薬莢も一緒に飛んでいるのは、銃器資料が入手しづらい時代に作られた、日本の漫画やアニメーション作品に対するリスペクトを表現している。
同時に、その弾丸が金髪の少女の頭を撃ちぬいている事は、西洋文化に対する日本のサブカルチャーが与えた影響を暗示している。
無論、白一色のシャツにつけられた、赤い蝶ネクタイは日本国旗をモチーフとしている。更に少女の穿いているズボンの裾は広がっているのが見て取れる。
この裾形状は、アメリカのカーボーイ達がブーツを履くときに便利な様に作られたベルボトムを想起させる。
アメリカを感じさせるものを、下半身だけにおくというのは、人間の本能に忠実とも言える文化への痛烈な皮肉と言えるだろう。
また、その下半身=本能が真っ赤であるという事は、共産主義をも暗示しており、これは自由を謳うアメリカこそが、平等=共産的なのではないかという作者の問いかけだ。
興味深いのはカップである。
通常、カップはソーサーと共に供され、人の正面に置かれる。
この風刺画では、ソーサーは描かれず、カップは人物の斜め右に置かれている。
カップを正面に置かないのはどんな時かと言えば、何らかの作業をする時だろう。
つまり、この少女は作業をしていなくては不自然なのであるが、その様子は無く、静かに椅子に座っているのみだ。
作業の不在、それにより飲み物が空白によって横に押しやられている奇妙な構図だ。
これが示すのは、失業により生活に困窮している者であり、更に受け皿が無いというのは、それらの一般庶民こそが、その国々の文化の担い手、受け皿であるという事だ。
ソーサーの無いまま中身を飲み、もし飲み口から垂れれば、それは机=作業場を汚し、更に作業を妨げる。
ここで問題となるのがカップの中身である。
カップに注がれるのは通常はコーヒー又は紅茶が一般的だろう。
ここではそのどちらが注がれているかは、見ている者には分らない。
黒いコーヒーが暗示しているのは言うまでも無く石油であり、近年の中東への米国の個条干渉に対する批判だ。
紅茶の示すのは英国=植民地主義であり、米国は石油を狙い、中東を実質的に植民地化しようとしているのではないかという強い疑念が見て取れる。
何故、一つの作品に日本のサブカルチャーと米帝国主義への批判が同時に盛り込まれているかというのは、興味深い問題である。
これは、胴体=日本が存在し得るのは、下半身=アメリカが支えているからであり、それらを支配しているのは金髪=ヨーロッパ、そうして、そのヨーロッパを日本の弾丸が撃ち抜いているという構図だ。
世界情勢等に対する痛烈な批判を主軸に置き、それをあえてサブカルチャーの弾丸で撃ち抜く事により、政治対立等の下らなさを端的に表した風刺画と言える。
最期に付け加えるとすれば、本文の筆者も自分が何を言っているのか分っておらず、文をまともにここまで読んだ者が居たとするならば、全く持って無駄な時間を浪費させてしまった事に対して謝罪をここに記し、文の結びとしたい。