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『幻想枯渇』 作者: ただの屍

幻想枯渇

作品集: 29 投稿日時: 2011/09/17 01:51:00 更新日時: 2011/09/17 10:51:00
 “幻想”とは有限なる資源である、というのが八雲紫が導きだした結論であった。幾度となく年月を重ねている筈なのに幻想郷に住む少女達が若々しい外見を保っていられたのも、妖怪が妖怪として存在していられたのも、怪異、異変、超能力、超常現象、ご都合主義、矛盾等々が悠然と闊歩していられたのも全て幻想の産物によるものであった。そして紫は幻想は近かれ遠かれ必ず尽きると語った。幻想郷の存続には幻想が必要不可欠であったからだ。
 紫が宣言したその日から幻想郷の全住民が幻想に頼らないような生活を心がけた。一日でも長く生きるため、ひいては幻想が枯渇する時を一日でも伸ばすためであった。はっきりと表に出さなかった者もいたが根は同じで皆が幻想郷を心から深く愛していた。幻想郷を捨てて逃げ出す者はいなかった。妖怪や神などの人外らも己の極端な形質を手放し極めて非幻想的な生物である人間へと変異した。
 それからゆっくりと幻想郷が年を取り始め、五十年の歳月が穏やかに流れていった。
 宣言以前、河童の電力やら何やらで大量に発行していた“文々。新聞”も現在は三月に一度、年に四度の発行となっている。今や文には六十数歳の人間並の体力しかなく幻想郷を駆けずり回っての取材や新聞の発行、配達は中々大変な作業である。幻想郷最速の称号を支えたご自慢の翼は完全に無くなっているが取材癖は抜け切っていない。文は少女時代の幻想を共に過ごした晴れ着を身に纏い妖怪の山を出た。
 妖怪の山から人里を経由して紅魔館まで道行く人々とお喋り等して身体を労わりながら数時間かけて移動した。霧の湖近辺に聳える紅魔館と呼ばれる巨大な館は宣言以前、館内部の空間を十六夜咲夜という人間のメイドによって何倍にも押し広げられその巨大な外観よりも更に広大な空間を有していたのだが宣言以後は見た目通りの大きさの館に戻っていた。
 宣言以前、紅魔館を取り囲む立派な塀などは空を飛ぶ者を前にして何の役にも立たない日々に甘んじていたが今ではその役目を存分に果たしており紅魔館の大物感を高める手助けをしている。塀は軽く六メートルはあり余程長い梯子でも立て掛けなければ越えられそうにない。しかし人里を経由して紅魔館を訪れたのなら門から入るのが距離的にも一番近く後ろめたい事情がないのならば塀から中に入る必要性は全くない。
 文は当然門から入る。大きな塀に引けを取らない大きな門の横には門番がいて門番は一目で門番と分かるあの格好をしている。文は門番に手を上げて挨拶する。
 門番が椅子から立ち上がり人の良さそうな笑顔を作った。「どうもお久しぶりです」
 紅魔館の門番、紅美鈴は妖怪としての力を失ってからも、五十年間ひたすらこの門を守り続けてきた。といってもこの五十年間、一度も不届き者は現れなかったのだが窃盗の常習犯であった霧雨魔理沙すらも宣言以後は自身の極めて不義理な生活を改め真っ当な人間に変わっていたのでそれも当然のことなのかもしれない。その為美鈴は門番というよりも看板である。
 文は丁寧な笑顔を美鈴に向ける。「そちらこそ相変わらずお元気そうで何よりです。流石は幻想郷一の門番ですね」
 「いやあ、私にできる事はこれぐらいですから」美鈴は皺の刻まれた頬を人差し指で恥ずかしそうに掻いた。
 「私も似たようなものですなあ」文は人差し指と中指で胸ポケットにある万年筆を挟んで抜き取りそのままくるくると回した。「こうしていまだに記者の真似事を続けている」
 ゆったりとした動作で美鈴が椅子に座りなおし一度大きく息を吐いてから言った。「きっと、皆がそうなのでしょう。なにせ幻想郷に住み続ける事を自ら選んだのですから」
 「そうですねえ」文は思わず空を仰いで有りもしない風を感じた。
 美鈴は門の向こうにある館を指差して微笑んだ。「さ、世間話もここまでにして。咲夜さんに見つかったら怒られてしまいます」
 文は手身近に別れの挨拶をしてから門をくぐる。が、その前にちらりと右を見てみる。そこには夢見る少女のような楽しげで安らかな美鈴の横顔があった。
 紅魔館の敷地に入ると威圧感を放つその紅い巨大な館に負けず劣らず存在感のある紅い分厚い玄関が目に飛び込んでくる。よく手入れされているその扉は汚れ一つ見せる事なく快く客人を迎え入れる。その扉の下には硬い態度の十六夜咲夜が立っていて十六夜咲夜を十六夜咲夜たらしめる制服が十六夜咲夜の身を包んでいた。扉から十メートル程の距離にまで近づくと咲夜が丁寧に頭を下げて挨拶したので文もそれに倣った。五十年という歳月は咲夜の銀髪を白髪に総替わりさせるには十分な時間であったが咲夜は相変わらず瀟洒で完璧なメイドのままでありむしろ時間が彼女の性質を熟成させ完成させたように思え元々よく分からない人物であったのが更に輪を掛けてよく分からなくなった。
 咲夜に案内されて文は玄関を抜け廊下を歩いていく。他のメイドとすれ違う事はない。今や見栄のために妖精メイドを徒に雇う必要もなく、第一“妖精”メイドなど存在しない。紅魔館の管理は咲夜の老後の楽しみでもあったので紅魔館の維持に必要最低限の人員だけを残して他のメイドは全て暇を出されていた。
 レミリアが待っているテラスへと向かう道すがら、文は咲夜に取材ともお喋りともとれる態度で話しかける。
 「我々の住む環境が劇的に変移していった中での依然たる旧友の存在は実に喜ばしいことですね」
 文の言葉に咲夜は態度を軟化させる。「確かに。でも環境が変化したからこそ過去への固執も生まれましたね」
 「そうですね。私は机に向かって悩む時間が多いからかここのところ身体は不調だらけですよ。だからこうして羽を伸ばす必要があるわけですが、貴方は毎日素敵な仕事をなさっていてそのような悩みとは無縁なのですかな」
 「あら、取材ですか」口元を吊り上げた咲夜の口調は単なる鎌掛けではなく己の発言への確信に満ちていた。
 文は慌ててかぶりを振る。「いやいや単なる暇つぶしのお喋りですよ。でもどうして取材だと?」
 「そうでしたか。貴方が手に万年筆を持っていたので、てっきり取材かと」そう言って咲夜は薄く微笑んだ。
 そこで文は自分が先程から万年筆を持ったままだと気付いた。「あ、これは失礼しました」
 文は万年筆を胸ポケットに収めてから自分の言動を振り返り気恥かしさを覚えた。取材のつもりではなかったのである。取材めいた口調は長年の習慣であり万年筆を持っていたのは単なる物忘れであり文花帖は胸ポケットに入ったままであった。耄碌したとは思われたくないので文は作為的な笑顔でお茶を濁す。真相を知っているのか知らないのか咲夜はそれ以上は何も言わない。
 咲夜は前を向いて話し始めた。「私には時々、過ぎ去った過去を強く求めてしまってどうしようもなくなるときがあるのです。今の生活が嫌だという訳ではありませんが、昔に戻りたいという気持ちも確かに存在しているのです。これは私としてはどうしても分けられないものであって」そこで一度言葉を切ると咲夜は真面目な顔を崩して自嘲気味に笑った。「でも、単に私が年をとっただけかもしれませんね。それとも……」咲夜は足を止めて玄関の前で見せた態度を再度作り上げた。「到着しました」
 テラスへの硝子戸は開け放たれていて、レミリア・スカーレットとフランドール・スカーレットが木製の長椅子に並んで腰かけ気持ち良さそうにひなたぼっこをしておりそれぞれが衣服だけを見て本人だと断定できるほど特徴に溢れた衣服を見事に着こなしていた。良い部下と友人に囲まれた紅魔館の当主とその妹は悠々自適の生活を楽しんでいる。
 文がテラスに入ろうとするとレミリアが立ち上がり腰を伸ばした。残りの三人がレミリアの動向を見守る中レミリアは文に向かって言った。
 「何だか面白そうな話が聞こえてきたわ。今と昔、どっちが良かったかですって。私に言わせれば断然昔よ。確かに今はこうしてフランと並んでひなたぼっこもできるけどねえ、四百歳以上も若返った結果お婆ちゃんになるって一体どういう事よ!」
 レミリアが体の動きを交えて一々大げさに話したので三人は失笑してしまう。
 「笑いごとじゃないわ。……それに! それなのに! どうしてあれから体は成長しないのよ! 絶対におかしいでしょう!」
 レミリアの抱えていた思いもよらぬコンプレックスに三人は腹を抱え涙を流し笑い転げた。三人が息も苦しそうに笑うのを見ているとレミリアも何だか可笑しくなってきて、とうとうレミリアも笑い出した。

 「とまあ、こんな事があったわけです。可笑しいでしょう。異変をも起こした元吸血鬼様がこんなコンプレックスを抱えていたなんて」
 同日の夜に開かれた宴の席にて文は紅魔館を訪れた際の事を周りの者に話して聞かせた。文は手にした羽団扇で己の口元を隠してはいるが思い出したレミリアの様子が余程面白かったのか目尻に皺を寄せる。
 今宵の宴は欠席者は一人もなく幻想郷の全ての住民が参加したどころか地獄や冥界の方角から死者や幽霊までやってきたので宣言以後だけでなく幻想郷史上最大規模の宴である。あまりにも型破りな宴であるのに何のための宴か賢者らは何も言わずにいたのだが誰もが宴の意味に気付いていた。
 どこに隠していたのやら一か月分程の酒と食糧が振る舞われあちこちで妖精が無邪気で楽しげに飛び回り騒霊や夜雀は己の才能を正の方向に発揮し宴に華やかな雰囲気を与えた。鬼や河童は相撲を取り花妖怪は四季の花を宴に添えた。地上の人々と地底の妖怪とが肩を組んで言葉を交わし月から下りてきた月の姫と月から逃げてきた月の姫とが月の名酒を酌み交わし仏教に身を寄せる命蓮寺の者や天人と道教に身を寄せる仙人や尸解仙とが龍神を褒め称える歌を詠み交わした。雲より上も地平より下も今は無人であり夜空には弾幕の歴史と共に生きた少女達による弾幕の花が咲いていた。
 「もう私は行くよ」
 文の横にいた天狗がそう言うなり空へ飛び立った。今宵の宴は取材の似合わぬ特別な宴であり天狗達は自粛している。恐らく彼女は取材癖を抑えきれずに空に逃げたのであろうなと思うがその時文の胸にも同様の思いが存在することを知る。天狗の心変わりはとても素早く文も忽ち居ても立ってもいられなくなり新調したばかりの黒翼を羽ばたかせ誇り高き星空に向かって飛んでいった。
 文は一息で富士山よりも高い妖怪の山の頂上を見下ろすまでに飛び上がると幻想郷の夜空を大きく迂回しながら一つの大きな円を何度も描いて地上に向かって降下していく。文は一陣の風となる。その身で何度も幻想郷を駆け巡り駆け巡った。きっと目で見る耳で聞く肌で感じる全てが懐かしいののであろうと思ったし実際に空から見る地上の風景が空に飛び交う弾幕が昔と全く変わらない姿で出迎えてくれたので文は涙を抑えることができなかった。文の感じる幻想郷は過去と完全に同期していた。

 幻想郷の中心で真っ直ぐな紅蓮の炎が燃え上がっていた。凶暴さを削ぎ落としたその炎の中に一つの風の塊が飛び込み風で形を整えながら寸分も狂わぬ螺旋を重ね上げていく。その渦に吸い込まれるように桜の花びらが周りを舞い桜は炎に溶け込みながら炎は桜を抱えながら空へと昇る。螺旋の中心には天を貫かんとする一本の火柱があり蜘蛛の糸が筋を通している。火柱に付き従うように螺旋が伸び火柱が更に天へと近づく。地球と月のように一体となったその塔が天に挿し込まれると天の川から水が溢れだした。その近くを運航していた聖輦船はどうやら浸水してしまったらしく聖輦船に乗っている幻想郷の住民は柄杓で水を掬いだす。外に捨てられ星空に広がる水は次第に二つに別れ蛙と蛇にその姿を変える。聖輦船が運航を再開すると天の川の水で出来た大蛙と大蛇が動き出し取っ組み合いを始めた。空に浮かぶ月は気付けば満月で月の表面に映った兎の影が餅をついている。しばらく眺めていると炎の紅蓮が空気に滲んだのか紅い霧がどこからともなくやってきて月を真っ赤に染めてしまい兎は恨めしそうに真っ赤な目をこちらに向ける。聖輦船を埋め尽くす住民の拍手から生まれた爆音がこだまし兎がうるさそうにして月の裏側に隠れる。その音の洪水は兎に向けられたものではなく拍手の先には天から下ろされた極光の幕。拍手が先か幕が下りたのが先か。音の雷鳴が幕を切り裂くと夜の闇の中から龍神が現れた。龍神は虹を残しながら全身をゆっくりと聖輦船の前に差し出すとそのあまりの神々しさに誰もが見とれてしまい辺りは静寂に包まれる。龍神は身体を虹色に発光させその背に聖輦船を乗せて闇夜の亀裂の中に再び潜り込んだ。かくして幻想の亀裂は永遠に閉ざされ幾世紀もの年月の間幻想郷として親しまれていた土地には何事も無かったかのように普段通りの慣れ親しんだ闇が帰ってきた。
わが幻想郷は永久に不滅です。
ただの屍
作品情報
作品集:
29
投稿日時:
2011/09/17 01:51:00
更新日時:
2011/09/17 10:51:00
分類
エログロなし
1. NutsIn先任曹長 ■2011/09/17 11:52:38
幻想郷をなんとか幻想郷足らしめていた、『住人』が逝きましたか……。

幻想の『ソース』は何処まで保てるのか……。
私の『幻想郷』は何時まで存続できるのか……。

ちょっと、考えさせられました。
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