。


ずぶり……!!


鈴はナイフを脇に置くと、慧音の腹の内側に手を突っ込み、あらん限りの力でまさぐった。
その度に傷口がさらに広がり、慧音に吐血を促すが、鈴にはもはや恩師が苦しんでいる光景など目にもくれていない。


ビィィーーーーーッ!!


「ひ……ひぃぃっ!! やだっ! やだやだぁぁ!! 死にたくないッ!!
 死にたくッ……――――! 死んで、たまるかぁぁ!!」

「あ………ぅ………?」


4度目のブザー音。
大人しかった面影さえもかなぐり捨てて、鈴は喚き散らしながら 慧音の胃の内側を抉りまわす。
そして、一つの小さな鍵を掴み取ると、首輪に取り付けられていた南京錠の鍵穴に、さしたる時間もかけず差し込む。
ほどなくして、かちり、と言う音と共に、鈴の首に取り付けられていた首枷が外れた。
鈴はそれを皮膚にへばり付いた虫を払いのけるかのように部屋の脇へ放り、最後に一際耳障りなブザー音が響いた後で――――


バゴォンッ!!


「ひいいいぃっ!!」


部屋中の全部で5箇所から、凄まじい爆発音が響き渡り、鈴は悲鳴をあげて蹲った。
それを最後に、後は静寂のみが部屋を包む。
そうして、数十秒も経った後……鈴は、ビクビクと身をすくめながら、ゆっくり首を上げる。


「あ……あぁ……」


“ゲーム”の唯一の生き残りである鈴は、震えながら自らの生を噛み締めていた。
その表情は喜びも、悲しみも無く……ただ、完全に自分自身を失っているという形容が最も当てはまるだろう。
爆発のショックで吹き飛ばされたのか、顎から下が無くなった銀次の無残な頭が、ゲームのコマであった慧音の側にごろりと転がる。
先程まで慧音に向けていた恨みがましい視線を、そのまま鈴へと向けながら――――


「うっ……うぁ、ああああああああああああっ!!」


次の瞬間、鈴の喉から絶望と悲哀の叫びが迸る。
その場に、両手で頭を抱えたまま蹲り、蒼白そのものの表情からボタボタと涙を溢れさせ、恥も外聞も無く泣き叫んでいた。
己の生を得るためだけに、親友達を裏切り、恩師を殺して――――そして、正気に戻った今、自分がどれほどの非道を尽くしたのかを自覚したのだろう。
おそらく、彼女の心の傷が癒えることは、もう有り得ない。
そして――――


「“死んだ人間”は“歴史”を作れないとでも思っていたの?」

「――――ひぃッ!?」


――――抑揚の無い女の声が、蹲る鈴の頭上から浴びせられる。
息を飲み、頭を擡げた鈴の目の前には、一人の少女の姿があった。


「それは間違いよ」


いつの間にか、姿を現したその少女の腕の中には、“ゲーム”の内容を説明していた不気味な人形が抱え込まれていた。
そして、その少女の顔を見た瞬間、鈴は再び息を飲む。
その人物の顔を知っているということもあったが、それ以上に人形を抱えた少女の異常な様相に圧倒されたのだ。
人形以上に表情というものが無く、目には光がまるで無い。 抱えられた不気味な人形のほうが、まだ愛嬌があった。


「あり……す…………」


床に倒れたままの慧音が、掠れた声で目の前に立つ人物の名を呼ぶ。
それを最後に、全身から霧散するように力が無くなっていき……慧音は再び夢を見始める。
太助、楓、小太郎、鈴、銀次……教え子達と過ごした幸せな記憶に縋りつきながら……慧音の意識は、何処までも幸福な夢と共に薄れ、消えていった。
二度と這い上がることの出来ない闇の底と――――


「あ……あぁ……ぁ……」


鈴は怯えながら後ずさるが、元より戦う力も無く、体力的に優れているわけでもない彼女には、もはや逃げ道など無い。
そして、不気味な人形を抱えた少女――――アリス・マーガトロイドは、人形を抱えたままゆっくりと鈴の側へ歩み寄った。
一歩、また一歩と近づくたびに、鈴の身体の震えはどんどんと大きくなってゆく。
引きつった恐怖の表情の上を、涙と鼻水でグシャグシャに汚しながら、鈴は必死に命乞いの言葉を口にしようとした。
けれども、喉はカラカラに渇ききり、さらには歯の根が合わずガチガチと硬質な音を立てるだけで、何一つまともに喋ることが出来ない。


「生きている者は“生”に感謝しない。自分はおろか、他の者の生へも……」

「たす、けて……ぁぁ……」


それでも、辛うじて一言だけ命乞いの言葉を搾り出すと、人形のようなアリスの表情に僅かな変化が生まれた。
二の腕から先に残る激しい裂傷と、大火傷の跡を撫でながら、アリスの表情は加速度的に大きく変わってゆく。
裂傷は、“ジグソウ”の試練の最中に自ら負った傷。
そして、火傷は――――


「“たすけて”……? 勝手なことを。 あなたたちの為に“あの子”や私が……どれだけ苦しんだと――――」

「ひぃぃっ……!!」


ぎり、と歯を軋ませるアリスの目には、凄まじいまでの敵意と憎悪が宿っていた。
その言葉に、鈴は自分の――――いや、自分達が“殺される理由”を悟った。


「……ち、ちがう……! わたしは……何もしてない……見てただけ……
 ごめん、なさい……あんなことに、なるなんて……」

「最後に、チャンスをあげる」


鈴の見苦しい命乞いを聞き流しながら、アリスの表情が再び人形のような無表情へと変わる。


「私と同じ“ゲーム”をしてもらう……私と“同じように”ね。 それに勝てば、あなたは自由よ」


アリスは指先を顔の横へと掲げ、ぱちん、と鳴らす。
暗闇の中から、大勢の不気味な人形が姿を現し、二人の……いや、鈴の周囲を囲んだ。


「ひぃぃ……っ!!」

「捕えなさい」


アリスが鈴を指差すと、不気味な人形達がゆっくりと鈴へと にじり寄ってくる
その瞬間、鈴の心に宿っていた恐怖が爆発した。


「ひぃ、いやっ、イヤあああっ!! 助けてっ!! 先生、みんなぁっ!!
 誰かっ、誰か、たすけてえええっ!!!」


一体一体の人形は力は弱く、非力な鈴にも跳ね除けることも出来たが、大勢になればそうは行かない。
あっという間に押さえ込まれ、鈴は為す術も無く部屋の外へと運ばれてゆく。
自分が出し抜いた仲間や、殺したはずの恩師に救いを求めるが、もちろん鈴に救いなど与えられるはずも無い。


「…………」


泣き叫びながら部屋の外へ連れ去られてゆく鈴に一瞥さえくれることなく、アリスは抱えていた人形を胸に、慧音の遺体に視線を落としていた。
幸福な記憶にしがみ付いたまま息絶えた慧音の表情は、まるで老衰で生を終えた老人のように、どこまでも安らかだった。


「……どうして……?」


そんな慧音の遺体を見下ろすアリスの表情が、再び揺らぎ、変わってゆく。
人形のような無表情から、人間が持つ悲哀の表情へと――――
同時に、アリスの肩が震え始め、その頬に一筋の涙が伝って、胸に抱えていた人形の額に流れ落ちた。


「そんなに、人間が大好きだったのなら……」


アリスの記憶に残っているのは、幼い子供の声。
愛らしさと、大人しげな雰囲気を持っていた、その子供は、いつも、おねえちゃん、おねえちゃんと、アリスを慕ってくれていた。
人付き合いの乏しいアリスの生活に温かみを与え、その子供の為に一生消えない火傷を負っても、後悔が無いほどに、一緒にいる時間は幸せであった。


「……どうして、“あの子”を助けてくれなかったの……?」


けれども、その子供はもう戻らない。 それこそ、永遠に。
シンと静まり返った部屋の中、アリスの嗚咽だけが空しく響いてゆく。
その姿は、これまでに残虐な“ゲーム”を仕掛けたのが彼女であることなど想像もつかせないほど、弱々しく、哀れな姿であった。


『――――――――――――――――』


そして、泣きじゃくるアリスに、何者かが声をかける。
不気味な嗄れ声に、冷たい中にも底知れぬ“何か”を感じさせる口調――――
“そいつ”は、何も出来ずに失意の底に沈んでいたアリスの前に現れた“外の世界の殺人鬼”。


「――――わかって、いるわ……」


“そいつ”の名は“ジグソウ”。
そして、“ジグソウ”の試練を乗り越えたアリス自身も“そいつ”となった。


「さよなら、慧音」


瞳孔の開いた慧音の遺体の瞼をそっと閉じ、アリスは一言だけ慧音に残すと、その表情が 再び感情の篭らない人形のものへと変わってゆく。
太助、楓、小太郎、銀次……怒りも悲しみも無い無表情のまま、アリスは転がった4人分の頭を順々に一瞥する。
そして、既に何度も行ったように、ゲームの終わりを告げる言葉を口にした。


「 ゲ ー ム オ ー バ ー 」





























―――― アリス・マーガトロイド宅……早苗が 豚の仮面を被ったアリスを追って出て行った直後 ――――






「ぐぅ……っ……!」


早苗に置き去りにされた霊夢は、完全に抜き差しならない状況に追い込まれていた。
アリスの全身を焼いていた炎は周囲へと燃え広がり、館そのものを燃やしはじめていたのだ。
とはいえ、入り口の近かったため、脱出は容易だったのだが、早苗が走り去った方角から聞こえてきた一発の銃声が、霊夢の表情を険しいものへと歪めた。


「……まさ、か……っ……そんな……」


聞こえてきたのは銃声だけだったが、霊夢は早苗が死んだことを確信した。
海千山千の霊夢の手から、まんまと逃れることが出来たほどだ。 異変解決の経験が浅い早苗など、相手になるはずが無い。
そして、喉を切り裂かれ傷ついた今、もはや戦うことは出来なかった。
早苗がいえば話はまた別だったろうが、ただでさえ危険な魔法の森で、血に餓えた妖怪や獣に逢ってしまったら、確実に殺される。
それどころか、今の霊夢では、低級の妖精にさえ敵わないだろう。
外に出れば血の臭いで獣を呼び寄せてしまい、居座っていても炎に焼かれてしまう……


「地下室……!」


そんな切迫した状況の中、霊夢が逃げ込む先に選んだのは、過去にアリスから聞かされていた地下室だった。
詳しい場所までは知らなかったため、熱が肌を焼く環境の最中、失血により霞む目を凝らしながら、グラグラと揺れる膝を叱咤して――――炎から逃げ回る

ように必死で探し回る。
そして、炎が館全体を包む頃、霊夢は地下室の入り口である木製の蓋を発見した。


「――――ぐぁぁッ!?」


強度が低下した天井が崩落する直前、霊夢は、間一髪 地下室の内側へとその身を滑り込まる。
床の扉を閉じた瞬間、崩れ落ちる柱や天井の音を耳にしながら勢い余って階段を転がり落ち、霊夢は頭部を強打して意識を失った。


それから、何十分眠っていたのだろうか……?


「……う……?」


意識を取り戻した霊夢は、地下室の冷たい床の上でその双眸を開いた。
のっそりと起き上がる動きは気だるそうであり、かなり消耗していることは誰の目にも明らかであろう。
ただ、頚動脈は傷ついてはいなかったようであり、喉の傷からの出血は既に止まっていた。


「命だけは、助かった、か……」


長い時間をかけて目を慣らしていくと、周囲の光景がうっすらと見え始める。
地下室の隅には、人形の材料となる材木や布地が幾つかの木箱に詰められたまま埃を被っていた。
また、壁の側にある棚には塗料か何かの缶が無造作に置かれてが、その他には何も無い。
霊夢は無言のまま、周囲をぐるりと見回すが、取り立てて目を引くような道具は見当たらなかった


「ちょっと、厄介ね……」


地下室の入り口は、おそらく崩れた天井や柱で塞がれているに違いない。
それ以前に、肌は照りつけるような熱に晒されており、霊夢は まだ炎が鎮火してはいないことを悟る。
少し大きめの通気孔は設置されてあったため、窒息の危険性は無いものの、助けを待つか、自力で脱出するか……
いずれにしても、食料や水が不可欠と考えた霊夢は、地下室の探索を始めた。


「……あった」


そして、そう時間を置くことなく、霊夢は棚の隅に保管されていた袋詰めの乾し芋と、水筒に入った水を見つけることが出来た。
それほど量は多くは無かったが、それでも切り詰めれば3〜4日は持たせることが出来る。
水筒を蓋を開き、水を口に含むと、するすると喉を通る水の味が、なんとも言えない清涼感を霊夢に齎した。
不快な汗が引いてゆくような心地さえしており、喉の痛みさえ引いてゆく。
とはいえ、貴重な水をおいそれと消費してしまうわけにも行かない。
水筒の蓋を閉めようとした霊夢だったが、ふとしたことでその動きが止まった。


「……なに、これ……?」


水筒が置いてあった棚の奥にある壁面に、何かが据えつけてある。
見た目は普通の壁のようではあるものの、霊夢はそれが何かのボタンであることを理解した。
とはいえ、余程注意しなければそれと理解することは難しいし、発見できたのも殆ど偶然といって良い。
霊夢は、吸い込まれるように手を差し出し、壁面に埋め込まれたボタンを指で強く押す。


……ガコン!!


「――――ッ!」


背後から大きな音が響き、息を飲み込みながら振り返ると、霊夢の後ろにあったはずの岩肌が大きく凹んでいた。
壁が崩れたのかとも考えたが、違う。


「隠し……扉……?」


霊夢は岩肌を模した扉に歩み寄り、ゆっくりとそれを押してゆく。
ギィィ、と金属同士が擦れるような音と共に扉が開き、その奥は、霊夢が転がり込んだ地下室よりも かなり広い部屋になっていた。


「な……ッ!?」


そして、霊夢は息を飲み、絶句する。
霊夢の視線の先――――部屋の中央にある椅子の上に、霊夢に背を向けてはいるものの、不気味な人形が座っていた。
まるで、行動全てを読んでいるかのような様子に、霊夢の危機感はぴんと張り詰める。


「…………?」


けれども、その場の状況を把握するに連れ、彼女の身体からは緊張が消えていった。
その場所が齎す雰囲気は、自分のために用意されたものではない。 にとりの時と同じく、既に終わっているゲームだった。
人形の奥にある壁は、何か酷い衝撃を受けたように大きく凹んでおり、そのすぐ側には鉄の輪――――枷が付いている5本の鎖が落ちている。
床面はひどく浸食されており、何か蝋のようなものがこびり付いていた。
その上には、底が割れたガラスの水槽が設置してある。


「まさか、ここは…………」


そして、人形と壁の間には、壁に向かい 台の上に固定されたチェーンソーが置いてあった。
その光景だけで、霊夢にはそのゲームで死んでいった者が誰であったのか、凡そ検討がつく。
浸食された床は強酸によるもの。 そして、その上にこびり付いているのは、人間の皮膚。
その場所は、霊夢にとって、全ての始まりであった場所だった。


「…………魔理沙」


人形の脇を通過し、霊夢は鎖が転がっているあたりに歩み寄る。
そして、その場にしゃがみこむと、床面の上に残っている融けた皮膚の欠片をそっと撫で上げた。


「…………殺してやる」


普段から暢気な霊夢がそんな言葉を口にする日が来るとは、彼女自身 想像もしていなかっただろう。
生まれて初めて、心の底から湧き上がる憎悪のままに、霊夢は殺人鬼へ底知れぬ殺意を抱いていた。


「“ジグソウ”……!! 殺してやるわ!! かなら――――」


ザクッ!!


「――――っ……!?」


突然、霊夢の肩口……いや、首の付け根に鋭い痛みが走る。
何か鋭利なもので突き刺されたようであり、そこから冷たい液が流れ込んでくる。
そして、霊夢が背後にあったものを跳ね除けるまで、約0.5秒。



「ぐぅ、うう……!?」



完全に油断しきっていたところの不意打ちにその短時間で対応できたのは流石というべきだが、やはり対応が遅すぎた。
床に、跳ね除けられた注射器のアンプルが転がると同時に、霊夢の視界がぐらりと傾く。
そして、受身を取ることすら出来ず、その華奢な身体は地面に叩きつけられた。
手足が完全に痺れ、まるで動かすことさえも出来ない。


「そん……な……バカ、な……」


部屋には、誰もいないはずだった。
そもそも、隠れるスペースさえ何処にもない。
隠し部屋に入る際に、霊夢は何度も人の気配を確認したはずだった。
なのに、何故――――……
理解できない出来事に混乱する霊夢は――――身体の自由は殆ど利かなかったが――――必死に首を捻り背後に視線を向ける。


「……な……?」


その瞬間、霊夢の表情が“可能性としては有り得た筈だが、有り得ない光景”に完全に凍りついた。
……彼女がもう少し冷静であったならば、あるいは気付けていたかもしれない。
隠し部屋の片隅に、ちょうど人形一体分が通れるほどの通気孔があったこと。
そして、部屋の中央にあった人形の衣服が、僅かに泥で汚れていることを。


『忠告したはずだ、これまでと別の戦い方を選べと』


幾度と無く目にしたはずの不気味な人形が、自らの両足で立ったまま喋っている。
むろん、これは人形操作などでは有り得ない。


『“弾幕ごっこ”のルール通りではなく、二人で追えば、私を抑えることが出来た。
 いや……これは、先走った東風谷 早苗に言うべきことだったかね?』


“ジグソウ”は、“はじめから”ゲームを眺め続けていた。
魔理沙、文、優曇華、妹紅、アリス……その全てのゲームの始まりと終わりを常に“最前列”で見続けた。
さらには、霊夢と早苗の“目の前で”ゲームの始まりを告げ――――そして、これからも見続ける。


「……まさ……か……あん、た……が……?」


霞がかかり、朦朧とした意識を必死で奮い立たせながら、霊夢は掠れた声で呻く。
“ジグソウ”の弟子である異国の人間など、幻想郷にはいなかった。
忘れ去られた存在は幻想郷へと流れ込む可能性を持つが、そもそも、人はそう簡単に忘れ去られるものではない。
まして、ジグソウのような世を騒がせた稀代の殺人鬼ならば、なおさらだ。
けれども、それが“人”ではなく“モノ”であるならば?


『――――多くの者達は、その生に感謝しない』


その答えが、今目の前にいる“人形”だった。
霊夢は知らない。 そして、これからも知ることは無いだろう。
この世界に流れ着いたのは、外の世界で警察からさえも発見されず、忘れ去られたビリー人形。
そして、鈴蘭畑の人形とほぼ同じように……幻想の空気が 凶悪な遺志の篭った人形に生命を吹き込んだ。
結果、人形に宿った心は、殺人鬼“ジグソウ”の残滓とも言える悪想念。


「……まさ、か…………」


“ジグソウ”の声が静かに響く最中、霊夢は絶望的な考えに辿り着いた。
先程、霊夢の喉を裂いた人物は、おそらくは“協力者”――――しかも、それは幻想郷の住人としか考えられない。
見るからに力の無い人形が、誰にも知られずに此処までの準備をこなせる筈が無い。
第一に霊夢の喉を切り裂いた者は紛れも無く人型の人妖だ。



「アリス……あんた、が……?」



『アリス亭の地下室で殺された魔理沙』、『おそらくは“ジグソウ”本体を覆い隠すための、多くのダミー人形』。
そして、『“別人”のように怯えきったアリス』……
推理の精度はかなり荒く、突拍子も無い部分はあったが、霊夢の憶測は そう的外れではなかった。
ただ、霊夢が“協力者の正体”に気付いたのは、あまりにも遅すぎた。


『おまえは違う、これからは――――』

「なにを……く、くる、なっ……あ、ぐぅぅっ!!」


壁に向かい、ずりずりと芋虫のように這いずりながら、霊夢は人形から距離をとろうとする。
けれども、人形は霊夢の首筋にもう一本、注射器を打ち込み、薬を注入した。
それで、霊夢は完全に動けなくなった。


「や、やめ、ろっ……やめなさいっ……くぅ、ぅ……!!」


人形は身動き一つ取れない霊夢の両腕と両足、そして首を枷に繋いでゆく。
そして、マスタースパークで凹んだ部分から少し離れた壁面に設置された杭にそれを巻き付け、懐から取り出した5つの南京錠で鍵を留めた。
鎖は酸で浸食されてはいるが、それでも、霊夢の力では到底切断できるものではない。


「畜生……っ、畜生、畜生、畜生ッ……!!」


気付けていたはずだった。
“幻想郷では常識に囚われてはならない”……それは理解できていたはずだった。
けれども、“文のスナッフビデオに映りこんだ、人形を抱きかかえる真犯人と思しき人物の影”、
“早苗から齎された外の世界の殺人鬼の情報”、“行く先々で目にしていた、ダミーとしての不気味な人形”。
更には、“にとりの家で経験した、『終わったゲームは安全』という先入観”……全ての要素が、霊夢の判断を鈍らせた。


「ゆる、さない……っ、あんた、だけは……あんたたち、だけは、絶対に……!」


逃げることも出来ない霊夢は、憎悪に呻きながら、鬼のような形相で人形を睨みつける。
けれど、人形は勝ち誇ることもなく、扉の出口へと歩いてゆくだけだった。


「ゆる、さ……な…………」


“い”までは続くことはなく、霊夢はそこで意識を引き剥がされた。
ゲームの敗者を冷たく見下ろしながら、人形は扉に手をかける。
外の世界で、人形の“オリジナル”が“最初の者”の名を関する男を閉じ込めた時のように。
そして、最後に……幾度となく繰り返された言葉が、霊夢の目の前で紡がれる。




『 ゲ ー ム ・ オ ー バ ー 』










































おそらく、霊夢はこの部屋に閉じ込められたまま、いずれは息絶えることになるだろう。
早苗も、霊夢も敗北し……幻想郷全土を巻き込んだ“ゲーム”は、終わったのだろうか……?









































いいや、そうではない。 決して――――















































―――― 永遠亭……霊夢が囚われの身となってから数日後 ――――



「し、師匠ッ! 大変ですっ!!」


バンッ!!


永遠亭の診療室に、一人の少女が飛び込んでくる。
椅子に座り、書類にメモを残していた永琳は、その音に首を傾け、視線を扉のほうへと向ける。
垂れ気味の兎の耳に、ワンピースを纏った少女――――永琳の弟子の一人である 因幡てゐが 荒い息をつきながら、扉に手をかけて立ち尽くしていた。


「どうしたの?」


“騒がしいわね”と言う言葉を飲み込み、永琳は持っていた筆を机に置き、腰を上げる。
人里に出ていた てゐ がこれほどまでに焦るということは、のっぴきならぬ事態が起こったに違いない。
それを悟ったからこそ、永琳はノックもなしに入ってきた彼女を咎めることはしなかった。


「阿礼乙女から、人里の外れにある地下室で、天狗の遺体が発見されたって……
 ビデオの殺害現場に間違いないそうで、皮膚もジグソウパズルのピースに切り取られているって……!」

「――――!」


てゐが持ってきた情報は、永琳に息を飲ませるには十分すぎた。
射命丸の遺体が見つかったことは さして驚くべきことでもなかったが、問題は その場所が最悪すぎることにあった。
永琳はしばらく顎に指を当てて俯きながら思考を巡らせていたが、不意に首を傾げ、てゐに向き直る。


「ちょっと待って、阿礼乙女が? ハクタクじゃなくて?」


元々、永遠亭側――――つまり永琳と情報のやり取りをしていたのは、人里にある寺子屋の女教師だった。
寺子屋の女教師といっても、彼女には退魔の心得もあり、永遠亭への案内ができる藤原 妹紅の友人でもある。
そういう意味では、閉鎖的である永遠亭と人里を繋ぐのに適した人物でもあった。


「それが……数日前から、行方不明だそうです……」

「……わかったわ。新聞屋さんの遺体はその倉庫から、絶対に出さないように伝えなさい。 妖怪の山にバレたら、人里は終わりよ」


永琳の背をぞわぞわとした悪寒が包み、冷たいモノが流れる。
“文が殺されたのは人里”……それが知れたら妖怪の山の憎悪の矛先がどこへ向くか、想像に難くない。
現在の時点でさえ、大天狗や二柱が辛うじて抑えてはいるが、決壊も時間の問題なのだ。
しかも、寺子屋の女教師の能力で“里の歴史”を隠すことは、もう出来ない。


「紅魔館、妖怪の山や、その他の場所に何か動きは?」

「えっと……紅魔館には 全く動きはありません。 妖怪の山には、まだ天狗の遺体の情報は伝わってないですけど……
 あそこには他の新聞記者もいますし……知れるのは、時間の問題だと……」


未だ状況が 大事となっていないことに対する安堵と、情況が何一つ好転していない落胆に頭を悩ませながら、永琳は再び思考を巡らせる。
じわじわと真綿で首を絞められてゆくようなプレッシャーに追い詰められ、文が死んでいたのは、ある意味幸運だったとさえ考えてしまっていた。
もし、殺されたのが文でなく別の天狗であったら、幻想郷一の敏腕記者である文のこと、1日と経たずに妖怪の山に伝わっていただろう。
そして、人里は妖怪の軍勢によって攻め落とされていたに違いない。


「あと、人里の人間達の話では、アリスの家が大火事になったって……
 中から一人の遺体が見つかったから……アリスは――――」

「そう、あの子まで……」


次々と、転がり出るように 明らかになる犠牲者に、永琳は気が気ではなかった。
もちろん、それは酒を飲み交わしあった友人達が命を落としてゆくことに少なからず心を痛めていることもある。
けれども、それ以上に――――


「てゐ、イナバたちに伝えなさい。 遺体はもう持ち込まなくてもいいわ。
 これ以上調べても、何も出てこないでしょうからね。 ……あと、各地に配置していたイナバを呼び戻して、此処を守らせなさい。」

「え……? は、はいッ!」


一瞬だけ戸惑いながらも、てゐは振り返ると、配下のイナバ達に指令を伝えに行くために一目散に扉から飛び出ていった。
尤も、これ以上この場にいたくないというのも、彼女が急ぎ出て行った理由の一つであったに違いない。


「やっぱり、此処で情報を集めて 真犯人の正体を探るのも限界があるわね。
 まったく……安楽椅子探偵なんて、誰が考えたのやら」


軽い冗談を 重い口調で呟く永琳の周囲には、魔理沙の遺体をはじめとする遺体が処狭しと並んでいた。
ある者は全身を焼かれ、ある者は四肢をもぎ取られ……その全てが例外なく苦悶の表情を浮かべている。
この死体だらけの部屋の中で 平然としていられるのは 永琳くらいのものであろう。
その死体の中の多くに、真犯人が刻んだと思われるジグソウパズルの刻印があった。

犯人の手掛かりが無いものかと、調査してみたものの、今のところ有効な情報は得られていない。
おそらくは、これ以上遺体を探っても、何か情報が得られるとも思えなかった。


「ごめんなさいね、優曇華、霊夢……」


俯きながら、永琳は二人の少女に詫びの言葉を呟く。
残酷とは思いながらも、怯える優曇華に異変調査の情報取得をさせていたが、行方不明になってしまった。
卑怯とは思いながらも、魔理沙をダシにして炊きつけた霊夢さえ、行方不明になってしまった。


「本当に、ごめんなさい……」


二人の少女を犠牲にしたその罪を、永琳は真正面から受け止めていた。
けれども、本当に大切な人と その人が帰ってくる処を守るために、永琳は此処を離れるわけには行かなかった。
永琳の手の中には、一つのテープレコーダーが握られている。
それは、魔理沙の死体、文のスナッフビデオ、常にゲームと共にあるビリー人形 と 共に 送られてきたものだ。


「輝夜……どうか、無事でいて……」


優曇華や霊夢と同じく行方の知れぬ主を想い、祈るように永琳は呟いた。

























―――― マヨヒガ……霊夢が囚われの身となってから数日後 ――――



幻想郷の中には、何処にあるのかさえわからない場所がある。
常識的な人間からしてみれば、そういった場所は“あの世”や“天界”であったりするのだが、この世界ではそういう場所がキッチリと存在している。
いや、存在しているだけでなく、そういった場所は一般の人間にもその在り処が知られているのだ。
だから、生きている人間が天界に辿り着くことも出来るし、冥界の住人が現世へと自由に行き来も出来る。

ただ、なんにでも例外がある。
この世界で、ある意味最も辿り着くの難しい場所が、その例外――――俗に“マヨヒガ”と呼ばれる場所であろう。

特殊な結界で覆われたその場所は、鋭い土地勘と強大な力を持った者ですらまともに辿り着くことは出来ない。
その反面、まるで無力な幼子でも、あっさりと入ることが出来る場合なのだ。
では、その場所に行くにはどんな要素が必要かというと、“わからない”。
それも当然であろう。 入れるか入れないかは、マヨヒガの内側にいる――――幻想郷の頂点に立つ女の“気紛れ次第”なのだから。


「想像以上に、まずいな……」


そんなマヨヒガの内側にある純和風な館の縁側で、一人の女が腕を組みながら唸っていた。
ひらひらとした中華風とも洋風ともつかぬ衣服。二股に分かれた帽子は道化師のようではあるが、彼女にはそんなイメージはまるで似合わない。
短めな金色の髪は木漏れ日を浴びて艶やかに輝き、全部で9本にもなる肌触りのよさそうな金色の尻尾が、彼女が人ではないことを示していた。
女性にしては上背があることと、ややスレンダーな体格も相まって、九尾の女を 青年と見違える者も決して少なくないだろう。
ただ、男性に見られようが女性に見られようが、いずれにせよ 輝くばかりの美しさは万人が認めるはずだ。
もっとも、彼女自身が表情に影を落としてしまっているため、その美貌も 3割減といったところであろうか……


「まさか、此処まで大事になるなんて……」


彼女がこれほどまで唸る理由は言うまでも無いだろう。
この幻想郷中を騒がせている正体不明の殺人鬼が、目下彼女の頭を悩ませる最大の原因となっていた。
当初は、彼女も すぐに犯人が捕まると考えていたが、次々と犠牲者は増え続け、今や幻想郷全土を大戦争に巻き込む寸前までに状況は悪化している。
ただ、解決しようにも犯人の居場所も正体もわからないため、手も足も出ないのだ。
いくつか、わかっていることと言えば、“ゲーム”と“不気味な人形”……そして、犠牲者が ほぼ100%死亡するということだけだった。
“眠りについている主”の手を借りるわけにも行かず、九尾の女は自分自身の双肩にかかっている重圧に苛まされながら、自らの無力を嘆いていた。


「藍……」

「!!??」


俯きながら溜息をついていた女の背後から、弱々しい声がかけられる。
息を飲む彼女――――八雲 藍 の表情は、期待による安堵と 青褪めた感情が入り乱れたものとなり、振り返ったとたん、その双眸が驚きに見開かれた。
彼女の背後に立っていたのは、黄金色の髪を持つ 和装の寝巻き姿の女性。
乳房や臀部は女性らしい滑らかな丸みを帯びており、なおかつ腰の括れは触れるだけで折れてしまいそうなほどにか細い。
肉感溢れる肢体に、整った容貌を持つその女は、藍に勝るとも劣らない程の絶世の美女であった。
けれども、女の表情は青褪め、柱にもたれながら荒い息をつくばかり。
更には寝起き姿であるため、その美貌も5割減と言ったところであろうか。


「ゆ、紫さま……!?」


空いた口を閉じることも出来ず、藍は彼女の主――――八雲 紫の元に駆け寄った。
同時に、寝巻き姿の肢体がぐらりと揺れ、藍の両腕によって抱きとめられる。


「な、なぜ……!? まだ、寝ていなくては――――」


わめくように叫ぶ藍に抱きかかえられる紫は、端から見れば恋心を抱いていた青年に抱きかかえられる薄幸の少女といったところであろう。
それこそ、映画のワンシーン……それも確実に万人の印象に残る光景とも断言することが出来る。
ただし、当の二人からしてみれば、あらゆる意味でそれどころではない。

藍が取り乱しながら驚くのも無理はなかった。
紫は、彼女自身が持つ固有能力である“境界を操る程度の能力”をもって幻想郷を外界から切り離す結界を維持している。
その能力は人の心はおろか、次元さえも容易に操ることの出来るものであり、その気になれば、彼女は幻想郷……
いや、その外の世界ですら簡単に滅ぼすことができるのだ。
……だが、その力も万能ではない。


「……寝ている場合じゃ、ないわよ……わかってる、でしょう?」


人間に比べ、遥かに強力な力を持つ彼女でも、境界の操作は莫大な力を消耗する。
それが、紫に 一日12時間の睡眠、更に長期間の冬眠という形でのエネルギーの補充を必要とさせているのだ。
エネルギーの供給を途中で停止した今、紫の身体は著しく弱体化してしまっている。


「……全快時の1割程度……か……スキマも使えないわね……
 藍、今回は、橙にも手伝ってもらうわ……つれていらっしゃい」


言葉を一区切りずつ、力なく呻くように、紫は藍に告げる。
そして、その言葉を聞いた藍の表情が、さらに青褪めた。
普段の紫であれば、これほど危険な異変の解決に 藍自身の式神でもある“橙”を関わらせは すまい。
橙の力も借りたいと言うことは、即ち“猫の手も借りたい”程に、現状が 紫の手に余るほどの危険な状況だということなのだ。


「ゆ、紫さま! やはり無理です!」

「大丈夫、頭は、まだ回るわ……身体は、少しなら大丈夫だから……」


無理に立ち上がろうとする紫を抑えようとするも、何の苦労もなく あっさり抑えることが出来たために、逆に 藍のほうがうろたえてしまう。
単純な膂力の比較だけならば、普段の紫を、藍は抑えることが難しい筈なのだ。
今の紫は、藍はおろか、下手をすれば橙にさえ 為す術なく敗北してしまいかねないほどに弱体化が極まっている。


「自ら動かれなくても、西行寺に頼めば――――」

「幽々子は、今それどころじゃないわよ……わかっているでしょう?」


何とか思いとどまってもらおうと、頼りになる友人がいることを示唆するも、紫は力なく首を横に振る。
現在の時点で、犠牲者がどれほど出ているのかは紫や藍にも わからない。
ただ、疑心暗鬼に駆られての殺し合い、模倣犯などにより、死亡者は 殺人鬼の手によるものよりも遥かに多いはずだ。
冥界を管理している亡霊少女と彼女の従者が、一気に増加した死者の数によりてんてこ舞いとなっていることは容易に想像つく。
同じ理由で、閻魔と死神の二人が動くことも有り得ない。


「ならば、あの鬼に――――」 

「萃香なら……たぶん、もう殺されてるわ……」

「――――ッ!!??」


その言葉が、藍の心をさらに絶望へと叩き落とした。
































―――― 紅魔館……霊夢が囚われの身となってから、数日後 ――――




幻想郷には、人間が近づいてはならない場所が幾つかある。


曰く、“太陽の畑”とも呼ばれる向日葵畑 ―――― 一面に咲き乱れる向日葵の花を踏みにじりながら侵入しようものならば、そこに住まう花の女王に大地

の養分とされる。
曰く、夜更けの魔法の森 ―――― 妖魔が跋扈する密林の中で平気に暮らせるのは、黒白の魔女と、人形遣いの少女のみ。

そして、“紅魔の館”と呼ばれる西洋風の建物もその一つであった。
運が良ければ昼寝好きな門番にノされて悔し涙を飲むだけで済むが、悪ければ吸血鬼の“食料”として生を終えかねない。


「……殺人鬼、だと?」

「はい、お嬢様。 その殺人鬼が原因で、此処最近、誰も外を出歩いていません」


そんな紅い屋敷の一室――――
おそらくは、館の中で最も上位に位置する者のために誂られた部屋の中で、二人の少女が言葉を交わしていた。
一人は、お嬢様と呼ばれた薄い桃色のワンピースを纏う、年の頃 十にも満たぬ幼子。
そして、もう一人は給仕の衣装を纏った、年の頃15、6程度の銀色の髪の従者。
二人ともいずれ劣らぬ美少女であることは否めまいが、この二人を知る者で、言い寄るような命知らずは まず存在しないだろう。
付け加えるならば、幼女のほうが幻想郷のパワーバランスの一角を担うなど、知らぬ者なら誰も想像は出来まい。


「いかがなさいますか?」

「捨てておきなさい。わざわざ動かなくても、霊夢なら、そんなヤツすぐに始末できるはずで――――」

「その霊夢が、数日前から行方不明なんです」

「なんですって?」


幼女――――紅魔館の主レミリア・スカーレットは余裕綽々で椅子の上にふんぞり返りながら、従者――――十六夜咲夜の報告を聞いていた。
だが、霊夢が行方不明との報を耳にしたとたん 視線が鋭くなる。


「……はい、妖怪の山の巫女と同じく行方が――――」

「そっちはどうでもいい。 あの霊夢が行方不明? それは確かな情報なの?」

「はい、魔理沙の遺体を永遠亭で確認した後、例の天狗の殺害ビデオを見て激昂して出て行ったきり、行方がわからないそうです」


椅子に腰掛けたまま身体を乗り出すレミリアの表情は、次第に険しくなってゆく。
霊夢とは相容れないところはありつつも、一度はレミリア自身に土をつけたこともあり、その実力には一目置いていたということであろう。
レミリアは暫く顎に指を当てたまま考え込んでいたが、ふと頤を上げると鋭い視線を孕ませた表情を咲夜に向けた。


「咲夜、門番の人数とフランの護衛を増やしなさい。 特にフランは何があっても絶対に外に出さないように。
 あと、パチュリーにも頼んで、この周辺一帯に侵入防止の結界を張ってもらいなさい。
 霊夢が捕えられたと決まってはいないけれど、万が一にも、敵が霊夢を捕えるようなヤツなら――――」

「わかりましたわ。 メイドたちは必ず二人一組……いえ、三人一組で動くように指示します」

「こっちの防御体勢が整ったら、霊夢を探しに行くわよ」

「……は?」


一オクターブ下がったレミリアの声と真剣な眼差しに、咲夜は身を引き締めたが、次の瞬間腑抜けたような表情へと変わった。
思わず、目上の者に対する言葉遣いを忘れたまま、ぽかんと口を開いて呆けてしまっている。

咲夜の反応も、無理はなかった。
元来、吸血鬼は一般の妖怪と比較して力が強い分、日光や流水など弱点が多い。
それゆえに、危機感知能力が優れていなければ生き残れないのだ。
むろん、外出する際は護衛として常に咲夜が付き従うものの、万が一と言うこともある。
まして、相手は霊夢を捕えることができる程の危険人物かもしれないなのだ。
吸血鬼であるはずのレミリアが、身の安全を投げやりにする言葉を口にしたことが、咲夜には信じられなかった。


「え、お、お嬢様……?」

「急ぎなさい、咲夜」

「え? あ、も、申し訳……か、畏まりました、お嬢様……」


謝罪の言葉もそぞろに、咲夜は 配下の妖精メイドたちに指示を下すべく、急ぎ部屋を出てゆく。
退出の際の礼も忘れてしまっていたが、あまりに慌てていたのか、咲夜は そのことに気付くこともない。
レミリアはそんな咲夜を見咎めることなく、椅子に座ったまま思考を巡らせた。


「あなたが、そうそう捕えられるタマとは思えないけれど……」


窓のない館、誰も聞いていない部屋の中。
レミリアはその心を隠すことなく、自らに信じ込ませるように独り言を呟いていた。


「それでも、万が一って事もあるし……ね」


霊夢の無事を案じながら――――

































―――― そして、魔法の森……アリスの姿をさせられた鈴が炎に焼かれ、消し炭になってから数分後 ――――



ぐぃ……っ!


「え?」


殺人鬼を追っていた最中、不意に、早苗の足に何かが 引っかかる。
反射的に早苗が足元を見た瞬間、彼女の瞳が一筋の光を捕えた。
釣り糸のような、細い糸――――ブービートラップ――――そんな思考が、百分の一秒にも満たない時間の中で、早苗の脳裏をゆっくりと駆け巡ってゆく。
同時に、早苗の心の中を恐怖と絶望の感情が覆い尽くした。


――――“ブービートラップ”という早苗の思考は、正解だった。


早苗のすぐ傍の木陰には、ポンプアクション方式の散弾銃が隠されていたのだ。
足に引っ掛けた その糸は、ショットガンの引金へと繋がっており、それを引くためのスイッチだった。
もっとも、実戦経験の浅い早苗が、隠されたショットガンの存在などに気付くはずも無い。


ドンッッ!!


早苗の身体が硬直する。
霊夢の怒声によって森の奥に逃げ込んでいた鳥達が、激しい音に再び飛び立ち、逃げ去ってゆく。
ぎゃあ、ぎゃあという鳥の声が次第に遠ざかり、程なくして、不気味な静寂が周辺一帯を支配した。
つぅ……と、早苗の額を生暖かい液体が伝い落ち、続いて その身体がぐらりと崩れ落ちて――――


「あ……あぁ……」


――――ぺたん、と力なく尻餅をついた。
次いで早苗の喉を通って出たのは、安堵とも恐怖ともつかぬ溜息。
散弾銃の弾丸は、早苗の額を掠めるだけで、命に関わるような負傷を与えることは無かった。
それでもショックは大きすぎたのか、早苗の腰は完全に抜けてしまい、地面の上に座り込んでしまったまま身動き一つとることもできない。
表情は完全に青褪め、冬の冷える空気が、冷たい汗の流れる身体を更に冷やしてゆく。
もしも、“何者か”によって、腕を思いっきり引っ張られていなかったら……早苗の頭部は、確実に吹き飛ばされていただろう。


「ホラー……イ……」


掴まれた手を見ると、ボロボロな姿になった小さな人形が、必死に早苗の腕にしがみ付いていた。
人形からは光る糸が生えているが、それは人形から数mの地点で途切れている。
切れた糸……魔力供給の切れた人形が動くはずもない。
それこそ、“奇跡”でも起こらない限りは――――


「あなた、は……?」

「アリスヲ……止メテー……」


人形の頬から流れ落ちた雫が、早苗の手の甲に滴り落ちた。
動くはずのない人形が、流すはずの無い涙さえ流しながら、人形は早苗に懇願する。


「オネガ……イ……」

「……アリスさんを……止める……? で、でも、アリスさんは、さっき……」

「アリ……ス……ヲ………………」


それっきり、早苗の命を救った人形は動かなくなった。












































―――― ゲームは、まだ終わらない。











































東方葬送夢 ……END
お久しぶりです。
お待たせしてしまって、大変申し訳ございません。
まずいな…霊夢と早苗視点は終わりと言ったのに…スマンありゃウソだった。


≪慧音の教え子達のゲームについて≫
今回の“ゲーム”は、慧音のものではなく、その教え子達のものです。
慧音は、誰を生かすか選ぶ権限は持っていましたが、“ゲーム”のコマに過ぎません。
愛する人間を守るため、身を削られ、想像を絶する苦痛に耐えて……
そして、愛する人間によって命を奪われる……いいよねこういうの。


≪“ジグソウ”の正体≫
そして、真犯人が東方キャラと想像していた方、ごめんなさい。
“ジグソウ”の正体は幻想郷に流れ込んできた“ビリー人形”がメディスンのように意思を持ったモノです。
(ある意味で、child playみたいなモノでしょーか。アレは殺人鬼の魂がそっくり乗り移ったヤツですが)
そんで、元ネタさながら常に最前列でゲームを見ていました。
ただし、“ジグソウ”は協力者がいなければ一人じゃほぼ何も出来ません。やっぱり元ネタ然り。
そのため、協力者は――――
変態牧師
http://preacher666.blog121.fc2.com/
作品情報
作品集:
23
投稿日時:
2011/01/30 15:59:33
更新日時:
2011/01/30 15:59:33
分類
残虐グロ
ジグソウ異変
上白沢慧音
オリキャラ(慧音の元教え子)注意
そして、“すべての元凶”は出現する
1. 名無し ■2011/01/30 18:42:44
今回も素晴らしく面白かった。
しかしまだ協力者がいそうな雰囲気だな。
アリスには文や妹紅を捕らえて能力を封じるなんてできないから、当然といえば当然だけど
2. 名無し ■2011/01/30 18:56:10
>第二部では、幻想郷の別のキャラから見た異変の様子をお送りします。
第二完! セクシーコマンド外伝、すごいよ、マサルさん!?

『始まり』は魔理沙では無くアリスだったって事か……
3. NutsIn先任曹長 ■2011/01/30 19:22:24
あ、ああ…、あああああぁぁぁぁぁ!!
神話にその名を残す変態牧師様が、帰ってきたあああああぁぁぁぁぁ!!!!!

慧音先生のゲーム、いかにもSAWって感じの、人間のエゴ丸出しのイカした(イカレた)ものでした。
『歴史に学び』――、人間の汚い部分、特に短い生のためなら何でもやることに注意しろ、ということですか。
助かった者も結局…。

霊夢は捕らえられ、紫は十全のコンディションではない、レミリアは弱点がある、永琳師匠は『人質』を取られている、
その上、幻想郷は極度の緊張状態、と。

読者にはジグソウの正体と協力者の『一人』はアリスだということが分かりましたが…。
まだ、ドッキリサプライズがあるんでしょうね…。

それでは牧師様、久方振りのジグソウ異変、続きを楽しみにしております。
4. 名無し ■2011/01/30 19:39:59
今回も楽しませてもらいました
いわゆる俺達の戦いはこれからだエンドって感じでこのシリーズは一旦終了って感じですかね?
もし続編があったらかならず読ませてもらいますが、とりあえずはお疲れ様です

まさかビリー人形だったとは……
早苗さん、ストラムの前例があるからトラップから助かってもまだ安全だとは言えないな……
どうなるんだろ……人里も壊滅フラグ立ててるし

あるいは、ビリーに宿っている意志は何だかんだでポリシーのあった『ジョン』ではなく、
飽く迄殺人鬼『ジグソウ』である事を考えると原作ホフマンよろしく自己掲示欲からの暴走を始めるか……


アリスの言う『あの子』は、まさか夜伽SSの……!?
5. 名無し ■2011/01/30 20:32:59
どんどん死んでいくww
それにしても輝夜まで捕まるとは
永琳が本気出しても見つからないしイナバを散らしても見つからない
ヤヴァイですねーww
6. 木質 ■2011/01/30 22:28:21
一人一人殺していくギミックが相変わらず凝っててすごい
奇跡的に生き残った早苗と、新しく参入した陣営が次回から話にどう絡んでくるのか楽しみです。

そして100kbを書ききるタフな精神力、尊敬の一言に尽きます
7. 名無し ■2011/01/31 09:01:00
人形の台詞から霊夢は単純に殺されるわけじゃないように思うが・・・・・・
「これからは」どうするつもりなんだ、すごく気になる。
8. マジックフレークス ■2011/01/31 21:24:37
お久しぶりです。断片的に入ってきた情報から続編を作られていたことは知っていました
しかしこれだけの大作、時間の開いた続編。相当な難産だったのだろうと心中お察しします
今後もこの葬送夢シリーズも含め、産廃で再び活動されることを期待せずにはいられません
9. 名無し ■2011/02/01 19:56:59
今回も面白かったなぁ
やっぱり慧音先生みたいな清廉潔白な人は報われちゃ駄目だよね!
次のゲームの主役になるかもしれない姫様にも期待
10. 名無し ■2011/02/02 22:00:56
来たー!来たー!来たー!!
待ってましたの大御礼!
霊夢は死んだとは確定されてないからどうなるか楽しみだし紅魔館勢も出てきて面白くなってきましたw
妖々夢勢や花映塚勢は出てこないかな?命蓮寺勢も出てこないだろうなぁ(チッ

そして早苗さんはやっぱり死んでなかったかー。ここがこの物語の大きな分水嶺になると思う
11. 灰々 ■2011/02/03 01:40:59
今回も本当に面白かったです
あっという間に読み終えてしまいました
12. 名無し ■2011/02/08 18:18:53
このシリーズ大好きです
続きいつになるんだろうなー
名前 メール
パスワード
投稿パスワード
<< 作品集に戻る
作品の編集 コメントの削除
番号 パスワード