――――――――気がつくと『彼女』は、見知らぬ部屋のベッドに座っていた。辺りを見渡しても、ベッドにも箪笥にも、窓の無い壁にも天井にも、一つだけのドアにも、見覚えのあるものは何一つ見当たらない。と、そこで『彼女』はようやく気付いた。 ……『わたし』はだれ? 必死になって思い出そうと頭を捻るが、ブラックボックスと化した自分の脳内からは、どんな些細なヒントも引き出せなかった。自分の過去、自分の家族、自分の趣味、自分の性格、自分の名前、皆目見当が付かず、闇の中を手探りするかのように記憶の海と格闘していたものの、何の成果も得られずに、暫くするとこの自問自答にも飽きて諦めた。そうだ、ドアの外に出れば、何か分かるかもしれない。そう考え、ふと顔を上げた時、 ……、っ! 『彼女』の目の前に現れた顔と目があった。唐突すぎる事に驚き、きゃっ、と思わず小さな叫び声をあげてしまう。 いつからそこにいたのだろう、『彼女』の前に佇んでいた少女――――――――『彼女』より少し年上に見えるその女の子は、屈託のない笑顔で、こう言った。 「気がついた?『フランちゃん』?」 …『フラン』…?それ……わたしのこと…? 先ほどの驚きからまだ激しく鼓動する胸を飲み込み、おずおずと訊き返すと、その少女は満面の笑みで頷いた。 「そうだよ、あなたは『フランちゃん』。わたしはこいし。よろしくね♪」 こいしと名乗った少女は、ベッドの上『フラン』の隣に腰を下ろし、混乱覚めやらぬ『フラン』の顔を覗き込むと、 「突然だけど、『フランちゃん』は『お家』や『家族』のこと思い出せる?『お姉ちゃん』のこととかは特に。どう?覚えてなーい?」 どこか胡散臭い笑顔を絶やさずに、ぐ〜っと顔を近付けて質問され、『フラン』はまたたじろいだ。自分はきっと人とお話するのが苦手な子だったんだろうな、そんなことを考えながら、また一生懸命首を傾げて思い出そうとするが、出ないものは出ず、おどおどと返事をした。 …ごめんなさい、思い出せない…… それを聞いて、こいしの目がパッと明るくなった。 「やっぱり!上手くいったのね!これでわたしが『フランちゃん』の最初に知り合った女の子になったんだねっ!」 目を輝かせて喜ぶこいしを見て、よく分からなかったが残念がってはないことを察し『フラン』は安堵する。 と、こいしは目をキラキラさせて、『フラン』に体を向けると、 「じゃあ、わたしのお姉ちゃんのお話をするね!わたしのお姉ちゃんは――――――――」 話の脈絡とか『フラン』の返事とかをまるっきり無視して、こいしは『フラン』に向かって話を始めた。『お姉ちゃん』、その言葉に何故か惹かれ、最初はこいしの熱弁に圧倒されていた『フラン』もいつの間にか瞬きを忘れて、こいしの『お姉ちゃん』自慢に聞き入っていた。とても嬉しそうに『お姉ちゃん』の話をするこいしは、とても心の綺麗で明るい人に見えて、『フラン』はだんだんと警戒心を解いていった。 優しい『お姉ちゃん』とこいしのエピソードを聞くたび、何故か胸に込み上げてくる感情。『姉』がいたかどうかなんて思い出せないというのに、「こんな風に『お姉ちゃん』と過ごしたかった」という後悔にも悲嘆にも似た声が心の中に響き渡る。ひとしきり聞いたところで、『フラン』は自分を顧みた。誰も来ない暗く狭い地下室で、膝を抱えて永遠に思える孤独な時間を過ごす自分の姿が、なぜか脳裏に想起され、込み上げてきた虚無感と寂しさに気が付くと咽び泣いていた。 「『フランちゃん』どうしたの、大丈夫?」 …ごめんなさい、こいしさん……せっかくお話…してくれてるのに…… 怪訝そうに『フラン』の顔を覗き問うこいしに申し訳なくて泣きやもうとするが、なぜか涙は止まらず、嗚咽も部屋の中に木霊し続ける。首を傾げていたこいしは、ふと何か良いことを思い付いたように、そうだ!と声をあげ、 「『フランちゃん』、わたしが『フランちゃん』の『お姉ちゃん』になってあげるっ!」 …え……っ……? 顔をあげ、涙で潤んだ瞳をこいしに向けて、彼女の顔をまじまじと見た。 「だ か ら♪わたしが『フランちゃん』の『お姉ちゃん』になってあげるよ?わたし、『フランちゃん』のことだ〜いすきだから!」 そうきっぱりと言い切ったこいしの表情は、相変わらずニコニコと笑みを絶やさなかったが、冗談や嘘ではなく本気でそう思っているように見えた。戸惑いながらも、『フラン』はこいしの提案について考えてみた。確かに、最初はいきなり目の前にいてびっくりしたし、あまり信用できなそうな人という印象を抱いたが、――――――――今は打ち解けているし、こいしのことを『良い人』だと思っている。なにより、『フラン』にとってこいしが『自分が知っているたった一人の人』なのだ。しかも、こんなに自分と親しく話してくれたのは、――――記憶は無いが――――初めてだった気がした。 『フラン』が小さく頷くと、こいしはまたキラキラと綺麗な目を輝かせた。 「やった!ありがとう『フランちゃん』! …じゃあ『フランちゃん』、わたしのこと今…『お姉ちゃん』…って、呼んでくれないかしら?」 …『お姉……ちゃ…ん』…っ 目を覗き込むこいしに向かって、一言、呟くようにそう言った。その瞬間、身体の芯がかっと熱を帯びるのを感じた。恥ずかしさではなく、懐かしさとも羨望ともつかない感動が、胸の底から込み上げた。 「『お姉ちゃん』……フフ、わたし『お姉ちゃん』になったんだね〜……」 余韻を楽しむように、こいしは顔を綻ばせる。それを見て、『フラン』もとても幸せで優しい気分になり、エヘヘヘ…と気恥ずかしそうに笑った。
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