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『サクセスストーリー?』 作者: 偏頭痛

サクセスストーリー?

作品集: 32 投稿日時: 2015/05/24 08:17:17 更新日時: 2015/05/24 17:17:17
1.「どうしよう・・・・・さっきから全く進まない…」背中から翼を生やした黒髪の少女が薄暗い豆電球に照らし出された真っ白な原稿と向き合っていた。彼女の動かないペンを持つ指の右隣にはまだ湯気の立つ飲みかけのブラックコーヒーが置かれたままになっていた。一口しか口にしていないのかカップの中の面積はほぼ黒が占めている。狭苦しい部屋の床には何やら汚い文字で書き殴られたメモの束が無造作に放置されている。 部屋の広さは大体四畳半。大きな印刷機が置かれ、小さな簡易ベッド、そして木製の古い机と椅子が置かれてた。机の上には支給された旧型パソコン一台が置かれており、ただでさえ狭い机の上の面積を取る。部屋の壁には少し埃かぶったガラスが取り付けられており、その下には安そうな洗面台が設置されていた。少女は髪を掻き毟る。壁の薄い隣の部屋からタイピングの音が聞こえてくる。「嘘…もう仕上げに入ってるの?」 髪を掻き毟る手に力が入る。 続いて印刷にかける音が聞こえてきた。 「どこに記事にできるようなことがあったのよ…」部屋の前の廊下を駆けていく音。 隣の部屋のドアが開かれ廊下で小さな歓声が上がる。廊下から仲良く隣り合って歩く足音に混じって楽しそうな会話が聞こえてくる。 「お疲れ大変だったねえ」 「ほんとだよぉ〜」 「まぁやな事は忘れてさっ」 「ふぇ〜ん」 「飲みに行きますか」 「ん〜いくいく〜」ブチブチッ…! わずかに頭皮に走る痛みと頭部から手を離したのに伝わってくる髪のザラザラとした感触で少女は自分が髪を引っこ抜いたという事実に気付く。「いやっ…私っ何を!」 掴んでいた髪の毛の束を床にあるゴミ箱の中に急いで投げ込みそのまま真っ白な原稿の上に頭から思いっきり突っ伏す。それから廊下の足音が聞こえなくなったのを確認して喉から嗚咽を漏らしてヒソヒソと泣いた。きっと自分は今とても情けない顔をしているだろう。ここは地獄か。 しばらくそうしているとまた何処かで歓声が上がった。 タイピングの音も聞こえてきた。 「いやっ…いやぁ・・・・・」 いつの間にか少女は耳を塞いでいた。 真っ白だった原稿は彼女の体液により変色し変形していていた。恐らくもう使い物にはならないだろう。 彼女にとっての安息の地など何処にもなかったのである。カップからはもう湯気は立っていない。ひとしきり蛇足と思われる自己嫌悪をした後、彼女に残されたのはさらに汚くなった部屋と言い様のない孤独感だった。射命丸は自分で汚した机の上を冷静に見据える。机の上には自分で垂れ流した体液がレポートや資料、原稿をダメにしていた。 特に鼻水に関しては酷く机の表面にへばりついていてそれが彼女の器官にそのまま繋がっているという有様である。 机の表面から曲線の糸が引かれそれに天井の豆電球の明かりが僅かに反射してキラキラしている。その時彼女には汚いはずの鼻水のアーチがまるで美しい造形物のように見えたのか。「・・・・・汚いのに…きれい!」 そう言うと射命丸は顔の向きを色々と変え、様々な角度から見られる鼻水の輝きを観察し始めた。ある程度観察し終わると腕で乱暴にアーチを取り壊した。そして床の紙束の山からバッグを取り出しその中から新しい原稿を取り出した。右手にペンを持ち原稿に鼻水の…と書き始めたところで正気に戻る。 もうこの時点で彼女はおかしくなっていたのかもしれない。射命丸はペンを投げ捨て、原稿を両手でクシャクシャにして食べた。 当然食べ物ではないモノを胃が受け付けるわけもなくすぐに吐き出す。 そのとき一緒に嘔吐物も出していたかもしれない。 気付けばまた泣いていた。口に紙を詰めていたためそれが防音材として作用してくれた。それ故彼女は思い切り泣けた。 「ふっぐ…!!ああぁ!!…えぐっ!!」涙は目尻から這い出ると赤みがかった頬を滑り落ち、床に散乱した資料の山にポツリポツリと小さな水玉模様を描いた。数時間の間泣きとおした後、疲れたのかそのまま床に崩れ落ちたのち、スースーと寝息をたてながら射命丸は微睡みに沈んでいったのであった。口の中の原稿はふやけ、今日の昼頃には乾燥して剥がし難くなっているだろう。  机の上のブラックコーヒーは沈殿し始めていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2.「あの…」 突然後ろから声をかけられた。朝から鏡を見て口の回りを重点的に水で流してきた射命丸であったが反射的に口元を手のひらで隠していた。「なっ…何ですかっ?」焦りを隠そうとしているが完全に裏目に出ている。 口元を隠しながら朝からついてないなと射命丸は唇を尖らせる。早朝散らかった汚い部屋でまた朝を迎えた射命丸はまず口周辺の異変に気付き洗面台で徹底的に綺麗にした。そのあと部屋の床に吐き散らかした自身の嘔吐物を冷静に見据える。そして慌てて視線を逸らすと同時に腹の虫が鳴った。 食欲が失せるくらい気持ち悪いのに体は正直だ。何かしらを胃に詰め込まなければとスカートのポケットの革財布を確認して部屋を出たところで彼女と出会ってしまったのだ。「余計なお世話かもしれませんが…カラス天狗様」目の前の白狼天狗の少女は自分の顔から目を逸らしながら何やらゴニョゴニョ言っている。 正直下っ端の白狼天狗だったことは射命丸の気持ちを落ち着かせた。もし同僚と廊下で鉢合わせしていたら、きっとまた詰られるだろうからだ。射命丸は口元を隠したまま隈の張り付いた目を尖らせると目の前の白狼天狗に声を掛けた。 「何ですかね?私に何か用でも?」白狼天狗は急にハリが出た射命丸の雰囲気に圧倒されたのかさらに顔を伏せた。 優越感により射命丸の口元には笑みが広がる。 さらなる優越感を求め白狼天狗に近づくと白狼天狗の少女は顔を赤らめ始めた。 ああ天狗に生まれて良かった。カラス天狗に生まれて良かった。と射命丸が優越感に悶えていると、もう我慢できないという風に白狼天狗の少女が口を開いた。 「あのっ!カラス天狗様っスカートがズレ落ちておりますっ!」 そう言うと白狼少女は踵を返して走り去った。 射命丸は一瞬頭が真っ白になった。視線を自分の下半身に向ける。スカートはズレ落ち、露になった太ももや黒下着が丸見え状態である。朝というのもあって黒下着はくい込んでおり当然例のラインもくっきりと浮かび上がっているわけで・・・・・。体温が急激に上がっていゆくのを射命丸は感じていた。スカートを乱暴に上げると裾を直しその場から逃げるようにして食堂へと向かった。ここは地獄か。私にとって世界が厳しすぎやしないか。射命丸はいつの間にか食堂に向かいながらまたポロポロと涙をこぼしていた。 食堂に着いた射命丸がまず周りを見渡すと食堂には数人の白狼天狗だけしか居らずほぼ席は空いていた。それもそのはずである。カラス天狗たちは大体早くても8時に起床するのだ。もっとも昔はもっと早くに起きるようにされていたらしいが近年では妖怪の山における天狗の地位が揺らぐことはありえないということから天狗の起床時間の規制が緩められたのである。天下の天狗に歯向かおうとする勢力などこの山にはいないであろうと構えているのだ。大天狗様の命により大昔の起床時間を遵守して起きているのは今では白狼天狗だけとなっている。射命丸は食堂に備え付けられた壁時計に目を向ける。現在の時刻は6時30分。 白狼天狗たちは大体4時に起きて5時に食堂で朝を済ませて各自任務に出向く。よって今この時間帯に彼女らが食堂に居るのはおしなべて非番だからということになる。ここで非番という可能性だけに絞るのにはちゃんとした理由があるがここでは触れないでおこう。射命丸は食堂の入口付近に重ねておいてあるトレイを上から無造作に取ると誰も並んでいない食品棚へと向かう。ここ妖怪の山カラス天狗本部は全体数が幻想郷のどの派閥よりも多いためどの食堂もバイキング方式を取り入れているのだ。天狗の数が多いので一人一人の注文に応えるのが不可能だからという理由で採用された方式である。食品棚には既に白狼天狗作本日の朝の献立なるものが大量に陳列されていた。ベーコンエッグ、白米、千切りのキャベツ、耳なし食パン、牛乳、味噌汁などまだまだ沢山陳列されていた。毎朝この光景を嫌という程見ているがいつ見てもデタラメだなと思う。 まるで統一感がないメニューたち。射命丸はここに勤め出してまともに四季を感じるような風情のある献立を食べたことがなかった。バイキングなのだから自分で寄せ合わせてそういう風情ある献立にすればよい話なのだが…この食堂、次から次へと料理が作られそれを天狗たちがすぐに取って行ってしまうため料理の入れ替わりがべらぼうに速いのだ。自分好みの献立を作ろうとしようものならばそれこそ何時間も食品棚の周辺をうろつかなければならないことになる。ただでさえ気が滅入っている射命丸はそんなことしたくなかとた。 だからこそ今日は本当にツイている。高速で料理を取っていく天狗たちはいない。自分をからかってくる同僚の影もない。いるのは自分より下の立場の者数人だけだ。 射命丸は鼻歌を歌いたい気分で食品棚へ向かうとゆっくり、ゆっくりと時間を掛けて自身のトレイの上を自分の好きなものだけで埋め尽くしていった。鼻歌は歌っていたかもしれない。 「あやや!梅干♪漬物もあるじゃないですかぁ♪」射命丸は大袈裟なリアクションをとりながら献立を作成していく。 その声に気付いたテーブルに座る白狼天狗たちの数人が料理を食べる手を止め射命丸の方を向き、目をキョトンとさせてその様子を見ていた。この時間帯にカラス天狗が食堂にいることがさぞかし不思議だったのだろう。 じっと射命丸を見つめていた白狼天狗たちだったが、献立を作り終えた射命丸がジロりと睨むとさっと一礼をしてそそくさと手を動かし始めた。ああたまらない。 きっと彼らは突然現れた雲上人に驚きを隠せないでいるだろう。そして同時に恐れているはずだ。天狗の社会は縦社会。それも生まれてすぐに体毛の白か黒かで優劣が決まるのだから大変非情なものだと射命丸自身もそう思う。射命丸はわざとその白狼天狗たちの座るテーブルの近くに行くと、これまたわざとらしく周りを見渡した。「わぁ。こんなにも空いてるなんて!早起きは三文の得とはよく言ったものですねぇ♪」 目の端に白狼天狗たちの怯えた表情が写った。さて、どうしてやろうか。白狼天狗たちの側に悠然と佇む射命丸はテーブルに座って震える白狼天狗たち一人一人を見定める。テーブルに座る犬どものは計5匹。その中で一際小さくて激しく震えるメス犬を選ぶことに決めた。よしよし。目を弓型に歪めると射命丸は白狼天狗たちのテーブルに向かった。 「ちょっと相席してもよろしいでしょうか?」射命丸が後ろから小柄な白狼天狗の震える肩に手をぽんと置く。 「どうも食事は一人じゃ淋しいので…」そう言いながら白狼天狗の肩に置いた手を引き、情けなく怯えた白狼天狗の顔を眺めてやろうと無理やり振り向かせた。「ひっ!」後ろ向きの体制から無理に射命丸の方を向かせられた白狼天狗の少女は目尻に涙を溜めて震えている。射命丸はというと目の前で震えている白狼天狗をただ呆然と見つめていた。射命丸の視界に入ってきたその白狼天狗には見覚えがあったのだ。 綺麗にショートカットに切り分けられた髪、自信が無さそうに視線をあっちこっちにやる動作、小振りの胸、特徴的な眉毛、そして極めつけには小さな口からのぞく犬歯。 そうだ。 今朝部屋の前の廊下であった天狗だ。白狼天狗の分際で私のカラス天狗としてのプライドに傷をつけたメス犬。 許せない。しかしこれは逆に言えば私はそんなメス犬程度に辱めを受けたことになる。 恥ずかしさで見る見るうちに射命丸の顔が紅潮していく。 白狼天狗たちはそんな射命丸の様子を見て、射命丸の機嫌を損ねたと思ったのか口々に謝罪の言葉を口にしだした。「すいません!すいません!」「どうかお怒りをお静めください!」 食堂が騒がしくなってきた。 厨房で料理をしていた白狼天狗も何事かと顔を覗かせる。 まずい。まずいですよ。ついには目の前の白狼天狗の少女が口を開く。「あ・・・・・あなたは…今朝のカラス天狗様?」射命丸は白狼天狗の肩を白狼天狗もろとも強引に弾き飛ばすと食事も放置して食堂から逃げ出した。後ろから何かを叫ぶ声が聞こえた気がしたが最早そんな声彼女に届くはずもなかったのだ。彼女はただただ自分が情けなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3.いつの間にか自分の部屋に戻ってきていた。先ほどまで鳴っていていた筈の腹の音は沈黙を守り、食欲は完全に失せていた。 ちらりと無意識に壁鏡を見る。 ひどく疲れきった目、泣き腫らした瞼、ガサガサの髪、先程の興奮がまだ抜け切れていないのか頬は紅潮している。 ひどい有様だ。一瞬別の妖怪かと思った。 荒い息が落ち着くのを待ってから再び机に向かい真っ白な原稿に向き合う。こんな状態でネタを考えることなんて無理だと内心十分に解っていたが、何かをしていないと頭がおかしくなってしまいそうだったのだ。 そしてなによりも…「あの白狼天狗、私を覚えていた…!」つい勢いで食堂を飛び出してきたが、今更後悔をした。あの白狼天狗が笑い話として仲間内で今朝のことを話題するかもしれないのだ。 天狗の縦社会の中において底辺に位置する白狼天狗たちである。そんな彼らの扱いはお世辞にも良いとは言えない。陰でカラス天狗の悪口を叩いているのは想像に難くない。射命丸の額に嫌な汗が滲む。 よせばいいのにこんな時ほど嫌な考えが頭をよぎる。「もう…おわりです…私は一生カラス天狗の恥として…ひぐっ…同僚や白狼天狗たちから馬鹿にされていくんですね…」視界がだんだん歪んでくる。気付けば両手は頭に置かれており、射命丸はまたブチブチと髪を毟り始めた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー4.「やめなよわたし達には関係ないよ」食堂では先程射命丸に嫌がらせを受けていた白狼天狗たちが何やら仲間内で揉めていた。 「あの人が勝手に寄ってきてっ…勝手に逃げて行っただけだよっ…」食堂の入口付近で四人の白狼天狗たちが言い争っているようだ。 少女らのうちの3人は食堂側に立ち、残る一人は宿舎側に立っていた。 宿舎側に立つ少女が言う。「でもほうっておくなんてこと出来ない!」「つっ!?」3人は理解が出来ないという顔をする。そして3人のうちの一人が痺れを切らしたように一人に詰め寄る。「あいつカラス天狗だよぉ?」 少女は最後まで言わなかったが、白狼天狗にはその言葉が表す意味が解る。白狼天狗は常日頃からカラス天狗の嫌がらせや差別を受けている。 白狼天狗たちの大半がカラス天狗たちに良い印象は持っていないだろう。 彼女はそんなカラス天狗なんかに同情する必要なんてないし無視をしろ…と言いたいのだろう。「あんなカラス天狗なんかほっといてさぁ、今日はみんな非番なんだしぃいい男誘ってコンパとかしようよぉ」少女の提案に残りの2人も賛同している。「ほらあんたも…」少女が声をかけたときには既に白狼天狗の少女はカラス天狗たちの宿舎の方へ歩き出していた。その光景を3人は愕然とした様子で見ていた。 先程の少女が尚も奇行に走る少女を止めようと声を掛ける。「ちよっとあんた!正気ぃ!?」 信じられないといった仲間たちの表情に向けて椛は言い切った。「カラス天狗はカラス天狗でも彼女は射命丸 文さんなのよ」立ち尽くす仲間たちを尻目に少女は宿舎の奥に消えていった。「なんでアイツあんなに必死なのよ…訳わかんない」「もういいやほっとこほっとこ」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー5.「いいことなんて一つもない…」もはやガラクタの山と化した部屋。紙や資料はビリビリに破かれて床に散乱し、椅子は何度も床に叩きつけられたのか脚の根元が砕かれていた。 射命丸はそんな部屋の中心にへたりと両足を曲げて座り込んでいる。脱力した肩から力なく顔を反らせて天井を仰ぐといった姿勢である。目の焦点は定まっておらず常に空中を泳いでいる。第三者が見たら間違いなく彼女をドラッガーか頭のおかしいカラスだと思うであろう。 「なんで、なんで私ばかり…こんな…」 先程から彼女はブツブツと独り言を呟いている。がチャリ「ひっ」 隣からの音だ。さっと時計を見ると7時51分、カラス天狗たちが起き出してくる時刻である。 耳を研ぎ澄まさなくとも聞こえてくる同僚たちの会話。「おはよー今日もいい天気だね」「そうね、お腹すいたわ、何にする?」「あたしベーコンエッグがいいかも」「いいねえ〜私もそれにしよっと」なんてことのない他愛ない会話が飛び交う。射命丸はというと先程までとはうってかわり肩に極限まで力を入れ体の震えを押さえ込んでいた。早く通り過ぎて、早く通り過ぎて、早く通り過ぎて!!会話は移動を続けていたがある部屋の前でふと止まる。「・・・・・いや…」 射命丸の体が今まで以上に震え始める。「射命丸さーん?起きてるー?」 扉から同僚の声が聞こえる。射命丸は後ろでクスクスと笑う声を聞き逃さなかった。「射命丸さーーん??」 尚も声を掛けてくる同僚。私は寝ているのよ。そう、寝ているの。だから「返事しろやオラァ!!!!!」ゴン!! 突然怒号と共に扉の方から鈍い衝撃音が射命丸の耳に届く。必死に声を出さないように努めていた彼女であったが、思わず情けない声を上げてしまった。「ひいいいいい!!!!!」 しまった。「なあんだ、射命丸さん起きてるじゃん」ねっとりとした嫌な声が部屋に響く。 「ダメだよ?寝てるふりなんてしちゃあ、わたし達悲しくなっちゃうよお」 クスクスクスクス。必死に吐き気に堪えながらなんとか声を絞り出す。「なんの用?」 そう彼女が言った途端扉の奥からまたクスクスと笑い声が漏れてきた。 ああ、死にたい。「なんてことないわ、ただ朝食を一緒にと思ってね」「朝食?ごめんなさいもう済ませたの」ガゴン!!射命丸がそう言い終わる前にまた衝撃音が彼女の耳を襲う。「ふぐう!!やめてよお!!!」 耳を抑えながら涙目で訴えるが意味はない。 「それじゃあ着替えたらすぐに食堂ね?」「ああ、あたし嬉しくなってきちゃったあ、そうだ!射命丸の献立みんなで作っておいてあげようよ!」「あ!それいいねえ!」勝手に話が進んでゆく。扉越しで彼女らの表情は伺えないが、きっと醜悪な笑みを浮かべていることだろう。もはや射命丸には同意することしか出来ない。「射命丸さん?聞こえてたあ?」「う…うん…」「キャハッ!それじゃまた会いましょう」「楽しみ楽しみ〜」複数の足音が遠ざかってゆく。 いつものことながら悔しくて涙が出てくる。 もう頭がおかしくなりそうだ。彼女らがよそおう献立はいつも悪意に満ちている。どうよそったらあんなに不味くなるのか。 同僚たちからの理不尽なイジメを受ける日々。進まない原稿。こういった日々が数年間続いたら彼女の精神は破壊し尽くされてしまうだろう。 そんな彼女の唯一の楽しみは手下である白狼天狗に絡んで嫌がらせをすることだった。 この時だけは自分が惨めな存在ではないのだと思い込む事ができたからだ。 自分よりも惨めな存在がいることで優越感が感じられ、自分はまだ大丈夫だと思い込めたのである。そう、それだけが彼女の拠り所であり、彼女の儚く脆い棒っきれのような精神を支える柱だったのだ。「これからは…白狼天狗の奴らからも…?」嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!髪を掻き毟りながらその場で悶える。紙は毟られ抜け落ちていく。心が蝕まれていくような錯覚を覚えた。目からは大粒の涙がこぼれ落ち、乾き切った唇からは声にならない声が漏れ出す。 ヒューヒュー。この地獄のような場所から逃げ出すことは出来ないかと彼女は瞳孔の開いたギラギラした目で辺りを見渡す。ピカッ机の上で何か鈍く光るものが目に入った。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6.「はあはあはあ」少女は廊下を走っていた。髪は乱れ呼吸は荒い。「文さん…!」 先程カラス天狗たちの集団と出くわした。文さんの部屋の番号を尋ねたら、大笑いされた。その後は何を聞いてもニヤニヤするだけ、あれは絶対に何かある。嫌な予感がする。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー7.「ふふふ…もう私疲れちゃいましたよ…」弱々しい笑みを浮かべて机の前に立つ射命丸。その手には記事の清書に使う万年筆が握られている。同僚に馬鹿にされるのならまだしも、格下の白狼天狗なんざにコケにされるのだけは我慢ならない…。それだけは私のプライドが受け付けない。もしも、もしも最後に残った私のこのプライドも蹂躙されるようなら、そうなるくらいなら…ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー8.どこ!?どこにあるの!!少女はがむしゃらに宿舎内を走り回っていた。天狗の宿舎は予算の関係上とやらでどの宿舎も同じ作り、デザインとなっているため部屋の番号札を覚えていないと何処がその天狗の部屋なのか区別しずらいのだ。しかも椛は射命丸の部屋番号を知らない。 走り回っている筈なのに同じところを堂々巡りしているような錯覚にそろそろ陥ってきた。アタマがクラクラする。 「はあはっ…!急がなきゃいけないのにっ!」ついに走り疲れて立ち止まる。少女が止まっている間にも嫌な予感はさらに膨らむ。こんなところで時間を潰している暇はない。 呼吸を整えるとすぐさままた走り出そうと足を踏み出したとき、後ろから声を掛けるものがあった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー9.万年筆の先端を自身の首にゆっくりと突き立てる。どこから突き刺せばなるべく痛みを感じずに楽になれるだろうか。 そんなことを思案しながら取り敢えず万年筆の先端を喉仏のあたりにくい込ませてみる。 最初に感じたのは冷たい、それから圧迫感、それから…「くっ!」 鋭い刺激に咄嗟に万年筆を首から遠ざける。万年筆の先端を見ると赤い粒がプツプツと付着している。喉仏に触れると少しだけヌルッとした。よし、感覚は大体掴んだ。あとは実践あるのみだ。もうすぐこの地獄から逃れられる。自由になれる。射命丸の異常な精神状態が痛みを感じる感覚神経を麻痺させてゆく。 したいことは沢山あった。自分の新聞を持ち、清く正しく文屋としてデビューして、幻想郷中に自分の新聞をばら撒く。 私はみんなに新聞を読んで欲しかった。涙はもう枯れ果てていた。 万年筆を両手でしっかりと握りしめ、喉仏に真っ直ぐに狙いを定める。 これから死ぬというのに不思議と気持ちは落ち着いていて的がズレることなどなかった。 これなら目を閉じてもよさそうだ。瞼をゆっくりと閉じる。そしてーーーーーーー。ガチャン!!!「文様!!!!!!おやめください!!!!」突然扉が破かれんばかりに開かれ真っ白い塊が部屋の中に飛び込んできた。塊はそのまま射命丸に躍りかかり万年筆を取り上げると部屋の隅に投げ捨てた。 そして仰向けに射命丸を倒すとそこに身を重ねてきた。一瞬の出来事に困惑する射命丸。「!?…あなた誰ですか!!いきなり何を!」その塊は開け放たれた扉から差し込む大量の光を背にして射命丸に被さっているため顔がよく見えない。「文様…お願いしますから馬鹿な真似はやめてください…」泣いている?この子泣いている。なんで。だんだん視界が光に慣れてきた。射命丸の目の前に飛び込んできたのは涙でくしゃくしゃになった例の白狼天狗の顔だった。 「なんで…」 無意識に声が上ずる。「なんで私の名前を知っているんですか…!白狼天狗ごときが気安く呼ばないで下さいよ!」 違う。言いたいことはこんなことじゃない。私の馬鹿。「貴方のことをずっと・・・・・見てきましたから…」「は!?意味わかりませんよ!どうせ今朝のこと仲間内に喋って私のことを馬鹿にしてたんでしょ!!」「そんなことするはずないじゃないですか!!!」先程の優しい口調とは変わって厳しい口調に射命丸は思わず眉を八の字に曲げて肩を引くつかせる。 それを見た少女は申し訳ないといった顔をすると、「そんなこと…するわけないですよ…」 そう言いながら少女は震える射命丸を優しく抱き締める。「もっと早くにこうして差し上げれれば…すみません…」肌と肌が密着する。 あったかい・・・・・。他人の体温を直に感じるなんて何年ぶりだろうか。こんなに、こんなにあったかくて心が満たされてゆくなんて。いつの間にか射命丸の目からは涙が流れていた。嗚咽も漏れた。 「文様。大丈夫です私はずっとここにいますから。」 「ふっ・・・・・えぐっ…うううう…うわぁ…」 射命丸はとうとう泣き出した。ずっと寂しかった。孤独だった。誰かに構って欲しかった。 しばらくは生まれたての赤ん坊のように少女の胸の中で泣き続けた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー10.時刻は9時15分淹れたてのコーヒーから立ち上る湯気が射命丸の顔を撫でる。 射命丸は自身を包んだ毛布の中から両手を出すと火傷しないように注意しながらカップを掴む。 射命丸がコーヒーを啜っているすぐそばでは先程の少女が忙しそうに部屋を片付けていた。 散々散らかされた部屋だったのに、あれから1時間足らずで少女はあらかた整頓を終えていた。白狼天狗は真面目であるというが彼女こそその白狼天狗の鏡と呼んでいいだろう。整頓を終えた少女がコーヒーを啜る射命丸の横に座る。そしてぎこちなく射命丸に話しかける。「あの…カラス天狗様…先程はえーっと…すみません」先程の威勢とは打って変わって言葉にはりがない。視線はまたあっちこっちさまよっている。「なにがです?」 そんな彼女に内心呆れながらも射命丸は返事を返す。「そのっ…名前を呼んだり…押し倒したり…」最後の方は声がしぼんでいた。顔もよく見ると真っ赤だ。「はあ・・・・・」「!!すいません!すいません!もうしませんから!どうか私のこと嫌いにならないでください!」「・・・・・」「…?カラス天狗様?」「ぷっ…!あははははははは!」思わず吹き出してしまった。目の前の小さなヒーローは何事かと目を白黒させている。「あのうカラス天狗様ぁ…うう」状況が飲み込めないないのか今にも泣きそうだ。きちんと伝えなきゃ。「失敬、私は気にしてませんよ全然、むしろ…その…嬉しかったです・・・・・」その言葉にあからさまに顔を輝かせる少女。尻尾をぶるんぶるんとちぎれんばかりに降っている。それを見てまた笑ってしまった。「あーまた〜ううう」 そろそろ泣き出しそうだ。やめよう。「あなた名前は?」「椛です!犬走椛です!!」射命丸の質問にやや食い気味に返す椛。 「そう、ありがとうね椛…」 偽りなき心からの言葉。心からの感謝。相手が何天狗であろうと関係ない。 ありがとうと伝えた途端目の前の椛は何故か泣き出した。 それを射命丸はただただ微笑ましげに見つめていた。「よろしくね、椛」そう言うと射命丸は椛に寄りかかり、またしばらくは二人でお互いの体温を確かめ合った。綺麗に整頓された部屋。二人のすぐそばの床に置いてあるコーヒーカップの中身は空になっており、真っ白いカップの内側の表面が覗き、扉の外からの光を反射して美しく輝いていた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「ここの修正急いで!」 「はいはい若いのは取材にいくいくー!」「まだ記事間に合ってないの!?早くして!」朝から怒号や指令の飛び交う賑やかな建物があった。建物内では天狗たちがせっせと記事を作ったり、原稿を印刷している。そこにはカラス天狗もいれば白狼天狗もいる。協力して新聞を制作しているのだ。その中には射命丸文の姿も見受けられた。 「全くここは地獄ですね」 デスクの上で忙しくキーボードを打ちながら射命丸は愚痴を零す。「ちっとも仕事が終わらないです」そこにお茶を持った椛がやってきた。 「その割には何だか楽しそうですね文様」言われて初めて射命丸は自身の口角が上がっていることに気付いた。「あやや?おかしいですねえ」 射命丸の反応を困ったような顔で眺めていた椛はお茶を射命丸のデスクの脇に置くと、すぐに持ち場に戻りキーボードを叩き始める。 「文々丸新聞増刊号の〆切近いんですから、文様にはしっかりしていただかないと社員一同困りますよ」「おっともちろん忘れてませんよ!」「怪しーですよー」 パソコンの隙間からジト目でこちらを見つめてくる椛。 いけない、話題を変えないと。 えーっと・・・・・あ、「そういえば、何であのとき椛は私の部屋の番号も知らないのに私の部屋が分かったんですか?」これは素直な疑問であった。「へ?」椛はふと思い出すように考え込むと「文様の部屋が分からなくて宿舎の廊下を走り回ってると、携帯を片手に持ったカラス天狗様が私に喋りかけてこられたんですよ」「へ!?カラス天狗が?」私の同僚に友達と言えた人物なんぞいただろうか。「そのカラス天狗はなんて喋りかけてきたんですか?」「えーっと、朝からドタバタうるせーんだよ。と仰られて、そのすぐあとに文様の部屋の番号を教えて下さいましたよ」椛がそう言い終わるとほぼ同時に文々丸新聞社のオフィスの壁時計が8時を差し、時計からカラスが出てきた。「あやや!もう取材の時間ですね!それじゃ椛行きますよ!」お茶を一気に飲み干すと射命丸は椛を半ば強制的に引っ張って新聞社から飛び出す。 いつもよりも軽い身のこなしに椛は少し驚く。思わず無意識に尋ねていた。「文様、何かいいことでもありましたか?」「ふふっ♪ちょこっとだけ♪」射命丸はそう言うと魅力的な笑みを作って微笑んだ。そして微かに「ありがとう」という呟きがそよ風に乗って聞こえたような気がした。 嬉しい反面椛は何だか切なくなったのだった。
白狼天狗は大体真面目。
どうも偏頭痛です
今回はほんわかしたものを書きたかったのでいつもより軽い感じになったと思いますが自信はないです
文章で表現するのってやっぱり難しいですね
偏頭痛
作品情報
作品集:
32
投稿日時:
2015/05/24 08:17:17
更新日時:
2015/05/24 17:17:17
分類
射命丸
1. 名無し ■2015/05/24 20:43:09
最初は荒れてるだけのように見える文が、徐々に奇行が覗くようになる流れがよかったです。
たださすがに読み辛いので改行入れて欲しいです。
2. 偏頭痛 ■2015/05/26 00:45:33
コメントありがとうございます!文の心情の変化は気を付けながら書きました。
次回からは読み易いように改行を入れていきます。
3. 名無し ■2015/05/26 21:03:04
ここは地獄か
口にしたくなる良いフレーズですね
4. 偏頭痛 ■2015/05/26 22:18:54
コメントありがとうございます!「ここは地獄か」というフレーズは私も気に入っているフレーズです。
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