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『命あってのものだねだね』 作者: 酔鉄砲

命あってのものだねだね

作品集: 32 投稿日時: 2015/05/27 12:31:41 更新日時: 2015/05/27 21:31:41
  「う、嘘だろ……?」

 霧雨魔理沙は愕然としていた。
 眼前に広がる光景を受け入れられずにただ、狼狽している。

  「な、なぁ、冗談やめろよ……起きろって」

 動かない友の体を縋るように揺さぶるが、反応は無い。
 顔を見る。完全に白目を剥いていて、顔色も悪い。
 指も、だんだんと冷たくなっているように感じた。
 魔理沙はようやく、事の重大さを理解した。

  「や、やばいぜ……霊夢を……
   霊夢が、死んじまった……!!」

 嫌な汗が止め処なく全身を流れる。滝のように溢れる涙が友の遺体を濡らす。
 
  「わ、私は悪くない……まさかこんなことになるなんて思わなかったんだ……」

 きっかけは、ほんの少しの悪戯心だった。
 いつもの様に神社を訪れると、霊夢が境内の掃除をしていたので、魔理沙は少し驚かせてやろうと思い、
 背後から弾幕を撃ちはなった。当てる気などさらさら無かったし、このような仕掛け方は普段から行っている
 彼女らの挨拶のようなものだったので、今日も適当にあしらわれて終わりだと思っていた。
 霊夢は背後から襲い掛かる弾幕に気付き、すぐさま回避の姿勢を取ろうとした瞬間、弾幕の一欠けらが霊夢の足を掠めた。
 虚を衝かれて体勢を崩した霊夢は仰向けに崩れ落ち、固い石畳の上に頭を激しく打ち付けてしまったのだ。

  「わざとじゃない……! わざとじゃないんだ!」

 それは冷たくなった友へ向けてか、或いは自分への釈明か、魔理沙は同じ言葉を何度も繰り返す。
 誰も答えることはない。

  「私は悪くない……殺す気なんてなかった!」

 いくら叫んでも事実は変わりようがない。 
 霊夢が死んだ。殺しても死ななそうだと思っていた奴が、死んだ。
 殺したのは、他ならぬ魔理沙だった。
 
  (わ、私が、霊夢を、殺した……?)

  (これからどうなるんだ……? こんなのが皆にバレたら……)

 脳裏に様々な不安がよぎる。
 霊夢は妙な者達に好かれていて、その誰もが凶悪で常識も加減も知らない妖怪ばかりだ。
 もし霊夢を殺したことが奴等に知れたら、自分も無事では済まないのではないか。最悪、殺されるかもしれない。

  (いや……死にたくない……!)

 取り留めの無い妄想が次々と浮かんでくる。
 霊夢の心配よりも、自らに降り掛かるであろう災厄への恐怖が勝ち始めていた。
 矢庭に付近を見回す。誰もいない。気配もない。この現場は、誰にも見られていない。

  (に、逃げなきゃ……!!)

 覚束ない動作のまま箒に跨り、この場を去ろうとする。が、あることに気が付き、箒から降りた。
 もし自分が神社から出るところを誰かに目撃されてしまい、その後すぐに死体が見つかったとしたら、簡単に足がついてしまう。
 少しでも自分への疑いを無くす為にも、死体を見つけられるわけにはいかない。
 魔理沙はそう思い立ち、先に死体を隠してから逃げることにした。

 震える体で友の体を担ぎ上げる。
 直に触れると余計に死を感じてしまい、足が竦みそうになった。

 死体を隠す場所はすぐに思い当たった。神社の裏手にある古ぼけた倉庫だ。
 そこには、貰い物の骨董品やら何やらが適当に保管されているのだが、
 目ぼしいものは無い上にかなりカビ臭いので、霊夢自身も殆ど開けない様な場所だった。
 恐らく、ここに来る妖怪達は倉庫の存在すら知らないだろう。死体を隠すには打って付けだ。

 霊夢の遺体を背中に担ぎ、浮ついた足取りで倉庫まで運んでいく。
 隠すなら誰もいない今しかないと思い、魔理沙は急ぐ。今日ほど参拝客が少ないことを幸運に思ったことは無かった。
 だんだん背中が濡れて来ているように感じる。霊夢は多量に失禁していた。
 魔理沙は、臭いでバレてしまわないか少し不安に思った。

 やっとの想いで倉庫まで辿り付き、埃かぶった床に霊夢を寝かせる。
 剥き出しにしておくのはまずいと思い、適当に積まれていた新聞紙を被せて死体を隠すことにした。
 やりながら、魔理沙は震える声で霊夢に語りかける。
 
  「ごめんな……霊夢。でも、仕方ないんだ……」

 霊夢は答えない。

  「わざとじゃなかったしさ……っひぐ……
   許じで……ぐれるよな……」

 霊夢は二度と答えることはない。
 滴り落ちる大粒の涙が二人の頬を濡らす。

  「……ほとぼりが冷めたら、ちゃんと弔いにくるよ」

 そう言って霊夢の体を紙の下に閉ざした。
 魔理沙は立ち上がりぐちゃぐちゃに濡れた顔を服の袖で拭う。
 逃げると決めたら、不思議と罪悪感は薄れてきて、頭の混乱も治まってきた。
 あとは早いところ神社から立ち去るだけだ。
 遺体がすぐに発見されなければ、神社から去る所を目撃されていても、
 霊夢が留守だったから帰った、とかいくらでも言い訳が効く。魔理沙はそう考えていた。

 薄暗い倉庫から外に出て、すぐにでも箒に跨り飛び去ろうと思ったが、やめた。
 どこからか人の声が聞こえてきたからだ。
 
  (や、やばいぜ……誰か来た!?)

 魔理沙は本殿の横の木陰から来訪者の姿を確認する。
 小さな体に、長い角。自分の身長ほどもある大きな酒瓶を肩に担ぎ現れたのは伊吹萃香だった。
 調子はずれな鼻歌を歌い、ご機嫌な様子で境内を歩いて来ている。

  (萃香かよ! こんな時に……!!)

 心臓が張り裂けそうに鼓動する。
 飛んで逃げれば確実に見つかる。今見つかるのはまずい、と魔理沙は思った。
 ここは、このまま静かにこの場を離れるのが得策だ。魔理沙は徐に後ずさる。
 
  「おーい霊夢ぅー 上等な酒が手に入ったから来てやったぞー
   桜でも見ながら一杯やろうよー」

 萃香は本殿に向かって霊夢を呼ぶが返事はない。
 しかし、ここに来た時から、木の陰に誰かいることに気付いていた萃香は、
 きっとそこに霊夢がいるんだ、と思った。

  「うぉい霊夢。
   わざわざ来てやったのにかくれんぼかぁ?」

 萃香が木陰に近づいてくる。魔理沙は全身の血の気が引いていくのを感じた。
 もう逃げるのは無理だ。今逃げたら怪しすぎる。もう自分から出て行く他なかった。
 魔理沙は意を決した。

  「よお萃香。お前も霊夢に用事か?」

 さも今来た風を装い、姿を現す。
 心臓の音が萃香に聞こえないか不安に思うほど激しく鼓動していた。
 ぐしゃぐしゃの顔を見られないように少し俯く。

 てっきり霊夢がいると思っていた萃香は不満そうな顔で魔理沙を見た。

  「なーんだ魔理沙かぁ。そんなとこで何してたんだ?」

  「あ、ああ。ちょっとな」

 動揺のあまり上手い返しがまるで思いつかない。
 なるべく平静を装い、声が震えないようにしているため、不自然に聴こえてないか心配だった。

  「んー? んん?」

 萃香は怪訝そうな表情で魔理沙の顔を覗き見る。

  「な、なんだよ……?」

  「魔理沙、お前……泣いてたのか?」

 しまった、と魔理沙は思った。
 表情が強張っていたのを完全に見抜かれたと思い、帽子の鍔で少し顔を隠した。

  「は、はぁ? 何でぇ、そうなるんだよ?」

 動揺で裏声が混じる。

  「や、だって目が赤いぞ? 声も何かおかしいし……」

  「……ああ、昨日は研究に没頭しちゃってさ、寝てないんだよ。
   そのせいだと思うぜ」
 
 こんな言い訳すぐにばれると思ったが、もう何でもいいから理由を付けるしかなかった。
 口ごもっていたら余計に怪しまれる。

 萃香は納得できない様子でいたが、どうでもよくなったのかすぐに視線を外した。

  「ま、いいや。 ところで霊夢はいないのかい?」

  「あー、どうやら留守みたいだぜ。
   里にでも行ってんじゃないかなぁ」
 
 話題が逸れたことに一先ず安堵する。
 留守だとわかれば萃香も今日は帰るだろう。

  「そうかぁ……」

 萃香は落胆の表情を浮かべ持ってきた酒瓶を見つめる。

  「せっかくいい酒持ってきてやったのになー」

  「ま、今日は日が悪かったってことだな。
   霊夢がいないなら私も帰るぜ」

 じゃあな、と手を振りさっさと帰ろうするが、萃香にはその気がないようで、その場から動かない。
 顎に手を当て何やら考え込むように唸っている。
 そしてぽんと手を叩き、飛び立とうとする魔理沙を手で静止してはしゃぎながら言う。
 
  「いや、待て! いいこと思いついたぞ!
   霊夢が帰ってくるまで二人で飲んでればいいのよ! よし決まり!」

 今日は飲むぞーと意味込みながら萃香は本殿に向かって歩き出した。
 予想外の展開に魔理沙は一瞬呆気に取られる。

  (は……?)
 
  (二人で飲む……? こ、ここでか!?)

 言葉の意味を理解した途端に顔が熱くなり冷や汗が噴出す。
 一刻も早くこの場を去りたかったのに、萃香なんかと飲み始めてしまったらいつ帰れるかわかったものじゃない。
 しかも霊夢が帰ってくるまで居座るつもりでいる。そうなったらもう逃げる隙なんてなくなってしまう。

  「お、おいちょっと待てよ!!」

  「んー? なんだ?」

  「きょ、今日はやめとこうぜ? 霊夢もいないしさ……」

 しどろもどろになりながら何とか引き止めようとする。 
 萃香は魔理沙なら絶対乗ってくると思っていたので、少し驚いた。
 同時に、かすかな猜疑心も芽生えた。
 そもそも最初からずっと様子がおかしいし、今だって、いつもの魔理沙らしくない。

  「……お前、私に何か隠してるのかい?」

 言われて、魔理沙は飛び上がりそうになるほど動転する。

  「な、何か? 何かってなんだぜ……?
   わ、私は隠してないぜ何もな、そう何も」

 目線が泳ぐ。魔理沙はあからさまに動揺していた。
 普段、物を借りに行くときは適当な嘘がいくらでも思いつくのに、今回は隠しているものが大きすぎて、頭の中が真っ白になってしまっている。

 萃香は、魔理沙が何か隠していて、そのために自分に嘘を付いているのだと確信した。
 萃香は嘘が大嫌いだった。嘘を付くのは相手を信用していないからだ。
 何を隠しているのか知らないが、これだけ混乱するということは何か大きな問題が起きているに違いない。
 もやもやした嫌な気持ちが萃香の心に広がっていく。友達なんだから、少しくらい頼ってくれてもいいだろうと不満に思った。

  「あんたさぁ……私は嘘が嫌いだってこと、知ってるよね?」

  「あ、あー? もちろん知ってるぜ。
   だからこうして真実を伝えてるわけだが。
   私は何も、隠してないってな」

 魔理沙は尚も話そうとしないので、萃香は少し鎌をかけてやろうと思い、初めに魔理沙が出てきた木陰を指差して言う。

  「お前、あそこの茂みから出てきたわよねぇ
   あんなとこで何してたのかなぁ?」
 
 嫌なところを突かれ魔理沙は返答に詰まる。

  「う、うぅ……そ、それは……
   き、きのこが!珍しいきのこがあったからさ、拾ってたんだよ! それだけだ!」

  「ほぉー? じゃあその拾った茸、見せてみなよ。
   見たいなー珍しいの」

 それは、と魔理沙は口ごもった。
 手ごたえを感じた萃香は更なる追い討ちをかける。

  「ああ、ごめんな見せられないよな。
   だって、嘘だもんね。 本当はもっと重大なこと。
   例えば、今ここにいない……霊夢のこととかね」

  「なっ!!!」

 殴られたような衝撃が魔理沙の全身を駆け巡り、危うく膝から崩れ落ちそうになった。
 足が震え、呼吸が荒くなる。

   (こ、こいつ何だよ……! まさか、知ってるのか……!?)

 いや、あの現場は誰にも見られていないはずだ。死体を移動していた時も、周囲の警戒は怠らなかったし、誰かが見ているような気配もなかった。
 しかし、萃香は能力で姿を消すこともできるし、もしそれで見られていたとしたら……。
 魔理沙は激しく悩乱し、そしてその様子を見た萃香は、霊夢のことで何かを隠しているに違いないと思い至った。

  (しっかし、こうもわかりやすいとはねぇ。
   適当に引っ掛けるつもりで言っただけなんだけど、まさか本当に霊夢のこととは)

 まるで悪戯を必死で隠す子供だな、と萃香は思う。
 あまりに魔理沙が素直すぎるせいか、嘘を付かれたことに対する怒りはすっかり消え、今は哀れみの方が大きかった。

 魔理沙は思わず頭を抱えてしまう。
 萃香は間違いなく知っている。
 自分が霊夢を殺したことも、それを隠そうとしたことも、全部知った上で尋問してきているのだと魔理沙は思い込んだ。

  (ど、どうする……? 萃香に口止めしてもらうか?)

 そう考えたが、萃香には黙っているメリットがないし、そもそも鬼は嘘を付かない。
 無理やりにでも逃げて時間を稼ぐ方法も考えたが、そんなことをしても先延ばしになるだけで結果は同じだ。
 完全に道は塞がってしまったのだ。もう自白して少しでも罪が軽くなるのを祈るしかない。
 観念して真実を伝えようと口を開きかけた瞬間。

  (いや、待てよ、口止め……?)

 ある考えが頭の中に浮かんでくる。

  (そうか、口止めしちまえばいいのか……!?)

 いや、だめだ。もし失敗したら大変なことになるし、それこそ許されることじゃない。
 魔理沙は頭の中で自制するが、一度生まれてしまった邪な気持ちは消えなかった。
 どうせこのまま自白しても自分の扱いは変わらないだろうし、ここまで来たら一人も二人も変わらない、と思い始めた。

  (萃香を……)

 ゴクリと生唾を飲み込む。そして、魔理沙は決心した。

  (萃香を殺すしかない……!!)

 魔理沙は凛とした顔で萃香を見つめる。覚悟を決めた者の目だ、と萃香は思った。

  「お? 話してくれる気になったかい」

  「……ああ、全部話すぜ
   確かに私は嘘を付いてた。 謝るぜ」

 魔理沙は軽く頭を下げる。

  「んで、一体何を隠してるんだ?
   やっぱ、霊夢が留守なことと関係があるのか?」

  「あー、それなんだが、用意するものがあるから、ちょっとここで待っててくれないか?
   逃げたりはしないから安心していいぜ」

 言われて萃香は訝しげに魔理沙を睨む。

  「んあ? 何を用意するって?
   話すだけなんだから何もいらないでしょうに」

  「……重要なことなんだよ、必要なんだ。
   信じてくれ」

 萃香は魔理沙の顔を見つめる。嘘を付いている様子はない。
 何を持ってくるのか知らないが、逃げないというのは本当だろう。

  「……わかった。 早く行ってきなよ」

 魔理沙は悪いな、と言って本殿の中へと入った。
 汗で塗れた額を袖で拭い、大きく息を吐く。

  (完全に怪しまれてるぜ……でも、時間稼ぎはできたな)

 とりあえず、凶器がなければ殺すことはできない。魔理沙は考える。
 昔、霊夢が里の人間から妖怪退治のお礼として小刀を貰ってきたことがあった。
 何でも高名な職人が打った結構な業物らしいが、使い道が無いので何処かの押入れに閉まったままになっていた筈だ。
 それを使おう。魔理沙は凶器を探し始めた。


 魔理沙が戻ってくるまで、萃香は持ってきた酒を飲みながら待つことにした。
 賽銭箱の前で堂々と胡坐をかき、背丈ほどある大きな酒瓶の口を開けて、豪快に一口含む。
 自然と顔が綻んでくるのはお酒のせいだけではないだろう。
 多少強引ではあったが、魔理沙が真実を話す気になってくれたことが、萃香はたまらなく嬉しかった。
 なぜ悩んでるのかはまだわからないが、どんなことであっても力になってやろうと心に決めた。

  (でも、あんだけ動揺するなんて一体何を隠してるんだ、あいつ)

 霊夢のことで何か隠している。それはわかったが、それが何なのか全く見当も付かない。

  (ま、いいか。 もう嘘は付かないみたいだし)

 そんなことを考えていたら、魔理沙が本殿から戻ってきた。
 用意するものがある、と言っていたが手には何も持っていない。

  「待たせたな。 それじゃ付いて来てくれ」

 はて、と萃香は思ったが、とりあえず言われる通り魔理沙に付いていく事にした。
 本殿の横側を歩き、裏口に着く。

  「おーい、どこに向かってるんだぁー?」

  「……そこだよ」

 魔理沙が指差した先にあったのは見るからに年季の入った小屋だった。
 霊夢の死体が隠してある、倉庫だ。

  「はぁ? なんだよここ
   ここに何かあるのか?」

  「ああ、ここにあるものを隠してるんだ。
   開けて見てくれ」

 魔理沙は無表情で扉を見つめ言う。
 不自然に淡々としすぎているため、萃香は一瞬、騙されているのではないかと思ったが、すぐにその考えを打ち消した。
 何があっても協力すると決めたのだ。一度決めたことを覆すのは鬼の矜持に反する。
 萃香は扉に手をかけ、ゆっくりと開く。開けた瞬間、嫌な臭いが鼻を劈いた。
 中は、暗くてよく見えない。

  「おい、開けたぞー まり……」

 萃香は振り返る。と、同時に胸の辺りに激痛が走る。何か刺さった。いや、刺された。
 懐に隠していた小刀を、萃香の胸に突き立てているのは、魔理沙だ。

  「ぐうぅぶ!!がっはっ……!!」

 魔理沙は刃を突き立てたまま萃香の体を倉庫の中へと仰向けに押し倒し、馬乗りになった。
 重い倉庫の扉は自動的に閉まり、完全に締め切られる。どれだけ騒いでも、外には僅かな音しか漏れない。

  「あっがぁ……おま……何を……!!」

  「し、死んでくれ、萃香!!」

 小刀にありったけの魔力を込めて、熱を刃に送り込んだ。
 肉が焼け焦げる音と臭いが倉庫に充満する。飛び散る血と響き渡る叫喚で倉庫は酸鼻を極めた。

  「いっぎゃああああああ!!!!!!!!
   うっ……ぐっがああああああ……!!
   あづ……いだいやめでええ……!!!!」
 
 懇願するが熱は治まらず、むしろどんどん火力が上がっていく。
 反撃しようにも力が入らない。体が麻痺している。毒が塗られているんだ、と萃香は気づいた。

  「うぐううううううぅぅう!!!!!!!ああああっづううう!!
   ……あ……あうぅ……!!!!」

  「はやく……早く死ね死んでくれよぉ……!
   なあああああああ!!」

 魔理沙は更に力を込める。
 全身の血液が沸騰しそうな程の灼熱に萃香は成す術も無く焼かれ続け、
 次第に意識が朦朧とし始めて声も出さなくなり、感覚さえも失われてきた。

 薄れゆく意識の中で、殺意に満ちた魔理沙の顔だけがはっきり見える。
 飢えた狼のように血走った目だ。いつもの飄々としている魔理沙からは考えられない。
 どうしてなんだろう。どうして殺されなければいけなかったんだろう。
 人間は嘘つきだから信用してはいけない、と同胞が言っていたのを思い出す。
 確かに全くその通りだ。友達だと思っていたのに。今回だって、協力するつもりだったのに。
 それなのに、どうして。 もう抵抗する気も起きなかった。 ただひたすら悲しくて、涙が止まらない。

  「な……んで……ま……り……」
 
  「もう喋らないでくれよ!!頼むからあああああ!!」

 胸から刀を引き抜き、今度は顔を何度も滅多刺しにする。
 萃香が涙を流していたのを、魔理沙は見たくなかった。
 何度も、何度も刺して刺して、終には、顔の原型を留めないところまで刺し続けた。

 そして、萃香は何も言わなくなった。魔理沙の荒い呼吸だけが、静謐な倉庫に響く。

  「はぁ……はぁ……」

 手を見る。血だらけだ。震えが止まらない。

  「……萃香?」

 返事はない。辺りは静寂に包まれ、魔理沙は徐々に冷静さを取り戻していく。
 そして眼前に広がる陰惨な光景が全て自分の仕業だという恐怖に苛まれ、著しく気分が悪くなった。

  「うっ……おぼえええええええええ!!」

 思わず萃香の穴の開いた胸に吐瀉してしまう。
 吐いた後、糜爛して最早肉塊と化した萃香の顔面を見てしまい、また吐く。

  「はぁっ……!はぁ……!……うっぷ!」

 もうこれ以上見たくない。魔理沙は霊夢の時と同じように新聞紙を死体にかけ、隠した。
 あちこちに血が飛び散っているので、死体を隠す意味は特に無かったが、隠さずにはいられなかった。

 作業を終えて、魔理沙は自分の体を見る。
 暗くてよくは見えないが、おそらくエプロンは返り血で真っ赤になっているだろう。
 本殿から拝借してきたこの小刀も、隠蔽しなくてはならない。
 色々考えていたら、吐き気もなくなってきた。どころか、何故だか清々しい気分だ。

  (なんだか、変な……よくわからん気持ちだな)
 
 友達を惨殺したのだから、懺悔の心も、罪悪感もある。しかし、それよりも強く込み上げてくるのは、奇妙な達成感だった。
 この胸のざわつきは、霊夢が死んだ時とはまた別の何かだ。それが何なのか、今は考えないようにした。
 魔理沙は深く溜息をつき、これからのことを考える。
 何とかして目立たずにこの場を去りたいが、白昼堂々こんな格好で帰ったら間違いなく騒ぎになる。
 そうなれば、口封じに萃香を殺したことも無駄になってしまう。
 考えた挙句、とりあえず夜を待つことにした。
 夜ならば出歩いている人はまずいないし、いたとしても頭の弱い妖怪ぐらいなものだ。
 奴等なら出会ってしまっても適当に吹っ飛ばしてやれば翌日には忘れているだろう。
 もし、夜になる前に誰かが倉庫の扉を開けることがあれば、同じように殺すしかない。
 魔理沙は扉の横に座り、誰が来てもすぐ応戦できるように小刀を握り締めた。

 しばらく時間が経つ。外の様子がわかないので、今がどれくらいの時刻なのかはわからないが、腹時計でいうなら夕方だろうか。
 誰も来る気配はない。すっかり暗闇に目が慣れた魔理沙は、ちらりと死体のほうを見やる。雑にかけた新聞紙が真っ赤に染まっているのがわかった。
 
  (あの下に、二人の死体が転がってるんだよな)

 そう考えると、だんだん気持ちが高揚してきて、ぶわっと鳥肌が立った。
 萃香の肉を裂いた時の感触がまだ手に残っている。嗚咽まみれの断末魔が耳に張り付いている。炙った時の苦悶の表情が目に焼きついて離れない。
 魔理沙は膝を抱えて震えた。自分のことが怖くて堪らなかった。まるで自分が自分でないような、これが現実なのかそうでないのかさえ曖昧に思えてくる。

  (わ、私はどうかしてる……
  二人も、友達を二人も殺したのに、何で、悲しくないんだ?)

 いや、最初は悲しかった。霊夢が死んだ時は心が張り裂けそうな程痛んだし、涙も止まらなかった。
 でも、今は涙が流れない。萃香を、友を惨たらしく殺したのに、悲しくないどころか、むしろ。

  「い、いや、そんなはずない!!
  萃香を殺したのは仕方なくやったことなんだ! そ、そう、しょうがなく、しょうがなくだ!!
  本当は殺したくなんてなかった!! そう、本当は……」

 言いかけて、萃香の顔を滅茶苦茶に刺したことを思い出す。
 思い出すとまた心がどうしようもなくざわついてきて、得体の知れない感覚が溢れ出そうなほどに込み上げてきた。
 その感覚を、魔理沙は知っていた。強敵の弾幕を避けた時のような、胸の昂ぶり。
 一方的な殺戮で快感を覚えた自分に、魔理沙は気付いてしまった。
 
  「そ、そんなばかな!う、嘘だ!!うそだうそだうそだ!!
   くそ!!消えろよ!!!消えろよぉおおお!!!!」
 
 魔理沙は何かを振り払うように頭を掻き乱し叫ぶ。
 それでも、萃香を殺したときの映像と感覚が消えてくれない。

  「狂ってない!! 私は!楽しんでなんかなかった!!
   死にたくないから殺しただけなんだ!! 仕方無かったんだよ!!!
   だから、消えてくれよおおおおお!!!」

 頭を抱え、小刀を振り回しながら叫ぶ。
 いくら叫んでも、幾度と無く否定しても、それが消えることはなかったが、それでも魔理沙は叫び続けた。むしろ叫びたかった。
 それから幾度と無く自問と苦悩と絶叫を繰り返し、ようやく落ち着いたのは夜の帳が下りてからだった。

  「はぁ……はぁ……」
 
 叫び疲れて、荒い呼吸を漏らす。酷く頭痛がするし、喉も痛い。
 少し冷静になった魔理沙はふらつく足取りで立ち上がり、倉庫の扉を僅かに開いて外の様子を確認した。
 辺りはすっかり暗くなっている。ここに篭ってから、神社に誰か来たかまではわからないが、とりあえず今は人の気配はなかった。
 ゆっくり倉庫の扉を開け放つと、途端に冷たい風が流れ込んでくる。寒い、と魔理沙は思った。
 後ろで横たわる二人に、心の中で別れを告げて、魔理沙は夜の空へと飛び立った。
 春先の冷たい風が火照った体を冷まし、ふらふらだった頭が少しだけしっかりしてくる。
 飛びながら空を見上げると、月が目に入った。あと数日で満月だろうか、こんな時でも月は憎らしいほど綺麗だ。
 いつもなら夜桜を見ながら宴会でもする季節だな、と考えながら帰路を急ぐ。
 念のために生体を感知して追尾するマジックミサイルを侍らせながら飛行していたが、
 何にも反応することはなく、存外あっさり自宅まで辿り付く事ができた。
 
 帰った魔理沙はまず姿見を見た。想像以上に酷い格好だ。目は腫れぼったく、酷く充血している。
 服も腕も顔も、赤黒い血で染め上げられていた。
 色々やることはあるが、まずは汗と血に塗れた体を洗い流すことにした。魔理沙は服を脱ぎ、浴場へと入る。
 温かい湯にゆっくり浸かって体を癒したいところだったが、湯を沸かす気力もなかったため、とりあえず冷水で汚れた体を流す。
 冷たい水が疲れた体と心に染みる。何度かかけ流して、腕や顔に付いた血は落ちたが、どうもおかしい。
 手に付いた血が消えないのだ。

  「おかしいな、何でだよ、落ちないぞ……」

 強く擦って見るが、落ちない。石鹸を付けた手ぬぐいで拭いてみても落ちない。
 どうやっても落ちないので、半ば自棄になりながら何度も手を擦り合わせる。

  「ううぅ……! 落ちろ……落ちてくれよぉ……」

 半べそをかきながら色々試したが全く落ちないので、魔理沙は諦めて、外出する時は手袋をすることに決めた。
 浴場から上がり、寝巻きを着る。そして返り血がべったり付いた服を、竈で焼却処分した。
 小刀は埋めようと思っていたが、埋めている現場を見られたらまずいので、一先ず物置の奥深くに隠しておくことにした。

 一通りやることを終え、魔理沙はベッドに横たわる。もう一分一秒でも早く眠りにつきたかった。それ程、心身共に疲弊しきっていた。
 横になりながら魔理沙は考える。

  (こうして家に帰ってくると、さっきまでのことがまるで夢のように思えてくるな)
  
  (明日も霊夢がいて、萃香がいる、いつも通りの日常が始まるような気さえしてくる)

 しかし、二人は自分が殺した。そう考えてしまい、また心がざわついてくる。
 この胸の揺らぎと痛みは、明らかに現実のものだった。

  (ごめんな、霊夢。ごめんな萃香。
  でも、私だって死にたくなかったんだよ……)

 心の中で二人に謝る。
 不安で眠れないかと思ったが、余程疲れていたせいか、程なくして魔理沙は眠りへと落ちていった。


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 次の日から数日間、魔理沙は家から出ることができなかった。
 幻想郷中の誰もが自分を疑っているような気がしてきて、人と会うのが怖くなってしまったのだ。
 今まさに誰かが自分を殺しに家の前まで来ているのではないか、と考えるとベッドから動くことさえできなくなり、布団を被ってただ震えていた。
 ようやくベッドから出ることができたのは事件から三日後の昼だった。正確にいえば、来訪者が来たので、出て行かざるを得なくなったのだ。
 その日魔理沙の家を訪れたのは、新聞屋の烏天狗だった。今の魔理沙にとって、一番会いたくない相手だ。

  「魔理沙さーん。 いらっしゃいますかー?」  

 間延びした暢気な声で家の外から呼びかけてくる。
 魔理沙は絶望した。もし文が例の件で来ているとしたら、隠し通せる自信が全く無い。
 自分は追い詰められると動揺が顕著に出てしまうタイプだと先日わかったし、
 眼は泣き腫らして真っ赤でクマも酷くて、こんな顔で出て行ったら怪しまれるに決まっている。

   (くっ、くそ、今はいないフリするしか……)
 
 しかし、出なければそれはそれで怪しまれそうな気もする。
 それに文が自分を疑っているとしたら、留守だとわかっても無断で上がり込んで証拠を掴みにくるのではないか。

   (か、隠れなきゃ!いや、逃げなきゃ!いやそれよりも小刀を……あ、あと手袋!)

 様々な思考が錯綜するものの、緊張から魔理沙の体は硬直し、何一つ行動を起こせない。
 再び文の声が聞こえてくる。

  「魔理沙さん? あやや、寝てるのか、もしくは留守ですかね……。
   新聞置いておくので呼んで下さいねー!」

 そう聞こえた後、翼が羽ばたく音がして、辺りは再び静寂に包まれた。

  (か、帰ったのか?)

 玄関扉の隙間から外を見ると、そこには誰の姿も無かった。代わりに新聞が四冊ほど放置されている。
 どうやらただの新聞配達だったようだ。いつもは黙って置いていくのに、わざわざ声をかけてきたのは新聞が溜まっていたからだろう。
 魔理沙は拍子抜けしてその場にへたり込んだ。

  (なんだよ、脅かしやがって……)

 とりあえず溜まった新聞を家の中に取り込み、緊張で乾いた口を冷たい水で潤した。 
 飲みながら魔理沙は考える。

  (それにしても、おかしいな。
  あれからもう結構な時間が経つってのに、誰も気付いてないのか?)

 確かに倉庫に隠せばすぐにはばれないだろうと踏んではいたが、ここまで気付かれないのは流石に計算外である。
 霊夢が死んだとなれば前代未聞の大騒ぎになるはずだし、親友だった自分の家にも誰かしら訪れて来てもいいはずだ。
 それなのに、ここ数日間での来訪者は文一人。その文も新聞を届けに来ただけで別段変わった様子はなかった。
 つまり、まだ死体は発見されていないのだ。もしくは、誰かが何らかの理由で隠蔽している可能性もある。だが誰が何のために?

 考えても答えは出ないので、魔理沙はとりあえず溜まった新聞を読むことにした。
 何らかのヒントがあれば、と思って古い順に読んで見るが、相変わらず内容はどうでもいいことばっかりで、身になることは何一つ書いていない。
 結局昨日までの三冊はどれもパっとしない記事だらけのいつもの文々。新聞だった。魔理沙は溜息をつき、今日配られた一番新しい号に手を伸ばす。
 そして期待せずに一面に目を通した瞬間、魔理沙は驚愕した。何かの見間違えかと思い何度も目を擦って確認するが、映る内容は変わらなかった。
 魔理沙の顔がみるみる青ざめていく。

  「な、なんだよこれ……! どういうことだよ……!?」

 一面記事の見出しは『博麗神社の桜、今年も満開』というものだった。
 その記事に添えられた一枚の写真。そこには、神社の桜と、鳥居と、霊夢が映っていた。
 カメラを向けられて渋い顔をしながら掃除をしている霊夢がはっきりと映っていた。

  「うううう、うそだろ!?霊夢は死んだはずじゃ……」

 あまりの事に魔理沙は酷い眩暈に襲われる。
 何が起きているのか全く訳がわからなかったが、こうして霊夢が写真に写っているということは、
 考えられる可能性は一つしかない。

  (も、もしかして、霊夢は生きていたのか……!?)

 あの時、魔理沙は霊夢の死を間違いなく確認したわけではなかった。
 いくら揺すっても起きないし、顔色も悪く体も冷たかったので死んだと判断したが、何せあの時は混乱状態だったのだ。
 死んだと思い込んでしまったからそう見えただけで、本当はただ気絶していただけだったのかもしれない。
 そう考えると、霊夢が生きていても不思議ではないのかもしれないが、だとすると辻褄の合わない部分も浮き出てくる。

  (気絶ったって、あんな長い時間目覚めないもんなのか?
  それに、萃香の死体はどうしたんだ? あれだけ血が飛び散ってるんだから、起きた時に絶対気付いたはずだろ。
  なのになぜ何も言いに来ない? なぜ話題にもなってないんだ?)

 魔理沙は考える。が、この写真だけでは全てを解き明かすのは到底無理だ。
 この疑問を解消するには、博麗神社に赴いて霊夢から直接真偽を聞き出すしかない。
 ないのだが、魔理沙は迷っていた。自分は霊夢の死を隠そうとした上、その為に萃香を惨殺したのだ。会わせる顔なんてある筈も無い。
 しかし、真実を確かめなければ次の手が打てない状態なのもまた事実だ。
 しばらく悩んだ後、魔理沙は結論を下す。

  「行くしかないか……神社に」
 
 魔理沙は覚悟を決めて、愛用の箒を手に掴み外へと飛び出した。


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 上空から博麗神社を見下ろすと、その美しさが際立って見えた。
 境内を覆うように桜の木が立ち並び、舞い散る花弁が辺りを薄桃色に染め上げている。
 木々の隙間からはやわらかな春の日差しが差込み、幻想的な風景をよりいっそう引き立てていた。
 いつもなら連日花見をするような時期だが、今はそういうわけにもいかない。
 魔理沙は境内に降り立ち、付近を見回してみる。相変わらず参拝客はいない。
 こんな見事な桜を見に来ないなんて勿体無いかぎりだなと暢気な事を考えながらも、心は張り詰めた糸のように緊張していた。
 一通り見る限り、とりあえず境内に霊夢はいないようだった。

  (ということは、神社の中か、縁側か)

 魔理沙は縁側に回り込むが、霊夢はいなかった。

  「おーい、霊夢? いないのかー?」

 中に向けて恐る恐る呼びかけてみるが、返事はない。
 魔理沙は不安になってくる。神社に来たのは間違いだったかもしれない、と思った。
 ここに来て、霊夢は本当に生きているのだろうかという疑問に苛まれ始めたのだ。
 よく考えたらあの写真だって、当日撮られたものとは限らない。
 一週間ほど前から満開ではないにしろ桜は咲いていたし、あれが当日撮られたものでないなら、
 霊夢はやはり死んでいて、死体はまだ倉庫に放置されたままということになる。

  (ど、どうしよう……倉庫に確認しにいくか?)

 霊夢の生死が不明な今、迂闊に犯行現場へ行くのは危険かもしれないが、
 それでも魔理沙は確認せずにはいられなかった。
 慎重に、周りに気を配りながら神社の裏手へと向かう。当たり前だが、倉庫は以前と変わらずそこにあった。
 魔理沙は震える手で扉を掴み、ゆっくりと開く。開けた瞬間、強烈な違和感が魔理沙を襲った。
 二人の死体がない。それどころか血痕すら残っていない。新聞紙も綺麗に整頓され元の場所に積まれていた。

  「ど、どういうことだ?
   まさか本当に、霊夢はまだ生きて……」

  「そこで何してるの? 魔理沙」

 背後から声がして、魔理沙は勢いよく振り返る。聞きなれた声と、見慣れた容姿。
 信じられなかった。信じたくなかった。死んでいてくれなければ、自分のやったことが全て無駄になってしまう。
 こんなのは嘘だ、これは夢なんだ。魔理沙は膝から崩れ落ちる。違う。これは現実なんだ。紛うことなき現実。
 
  「れ、れい、む……?」

 霊夢は何も言わない。何処か憂いを帯びた表情で魔理沙を見つめている。
 魔理沙の瞳から涙が零れ、乾いた倉庫の床を濡らす。全てが、終わったと思った。

  「ち、ちがう、んだ、これはその、ここにいいもの、あるかとおもって」

 しゃくり上がる声で、詰まりながら魔理沙は言う。
 ぐしゃぐしゃに濡れた顔で必死に笑顔を作り、えへへ、と笑った。

  「でもさ、なんもないな、おかしいよ、なんもないんだ。
   だ、だからさ、わたしは、わるくないんだよ、な?」

 色んな感情が津波のように溢れて来て、最早自分でも何を言っているのかわからない。

  「しょうが、なかったんだよ、おまえなら、わかってくれるだろ?」

 霊夢は無言のまま、へたり込んでいる魔理沙に近づき、屈んで目線を合わせて魔理沙の瞳を見つめる。
 魔理沙は居た堪れなくなりふいと目線を逸らした。きっと自分を責めているんだ、と魔理沙は思った。
 あれだけのことをしたのだ。殴られても、殺されても文句は言えない。
 
 霊夢はしばらく魔理沙を見つめた後、指でそっと魔理沙の頬を拭い、言った。
 
  「お昼、まだでしょ?
   用意できてるから、一緒に食べよ」

 予想外の言葉に魔理沙は目を見開く。
 顔を上げると、霊夢は笑っていた。柔らかで、安心する笑顔。

  「え……?」

 霊夢は立ち上がり、唖然としている魔理沙に手を差し伸べて言う。

  「あんたの声が聞こえたから、急いで二人分盛り付けしたのよ。
   ほら、蹲ってないで早く行きましょ。冷めたら美味しくないわ」

 意味がわからなかった。自分は萃香を殺したのに、霊夢の死を隠そうとしたのに、
 優しい言葉も慰めも、かけてもらえる立場じゃない筈なのに。
 困惑しながらも霊夢の手を取り、立ち上がる。

  「れ、霊夢……どうして?
   私は、萃香を」

 言いかけたところで霊夢は人差し指で魔理沙の口を塞いだ。

  「今は、いいから。
   とにかくご飯食べましょ?ね?」

 そう言って霊夢は魔理沙の手を引きゆっくりと歩き出す。
 魔理沙は全く持って状況を理解することができなかった。

  (ど、どういうことだ? どうしてこうなるんだ?)

 間違いなく霊夢はここで何があったのか全て知っている。さっきの口ぶりからいってもそれは確かだろう。
 それなのに、怒られるどころか小言の一つも無いなんて。
 
  (ひょっとして、霊夢は怒ってないのか?)

 考えて見れば、自分が殺したのは人ではなくて鬼だ。
 人が鬼を殺したとう話は別段珍しいことではないし、元来鬼と人の関係はそういうものだ。
 霊夢を倉庫に隠したり、倉庫を血塗れにしたりと余罪はあるが、
 結果として霊夢は死んではいなかったのだから、大して重い罪ではない。
 にも関わらず、自分があまりにも沈んでいるものだから、霊夢は同情してくれているのかもしれない。
 罪の意識に苛まれ、怯える自分を可哀想だと感じてくれているのかもしれない。
 そんなことを考えながら歩いていたら、いつの間にか涙は止まっていた。


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  「おおぉぉぉ……すっげぇ……!」

 客間の机に鎮座する料理を見て、魔理沙は目を輝かせた。
 大皿にこれでもかと言うほどに盛られた黄金色の天ぷらが、部屋中を春の香りで包み込む。
 
  「里から御裾分けしてもらったのよ。
   春の山菜と、お魚。それと、これ」

 霊夢が得意げに出したのは上等な日本酒だった。
 
  「ああ、確かにそいつがないと始まらないな」

 魔理沙は嬉々として言う。その顔に恐怖の色はない。
 さっきまでの魔理沙とは大違いだ。
 魔理沙の元気な様子に霊夢は愁眉を開き、魔理沙の猪口に酒を注ぐ。

  「おお、悪いな」
 
 そこで霊夢は、魔理沙が手袋をしているのに気付いた。

  「ちょっと魔理沙、食事の時くらい手袋外したら?
   そんな寒くないでしょうに」

 魔理沙はどきっとして、手を背中に回す。

  「あ、ああ、これはその、駄目なんだ。
   今すっごい手荒れしてるから……」

 こんな血塗れの手を霊夢に見せるわけにはいかない。
 魔理沙があまりに必死なので、霊夢は訝しげな表情を浮かべる。
 
  「そんなの気にするタマじゃないでしょうよ。
   行儀悪いから外しなさい」
 
 霊夢は後ろに回りこみ、魔理沙の手袋を半ば強引に剥がした。

  「う、うあ!」

 血塗れの手が露になる。慌てて隠すが、もう見られてしまったに違いない。
 魔理沙は震えた。こんな手じゃ間違いなく、嫌われる。
 ちらりと霊夢を見ると、不思議そうな顔で首を傾げていた。

  「別に、何ともなってないじゃない」

  「え!?」

 魔理沙は自分の手を見る。普通だ。普通の肌色だ。何をしても落ちなかった血が、綺麗さっぱり無くなっている。

  「な、なんで……?」

 理由はわからないが、とにかく血を見られなくてよかった。
 魔理沙は胸を撫で下ろす。

  「馬鹿なこと言ってないでそろそろ食べましょ。
   温かい内にね」

  「お、おう!」

 それは、今まで食べた中で最も美味しい食事だった。
 食べて呑み、また食べる。やってることはいつもと同じだが、感動はいつもと違っていた。
 久しぶりの食事だからなのか、食材が良いからか、途轍もなく美味で箸が止まらない。さっきとは違う涙が零れそうにもなった。
 食べながらする他愛のない会話も、いつも以上に楽しかった。このまま時間が止まればいいのに、とさえ思う。
 霊夢はいつも通りだ。なぜなのかはわからないが、わからなくてもいいと思った。むしろ知りたくなかった。
 
 それから散々飲んで食べて、宴が終わる頃にはどっぷり日が暮れていた。

  「はーーー。食ったなー」

  「そうねぇ」

  「食ったし飲んだな」

  「そうねぇ」

 すっかり満足した二人は横になり幸せを噛み締める。
 こんな楽しい時間は、もう二度と訪れないと思っていた。
 これも全部、霊夢のおかげだ。全て知っていて受け入れてくれている霊夢の優しさがあってのことだ。
 魔理沙は、霊夢が死んでいて欲しいと願っていた過去の自分を恥じた。
 自分は何も出来ないが、せめて感謝でも伝えたい。魔理沙は上体だけ起こし、だらしなく横になる霊夢を見据え言う。
 
  「霊夢。 私さ、霊夢が友達で本当に良かったと思うんだ」

 言われて、霊夢も体を起こし、驚いたような照れたような顔で魔理沙を見る。

  「な、なに言うのよ、突然。
   あんたらしくもない」

 魔理沙は急に気恥ずかしくなり、頬を掻く。
 それを見た霊夢は悲しい表情で笑った。愛しさと切なさが同時に込み上げてきて、どんな顔をすればいいのかわからなかった。

  「私も……魔理沙が友達で、今までずっと楽しかったよ」

 その声は震えていて、今にも消えそうな程小さかったが、魔理沙にははっきりと聞こえていた。

  「霊夢……?」

  「一緒に出かけたり、お茶飲んだり、妖怪退治したり、月に行ったときもあったっけ。
   あの時は神社で私の帰りを待っててくれてたのよね。言わなかったけど、嬉しかったな」

 明らかに様子がおかしい。霊夢は、こんな事を言うような人間ではない。

  「な、なんだよ、急に思い出話なんか。
   それこそお前らしくもないぜ。
   それにそういう話しは、年取ってからするもんだろ?」

 霊夢は答えない。黙って下を向いている。何となく重い空気を感じ、魔理沙も何も言えなくなった。
 しばらく静寂が続いた後、霊夢は魔理沙を見て言う。

  「魔理沙、話があるの」

 そう言う霊夢の目はさっきまでの柔らかなものではなかった。
 できれば、聞きたくない。きっとこの先を聞いたら、まともではいられないだろう。
 だから、せめてもの抵抗で、自分から先手を打つことにした。

  「……萃香の、ことか?」

 霊夢は静かに頷く。
 魔理沙は今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られるが、最早逃げる場所も隠れる場所もない。
 魔理沙は神妙にして、霊夢の話を聞く。

  「まずね、あの倉庫、綺麗になってたでしょ?」

  「……ああ」

  「あれ、片付けたのは私じゃないのよ」

 言われて魔理沙は驚愕した。てっきり霊夢が目覚めた時に片付けたものだと思っていたのに。
 これはつまり、自分と霊夢以外にこの事を知っている者がいるということだ。

  「じ、じゃあ、誰が片付けたんだ?」

 魔理沙は恐々と続きを促した。

  「……勇儀よ。あんたも会ったことあるでしょ?
   地底の鬼」

 魔理沙は落胆した。鬼を殺したことを、鬼に知られた。最悪の展開だ。

  「は、はぁ? 勇儀?
   何で勇儀が来るんだよ!あいつは地底に住んでるんだろ!?それなのに……」

 魔理沙は思わず声を張り上げる。
 あまりの突拍子の無さに目が眩んできた。地底にいるのだから、地上の出来事なんか与り知るはずもないのに、なぜ。

  「ま、まさか、お前が密告したのか!?」

  「なっ、そんなわけないでしょ!!
   私は目覚めたらいつの間にか布団で寝てて、なぜか神社にあいつがいたのよ!」

 頭を抱える魔理沙を見て、霊夢は説明を急ぐ。

  「あいつの話だと、今にも息絶えそうな小さい萃香が自分のところに来て、顛末を全部伝えてから消えたそうよ。
   だから、地上に出て来たって。全く、鬼の執念は凄いわね」

  「しゅ、執念って……無理があるだろ!
   あ、あれだけ刺したんだぞ? ぐちゃぐちゃだったんだぞ!?
   間違いなく死んでたし、死んでたら分身は作れないだろ!?」

  「鬼は桁外れにしぶといのよ。
   首を切り落としても、首だけで襲って来るくらいだしね」

 そんな馬鹿な、と魔理沙は思う。まさか口封じの為に殺した奴から漏洩するとは思っても無かった。
 これでは萃香を殺したことは無駄だったどころか、完全に裏目だ。

  「そ、それで、勇儀は何か言ってたのか?」

  「……勇儀は」

  「勇儀は?」

  「勇儀は、魔理沙に報復するって言ってたわ。
   見つけ出して攫ってやるって」

  「さ、攫う?
   攫うって、どういうことだよ……?」

  「そのままの意味よ。鬼は人を攫う。
   攫われた後どうなるかはわからないけど、少なくとも無事ではいられないわね」

 要は、殺されるということだ。全身の毛が逆立ち、魔理沙は体を抱え身震いする。

  「そ、そんな……
   いや、で、でも待てよ、それはいつの話だ?
   私はここ数日ずっと家にいたが、誰も訪ねて来なかったぞ?
   私を探してるなら、真っ先に家に来るのが当然じゃあないのか?」

  「行こうとしてたわよ。私が目覚めてから、すぐにね。
   だから、止めたの。お願いだからやめてって、何度も頼んだわ。
   そしたら、少しだけ待ってくれることになったの」

  「す、すこしだけ、って、いつまでだ……?」

 魔理沙は息を呑む。

  「次の満月の晩まで。その時に神社まで魔理沙を迎えに来るから、縛って置いておけって。
   それ以上は待てないって言われたわ。もし逃がしたりしたら、仲間を連れて人里を襲うって」

  「満月の晩……って!!」

  「そう、今日よ。もうすぐ、勇儀がここにやってくるわ」

 今日、もうすぐ。あまりに唐突だった。
 少しでも時間があれば何か手を考えられるかも、と思っていたが、一刻の猶予さえも許されていないのだ。

  「う、うそだろ……は、あはは……」

 絶望的な状況に思わず乾いた笑いが込み上げてくる。
 勇儀がここに来る。本気の鬼相手では戦っても勝ち目はないし、かといって逃げれば里が襲われる。
 四方八方塞がれてしまった。魔理沙の瞳から大粒の涙が溢れてくる。嫌だ、死にたくない。
 縋るようにして、霊夢の袖をぎゅっと掴む。

  「れ、霊夢……頼むよ、何とかしてくれよ……っひぐ……
   私、攫われたくないよぉ……」

  「……そうね、ちょっと待ってて、魔理沙」

 そう言うと霊夢は立ち上がり、箪笥の中を探り始めた。
 上手く逃げ出ための道具でもあるのだろうか、期待で魔理沙の顔は少し明るくなるが、
 霊夢が取り出したものは想像よりも遥かに残酷なものだった。

  「……な、なんだよ、これ」

 魔理沙の前に出されたのは縄だった。何の変哲もないが、先の方が輪になっている。
 霊夢は魔理沙を見据え、何かを押し殺すように言う。

  「鬼共は同胞の死に熱り立ってるわ。連れて行かれたら、何されるかわからない。
   身に余る責め苦を負わされて、拷問されて陵辱されて、苦痛の果てに殺されるかもしれない」

  「だ、だから、逃げる方法を考えなきゃいけないんだろ?
   こんな縄でどうやって逃げるんだよ……?」

  「……首吊りは、あんまり苦しくないって聞いたわ」

 最初、言葉の意味が理解できなかった。しかし何度か反芻する内に、絶望と怒りが込み上げてくる。
 つまり、鬼に連れていかれたくないなら死ねということだ。そんな救いの無い二択を、友達に迫るのか。
 魔理沙は逆上し、霊夢の胸倉を掴み上げて叫ぶ。
 
  「ふ、ふざけんな!お前、何考えてんだよ!
   し、死ねってのか!? 私に、死ねっていうのかよ!?」

  「もうそれしか、方法が無いの。
   勇儀には、魔理沙は発狂して死んだと伝えておくわ」

 そう言う霊夢の表情はこの上なく重い。
 おかしい、こんなのはおかしい、自分は悪くないはずなのに。
 魔理沙の心にぐらぐらと様々な感情が膨らんできて、ついに爆発した。

  「な、何だよ……!!何だよそれ!!!意味わかんないって!!
   たかが鬼一匹殺しただけなのに何で死ななきゃならないんだよ!!
   あいつら十分長生きしてんだろ!?萃香だってそうだったんだろ!?
   私はまだ十数年しか生きてないんだ!!!やりたいことだって一杯ある!!
   鬼と人間じゃあ、命の重さが全然釣り合わないって!」

  「……そうね、そうかもしれないわね。
   でも、鬼たちからしてみれば、そうじゃない。
   仲間を殺されたのだから、報復しようと考えるのは、自然よ」

 霊夢はあえて、冷たく言い放つ。
 落胆で胸倉を掴む手が弱弱しくなり、魔理沙はその場に項垂れた。

  「なぁ、霊夢、お願いだよ、何とかしてくれよ……。
   友達だろ……?強いんだろ……!?
   私は、嫌なんだよ……死にたくないんだ……!!」

 縋るように見つめるが霊夢は目を伏したまま答えない。
 自分がこれだけ頼んでるのに、何もしてくれない霊夢にまた怒りが沸いて来る。
 魔理沙は怒りに身を任せ、残飯が乗った机を思い切り蹴り上げた。
 残った天ぷらや酒が床に飛び散り、それを足で踏み潰す。

  「ちょ、何すんのよ!!」

  「うるせぇな!!どうせこの料理だって、私を懐柔するために用意したものだろ!!
   残念だったな、こんなんで揺らぐほど私の命は安くないんだよ!!!」

 不本意なことを言われ、霊夢も声を荒げる。

  「はぁ!?そんなこと考えて用意したわけじゃない!!
   私はただ、最期くらい楽しく過ごせたらと思って……」

  「最期?最期って何だよ!お前が勝手に決めるな!!
   私は逃げるぞ!逃げて生き延びてやる!こんなとこで死んでたまるか!!」

 魔理沙は外へ出ようと襖に手をかけた。すると、電流のような痛みと共に、かけた手が弾かれる。
 これは、結界だ。理解して、魔理沙は怨色の目付きで霊夢を見る。

  「はっ!なるほどな、そういうことかよ。
   安心する言葉も優しい態度も、全部私の逃げ場を塞ぐための嘘。方便だったってわけだ」

  「ち、違う!私は嘘なんか……!」

 霊夢は口ごもる。せめて自分だけは魔理沙に優しくあろうと考えていたのは本当だし、
 かけた言葉も全て嘘偽りない本音ではあったが、魔理沙が逃げないように結界を張ったのも事実だった。

  「何も違わねぇよ!!こんな結界張りやがって!!!
   言っておくが、無駄だからな!お前を殺してでもここから逃げてやる!!
   里の人間がどうなろうが知ったことか!!」

 言った瞬間、魔理沙の頬に鋭い痛みが走る。
 霊夢に叩かれた。そう気付いて、魔理沙は霊夢を睨む。

  「いってぇな!!なにす……ん……」

 霊夢の顔を見て魔理沙は言葉を詰まらせた。
 霊夢が泣いている。これまで気丈に振舞っていた霊夢が、全身を震わせて泣いている。
 困惑する魔理沙を見つめ霊夢は叫んだ。

  「もういい加減にしてよ!子供みたいなこと言わないで!!
   そもそもあんたが最初から隠そうとしなければ、こんなことにはならなかったのよ!!
   あんたが撒いた種なんだから、自分で責任取ってよ!!」

 急に攻め立てられ魔理沙はたじろぎ一歩後ずさった。叩かれた頬がじんじんと痛む。
 霊夢は魔理沙に詰め寄って、滴る涙を拭うこともせずに愁訴する。

  「自分だけが悲しいなんて思ってんじゃないわよ……!
   私だって、魔理沙に死んでほしくなんかない!!でも、どうしようもないのよ!!
   どうもできなかったの!!何度勇儀に頭下げても無駄だった!!
   紫や華扇に相談しても意味無かったわ!魔理沙がやったんだから魔理沙に責任取らせろってさ!!
   そりゃそうよね!犯した罪を消すことなんて誰もできないし、他人がどうこうできる問題でもないしさ!!
   ……それでも、諦められなくて、ここ数日、私は魔理沙のためにできる限りの手を尽くしてきたわ。
   でも、貴女は何かしたの?ただ現実から逃げて、家に篭ってただけでしょ!?
   今更のこのこ出て来てどうにかしろって、虫が良すぎると思わないの!?
   お願いだからもう私に頼らないで!!自分のことなんだから、自分で何とかしてよ!!!」

 心の内を全て吐き出した霊夢はがっくりと膝をつき、俯いて泣きじゃくる。
 見たこともない霊夢の姿に魔理沙は自失し、何も言えずにぼんやりと霊夢を見つめていた。
 そして、しばらく呆けた後、どうしようもなく涙が溢れて来て、霊夢と抱き合いながら泣いた。

   「うううぅう……やだよぉ、霊夢、私、死にたくないよぉ……!!」
 
  (そうだ、私は死にたくないんだ。
  だから、死んでくれよ。私の為を思うなら)

 強く抱擁を交わしながら、魔理沙はさりげなく霊夢の懐を探る。

   「ひっぐ、そう、ね、でも、ごめんね、もう、何もできないのよ……うぅ……」

  (ごめん、魔理沙。でももう、私だってどうしていいかわからない)

 妖怪退治に使う針が抜き取られたことに霊夢は気付かない。

   「そうか、そう、だよな、でも、霊夢ができること、後一つだけあると思うんだ」

   「え?」

 霊夢は顔を上げ魔理沙を見た。目を見開きながら不気味に笑っている。
 どうしたの、と声をかけようとした瞬間、首筋に激痛が走る。

   「あが!がっは……!」

 声が出ない。首を動かせない。目だけ動かして下を見ると、自分の口から大きな針が突き出しているのが見えた。
 これは退魔針だ。やられた、と霊夢が思った時にはもう手遅れだった。
 魔理沙は抱き合いながら霊夢の背後に手を伸ばして、うなじから針を突き刺し喉元まで貫通させたのだ。
 霊夢は力を振り絞り魔理沙の腕に手を伸ばす。

   「にゃ、にゃにうぉひへ……ま、まいひゃ……や、やひぇなひゃい……!!」

 霊夢が懇願すると、魔理沙は勝利を確信して不敵に笑う。最早、人を殺すことに些かの抵抗もなかった。
 たとえ相手が友達だったとしても、自分の命よりは軽いと本気で思い始めた。

   「霊夢、私のために、死んでくれ」

 そう言って魔理沙は針を脳天まで押し込む。
 鮮血の飛沫が辺りを彩り、魔理沙は、ああ綺麗だ、と思い、涙を流しながら笑っていた。


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 星熊勇儀は空を見る。見事なまでの満月だ。
 こんな日は宴でもして夜通し飲むのに限るね。萃香なら、そう言うだろうか。
 今は亡き仲間のことを想い、勇儀は哀愁に浸る。

 勇儀は博麗神社に来ていた。満月の晩に、霧雨魔理沙を引き渡す。霊夢とそう約束していたからだった。
 しかし境内に霊夢の姿はない。とりあえず鳥居の土台に腰をかけ、酒でも飲みながら待つことにした。
 勇儀の心は穏やかだった。最初、萃香が卑怯な手で殺されたと知った時は、魔理沙を磔にして晒し者にした後、
 肢体を引き裂き、無残な姿で殺してやろうとも思っていたが、こうして時間が経ち冷静になると、そんな気分は無くなってしまった。
 萃香は人間に負けた。負けたから殺された。ただそれだけのことだ。
 そのことで自分が魔理沙を殺すのは至極容易だが、殺しても残るのは憎しみだけで、何も変わらない。
 なにより、自分のことのように惑い悲しみ、何度も地底まで頭を下げに来た巫女のことを思うと、
 気勢も殺がれとてもじゃないが殺す気分にはなれなかった。
 ただ、魔理沙の卑怯な行いだけは許せないので、霊夢に免じて殺すのだけは勘弁してやるが、
 代わりに一発殴ってから説教の一つでもかまして終いにしてやろう、と勇儀は考えていた。

   「しかし、遅いな」

 本殿の方に目をやると、ちょうど誰かが出てきたところだった。
 紅白の巫女服。霊夢だ。
 手に何か黒い大きなものを持って、引き摺りながら、目を伏して千鳥足でこちらに向かってくる。
 やれやれようやく出てきたか、と勇儀は立ち上がった。
 そして遠くから歩いてくる霊夢を見て、眉間に皺を寄せて目を細める。

   (なんだ……?何かおかしい)
 
 徐々に近づいてくるにつれ、全貌が見えてくる。霊夢が引き摺っているのは人だ。
 しかし体だけで、首がない。黒い服と血で染まった白いエプロン。あれは、魔理沙だ。
 いや、違う。理解して、勇儀は戦慄する。初めて、人間に対して純粋に恐怖した。
 その少女は顔を伏したまま勇儀の前に立ち、持ってきた亡骸を地面に投げ捨て言う。

   「ほら、魔理沙を、殺してきたよ。
    お前が殺すって言ったから、私は悪くないよね」

 勇儀は唖然として、捨てられた遺体を見た。
 魔理沙の服を着ているが、どう見ても魔理沙ではなかった。子供でもわかるほど明らかだ。
 勇儀は前に立つ少女を厳しく睨みつける。

   「お前、とんでもないことをしてくれたな……!!
    そんな稚拙な変装で誤魔化せると思わないことだな。
    こうなった以上、これはもう人と鬼だけの問題じゃあない。
    幻想郷の全てが、お前の敵に回るぞ!!」

 そう言うと少女はゆっくりと顔を上げる。少女の顔を見た途端、勇儀は絶句した。
 少女は笑っていた。しかし目に光はなくて、止め処なく涙が流れ落ちている。
 出来の悪い硝子細工のような歪な笑顔で口を開き言う。

   「そう、それは楽しみね」

 そう言って少女は鳥居の外に向かってふらふらと歩き始めた。

   「おい、何処へ行くつもりだ!!
    言っておくが、もうお前に逃げる場所なんかないぞ。
    もうわかってるだろう?
    嘘を重ねて逃げ回っても、泥沼に沈んで穢れて、全てを失うだけだってことくらい、
    もう気付いているはずだろう!!」

 少女は足を止め、振り返らずに答える。

    「なにそれ。意味わかんない。
    追って来るなよ。追って来たら、殺すから」

 そう言って少女は飛び去った。何処へ行くか、あてなどあるはずも無い。

 言われなくても勇儀には追うつもりは無かった。
 勇儀は少女があまりに哀れで、咎める気にはなれなかったのだ。
 通常、人は妖怪と違ってあそこまで狂うことはない。
 なぜなら、人には理性があり倫理がある。善悪を区別できる心がある。
 しかし、彼女にはそういったものがほぼないように見えた。それらが芽生えるように教育されていないのだ。
 人を騙してはいけない、人の物を盗んではいけない、そういった当たり前のことすら教えられず、
 人道から外れることをしても誰に強く糾弾されるわけでもなく、あそこまで育ってしまったのだろう。
 力を持った狂人は妖怪と何ら変わりはない。むしろ妖怪よりも凶悪だ。
 しかし、そんな凶悪な存在へと変貌してしまった責任を、年端もいかない少女一人に背負わせることができるだろうか。
 もしかしたら自分は甘いのかもしれない。だけど、世界の全てを敵に回すには少女はあまりに儚く脆い。
 だから、せめてもの温情で、今この場で殺すことはやめた。神に祈る時間くらいは与えてもいいだろう。
 それは殺せなかった自分への言い訳に過ぎないかもしれないが、そういうことにでもしておかなければ、
 気持ちの整理がつきそうも無かった。
 勇儀は歩き出す。地獄の裁判で少女の罪が少しでも軽くなることを祈りながら。
 



 少女は夜空を飛ぶ。帰る場所も戻る場所もない。
 手を見る。また、真っ赤だ。手だけではない。腕も足も全身血だらけだ。
 きっと、もう二度とこの血は落ちない。
 自分が生きているのか死んでいるのか、よくわからなかった。
 何で死にたくなかったのか、よくわからなかった。
 何もかもがわからないが、遠くに行きたがっていることだけはわかる。
 何処か、遠くへ。全ての罪から逃れられる場所まで、飛んでいこう。
 たとえそれが、許されないことだったとしても。
今、すごいトイレに行きたいけど、行けない状況です。故に漏らします。行けないからしょうがないよね。
酔鉄砲
作品情報
作品集:
32
投稿日時:
2015/05/27 12:31:41
更新日時:
2015/05/27 21:31:41
分類
東方
1. 名無し ■2015/05/28 01:30:53
悲しい・・・・・悲しすぎる…
2. 名無し ■2015/05/28 01:43:40
徹頭徹尾の屑だった魔理沙ですが、あくまで環境によって歪んだ結果なのでしょうか、とてもそうには思えませんでしたが・・・
霊夢はどうしてそこまで大切に想ってくれたんでしょうか。
3. NutsIn先任曹長 ■2015/05/28 06:22:53
よくもまぁ、ここまで素晴らしい転落モノを書けますねぇ♪
ごくごく些細な過失から明確な悪意で罪を犯し、最早罪そのものとなった少女。
れんびんの情すら湧かない、終点の無い贖罪の旅に出た彼女の物語でした。
4. 酔鉄砲 ■2015/05/28 20:28:30
読んで頂いてありがとうございます。
もっと精進します。
5. 名無し ■2015/05/31 20:40:08
流れ星のような生き様
6. あーたん ■2015/08/02 20:57:52
霊夢はやっぱりいい子・・・
魔理沙も優しくていい子なはずなのに・・・
悲しい・・・
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