幻想郷讃歌 第一話

作品集: 24 投稿日時: 2011/02/24 00:09:38 更新日時: 2011/02/27 19:40:57
*独自解釈が相当量含まれます。オリキャラもばんばん出ます。ご容赦ください
*全8話、計550kb近くになりそうです。読んでくださるという場合でも、あらかじめご注意ください









――組織に属するってのは 自分の意思だけでは動けなくなるって事よ。
              「東方風神録:射命丸文」









分厚いドアにノックの音が響く。ドアの向こうから反応はない。射命丸文はそれが許可と理解しノブを回した。待つのは好きではない。

「失礼致します。射命丸文と姫海棠はたて、ただ今到着しました。」

二人の烏天狗は敬礼する。そこに普段の取材で見せる慇懃無礼さはない。敬礼を向けられた部屋の主はやはり無言のまま、やおらに立ち上がった。年はいっているが、爪の先まで精力がみなぎっている男だった。身の丈2m半以上、堂々たる体躯が二人を見下ろす。これでも普段の生活に支障がないよう小さくしているらしい。

「ご苦労。忙しい中わざわざ呼び立ててすまないな。」
「本日はどのようなご用件でしょうか、大天狗長様。」
「君たちに頼みたい任務がある。」

大天狗長は机にあったファイルを二人に手渡す。それに目を通す文とはたてに構うことなく、彼は言葉を続けた。

「君たちは人里や山の外の妖怪に精通していると聞いているが?」
「確かにその通りです。私と姫海棠は頻繁に山の外へ取材に出向いております。」
「ふむ、よろしい。実は最近人里で不穏な動きをしている妖怪が居るという噂があってね、先日の枢密院でそのことが俎上にあがった。」

大天狗長はゆっくりと机を回り、二人の烏天狗の前に立った。窓から射す麗らかな陽光が筋骨隆々の体に遮られる。

「そこで内偵として君たちに白羽の矢が立ったのだよ。君たちなら彼らの回りをあれこれ探っていても不思議がられんだろう?」
「内偵とは、どのような事を?」

はたては手を小さく挙げて訊いた。彼女にとってこのような任務は初めてのことであった。

「なあに、たいしたことではない。彼らの行動を監視し、逐次報告するだけだ。いつもの取材とすることは同じだろう?」

大天狗長は再び机を回り、椅子に腰掛けた。

「了解しました。お任せ下さい。」
「姫海棠君はどうかね。」
「私も異存ありません。やらせて下さい。」
「けっこうけっこう。」

ピンと背筋を張る二人に、大天狗長はしわの入った顔を緩ませて軽く頷く。

「白狼天狗を一名つかせよう。現地で合流したまえ。命蓮寺に関する噂の詳細はファイルに記載してある。以上だ。よろしく頼む。」





 ■ ■ ■





「あーめんどー」

姫海棠はたては溜息をつく。慣れない敬語に疲れたのか、彼女は背筋を丸めて肘をつきながらあんみつを口に放り込んでいた。

「メンドイってねぇ、大天狗から直接任務もらうなんてそうないのよ。」
「へーんだ。誰が大天狗なんかにヘコヘコしてられっかってーの。そんなの白狼天狗だけで十分よ。」

テーブルを挟んで向かいに座る射命丸文へ憮然とした顔を向けて、はたては茶を啜った。ここは里でも有名な甘味屋だ。白玉楼の亡霊姫からお墨付きをもらったこともあり、最近では人妖問わずひっきりなしに客が訪れる。二人もまた常連だった。

「でさあ、文は聞いたことあんの? 例の噂。」

スプーンを文に向けて、はたては訊いた。

「最近人里で行方不明者が増えてるっていうのは聞いたことある。でも命蓮寺が絡んでるというのは初耳ね。」

白玉あずきにぱくつきながら、文は答えた。ひんやりとした白玉が、初夏の暑さに心地よい。

「それに人が消えてるっていってもそんな目立って多いわけでもないし、博麗の巫女が動いてるという話もない。枢密院が騒ぐほどの事には見えないんだけどね。」
「そのさ、枢密院って何よ?」

文は呆れた様子ではたてに目をやる。

「あんたそれぐらいねぇ……まあしょうがないか。表には出てない情報だし。枢密院は幻想郷の最高権力者、つまり龍神様の諮問機関よ。まあ実質的には幻想郷の最高決定機関になるわけだけど。にもかかわらず委員やその内容については公表されていない。つまり皆が暗黙に了解している密室会議ってとこかしら。
 ただそっち方面に詳しい天狗によると、現在の委員と目されているのは、山・冥界・旧地獄・天界・永遠亭・紅魔館・人里の各代表と八雲紫。そして外部顧問として閻魔、以上9名って話ね。ただ委員は交代制らしいわ。なんでも以前は魔界が入ってたとかなんとか。」
「里も入ってんの?」
「そりゃそうよ。人間がいなくちゃ幻想郷は成り立たないんだから。建前だけでも彼らに席を与えとかないとおかしいじゃない。」
「まあそうか。」

間の抜けた声を上げて、はたては器に残った糖蜜をかき込む。

「事前に漏れてた情報だと、今回の議案は欠席続きの天界か、地上に出られない旧地獄に替わって命蓮寺を枢密院に入れるか否かって話だったはずだったんだけどねえ。」
「じゃあさ、もしかしてそいつらが委員外されたくないからって嘘情報流してるんじゃない?」

気怠かったはたての顔がぱあっと光る。文は苦笑いで返したがその顔はまんざらでもなさそうだった。やはり彼女たちはこういうゴシップの方が性に合っているようだ。

「ああこちらにいましたか。」

そんなテーブルの前に近寄る影が一つ。甘味を頬張る二人が横へ視線を向けると、大剣をしょった少女がぴょこぴょこ耳をゆらしていた。

「なんだ。先兵の白狼天狗って、椛ですか。」
「なんだとは酷いですよ文さん。私だって麓の連中とは多少つきあいあるんですから。」

白狼天狗の犬走椛は文の投げやりな言葉に頬を膨らませる。はたてはそんなやり取りに興味を示すことなく、テーブルに隅にあるお品書きを手に取った。二人はこんな感じでしょっちゅう口論しているが、それだけ顔を合わせるというのはつまりそれなりに仲が良いということなのだろう。仲間内の痴話喧嘩など三面記事の穴埋めにもならない。

「まあいいです。人もそろったし、そろそろ出ますか。すみませーんお勘定お願いしまーす。」
「えーもう少しいいじゃーん。このトリプルアイス抹茶フルーツあんみつパフェってあたしチョー食べてみたかったんだけど。」
「はいはい今度ね。ああ椛、お勘定お願い。」
「え゛えっ!!」




甘味屋を出た三人は、そのまま里の中央通りにでた。まだ日も高い中、多くの人間と妖怪で通りはごった返している。といってもそこに人妖の緊張感はなく、あるのは往来の喧噪と露店の活気だけだ。
露店の中には妖怪の店もかなり見受けられる。中央通りの真ん中にある広場の一角ではアリス・マーガトロイドの人形劇が開かれ、そのすぐ近くでは鈴仙・優曇華院・イナバが薬の行商に声を嗄らしている。ルナサ・プリズムリバーが売り出しに来たライブチケットは既に完売したのだろう、今は人がまばらだった。それらの客はみな里に住む人間だ。
妖怪ばかりが物を売っているわけではない。通り沿いの洋菓子屋では、魂魄妖夢と火炎猫燐が世間話を交わしながら主人用のケーキをみつくろっている。向かいの雑貨屋には買出しに来た十六夜咲夜に引っ付いてきたのか、レミリア・スカーレットがショーウィンドウのおもちゃに夢中だ。人妖入り乱れる界隈は、正に近年の幻想郷を象徴する風景だった。

「お、あれはミスティアさんの出張屋台ですね?」

文が指さしたのは広場の真ん中、ちょうど龍神様の像が建っている辺りである。像のすぐそばではミスティア・ローレライが鼻歌交じりにヤツメウナギを焼いていた。彼女も最近里への買い出しついでにこの広場で鰻を売っているらしい。蒲焼きの香りにか、それとも鼻歌の妖力にか、多くの人が彼女の屋台を囲んでいる。

「そういえば次のライブの日取りを確認しておかないといけないんでした。二人とも、ちょっとだけ待っててください。すぐ帰ってきますから。」

ブン屋モードになった文はそれだけ告げて龍神様の像の元へすっ飛んでいった。はたては顔をしかめて額を掻く。

「あいつホント勝手よねぇ。」
「まあ仕方ないですね。ここだと通る人の邪魔になりますから、あっちで待ってましょう。」

椛の言葉に従って、振り向き歩を進めようとしたはたては、ちょうど後ろから歩いてきた人にぶつかった。はたてよりもずっと大きな人影に突き飛ばされ、彼女はしりもちをつく。

「きゃっ! ちょっとな……」

はたての文句はそこで止まった。彼女の前にそびえていたのは人間だった。壮年というには若々しく、中年というには貫禄があるその姿、人にしては大きめな背丈と真っ直ぐ伸びた四肢は見た名以上の迫力があった。鈍く光る瞳がはたてを見下ろす。天狗と人間の対峙だというのに、はたては蹴落とされたように目をそらした。
慌てて駆け寄る椛とへたれ込んだままのはたてに、彼はゆっくりと言った。

「天狗様ですか。いや申し訳ない、ちょっとよそ見をしてしまいました。立てますかね。」

そう言って羽織から手を出した男は、それを目の前の少女に差し出す。はたてはこわごわ手を取った。

「ど、どうもすみません……」
「天狗ともあろう方が人間に頭を下げることはありませんよ。」

そう言って一礼した男は、そのまま往来の中へと消えていった。その背中を見送るはたての後ろから、文の声が届く。

「はたて、なーにしてんの?」
「ああ文。今ちょっとあそこにいる奴とぶつかって……」
「え? 大丈夫、何か脅されたりしてない?」
「いえ。大変親切な方でしたよ。」

椛の言葉に文は安堵する。そのまま二人を隅まで引っ張って耳打ちした。

「はたてはホント貧乏くじ引くわね。よく覚えておきなさい。あれは霧雨商店の店主、里最大の道具屋を一代で築き上げ、里の商いを牛耳ってる超大物よ。」
「た、たかが道具屋でしょ。」
「ちり紙から兵器まで、それが奴らのモットー。妖怪退治用の封魔アイテムも扱ってるし、裏で妖怪とも商いしてるなんて噂もある。もしあんたが狼藉かましてあいつ怒らせたら、天狗だって守ってやれる保証ないんだからね。」

はたては説教の最中ずっと不服そうな眼を先輩記者へ向けていた。彼女は山の外に顔を出すようになってから間もなく、こうした里の内情には疎い。それでもいちいちこうやって小馬鹿にされるのは気持ちのいいものではないだろう。
文ははたてのそんな態度に構うことなく、もう一度往来の様子を窺って念を押すと、急ぎ足で目的地へと彼女たちを引っ張っていった。





 ■ ■ ■





「ってここ稗田邸じゃないですか。」

文の後ろに付いてきた椛がすっとんきょうな声を上げる。

「こういうのはまず外堀から責めるのよ。稗田家は里の重鎮。探りを入れとくのに越したことないでしょう。」
「どーせ取材の予約入ってたんでしょ。」

はたての嫌味に答えることなく、文はずかずかと屋敷に乗り込んでいった。常連といってもここまで厚かましいのはどうかと、新米記者はいつも思う。

「ああ文さんですか。」
「どうもどうも。毎度お馴染み清く正しい射命丸と、その他ご一行です。」

書斎の机に向かっていた稗田阿求は、平然と乗り込んでくる文達に動じることなく人数分の紅茶を淹れる。ここまで慣れられるのも記者としてどうなのかと、哨戒天狗はいつも思う。

「今日はまた多いですね。何かあったのですか?」
「あやー 実はですね、私の新聞にいたく感銘した彼女たちが、是非取材方法を勉強させて欲しいとうるさいもので。それよりどうですか、縁起の進捗は?」

またまた適当な言葉を並べて、阿求の問いをはぐらかす。

「特に変わりはなく順調ですよ。」
「しかし最近は異変続きで記載する妖怪の数もまた一段と増えたでしょう。ほら例えば空飛ぶ船の一件ですとか。」
「別にたいしたことではないです。命蓮寺の方は里にも友好的ですし、文さんもご存じでしょう? 先日あの寺の分寺が里に建立されたことを。」
「ええもちろん。今日はこれからそちらへ伺う予定なんです。どうですか、何か建立にまつわる裏話とかないですかね〜」
「いえいえ、皆建立には好意的でしたし何もありませんよ。里は平穏無事です、今日もね。」

今度は阿求がはぐらかす。少なくとも天狗達にはそう聞こえた。

「で、でも最近里で行方不明者が増えてるって聞いたんだけど。」

蒟蒻問答に耐えられなかったのか、はたては単刀直入に疑問を投げかけた。顔をしかめる文の向こうで、阿求はその新米記者の問いに動じることなく、紅茶を口に含む。

「……なるほど、そういうことですか。オフレコになりますがよろしいでしょうか?」
「もちろん。私とて組織に属する存在です。」

手帖を閉じて、文も紅茶に手をつける。椛は「庭を見てきます」と一言残して部屋を出た。少しの間の後、はたても慌てて手帖を閉じた。

「実は里内によからぬ噂があるのです。邪教が再興しているというね。」
「邪教?」

はたては思わず声を上げる。阿求は再び紅茶を口に含むと、一層声を潜めて語り出した。

「ええ。幻想郷が喰い喰われる野性の論理で動いていた遥か昔の頃に存在していたという邪教です。彼らは"妖怪"を信仰していました。」
「妖怪を? 食べられる側が食べる側を信仰していたというのですか?」
「信仰というのは自らが及ばぬ力を持つ存在への絶対的服従でしょう。であればそういった思想に至ったことは不自然ではないと思いますよ。」
「いやはや人間とは面妖な生きものですねぇ。で、その邪教に何か問題が?」
「彼らの理想は『妖怪に喰われること』 信仰対象の一部となることで、自らも絶対的存在として転生することができる。それが彼らの教義でした。」
「なにそれ、バカみたい……」

はたてが思わず声を漏らす。文はそれまでの佇まいを崩すことなく、阿求に顔を寄せて囁きかける。

「妖怪からすればありがたい教えですが、確かに時代錯誤の感が否めませんねぇ……で、どの程度まで調べを?」
「まだなにも。ただその噂が出てきたのと行方不明者の増加が同時だったのは事実です。」

残り少なくなった紅茶をティースプーンでかき混ぜながら、阿求はほんの少し表情を崩した。

「命蓮寺のお話もその噂に対する自衛という意味合いがありましてね。まああちらさんは知る由もないでしょうが。」
「なるほどなるほど。」

文もまた軽く微笑んで紅茶に口を付けた。文とは対照的に訝しげな表情をしていたはたても、少しぬるくなった紅茶に口を付ける。

「あやー大変参考になりました。次の新聞でも縁起の記述が順調であると、しっかり書かせて頂きます。」
「ええ、お願いしますね。」

座布団から立ち上がっていつもの快活な通る声で文がそう言うと、阿求もにっこりと返す。

「では、くれぐれもお気をつけて下さいね。そちらの新米記者さんも。」

文に引きずられて部屋を出るはたてに、阿求はそう声をかけた。




「何よ文、あれでいいの?」

稗田邸を足早にあとにする文にはたては背中から問いつめる。彼女からすればひどく尻切れとんぼな話にしか聞こえなかった。

「十分すぎじゃない。あんたのスタンドプレーのおかげで助かったわ。初心者のまぐれ当たりってホントにあんのね。」
「何よそれ? まあいいわ、あたし達はこれから命蓮寺とその邪教の怪しい関係を暴きにいくってわけだ。さあいきましょう!」
「ちょいまちはたて」

やる気満々といった感じで駆け出そうとする新米記者の首根っこを掴んで、文は釘を刺す。

「任務はあくまで命蓮寺の身辺調査。邪教は関係ないわ。」
「文、あんたバカなの? あいつらの懐探って邪教との繋がりを暴いてやるんじゃない?」
「バカはあんた。今回の取材は分寺の建立。さっきは阿求だったからなんとかなったけど、そうやって先入観だけで突っ走ってると、あんたいつか早死にするわよ。」
「……ふん。あんな人間ビビらしとけばなんとでもなるでしょう。正面からの圧迫、それがブン屋の信条なんじゃなかったの?」
「使いどころを間違えれば死ぬ、そういうこと。あと稗田を甘く見ない方が身の為よ。稗田だけでない、さっきの霧雨みたいな里の連中をね。あんたのおかげで私たちの動きが里の有力者にもう筒抜けだってことがわかった。つまり変に目立つことをすればたちまち奴らの耳にも入るってことよ。」

「お二人とも早く。もう説法が始まってしまっているようですよ。」

烏天狗の口論に椛が割り込んだ。千里眼で分寺の様子を窺っていた彼女は、中の様子を既に掴んだようだ。三人は里に迷惑がかからない程度の全速力で、分寺へ向かった。




「――即ち、人と妖怪の平等というのは互いの理解から始まるのです。」

文達が本堂に入ると壇上には聖白蓮がいた。人間と妖怪の人垣を掻き分けて、三人は白蓮が見える位置まで進む。

「人も妖も、皆欲からは逃れがたい。そしてその欲が我々の乖離の根本です。では互いの欲を知り、それを理性によって抑えることが理解でしょうか? 私はそうは思わない。理性によって抑えられた欲は利に姿を変えます。そして利害による信頼という均衡が生まれる。しかしそれはあまりにも脆い。見せかけの理解は、互いを理解し合っているという奢りを含んでいます。我々はそのことを自覚しているのでしょうか?」

長い説法は続いていた。白蓮は踊るように聴衆へ語りかける。穏やかで力強い声は、それだけで人を引き込む力を持っていた。最もはたては眠気に引き込まれているようだったが。

「奢りを孕む理解は、詰まるところ無理解に等しい。我々は常に自らの罪業と向き合わなければならないのです。誰に対して奢っているか、そしていかに俗世の"信頼"が頼りないものであるか、それを自覚し続けなければならない。我々がいかに何も受け入れていないか、常に顧みなくてはならない。それが法理の理解へと繋がるでしょう。今日はここまでとしましょう。皆様お疲れ様でした。」

拍手と歓声が白蓮の礼を掻き消すように響く。半ば物見遊山として法話会に来る暇人が多いため、このように法話の後とは思えぬ反応をする輩が多い。だが壇上の高僧にそうしたことを気にするそぶりはなかった。彼女にきっかけなど重要なことではなかったのかもしれない。


「あやー さすが聖上人、素晴らしい法話でした。」

人々が三々五々する中、文は白蓮に満面の笑みで駆け寄った。駆け寄られた方も満面の笑みでそれを迎える。

「あら、あなた方は天狗の皆様でしたね。わざわざ里までお越し頂いて有難いことです。」
「いえいえ。このたびは分寺の建立おめでとうございます。つきましてはその件に関して二、三伺いことがあるのですが。」

得意の営業スマイルを振りまいて文は取材を申し込んだ。白蓮は表情を変えることなくそれを承諾する。

「ありがとうございます。早速ですが、今回なぜ分寺をお建てになろうと?」
「有難いことに里にも信徒の方が増えて下さったのですが、里から離れたところにあるうちの寺まで皆様がいらっしゃるのは何かと困難が伴います。そこで分寺を建立してはどうかという提案を受けまして。」
「ほほう、どちらから?」
「里長様の方からお話を頂戴したのですが、細かいことは。」
「なるほどなるほど。で、普段こちらには貴方が?」
「いえ、普段は星とナズーリンに任せています。私も時間のあるときにこちらに出向いて説法するようにしていますが。」
「ふむ、それは大変なおつとめですね。寅丸さん。」

手帖にいそいそとペンを走らせながら、白蓮の後ろで雑用をこなしていた寅丸星へ向かって文は声を投げかける。彼女は残った仕事を部下であるナズーリンに預けると、取材の輪に加わった。

「そんなことはありませんよ。聖が封印されていた間、私とナズーリンはずっと寺を守っていたのですから。こういうことは慣れています。」
「あやややや そうでしたか。しかし里のど真ん中に妖怪のお寺というのは、なかなか気苦労も多いでしょう?」
「我々の目指す教えは人と妖の平等です。それに今の人里は妖怪の方も多く訪れる。貴方のようにね。だから特に違いはありません。」
「ええ、本当によい時代になったと思います。」

星の答えに白蓮も続く。文は軽く頷き返した。

「寅丸さん。申し訳ありませんがこの分寺について特集記事を書きたいので、しばらく私たち三人でこちらに通っても構いませんでしょうか?」
「……ええ、構いません。」

ほんの僅か、間を置いて答えた星に文はにっこりと微笑んだ。





 ■ ■ ■





既に太陽は西へ沈み、空には星が瞬きはじめていた。そんな薄闇の中に2つの影が浮かぶ。とりあえずの任務を終えた三人の天狗は、無言のまま今し方太陽が沈んだ方とは逆の方向へ飛んでいた。

霧雨魔理沙がその気配を察知したのは、彼女たちが博麗神社の鳥居の前に降り立ったときだった。といっても特に何をするでもなく、魔理沙はただ縁側に腰掛けてその人影が近づくのを眺めていた。

「天狗トリオがそろい踏みとは珍しいな。素敵なお賽銭箱はあっちだと霊夢が言ってたぜ。」
「はい、もちろん知っています。行ったことはないですが。」
「そりゃ奇遇だ。私も行ったことがない。」

魔理沙アレンジの博麗流挨拶を軽くあしらった文は、部屋の奥を覗き込む。

「はて、霊夢さんはどちらに?」
「まりさー、ご飯できたわよーってなにあんたら?」

文の疑問に答える声が台所から響いた。顔をひょっこり出した博麗霊夢は、突然の団体客に驚く。

「あんたらの分はないわよ。」
「まさか博麗の巫女から飯をたかるなんてことは致しません。が、三人分ありますねそれどう見ても。」
「そりゃ当然だろう。」

おちょくるような魔理沙の言葉に天狗達も苦笑する。手伝わない魔理沙に愚痴をこぼしながら配膳をする霊夢の前に、にゅっと少女が姿を現す。

「霊夢おはよう。」
「こんばんは紫。」

いつも通りの挨拶を済ませた八雲紫は、そのまま卓袱台の三分の一を占拠した。紫も天狗達の存在に気付いたようだ。

「あらお疲れ様。どう、"取材"ははかどってる?」
「はい。おかげさまで。」

含みのある挨拶を交わす二人を余所に、卓袱台のもう三分の一へ滑り込んだ魔理沙は、いただきますもそこそこに幻想郷最速の箸捌きで干しイモの煮っ転がしを確保する。そんな魔理沙にまた文句を垂れる霊夢へ、文は尋ねた。

「食事中申し訳ありませんが、最近異変の類はありませんか?」
「んむ? ないない。最近は平和そのもの。こっちは商売あがったり。困ったもんよ。」

特に困ったようでもない口調で巫女が答える。今は煮っ転がしの争奪戦に必死のようだ。

「いえそれならいいのです。」
「それだけ?」
「では、あとひとつ。お二人はいつ結婚なさるのですか?」

霊夢が玄米を噴く。紫はスキマで、魔理沙は三角帽子でその弾幕を防いだ。

「な、なに言ってんのよ、ぶっとばされたいの!?」
「いえ私は別に霊夢さんが、とは言ってないのですが……」


しばしの沈黙。


見事にはめられた霊夢は顔を真っ赤にしていた。魔理沙は飯粒を口いっぱいに頬張りながらにやにや笑っていた。紫は目をそらしながら、少し照れたような顔をしている。

「いえいえもう十分わかりました。結納が決まりましたら是非この射命丸にお伝え下さい。最速で伝えますので。」
「……っさい、もう帰れ!」

さすがにこれ以上なじるのは可哀想かと思い、文は一礼して立ち去ろうとした。その様子を見た魔理沙は茶碗に残る米粒を大急ぎでかっ込むと、部屋を飛び出していった。

「おい文、待てって。私も帰るぜ。もうごちそう様、お腹一杯だ。これ以上いたらお二人さんに悪いからな。」
「魔理沙、あんたまでそんなこと――」
「冗談だ。ちょっとにとりに相談があってな。直してもらいたい機械があるんだ。それに――」

魔理沙は三角帽子のつばを指で押し上げてウインクした

「霊夢が妖怪となにしようとナニしようと、私はお前んとこ遊びに来るからさ。じゃあな、また来るぜ。」

霊夢はまた顔を真っ赤にして俯いてしまった。





 ■ ■ ■





「あーつまんねー」

姫海棠はたては溜息をつく。彼女は頬杖を付きながら杯を満たした液体を口に流し込んだ。

「例の任務ですか?」
「だってさー文が全部やってばっかじゃん。それもどーでもいいこと聞いてそれを報告してオシマイ。もっとこう楽しいもんだと思ってたんだけどなー」

鹿肉のステーキに夢中の犬走椛は、はたての愚痴にそれほど感心なさげだった。ここは妖怪の山の繁華街にある定食屋だ。雑然とした店内は晩飯ついでにちょっと一斗引っかけていく仕事終わりの天狗や河童達で繁盛していた。その例に漏れず任務終わりのはたてと椛は、大天狗長への報告に向かうため先に帰った文抜きで酒を呷っていた。

「下っ端天狗の内偵なんてそんなもんですよ。プロの工作員じゃないんですし。」

ザルばかりの天狗とはいえ、はたての呑むペースに財布の不安を覚えたのか、椛はステーキから目を切ってその愚痴に適当に付き合った。その返答にはたての眼が光る。

「あいつらがやってることといったら、貧乏人への配給と眠たい話と希望者への修行ぐらいのもんじゃない。絶対カモフラージュよあれ。怪しいわー」
「お寺なんかみんなそんなものだと思いますけどねえ。」

命蓮寺の活動内容は、恵まれないものへの食事の配給や法話会といったものだけではなかった。里の希望者に妖怪退治の基本的技術を教えるといったこともしていた。自力で弾幕が撃てない普通の人間に、白蓮が修行で得た魔法を教授するといったものだ。自衛という阿求の言葉はあながち誇張ばかりでもなかったのかもしれない。
無論スペルカードルールの範囲内で妖怪から逃げる為の技術といった意味合いが強かったから、妖怪側からの反対も特に出なかった。これも白蓮なりの平等なのかもしれない。

「だってあのネタがあんじゃん。邪教よ邪教。これは絶対何かあるわよ。」

既に三人が命蓮寺への内偵を始めて一月が経っていた。はたての言うとおり特に目立ったこともなく、ただ星に分寺での生活を聞いて、それを週に一度まとめて上へ送るだけの日々だった。こんなことでは大天狗長にどやされるんじゃないかと最初彼女は思っていたが、むしろ彼は文の仕事ぶりを賞賛していた。

「ほんとにばっかくさー あんなのあたしらの新聞読めば書いてあるようなことばっかじゃん。文もあんなんで満足するかなー もっとこう命を危険にさらして幻想郷の未来を左右する極秘情報ゲットしました! とかさー」
「たしかにはたてさんは長生きできなさそうですね。」


「あら、はたてさんと椛さんじゃないですか。」

二人に声を掛けてきたのは、守矢神社の風祝である東風谷早苗だった。特にここいらでは珍しい顔でもないのだろう、二人の天狗は軽く会釈を返す。

「早苗ー、席空いてる?」

そう言って早苗に飛びついたのは守矢神社の一柱、洩矢諏訪子である。その後ろにはもう一柱、八坂神奈子の姿も見える。

「おや、お前らかい? すまないね邪魔をして。」
「いえいえ、いつもお世話になっております。」

さすがに守矢の二柱に声を掛けられて座ったままとはいかないのか、はたてと椛は立ち上がって挨拶しようとした。だが諏訪子はそれを制する。

「いーよいーよそんな今さら。」
「すみません。今日はお三方で?」
「ええ。たまにはみんなで外食でもとお二方が……神社を空にするのはよくないと言ったのですが。」
「早苗は変なとこ真面目だよねぇ」

諏訪子が笑う。神奈子は早苗の肩をぽんと叩いた。

「早苗、それは天狗や河童を信用していないということかい? 奴らがうちの神社に妙なことをするわけがないし、不審者を山に入れたりもしないだろう。」
「え、ええまあそれはそうですけど……」
「そうそう、こいつらとはみんな仲良くやってるんだ。早苗もあんまり固く考えちゃダメだよ。さあ、今日はガンガン食おうぜ。」

二柱にそう諭されて、早苗は頷く。奥の席に向かう早苗と神奈子をぼんやりと見つめていたはたてに、諏訪子の顔が覆い被さった。

「うわっ!」
「どーしたブン屋。なんか元気ないじゃん?」

帽子もあわせて四つの眼がはたてを覗き込む。さっきまでグダを巻いていたはたてはたちまち小さくなった。

「その顔は仕事の悩みだね。」
「まあ、そうかもしれません……」
「そういうときこそ神様の力を借りなさい。いつでも話聞いてやるから。」

諏訪子はテーブルからぴょんと飛び降りると、はたてへ軽く手を振りながら神奈子達が入っていった方へ駆け出していった。

「はぁ全くあの神様は自由だねぇ。」

はたては生ぬるい笑みを浮かべて酒を飲み干す。椛も苦笑で返した。

「しかしさすが神様、なんでもお見通しですね。」
「あの帽子の目こわいんだよなー 千里眼みたいだよねー」

適当に冗談を振ったはずだったのに、反応がないことにはたては違和感を覚えた。ちらりと椛に視線をやると、随分と真剣な顔がそこにあった。

「……はたてさん。千里眼で思い出したんですが、実は少し気になることがありまして。文さんに言われて哨戒中もあの分寺見張るようにしていたじゃないですか。」

椛は顔を突き出し物々しい口調で囁く。喧噪にかき消えそうな小声にはたての酔いも醒めた。

「時々、裏手の方から人が本堂へ出入りするのを見るんです。それも一人二人ではなく。特に何かしているわけでもないんですが」
「椛それって……」
「真っ昼間のことですし文さんにはまだ報告していないのですが、どう思いますか。」
「椛、それ絶対なにかある。いい、文にはまだ伝えちゃダメよ。私たちだけで乗り込みましょう。絶対邪教のしっぽ掴んでやる。」





 ■ ■ ■





「毎度どうもー」

甘味屋を出た三人の天狗はそのまま里の中央通りに進んだ。本日の聞き込みもまた何事もなく終了し、一息ついて山に戻ろうというところだった。

「はたて、なんか元気なくない?」

射命丸文は隣を歩く姫海棠はたての顔を覗き込む。

「そっ、そうかな……?」
「あんたいつももっとゴテっとしたもん頼むのに今日はところてんひとつじゃない。腹でもこわした?」
「ああ、最近出詰めで少し疲れたのかも……ちょっと胃が重くて。」
「だらしないなぁ。」

頭を押さえるふりをする新米記者に、文はあきれ顔で答える。そんな先輩記者を白狼天狗である犬走椛がなだめる。

「しょうがないですよ。はたてさんはこういう任務初めてですし。そうだ。ここからなら竹林もそう遠くないし、あの診療所へ少し寄っていくというのはどうでしょうか?」
「えー私締め切り近いのよ。そんな暇ないわ。」

文はめんどくさそうに言う。予想通りの反応だ。すかさず椛は言葉を重ねる。

「じゃあ私がはたてさんを送っていきますから、文さんは先に山に戻っては?」
「まあそれなら好きにしたら。今日の分の報告まとめないといけないから、早く戻んのよ。」

勝手にすれば、というそぶりで文は首をすくめた。下らないことにぐだぐだと時間を使うのは彼女の好みではない。待つのは嫌いなのだ。
別れの挨拶もそこそこに文は飛び立っていった。手を振ってそれを見送る二人に思わず笑みがこぼれる。

「うまくいきましたね。」
「ふっふーん。私の手に掛かれば、文なんて楽勝よ!」

満足げに胸を張ったはたては、そのまま元来た道を戻る。道の先にはあの分寺があった。




今日は法話会などの行事もなく、命蓮寺の分寺にはまばらな参拝客がいるだけだった。人目を避けつつ、はたてと椛は裏手に向かう。幸い椛の千里眼のおかげで、寺の人員配置は事前にチェックできていた。星とナズーリンは今本堂にはいない。

「ここら辺で人が出入りしていたんですよ。」

椛が指し示した辺りには粗末な扉の裏口が一つあるだけだった。その裏口は物置部屋で、以前取材ついでに荷物運びを手伝わされたとき、はたても椛も何度か入ったことのあった部屋だった。およそ人が出入りするような場所ではない。だがそれははたての予想に一層確信を与えたようだ。彼女は張りのある小声で、椛に囁く。

「絶対どこかに隠し扉みたいなのがあるはずよ。手分けして探しましょう。」

そう言って彼女は茂みの方へ入っていった。隠し扉はそういうところにあるというイメージでもあるのだろうか。一言注意しようとした椛だったが、烏天狗の速さについていけるはずもない。溜息をひとつついて、彼女も言われるままに辺りを調べだした。



「うーん、ないなあ……」

どれほど時間が経ったのだろうか。おそらく時計の針自体はたいして進んでいないはずだが、はたてにはそれがひどく長く感じられた。茂みの裏の怪しいところを片っ端からあさって見るも、彼女の考えたような隠し扉はなかった。やはりそんなものは夢物語だったのだろうか――はたての頭の中にあきらめに近い感情が広がっていく。

「やっぱちがうのかなー おーい椛ー あれ椛どこ行ったー?」

先ほど別れたきり姿を見ていない部下を呼び戻そうとした、その肩を後ろから叩かれた。見つかったか――ぞわりとした緊張が走る。

「はたて、あんた何してんの?」

だがそれはよく知った声だった。文はバカにしたような目付きでしゃがみこんだままの新米記者を見下ろしていた。

「あ、文……なんでここに。」
「あんたが私巻けると思う? ああいうときはね、一旦永遠亭の方へ向かってから途中で命蓮寺に進路を変えるのよ。空から見てて笑っちゃったわ。」

文の冷笑。たまらず声を荒げようとするも、さすがにそれは憚られたようだ。はたてはむくれっ面だけ返す。

「で、椛のアホは?」
「いやそれが――」

はたてが言葉を続けようとしたとき、向こうの裏口が開く音がした。文ははたての口を塞いで素早く身を潜める。

「――で、ご主人があいつを見つけたとき、他に誰かの気配は?」
「いえ、感じませんでした。」
「そうか。あの天狗は私がなんとかしておく。ご主人は早く戻って向こうを頼む。」
「ナズーリン、殺生は――」
「それはなんとも言えないよ。彼女に聞いてみないとね。」

顔を突き合わせてひそひそ囁き合っていた寅丸星とナズーリンは、もう一度辺りの様子を窺って本堂へと戻っていった。

「あれはここの……」
「ええ、寅と鼠ですね。それよりはたて、今の話聞きました?」
「天狗がどうだらって、まさか椛は」
「捕まったんでしょうね。」

よどみない文の言葉にはたてはごくりと唾を飲みこんだ。なぜ奴らが椛を?――その時先ほど諦めかけた仮説が再び彼女の頭をもたげる。

「文――」
「はたて、何を隠しているのか、言ってもらいますよ。」

はたての息が詰まる。文の目は久方ぶりに鋭かった。それはスクープの臭いを感じたときに見せる記者の本能だった。
はたては促されるまま、椛の目撃談と自分の考えを文に教える。

「なんでそんなこと黙ってたんですか!」
「だ、だってあたしたちだってなんか役に立ちたいって……文ばっかで……」

そこで口ごもったはたてに、文の怒りの矛先も失われたようだ。いらだたしげにペンで頭を掻いて、はたての耳を引っ張り寄せる。

「まあそれは後回しです。とりあえずは椛が第一。今ならうまく丸め込めるかもしれませんし。彼女たちは裏口に入っていきました。追いますよ。」

それだけ囁いた文は滑るように裏口に忍び込んだ。はたても続く。

室内に気配はなかった。物置部屋には大小さまざまな祭具が雑然と積み上げられている。

「はたて、先程椛は本堂の中に誰もいなかったと言ったんでしたよね?」
「ああうん。」

文は口を閉じ、静かに辺りの様子を窺う。沈黙に耐えられなくなったはたてが声を掛けようとするのを彼女は制止し、鼻を指さした。

「狗の臭い、しませんか?」
「……そういえば」
「人気が一切ないのに椛の臭いは残っている。どこかに通路があるはずです。臭いの強いところを調べて。」

二人はできるだけ音を立てないように、室内を捜索する。だが物が多く、奥の方まで調べるのは困難そうだった。再び諦念の味を感じ始めたはたてが思わず天井を仰いだ、その時――

「ねえ文、あそこだけ蜘蛛の巣が切れてる。」

彼女は指さしたのは天井隅の天板だった。確かにびっしりはった蜘蛛の巣がそこだけ切れ、埃も切れていた。

「なるほど、下ではなく上ですか。」

文は飛び上がると、慎重にその板をずらす。その先には人が一人通れるぐらいの空間が続いていた。

「はたて、お手柄です。さあ行きますよ。」

文が指を立てると、はたてもにんまりと笑った。





 ■ ■ ■





通路は非常に複雑だった。天井裏に繋がるのかと思いきや、すぐ先には階段があり、そこから地下へと降りていけるようになっていた。確かに本堂の天井裏など隠れて何かするには狭すぎるから、普通は隠し通路として皆地面に注意を向けるだろう。文は感心した。

階段の先にはひらけた空間があった。本堂より少し小さいぐらいだろうか。隠れて何かするには十分な大きさである。空間からは仄暗い光が差し込み、声が反響している。二人の記者は身を潜めて中の様子を窺う。

そこは質素な祭壇のようだった。なにがしかの文様を見立てたような蝋燭が、その祭壇をゆらゆらと照らしている。そこには人妖あわせて十数名ほどいるようだ。どこか狂った調子の喧噪が、二人の鼓膜をぞわりとゆらす。

「皆様お待たせ致しました。静粛に。」

祭壇から一際大きな声が響く。人妖も一斉に声の方へ視線を向けた。祭壇の中央に立つ寅丸星は恭しく一礼すると、舞うように語り始めた。

「本日はお集まり頂き有難うございます。人妖入り乱れるこの混沌の世、ありとあらゆる境界を失った末法の世界にあなた方のような智慧深き者たちがいることは幸いです。今こそ我々は本来のあるべき姿を取り戻し、喰い喰われる関係に立ち返る必要があります。それこそが救世の道となりましょう。妖は人を喰うことで生き、人は妖に喰われることで転生する。これこそ人と妖の元来あるべき形であります。」

祭壇に奇声が響く。それは人の声だった。彼らは頭を振り乱しながら祈っている。人の後ろに立つ妖は、静かに黙祷を捧げていた。
星はもったいぶるように一息入れて、言葉を続ける。

「では、早速カミアゲの儀に入りましょう。選ばれし人にはカミアゲノムスメによる祝福が訪れます。」

そう言った星の横に、一人の少女が現れた。仰々しい着物と化粧をまとっていたが、それは紛れもなく八百万の神の一人、秋静葉だった。信徒達がそれに気付いているのかは定かではない。事実彼らは既に正気ではなかった。祭壇には大麻の甘い匂いがいっぱいに立ちこめている。
静葉の前に丸い穴の空いた箱が置かれる。彼女は無言のままその中に手を突っ込むと、一枚の紙を引いて皆の前にかざした。奇声がまた祭壇を揺らす。

「おめでとうございます。ではこちらへ。」

星に呼ばれたのはまだ若い女だった。彼女は獣のようにごうごうと泣き叫びながら祭壇へ上る。それは恐怖ではなく歓喜の涙のようだった。彼女は服を脱いで静葉の前に跪く。静葉は彼女にどろりとした液体をふりかけた。それは香油のようだった。食欲をそそる香りが辺りに立ちこめる。
後ろで瞑想していた妖怪達がゆっくりとその女を取り囲む。彼らもまたなにか祝詞のようなものを呟いているようだった。
静葉はずっと儀式めいたことを続けていたが、やがてそれも済んだのか後ろの椅子に腰掛ける。

「慈悲深く力強い皆様の一部となることができ、私は光栄です。どうか私を救済を、私に皆様の祝福を!!」

跪く女の絶叫が合図だった。彼女の後ろに立っていた妖怪が、腕を喰いちぎる。女は声を上げなかった。ただ幸福に満ちた笑みを浮かべていた。その前に立った別の妖怪が、女の腹を抉る。飛び散った内臓が祭壇を赤黒く彩った。抉りだした内臓にその妖怪はかぶりついた。祭壇を囲む人間は絶叫をあげていた。中には崩れ落ち慟哭する者もいる。皆その女を祝福していた。歓喜の涙を流す女の頭が妖怪の腹に収まったところで、ようやく嬌声にも一段落付いたようだった。

信徒の一人が祭壇に散らばった残骸を拾い集め、それを静葉と星の下へ差し出す。二人はそれを一つつまみ上げると口に含んだ。それでようやく儀式は終わったらしい。皆深々と敬礼し、張りつめた空気も解けた。




「如何でしたか、儀式の方は?」
「――!?」

血生臭い狂気に見入っていた文とはたては後ろの気配に気づけなかった。いつも以上に丁寧な口調で二人に感想を求めたナズーリンは、破裂するように振り向いた二人の烏天狗に冷え冷えとした笑みを向ける。

「おっと大声を上げない方がいい。皆に気づかれてしまうからね。」
「別に構いませんよ。あの程度の妖怪の群れ、天狗二人に敵うとお思いで?」

文は精一杯の虚勢を張る。ナズーリンはその姿勢に満足したように頷くと、丁寧さの中に侮蔑が混じる口調で返した。

「殊勝な姿勢だ。でもね、天狗ならこちらにも一匹いるんだよ?」

文は舌打ちする。予想通りとはいえ、やはりこちらは分が悪い。ナズーリンは勝ち誇ったように続ける。

「さて、"取材"なら喜んで引き受けるが、どうするかね。山のスパイさん?」
「な、なんで――」

口を滑らすはたてを文はきっと睨みつける。幻想郷最速の天狗は脳みそを全速力でかき回して、こう言った。

「わかりました。"取材"をお願いしたいので寅丸さんを呼んで頂けますか?」
「もちろんだとも。あちらに小部屋がある。そちらでどうかね?」

ナズーリンは改めて客人に恭しく礼をした。




「さて、何が聞きたいのでしょうか?」

応接室の椅子に座る星が、向かいの二人の天狗に声を掛ける。彼女の横には縛られ力を封じられた椛がいた。返事のない二人をおいて、星は言葉を続ける。

「まさかここが見つかるとは。まあ知られたからにはただでとはいかない。わかってるとは思いますがね。」
「あやややや〜もちろんわかっていますとも」

場の空気にそぐわぬすっとんきょうな笑い声が、応接間に響く。予想外の返答に一瞬星はあっけにとられたようになった。文はその隙を逃さない。

「いやー先程の儀式、カミアゲの儀でしたか。わたくしいたく感じ入りました。これまで様々な儀礼を見てきましたが、あれほど真理を突いたものもありますまい。そこでわたくしからひとつ貴方にお願いがあるのですが――」

手を揉みながら、文は星の顔を覗き上げる。

「私たちを是非信徒に加えて頂きませんでしょうか? いや記者という客観性が求められる仕事柄、本来は何かに心を捧げるというのは御法度なのですが、そういう気持ちすら萎えてしまいましてね。記者としての立場を投げ捨ててまで帰依したいと申しますか。もちろん我々お山の妖怪は体裁として守矢を信仰していることになっておりますので、この信仰を他の方には一切口外できないのが残念ですが。」

幾重にもオブラートに包みながら、彼女はいつもの取材のように言葉を並べていく。

「別に構わないが、住み込みという形になるよ?」

戸惑う主人に代わって答えたのは部屋の隅に立っていたナズーリンだった。文はひとつ手を叩いてナズーリンに満面の笑みを向ける。

「あややーいやそれは素晴らしい。ただ我々天狗は定期的に上の方へ報告を入れなければならないため、ずっとこちらに、ということは困難です。そんなことをすれば我々を説教しにこちらにまで天狗の上司が押しかけ、皆様に大迷惑をかけることになります。」
「ではここで書けばいい。私が届けよう。」
「あやーそれはおそれおおい。それに天狗以外のものが山にはいると皆怪しがります。彼らは余所者には厳しいので。」

やり取りはそこで一旦途切れた。文は笑顔のまま次の一手を待つ。

「次の報告はいつですか?」

口を開いたのは星だった。文は間を置くことなく答える。

「三日後です。」
「ならそれまではここにいるといい。その日になったら山に帰ればいいよ。」

星も笑った。文は一瞬真顔になったが、再び笑みを浮かべてそれを快く承諾した。ナズーリンは3人の天狗の前に皿を置く。粗末な皿の上には赤黒い肉片が載っていた。それは先程の女だった。

「では契りの儀だ。どうぞ召し上がれ。」





 ■ ■ ■





文達が分寺に幽閉されてから丸一日が経とうとしていた。

文とはたてが押し込まれていたのは地下の土牢だった。鎖に繋がれているわけではないが、牢には強力な護符が隙間なく貼られており、壁に近づくことすらままならない。
暗闇の中二人の烏天狗は無言のまま顔を突き合わせていた。椛とはあの応接間で会ったのが最後だ。彼女だけが別の部屋に連れていかれた。無事でいるだろうか――はたての良心が痛む。

「……文、ごめん」

やっと出た謝罪の言葉だった。ここに来たときから言おうとずっと思っていたのに出なかった言葉だった。はたてはぐっと唇を噛んで、溢れ出そうになる感情を抑える。

「私のミスよ。あの時裏口には行かずさっさと大天狗の所へ行くべきだった。ははっ、私もブン屋根性には勝てないなぁ……」

相手の方を見ることなく、文は自嘲気味に答える。昨日は回っていた頭もこの状況が続くにつれ鈍ってきたようだ。彼女は自分の浅薄さを叱責するように、唇を強く噛んだ。
最初は三日掛けてじっくり拷問やら洗脳でもされるのかと思っていた。しかし奴らは顔さえ見せにこない。椛が犠牲になっているのかもしれないと思い至った辺りで、文は考えるのをやめた。そんな光景は想像したくもなかったし今の自分にはどうにもならない。そういう問題に神経をすり減らすのは彼女の性にはあわなかった。

「――生きてるかい?」

重い扉が開く音に二人の会話が途切れた。久しぶりに差し込む光の向こうには小さな賢将がいた。

「……なんですか?」
「君達に会いたいという人がいるんだ。まず射命丸、君からだ。」

そう言ってナズーリンは文だけを招き寄せる。無論そこに彼女の意志など存在しない。
とうにその目が忘れていた光に苦しみながら、文は土牢を出た。

「椛は、あいつは無事なの?」

たまらず聞いたのは牢に残るはたてだった。ナズーリンは素っ気ない態度で答える。

「生きてはいるよ。」

簡潔な説明に慄然とするはたてを残し、再び扉が閉じられた。




文が連れてこられたのは昨日の小部屋だった。薄暗い部屋は目にだけは優しかった。奥の方の椅子には既に二人が並んで座っていた。一人は秋静葉、そしてその横に座る少女に、文は思わず息をのんだ。

「あんたが……」
「こんにちは。」

呆然とする文をねぎらうように微笑みかけてから、彼女は縛られたままの烏天狗を腰掛けさせるよう、ナズーリンに指示を出す。
しばしの沈黙が四人を包んだ。文が口を開くのを待っていた彼女だったが、その困惑顔を見てこちらから話しかけることにした。

「意外かしら。」
「……はい、とても。」
「色々あってね、彼らに協力してもらってるの。わかりやすいイコンがいるでしょう、こういうのって。」

そう言って彼女は部屋にいる静葉とナズーリンに視線を送る。

「察しのいい貴方ならわかったでしょう。今さら大天狗辺りに報告しても無駄だって。だからね、貴方にも協力願えないかと思って。」
「そういう話ですか……」

彼女は微笑む。文の頭は再び回り始めていた。

「私が協力するとして、他の二人は――」
「貴方さえ協力してくれるのなら、あの二人はどうとでも丸め込めるでしょう。」
「あの二人はああ見えて意外と優秀ですよ?」
「もちろんあの二人にも面談するわ。やり方は違うけれど。」

彼女は舌をなめずる。文の背中に悪寒が走った。
そして文は直感した。これは到底自分一人の手に負える話ではないのではないかと。だから、彼女は腹を括った。

「返事は明日まで待つけれど?」
「いえ、答えはひとつです。天狗である私は天狗を裏切らない。これだけです。」

ピクリと、目の前の少女の眉が動いた。呼吸を整えるようにひとつ息を吐いて、彼女は再び文を見据える。

「意外ね。もっと利口かと思っていた。こちらに付けばいくらでもスクープの種をあげるのに。」
「評価は痛み入りますが、私にも義というものはあります。仲間を裏切ってまで成り上がる気はありません。」

決然と、よどみなく文は言った。ぐずぐず考えるのは嫌いなのだ。

「煮るなり焼くなりどうぞお好きに。私達天狗は拷問程度で音は上げませんし、洗脳されるほどヤワでもありません。殺すならどうぞ。私が三日後姿を現さなければこの企みも終わりです。私たちが内偵として動いていることはご存知でしょう? 山の天狗たちが黙っているわけがない。貴方は天狗を馬鹿にしているのかもしれませんが、我々は貴方が想像しているよりずっと利口です。」
「わかった、もういいわ。射命丸さんを牢へ返して差し上げて。」

ナズーリンが文の腕を引きずりあげる。持ち上げられた天狗はそんな境遇をものともせず、堂々と一礼した。

「ああ、最後にひとつだけ――」

彼女は部屋を出ようとする文を呼び止めた。

「私は天狗を軽んじてはいないわ。むしろあなた達を高く評価している。それだけは事実よ。」

文はそれに答えず部屋を後にする。静かな微笑みを湛える少女の横で、静葉は不満げな顔をしていた。

「ねえ、本当にあれでいいの?」
「問題ないわ。想定内。」
「……あんたちゃんと約束守ってくれんでしょうね。あれがなかったら私だってこんな血生臭いこと――」
「それも問題ない。貴方の望みは叶えるわ。絶対にね。」

少女は愉しそうに微笑んだ。





 ■ ■ ■





「……んっ、んんっ、あぁ、あは……っ」

しとねの上に甘い声が響く。博麗霊夢を背中から抱きかかえるのは金色の長髪をたらした艶めかしい裸体だった。

「霊夢……ほら、ここかな?」
「アアン♪ いやぁん、紫、ゆかりぃ……んん……」

八雲紫は霊夢の反応を確認しつつ、後ろから手を伸ばして陰核をやさしくねぶる。上気した顔をこちらに向けて表情だけでキスをねだる霊夢に、紫はそっと唇を重ねた。霊夢はキスが好きだ。

「んむ、くちゅ、んふぅ……ぁぁ、ゆか、んちゅ」

といっても舌をねちっこく絡めるような激しいのはまだ恥ずかしいらしい。唇を軽くくわえて、舌先をついばむように吸ってやる。これぐらいがいいらしい。

「ちゅ、ぁむ、んん……ゆかり、あのさ、やっぱりこっち向いてくれる……?」

霊夢は対面座位が好きだった。顔を見合ってするのが、何より愛を感じられた。紫は自分よりわずかに小柄な霊夢を抱え上げ、くるりと膝の上でまわす。目の前に現れた少女の顔は、普段見せない恥じらいに染まっている。

「んむ、んちゅ……や、ゆかりやめ、んんっ、ぁあん」
「だーめ。逃がさない。んん、んふ、んちゅ……」

もう一度唇を重ね合わせながら、紫は豊満に肉のついた体を、また骨ばった霊夢の体に押し付ける。たわわな胸と、まだ膨らみかけの胸についた乳首をこね合わせながら、ぴったりと重なった肌はお互いのぬくもりを伝え合う。霊夢は少し体温が低い。

「ほら、霊夢脚開いて?」
「ぁ、んん、やぁん、恥ずかしぃ……」
「大丈夫。ほらこっち見て。そ、はずかしくないから。」

その格好のまま、二人は足を絡めて陰唇をこすり付けあった。道具を使ったりしたこともあったが、霊夢はこれが一番好きだった。直接肌を重ね合わせる感覚が、彼女は好きだったのだ。
紫は霊夢をなだめつかせるように、顔を撫でてやりながら、ぐりぐりと腰を押し付けた。

「あはぁっ! そこだめなのぉ、ん……んあっ、んいぃっ」

霊夢の腰が浮く。紫は逃げないよう腿をぴっちり絡めつける。海老反りになって身を打ち振るわす霊夢の表情を見ながら、紫は細かいグラインドを繰り返す。

「あはっ、霊夢のアソコとってもやわらかい。んあっ、ああ、あんっ!」
「あぃ、だめ、きちゃう、ゆかり、わたし、やあっ、ああっ!!」
「んふ、いいよ、霊夢、見ててあげるから……んぁ、あん、あたしも、あっ……」
「んあぁっ、ああ、あん、ああん。いくっ、だめっ、ん゛んっ、ぁ、はぁ、はぁ……」

口を押さえて絶頂を隠そうとする霊夢を、紫は懐に納めるように抱き寄せた。

「……霊夢、平気?」
「はぁ、はぁ……うん平気……」

リボンを下ろした黒髪をそっと撫でて、息を切らす霊夢をあやしてやる。胸元で丸くなる博麗の巫女はいたいけな少女そのものだった。



「紫さ……」
「ん?」

霊夢は続けようとした言葉をつぐむ。紫はそれを気に掛けることなく繰り返し髪を撫でていた。ゆっくりと、揉みしだくように、何度も何度も。霊夢はまたゆっくりと口を開いた。

「この間のやつなんだけど、うん、あのね……」

やはりそこで止まってしまう。紫はしどろもどろする頭をポンポンと叩いた。この逡巡こそが最も幸福な時間であると、彼女に諭し掛けるように。

「やっぱりね、私……ほら、あの、巫女だからさ……」

何か言おうとするたびに、彼女の中の相反するものがそれを差し止める。踏み出そうとすれば博麗が、立ち去ろうとすれば霊夢が。零れそうになる涙すら、あるべき役割がそれを許してくれない。全ての頸木から自由な博麗が妖怪の前で涙など、あってはならない。

「ねえ霊夢?」

紫は彼女に頬を重ねる。

「幻想郷は、随分と暮らしやすくなったわ。それも霊夢のおかげ。霊夢がいなければ今の人間と妖怪の関係はなかった。だからね、霊夢ももっと自由になって良いと思うのよ。」

そして見つめ合った。潰れそうな顔をした彼女にそっと微笑みかけながら。

「大丈夫よ。きっとなんとかするから。霊夢の願いはきっといつか叶うわ。」
「でも私は……」
「私たちが幸せでいられる幻想郷にしたいの。でもそれは私だけじゃ無理。霊夢の力も絶対に必要だわ。だからね、霊夢も私のことをもっと信頼して欲しいの。ね?」

額を重ね合わせながら二人は視線を交わし続けていた。霊夢の焦点は未だ定まらぬ風であったが、紫はそれすら受けとめて彼女を見つめる。

「別に今日無理して答えなくたっていい。霊夢の時間なら私は待てるから。逆は無理だけどね。」
「……ぅん」

小さく呟いたその子がかわいくて、もう一度唇を重ねる。睦言は、やがて霊夢が眠りにつくことによって幕を閉じた。




「紫様」

襖の向こうの気配。紫は肌襦袢一枚を羽織って部屋を出る。

「もう少しタイミングというものがあるでしょう。何?」

少しだけ不機嫌な主人のお小言に詫びを入れつつ、式の八雲藍は書状を差し出した。

「さきほど使いの者が届きまして、急ぎこれを紫様へと。」

紫は蛇腹に折りたたまれた書状を開き目を通す。その目からはさきほどまでの不機嫌さが消えたようだった。

「ふむ、ことは全て順調と。良いことね、藍。」
「はあ……」

初夏の月光に照らされて、紫は愉しそうに微笑んだ。





 ■ ■ ■





あの面談からまた一日が過ぎた。

牢にいたのは射命丸文一人だった。あの後入れ違いにナズーリンに連れ出された姫海棠はたては、そのまま帰ってこなかった。
文は自分が切った啖呵を次第に後悔し始めていた。あの時の自分の気持ちに嘘偽りはない。彼女は天狗という種族に強い信頼と誇りを抱いていた。
しかしその誇りは同時にはたてと椛を危機に晒すものなのだ。当初は同じ天狗である彼女たちもきっと同じことを考えるはずだという、同族への信頼に支えられていた心も、この孤独な暗闇の中でくすんでしまったらしい。
それでも――彼女は再び心を奮い立たせようとする――天狗とは、組織に生きる者とはこういうもののはずだ。自分の生命と天狗全体の利益、それを秤に掛けてはならないはずだ。彼女はまた自分を正当化する。こうした振り子運動を、文は暗い部屋の中でずっと続けていた。


「食事の時間だよ。烏天狗君。」

重い扉が開く。再び後光をまとったナズーリンは、軽い笑みを浮かべて文に手を差し出す。彼女はそれを取るしかなかった。

食事と言ったにもかかわらず、ナズーリンは文を牢の外へ連れ出した。最初は意味がわからなかった文も、行き先があの祭壇であることが判るにつれ、このネズミの悪趣味な言葉遊びの意味を理解した。つまりまた始まるのだ。あのおぞましい儀式が。そして信徒である文はもう傍観者ではいられないのだ。

祭壇の周りはまたあの狂乱に包まれていた。あの時遠巻きから漂ってきた大麻と血肉の臭いが、今度は一層生々しく彼女の鼻を突く。祭壇の手前まで突き出された文は、しかし一瞬表情を和らげた。それは狂信によるものではない。暗い土牢の中でずっと焦がれていた顔を見つけたからである。

「はたて!」

祭壇の隅に彼女はぼんやりと突っ立っていた。文は急いで駆け寄る。大分疲れているようだったが、怪我はないように見えた。

「大丈夫?」
「……うん、まあ」

はたては力無く答える。その曖昧な返答を詮索するつもりはなかった。文ははたての手を強く握りしめる。この喧噪を突いて外へ脱出する――彼女はそのシミュレーションをあの土牢の中で繰り返してきたのだ。生き返った文は椛を探した。しかし儀式が始まろうとする段になっても、彼女の姿は祭壇になかった。

「皆様、本日もお集まり頂いて有難うございます。」

星の声が祭壇に響く。文は椛のことを諦めざるを得なかった。なんとか誰か一人だけでも、自分を身代わりにしてはたてだけでも――彼女は奇声に抗うように、はたてに耳打ちする。

「いいはたて。あいつの祝詞が終わって妖怪共が前に出た瞬間、その瞬間を狙って全速力で駆けるわよ。ここにいる連中とのかけっこなら絶対に負けない。階段まで行ったら私が風を起こしてあいつら止めるから、あんたが先に出るのよ。階段なんか突き破って。わかった?」

はたては言葉なく頷く。壇上では星の文言が続いていた。

「さて、我々は真理を近づくため、さらなる教義の探究を進めなければなりません。多くの神話、教典において、神々は時に民へ時に不条理とも思える力を振るい、そしてある時は民のためにその身を捧げました。あの忌まわしい邪教のである基督教でさえ、ある時は天からの洪水で人々を根絶やしにし、またある時には自らの子の死と引き替えに民の罪を赦しました。彼らごときが成しえたことを、真なる存在である我々ができないはずがありましょうか。」

ひとつ呼吸をして、星は一層はっきりした声で言った。

「そこで本日はカミオロシの儀を執り行います。」

信徒は吠えた。それは先日見たものとは少し違う空気だった。文は思わず視線を祭壇へ返す。
前回と同じように静葉の前に箱が置かれた。彼女は無言で一枚紙をとると、それを開いた。


「射命丸文。おめでとう! 貴方は選ばれました。」


星の言葉を文は理解できなかった。なぜ自分が呼ばれるのか、その疑問が頭にもたげた時彼女は気付く。今日の儀式の名前が先日聞いたものとは逆であることを。

「ふざけんな!」

駆け出そうとした文の足が突然鉛のように鈍くなる。足をもつらせて転倒する文の瞳に、祭壇の裏が写った。暗幕の裏には昨日会ったあの少女が、あの時と同じ笑みを浮かべて立っている。動きを封じたのは彼女だった。

「は、はたて……はやく、あんただけでも」

そう言いかけた文の手をはたては振りほどいた。はたてを見上げた文は、本当の絶望というものを知った。そこにあった同僚の目は、暗幕の向こうの目と同じだった。

「は、はた――」
「早くこっちへ来るんだよ。」


パシャ


文の髪の毛を引っ張ってナズーリンが生贄を祭壇へ引きずる。はたては追いかけることもなく、逃げ出すこともなく、ただそれをカメラに収めていた。

「さあ食事の時間だ。美味しく喰われてくれ。」

ナズーリンはダウジングロッドを文の両肩に突き刺す。血が噴き出したが痛みはなかった。それを感じることすら今の彼女には叶わなかった。
続いて近寄った星が文の服を破り捨てる。小さなブラジャーを引きちぎり、健康的に膨らんだ胸が狂信者の前に晒された。先日の女娘と同じ格好にされるにつれ、彼女が辿った結末が生々しい現実感を帯びて文の脳裏を染め上げていく。

「さあこの烏天狗の少女、射命丸文は末法の世を救うため自ら犠牲になることを申し出ました。人として生まれたあなた方は、彼女の肉を喰らい、血を啜り、あるべき秩序を転倒させることでより一層法理に近づくことができるのです。」

星は説法が続けながら、最後のドロワーズを破り捨てた。文の周りには狂った目をした人間共が立っていた。何も着ていないことがこんなにも不安を煽るのかと、文ははじめて実感した。

「やだっ!! やめてっ、こっち来ないで! やめろこっちくんな!!」


パシャ


彼らは迫る。無数の手が、腕を、腿を、胸を、脇腹を、首をまさぐる。

「やだ、やめろやめろやめろやめろっ!!!」


パシャ


肌をなで回す不快な感触に鈍い痛みが加わる。見れば男が文の二の腕に噛みついていた。
かろうじて動く四肢を振り回して文は抵抗する。所詮天狗と人間、十分に動かない腕を振った一撃で、腕を食いちぎった男は血を噴きながら後ろへ吹き飛んだ。

「なんだよ!? こいつらなんなんだよぉっ!!」


パシャ


「そうです。自らの力で神である妖怪を狩り、屠り喰らうことであなた方は妖怪と同じ存在になるのです!!」

しかし彼らはそんなことを気にもしない。何人吹き飛ばしても、彼らは気にせず文を喰おうと迫る。焼けるような痛みが、文の四肢を襲った。それは妖怪退治用の護符、以前取材したときに星達が人間に教えていたあの魔法の強化版だった。

「い゛たい゛っ!! いだい゛いだいあ゛ぎぃいいいぃ」


パシャ パシャ


焼けただれる四肢に彼らはむしゃぶりついた。風神少女はもはや抵抗する手だてを失った。柔らかなはらわた、それが次のメニューとなった。手製の護符を何重にも巻きつけたナイフで少女の滑らかな腹を切り裂くと、頭を突っ込まんばかりの勢いで中に詰まった臓物を啄む。

「あ゛ぎゃああぁぁぁぁ!! いあ゛ぁっあゴフッ ひぃだすげでぇぇぇ」


パシャパシャ パシャ


文は本能的に、はたてへ助けを求めた。彼女が最期にすがれるのはもうそれしかなかった。

「はたっ、はだでぇ だずげで……おえがいだずげ……」


パシャパシャ


はたてはずっと写真を撮っていた。

昔文から外の世界のカメラマンの話を聞いたことがあった。なんでも彼らは人間同士の殺し合いを記録するカメラマンで、殺し合いの現場に赴いてひたすらカメラを回すそうだ。目の前に怪我をした人間がいたとしてもまず撮影を優先することすらあるという。はたてはその話を聞いたとき、人間の愚かさに閉口した。同士討ちですら正気の沙汰ではないのに、その上それを写真に撮って記録する。どういう神経ならそんなことができるのか、そう思ったものだった。




だが、今なら分かる。




だって、こんなに素晴らしい写真が撮れるんだもの




「はた……すけ、はた……」


パシャパシャ


「はた――」

喉笛を噛みちぎられた文の声は、空気の漏れる音に代わった。
少しずつなくなっていく同僚を、彼女は容量の切れるまで携帯型カメラに収めて続けた。

「――どう、いいものでしょう?」

取り憑かれたようにシャッターを押すはたてに、祭壇裏の少女がすり寄った。甘く粘り着くような囁きではたての耳を犯す。

「昨日貴方は告白してくれた。文を超えたかった。文より素晴らしい写真を撮り、文より優れた記事を書きたかったと。でもできなかった。貴方はいつも彼女の隣にいて、決して超えられない彼女を妬んでいた、呪っていた。そうよね?」


パシャ パシャパシャ


「私たちの側に付けば、貴方の願いは叶う。いつでもこんな写真を撮らせてあげるわよ。だからね……例の話、引き受けてくれるかしら?」


パシャ パシャ


はたては何も答えなかった。ただシャッターの音だけがその提案を肯定していた。





 ■ ■ ■





――またあの夢か


今日も目覚めは最悪だった。


寝汗で服がべっとりとはりつく。悲鳴と歓声、血と大麻の臭い、肉の触感と味――そんな悪夢にうなされて起きるのが寅丸星の日課となりつつあった。
じめじめとした寒気が彼女の背中に走る。残念ながら目覚めてもその悪夢は続くのだ。


「星ー星ー あんだもう起きてんじゃん。返事ぐらいしなさいよね。」
「……ああ、すまないムラサ。」
「もうみんな起きてるよー 久々にこっち戻ってきてのんびりしたいのはわかるけど、早くお清めしちゃいなよ。」

割烹着を着た村紗水密は、いつもの柄杓の代わりに持ったお玉で星の頭をポンポンと叩く。今日の食事当番は彼女らしい。
命蓮寺の朝は早い。皆日が昇る前に起きる。だから日が顔を出した時間に起きた星は、ここではねぼすけ扱いとなる。

「……ムラサ。聖は今どこへ。」
「聖なら本堂にいるんじゃないかな。ああまた朝の問答? 別にいいけど、お味噌汁が冷める前に切り上げてよね。」




ムラサの言うとおり、聖白蓮は本堂にいた。後ろにいる雲居一輪と一緒に、彼女は手を合わせて朝の勤行に励んでいた。

「聖、おはようございます。」
「ん、星ですか。おはようございます。」

ふっと振り向いて、白蓮は星にお辞儀をする。星は一層恭しく礼を返すと、彼女の前に座した。

「お尋ねしたいことがあります。」

白蓮は無言でもってそれを許可する。一輪は向かい合う二人の横に座り直した。

「聖は、聖は食べたいと思ったことはないのでしょうか……その……」
「人を、ですか?」

白蓮は静かに眼を閉じた。朝日が本堂に差し込む。グラデーションがかった髪の毛がその光を吸い込んで、その輝きを増したようだった。

「ありません。法界にいたときもその欲求に苛まれることは結局一度足りとてありませんでした。」
「そう……ですか……」
「私は生粋の妖怪ではありませんから少し違うのかもしれません。一輪はどうですか?」

白蓮に問いかけられた一輪はかしこまった口調で答える。

「私も聖に帰依してからは一度もありません。星もそうではないの?」

星は無言で頷いた。彼女はどう問うべきか悩んでいたようだったが、やがて思い出したように言葉を続けた。

「先日、聖は法話会で『互いの欲を理解すること』についてお話しされました。確かに人を喰らいたいという妖の欲求が、人妖の間に厳然とそびえています。しかし妖怪のその欲求は、我々そのものなのではないでしょうか?」
「つまり、妖怪は人を襲い、食べるために存在している。であればそれを曲げてまで得られる平等に価値があるのであろうか――そういう問いでしょうか。」
「はい。その平等は妖怪にとって本当に対等な関係たりえるのでしょうか?」

震える手を、星は必死に押さえ込む。これほどまで緊張する問答は初めてであった。白蓮はしばし瞑想した後、ゆっくりと星に答える。

「なるほど。それは決定論ですね。妖怪は人を食べなくてはならない。妖怪は人を襲い食べるためにある。そして人はそんな妖怪を退治しなければならない。だからその果たすべき役割を歪めた平等は、真の平等ではない。示唆に富む考えですね。では私の答えを言う前に、私も星に問いましょう。なぜ妖怪は人を襲い、食べなくてはならないのでしょうか?」
「え?」

星はふと詰まる。しかし彼女もまた優秀である。すぐに答えを紡ぎ出した。

「それは、我々が人を食べねば生きていけないからでは。」
「しかしここにいる三人は皆千年以上人を襲ったり、喰ったりしてはいません。であれば星の考えは真実なのでしょうか? 私はそれを疑っています。妖怪とは精神的な存在です。であれば生命維持に必須な栄養分を人間から摂取しなくては生存できないという、肉体的・物質的理由は受け入れがたいものがあります。」
「で、では……」
「少し問いを変えてみましょう。妖怪が人を食べなくてはならないように創られたとすれば、それは誰によって創られたのでしょうか?」

今度こそ星は答えに窮した。

「私が一方的に問うのはよくありませんね。では一つ。星は『悪人正機』を知っていますね?」
「はい。浄土へ行くか否かを決めることができるのは阿弥陀様だけなのだから、自らの善行によって浄土へいけると考えている善人はその阿弥陀様の本願に背いている。だから自分が悪いことをしていると自覚してひたすらに阿弥陀様にすがる悪人の方が、ずっと浄土に行くのは容易い。そういう教えです。」
「そうですね。では人間は悪人でしょうか、善人でしょうか? 妖怪は悪人でしょうか、それとも善人でしょうか?」
「それは……それぞれによるのではないでしょうか。」
「確かに。しかし私は種族として二つは明確に対応すると考えています。」
「ん……」

星はみたび押し黙る。白蓮は微笑んだ。

「今日はここまでとしましょう。星、私の考えが正しいとはかぎらない。貴方であればいずれ自分なりの悟りを開き、進むこともできるでしょう。ただ、貴方は少し思い詰めているように見えます。そんなに焦って無理に考え過ぎなくともよい。真摯に生きる者にはいずれ涅槃から法理が囁きかけます。焦ってそれを自ら掴みにいこうする者に法理は振り向かないのですよ。」

白蓮は一礼した。

「元はといえば、星の苦労に思いを馳せず分寺を預けた私の責任です。私も最近は貴方に任せきりであまりあちらに顔を出せていません。星には寂しい思いをさせているのでしょう。少し休んでも良いのですよ。」
「いえ、それは関係ありません。」

星はきっぱりと言った。あそこにこの人を近づけるわけにはいかなかった。

「姐さんだってここのところ魔界連絡船の件や、色んな人との会合に出ずっぱりで休む暇がないじゃないですか。星のお勤めまで自分で背負うことはありません。」

一輪が白蓮をかばう。だが白蓮は首を横に振った。

「自らの勤行にかまけて、私を慕ってくれるものを疎かにしては本末転倒です。」
「そうやって全部自分で背負い込んでしまうのはもうやめて欲しいんです。……千年前だって、全部自分のせいにして封印されて……もうああいうのはいやなんです。私たちを信頼して頼って欲しいんです。」

一輪は切々と訴えた。白蓮に従順な彼女にしては珍しい嘆願だった。白蓮は一度手を合わせて、顔を上げた。

「ああやはり私は愚かだ。貴方達をこんなに心配させている。わかりました……では早く僧房へ行くとしましょう。きっと今頃ムラサ達が心配しています。」



立ち上がって本堂を後にする白蓮と一輪に、星も少し遅れて着いていこうとする。本堂の入り口にはナズーリンがもたれかかっていた。

「どうだいご主人、迷いは晴れたかい?」
「生きている限り迷いが晴れることなどありません。」
「そうか、でもこれには慣れて欲しいな。」

そう言って星の顔前に写真を突き出す。そこには顔の半分近くを食いちぎられた射命丸文が写っていた。星は思わず口を押さえて目を背ける。

「いい加減儀式が終わるごとにげえげえ吐くのは勘弁してもらいたいんだ。片づけるこっちの身にもなってほしい。」

ナズーリンは言葉とともにその写真を星の胸元に差し込んだ。

「貴方は……貴方はどうなのですか、ナズーリン?」
「別に私はなんでもないさ。ご主人の命に従って動くだけ。あれを望んだのはご主人だろう。」
「う゛……」
「聖を支えたい。そのために聖を超える悟りを開いて、彼女の負担を和らげたい。そう言ったから私も協力したんだ。」
「しかし、あれは……」
「どうであってもあれがご主人の教えであり、ご主人の正義さ。神様の力まで借りているんだ。もう引けないよ。」

星の周りをくるくると回りながら、ナズーリンはとうとうと語る。その言葉はまるで真綿のようにぐるぐると星の心に巻き付いて、ゆっくりと彼女の心を絞り上げていった。




「おはよーございまーす」

月と地球のような二人に近寄ってきたのは多々良小傘だった。命蓮寺が気に入ったのか、最近しょっちゅう彼女は遊びに来る。

「ああ星さん久しぶり。みんなはどこにいるの?」
「聖達なら僧房にいるよ。丁度朝餉の時間だ。」
「よーしご飯食べてるところ驚かしちゃうぞー」

やる気満々といった感じで彼女は傘を振り回した。まあいつも通り失敗して普通のご飯をご馳走になるのだろうが。

「じゃー先行ってるね。」

そう言って彼女は僧房の方へ駆け出していった。朝日が燦々と照らす中、自分より大きな傘を頼りなげに揺らす少女を二人はそっと見送る。

「かわいいものだねえ、御主人。」
「ええ、そうですね」
「そういえば、次のカミオロシの儀、誰にする?」

現実へと引き戻す言葉に、星はぎょっとした目を部下へ向ける。

「ナズーリン、貴方まさか……」
「あの娘は別にうちの信徒じゃない。消えても誰も心配しないさ。もし他に適任がいるなら教えてくれ。なるべく早くね。」

小傘の後を追うように、ナズーリンも僧房の方へ駆けていった。





 ■ ■ ■





「失礼します。姫海棠、入ります。」

ノックの音と同時、姫海棠はたては扉を開けた。樫でできた重厚な扉はずしりとした感触を手に残す。

「ご苦労、姫海棠君。」
「大天狗長様、こちらが今週分の報告になります。」

その言葉とともに、はたてはファイルを大天狗長へ差し出した。彼はそれをパラパラとめくりながら、はたてに尋ねる。

「何か変わったことは?」
「特にありません。今日も里は平穏無事です。」
「そうか、ならば結構。」

険しい表情をほんの少し緩めて、大天狗長ははたてをねぎらう。

「そういえば前回の報告書、あれはとても良くできていた。さすが記者は文章を書き慣れている。非常に簡潔で明瞭だった。あれは君が書いたのかね?」
「はい、私が書きました。」

背筋をぴんと張って、彼女は明瞭な声で力強く答えた。それは夢にまで見た賛辞だった。

「それは頼もしいな。ところで最近射命丸君がこちらに顔を見せないが、彼女に何かあったのかね?」
「いえ、彼女もいつも通り内偵に同行していますが、本業の方が忙しいらしく報告書の執筆と提出は私がしています。」
「そうか、ならば仕方ないな。こちらも君たちが忙しい中無理を言って協力を仰いでいるのだから。彼女にもよろしく言っておいてくれないか。」
「了解しました。」

はたては深々と敬礼する。特に嫌悪感はなかった。組織の一員であることの使命感、そして喜びを今の彼女は十分に理解していた。

「――そうだ。姫海棠君、もし時間があればもう一つ頼まれて欲しいのだが。」
「なんでしょうか?」
「この書簡を博麗の巫女の元に届けて欲しい。できるだけ早くだ。」




今日は一人だった。

博麗霊夢にとってそれは別にどうということでもないはずだ。むしろそっちの方が慣れているといってもいい。
魔理沙は実験にのめり込むと何日も顔を出さなくなるし、萃香は気紛れだ。ふらっと来て居座ったかと思えばふらっといなくなる。他の連中もうんざりするくらい来ると思えばぱたりと来なくなる。霊夢は彼らに期待することの無意味さを知っていた。
信頼するということがどういうことなのか、彼女は今ひとつわからなかった。こうやって一緒に卓を囲んでご飯を食べたり呑んだりしているのだから信頼関係にあるのだろうと思う反面、それはもっと強固な、自分には想像もできないような関係なのではないかとも思う。

「さて、今日は一人分でいいかな……」

そうひとりごちて、霊夢は台所へ向かう。その途中もちらりと外へ目を遣った。彼女が外からやって来るなんて滅多にないのに。

「ああ、なんか作り過ぎちゃったなぁ……」

そう白々しく呟いて彼女は夕餉を卓に運んだ。返答はない。霊夢は仕方なく二人分の食事の半分だけを食べる。会話のない食事など早いものだ。

「ごちそうさま」

煮物なら明日でも食べられるだろう。そう思って残った分をとっておく。その言い訳じみた態度になぜか思わず笑いが漏れた。食べて欲しいと素直に口にすればいいのに、と。


別に八雲紫から正式に面と向かってプロポーズされたわけではなかった。以前から酔った勢いでそんなことを言われたりすることはあったが、全て酒の席の話と流していた。それが一番良いと思っていた。
だが真っ昼間から神社にやって来てそういうそぶりをされると霊夢も困ってしまう。つい「ねえ、あんたってわたしのことどう思ってんの」と聞いてしまったのが年貢の納め時だった。「私は霊夢のこと好きよ。もし霊夢がいいのなら、ね」と言われては霊夢としても何か返事をしなければならない。
紫は返答を急がなかった。もとより生きる時間が違う存在だ。特にそういうことは気にしないのだろう。だから彼女もだらだらと、中途半端な関係を続けていた。もう周りの連中にも関係が知れ渡り、とっくに体も重ねているのに、あの言葉の返事だけをひたすら先延ばしにするのは我ながらおかしいとは思っていたが、それでも彼女は覚悟を決められなかった。

彼女は博麗の巫女なのだ。そういうことを普段やる気の欠片も見せない彼女が言うと皆笑うのだが、彼女はやはり自分は博麗の巫女だと思っていた。巫女としてどうあるべきか、それはもはや無意識に刷り込まれたことなのだ。以前そんなことを地底から遊びに来た覚妖怪の妹に言ったらただにこにこ笑うだけだったが、本人としては真剣にそういうものだと思っている。だから踏み出せない、霊夢はどうしようもなく紫のことが好きなのに。

ひとりきりの神社でとりとめもなくそんなことを考えていた霊夢は、ふと物音を聞きつける。反射的に立ち上がった。見た目はぶっきらぼうに、心は目一杯そわそわして。

「誰?」
「あ、いたいた。」

霊夢はがっかりする。それはやる気のない面立ちを一層暗くした。縁側に立つ姫海棠はたてはそれを気に掛けることなく、ただ命じられた任務を遂行する。

「これ大天狗長様から。貴方宛に緊急の書簡だそうよ。」

霊夢は蛇腹に折りたたまれた書簡に目を通す。能面のようだった彼女の顔に、みるみる動揺の色が広がった。

「これ……嘘でしょ?」
「さあ。私は中身を読んでないわ。じゃあね。」

無機質な言葉で話を打ち切ると、はたてはせわしなく飛び立っていった。

書簡をもつ霊夢の手が震える。何度読んでもその内容は変わらなかった。

「紫が……里で人を襲ってるなんて……そんな……」





 ■ ■ ■





「さあ、本日のカミオロシの儀に名乗り出て下さったのは、付喪神である多々良小傘であります。」

名前を呼ばれた多々良小傘は全裸のまま祭壇に転がされていた。

「ゃ……これなに……やだ、こわいよ……」

「打ち捨てられた傘の念が怨みを持ち、彼女は付喪神となりました。即ちこれは神と妖怪を跨ぐ存在であります。これを喰らえばあなた方はより一層神に近づくこととなるでしょう!」

もうお題目などどうでもよかったのかもしれない。人間共は既に小傘に群がっていた。

「やだ! やめっ、いたいっ、いたいぃたいよぅっ!! ごめんなさい、いたずらしてごめんなさい……だからゆるしひぎぃ!!」

その悲鳴すら喰らうように小傘の幼い体に彼らはむしゃぶりついた。小便を漏らしながら、哀れな化け傘はただただ許しを乞う。

「あぎゃぁ゛ぁぁ!! ごめ……ごめひあ゛あ゛あ゛ぁぁぁ、いぎぃ、ひぃっ……ごめん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛



そこでまた目が覚めた。

分寺の天井が寅丸星を迎える。額を流れる汗、高鳴る動悸。どこか運動してきた後のようなその体は紛れもなく寝起きのそれであった。もうそれは悪夢ではない。先日見た光景のフラッシュバックが悪夢だというのなら、今布団から飛び起きて見ている光景もまた悪夢ということになってしまうではないか。

「ひひひ、お目覚めかい。」

足下にいたのは同居するナズーリンではなかった。あぐらを掻いて頬杖をついていた封獣ぬえは、気味の悪い嗤い声で星の目覚めを迎える。

「ぬえ、どうして貴方がここに。」
「心配だから様子を見に来てやったのさ。ムラサと一緒にね。」

ぬえは視線を台所の方へ向ける。

「あんたがこっちに移ってから色々心労が溜まってるみたいだって一輪から聞いたみたいでさ。ご飯を作りにきたんだと。良い子だよねぇあの子は、ひひひ。下にいるときからそうだった。」
「それはすみません……」
「でも変わってるよねぇ。あの子も、あんたも、ああ聖もか。」

ぬえは舌をちろりと出す。早朝だというのに彼女はとても愉しそうだった。まるでこれから祭りに行く子供のように。

「みんな誰かのために動く……妖怪ってのは本来もっと自分勝手で他人のことなんかこれっぽちも考えないもんだったんだけどねぇ。一体どこでそんなに人間臭くなっちまったんだか。」
「何が言いたいのですか。」
「別に。ただ感想を述べただけさ。まああんたももうちょっと好き勝手生きた方が良いと思うよ。人生ってのは案外短いんだ。いつ死ぬかわかったもんじゃない。」

軽口を叩いて立ち上がるぬえを、星はきっと睨んでいた。まるで何もかも見透かしたような、それでいて何もかも茶化すような口ぶりに、怒りと疑念がない交ぜとなって胸に押し寄せた。

「おうこわいこわい。じゃあ鴉はかえろ、日がさんべん上る前にかえろ♪ 早く行ってやんないと味噌汁が冷めちまうよ、ひひひ」


「星ー 星あんたまだ寝てんの?」
「ムラサ……あれ、あいつは?」

気付けば星の前にはムラサしかいなかった。お玉片手に割烹着姿の彼女は、意味のわからないことを言う仲間に首をひねる。

「星、あんた本当に大丈夫? やっぱ休んだ方が良いよ。今日ぐらいは私が仕事変わるからさ。」
「……いや、大丈夫だ。少し寝ぼけていただけだよ。ごめん。」
「ねえ星、本当に何か手伝えることあったらなんでも言ってね。私たちは一心同体、仲間なんだから。」

ムラサは心の底から心配そうな顔をして、星の顔を覗き込んだ。ぬえの言ったことは本当なのだろう。星はなぜこの少女から自分が目をそらさずいられるのか、理解できなかった。

「うん……ありがとう。」

ムラサは嬉しそうに頷くと、掛け布団を引っ剥がして寝ている星を引っ張り上げた。しばし沈黙していた星が声を絞り出したのは、丁度その時である。


「ムラサ、実は今度一つ頼みたい仕事があるんだ。」



 
ゲロ娘お疲れ様でした。皆様の作品楽しく読ませていただいたにもかかわらずコメントできておらず申し訳ありません。

前書きにもありましたように長手物です。いろいろ矛盾点とか出てきそうで今から怖いですが、生暖かく見守ってくださるとうれしいです。話の関係上あまり間を置かず投稿できるようにしたいと思います。
んh
作品情報
作品集:
24
投稿日時:
2011/02/24 00:09:38
更新日時:
2011/02/27 19:40:57
分類
はたて
命蓮寺
大体全員+オリキャラ(の予定)
1. NutsIn先任曹長 ■2011/02/24 01:29:39
ぼちぼちひとっ風呂浴びて寝ようかな〜、と思いつつ読んでしまったのが運の尽き。

これは幻想郷の根幹に関わる話なのかな?
幻想郷のパワーバランス。
愛憎劇。
本音と建前。
邪教騒動など、それを分かりやすく表現したに過ぎないような気が。
ブン屋連中など、所詮捨て駒のようですね。

しかし、こりゃ、どんどんのめり込みますね、この話。続きが楽しみです。

でも、最後にはこの言葉で締めくくられる事を願います。

幻想郷は、今日も平和です。
2. 名無し ■2011/02/24 11:54:56
カミオロシの儀エロすぎ
食われる女の子は何故こうもエロいのか・・・・・・
3. 名無し ■2011/03/03 20:55:56
産廃では珍しいくらい友達思いで良い子な文だったのに…
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