ブラックウィッチ・ダウン

作品集: 26 投稿日時: 2011/04/21 18:32:12 更新日時: 2011/04/24 10:48:30
 沈みかけの太陽が、世界を真っ赤に染め上げ始めた頃、天狗が住まう妖怪の山で大騒動が起きていた。
騒動の原因は一人の人間。それも、まだ少女と言う言葉がぴったりの者である。
 たった一人の人間の少女に振り回され、てんやわんやの妖怪の山。
中から響く怒声や悲鳴を外で聞いている、山の見張り役である白狼天狗の少女は、山内の天狗達のあまりの情けなさに思わずため息を漏らした。
 この白狼天狗も安易に人間の侵入を許してしまった訳なので、人のことを言えた身ではない。
それに、山内で暴れ回っている人間が普通ではないことも重々承知している。
それらを加味しても、普段偉そうな上司達が、人間一人にここまで翻弄されるとは思っていなかった。
 聞こえてくる声から中の様子を想像している内に、声の波が少しずつ外へと近づいてくるのが分かった。
出口の穴の真ん前に立っていた白狼天狗の少女は、脇に避けて、侵入者である人間の少女――霧雨魔理沙が出てくる瞬間を待った。


 程無くして、白と黒の衣装を身に纏った小柄な魔法使いの少女が、わっと飛び出してきた。
次いで出てきたのは数名の鴉天狗。
幻想郷においてトップクラスのスピードを持つ彼らの飛行能力を持ってしても、少女の捕縛はできなかったらしい。
少女は勝ち誇ったみたいな笑みを浮かべながら停止飛行している。その手や腰や箒には、山内で奪取したいろんな物がある。
 ぜぇぜぇと息を荒げる鴉天狗の集団の中に、射命丸文がいた。普段から幻想郷最速を謳っている鴉天狗だ。
 白狼天狗の少女は、魔理沙と文を見比べた後、口を開いた。こんな機会は滅多にないから、文を“激励”してやろうと思ったのだ。
「文さん、相手は人間です。がんばってください」
「……椛……! あなたも追いなさい! さあ!」
 部下に当たる白狼天狗の犬走椛の“激励”を受けた文は、悔しげに唇をかんだ後、こう指示したのだが、椛は首を横に振る。
「私じゃ絶対追い付けませんよ。幻想郷最速の文さんですら無理みたいですから」
「に、逃げると追うのでは訳が違うのですよ」
 魔理沙を捕えられない理由をこう説明した文だが、
「別にそんなこと聞いてませんけど」
 椛は分かろうともせず、情けない文を見てにやけるばかり。
仕舞にはまだ停止飛行している魔理沙を指差し、
「幻想郷最速の文さんならきっといけますよ。さあ」
 こう言って追跡を促す始末だ。
バカにされていると気付いているし、部下に格好悪い所を見せたくもないのだが、長時間の追いかけっこですっかり疲弊した文に、もう魔理沙を追う気力は残っていない。

 そうしている内に、魔理沙は悠々と飛び去って行った。
もう追手の心配もしていないようで、山内で天狗達に見せつけていた、人間にしては驚異的な速度と華麗な飛行技術が嘘のように感じるくらい、ゆったりとした帰路だ。
 段々小さくなっていく魔理沙を呆然と見つめる鴉天狗達。
 初めこそ、普段偉そうな上司達の無様な姿を見て、心中でせせら笑っていた椛だったが、少しずつ気の毒になってきた。
それに、人間風情に舐められてばかりなのも、あまり気分のいいものではない。
 ここで恩を売っておくのも悪くないかも、なんて考え、剣と盾を地面に放り、大きく深呼吸を始めた。
 椛が普段見せない只ならぬ様子に、思わず鴉天狗達も息を呑む。
「椛? 何を? 追うんですか?」
「もう追っても追い付けませんから。せめて一矢報いてやろうかなと」
 そう言い椛は、すっかり小さくなった魔理沙のいる方へ、鋭い眼差しを向ける。
千里先を見通す、椛の能力が展開されている。
「文さん、風を操って下さいます?」
 魔理沙のいる方向を見やったまま、椛が呟く。
「どうすれば?」
「無風でお願いします」
 何をしようとしているのかは分からなかったが、椛に賭けてみようと、言われるがままに文は自身の能力を使い、風を止めた。
 魔理沙が去り、相対的に極めて静かになっていた妖怪の山から風の音までもが消えて、場はこれ以上無いくらいの静寂に包み込まれた。
自然と呼吸すら潜めてしまう程の静寂だ。
この静寂には、ほんの些細な瑕さえも許されない――この場に居合わせた者なら、誰しもそう感じることだろう。


 そんな中、突然椛が、数発の弾を放った。発射音はほぼ無しと言っていいほど小さな音。
白色の光を放つ、さして大きくない弾だ。普段は弾幕ごっこに用いる弾幕用の弾として使っているものだが、今回は弾幕とは成らずに放たれた。
その白色の光弾は、悍ましい速度で、魔理沙の逃げて行った方へと飛んでいく。
 もう魔理沙の姿は肉眼ではまともに確認することができない。弾もあっと言う間に遥か遠くへ消えてしまった。
 放たれた弾がどうなったのか、鴉天狗達には分からず、椛を見やった。
しばらく椛は、前方をじっと見ていたが、不意に顔を綻ばせ、
「着弾」
 こう呟いた。
千里先を見通すことができる椛ならではの狙撃技術を、鴉天狗達に披露してみせたのだ。
 本当に着弾したのかどうか鴉天狗達には分からなかったが、とりあえず椛を信用しておくことにした。

 椛は少しだけしたり顔で鴉天狗達を一瞥した後、剣と盾を広い、哨戒の任に戻った。
着弾後、彼女がどうなるかなど、椛はあまり興味が無かった。目に余る犯罪行為に制裁を加えてやった程度のことなのだから。
その後は、河童の少女と打っていた将棋のことなんかを考え始めた。



*


「もう追ってこないな」
 後ろを振り返って追手が来ていないことを確認し、魔理沙は一人笑みをこぼした。
 珍品に目が無い魔理沙にとって、外界との繋がりが囁かれている妖怪の山は宝庫のようなものだった。
天狗に捕まるかもしれないスリルを感じながら、広い山内を飛び回り、見慣れない物を片っ端から借りていく。
ある種、ゲームのようなものだと感じていた。
 落ち着いて物色する暇が無かった為、手に入れられた物は僅かだったが、それでも見たこともない物ばかりで、魔理沙はご満悦だ。
これらに一体どんな使い道があるのだろうか――見てくれだけで判断したりしながら、自宅へ向かって飛んでいく。


 そんな時であった。
超高速の光弾が、魔理沙のすぐ傍を飛び抜けて行った。
あまりに速く、そして体すれすれの所を通ったので、思わず驚いて制止してしまった。

 その動揺が災いを呼んだ。
 間髪入れずに、数発の同じ光弾が飛んできた。どう考えても自分を狙ったものだと、魔理沙は即座に判断した。
静止状態からその数発を、ほとんどまぐれで避けた。だが、そんな幸運も長く続かない。
 遂に光弾が、魔理沙の箒に着弾した。
 箒は彼女が空を飛ぶ為に必要不可欠な道具の一つだ。
無くても飛ぶことはできる。箒そのものに飛ぶ力がある訳ではないのだから。
しかし、長らく箒に跨って空を飛んできた所為で、それが癖になってしまい、今では箒無しではうまく飛べない体になっていた。


 箒は光弾を受けて破損した。箒を失った魔理沙は宙へ投げ出される。
――飛ばなくちゃ。このままでは地面へ落ちてしまう。
 だが、そう思うだけで飛べたら苦労はしない。
 魔理沙は箒の破片もろとも、地面へ向かって落ちていく。

「きゃあああぁぁぁぁぁ!!」

 あっと言う間に高度は下がっていく。地面が見る見る内に近づいてくる。
 このまま落ちて、地面にたたきつけられて、死んでしまう――?

 あまりの恐怖に、魔理沙は落下の最中、気を失った。




*




 わき腹が冷やりとした湿り気を感じた。
そのお陰で、視界は暗いままだったが、魔理沙は自分が生きていると言うことを知った。
あんなに高い所から落ちたのによく無事だったなと、まるで他人事みたいに自分へ語りかける。
無理して思い出さなくとも、勝手に脳内で再生される。彼女は何者かの攻撃を受け、墜落したのだ。
 この墜落は彼女にとってはついさっきの出来事だが、実際にはもう数時間も前の出来事である。
それくらい長く、彼女は気を失っていたのだ。

 瞑っていた目を開いて、視界を取り戻す。
辺りはすっかり暗くなっていて、ここでようやく、自分がかなり長い時間気を失っていたことを知った。
 暗いのは日が落ちた所為だけではない。彼女が落ちた場所が、妖怪の山から少し離れた一帯に広がる、樹海であったのも原因である。
樹木が深く深く覆い茂り、まるで海のように見えることからこの呼び名が付けられた。森林なんて言葉では生易しい。
樹海はいつでも日光を拒み、薄暗い。それが、夕暮れの闇に拍車を掛けているのであった。

 目を開いてもすぐには動けず、目だけを懸命に動かし、辺りを見回してみた。
見るも無残な姿となった愛用の箒や、落ちた拍子に壊れてしまったらしい、隠し持っていたマジックアイテムや、盗品の残骸が見て取れた。
お守りや護身の道具として使っていた八卦炉まで壊れてしまっている。
 その他に、大量の落ち葉や枝が散見できる。
魔理沙が生きているのは、樹海ならではの深緑のお陰であった。木の葉や枝がクッションとなり、死を回避してくれたのだった。



 それとなく自分が死ななかった理由を察した魔理沙は、思わず笑みをこぼした。
「あはは。私ってば、ついてるぜ」
 そんな独り言を漏らし、立ち上がろうと地面に手を付けた。


 しかしその瞬間、右腕の側面に激しい痛みが奔った。
痛みに驚いて思わず脱力してしまい、少しだけ浮いた体が湿り気のある地面へ落ちる。
 一体何事だと、魔理沙は右腕の、痛んだ箇所を確認する。
 すると、どうだろう。
肘から手首の辺りまで延びる巨大な切創があるではないか。
まるで、もうじき食べ頃となるアケビの実の割れ目のようにぱっくりと開いた切創で、そこから夥しい量の血が流れ出てきている。
 魔理沙が普段、いくら気丈に振る舞っていようとも、所詮彼女は人間の少女。
これほどの切創と出血を、とてもではないが軽く見過ごせるものではない。
しかも、その信じられない程の重傷を自分が負っているとなれば、その恐怖には更に拍車が掛かる。

「うわああああああぁぁああぁぁぁ!!!」
 葉擦れの音さえほとんどしない無音の樹海に轟く悲鳴。
同時に、彼女の双眸から涙が溢れた。
見るのも嫌になる大きな怪我から、思わず魔理沙は目を逸らした。
知らぬが仏とは、まさに今の状態を言うのだろう。気にするまいと思えど、右腕はずきずきと痛む。

 墜落の影響で朦朧としていた意識は、この切創の齎した衝撃と激痛によって一気に覚醒へと向かった。
そして完全に目覚めた意識は、更なる不幸を彼女に知らせる引き金となった。
 今度は、左脚が激しく痛んだのだ。
 見ない方が幸せなのは分かるのだが、一体どんな傷を負っているのか、確認せずにはいられない。
恐る恐る、左脚へ目をやってみると、数センチ程の太さの尖った木の枝が、大腿部を貫いていた。
枝別れの最中で折れている小枝が、釣り針の返しを連想させた。掛かった魚を逃がさない為のそれと同様、簡単にこの体から離れるものかと言う悪意すら感じられる。

 再び魔理沙は絶叫した。
 死んではいなかった。だが、とてもじゃないが無事などとは言えない。むしろ重傷だ。
生まれてこの方、これほど大きな傷を負ったことは一度も無い。
未だかつてない激痛と凄惨たる傷に、動揺し、恐怖し、涙し、叫ぶ。


 しかし、魔理沙は自ら口を慌てて手で塞いだ。右腕が痛むが、我慢した。
口元まで滴って来ていた涙や洟で手が汚れたが、そんなことを気にしている場合ではない。
 生命の危機を感じたことに関連し、思い出したことがあった。
それは、居を構えている魔法の森に夜間に出かけていると言うことを、近所に住む人形師に話した時のことだ。

『夜は妖怪の動きが活発になる。昼間は見掛けない凶暴な妖怪がうろつくこともある。
だから、なるべく夜は騒がないこと。極力静粛に行動して、妖怪に自分の居場所を知らせないこと。
まともに話ができる相手であることの方が稀だ。魔法で退けられるからと言って、慢心は絶対にしないこと』


 彼女が佇むこの場所は、人は勿論、それ以外の者すら立ち入ることが稀な妖怪の樹海。魔法の森の妖怪より強力な妖怪がうろついている。
傷が痛むからと言っておいおい泣き喚いていては、すぐ近くをうろついているかもしれない妖怪達に、手負いの人間がここにいると知らせるようなものだ。
だから彼女は泣くのを止めた。悲鳴を封殺した。
 八百万の神々が沢山いると、いつか秋の女神が言っていた。そう言った者達は魔理沙を取って食おうなどとは考えないだろう。寧ろ味方になってくれる可能性が高い。
信仰に飢えている神々が、樹海に落ちて大怪我を負った人間を見捨てることなど、まずありえない。
だが、こんな夜間に、こんな広い樹海の一角に落ちた人間を見つける確率など、そう高くは無いだろう。
 つまり、敵が多いが味方はいないと考えていい。いや、そう考えねばならない。楽観的に構えていて、生き延びれるような場所ではないのだ。

 先ほど見た通り、彼女が魔法を使う為の道具は墜落の際に全て破損し、使い物にならなくなった。
では、もしも妖怪に見つかったら、身を護る術は無いのか? むざむざ食われて死ぬ他無いのか?
 無いことはない。今の彼女でもできる護身術がある。
『霊撃』である。体内の霊力を消費し、周囲を攻撃する波を発生させる。
即座に放てる上に、強力な妖怪すら寄せ付けない威力がある。大抵の野生の妖怪はこれで倒せるだろう。
 だが、乱発はできない。
彼女は魔法使いだが、それ以前に普通の人間なのだ。
持っている魔力や霊力は他の魔法使いや妖怪と比べて少ない。その少なさを補ってきたのがマジックアイテムだが、何度も言った通り、現在は壊れてしまっている。
 では、それらの力が枯渇するまでは撃ってもいいのかと言われると、それにも頷くことができない。
 右腕に出来た切創に、左脚の腿を貫く枝。これ程の重傷を負ってなお、ここまで意識を保っていられるのは、魔力や霊力のお陰と言えるからだ。
彼女の知り合いである強力な妖怪達が、四肢を失う程の怪我を負っても生きているのは、それらの力による生命の維持がなされているからだ。
彼女も同じように、微量だがそれらの力を持つ。申し訳程度の中途半端な生命維持能力が働いている。
だが、その中途半端な生命維持能力が途絶えた時。即ち、魔力や霊力が枯渇した時。彼女は今のようにいられるだろうか?
恐らく、いられない。
出血による体力の消耗は加速し、一気に死に近づく。枯渇する以前に、一発撃つ毎に、彼女は自身の体調の変化を感ずることだろう。



 痛みを堪えながら、冷静に現状を分析する。
 まず、左の腿を貫いている枝は放っておくことにした。恐ろしいからと言って下手に抜くと、出血を酷くしてしまう。
枝が腿を貫いている状態のままでいるのは酷く気持ちが悪かったが、堪えなくてはいけないと自分に言い聞かせ、極力無視を決め込むことにした。
 右腕の切創は、身に付けていたポンチョを無理矢理巻き付けた。地底に異変解決をしに行った時に身に付けていたものだ。
肌寒い日が続いていたので、身に付けて出掛けていたのだ。

 次に、この樹海からどう逃げるか、と言うことを考えた。
箒が壊れた状態では、彼女は空を飛ぶことができない。よって空から逃げることは不可能だ。
かと言って歩いて逃げるのは気が遠くなる。そもそも左脚が酷い有様でまともに歩けたものではないし、出口がどちらなのかも分からない。
歩けど歩けど同じような光景が続くことは目に見えている。それは精神的に彼女を追いこんでくることだろう。
そして先ほど上げた、妖怪への対処の問題。樹海を抜けるまでに一体何度妖怪と出会うことになるのだろうか。
 魔理沙は自身の現在の状態から、霊撃の限度は三発とした。それ以上撃っては、恐らくこの身がもたないと思った。
樹海を出るまでに放つ霊撃は三発で済むのだろうか――と言うより、済ませなくてはいけなかった。


 空路は絶たれ、陸路も絶望的。
 脱出の手立てを失った魔理沙は途方に暮れ、樹木に凭れて呆然と上を見上げた。
木の葉と木の葉の間から辛うじて見える空には、黒っぽい雲が見受けられた。




 その場に留まって考えること数十分。
上を見上げた時に抱いた不安が的中した。
 鼻先に、僅かな冷たさを感じた。
反射的に空を見上げると、今度は頬に。続いて瞼に。そして唇に。最終的には特定できないくらい至る所に。
雨が降り出したのだ。
「そんな……こんな時に」
 毒づいても雨は止まない。止むどころか、雨脚は強くなり出し、あっと言う間に土砂降りとなった。
生い茂る樹木の海を掻い潜り、若しくは葉の表面を滑って落ちて、雨滴は次から次へと魔理沙の元へも容赦無く落ちて来る。
帽子を目深に被り直し、雨滴を凌ごうとするが、大した効果は得られなかった。
おまけに雨滴は傷口に染みる。考えないようにしようと努めている傷口が痛むと、見たくもない痛々しい傷口がフラッシュバックされてしまう。
特に見ないようにしている脚の傷を思い出し、思わず魔理沙は身震いした。
傷口の周りで乾いていた血と混ざって薄く赤茶けた水が、ぱたぱたと地面へ滴る。エプロンドレスの白い部分も段々と白では無くなり始めた。
 程無くしてずぶ濡れとなった魔理沙は、寒さに身を震わせ出した。
両腕を抱き寄せて申し訳程度に暖を取ろうとするのだが、焼け石に水であった。
このままでは出血とか以前に、凍え死んでしまうのではないかと思えてきた。


 雨は止みそうにない。助けも来ない。


 魔理沙は意を決し、心中でせーのと音頭をとって立ち上がった。
脚に激痛が奔り、思わずよろけた。転倒しかけたのを樹木に手を付けることで回避し、気を落ち着かせる為に大きく深呼吸をする。
だが、痛みは和らがない。
「痛っ……」
 言っても無駄だと知れども、つい口にしてしまう自身の不幸。
折れた箒を杖のようにし、魔理沙はよろよろと歩み出した。このままここにいても、何も変わらないのは明白であったから。
 向かっている方向が正しい道かは分からなかったが、幻想郷の全部が全部樹海と言う訳ではない。
どの方角へ向かえども、いつかは樹海を出られる筈だと自分に言い聞かせ、今や風前の灯となった生きる気力を燃え上がらせる。
 腕や脚の痛みを歯を食いしばって耐えながら、魔理沙は歩き出した。





 日は完全に落ち、夜が訪れた。
雨は止むことはなかったが、雨脚は先ほどと比べて弱まった。
 夜の訪れにより、闇は一層濃くなって樹海を埋め尽くす。
夜の闇とはこんなにも恐ろしいものだっただろうかと、魔理沙は思った。
いつでも、どんな時でも、闇は闇だ。その質に変化は無い。違うのは自分だけだ。
毎日触れ合っている筈の闇でも、自分の状態の違いだけでこんなにも印象が変わってくるとは思ってもいなかった。

 闇とは恐ろしいものだと言う感覚が芽生えた途端、魔理沙は再び、非常に心細くなってしまった。
 その気になって周囲を見回してみれば、確かに闇は何もかもを呑みこんでいて、何もかもを視界からなくしてしまう。
もしかしたら闇の中に何かいるのかもしれない。有無のはっきりしない脅威に怯える自分を、闇の中から見守って、せせら笑っている者がいるかもしれない――。

 ゆっくりだが、懸命に歩んできた脚が止まりそうになる。
止まっても仕方がないと言うことは分かっている。だが、あまりにも変わり映えしない景色を延々見ている内に、進むのさえ仕方がないような気がしてならなくなった。
「もうやだ……もう……」
 最寄りの巨木に凭れて、魔理沙はぐすぐすと泣き崩れた。
歩き出してから結構な時間が経ったと彼女は思っていたが、実の所、まだ数十分程しか経っていない。
それだと言うのに、彼女の精神状態はぼろぼろであった。
あまりにも急な不幸の訪れに対して、泣く以外の対処を思い付くことができなかった。

 くすん、くすんと啜り泣き、座り込んでいる最中。
不意にどこからともなく、草木を踏みしめる音が聞こえてきた。
草は擦れてがさがさと、地面に落ちている木の枝は踏まれて折れてぱきんと甲高い音を、闇の中に響かせる。
自分の泣き声と足音、そして雨音以外の音は久しぶりだと、魔理沙は音のしたであろう方向を見やる。
だが、安心はできない。むしろ恐ろしかった。
「だ、誰かいるの?」
 彼女が闇に向かって喋りかけると、草木を踏みしめる音が止んだ。何者かは、そこに立ち止まったのだ。
 魔理沙は息を呑み、闇に紛れているその者の動向を窺う。




 次いで聞こえてきたのは、犬が牙を剥く時聞けるような、低い低い唸り声。
魔理沙はぎょっとして尻餅をついたまま一歩後退した。
 その突発的な行動が、闇の中で魔理沙を見つけた野生の狼を刺激した。
 魔理沙は樹海に住む脅威を妖怪ばかりと決めつけていたが、何も樹海には妖怪しかいないと言う訳ではない。
通常の野生動物は勿論、外界では今や珍しくなった絶滅種や忘れられた動物、果てはそれらが瘴気の影響を受けて独自の変化を遂げたような動物まで存在する。
妖怪にとっては所詮動物であるが、人間にとっては手に余る相手だと言うのは明白だ。
何度も言うが、今の魔理沙は魔法使いでもなんでもない。単なる人間の少女と言っても過言でない。
そんなか弱い存在が、野生の狼相手に何ができると言うのか。

 ようやく魔理沙の視界にも狼が映ったが、もう逃げ切れる距離ではない。
そもそも見つかった時点で彼女に逃走などと言う選択肢はなかった。野生動物の脚力に、人間が敵う筈がないのだから。
冷静に考えれば逃げ切ることなど不可能だが、狼など目の前にして誰が冷静でいられるものか。心よりも先に体が、この脅威からの逃亡を測った。
 しかし、腿を貫く枝がそれを妨害する。
脚に電流でも流したかのような鋭い痛みが奔り、魔理沙は前のめりに、派手に転んだ。
水分を多く含む樹海の土が衣服にべっとりと付着する。
普段ならその不快感に顔を顰め、毒の一つでも吐いてみたであろうが、言わずもがな、今はそれどころではない。
 狼は既に魔理沙を噛み殺さんと駈け出している。
きっとものすごい速度なのだろうが、魔理沙には酷くゆっくりとした動きに見えた。
事故の寸前の数秒が、何十分にも感じられるのと同じ原理だ。
魔理沙は、自身の死を予感した。






 瞬時に危機を回避するのには慣れていた。弾幕ごっこで培った瞬発力は、なかなかバカにできないものであった。
 狼の牙が魔理沙の肌に食い込む寸での所で、眩い閃光が樹海を一瞬照らし出した。
その閃光は、魔理沙の周辺にあった何もかもを吹き飛ばした。土、草、樹、花、そして獣。
 獲物から発せられた謎めいた光に弾き飛ばされた狼は、すぐ後ろにあった樹木にぶち当たった。
今までにこんな形で樹木にぶつかることなど、恐らく無かっただろう。
この獣が自然の中で対峙する生物に、『霊撃』などと言う、奇抜で不可解な力を扱える者など、いる筈がないのだから。

 樹木にぶつかった狼は、ずるりと樹木を伝って地面に落ち、それっきり動かなくなった。
死んでしまったのかどうかを確認する為、魔理沙は杖として使っていた箒の残骸で狼を突いたが、やはり反応は無い。
どうやら死んでいるらしいと分かり、大きく深呼吸し、再びその場にへたりこんだ。
霊力を消費した所為か、極度の緊張と極度の脱力を短時間で繰り返した所為か、あるいは両方か。異様な疲労感が襲ってきた。
 危機からは逃れられた。しかし、数に限りのある貴重な護身の術を、こんな相手に使ってしまったことが不安でならなかった。
『こんな相手』とは言えども、狼は十分な脅威ではある。だが、そこらを跋扈しているであろう妖怪と比べれば、これはまだまだ小さな脅威と言えるだろう。



 脅威を目の前にし、身の危険を再認識した所為であろうか、魔理沙の中に再び樹海から脱出する気力が湧いてきた。
相変わらずどちらへ向かえばいいか分からなかったが、適当な方向へと歩み出した。
先ほど急に動かそうとしたツケであろうか、脚も腕も酷く痛んだ。だが、気にしている場合ではないと自分に言い聞かせた。




*




 右も左も分からぬ樹海を歩き続けて、およそ一時間程経過した。
景色に変化が無い。そもそも、暗過ぎて碌に周囲が見えない。本当に前に進んでいるのかも疑わしい有様だ。
 怪我を負っている上に、足元に気を付けながら進んでいる為、魔理沙の歩みは非常に遅い。
もしも進行方向が間違っていなかったとしても、朝が来るまでにこの樹海を抜けられるとは到底思えなかった。
朝まで無事に生きていられれば、少しだけ気分が紛れるだろうと魔理沙は思った。
妖怪は夜行性の者が多いから、夜よりは安全だ。それに、身の回りが明るいだけで、安堵感は全く異なってくる。
だが、無事に朝を迎えられるのかと問われても、魔理沙は自信を持って首を縦に振ることなどできない。
現に限りある我が身を守る術は、夜明けの兆候すら見えない内に一つ消えてしまった。
この調子で霊撃を使って行く羽目になれば、深夜になる頃にはいよいよあらゆる脅威に対して抵抗することができなくなっているであろう。
どうしようもない絶望感に見舞われながら歩む、逃げ道かどうかも定かでない道は、永遠に続いているように思えた。
 涙を堪えながら、なるべく急ぎ足で進んでいた最中だった。
 またも、どちらとも言えない所で、がさがさと音がした。

 魔理沙は反射的に立ち止まり、周囲を窺った。
あの狼に襲われた時からまだそれほど時間は経っていないのに、またも新たな脅威と遭遇してしまったらしい不運を呪った。
 まだ見つかっていないかもしれないと言う淡い期待を抱き、立ち止まったまま一歩も動かずにいると、
「あれ? もしやあなたは、いつかの魔法使いじゃ?」
 左側の闇から声がした。
まさか口の利ける者と出会えるとは思っていなかったから、魔理沙は大そう驚いて、声の聞こえた方を見やった。
 一見、闇しか無いように見える。だが、何者かが草を踏みしめる、さくさくと言う音が聞いて取れた。
その音は次第に大きくなってくる。近づいて来ている証だ。そして遂に、その人物が視認できるようにまでなった。
「……夜雀!」
 闇の中で魔理沙を見つけたのは、夜雀の怪、ミスティア・ローレライ。
異変の際や、彼女の経営する屋台などで何度も顔を合わせたことのある、知った顔だ。
知った顔と言えども、ミスティアは妖怪だ。だが、彼女に出会えたことで、魔理沙の中で渦巻いていた、不安とか心細さは一気に吹き飛んでしまった。
 腕や脚の痛みを堪えてミスティアにできるだけ速く近づき、その胸に飛び込んだ。
何でもいいから、安堵が、安らぎが欲しかったのだ。
 突然魔理沙に抱きつかれたミスティアは驚いて目を見開き、自分の胸に顔をうずめておいおい泣きだした魔理沙に困惑の表情を見せ、一先ず頭を撫でておいた。
「おー、よしよし。こんな夜遅くまでお疲れ様。でも、良い子がお家に帰って寝る時間はとっくに過ぎてるよ」
「帰れないんだよっ」
 軽口を叩くミスティアに、魔理沙は震える声で応対する。彼女は、魔理沙が置かれている環境の深刻さを理解していないのだ。

 一しきり泣いて、落ち着いた魔理沙は、ミスティアに現状を伝えた。
妖怪の山から帰る途中に撃ち落とされて樹海へ来たこと。その際、腕と脚に大きなケガを負ったこと。出鱈目に歩いていたらミスティアと出会ったこと。
 あらましを聞かされたミスティアは、なるほどねと一言添え、うんうんと頷いて見せた。
「それは大変だったね」
 同情するような口調で言う。
魔理沙の受けている傷を見て、「こりゃ酷い」と顔を顰めた。
「ここは樹海のどの辺りか分かるのか?」
 魔理沙が問うと、ミスティアは周囲をぐるりと見回し、
「何となくは」
 こう答えた。
「じゃあ、どっちへ向かえばいいかも……」
「分かるよ。じゃないと帰れない」
「帰れないって、いざとなれば空を飛べばいいんじゃないのか?」
「夜の樹海上空には何がいるか分かったもんじゃないよ。そう思うなら、あなたも飛んで逃げればよかったのに」
「飛べないんだよ」
「どうして?」
「どうしても」
「変なの」
 くつくつと笑うミスティア。こんな状況だが、箒が無くては飛べない自分の不甲斐なさに、魔理沙は恥じらいを覚え、闇の中でひっそりと顔を赤く染めた。
 ミスティアが胸をぽんと叩き、言った。
「いいよ。案内したげる。付いて来て」
 そう言い、ミスティアは歩み出した。
魔理沙が歩いていた方向とは違う方向であった。
このまま歩き続けていたら、余計深みに嵌まっていたかもしれないと考え、魔理沙は思わず身震いした。



 ミスティアは時々後ろを振り返りながら先を進む。
魔理沙はケガを負っていて、歩みが遅いのを理解しているのだ。
「大丈夫? 休む?」
「いや、平気だよ」
 そう、と静かに付け加え、再び歩み出すミスティア。
外に慣れているのだろう、すっかり細かくなってしまった雨滴を気にする様子もなく、歩いている。
「でもまあ、よくも生きてたね。魔法も使えなくなって」
「運が良かったんだよ」
「うん、そうとしか言いようがないね。魔法の使えないあなたはただの人間だし」
「……ちょっと傷付くな」
「あはは。ごめんごめん」
 振り返ってそう言ったミスティアは、笑っている。言葉とは裏腹に、彼女の態度からは申し訳なさなど微塵にも感じられない。
何の変哲も無い人間など、例え怒ったとしても、妖怪のミスティアからすれば怖くもなんともないのだろう。

 そんな風に笑う彼女の背後に、突如として別の妖怪が現れた。醜悪な容姿で、見た感じ言葉など通じそうにない。
何が出たかは分からなかったが、とにかくミスティアの背後に何かが現れたことだけは分かった魔理沙は目を丸くし、
「ミスティア! 後ろッ!」
 素っ頓狂な声を上げた。
 言われたミスティアが即座に振り返る。食う為だけに生きているかのようなその妖怪は、躊躇もせずに鋭い爪をミスティア目掛けて振り下ろす。
だが、そんな低俗な妖怪にミスティアが負けることはない。
ひょいと身軽に、その不意打ちを避けて見せた。空を切り、地面に突き刺さった長い爪を、手ごと踏み潰して粉砕する。
耳障りな叫び声を上げて悶える妖怪を殴り、蹴り、折った爪を突き刺す。見る見る内に、妖怪は肉塊と化していく。
魔理沙はその凄惨たる様子を、唖然としながら見守っていた。
 自身の生命を脅かした存在への制裁を終え、ミスティアはまたもにこりと笑った。
「ありがとね。余計なケガを負わなくて済んだ」
「あ、ああ……」
 手に付いた血を、近くの木の葉で拭き取って、ミスティアは再び歩み出した。




 暫く歩いていると、再び雨が強く降り始めた。
ミスティアは立ち止まって空を見上げ、鬱陶しい雨だなあと、小さく呟いた。
「なあ、あとどれくらいで樹海を抜けれるんだ?」
 魔理沙がミスティアに問うた。
『もう助かるだろう』と言う安心感が、なるべく雨に濡れたくないと思う心の余裕を作ったのだった。
問われたミスティアは、うーんと顎へ手をやり、
「どれくらいかなあ」
「かなあって、知ってるんだろ? この樹海」
「まあね」
 結局詳しい回答はせず、ミスティアは歩み出す。
どうせなら終わりまでのおよその所要時間を知っておきたかった魔理沙だったが、答えられないものは仕方がないとミスティアを追いかけ出した。
 その時だった。

「……魔理沙さん?」
 不意に後ろから名前を呼ばれ、魔理沙は反射的に後ろを振り返った。
 暗い森に溶け込むような服装の、神様がいた。
「その声は、厄神か?」
 彼女に声を掛けたのは、厄神こと鍵山雛。
厄を溜めこむその体質故に人を避ける必要のある彼女は、よくこの樹海に身を潜めているのである。
「魔理沙さん、こんな時間に何処へ? そのケガは?」
「いろいろあって樹海で迷っちゃってたんだ。でも、夜雀に出会って、外へ案内してもらってる」
「夜雀?」
 怪訝な表情を雛は浮かべている。……だが、魔理沙には見えない。森は暗いのだ。
「しかし、まさか顔見知りと二人も出会えるなんてなあ。運がいいんだか、悪いんだか……」
「魔理沙さん」
 魔理沙の軽口を雛が妨害する。その口調は、少し強張っていた。
「何?」
 妙に真剣な雰囲気の雛に少し気押されながら、魔理沙が聞き返す。
「そちらへ向かっては、いつまで経っても樹海は抜けられませんよ?」
 雛にそう告げられ、魔理沙の表情は凍りついてしまった。
暫く、雨滴が葉を叩く音だけがその場を支配した。
「な、何言ってんだよ」
 やっと絞り出せたのはこの一言。この安心感を。この安堵を、ぶち壊されてたまるかと、魔理沙は抵抗して見せたのだ。
 雛は、魔理沙が向かっていた方向と直角になる方を指差して言う。
「正確には言えませんが、それでもこちらに向かった方がまだ早くこの樹海を抜けることができます」
「だって、ミスティアはこっちだって」
「ミスティアって……! 彼女は人を食う妖怪でしょう?」
「そりゃ、そうだけど、でも」
 なんとか反論しようと必死に言葉を探す魔理沙。だが、
「魔理沙ー?」
 またも背後から名前を呼ばれ、反論の為に必死に用意した言葉は一瞬で吹き飛んだ。
恐る恐る後ろを振り返ると、夜雀が、ミスティアがいた。人を食う妖怪が。
「何してんの。こっち……あら?」
 魔理沙が付いて来ていないことを知り、呼び戻しに来たのだった。
すると、魔理沙は誰かと何やら話をしているではないか。
 物覚えの悪いミスティアの記憶にもあった。厄神。人間の味方――。
 ミスティアがギロリと雛を睨みつけた。
「ちょっと、ちょっと。魔理沙に近づかないであげて? 厄の所為で変な目に遭ったらどうするのよ」
「……もう変な目に遭っているではありませんか」
「何をー? 私は樹海で迷った魔理沙を外へ……」
「このまま直進するつもりだったの? あなた、樹海は初めて? そっちに行ってたら、明日の朝になっても樹海なんて抜けられないわよ」
 雛が引きつった笑みを浮かべこう言うと、ミスティアは黙ってしまった。
魔理沙はミスティアと雛を忙しなく交互に見つめる。




 不意にミスティアが地面を蹴り、雛に飛び掛かった。
二人の中間にいた魔理沙は、悲鳴を上げながら横へと逸れた。またも脚がずきんと痛んだ。
 ミスティアの手の爪が雛の腕に食い込んだが、血は出ない。雛は流し雛。人形なのだ。
だが痛覚はあるようで、痛みを堪えるようにきゅっと唇を噛んだ。
「あーあ、台無し。どうしてくれんのよ、折角の夜食を」
 爪を腕から引き抜き、蹴りを一発見舞って強引に距離を開ける。
 神様である雛と対峙しても、ミスティアは余裕の表情を見せている。
この戦いに相当な自信があるらしい。
対する雛は、妖怪相手だと言うのに、少し不安げな表情を浮かべている。
日中ならまだしも、夜間の、しかも特に暗いこの時間に、夜雀を相手するのは分が悪いのだ。
だが、神様として人間を守らねばならないと、意を決して戦う姿勢を見せた。



*



 すっかり信じ切っていた妖怪から逃れるべく、自分を守る為に敵に対峙する神様も見捨て、魔理沙は、雛が指し示した方へと我武者羅に進んでいた。
痛む腕も脚も意に介さず、とにかくできるだけ二人から離れなくてはいけないと、必死で。
木の根に、蔦の葉に、ぬかるんだ地面に足を取られ、何度も転びそうになった。時には転んで泥だらけになった。
ずぶ濡れの服は動きを阻害し、容赦なく体温と体力を奪っていく。
だが、ミスティアが雛に飛び掛かった瞬間の、闇の中だと言うのに鮮明に目に映ったあの表情を思い出すと、足を止めてはいけないと心の底から思えた。
――あれがミスティアの本性とでも言うのか?
 永夜の異変の時、若しくは花の異変の時に見せていた表情、態度とはまるで違う。
あれが、妖怪の本当の恐ろしさなのだろうと、魔理沙は思った。
 追い付かれてはいけないと、できるだけ魔理沙は歩みを速めた。



 そうやって死力を尽くして逃げること、十数分。
「まーりーさー?」
 可愛らしい声が樹海に響き渡る。ミスティアの声だった。
心臓を直に蹴り上げられたような衝撃が体に奔り、その所為で脚をもつらせ、魔理沙は派手に転んだ。
倒れても起き上がる勇気は無く、魔理沙は地面に俯せたまま、息を殺し、ミスティアがこの付近から去るのを願った。
間違って声が出ないように口に手を宛がった。鼻息がこの上なく大きな音に思えた。
 ミスティアはしばらく、変な歌を口ずさみながら、周辺を探していた。
普段は誰もが「意味が分からない」と笑っているが、今の魔理沙にはもっと特別な、恐ろしい歌のように思えた。
有り余る殺戮衝動を解消する為に作った歌とか、狩猟の為に士気を高める為の歌とか、そんな印象だ。
 ミスティアの捜索は極めて雑だった。
その場からはほとんど動かないで、適当に周囲を見回す程度のものであったのだ。
そんな捜索では、黒い服を着て俯せで倒れている魔理沙を見つけるのは無理であった。
すぐに見つからないのが気に食わないようで、ミスティアは次第に歌うのを止めた。
「ちぇっ。見失った。厄神め、嫌なタイミングで出てきたもんだよ」
 普段の惚けた雰囲気からは想像もできない声色で、ミスティアは一人、ぶつぶつと呟いている。
魔理沙に聞かれていることには気付いていない様子だ。
「面倒くさいことになったなあ。屋台の風評に関わる大問題だ」
 面倒くさい、面倒くさい、面倒くさい……そう何度も毒づきながら、近くの樹木をごんごんと殴り付ける。
樹木が小さく揺れ、葉に付着していた水滴がぱらぱらと地面へ向かって落ちていく。
「どうせこの樹海で残飯になって見つかった所で、誰が疑われることもないんだ。さっさと食べとけばよかったか。……まあ、いいか。どうせあんな状態じゃ、この樹海から無事には出

られないだろうし」
 そう結論付けたミスティアは、結局悩むことなど無いと気付いたお陰で、再び朗らかな気分になれたのか、あははと一人笑った。
そして、また奇怪な歌を口ずさみながら、樹海の奥深くへと消えて行った。


 声がしなくなってから、魔理沙は用心深く起き上がり、周囲を窺った。
 何もいないのを確認し、再び急いで雛に指し示された方へと歩み出した。
雛のことが気に掛かったが、もう引き返している余裕などある訳も無い。



 今までよりも必死に、なるべく急いで、雛に指し示された筈の方角を歩く。
まだミスティアが自分を探しているかもしれないと考えるだけで、ありもしない夜雀の視線が背中に突き刺さってくるような感覚に陥り、その錯覚は歩みを速める。
だが、今の身体の状態が出せるパフォーマンスを越える運動は、そう長く続くものではない。
足がもつれ、またも転んだ。
ばたばたとぬかるんだ地面の上でもがいてから立ち上がり、再び樹海の終わりを目指して歩み出す。

 ミスティアと出会ったことで、一度、一時、魔理沙は心の底から「助かった」と思った。
彼女の案内を受けていれば樹海から出られ、如何なる脅威も彼女といれば回避できると思い込んでいた。
それだと言うのに、事実を知らされて一変、この様である。
この気持ちの高低差は、魔理沙に多大なダメージを与えた。きっとしばらく――酷ければ永遠に――、彼女は妖怪に対して不信感を抱くことだろう。
 だが、そのダメージが彼女を覚醒へと導いたのも事実だ。
もう何にも頼れないと言うことを認識させた。どんなに心細かろうとも、生き延びる術がなくても、助けてなど貰えないということに気付かせた。
 裏切りによるショックと、一気に絶望に叩き落とされたことで半ば狂乱状態となり、いっそ死んでしまおうかと言う思考も、感じる苦しみさえも吹き飛んだ。
ミスティアの卑劣な所業は、魔理沙が形振り構わず生に執着する切っ掛けとなったのだった。



 衣服に着いた泥も、寒さも、痛みも、苦しみも恐怖も、何もかも無視し、魔理沙は進む。
 しかし、生きたいと願う少女に、尚も障害が立ち塞がる。
ミスティアと雛の弾幕ごっこの騒々しさと、それによってその場に溢れた、所謂生気のようなものが、潜んでいた妖怪どもをその近辺に呼び寄せたのである。
生物を喰らう妖怪は、生物の気配に敏感らしい。
呼び寄せられた妖怪達は魔理沙を喰らわんと、彼女を取り囲む。あっと言う間に魔理沙は妖怪達に囲まれてしまった。
 鋭い牙が辛うじて見えた。ぺろぺろと忙しなく動き回る、人並ならぬ長さの舌は、唾液がべっとりと付着していて、ぽとぽとと地面へその滴が滴っていく。
どう見ても食う為だけに生きているような、醜悪な容姿の妖怪達。勿論、言葉など通じない。
仮に通じたとしたって、この樹海で出会った妖怪相手には言葉など意味を持たないことは、ついさっきミスティアが証明してくれた。
「くそっ……どけよ、どけったら!!」
 威嚇のつもりだろう、魔理沙が声を荒げるが、妖怪達は少しも怯まない。
それどころか、じりじりと魔理沙に詰め寄ってくる有様だ。
進行方向に敵がいる為、強引に進むことができない。近づかれた分、魔理沙は退く。

 前方ばかりに気を取られていたのが仇となった。
背後にいた妖怪が、隙をついて魔理沙に飛び掛かった。
背中から魔理沙を羽交い絞めに、さっさと仕留めてしまおうと、その鋭い牙が魔理沙の首筋に食い込み掛けた寸前、閃光が魔理沙を包み、周囲一帯の草木を、土を、そして妖怪達を吹き

飛ばした。
 飛び掛かられたことによって、魔理沙が反射的に放った霊撃だ。
知能の低いこの妖怪達に、魔理沙が護身の術を持っていることなど予測できる筈がなかった。
 妖怪が魔理沙を羽交い絞めにした時点で、周囲の妖怪達もすっかり仕留めたと思い込み、その肉にありつこうと飛び出していた。
それ故に、一発の霊撃で多くの妖怪を仕留めることができた。

 魔理沙は暫く倒れた妖怪達に囲まれながら、その場に佇んでいた。
思った以上に、霊撃による体調の変化が激しかったのだ。
時間と天候の影響でただでさえ悪い視界が、ぼやけて更に悪くなってきたし、急にどっと疲労感が押し寄せてきた。
――本当に後一回撃って大丈夫なのかよ。
 どうやら、少し自分の力を過信していたみたいだと、魔理沙は心中で自嘲した。
そもそも、その過信が今回のこの悲劇を生んだのだと気付いた。完全に見の程知らずだったと、今更気付いた。



 力を振り絞ってどうにか立ち上がり、再び出口を目指して歩み出した。
歩いていると言うのに、体はまるで全力で走った後のような状態だ。
体全体がずしりと重く感じられ、脚は長らく油を差していない機械みたいにぎこちなく、ぎちぎちと耳障りな音を立てているかのよう。腕を振ることさえ満足にできない。
息は上がり、肺は痛む。喉は上下がぴったりとくっ付いているかのようだ。
意識を繋ぎ止められているのが不思議なくらいだった。

 まさに満身創痍の状態で数歩歩んだところで、足首に異様な力が加えられた。
 びくりと体を震わせ、足元を見てみれば、さっきの霊撃で仕留めた気になっていた妖怪の一人が生きていて、魔理沙の足首を掴んでいるではないか。
片腕が千切れてしまっているので、残った方の手で、がっしりと足首を掴んでいる。
顔半分が崩壊していて尚、魔理沙を喰らわんとしている。
 まさか妖怪が生きているとは思わなかったこと。そして、その悍ましい形相。
 たった一人の妖怪相手に、魔理沙は自身の限界と定めた三発目の霊撃を放ってしまった。





 歩いていると言うより、倒れていないだけと言った感じに、魔理沙は前に、前に進む。
 光は見えてこない。樹海の終わりも分からない。方向が正しいかどうかも、今の彼女には分からない。
地底に住むさとり妖怪の姉妹の妹さながらの意識のまま、魔理沙は生きよう、生きようと、譫言みたいに呟きながら、樹海の終わりを目指していた。
 木の根に足を引っ掛け、転んだ。水分をたっぷり含んだ泥に滑り込む。
立ち上がることが、もうできなかった。
いくら自分の体を浮かせようと、手のひらを地面に付けて二の腕に力を加えてみても、その体を浮かせることは、ついにできなかった。
 ずりずりと、ほんの数十センチ程度這いずった後、魔理沙の視界は完全に闇に包まれた。夜の闇の黒よりも、もっと深い黒に覆い尽された。
雨音も、風の音も聞こえなくなった。
雨滴の感触も、泥の冷たさも、満身創痍の体が発し続けていた限界のサインも感じなくなった。






*





 ふっと視界に、見覚えのある天井が飛び込んできた。
すぐ横の大きめの窓からは陽光が差し込んできている。
 魔理沙はベッドの中にいた。
 雰囲気や、臭いで分かる。ここは、竹林の奥にある、永遠亭だと。
「助かったんだ」
 見てみれば、大怪我を負った腕や脚には包帯が巻いてある。
服もいつも来ているエプロンドレスと違い、白く清潔感のあるものに取り替えられている。
 体を起こし、そっとベッドから降り立つ。不思議と腕や脚は痛まなかった。

 扉が見えた。
周囲を見ても、扉はそこしかない。
更に、扉以外のものは何一つなかった。
殺風景な病室だなとか考えながら、魔理沙は扉に近づく。
助けて貰った礼を言わなくてはいけないと考えたのだ。

 扉のノブに手をやる寸前、外から声が聞こえた。
「そう。そんな所で倒れていたの」
 声には聞き覚えがあった。博麗霊夢だ。見舞いに来てくれたのかと、魔理沙は少し喜んだ。
「そうなのよ。鈴仙が偶然見つけたの」
 霊夢の声に返事をした声にも聞き覚えがあった。八意永琳だ。
「それで、どうなの? 魔理沙は」
「ええ。もう無理ね」

 二人の怪しげな会話は、魔理沙の扉を開ける気を失せさせた。
――もう無理とは? 私はここにいるのに。
ノブに手をやる寸前と言う、ひどく中途半端な態勢のまま硬直し、魔理沙は二人の会話を盗み聞く。

「この部屋にいるんでしょう?」
「いるけど、もう助からない」
「どうしてよ」
「腕と脚に大きな傷を負っていた。その傷から、悪い菌が入ってしまったみたいで」
「どうにもならないの?」
「樹海は瘴気の影響でおかしな進化を遂げているから。最善は尽くしたけれど、手遅れ」
「そう」



 呆然と突っ立ったまま、魔理沙は自分の腕の怪我を見た。
包帯がぐるぐる巻きにしてある。
永琳の話を聞いたからであろうか、その念入りな包帯の処置が酷く不自然なものに見えた。
 特に考えも無しに、包帯を解いてみた。
止めてあるテープみたいなものを剥がし、ぐるぐる巻きの包帯をぐるぐると取り外す。いつまで経っても、自分の腕が見えてこない。

 ついに、魔理沙の腕が姿を現した。
そこにあったのは、見慣れた自分の細くて白い腕ではなく、妙に腫れ上がって太く、腐りかけの葡萄の実みたいにぶよぶよしていて、紫と赤を足したみたいな色に変色した、変わり果て

た腕であった。
「おいおい、何だこりゃ」
 これが私の腕なのかと苦笑しながら、魔理沙はその腕を、もう片方の手の人差し指で突いてみた。
見た目通り、ぶよぶよとした感触が楽しめた。つんつん、ぶよぶよ。つんつん、ぶよぶよ――寧ろ心地よく感じた。
 ならば脚もかと、その場に座り込んで、脚の包帯も取り去ってみたらば、脚も腕と全く同じ状態となっていた。
よくこんな状態で私の体を支えられたもんだなと、魔理沙は感心してしまった。
 だが、いくらそんな感心な腕や脚だからと言って、こんな腕や脚では見っとも無い。
何より、悪い菌が体に回って死んでしまう。そうなる前にこんな腕や脚は切除しなくてはいけないなと、魔理沙は周囲を見回し出した。

 ベッドの骨組みは金属製だった。白色の塗装が所々剥がれて、こげ茶色になっている。
 魔理沙はベッドに駆け寄り、こんこんとその骨組みを叩いてみた。十分な強度がある。
それを確認すると、魔理沙はおかしくなっている腕を大きく振り上げ、患部の中腹を思い切りその骨組みに向かって叩きつけた。
 見た目も感触も腐りかけの葡萄の実みたいな腕は、強度までそれと同じようなものだったらしく、ぶつかった途端に腕はぽきんと折れて、赤い血を噴き出しながら宙を舞い、ベッドに

落ちた。
白いベッドに赤い斑点模様。魔理沙も返り血を浴びて汚れた。
 しかし、不思議なことに、腕が折れたと言うのに、ちっとも痛くなかった。
この理由を、魔理沙は顎に手をやりしばらく考えて、
「そうか、腕は既に死んでいたのか!」
 こういう結論に達した。

 そんな結論より、もっと気になることを見つけた。
それは、自分の顎を触った時の感触だ。これまたさっきの腕や脚とそっくりだったのだ。
 もしかして、と、魔理沙は窓に近づき、反射する自分の顔を凝視した。
「ああ、なんてことだ」
 魔理沙は思わずそう漏らし、苦笑した。
顔まで所々死んでいるではないか。

 手遅れ

 永琳の言葉が脳内を駆け巡る。
 その途端、ぐちゃんと、脚が折れた。やっぱりあんな脚では体の重さを支えることはできなかったようだ。
バランスを崩し、前のめりに倒れる。
顔が窓ガラスに見る見る近づき、ぶつかりそうになった瞬間、視界が一転した。
「ッ!?」
 魔理沙は仰向けで寝ていた。
 見覚えのない天井が目に入ってくる。どこにいるかは知らないが、とりあえず自分が屋内にいることだけは分かった。
樹木や茸、それに花――森の香りが強い場所だ。

 嫌な夢をみたものだと心中で毒づいた後、ここはどこか、自分はどうなったのかを知るべく、まずは腕の怪我の具合を知ろうと、腕を動かそうとしたのだが、違和感。
「あれ」
 間の抜けた声でそう呟き、頭を動かして右腕を見ようとしたのだが、おかしなことに、肩から先が見えない。
否。無い。無いのだ。僅かに残った右腕の先には、小汚い布切れが宛がわれていて、細い紐を結って固定されている。
布切れには血がすっかり染みていて、赤黒く変色している。
 しばらくの間ぽかんと、右腕があるべき場所を眺めていた。だが、どれだけ見てみても、右腕は肩から先が無い。
背筋がじわりと熱くなった。全身から嫌な汗が噴き出してきた。
 まさかと思い、左脚の方へも目をやったが、予想通り、左脚もすっかり無くなってしまっている。
――夢の話は本当だったのか!? 悪い菌が傷口から入り込んで、私を蝕むから、切除してしまったのか!?
 いくらなんでも私に許可も取らずに切り取るなんて許せないと、魔理沙は怒り、震え、泣き、叫んだ。
「永琳!! なんてことをしてくれたんだ!! 出て来い!!」
 体が固定されているらしく、そこから動くことができないので、仰向けに寝たまま魔理沙は喚き散らした。

 そうやっている内に聞こえてきたのは、永琳の声ではなかった。
「何よ、うるさいなあ」
 しかし、聞き覚えはあった。そして、その声に対して魔理沙は、反射的に恐怖した。
この声はもう聞きたくない、聞いてはいけないと、思い知ったのだ。
「ミスティア……!」
 現れたのはミスティア・ローレライ。樹海で彼女を食おうとした妖怪。
「これ、お前が?」
 魔理沙が恐る恐る問うと、
「うん。私。腐る前に切っちゃわないと、全身ダメになるでしょ」
 悪びれた様子も無く、ミスティアは即答した。最寄りの台に置かれていた大きな刃物を手にとり、器用にくるくると回して見せながら。
 刃物を見せつけられた魔理沙は、見渡せる範囲で周囲を見回した。そして、気付いた寝かされていたのは、大きな木製の板の上であった。
ここはミスティアの厨房であり、彼女はまな板の上に寝かされていたのである。
 ミスティアはケラケラと笑いながら、聞かれてもいない経緯を話し始めた。
「厄神と戦ってる間にあんたを逃がしちゃって、もう無理かなーって思ったんだけど、あんたがまた別の妖怪とわいわいやってくれたお陰で、また見つけられたんだ。しかも、力尽きて

気を失っててね。バカな妖怪達に感謝だね。ナントカの利って言うんだっけ、こう言うの?」
 語りながら、まな板の上の魔理沙の周囲を歩き回るミスティア。
 魔理沙はがたがたと震えながら、
「なあ、お願いだ。見逃してくれよ、お前のこと、絶対に誰にも言わないから」
 こう懇願したのだが、ミスティアは妙に悲しげな顔を見せ、首をぶんぶんと横に振った。
「残念だけど、私が見逃してもあなたは死から逃れられないよ」
「なんでだよ。腕や脚が無くたって……」
 生きる抱負を述べようとした魔理沙だったが、ミスティアがそれを遮り、
「何時間あの樹海にいたか知らないけどさ」
 こう言った。一旦そこで言葉を区切った後、
「そんなに綺麗な場所じゃないんだよね、あそこ」
 やけに勿体ぶった口調でこう一言。
 それ以上の説明は無かったが、魔理沙は分かった。つまり、夢と同じ結末が待っている、と言うことだろう。
傷口から――もう傷口のある体は消えてしまったが――体が腐り、最終的には全身にそれが行き渡り、死ぬと。

 魔理沙の表情を見て、自分の言葉の意味を察してくれたと感じたらしいミスティアは、にっこりとほほ笑んだ。
「どうせ死ぬなら誰かの為に死んだ方がいいでしょ?」
 そして、手に持った大きな刃物の嶺をぱしぱしと手に当てて、魔理沙に歩み寄る。
「あんたの体は瘴気に毒されているけど、瘴気は進化の源でもある。樹海や魔法の森の動植物がおかしな進化を遂げるように、ね」
「止めろ、来るなよ! あっち行け!」
「食べることでより効率的に摂取することができるのよ。それにあなたは、普通の人間じゃないし」
「来るな! 来るな、来るな、来るな!!」
「自分の不運を嘆きなさいな」
 ミスティアが刃物を振り上げた。



 限界は三発と見ていた霊撃。
実際に三発撃ってみて、その目算はかなり的外れであったことを痛感した。
四発目なんて以ての外、身体的に耐えられる筈がない、そもそもあんな苦しさを味わうなんてもう嫌だ。
とは思ったのだが。
生きようと言う意志が、その限界をぶち壊した。
生きようと言う意志が、その苦しみを、ほんの一時、忘れさせた。





*




 後先考えずに放った霊撃は、ミスティアを仕留められこそしなかったものの、気絶へと追いやった。
彼女自身、まさかまだ魔理沙に抗う気力があるとは思っていなかったのだろう。直撃であった。
魔理沙を捉えて離さなかった拘束具も霊撃によって破損した。魔理沙は晴れて自由の身となった。
 四発目の霊撃は、身体に尋常でない負荷を与えた。
しかし、まな板の上と言えども、数十分眠られたことが影響したのだろうか。思った以上の苦しみがなかった。

 片腕、片脚を完全に失い、まともに動くことができなくなった魔理沙は、厨房からずりずりと這って進み、出口を探し始めた。
流石は夜雀の家と言ったところか、あまりにも暗い。窓が存在しないらしかった。
壁にぶつかった。そこから、壁に体を擦り寄せながら、少しずつ、少しずつ動き、扉を探していく。
目は闇になかなか慣れてくれず、いつまで経っても、何処を見ても黒一色であった。


 と、その時、どこからともなく、がちゃりと音がした。
間違いない。扉が開く音だ。
次いで、ぎぎぃ、と音がし、した方から葉擦れや雨音と言った、屋外の音が聞こえてきた。
外も暗いらしく、視覚的な変化はほとんど得られなかったが。
「誰?」
 魔理沙が問う。もう、妖怪でも何でも構わなかった。
敵かもしれないが、味方の可能性もある。あまりにも今の彼女は無力だから、この声掛けはもはや賭けと言っていいだろう。
 ミスティアの家に入って来た者は、魔理沙の声を聞き、彼女に歩み寄って来た。
魔理沙は固唾を呑んで、その者の動向を窺う。相変わらず、姿は見えない。


 壁に手をやり、片脚の膝を地面に付けた態勢でいた魔理沙の胸に、不意に冷たく細い鉄板が飛び込んできた。
 痛みなどなかった。ただただ、胸におかしな冷たい硬質があるばかり。
「え……」
 すぽん、と抜かれた鉄板。それを追うかのように、魔理沙の胸からぴゅうっと鮮血が吹き出す。
頬に当たったそれは、妙な温もりがあった。久しぶりの温もりのように魔理沙には感じられた。
 が、それを喜ぶ暇さえなく、魔理沙はばたりと前のめりに倒れた。
片方の腕で胸の傷を抑えるのだが、血は止まらない。どんどん体は寒くなっていく。雨に打たれる寒さとは違う、もっと異質な寒さ。
どんどん体の力が抜けていき、仕舞には傷を抑えることさえできなくなった。
最期に、自分を殺めた者の顔を見ようと懸命に頭を動かしたが、それさえ敵わず、がくりと頭が地面へ落ち、それっきり魔理沙は動かなくなった。



 魔理沙を墜落させてから、彼女が無事に済まなかった時、自分が、若しくは天狗が疑われては面倒だと思った犬走椛は、魔理沙を千里眼で探していた。
すると、樹海の一角で一騒動、二騒動とあり、そこでミスティアが魔理沙を連れていくところを見た。
魔理沙の怪我の具合や、ミスティアに捕まったことから、もう魔理沙は無事では済まないだろうと思った。
ミスティアに殺されれば、とりあえず自分や仲間が疑われることはないだろうと思ったが、念を入れ、ミスティアの家の付近で張り込んでいた。
 すると、またも大きな音が聞こえた。ミスティアが魔理沙を殺し損ねたことを覚り、家屋の中へ入ってみた。
そしてすぐに魔理沙を見つけ、口封じを施した、と言う訳である。
罪悪感は無かった。彼女も妖怪の山で一暴れしてきたのだから。


 椛は、傍にあった布で剣の血を拭き取り、厨房に魔理沙を移動させ、踵を返し、山へと戻って行った。
 タイトルは某映画から。結構面白かったですよ。
英語は苦手なので、このタイトルは意味が通っているのかが不安です。


 久しぶりに肉体的に魔理沙をいじめた気がします。
最近はかっこいいイメージが湧き始めていて、
少しこういう目に遭わせるのは抵抗あったんですけどね。
書いてみたら割とどうでもよくなってました。

 霊撃とか瘴気とかの設定は全部妄想です。
 スペカばかりが着目されてて、
霊撃はあまりSSに出てない(と勝手に思い込んでいる)ので起用してみました。
如何でしたでしょうか。


 ご観覧ありがとうございました。

++++++++++
>>1
なんてかっこいい言い回し。惚れました。

>>2
本当に便利な娘です。

>>3
人間があがいたところで、そう簡単に助かるもんではありませんわ。

>>4
雛は犠牲になったのだ。(死んではいないんですけど)

>>5
楽しんで貰えたようでよかったです。

>>6
終了条件未遂。

>>7
いつだって絶望に呑まれる可能性を、魔理沙は秘めていると思います。
pnp
http://ameblo.jp/mochimochi-beibei/
作品情報
作品集:
26
投稿日時:
2011/04/21 18:32:12
更新日時:
2011/04/24 10:48:30
分類
霧雨魔理沙
ミスティア・ローレライ
犬走椛
鍵山雛
グロ
1. 名無し ■2011/04/21 18:44:26
自分の限界を乗り越えたところで、ゴミクズの運命は乗り越えられなかったんですね!
アフターサービスもばっちりな椛の有能さに惚れました
2. 名無し ■2011/04/21 18:57:05
魔理沙の虐められっぷりはやっぱり安定してるな
生きながらえようと頑張る魔理沙可愛かったです
3. NutsIn先任曹長 ■2011/04/21 21:42:56
どう足掻いても、助からない事はうすうす分かりましたよ。

ろくでもないことばっかやっている、悪い子魔理沙。
襤褸切れのように朽ち果てるか、誰かの手にかかって死ぬか。
運が無かった、遊びのつもりだった、では済まない事を三途の川を渡る前に自省すべきですね。

背後から椛に狙撃された魔理沙は、テールローターに被弾したヘリの如く見事に墜落しましたね。ブラックウィッチ・ダウン!!

ダメージを負いながら尚も生きようとする魔理沙。妖怪の本性をむき出しにしたミスティア。ハラハラしながら読ませていただきました。

目を付けた死神が、銀の送り狼だったのが魔理沙の運の尽き。
4. 名無し ■2011/04/22 11:13:18
雛ェ……
5. 名無し ■2011/04/22 13:52:48
こういうシチュで、他のキャラが主役だと希望と絶望の多寡をまずはかるけど
魔理沙だと最初の時点でもう無理感バリバリwww
絶望の底でのたうつ姿、楽しませてもらいました。
6. 穀潰し ■2011/04/22 22:40:00
正しいことやってるはずの椛に殺意が芽生える辺り私もまだまだか……。
にしても魔理沙には「どうあがいても絶望」という言葉がよく似合う。
7. イル・プリンチベ ■2011/04/22 23:16:39
魔理沙は非業の死を遂げるのが確定されていますな。
つまりどう悪あがきしようが死ぬしかない。
いいなぁ、この絶望感がたまらんです。
8. 天屋 ■2011/06/21 22:25:09
絶望の中に、ほんの少しの希望のスパイス。
そして、コクの深いバッドエンド。

何と言いますか、素晴らしいカレーを食べたような気分です。
9. 狂い ■2011/06/25 04:43:00
祈り願った神様に出会えた運はあったものの…
魔理沙、神頼みだけじゃ駄目だぜ
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