パブリックエネミーズ

作品集: 24 投稿日時: 2011/02/15 09:14:24 更新日時: 2011/02/15 09:14:24
「さ、こっちむいて。写真とるから」

 涙が滲んだ瞳で恨みがましく睨みつけてくるリグルを鼻で笑い飛ばし、はたてはケータイカメラのシャッターボタンを押した。カシャ、とシャッター音を模した電子音が鳴り響き、二人の白狼天狗に組み伏せられ地面に押し付けられているリグルの写真が携帯に保存される。そのリグルの怒気と羞恥に赤く染まった顔の前には湯気と臭気たつ液体が広がっていた。ワイシャツを捲り上げられ、顕になっている背中には【野尿】の焼印が刻まれ、真新しい火傷の痕からは僅かに血なのどの体液が流れ出している。
 痛々しくも惨めな光景。けれど、それを見てもはたては目を背けたり、眉をしかめたりなどはしない。嬉々としてリグルの無様な格好を眺めているばかりだ。

「じゃあね、どうせ罰金は払えないでしょうから、これは明日の朝一番に幻想郷中に配っておくわ。恨むんなら、自分のトイレの近さと貧乏さを恨みなさい」

 ケラケラと笑って飛び立っていくはたて。リグルの拘束を解いた白狼天狗たちが続く。後には涙をぬぐい洟を啜るリグルだけが残された。





 幻想郷トイレ衛生法が可決されてから数週間…人々は満足に用もたせず、違反者を取り締まる罰則課の影に怯えて暮らしていた。
 
 衛生法違反者を取り締まる罰則課。その活動は前述の通りだ。
 委員会が定めた公衆トイレかもしくは許可を得た個人の便所以外で用を足したものを囚え、体の一部に罪状…【野尿】【野糞】【脱糞】…といった焼印を刻み、証拠としてその排泄物と一緒に咎人の顔を写真に収める。写真は次の日に幻想郷の各戸口や公共の場に作られた掲示板などに貼り出されることになっている。一応、5万円という罰則金を払えばそれは免除されるが、5万円といえば一般的な幻想郷の家庭の一ヶ月分の食事代より多い。そんな大金を払えるものは少なく、大抵の場合は泣き寝入りするしかないのが現状だ。

 罰則の厳しさに加え白狼天狗の目と烏天狗の機動力を使った罰則課の取り締まりは非常に厳しく、特に屋外でしたものはその目と足から逃れることは出来ないとされている。
 今では罰則課と言えばゲシュタポか特高か、戦時中の秘密警察もかくやという畏怖の念を抱く名前となっていた。

「ふふん、今日は…五枚。なかなかのペースねっ」

 その一員として姫海棠はたては動いていた。





「ただいまっ。はい、コレ、今日の分」

 白狼天狗を引き連れて委員会本部がある妖怪の山に帰ってくるなりはたては事務所のデータ管理センターまでまっすぐに向かい、受付の河童に携帯電話から抜き取ったSDカードを手渡した。カードをスロットに挿し込み、カタカタとPCを操作する河童。

「ねね、私って今、何位ぐらい? 文は?」

 その操作を邪魔するよう、はたてはカウンターに身を乗り出して河童に問いかけた。河童は嫌そうに眉を顰めると無言でPCをのモニタをはたての方へと回した。
 17インチのモニタには罰則課課員の名前と写真、それと担当部署などのデータが表示されている。そのうちの一つに【逮捕者数】なる項目があった。はたての数字は172。文の101を上回り、その数字は他の烏天狗たちと比べてもダントツで多いものだった。

 数字の意味は言わずもがな、課員が囚え懲罰を与えた人の数だ。幻想郷に住まう天狗の本分である新聞記者としての腕だけではなく、罰則課の仕事においてもはたては文をライバル視しているのである。
 結果はどうやらはたての圧勝の様だったが…

「射命丸課長は会議や他の仕事でお忙しいそうですから」

 ぽつり、と受付の河童は呟く。とたんに上機嫌だったはたての顔が険しくなった。

「ああん? なにか言った!?」

 河童に顔を寄せ、睨みつけるはたて。気が小さそうな河童はそれだけで震えて、いえ何もと自分の口の軽さを呪いながら必死に弁明する。それでもはたては許す気がないのか、更に河童に詰め寄る。
 と…

「あ、はたて先輩、お疲れ様です」

 そこへ河童にとっては天の助けのように第三者の声が飛び込んできた。ほっと胸をなで下ろす河童。はたてが体勢を元に、振り返るとそこにいたのは白狼天狗の椛だった。
 椛も外から帰ってきたばかりなのだろう。隣にはたてと同じ烏天狗がいる。その烏天狗は受付の河童にポラロイドカメラで撮った写真を渡すと椛に頭を下げそそくさと立ち去ってしまった。ご苦労様です、とその後姿を見送る椛。

「ふふん、たった二枚か。あの分じゃ、私の一位は不動のものね」

 椛の連れの烏天狗が受付に渡した写真の枚数を見て、不敵に笑むはたて。腕を組んでご満悦の様子だ。

「相変わらず一位を独走ですか、はたて先輩」
「ええ、当然でしょ」

 椛の言葉に更に有頂天になったのか、かんらかんらとはたては笑い声をあげた。けれど、どうやら、椛の言葉は褒め言葉ではなかったようで、僅かに右の瞳だけを細めると椛ははたてに向かいあった。

「でも、はたて先輩。少しやり方が強引なのでは? 仲間の白狼天狗から先輩のやり方を疑問視する声が上がっているとの噂を聞きましたよ」
「強引? 何が?」

 椛の言葉の意味がわからずはたては問い返す。けれど、椛はすぐには答えない。えっと、と視線を泳がせ間を作っている。言葉を探しているのだろうか。

「聞いたところによると保守点検中のトイレの近くで違反者が出ないか張り込んでいたとか…その、保守点検の要望も先輩が出した、なんて話も聞きましたが」

 じっ、と疑いの目ではたてを見る椛。何のことかな、と視線を泳がせるはたて。こめかみからは油みたいな冷たい汗を流している。

「罰則課は違反した者を取り締まるのが仕事です。違反しやすい状況を作って取り締まるなんて…本末転倒ですよ」
「だから、知らないって言ってるでしょ!」

 なおも問い詰めようとする椛にはたては鋭く声を上げる。事務所内にいた委員会の人達が驚いてはたてたちに注意を向けるがはたてはまるで気にした様子もない。眉をしかめ、歯を食いしばって椛を睨みつけている。

「そうですか。わかりました。まぁ、文さんとのランキング争いも程々にしてくださいね」

 委員たちの過剰な注目で気分が削がれたのか椛は肩をすくめ、それで話を終わらせた。踵を返し、立ち去ろうとする。はたてはまだなにか言いたそうだったが、これ以上口を開けばやぶ蛇になるのは間違いないと自分でも分かっているので悔しそうに口端を曲げながら椛の背中に視線を向けていた。
 と、

「あ、そうだ」

 椛の足が止まり、また振り返る。また、何か言われるのでは、とはたては気丈に身構えたがどうやらそんなことはなかったようだ。

「はたて先輩、トスポを貸してもらえませんか」

 トスポ、というのは既知のとおり現在、幻想郷でトイレを使用する際に使うポイントカードだ。月に一度だけ無料で120ポイントが加算され、1ポイントで自分の家以外のトイレを一度だけ使えるという仕組みになっている。ブラックトスポというのはそのトスポカードの上位版、使用回数が無制限となっているカードだ。幻想郷の一般人たちにはあまり知られていないが、委員会のみに配布されている特別なカードである。委員のみ、というのは人々の規範になるべき衛生委員が衛生法に違反するわけにはいかない、という考えがあるからだ。もっともそれは実際のところ建前で、本当は役得ではないか、というのが委員の多くの考えだ。

 当然、椛もはたてもブラックトスポを持っている。
 いいけれど、なんで、とはたてはブラックとスポカードを手渡しながら問いかけた。

「なんでも、システムのアップデートがあるようでして。詳しくは私も知らないんですが。自分の分とついでに先輩の分もアップデートしてきますよ」
「ホント!? ありがとう。私、技術課の連中はどうも苦手でさ。なんってーの、いかにも根暗の集まりでオタクっぽくない?」

 あーやだやだ、気持ち悪い、と肩を抱いて震える真似をして見せるはたて。あはは、と椛は愛想笑いとも苦笑いともつかない曖昧な表情を浮かべるだけだった。

「暫くここで待っていてください。すぐに交換してきますから」

 それだけ言うと椛は頭を下げてまた踵を返す。お願いねーと見送るはたて。

「さてと…アンタ、さっき、文がどうのこうの言ってたわね…」

 椛の姿が消えるやいなや、またも受付の河童に迫るはたて。どうやら、絶対に許すつもりはないようだった。









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









「さって、パートタイムも終わったし、吞みにでも行こっかな」

 椛からブラックトスポカードを返してもらったはたては一人、幻想郷の空へと飛び立った。さして速度も出さず、のんびりと夕暮れ時の空を舞う。赤から紫、そうして群青から黒に移り変わっていく空模様が美しい。そんな空を眺めながらはたてはあの串カツが旨い居酒屋に行こうか、焼酎が豊富なあの酒所に行こうかと悩んでいた。
 と、

「ん…」

 お腹に違和感。
 下腹部を押さえ、腹具合を確かめる。そう言えば今日はまだ大きい方に行っていないなぁ、とはたては思った。本部から出る前にお茶を戴いたし、冷たい夜風に吹かれて腹の調子が少し崩れたのだろう。はたては地上を睥睨すると丁度よく公衆トイレの屋根を見つけた。
 吞みに行く前に出す物は出しておこうとはたては急降下する。

「はいはい、衛生委員会罰則課よ。どいてどいて」

 トイレ待ちをしている列のすぐ傍に降り立つとはたては委員会の腕章を見せつけながら列の先頭へと近づいていた。権限を乱用して割り込もうとしているのだ。並んでいた人々は露骨に嫌そうな顔をするが誰も止めろとは言い出せない。それほどまでに罰則課の名前は強いのだ。

「ほら、さっさと出て」

 丁度用をたしおえて出てきた農夫の袖を掴んで半ば強引に引っ張り出すはたて。開いていた戸が閉まると扉に仕組まれた機構が動いてかしゃり、と鍵がかけられた。扉に取り付けられている機械の表示も【使用中】から【トスポカードを通してください】に切り替わる。鍵を開けるには機械にトスポを読み取らさなければいけない。これがトスポシステムだ。許可を得た一般家庭用トイレにもこれと同じ機械が取り付けられている。

 はたてはお財布からブラックトスポカードを取り出すとそれを機械にあるスリットへ通した。
 けれど…

「あれ?」

 ピーッ、という電子音と共に機械に【読み取りエラーです。もう一度、ゆっくりとトスポカードを通してください】という表示が出る。当然、鍵は開かない。通すのが早すぎたのかな、とはたてはもう一度カードを通してみるが

――ピーッ

「ええっ、どうして?」

 結果は同じだった。
 その後も二回、三回とカードを通すが毎回電子音が鳴り響きエラーが表示される。鍵が開く気配は見られない。

「なんで開かないのよっ!」

 苛立たしげに叫ぶはたて。それを笑うようにまたエラー音。扉を蹴り飛ばしたくなる衝動に駆られる。

「おい、罰則課の姉ちゃん、使わないなら代ってくれねぇか。漏れそうなんだよ」

 と、はたてが割り込まなければ次の番だった左官職の若いのがそう声をかけてくる。声にははたてとは比べものにならないような苛立ちが。無理もないだろう。割り込まれた上に割り込んできた相手がトイレに入らないでいるのだ。尿意と便意とそれが合わされば下手をすれば言葉より先に手が、その先に排泄物が出るかも知れないのだ。必死にもなろう。

「ううっ…わ、分かったわよ。お先にどうぞ」

 厳つい顔の若者に睨まれ、はたてはたじろぎながらも何とか強がりを言ってのけた。すれ違うように左官屋に順番を譲る。左官屋ははたてに聞こえるような大きな音で舌打ちしながら自分のトスポを機械のスリットへ通した。ピッという電子音と共に機械の表示も【どうぞご使用ください】に変わる。

「な、なんで?」

 悔しそうに疑問符を浮かべるはたて。トイレの鍵が開かない理由をはたてはカードリーダ自体の不具合だと思っていたのだ。けれど、左官屋がカードを通した時、鍵は苦もなくすんなりと開いてしまった。唇をへの字に曲げしかめっ面をするはたて。だったら、今度こそ、とまた先頭に立とうとしたところで…

「………」

 仁王もかくやという形相で睨まれた。睨んできたのは左官屋の次に並んでいた中年の女性だった。丸っこい顔をしているがそのうちに秘めた怒りは左官屋と同じなのか、瞳に籠もる怒気ははたてをたじろがせるのに十分だった。はたては目を泳がせつつ更に次の番に割り込もうとするがそこでもまた睨まれる事になる。

「ううっ…」

 先ほどのトスポカードの読み取りミスでケチがついてしまったのだ。こうなっては一時的ではあるが上下関係は逆転してしまっている。はたては仕方なく鋭い視線と舌打ちに突き飛ばされるよう、列の最後尾へと回り込んだ。

 並んでいる人数は少なく、ものの数分ではたての番は回ってきた。
 けれど、やはりというべきか。

「なんでなんで、どうして!?」

 カードを何度通そうともトイレの戸が開くことはなかった。

「あっ…!」
「んだよ」

 そうこうしている間に次に並んでいた柄の悪い浪人風の男がはたての横から断りなくカードを通し、トイレの戸を開いてしまった。私の番なのに、とはたては訴えようとしたがすっかり気後れしてしまったのか、声にはならなかった。いや、それ以前に腹具合が並々ならぬ状態になってしまっているのだ。

「くぅ…」

 お腹を押さえつつまた最後尾へ。辺りはすっかり暗く、冷たい風がはたてのむき出しの太股を撫でる。サイハイソックスにしておけばよかった、と後悔するが遅い。こめかみを嫌な脂汗が伝わり、ぎゅるぎゅると腸は鳴動する。苦虫を噛み潰したように顔をしかめながらはたては数分刻みにしか動かない列をもどかしく思いながらも何とか堪え、待つ。

 そうして…

「ええっ…?」

 エラー。もう、何度カードをスリットに通したことだろうか。いくらやっても扉は開いてくれなかった。ここまで来ればはたてでも分かる。カードの通し方が悪かったのでも機械が壊れているでもなく、はたてのブラックトスポカードがなんらかかの不具合を起こしているのだと。

「えっと…その…」

 はたては涙目で振り返り、自分の後ろになんでいた人に訴えかけるよう、上目遣いの視線を送る。

「と、トスポ貸してくれない…貸してくれませんか? 使ったポイント分はきちんと、ううん、倍払うから…」

 残る手段はそれしかなかった。ポイントの残高がゼロだと言うことはこのブラックトスポカードではあり得ない話だ。となると新しいカードそのものを手に入れる必要がある。しかたなくはたては哀れみを誘う声色で後ろの人に懇願した。だが、どうやら相手が悪かったようだ。

「嫌よ。今私、とぉぉっても虫の居所が悪いから」

 そうきっぱりと応えたのはあろう事か幻想郷最強のいじめっ子妖怪として名高い風見幽香だった。高みから睥睨するような視線をはたてに送ってくる。

「そ、そんなぁ」
「今日ねぇ、私の大事な性奴隷の一人が衛生法に違反して貴女のお仲間の罰則課に写真を撮られたそうなの。焼き印も押されてね。まったく、あの子にそういうことをしていいのは私だけだって言うのに」

 聞いてもいないことを吐き捨てる幽香。それだけ苛立っているということなのだろう。はたては仕方なく助けを求めるように幽香の後ろに並んでいた人に視線を向けるが、そいつは加虐的な笑みを浮かべると幽香と同じく嫌だね、と応えた。

「アンタ、委員会の人なんだろ。だったらよぉ、俺たち一般人からポイントを買わなくても自前で用意できるじゃん」

 いやみったらしく大きな声で男が指摘した。列からはそうだそうだと同意の声があがる。気押されるよう、腹痛に顔をしかめながらはたては一歩、後ずさった。

「そうよね。ううん、そもそもカードを貸してくれって言うのがおかしいわね。
 そういえばうちの子も言ってたわね。『トイレに行ったら点検中の札がかけられてて使えなかったんです。すぐに終わるからってその場で待ってたんですけれど、なかなか開かなくて、それで…』って。で、後で委員会の本部に問い合わせてみたらそのトイレ、なんと点検の予定はなかったそうよ。どうやら、誰かが偽の点検中の札をかけて、それでうちの子を騙して無理矢理粗相させたみたい」

 思い出しながら、且つ問い詰めるよう幽香はそんなことを話す。列に並んでいた民衆の瞳に疑問と怒りの色が浮かんでくる。

「私、なんだか、貴女にカードを貸すととんでもないことになりそうな気がするんだけれど…ねぇ、本当に貴女に貸しても安全なのかしら? まさか、カードを使えなくしたりしないわよね」

 疑問系の幽香の言葉は既にそれを聞いている民衆の中では真実になっていた。十余りからなる疑惑の目がはたてに向けられる。たじろぐはたて。後ろに一歩下がると詰めるように並んでいた人々が足を進めてくる。

「おい、何とか言えよ天狗の嬢ちゃん」
「衛生委員ってのは幻想郷をキレイにするのが仕事なんだろ。お前らが率先してキタナい事やんのか? あぁ?」
「もし、風見さんの言ってることが本当なら…これは委員会への不信任案ものよ」

 日頃の恨みとはたての不審な行動、加え強力な妖怪が自分たちの側にいることが後押しになったのか、敵意に瞳をぎらつかせながら民衆ははたてに迫る。大勢の人に囲まれた上に腹痛と便意に苛まされているはたては言葉なく後ろに下がるしかなかった。その脅える様が更に彼らの敵愾心を刺激したのか、腕っ節の強そうな連中は握り拳をつくり今にも殴りかからん雰囲気を醸し出している。

「ううっ…」
「おい、なんだか具合が悪そうだな」

 はたての青い顔に攻め寄る民衆の一人が気がついた。

「本当にトイレに行きたいのかも」

 とても演技とは思えないはたての様子に婦人がそう言う。僅かに瞳には同情するような色を浮かばせる。それを一抹の幸運だと思ったのか、はたての顔に喜びが浮かんでくる。
 けれど…

「ああ、丁度いいわ。委員会の連中も身内が漏らしてもちゃんと罰を与えてくれるのか、この子で試してみましょうよ」

 今まで傍観していた幽香がそんな残酷な提案を持ちかけてきた。民衆は一瞬、顔を見合わせたが幽香の雰囲気に飲まれたのか、同じようサディスティックな笑みを浮かべていやらしい目つきではたてを見始めた。

「そいつは見物だ」
「同じ委員会仲間だからって贔屓はしちゃあいけないよな」
「平等法に違反するわ」

 口々に自分を納得させる言葉を呟いて自分たちの正当性を高めていく民衆。

「粗相するまで押さえつけなさい!」

 幽香の号令の元、民衆は一斉にはたてに飛びかかろうとする。

「いやぁぁぁぁぁ!!」

 叫び声を上げて間髪、はたては逃れることができた。踵を返し、脇目もふらずに逃げ出す。鴉天狗特有の素早さが功を制したようだ。

「逃がしては駄目よ、追いなさい!!」

 走るはたてを人々はハイエナの執念で追い始める。すっかり暗くなった村道をはたては腹痛と闘いながら走った。ガンホーガンホーと奇声を上げ暴徒化した民衆たちはその後を追う。追いかけてきているのは一般人ばかりだ。はたてが飛べばそれ以上、追いかけることはできないだろう。だが、それは無理な相談だった。ぐるぐると異音を奏でるはたてのお腹は決壊寸前のダムだ。実際の所、飛ぶ余裕はおろかこうして走っているのでさえ自殺行為に等しい。泣きそうに顔をしかめ、突っ張ったお腹を押さえながらはたては必死に内股気味に自然となる足を正しながら走った。自前の素早さを殆ど殺されている状況では逃げ切ることは不可能と踏んだのか、村道を外れ川原の方へ。二メートル近い背丈にまで成長した葦の中へ逃げ込み、隠れようとする。

「川の方へ逃げたぞ!」
「別れて探せ!」

 だが、殺気だっている割に民衆の頭はまだまだ回るようで分散し、虱潰しに葦原の中を捜索しようとしていた。

「もう…駄目…っ」

 堪えきれない便意と上がった息に耐えかねはたては葦原の真ん中で膝をついた。すぐ後ろからは藪をかき分ける数人の怒鳴り声が聞こえる。腹もこれ以上耐えられそうにない。
 
 あらゆる意味で絶体絶命の危機。はたては悔し涙を溢しながら自分の不運を呪った。どうして、こんなことに、誰か助けてよ、と。声に鳴らない声で嘆きの言葉を漏らす。けれど、その言葉を吐いてきた衛生法違反者をはたては捕えてきたのだ。その言葉を他の誰かに聞いてもらいたい、というのは虫が良すぎる………こともないようだ。

「こっち…!」

 不意に葦の間から手が伸びてきてはたての腕を掴んだ。驚いてはたてが顔を上げれば葦の間から一人、河童の女の子…河城にとりが顔を覗かせていた。

「誰…?」
「いいから!」

 小さな声ながらも強い口調でにとりははたての手を引く。腹痛と怖れで自意識を失いかけていたはたてはされるがままにとりに連れられていく。といっても移動したのは僅かな距離だ。葦原のまっただ中に転がっている大きな岩。その影にはたてを引っ張り込んだだけだった。こんな場所に隠れてもすぐに見つかってしまうのでは。ぼんやりとはたてがそう考えているとにとりははたてにじっとしていてと言いつけ、背中に背負ったリュックから無色透明な反布と思わしき物を取り出した。無造作に布を引き延ばし、岩の上部に引っかけ即席のテントを作るにとり。なおのこと目立ってしまうのでは、とはたてが疑問符を浮かべているとにとりが身を寄せてきて耳元で静かにと釘を刺してきた。はたてが聞き返そうとするとにとりは躊躇わずはたての口を押さえてきた。それを振りほどこうとするはたて。
 と、

「こっちか?」
「ああ、葦が動いてた」

 二人の男が葦原の中から現れた。人相も分かるような至近距離。体も頭のてっぺんからつま先まで完全に伺える。といううことは向こうからもはたてたちは丸見えなはずなのだが…何故か男たちははたての前にやって来てもまるで気がついているそぶりを見せなかった。男たちは暫くはたてたちが隠れている岩の側を散策していたが、やがて諦めがついたのかそそくさと帰ってしまった。トイレ待ちの途中だったのだ。そう、熱心に探せる余裕がなかったのだろう。ほっと胸をなで下ろすにとり。

「ふぅーよかったちゃんと機能してくれて。この布、ステルス迷彩に変わる新しい迷彩って事で外側は周囲に溶け込むよう色味も質感も変化するっていうやつなんですけれど…」

 そう、自分たちの姿が発見されなかった理由を説明するにとり。その言葉の途中でにとりは説明を区切り、思わず眉をしかめてしまった。

「ううっ、ううっ、で、でちゃった…」

 オクトカムのテントの中に悪臭が満ちている。
 啜り泣くはたての足下には今し方、自分自身が漏らした汚物が湯気を立たせていた。

「……とりあえず、うちに行きましょう。すぐそこなんですよ」

 慰めるよう、はたての肩を抱きながらそうにとりは提案した。








――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








「〜♪ ホント、一時はどうなることかと思ったよぅ」

 にとりの家の風呂で体を浄めているはたて。風呂場と脱衣所を仕切る磨りガラスの向こうではにとりが着替えが乾くまでこれを着ていて、とはたてに告げていた。

 ここはにとりの家。
 辛くも暴徒化した民衆から逃れたはたてはにとりに連れられてここまでやって来たのだ。幸い、はたては身内でもある罰則課には見つからず、腹具合も収まり、安心しきった調子ではたてはお湯をよばれていた。

「あー、でもありがとにとり。ホント助かったよぅ」
「う、うん…気にしないで」

 ガラス越しに感謝するはたて。けれど、にとりは少し歯切れが悪い様子だ。

「あ、ごめん。もしもし、それで…」

 どうやら電話中のようだった。邪魔するのも悪いかな、とはたては湯船に浸かる。今日一日の疲れがそれで洗い流されていくようだった。

「それにしても恥ずかしかった…アイツ等、今度見かけたら全員強制懲罰にしてやる」

 親指の爪を噛んで恨みを募らせるはたて。そのまま暫くはたては湯船に体を沈めていた。





「あーいいお湯だった。サンキューにとり」

 頭を拭きながらはたては風呂場から出てきた。にとりが用意してくれた無地の白いシャツと飾り気のないパンティを履いているだけで後は何も身につけていない。

「ところでって…アレ? お客さん?」

 機械や工作器具が乱雑に置かれている居間までやってくるとはたてはそこににとり以外、別の人影を見つけた。どうも、と躊躇いがちに頭を下げるはたて。椅子に座り暖かそうなお茶を飲んでいた来客は立ち上がるとはたてに握手を求めてきた。変な人だと思いながらもはたては手を差し出す。

「こんばんわ」
「こ、こんばんっ!?」

 握手した瞬間、手を引っ張られ反射的に腕を引っ込めようとするはたて。と、その力を利用したのか。次の瞬間はたての体はバランスを崩し、気がつくと床の上に突っ伏してしまっていた。

「初めまして…でもないかな。一度、寺の取材で顔を会わせたことがあったな」

 倒れたはたての肩の上に膝を乗せ、更に逆側の腕をひねり押さえてくる来客。体の構造上、そうなってしまってしまってはまったく身動きがとれない。床に強かにぶつけた顔面とねじり上げられている腕の痛みに混乱するはたての耳元へ顔を寄せ、来客/襲撃者は何事かを説明し始める。

「まぁ、でも、一応自己紹介を。私の名前はナズーリン。毘沙門天の使いだ。以後よろしくお願いするよ、衛生委員罰則課課員の姫海棠はたて君」
「ッ…! 何よ! 何なのよ一体ッ!」

 抗議じみた声を上げるがナズーリンは拘束を解く気は毛頭ないようだった。むしろ、黙れと言わんばかりに強くはたての腕をねじり上げてくる。

「私はにとりの仲間でね。今日はちょっと罰則課の君に話があってきたんだ」
「ど、同志ナズーリン、乱暴なことはしないって言ったじゃないですか!?」

 そこへにとりが駆け寄ってきた。反応が遅れていたのはにとりにもナズーリンの蛮行が読めていなかったせいだろう。

「乱暴? 君は彼女ら罰則課が幻想郷の住人たちに行ってきた非道を忘れたのか。この程度、応報ですらないよ。それに私を呼んだのは君だ。こうなることが予想できなかったなんて言わせないぞ」

 きつい口調と視線をにとりに向けるナズーリン。それだけで萎縮したようににとりは肩を小さくする。

「ちょ、っさっきからなんなのよ!? なんで私、アンタに乱暴されなきゃいけないワケ!? いいから放しなさいよ!」

 ナズーリンの下でもがくはたて。ナズーリンは目を細めるといいだろう、と呟いた。

「拘束は解かない。だが、事情ぐらいは説明してやろう。私は、私たちは幻想郷トイレ衛生法に反対を表明する組織、通称【オシュレット】のメンバーだ」
「【オシュレット】? 衛生法に…反対?」

 痛みに顔をしかめながらその言葉について考えるはたて。そう言えばこの前の会議の時に衛生法に反対する一部の人妖が不穏な動きを見せている、と説明があった気がする。会議中は半分寝ていたので詳しい内容は思い出せないが、彼女らがそうなのだろうかとはたては訝しげに眉を潜める。

「そうだ。今日はその衛生法について話がある。委員会は今後もあのような、高額の使用料を課した所定のトイレ以外の使用を禁止し、違反者には焼き印と罰金、辱めを与え続けていくつもりなのか?」
「っ、当たり前じゃない! そう決まってるんだから! アンタも覚悟しておきなさいよ! 四六時中見張って少しでも違反したらそれで恥ずかしい写真を撮ってやるんだから!」

 ナズーリンの言葉に反抗的に吠えるような大きな声で応えるはたて。ナズーリンははん、と鼻を鳴らした。

「ほう、ではその前に君が脱糞したことを委員会に報告しないといけないな」
「っ、にとり!」

 先ほどの葦原の出来事をナズーリンに教えたのだと知ってはたてはにとりを強く睨み付けた。にとりは脅えた調子でごめんなさい、と身をすくませる。

「一応、現場は先ほど見てきたよ。現行犯ではないが委員会は排泄物から所定の場所以外で用をたした者を特定できる、と聞いたことがある。君も今まで君がしてきたようなことをされるがいい」

 嘲り笑うような調子のナズーリン。だが、それにはたては臆した様子はみせなかった。

「何言ってんのよ! 私は委員会のメンバーなのよ。罰則課課員なのよ。そんなのいくらでも誤魔化せるに決まってるじゃない! それに委員会が身内の不祥事を許すと思ってんの? 明日の朝の掲示板に顔写真が載せられるのは私じゃなくてアンタよ!」

 組み伏せられている状況にも関わらずはたてはそう言ってのけた。はったりなどではなく本心だ。この状況に置いてもはたては委員会の威を絶対的なものだと信じていたのだ。

「聞いたか同志にとり。やはり彼ら委員会は公平性などなく、自身の都合によって違反者とそうでない者を選り分けているぞ。まるでゲシュタポか特高だな! ゆくゆくは本当にそのような組織になって幻想郷を恐怖政治で統治するつもりなのだろう!」
「………」

 大きな声をあげるナズーリン。彼女程の不快感を示してはいないがにとりもまたはたての態度に同じ危惧を抱いたのか、僅かに非難するような視線を向けてくる。

「同志にとり。アレを。彼女にも排泄を管理された者の苦しさを味わってもらうことにしよう」
「っ、で、でも、アレは…」
「いいから、早く! それとも何か、君はこんな奴に慈悲を与えるつもりか。馬鹿も休み休み言え。コイツを今解放したら、三十分もしないうちに白狼天狗部隊がやってきて私たちありもしない罪で委員会の連中に拿捕されることになるぞ! それでもいいのか!」

 尻込みを見せるにとりにナズーリンはきつく言い放った。驚き身を震わせたにとりは犬に吠え立てられた小動物のように忙しない動きで部屋の隅の箪笥の中を漁り始める。

「はい…」
「ありがとう同志」

 ナズーリンがにとりから受け取ったのは二つ一組からなる樹脂製の機械のようだった。一つは小さなアンテナがついたコントローラーでもう一つは返しがついた流線型の物だ。

「なっ、何よそれ…?」
「つけてみれば分かる」

 説明を求めるはたてに無感情に応えるとナズーリンは腕を伸ばした。シャツをまくりパンティをずらし、はたての臀部を露わにする。

「ちょ、な! 何を」
「じっとしていろ」

 ナズーリンはにとりにはたてを押さえておいてくれと命令する。多少躊躇いがちではあったが言われた通りにとりははたてを押さえにかかった。

「止めろ離せ! こん畜生…っ! ナズーリン! にとりも! 憶えていろ! 絶対にアンタらの無様で惨めな写真を掲示板に載せてやるからな! 焼き印も! 絶対にとれないようなヤツをおでこにしてやるから!」

 暴れ罵詈雑言を声にするはたて。じっとしていろとナズーリンは一喝するが効果はない。仕方なくナズーリンはそのままはたての足の方へ回ると、じたばたと暴れ回っている両足を押さえつけ、そうして、尻たぶに手をかけ、それを押し広げた。尻の割れ目から綺麗な菊の花を思わせるすぼみが露わになる。

「ちょ、マジで何を!」
「力まない方がいい、と聞いたことがあるな。潤滑剤は…悪いがこの際、私の唾で我慢してくれ」

 そう言うとナズーリンは流線型の物体の方へ唾を吐きかけた。ナズーリンは濡れたそれの先端をはたての肛門にあてがった。嫌だ、止めろと暴れるはたて。振り回した腕がにとりの顔を殴打するが拘束は解けない。風呂上がりで体が柔らかくなっているお陰か、音もなくそれははたての菊門に沈み込んでいく。そうして…

「入った…ッ!?」

 根本まできっちりと挿入された瞬間、その隙を突いてはたてはにとりとナズーリンを突き飛ばし、部屋の隅へ逃げる。尻に入れられた異物に手を伸ばし、すぐさま引き抜こうとするが…

「えっ、何これ…抜けない…?」

 大きさはさほどない筈のそれは引っ張っても抜けそうになかった。返しがついているからではなくまるで直腸の壁面に張り付いてしまっているように引っ張れば肛門の肉が伸びる。

「…それの表面には特殊な接着剤が塗られている。そう簡単には外れないよ」

 はたてに蹴飛ばされた胸を押さえながらそうナズーリンは説明した。にとりも体を起こしている。親の敵でも見るような眼ではたてはナズーリンたちを睨み付け外しなさいよ、と低く呻るように言う。

「それは無理な相談だな。それに君は間違っているぞ」

 そう言うとナズーリンはもう一つの方の機械、コントローラーの方へ指をかけた。

「命令するのは君ではなく我々の方だ」

 ボタンをオンにするナズーリン。 小さな駆動音がお尻の方から聞こえ、はたては困惑の声を上げる。尻を押さえていたはたての指には菊門に埋め込まれた機械が一体どういう動きをしているのかしっかりと伝わってきている。機械は丁度、滑らかな流線型の形になるように四つの部品で構成されているようで、ナズーリンの持つコントローラーの電波によってそれがそれぞれ四方に広がり始めた。つまり、それは強制的に肛門を押し広げられると言うことで、

「えっ、ちょ…ウソ…また!?」

 お尻を押さえていたはたての手に暖かいものが触れる。肛門を無理矢理押し広げられたことによってはたての腸に残っていた便がこぼれ落ちてきたのだ。
 葦原の出来事が決壊したダムなら、今のこれは水門を開いて放流させたというところか。もっともそれは水門の管理人の意志ではなくテロリストの手による非道な行いだったようだが。

「いやっ! なに! 何これ…!」
「人工肛門、という奴だよ」

 困惑するはたてにナズーリンは説明し始める。

「本来は活栓筋が何らかかの理由で機能不全に陥ってしまった人の為の機械だがね。君に取り付けたそれは悪いが君の意志とは関係なく君の肛門を開くようになっている。人工肛門と言うよりはアナルプラグといった方が正しいかな」
「は、外し…」
「だから言っているだろう。それはできない相談だと」

 ナズーリンはボタンを操作し、はたての肛門を元に戻す。

「さて、鳥頭の君でも実例を示したからには分かっただろう。トスポがないとトイレに行けない私たちと同じく君がこれから大をするには私たちの許可がいる。これから君は抑圧されている我々のように自由にトイレに行けない身に成り果てるのだ」

 涙に頬を濡らし力なく床にへたり込んでいるはたてに威圧感を持った態度でナズーリンは説明する。救いを求めるよう、はたては視線を上げたが無慈悲な冷たい紅い瞳が睥睨してくる
だけだった。










――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









「トイレに…行きたいんだけれど…」
『好きに行けばいいじゃないか。トスポがあるなら自由にいつでも委員会が定めたトイレで用を足せるのだろう』

 散々悩んだあげく意を決してかけた電話で返ってきた言葉はそんな辛辣で嘲りと皮肉を含んだ物だった。

 あの出来事があった日から二日後のお昼過ぎ、腹具合に耐えかねはたては一昨日、教えてもらった番号に電話をかけた。トイレに行きたくなった時、かけろとナズーリンに言われた番号だった。
 二回のコールの後、電話口に出たのはナズーリンだった。挨拶もなしにはたては用件を伝える。といっても、電話をかけるのならその用件はたった一つしかないわけだが。

「はぁ? 冗談はよしてよ。言い出したのはアンタの方でしょ!」
『いいのかい、そんな口調で。言っておくが我々の場合はトイレに行けなくても漏らして君らに捕らえられ、焼き印を押されて痴態を写真に収められ罰金を払うだけだが、君の場合は違うぞ。君の場合は…』

 一拍。ごくりとはたての喉が鳴る。

『漏らすことさえ許されない』
「………」
『トイレに行けなかった人がどうなるのか、浅学な私には明確な答は用意しかねるが…まぁ、酷いことになるのは確かだろう』

 過剰に物を詰め込んだ袋を想像してみるがいい、とそんな言葉が耳に当てた携帯電話のスピーカーから聞こえてくる。ぎりぎりとはたては奥歯を噛みしめた。腹の痛みがはたての怒りを加速させている。

「いいから、そんな話は後にして………お願い、だから…トイレに行かせてよ」
『ふむ、こういうときはお願いします(プリーズ)とつけてくださいと言うのが様式美らしいが、まぁ、いいだろう。今から言う場所に来てくれ。トイレに行かせてあげよう』
「ハァ!? 何言ってんのよ! 今私はトイレにいるの! もう、我慢なんて出来ないの! このクソ忌々しい栓の電波が何処まで届くのか知らないけれど、早く開けてよ!」

 個室に籠もり、外に声が漏れないよう、けれど、相手に自分の怒りが伝わるよう、最大限の声で訴えでるはたて。けれど、スピーカーから聞こえてきたのはナズーリンの呆れるようなため息だった。

「きみはじつにばかだな。そんな口をきける立場か? あぁ? いいから早く来い。それが嫌なら」

 爆ぜろ、と電話口のナズーリンははたてを脅しつけた。はたては黙って言うことを聞くしかなかった。







 ナズーリンに指定された場所は幻想郷の外れにある倉庫街だった。そのうちの一つ、瓦葺きの倉にやってこいと言われたのだ。

「来たか…」

 そこにいたのは昨日と同じくナズーリンとにとりの二人だった。他に人影は見当たらなかったが薄暗く、木箱が乱雑に積み上げられた倉庫だ。どこにでも誰かが隠れられるスペースがある。薄暗い倉庫にはたては不安を憶えながらもナズーリンたちに近づいていった。

「こんなところで何しようって言うのよ」
「もちろん、トイレだよ。まぁ、その前に一つ、君に聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと?」

 そんなことより早くトイレにいかせてよ、とはたてはお腹を押さえながら苛立ちげにナズーリンを睨み付けた。もっとも効果の程は全くないのかナズーリンはそう急かさないでくれ、と事もなさげに応えた。

「何、そんな変な事を聞くわけじゃない。ちょっと君たち罰則課の巡回の時間割やルートを教えて貰いたい」
「そんなこと聞いてどうしようっていうのよ」
「君は質問を質問で返すな、という名台詞を知らないのか? 第一、君は私に何かを聞ける立場じゃないだろう」

 苛立ちを裏に隠した勝ち誇った顔でナズーリンは軽蔑の視線をはたてに向けてきた。はたても同じように睨み返したがそれは負け犬の遠吠えに過ぎない程、惨めなものだった。

「分かったわよ…」

 そのまま数分間、二人はにらみ合っていたが元よりはたてが勝てる勝負ではなかった。忌々しげに顔を歪めながらはたては罰則課の行動パターンについてナズーリンに説明する。表現が曖昧な処は何度も聞き直され、はたてはうんざりしながらも逐一、三十分単位でおおよそどの辺りを見回っているかどうかを話した。唇を噛み、恨めしそうな視線をナズーリンに向けているのは突っ張った腹の痛みのせいだけではないだろう。




「ありがとう。そういえばトイレに行きたいと言っていたな。いいだろう。今、プラグを開けてあげよう」

 はたての事細かな説明を終えるとナズーリンは形式張っただけの礼を言った。懐からあのコントローラーを出してスイッチを押そうとする。慌てた調子でまって、とはたては叫ぶ。

「トイレに行かせてよ。中に入ってからスイッチを押しなさいよ」

 昨日使えなかったブラックトスポカードは技術課に言って代わりの物を貰ってきている。小をたすために何度か使っているのでトスポが機械に通らないということはなかったが…別の受難がはたてには待ち受けていたようだった。

「ああ、トイレならそこに。先ほど作らせて貰ったよ」

 そう言って顎をしゃくってみせるナズーリン。と言うもののそこには委員会が定めたような清潔なトイレなどなく代わりに倉庫の地面を掘り返した深さ二十センチ程の穴があるだけだった。掘り返した土が金隠しのように盛られ、その際に使ったのであろう、スコップが地面に突き刺さっていた。

「トイレって…穴ポコじゃない…」
「開けるぞ」

 有無を言わさずスイッチをオンにするナズーリン。ま、まって、とはたてはお尻を押さえるが今度はナズーリンは待ってくれなかった。はたてはお尻が広がる感じを憶えながら急いで穴の所まで駆け寄り、位置を定めるのもそこそこにパンティをずらしながら腰を下ろす。殆ど間髪入れず腹の中へ溜っていた二日分の便が強制的に開けられた尻穴から出てくる。はたては自分がひりだした排泄物の臭いを嗅ぎながら悔しさに洟を啜った。

「あの…同志ナズーリン、どうしてあんなことを聞いたんですか」

 自分の意志では始めることも止めることもできない排便をするはたてを見るのは流石に忍びないのか、視線のやり場に困っていたにとりがナズーリンにそう問いかけてきた。つまらなさそうにはたての排便姿を眺めていたナズーリンはああ、と頷き、

「鴉天狗の罰則課や白狼天狗の監視員の行動予定を聞いてすることなんて一つしかないじゃないか。忘れたのかい同志にとり。我々【オシュレット】は幻想郷の自由な排泄を取り戻すためには如何なる手段も選ばないと誓ったことを」

 そうはたてには聞こえないような小さな声で説明した。もっともはたてはそれどころではなかったが。ナズーリンの言葉の真意を理解しにごくりとにとりは喉を鳴らした。

「終わったわ…はやく、はやく閉じて…」

 暫くすると地面に掘られた便座の上にまたがった格好のままはたてがそう告げてきた。言葉には僅かに洟を啜る音が混じっている。涙を流しているのだろうか。ナズーリンたちの方を一瞥もしようとしないので二人には分からなかったが。ナズーリンは機械を操作しプラグを閉じる。

「あの…これ…」

 はたてに駆け寄りポケットティッシュを差し出してくるにとり。はたてはそれを礼もなく奪うようにひっつかむと無造作にティッシュ数枚を取り出し、それで汚れた尻を拭き始めた。

「さて、これがこれからの君の大体の流れだ。トイレに行きたくなったら早めに私に電話をかけることだな」

 それじゃあ、と言ってナズーリンはさっさと返ってしまった。倉庫には怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にしたはたてと困惑しどうしていいのか分からず狼狽えるにとりだけが取り残された。

「とりあえず、おトイレ埋めてしまいましょう…」
「……」

 にとりの優しい言葉にもはたては反応しなかった。










「畜生…畜生…」

 その後、はたては委員会に戻る気にはなれず自分の家で枕を涙で濡らしていた。耐え難い恥辱と屈辱。他人に自分の手綱を握られた絶望。憤怒。憎悪。薄暗い感情が渦を巻き、けれど、どうしようもないことに気がつきやり場のない感情は涙となってあふれ出していた。


 それからどれぐらい時間が経ったのだろうか。気がつけば泣き疲れて眠ってしまっていたはたてを起こしたのは携帯電話の甲高いコール音だった。

「…ああ、もう」

 睡眠途中を強制的に起こされ苛立ちげにはたては携帯をとった。ディスプレイに表示されている着信者の名前も確認せず通話ボタンを押し、耳に当てる。

「はい、もしも…」
『はたて先輩! 今どこにいるんですか!』
「っ、なにいきなり大声出してるワケ?」

 電話の相手は椛だった。だが、様子がおかしい。焦りと困惑、そんな感情が椛の声だけでも読み取れた。耳を澄ませば受話器の向こうからは同じような雰囲気の喧噪も聞こえてくる。同じく怒号も。

『大変なんですよ! 兎に角、すぐに委員会に来てください。人手が足りないんです!』
「ああっ、もう、分かったから。一体何なのよ?」

 ベッドから体を起こし、頭を掻きながらうんざりした調子で応える。電話口から相変わらず雑音のような他の人の五月蠅い程の声が聞こえてきていた。それでもはたては寝起きのせいか、事態が今一飲み込めず、楽観的な考えを抱いていた。

 もっともそれはベッドから降りるまでの僅かな時間だったが。

『テロですよ、テロ。公衆トイレが同時に何台も壊されたんです!』
「え?」

 ハンマーで側頭部を思いっきり殴られたような衝撃をうける。テロ? テロリズム? 幻想郷では耳にしないような横文字。香霖堂で購入した外の世界の有名な報道雑誌に載せられていた記事からその意味を思い出す。反政府的反社会的な組織が自分たちの力を誇示したり、インフラストラクチャーを破壊することによって社会機能を麻痺させることをさす。

『だから早く来てください。もうさっきから委員会には事実確認を求める人や壊されたトイレの近隣住人がおしよせてきててんややんわなんですよ! ああっ、もう、はい、少々お待ちください!』

 電話口で椛が叫んでいるのを遠くに聞きながらはたては呆然とその事実に打ちのめされていた。
 幻想郷でトイレを標的に破壊活動を行いそうな連中。彼女らについ数時間前はたては会ってきたのだ。

「ナズーリン…ッッ!」

 あの小さな賢将の顔が浮かぶ。間違いない。彼女らが公衆トイレの破壊というテロを起こしたのだ。衛生法に反対する組織、と言っていたからはたては漠然とプラカードを持ってデモ活動を行ったり大通りでビラ配りをしたりするだけの団体だと思っていたが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。思い起こせば自分にあんな辱めを与えるような組織なのだ。その実態は団体と言うよりはまず間違いなく反社会的非合法なテロ組織。はたては怒りに顔を真っ赤に染め上げ、携帯電話が軋む程握る手に力を込めた。

「椛、そのテロだけど犯人は…」

 いい機会だ。トイレ衛生法どころか幻想郷治安維持法に則って厳罰極刑を与えてやるとはたては意気込んで電話口の椛に説明しようとした。ナズーリンは無論のこと、にとりも博麗の巫女にギタギタにされるがいい、と。
 椛にすぐに理解してもらえるよう頭の中でこれまでに起こったことを整理し、一から説明しようとして…

「あ…」

 それが無理だと覚った。
 何故、今日なのか。よりにもよってはたてがナズーリンに頼み込んでトイレに行ったその次の日なのか。すぐに合点がいった。

「私が…話たことを元にして…」

 ナズーリンにはたてが教えたのは罰則課や監視員の巡回ルートについてだ。つるところそれは公衆トイレに監視の目がいっていない時間帯や場所を示していることにもなる。そうして、テロ組織がそんな情報を手に入れればどうするのか、深く考えなくてもすぐにわかるものだ。

「片棒を…担いでいる…? 私が?」

 排泄を管理されてしまったこととは別種の、けれど同様に根深い絶望がはたてを襲う。

『ということで目下調整中です。もうしばらくお待ちください………ああ、はたて先輩すいませんでした。聞いての通りこっちは大混乱で…はたて先輩? 先輩? どうかしましたか?』
「……ううん、なんでも、ない」

 話せるわけがなかった。事情を説明すれば自分にも責任問題が降りかかる。幸いにも椛は電話から離れていたようではたての言葉は聞こえていなかったようだ。

「委員会本部が大変なのね。わかった。すぐ行く」

 それだけ言うとはたては電話を切った。
 何もかも投げ捨ててもう一度、ベッドで眠りたい誘惑にかられたがそれはできない相談だった。









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









 次の日、焼け焦げて僅かに四隅の柱と陶器製の便座だけが残った公衆トイレを前にはたては心ここに在らずと言った調子でぼうっとそれを見つめていた。

 天は分厚い雲に覆われ、しとしとと小雨が降っている。底冷えする寒い日だった。焼け落ちたトイレでは白狼天狗たちが煤けたタイル片を拾い集め鴉天狗たちが写真を撮っている。このように壊されたトイレは三箇所、幻想郷におおよそ五十個設置されている公衆トイレの数からすれば少ないものだったが、場所が悪かった。天狗たちが実況検分しているトイレの周りには雨の中だというのに大勢の人々が傘をさし雨合羽を着こんで集っている。暇な人々が野次馬根性を丸出しに集ってきたのだ。これが集落と集落を結ぶ細い道にぽつんと建てられたトイレならばこうはならなかっただろう。このトイレが建っている場所は集落のど真ん中。そうして、残りの二箇所は逆にまったく人里離れた位置に備え付けられた妖怪や山師たち用のものだった。

 壊されたトイレはどうやら内側に油を撒いてそれに火をつけるという単純な方法だったらしい。僅かに草水の臭いが鼻に届いている。
 放火された時間帯は人里離れた二箇所が深夜丑の刻、ここ集落の真ん中にあるものが夜明けにほど近い暗い時間だ。
 委員会は油などと言う幻想郷ではそれなりに高価な代物を使い、先に人里離れた場所のトイレに火をつけそちらに注目を集めた後、集落のトイレに火をつけたという計画性の高さからこれを愉快犯などではなく何らかかの意図があっての破壊活動であると断定した。椛が電話口でテロだと叫んでいたのはこのためだ。

「………!」

 ぼうっとしていたはたての頭をこづくよう、ポケット中から軽快なメロディが流れ始めた。携帯電話の着信を知らせる音楽だ。椛か委員会からの連絡だろうかとはたてはポケットをまさぐり、取り出した携帯電話のディスプレイを見て愕然とする。名前は表示されていなかったものの、そのナンバーには見覚えがあった。

「ナズーリン…」

 彼女に連絡を取るための番号だった。
 
「今更…っ」

 疑問符と言うより怒りの感情を浮かべるはたて。昨日、椛から電話があった後、はたては委員会に出るまでの間、再三に渡ってこの番号へ電話をかけていたのだ。けれど、何十回とコールしてもナズーリンは電話に出ることはなかった。無視を決め込まれていたのだ。それが丸一日以上経過した後に向こうからかけてくるなんて…はたての怒りはもっともだった。

「…もしもし」

 けれど、大きな声で怒鳴るわけにもいかず、はたてはそれとなしに周囲を伺い聞き耳を立てているものがいないかどうかを確認してから通話ボタンを押した。

『今日は寒いね。腹具合はどうかな、はたて君』
「五月蠅い。アンタ、一体、なにやらかしてんのよ」

 白々しいまでに平静を装っているナズーリンに対しはたてはありったけの敵意を込めた低く呻るような言葉で返した。

『何、と言われてもね。これが我々の活動だ』
「ハァ? 何言ってんのよ。アンタらは衛生法に反対してる団体なんでしょ。いつでも好きな時にトイレにいけるようにしようっていう。それがなんでトイレぶっ壊したりしてるのよ!」
『我々【オシュレット】の目的は究極的に言えば排泄の自由化だが、それを成すための最大の目標は衛生委員会の無力化、解体だ。周りを見てみるがいい。幻想郷の住人たちの反応はどうだ?』

 言われてはたては視線を周囲に向ける。
 遠巻きに天狗たちの検分や壊されたトイレを眺めている人たちは空模様と同じく陰鬱げな調子でどこに糞をひりにいけゃいいんだ、これならせめて公衆トイレが治るまでの間、家のトイレでしてもいいことにして欲しいわ、なんて口々に漏らしている。そうして実際、近くにトイレがないという理由で今日だけでも十人もの人や妖怪がこの近くで衛生法に違反し、写真を撮られ焼きごてを当てられていた。

 人々の敵意はトイレを破壊した姿の見えないテロリストよりも丸一日経ってもまだ何の対策もとってくれていない衛生員の方に向けられ始めていた。

「………まさか」
『どうだ。効果は上々だろう』

 それこそがナズーリンたちが公衆トイレを破壊した理由だったのだ。
 過激にして緻密。深謀にして遠慮。その底知れぬ闇を垣間見たような気がしてぶるり、とはたては体を震わせた。

『ところで私が電話をかけたのは自慢話がしたかった訳じゃない。実は一つ、君に頼み事があってこちらから連絡させて貰ったんだ』
「…頼み事? 何よ」

 ナズーリンの言葉にすぐに訪ね返すはたて。本人は気がついていないが従順になりつつある証拠だった。電話口のナズーリンはそれには気がついていたがあえて指摘するようなことも揶揄するような言葉を吐くこともなく、真面目に説明し始めた。

『次は委員会の役員名簿を手にいれてきて貰いたい。ああ、写しでも構わないよ』
「そんなもの貰って…」
『みなまで言わせるつもりか? それにそろそろトイレに行きたくなってきてはないかい?』

 挑発するようなナズーリンの言葉にはたては何も言い返せず分かった、と短く答えて電話を切った。
 雨は止み、雲合いから光が差し込んできていたがはたての心は雨天のままだった。









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









「………」

 委員会の名簿を手に入れるのは簡単だった。だが、はたしてそんなことをしていいのかどうかはたては悩んでいた。
 自分はどうでもいいと思って教えた罰則課監視員の巡回ルートの情報を使いナズーリンは容易くあれほど強烈なテロ行為を行ったのだ。
 もし、自分が名簿を渡せば次はどうなるのか。まるで想像がつかなかった。

 だが…

「………」

 同時に渡さなかった場合、自分がどうなるのかも想像がつかない。お腹に便が溜りすぎて破裂するのか、それとも罰としてナズーリンに最悪のタイミングで、例えば人が往来する道路のど真ん中でプラグを開けられてしまうのか。どっちにしろ今のこの地位から転げ落ちるのは明白だった。

「…畜生。地獄に堕ちろナズーリン」

 結局、悩んだ末にはたてはまだ結果が決まったわけではない方を選んだ。委員会の混乱に乗じ、名簿のコピーをとりそれをナズーリンに手渡したのだ。


 その結果――委員会の重鎮が数名、辞意を表明した。はたてが聞いた噂によると恐喝や買収、犯罪の露見で自ら辞めざる得ない状況に追い込まれたかららしい。

 またしても起こった委員会への不祥事にはたては大きな恐怖心を抱いた。ナズーリンに言われ自分が行動した結果、そんな大事件が起こったのだ。犯罪に荷担しているという良心の呵責もあったがそれ以前に自分とナズーリンの関係がばれたらどうなるのか、そういう恐怖心が先行した。
 
 大事になる前に椛か文あたりに打ち明けるべきか。脅されてやったことだし、今ならまだ厳重注意で済むかも知れない。


 そう考えていた時に緊急会議が開かれた。




 議題は相次ぐ不祥事に対する訓示と罰則の強化というものだった。
 それは会議は会議でも軍法会議と形容できそうな、壇上で熱弁を振るう上級役員は元より聞き耳を立てている下級役員たちでさえ鬼気迫る意表情で参加する重苦しい会議だった。
 そして、その会議の最後に一人、はたてと同じ罰則課の鴉天狗が何故か手を縄で縛られた状態で壇上にまで連れてこられた。たしか、いつぞやか椛とチームを組んでいた鴉天狗だった筈だとはたては思い出していた。そんな鴉天狗が何をしたのかと、とざわめく場内を鶴の一声で静まりかえらせ、議長役の大天狗が険しい顔と口調で説明し始めた。

――この鴉天狗は罰則課に所属する身でありながら衛生法違反者から金を受け取り、犯罪行為を見逃していたのだ! これは衛生法そのものを揺るがしかねないゆゆしき事態だ!

 壇を壊さん程、力強く拳を打ち付ける大天狗。だが、誰もそれを恐ろしいという目で見てはない。会議室に集められた面々の多くは賄賂に手を出し堕落した鴉天狗に義憤を募らせ軽蔑の視線を向けていた。

 そうして、その鴉天狗はその場で裸に剥かれると、床に組み伏せられ、押さえつけられ、赤々と熱せられた焼きごてを額に押し当てられた。

 罪状は【非道】

 焼き印は特別製のもので呪術が込められた特殊なインクが塗られており、傷が癒えようとも焼き印の痕は決して消えぬようになっている代物だった。

 その様を見て正義の鉄槌だ、義に反した報いだ、と衛生委員の面々は叫ぶ。
 そのまっただ中、はたてはただ一人、戦々恐々としていた。




 かくして再び悩むはたて。けれど、結論を出すより先にナズーリンから新たな指令が届く。

『会計簿を手に入れてこい』『委員会の業務を滞らせるようサボタージュを行え』『衛生法違反者のリストから同志の名前を削除しろ』

 罰則課の仕事とその指令に忙殺され、はたては結局、結論を出せないまま流され続けた。ライクアローリングストーン。まるで転がる石だ。自分が破滅へ向かって一直線に向かって行っているのに、自らの意志でその動きは止められそうにない。

 そこへナズーリンの悪魔のような一言が投げかけられた。

『委員会自体がなくなれば君を糾弾する者もいなくなるだろう』

 坂の真下まで転がり続ければそこは湖だ。けれど、道中には大きく口を開けた穴や行く手を遮る岩が飛び出している。石は無事、湖まで辿り着くことができるでしょうか。そういう話だった。

 どうにもならないままはたては転がり続けた。破滅の下り坂を。









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――







「あ、はたて先輩お疲れ様です」
「お疲れ…」

 すっかり帰り支度を済ませ、白狼天狗の控え室の鍵を閉めたところで椛ははたてとすれ違った。やっと仕事上がりだと少しテンションを高めに挨拶をしたのだが、意に反してはたての声色は力ないものだった。

「残業ですか? 最近、何かと忙しいですからね」
「うん、まぁ、そんなところ」

 忙しいからまたね、とはたては話もそこそこにふらついているような力ない足取りで廊下の向こうへ消えていった。

「………」

 帰ろうとせず後ろ姿を黙って見つめ続ける椛。

「最近、様子がおかしいなぁはたて先輩」

 先ほどの言葉通り、最近、衛生員会の仕事が忙しいのは確かだ。この処、幻想郷の住人からの衛生委員会に対する不満の声が多く、委員会の仕事の多くがその処理に費やされているからだ。残業ですか、と椛ははたてに聞いたが当の彼女も今し方、残業を終えたばかりだった。今日はもう帰って山椒魚を肴に濁酒で一杯やってとっとと寝よう、そういう感じ。けれど、足が自分の家の方には向かなかった。

「……先輩」

 すれ違った時にちらりと見たはたての顔を思い出す椛。疲れやつれた顔をしていた。仕事疲れと言えばそれまでだったかも知れないが、何か心に引っかかるものがあった。

 椛は顰めていた眉を元に戻すと、誰ともなしに頷き、歩き出した。向かう先は…







「………」

 薄暗い部屋。事務机の上に並べられたPCの殆どは電源を落とされ、僅かにサーバー機のみが静かにファンを回している。その部屋、委員会の情報を一元管理する情報室にキーボードを叩く音がこだましていた。
 情報処理課の人員が皆帰ったその部屋で一人、PC操作を続けているのは…

「………」

 はたてだった。
 ディスプレイの光を受けてぼうっと薄暗い部屋の中に浮かび上がっているその姿はまるで幽霊のようだった。携帯電話以外の機械の操作は馴れていないのか人差し指と親指の二本だけでたどたどしくキーを叩き、時折、たどたどしくマウスを動かしていた。

「………」

 その顔に浮かんでいるのは焦燥。仕事の疲れや面倒くささから来る嫌気ではなくそれだった。早く終わらせようとキーを乱暴に叩き、カチカチと何度もクリックを繰り返してはタイプミスや過剰処理による遅延を起こしている。

 ディスプレイに映し出されているのはトスポのポイント管理システムだ。マシン本体から伸びるコードにはカードリーダーが繋がれ、一枚のトスポカードが差し込まれている。それ以外にも数枚、トスポカードが事務机の上に無造作に置かれていた。

「なんで、私が、こんな、ことをっ、なずぅ、り、んっ!」

 そう、はたては守衛以外の役員は当に帰り静まりかえった委員会本部に残業をしている訳ではなかった。ナズーリンの命令でこうして馴れぬPC操作をしているのだ。

 今回の指令は渡されたトスポカードに限度額一杯までポイントをチャージしろというものだった。手渡されたカードは十枚近くあったが、ナズーリンのカードはなかった。未だにはたては出会ったことはないがナズーリンの仲間たちのカードでもないだろう。カードは恐らく盗難されたもの。万が一、この不正処理で限度額一杯までチャージされたカードが露見してもカード自体からは決してナズーリンたちにはたどり着けないようになっているはずだ。それぐらいやりかねない程度の賢さをナズーリンは持っている。

 もっともそんなこと、操作するはたてにはまるで関係のないことだった。今の彼女の頭を満たしているのは『早く作業を終わらせよう』その一点だけだ。

 チャージポイントを入力する欄に9,999と入力しエンターキーを押す。カードリーダー/ライターの緑色のランプが点滅しものの数秒でまともに購入すれば五百万近い現金が要る額のポイントがチャージされる。それが十枚以上、総額は目眩がする程の大金だ。
 ナズーリンはこれを換金し、組織の運営資金に充てると言っていた。ポイントから現金への変換ルートは1対100だが、それでも全て換金すれば一千万近い額になる。もっともカードの“仕入れ先”は別の思惑があるようだが、とナズーリンはぼやいていたが。

「後一枚…」

 そうこうしている間に操作にも慣れてきたのか、一枚数秒程度ではたてはチャージし終えるようになっていた。はやる気持ちに指先を震えさせながらもテンキーを叩く。後はエンターキーを押すだけだ。ブラインドタッチの真似事だろうか。はたてはつりそうになりながら小指を伸ばしエンターキーを叩こうとして、

「先輩、何やってるんですか?」

 不意に投げかけられた声に驚き、違うキーを押してしまった。エラー音が鳴り、警告ウインドウが表示される。

「も、椛っ!?」

 モニタから顔を上げればそこにいたのは帰ったとばかり思われていた椛だった。差し入れか紙コップにいれられたホットコーヒーを二つ持っている。薄闇に湯気が立ち上っては儚く消えていた。

「あっ、あっ…」

 慌ててはたてはパソコンを操作しようとする。けれど、焦りからか上手く操作できていない。エラーウインドウを閉じようとして間違ってヘルプ機能を呼び出し、不意に表示された多数の文字列に混乱する。

「ん、何かトラブルですか」

 どれどれ、と机を回り込み、椛がはたての方へやって来た。ホットコーヒーをデスクの上に置いて画面を覗きこんで、はたての代わりにマウスをとってヘルプとエラーのウインドウを閉じる。

「これで大丈夫です…って、はたて先輩、これ…」
「あっ、ああ…」

 画面に表示されているプログラムがなんなのかを見て椛は目を見開いた。逃げるよう、椅子を退かせるはたて。と、腕が当たったのかナズーリンから渡されたカードの束をばらばらと机の下に落としてしまった。

「………先輩」

 動けぬはたてに代ってか、椛がカードを拾い上げる。

「マリサ・キリサメ…これって盗難されたって話のトスポカードじゃ…先輩、一体何を…」

 困惑と衝撃に表情を七変させながら椛は何とか罰則課のはたてがどうしてポイント処理システムを操作しているのか、盗まれたカードを持っているのか、その合理的な説明を考えようとした。いや、考えようとするふりをした。合理的考えるまでもない。その唯一の答は非合法的であること以外あり得ないからだ。

「先輩っ!」

 糾弾か、それとも困惑か、大きな声をあげ椛ははたてに詰め寄る。はたては椅子に座ったまま肩を震わせ、俯いていた。
 その自分のスカートを強く握りしめている手の甲に、

「しかた…なかったのよ…」

 ぽつりと涙の雫がこぼれ落ちた。

「先輩…」

 先ほどの激情も涙の前には勢いを失ったのか、静かな声でもう一度、椛ははたてを呼んだ。

「脅されて…仕方なくやったの…」

 顔を上げたはたての瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。憑き物が落ちたような顔。朱に染まる頬。頬を伝わりこぼれ落ちる涙は自身の破滅を嘆くものではなく、むしろ、解放されたことによる安堵の涙のようだった。

「嫌だったけど、どうしようもなかったの!」

 弁明か心情の吐露か。はたては叫ぶような声を上げた。

「大丈夫、大丈夫ですから」

 腰を落とし、はたてと同じ視線の高さに。優しく肩に手を置き慰めるような声を椛はかける。

「この処、すごく疲れていたようでしたから。おかしいと思っていたんですよ。でも、大丈夫です。落ち着いてゆっくり、事情を説明してください。ここには私しかいませんから」
「あ…」

 それが琴線だったのか。はたては椛に抱きつくとその首筋に顔を埋めてわんわんと泣き始めた。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃに、喉を涸らすような大声をあげ、体を震わせる。その弱々しさはまるで下の世話も自分でできない稚児のようだった。




 はたてが落ち着くまでもう暫くの時間が必要だった。
 それから洟をすすりつつ、はたては椛に説明した。
 ナズーリンに脅されていたこと。彼女は【オシュレット】と呼ばれる組織に属していて、その目的はトイレ衛生法を停止させ自由な排泄を取り戻すこと。公衆トイレへの放火や重役たちの辞任は彼女らの仕業だと言うこと。そうして、自分は一端ではあるがその手伝いを強いられていたと言うことを。

「成る程…」

 頷き、すっかり冷めてしまった珈琲をすする椛。頭の中ではたてが言ったことを反芻、まとめ上げているようだった。

「その…先輩のお尻にはまだ…」

 椛の問いかけに顔を紅くしながらも頷くはたて。

「そうですか。ある意味で…その、先輩の体に爆弾をしかけているようなものですね。言うことを聞かなければ、ドカン。そんな映画がありませんでしたっけ?」

 言葉の最後の方は落ち着かせるための雑談だったのかも知れないが、残念ながらはたてはその映画を知らなかった。

「しかし、ということはすぐにどうのこうのということは出来ないかも知れませんね」
「そんな!」

 驚きの声を上げるはたて。これでやっとナズーリンの束縛から解放されると思っていたのに、他ならぬ自分を助けようとしてくれている椛の口からそれは無理だと聞かされたのだ。はたての驚きと落胆も無理はないだろう。

「先輩の…体は竹林の永琳医師に頼めば治ると思いますが、かといってすぐにそうした場合、その…ナズーリンですか、彼女らが一体どういう行動を起こすのか皆目見当がつきません。ナズーリン一人を捕まえればそれで済むはずがありませんし」
「じゃあ…どうすればいいのよ」

 苛立ちを隠しきれないのか、はたては強い口調で訴える。落ち着いてください、と椛。

「すぐに、というだけです。私も信頼の置ける白狼天狗の仲間に相談して、何とか穏便に済ませる道を探しますから」

 お願いするわ、と目に涙を浮かべながら懇願するはたて。任せてください、と椛は胸を張った。

「さて、となるとまだ当面、はたて先輩にはテロ組織のスパイでいてもらわなくっちゃいけませんが…けれど、こんな大金を奴らに渡すわけにはいけませんし…」

 そう言って、腕を組んで考える椛。

「とりあえず、これだけ渡しておきます」

 と、椛が差し出してきたのはマリサ・キリサメと署名されたカード一枚だけだった。









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








「渡したカードは十枚はあったと思いますが?」

 マリサ・キリサメのカードだけを渡すとナズーリンは露骨に不機嫌そうな顔をした。

「仕方ないでしょ。パソコン弄ってる最中に警備の見回りが来たんだから」

 最近、うちの事務所も管理が厳しいのよ、とはたては言い張る。
 
 無論、嘘だ。
 昨晩、椛ははたてにそういうシナリオにしましょう、と提案した。満額までポイントをチャージしたカードをたった一枚だけ手渡すことで、はたてが一応従順であると思わせ、更にテロ組織には僅かな資金しか流出させないという作戦だ。

 カードを受け取ったナズーリンはその表面とはたてとを交互に眺めていたが、やがてあからさまに落胆のため息を漏らしてみせた。

「まぁ、確かにこの所、委員会の検問が厳しく我々の活動も遅々として進んでいませんし、そういうものだと思っておきましょう。ただし」

 安堵のため息を漏らそうとしていたはたてだったが、出鼻を挫くよう、ナズーリンは話を続けた。まだ終わっていなかったのだ。眉尻を下げ、険しい顔ではたてを睨み付ける。

「他のカードを委員会本部へ置いてきたのはいただけない。あのカードから直接、私たちに辿り着くことは不可能だろうがそれでも物事には因果という糸がくくりつけられている。山の天狗の中にホームズやコロンボがいた、なんて話は聞いたことがないが、それでも万が一ということを考えたい。それにあのカードとて無料ではないのだ。あのカードは同志が山の上の巫女に…いや、これは余談だな」

 兎に角、とナズーリンは閑話休題し、はたての脇をすり抜けるよう歩き出す。

「今日のトイレは無しだな」
「ハァ!?」

 素っ頓狂な声を上げ、帰ろうとするナズーリンの肩を掴むはたて。

「何言ってんのよ! こっちはアンタに言われた通りにしたでしょ! なのにそっちがこっちの言うとおりにしてくれないってのは不公平じゃないの!」
「何を言ってるんだ君は? 結果の伴わない労働に対価が支払われるとでも? 冗談は休み休み言え。我が組織は出来の悪いスパイに渡す報償はないぞ」
「冗談じゃないわ! 行かせてよ!」

 そう強く訴えでるはたて。実ははたてがトイレに行ったのはもう三日も前だ。下腹部は触れればそうと分る程、膨れはたてはスカートのウエストをもう一段階緩くしなければならない程だった。当然体調も悪く、朝からせめてもの抵抗とはたては何も飲まず食わずで、じっと耐えてきているのだった。もうこれ以上はとても我慢できそうにない。

「………」「………」

 ナズーリンの肩を掴み無理矢理振り向かせるはたて/はたてに肩を掴まれながらも決して足の向きだけは変えず不動の姿勢をとるナズーリン。その体勢のまま二人は暫くにらみ合っていた。

 と、

「あ、あの同志ナズーリン、私もお願い、いや、私ははたてさんをトイレに行かせてあげるべきだと提言します」

 そこへかかる第三者の声。にとりだ。実は彼女もトスポカードの受け渡し現場に訪れていたのだが、今まで案山子よろしく無言で突っ立っていたのだ。無言、までは別に珍しい話ではない。何度かナズーリンとはたての密会ににとりも参加していたが、大抵の場合、にとりは何もしていなかった。それがいきなり口を開いたかと思えば、いきなり同志であるナズーリンよりもどちらかと言えば敵に近いはたてを擁護し始めたのだ。ナズーリンはおろかはたてでさえもにとりの方に視線を向け、目を丸くしている。

「同志ナズーリン、はたてさんは大事な協力者だと思う。ここで必要以上に関係をこじらせるのは得策、とは言い難いんじゃ…ないかな」

 はたての必要性を語るにとり。けれど、その口調は客観的に見た冷静な判断、というよりは明らかに情に流されてと言った方が正しそうな気配だった。

「……分かりました」

 暫く黙っていたナズーリンだったがやがて決心、いや、諦めがついたのかため息混じりにそう応えた。
 懐をまさぐりアナルプラグのコントローラーを取り出す。

「ちょ、ナズーリン!?」

 まさかまたトイレでもないこんな場所でスイッチを押すのかとはたてが身構え、お尻を押さえた刹那、ナズーリンはコントローラーをにとりに投げてよこした。慌ててキャッチするにとり。

「同志にとり、今日一日、それとはたての管理を任せます。どことなり、好きな場所でさせるといい」

 そう言うと険しい顔つきのままナズーリンは帰っていった。
 鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔を二人はしていた。







「…はたてのあの態度、注意すべきか」

 はたてとの密会の現場から離れ、人混みに紛れ始めたナズーリンはそう独りごちた。顔には禍々しいまでの疑心が張り付いている。

 先ほどのはたての態度にナズーリンはおかしな点を見いだしていたのだ。
 確かにはたての説明は筋が通っており、不正にトスポポイントを手に入れるのに失敗したのも、寧ろ今まではたてが何のミスもなくこちらの要求を行っていた事の方がおかしかったのだ。
 だが、ナズーリンはそれを疑わしいと思った。失敗し、収穫は最低だった。その最低、という部分に違和感を憶えたのだ。そうして、いや、それよりもあのはたての態度…今までの命令ですっかり順応に、まるで木偶人形のようになっていた彼女がここに来て初期の頃のような強気な態度をとるようになっていたのだ。まるで力関係の上下が分かっていなかった頃のように。

 それらの違和感は毘沙門天の命の元、白蓮をスパイしているナズーリンだからこそ分かる機微な違いだった。

「一応、草をつけておくべきか」

 懐をまさぐり、ナズーリンは携帯電話を取り出す。
 暗記している番号を押し、電話をかける。三度目のコールで相手が出た。

「私だ。ああ、実は見張って欲しい人物がいる」

 挨拶もそこそこに事情すら説明することなく、して欲しいことだけを正確に伝える。活動家としての基本的な命令伝達法だ。これならば命令を受けた者が捕らえられても、命令のその真意までは露見される可能性は低い。知らないことは喩え拷問にかけられても知らないのだから。

「委員会の罰則課のはたて、という鴉天狗だ」

 電話口の相手にそう伝え、続けてはたての身体的特徴を説明する。人混みの中。ナズーリンの声はそれなりに大きいが、会話の内容全てを聞くのは不可能だろう。雑多な喧噪に紛れナズーリンの言葉もノイズに変わる。

「ああ、そうだ。では、頼んだぞ………同志メイリン」

 通話を終了し、携帯電話をポケットの中へ戻す。
 そうしてそのままナズーリンは幻想郷の住人たちの中へと紛れ込むよう、その姿を消した。






 一方その頃…

「ねぇ、何処に行こうっていうの?」
「すぐそこですよ」

 はたては何故かにとりに連れられ町中を歩いていた。丁度、ナズーリンが消えていった方向とは真逆だがこれは偶然だ。

 あの一悶着の後、取り残されたはたては多少の苛立ちを見せながら今や自分の命を握っているにとりに視線を向けた。にとりは僅かに躊躇った後、はたての手を引いてこうして町の中まで連れてきたのだった。

「まぁ、なんでもいいけど早くトイレに行かせてよ」

 先行くにとりを訝しげな視線で見つめながらそう急かすはたて。
 ふと、その手に握られたままのコントローラーに目が行ってはたてはにとりがどうしてこんな人の多い所まで自分を連れて行っているのか、その考えに思い至った。

「まさか…」

 いつぞやか考えていた最悪の予想の一つ。衆人環視の元での強制脱糞。それをされるのではと思ったのだ。
 にとりを追いかけていた足が遅くなり、はたては何処か身を隠せそうな路地裏や空き家がないか探そうとする。
 冗談じゃない。こんな人と通りの多い場所でプラグを広げられたら、それこそ自分の人生は終わってしまう。どうしよう。いっそ、にとりからコントローラーを奪おうか。はたてはそこまで考えを巡らす。あのナズーリンよりもにとりは幾分、御しやすそうだと思うが。

 と、

「あの、はたてさん」

 唐突に先行くにとりが口を開いた。スイッチを押す前に殴って一撃で昏倒させれば、とはたては拳を握りしめる。
 けれと、続いてにとりが口にした言葉ははやるはたての気持ちを抑えるのに十分な意味を持っていた。

「今日は、その、普通のトイレでして大丈夫だから」
「へ?」

 にとりは足を止めると振り返り、はたてに向かい合ってきた。

「な、なんでよぅ?」

 思わず聞き返してしまうはたて。いや、当然だろう。先ほどまで自分の勝手な妄想とはいえ酷いことをしてくると思っていた相手が逆に優しげな事を言ってきたのだ。警戒心を露わにある意味で予定通りはたては身構えた。

「その…どう言ったらいいかな。ナズーリンさんははたてさんを利用しようって考えだと思うんだけど、その…」

 歯切れが悪い言葉。けれど、どうやらそれは躊躇いばかりではないようだ。言葉を探しあぐねている。そういう雰囲気がにとりから漂ってきている。

「私はそういう考え方、嫌だなぁ、って思うから」

 握り拳を作り、にとりはたどたどしいながらも自分の心情を吐露しているようだった。

「私も衛生委員会のやり方は酷いと思う。トイレぐらい自由に行きたいし、漏らしたからってその、焼き鏝当てられた上に恥ずかしい写真を撮るなんて酷すぎると思う。でも、だからって、似たような方法ではたてさんを脅すのも間違ってると思うんだ。そんなやり方じゃ、たぶん、前みたいな自由は戻ってこないと思う。きっと、そんな風にやられたからやり返すってやり方を続けている限り、向こうも同じ考えでやり返してきて、で、こっちももっと酷いやり方でやり返して、その繰り返しでもっともっと幻想郷は酷くなって行くばっかりだと思うんだ。だから、きっとそんなやり方じゃ駄目なんだ」

 何とか自分が語れるだけの言葉でにとりは自分の考えを説明しようとしていた。新聞記者のはたてから言わせれば辿々しいにも程があり、わかりにくいにも程がある説明。けれど、にとりが今の状況に対して何かしら考えがあり抗っているのだという雰囲気は確かに読み取れた。

「多分、今のはたてさんとナズーリンさんの関係は、衛生委員会と私たち【オシュレット】の関係と一緒なんだと思う。だからその、実験じゃないけれど、私ははたてさんに酷いことはしない。お尻の…そのプラグも絶対に外してもらう。でも、だから、代わりじゃないけれどはたてさん、私たちの考えを聞いてくれませんか。私は別に委員会を潰そうなんて考えていない。幻想郷をキレイにするのは賛成だし、食糧問題を無視するわけにはいかないって事もわかっている。ただ、もう少しだけ、自由にトイレに行きたい、そう思っているだけなんだ」
「にとり…」

 いつの間にかはたては便意も忘れにとりの言葉に聞き入っていた。正直なところ、衛生委員で働くはたては幻想郷トイレ衛生法についてそこまで深い考えは持っていなかった。委員会に入ったのは誘われたからだし、罰則課を選んだのはライバルの文がいたから、仕事を続けているのは実入りがいいからに過ぎない。たかが、トイレのことでそんな深い考えに至るなんてはたてはこれっぽっちも考えていなかった。だからある意味これは雷に打たれたようなカルチャーショックだったのだ。はたてにとっては。

「そ、その…えっと…うん、聞かせて頂戴。私絶対、委員会の人ににとりたちの考えを伝えるから」

 ありがとうございます、とにとりは満面の笑顔で応えた。






「じゃあ、さっそく、何処か個室のある吞み屋にでも行って話し合うことにしよう」

 まだ、昼間だけどさ、とはたてはつられるように笑った。

「それなら丁度、いいお店がありますよ。ああ、でも、その前に…」
「?」
「そのお店でトイレを借りないといけませんね」

 あはははは、と二人は声を合わせて笑いあった。











 その店は歩いて五分もしない位置にある居酒屋だった。昼間だというのにもう開店しているのはお昼にはランチもやっているからだった。はたてたちは無理を言って個室を使わせてもらうことになった。

「でも、にとり。貴女ってすごいね。衛生法についてあんなにきちんとした考え持ってるなんて。あ、非合法って言っても市民団体に参加している訳だし、それぐらい当然か」

 注文した料理や飲物がくるまでの間、さっそくではないがはたては軽い調子でそう話を切り出した。文から盗んだ取材のテクニックがこんなところで応用されるとは、当の本人すらも思っていなかったことだ。

 はたての言葉に少し照れながら、にとりは熱々にふかしたお手ふきで顔を拭う。

「いやぁ〜そんなことないよ。実は…私もちょっとだけ、衛生委員会に入ってたことがあったんだ」
「そうなの?」

 衝撃、とまで行かなくとも驚きに価する事実にはたては興味深げに声を上げる。

「うん。といっても法案が通って、いろいろその為の設備を整えていた時だけだけど。ほら、公衆トイレの鍵があるじゃない」
「うんうん、トスポ通さないと開かない頑丈な奴ね」
「あれを設計したの、私なんだ」

 僅かに自慢げな口調になったのは曲がりなりにも機械技師としてのプライドがあったからなのだろうか。にとりの顔に笑みが浮かぶ。

「で、粗方設備が終わったらそのまんまお払い箱にされちゃったんだけど、うん、まあ、それはいいんだけど、曲がりなりにも自分が作った物がなにか酷いことに利用されているような気がして。それで、衛生法に異議を唱える集会、って言うの…ああ、【オシュレット】みたいなガチガチの地下組織じゃなくて普通の一市民団体が企画した集会だったんだけど、そんなのに何回か参加していたらナズーリンさんに出会って、それで」
「ある意味、スカウトされたって訳ね」
「ま、まぁ、そんなところかな。それぐらいだよ。私の考えなんて」

 照れ隠しか、にとりはぽりぽりと頭を掻いた。

「ささっ、トイレ行ってきなよ。五分ぐらいしたらONするから」

 わかった、と個室から出て行くはたて。
 店員にトイレの場所を聞き、トスポカードを通してさっそく中へ。
 パンティをずらし、便座へ腰を下ろしたところであれ、とはたては首をかしげた。

「…コントローラー渡してもらえばよかったじゃん、私」

 そんな事実に気がつき、あちゃーとはたては自分の頭をこづいた。

「まぁ、いいか」

 トイレから出た後にそうしてもらおう。そう考えるはたて。暫くその体勢のままじっとしている。

「………」

 その間、はたての頭の中には先ほどのにとりの事を考えていた。
 出会った時、はたてはにとりのことを気の弱そうな油臭い河童だと思っていた。けれど、どうやらそれは違っていたようだ。確かに人見知りが激しく、気が小さいかも知れないが、でもそれは決して彼女の中に確固たる何かが欠けているというわけではない。気が弱そうに見えるだけで実際は自分が所属しているテロ組織の意向に反してまではたてを助けるぐらい強い心を持っているのだ。いや、そもそも思い出せばはたてがブラックトスポカードを使えず暴徒化した民衆に追いかけられていたところを助けてくれたのもまたにとりだったのだ。

「…二回も助けられたのね、私」

 その事を思い出しはたては自分の不義理を恥ずかしく思った。助けてもらった相手をさっきは殴ろうとしていたのだ。いくら正義だとか道徳なんて言葉を聞くと背中の辺りがむず痒くなるような不良新聞記者のはたてでもそれが悪いことだというぐらいは分かる。
 はたてはトイレの中で一人頷くと一つ、あることを決意した。

「にとりだけは助けないと…」

 今頃、昨日全てを話した椛ははたてを助けナズーリンたちを捕まえるための準備に奔走していることだろう。テロ組織は一網打尽にして完全に潰さないと御器噛みたいにいくらでも復活するんです、とそう昨晩椛が話していたことを思い出す。

「椛に説明して…ううん、ややこしいからにとりに暫く【オシュレット】の活動に参加しないように言っておかないと…」

 そう段取りを考えている途中ではたてははと気がついた。

「あれ? そう言えば…」

 いつまで経ってもお尻に刺さっているプラグが解放されないことに。

「なんで…?」

 にとりは五分程でスイッチを押すと言っていたがとうにその時間は過ぎている。電波が届かないのかと思ったが、それは制作者のにとり本人が一番よく知っているだろう。無理なら先に無理だと言っていたはずだ。

「何かあったのかな? でも…」

 様子を見るために立ち上がった瞬間、お尻を開放状態にされたのではかなわない。仕方なくはたてはそのままの体勢でもう暫く待つことにした。

「おい、いつまで入ってるんだよ!」

 そうこうしていると荒々しいノックの音と共にそんな声が聞こえてきた。どうやら他の客がトイレを使いたがっているようだった。はたては仕方なく脱いだパンティを履き直すと、不審がられぬよう無駄に水を流し、ごめんよぅ、と謝りながらトイレから出て行った。

「?」

 と、はたては店の雰囲気が何処かおかしいことに気がついた。吞み屋だというのに客の多くはお猪口に口をつけず、ランチを食べに来た客も箸を手にしたままそれでご飯をつまもうとはしていない。誰も彼も同じ話題を相席の客や立ちんぼの店員と何か話し込んでいる様子だった。

 疑問符を浮かべながらも自分たちの席へ戻るはたて。そこで疑問は驚愕へと移り変わる。

「にとり!?」

 席は空っぽで代わりに店員の中年の女性が酷く困惑した顔を浮かべていた。机の上にはできたての料理が並べられていたが、味噌汁がこぼれテーブルの上に広がり、にとりが座っていた場所のすぐ傍にコントローラーだけが落ちていた。

「ね、ねぇ、にとりは? ここにいた河童知らない?」

 尋常ならざる場面にはたては混乱しながらも何とか現状を把握しようと店員に尋ねた。店員ははたてに輪をかけたような困惑の表情を見せた後、躊躇いがちにこう答えた。

「あ、あの…衛生委員の人たちに…」

 そう言って店の外を指さす。他の客たちも確かに店の外へ意識を向けていた。

「ッ! なんで!」

 踵を返し、走り出すはたて。後ろからはお勘定を、なんてある意味で場違いな声が店員からかけられたがはたては無視した。店の外に飛び出し、通りに視線を走らせる。外も店の中と同じくある種の物々しい緊張に満ちていた。この雰囲気をはたては知っていた。当然だ。何故ならはたてもこの空気と同種のものの発信源となったことが幾度となくあったからだ。

「待てっ!!」

 叫ぶはたて。その視線の先には人だかりと衛生委員の腕章、それと手に錠をかけられ連れて行かれるにとりの姿があった。

「にとり! にとり! ああっ、もう、邪魔!」

 はたては止めさせようと衛生委員たちに近づこうとした。けれど、野次馬たちがそれを邪魔する。意図的ではない。余りの多くの人が集っているのだ。彼らが口々にしている野次じみた声が届く。

『テロリストだってよ』『この所のトイレの火事とかはアイツの仕業だってことか?』『極悪人だな』『衛生員会の奴らも本腰いれてきたって事か』『まぁ、でも極刑は免れないだろうな』『この前、横領で捕まった罰則課の天狗はおでこに焼き印だっけか』『身内でアレだからな。敵だったらどうするのか…ううっ、考えただけで勃起するわい』『何にせよ、あの河童。人生終わったも同然だな』

「そんなことさせてたまるもんか!!」

 なんとか最前列まで辿り着くはたて。後はそこいらの委員を捕まえて、罰則課の権限を振りかざして止めさせればいい。

「にとり…っ!」

 そうすればにとりを救い出せるのか、そう思える程、長く腕を伸ばすはたて。想いが届いたのか。輸送車にいれられるその刹那、振り返るよう人混みの中のはたてににとりが視線を向けてきた。

「はたてさん…」

 見開かれる瞳。間は一瞬。そうして、

「この………裏切り者ッ!!」

 とびっきりの怨嗟を含んだ槍の切っ先のように鋭い視線がはたてに向けて投げかけられる。

「っ…」

 射竦められ、まるで石になってしまったよう動けなくなるはたて。
 そうしている間ににとりは委員会の白狼天狗に殴られ、半ば無理矢理なかたちで輸送車に乗せられていった。甲高い音をたてて、呆然とするはたての視界の先、護送車は走り出していく。

「なんで、どうして…」

 絶望の表情を浮かべはたてはざわめきの中、ただ一人取り残される。
 どうしてにとりが、と一人反芻するが応える者は当然いない。
 けれど、聞くことは出来る。

「と、とりあえず追いかけて事情を説明しないと…」

 そう足を一歩踏み出したところではたては腕を何者かに捕まれた。

「何処に行くつもりですか、姫海棠はたてさん」

 腕を掴んでいたのは華人服を着た女性妖怪だった。足でも踏んづけてしまって怒り心頭なのだろうか。けれど、構っている暇はないとはたては捕まれた腕を振りほどこうとして…どうして、この華人娘が自分の名前を知っているのか、という疑問にぶち当たった。
 けれど、その疑問も瞬時に闇の底へ沈むことになる。

「拉致らせてもらいますよ」

 どん、と衝撃。後頭部を殴られたのだ。次いではたての脳にまで到達したダメージが意識を根こそぎ刈り取る。薄れゆく視界の中、はたては無意識に腕を伸ばしていた。果たしてそれは助けを求めるための亡者のそれだったのか、救いを求めるための苦行僧のそれだったのか。




「もしもし、ターゲットの確保に成功しました」

 衆人に気づかれぬよう、気絶したはたてを路地裏に引っ張り込みオクトカムスキンの布地でその体を覆い隠した美鈴はすぐさま携帯電話で連絡を取った。スピーカからはご苦労様。回収係を向かわせる、という返事が返ってきている。

「でも、同士ナズーリン。なるべく無傷で捕らえろだなんて…こいつは同士にとりを委員会に売った極悪人なんですよ。今ここで制裁を加えても…えっ、あ、ハイ。分かりました…」

 電話口の相手に窘められたのか、一連の騒動を見ていて血気盛んになっていた美鈴は塩を振った菜っ葉のようにしおれる。

「はい、分かりました。別名あるまで待機しています。ええ、はい。同志ナズーリン」
『お願いする。にとりとはたてはある意味、物々交換だ。だったら、いまからにとりがそうされるよう、はたてにも酷い目に遭ってもらうことにしよう』









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








 ここは…

 軋む縄の音と肌寒さを憶えてはたては目を覚ました。
 焦点が定まらずぼんやりする視界。妙に痛みを覚える首筋。よほど床が固くごつごつしているのか、座っている足は血の気が失せて痺れていた。ぼんやりとしていた視界が戻るにつれ、はたてはむき出しの自分の下半身を目にすることになった。スカートもパンティも身につけていない。太股に挟まれた茂みが見える。なんで、私はこんなところで裸ん坊でいるの、と顔を上げたところで。

「やぁ、やっとお目覚めかい」

 ナズーリンと目が合い、間髪いれず平手打ちを受けた。

「ッ! 何すん…!?」

 口の中を切ったのか。血の味を覚えながらも激高しようとした瞬間、今度は後ろから頭を押さえつけられた。美鈴だ。チョークスリーパーのような形で拘束され、もがこうとも頭はぴくりととも動かせなかった

「腹が減っているだろう。食事前だったらしいしな。ご飯を食べさせてやる」

 そんなはたてを睥睨し、彼女にしては珍しく、薄くけれど凄惨な笑みをナズーリンは浮かべた。隣にいた見知らぬ男がナズーリンに何かを手渡す。それは幻想郷では珍しいチューブ入りのマヨネーズだった。徳用なのか、小柄なナズーリンが抱える程の大きさがある。ナズーリンはマヨネーズの赤い蓋をねじり外すと、内蓋の銀紙も剥がしその両方を無造作に投げ捨てた。そうして、マヨネーズをまるで餌付けするようはたてに差し出してくる。

「い、イヤ…」

 嫌な予感がして逃げようともがくはたて。しかし無駄だった。首をしっかりとホールドしている美鈴は腕を動かすとはたての顔を上向けた。更に顎を押さえ口を無理矢理、開かせる。そこへ突っ込まれるマヨネーズのチューブ。ナズーリンはマヨネーズを幼子が遊ぶよう、両手で勢いよく潰した。黄白色のゲル状物質が一気にはたての口の中へ入り込む。あまりに大量にマヨネーズを流し込まれたせいか、逆に味などしなかった。ただ、窒息するかと思える程の量が口内一杯に、そうして喉の方にまで満ちてくる。

「飲物もやろう」

 今度は牛乳だった。アシスタントなのか、男が大きな漏斗を持ってきてそれを美鈴が拘束したままのはたての口にあてがう。ナズーリンはそのまま押さえていろと美鈴と男に命令すると封を開けた牛乳を逆さまに、全て一気に漏斗の中へ流し込んだ。

「ごふっ、えふっ!」

 はたてが咳き込み、漏斗の口から噴水のように牛乳が飛び出す。それでもお構いなしにナズーリンは牛乳を流し込み続けた。気道に牛乳が入ったのか。はたては顔を赤くし、暴れる。その力が思った以上に強かったのか。牛乳を全て流し込まれるほんの一瞬前にはたては美鈴の拘束から逃れた。漏斗がからん、と音をたて固い石造りの床の上に転がり、溜まらずはたては無理矢理吞まされたものを嘔吐しようと体を折り曲げた。

「げほぉ…ううっ!!?」
「駄目ですよ。そんなもったいない事しちゃ」

 けれど、それは出来なかった。美鈴が腕を伸ばし、今度は先ほどと逆にはたての口を押さえたのだ。万力のような握力でまるで口は溶接されてしまったかのように硬く閉じられてしまう。逃げ場をなくした吐瀉物は鼻からあふれ出してきたが、狭い鼻孔を通りきる量ではない。加えてまた無理矢理に上向けさせられる。鼻は詰まり、はたては窒息しそうになりながら、じんじんと痛む目頭から涙をこぼした。

「えほっ…えほっ…」

 暫くそのまま口を押さえられていたはたてだったが全て胃の中へ流れ込んだと判断されたのか、程なくして美鈴の腕から解放された。えづきながらも酸素を求めて荒々しい息を繰り返す。

「クソ…なずぅ…りん…っ!!」

 涙を浮かべ充血した瞳でナズーリンを睨み付けるはたて。だが、その視線もナズーリンには暖簾に腕押しなのか、さらりと受け流し嘲笑するよう鼻を鳴らした。

「自分が何をされているのか分かっていない顔だな。じつにばかだな」

 そう言ってナズーリンはかがみ込むと無造作にはたての頭を掴んだ。ぶちり、と何本か髪の毛が引き千切られる。

「応報だ。まったく、よくも我々の懐柔策を無駄にしてくれたな」
「…なんのことよ」

 頭を捕まれている状態でもなおも気丈にはたてはナズーリンを睨み付ける。だが、強者の余裕はやはり揺るがない。はたての反抗的な態度に苛立つこともなくナズーリンは話を続ける。

「我々はゆくゆくは君をスパイとして養成し、今よりももっと本格的に衛生委員内部への攻撃を計ってもらおうと考えていた。だが、それには君には我々に心の底から従順になってもらわなければいけなかった。ただ脅され命令されるだけではなく、君が自主的に我々に与し協力するように。我々の活動の精神、その本質を理解してもらって」
「活動の精神、本質…」

 ナズーリンの言葉を繰り返すようにはたては呟く。そうして、はっ、と声を上げた。

「にとり…!?」
「そうだ。もっともにとり自身はあの通り、嘘がつけるような性分ではないからな。私が頃合いを見て、君に近づくよう促した。私が鬼教官のように厳しくする一方でにとりは君を甘やかし、そうして、自分の考え――【オシュレット】の精神を教える。飴と鞭の考え。そういう段取りだ」

 そこで自分の中の感情が爆発したのか、ぎりりとナズーリンは奥歯を噛みしめた。はたての頭を押さえる指にも過剰に力がこもる。

「だが、それは失敗した! 他ならぬ君自身がくそ真面目にも罰則課の仕事をしてくれたお陰でね」
「一体…なんのことよ…」
「しらばっくれるな!」

 激高し、ナズーリンははたての頭を床に叩きつける。床は固く冷たい石だ。火花が散るような衝撃を受け、溜まらずはたては悲鳴を上げる。打ち付けられたおでこが裂け、血が流れ出す。

「にとりだ! ああ、君は真面目にも自分が知っている【オシュレット】のメンバーを委員会に教え捕まえさせたんだ。それも君に酷いことをしていた私ではなくにとりを! 君を助けていたにとりをだ!」

 そのままナズーリンははたての頭を床に押しつけ続ける。ごりごりと頭蓋がなる。

「私ならばある意味では納得していただろうよ。私と君は敵同士だ。ある意味でもっとも信頼が置ける関係だ。だが、君はあろうことかにとりの方を先に捕まえさせた! 戦略的にその判断は間違っていないだろうさ。にとりは活動家としての力は下の下だ。注意力は足らないし、余程のことがない限り自主的に行動しない。その思想と手先の器用さ以外、活動家にはまるで向いていない。相当、捕まえやすい雑魚だろうさ。だがな、それでも君には良くしてくれていただろう。あの子を利用しようとしていた私に言えた義理ではないかも知れないが、それでも、だからこそ、私はあの子の純粋さに惚れ込んでいた。あの子の精神が真の我々の活動の精神だと! 君はにとりには感化されなかったのか!? まったく心に響くものはなかったのか! 万が一、君が委員会の連中に自分がしていることを吐露しても、最悪、あの子だけは見逃すよう誘導していたのに?
 ああ、畜生。どうやら、私は君の力を見くびっていたようだ。成る程、君は私が思っている以上に真面目な罰則課員だったようだ。私のプロファイリングも相当に甘かったらしい。君のような血も涙もない非情な天狗を仲間に引き込もうとしたのがそもそもの間違いだった」

 囃したてるよう、矢継ぎ早に話すナズーリン。いや、最早はたてに聞かせる気はないのだろう。ただ、怒りのままに言葉を紡いだだけだ。証左にナズーリンははたての頭をすり下ろすよう床にすりつけている。額の傷口が広がり、血が黒く湿った岩肌に塗り込まれる。

「だから、我々は君に対し、一度は廃案にした案件を復活させ君に施そうと思う」

 肩で荒い息をしながらナズーリンはやっとはたてを解放した。だが、許すつもりはないようだ。部屋の隅まで歩いて行き、そこにある薄汚れたコンロの前に立つ。
 どうやらこの部屋は以前は厨房として使われていた場所だったようだ。以前、というのは既に作業台など取り払われ、厨房だったと示すものがコンロや換気扇、大きなシンクと幾つも連なった蛇口などごく僅かにしか残されていないからだ。
 鍋を手にナズーリンが再びはたての前に戻ってきた。鍋の中身は優に十人前はありそうな雑穀粥だった。暖かそうな湯気が立ち上っているが、ぞんざいに作られているのか、とても美味しそうには見えなかった。

「何なのそれ…それでも私にぶっかけて火傷でもさせるつもり?」
「それも面白そうであるが、そいつは我々の思想とは反するな。我々の思想は自由な排泄行為だ。自由な排泄を封じられた者がどうなるのか、啓蒙の意味も込めて君には実戦してもらう」
「え、ま、まさか…」

 さぁーっとはたては自分の血の気が失せていくのを憶えた。それに反応したのか、お腹がぐるぐると嫌な音をたてる。もう三日程、トイレに行っていない上に冷たい石床の上で裸で寝かされていた上に先ほどマヨネーズや牛乳を無理矢理食べさせられたことで腹具合は最悪だ。だが、痴態を晒したくないというもっともな感情以前にはたてはここで漏らすことさえ出来なかった。

「嘘、やめて…やめて…」

 肛門にある違和感に今更ながらに恐怖を覚える。

「懇願が許される立場だと思うのか? 駄目だね。にとりも今頃、同じ言葉を叫んでいるだろう」

 再び美鈴の手によって拘束されるはたて。アシスタントの男が床に転がっていた漏斗を拾い上げ、また、はたての口にあてがう。

「さぁ、たんまりと食べてくれ。食べて消化して、栄養分を吸収して、そうして爆ぜろ。爆ぜて死ね姫海棠はたて」

 ナズーリンは杓で鍋から粥を一杯すくうとそれを漏斗の中へ流し込んだ。火傷するような熱い粥がはたての喉へ流れ込んでいく。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








「うう…うぇつ…」

 それから数時間をかけて時折、消化のための休憩を挟みながらはたては様々なものを食べさせられていた。
 ハムやソーセージ、野菜、豆腐、チーズ。飲物も茶や麦酒など無節操に。さらにサラダ油や酢などの調味料。サディスティックな精神からか厨房の片隅に隠れていたゴキブリなども無理矢理、食べさせたれた。

 今やはたての腹は妊娠したように膨れあがっている。ぐるぐると腸が鳴動しつづけ、尻の割れ目の間からは脱腸しているのか、直腸がその端をさらけだしていた。だが、それでもプラグは強固にはたての尻の穴を塞ぎ続けていた。

「ゆる…ひて…」

 懇願の声ももはや力なくすきま風のように繰り返されるだけだ。ナズーリンたちも一々、反応するのに飽きたのか、黙れと言うようなこともなくなった。はたてに無理矢理、食物を与えては時折、その姿を写真に収めている。

「もう…だめ…し、死ぬ…」

 絶望に満ちた暗い言葉を口にした後、はたては身を震わせ、盛大に嘔吐した。当然だろう。あれだけ無理矢理食べさせられば胃が拒絶反応を起こす。おぇぇぇぇぇぇ、とはたては最早元が何だったのか分からぬ程、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた物を吐き出した。

「えほっ…げほっ…あ、ああああああ」

 一通り戻し終えたはたてはガタガタと恐怖に震え出す。見れば、はたての顔は何度も殴打を受け腫れ上がり出血している有様だった。
 はたてはこうして戻す度に体罰を受けていたのだ。顔以外があまり傷ついていないのは体に打撃を加えて腸に溜まっている物まで逆流させてしまうのは本末転倒の考えだったからだ。
 戻した後、はたては口汚く罵られ、何度も顔面を殴打され、その後で自分が戻した物をもう一度、胃の中へ戻すよう強要された。その時の恐怖心が頭の中でリプレイされ、殴られるより先にはたては脅え始めたのだ。

「ああああああああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」

 殴られてからするよりはマシだとはたては自ら床の上にブチ撒けた吐瀉物をすすり始めた。胃酸の鼻をつく臭いも舌を焼く苦みも最早感じない。じゅるじゅると汚らしく音をたてはたては吐瀉物を飲み込む。

「い、言われる前にしました。だ、だからもう許して。許して。お願い、お願いです」

 口の周りを吐瀉物で汚しながら、腫れ上がった顔で何とか笑みを作り懇願するはたて。最早、憐憫の情と軽蔑のまなざし以外浮かべられそうにない哀れな姿だ。美鈴を始めとする【オシュレット】のメンバー数人は実際にそういう顔をしている。中には口にこそしていないがもうひと思いに殺してやるべきでは、などとある意味慈悲の心を抱いている者さえいた。
 けれど…

「まだ、自分の立場が分かっていないのか? 君はお腹を破裂させて死ぬ。そういう運命なのだよ」

 ナズーリンただ一人だけは鉄の意志を持ってはたてを徹底的に痛めつけようとしていた。近づき、臨月の妊婦のように膨れあがったはたての腹をつま先でゆっくりと押し込む。ひぎぃ、と苦しさのあまりはたては悲鳴を上げた。

「どうやら、まだ、何かしらの希望を持っているみたいだな君は。まだ、この腹に溜まった物をまともにトイレに流せると、そう思っているようだな」

 ぐりぐり、とつま先をねじり圧迫する場所を変えるナズーリン。はたてがまたも吐瀉し、ナズーリンの足にそれがかかるがナズーリンはお構いなしだ。靴底で軽く踏みつけ、はたてをいたぶる。

「ああ、そうか」

 と、その最中、ナズーリンは芝居がかった調子でそんな声をあげた。はたてから足を放し、一歩後ろに下がる。

「そう言えばこいつを忘れていたな」

 ナズーリンが取り出したのはプラグを操作するコントローラーだった。にとりがあの飲食店に置いていったのを密かに回収していたのである。

「こいつがあるから君はまだトイレに行けるなどと言う淡い幻想を抱いているのだろう。諸悪の根源はこれか。こんな物があるからまだ君は自分が助かると、そんな無駄なことを考えているんだな。だったら、こんなもの…」

 ナズーリンの手からコントローラーが離れる。重力に引かれ真っ逆さまに堕ちていくコントローラー。からん、と乾いた音をたて床の上に落ちる。フレームに僅かに亀裂が走る。だが、まだ、使用には問題なさそうだった。それを見てはたては安堵のため息を漏らすが、そいつは無意味に冷たい空気の中へ消えていっただけだった。サディスティックに笑むとナズーリンは足を持ち上げ、それをコントローラーの上まで持っていき…




 ぴりりりり♪ ぴりりりりり♪




 踏みつぶそうとしたところで軽快な電子音に止められた。携帯電話の着信を知らせる音だ。ナズーリンは足を持ち上げた体勢のまま、仲間たちに視線を送る。自分じゃない、と首を振るう美鈴たち。では誰が、と音の発信源を探すとそれはすぐに分かった.厨房の片隅に無造作に投げ捨てられていたはたての服からだった。

 ナズーリンは美鈴に目配せする。駆け足ではたての服の所まで行く美鈴。ごそごそと無理矢理破いて脱がせた服をまさぐり、スカートのポケットからはたての携帯電話を取りだした。バイブレーションがぶるぶると震え、着信を告げるランプが明るく点灯している。鳴りつづけているところを見るとメールではなく電話のようだった。
 通話ボタンを押さず、携帯電話を開く美鈴。ディスプレイには着信者の名前が表示されていた。

「…椛、とでてますけど」
「誰だ?」

 美鈴が口にした名前をはたてに尋ねるナズーリン。はたては消え入るような声で委員会の同僚、と応えた。ふむ、とナズーリンは少しばかり思案した後、腕を伸ばした。電話を貸してくれという合図だ。

「もしもし。残念だがはたてはでれないよ、ゲシュタポ・トアレッテ」

 美鈴から電話を受け取り、通話ボタンを押して耳にあてがうナズーリン。こちらのペースに持ち込むためか、間髪いれず話し始める。

「いや、まだ、一応は死んではいないさ」

 どうやら電話口の椛ははたての安否をナズーリンに尋ねているようだった。それに応えるナズーリン。

「そして、これからも死なないかどうかは…君たちの返答による」

 そんなはたてにとっては一条の希望に光ともとれる発言をするナズーリン。けれど、すぐにはたてはそれを嘘だと思い知ることになった。ナズーリンの顔には明らかに嘘をついているという表情が張り付いていたからだ。

「ああ、ああ、そうだ。番号のそろっていない一万円紙幣千枚、それと同志にとりの解放が条件だ。受け渡し当については追って連絡する。以上だ。切る…何? はたての声を聞かせて欲しいだと?」

 一瞬の思案。

「いいだろう。ただし、十秒だけだ。はたて、後輩に何か言ってやれ。ただし、妙なことを言った場合はそれだけで契約は破棄だからな」

 自分の耳にあてがっていた携帯電話をはたての側頭部横までナズーリンは持っていく。とっさのことと今までの惨状で頭が回らず、何を言えばいいのだろうと口ごもるはたて。
 その気配を電話口でも察してくれたのか椛が先に口を開いてくれた。

『先輩。大丈夫ですか』

 その言葉にああ、うん、と掠れるような声で返事する。ああ、これが自分の最後の言葉なのだと思い、はたては涙した。
 
 何がいけなかったのだろう。何処で間違ったのだろう。
 にとりに助けられたことが? ナズーリンにはめられた後、さっさと椛たちに助けを求めなかったことが? はたては走馬燈のようにここ数ヶ月のことを思い出し、反省する。
 そうだ、あの時、ブラックトスポが使えなかったのが事の始まりだ。アレさえなければ…

 悔やんでも最早どうしようもないことにはたては啜り泣いた。自分はもう死ぬしかないのだ。しかも惨めで苦しくむごたらしい死に方で。それは確定事項であり、回避不能だ。
 そう、思っていた。




『今から助けに行くのでそれまで我慢していてください』




「え?」



 そんな絶望を打ち砕いてくれる声が聞こえたかと思うと、瞬間、破砕音と共にドアが打ち破られた。何事と、全員の意識がそちらへ向かう。と、同時に電源が入らず、風に任せるままに回っていた油まみれの換気扇を打ち破り、何かが厨房の中へ勢いよく撃ち込まれた。それは手のひらに収まる程の鉄塊で、撃ち込まれた換気扇から斜め上に飛んでいき、天井に当たったかと思う刹那――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――まばゆい閃光と耳を劈く高音を奏でた。


「スタングレネード!?」

 ナズーリンが叫んだが、はたしてその声は自分自身にさえ聞こえたものか。
 更に間髪いれず、打ち破られたドアからコンバットスーツに身を包んだ白狼天狗の一部隊がなだれ込んできた。GoGoGoのかけ声の下、手にしたSG552で斉射。厨房内にいた【オシュレット】メンバーを撃ち倒していく。【オシュレット】のメンバーも果敢に応戦しようとするが戦力が違いすぎる。一人、また一人と銃弾に斃れていく。

「クソ! 逃げるぞ!」

 ナズーリンがそう命令するが既に混乱した殆どのメンバーはそれより先に我先に逃げ出していた。、だが逃げられるものではない。厨房の外からアンダーバレル式のグレネードランチャーを装着したSG551に狙撃されたり、マスターキーの散弾を喰らって吹っ飛ばされたりする。

 これ以上の描写は無駄だろう。勝ち戦など描いたところで意味などないのだから。
 飛びかう怒号と銃声の中、はたては脅えたように床に伏せ続けていた。




「大丈夫ですか、先輩」

 先ほど、電話口で聞いたものと同じ言葉を耳にしてやっとはたては顔を上げた。気がつけばとうに戦闘は終わっており、部隊は残党の追跡や重傷を負った【オシュレット】のメンバーの搬送を始めている処だった。

「椛…」

 はたてを介抱し、抱き起こしてくれたのは椛だった。コンバットスーツに各種最新鋭装備。天狗の実力部隊である白狼天狗の面目躍如と言ったところか。
 椛はコンバットナイフを取り出し、はたての腕を縛っていた荒縄を断ち切る。はたてはありがとうと礼を言いながらも、すぐに床の上に視線を走らせ始めた。瓦礫や空薬莢、血飛沫が飛び散る床の上、奇跡的にもコントローラーは無事なまま転がっていた。手を伸ばし、それを拾い上げるはたて。

「あの、椛、トイレに…トイレに行かせて…」
「そうですね。早く行かないと大変なことになりそうですね」

 そう言ってはたてを何とか立ち上がらせる椛。と、ああ、そうそう、と椛はベストのポケットを探り、何かを取り出した。

「はい、先輩のトスポです」
「え…?」

 差し出されたそれはブラックトスポカードだった。確かにトイレに行くのならトスポカードは必要だ。椛がはたてに渡すのも分かる。けれど、はたてのとはどういうことだろう。疑問符がはたての頭の上に浮かぶ。

「ほら、一ヶ月ぐらい前にシステムが変わるって言って借りたじゃないですか」
「でも、あれはあの時…」

 そこで思い出すはたて。あの時、返してもらったカードはどうだったのかを。あのカードを公衆トイレのスロットに通してもトイレの扉は開かなかったのではなかったのか。だとしたら、それは、その本当の原因は…

「あの時渡したのは偽物だったんですよ」
「なんで、そんなことを」

 はたての記者としての本能が叫ぶ。それ以上は聞くなと。だが、愕然としながらもはたては訪ねずにはいられなかった。今のこの惨状はある意味であの時、カードが使えなかったから起こってしまったのだ。それを意図的に無視できる程はたては弱くはなかった。否、以前のはたてだったらそうしたかも知れない。けれど、にとりの純粋さ、ナズーリンの冷徹さを知った今、はたてはそうせざる得なかったのだ。

 ええっと、実は、と語り始める椛。

「テロが起きる以前から衛生委員上部は【オシュレット】の存在をある程度まで認知していたんですよ。けれど、彼女らは思ったより優秀で、なかなか尻尾を掴ませてくれなかった。そこで何人か成績が振るわなかったり素行が悪い委員を選び、そういった人たちを囮にわざと委員会内部の情報などをリークさせて、【オシュレット】の連中の行動を促したんです」

 蠅を一匹ずつ潰すより、臭いですけれど我慢して腐った肉とかを置いてそこに集めさせ、一網打尽にする、って処でしょうか、と椛。

「で、その方法を話し合っていたんですが、委員会最高顧問の八雲紫様が『それならその人たちのカードを使えなくすれば解決よ』とおっしゃいまして。その時はみんな半信半疑で、こっそりとカードを使えなくした多くの不良天狗も【オシュレット】の連中と接触を図る前に自滅したんですけど……まさか、先輩が唯一の成功例になるなんて思ってもいませんでしたよ」

 流石、妖怪の大賢者様、人知の及ばない深慮な考えをなさる、と椛は満足げに頷いていた。けれど、その言葉をはたてはまるで聞いていなかった。
 最初からすべて、自分は様々な人妖たちにいいように操られていたのだ。そこに自由はなく、何もかもが誰かの掌の上だった。

 ああ、とはたては絶望に嘆息を漏らす。
 そうして、ならばせめてトイレぐらいは自由に行きたいものだと手にしていたコントローラーに力を込め、そうして―――


 ブビビビビビビビ、ブチュ、ブボボボボボボボボ…














――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――











「クソ…しっかりしろ同志メイリン!」
「う…すいません」

 血まみれの美鈴を肩に担ぎ、薄暗い山道を行くナズーリン。
 白狼天狗部隊の襲撃からなんとか脱した二人であったが、美鈴は重傷を負い、ナズーリンもそれほどではないが何発か銃弾をもらってしまっていた。二人が歩いた後には血の跡が点々と残っている。

「畜生、衛生委員の奴らめ…絶対に、絶対に許さんぞ」
「何を許さないって言うんですか?」

 憤怒のあまり自然と漏れた怨嗟の呟きに、返答があった。美鈴ではない。傷だらけの二人を笑うような声にナズーリンは敵か、と声のした方に顔を向ける。

「………君か」

 視線の先にいたのは敵、ではなかった。けれど、険しい顔つきのまま杉の木の陰から現れた巫女――東風谷早苗にナズーリンは睨むような視線を送る。
 彼女もまた、じつはトイレ衛生法に反対する組織【オシュレット】の一員なのだ。

「総統の命令できてみれば…うわぁ、これは酷いですね。とりあえず、同志美鈴さんはうちのお寺へ運びましょう。同志ナズーリンさんも自分のお寺には帰れないでしょ。ほとぼりが冷めるまで隠れていてください」
「っ…仕方あるまい」

 苦虫を噛み潰したかのように顔をしかめるナズーリン。同志とはいえ商売敵に情けをかけられたのだ。いや、実のところそれ以前にナズーリンと早苗は同組織内でも対立している一派だった。先ほど、早苗が姿を現した際にも心から安堵しなかったのはその為だ。

「ああ、それと同志ナズーリンさんの所のメンバー、私の方で引き取ることになりましたから」
「なっ、なんだと!」

 早苗の言葉に絶句するナズーリン。美鈴と共に逃げている間にもナズーリンは報復計画の段取りを考えていたのだ。今日の襲撃で実力派メンバーの多くが捕らえられ殺されてしまったが、まだまだ戦う意志は残されていた。それをまるで出鼻を挫くような事を早苗は言ってきたのだ。

「それはどういうことだ!?」
「言葉の通りですよ。第一、その怪我じゃ当分は動けないでしょう。大丈夫です、私がきっと同志ナズーリンさんや同志美鈴さんの敵をとってあげますから…」

 早苗の言葉に最早、怒死するのではと思える程ナズーリンは顔を赤くする。それでもまだ一抹の理性が残っていたのか、最後の質問のようにもう一つだけ早苗に問いかけた。

「言い出したのは誰だ…幹部三人以上の同意がないとそんな権限は君には与えられないはずだぞ」
「幹部と言いますか、その上からの命令ですよ。天の声ですね」
「っ…」

 そこでナズーリンは力尽きたよう、足を止めた。実際に力尽きた美鈴がその場に倒れ込む。けれど、ナズーリンは美鈴を助け起こさなかった。起こせなかった。

「八雲紫ぃぃぃぃ! お前か、お前の判断なのか! 畜生!」

 山中、ナズーリンの嘆きが谺する。
 【オシュレット】総統、八雲紫への怒りが。



「………」

 その叫びを聞きながらも歩みを止めず、早苗は先に進んでいった。

―――まぁ、紫総統が言ったのは私への権限の委譲だけでそれを何に使えかまでは言ってなかったですから。せいぜい利用させてもらいましょう。信者獲得のために。【オシュレット】の力をね。




 八雲紫のその真意が発覚するまで、今宵もまた悪党と悪党たちは互いに喉を喰らい合うようなロンドを踊り続けるのだった。




END
灰々氏作幻想郷トイレ衛生法三次創作です。
氏の作品が悪法に翻弄される一般人→表社会を描いているなら自分のものは
その裏で暗躍するスパイやテロリストたち→裏社会、という処でしょうか。

なにわともあれ、制作許可をくださった灰々氏に再び深い感謝を。
sako
http://www.pixiv.net/member.php?id=2347888
作品情報
作品集:
24
投稿日時:
2011/02/15 09:14:24
更新日時:
2011/02/15 09:14:24
分類
トイレ衛生法
はたて
にとり
ナズーリン
三次創作
1. NutsIn先任曹長 ■2011/02/15 13:13:21
昼休みを丸々潰して読ませていただきました。

クソッタレな法を作った張本人と反乱組織のトップが同一人物とは…。
なんて壮大な茶番!!
お願い事にはプリーズを付けろとか、どこかで聞いたようなウィットに富んだ台詞回しが、
さすが、ナズーリン。
今回の事件は、反対勢力の過激分子を粛清すると同時に、
取り締まり側と民衆に確固たる自分の意思を持たせることを目的としていたのか…。
早苗さん、貴方もまた、新たな時代の肥やしとなるクソなんですよ。

紫が自分の手のひらでロンドを踊らせる理由は、踊り子達にそのことを気付かせるため、と。
2. 名無し ■2011/02/16 00:22:47
スタングレネード?
sg552?
アンダーバレル?
グレネードランチャー?

なんか意味不な言葉出すぎなんだが
3. 名無し ■2011/02/16 10:06:46
たしかグレネードランチャーは夏の季語だったと思う
4. 名無し ■2011/02/16 14:23:07
なんという大作
無理やり食わされてボテ腹になるはたnがクソ可愛かったです
5. 名無し ■2011/02/17 00:18:11
真性のクズになりきれないあたりがはたてらしい
6. 名無し ■2011/02/17 19:32:14
ナズーリンかっけええw
7. 名無し ■2011/02/20 18:59:53
流石sakoさんだ・・・センスを感じますね。
私がはたての立場だったら自殺してたと思いますw
8. 名無し ■2011/04/08 04:17:02
カード取り換えネタは本家でも詐欺としてあったし、椛も寝返ったのかと思いはしたが、はたてへの反応が詐欺師のものではなくていぶかしんではいた
なるほど、そういうことか
八雲紫、恐るべし
名前 メール
パスワード
投稿パスワード
<< 作品集に戻る
作品の編集 コメントの削除
番号 パスワード