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『墓の宮古にご用心』 作者: pnp

墓の宮古にご用心

作品集: 27 投稿日時: 2011/07/05 12:36:47 更新日時: 2011/07/16 21:59:20
 命蓮寺の裏に位置する墓場に足を踏み入れた魂魄妖夢は、思わず身震いした。
死者の亡骸を、遺骨を埋める地――半分死んでいる身であるにも関わらず、この場が醸し出す薄気味悪さを嫌悪せずにはいられなかった。
 同じ『死んだ者の集う場所』と言えど、冥界のような清々しさや華やかさが感じられない。
湿っぽくて、どんよりとしていて、いるだけで疲労感が溜まってくる。
 彼女がここを訪れたのは、神霊大量発生の異変を食い止めに出掛け、その出鼻に主である西行寺幽々子の助言を受けた為である。正確には助言など得ていないが、思わせぶりな言動に釣られ、ここへやってきた。
 途中、最近になって命蓮寺に入り浸っているらしい山彦と一戦交え、いい具合に体が温まってきており、今の彼女はすこぶる好戦的だ。
行く手を阻む妖怪、妖精、霊魂なんかをばったばったと斬って捨てながら進んでいると、そこらに蔓延る妖怪とは格の違う妖怪が姿を現した。
その妖怪の特徴は、古臭さとか左右で瞳の色が違うなどがあるが、何と言っても茄子色で目と舌が付いているとても大きな傘であると言える。
それもその筈、彼女は唐傘お化けであった。傘が特徴的なのは当然のことなのだ。
 唐傘お化けは困った様子で、妖夢にこんなことを言って聞かせた。
「この先にいる妖怪にいくら攻撃しても倒れてくれないの」
 妖夢は怪訝な表情を浮かべ、首を傾げた。攻撃しても倒れないなんておかしな話だと。
竹林で出会った不老不死の人間でさえ、攻撃を浴びせ続けていたら遂に白旗を上げた。幽々子でさえ恐れる蓬莱人を超える妖怪とは、一体どんな者なのかと。
 力試しと称して攻撃を放ってきた唐傘お化けを軽くのしてやり、更に墓場の奥へと向かった。
 本来墓場とはしんと静まり返った場所だと言うイメージを妖夢は抱いていたのだが、幸か不幸か、妖怪やら妖精やら霊魂やらのお陰で、墓場は鼎の沸くが如し騒がしさであった。
騒音の源を駆逐し、墓場本来の静けさを取り戻さんと刃を振い続けた。


 数分の間、行く手を阻む魑魅魍魎を斬り倒し、ようやく墓場が静かになった。
無我夢中で敵を斬り続けていた為、妖夢も知らぬ間に墓場の奥深くへと辿り着いていた。
見慣れない景色に少し不安を感じながらも、一先ず得た安息を、静寂を享受しようと、刀を鞘へ収めた、その瞬間だった。

「ちーかよーるーなー!」

 突然、墓石の向こう側からこんな声が響き渡った。
かなり稚拙なおどろおどろしさを含んだ、言うなれば可笑しな声であったのだが、あまりにも不意なことであったので妖夢は心底驚いて、即座に愛刀の鯉口を緩めた。
「誰ッ!?」
 妖夢が声を張り上げると、声の主であるらしい者が墓石の後ろからひょいと姿を現した。
藍色の短髪に、星型の装飾が付いた青い帽子を被った少女である。額には白地の上に描かれた赤の縁の中に文字が刻まれている御札が貼りつけてある。
腕をピンと前方に伸ばし、膝を曲げないでよたよたと歩いてくる。闇の中できらりと白く光る白刃など気に留めている様子はない。とても珍妙な姿であり、妖夢は次なる言葉を失った。
 この少女は、そんな妖夢などお構いなしに、
「ここから先はお前たちが来ていい場所ではない」
 こんなことを言う。要領を得ないが、とにかく、妖夢をこれ以上この先へ踏み入らせたくないと言う想いがひしひしと伝わってくる。
幽々子様の助言はやはり真実であったのか――妖夢は自分のこの苦労が徒労に終わらないことを確信した。
「通したくないということは、相応の理由があるのね?」
「通さないことが我々キョンシーの使命なのだ」
 キョンシー――この少女の違和感は、生を得た死者であるが故のことだろうと妖夢は思った。
「こんな所で立ち止まっている訳にはいかないッ!」
 冥界で、命蓮寺で、墓場で散々暴れ回り、すっかり準備運動を終えていた妖夢は、いきなりこの少女に斬って掛かった。人でないことさえ分かれば、簡単に手を出せる。

 墓石の裏から姿を現した時の様子から察せられる通り、このキョンシー――名を宮古芳香と言う――は、死後硬直の影響を受けて運動機能に致命的な欠陥を持っている。
身体の節々は異常に固く、腕や脚を曲げることさえできない。そんな彼女が、妖夢の俊敏な動きに追い付ける筈がない。
初見でそれを見抜いていた妖夢は、一瞬で片を付けてしまおうと、少々強引に芳香の懐に飛び込んだ。
愛用している二つの刀が鞘からびらりと引き抜かれ、月の光を受けて輝いた。
よく手入れの行き届いた刃が芳香の腹部をすぅっと抜けていく。その瞬間は何が起きたか分からず、芳香は頭上に「?」を浮かべたような表情で、一瞬で姿を暗ました妖夢を探していた。
時間を置いて衣服に切れ目が入り、直後血が流れてきた。これを見た芳香は驚いて飛び上がった。
「おお、切れている?」
 別段痛がることも、傷を見て狼狽することもない。流れ出てくる血を見て、子どもみたいにはしゃいでいる。
 個人的には手応えのある一閃であったにも関わらず、敵は恐れるどころか喜んでいる様子が見受けられ、妖夢は困惑し、憤慨した。
一度で足りないのならば二度、それでも足りないなら三度、四度――ウスノロのキョンシーなど恐れることはないと、自身を鼓舞する。
刀身に付着した血を振り払い、再び刀を構える。
腹部が効かないなら、もっと致命傷となりうる部分を狙ってみようと決め、次なる目標を首へと定めた。
 既に妖夢は一閃する体勢に入っている。今から動いたのではもう間に合わないと判断したのか、芳香は完全に受けの構えを見せている。
その楽観が命取りになるんだ――妖夢は心中で芳香を嘲笑った。
あの腕をどう動かせば、我が白刃の一撃を防げるか。あの脚をどう使えば、これから放つ高速の斬撃を避けられるか。
 考えるまでもないと、妖夢は途中であった思考の一切を破棄した。
防げる筈がない、避けられる筈がない――慢心とも言える大いなる自信を胸に抱き、決勝の一撃を放たんと、地を蹴り、距離を詰め、びらりと刀を抜き、首を狙って刀を薙いだ。



 次の瞬間の妖夢の驚きようを想像できるであろうか。
曲がらぬ腕で止められる程度の軟な攻撃をしたつもりはない。動かぬ脚で避けられるような鈍重な動きでもない。
間違いなく自身の最高の力と最高の速度を持って放った一撃であった。
それなのに、輝く抜き身は芳香の首を刈ることなく、その一歩前で止まってしまっている。
おまけに退くに退けず、押し切ることもできない。完全にそこで止まっているのだ。
勿論、芳香の腕は相変わらずぴんと伸びていて、手首より先はだらんと地面へ向かって頭を垂れている。
では、どうやって妖夢の一閃を止めたのか? ……その方法は、あまりにも馬鹿げていて、おまけに常識外れな方法だったから、妖夢はこうして目をビー玉よりも丸くし、驚愕しているのだ。
「ふぉぅふぁっ!」
 芳香が何か喋ったが、妖夢は上手く聞き取ることができなかった。
何故なら今、芳香は刀身を噛んだ状態で喋っているからである。妖夢の一閃を、芳香は口で受けたのだ。因みに先ほど、彼女は「どうだっ!」と言っていた。
いかにも食うことに長けるキョンシーらしい護身術だ、とでも称賛できるであろうか。
腕や脚なんかより、顎や口の方がよっぽど円滑かつ柔軟に動かせるようで、一見するととんでもない護身だが、彼女にとっては何の違和感もない。
芳香の持つ尋常でない顎の力は、妖夢がその場から一歩も動けない事実が証明している。
 刀を口で受けられたことは今まで一度も無かったが、顎の力などそう長く保てまいと踏んだ妖夢は、根競べに出てみた。
だが、悪食キョンシーは噛んだものをなかなか離さない。まるですっぽんのようである。
そうなると妖夢は余計にムキになって、刀を芳香の口から力づくで引き離そうとする。
この判断が命運を分けた。
 ピシッと、小気味良い絶望の音が、確かに妖夢の耳に入り込んできた。
この絶望感を杞憂としたいがために、妖夢はじっと愛用の刀の刀身を見据えたが、口に隠れて絶望を裏付ける決定的証拠の存在は掴めなかった。
それでも彼女はじぃっと、刀身の一点を凝視していた。白い歯と歯に挟まれている部分を。
ところが、そんな彼女の努力は徒労に終わった。時が、全てを教えてくれたのだ。

 ぱきんと、あまりにも素っ気無い音が鳴り響き、それが根競べの終了を告げる鐘となった。
刀を力一杯引いた状態から、あまりにも突然に強力から解放された妖夢は、すてんと尻餅を付いた。そして立ち上がることもせず、絶望の眼差しを芳香へと向ける。
 芳香は、刀を食っていた。割れた刀の破片を、ビスケットでも食べているみたいにぼりぼりと咀嚼している。
口内の破片が粗方胃に送られた所で、半ばで折れて地面へ落ちた尖端を拾って、それも同じように食べてしまった。
「そんな……こんなに簡単に? 嘘よ、ちゃんと手入れしてきたんだから……」
 愛刀の破片が見る見る内に胃袋へ収められていく様を見ながら、妖夢は譫言みたいに呟いた。
芳香は何も気にしないで刀身全てをごくりと飲み込んで、にっこりと笑って見せた。
「私も手入れなら毎日しているからな。歯磨きを欠かしたことは一度も無い」
 そう言って、いーと手入れの行き届いた自慢の歯を噛み合わせて妖夢に見せた。刀なんてものを食ったにも関わらず、口内には傷一つ無い。

 一つ失ったが、まだ刀は一本残っている――。
そう自分に言い聞かせ、やっとの思いで立ち上がったが、残った刀は先ほど失ったものより短いもの。
キョンシーに不用意に近づくことがいかに危険なことか分かっていたから、長身の刀を主軸に戦っていたというのに、それは折れて食われて使えなくなった。
想定していなかった――否、想定できる筈のなかった手法で一気に形勢を逆転されてしまい、妖夢は完全に怖気づいてしまっている。
 一方の芳香は、そんな妖夢の心情など一切知らない。
ただ、刀を食ったことで少しばかり腹が満たされたようであり、その中途半端な満足感が、相対的に飢えを加速させた。
「ちょっと足りないなー」
 中まで見透かすみたいに自身の腹をちらりと見た後、こんなことを呟いて、及び腰の妖夢ににじり寄る。
 キョンシーの悪食を目の当たりにし、その食いしん坊が「足りない」と呟き、こちらへ向かって歩いてくる。
このまま捕まれば自分が食われると、十中八九の者が思うだろう。妖夢も、その一人であった。
 相手は頑丈だから不用意に手を出してはいけないと、妖夢は来るべき好機を慎重に見定めようと努めた。
短刀を構え、ばくばくと鳴る心臓の音を聞きながら、一太刀の元にこの怪物の息の根を止めてみせると。
 妖夢が減勢した意図など少しも考えず、芳香はのたのたと歩いて妖夢へとゆっくりと、確実に近づいて行く。
飢えを満たしたいが為の、浅はかで、しかし理性的な行動だ。

 距離が少しずつ縮まっても、芳香から何か手出ししそうな様子は見られない。
斬られても大した傷にならないことを分かっているから、負傷のリスクを考えず、本当に食うことばかりを考えているのだ。
 一滴の汗が、すぅっと頬を伝っていく。それを感じた時、妖夢は自身の生――通常の半分ではあるが――のありがたみを感じた。
そして、ごくりと生唾を飲み込み、ギュッと刀の柄を握り締める。
勝機を見出したのだ。そして、覚悟を決めた証だった。
 彼女に残された刀――白楼剣――は、人の迷いを断つ力が備わっている。
死者と生者の狭間の存在である芳香になら、この剣は致命的なダメージを与えられるのではないか。そうでなくとも、何かしら常軌を逸した効果を表すのではないか、と踏んだのだ。
斬っても斬ってもこいつを殺すことは難しいが、この白楼剣ならば或いは――これが妖夢の立てた勝算だ。

 善は急げと、妖夢は咄嗟に駈け出した。芳香がのろまなのは相変わらずで、突然駈け出した自分に驚く様子さえ、妖夢には確認できなかった。
 そんなことはお構いなしに、妖夢は芳香の懐へ飛び込み、そして、白楼剣を喉へと突き立てた。
短刀と言えど首の径を上回る程度の刀身はある。喉仏を破いて芳香の中へ突入した刀は、食道を通りすぎ、後頭部を突き破って外界へ飛び出した。
びゅっと噴水のように血が吹き出して、妖夢の顔をぴしゃりと赤く染める。片目に血が入り、思わず妖夢はその目を瞑った。
 芳香は目をまん丸くして静止してしまった。腕は相変わらずだ突き出したままだ。
「やったの……?」
 妖夢は恐る恐る喉から刀を引き抜き、動かない芳香の動向を窺っていた。




 突然、肩にとんと手をやられ、口から飛び出してくるのではないかと言う程、妖夢の心臓が跳ね上がった。
肩に手をやったのは、勿論宮古芳香だ。死んだかと思った者の手がどさりと肩へ乗せられたのだから、妖夢のこの驚きようは無様だと笑うことはできないだろう。
 間髪いれずに、肩に尋常でない力が加わった。
 彼女は以前、主である幽々子の気まぐれで、凝ってもいないのに肩を揉まれて酷い目にあったことがある。
肩揉みの経験など無い幽々子は、力の加減がとんでもなく下手だったのだ。痛いばかりで気持ちよくもなんともなかった。
そんな痛い思い出が妖夢の細い肩には籠っているのだが、そんな思い出の痛みなど、今この瞬間の痛みと比べればなんと生易しいことか。
加わった力は揉むなんて言葉で片付くものではなかった。骨を砕き、肉を抉り、腕でももぎ取りたいかのような――そんな殺人的な痛みだ。
 刀を扱うには当然腕を使う必要があり、腕は封殺されてしまった。今の彼女に刀は扱えない。
そして、彼女は刀を扱う剣士である。刀を持たない今の彼女に、抵抗の術などありはしない。
「えへへー。捕まえたー」
 肩にかけられている力からは想像もできない可愛らしい声が、芳香の口から漏れてきた。
そして、ぺろりと舌舐めずりをした後、芳香は大きく息を吸い、妖夢の肩へ齧り付いた。


 芳香は先ほど、「手入れは怠っていない」と、綺麗な歯を妖夢に自慢していた。
しかし、歯はいくら手入れをしようとも、刃物みたいに切れ味がよくなるとか、そういうことはない。
切歯や犬歯は食べ物を捕えて噛み切る役割があり、臼歯は食べ物を潰し、噛み、砕く役割がある。
それは何を食おうとも同じことだ。妖夢を食った場合も例外ではない。
キョンシーの悪食故に精練された歯が、死して衰えるどころか寧ろ鍛え抜かれた顎と共に、妖夢の細く小さな肩を捕えて、噛み切り、磨り潰す。
 刃物が刺さるのとは訳が違う。すんなりと肉へ入り込む程、歯は鋭利ではない。
例えば料理の最中に誤って包丁で手を切ったとか、裁縫の時に針が指に刺さったとか、そういうことで傷付くよりも、もっと粗雑で出鱈目な痛みが、妖夢の肩を駆け回る。
 戦いにおいて、相手に自身の劣勢を勘繰られてはいけないとは教わったことがあるものの、未熟な妖夢にこの激痛を耐えられる精神力は備わっていなかった。
 寂々とした墓場に、まだ幼さを残した少女の絶叫が響き渡る。
 度を超えた激痛に感覚が失せたか、些か精神が狂ってしまったのか、それとも一刻も早くこの苦しみから逃れたいと言う気持ちの表れか。
動かせそうもなかった腕を必死に動かし、妖夢は芳香を引き剥がそうとした。
「は……離して……ッ!」
 涙を零しながら、尚も自身の肩に齧り付いている芳香を押し退けようとするが、やはり力では敵わない。
そんな彼女の態度さえもディナーの一品、とでも言いたいのかか、芳香はより力強く、妖夢の肩を食い千切ろうと力を込める。
力を込めるだけでは飽き足らず、上あごと下あごを交互に動かして甚振るサービスまで付けてきた。
規則正しく動く顎に合わせて、妖夢の体がぴくん、ぴくんと震える。
どうにかして痛みを緩和しようと精一杯歯を食いしばっているのだが、効果は芳しくないようだ。
ギリギリと食いしばられている歯の隙間から垂れてきた涎が、つつと口の端から流れ出てきた。
 痛みや苦しみなど、そう長時間耐え続けられるものではない。
抵抗らしい抵抗さえできなくなったその瞬間を見計らったかのように、芳香はぐりんと首を回して、齧り付いていた肩の肉を強引に引き千切った。
肩の肉と一緒に、首の一部までもが骨格からべリリと引き剥がされた。
傷は首を通る主要な血管まで到達したらしく、今度は妖夢の首から血が噴き出す番となった。
傷口は見えずとも、重症であることを肌身で感じていた妖夢は、がちがちと歯を鳴らしながら、首に手をやった。
生温かい大量の鮮血が、あっと言う間に彼女の小さく白い手を真っ赤に染め上げる。
出血は手をやっただけでは到底止められるものではなく、指と指の間からどぼどぼと血が溢れ出て来ている。
「やだ、止まって……こんなに、血、出たら……私……」
 駄々をこねる子どもみたいな涙声で妖夢は呟くのだが、それで血が止まることはない。
 芳香は到底止めることのできそうもない程の血を吹き出しながら棒立ち状態になっている妖夢を見ながら、食い千切った肉を食った。
食い尽すや否や、それはあっと言う間に彼女の体を作る成分へと変化し、次の瞬間には首の傷が完全に治癒していた。
 もう抵抗することはないだろうと踏んだ芳香は悠々と妖夢に近づいて行く。
妖夢は敵に近づかれていることに気付いていたものの、過度の出血によって意識が朦朧とし始めていて、適切な判断を下すことなど愚か、その場から一歩も動くことができない。
逃げるべきか、止血が先か、形振り構わず敵を殺すか? そんな浅はかな手法が、炭酸水の泡みたいに、大量に浮かんでは消え、浮かんでは消え、浮かんでは消え――。
 休むに似た下手な思考は、芳香に押し倒され、胸を食らわれた瞬間にも尚続いていた。
 キョンシーの怪力によって、着衣はいとも簡単に破り捨てられ、下着もあっと言う間に放られた。
露わになった未成熟な体を隠すことさえできない。この期に及んでまだ羞恥心は働いた。優先すべき感情が分からなくなっているのだ。
「かわいい胸だ」
 妖夢の胸を見て、芳香はこんなことを言った。性欲と食欲の両方を同時に満たせている今の芳香は、さぞや幸せであることだろう。
 少し膨れた乳房を口いっぱいに含み、少しだけ舌で蹂躙してみた後、思い切り歯を立て、抉るように乳房を噛み千切った。
意識が薄れていて、妖夢はもう痛みさえどうでもよくなっていた。
 一体何が行われているんだろうと、少しだけ上体を起こし、芳香の様子を見てみた。
くちゃくちゃ、ずるずると、御世辞にも上品と言えない水音が聞こえた。飛び散る血液の暖かさを感じた。しかし、段々と意識は薄れていく。
目と鼻の先で食事している妖怪の頭が、どんどん自分の中へ入っていくのを、妖夢は見た。
どんどん視界から外れていく。胸が食い破られているんだと分かった。
 食事が進むにつれて、視界が暗くなっていき、上体を起こしているのさえ億劫になり、妖夢はぱたんと上体を落とし、仰向けになった。
それっきり、妖夢は動かなかった。



 食事は十数分で終了した。
ほとんど体中血だらけの芳香は、肩で口の周りの血を拭った。
「うん、美味しかった。ごちそうさま!」
 衣類と、刀と、何やら原形の分からない肉片や繊維質のみを残した、魂魄妖夢であったものに礼を言い、芳香は満足げに立ち上がった。
少女と言えど、人一人を丸ごと食べて、さすがの芳香も腹がはち切れんばかりの満腹感を味わっている。
いつもなら食べ過ぎで腹が苦しければ、横になって消化を促すのだが、今の芳香は何故かその気になれなかった。
妙に気分が高揚しているのだ。人間が酒に酔った後のような、気持ちのいい高揚感を覚えていた。
「幽霊を食べ過ぎた時と違うな。何だろう、不思議だ。気持ちがいいぞ」
 何か楽しいことが起きている訳でもないのに、芳香は一人でけらけらと笑い出し、相変わらず脚の曲がらない変な歩き方で、ふらふらと墓場を徘徊し始めた。


*


 今度の異変において、何か重要な意味を持っている予感がする墓場に到着した魔理沙は、ふぅと息を付いた。
大量の神霊と墓場。まるで肝試しの前のような興奮を覚えていた。
 暗くて静かで、しかし妖怪などの脅威が跋扈する場所には慣れっこだ。居を構えている魔法の森が同じような場所だからだ。
月光に照らされる平地の夜など、物足りなささえ覚えるほどだ。
しかしこの墓場は、森のように木々に囲まれている訳でもないのに、やけに闇が強く感じられた。
魔法の森が飾り付ける闇とはまた異質な闇――そんな感じのものを、魔理沙は五感で感じ取っていた。
木々がある訳でもないのに、空に浮かぶ月の光を目に見えない何かが遮断しているかのように前方は暗い。生気の無さは、耳に痛い静寂を生み出している。
死臭混じりの空気の香り。口でそれを吸ってみようものなら、舌がきゅんと引き締まる感じがした。そして、季節にそぐわない妙な肌寒さ。
「なかなか面白そうじゃないか」
 魔理沙はにんまりと笑うと、箒に跨って空を飛び、先を急ぐ。
 神霊の数は相変わらずで、魔理沙は行く手を阻む霊や妖精なんかに、自作の魔法で対処していく。
あらゆるものを貫く光線――イリュージョンレーザー――に、着弾後炸裂する爆弾――マジックミサイル――。彼女の発明してきた魔法の数少ない成功例だ。

 数にものを言わせた妖精達なんかの攻撃を、鼻歌なんて交じえながら飄々とかわしていき、あっと言う間に墓場の中腹まで到達した時のことだった。
「あっ! 魔理沙!」
 不意に名を呼ばれて、声のした方へ目線を向けてみると、そこには見知った顔があった。
現在の命蓮寺に当たる宝船――聖輦船――が幻想郷を騒がせた時に出会った、唐傘お化けであった。
この墓場が醸し出す独特の雰囲気に肖って人を驚かせようとしているんだなと、魔理沙はすぐに見抜いた。しかし、唐傘お化けはいつものように驚かせようとしてこない。
魔理沙を見たり、彼女が向かおうとしていた方向を見たりと、焦燥と不安の入り混じった瞳を右往左往させている。
「どうしたんだよ」
 魔理沙が問うても、しばらく唐傘お化けは口籠ったままそうやって目だけを動かしていたが、次第に自らの心情を語り出した。
「実はこの先に、いくら撃ち込んでも倒れてくれない妖怪がいて」
「撃っても倒れないだって? そいつはすごいな」
 魔理沙は心底感心してこう軽口を叩いてみたが、唐傘お化けの表情は優れない。
「ここを通りかかった人……正確には人じゃなかったけど……とにかくその人に、そいつの退治を任せたの」
「そうか。それがどうかしたのか?」
「その人、帰って来てないの。大丈夫だったのかなって」
 唐傘お化けのこの告白を、魔理沙は笑い飛ばした。
「妖怪同士の喧嘩の結末を気にしているのか。らしくないな。どれ私が見てきてやるから、そこをどけ」
 そう言って魔理沙はいきなり唐傘お化けと交戦し、あっと言う間に撃墜すると、更に墓場の奥へと向かって進んでいった。


 深い闇の所為で距離感が掴みにくく、どの程度進んだのかは見当がつかなかった。
途中からは神霊や妖精の数も減り、景色が全部同じに思えてきた。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、感覚、どれにも何の変化も無い、退屈な前進が数分続いた。
 しかしそのマンネリが、闇から響いてきた笑い声でたちまち崩れ去った。
キッと空中で急停止し、妙に楽しそうな笑い声に耳を傾ける。
「楽しそうだな」
 どこにいるのか分からない笑い声の主にそう語りかけると、笑い声が一時停止し、
「楽しいぞー」
 こんな陽気な声が返って来て、再び笑い声に変わった。

 続いて、ほわほわと淡い光を放つ、球とも気とも言えない物質――所謂『鬼火』が数体、ふわふわと揺曳してきた。
その光が、墓場の闇に瑕をつけ、その一部だけを不気味に照らし出す。照らされた場所には、魔理沙の見知らぬ者がいた。
「今日は客人が多いな」
 少女――宮古芳香は、にこにこと笑いながらこんなことを言い、その笑みをより一層深くした。堪え切れず、くっくっくと一人で声を上げる始末だ。
一体何がそんなに可笑しいのか、魔理沙には全く分からず――芳香もよく分かっちゃいない――、独りでに笑う少女に哀れみの視線を投げかけた。
 一しきり笑い終えると、芳香はぴんと腕を伸ばし、魔理沙を指差し、
「人間よ。ここはお前のような者が来ていい場所ではない。今すぐ立ち去れ」
 こう言ったのだが、魔理沙はこの忠告ふんと鼻で笑い飛ばした。
「こういう時に会う奴はみんなそう言う」
 そう言い、魔理沙は着用しているエプロンドレスから、小さな八卦炉を取り出した。邪魔するのなら抗戦する、と言う合図だ。思考能力に乏しい芳香だが、今回は魔理沙の意図を瞬時に見抜いた。
 今の彼女は妙に頭が冴えている。魂魄妖夢と言う力のある妖怪を食ったことで、一時的にではあるが彼女の持つ力が増幅しているらしい。
頭は冴えているが、自分の力が普段より高まっていることには気付けていない。前述した通り、今の彼女は酒に酔っている人間みたいなものだ。
普段隠されている部分が露わになってはいるが、本人はそれをおかしなこと、いつもと違うことだと認識していない。
きっと事が済んでしまえば、「確かに少しおかしかった」と気付くか、「覚えていない」の一点張りかのどちらかなのだろう。

 芳香から退く気は感じられず、ならば致し方あるまいと、魔理沙は今まで同じように武器をとった。
様子見と牽制を兼ねた、精度の甘い攻撃を放つ。放たれたマジックミサイルが、今やこの場の光源となっている鬼火をするすると避け、その向こうにいる芳香目掛けて飛び進む。
 芳香は攻撃が始まってもけらけらと笑いっ放しであった。しかし、ミサイル着弾の寸での所で、直進してきているそれをひょいとかわしてみせた。
思わせぶりな態度でいた割に戦意が感じられず、命中を確信していただけあって、魔理沙はこの回避に大きく驚いてしまった。
だが、だからと言って勝負が決まった訳ではないと、次なる一手を繰り出す。どう言った訳か芳香はちっとも攻めてくる様子が見られないから、魔理沙も安心して攻撃に専念できると言うものだ。
 避ける方向を先読みし、その場所にレーザーを放つ。高速で進むレーザーと、発射から着弾まで若干時間差の生じるミサイルの波状攻撃は、魔理沙の得意とする手の一つだ。
芳香はまんまとこの策に嵌まった。先ほどとは違い、今度は悠々とミサイルを避けてみたのだが、避けた先にレーザーが飛んできた。反射的にレーザーを避けようと身を退いたら、初めに避けた筈であったミサイル群に被弾した。
見ている魔理沙も胸がすかっと晴れやかになるくらいの直撃。爆発に伴う砂埃で敵の姿は見えなかったが、それなりにダメージにはなっただろうと魔理沙は見ていた。
 少しずつ霧が晴れて、ぼやけていた敵の姿が露わになる。
完全にその姿が現れ、魔理沙は思わずぎょっと目を丸くした。
自身の傑作たるマジックミサイルの直撃を受けて尚、敵は平然とそこへ立っており、相も変わらずけらけらと笑っていたからだ。
「結構痛かったぞー」
 芳香はミサイル直撃の感想を述べた後、そこらに浮遊している適当な霊を一匹捕まえて一口齧った。
すると、魔力の爆発によって受けていた損傷が、魔理沙の目の前であっと言う間に治癒してしまったではないか。
もう一口、更にもう一口としていく毎に傷はどんどん癒え、食い終える頃には完治し、跡さえ残っていなかった。
しばらく呆気にとられていた魔理沙だったが、しばらくしてから我に帰り、不敵に口元を釣り上げて見せた。
「なかなかやるじゃないか」
 動揺しているのを相手に、そして何よりも自分自身に対して隠す為、魔理沙は無理矢理笑った。
治癒できるのなら、治癒も間に合わぬくらいの攻撃を仕掛けてやればいい――圧倒的火力と圧倒的物量を絶対とする、いかにも魔理沙らしい発想だ。
『弾幕はパワー』の信条の元、その信条を掲げるに恥じない攻撃を見舞ってやると、魔理沙は空高く舞い上がった。
 何か仕掛けることは目に見えている筈なのに、芳香は地上に突っ立ったまま、空を飛ぶ魔理沙を見上げて笑っている。
こちらは大真面目に戦っているのに、いつまでもへらへらと笑っている芳香に、魔理沙は少しだけイラついた。
いつもなら相手のこういった態度は「好機」と見るくらいの冷静さはある。こんな具合に「人間だからと」油断して、彼女に撃墜された妖怪は数知れない。
だが今回は、自身の傑作であった筈のマジックミサイルの直撃を「結構痛かった」で済まされてしまい、彼女のプライドが大きく傷ついていた。
気丈に振る舞えども、魔理沙は少女で、しかも人間だ。努力の結晶を踏み躙られては、ムキにもなってしまう。

 妖怪のような底なしと言っていい程の体力や魔力は、人間である彼女には無い。だから彼女は戦いにおいてはペース配分を考えていかなくてはいけない。
今回も例外でなく、戦闘開始した時点でおおよそのペース配分は決めていたが、先述した通り、今は冷静さを欠いている。配分したペースなどもう頭に入っていない。
 ありったけのマジックミサイルを一斉に芳香に向けて掃射する。この威力が分からないと言うなら、分かるまで撃ち続けてやるつもりでいた。
宙に浮かぶ灯篭の役目をしていた鬼火が次々にマジックミサイルの餌食になっていく。
着弾する度に鬼火はぱぁっと弾けて消えて、墓場の闇の瑕が修復されていく。
傷付いた肉体が修復するとその部分が強化されていくように、闇も先ほどより一層濃くなっている印象を受ける。
 視界の悪さも厭わずに、魔理沙はマジックミサイルを放った。放ち続けた。これでもか、これでもか、と。
 無数のマジックミサイルは、遂に全ての鬼火を撃ち砕いた。炸裂し、地面が抉られ、土砂が舞い踊る。闇と砂埃が完全に芳香の姿を覆い隠した。
 そうやってしばらく攻撃を続けていたが、体力の限界を感じ、魔理沙は攻撃を止めた。
肩で息をし、額から汗を垂らし、先にいる筈の敵を見据え、
「どうだ」
 と一言呟いた。魔力の大量消費による体力の消耗が激しいようで、その声はかなり苦しそうな声質であったが、苦しげな中に絶対的な自信の成分が聞いて取れる。
 しばらく、音沙汰は無かった。しばらく。

 口から外界へ飛び出す瞬間を今か今かと待っていた勝ち鬨は、突如ぱっと明るくなった視界に封殺された。
 勝ち鬨など愚か、毒づくことさえできなかった。
再び現れた鬼火に照らされた場所で、芳香がくつくつと笑っていたのだ。
その周囲には大量の幽霊。いつの間にやら呼び寄せたその幽霊達を防壁として用い、魔理沙の渾身の爆撃を防いだのだった。
余った幽霊を一つ掴んで口へ放り込み、咀嚼せずに飲み込んで、防ぐことも避けることもできずに付いてしまった細かい傷を適当に修復した。
衣服に付いた土をぴょんぴょんと跳ねて適当に落としながら、
「いい魔力を使ってるな。御馳走様」
 こう言ってにんまりと笑い、舌舐めずりをした。
 芳香はマジックミサイルさえも食っていたのだ。
芳香の持つ、『何でも食う程度の能力』が、一時的な能力の上昇によって、より強力に精錬され、そしてある意味で粗雑になっている。
 魔理沙は思わず一歩退いた。避けられたことは多々あれど、ミサイルを食われたことなど一度もなかった。
そもそも、あれだけの攻撃をしてやったにも関わらず、芳香は見ての通りピンピンしていて、疲弊感など微塵にも感じられない。圧倒的な力の差を感じ、恐怖さえ感じていた。
 しかし、自身の使う魔法がこんなにまで通じない相手の存在を、簡単に認める訳にはいかなかった。
私がこの程度で終わるものか。私の研究の成果がこんな程度のものであってなるものか――。
「バカにするなッ!」
 ほとんど自棄だった。
 花の妖怪の愛用していた強力な攻撃をリスペクトして作った、恋符『マスタースパーク』。
それを遥かに凌ぐ威力を持つ魔砲『ファイナルスパーク』――魔理沙はそれを取り出した。
混戦の末の一撃とか、接戦の際の切り札とか、そんな位置付けをしていたが、もうそんなことを気にしていられる状況ではない。
とにかくこの妖怪に一矢報いてやらなくてはならなかった。それが彼女のやるべきことだった。

 鬼火の光が蛍光のように思えてくる程の光が、魔理沙の周囲を迸り始めた。
木々が騒めき、大地が揺れ、空気が震える。体内に残存している魔力を一か所へ集中させるよう努める。鍋の縁に付いたシチューでも掻き集めているような感覚であった。
 芳香は険しい顔つきを見せた。明らかに今までと違う雰囲気を感じ、いよいよ我が身を案じ始めたのだ。
だが、今更どこかへ逃げることもできそうにない。これだけの予備動作を要する攻撃が、そんな簡単に避けられるものではないと判断した。
そしてそんな攻撃が、幽霊の防壁ごときで防げるとは到底思えなかった。つまり、逃げ道も、避ける術もないのだ。
しかし、芳香は臆することなく、寧ろにやりと笑って見せた。
「いいだろう。受けて立ってやろうではないか」
 魂魄妖夢と、彼女の持っていた特殊な刀。それらを食ったお陰で体内に生成された膨大な力の源。
芳香もはそれを、自身の体内に即時巡らせる。
 爪に仕込まれている毒の分泌量が増え、どぼどぼと溢れ出した。一定の量は気化し、それによって腕は紫煙を纏い、毒々しさと美しさを演出する。
普段は実りの多い稲穂みたいにだらんと垂れ下がっている手に、ギンと力が加わった。
死後硬直でまともに動かない筈の体中の関節と言う間接が、人並みの可動域を得た。
来たる脅威を見据えるその瞳にいつもの優しげな微笑みはなく、狩人の残忍、残酷な光が煌々と輝いている。いつの間にか、緩んだ口元もきゅっと結ばれている。
普段見ることのできない、戦士の一面を見せる芳香が、そこにいた。

 当の魔理沙は、芳香のそんな変化には気付いていなかった。
マジックミサイルの乱射、その後に続いての魔砲の使用――かつてない魔力の大量消費、それに伴う経験したことのない苦しみを堪えるのに必死であったからだ。
気を抜いたら自身が気を失ってしまいそうであった。
 そんな危険を孕んだ、魔理沙の渾身の魔砲が、遂に放たれた。
まるで突然昼が訪れたのかと錯覚してしまうような圧倒的な光量。全てを震わせる爆音。そして見る者を圧倒する巨大な光線。
芳香の体など簡単に包みこめてしまう程の径を持った巨大光線が、芳香を殲滅せんと地を舐めるように飛び出した。
 魔砲が放たれた瞬間、避けようなどと考えなくて正解だったなと、芳香は心中で苦笑いした。
これからどの方向へどう進んでみた所で、この巨大な径から逃れることは不可能であっただろう。
そして幽霊の防壁では防げもしないし、かと言って何もかも諦めてすんなり受け入れてやったら、さすがにキョンシーの体と言えども痛い目に遭ってしまうことは明確だ。
「道を開けさせてもらうぞ!」
 ファイナルスパーク被弾の寸前にタイミングを合わせ、大きく腕を振りかぶる。
同時に魔力をその腕に集中させる。細身の腕は蚯蚓が這ったようにぼこんと管が浮き出て、見る者を恐怖に陥れる悪魔の腕と化した。
毒による紫煙は更に濃く、同時に鮮やかになり、腕を取り巻く。

 巨大光線、命中の寸前で、芳香はその腕を全力で振り下ろした。
肉体と光線がぶつかったとは到底思えないような、形容し難い音が鳴り響く。
光線は前進を止めた。正確には、芳香の腕が止めているのだ。芳香の腕の一振りが、巨大光線の進行を止めるだけばかりか、亀裂を加えた。
 光線の熱に焼かれ、腕は見る見る内に爛れて見るも無残な姿へと変わり果てていく。
痛みを感じない芳香は自身の腕がどうなっているかを知る由もなかったが、放たれたこの一撃に確かな手ごたえを感じていた。
この攻撃さえ越えてしまえば自分の勝ちは確実なものになることを確信した。
 少女らしからぬ低い唸り声を上げ、全身を巡っている力を最大限に稼働させる。
数センチ、また数センチ、と芳香の腕が巨大光線の中程へ近づいて行き、そして遂に、腕を振り抜くことに成功した。
 その瞬間、巨大光線は二股に裂けた。枝分かれして二手に分かれた巨大光線は芳香の横を抜け、彼方へ飛び去って行った。

 ファイナルスパークを叩き割って何を逃れた芳香は、呆然と立ち尽くしている魔理沙に微笑み掛けた。
焦げてぶすぶすと音を立てている手に、熱い食べ物を冷ますみたいにふぅと息を吹きかけ、その後に適当な幽霊をとっ捕まえて捕食し、傷を癒した。
 魔砲さえ敵わないとなると、もう魔理沙に勝機など残されている筈がなかった。
箒を持つことさえままならなくなる程度の体力しか残っておらず、自然と箒が手から離れ、地面に落ちてからんと空しく音を立てる。
「引き返すのなら、今の内だぞ?」
 芳香は微笑んで見せたまま、二度目の忠告をした。
 プライドとか、異変の解決とか、そんなものを全部放って、魔理沙は慌てて箒を拾い上げ、よろよろとよろめきながら元来た道を引き返し始めた。
小さくなっていく魔理沙の背中を眺めながら、芳香は彼女の帰路の無事をそっと願った。


 魔理沙が見えなくなった頃、芳香の方も完全にガス欠になってしまった。
ファイナルスパークを腕一本でいなすなど、いくらなんでも無茶であったらしい。
満腹感と疲労感が共謀し、尋常でない眠気を生み出した。
 この時には、先ほどまで覗かせていた聡明な雰囲気はどこにもなく、いつものどこか間の抜けた宮古芳香が戻っていた。
 ふああと大きな欠伸を一つかいた後、墓石に凭れて座り、居眠りを始めた。


*


 薄気味悪い墓場にやってきた現人神の東風谷早苗は、予想以上の劣悪な環境に思わずため息をついた。
神霊の大量発生は間違いなく異変が起きたことを意味している。
こういう異変の解決は巫女の役目であり、ぼやぼやしていると同業者である博麗の巫女に先を越されてしまうと、自身が祀る神様二人に駆り出されたのである。
他人の都合というものをもう少し省みて欲しいものだと毒づいてはいたものの、早苗は妖怪退治は嫌いではない。
外界では絶対に行えないような、「弱い者いじめ」や「暴力」と言ったような悪事は、この幻想郷では「異変解決」「妖怪退治」と言う魔法の言葉であっと言う間に正義に変わる。
妖怪はいろいろ毒づいてくるが、そんなことは早苗の知ったことではない。
妖怪達だって自分勝手に人間を襲って喰らっているのだから、巫女である自分が身勝手な理由で妖怪を退治してもお相子ではないか――早苗はそう考えている。
 神から授かった秘術を駆使して、妖怪、妖精、幽霊なんかを次々に撃ち落とし、先へ進んでいく。
 弱者を甚振って悦に浸り始めた頃、進行方向から妙な足音が聞こえてきた。
やけに不規則で、右へ左へよろよろとよろめいている。歩ける状態でないのに、妙に急いて歩いている――そんな足音だ。
早苗は立ち止り、訝しみながらこの謎めいた存在を迎撃しようと身構えた。
暗闇の中、この存在の正体を見定められたのは、その者とぶつかってからのことであった。
「きゃっ」
「ひっ!」
 早苗と、ぶつかった者の声が重なる。早苗は少しよろめいた程度で済んだが、相手は地面へ倒れ込んでしまった。
ぶつかって来たのは相手の方だが、倒れてしまうとは思わず、早苗は脊髄反射的に謝辞を述べた。
「まあ、ごめんなさい」
 そう言い早苗は手を差し伸べ、相手を起こそうとしたのだが、転倒した者の顔を見るや否や、目を大きく見開いた。
「魔理沙さん?」
 前からおかしな歩調でやってきたのは霧雨魔理沙。見知った顔だが、早苗の目にはまるで別人のように映った。
普段彼女が愛用している黒い帽子が無い上に、その表情が、疲労感とか、絶望感とか、恐怖感とか、そう言った負の感情に支配されていたからだ。
魔理沙はそう言ったこととは無縁、若しくはあまり気にしない性格と早苗は認識していたから、余計に真新しく感じられた。
だから、
「どうしたんですか?」
 こう聞かずにはいられなかった。
 魔理沙は目に涙を浮かべて、歯をガチガチと鳴らしながら、自分が歩いてきた方向を指差して何か言おうとしているのだが、呂律が回らない上に声が上ずって、まるで人語になっていない。
だが、こんな様子でコミュニケーションを取られれば、この先で相当怖い思いをし、その脅威の存在を早苗に知らせようとしている、というのは言葉など無くても分かる。
いかにも少女らしい表情、態度を見せるこの魔理沙を、哀れむような嘲るような心情のまま、とりあえず早苗は魔理沙の頭を撫でておいた。
頼もしい仲間と遭遇した魔理沙は、わんわん泣きながら早苗に抱きついた。
しばらく早苗もそのままでいたが、あんまり悠長にしている時間はないので、頃合いを見計らって魔理沙を引き剥がし、彼女が体験した恐ろしい出来事の詳細を聞いた。
 魔理沙は吃逆交じりに、
「何をしても倒れない妖怪がいた」
 と、要点のみを的確に纏め上げた簡潔な説明を早苗に告げた。
早苗は分かったような分からないような微妙な気持ちになったが、とにかく何をしても倒れない妖怪がいると言うことを頭に入れておいた。
とにかくここで間誤付いている訳にはいかないので、早苗は先へ進みたかったが、魔理沙が早苗から離れようとしない。
普段は頼んでもいないのに出しゃばって一人で何でもかんでも解決したりかき乱したりしてくれる癖に、今日に限ってやけに他人に甘える魔理沙に、早苗はいい加減苛立ちを覚えた。
しかし、こんな状態の魔理沙をこの場に放置しておくのはまずいと感じるのは事実だし、ここで恩を着せておくのも悪くないかもしれないと思い、
「じゃあ私がこの先でその妖怪を退治します。そしたらもう一度ここへ帰ってきますから、ここで待っているんですよ」
 早苗はそう魔理沙に告げて、更に墓場の奥へと進んでいった。


 しばらく進んでから、彼女はまたもや顔見知りと遭遇した。唐傘お化けである。
初対面後から今になるまで何度退治したか、早苗はもう分からない。彼女は早苗にとって、信仰集めにおける“カモ”と化してきている。
もしかしたら何をしても倒れない妖怪とはこいつのことなんだろうか――早苗がそう勘違いしてしまう程、唐傘お化けは執念深く、そして努力家だ。
普段なら出会い頭に「うらめしや〜」などと言って人を驚かせようとしてくるのだが、今日の唐傘お化けはいつもと違った。
酷く憔悴、焦燥していて、早苗を見つけるや否や、さっきの魔理沙みたいに墓場の奥を指出し、言葉ともとれない言葉を口走り出した。
「早苗、早苗ッ! この先は行っちゃダメ!」
 しばらく喋った後、ようやく聞きとれる言葉が発せられた。
「何をしても倒れない妖怪のことですか?」
 早苗が問い返すと、唐傘お化けはぶんぶんと首を縦に振った。
「分かってるなら話は早い、すぐに帰って! 今日だけで二人が向かって二人とも帰ってこないのよ!」
 どうやら唐傘お化けは魔理沙と擦れ違わなかったらしい。
「(二人? 魔理沙さんの他に誰か……あっ! まさか霊夢さん!?)」
 異変解決と言えば、早苗の中では魔理沙か博麗の巫女たる博麗霊夢が定石だ。それ故に、早苗は妖夢のことを霊夢と勘違いしていた。
もしかしたら強力な同業者が自分の知らぬ間に死んでしまったのではないか、などと淡い期待を抱いた。
しかし、まだ幻想郷はこうやって健在しているから、霊夢死亡説は一気に可能性が薄らいでしまった。
それでも、もし本当に霊夢が負かされているとなれば、その妖怪はかなりの強者と言うことになる。その強力な妖怪を自分が封じることができれば――。
 早苗がこの先に行かない理由は無くなった。
「そこをどきなさい! 私はこの先へ行かなくちゃいけない!」
 何度も何度も退治されている間に、早苗に対して奇妙な友情さえ覚え始めていた唐傘お化けは、泣きながら早苗を止めようとしたのだが、いつもよりもあっさりのされた。
今日だけで三度目の弾幕ごっこ敗北なのだ。彼女に早苗を止めるだけの体力は、もう残っていなかった。
ぼろぼろの体に鞭を打って、尚も「行くな」と呼びかけたのだが、早苗はどんどん闇に紛れていき、結局姿を消してしまった。
小傘に出来ることは、早苗が無事に帰って来てくれることを祈ることくらいであった。

 早苗の道中は、前の二人と比べて平穏であった。
前にここを訪れた二人が我武者羅に行く手を阻む者を倒して進んでいたお陰で、すっかり邪魔者の数が減ってしまっているのだ。
「何だ、全然大したことないじゃない」と、早苗は得意になって進んでいる。
周囲が随分弱化している為、相対的に彼女は強化されているように映るが、決して強くなんてなっていないことを断言しておこう。


 ここへ来た三人の誰もが、西行寺幽々子の思わせぶりな助言を聞いてきた。それ故に、通る道はみんなほぼ一緒だ。
だから、みんな命蓮寺の山彦をやっつけた。みんな唐傘お化けを退けた。それから、みんな墓場の中枢へと辿り着く。
そしてそこにいる脅威に、誰もが出会う。これは宿命である。逃れることなどできない。
 早苗がその墓場にいる脅威の存在に気付いたのは、暗闇の中から聞こえてきた唸り声によるものだった。
雑魚を相手にすっかりお山の大将になっていて、警戒心を弱めていた矢先の邂逅だったから、早苗は別段驚くこともしなかった。
「あら? 誰かいますね」
 そんじょそこらの妖精を見つけるのと何ら変わりない風に一言呟いた。
愚かしいことに、その後の対応まで妖精と同じであった。そこにいる者の風体すらまともに確認しないまま、自慢の秘術を撃ち込んだのだ。
「ふぎゃあッ」と暗闇の中から声がし、次いでがらがらと石質のものが崩れる音がした。墓を壊してしまったのだ。
随分と罰当りなことをやってのけているが、早苗はそんなことはお構いなしに、声のした所へ容赦ない連続攻撃を仕掛けた。
すっかり気分が舞い上がっていて、情けなどもう持ち合わせていなかった。虫でも殺すみたいな感覚で、闇に潜むなにかに攻撃をし続けた。
 気まぐれで攻撃をやめて、土埃の晴れるのを待った。
晴れた場所には、藍色の短髪を持った少女が一人、俯せで倒れていた。腕が不自然にぴんと伸びている。
攻撃が局部的に命中した為だろう、横っ腹が裂けて、臓器がどろりと顔を覗かせている。
早苗は思わず「あちゃー」と呟き、自らの額をぺしと叩いた。さすがにやりすぎた、と感じたのだろう。
適当にぱんぱんと手を鳴らし、手を合わせ、数秒黙祷を捧げた。彼女なりの猛省の証だ。
 この少女が人であろうがそうでなかろうが、早苗には関係の無いことだった。妖怪の蔓延る幻想郷で、人間一人が臓物を撒き散らして死んでいた所で、誰が早苗を怪しむものか。
それに、この墓場には、博麗霊夢を負かしたかもしれない、凶悪な妖怪がいる。責任転嫁など簡単だ。
 目の前で倒れているその少女こそ、その凶悪な妖怪こと宮古芳香だと、早苗は気付いていないのだが。


 鼻歌なんて歌いながら死体の傍を歩き抜けようとした早苗の足首を、俯せで倒れている少女ががっしりと掴んだ。
臓物をちらつかせる少女が生きているだなんて早苗は思ってもいなかったから、転んでみても、足首を死体だと思っていたものに掴まれたとは判断できなかった。
何が起きたのかと後ろを向いて、ようやく足首を掴まれていると分かった。
分かるや否や、先ほどまでの余裕や朗らかさはどこへやら、早苗はぎゃーぎゃーと喚き散らし始めた。
内臓を飛びださせている人型のモノが動いているだけでも気味が悪いのは勿論だが、卑怯な闇討ちをしてやった者に捕まったと言う事実が、どうしようもなく不吉な未来を予想させたからだ。
実際、彼女のその憶測は寸分たりとも狂ってはいなかった。
 次の瞬間、掴まれていた右足首の肉がぶっつりと千切り取られた。人間が行動するのに必要な不可欠なアキレス腱に致命的な損傷を受けたのだ。
これで彼女は、遥か昔に脱走の術を奪われた奴隷と同様の状況へ陥ってしまった訳だが、当の被害者である早苗はそんな機能的な面は二の次で、その激痛に苛まれ、少女らしからぬ雄叫びを上げていた。
 早苗の足首の肉を千切った宮古芳香は、横っ腹からはみ出る臓物をいそいそと体内へ押し戻し、早苗の足首の肉と、呼び出した幽霊を食って、あっと言う間に腹部を再生させてしまった。
完全な復元には至っておらず、破れていた横っ腹は赤紫に変色しているが、臓物が外界へ飛び出すのを防ぐ程度の役割は果たせている。

 泣き喚き、のたうち回る早苗をよそに、芳香は近くの墓石に手をやってゆっくりと立ち上がった。
それに気付いた早苗は慌てて後退りしたのだが、すぐに別の墓石が立ち塞がった。
早苗が後退した分、芳香は前進する。
脚が曲がらないから歩き方で少しおかしく、歩調がゆっくりなのはいつものことなのだが、早苗にはかえってそれが恐ろしく感じた。
闇討ちなんて卑怯な手を使ったことは悪であると認めるが、だからと言って言葉を交わすより先に足首の肉を引き千切るような輩が、まともである筈がない。
そもそも妖怪は人間の弱さを知っている。よっぽどのことがない限り、人間の所業など鼻で笑って見過ごすのが一般的だ。
しかし、必ずしもそうであると言う保証はないし、妖怪は皆そうでなくていけないと言う規則もない。
 満腹状態、その後に適度な運動。それによって生じる気持ちのいい睡魔。それから静かな場所での安眠。
そんな幸せを妨害され、おまけに腹部を破かれ臓物まで飛び出さされ、少しも怒らない者などそういないだろう。
おまけに相手は思考力の乏しいキョンシー。欲望や感情には彼女はとても忠実だ。
いわば、人を殺せる能力を持つ幼子からお気に入りのおもちゃを奪い取ったに等しい所業を、早苗はやってのけてしまったのである。

「何者だ?」
 無表情のまま芳香が早苗に問う。早苗は痛みやら恐怖やらで、まともな対応ができない。
背には墓石が聳え立っていると言うのに、必死に芳香から距離を取ろうと、手足をばたばたと動かしている。
逃げることも、反抗することさえしない早苗の髪を引っ掴み、無理矢理その場に立たせた。
そして今度は胸倉に手をやり、ぐっと早苗の体を持ち上げる。細い腕からは想像もできない怪力に、早苗はますます委縮した。
 その状態のまま芳香が問う。
「何者だと聞いてる」
「あのっ、ああ、すみません、よく前を見てなくて」
「人の話を聞かない奴だな。何者だと聞いているんだ」
「こ、東風谷、早苗と言います。山の上の神社の巫女で……」
「そうか」
 恐怖に耐えて自己紹介したにも関わらず、芳香は大層つまらなそうに言い放ち、胸倉を掴んでいた手を、早苗の首へと移動させた。
宙に浮いたままな上に、親指が中途半端に気道を塞いでいる。このままでは早苗はそう遠くない内に窒息死してしまうだろう。
現に、この状態になって間もなく早苗は悶え始めた。苦しげに、つっかえつっかえ「ごめんなさい」と言っている。その声は芳香の耳には届いているが、心までは届かない。
いっそ的確に気道を塞ぎ、早急に死に誘ってくれれば幸いだったのかもしれない。
次第に視界が白黒し出した。意識も失いそうだった。
 死を目前にして早苗の生への執着が再生した。
 早苗は芳香の顔に、渾身の膝蹴りを見舞った。放たれた膝蹴りは、芳香の口部に命中した。即席の護身術にしては上手くいきすぎている。
 膝蹴りを喰らった芳香は、後ろへ大きく仰け反った。同時に、首根っこを押さえていた手がぱっと開き、早苗は地面にドスンと落とされた。
 首吊り状態から解放された早苗は、ごほごほと咳き込みながら、芳香を見据えた。
海老のように上半身を後ろへ反らせたまま、芳香はぴたりと静止していた。まるで時が止まったみたいに、ぴくりとも動かない。
闇討ちのダメージの蓄積で死んでしまったのだろうか――早苗はそんなことを考えていた。

 が、次の瞬間、芳香が急に上半身を元の状態へ戻した。その勢いを殺さぬまま、へたり込んでいる早苗の肩を引っ掴み、仕返しと言わんばかりに渾身のヘッドバットを見舞った。
鼻が粉砕され、早苗は再び聞くに堪えない叫び声を上げる。ぐちゃぐちゃになった鼻がぷくっと腫れ上がり、視覚的にも醜く変貌してしまっている。
おでこについた早苗の血を舐め取った芳香は、「不味い」と言う感想と一緒に血を吐き捨てた。
 千切られた足首のまま、早苗は片脚を引き摺るように逃げようとした。
しかし、手負いのまま歩くことに慣れていない故に、すぐに足がもつれて転んでしまった。
それでも尚も逃げようとしたが、あっさりと芳香に捕まってしまい、後ろから羽交い絞めにされた。
放してくれと早苗は懇願するのだが、早苗の一連の所業を、どうすれば芳香が見過ごせるものか。
 後ろから早苗を拘束していた芳香は、そのまま前方へ体重をかけ、早苗を俯せに押し倒した。
そして早苗の腰の所へ座ると、耳の横を通り、五本の指が頬や口にかかるよう、頭を引っ掴んだ。
そのまま、後ろへぐっと力を込める。
俯せ状態であるにも関わらず、早苗は顔を無理矢理上げさせられ、墓場の上の暗い暗い空を拝むことができていた。星も月も美しい夜であった。
その辺りで止めて貰えれば何ら問題はなかったのだが、芳香は尚も早苗の顔を、上へ、上へと向けさせようと力を込める。
頭を掴んでいる手にも自然と力が入る為、長く伸びた爪が頬に食い込み、口の縁を裂く。
「あが、きひぁ、へ、ふあああ」
 早苗はぼろぼろと涙を零しながら、どうにか人語と捉えて貰えそうな言葉を口走っていた。
 次第に喉元が、背骨の上部が、めりめりと音を立て始めた。当然痛いのだが、芳香は力を緩めない。
早苗は必死に謝罪を試みた。そんな状態のまま、何度も何度も「ごめんなさい」と言ったつもりでいた。実際はそうは聞こえない、おかしな声にしかなっていないが。

 しばらくそうやった後、芳香は突如、ぐりんと早苗の首を横に回した。首の骨がばきばきと音を立ててへし折れた。もしかしたら死ぬ間際、早苗は自身の真後ろを拝めていたかもしれない。
ぱっと手を離すと、早苗の頭はどさりと地面へ落ちて行った。勿論、もう彼女は息をしていない。
芳香は更に反対側へも首を回した。そうした後に早苗の状態を起こしてみると、頭が郷土玩具の『赤べこ』みたいにだらんだらんと揺れた。
頬に幾多の切創。鼻は潰れ、口は裂けた状態で頭が『赤べこ』みたいに動くものだから本来はかなり滑稽なのだが、芳香は少しも表情を変えなかった。
忌々しげに舌うちした後、首に爪を差し込み、強引に皮膚や肉に切れ目を入れる。首を一周した後、頭を思い切り引っ張ってぷつんと胴体から引き離した。
そして長い髪を掴んでぶんぶんと振り回し、遠心力を利用して彼方へと早苗の頭を投げ捨てた。
「人の眠りを妨げるなんて、とんでもないやつだ」
 頭の無い早苗の死体は何をするでもなく放置し、芳香は再び眠りについた。





 一人で墓場にいることに耐え切れなくなった魔理沙は、今更早苗に追い付こうと、再び道を進んでいた。
幸い、三人もの強者に踏み荒らされた墓場にはもう邪魔者はほとんどおらず、丸腰の魔理沙でも危機に陥ることなく進むことができた。
しばらく歩んでいると、見慣れた背中を見つけ、魔理沙は心を弾ませた。
「唐傘お化けッ!」
 後ろから急に声を掛けられた唐傘お化けはびっくりして振り返った。
そして、魔理沙と同じく、見知った者と遭遇でき、更に生存者がいたことを心の底から喜んだ。
魔理沙は残り少ない体力を駆使して唐傘お化けに飛び付き、すぐさま問うた。
「なあ、早苗を見なかったか?」
「早苗なら、この先に行っちゃった。あの妖怪……何をしても倒れない妖怪を倒すんだーって」
「そっか。まだ帰って来てないのか?」
「うん。ずっと心配で心配で……」
「大丈夫だよ。早苗ならきっとあいつを倒して……」
 魔理沙の根拠の無い励ましの言葉は、空中から飛来した物体に遮られた。
どさりと音を立てて二人の傍に落ちてきたのは、芳香が投げ捨てた早苗の頭であった。
先の戦況の通り、こっ酷くやられてすっかり醜悪になった早苗の頭が、暗い空から急に降って来たのだ。驚くなと言う方が無理な話である。
 魔理沙は声を上げることもできずに、即時その場に卒倒した。
対して唐傘お化けは今まで人を驚かせようと出してきたどんな声よりも大きな叫び声を上げて、その場から一目散に逃げ出した。



*


 墓場にやってきた博麗霊夢は、神社の周辺と比べてやけに静かな墓場の状況に困惑した。
 西行寺幽々子の頓珍漢な助言をとりあえず指針として墓場へやって来たものの、おおよそ異変の直中とは思えないくらい墓場は静かで、もう異変は解決したのではないかと思えてきた程だ。
それはそれで面倒事を回避できて喜ばしいのだが、異変解決による名声が得られないと言う問題もある。
ちょっとやそっとでは、この『博麗』のブランドが崩れはしないのは分かっているのだが、最近は同業者が多いので油断ができないのであった。
 ちょこちょこと現れるひ弱な妖精や低質な幽霊を適当にあしらいながら先へ進んでいると、前方から、猛然とこちらへ向かってくる、割と強力な霊力を感じた。
勢いは猪の如く猛々しいのだが、感じられる力は彼女からすれば大したものではない。
面倒事が増えたと心中で毒づき、向かってくるその中堅クラスの妖怪を迎撃しようと仁王立ちで敵を待つ。
 現れた妖怪を目にした途端、霊夢はがっくりと肩を落とした。
「またあんたなのね……」
 宝船を追っていた時に一度目、正体不明の種について調べていて二度目、そしてこれで三度目――唐傘お化けである。
しかし、ひぃひぃと息を荒げながら猛然と走ってくる唐傘お化けなんてものは、今まで見たことがない姿であった。
新しい驚かせ方でも編み出したのかしら、などと考えながら、とりあえず御札を思い切り撃ってみると、意図も簡単に命中した。前に進むのに必死だったらしい。
すっ転んだ唐傘お化けに霊夢が歩み寄ると、唐傘お化けはやたらと叫びながら後退した。何かに酷く怯えている様子であった。
「様子が変ね。どうしたの」
 前には博麗、後ろにはキョンシー――生きた心地のしない唐傘お化けにできることは、とりあえずこの先に恐ろしい妖怪がいると言うことを知らせることであった。
泣きながら自身の後ろを指差し、首をぶんぶんと横に振って見せた。
霊夢は目を細め、死ぬ間際の虫を見るような哀れみの籠った目つきで唐傘お化けを凝視していたが、得意の勘で彼女の言わんとしていることを察した。
「この先に怪しい奴がいるのね。ありがとう」
 唐傘お化けに戦意は感じなかった為、それ以上干渉せずに、霊夢は墓場の奥へ向かった。
もう唐傘お化けは霊夢を引き止めようと言う気すら起きず、霊夢の進行速度よりも早く墓場を後にした。

 進めども進めども、墓場は静かだった。先に来た三人の強者にほとんどの害悪が駆逐され、寧ろ普段よりも平穏であった。
おかげで霊夢は何の苦労もなく先へ進むことができた。
 そして、彼女も墓場に巣食う脅威と、遂に対峙することとなる。
 マイペースにのろのろと進んでいた霊夢が宮古芳香と出会う頃には、芳香は昼寝を終え、本来の仕事である廟の守護をしていた。
寝る前にやっていたことなどほとんど頭に残っていないが、妙に腹が満たされた形跡があり、何とも幸せな気分に浸っていた。
 霊夢が視界に入ると、ぱっと頭を切り替え、霊夢に立ち塞がる。
「待て人間! ここはお前のような者が入っていい場所ではない!」
 そう言われて、とりあえず霊夢も立ち止まる。なるべく穏便に事を済ませたいから、まずは交渉してみる。
「それはできないから、そこをどきなさい」
 ただし、交渉はとても下手である。
勿論、こんな理由で芳香が退く筈がない。
 面倒だが倒すしかないかと身構えた時、芳香の脚元に落ちていたある物が霊夢の目に入った。
それは、短い刀である。闇の中の僅かな光を反射し、きらりと輝いている。霊夢はそれに見覚えがあった。
「あれは、たしか妖夢の……」
 それに気を取られてしまったせいで、芳香にイニシアチブを握られてしまった。
群を成したくないが、速度も様々に飛んできている。
それを避け、適当な所に降り立つと、また今度は別の物が目に入った。黒い帽子だった。見紛う筈がない。魔理沙の帽子だ。
「どうして魔理沙の帽子がこんな所に?」
 反撃もせずにそれについて思慮を巡らす霊夢。こざかしい弾幕を適当に避けながらあれこれ考えていると、何か硬い物を踏みつけた感触がした。
足元を見てみれば、見慣れた巫女装束が転がっているではないか。頭が見当たらないが、これも魔理沙の帽子と同じくらいなじみ深いものである。
「あら、早苗? ……うわ、まさか」
 妖夢の短刀、魔理沙の帽子、早苗の体。そして一度も見ていないそれらの所有者達――早苗だけは部品が無い形になっているが――。
きっとあの三人が異変解決に乗り出し、不慮の事故に巻き込まれたんだ、と霊夢は推測した。
推測と同時にくないの群れが飛んできた。それを避けたらその全てが早苗の遺体に突き刺さり、損壊が余計に酷くなった。
 推測を確かなものにすべく、霊夢は芳香に問い掛ける。
「ちょっと、ちょっと。ここへ二人の人間と、一人の半人半霊が来なかった?」
 霊夢が声をかけると、芳香は律義に戦闘を中断し、問いに答え出した。
「人間? 半人半霊?」
「ほら、この死体とか、その帽子や短刀とかを持ってた」
 霊夢が遺留品などを一つ一つ指差してやると、芳香はうーんと宙を仰ぎ見て、今日のことを思い出し始めた。
しばらくして、ぱっと表情が明るくなった。頭上に豆電球が浮かんでいる絵がとても似合いそうな表情であった。
「おお、そう言えば来たな!」
「そいつらはどこへ?」
「一人は帰って行った。一人は食って、一人は殺した」
「そう……少なくとも二人は死んだのね」
「なんだ? 友達だったのか? それは悪いことした」
「いいえ、知り合いってだけよ。……さて、現状も知れたことだし、さっさと異変を解決して帰らなくちゃ。全力で行かせてもらうわよ」
 霊夢は懐から大量の御札と針を取り出し、芳香の退治を始めた。



 勝敗はごく短時間で、あっさりと決した。
本日三連勝と絶好調の芳香も、さすがに博麗の巫女には敵わなかったようだ。
霊夢の容赦も無駄もない攻撃は、傷の治癒や体力回復の隙がなく、次第にじり貧になっていき、最終的に戦える状態ではなくなった。
「もうダメだ。もう戦えない」
 降参を示すように手を上げたが、腕が曲がらない為、万歳をしている状態になり、とても降参の意を示しているように見えなかった。
 本当に降参したのか不安であったが、こんな相手にばかり構っていられないので、霊夢は先を急ぐ。
去り際、霊夢は一度振り返り、芳香にこう言い聞かせた。
「二人も殺しちゃって……今回は大目に見るけど、これからはあんまり殺しちゃダメよ」
「分かった。肝に銘じておこう」
 芳香も素直に頷いた。
きっとすぐ忘れるのだろうな、と思ったが、そんなことまでカバーしてやれないので、注意だけすると霊夢へ進んだ。
 霊夢の姿が見えなくなると、芳香は再び廟の守護者としての仕事を始めた。



 ショック死した魔法使いの死体が発見されたのは、この神霊の異変が解決した後のことであった。
 pnpです。43作目の完成となりました。

 かわいい芳香、かっこいい芳香、残虐な芳香――いろんな芳香が書けて楽しかったです。
 原作ストーリーっぽかったり、そうでなかったりしますが、ご了承ください。
 妖夢パートは絵の影響をもろに受けました。
 魔理沙はパートは妄想を実現させた結果、こうなりました。
 早苗パートが一番書くのが楽でした。
 霊夢はこういう性格でもいいなと思います。他人の生き死にに興味がないという。


 ご観覧、ありがとうございました。
暑い日が続いておりますが、体調など崩さぬよう、お気をつけてお過ごしください。
+++++++++++++++++++
>>1
そしてまだ見ぬよりよい芳香ちゃんを求めて旅は続くのです。
>>2
お粗末様でございました。
>>3
魔理沙なんて本来はこんなもんな筈。
>>4
仙人さんのことはまだちょっと分かりません。
>>5
お分かり頂けただろうか。 咲夜さんも妖夢とおんなじ感じですかね。それが似合う気もする。
>>6
霊夢は最強なのです。博麗は負けないのです。
>>7
個人的には一輪さんが強すぎて困りものです。
>>8
夢の芳香ちゃんですとも。
>>9
かわいく映ったようで、よかったです。
>>10
霊夢はこんな感じで絶対問題ないですよね。
pnp
http://ameblo.jp/mochimochi-beibei/
作品情報
作品集:
27
投稿日時:
2011/07/05 12:36:47
更新日時:
2011/07/16 21:59:20
分類
新作ネタ注意
宮古芳香
魂魄妖夢
霧雨魔理沙
東風谷早苗
博麗霊夢
グロ
1. 紅のカリスマ ■2011/07/05 22:11:35
理想の宮古ちゃんがここに・・・!!
2. 名無し ■2011/07/05 22:17:12
pnpさんの作品待ってました。
ごちそうさま!
3. NutsIn先任曹長 ■2011/07/05 22:21:07
一人は果敢に挑み、食われた。
一人は力及ばず、逃げ出した。
一人は驕りたかぶり、殺された。

最後の一人は、淡々と、己が使命を果たした。

餅は餅屋。
トーシローがしゃしゃり出るからこうなる。
コンティニューしたら、そのことを散った三人に理解して欲しい物です。
魔理沙……、いかにも彼女らしい最後(苦笑)。

この秀作を読んで、ますます神霊廟の完成が待ち遠しくなりました。
4. 名無し ■2011/07/06 01:00:41
異変解決って博麗の仕事なんだろーか。
異変はちゃんと解決していても修行がどうたらで自称仙人に絡まれてる辺りで疑わしくなってきた。

そこそこ頑丈な妖怪達の玩具、とかが本当の巫女の役割だったりして。
5. だおもん ■2011/07/06 02:05:52
>絵の影響
例のあの絵ですね

退こうとせず意地を張って食べられちゃう妖夢ちゃんがすごく可愛いです。
魔理沙ちゃんが逃げちゃったのは人間臭い故ですかね。
咲夜ちゃんが芳香ちゃんに負けたらどうするのか。
6. 名無し ■2011/07/06 10:45:50
結局霊夢があっさり勝っちゃうってのが現実感バリバリでいいなあ。
さらにやったこともさらっと流され、マジで先達三人の立場が
ない残酷な展開が素敵。
7. 名無し ■2011/07/06 14:28:34
宮古芳香最強伝説

個人的に今までの3ボスで一番強い(耐久力的な意味で)
8. ハッピー横町 ■2011/07/10 17:51:02
理想を体現したような芳香ちゃんですね
9. 名無し ■2011/07/11 23:03:59
ボケボケ芳香ちゃんもオドオド小傘ちゃんもビクビク妖夢ちゃんもみんな可愛い

芳香「名付けて、一食い(イーティングワン)っ!!」
10. 狂い ■2011/07/13 02:06:21
クールな霊夢だなあ
このくらいないとやっていけない世界なんだろうなあ
11. 筒教信者 ■2011/08/03 08:09:19
これは素晴らしい芳香ちゃん!
12. 木質 ■2011/08/06 09:00:01
通過点程度にしか思っていなかった相手に自信満々で挑み、返り討ちにされる三人が可愛い。
自慢の技がどれもこれも効かない絶望感。
そして殺されると自覚した時の恐怖。
悲惨すぎます。

読んでいて、足元からジワジワとせり上がってくるような怖さをこの芳香ちゃんから感じました。
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