産廃百物語B 「奥座敷の怪」

作品集: 30 投稿日時: 2012/08/21 19:20:52 更新日時: 2012/09/03 21:35:39
奥座敷の怪

――――――

 1

 第127期 8月26日

 雲一つない晴天の空では、恍けた表情をしながら敢然と輝く太陽が人々を見下ろし続けている。
弱い風が吹いて、ぼんやりと立ち並ぶ木々と、背の低い草花たちをなびかせた。気持ちの良い風だった。

 人里の外れに身を置く樹齢100年は優に超えるであろう立派な桜の木陰で、豊聡耳神子は山に住む不思議な少
女、東風谷早苗の話に聞き耳を立てていた。この二人が里の内部で親しげに話し合う様は取り立てて珍しいこと
ではない。二人は昨年の春に劇的な出会いをしてから頻繁に人里で会うようになっていた。
 東風谷早苗は、同じく神格を持つ仲間である八坂神奈子、洩矢諏訪子への信仰を集めるために人里へと下り、
豊聡耳神子は現在の文化や生活様式の調査のために単身、人里を訪れていた。そんな中で二人は再会を果たした
のだ。東風谷早苗にとっての豊聡耳神子は教科書の中の人物であり、その存在自体が興味の対象であった。
また、豊聡耳神子にとっての東風谷早苗は数少ない顔見知りの一人であった。
二人が親しい関係になるのに、そう時間は掛からなかった。

 今日も二人は巷を騒がせている事件について論議を交わし合っていた。一歩的に早苗がしゃべりまくっていた
だけとも言えるが…。

 ふと、話が横道に逸れたのは何時のことであったか。話題は、怪談へと移り変わっていった。早苗は物々しい
表情をしながら、聞きかじった怪談を語り始めた。神子は、花見用に設置されている古ぼけた木製のベンチに腰
を下ろし、手を膝の上に置いて、真剣にその話に耳を傾けた。彼女は人の話を聞くのが得意だった。話している
方も、神子が聞き手に回ると話しやすいのだ。それも神子の持つ、不思議な能力の一つと言えるだろう。

 早苗が神子に怪談を語るのはこれが初めてではない。日常的に怪異が発生する環境に生きる彼女らにとって、
怪談は世間話のレベルで語られるものなのだ。彼女は最近流行っている怪談を神子に聞かせた。幻想クではポピ
ュラーで誰もが知っている話だったが、昨年幻想デビューを果たした神子にとっては真新しく、面白い話だった。
「ほかにはどんな話があるの?」
 アブラゼミが泣き叫び、大木の影がきつね色に乾いた土の上で揺れる。時間はゆっくりと流れていた。
もうしばらく、語りにふけってもいいだろう。早苗はそう考えて再び口を開いた。

 話の節々で神子は様々な表情を早苗に見せた。早苗はそれを楽しんでいた。
神子は早苗よりも高い神格を持つ存在である。そんな彼女を怖がらせたり、笑わせたりするのは、なんだが自分
が神子よりも上の存在になったようで大変に誇らしい気分になるのだ。

「そのおばけは、どうして川に飛び込んだの?」
「財布を落としたからです」
「えええ」

 こんな冗談を言っても、神子は真剣に驚いてくれる。
早苗は調子に乗ってありもしない怪談話と、どうでもいい無駄話を神子に聞かせ、すっかり上機嫌になってしま
った。そんなわけで、神子との別れ際に早苗が放った笑みは、誕生日を迎えた子供のように朗らかだった。彼女
は今夜、心地よい眠りに付くことができるだろう。

 
 自分に課せられた本来の役目を思い出した早苗は、そそくさと里の中心街の方へ歩いて行った。
神子は木陰の中からそれを見送った。彼女は終始、そこに座って話を聞きながら相槌を打っていただけだった。
「大分調子が良くなったのね」
 そうひとりごち、神子は微笑んだ。
 彼女の元を訪れる人間は早苗だけではなかった。不満や問題を抱えた人々が、毎日のように神子の元を訪れる
のだ。しかし、神子が自分から口を開くことは希で、ほとんどの場合は相談に来た人々がマシンガントークを彼
女に浴びせるだけで事は終了する。それだけで、相談に来た人々の心の鬱憤は晴れてしまうのだ。
視点を変えれば、神子は話を聞くだけで現実的、日常的な神によるご利益を人々に与えていると言えよう。

 豊聡耳神子は10人の話を同時に聞くという驚異的な能力を持っている。そして、その能力は本人への信仰の増
加とともに日に日に進化している。今では、『個人の欲』と『見えざるものの声』まで、彼女は聞くことが
できた。外出するとき常に耳当てをしているのは、聞こえすぎを防ぐためである。
それほどまでに、彼女は力を増していたのであった。

 具体的に言うならば、神子は初見の相手であっても、その人物の本質を一発で見抜いてしまう。人は無意識の
うちに、豊聡耳神子と言うとてつもない包容力を持つ人物に己の欲を語ってしまうのだ。
相談を受けている最中も、神子は相手の声と共に、欲の"声"を聞いている。(正確には"声"ではないのだが、人
間にはこの言葉を使ったほうがが理解しやすい)
 相手の人となりが分かれば、聞き方を工夫するだけで相談者は十分満足してくれる、と言う訳である。
もちろん、口で相手の問題点を指摘することも重要だ。実際そのような方法を使うときもある。その時は神子が
喋りまくる番になるのだが、あれやこれやと問題点を的確に指摘されるのはあまり気分の良いものではないこと
を神子は知っている。また、自分で喋るより相手に喋らせて自己解決してもらう方が良いと彼女は思っていた。
―――そっちの方が楽だしね

 数は少ないが、実際に神子が行動しなければ解決できないような悩みを持った者が訪れることもある。
そのような場合は、相談者としっかり話し合った上で実際に神子が問題解決のために動くことになる。もちろん、
彼女が納得できるような、道理の通った理由がなければならない。

 自分だけでは力不足と感じた場合は、彼女の仲間たちも駆り出される。神子と同じく仙人である物部布都と亡
霊の蘇我屠自古だ。三人が力を合わせれば、どんな難事件でも解決するだろう。しかし、基本的には神子が単独
でことに当たるようにしている。それは、布都と屠自古がトラブルメーカー的な側面を持っているためだ。
物部布都は言うならば旧世代の人間で、幻想郷の"常識"に疎い部分がある。また、蘇我屠自古は亡霊だ。種族的
に、人里での活動には向いていない。この二人を里に連れてくると、予期せぬ問題が生じる可能性があるのだ。



 西から流れてきた雲が太陽と重なり、鋭かった陽光が収まり始めると、神子は風に揺れる桜の木の梢を眺めな
がら小さくあくびをした。どこからか花の甘い香りが漂ってくる。胸の内を包み込むような優しいしらべが心地
よかった。神子はこの桜の下で季節を感じるのが好きなのだ。目を閉じれば次第に歌が聞こえてくる。夏は偉大
な作曲者だ。その歌を聴いているとき、彼女は風や水のように、私心の無い状態に近づくことができた。

 足音が近づいてくる。神子の耳は彼の発する心の声を確かに聞き取った。彼は重い悩みを抱えている。
「大丈夫?」そう言いながら、豊聡耳神子は目をゆっくりと開けた。
青い顔をした男が、彼女の前で肩を落としていた。
 
 彼の名は大川熊八と言った。年は30過ぎくらいだが、それにしては老けて見える。風貌も名前に似合わず、
弱々しく、頼りがない。また、顔色が異常なほど悪かった。まずは医者に診てもらったほうが良いのでは、と
神子は思ったが、それを察したのだろうか大川は、医者に見せる必要はない、ときっぱりと彼女に言い放った。
兔にも角にも、話を聞いてみなければ分からない。大川は神子の元を訪れた理由を話し始めた。

 大川は人里の外れに一軒家を構えている。そこそこ立派な屋敷で、彼の祖先が江戸時代に商業で成功して、そ
の家を建てたのだという。大川屋敷については、神子も耳に挟んだことがあった。早苗の語る怪談の中でその名
が登場したのだ。それは座敷わらしに関する話しだった。神子はそれを思いだし、記憶の回廊を辿った。

 大川屋敷は座敷わらしが出る家としてそこそこの知名度を誇っている。座敷わらしとは東北地方に伝えられて
いる子供の姿をした精霊・神様のことで、それが出る家には幸福が訪れるのだという。
しかし、今回の相談者、大川熊八はとてもではないが幸せそうには見えない。不幸のどん底といった感じだ。
早苗が大川屋敷の話を怪談として語ったのはそのためであろう。大川屋敷に現れる座敷わらしは、幸せではなく
不幸を呼んでくるのだ。それを果たして座敷わらしと言えるのか、と言う論議については一旦保留にしておこう。

 大川熊八の人生には常に不幸と失敗が付き纏っていた。

 彼の両親は二人共既に亡くなっている。父親は彼が生まれた四年後、母親は二十歳の誕生日に事故によって命
を落とした。大川に残されたものは曰く付きの屋敷とほんの少しの資金だけだった。

 収入を得るため、働き口を探していた大川だったが、それも上手くはいかなかった。彼は里の呉服屋で一時期
働いていたが、全くと言っていいほど商業成績を上げられず、三週間で首をはねらた。その後、鍛冶屋に就職し
た大川は持ち前の手の器用さを買われ、一目置かれる存在になったが、お得意の客にとんでもない無礼を働くと
いう失態を犯し失業。その時点で手元には一円も金が残っていなかった。屋敷を売り払おうにも、不幸を呼ぶ座
敷わらしの噂のおかげで全く買い手が付かない。周囲の人々はそんな彼を同情混じりの目で見ていた。もはや生
きていても仕方がないと踏んだ大川は、潔く首をくくることを決意する。

 しかし、ようやく彼にも転機が訪れた。死を覚悟した直後に恋をしたのだ。その娘は里の貧しい一軒家の生ま
れだったが、顔立ちもよく、淑やかで礼儀正しかった。二人は互いに意識するようになり、結婚することを誓っ
た。
 娘は両親の反対を押し切って大川の嫁となった。それからは不思議なことに、今まの不幸は嘘のように消え失
せた。
 ある日、家の整理していた二人は蔵から先祖が隠していた高価な骨董品を見つけた。それは里で新たな事業を
始めるための十分な資金源となった。大川は手先の器用さを生かし、日用品の修理屋を始めた。するとこれが大
成功で、あっという間に彼は夢のような大金を稼ぐことができた。
 生活は波に乗り順風満帆。その上、二人のあいだには子供ができた。
彼は幸せだった。今までの不幸だった生活が夢のまた夢のようだった。

 だが、不幸は突然彼のもとへと戻ってきた。
妻が突然体調を崩し、診療所へと担ぎ込まれたのだ。彼女はその日の晩に心臓発作を起こして命を落とした。
熊八が診療所を開けた、ほんの一瞬のあいだの出来事だった。

 彼は再び、不幸のどん底へと突き落とされた。修理屋も続けることはできなくなった。不注意が原因で、右手
の手首を痛めてしまったのだ。里の中心街から撤退していった大川は、残った資金でまだ二歳になったばかりの
息子を一人で育てる決心をする。その頃になると、大川屋敷の"あの噂"が再び里に広まり出していた。

 豊聡耳神子が幻想郷で目を覚ましたのはこの頃だった。  
三歳になった息子がすくすくと成長するのを見ながら、大川は自分に降りかかるこの呪いと言っても差し支えな
いような不幸の連続を今まで以上に憎んだ。なぜ、こんなにもひどい目に合い続けなければならないのだ。
彼は彼なりに調査をした。人里の霊能力者の話では、家自体に問題があるのだという。それは大川自身も薄々感
づいていた。彼が今までに何度もその屋敷を売り払おうとしていたのはそのためでもあったのだ。

 息子はまもなく四歳になる。この家が不幸の原因ならば当然息子にも影響が出るだろう。それは彼の望むとこ
ろではなかった。彼はやせ細った体で地面を這うように歩き、里の能力者たちの元を訪ねた。
 大川は必死の形相を浮かべ、家を見て欲しいと彼らに頼み込んだが、それは彼らにとって無理な願いだった。
大川屋敷ほど厄介な物件を治める能力を里の霊能力者は持ち合わせていなかったのだ。霊能力者たちは博麗神社
へ向かうことを大川に勧めた。この手の事件は博麗に任せるに限る。結局のところ、里の者は皆そう考えるのだ。

 大川は里からベビのように伸びる獣道を通り、博麗神社へ直接向かうことを決めた。
しかし、どうしても彼は博麗神社へ向かうことができなかった。
毎回必ず邪魔が入るか、大きな問題が生じてしまうのだ。見えない何かが、必死に大川を神社へ向かわせないよ
う、暗躍しているかのようにも感じられた。

 大川熊八が豊聡耳神子の噂を聞いたのはつい最近のことだ。ここに来る決心をする直前まで、彼は博麗神社へ
どうにかして向かおうと躍起になっていた。しかし、彼への見えない妨害は日に日にエスカレートする。
彼は発狂寸前だった。もはや博麗の助けは受けられない。このままでは殺される。
そう感じた大川は、藁にも縋る思いで聖徳王のもとへ向かった、と言う訳だ。

 話を終えたことによって肩の荷が下りたのか、彼の表情は先ほどのものより幾分かマシになっていた。

 神子は全身を耳にして彼の話を始まりから終わりまで完璧に聞き取った。それが終わると同時に、彼女は大川
の欲の声に耳を傾けた。少しずつ彼の人間性が掴めてくる。大川熊八は決して問題を引き起こしやすい性格では
ないし、不幸を呼びやすい人間でもない。むしろその逆で、条件が揃えば優れた能力を発揮する人間だと神子
は見抜いた。彼の言うとおり彼の住んでいる屋敷に問題があるのであろう。

「今までよく頑張りましたね。偉いです。あとは私に任せなさい」
 そう言って神子は大川に笑顔を見せた。それに釣られるようにして、思わず大川も小さく笑った。
彼が笑ったのは数週間ぶりのことだった。


 いつの間にか、太陽は西に沈みつつあった。もうしばらくすれば美しい夕焼けが拝めるであろう。
 日が落ちる前に神子は大川屋敷を一目見ておきたかった。すぐに解決できるようならば今日中に大川の不安を
拭い去ってやりたかったのだ。彼はかなりの精神的なダメージを受けている。
追い詰められた人間は何をしでかすかわからない。彼には息子もいるのだ。神子は意気込んだ。
折角自分を頼ってきてくれたのだ。ならば全力でそれに答えよう。それこそ聖人としてあるべき姿なのだ。
 二人は人通りのまばらになった街道を進んだ。
日が傾いたおかげで気温は過ごしやすい適度な温度になっていた。突然大川が口を開く。
彼の財布の中は空同然だった。
とてもではないが手間賃を払うことなどできない。神子は大川が喋るのを遮って言った。

「何も要りませんよ。私がここまで来たのは君のためなんだから。お金のためじゃないのよ」

 もう一度神子は彼に笑顔を見せた。やつれた小さな男はすぐに前を見て歩き出した。涙を見せたくは無かった
のだ。男らしくないではないか。もっとも、神子にはすべてお見通しなのだが。

 ゆらゆらと揺れる男の肩を眺めながら歩いていた神子は、前方にいかにもそれらしい雰囲気を持つ屋敷がある
ことに気がついた。距離にして数十メートルだが、その屋敷が放つ澱んだ気を神子は確かに感じ取っていた。
屋敷の目の前まで迫ったときには、それが一層強まっていた。

「こんなところによく今まで住んでたわね」
 思わず口を覆う神子。彼女には外からでも、この屋敷の異常さがよくわかる。しかし、大川にはそれが分から
なかった。不思議なことに、最近では恐怖と共に妙な愛着が湧き、手放したくないと言う気持ちもあるらしい。
彼の話を聞きながら神子は思った。とてもではないが、今日中に解決はできそにない。明日、仲間と共にもう一
度ここを訪れるべきだろう。
 神子は大川に、息子と共に友人の家にでも泊まって、事が終わるまでこの家で生活しないようにと言った。
彼は素直にそれに従った。

 もうすぐ四歳になるという息子はいつも家の敷地内で遊んでいるのだという。
先程から、室内から男児の笑い声が聞こえる。大川は出発の準備をしに屋敷の中へと消えていった。
 神子はもう一度、まじまじと大川屋敷を見据えた。幻想郷では一般的な木造平屋建ての屋敷だ。
江戸時代に建てられた屋敷と言うだけあり多少は古ぼけて見えるものの、作りは非常に立派だ。
また広い庭の中にこれまた古風な蔵があり、それも含めるとかなりの面積が大川家の敷地だと見える。
――庭は全く手入れがされていなかった。 

 庭の茂みが風向きとは別の方向に揺れる。神子は何気なくそこに注目した。
それと同時に音を立てて走り去る人影。子供だった。大川の息子だろうか。その疑問はすぐに解決した。
直後、大川が息子の手を引きながら玄関から現れたのだ。先ほどの人影は彼の息子ではない。
動揺を隠し、荷物をまとめて出てきた大川親子に神子は明後日の朝までに屋敷を何とかするという旨を伝えた。
大川は小さく返事をし、息子を連れて里の住宅密集地へ向かって歩き始めた。
頼れる友人がいることは既に分かっていた。彼はそう言う人間なのだ。手を引かれながら、大川の息子が神子に
手を振った。神子もそれに答えて手を振ってやった。

 大川屋敷から物音がする。子供の走る足音だ。
風に吹かれた木々の葉が擦れ合う音が夕日の赤に染まった大川屋敷の周りに響いた。それは豊聡耳神子を威嚇し
ているかのようにも聞こえた。気の流れが段々活発になっていく。屋敷は大川とその息子を探しているようだ。

「(彼らへの狙いは未だ付けられたままということか。)」

 そう心の中で唱え、神子は仙界へと姿を消した。
仙界とは神子が作り出した彼女の住居がある空間で、ありとあらゆる物の隙間がそこへの入口となっている。
そこでは神子の仲間、物部布都と蘇我屠自古が彼女の帰りを待っていた。事情を聞いた二人もすぐにやる気を出
した。ちょうど明日は徹夜で夜を明かす日なのだ。それだけの時間があれば、事件は万事解決だろう。
8月27日、庚申の日は着々と近づいていた。



――――――



 本題に入る前に三尸説と庚申信仰について紹介しておこう。

 三尸とは道教の研究者、葛洪<かつこう>の書いた抱朴子に由来する、人間の体の中にいる虫のことを言う。
三尸は上尸(頭)、中尸(はら)、下尸(足)の三ヶ所に住んでおり、我々を早く死なせようと考えている。人が死ぬ
と、その体内の三尸は死体に供えられた御供え物を食べることができるからだ。そこで三尸は60日に1日ある庚
申の日に天に登り、寿命を司る神、司命に人間の行った悪事を報告する。
―――司命は閻魔王の部下と言われている。
 大きな罪の場合は300日、小さな罪の場合は3日寿命が奪われる。その対策のため、庚申の日は眠らずに三尸を
見張っていよう、という習慣が生まれた。庚申の日に眠らないことを守庚申または庚申待ちと言う。
 日本では、庚申待ちの最中に礼拝の対象を求めるようになり、仏教の青面金剛<しょうめんこんごう>と神道の
猿田彦がそれに駆り出されることになった。彼らを庚申の日に礼拝することを庚申信仰と言う。
庚申と猿が結び付けられた理由は、庚申の申の字と猿を掛けたからだ。

 神子はこの日も安眠できるようにと、『四猿ちゃん』という猿の人形を作って受注生産オープン価格で販売し
ている。一家に一つあると便利なアイテムだ。起きていられない方は是非、神子に作ってもらおう。




 午前八時、豊聡耳神子、物部布都、蘇我屠自古の三人が大川屋敷の前にやってきた。
布都、屠自古は屋敷の有様を見て思わず声を上げた。

「…これは酷い家じゃの。夜までには終わるのではないかと考えておったが…」
 いくら庚申待ちとはいえ、こんな恐ろしい家でひと夜を過ごすのはさすがに気が引ける。
それは神子と屠自古も同じだった。

 中を自由に見て回る許しを得ていた彼女らは、早速大川屋敷の中に潜入し、内部の調査を開始した。
外見は古めかしかった大川屋敷だが、内部は驚くほどモダン(幻想郷におけるモダン)な作りになっている。
おそらくリフォームを繰り返していたのであろう。江戸時代の名残が残るのは、土間にある台所くらいのものだ。
 六畳の部屋が三つ。八畳の部屋が二つ。普段の生活は台所の隣にある八畳間で営まれていたらしく、そこには
ちゃぶ台と日用品を収めた戸棚がいくつか置かれていた。
貧しい暮らしを送っていたというのが、ひしひしと伝わってくる茶の間だった。
また、リフォームを繰り返していたためなのか、内部の構造は少々複雑でややこしいものとなっていた。
その上、元々は部屋だった場所を無理やり潰した跡などが所々に残っている。中央の廊下はおかしな位置で行き
止まりになり、その側面の壁の上方には神棚が設置してあった。おそらく、建てられた当初はここも部屋だった
のだろう。でなければ、こんな中途半端な廊下の端に神棚を置く理由がない。

 大川屋敷の中は驚く程涼しかった。素人でも、この涼しさは幽霊が原因だと分かる。
 既に何人かの幽霊を彼女らは目撃していた。昨日は幽霊の気配など一切なかったはずなのだが…。
――この屋敷に吸い寄せられているのであろうか

 幽霊が幻想郷での市民権を得たのは大昔のことだ。幽霊たちは人々の生活に溶け込み、ごく当たり前の存在と
して受け入れられてきた。人間の根底に、未だ幽霊を恐る気持ちがあるのは確かだが、そのレベルは外界に住む
人々と比べると圧倒的に低い。保冷剤として利用しようという奴が居るくらいだ。
 しかしそれは幽霊たちと長い付き合いのある幻想郷の人間だから言えることで、新参者である布都や屠自古に
は未だに幽霊を得体の知れぬものとして恐る気持ちがあった。特に物部布都は心霊系に弱い。
口では強がっている彼女だが、足が震えているのを仲間たちは見逃さなかった。
 蘇我屠自古は復活時のトラブルによって亡霊となってしまっている。言わば幽霊の親類とも言える存在なのだ
が、彼女も生前の記憶と経験から幽霊たちを恐れていた。しかし、布都に比べれば幾らか気が楽だろう。
仲間がいっぱいいるのだと思えばいいのだから。
一方、神子は幽霊の姿を見ても怖いとは思わなかった。幽霊がどのような存在かを知っているからだ。
人里での活動期間が長いのもその理由の一つであろう。
 二人の様子を見た神子は、日のあるうちにこの家の災厄を全て払ってしまいたいと考えた。

 神子は仲間たちに、屋敷に集まっている幽霊、その他危険なモノをすべて外に追い出すように言った。
目標である座敷わらしの気がそれらに遮られ、はっきりと感じることができなくなっているからである。
三人は作業を開始した。

 物部布都は風水を操る程度の能力を持っている。気の流れを物の位置で操作するという能力だ。
彼女が見たところ、大川屋敷は悪い気が流れ込むような作りにはなっていない。
ここに溜まっている負の気は場所が原因で溜まったのではないのだ。
布都は悪い気を外に逃がすため、周囲にある棚の位置をいじったり、持ち寄った符を壁に貼ったりし始めた。
これだけでも効果は大きい。布都によって作られた気の流れに乗って、幽霊たちがフワフワと外へと流れていく。
尚もとどまり続けようとする幽霊には強制退去の刑を執行する。神子と屠自古が幽霊を無理やり追い払うのだ。

「太子さま!」作業が始まって暫く経った時、屠自古が神子を呼んだ。
――布都も屠自古も、神子のことを太子様と呼んでいる。
「庭を見てください!」

 そう言われた神子は、開け放たれた窓から雑草の生い茂った庭を見た。
なんとそこでは、着物を着た水浸しの老人が庭石に座っていたのだ。
日中でなければ神子も思わず声を上げていたかもしれない。
彼はおそらく、生きていた頃の姿を保ったままの幽霊だろう。死んでまだ間もないのかもしれない。

 庭に飛び出た神子は彼に声を掛けた。
相手が幽霊でも彼女は礼儀を忘れない。老人なら尚更である。

「お爺ちゃん。あなたはどこから来たのですか」
 老人は暫くしてから、
「…川に…落としたのだ」と、小さく呟いた。

 老人がそう言ったとき、神子の脳裏にたくさんの声が響いた。
すすり泣く老人の家族の声だ。彼は川で溺れて死んだようだ。それは数日前の出来事だった。
家族の声は霊体になった老人の記憶の一旦なのであろう。

「ここにいてはいけませんよ」
「…どこにも行きたくはない」
「分かります。しかし、ここはあなたの居るべき場所ではありません。幻想郷では死後、神様の裁判を受けるこ
 とができます。だからあなたは三途の川に向かわなくてはいけないのです」

 神子は老人の前に手を差し出し、彼の手を握った。氷のように冷たい手だった。
 老人はゆっくりと立ち上がり、神子が手を離すと屋敷の塀の外へ向かって歩き出した。

 幻想郷には死神が少なくとも一人はいるが、彼女は三途の川の渡し守のため仕事場を離れられない。
(ことになっている)神子は今のように迷える死者を導いていく役目は死神の仕事だと思っている。
輪廻転生『制度』の管理と遂行は彼らが責任を持って行うべきだ。
死神が増えて欲しいとは毛頭思わないのだが…。

 話を元に戻そう。
幽霊たちは無意識のうちにこの屋敷にやってきたのか、それとも何かに引き寄せられたのか。
それを調査する必要性を神子は感じた。一晩でこの様子なら、数日でこの屋敷は幽霊に占拠される。
そうなれば人は住むことができない。
最悪、周囲の家にも影響が出る。大川屋敷の近くには民家がいくつもあるのだ。

「太子さま!あそこ!」
 屠自古が窓から顔を出し、蔵の方を指差している。
見るとそこでは、半分裸の男の幽霊が日光浴を楽しんでいた。神子は頭を抱えた。一体何人いるのだ。
とにかく、ここから出て行ってもらわねばならない。神子は男の元へと足を進めた。


 幽霊を追い出す作業はなんと正午まで続けられた。途中どうにも言うことを聞かない幽霊が居間に鎮座してお
り、それに手を焼いたためでもあった。
 幽霊が居なくなったため、大川屋敷の内部はもとの夏の暑さを取り戻していた。
庭の木に止まったセミの鳴き声が暑さに拍車をかけている。
昼時ということで、神子らはしばらく休憩をすることにした。縁側に腰掛け、張り詰めていた緊張の糸を一時的
に解く。布都は伸びをしたあと、横になって目を閉じた。

 屋敷から感じる悪い気は未だ残っている。
幽霊はその気を覆い隠すために集められたのではないかと神子は考えた。
「…聞こえますか」
 屠自古はそう言って口を閉じた。廊下を走る音が聞こえる。

 座敷わらし。幽霊を集めて自分の気を隠そうとしていたのは彼だろう。
すると、少しづつ屋敷から感じる気の種類が変わってきた。妖気だ。小さな妖気を感じる。
「妖怪がいるのでしょうか?」屠自古が言う。
「妖怪なら追い出せばいい。でも、それ以外だと…」
 神子はそう言って屠自古を見た。それ以外だとややこしいことになる。神子の目は静かにそう語っていた。


 作業は午後一時に再開された。先ほど感じた妖気の正体を突き止めることが目標だった。
三人はめいめい、屋敷内の部屋、倉庫、蔵の中を調べ、妖気を放つ存在を探した。

ドタドタドタ

 板張りの廊下を駆ける音がする。
だが、その音の方から妖気は感じない。足音を追うも、行き着いた先は茶の間の角だったり、廊下の先の行き止
まりだったりと、音を発する主に会うことは叶わない。三人は足音に遊ばれているような気さえしていた。

 しばらく経った頃、布都が声を上げて神子と屠自古を呼び寄せた。
六畳間の側にあった倉庫で、布都が妖気を放っていた張本人を見つけたのだ。
三人の前に引っ張り出されたそいつは震えながら尻餅を付いた。

「太子様。こいつは枕返しと言う妖怪ですぞ…」

 枕返しとは夜中に枕元にやってきて枕をひっくり返したり、頭と脚の向きを逆にするといった悪戯をする妖怪
である。東北地方では、枕返しは座敷わらしの悪戯とも言われているが…。
「お主がこの家の座敷わらしの正体ではないのか?」
 布都はそう言って、枕返しを問いただした。
枕返しは頭を左右に振ってそれを否定した。枕返しはこの屋敷が心地よさそうだったため昨晩から倉庫で寝てい
たのだと言い張り、家の主に悪戯はしていないと断言した。
 納得のいかない布都を尻目に、神子は枕返しをさっさと追い出してしまった。
屋敷に立ち込める負の気を発しているのが、こんなに弱そうな妖怪のはずがないのだ。

「もう妖気は感じませんね」
 屠自古はそう言って神子の方を見た。
神子は考える仕草をしてその場に固まった。しばらく頭を整理する必要があった。
「しかし…妖怪の仕業でないとなると……――」布都はそう言って頭に手を当てた。
 神子と屠自古は目配せをしたあと、同時に布都の方を見た。
二人ともすぐに布都の顔色が悪いことに気がついた。

「布都、気分が悪いのね」
「少しだけ…。太子様はなんともないのですか…」
「ええ。それより調査を止めて少し休みましょ」

 神子は布都の手を握って仙界へと向かった。その後を屠自古が追う。
仙界に着いた途端、布都は力を失って神子の体に縋り付いた。激しいめまいが彼女を襲っていた。
 三人はそのまま寝室へと直行し、布都を布団に寝かせた。悪い気に当たりすぎたのであろう。
それだけあの屋敷の負の気が強力だということだ。

「申し訳ない…太子様」
「いいのよ。屠自古、布都は任せたわよ」
「太子さま、任せるとは?まさか一人であの屋敷に戻られるつもりではないでしょうね」
 床の中にいる布都も目の色を変えた。

「布都の面倒は霊力を持っている屠自古に見ていて欲しいのよ。屠自古なら内面の変化にも気づけでしょう?
 私は大丈夫だから心配しないで」
「そう言われても…心配するに決まっているでしょう」

「心配しないでって言ったよ」そう言って神子は二人に笑ってみせた。
こうされると、布都も屠自古も口答えできなくなる。神子は二人の弱点を知っているのだ。

「明日の明け方までに決着<ケリ>をつけて帰ってくるわ」
  
 そう言い残し、神子は仙界から姿を消した。
取り残された仲間たちは神子が残していった言葉と、ニッと笑った彼女の表情を思い出し、心の中で微笑を漏ら
した。心配ではあったが、二人は神子のことを信じることにしたのだ。

「屠自古、我はお主に謝ったことあったか?」
「突然何を言い出すんだ」
「いや、なんでもない」
 布都に熱があるのを確かめた屠自古は、台所から水で絞ったタオルを持ってきて、腐れ縁の仙人の額に当てて
やった。



 仙界から飛び出した神子はそのまま宙に浮き上がり、ゆっくりと大川屋敷の周囲を旋回した。
先ほどの状態から変化はない。屋敷の敷地内には正体不明の座敷わらしと豊聡耳神子の二人だけ。
一対一となってしまった訳だ。開け放たれたままになっていた玄関に着地した神子は、再び調査のために屋敷の
中へと足を進めた。

 屋敷の内部は不気味なほど静かだった。先程まで慌ただしかった気の流れも今は落ち着いている。
神子は廊下を歩きながら考えた。大川熊八が博麗神社に向かおうとした時から今までの事象は呪術的妨害によく
似ている。大川を神社に向かわせないようにした上、詮索者である我々の捜査を中断させたのだ。
物部布都は三人の中では最も術の影響を受けやすい体質をしている。神子はそのことを当然知っていたし、当の
本人もそれは十分承知していた。呪いの力が三人に分散され、個々への影響力が小さかったとしても、一番最初
にやられてしまうのは物部布都なのだ。それゆえ、布都に少しでも変化が生じたときはすぐに調査を中断しよう
と神子は決めていたのであった。

 神子は廊下の途中に設置してあった神棚の手前までやってきて足を止めた。
呪術的な力で調査が妨害されていたのであれば、その力は現在豊聡耳神子一人に向けられていると言えるだろう。
神子自身、一人でこの屋敷の中に留まるのは避けたかった。いくら彼女でも、大川一族を長年不幸にしてきた呪
いを一身に受ければ肉体的、精神的な大ダメージを受ける可能性があった。
 それでも神子がたった一人でこの屋敷に舞い戻ったのにもちろん理由がある。
神棚の調査だ。それだけは済ませておきたいと神子は思っていたのだ。

 神子は妨害の力の源が呪いではなかった場合を恐れていた。
それは即ち、力の原因が『祟り』だった場合だ。呪いと祟りを比較した場合、危険性では圧倒的に祟りの方が上
なのだ。対象を一撃で発狂、即死させる力を持っていることもあるくらいだ。
 この家の家系には間違いなく呪い、または祟りの力が働いていると神子は確信していた。
それを見分けるために、神子は一人で神棚に祀られている神の正体を確かめることにしたのだ。

 おかしな位置にはあるものの、神棚はしっかりと整備されているし、榊も新しいものと交換してある。
祀っている神様に酷い無礼があるわけではないようだ。
では、どのようなお神札が宮型に入っているのであろうか。普通なら神宮大麻(伊勢神宮のお神札)、氏神様(一
族や地域の神様)そして崇敬する神社(恐らく博麗神社)のお神札が入っているのであろうが、もしかするととん
でもないものを祀っているのかもしれない。ここは幻想郷なのだ。外界の常識は通用しない。

 神子はここに来てやっと怖さを感じ始めた。背筋に寒気が走り、心臓の鼓動が少しずつ早くなる。
神子はゆっくりと体を浮かせ、宮型に手が届く位置まで接近した。お神札は鮮やかな垂れ幕の向こうに隠されて
いた。幕に手を掛け、ひと呼吸を置いて少しずづ指に力を加える。幕は内側から固定されているようで、弱い力
では取り払うことができない。冷たい汗が額を流れた。妖怪とか祀ってたらやだな、とか、開けた瞬間に襲われ
たらやだな、とか言う雑念を消し飛ばし、神子は宮型の幕を勢いよく取り払った。
 驚いたことに、中には何も入っていなかった。予想を裏切る展開に、神子は頭を傾けた。
大川熊八はこのことを知っているのであろうか?
何も祀られていない神棚の世話を今までしていたのか。それは考えられない。お神札は一年に一回は交換するも
のだし、その役目は熊八にあるはずだ。では、何故だ?何故なにも祀られていないのだ?

 神子は廊下に降り立ち、額の汗を拭った。明らかにおかしい。
絶対に何かが入っていたはずなのだ。考えられる可能性は一つ。
―――誰かがお神札を神棚から抜き取ったのだ。
正常な人間ならまずそんな事はしないだろう。では呪いの力がお神札を抜き取ってしまったのであろうか。
否、祀られている神様を家から追い出すほどの呪いがこの屋敷に掛けられているのであれば、もうとっくに三人
の誰かがそれに気づいていたはずだ。

 神子は廊下に直立し、腕から力を抜いた。
呼吸を整え、気持ちを落ち着かせる。そして集中。左手の指先が自然と、彼女の腰に下がる七星剣に触れた。
 豊聡耳神子は武術に精通しているわけではないし、達人級の剣の心得があるわけでもない。
生前は外で遊ぶより、机に向かっていた時間の方が多い。自分から積極的に他人と争うこともしない。
しかし豊聡耳神子は時より、そんな経歴が嘘であるかのような鋭い武人のような目付きをする。
その時だけは、温和な彼女の性格の最も固く冷たい部分が露わになるのだ。
まさに今、神子はその目付きをしながら、視界の端に小さな人影を捉えていた。

 神子のいる位置は廊下の突き当たりのすぐ手前、一方人影は廊下の曲がり角の手前にいる。
袋小路の中に神子は入っていた。彼女の左手は既に剣の鞘を強く握っている。
 神子は躊躇うことなく謎の人影に体を向けた。ついに敵と対峙する時が来たのだ。
彼女の視線の先には背の低い、着物を着た男の子がポツンと立っていた。座敷わらしだ。
顔が不気味なほど白く、何とも言えぬ表情をしている。嬉しいのか悲しいのか、何も感じていないのか、表情か
らは何も読み取ることができない。
「何者なの」
 鋭い口調で神子はそう言った。
座敷わらしはその声を聞き、三秒ほど待ったあと少しだけ表情を変えた。
いや、少しだけ表情を変えたと言う表現は正しくなかったかもしれない。
正確には少しだけ顔を変えたのだ。神子はそれを見て思わず息を飲んだ。
座敷わらしの目玉が体の内側に向かって落下していったのだ。それと同時に、足の裏で床を滑るようにして座敷
わらしが神子の方へと進み始めた。
 あまりの出来事に、神子は一歩後退し右手を剣の握りに添え、臨戦態勢を取った。
すると座敷わらしは突然急加速し、瞬時に神子の眼前まで迫って停止した。
真っ黒な穴の空いた目に見つめられた神子は、心臓を手で撫でられているかのような不気味で底知れぬ感覚を味
わった。神子と座敷わらしとの距離は今や50センチ以内。鼻息まで聞こえてくる。しかし、欲の声ははっきりと
聞き取れない。不快な雑音が聞こえてくるだけだ。
 この座敷わらしは危険だ。この場を何とかして切り抜けなければ、彼女がそう思った時であった。

「くるな」
「!?」
「くるな」

 座敷わらしは「くるな」をお経のように唱え始めたのだ。

「くるな」
「来たのは君の方でしょう!?」
「くるな」 
「…」――冗談は通じなかった。
「くるな」
「…」

 すると座敷わらしはハンガーに吊るされた服が物干し竿を滑っていくように、颯爽と廊下を後退していき、神
子の前から姿を消した。廊下には豊聡耳神子だけが取り残された。息を付く。そして頭を再び整理する。
姿は見えないが、未だに視線が感じられる。神子は屋敷の玄関へ向かい、日光の下へと出た。
聞こえてきたセミの鳴き声が、彼女の心を落ち着かせてくれた。

「脅しか…結構効いたわ…」
 時刻は四時過ぎ。時間はまだまだある。
「しかし、それしきのことでこの聖徳王を止められるとは思わないことね」

 常人ならばとっくに肝が冷え上がって気絶している頃だろうが、豊聡耳神子は違う。
彼女には役目があるのだ。大川熊八に約束した役目だ。対策を考える必要があった。
屋敷からは強烈な念を感じる。もしかすると未だに座敷わらしは「かえれ」と言い続けているのかもしれない。
神子は屋敷の敷地を出て首を傾げた。あの子は一体何者なのか。露骨に脅かしてきたが、何故そこまでしてくる
のか。
 神子は屋敷を背にしながら歩いた。視線は未だに彼女の背中に突き刺さっている。
今は一旦引き、戦いは後半戦に持ち越しだ。



――――――

 2


 豊聡耳神子が危険を冒してまで人を助けようとするのには理由がある。

 話は飛鳥時代にまで遡る。
東南アジア初の女性君主が誕生し、大陸の文化が次々と伝来していた時代だ。
 豊聡耳神子はその時代に生を受け、道教によって不死身の体を手に入れようとしていた。
不老不死の為政者になるためである。当時、彼女ほど聡明で、彼女ほど頭が良く、彼女ほど自国の諸事情に詳し
い人間は誰もいなかった。だからこそ、自分がこの国を治めなければならないという使命感に燃え、その目的を
達成するために全力を尽くそうと決めていたのである。
 しかし、その目標は不老不死の研究によって叶わなくなった。仙砂として飲んでいた水銀が彼女の体を蝕んだ
のだ。神子には死というステップを踏んで尸解仙になるという方法しか残されていなかった。それは当然本望で
はなかっただろうし、彼女の自信を著しく傷つける要因ともなった。ではなぜ、神子は生きながら仙人になるこ
とができなかったのか…。

 ここに豊聡耳神子の敗因を明確に断言しておこう。神子の敗因は自らの『生』に固執しすぎたことだ。
道教の最終目的は不老不死ではない。道<タオ>を体現し、それと同化することなのである。
そして、道との同化こそが生死を超えた聖人の境地にたどり着く方法なのだ。
不老長寿はそのための手段に過ぎない。

 神子は不老不死にとらわれすぎていた。その背景には彼女の死を恐れる気持ちと強い生への欲があった。
道教では欲望を否定していない。だが、同時に常に無欲であることも要求している。
無欲も有欲も呼び方は違うものの道<タオ>の一部であり、道によって成されているものである。
つまり、その二つは本質的には同じモノなのだ。聖人は常に欲を抱かず、それと同時に欲を抱いている。
風や水のように自然でありながら、同時に物事を区別し考えているのだ。

『老子』の第7章にこんな言葉がある。
「天長地久」
天と地が永久であるのは無心無欲で自らのために生きていないからである。

 神子は生きようとする意思を捨てることができなかった。
生きたまま仙人になるにはその境地に達しなければならなかったのだ。また、為政者という政治、法、そして俗
世の権化になるのが目標では、生きたまま仙人になることなど叶うはずがない。仙人は宇宙と自然の一部となる
ことを目指さねばならないのだ。

※豊聡耳神子の名誉のために一応注釈を入れておく。
―――彼女の師があの霍青娥であったということも忘れてはならない。

 彼女は望まれなければ、もう為政者にはなりたいとは思っていない。頼まれても短い間だけだ。
それは自分の過去に負い目を感じているからだ。
豊聡耳神子の使命と目標は道を追求することへと変わった。
そして、そう思ったときには既に行動は始まっていた。
道を追求したいという『欲を抱いた』のであれば、それは道を体現することに繋がる。そして道を体現するとは
『欲を抱かない』ことだ。先ほど彼女の人助けには理由があると述べたが、実はそれは正しくない。
神子は理由を考える前に行動している。言い換えれば、欲を抱かずに人を助けられるよう努力しているのだ。
それこそが高い徳を積むための修行なのだ。

 

 屋敷に背を向けていた神子であったが、座敷わらしとの戦いを放棄したわけではない。
彼女は頼れる仲間を集めるため既に行動を開始していた。先程も述べたように、あの屋敷に長時間一人でいる
のは非常に危険だ。最低でも二人の仲間を神子は欲していた。それも、座敷わらしの妨害行為に耐えられるよう
な強い力を持った者たちだ。

 一人目の候補は既に決まっていた。彼女も今日は徹夜で夜を明かそうとしているであろう。
庚申信仰では猿田彦と共に仏教の青面金剛も信仰される。それは一般の人々に庚申待ちを広めたのが仏教の僧ら
であったためだ。日本における庚申の文化は、道教、仏教、神道が組み合わさって完成に至ったのだ。

 命蓮寺を訪れた神子は修行僧たちに案内されて客間へと通された。その間妖怪僧侶たちが神子に熱い視線を送
っていたのは言うまでもない。話を聞きつけた白蓮は飛ぶような勢いで神子のもとへとやってきた。
「ハァ…ハァ…ご機嫌よう…今日はどういった御用で?」
「そんなに慌てなくても」

 神子は大川屋敷のことを白蓮に説明した。そして今後の計画のことも、包み隠さず全て話した。
「その屋敷で張り込み…夜に…ですか」
「怖いの?」
「…いいえ。…やりましょう。そんな危険な屋敷を放っておくことはできません。人助けは僧侶として当然の役
 目です」

 思惑どおり、神子は白蓮を勧誘することに成功した。
彼女が白蓮を選んだのは、白蓮を確かな実力を持った僧侶だと認めていたからである。稗田邸で行われた対談で
その確信を得たのだ。その上で、神子は白蓮を散々コケにしていた。
それだけ力があるのに、なんで妖怪なんかに仏教を広めるのか、神子は未だ納得できていなかった。
が、今回そんな事はどうでもいいのだ。とにかく頼れる仲間が必要だった。

 神子は白蓮と打ち合わせをし、午後七時に大川屋敷に集合することにした。
それまでに白蓮は夜を明かすための準備をし、神子はもう一人の候補を探しに里へ向かうことになった。
「誰を誘うつもりですか?」白蓮が聞いた。
「山の神社の神様を誘いたいですねぇ。博麗神社へ行こうとするとかなり妨害されるみたいなんで」
「妨害…」妖怪を束ねる僧侶でも、得体の知れぬモノへの恐怖は抱く。

「早苗さんなら来てくれるかしら」
 神子がそう言うと、白蓮もそれに賛同した。
「そうですね。彼女は正義感も強いし。外回り担当だし。あ、今お茶を持ってきますね。
 喉が渇いているでしょう」
 そう言って白蓮は、障子戸の向こうで聞き耳を立てていた妖怪たちにお茶を持ってくるよう命令した。

「(この人、妖怪をこき使っている。なるほど…)冷たいお茶でもいいですか」
「いいですとも」そう言って白蓮は再び声を上げた。神子は苦笑した。
 

 東風谷早苗は人里で今日の晩飯の買い物をしているところを神子に捕まった。
神子は買い物に付き合った後の帰り道で、早苗に大川屋敷の話をした。一緒に屋敷で庚申待ちをして欲しいと
神子が言うと、早苗はその場で固まった。フリーズというやつだ。
正気を取り戻した早苗は自信たっぷりに言った。
「この私に任せてください!何が出てこようと退治してみせますから!」

 神子が早苗の足が昼間の布都のように小刻みに震えていることに気がついた。
心配だったが、早苗も神格を持つ存在だ。良い修行になるだろうと神子は思った。早苗は夕食の準備をしてから
屋敷に向かうことを神子に伝えて飛び去っていった。
 三人の食事は白蓮が用意してくれるのだという。恐らく精進料理だろう。早苗はどうか知らないが、神子はそ
れだけで十分だった。美味しい緑茶でも買って持って行ってやろうと、神子は里の商店街の方へと引き返した。

 

 午後6時45分

 かくして僧侶、神、仙人の三者が再び集結した。
 日はじきに暮れ、本格的な夜が始まる。そうなれば屋敷の醸し出すおどろおどろしい雰囲気も一層強まるこ
とだろう。神子は先に玄関から屋敷へと入り、何か異常が起きていないかを確認した。
屋敷の様子は日中と変わっていない。幽霊も居なくなったままだ。座敷わらしは豊聡耳神子に勝ったと思ってい
たのであろうか。そうでないとしても、僧侶と現人神を連れて戻ってくるとは夢にも思っていなかったであろう。

「さぁ、茶の間にでも陣取りましょうか」
 神子はそう言って不安を顔に浮かべている二人を屋敷の中へと招き入れた。
玄関には既に神子の作った庚申グッズ、四猿ちゃんが置かれていた。眠ってしまった時のための対策だ。
また、この四猿ちゃんには特殊な念が込められている。屋敷からの出ようとする全ての異物に効果が現れるよう
神子が昨晩夜なべをして作ったのだ。
 四猿ちゃんは全部で三つ用意されている。神子はこれらを屋敷の要所に設置し、結界のように利用するつもり
だった。

「これ、どれくらい売れたんですか?」
 四猿ちゃんを見ながら早苗が尋ねた。
「そこそこ売れてます。あとで二人にもあげますよ。プレゼントです」――今日の三つの内の二つ
「まぁ。寺の者達も喜びますわ」

 持ち寄った荷物を茶の間の端に置いた三人は、部屋の中央に鎮座するちゃぶ台を囲うようにして腰を下ろした。
開け放たれた障子戸の向こうから差し込んでくる夕日が、部屋を趣ある風流な空間へと変貌させていた。
曰く付きの屋敷でなければ心から落ち着ける空間になり得ただろうに…。三人はそんなことを思いながら、茶の
間の中を改めて注意深く観察した。異常はない。今からこの部屋は三人の行動拠点となる。

「今分かっていることをもう一度確認しておきましょうか」
 神子はそう言って、上着の懐から帳面を取り出してそれを開いた。
白蓮と早苗は集中して話しを聞く体制になった。それに応えるように、神子は堅い口調を使って説明を始めた。

「先程も話した通り、この大川屋敷には不幸を呼ぶ座敷わらしがおり、彼は大川一族に害をなし続けています。
 大川熊八も子供の頃から不幸が続き、大変に苦しい人生を送っています。結婚によって一時期それが和らいだ
 ようですが、それは彼の奥さんが座敷わらしを弱らせる力を持っていたためだと思われます。生まれながらに
 人の厄を祓ってしまう力を持つ人間はいつの時代にもいますからね。無意識のうちに奥さんは熊八さんを守っ
 ていたのでしょう。だから座敷わらしは何とかして奥さんを『始末』したかったんでしょうね。彼女が体調を
 崩してしまった一瞬の隙を座敷わらしは見逃さなかったようです。その日の内に奥さんは心臓発作を起こして
 亡くなってしまいました。恐ろしいことです…。
  また、座敷わらしは博麗神社をかなり恐れています。
 ありとあらゆる妨害を行って熊八さんを博麗神社へ行かせないようにしていますからね。もしかすると、座敷
 わらし誕生に何らかの形で博麗神社が関わっている可能性があります。博麗の力を知っているからこその妨害
 なのでしょう。
 
  日中に行った調査の結果も確認しておきましょうか。
 今日の朝、私が仲間を引き連れてこの屋敷にやってきたとき、ここは幽霊屋敷になっていました。
 私たちが調査に来ると知った座敷わらしが自分の正体を隠すために、幽霊たちを呼び寄せたのではないかと考
 えています。また、私の仲間の一人に害を与えて、私たちを屋敷から追い出そうとしていました。
 さらに、私が一人で屋敷の調査に戻ってきたときには、実際に姿を現して脅しを掛けてきました。
 その時私はこの屋敷の神棚を調査していたのですが、なんと宮型の中のお神札が抜き取られていました。
 買い物に行った際に友人宅に退避している熊八さんに確認したところ、案の定、宮型の中のお神札は交換する
 なと言う仕来りがこの家にはあるようです。何代も前から続いている仕来りらしく、それを破るととんでもな
 い罰が降りかかるのだと彼は言っていました。宮型の中にはお神札が一枚だけ入っていたそうです。彼が最後
 にそれを確認したのは二ヶ月前、神棚の掃除を行っていたときで、しっかりとお神札が宮型の中に入っていた
 そうです。
 それが忽然と消えていたわけですが…私は神棚に祀られていたのは座敷わらし本人ではないかと考えています。
 座敷わらしはこの家の人間からの『信仰』で力を得ているんですよ。そして、私が神棚の方へ向かっていると
 知った座敷わらしは大急ぎで、宮型の中身を隠したんです。正体を隠すためにね」

「と言うことは、座敷わらしは神様なのですね。そして大川一族は祟りを受けていると」
 早苗がそう言うと、神子は彼女に頷いてみせた。

「神様と言っても、もうほとんど妖怪化しているのかもしれません。それでも一応は神様ですからね。妖気を発
 することはない様です。逆に妖気を発していたのであれば、日中に我々がそいつの正体を掴んでいたでしょう。
  この説が正しいのなら、座敷わらしを祀り始めたのは熊八さんの祖先の誰かで、彼は相当な恨みを買われて
 いたようです。そして座敷わらしは自分への信仰の力を使って、信仰してくれる一族を祟り続けている」

「なんだかややこしい事になってますね…。その神様にはどんな事情があるんでしょうか…」

「その事情を今晩中に聞き出すんですよ。『直接』ね。
 そのためには座敷わらしの本体を見つけないといけない。日中に私の前に現れた座敷わらしは幻影のようなも
 ので、意識は持っていなかったの。だから、欲の声を聞くことができなかったわ。
 座敷わらしの本体はこの屋敷のどこかに必ずあるはず。私たちはそれを見つけ出さないといけないのよ」

「中は一通り探したんですよね」白蓮が言う。

「ええ。でもそれらしいものは見つからなかったわ。
 どこかに隠されているのよ。縁の下とか、天井裏とか…壁の中とか…。
 でも、さすがに屋敷を壊しながら捜索するのは熊八さんたちに悪いわ。壊すとしても、最低限よ」

「どうやって隠し場所を探りますか…あ、白蓮さんの知り合いにモノ探しの得意なネズミさんがいましたよね」

「ナズーリンですか…。彼女は忙しい妖怪ですからね…。家を訪ねても留守にしていることが多くて…。
 一刻も早くこの屋敷を平定しないといけないのなら、私たちでここを探索したほうが良いと思います。
 相手は早苗さんや豊聡耳さんと同類なのでしょう?ならば、何度も接触することによって、力の源を発見でき
 るのではないですか?」

「その通りよ。私や早苗さんは座敷わらしの気の流れや力の流れを本能的につかむことができる。
 それに、気の流れなら君にだって分かるんじゃない?聖白蓮」

 そう言って神子は白蓮を見た。「いいえ」とは言わせないような表情だった。
「もちろんですとも」白蓮はそう言って神子に余裕の笑みを見せた。

「今晩はこの部屋に篭って、座敷わらしの妨害に耐えながら本体の位置を探りましょう。
 相手が強い力を使えば、それだけ源がわかりやすくなるはずよ」

「耐えるって…怖いことが確実に起こるってことですね…」早苗はすでにビビっていた。

「確かにね。でも追い詰められているのは座敷わらしのほうじゃない。
 私たちはここで凛としていればいいだけよ」

 早苗と白蓮はそれを聞いて少しは気が楽になった。確かに、追い詰めているのは我々の方だ。
しかし、我々は相手の手の中にいるのと同じ。これからどんな妨害が始まるのか、それを考えると再び胸が強く
打ち付け始めるのであった。時刻は七時を回っていた。

「では、とりあえず食事にしましょう。腹が減ってはなんとやらです。とっておきの料理を作ってきましたよ」

 白蓮はそう言って机の上を片付け始めた。顔を見合わせる神子と早苗。白蓮が持ってきたのは小さなカバンだ
けで、三人分の料理が入った入れ物などどこにも見当たらない。二人の戸惑いを察した白蓮は説明を始めた。

「料理はお寺に置いてあります。これから魔法でそれをこの屋敷まで移動させます」

 なるほど。と二人は手をポンと叩いた。白蓮は僧侶であるのと同時に魔法使いでもあるのだ。
白蓮は机の上にカバンから取り出したテーブルクロスを乗せ、小さく呪文のようなものを唱えた。クロスが少し
だけ浮いたかのように動くと、白蓮は勢いよくそれを引っ張り上げた。すると、ちゃぶ台の上に溢れんばかりの
光が満ち、そこから色とりどりの料理が現れた。これには神子も感心し、賛美の声を上げた。
  
「ささ。いただきましょう」

 仏教では殺生を禁止している。そのため僧侶は肉や魚を食べない。
精進料理にはそういったものは一切使用されておらず、全て野菜や穀物、茸で作られている。
今の季節は茄子がよく採れるので、白蓮の料理にもそれがふんだんに使われていた。

「一人で作ったの?」
「作り置きしてあった物もありますが、殆どはさっき作ったばかりです」

 食事の挨拶を済まし、さっそく舌鼓。
神子と早苗は驚きながら箸を進める。これがまた旨いのだ。
特に茄子料理が絶品で、とろけてしまいそうな程柔らかい茄子に酸味の効いた出汁がしっかりと染み込んでいる。
茄子は全て命蓮寺の畑で取れているのだと白蓮が言うと、二人は感心しながら口々に彼女の腕を褒め称えた。 

「この茄子すごく美味しいですよ!それに、このトマトのサラダ!ドレッシングがすごく美味しいです!」
「焼き茄子の上にはみょうがが乗ってるのね。すごくいい香りだわ。それに程よい苦味がまた良い」

「あら、嬉しいわ。さぁさぁもっと食べてください」

 味美見た目美、まさに絶品。先程までの冷めた空気をも暖かく変える力を白蓮の料理は持っていた。
座敷わらしも思わず羨む好評ぶりに、白蓮は頬を赤くしてクスクスと笑っていた。

「お酒があれば言うこと無しだったわね」
「あら、飲酒はいけませんよ」
「分かってるわ。でも大したものね。この料理、君のところの妖怪たちにも好評でしょう?」
 早苗も気になって白蓮の方を見た。

「あー…そうですねぇ。みんな美味しいと言ってくれますが…」
「血と肉が足りないって?」
「うーん…そればっかりはどうしようもないのです」
「妖怪ですからねー」

 確かに妖怪たちには物足りないだろうと神子と早苗は思った。
三人はしばし、恐怖を忘れて食事を楽しんだ。



 後片付けにも魔法が使われた。
白蓮は再びテーブルクロスを取り出し、手品師がマジックを披露する時のように飄々と全ての皿を消してみせた。
日が暮れてしまったので、三人は協力して雨戸を閉め、屋敷内のランタンに火を灯した。
その後、お湯を沸かしてお茶でも入れようと、三人は隣の台所へと移ってかまどに火を入れた。
「竈にも神様が宿っていてね、彼も三尸のように天に報告に行くのだけど、悪いことだけじゃなく、良いことも
 ちゃんと報告してくれるのよ」
 神子はそう言って竈の中で燃える火を眺めた。

「へぇーじゃあ台所の神様ってことですね」
 やかんに水を入れた早苗が言う。

 やかんがピーピー鳴き始めるのを待ってから三人は茶の間へと戻った。
神子の買ってきた煎茶を入れ、一息付いた三人はしばらく静かな一時を過ごすことにした。




 彼女らは今夜眠ってはいけない。
これから夜が明けるまでの数時間、何かをして眠らないよう努力しなければならないのだ。
逆に言えば、その何かこそが庚申待ちの醍醐味と言える。平安時代の貴族たちは碁を打ったり、詩を詠んだりし
て遊びながら世を明かし、江戸時代の人々は宴会をして夜を明かしたのだと言う。


「百物語って言うのがあるんだってね」

 神子がそう呟いた途端、白蓮と早苗は顔色を変えた。二人は神子の企みを瞬時に読み取ってしまったのだ。
それはまさに狂気の沙汰としか思えない企みだった。

「百物語…知ってますけど…どうするつもりで?」
 念の為に白蓮は神子に問う。まさか、やるつもりじゃないよな って顔をしながら。

「せっかくだから、百物語をやってみましょう。蝋燭を使うらしいからたくさん持ってきたわ」

 冗談で言っているのであれば笑って済ませられるものを、この神仙道士は本気でそれをやろうとしている。
神子の持ってきた風呂敷の中には沢山の蝋燭とマッチ、そして里で買ったと言う緑茶の包み紙だけが入っていた。

それを見た時の白蓮と早苗の表情を例えるならば、(゚д゚) こんな感じである。
神子は蝋燭をちゃぶ台の上に並べ始めた。

「…なるほど…百物語ですか…面白い!私の出番と言うわけですね!」
「そうそう。早苗さんは怖い話得意だからね」

 早苗はそうそうに吹っ切れてしまった。
「百話語り終える前に怪異が起きると思うのですが…」
「なら、百話語らなくてもいいってことじゃないかしら。この屋敷でなら二十話くらいで百話分じゃない?」 
 
 そう言って神子と早苗は二十本の蝋燭をちゃぶ台の上に並べ終えた。
神子の風呂敷の中にはまだ十本ほどの蝋燭が残っている。

「この蝋燭は長持ちするって話題のやつだから消さなければ一晩中燃え続けると思うよ」
「へぇー蝋燭屋泣かせな蝋燭ですねー」

「…二人とも流石ですね…私も頑張らないと…」
 白蓮が心の中で泣いていることを神子は分かっていた。むしろ、その方が緊張が保てて良いと思っていたほど
だ。早苗さん然り。

「一晩中ここに居るのなら、蝋燭は点けたままでも良いんじゃないですか」
「そ、そうですね。早苗さんの言うとおり、わざわざ消す必要はありませんよ」

「へぇ、百物語の蝋燭って消していくものなんだ。…二人がそう言うなら消さなくてもいいんじゃないな」

 流石に暗くなっていくのは怖い。もっとも、神子も蝋燭は消さないつもりでいた。

「じゃあ早苗さんから話す?」
「そうですねぇ。順番は私、白蓮さん、神子さんの順でいいですかね」

 こうして祟りのど真ん中で百物語が開始された。時刻は八時半に近づいている。夜はまだまだ始まったばかり
なのだが、怪談のおかげで屋敷の雰囲気は尋常ではないほどの恐ろしさを醸し出している。そしてまた、そんな
屋敷の中でする怪談の怖さには格別なものがあった。

 早苗はまだ誰にも話したことのない狐憑きの怪談を語った。話自体の怖さは大したことはないのだが、屋敷と
の相乗効果で、怖さは倍増。神子と白蓮は背筋に寒気を覚えた。
そんな時、屋敷の天井がバキッっと軋んだ。三人は同時に俊敏な反応を見せる。その様はまるで、敵地のど真ん
中で怯えながら戦う兵隊のようであった。――今の状況もまさにそれと同じなのだが

「た、ただの軋みですよ。ははは。さぁ次は白蓮さんの番ですよ」
「はい。ええと、あんまり怖くないと思うんですが、一応話します」

 そう言って白蓮は寺で起きた不思議な話を語り始めた。
あまり怖くないという始まり方の怪談の例に漏れず、とんでもなく恐ろしい話しだった。
語っていた白蓮の方も途中で怖くなり、話しのペースが落ちてしまったほどだ。途中、風も無いのに蝋燭の火が
ゆらゆらと揺れたが、三人はそれを見て見ぬふりでごまかし、百物語を続けた。
 白蓮の次は神子が怪談を語る番だ。
彼女は少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。

「ある農家の男性の話です」

 早苗も百連も息を飲み、緊張した面持ちを神子に向けた。

「彼は夜遅くまで田んぼで農作業をしていたそうです。
 そろそろ帰ろうかと、男性はクワを背中に担いで夜道を歩き始めたした。
 すると、背後から小さな足音が聞こえてくるのです。
 スタ…スタ…男性は怖くなり、歩くスピードを上げましたが、足音はそれに合わせるようにぴったりと男性の
 後ろを付いてきます。
 スタ…スタ…意を決して、男性は振り向きました。後ろには誰もいません。
 恐ろしくなった男性は走りながら家に向かいました。すると足音は聞こえなくなりました。
 足音の正体は、クワの先から落ちた水滴の音だったのです…」

 数秒間沈黙が続いた。その間神子は険しい表情を保ち続けていた。

「…怖い話し?」沈黙を破ったのは早苗だった。
「怖い話しです」神子はそう言って2人に笑顔を見せた。

 凍っていた空気が和らいだのは言うまでもない。
早苗も白蓮も、あまりのくだらなさに腹を抱えて笑い続けた。壁に掛けられた柱時計の針はいつの間にか午後九
時を指している。あっという間に三十分が過ぎてしまっていた。(白蓮の話が長かった)
 三話で三十分なら二十話話し終える頃には深夜0時近くになっているだろう。神子は尚も笑い続ける二人から
蝋燭の火の方へ視線をずらした。二十本の蝋燭は未だ燃え続けているが、そのうちのちゃぶ台の中央付近の蝋燭
の火が少しだけ弱くなっていた。直後、天井から何かが折れるような乾いた音が茶の間に響いた。笑っていた二
人は特に気にならない様子だった。それだけ神子の冗談が強烈だったのであろう。

「もう!神子さんったら!不意打ちですよぉ、面白すぎます!」
 調子を取り戻した早苗は神子をあっと言わせてやろうと、とっておきの怪談を披露し始めた。

 それからも順調に百物語は続いた。度々ラップ音のような怪音が鳴ったことがあったが、三人は特に気にする
こともなく話を進めていた。座敷わらしは未だ、直接的な妨害を行ってこない。三人ともそれが気になっていた
が、誰もそれを口にしようとはしなかった。
 十話目が終わったあたりで、時計の針は午後十時を指し示した。
白蓮はハッと思い出したように言った。

「そうそう、デザートを用意していたんです。話に夢中で忘れていました」
「デザートですって!?」早苗が目を光らせる。

「お墓の近くの部屋で冷蔵してあります。冷たくて美味しいと思いますよ」

 夕食の時と同じ要領で、白蓮はテーブルクロスを使ってガラスの器に盛られたデザートを出して見せた。
ほんのり甘みのある豆腐の上にきな粉が乗っているだけという素朴なものだったが、味は絶品だった。
肉や魚を使わずにこれだけ美味しいものが作れるのはやはり大したものだと早苗と神子は改めて思った。

「それにしても、神子さんは度胸がありますよね…怖い話をしてもケロッとしてるし」
「日中は一人でこの屋敷を調べたんでしょう。怖くはなかったんですか」

 早苗と白蓮が同時に神子に質問した。神子は正確に二つの問の内容を理解していた。

「怖いよ」その上で素っ気ない返事をする神子。そしてお茶を啜る。

「…うーん。仙人になると怖いものはなくなるのでしょうか…」そう言って早苗は首を傾げるが、

「仙人になっても怖いものは怖いわ」と神子は言い返す。

「じゃあ、豊聡耳さんは何が怖いの?」白蓮はそう言って豆腐のデザートを口に運んだ。

「みんなと同じだと思うけど…さっきの話も怖かったし、日中も怖かったわ」
「でも、私たちにはあまり怖そうには見えないのですよ」
 白蓮にそう言われ、神子は腕組みをして唸ってみせた。

「怖くても怖さをあまり表には出さないようにしてるのよ。怖がってる人を見ると自分まで怖くなるでしょう」
「えええ。じゃあホントはすごく怖がってるんですか?」
「怖いですよ」そう言って神子は笑う。

 どうも、また冗談を言っているのではないかと早苗と白蓮は思い始めた。
それはそれで面白いので構わないのだが、二人の心の内には神子が思いっきりビビっている姿を見てみたいとい
う衝動が湧き始めていた。さて、聖徳王と呼ばれた人物を本気で怯えさせるような怪談とはどんな怪談なのか。
デザートを味わいながら二人は考え始めた。

 そんな二人を尻目に、神子はちゃぶ台の上でそのままになっていた蝋燭の火を見据えた。
大川屋敷は東側に玄関、北側に台所、という間取りをしている。ちゃぶ台の上の蝋燭は、東南方向の数本の火が
小さくなっていた。その方向には神棚がある。

「豊聡耳さん」
 名を呼ばれ、神子は慌てて白蓮の方を見る。

「もしかして、その『耳当て』に怖い話しを遮断する機能があるのでは?」
「あ!私もそれを疑っていたんですよ!」
「…。」

 二人の熱い眼差しが神子の胸に突き刺さる。彼女は苦笑しながら耳当てを外して、それを襟首に引っ掛けた。
「そんな面白い機能はないわよ」
 神子はそう言った直後、急いで耳当てを付け直した。白蓮は一瞬だけ神子が鋭い表情をして台所のほうを見た
のを見逃さなかった。早苗は豆腐のデザートを食べていたため気づかなかったようだ。

「…豊聡耳さん。今…なにか?」
「まだ耳当てを取る時期じゃないわ」

「どうしたんですか?何かありました?」
 キョトンとする早苗。白蓮は思った。神子には何かが聞こえたのだ。彼女の表情が白蓮にその確信を与えてい
た。白蓮自身も台所のほうに目を向けてみる。別段、変わった様子はない。

 神子が怪談を聞いて怖がっているのか、と言う疑問について白蓮はもう一度考えた。
とぼけながらも豊聡耳神子は真剣に座敷わらしの気を読み取っているのではないか、その集中力が怪談の恐怖を
和らげているのではないか、と白蓮は考えた。医者で腕に注射を受けるときも、意識を腕に集中させていなけれ
ばほとんど痛みを感じることはない。神子には十人の話を同時に聞く力がある。
彼女なら、怪談を聞きながら屋敷内の気の流れも読み取れるのではないかと白蓮は考えた。
自分も早苗も怪談のほうに夢中だったというのに、神子は既に屋敷の調査を開始してたと言うのか。
だとすれば大したものだ。
 白蓮は改めて神子の様子を確かめてみた。いつもと同じ、穏やかな表情だ。余裕さえ見え隠れしている。

「…座敷わらしは?」不意に白蓮が言う。
「…慌ててるわ。もう少し待ってみましょう」
 流れるように神子は返答した。

 早苗は頭に?印を浮かべていた。
とにかく百物語を再開させようと神子が言うと、白蓮は空になったガラスの器を寺へと移動させた。


―――――


 十二話目が終わったとき、早苗がトイレ向かうと言い出した。
心配する神子と白蓮だったが、早苗は一人で行けると言い張り、フラフラと屋敷の端にあるトイレへと歩いて行
った。足が少し痺れているようだった。
 その間、神子はぼんやりと蝋燭の火を眺め、白蓮は体を横にして気を楽にしていた。
一人になるといっても早苗はそれなりの実力を持っている。白蓮も神子も弾幕勝負では早苗に敗北している。
途中で座敷わらしに会ってもそれを追い払えるだろうと二人は思っていた。


「二人とも!ちょっと来てくださいよ!」
 早苗が席を立ってから五分ほどしてから、屋敷の奥から彼女の叫ぶ声が聞こえた。
神子と白蓮は早苗の声がした方向を目指して走った。

 早苗は縁側の雨戸の隙間から屋敷の外を眺めているところだった。不思議に思った神子が早苗に訳を問う。
何やら、外に蠢く影があるのだと早苗は言う。少し話し合った後、雨戸を開けてその正体を掴んでやろうという
ことになった。
 勢いよく白蓮が雨戸を開けた。
外は月明かりのおかげで少しだけ視界が効く。神子と早苗は目を凝らして屋敷の塀の上を見た。
そこには黒いモヤのようなものがかかっていた。
そのモヤの中央には赤い点が二つ。それは目玉のようでもあった。同じようなものが数十体、塀の上から三人を
見ている。
「物音がしたんです。それに普通じゃない雰囲気を感じて、ちょっとだけ外を見てみたんです」
「…それであれを見つけたと」

 神子はその黒いモヤを見ながら白蓮に指で合図をした。
「君なら追っ払えるよ」
 白蓮は縁側の上で手を合わせ、お経を唱え始めた。
黒いモヤは塀の上をゆらゆらと蠢いている。白蓮のお経に反応して動き回っているようだった。

 二分ほど白蓮がお経を唱えると、黒いモヤたちは塀から降りて屋敷の外へと消えていった。
神子は雨戸を閉め、茶の間に戻るよう二人に言った。

「あれはなんなんでしょうか?」早苗がその途中で質問した。

「野良の神様って奴です」
「お経を唱えたら素直に帰ってくれました。一安心ですね」

「野良……なんで入ってこなかったんでしょう?」

「塀は越えられないのよ。玄関には四猿ちゃんがいたから、周囲から屋敷の中を探っていたようね」
「じゃあ…また座敷わらしが呼んだんですかね…」

「それは分かりません…。でも彼らは森や川に住んでいる穏やかな神様です。
 この屋敷の様子を心配して見に来てくれただけかもしれないです。
 ここは私たちに任せてくださいとお経を唱えてお伝えたので、彼らは元いた場所に帰っていきましたよ」

「へぇー!そういうことってあるんですねぇ!」
 早苗は感心したように言った。

 茶の間に戻った三人は再びちゃぶ台を囲うようにして腰を下ろした。
白蓮がお茶を入れて二人に配る。早苗は南側の蝋燭の火が一本消えていることに気がついた。
神子はマッチを擦り、それに火をつけ直した。
「一晩中消えないっていうのはちょっとオーバーですね〜」
「ふふふ。そうかもね」



 熱いお茶が体に染みる。
時計の針は午後十一時を刺した。すると突然、時計が鐘が鳴り始め、三人を驚かせた。
柱時計というやつは十二時と三時と六時と九時に鐘を鳴らすが、十一時に鐘が鳴るのは明らかに異常だ。
三人が時計に注目すると長身が突然動き始め、一回転した後十二時の位置でピタリ止まった。
再び鐘が鳴る。それと同時に、時計から垂れ下がっている振り子の揺れが止まった。

 それと同時に、どこからか子供の歩く足音が聞こえてきた。

「そろそろ来る頃だと思ってたわ」
 神子はそう言うと、ちゃぶ台の上の蝋燭に注目し始めた。

「この蝋燭はレーダーよ。火の強さと有無で、どの方向に座敷わらしがいるのか分かるわ。
 怪談で挑発した効果がやっと出てきたわね」

 早苗は驚愕の表情をして神子を見た。なるほど、こんな魂胆だったのか。

「これからありとあらゆる手を使って私たちを屋敷から追い出そうとするはず。
 二人とも、気合を入れないと負けるわよ」

「心配無用です!こんな日のために日々修行を積んでいるのです!」

 早苗がそう言った途端、廊下から再び子供の走る音が聞こえてくる。
それも一人ではない。最低でも五人はいるかというくらいの足音が茶の間まで響いてくるのだ。
三人は思わず身構えた。南側、西側の蝋燭の火が弱まっている。神子は蝋燭が決定的な反応を見せるまで茶の間
で待機する旨を二人に伝えた。
 屋根裏からもドタドタと走り回る音が聞こえてくる。
木の粉まで降ってくることもあったが、三人はじっと茶の間で蝋燭の火を眺め続けた。北側以外の蝋燭の火が激
しく揺れ動いている。屋敷中に激しい気の流れが発生している証拠だ。蝋燭のアクションが激しくなる度に、三
人の緊張も高まっていく。もはや何が起きても不思議ではない。相手は神だ。そのうち物理攻撃を始めてくるか
もしれない。
 
 縁側の雨戸を開け閉めする音が聞こえてくる。それもかなりの勢いだ。
縁側の雨戸だけではない。障子戸やふすまが空いたり閉まったりする音も四方から聞こえてくる。
早苗は震えながら、キョロキョロと視線を動かしていた。
「脅しです。落ち着いて」そう言って白蓮は蝋燭の火を見つめる。気の流れは尚も激しいままだ。
 屋敷が大合唱を初めてはや数分、三人は極度の緊張を保ちながらも冷静にレーダーを眺め続けていた。
未だ火は灯ったままであるため、神子は茶の間を動こうとはしなかった。すると突然、蝋燭の火の揺らめきが収
まり、一切の怪音が止んでしまった。急に静かになった屋敷の中は冷たい空気に覆われていた。明らかに異質な
気を神子も早苗も白蓮も感じていた。それはまるで、屋敷の中の空気が全部取り替えられてしまったかのようで
あった。
茶の間ではお互いの呼吸と心臓のみが音を発していた。誰も何も言わなかったし、動きもしなかった。
蝋燭に異常はない。しかし、この胸騒ぎはなんだろう。
茶の間の周囲を完全に包囲されているかのような不気味な気分だった。
「私たちが動くのを待っているのかしら…」白蓮が言う。
 
神子は立ち上がり、少しだけ耳当てを耳から離して、また直ぐにそれを耳に戻した。
「雑音だけよ。まだ出てきてない」

 雑音が聞こえるというのが既に異常だ。
再び屋敷に沈黙が訪れる。天井が偶然軋んだのであろうか、再びそこが音を立てたときは皆俊敏な動きで戦う体
制を取った。三人とも汗をかいていた。緊張の糸は未だ繋がったままだが、それをキープし続けるのには精神力
を使う。精神力の消耗は直接疲労にも繋がる。適度に気を抜くことも必要だと感じた神子は、ちゃぶ台の前にな
おり、そこに座って再び蝋燭を眺め始めた。他の二人もそれに習った。

 その途端、南側の蝋燭の火が小さくなり始めた。

トントントン

 それは神子の背後にある襖を手で叩く音だった。
ご丁寧に、入場の知らせを入れてくれているのであろうか。
振り向きざまに再び立ち上がった神子はその襖を凝視した。早苗と白蓮は蝋燭を見ている。
南側の蝋燭の火は弱まったままだ。

「開けまようか…」
 神子がそう言うと、白蓮が反論した。
「罠では?」

「でも開けないと会えないでしょう。罠でも構わないわ」
 神子は襖の方へと足を進め、そこに手を掛けた。白蓮も立ち上がり、神子を注意深く見守る。
全員の緊張が最高潮に達していた。これから起こることを決して見逃さまいと、三人とも目を血眼にしている。
「開けるわ」神子が意を決した瞬間だった。

 蝋燭に変化が現れた。南側の蝋燭が正常に戻り、その代わりに北側の蝋燭四本の火が弱まったのだ。
早苗はその変化を見逃さなかった。北側には台所がある。徐々に視線をそこへと移す早苗は、体中に流れる危険
信号をヒシヒシと感じ取っていた。

 そこには着物を着たおかっぱ頭の男の子がポツンと立っていた。昼間に神子が出会ったのと同じ男の子だ。
早苗は思わずたじろいだ。台所に座敷わらしが立っている。早苗の変化に気づいた神子と白蓮も台所を見る。
座敷わらしは無表情で早苗を見ていた。
「うわあああああ!」
 早苗が咄嗟にとった行動は攻撃だった。指先から発射された萌黄色の弾幕二発が座敷わらしの体を見事に貫い
た。しかし、座敷わらしは全く表情を変えずに早苗を凝視している。

「幻影よ!早苗さん!そいつは姿だけ!」神子が叫ぶ。座敷わらしは神子のほうに顔を向けて口を広げた。
そこから長い舌が蛇のようにウネウネと伸び始めると早苗はさらなる攻撃を座敷わらしに仕掛けた。
威嚇などではない。全力の弾幕を座敷わらしの眉間目掛けて撃ち込んだのだ。
座敷わらしは頭にポッカリと穴を空け、悶えるような動きをした後煙のように四散した。

「やった!倒しましたよ!!」
 早苗の顔に笑顔がもどる。しかし、それもほんのつかの間の安心で、本当の恐怖はその直後に訪れた。
突然南側の蝋燭10本の火が消えてしまったのだ。光源が半分になり、三人は突然明かりが無くなったかのよう
な錯覚に陥った。そして、それと同時に神子は背中に弱い風が当たるのを感じた。
なんと襖が独りでに開いたのだ。
それに気づいた早苗と白蓮は思わず口を覆った。神子はこれ以上早くは動けない、といったくらいの勢いで振り
返った。襖が空いた途端に、飲み込まれそうになるほど強烈な気の流れと波のように押し寄せる不の念。
座敷わらしがどれだけの恨みを持って動いているのかがはっきりと分かる。

「あ…あ…」早苗は言葉を失っている。それは白蓮も神子も同じだった。
座敷わらしの服装は先ほど台所に現れた幻影と同じだったが、体は全く異なっていた。
ミイラのように皮膚が黒ずみ、ガリガリにやせ細っているのだ。これが大川屋敷の座敷わらしの本来の姿なので
あろう。

「憎い」

 たった一言だけ、憎いと発したその怨念の塊は、咄嗟に身を翻し、茶の間とは逆の方向へと走り出した。
それと同時に神子も走り出す。まさに反射的と言える行動で、彼女はすでに考えて行動するのを止めていた。
「豊聡耳さん!」慌てて白蓮も駆け出す。一方早苗は、脳の安全回路が正常に働き、気絶という防御手段を発動
させていた。


 座敷わらしの走るスピードは異常なほど速かった。鍛えられた陸上選手のようなスピードで、リフォームによ
ってできた曲がり角の多い廊下を右左折し、あっという間に神子の視界から消失せてしまったのだ。
しかし、その強い力の源を神子は五感以外で感じ取り、正確な追跡を行った。

 屋敷内のランタンの明かりがいつの間にか消えている。
窓からは光が入ってこない。月が一時的に雲に隠れているのであろう。屋敷の中は完全な闇だ。
しかし、神子は一歩づつ確実に座敷わらしを追っていた。座敷わらしの強い気の出処が手に取るように分かるの
だ。それは同時に、座敷わらしが今まで以上に強い力を使っていることを表している。神子は既に七星剣に手を
掛けていた。彼女に座敷わらしを攻撃する意思はなかったが、相手はどうかわからない。闇の中から突然襲いか
かってくるかもしれない。そして、その場合の攻撃は一撃必殺の可能性を秘めた攻撃に違いない。
回避するか受け止めるかしないと、再起不能は免れないであろう。

しかし、現在視界はほぼゼロ。目はあてにならない。ならば今こそ耳を解禁する時だ。ここまで来て耳あてをつ
けている意味はない。襟元に耳当てを引っ掛け、神子は廊下の上をを滑るように移動した。

 小さな声が聞こえる。子供の声だ。年齢にして…四歳から五歳の男の子。
神子が一歩進むたびに、少しづつ声は大きくなる。泣き声のようだ。また一歩、声が強くなる。
座敷わらしは例の神棚のある廊下の突き当たりにいるようだった。そこへたどり着くには、もう一度廊下を曲が
るだければいい。さらに一歩を踏み出す、泣き声に混じって母の名を呼ぶ子供の悲痛な声も交じる。
いけない…。神子は思わず胸を押さえた。声が脳を揺さぶるように刺激してくる。そして、足を進めるごとにそ
の刺激は強くなる。曲がり角の直前についた頃には、それが激しい頭痛となって神子を苦しめていた。
「(くっ…耳当てを付けないと頭がやられる…)」

 そんな時、背後から足音がした。
それに気づいた神子は剣を握りながら耳を背後に向ける。
「白蓮?」
 神子の背後にはいつの間にかランタンを持った聖白蓮が立っていた。彼女が口を開く。
「座敷わらしはどこです?一緒に…」

 豊聡耳神子は容赦しなかった。
瞬時に抜かれた七聖剣の刃が、闇の中を縫うように駆け、再び鞘に収められた。
その時既に、白蓮の姿をした何かの体には深い傷跡が刻まれていた。白蓮の姿をした何かは煙のようになってそ
の場から消え失せた。それと同時に、その方向から駆けてくる人影が一つ。

「豊聡耳さん!待ってください!」
 今度は聖白蓮本人だ。仲間を見分けるくらい神子には朝飯前なのだ。
本物のランタンの光に照らされながら、神子は耳あてを耳に戻し、額を流れる汗を拭った。
「もう!!」白蓮は怒ったようにそう言い、神子の肩を掴んだ。
その力が予想外に強かったもので、神子は驚いて身を縮めた。
「無茶は止めなさい!身が持たないわよ!!」

 先ほどの出来事を彼女も見ていたのであろう。
一瞬ではあったが、偽白蓮との戦いはまさに危機一髪の攻防だったのだ。

 神子はランタンの明かりに照らされた白蓮の瞳が潤んでいることに気がついた。

「どれだけ危険だったか…後ろから見えていたのよ……真っ白いものが、ずっとあなたの後ろにくっついていた
 んだから…」

 それが見えたため、慌てて走ってきたというわけだ。
白蓮は悲痛な表情をしながら神子を抱き寄せた。
「白蓮…」
「一緒に行きましょう。あなたを一人にしておくと危なすぎて見ていられません」

 二人は廊下の角を曲がり、その奥にある神棚と廊下の先をランタンの光で照らした。
神棚の下に座敷わらしが体を折り曲げるようにして座っている。朽ちた顔を二人に向けながら、座敷わらしはパ
クパクと口を動かしていた。

「私たちは君と話をしに来たのです」
「どうか、この一族を祟っている訳を教えてください」

 座敷わらしは二人へ向けていた顔を俯かせ、先ほどと同じようにパクパクと口を動かしている。
神子と白蓮は肩を並べながら、少しづつ座敷わらしの元へと歩み寄った。
「憎い」
 座敷わらしはそう言いながら蹲っている。

「何があったのか御話ください。我々しか聞いてあげることはできません」
 白蓮はそう言って座敷わらしを諭した。

「本当の君の体はどこにあるですか…?」
 神子も白蓮と同じように呼びかける。
すると、座敷わらしは観念したかのように立ち上がり、廊下の突き当りの壁の中へと潜り込んでいった。
神子と白蓮は顔を見合わせ、廊下の突き当りへと向かう。神棚の下には、一枚のお神札が落ちていた。

「これは…神棚に祀ってあったお神札ね…。書いてあるのは人間の名前みたい」
「では…このお神札が座敷わらしの本体?」
「いいえ……」

 神子はお神札を片手に持ち、座敷わらしが消えていった壁を指差した。
「この向こうだわ。間違いない。壁の向こうに空間がある」
「壁の向こう…ではこの壁を壊せばいいのですね」

 座敷わらしが二人を呼んでいるのか、壁からは不の気が少しずつ溢れ出ている。
なんの能力も持たない人間なら三分も持たずに失神してしまうような強烈な気だ。
二人は躊躇わずに壁に鉄拳を叩き込んだ。魔法使いと仙人の拳によって、壁には大きな亀裂が入る。
壁の向こうには確かに空間がある。白蓮は魔法で拳を岩のように固くし、壁の亀裂にそれを叩き込んだ。
追い討ちを掛けるように神子がもう一発の拳を叩き込む。彼女の手は白蓮とは違い柔らかいままだ。
二発のパンチだけで、神子の拳の先には血が滲み始めていた。

 計四発の強力な打撃を受けた壁は割れた皿のようにボロボロと崩れていった。
二人ははそれをかき分け、奥にあった異常な空間を目の当たりにした。広さは約二畳。竹でできた一メートル程
のかごがその中央に置かれ、周囲には子供用のおもちゃがごちゃごちゃと置かれている。
中にランタンを入れてみると、四面の壁全面におびただしい量の御札が貼り付けられていた。博麗神社の札だ。
結界が張られていたことがわかる。また、破壊した壁の内側にはしめ縄が取り付けられていた。

 部屋の中は苦しみ、怒り、悲しみ…ありとあらゆる不の気に満ちていた。
神子はゆっくりと部屋の中央にある竹かごの上を覆う布を取り払った。
「なんてこと…」思わず声を漏らす。
 白蓮は反射的に手を合わせた。
その中にはミイラ化した子供の遺体があったのだ。これこそが座敷わらしの本体だろう。

「声が聞こえる」神子は耳を澄ませた。座敷わらしが何かを語ろうとしているのだ。

 それは一瞬の出来事であった。神子の体が急に跳ね、すぐ後で事態を見守っていた白蓮のほうに勢いよく吹き
飛ばされたのだ。白蓮は見事な反射神経でそれを受け止め、何事かと神子の顔を覗き込んだ。
彼女は目を食いしばるように閉じて、小さく唸っていた。
「聞こえた……この子の生まれた理由が…わかったわ…」
 無茶はやめなさいと言われたそばからこれである。白蓮は半分呆れ顔で神子にその内容を聞いた。

「…この子は大川家の子供よ。この部屋に入れられたのは百年以上も昔。
 大川一族の誰かが座敷わらしとして祀ったの…。この子を殺して…家に利益を呼び込むために…。この子は幼
 い頃から病気がちで、家の人たちはこの子を早々に間引きをする予定で……それで…それで…両親を恨んで…
 蔵の前で…殺された…」

「豊聡耳さん…あなた、顔色が……」

「ここは元々奥座敷だった…この小さな部屋はそこの押入れ…。――白蓮の声は耳に届いていない
 博麗神社の御札を張り巡らしたのは、この子の怒りを治めるため。そしてこの子をこの部屋から出られないよ
 うにするため…。こんなこと公にできるはずはないから、一族の者たちが…とにかく効きそうな御札をたくさ
 ん貼って…。だから、完全に閉じ込めることはできなかった」

 白蓮は足元に落ちていた博麗の御札を横目で見た。消えそうな字で安産祈願と書かれている。
この札で祟りを抑えるのは流石に無理だろう。

「神棚の推理も合っていた。祟りが始まってから一族の誰かがこの子の怒りを鎮めるために、その子の名前を書
 いた札を祀り始めたのよ。けれど……もともとは怒りを鎮めるための神棚だったのに、一族が座敷わらしのこ
 とをひた隠しにしていたせいで、その目的が後世まで伝わらなかった。だから、逆に座敷わらしに力を与える
 働きをしたんだわ…」

 神子は次第に調子を取り戻し、頭を押さえながらもなんとか立ち上がって座敷わらしの小部屋へ再び入った。
そして遺体の入った竹かごを抱きかかえ、遺体が発する欲の声を聞き始めた。

「ええ。…分かりますよ。私もそう思います」
 神子は竹かごの中の遺体に優しい眼差しを向けながら相槌を打った。白蓮には座敷わらしの発する声が聞こえ
ない。こればっかりは神子に任せるしかなかった。

「もう人を恨むのは止めなさい。君はもっと幸せに生きたかっただけなんでしょう。
 それなら、私が手伝ってげます。さぁ、君の欲をすべて見せてください」

 すると竹かごの遺体が淡い光を放ち、小さな人魂のようなものがふわふわとそこから湧き上り始めた。
白蓮にもその光を見ることができた。それは正しく、豊聡耳神子復活時に彼女の元へと集まってきていた小神霊
そっくりだった。
「豊聡耳さん…それはまさか…」
「この子の欲からできた小さな神霊です」
 神子はそう言って、抱えていた竹かごを白蓮に手渡した。

「その子はもう悪いことはしないわ。ちゃんとお墓を作って、遺体を葬ってあげないとね」
「…そうですね。今までこんなに狭い部屋に閉じ込められていたんですもの…」

 小神霊は神子の手の上でふわふわと漂っている。これこそが大川屋敷の座敷わらしを構成する主な要素で、こ
の小神霊を始末すれば事件は万事解決だ。神子は手の上の小神霊を少しづつ口元へ近づけていく。

「ちょっと…何をするつもりで?」
「私がこの子の欲をすべて引き受けます」
「でも…それって強い恨みの念じゃ…」白蓮が言い終わる前に、神子は小神霊をスーッと吸い込んでしまった。

 神子はしばらくうつろな表情をしながらぼんやりとその場に立ち尽くしていたが、ハッと我に返るように周囲
を見渡し、思い出したかのように百連に笑顔を見せた。白蓮はそんな神子を見てハァと大きなため息を吐いてみ
せた。
 二人は背後に気配を感じて振り返った。生前の姿をした座敷わらしが少しだけ悲しそうな表情をしながら二人
を見つめていた。やがてその姿は煤けてゆき、灰が風に乗って飛んでいくかのように、廊下から静かに消えてい
った。



 茶の間に戻った神子と白蓮は、目を回していた早苗を介抱し、熱いお茶を入れ直して一服することにした。
庚申の夜はまだ終わっていない。しかし、四猿ちゃんが機能しているため、三人は安心して眠れる状況にある。

「家の寺の裏の墓地に、空いている場所がいくつかあります。そこにあの子のお墓を立てましょう」

「じゃあ、お墓は白蓮に任せたわ。早苗さんはこの家の神棚に神奈子さんたちと一緒に祀ってもらいなさ 
 い。君たちがこれから、この屋敷を守るのよ」

「あら、いいのですか?私ったら肝心な時に気を失っちゃってたのに」
「張り込みに付き合ってもらったお礼……――」

 三人とも事件が一段落し、緊張の糸が解れていた。疲労は眠気となって三人を襲い始めている。

「駄目…もう起きてられない」神子はそう言ってゆっくりと横になった。
 時刻は深夜0時を既に回っていた。これだけのことをやったのだ。今月の庚申は眠ってしまってもいいだろう。
白蓮もそう思い、茶の間の畳の上に横なった。
 早苗は湯呑と台所を片付け、他の二人が眠っているのを確認してから蝋燭を火を消した。


 

――――――

エピローグ



 8月28日 早朝

 屋敷の悪い気はすっかりと消え失せていた。
神子らの庚申待ちは、何代も続いていた祟りを鎮め、屋敷に平和をもたらすことに成功したのである。
実家へと戻ってきた大川熊八とその息子は、感謝の言葉を神子らに送り続けた。
そんな二人に神子は、余った四猿ちゃんと破壊した壁の修理代を手渡し、早々と仙界へと帰っていった。
早苗も白蓮も素っ気なく帰っていく神子の後ろ姿を見て感心していた。
全くの見返りを求めない彼女の姿勢には光るものがあった。そんな姿に触発されてか、二人はそのままになって
いた奥座敷の押入れを片付けた後、足早に屋敷から去ることにした。
白蓮にはこの後、座敷わらしの遺体を埋葬し墓を立てる役目が、早苗には、大川屋敷をいつまでも守護していく
義務があった。二人に対して、神子は今朝それしか語らなかった。少々違和感のある口ぶりであったが、二人は
それに従い、各自作業をはじめることにした。いつも通りの熱い一日になりそうだった。

 一方、仙界に戻った豊聡耳神子は仲間たちに事件の終結と成功を伝え、フラフラと自室へ向かっていった。
復活した物部、蘇我ともに、神子の様子が異常だということにすぐさま気が付いた。
二人は慌てて神子の後を追う。神子は自室にたどり着つ前に力尽き、壁に肩をあずけながらうずくまっていた。
彼女の体に触れた仲間たちは、神子の体が強烈な不の念に侵食されていることに気が付いた。
屠自古は大急ぎで寝床の準備をし、布都は神子の肩を支えながら寝室へと向かった。事態は深刻だった。

 その日を境に、豊聡耳神子の姿を幻想郷で見ることはなくなった。
神子と庚申の夜を共にした二人は、三人で座敷わらしの墓参りをする予定だったが、結局それは叶わないままだ
った。仙界という場所は正しく陸の孤島で、向こうから接触してこない限り内部の様子を知ることはできない。
その為、どれだけ待っても二人は神子の安否を知ることができなかった。


 時間だけが目まぐるしく過ぎていく。
少しずつ日の長さは短くなり、山の木々は美しい紅に染まり始めている。
そんな中で、聖白蓮と東風谷早苗はポッカリと穴の空いてしまった毎日を送り続けていた。
二人は週に一度必ず命蓮寺裏の墓地へ足を運んでいた。新しい花を供え、線香を焚くのだ。
神子が再び現れるまで、二人はこれを続けていくつもりだった。

 10月には今年五度目の庚申の日が控えている。
二人はその日の前日に落ち合い、大川屋敷のすぐ近くまで散歩に行った。屋敷には平穏な毎日が訪れていた。
塀の向こうからは、四歳になった大川熊八の息子の無邪気な笑い声が聞こえてくる。 
それを聞いて、二人の心は幾分か安らいだ。

強い風が吹いて、周囲の落ち葉が勢いよく舞い上った。灰色の空が、夏の終演を告げていた。








恐ろしいのだけれど、面白くて、笑えるものが書きたかった。
怪談のセオリーがあるのだとすれば、僕は異端者かもしれない。
でも、恐怖に怯えて立ち竦む主人公より、それに敢然と立ち向かっていくタフな主人公の方が好感を持てる。
そう。実は僕は怪談よりも豊聡耳神子の物語を書きたかったんだ。 

 少し前まで違う名前で活動していましたが、作風や文字の使い方が変わったため
思い切って変名し再起を図ることにしました。キーハックと申します。
産廃百物語Bという執筆の機会を与えてくださった、排水口の皆様、並びに主催者
であるbox氏に感謝の意を表したいと思います。おかげさまで夏を有意義に過ごさせていただ
いております。


・考察について
作中では神子の生前の行き方について明確に断言をしておりますが、私自身、あの考察が本当の答えだとは
思っておりません。今回は神仙思想や老荘思想をひっくるめていますが、それらを別々に考える人もいます。
これについては、皆さんの意見も是非聞いてみたいと思っています。ともに道を学び合いましょう。

庚申待ちが廃れた理由や、仏教伝来についても書きたかったのですが、怪談ではなくなってしまうため断念
しました。それらについては別の作品で紹介できれば良いと思っています。

別の作品と言っても、次が何時になるかも分かりませんが…

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先任曹長氏へ

 豊聡耳さんって結構適当なところがあるんです。
対談での彼女の発言を見ても、それはよく伝わってきます。
でも、そこが豊聡耳さんの未熟なところであって、弱さ、人間らしさなんですよね。
 僕は完璧な超人にはあんまり惹かれないんです。彼女のように、悩める聖人っていうのが一番好きで、
共感できます。(三国志で一番好きな武将が于禁なのも、同様の理由から

>>2さんへ

 申し訳ない。私の実力不足です。途中でプロットを書き直したのが間違いだったのかもしれません。
オチも実は苦し紛れの文章でした。反省します。そして、もっと良いものを書けるよう努力します。

あぶぶ氏へ
 
 ホラーってやっぱり"わくわく"しながら"ドキドキ"しないとね!
文章を読みながらそれを感じてくれたのであれば、私の目標は一応達成されたことになります。
その瞬間瞬間を楽しめる文章っていうのが私の理想なんです。
ありがとうございました。

>>4さんへ

 10人の話しを同時に聞けても、体はひとつしかない…
他を先立たせ、自分は置いていかれる。それこそが聖人らしい姿。
でも、そのうち神子は戻ってきます。今度は他が聖人を先立たせるのです。

>>5さんへ

 怪異よりも伝統とか歴史の説明に重点を置いていたのが原因だと思います。
27日のリアル庚申は酒飲んで寝てました。でも、豊聡耳さんのフィギュアが三尸を〆てくれたはず。
キーハック
作品情報
作品集:
30
投稿日時:
2012/08/21 19:20:52
更新日時:
2012/09/03 21:35:39
分類
産廃百物語B
豊聡耳神子
東風谷早苗
聖白蓮
その他
1. NutsIn先任曹長 ■2012/08/21 21:29:54
神が禍身になっちまったのかよ。
先祖の欲が招いた災いのツケを子孫が支払わされるというのも……。
礼を以って接していると思ったら、礼儀作法がいい加減だった!!

こいつは『異変』ではない市井のことだから、博麗の巫女が介入しなかったというのもあるのかな。
だからこそ、地域密着型神様仏様神霊様が、事象解決の乗り出した、と。

神子ちゃん、何でも一人で背負い込むなよ。
師匠みたいに好き勝手するのもアレだけど……。

まぁ、いずれ彼女は、豪族連中を引き連れて、また会いに来るさ。
2. 名無し ■2012/08/25 17:21:04
よくわからないところもあったけど不思議とすっきりした

変名って・・・前は誰だろう
3. あぶぶ ■2012/08/26 18:25:01
わくわくドキドキが止まらないアクションホラー
4. 名無し ■2012/08/28 12:33:05
こういう話は好き。
たった少しの時間でも二人にとっては……ねぇ。
「力」を持っていながらも全てを抱え込み周りの自分に対する
思いを受け止めなかった神子かわいい!
5. 名無し ■2012/09/02 09:51:48
怪談というと少し違うかもしれない。が、よかった。
粘り強く相手が出てくるのを待つ妖怪退治譚、堪能しました。

名前だけしか聞いたことのなかった庚申待ちの内容が知れたのも○。
夜通し寝ないのってそういう理由だったのか。
6. ギョウヘルインニ ■2012/09/08 03:26:27
とても良かったです。
作者様の思惑通りに読んでしまいました。
7. 名無し ■2012/11/18 21:52:02
物凄く面白かったです。
様々なオカルトに造詣の深い人が集って作品を手がける事こそ、東方というジャンルの魅力の一つだと思っています。
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