東方ゲロ娘「苦悩」

作品集: 24 投稿日時: 2011/02/19 08:14:14 更新日時: 2011/02/23 17:21:30
 御札が雨のように降り注ぐ地帯をフルスピードで飛び抜けて、即座に後ろを振り返る。
不思議な力を秘めた御札に抉られた大地から濛々と立ち込める砂埃の向こうに、撃墜すべき少女のシルエットを見た霧雨魔理沙は、砂埃の更に上を目指し、飛んだ。
上を目指しながら下を見てみれば、彼女の思った通り、妖怪を滅する鋭い針が砂埃を貫いて、先ほどまで自分がいた地点を通りすぎている。
――残念だったな、霊夢。そこに私はいないぜ。
 無人の空間を攻撃している友人――博麗霊夢――を心中で嗤いながら、魔理沙は苦心の末に完成させた新しい魔法を取り出した。
 魔符よりも華々しく、恋符よりも猛々しい。今の自分が作れる最高傑作。そんな確固たる自信があった。
 新開発のマジックアイテムから放たれる七色の光線と七色の光弾。それらが隊形を成し、敵を殲滅せんと暴れ回るその様相は、遠巻きに二人の弾幕戦を眺めていた見物人達の心と瞼にしっかりと焼き付いた。
実戦での使用は初めてのことであったので、その予想以上の迫力に、使用者である魔理沙自身も圧倒されてしまった。
 使用者でさえ、見ているだけで混乱してしまうような弾道。光の交差。
砂埃は余計に酷くなってしまった為、霊夢の姿は全く見えなかったが、魔理沙は勝利を確信していた。
不意打ちで放ったこの新しい魔法、戦いを重ねたのであればまだしも、初見で避けられる程甘くは無い、と。

 幾か月振りかの霊夢への勝利を感じた魔理沙の頬を、見慣れた御札が掠めた。
 呆然としていられたのはほんの僅かな時間で、次の瞬間には大量の御札が、上空の魔理沙目掛けて濃くなった砂埃を蹴散らしながら、機関銃のように掃射されてきた。
 墜落と言っても過言でないくらい急激に高度を下げて、どうにか御札の群れを避けた魔理沙だったが、そんな安直な回避は先読みされるのがオチだ。
待ってましたと言わんばかりに、でかでかとした陰陽玉が一発、砂埃を突き破って現れ、魔理沙の頭にぶつかった。
 箒から弾き落とされ、仰向けに地面に寝かされた魔理沙。次いで、箒も力を失ったようにぱたんと地面に着地した。落下の際背中を打ってしまい、すぐに動き出すことができなかった。

 背中の痛みに身悶える魔理沙の視界に現れたのは、白熱した戦いを制したにも関わらず涼しい顔をしている霊夢。
「お疲れ様」
 素っ気無く一言添え、すっと手を差し伸べる。
魔理沙は差し出された手を掴み、霊夢に助けて貰いながらようやく立ち上がった。
「ああ。お疲れ」
 額に浮かんだ玉の様な汗を拭いながら、魔理沙が返事をした。


 見物人らが激戦を称え、拍手したり、指笛を吹いて囃し立てたりする中を、二人は歩く。
魔理沙は適当な所に座り、勝敗を決した陰陽玉がぶつかった額に氷入りの氷嚢を当て始めた。その横に霊夢も腰かける。
「もうちょっとだったのになぁ。やっぱり霊夢には敵わないぜ」
 やりどころの無い苛立ちに変換されて行く悔しさを堪えながら、魔理沙は笑い、他愛もない言葉を口にする。
霊夢はそれを鼻に掛けるでも、喜ぶ様子も見せず、「まあね」と素っ気無く答えただけ。
――つまり霊夢は私なんて眼中に無いって訳か。
 苛立ちは魔理沙の発想をネガティブにする。

 魔理沙がそんな心情でいることを知っているのは、魔理沙本人だけである。
善戦した魔理沙を、見物人達が寄って集って褒め称え出す。
『善戦だった』『惜しかった』『いい試合だった』
 善戦していようが、惜しかろうが、いい試合だろうが、負け試合は負け試合だ。魔理沙に喜ばしい要因など何一つない。
おまけに、初披露であった魔法も勝利を齎すことができなかった。過信していた自分が無様に思えた。
 見物人から見ても、あの魔法は非常に興味深かったようで、その感想を問う者が出てきた。
「魔理沙、あの魔法は何だったの?」
「新作だよ。やっとの思いで完成させたやつさ」
 自然と自虐的な口調になってしまっていた。
「だから最近、外出が少なかったのね」
「そういうことだ」

 魔理沙の新しい魔法に纏わる話を聞き終え、次は霊夢の番となった。
「ねえ、霊夢。どうだった、あの魔法」
 魔理沙がずっと聞こうか聞くまいか迷っていた質問を、見物人が先取りして投げ掛ける。
魔法の威力の程を知るのが怖くて堪らなかったのだ。
 霊夢は、数分前のことを思い出すように、宙を眺めてうーんと唸った後、
「まずまずってところかしらね」
 こう返答した。今の魔理沙に作れる最高傑作は、霊夢にとっては「まずまず」でしかなかったのだ。
それが分かり、魔理沙は苛立つどころか、すっかり気落ちしてしまった。
無論、それを周囲に悟られないよう努力した。安直な慰めなど、聞いても苛立たしいだけだからだ。
とにかくこれ以上惨めな気持ちを味わいたくなかった。
 しかし、魔理沙がそう考えていたとしても、あるいはそう考えるからこそ、
「なぁんだ、まずまずなんだ」
「勘違いしなさんなよ。霊夢だからまずまずなの。妖精のあんたじゃまずまずに留まらない」
「さすが博麗の巫女と言うことだ」
「博麗の巫女相手によくもまああれほど戦えるね、魔理沙も」
 周囲の者が言葉を重ねていくにつれて、彼女は増々惨めに、増々情けなくなってくる。

 結局その後数十分、魔理沙は聞きたくもない見物人達の観戦の感想を聞かされ、見物人の一人であった妖精のチルノと一緒に帰路を辿った。


「あんなすっごいことしても、どうして勝てないんだろうねぇ。不思議不思議」
 帰路の半ばにある森の中で、チルノがこんなことを言い始めた。「それが分かったら苦労しないさ」と魔理沙は呟く。
チルノは草木、木の実、虫、いろんなものにいちいち興味を示しながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら歩いている。
草に止まっていた虫を捕まえようと草に近づいた時、虫が飛び出し、魔理沙の帽子に留まった。
虫の捕獲を諦めていないチルノは虫を追い、必然的に魔理沙の全容を見ることになった。
 帽子に虫が留まったのに気付いた魔理沙が、それを少し気にするように目線を上にやる。
すぐに視線を戻すと、自分の方を向いているチルノと眼が合った。チルノの視線は、真っ直ぐと魔理沙の目を捉えている。
帽子に留まっている虫を獲ろうと狙いを定めているにしては、視線が少し下すぎる。
「何だよ」
 蓄積してきた苛々を少しだけ吐き出すように、棘のある口調で魔理沙がぼやくと、チルノは「いや、何でもない」と頭を振う。
それと同時に虫は魔理沙の帽子を飛び立って、森が作り出す闇の中に消えて行った。
 それっきりチルノは魔理沙に興味を失い、再びちょこまかと歩き出す。
 じっと目を見据えられた理由を「何でもない」で済まされてはあまりに気持ちが悪い。魔理沙が問い詰める。
「さっきの様子で何でもないってことはないだろ」
「まあ、確かに何でもないことはないけど」
 馬鹿正直に答えたチルノ。
「じゃあ何なんだ。言ってみろ」
 言い逃れはできないと悟ったらしいチルノが、慎重に言葉を選びつつ、口を開く。
「さっき、あの魔法を解決する為にずーっと家に籠ってたって言ってたじゃん?」
「そうだけど」
「その、なんて言うかな。少しだけ体がなまってきたと言うか、たるんできたって言うか、何と言うか」
 魔理沙を怒らせないように、言いたいことをなるべく穏やかな表現にしようと無い知恵を絞って考え出した言葉。
だが、只でさえ人知れず苛立っていた魔理沙に、妖精の精一杯の気遣いは効果を成さなかった。
それに、魔理沙はこんな口調と性格であれども、人間であり、女性である。
「何だよ。つまりあれか? 私が太ったと?」
 明らかに言葉に怒気が含まれている。怒らせてしまったと分かるや否や、チルノは頭と手を大袈裟に振り、否定を強調した。
「ま、待って、落ち着いて魔理沙」
「どうなんだよ」
「その……まあ、ほんとの言っちゃえば、そう、なんだけど……」
 言葉が終わりに近づくに連れて、チルノの声はどんどん小さくなっていく。
そんな言葉を受けても、魔理沙は何も返事をしない。それがかえってチルノを焦らせる。
「でっ、でも、ほんのちょっとだよ? ほんの、ほんのこんくらい」
 人差し指と親指を使って、あるのか無いのか肉眼で確認し難いくらいの隙間を作って見せるチルノ。
 そんな仕草が。そんな弁明が。そんな擁護が、魔理沙の心に届く筈もなかった。

 魔理沙は突然箒に跨って、びゅんと飛び出した。
幻想郷でも一、二を争う速度を持つ少女は、あっと言う間にチルノの前から姿を消してしまった。
 ほとんど瞬間移動みたいにいなくなった魔理沙に向かって、チルノが声を上げる。
「あ、ああ、魔理沙ー! 怒らないでー!」
 チルノの声は、森林の遥か上空を翔る魔理沙に届くことはなかった。



*



 蹴破らんばかりの荒々しさで自宅の扉を開けて家に入り、箒を放った。傘立てが倒れたが、見向きもせずにずかずかと進む。
 帽子を脱いでソファに投げ付け、ついでに最寄りの椅子を蹴飛ばす。テーブルの上の醤油さしがぐらぐらと揺れたが、倒れる寸での所で静止した。
椅子を蹴飛ばした足が思いの外痛んだ。八つ当たりした椅子すら自分に逆らってくるのかと、増々苛立たしさが増した。
 服を着替えることもせずにベッドに飛び込み、枕に顔を埋める。シーツをぐっと握り締める。
怒りと恥じらいと全力で空を飛んだことによる疲労で、体全体が汗でじっとりと湿っていた。
 しばらくそうしている内に、汗ばんだ体が冷え始めた。
 のそのそと立ち上がり、愛用の白黒のエプロンドレスを脱ぎ捨てて部屋着に着替える為にクローゼットに向かう。
クローゼットから部屋着と代えの下着を取り出し、着衣している最中、傍にあった大きな鏡に目が行った。体全体が映るような巨大な鏡だ。
下着姿の自分が映っている。チルノに言われた言葉が嫌でも蘇ってしまう。
 家に籠りっ放しで運動不足がちであったのは認めざるを得ないが、肥えてしまった気は全くしていなかった。それ故に、チルノの一言が余計に効いた。
現にこうして鏡に映る自分の全身を見てみても、そんな気はまるでしなかった。
 しかし、客観的な意見を、願望や思い込みのようなもので一蹴する程の自信が、今の魔理沙にはなかった。
ろくに家から出ていなかったのは事実だったし、何をしても上手くいかないが故の劣等感に打ちひしがれている魔理沙は、いつしか自分が信じれなくなってしまっていた。
 それは一時的な感情かも知れなかった。明くる日には、チルノの一言も『妖精の戯言』で笑い飛ばすこともできたかもしれない。
霊夢に敗北したことも、次なる進化への糧となりえたかもしれない。
 だが、どこまでも自分を高めようとするその姿勢が、その生真面目さが、彼女を誤った道へと誘う。
『人事を尽くして天命を待つ』 魔理沙はこの日から、この言葉を実践し始めた。





 霊夢と魔理沙の弾幕ごっこから数日後、博麗神社にて宴会が催された。
幻想郷の方々から、若しくは幻想郷外から、多くの妖怪達が宴会に足を運ぶ。
 開始前も開始直後から今までも、霊夢は魔理沙が現れるのをずっと待っていた。
だが、待てども待てども、あの陽気な人間は出てこない。
新しい魔法をお披露目してきた件の弾幕ごっこから、霊夢は一度も魔理沙を見ていない。
「魔理沙が来てないわね」
 思わず霊夢はこんな言葉を漏らした。
近くにいた者達がその一言を受け、周囲をきょろきょろと見回す。
「いないね。魔理沙の事だから、都合が付かなかったんじゃない?」
「都合ねえ。そんなに忙しいもんかしら」
「そうかもよ? 仮にも何でも屋なんだから」
 霊夢以外は、魔理沙がいないことを特に気にしていない様子だ。
 いないものは仕方が無いし、この心配も杞憂である可能性もなくはないので、霊夢も気にしないで宴会を楽しもうと努めたが、どうしても魔理沙のことが気にかかる。
苦心して作った魔法をあっさり攻略されて、気落ちしているのではないか、と微かに目星を付けていた。
何だか、彼女の新しい魔法を安易に攻略した自分は強力だ、と自惚れているような気がして、あまり考えないようにしていたが、心の片隅ではこの説が一番有力だと自負していた。
 明日にでも、彼女の家を訪ねてみようと霊夢は決めた。


*


 翌日霊夢は、魔法の森の中にある魔理沙の家を訪れた。
瘴気が蔓延する魔法の森に長居はしたくなかったので、魔理沙の様子を見て、自分の心配が杞憂であったことを確認し、帰るつもりでいた。
 玄関扉の横には呼び鈴がついていた。新しい物に目が無い、魔理沙らしい家の造りだと霊夢は思った。
 呼び鈴を鳴らすと、屋内から「りぃん」と言うが外まで聞こえてきた。次いでばたばたと誰かが玄関先に待つ客人を迎えに来る足音。
霊夢の記憶の中にある霧雨邸の内部は、かなり散らかっている。床に散乱する細々した物や、大きな棚や箱なんかを避けながら魔理沙が玄関へ向かってくるのが想像できた。
 中に人がいるのが分かったので、霊夢はさっさと扉を引いてみたが開かなかった。鍵が掛けられていた。思ったより用心深いのだなと、霊夢は心密かに感心した。
「どちら様だ?」
 玄関扉の向こうから声がした。魔理沙の声だ。
「私よ、私」
「なんだ。霊夢か」
 もっと珍しい客人を期待していたのであろうか。魔理沙の口調は淡々としている。
 鍵が外れる音がし、次いでノブが回る。
僅かに開かれた扉と壁の隙間から、魔理沙がちょこっと顔を覗かせた。
「いらっしゃい」
 魔理沙が笑顔で霊夢を迎える。
しかし、迎えられた霊夢は、笑顔を見せるどころか、言葉を失ってしまった。
久しぶりに見た魔理沙は、どことなくやつれた印象を与えてきた。
 暗くてよく見えないだけかと、霊夢から扉を開け放つ。薄暗い魔法の森の希少な陽光が霧雨邸に明光を齎した。
 そして見えた霧雨魔理沙の全貌。霊夢の受けた印象は、やはり間違いではなかった。
ほっそりとした顔と眼の下に出来た隈が、少し不健康な印象を与えてくる。心なしか、顔色も悪いように感じた。
「魔理沙……」
 思わず霊夢は、目の前の少女の名前を漏らす。まるで、目の前の少女の名前が『魔理沙』であることを確認するかのように。
 当の魔理沙は、いつも通りに笑い、首を傾げた。
「どうしたんだ? こんなところまでわざわざ」
 姿が見れたらすぐにでも帰るつもりだったが、こんな状態の魔理沙を見てしまっては、そうはいかなくなってしまった。
 聞きたいことが複数できたが、
「あんた、元気?」
 一番聞きたいことの核心から少し離れた質問を投げ掛けてみる。
「ああ。元気だよ。どうして?」
 魔理沙は元気だと言うのだが、どうしても霊夢にはそう見えない。
「ちゃんとご飯食べてる?」
「何で」
「いや、ちょっと痩せたかなって」
「痩せたように見えるか? そっか、よかった!」
 不健康そうに見える体を気遣った一言の筈だったが、何故か魔理沙は喜び始めた。
まさか喜ばれるとは思わず、呆気にとられている霊夢に、今度は魔理沙が問う。
「それで? 用件は?」
 霊夢は魔理沙に用事があって彼女の家を訪れた訳ではなかったし、魔理沙の予想以上の変貌ぶりに気を取られてしまい、すぐに返事をすることができなかった。
しばらく宙を仰ぎ見て当たり障りの無い嘘を考えたが、なかなかいい案が浮かんでこない。
あくまで憶測であるが、魔理沙の現状を加味するとおかしな回答が許されない気がした。
それくらい、霊夢の目に映る今の魔理沙は、彼女の知る今までの魔理沙とは異なっていた。
「最近姿を見てなかったから、病気でもしたのかって思ったの」
 いい嘘は結局思い浮かばず、本来の来訪の理由を口にすると、魔理沙は首を傾げた。
「お前、何か悪いものでも食べた?」
「食べてない。真面目に心配してたの」
「何にもなってない。魔法の研究に明け暮れてただけだよ」
 そう言って少し体を傾けて、奥の竈をお披露目する。火に掛けられている大きな鍋から、おかしな色の湯気が立っている。

 少し痩せた印象以外は特に魔理沙に変調は見られなかったので、霊夢は一先ず帰ることにした。
簡単な分かれの挨拶をして踵を返すと同時に、魔理沙が玄関扉を閉めた。
 霊夢が一歩踏み出した瞬間、再び玄関扉が開かれた。
「待ってくれ、霊夢!」
 霊夢が振り返る。
「来週、時間あるか?」
「ええ。毎日暇よ」
「リベンジマッチだ! 午後三時、神社で待ってろ!」
 霊夢はふっと微笑んで、軽く手を挙げて宣戦布告に応えた。
 魔理沙も屈託なく笑んだ後、再び自宅の中に引っ込んで行った。





 約束の日の、約束の時間。
 博麗神社に姿を現した魔理沙は、目に見えて痩せ細っていた。
霊夢と魔理沙の弾幕ごっこが行われると聞きつけてやってきた見物人の中の数名も魔理沙の異様な体格の変化に気付いたらしく、隣人と何やらひそひそと耳打ちし合っている。
 茶など啜って魔理沙を待っていた霊夢は、思わず湯呑を置き、魔理沙に駆け寄った。
それを見た小鬼や人形師などの見物人数名も、同じように魔理沙に駆け寄る。
「ちょっと魔理沙、あんたそんなに細かったっけ?」
 小鬼が素っ頓狂な声を上げると、魔理沙は苦笑いした。
「ちょっと痩せたよ」
「顔色が悪いみたいだけど、大丈夫なの?」
 人形師の気遣いにも、魔理沙は笑って応えた。
「ああ、平気平気」
「平気に見えない! 無理しない方がいいよ。別に今日じゃなくたっていいんじゃ……」
 河童もそう言うのだが、魔理沙は聞かない。
 霊夢は何も言えずに、体調不調を隠そうと笑う魔理沙を見つめていた。
腑に落ちない様子で見物人が散っていったところで、ようやく魔理沙と目が合った。
闘志に溢れる瞳も、自信あり気な不敵な笑みも、やけに細々とした手首や目元の隈、こけた頬の所為で、少しも頼もしく感じられない。
「さあ、始めるか」
 魔理沙が開戦を促したが、霊夢はすぐに了承できず、おずおずと尋ねた。
「ねえ。本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって」
「何があったの? どうしてそんな体に?」
「新しい試みだ」
 そう言い、魔理沙は握手する為にすっと手を差し出す。
 何を言っても聞きそうにないから、仕方なく霊夢は差し出された手を握った。
骨の堅さが、手の骨格が、やけに掌に感じられた。



*



 当然と言うべきか、開戦後から十数分経った今まで、ほぼ霊夢優勢の状態で試合が進んだ。
 胸中に一物抱えたままの開戦となった霊夢は、初めこそ攻撃を躊躇していたが、次第にさっさと試合を終わらせて魔理沙を休ませようと考えた。
普段はなかなか全力で戦わない霊夢だが、この日は魔理沙の為を思い、かなり好戦的な姿勢を見せた。
あまり見られない霊夢の猛攻に、見物人達は勿論、魔理沙自身も興奮していた。
今まで体験したこともないような霊夢の猛攻。これさえ避けられれば、負けたとしてもまた一つ成長できると確信できた。
 しかし、博麗の巫女の本気に近い弾幕は、そう簡単に避けられるものではない。
どこへ動いても札に囲まれ、どちらに逃げても針が襲い掛かって来、それらばかりに気を取られていては変則的な軌道の陰陽玉にぶつかる。
現に魔理沙は避けるのが精一杯で、ほとんど攻撃ができていない。
だが、ろくに攻撃しない魔理沙を責め立てる者は一人もいない。こんな長時間、この弾幕を避け続けている時点で称賛に値する活躍だと言える。
 見ている者はそれでいいが、戦っている魔理沙はそういう訳にはいかない。どこかで隙を見つけて、霊夢を撃墜しなくてはいけない。
考えるのは簡単だが、それができないから先ほどから魔理沙は回避に徹しているのである。
 回避を繰り返している内に、体力も底をつき始めた。見物人達の声援で誰にも聞こえなかったが、魔理沙はとっくの前からぜぇぜぇと息を荒げている。
針や陰陽玉を避ける度に、汗の滴が飛び散る。そんな状態でも魔理沙は回避を止めないし、戦いを諦めもしない。
「(まずい、ちょっと疲れてきた)」
 もうちょこまかと動くのが億劫になってきた。精密な動きをしたり、避けるべき弾を見分ける為の集中力も尽きかけていた。
すぐにでも地面に降りて寝転がりたい気分であった。だが、ここで諦める訳にはいかないと、折れかけた心を無理矢理修復させようと努める。
――つらくない。まだ大丈夫。ここからが本番だ。つらくなってからが勝負所じゃないか。



 心ではそう思いつつも、やはり体は正直だった。
 重力を無視した軌道で飛んできた陰陽玉が、魔理沙を撃ち落とした。
飛んでくる陰陽玉は見えてはいた。見えてはいたのだが、もう体が言うことを聞かず、回避など不可能であった。
 地面に落とされた魔理沙は、箒を杖のようにしてどうにか立ち上がり、空から自分を見下ろしている霊夢を見据る。
ろくに動かない体でもう一度飛び立とうとした。が、しかし、もう体は限界に訪れていたらしい。
 飛び立つどころか、その場で前のめりに倒れてしまったのだ。
俯せに倒れて立ち上がる様子を見せない魔理沙に、小鬼らが慌てて駆け寄った。
 霊夢もすぐさま大地に降り立ち、魔理沙に駆け寄った。
「魔理沙! 起きろ! おいっ!」
 小鬼が魔理沙の頬を軽く叩きながら呼びかける。
魔理沙は薄く目を開けて、小鬼に向かって手を伸ばし、何かを伝えるかのように口をパクパクと動かした。
そんな反応は見せたものの、眼は虚ろで、意識はほぼ無い状態であった。
「何でそんなに無理したんだよ」
 呆れと焦燥が混ざったような口調で河童が言い、聞きかじった程度の応急処置を始めた。



*


 覚醒した魔理沙の目に映ったのは、あまり世話になりたくないと常日頃から思っていた永遠亭の天井。
自分はベッドで寝ているのだ、と言うことに気付いた。
どうして永遠亭のベッドで寝ているのかを思い出そうとするよりも先に、
「魔理沙っ!」
 霊夢の声が魔理沙の思考を遮った。
そちらに目をやると、霊夢はひしと魔理沙の手を握り締めてきた。
「……怪我でもしたのか? 私」
 考えるよりも聞く方が早いと想い、魔理沙は霊夢に問うてみたが、霊夢は首を振った。
「じゃあどうして永遠亭に」
「倒れたのよ」
「倒れた?」
「それは永琳が説明してくれるんじゃないかしら。待ってて。永琳を呼んでくるから」
 そう言うと霊夢は立ち上がり、廊下へと走り去って行った。

 上体を起こしてみると体がの一部が痛んだ。記憶を遡っていくと、陰陽玉がぶつかったのを辛うじて思い出せた。
地面に落ちた時の打ち所が悪かっただけではないか、などと言う憶測を立てていると、永遠亭の薬師である八意永琳が姿を現した。
「お目覚め? 調子は……悪いからここへ来たのね」
 そんなことを言いながら、薬が入っている小さな紙袋と、カルテとして使っているメモ帳とペンを持った永琳が、先ほどまで霊夢が座っていた椅子に座る。
メモ帳と魔理沙を数度見比べた後、
「あなた、ちゃんと食事はしているかしら?」
 永琳はこう問うた。
 魔理沙は無言で頷いて、それを返事とした。
「本当に?」
「本当だ」
「本当に今まで通り?」
 しつこく問うてくる永琳の様子から、彼女は自分の現状を把握しているのだろう、と察した。
ならば、本当のことを言おうが隠そうが変わり無いじゃないかと思い、魔理沙は思いきって事実を話した。
「少し量は減った」
「ほら見なさい。明らかに痩せているもの」
 永琳はメモ帳に何か書き加え始めた。魔理沙は俯いて掛け布団をきゅっと握り締めた。浮き出てきた手の甲の骨がやけに目立つ。
「体重が気になるのかも知れないけれど、無理な食事制限は控えなさい。今日もきっとそれが原因でしょう。エネルギーが足りてないのよ」
「そんなことないよ。空中から落ちて、頭打っただけだ」
「そんな傷は見当たりませんでした」
 聞き分けの悪い子に言い付けるような口調で永琳が言い、席を立つ。
「玄関で霊夢が待ってくれてるわ。一緒に帰りなさい」



 薬を受け取って玄関へ行くと、永琳の言った通り、霊夢が待っていてくれていた。
手にある薬に自然と目が行った。
 一緒に外へ出ると同時に、霊夢が問うた。
「どうしてご飯食べないのよ。金が無い訳でもあるまいし」
「何だ、聞かされてたんだ。……いろいろあるんだよ」
 弾幕ごっこの為、とは言えなかった。霊夢に余計な心配をされたくはなかったし、努力を前面に押し出すのも嫌だったから。
「何を色気づいてるんだか」
「うるさいな。そう言うお前はさばさばしすぎだ」
 毒づき合いながら、二人は帰路を辿った。



 帰宅後、魔理沙は永琳からもらった薬を一先ず机に置き、これからのことを考えた。
 今日の敗因は間違いなくスタミナ切れだった。もっと長く戦う身体が必要だ。
体さえ軽くなれば、動くのに必要な体力だって減る筈だと考え、無理な減量を続けてきたが、永琳はそれを止めろと言う。
実際、魔理沙だって食事はしたかった。だが、体重のことを考えると、どうしてもそれを阻んでしまう。
 しかし、医師に反発するのは少し気が引けた。
 時刻は丁度夕食時であった。冷蔵庫を開けてみると、ろくに買い物になど行っていないのに、大量の食品が詰まっていた。
肉や魚、木の実にキノコ、いつか炊いた米の余り、外界の毒々しい色のお菓子など、様々なものがある。

 葛藤と欲望にもみくちゃにされながら、魔理沙は冷え切った白米に手を伸ばした。
冷たいまま、それを口に運ぶ。久しぶりに食した米の味は、酷く美味に思えた。
もう一つまみ。更にもう一つまみ。しまいにはもどかしくなって全て口の中へ掻き込んだ。
 忘れかけていた食べ物の美味さを思い出してしまった魔理沙は、何かに憑かれたかのように冷蔵庫の中を漁りだした。
すっかり手を付けられずに冷蔵庫の中に溢れ返っている食べ物を次から次へと取り出し、床に並べていく。
そして、まるで今まで食べなかった分を取り返すかのように、自身を囲む食べ物を食し始めた。
 いつか作った煮豆を一気に口へ流し込む。口に上手く入らず地面に落ちた物もすぐに拾って食べた。
 見つけたベーコンを加熱する為にフライパンを火に掛けた。熱している内に、他にも焼いて食べれそうなものを探しておいた。
頃合いを見て、火を通した方がよさそうなものは全部フライパンに投げ込んだ。
とにかく、物が食べたくて食べたくて仕方がなかった。
「永琳だって、しっかり食事を摂れって言ってたもんな」
 そんな独り言をつぶやいて異常な量の夕食を正当化した。
 一斉に炒めたいろんなものを全て大皿に移し、それをおかずにまた冷えた白米を食べ出した。
 それが終わると大量の菓子を胃に送り込んだ。魔法研究の息抜きにと買い溜めしておいた大量の菓子が、数十分で食い尽されてしまった。

 久しぶりに人間の三大欲求の一つと言われる食欲を満たした魔理沙。満たしたなどでは語弊が生じてしまう。どう考えても過度な食事であった。
はち切れそうな腹を休ませようと、台所でぐったりと横になった。
少し動くだけできりきりと腹が痛んだ。小さな胃に無理矢理詰め込まれている大量の食べ物の姿を想像し、人体のおかしさを感じた。
おかしな量を食べたと、彼女自身気付いていたのだ。しかし、歯止めが利かなかった。
 食べている間は夢中だったが、食べ終わってから訪れたのは底知れぬ罪悪感。
生活が苦痛になるほどの減量の為の努力が、一瞬の内に水の泡となってしまったことを今になって思い知った。
 冷たい床の上に横になりながら、もう一度、胃の中の惨状を想像する。
妥協してしまった自分への失望。夢が遠のいて行く絶望。この二つの感情は、魔理沙を更に泥沼へと引き摺りこんで行く。

 魔理沙はゆっくりと立ち上がり、厠を目指してのろのろと歩き出した。
 やっとの思いで厠に辿り着くと魔理沙は、ぐっと腹に力を込めて、先ほど食べたものを便器へ吐き出し始めた。
腹の中ほどから鳩尾、胸、喉、そして口と順々に通って、胃の内容物が込み上げてくるのを感じた。
 ろくに消化されていない食べ物が、悪臭を放つ胃液と共に口からどんどん溢れ出て、便器へと落ちていく。
落ちた吐瀉物はびちゃびちゃと音を立てて、便器内の水を飛ばす。撥ねた汚水が周辺を汚す。
 鼻にまで流れ込んできた、細切れになった食物の欠片の混じった胃液が鼻孔を突く。
 焼けるようにひりひりと痛む喉の痛みを吹き飛ばそうと咳き込んだが、いくらそうしても何も変わらなかった。
 ある程度吐き終えて、腹に隙間ができたのを感じたが、胃の中にまだ何かあると言う感触は消えない。
止むを得ず魔理沙は、中指を口に入れていく。さして大きくない指を懸命に喉の奥目指して突っ込ませる。
 明らかな異物感を察した魔理沙の体は、その異物を体内へ通してなるものかと吐瀉を促す。
結果、自力では吐き出せなかった分まで外界目指して胃から込み上がってきた。反射的な作用であるこの吐瀉を止める術はない。
胃の中がどんどん空になっていくのを感じていた。


 結局、食したもの全てを吐き出してしまった魔理沙は、自身の奇行に一抹の不安を覚えると同時に、肥大を免れたことを安堵していた。
腹や胃が張り裂けるのではないかと思えるような痛みはもうなく、動くのも容易かった。
汚れてしまった便器の周りを掃除し、悠々と厠を出た。



*


 嘔吐と言う逃げ道を見つけた魔理沙は翌日から、『食って吐く』を日課とし出した。
食べ物は美味しいから食事はするが、体重が増えることは許されないので、全部吐き出してしまうのだ。
朝と昼はなるべく食べないようにして過ごしていた。その反動で夜はすっかり空腹になっているので、気が触れたかのように食事をし、全部吐き出す。そんな毎日を過ごしていた。
ろくに食事をしていないし、食べても吐いているので、栄養もエネルギーも全然入って来ない。
彼女の思惑通り、見る見る内に体重は減ったが、気分は少しも優れてこない。
たまに外へ出て体を動かしてみたり、弾幕ごっこの模擬戦をやってみても、思ったように体は動かない。
全部おかしな食生活が原因なのだが、魔理沙はそれを全部自身の体型の問題だと決めつけ、一層減量に精を出し始めた。
 思ったように体が動いてくれないから、次第に外に出るのが億劫になり、運動不足によるエネルギーの貯蓄を抑える為に更に食事を減らした。
 暫くは食事制限を徹底していたが、それによるストレスが、魔理沙の食欲を促進させる。

 そして、秩序が崩れた。
 魔理沙は食べることに夢中になった。
夜の楽しみとしていた暴食は、いつしか昼にも行われるようになり、朝までも侵し始め、遂に周期を問わなくなった。
食欲を満たそうと言う欲望に随時囚われ、本能の赴くままに胃が裂けんばかりに食べ物を詰め込み、肥大への恐れと腹痛の苦しさから逃げる為に吐く。
 そんな生活をしている内に、嘔吐する体力さえなくなってしまった。
今までと同程度の喉への刺激では吐くことができない体になった。しかし、胃に食べ物を残すことは許されない。
少しでも吐きやすくする為にと大量の水を飲んで嵩を増した。吐瀉物が水だけになるまで吐き続けるのだ。
 なるべく手を喉の奥へ、奥へと突っ込む。手の甲は歯が当たって傷だらけで、喉の奥もずきずきと痛んだ。
 胃から戻ってくる吐瀉物は、手と口内の隙間を縫うようにして外へ排出される。
口から出した手も吐瀉物に塗れていて、用心しなければ手を伝って袖の中へと流れ込んで行ってしまう。初めこそ気を付けていたが、次第に気にするのが面倒になった。



 食材の消費量が増え、人里へ買い物に行く頻度が上がった。
一時はほとんど姿を見せなかった魔理沙が頻繁に現れるようになり、彼女の行きつけの店の店主も僅かだが不自然さを感じていた。
おまけに暫く見なかった内に魔理沙がすっかり痩せ細っていた為、その疑念に拍車が掛かった。
「最近よく買い物に来るね」
 店主が言ってみると、魔理沙は力なく笑って見せ、
「まあな」
 と簡素な返事をした。
 持参した買い物袋に商品を片っ端から詰め込み、店主の前に置く。
その量と言ったら、家族を持つ里の者でさえなかなか到達しないであろう程のものであった。
店主は思わず言葉を失い、ぱんぱんになっている袋を眺めていたが、
「お代、計算してくれよ」
 と言う魔理沙の声で我に帰り、慌てて合計金額の計算をし出した。
異常な量を買っているのだと言うことが店主の表情から察することができる。
――店主の顔など見なくても、少女一人が買うにはどう考えてもおかしな量だということなど一目で分かる。
魔理沙は小恥ずかしさを覚えた。
 計算が終わり、膨大な額が叩き出されたが、魔理沙はそれをしっかり払った。
取引したことが無いような巨額の金を受け取り、思わず店主は生唾を飲み込んだ。
「近々、お仲間で飲み会でもやるのかい?」
 この大きな買い物の理由がどうしても気になる店主が問うた。
魔理沙は適当にそうそう、と答えておいた。あまりに投げやりな態度だったので、嘘だと言うことはすぐにバレていた。
 食べ物ばかりがぎっしり詰まった買い物袋を肩に担ぎ、よろよろと店を後にする魔理沙。
「手伝おうか?」
 店主の声が聞こえたが、無視して自宅へ向かって飛び立った。
とにかく、早く胃を満たしたくて満たしたくてたまらなかったから。



 帰宅早々、テーブルや椅子なんかの家具を蹴散らして何も無いスペースを即興で作り出した。
そこに大きな布を敷き、適当に皿を配置すると、袋の中の物を全部取り出し、一つ一つ並べていく。
立食パーティか小宴会の席のようになった布の上で、魔理沙は嬉しいような悲しいような、複雑な気分に襲われていた。
食って吐くなんて絶対におかしい。絶対に体によくない。
分かってはいるが、もう食への欲望を抑えることは不可能だった。
とにかく何か食べていたい。とにかく胃袋を満たしたい――さすがは人間の三大欲求と言うべきか。暴走したそれはもはや手の付けようがなかった。
 ほんの十数分前に買ったいろいろな食べ物が、あれよあれよという間に皿の上から姿を消していく。
家にあるありったけの食器を準備して一品一品乗せて行ったら皿が足りなくなった程の量であったのに。
 暴走した食欲が満たされて行くと同時に、容量を超えた胃が裂けんばかりに膨れ上がり、きりきりと痛む。
それでも、完璧に満たされるまで魔理沙は食い続ける。
胃の痛みか、異常な自分への哀れみか、その両方か。ぼろぼろと涙が零れ始めた。
 それでも手は、口は、一向に留まる気配を見せず、皿はどんどん空になり、食べ零しもまるで肉に群がる獣のように貪って。


 たった一人の立食パーティが――小宴会が――幕を閉じた。
しぼんだ買い物袋にも、布の上に置かれた皿にも、もう食べられる物は何一つ残っていない。全て魔理沙の胃に収められてしまった。
 さっき買った物全てが胃に入っているなんて、魔理沙自身も信じられなかった。
 そして改めて、自分が過剰な栄養摂取を行ったのだと思い知る。
「……吐かなきゃ」
 譫言みたいにそう呟くと、魔理沙は水の入ったペットボトルを持って、厠へ向かった。



*



 暫くの間は何の問題もなく、暴飲暴食を続けてきていたが、問題が発生した。金欠だ。
魔理沙の異常な食欲を満たすには膨大な金が必要で、それがついに底を突いてしまったのだ。
すっかり軽くなった貯金箱を揺する。隙間だらけの箱の中、硬貨の鳴らすカラカラと言う音が空しく屋内に響いた。
 貯金箱を投げ捨て、魔理沙は椅子に座り、思案した。
 ある意味、これはチャンスかもしれなかった。奇行を改める切っ掛けになりえる。
 試しに魔理沙は、猛烈な食欲と一緒に一日を過ごしてみることにした。
止めるに越したことはないのだから。

 だが、すぐに自分の考えは甘かったと知る。
 何かを食べたい衝動に駆られ、それを抑えることができない。
既にもぬけの殻となっている冷蔵庫を狂ったように引っ掻き回し、食べられるものを探した。当然、何もない。
戸棚に菓子を求めた。買い物袋に出し忘れた食材を求めた。しかし、やはり何もない。
挙句の果てに、すっかり手を付けていない魔法研究用のキノコに手を伸ばした。だが、これは食用ではない。さすがの魔理沙もこれには思いとどまった。代わりに苛々が募った。
「何か、何か無いのか、何か……っ!」
 ゴミ箱を漁った。家具を動かして食べ零しを探した。食べられそうなキノコを選抜してもみた。
それでも、食えそうなものは見つからない。
 結局悩みに悩み抜いた末に、『死ぬまで借りていた』様々な物を、人里の骨董品屋に売って金を得た。
紅魔館の図書館の本。人形師が魔界から持って来ていた珍しい物品。宴会のミニゲームで勝ち取った様々な思い出の品。外界のガラクタを売る店から買ったり借りたりした珍品。
足元を見られてしまい、物の割に大した金にはならなかったが、数日分は賄うことができた。
しかし、文字通り数日分。結局それもすぐに底を尽きてしまうのは目に見えていた。
 少しでも空腹を忘れようと思い眠ってみても、夢にまで食べ物が現れた。
死ぬほど食って、本当に自分が死んでしまう夢。死にはしないが、丸々と肥えてしまって周囲に嘲笑される夢。
悪夢と空腹の相乗効果で、目覚めは最悪だった。

 そして、思い出の品々で買った食物もあっと言う間に食い尽してしまった。
再び、猛烈な食欲が魔理沙を襲う。

 耐えられなくなった魔理沙は、最後の手段に打って出た。
箒と、いざと言う時の為に売らずにおいた八卦炉を持って、夜の森へ飛び出した。


 夜行性の動物の鳴き声の他、跋扈する妖怪の咆哮も聞こえる魔法の森。
魔理沙は咆哮の轟く方へと飛んでいく。
 数分後、すぐに妖怪が見つかった。頭の弱そうな妖怪だった。野生動物を驚かして遊んでいる。
 八卦炉を構え、ぼやけ気味の視界で狙いを定める。
躊躇、逡巡、加減はいらなかった。これはごっこではない。目の前の妖怪を殺す。一撃で仕留める。そして、それを食う――。
 彼女の愚直すぎる、歪んだ直向きさは、遂に人道を破壊したのだ。
今まで歩んできた、そしてこれからも歩むべきであった道をぶち壊し、行きもせず帰りもできず、その場に留まって、飢えを満たすだけの少女、霧雨魔理沙。
 より強くなる為だった。より美しくある為だった。より高みへ行く為だった。それなのに。




 暗い部屋で、ぐちゃぐちゃと、懸命に妖怪の身体を貪る。
嗚咽が時々聞こえてくる。だが、やはり生肉を食む音は止むことはない。
なるべく自分が食っている物を見ないようにと部屋を暗くしてはみたが、全く効果がなかった。
血の臭いが鼻孔を突き、ぬるぬるとした感触はいつまでも手に纏わり付く。
 そんな不快感を我慢し、懸命に魔理沙は飢えを満たす。
――私は何をこんなにがんばっているんだろう?
 妖怪の足を食いながら、魔理沙は自問し、
「ははっ……ははは、ははは……」
 泣きながら笑った。
自問へ対する自答が無かったのだ。




 『りぃん』
 久しく聞いていなかった呼び鈴の音が、魔理沙を凍りつかせた。
「魔理沙? 入るわよ」
 自由奔放な博麗の巫女は、家主の許可を得ずにどかどかと入り込んできた。何の脈略も無く現れるのが、いかにも呑気な霊夢らしい。
「うわ、真っ暗じゃない。何してんのよ、明りも付けずに」
 彼女と魔理沙は古い仲。霧雨邸の照明の位置くらい覚えている。
「あったあった」
 壁にあるスイッチを見つけたのだろう。意外と早く見つけられたことを喜んでいる様子だ。
霧雨邸は幻想郷では珍しく、電気による照明が行き届いている。スイッチ一つで、部屋が一瞬にして明るくなってしまうのだ。
スイッチ一つで、魔理沙の隠しごとも一瞬で明るみに出てしまうのだ。




 血の海のど真ん中で妖怪を貪る親友を目の当たりにした霊夢は、言葉を失った。
 自身の醜態をさらしてしまった魔理沙も、呆然と霊夢に目をやった。
「み、見ないで」
 静寂を破ったのは魔理沙。食い掛けの妖怪を自分の後ろに隠し、ずりずりと後ずさりする。
腰から切断されて上下に分けられた妖怪の下半身から、長い長い腸が零れ出て、赤い線を引いた。
魔理沙の小さな身体では、妖怪を隠し切るなど到底不可能だった。
 霊夢は無言のまま、床に飛び散っている肉片を、血を手で触れた。紛うことなく、本物の血肉だった。
――これは一体どういうこと?
 霊夢の瞳は、魔理沙にこう問いかけていた。魔理沙は責め立てられるような印象を受け、頭を庇って縮こまってしまった。
「魔理沙……」
 すっかりおかしくなってしまっていた友人の名を囁き、手を差し伸べたが、魔理沙はそれに応えはしない。
ぐずぐずと泣きながら、霊夢からの叱責を恐れてがたがたと震えるばかりだ。
「れ、れい、む……? ちがっ、違うの。わ、わたしは……私は、がんばったの」
「……」
「いつか、いつか、お前に勝とうって、がんばった、がんばっ、たの」
「そう。がんばったのね」
「なのに、こんな、なっちゃって、分からなくて、もう、全部、なんにも」
 溢れ出る涙が手の血に潤いを与える。綺麗な綺麗な悔し涙。あまりに美しい、純粋な、負けず嫌いな少女の涙。
だが、そんな綺麗な透明の滴をどれだけ拭っても、魔理沙はどんどん赤色に穢れていく。
「だから、怒らないで。おこらない、で」




*



 霊夢が永遠亭に魔理沙を連れて行き、魔理沙は永遠亭の監視の下、適切な処置を受けた。
少しずつ体力が回復していき、それにつれて魔理沙も元気を取り戻して行った。
復帰には、人の一生としてはちょっと長い時間が掛かったが、元の魔理沙を取り戻せた喜びは、そんな犠牲を些細なものにした。
 永遠亭の病室で、霊夢は魔理沙に語りかける。
「私は普通の人じゃないから。あんたは無理して私を目指す必要なんてない」
「分かってたよ。分かってたけど、止められないんだ」
「誓いなさい。もうあんな無茶はしないって」
 霊夢は珍しく真剣な表情でこう釘を刺した。しかし、魔理沙はにんまりと笑い、首を横に振る。
「いや。それはダメだ」
「魔理沙っ!」
 霊夢の口調に怒気が含まれた。それでも魔理沙は怯まない。
「人間としては、もうお前に敵わないって知った」
「?」
「これからは、魔法使いとしてお前を越えていくぜ」
 そう言って見せたのは、一枚の紙と、ずらずらと書き連ねられた謎の文章と、巨大な魔法陣。
一見しただけでは、霊夢には何なのか理解ができなかった。
理解するより先に、魔理沙が説明を入れた。
「魔法使い化の魔法だ。リハビリの最中、研究してたんだ」
「魔法使い化?」
「アリスやパチュリーや白蓮みたくなるって訳だ。……私は、人間を辞める」
 軽々しく「人間を辞める」なんて言い出し、まだこいつは病気の延長上にいるのではないかと、霊夢は永琳の診断を一瞬疑った。
だが、魔理沙の表情に悪ふざけの意思は感じられない。
「生き急ぐ必要がなくなった。悠々とお前を目指して生きていくことにする」
「後悔は?」
「しないさ。しないように生きていく。一度粗末に扱ってしまった分まで、な」




 その翌日、魔理沙は退院した。
 自宅へ帰ると、早速パチュリーも認めた特製の『魔法使い化の魔法陣』を描いた。
陣の中心で、人間霧雨魔理沙に別れを告げ、魔力を陣へ流し、魔法陣を活性化させる。
中心にいる魔理沙は、晴れて魔法使いとなった。

 手に入れた人でない体をなじませるように、魔理沙は背伸びをしたり、屈伸運動をしてみたりして感触を確かめる。
 成功を確認する為、掌に軽く刃で切り傷を入れてみると、すぐに修復された。
他の者とは違う、自己再生能力の大幅な向上。これが魔理沙特製の魔法使い化の魔法の特徴だ。「活発的すぎるあんたにはお似合いね」と、人形師に笑われた。
 成功を確認すると、魔理沙は早速やりたかったことを試すことにした。




 納屋から鉈を取りだしてきた。
木の棒を口に咥え、噛み砕かんばかりに歯を食いしばる。
利き手の右手には鉈。左手はまな板の上。
額から汗が滴る。鼓動が速度を上げる。薄っすらと涙も浮かんできた。まな板の上の左腕を眺めている内に、口の横から涎が垂れ落ちてきた。
 心中で、三つ数える。
 一。ゆっくりと、右腕が鉈を振りかぶる。
 二。来る激痛へ、心が身構える。
 三。左腕目掛け、鉈が振り降ろされた。






 肘に包帯を巻いて止血し、自分の左腕を鍋の中で煮込む魔理沙。
再生はいつ頃になるだろうとか、そんなことを思いながら、鍋の中の自分の腕の状態を確認する。
「そろそろいいか」
 腕を鍋から引き上げ、更に乗せる。トマトスープのいい香りが漂う。
 鍋の横には炊きたてのご飯の入った鍋がある。
「食べ過ぎないようにしなくちゃな」
 控えめに茶碗に白米を盛り、腕の乗った皿諸共お盆に載せ、食卓へ向かう。
 きちんと椅子に座り、頂きますと一人呟き、早速茹であがった自分の腕に箸を付ける。
「美味いんだよな。人外の肉っ」
 pnpです。ゲロ娘が盛大に開催されたことを喜ばしく思います。


 私も痩せたいです。
でもこうなるくらいの熱意はありません。
まずこうなるくらいの熱意はいりません。


 ご観覧ありがとうございました。今後もよろしくお願いします。
――――――――――
>>1
典型的でも恐ろしや摂食障害。 痩せるのは難しいですよね。

>>2
素敵と言っても、これが魔理沙のあるべき姿だと私は思います。つまり魔理沙は素敵。

>>3
ホラーの題材になっていたとは初耳です。ちょっと気になります。

>>4
きっと美味です。妖怪ですもの。

>>5
真面目な人程、こういう病気に掛かりやすいらしいです。私も一生無縁そうですわ。

>>6
大学のレポート……だと……? さぞ稚拙に見えたことでしょう。ごめんなさい^^;

>>7
魔理沙が人間として霊夢を越えるのは、きっと無理だと思います。博麗だもの。

>>8
「人外の肉」の美味さに魅了されて食うことにした「私の肉」ですから、人外でいいかなと思いました。

>>9
しかし霊夢に勝てない魔理沙なのでした。
pnp
http://ameblo.jp/mochimochi-beibei/
作品情報
作品集:
24
投稿日時:
2011/02/19 08:14:14
更新日時:
2011/02/23 17:21:30
分類
東方ゲロ娘
霧雨魔理沙
僅かながらグロテスク
1. NutsIn先任曹長 ■2011/02/19 08:43:49
典型的な、Wikiに書いてあるような症状を見せた、摂食障害の魔理沙。

種族魔法使いになって人並みの生活を取り戻すとは…。しかも妖怪の肉の味を覚えてしまったか。
まあ、あんな経験をしたから、自分を食い尽くすようなことは無いと思いますけれど。

ダイエットは計画的に。無茶をすると、真っ先に失うのは脂肪ではなくて人の心ですから。
2. イル・プリンチベ ■2011/02/19 08:54:58
この魔理沙はヤバくて素敵ですね。
食べたら戻すことを繰り返したら、絶対に体調おかしくなるだけでなく精神的にも壊れてしまうってわけですよ。
霊夢に憧れるのはいいけど、博霊の巫女を目指すのは普通の人間じゃできませんよ。
そもそも無理な話です。
そんな魔理沙ちゃんが魔法使いになるのはごくごく自然なことなんでしょうね。
3. 名無し ■2011/02/19 14:12:21
ダイエットって一時期ホラーモノの題材として流行ってたなーと
ふっと思い出した。
なんだかんだでいい話ですよねこれ。魔理沙妖怪化作品にしては珍しく希望もあるし。
彼女の前途に幸あれ。
4. 十三 ■2011/02/19 14:22:19
本当は怖いダイエット。
妖怪の肉ってどんな味がするんだろう?
5. ふでばこ ■2011/02/19 17:52:42
 過食症って、昔なんかの番組で見た覚えがあります。
 何事もやりすぎは駄目、と。でも、そもそもこんだけの事をやる気概が俺にゃありません。喜ぶべきか、悲しむべきか……
 てなわけで、おつかれさまでした。面白かったです。
 
6. 名無し ■2011/02/19 21:54:41
久しぶりに人間キャラに人間らしさを感じました。
この前大学で摂食障害のレポートを書いたばかりなので理解しやすかったです。
7. うらんふ ■2011/02/20 22:11:58
面白かったです!!!!!!!
魔理沙、やはり人間として霊夢を超えていかなければ・・・
霊夢に勝つためなのか、美味しいものを食べるためなのか
目的と手段が入れ替わってしまっているのではないだろうか・・・
色々考えさせられながら読みました☆
8. 名無し ■2011/02/21 11:52:07
自分で自分を追いつめる感じがなんとも・・・

最後の「人外の肉」は「私の肉」の方が良かったような
9. 狂い ■2011/02/21 15:11:41
霊夢を超えるためか食欲を満たすためなのか

いっそのこと霊夢を倒してその死肉を食べれば
魔理沙今生の願いは実を結ぶのではないだろうか
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