幻想郷讃歌 第二話

作品集: 24 投稿日時: 2011/02/25 22:51:15 更新日時: 2011/02/27 19:41:47
 
 






――そうねぇ……私に足りないものは……敵、かしら? みんなに愛され過ぎてもねぇ。
                       「東方萃夢想:八雲紫」









八雲紫は玄関の戸を引いた。いつもは玄関から家を出るなんてまどろっこしいことはしないはずだが、今日は違った。おそらく気紛れだろう。

「藍、行くわよ。」

自分のすぐ後ろにいない式へ、紫は少しだけ不機嫌そうに言葉を投げた。別にそんなに急いでるわけではない。ただ自分の思い通りに事が進まないのがあまり好きではない、それだけだ。

「申し訳ありません。」

八雲藍は主人へ頭を下げた。そこに苛立ちに対する恐縮というものはない。自然に体が動いた、そんな態度だった。二人はもう長いつきあいである。
紫は一つ息を吐く。気紛れついでに飛んでいこうかと思ったが、やはり里は遠い。時間の無駄遣いもまた、彼女の好みではない。
手にしていた扇子を振り上げる。鈍い亀裂音とともに空間が割れた。

「ああめんどくさい。なんで私が出向かなくてはならないのかしら。」
「仕方ありませんよ紫様。さあ、手早く済ませてしまいましょう。」

不満げな顔を後ろの藍に向けて、紫は空間の裂け目の中に潜っていった。





 ■ ■ ■





「ちぃーす香霖」

香霖堂のドアが開いて、霧雨魔理沙の笑顔が出てきた。店主の森近霖之助に朝飯でもたかろうと思って満面の営業スマイルをした彼女だったが、むさ苦しい顔の横に珍しいものがあるのを見て、作戦の変更を余儀なくされる。

「客か。こりゃ今夜は地震雷火事親父が降るな。」

店主の横で腕を組んで考え事をしていた雲居一輪は、挨拶もそこそこに魔理沙に声を掛ける。

「あら魔理沙。一つ聞きたいんだけど、ムラサ見なかった?」
「ん、船長さんか。知らんぜ。というかここ数日実験続きで外に出ていない。」
「そう……うーん」

一輪は頭巾を外して髪をかき上げる。その険しい顔は魔理沙の興味を引くに十分だった。

「困ったときは霧雨魔法店、これ幻想郷の常識だぜ。」
「当てにならないからやめといた方がいいよ。」
「自分が商売あがったりだからって営業妨害とは見損なったぜ、香霖。」

おどけた顔をする霖之助に魔理沙は舌を突き出した。そのやり取りには興味なかったが、一輪は誰にというわけでもなく喋りだした。

「一昨日分寺に行ってから帰ってこないのよ。星は帰ったって言ってるんだけどその後の足取りがわからなくて。ぬえもどっか行ったまま帰ってこないし。」
「よしわかった。駆け落ちだ。」

手をポンと叩いて、魔理沙は自信満々に言った。やはり当てになりそうにない。一輪は自分の気紛れと無駄にした時間を悔いた。

「もういいわ。じゃあね」

一輪は手だけ振って彼女は香霖堂を後にする。二人も手だけ振ってそれに返した。

「全くあいつらは忙しないぜ。」
「君も十分忙しなく生きてるよ。ところで今日は何の用だい、魔理沙。」

最低限店主としての役割を果たそうとする霖之助に、魔理沙は飯確保のためのルートを逆算する。

「ああ、この間の機械を取りにきたんだ。あれどこだ?」
「それならそこの棚に入ってるから勝手に持っていけばいいさ。確かに面白い機械だったが、あれはこの間故障したんだよ。」

霖之助は部屋の隅の棚を指差した。魔理沙もただ聞いただけで場所は最初から知っていたのだろう、顔は無愛想な店主に向けたまま胸を張って疑問に答える。

「河童に頼んだら使えるようにしてくれるとよ。私は顔が広いんだ。」
「皮も厚いがね。」
「お前には言われたくないぜ。ところで香霖、お前腹減ってないか?」

それが目的かと、霖之助は心の中で呟く。

「二人分作るほど減ってはいないかな。」
「香霖、お前は本当に商売下手だな。こういう時はセット販売が基本だろう。」

魔理沙の軽口につきあうこともなく、彼は台帳を取り出してパラパラとめくる。

「霊夢のところにでも行ってくればいいじゃないか。」
「さすがに新婚さんの家に朝飯を食いに行くのは忍びないものがあるだろう。」
「霊夢は結局受けたのかい? あの話。」
「あの様子だとまだだな。全くあいつもどうでもいいこと気にしすぎだぜ。姓なんて飾りなんだ。変えたきゃ変えればいいんだよ。」

パチパチと、そろばんの音が響く。この間拾った電卓より使い慣れたこちらの方が手になじむようだ。

「――君は変えないのかい?」
「私は私だ。そんなもの気にするほど暇じゃないぜ。」

また強がりだと、霖之助は心の中で呟いた。
魔理沙は姓で呼ばれることをひどく嫌う。白黒だの泥棒ネズミだの野良魔法使いだの呼ばれようと笑っているのに。
以前守矢の巫女がこちらに来たばかりの時、しどろもどろした口調で彼女のことを「霧雨さん」と呼んだことがあったらしい。喧嘩にはならなかったが一瞬ひどく険悪な雰囲気にはなったそうだ。その場は周りにいた連中のとっさのフォローでどうにかしたらしいが、そのくらい魔理沙とつきあいが長い人妖にとってそれは周知のことなのだ。

強がる魔理沙を見るとどうも調子が狂ってしまうらしい。霖之助は台帳から顔を上げた。

「まあ二人分ぐらいならいいだろう。昨日の残りだが、食べていくかい?」
「さすが香霖は商売上手だな。さっそく頂くぜ。」

先ほどと真逆のことを言う魔理沙にまた首をすくめる。

「やいこーりん、って魔理沙か。」
「三人目の客とは、今晩は間違いなくゲリラ台風だな。またあの天人がなんか企んでるんじゃないか?」

一輪とほぼ入れ替わりで香霖堂のドアを開いたのはチルノだった。魔理沙は血気盛んな顔をした氷精に、かぶっていた大きな黒い三角帽を被せてからかう。

「みーえーなーいー」
「すまないが魔理沙、これから飯の支度にいくから、二人で遊んでてくれるかな。」
「香霖、お前私に妖精のお守りやれってのか。」
「そういうのは得意だろう。それにお守りは僕もしょっちゅうやってるよ。僕は魔理沙の保護者みたいなもんだしね。」

霖之助はそれだけ言い残して逃げるように台所へ向かっていった。小ばかにされて渋い顔をしていた魔理沙は、チルノから帽子を取ってとりあえず訊いてみる。

「なんか用か?」
「宴会やろうと思ってさ、酒を盗みに来た。」
「馬鹿に用事を聞いた私が馬鹿だったぜ。」

誰かさんのような正々堂々とした泥棒宣言に魔理沙も首をすくめる。

「あたいが最強の宴会を開いて人間共をぎゃふんと言わせてやるんだ。」
「馬鹿に幹事は無理だ。あきらめろ。」
「しょうがないだろ。最近全然宴会やんないじゃん」

適当にあしらっていた魔理沙は最後の言葉にはっとさせられた。確かに最近なかなか都合が合わず宴会をやっていない。

「ふむ……そういやそうだな。よし、今度一丁パーッとやるか。まかしときな。」
「本当! やった。絶対約束だからな。」

チルノは飛び上がって喜んだ。もうここに来た目的も覚えていないだろう。妖精なんてそんなものである。





 ■ ■ ■





音もなく襖が開く。
部屋に入った八雲紫と八雲藍を迎えたのは、霧雨商店の店主と天魔を筆頭とする天狗の一団だった。

「これは八雲様、わざわざお呼び立てして大変申し訳ない。」
「構いませんわ。こちらからお願いしたことですもの。」

野太い声とともに大天狗長と霧雨翁が立ち上がって紫を出迎える。大柄な二人は彼女を挟み込むように席へ誘導した。ともに皺を刻んだ初老の見た目であったが、精悍さは失われることない。むしろその歳月が彼らに威厳を付与していた。

「あら上座なの? 天魔様、よろしいのかしら。」
「もちろんですとも。こちらからお呼び立てしたのですから。」

紫の言葉に品よく微笑んだのは、天狗の長、天魔だった。天魔は人間風に言えば王族に当たる。彼らは生まれながらにして天狗の長なのだ。その血に由来する佇まいは大天狗長の力強さとは異なる存在感を持っていた。白く輝く細面にのせた薄い紅の唇を緩ませて、天魔は紫に上座への着席を促した。

「それで、命蓮寺に関する報告書は?」
「こちらになります。」

天魔の向こうにいた恰幅のいい男が紫に分厚い書類を渡す。大きな鼻の中に埋もれた瞳には知性が宿っているようだった。彼は鼻高天狗の長である。
かつて鬼が山を支配していた頃、その直属の兵隊であった者が大天狗となった一方で、事務を担当する鼻高天狗は知識階層の出身が多かった。つまり先ほどの天魔の喩えで言えば大天狗は旧軍人であり、鼻高天狗が文官、官僚に当たる。
王の左右に軍方と官僚方のトップが並び、その後ろ、そしておそらく襖の向こうにも天狗の精鋭が護衛としてついている。それはこうした会合に慣れている藍でさえも一瞬たじろぐほどの大編成だった。

「ふむ……特に問題なしと。これなら委員への推薦も問題なさそうね。」
「八雲様が推薦人になって下さいますか?」
「構いません。役立たずの天人を委員から追い出せるんなら喜んでやりますわ。」

紫の了承とともに霧雨翁は手を叩く。それを待っていたかのように、たちまち彼らの前に膳が運ばれてきた。
ここは里にある料亭、トップクラスの妖怪による重要な会合が頻繁に催される場所である。里において妖怪の狼藉は禁じられていることが、この場所に中立地帯としての意味合いを持たせている。
本日の会食の目的は、命蓮寺の身辺調査に関する報告だった。先日の枢密院で聖白蓮の委員入りが議題となった際に、議長である紫は人里側から例の噂を聞かされた。そこで念のためと山の代表である天狗側に調査を依頼していたのだ。

「里長は今日いらっしゃらないの?」

酌をする霧雨翁に、紫は尋ねる。

「ご無礼を申し訳ありません。本日は無理を言って私に変わってもらったのです。」
「なぜ?」
「例の噂を小耳に挟み里長の方に報告したのが私だったからです。真偽を確認しておきたいと考えまして。」
「なるほど。結局噂の出所というのは?」
「うちの傘下の店でそういう話を聞いたという者が居りまして。一つ二つなら酔っぱらいの戯れ言と済まされましょうが、いくつか似たようなものがあり、念のためと。」
「噂なんてそんなものね。」

愛想笑いだけ返して、紫は焼き物に手をつける。それは獣肉の味噌焼きだった。

「……これは?」
「さすが八雲様、舌が肥えていらっしゃる。如何ですか?」
「里でこの肉を供するとは変わった趣向ね。」

若干皮肉が混じった主人の言葉に、藍も慌てて箸を付ける。それは妖怪の食べ物だった。大天狗長は説明を続ける。

「いつも同じものでは、と思いまして特別に山から運ばせました。」
「人妖の垣根が消えつつあるといっても、里で人肉とは。人間は怖いわね。」

そう言いながら紫はちらりと霧雨翁へ視線を遣る。

「確かに妖怪の客向けに人肉を出す店もあると聞きますが、我々はやっていませんよ。それに私のは猪です。」

天狗の頭領と妖怪の賢者の前で、彼は一つも臆することなく同じ皿を口に運んだ。

「……私も次からは猪を願いたいわ。」
「そうですか、もう一つ趣向を用意していたのですが。」

大天狗長は手を叩く。襖が音もなく開いた。


「八雲紫様、大妖怪八雲紫様が私の右腕を食べて下さっている!!!」

襖の向こうから跳ね出したのは、粗末な肌襦袢一枚で髪を振り乱す一人の女だった。両の腕がないその女は涙を流して歓喜にくれている。

紫と藍の箸が止まった。

「紫様、どうかお願いです。私を、私をもっと喰らって下さい。私を貴方の一部にして下さい。お願いしますううぅぅぅ!!」

並ぶ膳を蹴散らして、その人間の女は狂った声を上げながら紫の元へ這いずってきた。場違い極める光景に紫は思わず飛び退く。

「お願いしますっ!! どうかわたくしめを紫様の一部に、妖怪様の一部にして下さい、どうかお願いですっ、おねがいおねがいですよおぉぉぉ!」

尚も紫にすがりつこうとする女を、式である藍は本能的に振り払った。脆い人間は喜びにも似た奇声を上げて首から先だけ吹き飛んだ。この行為が意味することに藍が気付き、紫が悔いる前に、控えていた天狗の精鋭達が二人を押さえ込みにかかった。
しかし相手は八雲紫と八雲藍だ。最初に迫った天狗をスキマが真っ二つにし、続いて迫る天狗の喉笛を藍がかっ切る。だがここは周到に練り上げられた天狗の城だった。裏手に潜んでいた天狗が藍に水を掛ける。式が剥がれ一種乱れた連携の隙をついて、数の力で二人を組み落とす。
続けざまに奥にいた天狗が仕込んでいた結界を展開した。入念に準備されたそれは紫をしても解呪にいくらかの時間を要するものであった。


「貴様らどういうつもりだ!?」

畳に響く紫の怒号。大天狗長は涼しい顔を向ける。

「例えば、こういう筋書きはどうでしょう――里にある命蓮寺の分寺では秘かに邪教が信仰されており、その黒幕は八雲紫、貴方だった。貴方は我々天狗をこの会合に招待し、我々、さらには人間である霧雨氏にまでその狂信者の肉を喰わせ、あろう事かその信者の踊り食いまで強要した。我々がそれを断り、あわれな信者も食べられたくないと泣いて命乞いした。それに怒ったあなた方はその人間を殺し、抵抗する天狗までをも手に掛けた。」
「下らない。そんな戯れ言誰が信じる。」
「烏天狗は下らないゴシップばかり書いていると思われているかもしれませんが、うちにも優秀なジャーナリストはいるのです。我々が考えたシナリオに沿って事実を読み解き、大衆の心を打つような紙面へと構成する優秀な"ジャーナリスト"がね。」

紫が襖の先を見ると、数名の烏天狗がいた。大がかりな機材は今までのやり取りを克明に記録するに十分に見えた。

「天狗の能書きを真に受ける妖怪なんて幻想郷にはいないわね。」
「八雲紫の言葉は真実であり、天狗の言葉はまやかしである――そう考える者しか幻想郷にいないと思われているなら、それは傲慢でしょう。幻想郷は全てを受け入れると言ったのは貴方だ。貴方を嫌う者もまたここには大勢いるのですよ。」

大天狗長との応酬の最中も、紫は結界の解呪を続けていた。もう間もなく解ける――時間を稼ごうとする彼女へ彼は居丈高に言葉を投げた。

「まあ確かに目撃者は天狗、捜査も天狗では客観性に欠けると言われても仕方ないかもしれません。ですからここは第三者の客観的な判断を仰ぎましょうか。」




「なに、今の音はなに!?」

廊下を駆ける音に続いて襖をはね開けたのは、博麗霊夢だった。場違いな人物の登場に、解呪の法を唱える紫の口も止まってしまった。

「ゆ……紫。うそ、あんた……」
「霊……夢? ダメよ、早く逃げなさい!」
「博麗の巫女、助かりました。やはり先日貴方様へ送った書簡の通り、八雲紫はよからぬ事を企んでいたようです。今我々にあの人間を無理矢理喰わせようとしたので、必死に抵抗し取り押さえたところです。」
「霊夢、嘘よっ!! こいつら私をはめようと!!」
「博麗の巫女様、八雲殿はこうやって長年、里で傍若無人な振る舞いをしていたのです。人と妖の融和を目指すといいながら、守られるだけの我々にむごい仕打ちを……どうかお助け下さい、博麗の巫女様。」
「さっきからでまかせばかり……霊夢、早く逃げてっ」

跪いて懇願する霧雨翁を置いて、霊夢は紫の言葉に逆らってよろよろと歩を進めた。

「――紫、あんたもやっぱり…………なの?」
「霊夢、なに言ってるの!?」
「博麗の巫女、とりあえず身柄だけでも確保したしましょう。八雲紫程の実力者となれば、事実はどうあれ精査せねばなりません。ここで逃がせば、事の真偽を見定めることすらできない。この部屋の状況を見て下さい。今ここで八雲を自由にするのは危険です。」
「ダメよ霊夢、そんな目をしてはダメ。お願い信じて。私を、あの日の言葉をっ!」
「お願いです巫女様、どうか博麗としての務めを果たして下さい。人を襲う妖怪を退治して下さい。」


真っ二つに引きちぎられそうな霊夢はそれ以上なにも言うことなく、ただ静かに、機械的に腕を掲げて夥しいほどの符を展開した。





 ■ ■ ■





とんとん、とん。軽やかな響きが廊下の板を叩く。ほんの少しの間を置いて襖を引いた。

「神奈子、用ってなんだい?」

ぴょこりと顔を出した洩矢諏訪子は室内の雰囲気にそれまでの調子を一変させる。険しい顔をして諏訪子の到着を待っていた八坂神奈子と東風谷早苗は、無言で彼女に着席を促す。

「諏訪子、よくない知らせだ。」

神奈子の口調に、諏訪子も帽子を脱いで神妙な顔をする。長年のつきあいだ。顔を見れば話の深刻さぐらいはわかる。

「八雲紫が捕まったそうだ。しかも捕まえたのは天狗らしい。」
「どういうこと?」
「まだ天狗共も伏せているからどういう咎でなのかはわからん。ただ里で紫が何かをやらかしたらしい。里の人間と、博麗の巫女も捕縛に絡んでいると聞く。」
「そりゃまた大事だね。」
「さっき博麗神社まで行って霊夢に話を聞こうかと思ったんですが、どこにも姿がなくて……」

早苗は唇を噛む。諏訪子はその肩をそっと叩いた。

「どうやら奴らは八雲紫の審議を枢密院で内密にすます腹づもりのようだ。」
「またかい。で、神奈子。天狗との会合はいつ?」
「これから天魔と会ってくる。こうなれば枢密院への参席をなんとしてでも実現せねばならない。」
「だめだよ神奈子。」

猛る神奈子を諏訪子はさっと制した。

神奈子の言うとおり、守矢の二柱は枢密院の委員ではなかった。現在山の代表として委員に名を連ねているのは天狗である。外から妖怪の山に越してきた直後、移動の際協力を仰いだ八雲紫から枢密院の存在を聞かされた二柱は、それまで委員を務めていた天狗と山の代表を誰にするかで議論を重ねた。
結局枢密院の委員など山の政治的機能は天狗が保持したままで、守矢は神としてそれを庇護し助力するという形になった。いきなり神として山に居座り、一部から反感を持たれていた守矢が山の政治的実権まで掌握するのは危険だという認識で一致したのだろう。

「確かに非常事態だけど、こういうときに目立つと逆に勘ぐられる。まだ詳しいことは何もわからないんだ。まず連中から話を聞き出さないと。」
「しかし我らの手の届かないところで勝手に事を決められかねんのだぞ。」
「こういうのは表からの一本勝負だけじゃないんだ。この間の護岸工事の義理がこっちにゃある。枢密院内でもお山は一角に過ぎないんだ。方々から圧力を掛ければ、天狗だって無茶はできない。」
「そうか……」

眉間にシワを寄せる神奈子を、諏訪子が諭す。神奈子がこういう顔をするときはいつも焦って冷静さを失っているときだった。そしてそれを抑えるのが諏訪子の役割である。
神奈子は昔からこういう政(まつりごと)が得意ではなかった。民の前に直接立ち、その圧倒的な指導力で彼らを奮い立たせ先導するのは誰よりも得意であった。しかし折衝の場であれこれ知略を駆使するとなると駄目なのだ。そういうのは諏訪子の方がずっと得意としていたし、手慣れていた。だから二人はそれぞれの持ち味を生かして協力してこられたし、息もあったのかもしれない。

「大天狗や河童には私からも裏で釘は刺しておく。神奈子だって知ってるだろう? 天魔は飾りだ。あそこらへんを抑えておけばどうとでもなるよ。だから神奈子は堂々と、こっちの言い分を主張すればいい。」
「……ああ、いつもすまないな諏訪子。」

神奈子は苦しげな顔をして頷いた。間欠泉騒動の時などはすれ違いがあったものの、神奈子は基本的に紫のやり方に賛同していた。妖怪と人間が自由に往来する雰囲気は神としてよいものだと思っていた。むしろ同盟関係にあるはずの天狗の閉鎖性の方が、神奈子からすれば好みではなかった。

「わかった。じゃあ私はこれから天魔に会いに行こう。」
「私は知り合いの烏天狗さんに話をきいてきます。文さんなら何か知っているかも。」
「無理しちゃダメだよ早苗。私も後で天狗のところへ行くからさ。」




忙しなく部屋を後にする二人を見送って、諏訪子は部屋を出た。先ほどまで脱いでいた帽子をかぶり直すと、誰もいない廊下を伝って玄関へ向かう。一歩一歩、まるで泥の中を進むように重く湿った音を立てて。

「やっぱり来たのね。」

玄関先に立っていたのは、予想通りの来客だった。諏訪子は彼女にぴょこりと会釈する。どこかふざけたようなその出迎えに、彼女は苛立たしげな顔を向けた。

「そんな顔をしなさんなって。さあ、行きましょう。」





 ■ ■ ■





また嫌な夢を見た。


どうやら居眠りをしてしまったらしかった。これから忙しくなるというのに全くだらしない、彼女は自戒する。居眠りなど他愛のないことだったかもしれないが、彼女にとって他愛のないことなどなかった。そんな生温い考えに浸るゆとりなど一度としてなかった。

夢で見たのは小さい頃の自分だった。
違いに気付いたのは五つの頃だった。満月を見ると無性にそわそわして暴れてしまうのだ。自分が自分でなくなるようだった。七つになる前に角が生えだして、彼女はその違和感の意味を理解した。
それから先のことはあまり覚えてない。思い出したくもなかった。まだ人と妖が憎みあい、畏れあっていた時代だ。人里でまともな扱いを受けるはずもなかった。両親のことも覚えていない。それ以来まともに彼女の顔など見てくれなかったのだから。
彼女にとってただ一つ幸運だったのは、自分が堕した白沢というモノが、一部の人間にとって重宝がられる存在だったということだ。しばらくして陰気で不快な顔をした老人共がまだ幼い彼女を連れて行った。両親とはそれが最後の別れだったが、どんな別れだったかも覚えていない。ただ薄気味悪い連中だけが自分のことを必要としてくれた、自分を化け物としてではなく仲間として受け入れてくれた、それだけで胸がいっぱいだった。
そこから先は勉学に励んだ。ひたすら書物を読んだ。それだけが彼女に安寧をもたらした。相変わらず白い目を向けられたが、権力者を正道へと導く存在として数百年施政者の小間使いをするうちに、彼らの目も変わってきた。便利な駒としてみられているだけだとわかっていても、自分が彼らに必要とされていること、自分を人間の仲間として扱ってくれること、それは何事にも代え難い喜びだった。



「慧音さん、慧音さん! いらっしゃいますか?」

上白沢慧音の家に駆け込んできたのは稗田阿求と里長だった。小柄な阿求とそう変わらない背丈の里長は、いつもの人の良さそうな顔ではなく、えらく切羽詰まった顔をしていた。そしてそれは一緒にいる阿求も同じだった。

「内々に入ってきた情報なのですが、大変まずいことになりました。八雲様が博麗に捕縛されたらしいのです。」
「それは随分な話だな。なんの嫌疑で?」

つむっていた目を開いて二人の前に向き直った慧音は、動転する二人とは対照的に、落ち着き払った調子で尋ねた。

「どうやら里での会合中に霧雨と天狗達の前で人を喰って天狗を殺したらしいのです。妙な話ではありませんか?」
「その話だけではどうとも言えないだろう。霧雨殿は今どこに?」
「それが行方をくらませているようで。あの男、何かよからぬ企てを考えている予感がするのです。天狗と一緒というのはあまりにも出来過ぎていませんか。」
「ふむ……」

霧雨商店が裏で多くの妖怪と、特に山の天狗と取引をしているというのは里の有力者の間で以前から噂されていたことだった。霧雨商店はありとあらゆる品を商いの対象としているにもかかわらず、魔具などの人外向けの道具は扱わなかったし、また里の他の店にも扱わないように呼びかけていた。だからそうした品は大抵裏で流れるのだが、それを操っているのが霧雨商店それ自身である、そういう噂が絶えなかった。

「それは例の邪教が関わっているのではないか?」
「その噂をわしに言ってきたのもあの男じゃよ。山の方も烏天狗あたりを命蓮寺に行かせて里の動向を探っていたらしいが、あの話自体が罠を張るための伏線だったとしか思えんのじゃ。」

里長は息をきらさんばかりにまくし立てた。彼や阿求がこんなにも動揺しているのは、彼らが八雲紫と昵懇の仲だからだ。幻想郷縁起の編纂を稗田家に任せようと最初に言い出したのは紫であったと、慧音は以前読んだことがある。縁起も常に紫の検閲を受けていると聞く。あれはそういう書物なのだ。
里長が今の地位にいられるのも紫の後ろ盾があるからだ。スペルカードルールが考案され、妖怪と人間の急激な歩み寄りが進んだのは彼が里長となってからだ。両名の深い関係もまた、知っている人とっては周知のことだった。

「私の所にも天狗が先日押し掛けてきまして。例の邪教の話でカマを掛けてはみたのですが……」
「稗田殿のところにもか。確かにできすぎた話ではあるな。それで八雲の処遇は?」
「まだです。しかしどうやら天狗はそれを枢密院に諮る腹づもりのようです。」

慧音は合点したように小さく微笑む。

「なるほど、それで里の代表である私のところに来たということか。承知した。西行寺は問題ないだろうが、永遠亭には話をつけておこう。閻魔は別として、残るは紅魔館か。」
「そこで相談があります。八雲様の代理として、博麗を入れるように調整できませんでしょうか。」

阿求の提案に、慧音は表情を曇らせる。

「博麗の巫女……? 確かに代理としては適任かもしれぬが、彼女は八雲を捕縛した張本人だろう? 彼女に票を持たせてよいのか。」
「博麗が八雲様とただならぬ関係なのは慧音さんもご存じでしょう。そこから揺さぶれば、あれは必ずこちらにつきます。事実先ほど軽くほのめかしてみたところ乗り気のようでしたから。」

鈍い笑みを浮かべて、阿求は慧音に耳打ちする。もう一度深く眼を瞑った里の守護者は、もったいぶるように時間を掛けてその提案を思案する。
ずいぶんと長い時間だった。阿求の唾は渇き、里長の汗は滝のようだった。ようやく慧音は眼を開いた。

「わかった、善処しよう。ただ少し時間をくれ。他の委員とも相談したい。」
「よろしくお願いします。博麗を使えば四票。過半数はとれましょう。」

慧音の返答を聞いた阿求と里長は、もう一度深々と礼をして帰っていった。誰もいなくなった部屋の中で、慧音は肺の中の空気を全て入れ換えるような深い溜息をつく。


「ふぅ……ようやく帰ったか、まったく。まあいい、妖に寄生するウジ虫共と話すのもこれで最後だと思えば気も安らぐ。」





 ■ ■ ■





部屋の空気は最悪だった。

あの日以来二重スパイをしている姫海棠はたてから「八雲紫逮捕」の話を聞いた寅丸星は、腰を抜かしてしまった。
別段星に紫とのつきあいはない。ただ逮捕の理由が、里の人間を天狗や人間に喰わせようとした、そう聞いたからである。それは紛れもなく自分たちがやってきたことであった。どれだけ理屈を捏ねようとも、要するにそういうことだ。
紫の件はまだ表沙汰にはなっていないとはいえ、もし捜査が本格化すれば自分たちの首も無事ではすむまい。なんせこちらは天狗を喰い殺しているのだから。

「どうするのよ!!」

山の麓にひっそりと立つ小屋の中を、秋静葉は苛立たしげに往復していた。部屋の真ん中で座る寅丸星はそれに答えない。まるで消えてなくなってしまうのではないかというほど小さくなった彼女は、問いへの答えなど持ち合わせていなかった。

「落ち着きたまえ。もうすぐ彼女が来る。きっとなんとかしてくれるさ。」

ナズーリンは随分と軽薄な調子で主人の代わりに静葉へ答える。重苦しい部屋の空気を拒絶するかのように扉のそばに立つ賢将を、静葉は思い切り睨みつけた。ナズーリンはそれを気にするそぶりもなく扉を開ける。

「そんなにカリカリしたところで何か変わるわけでもあるまい。茶でも淹れてこよう。少し気も和らぐ。」

ナズーリンが部屋を出ると、部屋に残ったのは静葉の足音だけだった。湯の沸く音が扉の向こうから微かに届く。しばらくして戻ってきたナズーリンは、二人に湯呑みを差し出した。茶を啜る音だけが、部屋に響く。

そこに別の音が混じったのは、茶がぬるくなった頃だった。三人は思わず顔を上げる。古い小屋の床板を叩く軽やかな音が、扉の前で止まった。部屋の視線の全てがその扉に注がれる。

「お待たせしたわね。」

入ってきたのは二人だった。星は立ち上がろうとした。聞きたいことが山ほどあった。が、できなかった。
無音だった部屋に鈍い音が、二つ、響く。床に崩れ落ちた星が首を横に向けると、同じように椅子から立ち上がろうとして足をもつらせた静葉がいた。

「王なんてのを長いことやってるとね、否が応でも毒に詳しくなるのよ。飲まされるわけにもいかないし飲ませたい奴は山ほどいる。それいいでしょう? 毒ガエルから作った痺れ薬。種族関係なく効くの。平等に。」

彼女と一緒に部屋に入った姫海棠はたては、突っ伏す二人を無機質なしぐさでにカメラへ収めていた。星は砂を噛みながら目の前にそびえる少女を睨む。

「す、わ……こぉ……」

洩矢諏訪子はそれに答えることなく、まず静葉の元へ向かった。同じようにあらん限りの憎悪を込めて睨みつけていた静葉の眼前にしゃがみ込んだ諏訪子は、慈愛に満ちた声色で彼女をねぎらった。

「今までご苦労様。貴方の願いを叶えないとね。もっと神格を上げて、妹さんを倒したかったよね。忌々しい、生意気な、でも自分より信仰されている妹を。」

声も出せぬ静葉の前に、諏訪子は白い大蛇を召還した。ちろりと出した舌の先は哀れな落葉の神を確かに捉えていた。

「だから、貴方はミジャグジの一柱にしてあげる。光栄でしょう? だから心から憎んで、怨んで? 妹を、私を、そしてこんな事に至った自分の愚かさを。憎悪で一杯に腹を満たせばきっと貴方は素晴らしい祟り神になれるから。」

大蛇がゆっくりと静葉にからみつく。悲鳴がなくとも十分だった。その顔には絶望、怨嗟、憤怒、あらゆる負の感情があった。大蛇は先ほどよりゆっくりと動き、静葉をじわり、じわりと締め上げていく。やはり悲鳴はない。肉と骨が軋み、砕けていく音だけがそこにあった。

「そう、絶望して。貴方が吸った血が臓腑の底で絶望と混じり合い、貴方は立派な祟り神となるの。怒りが、哀しみが、血や肉となって貴方を肥え太らせる。それは我々にとって最高のご馳走なのよ。貴方が今までやってきた事と同じ。」

柔らかく引き延ばされた静葉の頭を、ぽっかり開いた大蛇の口がくわえ込む。それは先ほどよりもさらにゆっくりと蠕動し、少しずつ腹の中に収められていった。

神による神殺しの間、声の出せない星はずっと自分の部下に視線だけで助けを求めていた。ずっと壁にもたれかかっていたナズーリンはそれに気付いていたが、応じることはなかった。彼女もまた穏やかな笑みだけを這いつくばった主人へ返していた。
静葉の膝が大蛇の喉を通った頃、ナズーリンはようやく主人の元へ歩み寄る。諏訪子もそれに気付き、改めて星の元へ踵を返した。

「すまないねご主人。ネズミは力に従順なんだよ。毘沙門天と土着神の王では、残念ながら後者の方が強い。」
「そういうことらしいわ。でも楽しかったでしょう? あの教典を引っ張り出したのは二百年ぶりぐらいだったけど、結構貴方の考えとマッチしてたものね。あれって大体数百年おきに使えるのよ。いつの世でも崇め奉られたいバカは出てくるってことかしらねえ。」
「ぐ……ご、の……」
「安心して。貴方の願いもちゃんと叶える。こういう筋書きになるの。枢密院の存在を知った聖白蓮は浅ましくも委員の椅子を欲し、里で秘かに人間を襲い喰っていた八雲紫に推薦を求めた。その見返りとして彼女は里に分寺を建立し、自分に忠実な寅丸星を使って人食いカルトをやらせていた。よって聖白蓮は死刑。どう? 貴方は師を殺すことで師を超えることができた。もう聖白蓮への劣等感や無力感に苛まれることはない。めでたしめでたしでしょう。」
「ふざ……タタ……ガミ……」
「仏教徒は信仰について勉強不足ねえ。いい、神はね、信仰するものが求める様にその姿、力を変えるの。西に豊穣を願うものがあれば、農耕神として慈雨と豊かな大地を与える。東に戦の勝利を願うものがあれば、軍神として鉄の輪で敵を蹂躙する。そして、恨み、妬み、呪いを願う者があれば、祟り神として永遠の苦しみを振りまく。それだけよ。別に私は祟り神なわけじゃない。人妖が負の情念でもって私にすり寄るから、私は祟り神になってしまっただけなの。それが神であり、信仰というものよ。」

帽子とあわせて四つの眼が、星を嘲笑う。信者からたっぷりと怨念を吸い取った諏訪子は満足そうに立ち上がった。

「まあいいわ。もう思想の時間は終わり。これからはお祭りの時間よ。だから下らない問答もこれきりとしましょう。ああそう、本当は貴方も喰ってあげたいんだけど、貴方は里での凶行を自白した主犯格として、里の前で晒し首になってもらわないといけないのよ。だからごめんなさいね。」
「だそうだ寅丸君。では腹を切りにいこうか。」

ナズーリンは星の髪を掴み上げて隣の部屋に引きずっていった。最後まで怒りに震えた眼をしていた星の視線は、ドアを閉めると同時に部屋から消えた。

「これで一段落と。はたて、素敵な写真とれた?」
「はい、洩矢様。」

お囃子にあわせて踊る子供のように部屋をはね回る諏訪子に、はたては深々と頭を下げた。

「今話した通りに書けば幻想郷全土を揺るがすスクープ間違いなしでしょうね。ふふっ」
「はい、書かせて頂きます。このような機会を与えてくださり、本当に有難うございます。」

再び敬礼するはたての前に、諏訪子はピョンと飛び降りた。

「はたては本当にいい子ねぇ。あの時仕事の悩みを聞いてよかったわ。そんな貴方には特別にもう一個いいネタを上げましょう。」



  鮮血が飛び散る



それがはたての体から出ていることに、はたて自身が気付いたのは、敬礼から頭を上げた直後だった。背中から一突きにされた彼女は、倒れざまに後ろを振り向く。

「も、みじ……?」

真っ赤に染まった剣を振るっていたのは、長いこと姿を見ていなかった、とうに死んだと思っていた犬走椛だった。彼女もまた心の底から満足げに剣を引き抜き、それを倒れたはたての首筋に沿わせる。

「どうしたんですか、そんな顔して? 死んだと思ってました? それとも私の死体が撮れなくて残念ですか? でも安心して下さい。代わりに自分がくたばる写真を撮れますから。」
「ごめんなさいね。さっきのシナリオには天狗の裏切り者も一匹必要なのよ。だから貴方にはその役割をあげる。」

噛みつかんばかりに顔を寄せて耳元で叫ぶ椛と、その上からあでやかに声を投げ落とす諏訪子。そこにもう一人を人物が加わる。

「犬走君、まだ殺してはならんぞ。姫海棠君にも晒し首になってもらわなくてはならんのだからな。」

扉を開けて、大きな体をのぞかせたのは大天狗の長だった。

「大丈夫よ、大天狗。彼女は優秀だからそんなことしないわ。」
「御手を患わせて申し訳ありません洩矢様。首尾は?」
「問題なし。貴方こそ、こんなところに来て大丈夫なの?」
「今は天魔と八坂様の会談で山はてんてこ舞いです。誰も気付きはしません。」

そう、と静かに微笑んだ諏訪子に蹲踞してから、大天狗長ははたての前に立つ。

「礼を言うぞ姫海棠君。君は我々の期待通りに動いてくれた。智慧浅く思いつきで行動し、欲のために同胞を裏切る。抜け目ない射命丸君とわざわざ組ませた甲斐があったというものだ。」

そこに嘲りはなかった。ただ上司として部下の能力を適正に評価した、それだけだった。はたては四肢が千切れんばかりにもがく。それは椛から逃れるためではなかった。その口調が、彼女の自尊心を最大限に侮蔑するものに他ならなかったからである。

「ほら動かないで下さいよ。ずっとこうしたかったです。こうやってあんたら烏天狗を押さえつけて、地べたに這いつくばらせてみたいと、ずっと思ってたんです。あはみっともなく腰振ってもがいて、お似合いですよ。卵産むしか能のない猛禽類は、人前で寝っ転がって盛ってりゃいいんですよ。ああ同胞を売ってまで書いた貴方の報告書、最高でした。便所の掃除ぐらいには使えそうですね。」
「犬走君、それくらいにしてやりたまえ。彼女は大事な証人だ。あまり無理をさせてはいけない。」
「はっ、申し訳ありません。」

椛が発散していた憎悪は大天狗長の言葉によって一瞬でかき消えた。その振る舞いに険しい顔をほんの少し緩めて、彼は椛をねぎらった。

「さて、君は我々天狗の逆賊を取り押さえた英雄になるわけだ。このような大手柄を上げた者にはそれにふさわしい褒賞でもって答えねばならんな。犬走君、後日君にはその武勲にふさわしい位を与えよう。どうかね?」
「はい! ありがとうございます!」

長年の夢が叶ったという顔をして、椛は弾んだ声を上げた。





 ■ ■ ■





命蓮寺の朝は今日も早かった。

もはや誰もいない寺院の本堂に、聖白蓮はいた。彼女はいつも通り早朝の勤行に励んでいた。
その後ろに音もなく人影が近づく。白蓮は振り返ることなく、ただその人影に言葉だけを返した。

「まだ居たのですか一輪。」

雲居一輪は答えない。彼女は白蓮が振り向いてくれるのを待っていた。しかし彼女が期待するような瞬間はいつまでも訪れない。一輪はしびれを切らしたように声を上げた。

「姐さん。先日の問答の続き、教えてくれませんか。妖怪が人を喰うように創ったのは誰か――お願いです。」

それは彼女の切り札だった。白蓮をこちらに振り向かせるために考えた、稚拙だけど精一杯の切り札だった。それに彼女はその答えを聞きたかった。一輪は星のことが、自分たちに降りかかった出来事の意味が知りたかったのである。
事件のことはまだ公表こそされていなかったが、既に人妖の間に噂として広まっていた。誰もいなくなった分寺はそれだけで疑惑を膨らますには十分だった。そして星も、ナズーリンも、ムラサも、誰もこんな状態になっても帰ってこなかったのである。

白蓮は静かに目を開いた。彼女はやはり振り返ることなく、誰に向かってでもなく話し始めた。

「妖を創ったのは、人間です。彼らは自分たちの畏れ、憎しみ、不幸といった負の感情を克服するために、妖怪という存在を生み出しました。自分たちの内に眠るおぞましい感情、欲望を外化し、そしてそれを人間自身が退治するという形をとることで内に潜む魔物を超克しようとしたのです。だから妖怪は人を襲い、喰わねばならない――人間のために。そして妖怪はそのことを自覚し、悪として退治されるという自らの役割を全うせねばならないのです。では人妖が共存する世界があったとして、妖怪が人を喰わねばならないために人と対等でいられぬとすれば、それは誰の責任でしょうか? 私はこう考えるのです。それは双方の責任であると。」

一輪の言葉を待たず、白蓮は立ち上がった。とっさにすがろうとする弟子を、彼女は思い切り殴りつけた。広い本堂の端の端まで、一輪は吹き飛ぶ。

「言ったはずです。あなた達は破門だと。もう貴方と雲山はこの命蓮寺とは、私とはなんの縁もない者です。だから直ちにここから立ち去りなさい。直ちに。」

それは二回目の破門だった。一度目は千年前、白蓮が魔界に封印される前のことだった。その時と一字一句変わらない言葉を告げた白蓮は、本殿を出て門の方へと向かっていった。自らを待つ客人の気配に気付いたのだった。



「ようこそ命蓮寺へ。」

丁寧な挨拶に、博麗霊夢は答えない。彼女はただ、義務感に満ちた能面のような顔をして、面を上げる白蓮をじっと見ていた。

「用件はわかるわね。貴方の分寺で、貴方の弟子が起こした事件について話を聞きに来たわ。」
「初耳ですわ。」

笑顔で小首を傾げる白蓮に、霊夢は苛立たしげに新聞を放り投げた。それは今朝一番の号外だった。

「新聞ぐらいとっとけ。昨日分寺の地下にあった隠し部屋を調べたら出てきたのよ。食い散らかされた大量の人間の死体、そして射命丸文と多々良小傘、それにあんたんとこの船長とネズミの残骸がね。そいつらが喰われる様子を収めた写真と一緒に。ムラサなんて霊体だけ吸い取られて蜘蛛に喰われた蝶みたいに干からびてたわ。」
「私は『文々。新聞』しかとっていませんでした。他に読む価値のあるものがなかったもので。」

手渡された新聞へ目を通すことなく、白蓮はそれを足下へ打ち捨てた。落ち着き払った表情を崩さず、彼女は眼前の巫女を見据える。

「例えば、こういうのはどうでしょうか――あの分寺で行われたこと、星達が行ったことは全て私の命令だった。私は星を力でもって屈服させ、あの行為を強要させていた。黒幕とされる八雲紫もまた私が力でもって協力することを強要した。つまり先日の天狗の一件もまた全て私の指示だった。」

ぞわりと、緊張感が場を満たす。白蓮は穏やかだったが、まとっていたのは殺気だった。霊夢は無意識に拳を握る。

「そんな与太話誰が信じるか。」
「――星は、今どこにいますか?」

白蓮は、世界が止まったのではないかと思うほど、ゆっくりと、問うた。霊夢もまたたっぷり時間を掛けてその問いに答える。

「あいつは、死んだわ。自分で首をかっ切って、寺の中で死んでたわ。」

白蓮は蒼穹を見上げる。ふっと殺気が霧散した。深い溜息は何者かへの諦念であったか、それとも自らへの呪詛であったか、彼女はそのまま静かに両の手を霊夢に差し出した。

「ここにいた頃から、何も変わらないな、何も。」





 ■ ■ ■





軋んだ音を立てながら、重い扉が開く。

顔を見せた天魔の後ろには、大天狗長と八雲紫がいた。既に部屋の中には数名が席に着いている。

「ご苦労様です。天魔様。」
「皆様、急な開催で申し訳ありませんでした。なにせ事情が事情でありまして。」

人間の里代表、上白沢慧音は立ち上がって天狗の一団を迎える。慧音の横に座っていた霊夢は、紫の姿を見て急にそわそわしだした。そんなそぶりなど鼻にもかけず、大天狗長は拘束された紫を引っ張って部屋の隅に腰掛けた。議長席に着いた天魔は、円卓に並ぶ面々へ目配せすると、一つ咳払いした。

「来ていないのは、天界と地霊殿でよろしいか?」
「天界の方には知らせましたけれども、いつも通りのお返事でしたわ。『下界の些事には興味がない』とね。」

天魔の向かい側に座る冥界の管理人、西行寺幽々子は、侮蔑の混じった声でそう答えた。

「では欠席と。地霊殿もいつもどおりかね。」
「あら、私はいますよ。」

幽々子の隣の席から声だけが響く。よく見ると、そこには小さな陰陽玉がひとつある。

「議題を聞きましてね。是非そちらに伺いたかったのですが、地上との契約上それは叶わないので、今回特別にこの通信機だけを運ばせてもらったのです。ご安心を。ここからでは皆様の"声"は聞こえませんから。」

通信機から聞こえるのは確かに地霊殿の主、古明地さとりの声だった。最後の皮肉にそこにいた全員の眉がわずかに動いたが、言葉に出すものはいなかった。

「フン、まあいいでしょう。今回は議長である八雲紫がこのような有り様故、副議長である私が議事進行を務めさせて頂きますが、よろしいですかな?」

天魔は威圧的な口ぶりでそう言った。彼の隣に座る紅魔館の主レミリア・スカーレットはそれを聞いて嘲りの視線を向ける。

「それは構わんが、横のデカブツはなんだ? 天狗は一匹じゃあ議会の進行もできないのか。」
「私は八雲紫がよからぬ事をしないか見張っているだけです。皆様が議論に集中できるようにね。」

明白な悪意がこめられたレミリアの挑発を、参加者の中でも一際大きな大天狗長はやんわりと受け流す。その返答を鼻で笑ったレミリアだったが、それ以上の反論はなかった。他の委員も無言で承認する。天魔が満足げににやけた時、また扉が開いた。

「失礼します。やや、少し遅れてしまったようですね。申し訳ありません。」

卓上を囲む者共に一礼して議場に入ってきたのは、龍宮の使い永江衣玖だった。彼女は書記として議事を記録し、それを龍神様に伝える役目を負っている。

「まだ始まっていませんわ。ところで龍神様は本会の開催を本当にお認めになったのかしら?」

衣玖にそう声を掛けたのは幽々子の隣に座る、永遠亭の薬師八意永琳だった。その質問が衣玖に向けてではなく、急遽この議会を招集した天狗へ向けられていることは明らかだった。

「ええ、このように。」

衣玖はそれだけ言って一枚の書状を掲げる。そこには確かに龍神様の承諾があった。



「では、全員そろったので始めましょうか。最初に一つ確認を致しましょう。既に皆様にはお知らせしてあったことですが、八雲紫に代えて博麗霊夢を臨時代表に加えるということになっております。よろしいですかな、博麗の巫女。」

天魔に促されて、霊夢は小さく頷いた。

「念のため伺いますが、この提案に異議を申し立てるものはおりませんね。」
「特に問題はないと思います。」

生真面目に答えたのは楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥだった。他の委員も特に異論はないようだ。
元々博麗の巫女が枢密院に参加していないのは幻想郷の調停者としての不可侵性・中立性を担保するためであったが、それについては異論も多かった。加入に強硬に反対していたのが八雲紫その人だったから、特に反論も出なかったのかもしれない。
反対意見が出ないことを確認して、天魔はわざとらしい咳払いを一つ入れて切り出した。

「では本題に入りましょう。今回の議題は二つ。まずは幻想郷の掟を破って人里の人間を喰らい、殺害した八雲紫の処遇について。そしてそれに加担し、里内の分寺で人と妖を喰い殺す邪教を執り行っていた命蓮寺の代表、聖白蓮の処罰について。よろしいですかな。」
「ふん、くだらんな。」

頬杖をついたまま、レミリアは侮蔑を込めて吐き捨てた。とげとげしい目つきを向ける天魔に薄ら笑いで応えながら、彼女は続ける。

「その二つの事件について、我々は貴様らから詳しい情報をもらっていない。来るのは天狗の身内がばらまく下らん紙切れだけだ。」
「彼女の言う通りですわ。」

レミリアに相づちを打ったのは幽々子だった。

「もしその議題を話し合うのなら、実行犯だという命蓮寺の寅丸星や里の信者、そして犯行に加担していたという烏天狗をここに呼ぶべきではないかしら?」
「寅丸星は自害したと言ったでしょう。それに姫海棠はたては既に山の方で斬首しました。罪人は基本的にそれぞれが所属するテリトリー内部の規律で処分する。そういう方針であったと記憶しておりますが?」
「里の方でも信者達は独自に処罰した。全員まともではなく、およそここで証言できる状態ではなかった。」

高慢な天魔の返答に、慧音も粛々と続いた。すかさず永琳が切り返す。

「では少なくとも聖白蓮だけは召喚すべきでは?」
「あいつの身柄はこっちで確保してるわ。」

口を開いたのは霊夢だった。普段よりいっそうぶっきらぼうな調子で、卓の上に投げつけるように言葉を続ける。

「話は聞いたけれど、意味のわからないことを言うだけよ。なんでも紫を先導していたのは自分で、星に指示出してたのも全部自分だから、処罰するのであれば自分だけにしてくれとか。」
「つまり自白したわけですな。」
「証言の食い違いでしょう。」

天魔の結論をせせら笑うように、永琳はぴしゃりと言った。

その後も天狗や人里側から次々と事件に関する証拠が示された。しかしそれはどれも状況証拠と目撃談に過ぎないもので、幽々子と永琳はその都度欠陥を突いた。だが向こうもそれに対してはぐらかすばかりで、結局話は水掛け論に終始した。
続いて関係者への尋問が始まった。最初に証言を求められた紫は招待されたのは自分であることと、肉は天狗から食べさせられたこと、邪教については天狗に調査を依頼していただけで自分は全く関わっていないことを証言した。

「つまりきちがい女を殺したのは事実なわけだ?」

呆れたように確認したのはレミリアだった。紫はすかさず答える。

「あれは私に迫ってきたから藍がとっさに振り払おうとしただけのことです。正当防衛ですわ。」
「幻想郷最強クラスの妖怪二匹が人間一匹に迫られて正当防衛ねぇ」

レミリアが嗤う。幽々子はそれに反論した。

「でも紫の証言通りであれば、場は相当異常な状況。式が自分の主人をおもんばかってとっさに手を出してもおかしくないわ。」
「八雲の証言通りであれば、ですがね。」

今度は天魔が嗤う。やはり議論は進まなかった。続いて証言を求められた大天狗長は新聞で報道されていることと寸分たがわぬ内容を繰り返すだけで、他の委員の質問にも紋切り型の答弁を淡々と述べるばかりだった。最後の霊夢は曖昧な供述に終始し、その証言内容も質問にあわせて二転三転するところがあった。幽々子はそれを捜査の欠陥と指摘したが、天魔はショックによる記憶の混乱と一蹴した。

堂々巡りが続く中、それまで沈黙を守っていた映姫が口を開く。

「これ以上やっても埒があきません。どうでしょう。多数決をとっては?」

また、卓上の空気がピンと張る。閻魔の提案にのるべきか、そこにいた誰もが互いの腹を探る。その空気をさらに動かしたのは、慧音だった。

「議長、結審に入られる前に一つ提案したいことがあります。」

慧音はそこで一息置いた。そこにいる皆の視線が彼女に集中する。慧音はずっと腹の底に溜めていたものを吐き出すように、よどみなく言った。

「こういった悲劇が起こる原因、それは里に妖怪が、あるいは妖怪の住処に人間が入る、そうした状態ゆえではないでしょうか。人と妖の交わりは多くのものを産んだやもしれぬが、それは良いものばかりではなかった。例えば近年頻発している多くの異変、これも今回の事件の遠因となっているのではないでしょうか。人はスペルカードルールによって妖怪との戦いを畏れなくなった。本来あるはずの緊張関係が失われ、無自覚な共生が跋扈している。即ち我々は近づきすぎたのです。だからこそ、我々はもう一度自分たちのあるべき位置に留まり、種族同士の過度な接触を控えるべきではないでしょうか。」

沈黙が卓上を走る。想像だにしない提案に皆あっけにとられていた。その呆けた空気を破ったのは、紅魔の王の高笑いだった。

「ふふっ、ハハハッ……アーハッハッハッハッハ……そうかそうか、そういうことか。これはひどい茶番だ。」

永琳も含み笑いをする。しかし反応は嘲笑だけではなかった。

「なるほど、それは一理あるかもしれません。」

全員が映姫にぎょっとした視線を向ける。彼女は悔悟の棒をいつも通り胸の前に置きながら、淡々と続けた。

「確かに人と妖が近づきすぎているというのは事実です。妖が人を襲うことを忘れ、人が妖を畏れなくなってから久しい。そろそろ我々は幻想郷のあり方を考え直す時に来ているのかもしれません。」
「バカらしい。関係を考え直すために作ったのがスペルカードルールでしょう?」
「あのルールも完全というわけではない。スペルカードによって我々は確かに擬似的な友好関係を再構築したが、それは結局双方の関係を不必要なまでに近づけただけだったのかもしれません。」
「近づくことが悪いこととは思えませんが?」
「よい近さだけとは限りません。それは同時に悪も引き寄せる。どちらにしても今の我々には緊張感が足りない。それは事実です。」

幽々子と永琳の反論をいなした映姫に天魔が続く。

「そう言ったことを考えなかったわけでも無かったのですが、映姫様の口から出るとは思いませんでした。我々天狗としても身内から裏切り者を出し、しかもそのせいで多くの人妖を殺めてしまいました。せめてもの禊ぎとして皆様との交流を絶つことで襟を正したい、そう考えておりましたのです。」
「我々里も同様です。今回の件では結果的にカルトを里の中に呼び寄せ、罪のない妖怪の命を奪う形となってしまいました。里自身が責任をとるのは当然としても、それ以上の禊ぎが必要だとも考えておりました。こんな状態で今まで通り妖怪を里へ招けば、それは皆様にとって失礼でもありましょう。」

レミリアはまた大嗤いした。もはやまともに議論に加わる気すら失せたようだ。

「そんなのおかしいわ! それじゃ私はなんのためにいるのよ。」

卓を叩いて声を張り上げたのは霊夢だった。珍しく感情を露わにした彼女に、レミリアも嗤いを止める。

「博麗の巫女の役割は、妖怪を退治することでしょう。」

霊夢とは対照的に、天魔は余裕たっぷりに答える。

「貴方は人を襲う妖怪を退治し、強者である妖怪から弱者である人間を守ることで、幻想郷の力関係を均衡させるために存在しているはずですよ。決して人間と妖怪の融和のためにいるわけではない。でしょう?」
「そ、それは……」
「別に博麗の巫女は人間の味方ではないでしょう。双方に干渉しない存在、そうではなかったの?」
「西行寺殿、それは建前です。実際に彼女がしていることは妖怪退治だ。それが人間の味方でなくてなんなのですか。」

「けれども、私たちがこの場で目指してきたのは、紛れもなく人妖の融和でしょう。」

悲痛な声を上げたのは、議場の外で捕縛されていた紫だった。天魔はその横やりに舌打ちする。映姫はやはり淡々とその問いに応じた。

「確かにそうでした。しかしそれが限界に近づいた。そういうことでしょう。八雲紫、貴方がそのような理想を掲げて尽力していたことは私もよく知っています。しかしその結果が今の貴方なのです。そう、貴方は少し夢を見すぎたのではありませんか。」
「下らん下らん! さっさと決を採れ。バカがどんな面をして賛成に手を挙げるのか見てみたくなった。」

足を卓の上に投げ出して、レミリアは吼えた。彼女もまた、無駄なことに自分の時間が使われるのを嫌う。
勝手に議事を乱された天魔はまたじろりと横の吸血鬼を睨んだが、一つ深呼吸をして落ち着きを取り戻し委員達へ多数決を提案した。霊夢はまだ不満そうだったが、場の雰囲気を見てそれに従わざるを得なかった。

「ではまず八雲紫の処遇からまいりましょうか。彼女が有罪だと思う者は挙手を。」

手を挙げたのは天魔と映姫、慧音だった。紫に一瞬安堵の色が浮かぶ。

「では無罪の者。」

手を挙げたのはレミリア、幽々子、永琳だった。議長は一人意志を示さない霊夢に決を促す。

「君はどちらですかね? 博麗の巫女。」

全員の視線が霊夢に集中する。


長い長い沈黙だった。

その問いは、紫から向けられた問いと同じ、ずっと引き延ばしてきた問いだった。博麗を選ぶのか霊夢を選ぶのか、それと同じだった。そして彼女にはどうしても決められない問いだった。口に残ったものを噛むように唇だけをずっと動かしていた彼女は、ようやくそこから言葉を引き出す。

「私には……決められない……」

慧音は溜息をつく。レミリアは微笑んでいた。

「つまり無効票ですか。となると――」
「ちょっと待って下さいな。」

ずっと聞いていなかった声が、卓上に響く。それは声だけだった

「さっきからひどいじゃないですか。誰も私に話を振らず、決すら採ってくれない。そもそも今までだって委員の肩書きだけで会にすら呼ばれず、やっと呼ばれたと思えば声だけ。いくらなんでもこれはないでしょう。」

口調はあくまで穏やかなままで、さとりは他の委員へ怒りをぶつけた。

「たしかにそうでした。申し訳ありません。では古明地殿、貴殿の意見を伺いましょう。」
「といっても私も博麗の巫女と同じ。なにせこの事件の話を聞いたのは枢密院の開催の数日前。しかも我々には新聞すら届きません。今聞いた話だけで判断しろと仰るかもしれませんが、そういう問題ではない。我々をないがしろにする態度が許せないのです。そもそもですね、もし八雲紫が有罪となった場合、死刑にすることができない彼女の身柄を預かるのは我々旧地獄の妖怪ですよ? にもかかわらず我々の出席を認めないというのは異常です。本来有罪としたいところですが、抗議の意味を込めて私も今回は「無効票」に一票入れましょう。」

「ふむ……これで3対3の同数ということですか……では次。聖白蓮について、有罪の者は挙手を」

手を挙げたのは、天魔、映姫、慧音、霊夢だった。

「無罪の者は?」

レミリア、幽々子、永琳が手を挙げる。

「古明地殿はいかがですかな。」
「同じく『無効票』としたいところですが、今回は少し事情が違います。有罪は避けられぬでしょうが、死刑となれば同意しかねる。現状私が知りうる情報から、彼女を死刑とする結審を認めるわけにはいきません。私は無用な殺生を好まないのです。もう一つ。彼女の弟子が以前旧地獄にいたことがありますが、その時の印象から彼女には情状酌量の余地はあると考えます。よって無期の封印が適当でしょう。」
「ではもう一度決を採り直しましょう。聖白蓮の死刑に賛成の者は挙手を。」

同じく天魔、映姫、慧音、霊夢の四人が手を挙げる。

「死刑に反対だという者は?」

挙手したのはレミリア、幽々子、永琳だった。

「また4対4の同数ですか。では最後、種族間の隔離政策に賛成の者は挙手を。」

手を挙げたのは天魔、映姫、慧音だった。

「では反対の者は?」

霊夢、レミリア、幽々子、永琳が挙手する。

「では最後に、古明地殿は?」
「今回の話については、わたくしも全く同じ懸念を抱いておりました。そもそも地下世界は様々な理由で地上とは相容れなかったものが隠れ住む世界。それが先日の間欠泉騒ぎ以降、地上の輩が堂々と地下に降りてくるといった事態が起こりつつあります。我々としては非常に困っていたのですよ。だから今回は『賛成』に一票入れましょう。」
「なるほど……これで4対4、全て同票ですか。」

衣玖がおもむろに立ち上がった。天魔の横に立った彼女は高らかに宣言した。

「では規則に従い、以上三つの議題については龍神様の最終的な判断を仰ぐこととしましょう。」



衣玖が龍神の元へ判断を仰ぎにいく間、会はしばし休憩となった。レミリアは控え室へジュースを飲みに駆け掛けていき、霊夢は居場所がないようなそぶりで部屋を飛び出していったが、残りの者は部屋に残っていた。

「あぁ紫、大丈夫?」

未だ自由を奪われたままの紫を幽々子が抱きしめる。紫は唇を噛んだ。

「ごめんなさいね幽々子。」
「いいのよ、貴方はなんにも悪くないもの。藍ちゃんは?」
「藍は平気よ。霊夢が封印してるけど、ちゃんと生きてるから。」

紫の話にしばし言葉を詰まらせた幽々子だったが、やがていつもの笑顔にもどった。そして相手を、そして自分を奮い立たせるように耳元で囁きあう。

「大丈夫。ここまでは予定通りだもの。龍神様さえ引っ張り出せれば問題ないわ。」
「霊夢が入ったときは少しびっくりしたけど、なんとか思い通りの形に持っていけたわね。」

「あら、仲睦まじいわね。」

二人の後ろに立っていたのは永琳だった。幽々子は立ち上がって永琳の手を取る。

「貴方にも感謝しているわ。」
「別に貴方達に協調したつもりはないんだけどね。私はただ姫様が、私たちが暮らしやすいようにと思っただけ。」
「それでいいのよ〜。それができないのが多いんだから。」

そう言って幽々子は卓上へ目を遣る。

「でもあの提案まで予定通りだったのかしら?」
「まさか。あんなこと言うとは思ってなかったわよ。」

幽々子はにっこりと微笑む。永琳は小さく首をすくめて、慧音の方に目を遣った。彼女は組んだ手を揉みながら一人時間を潰していた。



「お待たせしました。」

重い扉がゆったりと開く。そこから出てきたのは永江衣玖だった。彼女の後ろには不機嫌そうなレミリアと霊夢がいる。どうやらここに来る途中で連れてきたらしい。ソツのない彼女らしいやり方である。
席を離れていた委員に戻るよう促した衣玖は、先ほどと同じく天魔の横に立ち、一つ咳払いをした。

「では、早速龍神様の御神託を示したいと思います。」

その言葉とともに衣玖は書状を卓に広げた。ある者は慄然とし、ある者は頷き、ある者は悔悟し、ある者は明日を案じ、ある者は歓喜に震え、ある者は狼狽し、ある者は思案し、そしてある者はほくそ笑んだ。

「八雲紫、八雲藍両名は旧地獄に追放。聖白蓮は処刑。そして種族を違えた交流を控えるようにせよとの御意思です。」

衣玖の簡潔な通達に、紫は力が抜けたようだった。

「紫、しっかりして紫!!」

幽々子が慌てて駆け寄る。霊夢は衣玖の方へ詰め寄った。

「嘘よ、龍神様がこんなこと言うわけが……」
「嘘とは心外です。こちらの印をご覧なさい。間違いなく龍神様のものでしょう。」

詰め寄られた衣玖は少し不服そうに書状の隅を指さす。そこには確かに龍の印があった。

「下らん!!」

憤然と席を立ったのはレミリアだった。彼女はそのまま扉の方へ歩き出す。足音がその不機嫌ぶりを如実に示していた。

「龍神だろうと知ったことか。こんなバカげた話にはつきあいきれん!」

あらん限りの力で扉を跳ね開けると、吸血鬼は部屋をあとにした。呆然とする霊夢を尻目に、天魔はもったいぶった調子で冷静に振舞うよう一同に求めてから、こう宣言した。

「では、龍神様の御意志に従って我々も行動することと致しましょう。聖白蓮の処刑については博麗と里が執行し、八雲紫は後日我々が地下に護送します。新体制については提案者である上白沢殿が数日以内に起草を行うこととしましょう。では以上。」





 ■ ■ ■





「では、お大事にして下さいね。」

家主にそう言って一礼した鈴仙・優曇鼻院・イナバは、引き戸を閉めた。あまり他人との接触を好まぬ彼女であるが、これくらいの愛想を振るくらいならできるようになっていた。そもそもこの家には何度も訪れていて、家主の持病どころか飼っている猫の名前すら知っている。

「鈴仙、終わった?」

玄関先で手持ちぶさたにしていた因幡てゐは、やる気なさげに鈴仙に手を振る。こう見えても今日はよく仕事をしている方である。いつもは鈴仙に全部任せてどっかに行ってしまうからだ。それくらい今日は仕事がたくさんあった。

「早くまわんないと。間に合わないよ。」
「じゃあてゐも別に回ってよ。」
「あたしゃ薬のこと分かんないからね〜」

てゐは悪戯っぽく笑う。無論それは嘘だった。長く生きた彼女は鈴仙なんかよりずっと薬の知識も豊富だった。ただやりたくないだけなのか、それとも鈴仙と別れて行動したくないだけなのか、てゐは鼻歌交じりに鈴仙の後ろに付き従う。

彼女たちは里に来ていた。いつもの薬売りではない。今日の仕事は里に配っている置き薬の補充だった。これは季節の変わり目にする仕事なので、初夏にやるにしては少し時期はずれといえる。しかし今日中に里の置き薬を補充してくること、そう鈴仙に命じたのは師である八意永琳だった。

鈴仙もその理由は知っていた。昨日大量にばらまかれた新聞の号外を読んだからである。幻想郷の各勢力が交流を控えるような体制に移行する。そんなことが書いてあった。それはつまり永遠亭に人の患者が来ることもないし、自分たちが里へ薬を売りに行くこともできなくなる、そういうことであった。

最初それを読んだとき、鈴仙は特に感慨などなかった。元々外と接触するのが好きではないし、薬売りの重労働にもうんざりしていた。そうした諸々がなくなって、永遠亭に昔のような静謐が戻る。そして師匠や姫様やてゐと暮らすようになるだけだ。鈴仙は少し嬉しくさえもあった。
だがこうして顔なじみになった里の家を回るにつれ、不思議な感情が湧いてくるのを彼女は感じていた。どこか胸がきゅっとするような、そんな嫌な感じ――鈴仙はその感情の意味が理解できなかった。

「さてと、あとは里の向かいの方か。」

鈴仙は重い荷物を担ぎ上げ、里の中央通りに出る。里の反対側にいくにはそこが近道だ。里の患者全員分の置き薬はさすがに重い。今日は珍しくてゐも荷物を持っていた。一割程度だが。

往来は以前来たときより静かになったような気がした。いつもならやかましいぐらいに出ている露店も今日はまばらである。人通り自体が少なくなった気すらした。そんな通りの向こうに不釣合いな人だかりができているのに、鈴仙は気付いた。それは通りの真ん中にある広場からだった。

「やめてよぉっ!! いたいっ、いたいよぉ!」
「黙れ化け物め。里に入ればどうなるか知っているだろう?」

人垣の中心にいたのは、ミスティア・ローレライだった。彼女の周りには数人の人間がいる。それは退魔師のようななりをしていた。以前命蓮寺の分寺で、妖怪退治のやり方を習っていた連中であった。龍神様の像の真下で、彼らはミスティアを袋叩きにしていた。

「どうしたお前達?」
「慧音様。今里で妖怪が暴れているのを発見しまして。」
「暴れてなんかないっ! 私はただ里に入れなくなる前に、挨拶したかっただけなの。」

両腕を掴まれ、もがくミスティアの前に、上白沢慧音が仁王立ちする。えらく寒々として勝ち誇った表情をしながら、彼女は目の前に這いつくばる夜雀を蹴り上げる。

「はっ、新聞も読めないようなめくら妖怪でも冗談は吐けるのだな。もう里に貴様らは入れないんだ。大方それを逆恨みして毒でも盛りに来たのだろう。丁度いい見せしめだ。こいつは連れて行け。」
「ふざけんなっ、入れなくなるのはまだ先でしょっ! 離してよっ。」
「ふん。あれを読んだらもうこちらには立ち寄らないと考えるのが普通だろう。やはり貴様ら化け物の考えることは常軌を逸している。」
「やめろ、痛いぃっ……なんで、最後にお世話になった人へお礼を言うのが、なんでダメなのよぉ……」
「早く連れて行け!!」

取り囲む人だかりには喜怒哀楽があった。恐ろしい妖怪が退治されるのを喜ぶ者、妖怪への怒りを露わにする者、つい先日まで仲良くしてきた妖怪の末路を秘かに嘆く者、これから起こる処刑を楽しみにする者。それは全て人間だった。


「てゐ……いこ」

その人垣を避けるように、鈴仙は小声でてゐを引っ張った。人ごとのように考えていた変化が、彼女の前に現実味をもって迫る。
往来を通る多くの人間達と同じようにその場を早足で離れようとする鈴仙を、今度はてゐが引っ張った。

「鈴仙、あんたなに言ってんの?」
「だって……私たちも一応妖怪なのよ。」
「そうさ。私たちは妖怪さ。だからだよ。」

鈴仙の手を振り払って、てゐは人垣の中を潜る。

「おいおいおいそこの白沢さん。ちょっとそりゃ無いんじゃないかねえ?」

啖呵を切っててゐは慧音の前に立ちはだかった。

「その夜雀は別に悪いことしてないんだろう? ちょいと事情を知らなかっただけ。里から追い出してオシマイでいいじゃないか。」
「なんだまた妖怪か。」
「あんたもだろ?」

てゐはわざとらしく大きな声で笑う。慧音の顔が真っ赤に歪んだ。

「貴様……」
「ああ妖怪じゃねえか。こんな生き物見たことないからなんつっていいんだかわかんねぇや。へへっ」

返事はなかった。どす黒い瘴気を全身にまといながら、慧音とその取り巻きがゆっくりとてゐを取り囲む。
鈴仙もきな臭い空気を察知した。てゐの様子を窺おうと、彼女は人混みの向こうを覗き見ようとする。

「おい、ここにも妖怪の仲間がいるぞ!」

誰となくそう叫んだ。広場はたちまち蜂の巣をつついたような騒ぎになった。妖怪が群れを成して里に襲いかかってきたと思ったのだろう。悲鳴と怒号が往来にこだまする。

「鈴仙、ミスティア、逃げろ!」

てゐはとっさに隠し持っていた煙幕を地面に投げつけた。視界が完全に途絶え、てゐの声も悲鳴の中に消えた。

鈴仙は走った。それは無意識だった。

彼女は自分が月にいるような錯覚を覚えた。

誰かが捕まった音がしたような気がした。鈴仙は後ろを振り向かなかった。後ろを振り向けばきっと足がすくみ、逃げられなくなる。それは月で散々学んだことだった。
無我夢中で駆けるうちに、彼女は先ほどの不思議な感情にまた襲われた。それを知らなかったわけではない。思い出したくなかっただけのだ。大切な人との別れという哀しみを。





 ■ ■ ■





小野塚小町は扉をノックした。
それは無駄に仰々しく着飾った大きな扉である。彼女はあまりその扉が好きではなかった。三途の川を渡ってきた霊を威圧し、是非曲直庁の権威を知らしめるための装飾らしいのだが、別にそんなものはいらないだろうというのが彼女の考えである。そんなものがなくても畏まる奴は畏まるし、しない奴はしない。それが何人もの霊を渡してきた彼女の経験則だった。
彼女も人から派手だとよく冷やかされるが、本人にあまりそういう感覚はない。背が高いのは生まれつきだし、服や鎌は職場から貸与されたものだ。受付係なんかだと白塗りして黒い羽根のついたド派手な格好をさせられるらしい。小町は絶対やりたくないなと思った。もっとさっぱりしてちっちゃい方が彼女の好みである。

入室の許可が出て、彼女は無駄に重苦しい扉を開く。こうやって開くのが面倒くさいのも嫌いな理由の一つだった。彼女は面倒くさいことも好きではない。

「なんですか、小町?」

部屋の奥には上司である四季映姫・ヤマザナドゥがいた。無駄に大きくて高い椅子に座りながら仕事をしていた彼女へ、小町はぞんざいな会釈を送る。映姫は小町よりずっと小柄だが、その椅子のせいで映姫の頭の方が常に上にある。こうやって上司との距離が遠いのもこの装飾が嫌いな理由の一つだ。

「いえね、こないだ知り合いの霊を送ったので、どうなったかなぁと思いましてね。」
「射命丸文ですか? 彼女は別の閻魔が裁きました。裁判には守秘義務があります。貴方には教えられません。」

にべもない調子で映姫は答えた。小町は鎌にもたれて口を尖らせる。こういう口調の時は一番機嫌の悪いときだ。二人は長いつきあいである。

「それだけですか。」
「まあ特に用事らしい用事っちゃないんですけどね。でも今は休憩時間ですよ。ちったあ休んだっていいんじゃないんですか、四季様?」
「仕事が溜まってますので。」

簡潔に話を打ち切られる。小町は思わず頭を掻いた。別に理由はわからなくもない。むしろだからこそ顔を見に来たのだ。

是非曲直庁の収入源は主に彼岸の渡し賃、そして中有の道にある店の売り上げの二つである。渡し賃は収益こそ安定はしているが今後の大幅な増益は見込めない。中有の道の店は伸びる可能性こそあるものの、しょせん露天業では先が見えている。
だが中有の道は妖怪の山と彼岸を繋ぐ道だ。そして露天の店をやっているのは地獄帰りの極悪人、まっとうな商いより裏稼業の方が遙かに手馴れている。
こうなればあとはよくある話だろう。山と是非曲直庁の癒着関係の噂は小町もよく知っていた。小町のような下っ端の船頭でさえもというべきか、小町のような出世とは無縁の自由人だからというべきかはわかりかねるところだったが。

「それより貴方はまたサボっているのですか。」
「今日は早上がりです。ちゃんと仕事してましたよ、ええ」

にへらにへら笑う小町を映季はきっと睨んだ。

「あー……20分、いや30分ぐらいは休憩したかも……」
「まあいいでしょう。なら早くあがりなさい。」
「四季様だってもうかたっぽの閻魔の五倍は働いているでしょう? たまには長めの休憩とったって誰も文句言いやしませんよ。一緒に飯でも食べに行きません?」
「結構です」

閻魔は二名の交代制で仕事を行う。幻想郷のもう一人の閻魔と小町はもちろん面識がある。仰々しい身なりで、無駄に偉そうなしゃべり方をする、この椅子にぴったりな奴だった。やはりああいうのは小町の好みでない。映姫のようにちっちゃくてかわいいのが好きだ。
嫌なやつというだけなら別にどうでもいいのだが、その閻魔には黒い噂があった。例の山との癒着を主導しているのがそいつだという話を、小町は以前から小耳に挟んでいた。しかもそこには十王が一枚かんでいるらしい。もうそうなると小町には雲を掴むような話だ。酒の席の小ネタにしかならない。
だが実際今回の事件の容疑者・被害者を裁いたのは映姫ではなく全てその閻魔であった。しかも迅速かつ最優先にである。申し合わせたようなやり方に小町は一度疑問を呈したが、その時も守秘義務の一点張りだった。

「だって四季様、この間だって"残業"しているじゃないですか。ちったあ気分転換しないと毒ですよ。」
「あれは私の重要な職務です。」
「おっかぶされてるだけじゃないですか。」

小町なりにはぐらかして訊いた問いに映姫はやはり突き放すように答える。
"残業"とは例の枢密院の委員のことである。映姫が委員であることは公表されていないのではっきりとは口に出せないが、皆知っているこのなのでこの程度の訊き方なら映姫も特に気にしていないようだった。面倒くさがりの小町が貴重な早上がりを使ってわざわざここまで来たのも、この件が気になったからに他ならなかった。
四季映姫は天狗に同調したらしい――是非曲直庁ではこんな噂が囁かれていた。もとより癒着だの根回しだのの類が何よりも大嫌いなこの小さな上司が、そんなことをしたのだ。小町は一つしか理由が思いつかなかった。

「小町、財政改善の一環として近々人員整理が予定されているとの通達がありました。当然私や小町にとっても無関係な話ではありません。だから貴方も真面目に働きなさい。どんな仕事であれ、働くということは善行なのです。」

小町は返事をしなかった。黙々と書類に判を押す上司を、大仰な椅子に埋もれて益々小さく見える上司を、不器用にはぐらかして身の上を知らせてくれる健気な上司を、ただ眺めていた。ただの船頭である彼女にはそれぐらいしかできなかった。

「へいへい。」
「返事は気に入りませんが、心がけは殊勝です。そんな仕事熱心な小町に臨時の仕事をお願いしましょう。冥界の西行寺家に向かって下さい。」
「ちょ、待って下さいよ四季様、あたいこれから予定が――」
「これからは冥界との往来も困難になるため、冥界の管理に関する書類をあの亡霊姫から受け取ってきて欲しいのです。先方からなるべく早くとの知らせがありました。お願いしますね。」

やはり小町の返事はなかった。ようやく頬を緩めてこちらへ顔を向けた映姫を見て、彼女は反論する気を殺がれてしまった。





 ■ ■ ■





博麗霊夢は玄関の扉を閉める。鍵を掛けていくべきか悩んだが、そもそも鍵がどこにあるのかを知らない。自分の家に鍵を掛けたことなどなかったからだ。いちいち悩むのか嫌になったのか、霊夢はそのまま歩き出した。あまり深く考えるのは好きではない。
右手には最低限の着替えを包んだ風呂敷があった。いつもの巫女装束はとりあえず一つ替えがあればいいだろう。あとは下着が入っているだけだ。ずっと使っていた湯呑みぐらいは持ってくかとも思ったが、里で買い直せばいいかと思い直して止めた。霊夢は愛着などという感情を知らない。

よく見れば朝日に照らされた鳥居の下に待ち人がいた。半ば予想していたのだろう、霊夢はその影の前まで歩いていった。遠目からでもわかるそのシルエット――大きな三角帽にエプロンスカート、片手にほうきを持った霧雨魔理沙は、寒々とした顔をして霊夢を迎える。

「なんか用?」
「朝飯をたかりに来たんだが。」
「残念だけどこれから里に行くのよ。あんたも一緒に来る?」

気怠い顔をして淡々と答える霊夢に、魔理沙は無言で首を横に振った。霊夢はほんの少し息を詰まらせた。魔理沙がこう答えることはわかっていたが、それでもこう答えて欲しくはなかった。

「仕方ない。じゃあ戻ってくるまで待ってるぜ。神社で待っててもいいだろ?」
「戻らないわ。」

そのモヤモヤした感情を振り払うように、霊夢はきっぱりと言った。息を詰まらせたのは魔理沙のようだった。それぐらいは見てわかる間柄である。

「あんたも新聞くらい読みなさい。龍神様の裁定で人間はこれから皆里の中で生活することになるの。あんたも同じよ。」
「ここはお払い箱か?」
「この神社には月一で様子を見に来るわ。里に分社を建ててもらうから、神社としては問題ないってさ。」
「違うな霊夢。私が聞きたいのはそういう事じゃない。お前は"幻想郷"を見捨てるのか? そう聞いているんだ。」

魔理沙はポケットに腕を突っ込む。八卦炉だろうか――それは霊夢が予想していた展開だった。

「残念だけど、さっきも萃香と喧嘩して疲れてんのよ。だからあんまりやりたくないんだけど。」
「あの鬼っ子どこ行った。」
「さあ。泣いて、怒って、また泣きながらどっかいったわ。」

霊夢は確かに疲れているようだった。昨晩夜通し萃香と"本気"の喧嘩をしたのだ。彼女もまた今回の決定と霊夢の決断に憤慨した。そして憤慨した鬼をこの巫女は叩きのめし、追い払った。そして魔理沙が来たのだ。同じ理由だろうと思った。だから霊夢はまた同じ事をしなくてはならない。
魔理沙はポケットから手を引き出した。霊夢は構える。持っていたのは新聞だった。

「私は読書家だからな。新聞くらいは読むぜ。今朝の新聞だ、読んでやろうか? 里に潜り込んだ凶悪な妖怪、ミスティア・ローレライと因幡てゐが往来の真ん中で人を襲った。新設された里の対妖魔部隊がそれを捕まえ、拷問の後処刑した、だってよ。細かく書いてあるぜ。人間を襲ったと自白するまで札で皮膚を少しずつ焼き剥がし、四肢を縛ってはいずり回るのを眺めながら矢の的にされたんだとよ。妖怪に家族を喰われた連中に復讐の機会を、とかいってな。今ならあいつらの晒し首が里の入り口でお出迎えしてくれるんじゃないか? 白蓮と一緒に並んでるところをな。」

霊夢へ新聞を放り投げる。そこには二人の凄惨な最期が写真付きで詳細に描かれていた。過剰なまでに克明な描写は里の本気を明確に示していた。そして目論見通り幻想郷の妖怪達はその時はじめて理解したのだ、あの勧告が本気であることを。

「よく見て読んでおけ。それがお前が今から行くところだ。お前が明日から生活するところだ。」

霊夢は何も答えなかった。弾幕代わりに飛んできた紙切れは、霊夢の肩にあたって地面に落ちた。彼女はそれを拾い上げることもしなかった。
「明日」という言葉が霊夢の頭を回っていた。霊夢があまり好きではない言葉だった。彼女は未来のことについて考えるということを滅多にしなかった。そもそも彼女は未来を考えるということができなかったのである。霊夢にとって明日とは今日と同じものであり、そうあり続けるはずだった。ついこの間までは。
魔理沙はそれだけ伝えるとほうきに跨った。霊夢は疲れ果てた体を震わせて声を絞り出す。

「魔理沙、あんただって人間よ。こちら側に立つべき存在よ。いずれ里に来ず妖怪のテリトリーで暮らす人間は、妖怪に幽閉されているものと見なして里が迎えに来る。近いうちに必ずね。だからあんたも――」
「なら私は近いうちに里から霊夢を奪ってやろう。近いうちにな。」

それだけ残して魔理沙は飛び去っていった。舞い上がった砂埃にまみれながら、霊夢はその方をただぼんやりと眺めていた。





 ■ ■ ■





風見幽香は軽く会釈をした。礼をされた花屋の店主は、戸惑ったような様子で礼を返した。
彼女は目上の存在である大妖怪であるし、何より大切な得意客である。礼をしないわけにはいかない。だが店主は彼女がここにいていいのかとも思った。それは自分自身への心配でもあるし、客への心配でもあった。

「こんにちは」

そんな逡巡を掻き消すように、幽香は笑顔を湛えていつもと同じ挨拶をする。日傘の木漏れ日に反射した緑髪が、きらきらと輝いていた。まだ30前後の若い女店主は、それまで動かしていた手を止めて、一体何と声を掛ければいいかわからず困ったように立ちすくんでいた。

それを気にすることもなく、幽香はしゃがみ込んで店先に並んでいる花を覗き込んでいた。それを取り囲む黒い影が、緑髪の輝きを奪う。

「風見幽香、ここで何をしている?」
「何って、ショッピングよ。」

殺気だった上白沢慧音に、幽香は暢気に返す。命蓮寺の忘れ形見を物々しく装備した対妖魔部隊は、幻想郷屈指の妖怪をしとめようと手ぐすねを引いていた。

「立て札を見ただろう。里に妖怪が入ることはまかりならぬ。直ちに出て行け。従わねば容赦しないぞ。」

幽香はなにも言わない。慧音は苛立たしげに繰り返した。

「聞こえないのか化け物め。今す――」
「――ねえ、知ってるかしら?」

相変わらず視線は花を愛でたまま、幽香は遠くへ向かって囁きかけるように話し始めた。

「普通摘んだしまった花にはね、花の精は見向きもしないの。でも、このお花屋さんの花にはいつでも生命が宿っている。きっと店主さんの花への想い、自然への真摯な想いが花の精を呼び寄せるのでしょうね。だからこの店はいつも瑞々しい四季で彩られている。自然の力が息づいている。それがとても楽しみでね、最近花の種を買う時はここと決めていたの。
 それでね、種を買った帰りには突き当たりある喫茶店に行くことにしているわ。あそこのハーブティーは絶品よ。自然そのものが持つ力強さ、そしてそれに人が手を加えることの素晴らしさに満ちた味なの。大地の上で懸命に生きる人間の尊さが、一杯のお茶の中に凝縮されているよう。」

幽香はゆっくりと立ち上がった。囲む人間達の手が本能的に震える。

「最近よくここに顔を出すものだから顔見知りも増えてしまってね。火消しの大旦那には以前花畑が火事になったとき助けてもらったことがあったの。ああ見えてコスモスが好きでね、時季が来ると届けにいくのが恒例になっているわ。
 何故だか子供たちにも懐かれるのよ、お花のお姉ちゃんってね。子供は畏れを知らないところがあるから私なんかにも平気でよってくるのかもね。でもあの子たちに花を見せるたび、純粋であることが如何に美徳かを私に教えてくれる。
 そうそう子供といえば、前に向日葵の丘に迷い込んでしまった小さな女の子がいたの。何となく気紛れで里に送ってやったら随分と感謝されてしまって、折りを見て私を家に招待してくれるのよ。ずっと私のことを覚えてくれていてね。この間お孫さんが産まれたらしくて、とても喜んでいたわ。」

幽香は初めて慧音を見た。怒ってすらいなかった。

「だからね、そんな人達が住むこの場所を、クズ共の血で汚したくないの。だからもう帰るわ。」

気付けば花屋の店主は幽香の目の前にいた。その手には小さな袋があった。幽香がここに来るといつも買う、季節の花の種を詰め合わせたものであった。袋を手渡そうとする彼女を制して、幽香は深々と一礼する。

「ごめんなさい、お店の前で騒いでしまって迷惑を掛けてしまったわね。今までお世話になったわ、ありがとう。貴方が生きているうちにここへ戻ってこられることを願っている。」

顔を上げた幽香は笑っていた。それでも花屋の店主は幽香に詰め寄って種の入った袋を無理矢理握らせた。例え今日限りで店を畳まなくてはならなくなるとしても、そうしなければならないと彼女は思った。
少し戸惑ったような、それでも嬉しそうな顔をして種を受け取り里を後にする幽香へ、彼女はその姿が見えなくなるまで深々と頭を下げ続けた。



 
そろそろオリキャラ全開です
やっぱり急展開過ぎるかもしれません
んh
作品情報
作品集:
24
投稿日時:
2011/02/25 22:51:15
更新日時:
2011/02/27 19:41:47
分類
霊夢
慧音
オリキャラ
1. NutsIn先任曹長 ■2011/02/26 00:01:58
途中まで読んで、限界を感じました。…素面じゃ駄目だ!!
と、言うわけで、ウィスキーを飲りながら読ませていただきました。

事態の進行につれ、状況がおぼろげに見えてきました。
状況が混沌としているようで、まるで水と油、陰と陽の如く…。

こりゃあ、面白い!!

…やはり、龍神様はお見通しか?
2. 名無し ■2011/03/14 10:54:20
はたてが哀れすぎて何も言えねえ
てゐ…
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