産廃百物語B 「可畏人瞎驢(かいびとかつろ)』

作品集: 30 投稿日時: 2012/08/21 04:12:13 更新日時: 2012/09/02 14:56:52
 徒労とは正にこのためにある言葉で、その日疲れ果てて魔法店に帰った私の睡眠は、重労働のせいか日頃より深かった。蒸し暑い夏の夜で、寝間着の腹をはだけて何十分もゴロゴロと横になった後ようやく訪れた眠りは、夢も見ない程に昏く遠く長いものであった。
 霧雨魔法店に正式な朝が来たのは、昼の少し前だろうか、目を覚ますと二階にある自室のベッドに、強い日差しが落ち込んできていた。閉め切った薄地の白いカーテンが輝くように光を透過させて、寝ぼけ眼の私に一日の始まりを知らせてくる。
 ちょっぴりおかしな日だった。魔法の森がジメジメしているのは常日頃の性質なのだが、雲ひとつない青空の元にある森の姿は、カーテンを開けて窓の外を見るからに、濃くてどろどろとした霧に包まれていた。窓を開いて新鮮な空気を吸うのを躊躇うくらいに淀んでいる。
 トッ……トッ……
 足音だろうか。堅い靴底で歩く誰かの存在が、床の下、一階で何かを探し回っている。嫌な予感がした。何よりも、異様な朝の雰囲気が緊張を誘っていた。私は寝間着のまま、ベッド横に立て掛けてある魔法の箒をこの手に取る。
 トッ……トッ……
 足音は下階で目ぼしい物を見つけられなかったのか、ゆっくりと近付いてくる。屋根裏のようになったここ自室に続く階段を、一歩一歩、昇ってくるのを肌で感じた。私は入り口、扉の横影に隠れて、そいつの出現を待ち伏せる。階段は確か16段あったはずだ。あと数秒もしない内に寝室に上がり込んでくるだろう。
 私の部屋は、積まれた魔導書に床を、容量一杯の本棚に壁を囲まれている閉鎖空間だ。奥にあるベッドと横窓、天窓を除けば、侵入口はここしかない。私は箒を握る手に力を込めた。
 あと一歩。そんな時、私の意識が部屋の奥、ベッド脇にある横窓に反れてしまった。最後にする後方の確認のつもりで見たその光景は、怖気を齎すのには充分だった。
 何かが居る。覗いている。魔法の森を沈ませている濃霧の中に、眼のようなものを開いた、気味の悪い生物が居る。骨格など無いように、その影はぐにゃぐにゃと揺れていた。
 直後――私の横にあった扉がぬるり、と開かれた。手に汗した私は慌てて箒を握り直して振り上げると、出てきた彼女に思いっ切り……
「きゃ!」
 当てそうになって途中で止めた。現れたのは顔馴染みの人形遣い、アリス・マーガトロイドだった。
「魔理沙なにするのよバカぁ!」
 足音の正体を知って胸を撫で下ろす。表情の緩む私とは対極的に、アリスは不機嫌そうに表情を歪めていた。名誉のため私は簡潔に説明することにした。
「悪い。ちょっと闘ってたんだぜ」
「何とよ。夏に沸く虫とか?」
「いや、あれだ」
 窓の外に垣間見た怪物を箒の先で指して、彼女を誘導する。が、
「何よ、何も居ないじゃない」
 そこには汚れた雪のような濃霧の白があるだけで、恐ろしい眼の影の形もなかった。
「いや、さっきまで居たんだぜ。気味の悪いのが」
 たちの悪い亡霊は人を脅かすとすぐに逃げて、物陰から恐怖に慄く被害者を観察して楽しむような陰険な性格らしいが、その類だろうか。何はともあれ、アリスの登場で安全は保証された。ふと、沸いてきた疑問を彼女に訊いてみる。
「で、どうして不法侵入なんてしたんだ? 変態に目覚めたのか?」
「酷い言い草ね。何度も呼んだのに居留守を使ったのは魔理沙じゃない。一緒に食事しようって約束したのは魔理沙の方からなのに」
 初耳、という訳ではなかった。そうだ。寝ぼけて記憶が曖昧だったが、確かに昨日そんなことを言っていた。見遣るとアリスは朝食のパンのバスケットを抱えていて、もう準備万端のようだった。
「スマン。寝坊した」
 とりあえず言い訳してみる。
「もうっ! ……まあいいわ。下行って食べましょう」
「じゃ遠慮なくいただくぜ。あ、着替えるから先に降りててくれ」
「わかったわ。それと魔理沙。ヨダレの跡ついてるから顔洗った方がいいわよ」
「あッ、」
 言われて恥ずかしくなって、私は自分の顔が赤面していくのを熱で感じた。口元に手をやると、若干湿っている。と、緊張が解けて他事に気が回るようになったのか、寝間着に普段とは違う、僅かな違和感を覚えた。
 下のポケットに何か入っている。一個じゃなく、若干重い。
 手を入れて取り出してみる。
「………………」
 それは、眼球だった。誰のものかは判別できないが、ちょうど一人分の目玉だった。造り物臭いガラス玉でなく、本物の、肉から作られて弾力のある硬さの、目。
「なによそれ……」
 扉から半分出ていたアリスが様子に気が付いたようで、私の掌の上にある目玉を見て小さく呟く。驚愕から声が喉に詰まってしまっているが、その言葉は私の台詞だ。何だこれは?
「……私も知らないぜ。起きたら入ってただけで」
 確かに昨日は蒐集発掘作業をしていたが、こんな悪趣味なものを持ち帰った覚えはない。それどころか、何も目ぼしいものがなく、しょげかえって家に戻ってきたのだ。
「ねえ魔理沙。一応聞いとくけれど、私に対するドッキリとかじゃないわよね」
「むしろそれは私がアリスに問いたいぜ」
 禅問答だ。どうやら私達以外に『何か』が居るらしい。さっきの化物だろうか?
 こんなところで話し合いをしても事態は何も好転しないなんて百も承知で、私とアリスは少し相談して、気持ちは悪いがとりあえず捨てずに目玉を持っている事に決めた。あとで霊夢に見てもらって正体を掴んでもらおう。それでもダメなら香霖に鑑定してもらえばいい。
 得体のしれないもの。妖怪でも幽霊でも、名前の無い、こういうフワフワとした現象が一番怖い。霊夢が確か、新聞紙を大片付けしていた時にそう言っていたのを思い出して、なるほど、確かに不気味だった。
 着替え終わっていつもの服に帽子を被った私は、一階にあるリビングルーム――(香霖堂よりは散らかっていないと自称したい)蒐集した物々の積み上がる部屋の、中央に鎮座した縦長机を挟んで、アリスとの食事に望んだのだった。こんがり焼けたバゲットにクリーム入りスコーン。美味しそうだ。

   *

 嘘も方便と云う諺を知っている私は、霊夢と違って嫉妬もするし、隠し事を暴いてやりたい悪戯心も持っている、より人間らしい魔法使いで、噂話を小耳に挟んだからには動かなければ蒐集家の名折れだと感じていた。
 香霖は夜な夜な(?)店を抜け出し、無縁塚からマジックアイテムを掘り出しているらしい。噂話だから多少の曲解はあるだろうが、まず気になったら真似してみるのが私らしい手段だ。道中で出会った三妖精をひっ捕まえて、トレジャーハンティングに詣でた訳なのだが……
 どういう事か、今日の食事中にその三妖精が血相を変えて飛んできて、こうしてリビングルームで騒ぎ立てている。私は小麦の香るクロワッサンを頬張りながら話半分に聞いてみることにした。
「魔理沙さん! 酷いです! 無縁塚に行ったからって、あんな悪戯を仕込んで」
 真っ先に口を開いたのは、サニーミルク、光の屈折を操る、三妖精で一番やかましいのだった。目が潤んでいるのを見るからに、相当怖い目にあったらしい。何だか面白そうなので、話を広げてみる事にしよう。
「ちょっと言ってることの意味が解らないが、何かあったのか?」
「とぼけないでくださいよ! ルナなんておしっこ漏らしそうになったんだから」
 サニーが指差すと、三妖精の一人、ルナチャイルド――蒐集家には羨ましい音を消せる能力があるらしい――は顔を赤らめて俯いた。本当は全部出ちゃったんじゃないかと思える反応だ。文句は受けるが全く確信に迫らない――このままでは埒が明かないと察したのか、アリスが横から訊いてくる。
「どういうこと? 何があったのか私に教えてくれない?」
「どうもこうもこんな事するのは……」
 と、空気を読まず捲し立てるサニーを抑えるように、三妖精で一番おとなしい(考えが読めない厄介な)スターサファイアが前に一歩出てきた。そして、小さな布切れを取り出す。
「これ、見てください」
 布片をたくし上げて出てきたのは、目玉だった。それも1個ではなく、6つも。私のポケットに入っていたそれと、同じだ。
「あ、あー……」
「朝起きた時、みんなのポケットに2個ずつ入っていたんです。魔理沙さんしかこんなことしそうな人居ませんし」
「さりげなく酷い事言うな。まず私がどうやってお前らの寝間着のポケットに目玉を仕込むんだよ……。そもそも、」
 弁解というわけではなく、追求として、私はそれを取り出した。三妖精が持ってきたものと同じ、ワンセットの眼球だ。
「私のところにも沸いて出たんだ。その目玉」
『『『えッ!』』』
 見事にハモって三妖精は驚いた。無理もない。これで人為的なものではない事が証明されたのだから。
「……ま、また〜、魔理沙さん。こんな小道具用意して」
 サニーが上擦る声でまだ疑っているような姿勢を見せるが、ただの虚勢なのは分かりきっていて、内心が現れるようにその肩は震えていた。横の二妖精の顔はすっかり青ざめている。
「いや嘘じゃないんだなこれが。だから」
 一拍置いて椅子から立ち上がって、
「今丁度、霊夢のところに行って調べて貰おうかと相談してだぜ。お前らも来るよな」
 私が述べあげると、サニーはぶんぶんと過剰に首を振って頷いた。安心した眠りを得るためには、なるたけ早く、私達は原因を究明しなければならない。他の妖精からは返答がないようだが……ん?
「……ぁぁ」
 呻きを洩らして震え出したのはルナだった。よく見るとスターも固まっている。彼女らの視線の先にあったのは私で、そのうち声も出なくなったルナがゆっくりと人差し指で示してくる。それは、私の背後に向かっていた。
 背筋にゾッと怖気がした。生暖かい息を首にかけられるような不快感。金縛りにあったみたく全身が硬直するが、恐怖を打ち破るには、無理にでも、動かないと。
 私は意を決して振り返った。
「………………………………」
 沈黙があった。何も無い。正確にはいつも通りの魔法店の在庫の山だ。ただ、何かがあった。何かが居た。予感がそう告げていた。
「何が、居た?」
 三妖精に向き直る。自分達を支配している恐怖を否定するように、そのちびっ子どもは頭を振って答えまいとするが、私は強く目で威圧して白状するよう仕向けた。すると、ついにスターが根負けして、かの実像をおずおずと喋り始める。
「……青い、眼の、くねくねした、気持ち悪い何か」
 何か居る。私はアリスと優雅にパンを貪っていたが、事は意外に切迫しているのかもしれない。あの日無縁塚に行って、何かが私達に目を付けたのだ。妖怪か、怨霊か。
「案外、早めに行動した方が良さそうだな。アリス、付き合ってくれるか?」
 私はアリスの意志を確認することにした。いれば心強いが、唯一、事の部外者である彼女を無理に巻き込む訳にもいかない。何しろ、臆病風が見せた単なる幻覚なのかもしれないのだから。
「そうね、私は……暇だから付き合ってあげるわ」
 一拍、間を置いてアリスは協力してくれた。頬を赤くして照れ隠しのように目を逸らしたのはちょっと理由が不明だが、恐らく尿意を隠せなくなったからか? 的外れな予想な気もする。
「よぉし。じゃあ博麗神社に向かうとするか。魔法の森も変な霧に包まれてるし、今日は嫌な雰囲気だぜ」
 決意から行動は早いほうが得だ。早起きは三文の得で、今日はもう三文の損失がある。早くこの怪異を終わらせて、茸スープでも食べてぐっすり眠って、冴えた頭で魔法の研究を……
「待って」
 私が玄関に向かおうとすると、後ろからアリスが呼び止めてきた。何のことか、私は振り向いた。
「魔理沙。今日は快晴で、魔法の森に霧なんて出てなかったわよ」
「……? そんな訳ないだろ」
 窓から見た光景には、明らかに濃霧が立ち込めていたはずだ。もし、窓が妖怪に化かされでもしていたのなら、むべもないが、
「アリスさん、それはおかしいです。今日は曇りの日ですよ」
 博麗神社に勇んで行く流れを、更にぶった切ったのはサニーだった。そして、
「サニー、それはおかしいわ。今日は晴れよ。霧は出てたけど」
「ルナ、違うわよ。今日は霧はあるけど曇だったわ」
 続けて混乱を招くように三妖精が矢継ぎ早に口にした。何が何なんだ? 全てが食い違っている。紅魔館が一時期発散したような、魔法の霧なのか? 目の前では意見の違いに混乱した三妖精が、ぎゃーぎゃーと言い争いを始めていた。
「まあ、誰が言っていることが本当かは、外に出てみれば解るだろ?」
 場を諌めるために私は率先して玄関まで進むと、その魔法店のお洒落な飾り扉を開けた。
 天気は崩れて、霧雨が降り始めていた。しとしとと、雨の音が森の四方から聴こえる。夏の蒸し暑さに湿気が加わり、粘付くような風がどろりと中まで雪崩れ込んできた。
「天気ってのは本当に気紛れで困るぜ」
 誰が正しいのか、結局は闇の中だった。

    *

「魔理沙、何よこれ」
「だから、説明したとおりだぜ」
 魔法の森との間に天気の境目が見える。高台にある博麗神社には霧の匂いは遠く、夏の青空の心地良い陽射しに包まれていた。妖精三人と人形遣いという、何やら物騒な人数に初め霊夢は目を白黒させていたが、事情を説明するにつれその表情からは興味が失せて、稚児をあしらうように生返事を繰り返すようになっていった。
 例の目玉を見せると、更に眉を曲げて、小馬鹿にしたように苦笑いを浮かべて彼女は言う。
「この目玉、見る感じ、あんたとの繋がりが深すぎるわ。そっちの妖精のもそう。大方、各自自作して私を吃驚させようとでもしてるんじゃないの?」
「は?」
 まるで私達が嘘を吐いているみたいだが、本題はそこじゃない。それに、繋がりが深すぎる……?
「は? じゃないわよ。目玉自体には悪意も霊障も何も感じられないの。むしろあんた達の方が邪悪に感じるくらいだわ」
「じゃあ、私達に怨霊が憑いているなんてことは?」
「あんたは幽霊も妖精も見えるでしょ? 何言ってるの」
 確かにそうだ。魔法使いなのに幽霊が見えない訳がない。という事は、呪いの一種なのだろうか。髪の毛を人形に混ぜて釘を打ち付けるような、呪詛。その道具がこの目玉? 香霖の出番だな。これはもう。
「霊夢。呪いの逆探知なんてのは出来るか?」
 ダメ元で訊いてみる。巫女はそれほど万能ではないと知ってはいるのだが、霊夢を見ていると度々何でも出来るのでは、と思えてしまう。賽銭はないが羨ましい。
「出来るわけ無いでしょ。解呪ならなんとかなるけど、あんた達は自分が誰かに恨まれてると思うの?」
「いんや」
 三妖精に目配せしてみると、彼女達も首を横にぶんぶんと振った。そりゃそうだ。本を借りたり天井を破ったりしているだけで、強烈な呪詛に見舞われる義理なんてない。むしろ、様々な妖怪を徹底的に痛めつけてるこの目の前の鬼巫女の方が、恨まれてしかるべきだ。
「じゃあ、あんた達の主張が仮に真実だとして、全部目の錯覚なんじゃない? 前、私も蜃(幻を見せる妖怪)に色々騙されたしね。目玉は知らないけど」
 確かに貝の妖怪が幻想の都を作ったことはあった。だが、それを異変と勘違いしたのは霊夢であって、蜃自体は彼女を嵌めようとしたわけではない。皆の意見が食い違う、つまり魔法の森自体が幻惑に飲み込まれているとしたら、大体の辻褄が合う。目玉以外は、だが。
「霊夢、ところで相談なんだが」
「何よ」
 正直に事情を話して、彼女が協力をしてくれるはずがない。ただ、香霖の鑑定結果が呪具で無いとしたら、無縁塚で更なる原因を探らなければならない。私は破壊専門だから、霊夢が居ればいざという時の切り札になるだろう。山の上の緑の巫女でもいいのだが、色々と面倒だ。性格とか。
 私は今日初めて霊夢に嘘を吐くことにした。
「香霖のところで涼みに行かないか? 何か羽根が回転することで、冷たい風を起こす変な道具を仕入れたらしいぜ」
「なにそれ? 羽根?」
 態度ではまるで興味無さそうだが、明らかに話題で釣れた気配がする。こうも暑ければ仕方がない。魔法の森と違ってここは直射日光なのだから。霊夢のその、腋の開いている巫女装束から覗く柔肌に汗が滴っているのが見える。
「えっ、なにそれ! 面白そう!」
 後ろでサニーが大声を上げて反応する。お前じゃない。嘘がバレるから黙っててくれ。
「羽根? 回転?」
「超回転する鳥みたいなの?」
 目の前の巫女よりも目を輝かせて、三妖精が騒然とし始めた。スターが疑問を呈して、ルナが頓珍漢な答えを予想する。ああ、もう。
「冷たいって、氷で出来てるのね!」
「氷で出来た鳥が超回転する道むぐっ……」
 サニーが更に油を注いで、三妖精の暴走が取り返しのつかなくなったところで、ススス……と背後に現れたアリスが次に言い掛けたルナの口を塞ぐ。残りの二人も上海人形と蓬莱人形を操って、上手く黙らせてくれる。さっすがアリス空気が読める。
「で、霊夢、どうする。行くか」
「今しがた嘘吐いたばかりのあんたを信用すると思ってるの? 私が霖之助さんのところに行くのはお茶請けが切れた時よ」
 と、渋々という表現がぴったり合うように、言葉を濁して、
「……まあ今お茶っ葉もお菓子も切れてるんだけどね」
 正直な霊夢の言う事はつまるところ真実で、実際そうなんだろうけれど、私は擬似的に、あの紅魔館のメイドのような時間を操る術に成功したわけだ。霊夢が香霖堂に行くタイミングを、今現在にまで早めた。充分な収穫だろう。メンバー揃った感がある。
「じゃあ行こうぜ」
 神社を尋ねてから何事も起きていない――平穏に一抹の不安を抱えながら、私は箒に跨って、ふわりと宙に舞い上がった。

    *

「目玉だね。それ以上でも、それ以下でもない」
 香霖が告げた道具の用途は、あまりにも簡潔だった。
「どういう意味だ?」
 魔法の森の外れにある香霖堂には特異な天候の霧雨の影響か、薄い靄が掛かっていて薄気味悪い感じだった。室内はいつも通りにゴミゴミしていて私の魔法店に似た様相を見せている――最も彼の場合は拾い物がほとんどで借り物なんて無いらしいが。
 窓より薄光が注ぎ落ちる奥の机で、店主の森近香霖は私達の持ち寄った目玉を見ながら、小さく呟いた。
「名前は目玉、用途は目玉。つまり眼球そのものってことだよ」
 いやそれは分かっている。私が聴きたいのは、
「呪いの道具じゃないのか?」
「残念ながら、ただの物体だよ」
 返ってきた鑑定結果はあまりにも無慈悲だった。つまり、目玉の謎は解らずに無縁塚直行コースだ。異変が魔法の森全体にあるのかもしれないが、アリスの目玉がないとすると、昨日の、無縁塚での行為は何かしらの因果を含んでいるはずだ。
「ねえ、羽根を使って回転して冷たい風を起こす道具、動かしてないの? 蒸っし暑いわ」
 霊夢が香霖堂の中に用意しておいてある自前の湯呑みで冷たい麦茶を飲みながら、私の嘘の核心を突くような台詞を発してしまった。うん。どうやって無縁塚まで霊夢を連れて行こう? また策を考えなくちゃならないな。と、
「羽根を使って回転……なんだって? どうしてそれがあることが解ったんだい?」
 嘘から出た真というものか、霊夢の言葉にとんでもなく驚いたようで、香霖はその銅色の目を丸くして彼女を見る。霊夢はフフン、と鼻で笑うように私の名前を出した。
「魔理沙が言ったのよ。おおよそ便利過ぎるから黙ってたのね」
「いや魔理沙にも言った覚えはないんだが……、そもそもまだ使い方が解らないしね」
 いや、適当に言ってみるもんだな。まさか本当にあるとは。
「使い方が解らないって……せっかくここまで来たんだから念力でもいいから動かして欲しいわ」
「念力って……僕にはそんなサイコなパワーはないぞ」
「ベストを尽くせばなんとかなるわ。きっと」
「きっともそっともない。僕にあるのは読書力くらいだよ」
 口喧嘩とまではいかないが、そのまま霊夢と香霖は変な言い合いを始めてしまった。視線を外すと香霖堂は初めてなのか、三妖精が危なっかしい手つきで商品をごそごそと弄り回している。言葉の途中で香霖がそれに気付いて保護者のように駆け寄って、何やら室内がドタバタしてきた。そういえば、アリスの姿が見えない。
 狭い店内を見回して彼女を探すが見当たらない。突然に焦げた匂いが広がって、何事かと目を向けるとそこには商品らしいボロボロの四角い箱が置いてあった。『あらゆる世界の主人公を操れる可能性のある非常に頑丈な道具』とタグが付いており、四角いガラスの下に十字のボタンと丸いボタンと楕円のボタンが2つずつ付いている謎の玩具だった。何のおかしさもない、香霖堂によくあるガラクタだった。
 日常が戻ってきたようだった。博麗神社以降、あの変な物体も現れていない。そもそも寝起きに一回見ただけなのだ。気にする方が間違っている。と、
 店の奥、倉庫に続く闇の底に、何かが蠢いているのが見えた。どうせ大したこと無い、眼の錯覚だろう。しばらくするとその黒いざわめきは消えて、近場にある妖精と店主の喧騒が場面を横切っていく。
 だが、気を抜いた瞬間の緩んだ瞳孔に、それは飛び込んできた。またもや窓の先、昼の光にある奥に、骨のない人間のようなシルエットが浮かんでいた。青い目がこちらを睨んでいる。ぐにゃぐにゃと、陽炎のように姿は不定形で定まらない。ここから遠ざかっている?
 少しずつ小さくなっていくそれに比例するように、私の中で真実味が急激に薄れていった。確かに蜃のような、虚構だ。良く考えれば、アレは脅かすだけでそれ以上の事はしていない。唐傘お化けやのっぺらぼうのように、案外無害なのかもしれない。
 私は視線を外して再びアリスを探すことにした。が、
 その途端、目に見える全てが、あの忌まわしい青い眼とグネグネと動く得体のしれない物体に変わった。
 耳奥で金属の軋むような雑音が響き、香霖堂の優しい五月蝿さが塗り潰されていく。まるで脳味噌にへばりつくように、その物体は天井から死体の如くぶら上がり、私の前で目頭を笑わせている。頬が引きつり恐怖が喉に詰まって声が出ない。
 誰もこれが見えていないのか? 息が当たる。どこから出ているかは知れないが、物体の呼吸音、ひゅう、ひゅうという抜ける音が私の顔に当っている。見ている。そいつは私を見ている。
 体が動かない。金縛りというより腰砕けだ。何が目的なんだ。
「……さ」
 誰の声だ。聞き覚えのある。呼んでいる。何だ?
「魔理沙!」
 正気に戻るように、ハッと息を呑むと恐怖の光景は消え失せて、香霖の声が私の目の前で発されていた。眼の焦点を絞ると、いつの間にか霞んでいた視界に、彼の眼鏡が映る。三妖精はすでに店主に捕まって、口論していた霊夢も納得したようで大人しくお茶を啜っており、アリスはその隣で行儀よく椅子に座っていた。
「魔理沙、どうしたんだい? 聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「あ、ああ……いいぜ」
 動揺しながらも返事を出す。さっきのは一体? 精一杯考えて答えを推測していきたいが、続く香霖の言葉に、私の疑問は吹き飛んだ。
「実はね。僕のところにも目玉が出たんだ」
 彼がポケットをまさぐると出てきたのは、私達の持っているものとほとんど同じ、生の眼球だった。
「魔理沙、昨日、何か特別なことをしたとか、何処かに行ったとか、何か無かったかい?」
 ああ、知ってるさ。それは、
「そこの三月精と一緒に無縁塚に行ったんだ」
「矢っ張り。僕もあれから幻覚に悩まされていてね。読書に集中できなくてホトホト困ってるんだ。霊夢、ちょっと来てくれ」
「なにー?」
 彼女が近付いてくると、これまでにも無く真面目な顔をして香霖は言う。
「何やら昨日、無縁塚に行った僕を含めここの五人が、何らかの幻覚に苛まれてるんだ。あそこは結界が薄いし、嫌な予感がする。異変の前触れかもしれない」
「それで、私に頼もうってわけね」
「ごめん、その通りなんだ。頼まれてくれるかい?」
 たかが読書のためにここまで真剣になるのは野暮かもしれないが、正にこれから何が起こるか判らないところが不気味だ。霊夢は小さく考える素振りを見せて、
「ま、お世話になっているし、霖之助さんが言うのなら」
 快諾してくれる。私の時とは大違いだ。店としては大して傾向が違わないのに、霊夢がここ香霖堂にばかり来るのは、何故だ。いや、私が博麗神社に良く通うから、通例的に魔法店には寄らないだけか。嫉妬は良くない。主に肌に悪い。
「現場検証のために僕も付いていくよ」
「私も行くぜ」
「私も行くわ」
 次いでアリスまで乗ってくる。残りは妖精だが、
「私はここで留守番してる」サニーが、
「私はここで整理整頓してるわ」スターが、
「私はここで掃除してるわ」ルナが、
 それぞれ逃げ腰で口を揃えた。まあ仕方がない。役に立ちそうにもないし、足を引っ張るよりはマシだ。
「じゃあ行くぜ」
 私が意気揚々と香霖堂を出ようとすると、香霖が何やら神妙な顔をしながら聞いてくる。
「ところで、魔理沙。どうして無縁塚なんかに行ったんだい?」
 迷信的な私論だが、呼び止められるのが多い日、というやつか。今日は。まあ、嘘を吐く必要もないから、正直に答えることにする。
「ん? 香霖が色々拾ってるって訊いたからさ。無縁塚から何か借りてこようと思っただけ。結局何ひとつ良いもの無かったけどさ」
「……うん。そうだよね。僕も何も持ち帰ってないんだ、昨日」
 眉間に皺を寄せて何かを考えている様子だったが、やがて止めたようで彼は歩き始めた。一旦停まった行進は再開して、私とアリスと霊夢と香霖の四人は、無縁塚に向かって店を後にした。

    *

「で、何でお前達が居るんだ?」
 6月や秋には彼岸花が咲き乱れるはずの、今は緑一色の再思の道を通り過ぎて、先の末にある無縁塚、森の小さく開けた広場に訪れた。葉だけが異常に覆い茂った紫の桜に囲まれており、小さな墓が疎らに立てられている。
 ここは幻想郷で最も結界が薄く、また最も多く人が埋まっている場所。私の目の前には香霖堂に居るはずの三妖精が、引き攣った笑いを浮かべながら縮こまっていた。
「いやあ……それは、あの〜……」
 私に聞かれたサニーが言い淀んでいる。妖精のする事だ。おおよそ、三人で留守番するのが心細かった、とかそんな理由だろう。
「魔理沙、私達は先に探索を始めておくわね」
 一番初めに三妖精に話し掛けたのがマズかったのか、霊夢はこの面倒3つを全部私に押し付けるつもりのようだ。香霖に至ってはもうそっぽを向いている。
「あ、おい」
 返答の時間を一切与えないように、卑怯にも二人はさっさと踵を返して無縁塚の奥へと潜っていってしまう。アリスは残ってくれたが、しょうがない。
「で、」
 三妖精に向き直って、私はわざと嫌そうに眉根を細めて威圧してみた。この顔は面倒事を避けるのには持ってこいだ。尋問にも使える。
「えー、と……だから……」
 口を開くのはサニーだが、出ているのは声じゃなく呻きだった。頼むから邪魔だけはしないでくれ。それよりも帰れ。まず帰れ。
「……正体不明の怪異なんですよね? 私のレーダーはきっと役に立ちますよ」
 横からスターが助け舟を出してくる。そういえば、彼女は周りに居る生物をサーチする能力があったな。ここぞとばかりに言葉を拾って、サニーはやや冗長ぎみに慌ただしく説明する。
「そうよ。それだわ! いざという時は私の力でみんな姿を隠して逃げればいいし、ルナは音を消せるから安全に逃げられるもの! ね、ルナ」
 こうして唐突に話を振るあたり、アドリブなんだろう。問われたルナ本人は寝耳に水のようで、キョロキョロと他妖精二人の顔色を見渡して台詞を迷っている。
「え、ええ?」
「ほら、ルナも頷いているし、きっと心強い味方になるっ、なりますよ!」
 バナナではないが、これが世に云う妖精の押し売りというものか。まあしかし、これ以上こいつらと戯れても時間の無駄だろう。私は一言入れて切り上げてしまうと頭を上げた。と、
「……香霖堂が化け物屋敷だったから怖くなって抜けてきたんじゃなかったの?」
「シッ……!」
 ルナがぼそりと小声で呟いた。なお慌ててサニーは彼女の口を物理的に塞いで、私に愛想笑いを投げ掛けて誤魔化し始める。正直、三妖精の体裁になんて興味はなかったが、ひとつの単語が踵を返そうとする私の脳裏に引っかかった。化け物屋敷。
 確か、スターの能力は……私は三妖精に改めて質問する。
「まあ、香霖堂は私の家じゃないから戸締りの事は心配するな。あの化け物、出たんだろ? しかも目の前に」
 織り交ぜているのは先程の私の経験談で、それがこの三人にも当て嵌まるとは、悪い報らせ過ぎて思いたくもないが――
『『『えっ!?』』』
 と一通りシンクロして驚嘆した彼女達は、
「手が滑って変な壺を割ったら、いきなり天井から白い奴が出てきて」
「サニーの悲鳴でびっくりして皿を落としたら、いきなり天井から白い奴が出てきて」
「二人の奇声に混乱して慌てて花瓶を壁に叩きつけたら、いきなり天井から白い奴が出てきて」
 青ざめながら口々に目撃証言を輪唱した。平安貴族の神子でもない私には、一語一句聴き取るなんて真似は出来ないが、その要約を類推することは容易だった。
 私達は、それに視られている。
「ひとつ聞いていいか? お前、レーダーの能力なんだろ? 何も居なかったのか?」
 不思議な事は沢山ある。この怪異は実像が何処にもないのだ。幽霊ですらまだそこまで透明じゃない。私はスターと目を合わせて、嘘の無いようその表情を伺う。
「何も、居ませんでした。同時に襲われてるはずなのに……」
 他二人がにわかに震え出す。後にスターも自分の発言の奇妙さに気付いたようで、猫饅頭のごとく三妖精は恐怖に縮み上がった。
 妖精の能力に大きな信頼を置くのは間違えいている。神に匹敵する力の強い妖怪ならば、彼女達の力を無効化するなんて造作も無いからだ。
 つまりは、そういう事だ。それほどなのだ。
 帽子の中にある八卦炉を取り出して、握り締める。私は三妖精に向かって、
「安心しろ。いざとなったら『一回休み』にして、ここから逃してやるぜ」
 大きな啖呵を切って、自身の中に生まれつつある恐怖の塊を無理やり押し殺した。すでに、霊夢達は探索を始めている。無縁塚は片目でも一望できる狭い範囲だが、何かが潜むには隙間が多すぎるくらいだ。どこにも帰れなくなった三妖精を引き連れて、私は広場中央に足を進めていった。
「魔理沙、」
 今まで沈黙していたアリスが、深刻な表情をして後ろから呼んできた。何やら様子がおかしい。
「幻覚、ってことは無い? うどんげみたいな……」
「それはないぜ。一回スペルカード喰らった私が保証するぜ」
 永夜異変のあの独特な酩酊感は今ここにはない。それに、彼女だとしたら、全員の服の中に目玉を入れた上にずっと尾行してきて、ただただ幻覚を見せているだけになる。同じ兎の因幡てゐでもそこまで陰湿ではないはずだ。
「そう。それなら、いいわ」
 私の返答を訊いたアリスは、更に深く考えるように再び口を噤んだ。朝からずっと嫌な予感が止まない。
 無縁塚は単に木板を立てたものから、削り出した墓石を丁寧に積み上げたものまで大小様々な墓がある。何が、どういう形で、どんな条件で……怪異に関する情報はあまりにも少なく、三妖精を連れた私は記憶に導かれるように、昨日の作業場まで辿り付いていた。
 人の大きさの、掘り返した土の跡が2つ。近くには鉄製のスコップが刺さっている。先日の話だ。香霖の宝探しに端を発した私と妖精三人が無縁塚に行くと、この古い墓の前で屈んでいる彼を発見した。その後2時間ほど、香霖が何かを埋めたものだとばかり勘違いして、私達はひたすら発掘作業で手を痛めていたのだ。墓暴きは罰当たりな行為だと信じているが、こうして土を元に戻してしまえば、まあ平気だろうとも思っていた。不思議なのは骨の欠片一つ出てこなかった事で、そういえば、香霖は一体何をして――
「魔理沙、何か見つかった?」
 私が三妖精とグダグダしている内に一通り見回ったらしい。振り向くと、霊夢と香霖がゆっくりと近寄ってきていた。無縁塚の狭さにも驚くが、この何も無さに不気味さすら感じ始める。霊夢も同じようで怪訝そうに口を歪めていた。
「何も。霊夢は?」
「何も。霖之助さんの行ったルートの通りにぐるっとしてきたけれど、私のセンサーには何も引っ掛からなかったわ」
 どういうことだ。とりあえず私は、疑問にしている事を香霖に一度尋ねてみる。
「そういや香霖、昨日この墓の前で何してたんだ?」
「んー、確か奇妙な蒲公英があってね。帯化って云うのかな? 一本の茎に花が滅茶苦茶にくっついていて、気になったんだよ」
「あー、そういえば」
 あったような気もするけれど、掘り返した時に穴の中に巻き込まれたかもしれない。視線を地面に這わせて古い墓を二度見すると、良かった、根本にちゃんとあった。
「これのことね」
 話の流れに賛同して、霊夢がいち早く古い墓の前に座ってそれを確認する。私達が次いで駆け寄って、あらゆる怪異の原因となるかもしれない一本の花に目を集める。が、
「ただの植物ね。霊的な力は無いわ」
 霊夢は首を横に振った。単なる外の世界の漂流物だろうか。ともかくこれで、何もかも振り出しに戻った訳だ。後ろで三妖精の溜め息が聴こえる。
「ねえ、魔理沙」
 ふと、霊夢がその目を私に向けてきた。
「もしかしてお墓掘り返したりしてないでしょうね?」
 ごもっとも。私もそれは原因だと思ってる。
「このお墓はイミテーションだったぜ」
「あんたねぇ……」
「なになに? 何かお祭りでもするのか?」
 呆れ顔の霊夢の向こう、紫の桜の影から見覚えのある人影が、その手に持つ特有の形のロッドと一緒に現れた。命蓮寺の鼠妖怪、ナズーリンだ。急に妖怪が出たせいか、瞬く間に豹変し振り向いた霊夢の手には御札が握られて、今にも襲い出さんとしていた(こっちが)
「待って待って。素寒貧の人間を襲う気はいつだってないから!」
「誰のお賽銭が少ないですって?」
 無縁塚は怨霊が出やすい事もあってか――幽霊の気質は結構人の気分に影響してくるらしい――霊夢は御機嫌ナナメのようだ。相手を確認してから笑顔を取り繕ってはいるが、声は苛立ちに震えている。私が墓を掘り返した事に腹を立ててる訳ではないのだろう。多分。
「知らんよ君の経済状況なんて……。で、結局何なの? その蒲公英でお花見しながら宴会でもするのかい?」
「私が説明するぜ」
 百面相に忙しい霊夢にこのまま任せると、会話が尋問になってしまいそうだ。肩を怒らせる彼女を静止して、私が一歩前に踊り出る。後ろから突き刺さる霊夢の視線が痛いが、今は、発端よりも元凶を探らなきゃいけないのは向こうも解っているはずだ。
 近寄ってきたナズーリンに、かくかくしかじか、と一通りのあらすじを解説する。言い終わった後、何か心当たりでもあるように彼女は少し考えて、そして答えてきた。
「羅刹鳥……かもわからんね」
「羅刹鳥?」
 私は鸚鵡返しに訊いてみる。
「墓場に溜まった死者の陰の気が稀に鳥の形を取るそうだ。ちょうどこんな古い墓のとこでね。それは灰色の鶴のような姿で、青い目をしていて、人間の目玉を抉り出し好んで食すると云う」
 伝承を聞いている三妖精は恐ろしがってガタガタ震えているが、どうにも私には実感が湧かない。事件とは共通点が少ないように思える。もっと詳しく聞いてみる必要がありそうだ。
「それがどうしてこれだと思ったんだ?」
「羅刹鳥は人の姿を真似ると云う。何が云いたいかは解るかな?」
「つまり、私達の誰かが羅刹鳥だって言いたいのね」
 横から霊夢が会話に割って入る。ナズーリンの主張も最もだが、それだけでは怪異、特に好物の目玉をどうして寝間着のポケットに入れたのか、全く理解が追いつかない。私は更に問いてみる。
「それだけじゃあ、全然辻褄が合わないぜ」
「うむ。じゃあ最初っから解説して差し上げよう。まず化かす妖怪というのはその痕跡を消すのが上手だ」
「だから私が目玉から呪術的な痕跡を見つけられなかった……としても変よ。今の所、嫌がらせしかしてないじゃない」
「そこが肝だよ。目玉を入れるのは’標的を逃さないため‘さ。匂い、とは云わないけど、目玉が好物である妖怪なら、レーダーのようにそれを探し出せる能力を持っていてもおかしくはない。現に君達、目玉捨ててないでしょ? 霊夢が言ってたように、目玉と縁を深くしてなかなか手放せないようにしてあるのさ」
「……確かに、僕の能力でも、『目玉』としてしか情報が引き出せなかったのは、本物の目玉だからこそのカモフラージュだった訳か。しかし、どうしてすぐに襲わないんだ?」
 香霖も会話に参加してくる。段々と真実が明らかになっていくが、どうにも納得出来ない、やり切れない違和感があった。
「一気に何人も襲えないさ。全員にマーキングした後に一人ずつ襲おうとしたんだが、邪魔が入ったか何かで、まだ誰も犠牲者が出てないだけだろ?」
 ああ、そうか。朝の出来事が脳裏に浮かぶ。
「その羅刹鳥の一番最初の標的だったから、私は寝坊したのか? で、アリスが来たから逃げた、と」
 窓に張り付く化物は、その時視ていた羅刹鳥とやらだったのだろうか。鳥にしては骨ばってないな。だが、
「そうそう。なんだ、全部解決されるじゃないか。羅刹鳥というのは随分と古い妖怪だからね。知らないのも無理は……」
「待って。おかしいわ」
 得意げに語るナズーリンの話を遮るように、霊夢が重々しく呟いた。彼女が疑問を呈したように、私にも訝しさが生まれていた。
「『縁を深くして』って、並の妖怪が出来る事じゃない。それこそ、あんたのご主人様でも出来るかどうか怪しいレベルだわ」
「うん。そうだね」
「そうだねって……」
 妖怪の力と頭の良さは比例しない。紅魔館の吸血鬼がまずその代表例だ。だが、霊夢の云うように縁を操作できるほどの知能と力がある妖怪が、果たして私程度の人間を食い損なうようなミスをするだろうか。そもそも、そんな凄まじく力の強い妖怪なんて存在するのか?
「私は毘沙門天様を『信仰している』から知っているんだけれど、羅刹鳥の起源となる羅刹天の勢力はかなり強めなんだ。色々な宗教に取り込まれていく内に、羅刹という言葉が鬼神の総称となったり、神だったり獄卒だったり、姿を変え形を変え多くの人々に恐れられている」
「それがどうして一妖怪に集約されるのよ」
「そう。たかが羅刹天がどうして私に強いと云わせるのか。私もそれが不思議なんだな。神が様々な経典に引用されるように、創作が増えたりだとかして、外の世界での信仰が変化したのかもしれない。つまり、この異常な羅刹鳥は、羅刹天の影響を強く受けている上に、強力な化かす力と欺く力をどういう訳か持っている」
「ハイブリッド妖怪ってこと?」
「そゆこと。由来の知れない何かと合体事故を起こしてる。で、どうだい? この機会に毘沙門天様のありがた〜い御札があるから、ひとつもらってみない? 羅刹天より位が高いから、どうにかなるかもしれないよ?」
「私は神社の巫女よ? いらないわ」
「私は貰っとくぜ」
 霊夢は手を振っていらないアピールをしたが、普通の魔法使いの私に何かと入り用だ。ナズーリンが手元でヒラヒラさせている御札に手を伸ばした。おかしな仕掛けが用意されている訳ではない、ただの紙切れにしか見えないが受け取って懐に忍ばせておく。
「どう、そこの人形使いさん?」
「そうね。戴くわ」
 アリスも続いてお世話になる。勧められた訳ではないが、この事態を一番早く収めたいであろう気の弱い三妖精が、いきなり飛びかかるようにナズーリンに押し寄せた。
「私にひとつください!」
「私にもひとつ。慈悲があるならふたつ!」
「私も私も。仏心があるのなら全部!」
「落ち着け、落ち着け、欲しいのなら縦に並んでね」
 騒動も終結に近付いたのか、賑やかになってきた気がする。ナズーリンの列の最後に、行儀良くして香霖も居るのだからちょっと見ていて笑えてくる。さて、最後の大仕事が残っている。私はそっと霊夢に近付いて、小さく耳打ちをした。さっき思い付いた、簡単で手っ取り早く、そして成功率の高い策がある。
 ごにょごにょ……
「で、どうだ。これ。良い作戦だろ?」
「確かにそうね。成功率は大きいわね。失敗しても羅刹鳥の候補は半分に絞られる」
「いいや一人だぜ」
 突拍子もなく伝えたアイデアを霊夢は快諾してくれる。訂正しなきゃいけないところだけを言い直して、私は早速行動に出る事にした。不審な動きに気付いたアリスが疑問符を顔に出しているので、彼女にはまた別の作戦を伝える。勿論、耳打ちで、だ。
「残念。さっきの子に渡したのが最後よ」
「そ、そんな……」
 ナズーリンの前で項垂れる香霖を傍目に見送って、私は三妖精に声を掛けた。
「なあ、羅刹鳥を炙り出す良いアイディアを思い付いたんだ。協力してくれないか?」
 羅刹鳥が誰かに化けている。怪奇現象が始まったのは家からで、犠牲者が居なかった事から、まずアリスは省かれる。それに真っ向勝負を仕掛けないってことは、能力は特殊だが、そこまで腕っ節は強くないって事だ。おおよそ一人の時にしか狙うつもりはないのだろう。
 幻覚が香霖堂まで付いて回ったって事は、私達は常に空腹の羅刹鳥に見張られているということだ。三月精はグループで行動しているし、私達は互いの姿を見失うこと無く無縁塚に来た。目玉の追跡能力を使って隠れながら様子を窺っているのなら、スターサファイアに気付かれているはずだ。必然的に後から現れたナズーリンは除外だ。スター自身が羅刹鳥でも、策で充分カバーできる。
 一番簡単な羅刹鳥の確認方法は各々のスペルカードを使うことだ。奴は幻想郷のルールをそこまで知らないはずだし、この努力の結晶を容易くコピー出来るはずがない。だが一人一人順々に確かめていたらきっと、その間に逃げてしまうだろう。まず、そう云った提案を伝えた時点で、羅刹鳥に先手を取られてしまう。
 だから、全員でなく私達二人が、これからスペルカードを使う予定だ。勿論、作戦は霊夢以外、誰にも報せない。この作戦は私と霊夢の、互いの正体も保険に掛けている。
「え? 魔理沙さん。それは本当ですか!?」
 サニーが表情を明るくして矢継ぎ早に訊いてくる。
「ああ、そうだ。それには、お前達全員の協力が必要だ。レーダー能力、光を屈折する能力、音を消す能力、フルに使う必要がある」
 まあ良くこんな嘘がしゃあしゃあと出てくるもんだ。私は自分自身の才能に若干、苛立ちを覚えた。私にも罪悪感はあって、騙すのはそんなに好きじゃない。まして蒐集するためでもなし。
「私達に出来る事があればなんでもします!」
 目を輝かせてコロリと手玉に取られるスターに、その後ろでコクリコクリと頷くルナ。まあ、諦めてくれ、と心の中で私は三妖精に謝った。
「よしまずは……」
 私は三妖精を所定の形に誘導する。私と霊夢が向かい合って、その間に三妖精が挟まれる形だ。もうひとつの策を伝えたアリスに目配せをすると、彼女はすでに私の伝えた位置、香霖の真横にスタンバイしていた。
「じゃー行くぜー」
 私は対岸に居る霊夢に声を掛ける。するとすぐにも返事は戻ってくる。
「いいわよー」
 何も聞かされていない三妖精は目を白黒させたが、考える暇なんて与えてやらない。私は手に八卦炉を持ち、霊夢は陰陽玉を握っていて、
「恋符『マスタースパーク』!!」
「霊符『夢想封印』!!」
 同時にスペルカードを使用した。瞬く間に私の火炉に閃光が収束していき、瞬間にして超熱量が発生する。光線状になった魔砲が、位置や距離関係なく最速の軌跡を描く。対して霊夢から発生した無数の光弾はふわりと宙を彷徨った後、急激に速度を増してこちらにホーミングしてくる。
 無縁塚周辺が眩い光に包まれ、衝突する大威力のスペルカードは強烈な風を吹き起こし、辺り一面の紫の桜の葉を凪いでいく。砂埃が巻き起こり、一瞬にも永遠とも思える魔法時間は、塚全体をビリビリと轟かせて戦慄かせた。
 普通の弾幕ごっこじゃない。これは避けるための弾幕でなく、相殺させるための魔法だ。
 と、光源が集束して威力が潰えていくその終結の一幕、巨大な光の渦に飲まれていく鳥の姿がその魔法の中にちらと見えて、やがて火に焚いたように黒く消滅していった。断末魔なのか、甲高い怪鳥の声が広場に響き渡った。私達二人のスペルカードは続く数秒で絶えて、後には何も無い――三妖精の蒸発した、まっさらな空間が残るのみだった。
「ふー」
 私は額に滲んだ冷や汗を拭った。全力でやったつもりなのだが、霊夢の力が思ったより大きくてもう少しで呑み込まれそうだった。対岸から霊夢が声を掛けてくる。
「終わったわね。で、眩し過ぎて見えなかったけど、仕留めたの?」
「ああ、この目でバッチリ見たぜ」
 目視で確認した成果を述べる。突然のことでナズーリンは呆然としており、アリスに至っては引き攣った笑いを浮かべていた。
「ちょっ、君達何をしてるんだ! 気でも狂ったのか!?」
 香霖が慌てて駆け付けてきては難癖なのか、私達の気を疑う。道具知識しか無いノンアクティブな古道具屋に説明するのは骨が折れると思ったが、せっかくなので解説してやる事にした。
「羅刹鳥の荒療治さ」
「にもしても豪傑過ぎないか!? 当てずッぽうだろう!?」
「いいえ、魔理沙にしては頭を捻った方よ」
 霊夢も説明に乗り気のようだ。私は続ける。
「羅刹鳥には私達の持っているスペカはない。こうして向い合ってスペルカードを使えば、どちらかが使えなかった場合、すぐに始末できるだろう? 妖精は……まあ、一回休みになるだけだしな」
「これで一気に候補が減るじゃない。私には名案に見えたわ」
「それにしても、滅茶苦茶だ。見てくれ、墓が」
「倒れてないぜ?」
「私もお手伝いしたわ」
 アリスが香霖の隣で小さく囁く。シロだと初めから解っている彼女には、後始末を担当してもらった。具体的には人形を上手く使って被害を減らすように頼むのと、もうひとつ、
「これが失敗したら、必然的に香霖が怪しくなるから、私の合図でアリスに拘束して貰う予定だったんだぜ」
「え、あ、君達はッ、もうッ」
 傍に寄り添っているアリスからバッと素早く離れて、香霖は怒ったように声を荒げてくる。まあ、結果オーライということで。
「けど、香霖も見たよな? 羅刹鳥の消えてく姿」
「まあ、そうだけども」
 彼が頷いたという事は、私の幻視でもないらしい。結局、三妖精の誰に化けていたかは知らないが、こうして異変は終局を見せたのだ。
 普段しない魔法の相殺をしたせいなのか、無縁塚に強い風が吹き込んできた。衝撃で散った砂や墓の擦れた塵がぶわりと巻き上がり、私達に荒んで舞い込んでくる。そういえば、昨日の無縁塚は、このくらい風が強かったような……
「痛ッ」
 舞い上がる粒子が目に飛び込んできたのか、霊夢が顔を抑えて前屈みになった。私やアリスは素早く目を閉じたので大丈夫だったが、私達に言い包められて気の抜けていた香霖は思いっ切り喰らったようだ。涙目になって目頭を押さえている。眼鏡なのに良く入り込むもんだ。
「霊夢ー、大丈夫か?」
「大丈夫よこれくらい」
 リアクションが結構大きいように感じたので、霊夢に声を掛けてみる。目に入った砂をそのまま擦ると眼球が傷付いてしまうし、案外見た目よりもダメージが大きいものだ。心配して当然だ。
「そっか、昨日私も風にやられたからな」
 思い出し笑いしながら彼女の背中を叩いてやる。喉に何か詰まっているのでなく、元気だせ、という意味のスキンシップだ。怪異は去った訳だし、今日の会合もこれでお開きだ。
「じゃあ、帰るか。私達の家に」
 もうこれで白い奴とも合う事はないし、蒸し暑い夜とも……まだ夏か。香霖が羽根の何とかするやつを使えるようになったら、もっと楽だろうに。太陽も僅かに傾き始めて、私のお腹が小さくぐぅ、と鳴った。今日は冷たい茸雑炊にしよう。私が手を差し伸べると、霊夢は目を逸らして古い墓を一瞥した。
「いえ。私は少しここに残るわ。陰気で妖怪が出るのなら、再発防止のために一回祓っておかなくちゃ」
 全く賽銭は増えないのに真面目だな、と口に出しかけてやめる。少し悔しいが、霊夢の事は結構頼りにしているからだ。彼女の言い分に納得して、アリス達のいる方へ向かうと後ろから忠告が飛んできた。
「魔理沙。今回は直接は関わりなかったけど、お墓を暴くのはやめなさい。あと、霖之助さんもね!」
「はーい。わかったぜ」
 おざなりな返事でももう肝には染みている。返事の無い香霖はどうか判らないが、私はもう墓破りはしないつもりだ。得られたものはないし、後始末ですらこんなにお腹が減るようでは、とても割に合わない。発掘はそこの鼠に全部任せて、集めたところを強奪……借りればいい。
「じゃあ、霊夢。神社で茸雑炊作って待ってるからなー、じゃあなー」
 私は手を振りながらその場を後にした。

 一日が過ぎるのは早い。ナズーリンと一言二言話して再思の道で別れると、私とアリスと香霖はそれぞれ帰宅の途に就いた。太陽が沈み、夜が幻想郷の空に冷たい風を運んでくるようになると、私は持ち寄りの茸を使って、博麗神社で雑炊を作っていた。月の煌めきが空に目立つようになると霊夢が帰ってきて、ついでに尋ねてきたアリスも加わって、ちょっとした雑炊パーティになった。酒を一杯二杯嗜んで、つらつらと世間話をしていると夜の深くなる気配を感じて、何よりも疲れのためか強い眠気が訪れて、その日の宴会はお開きになった。森の濃い霧はもう無く、魔法店、自宅に戻ると明かりは消えて真っ暗で、あの白い怪物に苛まれること無く私はベッドに潜り込み、ナズーリンの云ったありがたい御札を懐に忍ばせて、明日の楽しみを望んで眼を閉じたのだった。

    *

 眠れない。魔法の森の湿度は朝夜変動が激しいので、窓を閉めきっている時の方が涼しい時があるのだが、今日の夜は月がくっきり見えるほどに空気はカラッとしていて、私は窓を開け放って横になった。しかし、相変わらず温度は下がらず暑いままで、あまりにも寝付きが悪いので、私は一度、お風呂で冷たい水を浴びてから、屋根の上に出て涼むことにした。
 風は全くなく、寝間着の薄い生地に汗が滲んできてしまう。腋の下や股からお尻にかけては特に蒸れて気持ち悪い。腹をはだけて上着をパタパタと仰ぎながら、太陽の温熱が月の冷ややかさに負けるのをひたすら待っていた。夜空は黒く星は多く、明かりのない幻想郷の地平が薄っすらと昏く凹んでいる。遠くに見える小さな光は人間の里の篝火だった。
 大変な日だった。朝からドタバタしていて、昨日からの疲れが骨の関節の中にまで入り込んでいるしんどい日だった。魔力を秘めた本物の月は狂気を放つように金色に輝いて、私の瞳の中にある魔法の構想をぐらぐらと沸き立たせる。虫の音が優しく届き、平穏で沈んだ真夏の夜が更けていく。
 空に手を伸ばす。私の研究はあの先に届くだろうか。霊夢とは違い、信仰のような直情的な媒介を使用しない私の魔法は試行錯誤の末の残滓で、たまに自分以外の全てが妬ましく思えてくる時がある。いや、私らしくない。人間だ。私も、霊夢も。アリスだってそれに近いし、香霖は……どうだったか。ともかく妖怪でないのだから、驚かす事に躍起にならずに済む。茸を食べるのは偏食だが、人の肉よりは味がマシなはずだ。
 過去から――ほんの小さい時から人のお下がりばかり頂いてきた私は、未だにそれが身に染み付いているのだろうか。スペルカードを新しく作る度に突き刺さる。考えるな。子供は真似て育つものだ。本当は私らしい魔法、星の魔法、そう、星を――
「魔理沙、どうしたの?」
 空を仰いでいると、そこにはアリスが飛んできていた。何故か普段着で、まるで夜活動しているかのようだ。
「あ、アリス。どうしたんだ」
 いつの間にやら緩んでいた涙腺を拭って、私は来訪者に挨拶をした。少し落ち込んでいるんだ。少しばかり話し込んでも、彼女なら鬱陶しがられはしないはずさ。
 と、
「どうしたもこうしたもないわ。魔法の森にこんなに霧が出ているのに、外でボーッとしてるもんだから心配したじゃない」
 アリスは突拍子もない事を口にした。霧? 確かに湿度が高い時と同じように暑いままで汗も出てるけれど、森はこの通り……
「……ッ」
 濃い霧に囲まれていた。私の居る屋上だけが丁度見えるように靄から突き出していて、月から滑り落ちてきた淡い光を帯びて霧は黄色く、魔法の森に汚く淀んでいる。瞳孔が開き、脂汗がドッと出る。
――何も終わってはいないのか
 嫌な想像をした途端、視界の端に、奇妙なものがズル、ズル、と液体のように這いずり出てきた。今度は白色じゃあない。膿のような闇の中でも目立つ、気味の悪い塊だ。眼だ。眼がこっちを見ている。呪い殺すように強く、まるで首を斬られる寸前の罪人のような、凶悪な視線だ。物体に付いた眼球には赤い血管が浮かんでいて……
 私は屋根上で跳ね飛ぶように立ち上がった。突然の動きに声を漏らすアリスを無視して、窓から部屋の中に素早く潜り込んだ。寝台の横に立て掛けてある箒を持ち、飾り棚から箱を掴み、中身ある八卦炉を取り出した。魔法の箒を繰って、一気に窓から飛び出す。そいつは、眼はもう居ない。
「魔理沙、一体……!?」
「あれが、羅刹鳥はまだ生きてるっ!」
 股下に置いた箒の出力を上げて、私は大空高く舞い上がる。向かうのは、博麗神社だ。
「えぇ!? 魔理沙、何処に行くつもりなの!?」
「博麗神社だ。霊夢を回収する!」
 付いてくるのがやっとという感じで、アリスは遠い私に聴こえるように大声を張り上げながら後に続いてくる。無縁塚で行った霊夢の祈祷は無意味なはずがない。羅刹鳥にとって、最も脅威となるのは陰気を封じる、巫女だ。
「魔理沙、おかしいわッ」
「何がだぜ。モタモタしてると置いていくぜ!」
「違うの、全部違うの!」
「何がだぜ!」
「おかしいと思わないの! あなたが今日の朝、起きたのは昼頃だったのよ!」
 そうだ。そういえば、私は寝坊したのだった……
 箒の出力を徐々に弱めていって、アリスと並走する。羅刹鳥がもし目玉を喰いに目印をポケットに入れたのだとしたら、それは何時頃の話だったのだろう? 古い墓に訪れたことで、獲物に狙いを付けたとしたら、どうやって五人も家まで追跡できたのだろう? いや、霊夢の云うように、縁を操作できるなら、
「魔理沙。噛み合っているようで何もかも噛み合ってないのよ、この事件」
 アリスは続けて、
「私と、あなたと、妖精の天気も。目玉が寝間着に入っていて、実際に襲われた人は居なくて、見たものは幻覚だけ。共通して無縁塚に行っているけれど、近くに住んでいる妖怪のナズーリンには異変がない。まず、羅刹鳥って何なのよ」
 異を唱えるのは最もだ。私もそう疑っていた。ただ、目玉には縁があるから、寝間着に入っていようが私は持ち歩いていたのだろうし、幻覚を見たのは私だけじゃない。それに、
「いや、ナズーリンが無事なのは恐らく御札のおかげだぜ。アリス、お前も貰ったじゃないか」
「そうだけど、自分の食料の目玉をわざわざ、しかも、寝間着に忍ばせるって……、私が妖怪だったら、その場で食べるわよ」
「それは、……自分が羅刹鳥だって言いたいのか? アリス」
「違う……わよ」
 アリスは潔白だ。それだけは信じたい。彼女が云うように、その場で食べるのなら、尚更呼びに来たアリスは無実だ。これ以上、私に仲間を疑わせないでくれ。そう懇願して口に出した言葉を聞くや、アリスは押し黙ってしまう。
「さ、もうすぐ博麗神社だ。気合入れていくぜ」
 煌々と照らす月の光の下、ふわりと浮かび上がる博麗神社のシルエットが、得体の知れない夜闇に溶け込んでいる。こんなに嫌な空気を吸い込んだのは、紅魔館以来だ。

    *

 博麗神社の境内には、地面を這うように黄色い霧が立ち込めていた。生臭い匂いすらする。赤い鳥居をくぐって箒を地に降ろして石段を踏むと、思いの外大きな靴音が鳴った。後ろでアリスが着地して、私は声を張り上げて霊夢の名前を呼んだ。
「霊夢ー! 居るかー」
 山彦も棲めないような澱みなのか、神社の外に声が出ていく気配がない。ただ、昏々と闇に消えていく。さっきから理由もなくイライラする。ずっと視られている感じだ。心無しか、視界の周り、視力の及ばない部分に汚液がこびり付いている気もする。
 一歩進む。足音。アリスの進む音。一歩。一歩。
 一歩……。
 ガタッ、と奥の本殿の方から何かが蠢く音がした。考えるよりも早く、私の足は駆け出していた。蒸し暑く臭い大気の纏わりつく不快さを手で掻き分けて、裏手に回っていく。ピチャ……ピチャ……と何か液体が滴る音が無意味に大きく向こう側で鳴っている。
 息も上がり、高鳴る心臓で辿り着くとそこにあったのは、
 ……静寂だった。
 誰も居ない。しかし、少量だが血が点々と落ちている。後ろから追いついてきたアリスが、その惨状に気付いて息を飲んだ。と、その血液の向かう先の暗がり、鎮守の森の奥へ、何かが潜り込んでいく不吉な気配がした。私は雰囲気を払うよう怒りを燃やして一歩、そいつを追いかける足を踏み出すが、
「まず、まずは霊夢だ。アリス、部屋を、探そう、ぜ」
 歯を食いしばり耐えて、最優先に霊夢のことを考える。大丈夫だ。きっと無事なはず――
 大急ぎで家探しをしていく。物を借りに来る時とは全く違う。気分が優れない。吐き気がする。意識を緩めたら、すぐに倒れてしまいそうだ。耳奥に滝のようなノイズが聴こえて、白い目玉や黄色い目玉が、視界の片隅にある錯覚を幾度と無く覚える。寝室。縁側。台所。と来て、私はお風呂場に訪れた。
「うッ……」
 何気なく覗いた浴槽には、コップを零したような血が広がっていた。跡の中央にひとつ塊がある。一個の目玉だ。神経がまだ繋がっている。瞳の黒い、眼球だった。
「きゃ!」
 立ち尽くす私の後ろに追いついたアリスが悲鳴を上げる。頭痛がし始めた。霊夢は何処に行ったんだ? 疑問に応えようと身体を歩きを欲したが、力が入らない。私はへたり込んでしまった。
「くそッ……」
 弱々しく握った拳で床を叩く。何が起きているのか、全く掴めない。探さなければ、助けなければ、しかし、どうすればいい? 無力だ。いやしかし、しかし!
 回転するような頭の痛みは激しくなるばかりで、涙まで出てくる。しかし、私は、唇を血の滲むほど噛んで無理にでも立ち上がってみせる。私が羅刹鳥なら、次は、きっと、香霖だ――
「魔理沙、」
「アリス、香霖のところに行こう。多分、奴はそこに必ず行くはずだ。捕まえて、霊夢を取り返す」
 目玉が一個だけ落ちているという事は、食事の最中に私がここに来た、という事だ。霊夢が無事かどうかは判らない。しかし、次現れるのは、香霖堂、羅刹鳥の習性から、そこのはずだ。
「魔理沙待って!」
 よろよろとした足取りで歩き始めた私を、後ろからアリスが呼び止めた。時間が無い。奴の足の速さも解らない。私は振り返りもせずに聞く。
「なんだよアリス」
「今言っても伝わらないと思うけど、今しか言えないから言うわ。この羅刹鳥は多分――目玉の妖怪」
 彼女の口から出た言葉は、雲を掴むような推論だった。
「人の目玉に成り代わって、ゆっくりと身体に侵食していく。初めからずっと考えていたけれど、多分――」
「アリス、ごめんな。時間が無いンだ」
  私は無い活力を振り絞って、風呂場を後にする。箒に跨って、無理に通路から飛び出して、あちこちぶつけながらも博麗神社から脱した。酩酊の夜空を往く。アリスを振り切って、魔法の森の端、香霖堂まで一気に飛んでいく。月が笑っているように見える。幻覚でなく、心臓が握り潰されそうな緊張が、眼球を揺らしている。空気がまずい。奥歯を噛み締める。ストレスで胃が裏返りそうだ。
 信じたくなかった。自分以外の、あらゆる物を信じたくなかった。アリスは、都合のいいタイミングで私の家に訪れる。今日の夜も、屋上で涼んでいると、何故か普段着のアリスに出会った。それからすぐに幻覚が現れる。朝だって、彼女が訪れた時に――香霖堂でも、何故かアリスが姿を消している時に、私も、三妖精も白い奴に誑かされた。アリスはまだスペルカードを使っていない。そして今も、人形を使って霊夢を隠したのか? いや、羅刹鳥は姿を真似るだけのはず、人形は遣えない――
 思考がまとまらない。私はついにえづき上げた。胃の中のものが込み上げるが無理に飲み込んだ。舌の上が酸っぱい。まもなく、香霖堂に着く。考えるのはよせ。全てはこの眼で確認してからだ。アリスの言葉を信じるなら、信じるなら、
 恐怖が背筋に抜き身の刃を刺し通す。何よりも、アリスの言葉を信じたくなかった。そうならば、私はすでに、

 香霖堂は私の家より酷い有様だった。瘴気とも云えるような濃密な霧が全体を蛞蝓のように這い廻っていた。霧の中に居るだけで酷く汗ばむ。地面に降りると、私は乗ってきた箒を適当に放り投げた。体がだるい。持っていられない。目を開けているのが辛い。何時間も徹夜したように鼻奥が熱い。焼き物の狸が結露しているのを尻目で見て、私は香霖堂の扉を開け放った。
 明かりが付いている。中では微かな風が回っていた。おかしな事があった。幻覚かと目を擦るが、実像は消えない。ドロドロと膿んだ霧が店内に入ってきたので、私は後手で扉を閉める。部屋の中には、香霖と、霊夢が、居た。
 二人とも無事なようだ。ほっと胸を撫で下ろすが、激しい頭痛は消えなかった。嘔吐感から発した喉の痛みもそのままだ。違和感を覚える。まず時間帯だ。霊夢は後ろを向いているが、湯呑みを持っているようで、香霖は、本を読んでいた。私の来訪に気付いて、香霖が頭を上げる。
「ん? 魔理沙? どうしたんだ?」
 何事も変わらない様子そのものがかえって異常だ。私は一睡もしていないから、時刻は深夜だと解っている。どうして、こんなところに、二人は居るんだ?
「香霖、霊夢。何の、冗談だ……? 今、真夜中だぜ?」
「何を言ってるんだい。まだ夕方じゃないか」
「そうよ魔理沙。寝ぼけてるんじゃないの?」
 声は二人のものだ。霊夢が半分だけこっちを振り向いて、その瞳を投げ掛けてくる。何だこれは。私がおかしいのか? 彼らが狂っているのか? 一歩、店の奥へと足を進める。
 カキン、と足元で陶器の弾く音が聴こえた。破片だ。壺か、皿か、はたまた花瓶か。三妖精は、香霖堂で物を壊したと言っていた。あれから随分と時間が経っているのに、どうして片付けられていないんだ? 嫌な汗がドッと吹き出て背中を伝っていく。そうだ。私は薄い寝間着のままだから、こんなに服が濡れているのか。懐には毘沙門天の御札が汗だくになり肌に引っ付いている。ああ。駄目だ。認めるしか無い。アリスの言った言葉は――
 香霖の目は、綺麗な青色をしていた。丁度、羅刹鳥の、眼の色だ。本当は銅の色、百歩譲っても薄い黄色だ。瞬きをする。変わらない。目を瞑って、十数えてから開く。そのまま。彼はアリスと同じ青い瞳をしている。亡霊のように、薄暗い店内にぼんやり眼光が浮かんでいる。
 私は無言のまま、霊夢に歩み寄った。床にはまた、骨董品の破片が散らばっていた。彼女の眼の色は黒色で、私に今向けているのもそうだ。しかし、博麗神社にあった目玉がひとつだという事は――
「何よ、魔理沙。顔が怖いわよ」
 持っていた湯呑みをコトリと置いて彼女は私に笑いかけるが、ああ、それ、違うんだ。それは霊夢専用のじゃないんだ。
 アリスの話では徐々に支配されていくという。なるほどそうか。私は今、泣きそうな、とても情けない顔をしているのだろう。頭痛も恐れも全て消え去って、遣る瀬無い、悔しい、怒りも混ざった、思わず叫びたくなるような感情が、眼の奥にこみ上げている。
 霊夢の肩を掴み、そして、引き寄せる。
 振り返らせられた彼女の顔半分は、まだ渇き切らない血で真っ赤に汚れていた。無いはずの眼窩には、青い目玉が生じている。
「ごめんな。霊夢」
 私の手にはいつしか抜けた力が蘇っていて、それはむしろ以前よりも遥かに強い結束で動かす事が出来る。憎い、彼女の、青い目に、無理矢理、指を突き入れて丸くなった奥を握りしめ体重を掛けて引っ張った。神経が繋がったばかりなのか、根の弱い雑草を引きぬくように、ブチブチブチ、と容易く引き抜けた。多少血が噴き出るが、私はお構いなく、取り出した目玉を握る掌を、力の限り丸めた。本物の眼と比べて、実に柔らかい。あっという間に、その物体は絞りカスになった。
「あああアアアアアアアアァァァァァァァッッッッッッッ!!!」
 痛みがあるのか。半分妖怪に乗っ取られた霊夢が劈くような悲鳴を上げた。確か、無縁塚では、目に塵が入っていたな。あれが妖怪だったのか。そういや三妖精も昨日そんなだったな。程度に違いがあるのは、その入った量だろうか。脳味噌だけが身体と切り離されて冷静に思考している。片方は無事だが、まだ発症していないだけだろう。私は、痛みで痙攣する彼女の残ったもうひとつの目に指を突き入れた。堅い。これは霊夢の眼だからか。もう少し抵抗されると思ったんだが、案外、弱いな。鷲掴んだその球体を引っ張る。さすがに前と同じようにはいかない。右に、左に、揺らして、少しずつその根をちぎり伸ばしていく。爪の先に、一本一本の血管が切れる嫌な音と感触がぶつりと当たる。木の枝のしなる、独特の感触を何度も味わった後、私は、羅刹鳥のことを考えていた。
 眠りに就いた後に宿主の目玉を引き抜いて、自分の目玉を作るのも、大変なんだな。後始末とか、この堅さとかで、時間が掛かって、だから、感染したみんな遅起きになったんだな。多分、結構弱い妖怪なんだ。だから、眠っている時のような精神が休んでいる時にしか、はっきりと身体を支配できない。だから、目玉という組織を作り直して、そこから脳を食い殺していくのか。血が勢い良く吹き出して、私の頬に赤い跡を作った。この眼は、まだまとも。けど、いつか変化するなら。私は目玉を床に落として、思いっ切り靴で踏み潰した。
「はははっ、はははははははははは」
 笑ったのは私じゃない。まだ狂ってない。香霖だ。性質は恐ろしいが、頭は弱いそれは、事態を理解したらしく笑い始め、逃げ出した。自分の店の商品に躓きながら、浅ましく出口を目指す。何でこんなの恐れていたんだ。幻覚は、目玉を支配されるからか。そこから平衡感覚を崩されて、耳鳴りのような雑音もするようになる。こいつが羅刹鳥と関係あるのは、私の胸にある御札が証明している。ああ、アリスは、アリスはどうだろうか。どうでもいい。くそ。憎い。憎い。私に沸き上がるのは、恐怖じゃない。憎悪だ。現実に霊夢の眼が盗られている時点で、もう全て幻惑ではなくなった。三妖精も潰した行為も、霊夢をこうしてしまった過失も、これから私がする凶行も、こいつの存在のせいだ。憎い。憎い。
 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い――
 香霖に躍りかかった私は、彼を倒して馬乗りになった。矢張り、予想の通り腕っ節は弱い。大人の男の腕を使えば、私なんてすぐ捻じ伏せられるのに。私は、手を伸ばした。彼の、瞳に。ああ、嫌な感触だ。吐きそうだ。昇ってきた未消化物を、止める術を私は持たなかった。吐瀉物を、彼の顔に大量に吐き掛ける。胃液と粥の混ざったドロドロで臭い液体を掻き分けて、目玉をえぐりだす。まずは一個。柔らかい。このゴミ屑が! 思いっ切り握り潰す。続いて、残りのひとつも、潜り込ませて、掴んで、まるで泥の中から貝殻を掘り出すように、ずるりと抜き出してみせる。床にそっと置いて、全力で固めた拳を振り落とす。落とす。落とす。落とす。粉々になったが、どうでもいい、もっと潰れろ。憎い、憎い、
 気が付くと、握っていた拳は内出血して血豆だらけになり、青く腫れ上がっていた。喉に引っかかった吐物の滓を、咳き込んで吐き出す。息が深い。心音が、破裂しそうなほど早い。
「魔、理沙……?」
 顔を上げると、眼前にあった扉が開かれていて、遅れていたアリスが私の元に訪れていた。その顔は恐怖に唖然となり、室内の異常な臭気と雰囲気に呑まれて動きを止めている。彼女はどうだろう。アリス。彼女は元から青い眼だが、いや、羅刹鳥なら、最後の忠告のようにわざわざ正体を教えるはずもない。いや、今からどんどんと犯されていく途中なのではないか。知らない。うん。無理だ。抑えられない。彼女が豹変するのは恐ろしいし、憎い。まず、この様を見て、私が正常である、なんて信じては貰えないだろう。彼女の眼に映る私は卑しく血を啜る妖怪そのものだ。もう色々と失った。私のせいか? いや。妖怪。妖怪の、
 その青い眼のせいだ! 私は、アリスに掴み掛かっていた。

   *

 結局、アリスの眼まで犯されているか、それを知ることはなかった。私は香霖堂の手前にある大樹に、気を失ったアリスを胸に抱いて、もたれ掛かっていた。激しい感情作用のせいか、意識の侵食もなく、はっきりと空が見える。霧は薄くなり、蒸し暑い森の大気に、一陣の心地よい風が透き通った。ボサボサになった髪が揺れる。汗で汚らしく濡れた寝間着に風が当たり、信じれらないほど涼しい。顔に飛んだ血は乾いて、触れる度にパリパリと剥がれていく。
 両手を見る。血の赤にべっとりと塗れていた。現実だ。アリスはここで目玉を抉られて、涙を流す女神像のように眠っている。取り返しが付かない。溜め息が零れた。その呼気は吐いた時の生臭い匂いを未だ発している。最後にひとつ疑問になっている事がある。羅刹鳥は、どうして抉った目玉をポケットに忍ばせていたのだろう。目玉さえ処分すれば、問題なく私達に為り代われたはずだ。どうしてだろうか。やはり私が狂っているのだろうか。知らない。何もかも解らない。私だったらそうだな……メインディッシュは最後に食べたい。全部支配して味覚まで追いついたら、あとでゆっくり食べるだろうな。それでも、寝間着に入れておくなんて不衛生な事はしないが。馬鹿だな。コイツ。私もだ。馬鹿だ。私はアリスを信じたのだろうか。それとも信じられなかったのだろうか?
 ああ、嫌だな。もっと星を見ていたい。暗いのは嫌いだ。けど、星が瞬いているから、魔法になるんだ。私はおもむろに手を上げると、空を仰いで、自分の眼球に持っていき、そして、
 思いっ切り力を込めた。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 憎悪のまま、私は獣のように叫んだ。御札を持ったまま誰か、例えば白蓮なんかに助けを求めるのもアリかもしれない。ただ、罪業は、何ひとつ、何ひとつ救われることはない。私は、羅刹鳥の存在が、それが存在している事が、何よりも憎い。一分一秒も、この幻惑に犯された眼で世界を見たくない。憎い。憎い。惨めに朽ち果てるべきだ!
 取り出したその二つのぶよぶよした妖怪の眼球を、私は口に放り込み、噛み潰した。さながら、それは――
 もう、星を見ることは、無い。


    *


 私、稗田阿求が筆を執っているのは、一昨日に発生した幻想郷の奇怪な事件を綴り民衆に報せるためだ。これは私が里で耳にしたどの噂よりも気味が悪く、また、実際に被害者が居るのでかなりの悲劇だ。
 香霖堂とその付近で、霊夢、魔理沙、アリス、霖之助の四人が目玉をえぐり出されている状態で見つかった。命には別状がないが、闇に包まれたその全容は凄惨らしく精神的な障害は残り、霊夢と霖之助は何も覚えておらず、魔理沙やアリスに至っては聞くとモノを吐き戻す程に錯乱してしまう。
 辛うじて、事の顛末を知っていたのは無縁塚に居る鼠妖怪のナズーリンであり、私は彼女が苦手であるが、半ば脅すように訊いてみたところ、この怪異の真相が僅かながら掴めた。
 以下にこの事件を断片的に構成している要素を、箇条書きで記して皆に教えようと思う。また、被害者の四人は永遠亭の過剰すぎる医療技術によって、眼球と視力を取り戻し始めているようなので、安心して貰いたい。暫くは生体何とかという目玉の代用品が肉体に馴染むまで、眼鏡で生活するそうである。では、本題に入らさせて頂こう。

※ここに描かれたものは私なりに考えて整合性を取った個人論あり、私が鼠より聴き出したものからは遠く離れていて、類推に及んでいる処が度々ある。それをまず念頭に入れて欲しい。

・その妖怪は外来種であり古い墓より発生する。理由は不明だが、陰気や有害物質が影響するという説が濃厚である。
・まず塵になって風に乗り、人間の目玉に寄生する。森に棲んでいた三月精というマイナー妖精が罹ったのを見るに、人間もしくは弱い妖精に取り憑くようだ。純粋な妖怪や神には効かない所から推測すると、その精神を包む殻の強固さに左右されていると思われる。
・取り憑かれた人間は幻覚を見る。徐々にそれは進行していき、やがて目玉を通じて妖怪に精神を乗っ取られてしまう。目に入り込んだ塵の量が多いほど進行は早い。寄生している目玉を取り除けば、恐らくは視力と引換に支配から逃れられるであろう。
・この妖怪は目玉が好物で、支配が弱い頃は睡眠状態に陥っている最中に宿主を操作し、近場にあるものの目玉を抉り出す。好物という言葉を使いはしたが、別段食する訳でなく、カラスが光り物を集めるように、大切に手元に置く、謂わばコレクションするらしい。
・完全な新種の妖怪であり、起源は比較的新しいとされる。鼠妖怪は羅刹鳥とほざいていたが、被害者一名の懐に毘沙門天の御札が入っていた所から、仏教系列ではない、まだ名前の広く知られていない妖怪であるという推測は容易である。本体は知能が低く鳥頭である。

 また、先に出した羅刹鳥とは、このような妖怪である。

 古い墓に集まった陰気より形を得た妖怪であり、伝承ではある婚姻を迎えたばかりの夫婦の前に、その妻と同じ姿をして現れたという。夫には見分けが付かないので、二人の妻を召し抱えて共に床に就いた所、その夜に本性を表した妖怪によって夫婦共々目玉を食われてしまったらしい。事に気付いた従者達が夫婦を助けようとすると、青い目の灰色の鶴のような形をした凶鳥が逃げ去ったそうな――

 諺に『人言可畏』というものがある。これは、『人には疑う心があり、真実が歪曲されて伝わるかもしれないから、人の噂、言葉とは恐ろしい』という意味である。
 また、羅刹とは、別名可畏と云う。鼠の言葉を引用するのは気が重いが、実際そうなのだから謂うしかあるまい。これは『恐ろしい』という語意がある。疑心がこの羅刹鳥の古典と関わりがあるのなら、眼を抉ったのは妖怪ではなく妻だったのはないのだろうか。汚らわしい鳥と自分の姿の区別も付かない夫への苛立ちと、その疑心の末の行為への罪悪感から、自分の目をも削り取る人の業。
 私はこの妖怪に 可畏人瞎驢(かいびとかつろ)と名前を付ける事にした。瞎驢とは眼の開いていない驢馬、仏教用語で盲目であることを云う。
 知らぬ内は正に鵺のような正体不明な怪であるが、このように名前をつけて姿形性質を固めてしまえば脅威は薄まるだろう。私の手記は読者を募る事で知名度を高めて、人間にとって非常に悪影響を及ぼしかねないこの悪しき妖怪を、白日の下に晒して弱めてしまおうという次第だ。信仰が力になるように、この記述に弱点をひとつ加えることにする。

・この妖怪に襲われた時は、壺か、皿か、花瓶を割る。そうすれば、音に驚いた気の弱い妖怪は、身体から出ていくであろう。

 さて、最後になるが、ひとつ気掛かりなことがある。それは無縁塚を発端とした怪異である、という揺らぎのない事実である。あそこは外の世界に最も近い場所である。
 例えば、向こうの人間にとっては馴染み深い恐怖なのかもしれない。朝起きると寝間着の中に目玉が二つ。やがてその人は狂気に見舞われる……
 帯化した蒲公英があるとの証言を受けて、私が独自調査に出向いたところ、非常に珍しいはずのこの現象は無縁塚周辺で連続して発見された。関連性は薄いが、何かそこに『恐ろしいもの』が発生している可能性が捨てきれない。
 まあ、外の人間の話など、私に知る由はないのだが。

                                    〆
お  久   
し       振   
り     で        
  す。  h en   r  y    で     す。 絵板  で 存
在     を 知  っ た ので、  通 院の の   途
中 で         すが、  書かせ て  戴 きまし   た。

 ※8/25追記 阿求の独白の脱字を修正しました 誤:昨日 正:一昨日
 ※↑5/25となっていた誤表記を修正
 ※コメ返信です

>1
 おおっすごい。大体そんな感じです。
 辻褄を合わせようと躍起になる程、猜疑心は強くなる。思考の邪魔になる目玉を忘れるためには、その引っかかりを取ればいいのです。鳥系の妖怪は、鵺ちゃんもそうですが、姿をなかなか現さないことに定評があると思います

>2
 阿求はきっと町長か何かに洞穴に閉じ込められた挙句、アル何とかというネズミの大群に囓られたりしたんでしょう
 アリスや魔理沙は心身ともに限界まで追い詰められて、ぐでぇ…ってなっている所に更に追い討ちを掛けられて涙目になるのが一番可愛いと気が付きました

>3
 魔理沙は良い意味でも悪い意味でも人間らしいので書いてて楽しいです
 『化物を倒すのはいつだって人間だ』と大口を叩いて意気揚々と出ていって妖怪に叩きのめされて泣きながら帰ってくる魔理沙可愛い

>4
 ゲームの影響かもしれませんが、最近魔理沙のイメージがLALのストレイボウにダブる時があります。迷惑可愛いみたいな
 小説を書いている時「本当に伝わっているのだろうか」と常に不安に思っていて、校正を何度もやり直したりするのですが、文章をお褒め頂いたおかげでモヤモヤが取れました。ありがとうございます

>5
 結局、ナズも阿求も『伝聞』を話してるんですよね
 意外に自分から名乗りを上げる妖怪って少ない気がします。『名前』があるから集合体はひとくくりに表せるようになるわけで
 とりあえずアリスはもっと可哀想になるべき

>6
『魔理沙』とはッ! 人間賛歌であるッ!
 そういえば紅魔異変をジョジョ風に書こうというプロットがあったりします。魔理沙が回転の技術的な何かの妖怪退治の術を霊夢の教えたりとか。あと、ジョジョ早期脱退キャラで妄想第九部のプロットとか



 何かエラーでてコメ返信書くのもう4回目なんだ…

 ※9/2 コメ返信です。

>7
 読み応え、という言葉を戴いて素直に嬉しいです
 感覚器が無くなるとものすごい不便になるので、一生その欠損に付き合うと考えるとゾッとします。早く助けなよえーりん!
 三妖精は個人的には動かしやすいし好きなので積極的にいれていきたいです。ただ、動きすぎてどうも脇役にしずらいのが難点です

>8
 気のせい、誰かのせい、人の性という「せい」から妖怪が生まれる理由は、『解らない』という怖さを無くすためなんでしょうね。ただ、型に嵌めようと辻褄合わせをしていると、疑心がしゃしゃり出てくるのも人の業
 霖之助には深い意味はなくなんとなく酷い目に遭わせました

>9
 書いている最中、描写の足りなさに薄々感づいてはいたのですが、今のところ半年くらい作業している秘宝倶楽部短編みたいに、60000文字超えたのにお風呂入っただけとか冗長になるのが(執筆時間的に)恐ろしくて簡潔になっていました
 アリスが狼かどうかは作者的な都合でぼかして書きました。あと、最後は阿求の独白だけで終わるようにしたのも。最後、帯化タンポポの調査に出掛けていたり
 どちらにせよ描写が足りなかったと未熟さを噛み締める次第です
henry
作品情報
作品集:
30
投稿日時:
2012/08/21 04:12:13
更新日時:
2012/09/02 14:56:52
分類
産廃百物語B
魔理沙
1. NutsIn先任曹長 ■2012/08/21 07:30:59
ずいぶんとご無沙汰ですね。

『そいつ』が『感染』するのは、意志薄弱な人間。
『そいつ』の正体は、疑心、恐怖という原始的な『情報』か。
『その部位』を破壊するのは、偽情報塗れのアクセスポイントを破壊してこれ以上の被害を防ごうとする感染者の自衛本能?
『そいつ』への対抗手段は、名うての実力者がしたように、とっとと忘れる事か、心配性の人向けに尤もらしい攻略法をでっち上げる事だね。
2. 名無し ■2012/08/21 10:08:02
おいこら阿求ナズのこと悪く言ってんじゃねーぞおいこら
視力が失われたら……いや、幻覚を見せる分それ以上に質悪いのか。
魔理沙は正しかったんだよね。多分。
多分理不尽に襲われたであろうありすかわいい!
3. 名無し ■2012/08/21 22:47:28
魔理沙は勘違いで人を襲うのがやはり似合う
4. 穀潰し ■2012/08/22 10:29:26
どうすればいいかわからなくなって、結局周りも巻き込んで自滅するなんて、相変らず魔理沙はぶれないなぁ。
全てのキャラに対して猜疑心を持たせる文章、御見事でした。
5. 名無し ■2012/08/22 14:17:52
ナズが出て来た所で「なんかあっさり終わりそうだな…」と思っていたら後半の追い込みで更に恐怖しました
下手に半端な情報得てしまったせいで安心しきってしまったらもう手遅れ
とりあえずアリス健気でいい子なのに可哀想
6. 名無し ■2012/08/24 22:17:35
作者さんはジョジョの影響を受けているのかな?
スタンド攻撃の不気味さを思い出した。
7. 紅魚群 ■2012/08/27 18:02:08
十重二十重の偽の真相に私自身も振り回されてしまいました。魔理沙が疑心暗鬼モードに突入しちゃったのもある意味仕方ないですね。ストーリーや伏線がよく作りこまれており、非常に読み応えのある作品でした。眼球っていうのはある意味人間の生死に関わらない中では最も重要な部位なので、それをどうこうしちゃう展開もぞっとしてしまいます。

サニーちゃんが登場するSSっていう点も、個人的には非常に評価したい。三妖精は色々と扱いが難しいですが、とても可愛らしく書けていると思いました。
8. 名無し ■2012/08/28 19:57:31
読み直してみるとわかる、伏線に次ぐ伏線の数々。これはたまらん。
こういう未知だったり訳わかんなかったりする現象事象も、被害者の経験からああだこうだってこっちが理解できそうな型にはめこんで、力を奪っていくんだろうなー。正体がまるっきりわからないのが一番怖い。明るいところで化け物見るより、夜の暗がりになにかが蠢いてるのを目の当たりにする方が嫌だもの。
それにしても霖之助が瀕死の目にあうのってなんか珍しい気がする。
9. 名無し ■2012/09/02 03:39:32
新種の妖怪を創作せんという熱意に溢れた作品でした。惜しむらくは場面場面の繋がりがちょっと唐突に感じたことと、アリス存在感なさすぎてステルス狼の疑いが最後まで捨て切れなかったこと。
前触れなく幻覚見せるという特性上、自然に恐慌状態への移行するのは至難なのかもしれません。


AQNの行動はGJのように見えて悪手のような気がする。
まだ存在が曖昧な妖怪の情報にある程度の形を与え、民に広める行為こそ新種妖怪誕生の助産となっちゃうんじゃ。

砂埃のような自然現象→幻覚、眼球をポケットに仕込む→眼球に寄生する妖怪と作中で新しい情報が明らかにされる過程が症状の進行と被ってるのが気になります。
これって魔理沙が妖怪の生みの親になったんじゃ…
寄生状態の眼が蒼なのは魔理沙が最初に、そして一番疑った人物がアリスだからだったため、その性質が受け継がれたんじゃないか、と想像を膨らませるのが楽しい。
途中でナズーリンが羅刹鳥の情報さえ出さなかったら、この妖怪は一時的な現象として処理され、妖怪としての生を受けなかったんじゃなかろうか?
新種の妖怪に乾杯
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